モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「日本終戦史 1944‐1945-和平工作から昭和天皇の「聖断」まで」(波多野澄夫 中公新書 2025年7月)を読む。著者の波多野は巻末の略歴によると、1947年生まれ、72年慶大法学部卒、79年同大博士課程修了。防衛研修所戦史部勤務を経て、筑波大助教授、同教授、副学長となっている。こう見ると順調に学問の世界を歩んできたように見えるが、ウイキペディアで調べると印象は少し違う。ウイキペディアによると、波多野は66年に岐阜県立岐南工業高校卒、防衛大学校入校、68年同校退学、慶大法学部政治学科入学となっている。工業高校からストレートで防大に入学しながら中退、慶大の政治学科入学というんだからかなりの「変わり種」であることは確かだ。さて本書は1941(昭和16)年12月、真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争及びそれ以前から中国大陸で戦われていた日中戦争の終結のドキュメントである。敗色が濃厚になって以降、いろいろな終戦工作が行われるが、軍部とりわけ陸軍の納得が得られない。45年5月のドイツ敗北以降、連合国側はポツダム宣言の受諾を迫る。連合国側の条件は無条件降伏である。日本の当時の支配者は天皇制の維持に拘る。結果はどうか? 象徴天皇制ということで天皇制は維持された。しかし明治憲法でいう「神聖にして侵すべからず」という絶対主義的な天皇制は葬られる。昭和天皇は戦前からかなり立憲的な君主であったが、戦争の終結においては、「聖断」という非立憲的な手法を用いたと言えよう。

10月某日
「時代を超えて語り継ぎたい戦争文学」(澤地久枝 佐高信 岩波現代文庫 2015年7月)を読む。五味川純平、鶴彬、高杉一郎、原民喜、大岡昇平らの戦争文学について澤地久枝と佐高信が語り合う。鶴彬は戦前の川柳作家で、治安維持法違反で逮捕され、拘留中に死亡する。「手と足をもいだ丸太にしてかへし」「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」などの句が残されている。「シゲオ、戦争だけはダメだからね」というのは亡くなった私の母の言葉である。そういうこともあって私の反戦平和の気持ちは固い。ロシアのウクライナ侵攻にも、イスラエルのガザ侵攻にも強く反対です。

10月某日
「決定版 日中戦争」(波多野澄夫 戸部良一 松元崇 庄司潤一郎 川島真 新潮新書 2018年11月)を読む。波多野は先日読んだ「日本終戦史」の著者で、日本近代史とりわけアジア太平洋地域で戦われた太平洋戦争、日中戦争の専門家である。帝京大教授の戸部、防衛研究所の庄司との3人の研究会での討議がきっかけとなり、3人に中国史の川島東大教授、財政史の松元(元内閣府次官)を加えた5人による執筆。私にとって日中戦争は、主として日米戦争として戦われた太平洋戦争に比べると、今まで関心が低かった。しかし最近のロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルによるガザ侵攻のニュースを観るにつけ、武力による現状変更を憂慮するし、ウクライナやガザへの侵攻に日本の中国大陸侵略の姿が重なって来る。どのように侵攻が行われたか、巻末の年表から張作霖爆殺から南京陥落までをたどってみる。


1928年6月 張作霖爆殺事件。12月 蒋介石による北伐終了。
1932年9月 満州事変。12月 犬養毅内閣発足。
1932年1月 第1次上海事変勃発(停戦協定は5月)。3月 満洲国建国宣言 5月 5.15事件(犬養首相暗殺)。9月 日本が満洲国承認。10月 リットン調査団報告書公表
1933年3月 日本が国際連盟脱退。5月 停戦協定により満州事変終了。
1934年11月 共産党の根拠地・瑞金が陥落、共産党は「長征」に入る。
1935年1月 蒋介石が日中連携の必要性を訴え、広田外相も中国に対する不侵略唱える。5月 日中が大使交換。11月 汪精衛が行政院長兼外交部長を辞任。上海で海軍特別陸戦隊の水兵が射殺される。反日感情からの日本人襲撃事件が相次ぐ。
1936年2月 2.26事件(高橋是清大蔵大臣暗殺)。12月 西安事件(張学良が抗日救国を訴え蒋介石を拘禁)。
1937年6月 近衛文麿内閣発足(外相は広田)。7月 盧溝橋事件(日中戦争の始まり)。8月 上海の海軍特別陸戦隊の士官と水兵が殺害。武力衝突開始(第2次上海事変)。日本との武力衝突の進展を受け「国共合作」が進む。11月 日本軍が上海を制圧。蒋介石が重慶への首都移転を発表(翌年12月、重慶国民政府発足)。12月 南京陥落。南京事件。

10月某日
「蝙蝠か燕か」(西村賢太 文藝春秋 2023年2月)を読む。私小説作家の西村賢太がタクシーの中で意識を失い、病院に搬送後に亡くなったのが2022年2月5日。本書には表題作を含めて3作がおさめられている。表題作の「蝙蝠か燕か」の初出が「文学界」の2021年11月号だから、これは遺作と言ってもいいだろう。主人公の北町貫太、彼は西村賢太の分身でもあるのだが、が慕う戦前の私小説作家藤澤清造をめぐる物語である。貫太の尽力により藤沢清造の文庫本は刊行されるが、貫太の願う全集の刊行はままならない。放埓ともいえる西村の私生活、そして藤澤清造への熱い思いが語られる。西村がすでに亡いことを想うといささかジンとする。

