モリちゃんの酒中日記 3月その3

3月某日
監事をしている一般社団法人の理事会が東京駅近くの貸会議室であったので出席する。会議の冒頭、弁護士でもある会長さんが再審の期待される袴田事件に触れた挨拶をした。弁護士だけに正義感が強いのだろう。理事会終了後、上野の東京博物館へ。特別展で京都の東福寺の寺宝が展示されていた。仁王像など鎌倉期の彫刻に圧倒される。谷中を通って根津へ。千代田線で我孫子へ、我孫子駅北口の「やまじゅう」で一杯。

3月某日
「裏表忠臣蔵」(小林信彦 新潮文庫 平成4年11月)を読む。忠臣蔵、子どもの頃、正月に映画で何回か観た記憶がある。確か浅野内匠頭が中村錦之助、大石内蔵助が片岡千恵蔵だったような。NHKの大河ドラマでもやったかなぁ。大石内蔵助が長谷川一夫ね。ただ私たちの知る忠臣蔵は歌舞伎の忠臣蔵をもとにした映画やテレビドラマのイメージで史実とは異なっている。本書は事件当時の関係者の日記や記録をもとにして批判的な考証が加えられているのが特徴。赤穂の浅野家では士分以上の者が二百十余騎あったが、五万石の家中の標準が七十騎だから通常の3倍の軍備を持っていたことになる。過剰な軍備を支えるために領民に過酷な負担を強いた。内匠頭が切腹したとの報を耳にした多くの領民は快哉を挙げたという。ちなみに著者の小林は今年90歳になる。長命ですね。

3月某日
「物価とは何か」(渡辺努 講談社選書メチエ 2022年1月)を読む。10年前、財務省出身の黒田東彦氏が日銀総裁に就任し、2%の物価上昇を2年で達成すると公約した。昨年まで物価上昇率は0%近辺で上下して公約は果たされることはなかった。ところが今年1月の消費者物価指数(CPI)は104.3で前年同月比4.7%上昇した。円安で輸入物価が上昇したことに加えてロシアのウクライナ侵攻による原油高が影響しているようだ。日銀が苦労しても実現できなかった2%の物価上昇をウクライナでの戦争が実現させてしまった。本書が執筆されたのは2021年であり、物価の上昇が起きる前だ。しかし東大経済学部卒業後、日銀に勤務しその後、東大大学院経済学研究科教授を務める著者は、物価のメカニズムについて丁寧に説明してくれる。とは言え経済学の素人の当方としては著者の言説を理解できたとは言えない。私が理解できたのは「インフレもデフレも気分次第」ということと、それを裏付けるベン・バーナンキFed議長の「中央銀行の行う金融政策は98%がトークで、アクションは残りの2%に過ぎない」という発言くらいである。

3月某日
「日本の保守とリベラル-思考の座標軸を立て直す」(宇野重規 中央公論新社 2023年1月)を読む。昔と言うか20年くらいまでは「保守とリベラル」という言い方はしてこなかった。保守vs革新という図式で保守は自民党が代表し、革新は社会党、次いで共産党が代表していた。東京都や大阪府、京都府、大阪市や横浜市に社共共闘をベースに革新系の知事や市長が誕生したのは半世紀も前である。リベラルという言葉が頻繁に使われ出したのは社会党がほぼ消滅し民主党が政権をとった頃かも知れない。著者の宇野は思想としてのリベラルに注目し、福沢諭吉や石橋湛山、丸山眞男や丸山の師、南原繁をリベラルの系譜に登場させている。それ以外でも鶴見俊輔、清沢冽があげられている。一方の保守では代表的知識人として福田恒存を挙げている一方で、伊藤博文を「明治憲法を前提に、その漸進的な発展を目指したという点では、伊藤は近代日本における『保守主義』を担ったといえる」と評価している。宇野の分析で興味深いのは「保守リベラル」という視点である。戦後、短期間ではあったが政権を担当した石橋湛山をはじめ、池田勇人を淵源とする宏池会の面々が「保守リベラル」に相当する。大平正芳、宮澤喜一、加藤紘一などであり、現首相の岸田文雄もそれに連なる。宏池会は岸信介から安倍元首相に至る清話会が軍備の増強をはじめタカ派路線をとるのに対して軽武装と経済重視の路線を掲げた。岸田首相がどれほど宏池会の路線を継承しているか、疑問の残るところではある。しかし昨日来、報じられている「ウクライナへの電撃訪問」の記事を読むと、多少の期待は残るのである。宇野が福沢諭吉と福田恒存を評価しているのを読んで、西部邁もこの2人を評価していることを思い出した(「思想史の相貌-近代日本の思想家たち」 1991年6月 世界文化社)である。

3月某日
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の決勝戦が日米で戦われた。朝7時からのTV中継を観ていたら歯医者の予約時間が来てしまった。家から歩いて7~8分の石戸歯科クリニックを訪問。診察台に着席すると歯科衛生士のお姉さんが「森田さん、野球観てましたか?」と聞くので「大谷が内野安打で一塁に行ったところまで」と答える。「帰ったらゆっくり観てください」と言われる。歯医者から帰るとすでに決着は着いていて3対2で日本の勝利であった。降圧剤がなくなったので15時過ぎに中山クリニックへ。「どうですか?」「はぁ花粉症が…」「花粉症の薬を出しておきましょう」。中山クリニックから大手薬局チェーンのウエルシアへ。家に帰って外出の準備。本日は18時に根津で友人の石津さんと待ち合わせ。18時ちょうどに石津さん登場。初めて行く中華「安暖亭」へ。割と安くて美味しい店だった。

モリちゃんの酒中日記 3月その2

3月某日
「大塩平八郎の乱-幕府を震撼させた武装蜂起の真相」(中公新書 薮田寛 2022年12月)を読む。大塩平八郎の乱自体は歴史的な事件として記憶に残っている。しかし、江戸末期に大阪の奉行所役人だった大塩という人が窮民救済を目的に乱を企て失敗した、という知識しかなかった。だから新書とは言え、大塩の個人史や当時の知識人や豪農、商人の生活や考え方を学べたのは上出来である。大塩は大坂町奉行所の与力であった。与力とは奉行所の役職で配下に同心を抱えた。江戸町奉行で言えば与力25人に同心100人が配属された。現代の警察に例えれば、警視総監=町奉行、警視=与力、警部=同心、巡査部長=岡っ引、巡査=下っ引きというところであろうか?しかし本書を読むと大塩と言う人が並みの与力ではなかったことがわかる。与力としても優秀で当時禁制であった切支丹や不正無尽を摘発したりしている。しかしそれよりも特筆すべきは大塩が当代一流の知識人だったことである。自宅に洗心洞という私塾を開いたことからすると教育者でもあった。当時の知識人の常として書も漢詩もよくしたらしい。一流の知識人、頼山陽や渡辺崋山とも交流があった。理財の才もあったようで、江戸の官学のトップだった林家にも融資の斡旋を試みている。大塩が決起した背景には天明の飢饉がある。さらに江戸、大阪など大都市における貨幣経済の隆盛=貧富の差の拡大もあったであろう。大塩の乱は一日で鎮圧されてしまうが、大塩は息子とともに市内に潜伏したあと自殺する。実は大塩は乱の前に江戸の幕閣に当てて建議書を送っていた。大塩はその返事を待っていたのではないかというのが著者の推測である。

3月某日
「窓」(乃南アサ 講談社文庫 2016年1月)を読む。単行本は1990年代に発行され、文庫本は99年に出版され、現在のは新装版。乃南アサは1960年生まれだから今年63歳。物語の主人公は聴覚障害のある高校3年生の女の子、麻里子。同じ障害のある聾学校生、直久と知り合うが、直久は聾学校の教師殺人事件に巻き込まれていく。解説では「優れた青春サスペンス」と持ち上げられていたが、私にはそれほど感じられなかった。私は前科持ちの二人の女性が主人公の「前持ち二人組」シリーズや新人巡査シリーズのほうが好きですね。「窓」にもユーモアの要素があるが、ちょいと暗め。

