モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
「私の文学史-なぜ俺はこんな人間になったのか?」(町田康 NHK出版新書 2022年8月)を読む。町田康は「ギケイキ」を読んで以来、割と気に入っている作家だ。今回「私の文学史」を読んで尊敬の念を抱くようになった。「ギケイキ」自体、鎌倉だったか室町時代につくられた「義経記」を底本にしている。義経記は源義経の生涯をたどった古典で私は図書館で日本古典文学全集の義経記を借りて確かめたが、確かに「ギケイキ」は義経記を底本にしていた。ということは町田には古典の義経記を読みこなす力があるということだ。ウイキペディアによると町田は府立今宮高校卒である。高卒だから古典を読みこなす力はないと断言はできないし、大卒だから院卒だからできるとも断言できない。いずれにしても私は「ギケイキ」を読んで町田の古典の読解力の確かさと現代文による構成力に感心したものである。町田には「土俗・卑俗にこそ真実がある」という信念がある。そして「文章を書くことの衒いとか、自意識を失のうた人がプロの物書きなんです」ともいう。しかし「自分の文章的な自意識と、普通という、社会とか世間の自意識みたいなものを勝手に意識して、勝手に意味なく忖度して、そこにたどり着けない」のである。そして「なぜ古典に惹かれるのか」では「僕は、熱狂のさなかにあるあるというのは、人間として不幸なことやと思うんですね」とし「古典の得の一つ」として「現代の熱狂から遠くにある、流行りものの熱狂の嘘くささから遠くにあること」をあげている。うーん、深いお言葉。

12月某日
「この父ありて-娘たちの歳月」(梯久美子 文藝春秋 2022年10月)を読む。梯久美子は1961年、熊本市生まれのノンフィクション作家。北大文学部を卒業後、編集者を経て文筆業。本書には茨木のり子、田辺聖子、石牟礼道子ら9人の女性である。そして彼女らの共通点は「書く女性」だ。「『書く女』とその父 あとがきにかえて」で梯は「彼女たちが父について書いた文章には、『近い目』による具体的で魅力的なエピソードが数多くあるが、一方で、父の人生全体を一歩引いた地点から見渡す『遠い目』も存在する。そこから浮かび上がるのは、あるひとつの時代を生きた、一人の男性としての父親の姿である」と書く。「近い目」と「遠い目」はノンフィクション作家にとっても必須であろう。私は石牟礼道子の章に一番心が魅かれた。石牟礼道子の父、吉田亀太郎は石工で水俣の道路づくりの事業を手がけていた。「この世の土台をつくる仕事ぞ」「わしゃあ、まだ見ぬ未来を切り拓くつもりで石と語ろうとる」「石は天のしずくだ。天のしずくが石になるには、とても数えきれない年月がかかる」と幼い道子に語ったそうである。道子の作家としての感性はこの父を源とするに違いない。

12月某日
「宇沢弘文-新たなる資本主義の道を求めて」(佐々木実 講談社現代新書 2022年10月)を読む。宇沢弘文は早くから社会的共通資本の重要性を指摘した経済学者で、私は何年か前に佐々木実による宇沢の評伝を読んでいる。地球温暖化の危機がこの数年来叫ばれているが宇沢は半世紀以上前からそれを指摘していたわけだ。宇沢は1928年米子市生まれ、1931年3歳のとき一家で上京。府立一中、一高を経て東大理学部数学科入学。数学を学ぶかたわらマルクス経済学も独学、理学部物理学科に在籍していた上田健二郎(不破哲三)の主宰していたマルクス経済学の研究会にも参加していた。数学科を卒業した後。研究所や生命保険会社に勤めるが長続きせず、東大経済学部の近代経済学の研究会に参加、経済学研究の道に入る。米国スタンフォード大学のケネス・アローに論文を送ると高い評価を得て大学に招かれる。1956年宇沢が28歳のときである。スタンフォード大学では業績も上げ学生にも人気があったが、1964年にシカゴ大学の正教授に就任した。当時のシカゴ大学はフリードマン率いる市場原理主義者のシカゴ学派の牙城であったが、宇沢はフリードマンとは対局の見解をもち、議論を戦わせる仲だったという。当時はベトナム戦争のさ中で宇沢は反戦運動にも積極的だった。シカゴ大学の教え子の中からスティグリッツとアカロフが2001年にノーベル経済学賞を受賞している。
1968年4月、宇沢は東大経済学部に着任。シカゴ大の教授が東大の助教授に移籍したことは当時、話題となった。実際、給与と研究費の総額はシカゴ大時代の15分の1程度まで減った。宇沢が日本で取り組んだのは公害問題で、水俣病患者とも積極的に交流した。患者を支援していた原田正純医師は「胎児性水俣病との出会いのとき、先生は怒りを隠そうとされなかった…そして眼鏡の奥に涙が光る…」と記している。1974年、宇沢は「自動車の社会的費用」を出版しベストセラーとなる。この本により「新古典派理論を根源から批判し、同時に、新古典派理論の分析テクニックを駆使する」という、矛盾に満ちた境界領域を踏破してゆくことになる。同書を執筆した40代半ばから86歳で生涯を終えるまで、宇沢は社会的共通資本の経済学の構築に全精力を注いだ。社会的共通資本で宇沢が次に注目したのがコモンズである。日本の入会林野などが伝統的コモンズであり、パブリックとプライベートの中間的な所有形態とみなせる。コモンズの重要性については若手の思想家、斎藤浩平も指摘している(人新世の「資本論」)。産業革命以降、石炭や石油といった化石燃料が動力源となって燃やされ地球環境を悪化させてきた。これ以上の悪化を防ぐために宇沢の思想と経済学はもっと注目されてよい。