10月某日
室蘭東高首都圏同窓会に出席。17時に「すし土風炉銀座1丁目店」に集合。女子4人含めて20人ほどが集まる。日本女子大に進学して現在は京都に住む中島さんや、新百合ヶ丘でブルーベリーの栽培など都市型農業を営んでいる女性(名前を失念!)、そして元スキー部の中田さんなどが出席。珍しい人では中学を卒業後、東京に引っ越した豊田君。彼は中学の頃から秀才だったが、東京工大に進学後、新日鉄に入社したそうで、引退後は唐津に住んでいるそうだ。北海道から岩淵君と歯医者をやっている柴田君が参加、北海道の銘菓を持ってきてくれた。9時過ぎまで呑んで食べてしゃべっているうちに時間が来たので散会。私は我孫子在住の坂本君と有楽町から上野へ。上野からちょうど成田線直通の快速が来たので乗車。私は我孫子で下車、坂本君は湖北まで。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「僕の女を探しているんだ」(井上荒野 新潮社 2023年2月)を読む。-大ヒットドラマ「愛の不時着」に心奪われた著者による熱いオマージュの物語。-と惹句。「愛の不時着」って、確か北朝鮮に不時着した韓国の娘と北朝鮮の青年の恋愛TVドラマ。私は観ていません。こちらは日本を舞台にしたラブストーリー。恋人たちの危機を韓国出身らしき青年が助けてくれる。そうした話が9編。

9月某日
「松本清張の女たち」(酒井順子 新潮社 2025年6月)を読む。松本清張は明治42(1909)年生まれ。高等小学校を卒業したのちに就職、やがて朝日新聞の九州支社で現地雇用で働く。専業作家となったのは46歳のとき、当時としても遅い作家デビューだった。本書では松本作品に登場する女性に焦点を当てた。松本が作家として最盛期を迎えたのは日本の高度経済成長期。男が外で働き女が家庭を守るという時代だった。松本の作品に登場する女性は、もちろん専業主婦もいるのだが、酒場で働くママやホステス、客室乗務員など働く女性も多い。高級クラブでの松本の姿も描かれているが、遊びに来るというよりも取材という側面が強かったらしい。

9月某日
「1945年に生まれて 池澤夏樹 語る自伝」(聞き手・文 尾崎真理子 岩波書店 2025年7月)を読む。池澤夏樹の小説は「ワカタケル」と「また会う日まで」しか読んだことはないが、二つとも面白く読んだ。「ワカタケル」は歴史上かなりユニークな天皇だった雄略天皇、ワカタケルを主人公にしたもの。「また会う日まで」は池澤の一族というか父方の一族のファミリーヒストリーである。池澤の父親は小説家の福永武彦だが、幼い頃に両親が離婚、母親が再婚した池澤喬を父として育てられる。「池澤の父に最初に会った時、「離れて暮らしていたパパよ」と母から紹介されて、そのまま僕は受け入れたみたい」と当時のことが記されている。実は私は、池澤喬と交流があった。本書にも出てくるが池澤喬はコーポラティブハウジングの熱心な推進者で、確か当時、産経新聞社に務めるかたわらコーポラティブハウス推進協議会の事務局長をやっていた。私は「年金と住宅」という雑誌の編集をやっていたので取材であったのかもしれない。何回かあっているので、もしかしたら住文化研究協議会の縁かもしれない。当時、「息子さんが芥川賞をとった」と話題になったことを覚えている。本書を読むと語学が堪能で、外国だけでなく、日本でも転居を繰り返す、私からすると稀有なコスモポリタンとしての池澤像が浮かび上がってくる。

9月某日
「痴者の食卓」(西村賢太 新潮社 2015年7月)を読む。作者の分身である北町貫多と同棲相手の秋恵の物語。勤めを持たない貫多は秋恵のスーパーでのアルバイトに頼る日々を送る。にもかかわらず、貫多は気に喰わないことがあると秋恵に殴る蹴るの暴行を加える。西村賢太は2022年に急死して著作権は石川近代文学館が継承している。秋恵には自在のモデルがいるが彼女には継承されていない。日本文学には明治以来、私小説の伝統があるが、西村の死以降、その伝統を継ぐ人はいるのだろうか。

9月某日
「遺骨と祈り」(安田菜津紀 産業編集センター 2025年5月)を読む。安田菜津紀は1987年生まれ、上智大学卒のフォトジャーナリスト。TBSテレビ「サンデーモーニング」のコメンテーターとして出演。とてもリベラルな考え方の持ち主で、私はかねてから好感を抱いていた。本書は沖縄、福島、ガザを訪ね、考え、感じたことのレポートである。平和な日本に暮らす私たち、そう言っていいのだろうか? と本書を読んで感じた。日本製の電子部品がガザへの軍事侵略に使われていないという保証はない。イスラエルを支持するアメリカに日本外交は沈黙する。福島の原発が供給していた電力は首都圏向けだった。「沖縄への負担押し付け、福島からの搾取、そしてガザ、パレスチナで起きている民族浄化、私はどれに対しても、この社会構造の中で「踏んでる側」に立っている」(「プロローグ」より)という言葉は重い。

9月某日
表参道の中華の名店「ふーみん」で「江利川さんを囲む会」。直前に江利川さんから「欠席します」のメールが来た。「ふーみん」に着くと川邉さんや吉武さん、岩野さんら来る。前回から参加の小堀鴎一郎先生も。小堀先生は87歳の現在も車を自ら運転して訪問診療をしている。今回欠席の大谷さんから前回の剰余金1万5千円を預かってきたので、今回の会費は一人7千円に収まった。帰りは吉武さんと表参道から千代田線で帰る。

9月某日
大谷さんから借りた「世界秩序が変わるとき-新自由主義からのゲームチェンジ」(齋藤ジン 文春新書 2024年12月)を読む。新自由主義からの脱却には私も賛成だが、その先には何があるのか。本書で私は具体的に読み取ることができなかった。しかし著者は本書で自身が性的マイノリティ―であることを明かしている。だとすると性や人種、国籍などによる差別のない社会ということか。これも賛成。