3月某日
「戦争と平和」(吉本隆明 文芸社 2004年8月)を読む。市立図書館の吉本隆明のコーナーに押し込まれていたのを見つけ借りることにした。「戦争と平和」「近代文学の宿命-横光利一について」と題する講演、そして【付録】として川端要壽という人が書いた「吉本隆明-愛と怒りと反逆」というタイトルのエッセーが収録されていた。「戦争と平和」という講演で吉本は政治的リコール権と経済的リコール権という話をしていた。前者は戦争の危機が迫った場合、国民は直接投票でときの政府に不信任を表明し退陣させるというものだ。後者は一種の不買運動である。これが可能になるのは現代の消費のうち半分以上が「つかわなければつかわなくてもいい」消費に使われているためである。バブル以降、日本が消費資本主義に移行したことを根拠にしていると思われる。エッセーを書いた川端は吉本と府立化工の同級生であった。このエッセーに登場する吉本はべらんめえ口調で完全に下町のおっちゃんであった。

3月某日
作家の大江健三郎が3月3日に亡くなっていたことが明らかにされた。88歳だった。大江は1935年愛媛県生まれ、58年に「飼育」で芥川賞を受賞。55年に「太陽の季節」で芥川賞を受賞した石原慎太郎(1932~2022)とは対照的な人生を送り、また作風も大きく異なっていたが、私はどちらも好きで高校生の頃からよく読んでいた。大江なら「死者の奢り」「飼育」、石原は「太陽の季節」「処刑の部屋」。二人が昨年、今年と続けて亡くなったことは戦後文学の終焉を象徴しているような気がする。私は現存する日本の作家では桐野夏生、川上未映子、柳美里なんかが好きだけれど彼女たちが大江や石原の系譜を継承しているとは思えない。

3月某日
「平成時代」(吉見俊哉 岩波新書 2019年5月)を読む。今年は2023(令和5)年だから、本書は元号が平成から令和に改元された直後に執筆が開始されたものと思われる。元号を使っている国は日本だけで、その日本でも西暦による表記が主流となっているとき、果たして「平成時代」と元号で一括りすることに意味があるのだろうか?という疑問に対して著者は「天皇在位との対応が偶然でも、なお「平成」を一つの「時代」として捉えるべき偶然以上の何かがある」として、平成の30年間は「何よりも「失敗」と「ショック」の時代だった」とする。失敗はIT戦略に乗り遅れ韓国や台湾の後塵を拝するようになった日本の家電業界が代表的であり、政治で言えば民主党政権の失敗は誰の目にも明らかだ。政策で言えば少子化を食い止めることが出来なかった人口政策があげられるだろう。ショックは阪神淡路大震災と東日本大震災があげられる。福島の原発事故による完全復興は12年経過した現在でもまだめどが立っていない。平成が始まった1989年、私は40歳だった。会社を引退したのが69歳、平成29年だったから、会社の中堅から社長を務めた30年間はほぼ「平成時代」と重なる。

3月某日
「忍ぶ川」(三浦哲郎 新潮文庫 昭和40年5月)を読む。本作は1960年の芥川受賞作で加藤剛と栗原小巻が共演した映画にもなっている。私はこの小説を読むのは初めてだが、終戦後何年もたっていない東京の下町を舞台にした「純愛小説」に「いいなぁ」と心から思った。物語は青森から上京して大学に通う「私」と料亭「忍ぶ川」に働く志乃との恋愛と結婚を描く。パソコンもスマホもなく二人の新婚世帯には電話すらない。しかし社会全体が貧しかった時代だし、若い二人は貧しさを苦にしない。それどころか希望に満ちてさえする。高度経済成長の結果、日本と日本人は飛躍的に豊かになった代わりに失ったものも多かった。そんなことを感じさせる小説であった。

モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
私は日本の社会主義勢力の硬直性と暴力性にはうんざりしている。先ごろ、日本共産党員が党首の公選制を主張して除名されたが、これなどは硬直性を象徴していると私は思う。一歩の暴力性は主として新左翼に見られる。中核派と革マル派の内ゲバ、ブントや解放派の分裂にともなう内ゲバ、連合赤軍のリンチ殺人…。中核派や革マル派は反スターリン主義を掲げるが、スターリンの粛清と同じようなことをやっているのではなかろうか?そもそもスターリン主義の淵源はレーニン主義にあるのではないか、と私は考える。レーニンが率いたボルシェビキには秘密主義と暴力性がともなっている。帝政下、秘密警察や軍隊の過酷な弾圧という環境を考えると、致し方のない面もあるかもしれない。封建的帝国主義国家で未成熟な資本主義社会から一気に社会主義社会を目指したことに無理があったのかもしれない。こうした無理がソ連崩壊につながり、現在のロシアのウクライナ侵攻につながっているのではないだろうか。

3月某日
レーニン主義への疑問から戦前、獄中にありながらイタリア共産党を指導したグラムシの思想に興味を抱いた。図書館でグラムシを検索したら「グラムシ・セレクション 片桐薫編 平凡社 2001年4月)が出てきた。「セレクション」なので「獄中ノート」はじめ、グラムシの主要図書からのアンソロジーである。グラムシの思想の柔軟性、革新性の一部を感じ取ることが出来たと思う。反合理化はかつて日本の左翼的な労働組合の重要な旗印であったが、グラムシは違った。「イタリアの労働者たちは…コスト低減をめざす技術革新・労働の合理化・企業全体のより完全な自動作業化や技術的組織化の導入にたいし、反対したことなど一度もなかった」。現在で言うとIT化やロボットの導入による生産性の飛躍的な向上に対して労働者は反対するのではなく、生産性の向上で得られる付加価値の増大に対して労働者への分配を要求すべきということだろう。1917年のロシア革命に対しては「あらゆる自主性、あらゆる自由を尊重しなければならない。人間社会の新しい歴史がはじまり。人間精神の歴史の新しい実験がはじまる」と歴史上はじめての社会主義革命に希望を表明している。この希望は裏切られることになるのだが。現代にグラムシの思想は意味があるのだろうか?この問いには20年以上前に書かれた吉見俊哉氏の解説が答えている。
吉見氏は1970年代から80年代の英国で、「サッチャリズムはそれまで英国を支配してきたケインズ主義的福祉国家を正面から攻撃していった」とし、1920年代のイタリアにおけるファシズムの台頭を思い浮かべる。これは現代日本の政治状況では安倍元首相が、それまで自民党政治の主軸であった自民党宏池会による、福祉の重視、軽武装を転換し、防衛力と日米同盟の強化へと舵を切ったことを思い出させる。グラムシの思想は明らかにレーニンやスターリンが主導したロシアマルクス主義とは異なる。日本では1960年代に日本共産党から分派した構造改革派に受け継がれていると思う。学生組織ではフロントや共学同、労働者組織では社労同や共労党があった。今はもうないんだろうけれど。私としてはグラムシはもう少し勉強してみたい。我孫子市民図書館にはあまり期待できないので、今度、丸善にでも寄ってみよう。