12月某日
「ひとり遊びぞ我はまされる」(川本三郎 平凡社 2022年9月)を読む。川本は1944年生まれ。麻布中学、麻布高校を経て東大法学部卒。朝日新聞社入社後、陸上自衛隊朝霞駐屯地での自衛官刺殺事件に関与して逮捕される。執行猶予付きの判決であったが朝日新聞社は懲戒免職となる。フリーライターから文筆業となる。私見ですが新聞社にそのままいても出世はしなかったと思う。懲戒免職はむしろ良かった。本書は雑誌「東京人」2018年8月号~2021年12月号掲載「東京つれづれ日誌」を単行本化したもの。川本の好きなものにこだわったエッセーである。荷風、街歩き、酒、ローカル線の旅そして台湾。川本はそれ以外にもクラシック音楽や絵画にもこだわりがある。本書で建築家の津端修一さん夫婦の穏やかな老後を描いたドキュメンタリ「人生フルーツ」が紹介されている。私は30年くらい前に津端さんに会ったことがある。おそらく津端さんは当時、日本住宅公団を退職したばかりで、住宅の周辺を緑化して環境を保つ「クラインガルテン」を普及させようとしていた。戦争中、台湾の少年工が日本の軍需工場に動員されたが、津端さんはその少年工とも交流があったという。

12月某日
「歴史探偵 忘れ残りの記」(半藤一利 文春新書 2021年2月)を読む。歴史探偵を名乗った半藤は文藝春秋の編集者出身で週刊文春や月刊文藝春秋の編集長を務めた(最終的には専務)。1930年生まれで2021年の1月に亡くなっている。死後、本書のゲラが自宅の机の上に置かれていた。半藤は軽快な筆致で日本の近代史と切り結んでいるが、その裏には該博な知識と深い教養があった。経歴からすると川本三郎と似ていなくもない。二人とも東京生まれの東京育ち、東京大学卒業後、新聞社と出版社へ入社。同じ東京生まれだが片や下町、片や山の手、東大も片や文学部、片や法学部という違いはあるが。永井荷風好きも共通している。「あとがき」に「わたくしは、ゴルフもやらず、車の運転もせず、旅行の楽しみもなく、釣りや山登りも、とにかく世の大概の方がやっている趣味は何一つやらない」と書いている。では何をやってきたか。「ただただ昭和史と太平洋戦争の〝事実″を探偵することに」のめりこんできた」のである。本書は「のめりこんできた」一方での彼の人生のエピソードを随筆というかたちで披露している。彼の出版社時代は高度経済成長の準備期、最盛期と時を同じくする。まさに「良き時代」である。

モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
「還りのことば-吉本隆明と親鸞という主題」(吉本隆明 芹沢俊介 菅瀬融爾 今津芳文 雲母書房 2006年5月)を読む。菅瀬と今津は浄土真宗本願寺派の僧侶である。親鸞に関する本を何冊か読んできたが、私には吉本隆明の言う親鸞の偉さがよく理解できなかった。私は仏教にしろキリスト教、イスラム教、オウム真理教にしろ教団と過激党派との類似性が気になった。イスラム原理主義者たちはいまだに世界各地でテロを繰り返しているし、中世の十字軍はキリスト教徒によるアラブ世界への侵略だったと言えなくもない。日本の中世でも仏教教団が僧兵という軍事組織を持っていたし、浄土真宗の門徒が各地で蜂起(一向一揆)している。半世紀近く前になるが日本の過激派もテルアビブ事件や連合赤軍事件、連続爆破テロ、凄惨な内ゲバ殺人を繰り返した。過激な党派は一種の教団と言えるのではないか。現代日本の宗教各派が平和的に宗教活動を行っているのは、各派が一応は「外に開かれている」からではないか。政治党派にしろ宗教教団にしろ「内にこもった集団」となると危険な暴力集団へ変身してしまう可能性がある。オウム真理教や連合赤軍がその例である。

12月某日
サッカーのW杯カタール大会で日本はドイツに続きスペインにも勝利、2大会連続で準決勝に進出。12月3日の朝刊ではこのように報じられていた。私は昨日、朝4時起きでスペイン戦をテレビ観戦した。予定をしていたわけではなくちょうど目が覚めてしまったのだ。もともとサッカーファンでもないし。でも試合を見ていると不思議に引き込まれてしまった。欧米や南米でサッカーが人気ナンバーワンのスポーツであることもなんとなく理解できたように思う。サッカーやラクビーのゲームを観ていると戦争映画の戦闘シーンを観ているような気がする(個人の感想です)。スポーツって戦闘の代替行為と言えなくもない。テレビ観戦を終え6時過ぎに再び就寝。11時に起床、朝食後マッサージへ。マッサージ師の青年との話題もサッカー。

12月某日
「世界は五反田から始まった」(星野博美 ゲンロン叢書 2022年7月)を読む。著者の星野博美は1966年生まれ、国際基督教大学卒。ノンフィクション作家だが写真家でもある。私は星野が自身のルーツを探った「コンニャク屋漂流記」を面白く読んだ記憶がある。星野のルーツは千葉県の房総なのだが、祖父の代から五反田に居を構え、住居にバルブなどを製造する工場(星野製作所)を併設した。星野製作所は父親の高齢化や取引先の事業終了にともない昨年、事業を終えている。で、本書は主として五反田における星野家三代の歩みと五反田という街の歴史をたどったものだ。五反田というと私にとっては取引先の全社連(全国社会保険協会連合会)があって、何回か通ったことがある。駅前に五反田有楽街という盛り場があって、かなり場末感の漂う街だったように思う。もっとも全社連はその後、品川に引っ越してしまい私が行くこともなくなった。星野製作所は五反田から東急池上線で2つ目の戸越銀座の近くにあった。銀座の名前が付く商店街は日本各地にあるようだが、東京では戸越銀座と江東区の砂町銀座の存在が知られる。祖父が始めた星野製作所は昭和一桁生まれの父が継承する。戦前の五反田界隈は町工場が密集する地域だった。今では町工場の跡地にはマンションが林立している。町工場が密集していたということはそこに働く労働者が多かったことを意味する。それで戦前はそれらの労働者をオルグするために日本共産党員も五反田あたりにはいたようで、かの小林多喜二の「党生活者」に出てくる倉田工業は実在の藤倉電線の五反田工場がモデルであった。戸越銀座の近くにある武蔵小杉の商店会から満洲へ移住した人が多かったエピソードや太平洋戦争末期の数次にわたる東京大空襲の被害の模様も綴られる。棄民とされた満洲移民に星野はもちろん同情を隠さない。しかし星野の視点は満洲移民によって土地を奪われた中国の民衆にも及んでいる。中国大陸や朝鮮半島、東南アジアへの日本軍国主義の侵略にも目を背けないという姿勢ですね。

12月某日
「小説家の一日」(井上荒野 文藝春秋 2022年10月)を読む。井上荒野は1961年うまれだから来年62歳になるんだね。父親は小説家だった井上光晴。出家する前の瀬戸内寂聴(晴美)と井上光晴との恋愛を描いた小説「あちらにいる鬼」は寺島しのぶと豊川悦司の主演で現在上映中。「小説家の一日」にも井上光晴と思われる父親が出てくる一編がある。「好好軒の犬」というタイトルの短編がそれで妻の「私」の目から見た小説家の夫、光一郎と娘の海里が描かれる。「小説家になる前、光一郎は革命家になろうとしていた。この世界を変えようとしていたのだ」「小説は光一郎にとって、革命の手段だった。けれども運動の矛盾点を批判する小説を書いたことで、党から除名された」と書かれているが、まぁ事実でしょう。「好好軒の犬」では「私」が夫の勧めで小説を書き、それが文芸誌に掲載されることも描かれているが、これもまぁ事実でしょう。表題作の「小説家の一日」は小説家となった海里とその夫で古本屋の敏夫の八ヶ岳の麓の別荘での日常が描かれる。