9月某日
「イスラエルとパレスチナ-ユダヤ教は植民地支配を拒絶する」(ヤコブ・ラブキン 鵜飼哲訳 岩波ブックレット 2024年10月)を読む。著者はユダヤ人の歴史家。イスラエルはパレスチナのガザへの侵攻を続け、国際法に違反して武力によって領土を拡大している。イギリスの首相やフランスの大統領はパレスチナの国家としての承認に言及している。第二次世界大戦後のイスラエルの建国そのものがアラブ人の土地を奪うことによって成し遂げられた。住んでいる人の土地を奪い、そこに自国民を入植させる姿は、かつての日本が満州を占領し、満洲国をでっち上げ、日本人を入植させたことを彷彿とさせる。イスラエルを支持する国はいまやアメリカなど少数だ。共和党だけでなく民主党もイスラエル支持のようだ。在米ユダヤ人の票とユダヤ財閥の献金を期待してのことなのだろうか。50年前の日本赤軍3名による、テルアビブ空港での銃乱射事件を思い出す。無差別の殺戮には反対だが、3人の心情には思うところがある。

9月某日
「日韓条約 60年後の真実-韓国併合とは何だったのか」(和田春樹 岩波ブックレット 2025年9月)を読む。戦前の日本は台湾、南樺太、朝鮮半島を領有する植民地国家であった。このうち台湾と南樺太は日清、日露戦争の結果、合法的に日本に領有された。しかし朝鮮半島はどうか?本書でも韓国併合が合法的になされたか、そうでなかったかの議論が紹介されている。戦後の日本政府の見解は、合法的であったというものだが、果たしてそうか。日本軍の圧力の下で伊藤博文らの脅迫的な要請で、韓国併合はなされたのではなかったのか。少なくとも朝鮮人民の多くは併合に反対であった。そのことは「3,1万歳事件」など多くの朝鮮民衆の決起でも明らかである。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
「関東大震災 虐殺の謎を解く-なぜ発生し忘却されたのか」(渡辺延志 筑摩選書 2025年7月)を読む。1923年9月1日の正午に起きた関東大震災、今年は102年目の年を迎えた。震災時、朝鮮人が井戸に毒を入れてまわっている、等の流言飛語が飛び交い、それを根拠に多数の朝鮮人が虐殺された。本書はその虐殺の跡を丹念にたどった書である。著者は1955年福島生まれ、2018年まで朝日新聞に勤務したジャーナリストである。本書は通説に惑わされることなく真実を探ろうとする。たとえば当時の在郷軍人が、自警団による虐殺の中心とされてきたが、著者は資料を丹念にたどると、在郷軍人の「組織としては迫害を防止し、虐殺を阻止しようと懸命に働いていたように見えるのだ」とする。とはいえ流言を根拠とした虐殺があったのは事実である。「流言の根幹は『朝鮮人の集団が武装して襲ってくる』という戦争状態を思わせるものであり、だからこそ人々を脅えおののかせたのだろう」と著者は言う。ではなぜ、当時の庶民は「朝鮮人が襲ってくる」と思ったのだろうか。1910年に韓国は日本に併合されたが、1919年の3.1独立運動をはじめ、植民地支配に抵抗する韓国民衆の運動は続いていた。ここからは私の想像になるが、関東大震災における朝鮮人虐殺は、日韓併合をはじめとする日本の朝鮮半島、朝鮮人民に対する支配に対する朝鮮人民の抵抗への、日本人民大衆の反感、嫌悪があったように思う。韓国(および朝鮮人民)への日本帝国主義の支配は、欧米列強のアフリカやアジアへの植民地支配といささか趣を異にすると私は思う。アフリカやアジアへの植民地支配は、欧米文明国の遅れた地域の支配として合理化された。しかし朝鮮は古くから中国文明の受け入れの日本の窓口であった。恐らく幕末の開国までは、中国大陸と朝鮮半島こそが日本にとっての先進国であった。そういう記憶は日本人の記憶の底に沈潜している。そうした先進国を植民地支配している。「いつか反撃されるのではないか」-そんな危機感が当時の大衆には沈潜していたのではないだろうか。そしてその危機感が大震災のときに朝鮮人虐殺に結び付いたのではなかったか。

9月某日
「マザーアウトロウ」(金原ひとみ U-NEXT 2025年7月)を読む。金原は1983年生まれ、03年に「蛇にピアス」ですばる文学賞を受賞しデビュー。波那と波那の恋人、蹴人の母親、張子の物語。張子は夫を亡くした独身。張子は自立した女性として描かれる。私は張子が1970年代の生まれで、波那と蹴人が2000年代の生まれであることに軽いショックを受けた。考えてみれば当り前のことだけれど、今年77歳となる私らの世代は最早、少数派、団塊の世代などと大きな顔をしていたのは、過去の話しなのだ。

9月某日
「関東大震災 朝鮮人虐殺を読む-流言蜚語が現実を覆うとき」(劉永昇 亜紀書房 2023年9月)を読む。第1部〈不逞鮮人〉とは誰か第2部朴裕宏-ある朝鮮人留学生の死第3部ハルビン駅で会いましょう-安重根と伊藤博文の十字路の3部構成。著者は1963年生まれの在日コリアン3世で「風媒社」編集長。朝鮮人虐殺など100年前の話しと思うかもしれないが、最近の参政党の伸張などを見ると日本人の中で排外主義の風潮が高まっているような気がする。そういえばトランプのアメリカファースト、やフランス、イタリア、ドイツでの極右政党の伸びを見ると、排外主義は世界的な風潮なのかもしれない。少子化は先進国に共通の減少であり、とすれば外国人労働者に頼らざるを得ないのも先進国共通の課題だ。外国人を排斥して困るのは自国民なのだけれど。

モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
「達人、かく語りき」(沢木耕太郎セッションズ1 岩波書店 2020年3月)を読む。沢木耕太郎は1947年生まれ、横浜国大経済学部卒業後、富士銀行に入社するも1日で退社、指導教官だった長洲一二(のちに神奈川県知事)の勧めでノンフィクションライターの道に進む。本書には吉本隆明、磯崎新、西部邁、井上陽水ら10人との対話が納められている。沢木耕太郎は風貌もそうなのだが、性格が「爽やか」なんだよ。同世代の私から見てもそうだ。吉本との対談で、山口二矢を描いた「テロルの決算」を巡って「…ぼくがなにかを書こうとして対象と向かい合う時、否定的に対応することがないんですね。…ひとりの人間がここにいて、生身の存在がいたとしたら、その存在を否定することはできないように思えるんです。よいうより、凄いじゃないかというのがまずある」と語っている。ルポルタージュの対象に対してまず肯定的に捉えるということであろう。そういう取材姿勢もあって、沢木耕太郎は「愛される」のである。

8月某日
「空港時光」(温優柔 河出書房新社 2018年6月)を読む。略歴によると、著者は「1980年、台北市生まれ。三歳の時に家族と東京に移り、台湾語まじりの中国語を話す両親のもとで育つ」という。台湾という島そのものが、もともと中国の領土であったが、日清戦争の結果、日本領となり1945年の敗戦により中国に返還される。共産党軍と国民党軍の内戦の結果、国民党軍は敗れ、台湾に逃れる。長く国民党の独裁下にあったが、近年の民主化により、同性婚も認められるなど世界でもトップクラスの民主社会を築いている。戦前に日本語で教育を受けた世代は日本語を話すし、国民党軍とともに台湾に来た世代は北京語を話す。台湾にもともと土着の人は台湾語を話す。帯に「台湾系ニホン語人作家・温優柔の飛翔作」とあるが、まさにその通り!

8月某日
「御松茸騒動」(朝井まかて 徳間文庫 2017年8月)を読む。徳川御三家のひとつ、尾張藩の榊原小四郎は、御松茸同心を命ぜられる。松茸を養生し、藩命により江戸の将軍家や京の天皇家や宮家などに贈る係である。朝井まかては直木賞作家。巻末に「キノコの教え」「江戸藩邸物語」「日本の樹木」など参考文献が記載されているが、著者の学習ぶりがよくわかる。

8月某日
「日韓関係史」(木宮正史 岩波新書 2021年7月)を読む。韓国は最も近い隣国だが、どのような関係を築いてきたのか、私はよく承知してこなかった。この本を読んで少しは啓蒙された気がする。1910年の韓国併合により朝鮮半島は日本の領土とされた。日清戦争、日露戦争は朝鮮半島の支配権を巡る戦争という側面もあった。日本の敗戦により南は米軍に占領され大韓民国(韓国)となり、北はソ連軍に進駐され朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)となった。韓国では李承晩の独裁政権後、1960年の学生革命により李は政権を追われハワイに亡命する。朴正煕等の軍部独裁政権が続いたが1987年、盧泰愚が「民主化宣言」を発する。韓国は日本に似ていると思う日本人は多い(私もその一人だった)。しかしこの本を読んで、「全く違う国」という認識が大切ではないかと思う。

8月某日
上野の国立西洋美術館で開催中の「スウェーデン国立美術館 素描コレクション展 ルネサンスからバロックまで」を観に行く。イタリア、フランス、ドイツ、ネーデルランドのルネサンスからバロックまでのデッサン画が展示されている。印象派などの油絵に比較するとデッサン画は地味で小ぶり。「それがよい」という人もいるのだろう、平日なのに観客は結構混んでいた。私は障害者手帳を示して入場無料、鑑賞しに来たというより涼みに来たという感じである。早々と退散し大谷さんと待ち合わせの町屋の居酒屋「ときわ」に向かう。待ち合わせ時間の16時より30分前に着いたら入口に「16時30分から開店」の表示が。近所の「日高屋にいます」と大谷さんにメールを送りビールを呑む。大谷さんが到着。私が2杯、大谷さんが1杯、生ビールを呑んだところでそろそろ16時30分に。「ときわ」に席を移して呑む。大谷さんからドイツワインをいただく。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
「日本経済の死角-収奪的システムを解き明かす」(河野龍太郎 ちくま新書 2025年2月)を読む。著者の河野は1964年生まれ。87年、横浜国立大経済学部卒、住友銀行入行。以降、第一生命経済研究所などでエコノミスト。この人の本を読むのは初めてだが、きわめてまとも。この四半世紀で、日本人の時間当たり生産性は3割上昇したが、時間当たり賃金は横ばい(はじめに)というのが、この人の問題意識。国内の売上が増えないのは、3割も生産性が上がっている企業部門が実質賃金を低く抑え込み、個人消費が低迷しているためという。企業が内部留保を溜めこみ、労働者への還元が十分になされていないということだろう。ただ著者は正規従業員へは定期昇給などで還元はされており、問題は非正規労働者への還元がまったく不十分という。既存の労働組合も非正規労働者に対しては冷淡のように思う。今、日本経済に求められているのは収奪的システムではなく包摂的なシステムであろう。

8月某日
「未来地図」(小手鞠るい 原書房 2023年10月)を読む。主人公の私、赤木久児は「ひさこ」と読む、女性である。教員採用試験を目指して花屋と塾講師のバイトで自活している。花屋の客だった銀次からプロポーズされ結婚する。銀次にはつき合っている女がいることが判明、離婚する。ここまでがはなしの前半。離婚後、教員採用試験に合格した私は奈良市の中学校の国語教師となる。小さなサークルで知り合った男性から求婚されるが、男性はアメリカへの赴任が決まっている。ラスト近くに「あれがマンハッタン。あれが愛しい人の暮らす街。私はあなたに会いに行く。胸に未来を抱きしめて」という文章があるから、ハッピーエンドと考えて間違いないと思う。小手鞠るいという作家は優しい人だね。