3月某日
「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」(斎藤幸平 KADOKAWA 2022年11月)を読む。斎藤の前著「人新世の『資本論』」は面白く読ませてもらった。それはマルクスの思想の新しい解釈として「へぇーそうなんだ」と感心した程度で、斎藤についても「優秀な学者」程度の認識であった。今回「ぼくはウーバーで…」を読んで斎藤は「優秀な学者」に止まらず、世界の現実と向き合う「優秀な運動家」の側面があることがわかった。運動家といっても政党や団体に所属する運動家ではない。自立した一市民としての運動家である。私は前回読んだグラムシの思想と通底するものが斎藤にはあるのではないかと考えている。本書は毎日新聞に連載されたものに書下ろしを加えたもので、基本的には斎藤が取材しまとめている。斎藤は学者や運動家に止まらず優れたジャーナリストでもあるわけだ。初回の「ウーバーイーツで配達してみた」は斎藤が実際にウーバーで働いた記録である。ウーバーのように「特定の会社で働くのではなく、オンライン上でその場限りの仕事を請け負う労働形態は『ギガワーク』と呼ばれる」が、斎藤の感想は「ギガワークはAIやロボットにやらせるとコストが高すぎる作業を人間が埋めているような虚無感が残る」というものだ。斎藤は労働現場を訪ねながら「労働とは」「労働の価値とは」を問い直して行く。保育の現場を取材して「保育士だけではない、看護師、介護士清掃員、小中高の教員。私たちの日々の生活に必要なエッセンシャルワーカーに甘えすぎていないだろうか」という感想を抱く。東京オリンピックについて最近、汚職や談合の事実が明らかになってきているが、斎藤は「五輪の陰 成長へひた走る暴力性」でその問題点を指摘している。斎藤は思想家にして運動家、そして優れたジャーナリストである。そういえばマルクスも思想家にして革命家であり、若い頃はライン新聞などに寄稿するジャーナリストだった。

3月某日
小中高校を同じ学校に通った山本君と我孫子駅改札で待ち合わせ。駅前の居酒屋「しちりん」に行く。一人飲みではなく2人以上で呑むのは1月の石津さん、本間さんと呑んで以来。ということでいささか呑み過ぎ、後半は記憶が飛んでいる。後で山本君から写メが送られてきたが私は寝ているね。

3月某日
「香港陥落」(松浦寿輝 講談社 2023年1月)を読む。太平洋戦争の開戦直前、直後、戦後の香港を舞台にした物語である。目次には「香港陥落」として「1941年11月8日土曜日」「1941年12月20日土曜日」「1946年12月20日土曜日」、「香港陥落―SideB」として「1941年11月15日土曜日」「1941年12月20日土曜日」「1961年7月15日土曜日」という文字が並んでいる。アヘン戦争後、香港は英国に割譲され英国の植民地となった。香港政庁に務め後にロイター通信香港支局に雇用される英人のリーランドが主人公というか狂言回し役を務める。そうだな、主人公はむしろ香港という街そのものかもしれない。リーランドはウエールズで生まれ育った。英国はイングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランドの4つの地方に分かれている。日本人にはあまり理解できないが、それぞれの地域に独特の気風が残っている。それはさておきリーランドは日本人の谷尾悠介、香港人の黄(ホアン)と親交を結ぶ。黄と同棲しているのが英人の画家グウィネス。そしてローレックスのまがいものをリーランドに売りつけた沈(シユン)が主な登場人物だ。私はこの魅力的な物語を読みながら現下のウクライナ戦争に思いをはせる。日本軍に占領されようとする香港がロシアの侵攻にさらされるウクライナを彷彿とさせるのだ。香港は3年8カ月の占領のあと、日本の敗戦により解放される。ウクライナはどうなるのか?

モリちゃんの酒中日記 2月その4

2月某日
「黄色い家 SISTERS IN YELLOW」(川上未映子 中央公論新社 2023年2月)を読む。奥付には2月25日初版発行となっているが、私が買ったのは24日(金曜日)の午後、JR上野駅構内の書店だった。川上未映子の小説の登場人物はそれぞれが圧倒的な存在感を持っている。それが魅力だ。私は読む本のほとんどは近所の我孫子市民図書館で借りるのだが、川上と桐野夏生の二人の作家だけは書店で購入することにしている。図書館にリクエストしても順番が来るまで時間がかかり、川上と桐野について一刻も早く読みたいためだ。主人公は今年(2020年)40歳の花。花はネットの小さな記事で昔の知り合いの名を見つける。吉川黄美子。花が20年前、共同生活を送った人物だ。黄美子は60歳になっていて、記事には「20代の女性を1年3ヶ月にわたり室内に閉じ込め、暴行して負傷を負わせたなどして、傷害と脅迫、逮捕監禁の罪に問われた」とあった。それをきっかけに花は15歳からの黄美子との出会いを振り返る。高校を不登校となった花は再会した黄美子とスナックを開業。キャバクラのホステスだった蘭と不登校の女子高生、桃子を加えて4人の共同生活が始まる。そこそこ繁盛していたスナックだったが入居していたビルが火事に見舞われ廃業状態になってしまう。生活のために花たちが始めたのが裏世界と繋がった銀行カードによる詐欺。巻末に主要参考図書として「シノギの鉄人-素敵なカード詐欺の巻」と「テキヤ稼業のフォークロア」の2冊が掲載されていたが、カード詐欺や裏世界の描写は微妙にリアル。執行猶予付きの判決が出た黄美子に花は会いに行く。同居をすすめるが拒否される。その後の描写。
「黄美子さん、わたし」
「うん」
「会いにくる」
「うん」
「会いにくるよ」
 黄美子さんは笑った。そしてゆっくりとドアを閉めてなかに入った。


本の帯に「善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!」とあった。確かに犯罪小説とも読めるが、私はこの小説の本質は「青春」だと思う。

2月某日
(一財)社会保険福祉協会の保健福祉活動支援事業運営委員会に出席する。協会の事務所が西新橋から虎ノ門の東急虎ノ門ビルに移転してから初の協会訪問。協会が行っている事業のうちセミナーの開催や調査研究事業、広報誌の発行について報告を受け、意見交換を行う。次回から新たな委員としてカラーズの田尻久美子代表が参加するという。田尻さんは大田区で訪問介護事業などを展開、医療との連携や事務の電子化などで先進的な実績をあげている。1時間ほどで委員会が終了、まだ午後3時。この時間から飲めるのは大谷さんからいしかいないので電話すると、「これから理学療法士のところ」と断られる。仕方がないので霞が関から千代田線に乗車することにする。思い立って新松戸在住の林さんの携帯に電話するが出ず、電車は我孫子へ。林さんから電話があり「足を痛めて当分は呑み会は無理」とのこと。私の友人の多くは老人ないし老人予備軍で、呑み会もままならないのである。我孫子駅前の「しちりん」に寄ってビールとホッピーを呑んで自宅へ。

2月某日
昨年2月に亡くなった私小説作家の西村賢太、図書館で「羅針盤は壊れても」(西村賢太 講談社 平成30年1月)を借りて読む。8ページの特別折り込み付録が付いていて、それによるとこの本は著者初の「函入り」だった。図書館では函は外されているので実物は見ることが出来ない。そういえば私の学生時代は函入りの単行本が多かったような気がする。そう思って改めてこの本の奥付を見ると、その意匠がオールドスタイルであることに気付く。発行年が西暦でなく平成で表示されているしね。西村がこだわりの強い私小説作家であることを印象付ける。本書には短編4作が収められているがいずれも西村の分身である「貫太」が主人公。前半2作の貫太が20代であるのに対して後半の2作は秋恵という女性と同棲中ですでに田中英光や藤沢清造の初版本の収集家になっている。とは言っても生活の過半は秋恵に依存し、必要があれば古書や著名作家の色紙を売って資金としている。秋恵と藤沢清造の初版本を求めて岐阜の古書店を訪ねる顛末が描写される短編は「あとから思うと、すでに女はこの時期、パート先で知り合った優男と親密な間柄になりかけていたものらしい。そしてこのときが、これより約三箇月後にその男のところへ逃げ去った女との、最後の遠出となったのである」という文章で結ばれる。悲しいが何か可笑しい。自分を客観的に見ることができるというのも私小説作家の最低限の才能であろう。

モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
「歩きながら考える」(ヤマザキマリ 中公新書クラレ 2022年9月)を読む。ヤマザキマリは阿部寛主演で映画になった「テルマエ・ロマエ」(第3回マンガ大賞)の原作者として知られる。イタリア人と結婚し旦那の仕事の都合でポルトガルやアメリカに住むが、基本は旦那の実家があるイタリアの田舎町に住む。日本に滞在中にコロナ禍に遭遇し、日本への長期滞在を余儀なくされる。で、本書は空間(日本とイタリアその他)と時間(現在と過去)を超えた文明批評と言っていい。イタリア人と結婚して優れた文明批評的なエッセーを遺した作家としては須賀敦子が名高い。ヤマザキマリの旦那はベッピーノで須賀敦子の夫の名は確かペッピーノ、なんか共通点があるような…。「須賀敦子 ヤマザキマリ」で検索するとヤマザキマリが須賀敦子の「コルシア書店の仲間たち」の書評を書いていたのを見つけた。須賀敦子も好きで10年ほど前に随分読んだ記憶がある。二人とも異文化に対する批評的な受容という共通点がる。私が本書を読んで感じたのは日本人のナイーブさ。ヤマザキは「特にイタリヤや中東は隙あれば付け込まんとする人が少なくなく、『騙されるほうが悪い』という価値観が一般に浸透している社会です」と書いている。日本でも最近「オレオレ詐欺」などが出てきているが、これなども逆に被害者である日本人のナイーブさを実証していると言えなくもない。これからグローバル化はますます進むだろう。グローバル化にともないコロナに限らない未知のウイルスによるパンデミックも予想される。ヤマザキに学ぶべきは旺盛で細密な観察眼と豪胆な精神力であろう。

2月某日
「年をとったら驚いた!」(嵐山光三郎 ちくま文庫 2022年12月)を読む。嵐山光三郎は1942年~、古くは昭和軽薄体という文体を使うグループ(椎名誠、南辛坊、糸井重里など)の一派とみなされていた。私は嵐山の良い読者とは言えないが、彼の本を読むたびにその知識に圧倒される。圧倒はされるけれど威圧されない。昭和軽薄体の名残を遺す文体の及ぼすところであろうか。書名となった「年をとったら驚いた!」は何を意味するのであろうか?嵐山は「自分のカラダが弱っていくのが面白い。昔できたことが出きなくなるんだから笑っちゃいますよ」とし「七十歳をすぎた高齢者の発言はすべて愚痴である」と断言する。また「すべての老人は冗談を言って生きていけばいい」とも。嵐山は今年、81歳になる。ますます長生きして冗談を言い続けてもらいたい。

2月某日
「天皇財閥・象徴天皇制とアメリカ」(涌井秀行 かもがわ出版 2022年10月)を読む。涌井秀行という人の本を読むのは初めて。1946年生まれで早稲田大学法学部を71年に卒業。立教大学大学院で経済学を学び、明治学院大学国際学部で教授を務め、2015年に定年退職と巻末の経歴にある。私の知り合いである新崎智(呉智英)さんと同年の生まれで同じ法学部を卒業している。同時期に共産同戦旗派のリーダーだった荒袋介も法学部に在籍していた。各章のタイトルは「第1章 戦前日本資本主義の軍事的=半封建的構成の成立・展開帰結」「第2章 天皇財閥と戦前日本資本主義」「第3章 戦後日本を覆うドームのごときアメリカ=象徴天皇制」「第4章 戦後日本を覆うドームのごときアメリカの権威=権力-アメリカニゼーション」「第5章 アメリカ株価資本主義と世界金融反革命」「第6章 インターネットの編成原理と21世紀社会主義」である。なんとなくブンドっぽい。第1章では「戦前の日本は、世界史的にみれば帝国主義への移行期の『外圧』のなかで、早急に重化学工業化を進めなければならなかった」とし、そのための資金を「半封建的な農業蓄積に求めるほかはなかった」としている。そして「日清戦争での賠償金強奪、日露戦争から始まる『朝鮮』→『日満』→『日満支経済ブロック』→『大東亜共栄圏建設』へと果てしなく拡大してゆく植民地侵略」へとつながってゆくと描かれる。第2章では財閥としての天皇家が全国の山林や日清戦争の賠償金などをもとに形成され、終戦時には三井財閥や三菱財閥を大きく上回る37億4795万円に達していたことが明らかにされる。
第2次世界大戦に敗北した日本はアメリカによって絶対主義天皇制から象徴天皇制へ転換させられる。しかし著者によると昭和天皇は大日本帝国憲法による「統治権を総攬する」元首としての意識を捨てきれなかったという。そして平成天皇は戦没者への「慰霊」と災害の被災者への「お見舞い」という「天皇制慈恵主義」で「日本国民統合の象徴」としての役割を果たした。象徴天皇制は「内なる天皇制」として日本国民の意識の底に生きた。それとともに戦後日本を支配したのはアメリカである。政治的、経済的な支配に止まらず、「戦後は圧倒的なアメリカから来た文化に日本は飲み込まれた」。こうしたアメリカ支配を支えたのは「資本主義体制構築・維持のためのドル散布(援助と直接投資)であった。と同時に日本は中国に次ぐアメリカ国債保有国になった。日本はアメリカの金融信託統治領になったと著者は言う。著者の歴史認識は正しいのではないか。ロシアのウクライナ侵攻を見てもそう感じる。著者は最後にソ連・東欧型の「20世紀社会主義」から人々は解放されつつあるとし、インターネットの編成原理(分散=共有=公開)という〔21世紀型社会主義〕社会の編成原理に希望を見出しているのだが…。

2月某日
「伊勢神宮-東アジアのアマテラス」(千田稔 吉川弘文館 2023年1月)を読む。伊勢神宮内宮の祭神がアマテラスで皇祖神、天皇家の先祖である。天皇が政治権力を握っていた時代はそんなに長くない。倭国の時代から天平、飛鳥の頃までか。大化の改新以降、天智天皇、天武天皇、聖武天皇は確かに政治権力を握っていたらしい。それ以降は後醍醐天皇を例外として、藤原氏や源氏、徳川氏などが権力の座に就く。しかし天皇家は存続し続けた。明治になって「天皇は神聖にして侵すべからず」という存在とされたが、昭和天皇は戦前から立憲君主制の立場をとっていた。日本は日清戦争以降、台湾、朝鮮、南樺太に領土拡大、満洲に傀儡政権を樹立した。本書によるとアマテラスを主神とする神社は朝鮮に234、満洲に50あり、海外植民地の合計では584に達する。これらの神社の多くは戦後破壊されたという。キリスト教の場合、植民地から欧米の宗主国が去った後も教会などの宗教施設は残され、宗教活動が存続したことも珍しくないという。国家神道という宗教とキリスト教などの世界宗教との違いであろうか。

モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
「アフター・アベノミクス-異形の経済政策はいかに変質したのか」(軽部謙介 岩波新書
2022年12月)を読む。安倍政権の提唱した経済政策がアベノミクス。大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略が3本柱で当面2%の物価上昇を目標とした。アベノミクスは成功したのか失敗したのか、それを判断するにはまだ早いかもしれない。安倍政権の時代に有効求人倍率が上昇したのは事実で、それに着目すれば成功と言えるのかもしれない。しかし、それと同時に非正規労働者も増えているし、コロナ価で貧富の差も拡大しているようだ。経済政策に何を求めるかは人によって、立場によって異なる。経済成長による富の拡大に求める人もいれば、何よりも雇用の安定に求める人もいるだろう。本書はジャーナリストの目でアベノミクスを検証した。私が思うに安倍政権でもそれを引き継いだ菅政権でも2%のインフレは達成できなかった。しかし岸田政権になりロシアのウクライナ侵攻も引き金となって小麦などの原材料費や原油価格が高騰している。異次元の金融緩和政策でも達成できなかった物価目標が、プーチンによるウクライナ侵攻であっさりと達成されてしまった。達成はされたが今度は、物価の過度な騰貴と過度な円安が心配されている。厄介である。