8月某日    
「私たちが轢かなかった鹿」(井上荒野 U-NEXT  2025年8月)を読む。出版社のU-NEXTって何?ネットで調べると通信系の会社らしいけれど、私は完全に時代に遅れているね。惹句に曰く「開けたら最後、劇薬小説集」。同じく「同じ出来事を二人の当事者の視点から描く、騙し絵のように読者を惑わす短編集」とある。井上荒野、なかなかやるね。いま、もっとも面白い(と私が思う)作家の一人だ。そういえば昨日、最終回が放映されたBSNHKの「照子と瑠衣」の原作も井上荒野だ。最終回は九州へ旅立った照子と瑠衣の物語だが、主役は高校3年生の女の子。彼女は第一志望の東京の大学に進学するが、恋人は地元の長崎の大学へ。最後はそれぞれのバカヤロー! 照子と瑠衣もバカヤロー!いいと思います。

8月某日
「一橋桐子(76)の犯罪日記」(原田ひ香 徳間文庫 2022年8月)を読む。2年ほど前かな、BSNHKのテレビドラマを観て面白かった。主演の桐子を演じるのは松坂慶子。桐子の親友で晩年、一緒に住んでいた知子は由紀さおりが演じていた。両親の介護で会社を退社せざるを得なかった桐子は、独身で低年金。76歳の今もビルの掃除の仕事で細々と食べている。桐子は先行きを考えると、住まいと食事が保障されている刑務所暮らしを夢想している。そんな桐子の日常とちょっとした事件を綴る。原田ひ香の小説はテレビドラマ向きと思う。

モリちゃんの酒中日記 7月その4

7月某日
「テルアビブの犬」(小手鞠るい 文藝春秋 2015年9月)を読む。小手鞠るいは、漫画家のやなせたかしを敬愛していて、本の帯に「本作は、45年あまり師と仰いできたやなせたかし先生に『いつか必ず書きます』と約束していた作品です」とある。現在放映中のNHKの朝ドラ「あんぱん」もやなせたかしとその奥さんがモデルという。で本作「テルアビブの犬」だが、名作「フランダースの犬」を下敷きにしている。戦後直ぐの地方都市が舞台。貧しい祖父との二人暮らしを続けるツヨシが主人公。ソラと名付けた犬と暮らし始める。なぜテルアビブか。ツヨシは長じてテルアビブの空港でイスラエルの乗客に対して銃を乱射し、自身も死亡する。日本赤軍の元京大生、奥平剛士がモデルである。著者には同じく奥平剛士をモデルとした「乱れる海よ」がある。

7月某日
「この国のかたちを見つめ直す」(加藤陽子 毎日文庫 2025年1月)を読む。著者は日本近代史が専門の東京大学文学部教授。日本学術会議の委員に推薦されたにも関わらず、菅首相(当時)に拒否された。私は半藤一利や保阪正康、そして加藤陽子の著作によって日本近代史の多くを学んだ。本書で加藤先生が言いたかったのは、歴史を学ぶだけでなく、歴史を学んだうえで現代社会の出来事に対して批判的な目を持つことではないか、と思う。

7月某日
「陽だまりの昭和」(川本三郎 白水社 2025年2月)を読む。奥付によると今年2月に初刷、5月に第5刷となっている。ベストセラー作家みたいじゃないか。川本は1944年7月生まれで今年81歳、1968年に東大法学部卒、1年間の就職浪人を経て70年に朝日新聞社に就職。朝霞の自衛官刺殺事件に関連して証拠隠滅の罪に問われ、同社を懲戒解雇される。麻布中学、高校から東大法学部、朝日新聞と絵に描いたようなエリートコースを歩むが突然の転落劇。そしてそこからエッセイストとして活躍。私見だが、川本は転落劇があったからこそエッセイストとしての活躍があったのだと思う。小さい者、弱い者への共感が彼のエッセーの根底にあるように思えるのだ。本書にも何度か登場する成瀬巳喜男が監督した映画のように。

7月某日
「東学農民戦争と日本-もう一つの日清戦争」(中塚明 井上勝生 パクメンス 高文研 2024年4月新版第1刷)を読む。井上勝生の「明治日本の植民地支配-北海道から朝鮮へ」(岩波現代選書)を読んだのがきっかけ。本書でも紹介されているが、井上はもともと幕末維新史が専門の北大教授だったが、大学の施設で「東学党首魁」と墨書された頭蓋骨が見つかったことから東学党の戦いに興味を抱くようになる。私も高校生の日本史の教科書で「東学党の乱」を見かけたような気がするが、ほとんど覚えていない。しかし日清戦争のとき、戦争の当事者ではない朝鮮人民に対して、明確に国際法違反のジェノサイドを仕掛けたのが日本軍であった。日清戦争から10年後の日露戦争では、捕虜となったロシア兵に対して日本人が手厚く保護したエピソードは聞いたことがある。日本人は欧米白色人種に対して劣等感を抱く一方で、アジアやアフリカの有色の人びとに対していわれのない優越感を抱く傾向がある。私も、朝鮮や東アジア、東南アジアの歴史を学びたいと思う。

7月某日
「恋恋往時」(温又柔 集英社 2025年5月)を読む。温又柔は1980年台北生まれ、両親は台湾人。幼少期から日本で暮らす。台湾はもともと台湾で暮らす本省人、国共内戦に敗れて中国本土から台湾に渡ってきた外省人がいる。さらに戦前は日本語を話す日本人だった。国際化、グローバリズムは進む一方に思える。しかし反面でナショナリズムや愛国主義の台頭も見逃せない。参議院選挙で躍進した参政党とかね。日本人は単一民族との誤解がある。アイヌは日本語とは違う言語を使っていたし、明治の琉球処分前の沖縄は、薩摩藩と清に朝貢外交をしながらも、独自の王朝を築いていた。温又柔の小説はあからさまに台湾ナショナリズムを主張することはないが、台湾と台湾人が置かれている微妙な位置を表現しているように思う。

モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
「明治日本の植民地支配-北海道から朝鮮へ」(井上勝生 岩波現代選書)を読む。著者の井上勝生は北大の名誉教授、専門は幕末維新史だが、北大の施設で「東学党首魁」と直に墨書された頭蓋骨が発見されたことから、朝鮮半島での日本帝国陸軍による東学党の乱参加者への酸鼻な弾圧処刑、さらには北海道でのアイヌ民族に対する収奪、差別に向きあうことになる。本書によると、日本軍の東学農民軍に対する作戦のすべてが日清戦争の公式戦史から抹消、隠蔽されているという。「東学党首魁」とされた頭蓋骨=遺骨を受け取るために北大を韓国から代表団が訪れる。そのとき代表団の告由文が紹介されているが、その内容は、私の想像を超える激しいものだった。一部を紹介する。「あなたは、新聞紙に包まれて紙箱に入れられたまま、昔の侵略者の地、埃まみれのあちらこちらの片隅に押しやられながら、十年たらぬ百年の間、恥辱の歳月を送られました」「今ここ日本の地には、過去における日帝の韓国侵略を正当化する盲信が、いまだに相次ぐかと思えば、強大国の覇権主義の悪癖も姿を消しません。それゆえにこそ、あなたが命を賭した『斥倭抗戦』の戦いは、実に先駆的な自己犠牲でありましたし、こんにちの私どもが心に刻まなければならぬことの如何と、歩むべき道の方向を克明に差し示して下さっておられます」。

7月某日
「札幌誕生」(門井慶喜 河出書房新社 2025年4月)を読む。明治以前、北海道における和人の中心地は箱館(函館)であり、松前であった。明治になって開拓使が札幌に置かれ、以降、現在まで札幌は北海道庁の所在地であり、北海道最大の都市となった。本書を読むと人口で函館を札幌が上回るのは明治も末期であるという。本書は札幌の開拓や文化の醸成に力を尽くした5人の物語である。最初に登場するのは初代の開拓判官、島義勇。佐賀出身の義勇は北海道開発に尽力するも、ほどなく東京に呼び戻される。やがて江藤新平とともに佐賀で挙兵、佐賀の乱である。乱は敗北し島は江藤とともに斬首される。以下、内村鑑三、バチラー八重子、有島武郎、岡崎文吉の生涯と北海道の関りが綴られる。それなりの人物像が造形されていると思うが…。アメリカ大陸がもともとは先住民、インディアンのものだったように、蝦夷地、北海道はアイヌ民族のものであった。そういう視点が門井には抜け落ちていると思う。

7月某日
「草の根のファシズム-日本民衆の戦争体験」(吉見義明 岩波現代文庫 2022年8月)を読む。戦後の1948(昭和23)年に生まれた私は、55年(昭和30)年に室蘭市立高砂小学校に入学、民主的な教育を受けたことになる。戦後の平和は善、戦前の軍国主義は悪という考え方を植え付けられたのは間違いない。もちろん日本帝国主義のアジア・中国大陸への侵攻は間違いであり、近隣諸国、住民へどれほどの厄災を与えたか計り知れない。しかし満州事変以来の侵略戦争に動員、徴兵された庶民の肉声は私の先入観を少しばかり裏切るものであった。本書によると、徴兵された農民兵士は「忙しく苦しかった農作業から解放され」、「毎日の入浴」、「仲々よい」食事、「立派な革靴」など農村にいる時よりもめぐまれた生活ができた、という。本書のタイトル、「草の根のファシズム」は、日本軍国主義を支えたのは日本人民、大衆であるということであると思う。60年安保の頃、竹内好が「一木一草の天皇制」と言ったことと同じ趣旨ではないだろうか。私は小学校低学年のときに観た映画「二等兵物語」を思い出す。伴淳とアチャコが扮する新兵の軍隊生活を描いたものだが、背景には戦後の庶民の反戦平和への想いがあったように思う。

7月某日
「マリヤの賛歌」(城田すず子 岩波現代文庫 2025年6月)を読む。本書は、惹句に曰く「稼業没落後に芸者屋に売られ、国内外の遊郭や軍『慰安所』で性売買女性として生きざるをえなかった戦中戦後の苦難の日々を、婦人保護施設入所後に振り返った半生記」ということである。城田は1920年生まれ。戦中戦後を売春を生業として生きざるをえなかったが、55年に日本基督教団の「慈愛寮」に入寮、キリスト教に入信し65年に「かにた婦人の村」に入所、後半生を過ごす、1993年没。本書を読むと売春が貧困と密接に関連していることがわかる。戦中戦後に比べると急速に豊かになった現代でも基本的な構造は変わっていないのではないか。ホストクラブで顧客の若い女性に過大な売掛金を科し、売春を強要する事例が報道されている。

モリちゃんの酒中日記 6月その3

6月某日
早稲田大学のサークル(ロシヤ語研究会)の3年後輩だった長田君が亡くなった。友人の友野君が電話で知らせてくれた。新宿区の落合斎場の通夜に参列することにする。我孫子から千代田線で大手町へ。東西線に乗り換えて早稲田、高田馬場の次が落合。徒歩5分ほどで斎場に。通夜はすでに始まっていて僧侶の読経の声が響く。祭壇には長田君の在りし日の笑顔が輝く。いい写真だ。焼香。参列者に知っている顔はいない。友野君は明日の葬儀に参列すると言っていた。お清めの席にも寄らず退席。落合から地下鉄で飯田橋へ、JRに乗り換え秋葉原、山手線で上野へ。上野から常磐線で我孫子へ。常磐線では席を譲られる。席に座って見上げると、譲った人は髪の薄くなった50代後半から60代の人。平気でシルバーシートに座っている若い人もいるが、譲ってくれるのは年配者が多いというのが私の印象。

6月某日
「摂関政治-古代の終焉か、中世の開幕か」(大津透他 岩波書店 2024年11月)を読む。「シリーズ古代史をひらくⅡ」の最終巻。タイトル通り後期平安時代の摂関政治を取り上げている。摂関政治とは摂政、関白がリードする政治ということであろう。それ以前は律令制のもと、中央集権的な支配体制が築かれ、税も中央政府(朝廷)により一元的に管理されていた。それが私的な荘園が広範囲に拡大し、私的領有と公的領有が並立するようになったらしい。しかし何といってもこの時代を画するのは平和な時代ということであろう。摂関政治以前には古くは壬申の乱、大化の改新といった内乱、クーデターがあったし、白村江の戦いに見られる朝鮮半島への出兵もあった。また時代が下れば平安末期には源平の合戦があり、鎌倉時代には二度にわたる元寇があった。平和な時代を背景にして貴族社会では文藝が興隆した。漢詩、和歌などに加えて源氏物語、枕草子などの小説、随筆でも見るべきものがあった。源氏物語、枕草子など女性が執筆したものは女房文学と呼ばれる。私は日本史に興味があるけれど、どうしても動乱期に興味が集中するきらいがある。源平の争乱や、南北朝、応仁の乱、戦国時代、関ヶ原から大坂の陣、幕末の尊王攘夷という具合である。本書を読んで摂関時代にも親しんでみようと思う。

6月某日
「道長ものがたり-『我が世の望月』とは何だったのか―」(山本淳子 朝日新聞出版 2023年11月)を読む。「摂関政治」に続いて、この時代をリードした藤原道長を巡る物語である。道長の時代を画するのは、道長はじめ当時の有力者が、天皇または皇太子にみずからの娘を妃として入内させ、皇子を得ようとしたことである。この皇子が成人前にミカドになれば、妃の父となる有力者は摂政として、政治を司ることができるからだ。ミカドの外祖父として権力を握る、このような例は世界史でも例のないことでなかろう。しかし道長の時代のようにそれが百年も続いたというのは、珍しいのではないか?道長には天皇を廃してみずから王となる選択肢はなかった。天皇制は温存しつつ、実際の権力は摂関家(藤原氏)や将軍家(鎌倉、足利、徳川)が握るという伝統である。ひるがえって現代も、天皇制は象徴天皇制として残しつつ、実際の権力は議院内閣制のもと、内閣総理大臣が握っているということであろう。

6月某日
社会福祉法人にんじんの会の評議員会に出席。会場は立川の同法人の研修センター。前回は立川駅から会場にたどり着けず欠席してしまったが、今回は30分前に無事、到着することができた。中村理事長と石川常務理事及び各施設の管理者から法人運営について説明があり、了承した。経営は順調に推移しているようだ。実務を担っている石川常務の手腕と職員の能力向上によるものと思う。石川常務の母親で創業者の石川はるえさんは欠席とのことだった。会議の終了後、近くの「末広」で食事。幹部職員と楽しく歓談することができた。

6月某日
「マル」(平沢克己 集英社インターナショナル 2025年3月)を読む。平沢克己は1950年東京・蒲田生まれ、早稲田大学理工学部卒業後、翻訳会社を立ち上げる。私は1948年北海道生まれで早大政経学部卒。生まれは東京の下町と北海道の山のなかという違いはあるが、反骨精神が旺盛なところなど一部共通点があり、面白く読んだ。私は当時、盛り上がっていた学生運動にのめり込んだが、平沢は冷静だったようだ。東京育ちと北海道育ちの違いだろうか。

モリちゃんの酒中日記 6月その2

6月某日
「日銀の限界-円安、物価、賃金はどうなる?」(野口悠紀雄 幻冬舎新書 2025年1月)を読む。著者の野口悠紀雄は1940年生まれ。今年、85歳になるのだが、その経済を見る目の確かさはいささかも衰えない。本書における野口の考え方を私なりに要約すると、まず円安は日本を弱くする。円安で企業の利益は増えるが、それは企業が輸入物価の上昇を販売価格に転嫁しているからで、円安による企業の利益増は消費者の犠牲により生まれている。円安によって外国人労働者を確保できなくなり、国際競争から脱落していく可能性もある。外国人労働者の確保のために、韓国は永住権の付与に積極的だが日本は遅れをとっている。米国への留学生も、韓国の4万9755人に対して日本は1万3447人である。1人当たりGDPでも(単位:万ドル)、日本は4.1に対して、アジアではシンガポール10.6、台湾4.3、韓国4.2である(ちなみにアメリカ10.1、イギリス6.7、ドイツ6.4、フランス5.4、イタリア4.5で、G7のメンバーで最低)。円安効果で大企業の収益は増大しているが、それは企業の利益として蓄積され労働者に還元されない。昨年、今年と賃上げ率は高かったが、それは主として大企業の労働者や公務員で、中小、零細企業の労働者やフリーターには及んでいない。ジャパンアズナンバーワンは遠い過去のものとなってしまった。物価の上昇に賃金が追いついて行かない。著者が指摘するのは労働生産性の向上が進んでいないこと。企業の投資が伸びていないし、高等教育も生産性の向上と結びついていない。どうするニッポン!

6月某日
上野の国立科学博物館に「特別展 古代DNA-日本人のきた道-」を観に行く。今度の日曜日(6月15日)が最終日とあって、ウイークデーにもかかわらず結構な人であった。展示物にカメラを向ける人、説明文をメモする人と熱心な老若男女が多かった。私はテーマに興味はあるのだが、人混みを避ける性向があるので展示物は後ろから垣間見る程度であった。その替わり解説パンフレットを2500円で購入、あとでじっくり勉強するつもりだ。実は身体障害者手帳を見せると入場料2500円が免除される。免除された2500円でパンフレットを購入したとも言える。

6月某日
午前中、アビスタ前から坂東バスに乗車、終点の我孫子駅前の一個手前のバス停、八坂神社前で下車、理髪店「カットクラブパパ」へ。お客がいなかったので早速、調髪。料金は今年から500円上がって4000円に。帰りは歩きで我孫子図書館に寄り、週刊文春と週刊新潮を軽く読んで、リクエストしていた本を受けとって帰宅。