2月某日
吉武民樹さんからの連絡で11時に銀座の暁画廊に集合。集まったのは吉武、中村秀一、大谷源一さん、それに私。福井県出身の現代美術作家の作品が展示されている。福井で福祉事業を展開している松永さんから連絡があったそうだ。松永さんに近くの東武ホテルで昼食をご馳走になる。それから会場でミニシンポジュウムが開かれた。

2月某日
「悪い円安 良い円安-なぜ日本経済は通貨安におびえるのか」(清水順子 日経プレミアムシリーズ 2022年11月)を読む。昨年から急速に進んだ円安。これを機会に少し通貨のことでも勉強しようかと我孫子市民図書館から借りた。本書によると円の対ドル相場は「2017年代以降は1ドル110円台という狭いレンジで安定的に推移していた」。しかし新型コロナウイルス感染症の拡大にロシアのウクライナ侵攻が重なり、原油価格の上昇とともに円安が急激に進んだ。コストプッシュ型のインフレで今のところ目立った賃金上昇をともなわず「悪いインフレ」である。業績の好調な一部の大企業の経営者が大幅な賃金の引き上げをアナウンスしているが、問題は中小零細企業がそれに追随できるかであろう。円安ということはドルだけでなく各国の通貨が円に対して高くなっていることである。2021年1月1日から22年9月1日までで米ドルは34.9%、インドネシアルピアは28.8%、人民元とシンガポールドルが27.5%、台湾ドルが25.9%、対円相場が上昇している。日本に働きに来ている各国の労働者にとっては本国への送金額がそれだけ低下するということなので大変である。しかし来日する観光客にとっては同じものが3割引きで買えるということを意味する。円というか通貨の価値は常に二重性を帯びているのである。

2月某日
福井の松永さんから「越前ガニのオスが脱皮した直後のカニ(月夜蟹)」が贈られる。皮(甲羅等)が柔らかいのが特徴らしい。堪能させていただきました。福井Cネットサービス製のキクラゲの佃煮も絶品でした。吉武さんから電話あり。「松永さんから蟹、届いたでしょ」「ハイ」「こないだの展覧会とシンポジュウムの感想を松永さんに送りなさいね」「了解です」。

2月某日
大谷さんから貸してもらった「対論1968」(笠井潔 すが秀美 集英社新書 2022年12月)を読む。すがは糸偏に土二つなんだけど出てこないので平かなで。1968年は私が早稲田大学に入学した年で前年の67年10.8(ジッパチ)羽田闘争から三派全学連を中心とした学生運動が盛り上がっていた。68年の1月には佐世保でエンプラ入港阻止闘争が、3月から4月にかけては王子の米軍野戦病院阻止闘争と続いていた。私は王子闘争には野次馬のひとりとして参加。大学に入学してからは清水谷公園のべ平連のデモに参加していた。ヘルメットを被ったのは6月15日のデモから。政経学部の学友会が社青同解放派(反帝学評)だったものだから青ヘルメットだった。前年から三派全学連内部で解放派と中核派の緊張関係が高まり、この日も中核派にゲバルトを仕掛けられた記憶がある。68年の5月ころから日大で不正経理追及の学生の声が上がり、東大でも7月に医学部の処分問題を契機に全共闘が結成された。本文中でスガが「村上春樹とは高校の新聞会以来の親友らしい」「現在は中堅どころの広告代理店をやってて」と話しているのは浪漫堂の倉垣君のことだね。高橋ハムさんや呉智英の名前も出てくる。あれから55年も経っているのだ。

2月某日
「〈共生〉から考える」(川本隆史 岩波現代文庫 2022年12月)を読む。我孫子市民図書館から借りたのだが、先週会った福井の松永さんが実践しているのも障害を持っている人々との共生だ。著者の川本は1951年生まれ、東北大学と東京大学の名誉教授で専攻は社会倫理学。本書は「講義の7日間」が収録されているが、「第2日 孤独と共生」で詩人の石原吉郎の評論集「望郷と海」がとりあげられている。私も「望郷と海」は1973年頃購入し読んだ覚えがある。石原の過酷なシベリア抑留体験に粛然とした。私が記憶しているのは、抑留者たちが労働現場へ行進する際、隊列の外側から脱落者が出る。厳寒のなか脱落は死を意味する。したがって抑留者はなるべく隊列の内側に入ろうとするのだが、石原は敢えて隊列の外側に立つという話だ。自己犠牲あるいは自己処罰とも言えるが「俺にはとてもできない」と思ったものだ。話を共生にもどすとミースという社会学者の「現代の世界システムを動かしている資本主義が無限の資本蓄積を続けられるのは、女性、自然、第三世界という三位一体の植民地からの搾取あってのことだ」という論を紹介している。斎藤幸平の論に近いと思う。
東大全共闘で助手共闘のメンバーだった最首悟のダウン症のお子さんの20年にわたる暮らしのおりふしを綴ったエッセイも紹介されている。「無神経に『共に生きる』といわれると重い知恵遅れの子と暮らしている身としてはムシャクシャしてしまうのであるが、しかし同時にその子の存在が、人間の根源的な共同性を想起させることも事実である」。障害児の親としての重い言葉である。7日目の講義の最後は吉野弘の「生命(いのち)は」という詩の朗読で終わる。ほんの一部を紹介すると、
生命は/その中に欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ
私は銀座の暁画廊で鑑賞した福井の現代美術作家の木彫を思い出す。獣を彫刻したその木彫は牙の一部や耳が欠けているのだ。「その中に欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ」

モリちゃんの酒中日記 2月その1

2月某日
「向日性植物」(李屛搖著 李琴峰訳 光文社 2022年7月)を読む。作者の李屛搖(り・へいよう/リー・ピンチャオ)の搖は本当は篇が王なのだがWORDに登録されていないようなので搖の字を使います。スミマセン。訳者の李琴峰は台湾生まれ、台湾育ちの日本語作家。「彼岸花が咲く花」で第165回芥川賞を受賞している。台湾では2019年に同性婚が認められている。日本では経済産業省出身の首相秘書官が同性婚を巡って「隣に住むのも嫌」と発言、秘書官を罷免されている。日本は産業でも文化でも台湾や韓国に大きく後れを取っているようなのだ。舞台は同性婚が合法化される以前の台北。女子高生の「私」は一学年上の学姐(シュエジュ―)と互いに惹かれ合っていく。学姐に1年遅れて台湾大学に「私」も入学、卒業後も二人の関係は続く。「訳者あとがき」で李琴峰は著者の「私はレズビアンが自殺しない物語が書きたかった」という言葉を紹介している。台湾においても性的マイノリティの存在は社会的にも厳しいものがあったということだろう。台湾は基本的に外食文化である。「私」と学姐のデートの場も朝食食堂であったりする。私は20年ほど前に台湾に行ったことがあるが、その外食文化の一端の触れることができた。台湾へはまた行きたいですね。