6月某日
「歳月」(茨木のり子 岩波現代文庫 2025年5月)を読む。茨木のり子(1925~2006年)は現代詩人。8歳年上の夫の医師、三浦保信とは1975年に死別している。本詩集は彼女の夫への挽歌である。詩の原稿は彼女の死後、Yと表書きされたボール紙の箱から発見された。茨木のり子は私の母親などと同世代だが、彼女の詩には自立などの戦後の価値観を強く感じさせるものが多い。本詩集でも夫への感情を素直に綴っている。「なれる」と題された詩を抜粋しよう。


 なれる
おたがいに
なれるのは嫌だな
親しさは
どんなにふかくなってもいいけれど
三十三歳の頃 あなたはそう言い
二十五歳の頃 わたしはそれを聞いた
今まで誰からも教えられることもなくきてしまった大切なもの
おもえばあれがわたしたちの出発点であったかもしれない
(後略)

モリちゃんの酒中日記 6月その1

6月某日
北海道の室蘭市で同じ小学校、中学校、高校に通った山本君から前進座歌舞伎公演のチケットを2枚貰った。劇場は池袋のサンシャイン劇場。演目は山田洋次脚本の「裏長屋騒動記」で、落語の「らくだ」「井戸の茶碗」を下敷きにしているという。元年友企画の石津さんを誘い、劇場前で待ち合わせ。前進座公園だが、客演の曾我廼家寛太郎(松竹新喜劇)が怪演。ほぼ満員の観客たちも満足していたようだ。もちろん、我々も満足。終って有楽町線の東池袋から有楽町へ。有楽町周辺の焼き鳥屋で石津さんにご馳走になる。焼き鳥屋にも外国人が数組、欧米系だけでなく東南アジア系、インド系?と多彩であった。

6月某日
内神田のマンションにある社保研ティラーレを訪問。約束は16時だったが30分早く着いてしまった。吉高会長が対応してくれる。吉高会長の自宅は茨城県の神栖市だが、この40年間東京都内にマンションを借り、週末に神栖へ帰るという二重生活を送っていた。しかし80歳になったのを機に都内のマンションを撤収、神栖に定住することにした。「地方から考える社会保障フォーラム」の開催について私がお手伝いをしたことから、本日は私に晩御飯をご馳走してくれるそうだ。17時近くなったので予約している神田駅前付近のタイ料理屋へむかう。タイ料理を食べるのは初めてだったが、なかなか美味しかった。人気の店らしく18時頃にはほぼ満員になった。遅れて社保研ティラーレの佐藤社長も到着。佐藤さんは現在、立憲民主党の衆議院議員の秘書をやっている。二人から重ねて感謝されたが、感謝しなければならないのは私の方だ。「社会保障フォーラム」を手伝うことになったのは私が60歳を過ぎてからだが、毎回テーマや講師の選定、依頼などが楽しかった。タイ料理屋を出て、近くの喫茶店でおしゃべり。楽しい時間をありがとう!

6月某日
「YABU NO NAKA ヤブノナカ」(金原ひとみ 文藝春秋 2025年4月)を読む。タイトルは芥川龍之介の短編小説「藪の中」を意識したものだ。芥川の小説は平安時代を舞台に、藪の中で男の死体が発見される事件を描く。細かなストーリーは忘れてしまったが、ネットで検索すると「事件の真相をめぐり、4人の目撃者と3人の当事者が証言を述べるが、それぞれの証言が食い違い、矛盾し、真相が明らかにならないという構造が特徴」だそうだ。金原の小説は小説家の長岡友梨奈を巡って担当する現・元の編集者、友梨奈のパートナー、諸上塚の娘、元編集者の息子などが状況を語る。それぞれが「状況を語る」というところが芥川の小説ともつながるということだろう。私は面白く読んだが、元担当編集者が50代で小説家が40代、小説家のパートナーが20代、娘や息子は10代から20代という設定。50代の元担当編集者の使う言葉は了解できるが、40代、20代、10代の使う言葉には、私には意味不明のものも散見された。私も70代後半、現代小説を読むのはちと無理がある?

6月某日
「美土里倶楽部」(村田喜代子 中央公論新社 2025年3月)を読む。村田喜代子は80歳、福岡県中間市在住。八幡市の中学校を卒業後、鉄工所に就職。結婚、子育て後に同人雑誌に参加、「鍋の中」で芥川賞受賞。「美土里倶楽部」は夫を病で喪った主人公、美土里とその周辺の未亡人たちの話し。それなりの喪失感を抱きつつ、それぞれが前向きに生きて行こうとする…。「未亡人倶楽部」の話しと言ってもいいかも知れない。私は以前から村田喜代子の小説は読んでいた。私より3歳年上の村田とは、価値観を共有しているという想いが強いのだ。比較するつもりはないが(そういって比較しているのだが)、金原ひとみはたぶん、大卒で父親は大学教授。金原はたぶん都内居住、もしかしたら港区在住。中卒の芥川賞作家は私の記憶では村田喜代子と西村賢太くらい。西村が亡くなった今、村田にはまだまだ元気で頑張ってもらいたい。

6月某日
監事をやっている一般社団法人の理事会が東京駅八重洲口の貸会議室で開かれるので出席。13時30分の開催だが、東京駅に着いたのが13時頃、昼食を食べるまもなく会場へ。開会にあたっての会長挨拶が毎回、面白い。今回はトランプ大統領と盟友だったイーロン・マスク氏の訣別に触れて「二人とも大富豪ですからね。合うわけがありません」だって。理事会を無事に終えて徒歩で神田駅まで歩く。神田駅からJRで一駅、秋葉原へ。駅近くの中華バーミアンで大橋さんと土方さんと待ち合わせ。土方さんからお土産をいただく。4時から4時間近くバーミアンで呑んで食べて喋る。