2月某日
「田舎のポルシェ」(篠田節子 文藝春秋 2021年4月)を読む。車を買ったロードノベルが3編。岐阜から故郷の八王子へ。実家の農家の兄が亡くなり、実家仕舞いと残された米を引き取るためだ。軽トラックを運転するのは岐阜で紹介された、実家の酒屋を閉店した中年男。この傍若無人に見える中年男がいい。あと一編は会社をリストラされた中年男二人組がボルボと共に北海道旅行に向かう話、最後はヒグマに襲われる。最後の一編は夫に先立たれた介護士がコロナ禍で観客を入れないホールでオペラを熱唱する話。ロードノベルという共通点のほかに主人公が中高年の男女というのも共通する。

2月某日
池袋駅で渡辺正喜(ナベ)さんと待ち合わせ。ナベさんは日本木工新聞社での同期。26か27歳からの付き合いだからもう直ぐ半世紀となる。ナベさんの案内でロマンス通りの焼き鳥屋へ。千登里という店で創業は戦後すぐ(確か昭和23か24年)という老舗。ビールで乾杯のあと私はぬる燗、ナベさんは焼酎のお湯割り。煮込みを頼んで私は箸をつけるがナベさんはまったく食べない。ナベさんが食べないので焼き鳥も頼めない。私は結局ぬる燗を3本ほど呑んでしまった。ナベさんはちょっと具合悪そうでタクシーで帰るという。池袋駅のタクシー乗り場で別れて、私は山手線で日暮里へ。日暮里で常磐線に乗り換え我孫子へ。

2月某日
「真珠とダイヤモンド」(桐野夏生 毎日新聞出版 2023年2月)を読む。上下2巻だが、3日で読み終わってしまった。私はほとんどの本は我孫子市民図書館で借りるが、桐野夏生の小説だけは別。出版されてからすぐに読みたいので、新聞広告を見たらすぐに本屋へ行く。最初の舞台は1986年の萬三証券福岡支店。水矢子と佳奈は同期入社組だが水矢子は高卒、佳奈は短大卒なので年齢は佳奈が2歳上だ。佳奈は持ち前の美貌を活かして営業の第一線で活躍する。水矢子は事務職として佳奈を支える。1986年は昭和61年、バブルが始まった頃か。株価は上がり続けNTT株も売り出された。私は1972年に大学を卒業してから転職を3回ほど繰り返し、その頃は退職まで席を置くことになる小さな出版社にいた。バブルの影響は小さな出版社にも及んで、終電が無くなるまで呑んで帰りのタクシーを捕まえるのが大変だった記憶がある。佳奈はやはり同期入社で大卒の望月と親しくなりやがて結婚する。望月には株で儲けやがては海外で生活するという夢がある。そのための第一歩として福岡支店でトップの成績を挙げ、東京本社の国際部への異動を狙う。望月は病院長の息子の医者や長崎のヤクザを顧客に付けて、東京進出を果たす。水矢子は東京の大学進学を希望していたが、結局、第一志望には落ちて女子大へ進学する。バブル期の東京はコロナ禍に沈む東京とは百八十度違う世界だ。本社に異動した望月も接待で深夜の帰宅を繰り返すが、営業成績も順調に伸びていく。専業主婦となった佳奈は寂しさからホストクラブに出入りする。しかしバブルは弾け、望月は多額の借財を負うことになる。ヤクザの取り立てにあった望月と佳奈は高層階から身を投げる。水矢子は進学した女子大を中退、占い師のアシスタントなどいくつもの職を転々とする。最後は雇止めにあってアパートも追い出され公園のベンチがねぐらとなる。水矢子は輝かないダイヤモンドで佳奈は薄汚れた真珠と自嘲する。水矢子は公園のベンチで幻の佳奈に見守られながら目を閉じる。帯に「桐野夏生が描く当世地獄絵図」とあったが、まぁその通りです。

2月某日
厚生労働省で12時50分に社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。12時頃に霞が関に着いたので飯野ビル地下1階でランチ。親子丼を頂く。厚労省で佐藤社長と保険局長の井原さんと面談。「地方から考える社会保障フォーラム」にアドバイスを頂く。面談後、佐藤社長にドトールでコーヒーをご馳走になりながら雑談。風雨が激しそうなのでどこにも寄らず地下鉄千代田線で我孫子へ。

モリちゃんの酒中日記 1月その3

1月某日
「トーキョー・キル」(バリー・ランセット 白石朗訳 2022年11月 集英社)を読む。四六判ハードカバーで本文だけで400ページを優に超える。定価は税別3000円。いわゆるハードボイルド、図書館で借りなければ私はまず読むことはない本だ。読み終えるのに3日かかったが、実に面白かった。粗筋は巻末に付されている解説(杉江松恋)に述べられているので、それをさらに削って紹介する。主人公のジム・ブローディは両親ともにアメリカ人だが、17歳まで東京で育つ。父親は東京では初の調査とセキュリティ全般の探偵社を起業する。ブローディは長じてサンフランシスコで古美術商を開業するが、父からは探偵社の経営権も遺贈される。ブローディは第2次世界大戦中に日本軍の士官として満洲に赴任した過去がある三浦晃から身辺警護を依頼される。いくつかの殺人事件が起こり、ブローディにも危険が及ぶ。事件の全体像は物語の最終部に明らかにされるが、ここでは満洲国皇帝の溥儀の隠された財宝を巡るとだけ明かしておこう。竹刀や日本刀によるアクションシーンはなかなかのものでした。

1月某日
庭の金柑の木から実を収穫。奥さんと二人で1時間、3分の2ほどを取り終える。残りはリクエストしていた友人のために残しておく。金柑の実を水洗いして金柑酒造りに挑戦する。果実酒ブランデーに漬け、3カ月ほどで熟成するらしい。今年は4月に夏みかん酒、11月には柚木酒に挑戦したい。

1月某日
「きみはポラリス」(三浦しをん 新潮文庫 2011年3月)を読む。新潮文庫は発行年を平成、令和という元号で記している。本書も奥付では平成23年となっていたのを「ほぼ日手帳」の「満年齢早見表」をみて、西暦に書き換えた。平成23年って2011年だったんだ。しかも3月、東日本大震災があったときである。あの日からもうすぐ12年になるわけね。三浦しをんは1976(昭和51)年生まれ。昭和の場合は昭和の年数に25を加えると西暦の2桁になる。たとえば終戦の年、昭和20年は25加えて45、すなわち1945年である。さて解説(中村うさぎ)によると、本書にはさまざまな形の「恋愛」をテーマにした11の短編が収められている。男同士の「恋愛」だったり、1日限りの車泥棒と車に紛れ込んだ8歳の少女との「恋愛」だったり。この歳の差恋愛は「冬の一等星」というタイトルで、中村うさぎも「私の一番好きな作品」としている。私も同じです。

1月某日
「すれ違う背中を」(乃南アサ 新潮文庫 2012年12月)を読む。前科者(前持ち)二人組女子の物語。前作「いつか陽のあたる場所で」に続くシリーズ2作目。芭子はホストに貢ぐためにカード詐欺を働き、綾香はドメスティックバイオレンスから逃れるために夫を殺害、それぞれ懲役刑を済ませて出所、根津界隈で綾香はパン職人の修業中、芭子はペットショップでバイト中。本作で芭子は愛犬用のチョッキなどの服飾作家としての才能を発揮する。乃南アサには「女刑事音道貴子」シリーズがあるが、こちらは「前持ち二人組」シリーズ。私も学生運動で留置所の経験があるが、そこで出会ったいわゆる犯罪者にも悪い人はいなかった。社会人になってからも学生運動、労働運動で刑務所に行った人や、普通の犯罪(傷害や公務執行妨害など)で刑務所に行った人と知り合ったが、普通人と何ら変わりなかった。むしろ人の好い人が多かった気がする。綾香と芭子も「人の好さ」にかけては人後に落ちない。むしろ「人の好さ」故に様々な「事件」に巻き込まれていく。乃南アサは多彩な作家で様々な人生模様を描くが、私は「前持ち二人組シリーズ」のような人生肯定モノが好きですね。

1月某日
前の会社で一緒だった石津さんと呑みに行く約束をしていたら第一生命の営業ウーマンの本間さんも一緒に行くことになった。本間さんの指定は八丁堀の「串武」という焼き鳥屋。八丁堀は以前付き合いがあったCIMドクターズネットワークの事務所があったところで、私には多少土地勘がある。18時スタートということだが、少し早く地下鉄の駅に着いたので近所を散策する。早稲田大学が社会人向けのスクールを開設している早稲田大学エクステンション講座も近くだ。私も10数年前、貸借対照表や損益計算書の読み方を学びに3カ月くらい通った経験がある。それから1階がお酒や食料品売り場で2階がバーになっている店も健在だった。「串武」では本間さんにお刺身や焼き鳥、焼酎をご馳走になる。

1月某日
「トリップ」(角田光代 光文社文庫 2007年2月)を読む。日本の東京から私鉄で2時間ほどの中都市が舞台の短編集。そこで暮らす普通の人々が各短編の主人公だ。「普通の人々」というのが角田文学の肝ではないかと私は思っている。「八月の蝉」では普通のOLが愛人の生まれたばかりの赤ん坊を誘拐、我が子として育てる話である。普通のOLは誘拐という犯罪を犯したりはしない。しかし私は誰にでも犯罪を犯す可能性はあるのではないかと思う。乃南アサの「すれ違う背中を」の二人組の主人公も前科持ちだったし。「トリップ」の主人公たちも犯罪は犯さない。LSDを常習する主婦いたけれどね。でもこれは普通の主婦がLSDに親しんでいるという話だ。つまり普通の日常こそに小説の種は潜んでいるということなのだ。

1月某日
「可能性としての戦後以降」(加藤典洋 岩波現代文庫 2020年4月)を読む。加藤典洋は1948-2019年、明治学院大学教授、早稲田大学教授を務めた。加藤典洋の本はよく読むほうだが、私にとって難解である場合が多い。なのになぜ読むかというと、テーマが私にとって魅力的だからだ。本書の最初の論文「『日本人』の成立」も「日本人とは何か?」を含む魅力的かつ難解なテーマではある。日本列島には稲作が始まる遥か以前から人間が居住していた。その人たちは日本人という意識はなかったと思われる。ひとが自分の所属を○○人と意識するのは他国の人、他言語を発する人を意識してからと思われる。中国の歴史書「三国志魏志倭人伝」に日本のことが倭、そこに住む人が倭人として紹介されている。当時の倭国の指導者は中国の皇帝から冊封されることによって自らの権力の正統性を確認し、被支配者層にも確認させたものと思われる。のちに大和王権も推古天皇のとき、聖徳太子が「日出ずる処の天子、日没する処の天子へ」と書簡を送り、日本列島にも中国大陸と同等の王朝=皇帝が存在することを宣言した。これを中国の皇帝政府がどう認識したか、正確には分からない。加藤典洋の本は難解ではある。しかしそれだけ私の知的好奇心を刺激してくれることは確かである。亡くなったのが惜しまれる。

モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
「帝国軍人-公文書、私文書、オーラルヒストリーからみる」(戸高一成×大木毅 角川新書 2020年7月)を読む。大木毅は以前、「独ソ戦」(岩波新書)を読んだ。この本は後に「新書大賞」を受賞している。第2次大戦のヨーロッパ戦線の専門家と思っていたが、本書を読むと戦前の帝国陸海軍、さらに草創期の自衛隊にも詳しいことがわかる。戸高一成は呉市海軍歴史科学館(大和ミュージアム)館長。本書には普通の歴史書には書かれていないことも語られていて面白かった。例えば「陸海空の自衛隊の中で『我々は旧軍の後継者である』といっているのは海自だけです」(大木)「堂々と言ってましたね…旧海軍の歴史を正しく継承する組織だという認識がある」(戸高)。さらに「情報を得る能力はもちろん必要ですが、それを判断する能力のほうがさらに重要です。日本は陸海軍とも、願望に沿った情報を重視するという、はなはだ情けないことをしています」(戸高)の発言には現代に通じるものがある。

1月某日
11時30分に予約していたマッサージ店へ行く。15分のマッサージ+15分の電気治療。今日は最高気温が9度で寒い。その上風が冷たく強い。寒さに耐えながら帰宅。お昼は奥さんの作ってくれたチャーハンを頂く。午後、昨日から読み進んでいた「日本の新宗教」(島田裕巳 角川選書 平成29年9月)を読む。島田は1953年生まれの宗教学者。今は安倍元首相の銃撃事件を受けて旧統一教会が問題になっているが、30年前は地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教が大きな問題だった。だからといって新宗教のすべてに問題があるというわけでもない。むしろ旧宗教(日本の場合は神道、仏教、キリスト教)を革新させる過程で新宗教が生まれたケースは少なくない。キリスト教も誕生した当初はユダヤ教の革新派としての新宗教の側面があった。本書で面白いと感じたのは明治以降の国家神道を新宗教と断定していることだ。明治維新の復古派は神道の国教化を目論んだがそれはかなわなかった。新宗教として生き残りを図ったということだろう。創価学会の2代目会長の戸田城聖は大変ビジネス感覚に優れた人であったなど興味深いエピソードも。ただ天理教、立正佼成会、PL教団など多くの新宗教が信者の数を減らしていることも明らかにされている。創価学会も信者の高齢化が言われている。

1月某日
「祝宴」(温又柔 新潮社 2022年11月)を読む。温又柔は台湾生まれ、日本育ち。ウィキペディアによると都立飛鳥高、法政大学国際文化学部、同大学国際文化専攻修士課程修了。学部では川村湊、大学院ではリービ英雄のゼミに所属となっている。以前、「魯肉飯のさえずり」を面白く読んだ記憶がある。本書を読んで台湾という国の複雑な来歴、台湾人の微妙な帰属意識を感じることができた。台北に本社のあるIT関連会社の社長の明虎(ミンフー)とその家族(妻、2人の娘)と親族の物語。明虎は妻と幼い長女と3人で来日、後に次女が生まれる。現在は台北に本社のあるIT企業の社長で東京、台北、上海などを飛び歩いている。長女と次女は日本語を母語のように話すが、明虎と妻は日本語は話せるものの母語はあくまでも台湾語である。おまけに明虎の父は大陸から来た外省人のため明虎は北京語も話せる。本書のテーマの一つは言語とコミュニケーションだ。印象に残ったシーンとして台北の超一流ホテルが、日本統治時代に伊勢神宮をモデルにつくった台湾神社の跡地に建てられたことに対して長女が「日本の神社なのに、台湾神社、だなんてね」とつぶやくシーンだ(正確には娘がつぶやくのを明虎が思い出すシーン)。これは長女が自分のアイデンティティに不安を感じる表象でもあるわけだ。中国に留学した長女の想い。-上海に留学してはっきり気づいたの。わたしはどこに行っても、ヨソモノでしかないんだって。これは台湾で生まれ日本で育って、中国に留学した長女の想いでもあるし、中国本土から逃れてきた外省人の想いでもある。それは恐らく現在、世界各地に逃れているウクライナの人の想いでもあるだろう。

1月某日
「げんきな日本論」(橋爪大三郎×大澤真幸 講談社現代新書 2016年10月)を読む。日本の歴史を縄文時代から幕末、明治維新までを二人の社会学者が語り合う。社会学者が語り合ったって歴史が変わるわけではないが、何でそうなったのか?というか歴史の解釈の仕方がかなり独特で私には面白かった。日本の天皇制は仮に5世紀くらいに成立したとすると1500~1600年くらい続いていることになる。これは現存する王制としては世界に例のない古さである。天皇制の根拠は神話である。天照大神の子孫が日本を統治するように高天原から降臨したわけだ。中国の王朝は天が命じる。革命という言葉は天命が革まるという意味である。天皇家には姓がない。中国の皇帝には姓がある。清王朝は満州族の愛新覚羅、漢王朝は漢民族の劉という具合だ。というか王家に姓があるのが普通でロシアのロマノフ、フランスのルイなどといった姓がある。日本の社会や政治制度、文化は中国大陸や朝鮮半島の影響を受けつつも非常に独特な形で発展してきたことがよくわかる本である。

1月某日
「近所の犬」(姫野カオルコ 幻冬舎文庫 平成29年12月)を読む。姫野カオルコは1958年滋賀県甲賀市生まれ、県立八日市高校を経て青山学院大学文学部日本文学科卒業。「昭和の犬」で直木賞受賞。「はじめに」によると「前作『昭和の犬』は自伝的要素の強い小説、『近所の犬』は私小説である」。どこがちがうか。「私小説のほうが、事実度が大きく」、カメラ(視点)の位置も語り手の目に固定されているそうである。「私」が「近所の犬」及びその飼い主との出会いについて綴るまさにタイトル通りの私小説である。爺さんに連れられたラニ(ゴールデン・レドリバー)に出会う章を読んでいたとき、「あっこの話は読んだことがある」と気づく。爺さんは昭和元年生まれでぎりぎり召集されなかった。大学は明治で卒業後、進駐軍関係のアルバイトをした後、小さな出版社を起業してエロ本を出版、そこそこもうけて家を建てた。このストーリーは覚えている。ところが、これ以外はまったく覚えていない。どういうこと?

モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
「明治維新を考える」(三谷博 有志舎 2006年8月)を読む。三谷博は1950年生まれ、72年に東大国史学科卒、78年に同大学院博士課程単位取得退学。東京大学教授を2015年に定年退職。ウイキペディアに「共産党から離脱した反共産主義・保守派の伊藤隆と佐藤誠三郎に師事する」と記載されている。しかし菅義偉首相に日本学術会議会員への選任を拒否された加藤陽子東大教授も伊藤隆夫門下であることからすると、門下生が師匠と同じ思想傾向をとるとは限らない。事実、本書を読んで私は三谷博にリベラルの風を感じた。著者の日中戦争観は、8年という長期間、主要な中国領の主要部で戦われ、軍隊だけでなく、庶民も当事者となり、戦火と徴発、しばしば殺戮とレイプが行われたという、私からすると至極、真っ当な歴史観である。そしてまた私の保有していた歴史観に修正を迫るものであった。例えば日本の朱子学受容に関して私は江戸時代、朱子学は幕府公認とされ官学の大道を歩んでいたと理解していた。しかし朱子学を徹底的に受け入れた朝鮮と違って、その受容に最も抵抗したのが日本という。そして日本の朱子学受容は、明治天皇による教育勅語の発布と、高等文官試験の実施(プロイセンの官僚制を媒介にした科挙の受容)ということになる。日本が朝鮮や清国と違って、一応の近代化を果たせたのは「近隣2国と同じく閉鎖的な体制をとりながら、エリートが外部にある西洋や世界に対して注意を向け続け、外部環境が変化した場合に鋭敏な対応ができるようになっていた」からという。勝海舟や坂本龍馬、福沢諭吉などが代表的な例だろう。これからは私の想像だが松下村塾や福沢の学んだ適塾、さらに竜馬が通った北辰一刀流の道場など、私塾や剣道場(いずれも官立ではない)が幕末に幕臣や重臣層の子弟だけでなく、下級武士や浪人にも開かれていたことも大きいのではないか。つまり勉学における機会均等である。
ネットで検索していたら伊藤隆のインタビューがあった。先生は新聞は産経新聞1紙を購読するのみでテレビは「YOUは何しにニッポンへ」「私が日本に住む理由」「ポツンと一軒家」を好んで観るそうである。ちなみにこの3つの番組は私も好きで観ている。先生、88歳、意外といい人かもしれない。

1月某日
「夢も見ずに眠った。」(絲山秋子 河出文庫 2022年11月)を読む。かつて絲山秋子が双極性障害(躁うつ病)を患っていたことはよく知られているし、彼女の小説にもうつ病患者が登場するケースがある。本書はエリート銀行員の沙和子と沙和子の夫で双極性障害の高之の物語であり。話の途中でふたりは離婚し沙和子も銀行を辞めるのだが、ストーリーは淡々と続く。「淡々と」というのが絲山文学の魅力の一つと私は思っている。しかし「淡々と」した日常の中でふたりの感情は微妙に行違う。離婚したふたりは最終章で山陰へ旅をする。「なにもかもが愛しい。そう思うことは一瞬でも、重みは永遠に等しいのだった。同じ場所にいることは、かけがえのないことなのだった」という文章は、ふたりの愛の復活を示していないだろうか。

1月某日
「私の1960年代」(山本義隆 金曜日 2015年10月)を読む。山本義隆は東大全共闘の元代表、東大闘争のときは東大物理学の大学院博士課程に在学中だった。闘争終息後も大学には戻らず駿台予備校で講師を務めるなどした。山本は1941年大阪生まれ。60年に大阪の大手前高校を卒業し東大に入学。64年に東大物理学科を卒業。物理学科に進学したころ大管法闘争に参加している。この闘争は「当時の東大自治会中央委員会の議長をしていた医学部の今井潔君、そして理学部の豊浦清君が指導した」(4 62年の大学管理法反対闘争)と記載されている。豊浦さんは晩年、社会保険研究所の関連会社の役員をやっていて私も親しくさせてもらった。第2次ブンドやML同盟の政治局員を務めた「偉い人」なのだが、偉ぶることのまったくない人だった。豊浦さんを偲ぶ会に私も出席したが、そういえば山本義隆も来ていたように思う。東大全共闘を担ったのは山本義隆のような大学院生や助手だった。それが東大闘争の幅と厚みを支えたのかも知れない。69年の3月に始まった早大闘争は学部の1年と2年が主体だったからね。とにかく「革マル粉砕!」が最優先、大学解体や安保粉砕も叫んでいたが中身はなかった。

1月某日
11時30分にマッサージを予約しているので近所のマッサージ店へ。ここは健康保険が適用されるので1回の料金は450円。マッサージを終えて帰宅、簡単な昼食をとって市立図書館へ行き「私の1960年代」を返却。新着の黒川創の小説を借りる。図書館2階の学習コーナーで読書。図書館から10数分歩いて駅前の関野酒店でバーボンウイスキーを購入、駅前からバスに乗って帰宅。

1月某日
「耳の叔母」(村田喜代子 書肆侃侃房 2022年10月)を読む。村田喜代子は1945年北九州市生まれ。中学校を卒業後、鉄工所に就職。結婚後、2児を育てながら小説を書き始める。戦後生まれで中卒作家というのは珍しい。私の知るところ昨年亡くなった西村賢太くらいか。村田は日本芸術院会員にも選ばれているし確か勲章も受賞している。勲章も芸術院の会員も文学的な価値とは関係ないと思うが、それと同じように学歴も関係ないと私は思う。村田の中編や長編小説は面白く読んだ記憶があるが、短編は初めてじゃないかな。長編でもそうだが、村田が描くのはもっぱら庶民。それも九州あたりの土着庶民だ。私は中学生の「わたし」と転校生の「トモエ」の交情を描いた「雷蔵の闇」と「わたし」の出産経験をもとにした「花影助産院」がお気に入り。図書館で借りたこの本は人気があるらしく「読み終わったらなるべく早くお返しください」の黄色い紙が貼られている。これから返してきます。