12月某日
今年亡くなった馬木さんを偲ぶ会を六本木のフレンチレストランで。私と友野君、渡辺さん、井上さんが千代田線乃木坂駅で待ち合わせ。フリーライターの友野君以外は年金生活者だ。
馬木さんと私たち4人は江古田の国際学寮という学生寮で一緒だった。国際学寮とは日本力行会という団体が経営する学生寮で都内の大学に通学する学生に宿舎と食事を提供していた。通学する学生といっても当時は大学闘争の真っ盛りで大学に通った記憶は余りない。井上さんは東京教育大学の出身で卒業後、電通に就職したので学業成績も優秀だったろうと思っていたのだが、聞いてみると「全然」ということだった。当時、教育大学は筑波への移転阻止闘争で学問どころではなかったのだろう。私も4年で卒業することはしたのだが、学業は「全然」であった。友野君は東京外語大学に在学中から学生運動に参加、結局7年かけて卒業したが、当然の如く成績は「全然」だし、卒業後学内立ち入りを禁止されたそうだ。渡辺君は卒業せずに中退して私と同じ「しば企画」に入社、印刷機を回していたが「プロミス」に転職、本社の総務部長も務めた。学生寮にいた頃から半世紀も経つが食事しながら話題は尽きなかった。

モリちゃんの酒中日記 11月その4

11月某日
「親鸞-主上臣下、法に背く」(末木文美士 ミネルバ書房 2016年3月)を読む。サブタイトルの「主上臣下、法に背く」は、親鸞が主著の「教行信証」で仏法に背いて念仏教団(後の浄土真宗)を弾圧した朝廷を厳しく糾弾した文章の一部である。著者の末木文美士(すえき・ふみひこ)は1949年山梨県生まれ、1978年東大大学院博士課程単位取得退学。現在、東大名誉教授。親鸞はいうまでもなく浄土真宗の開祖である。私の世代では吉本隆明が「最後の親鸞」などでその思想を高く評価したことで知られる。私は「最後の親鸞」も数十年前に読んだ覚えはあるが中身はよく覚えていない。しかし親鸞の言葉を弟子の唯円が残したとされる歎異抄の「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人おいておや」という親鸞の言葉は覚えている。親鸞は私にとって「気にかかる人」であったことは確かだ。仏教についての基礎知識が乏しい当方にとって本書を読み進むことはかなりしんどいことではあった。だが著者の示す親鸞像の一端は理解できたかもしれない。著者は終章で、従来の親鸞像は、「中世という暗黒時代に、突如宇宙人が舞い降りるように出現した宇宙人」のように描かれてきたが、そうではなく、「中世という時代の中で、その時代を最も真摯に生き抜いた思想家として親鸞を読み直そう」と書いている。
著者は親鸞についての史料をA親鸞自身が書き残したものB弟子等による伝聞を残したものC親鸞死後の伝聞や伝説に分類している。Aは教行信証をはじめとした親鸞の著作でありBの代表的なものが歎異抄である。著者は近代以降、歎異抄がきわめて重視され教行信証以上に評価されてきたことは「きわめておかしなことであり、今日、根本的に改められなければならない」としている。著者の立場としては歎異抄の価値を否定することではなく、記録した唯円の主体的な立場という観点から読み取り、評価すべきと主張する。唯円の主体的立場とは「親鸞の教えを東国において真摯に受け止めた」唯円の立場ということである。中世の東国は中心地の京都からすれば辺境であったろう。親鸞は越後での流人生活のあと京都には帰らず東国へ向かう。東国での拠点は常陸国笠間郡稲田郷の稲田草庵であった。越後から笠間まで当然、徒歩による移動である。親鸞は90歳まで生きたとされる。当時としては相当な長寿である。本書で私が学んだことの一つは史料批判の大切さである。それと伝記の類は情緒的に読まないほうがよろしいのでは、ということである。

11月某日
テレビでクリントイーストウッドが監督と主演した映画「グラントリノ」を見る。フォードの工場を定年で退職し妻にも先立たれた孤独な老人ウォルトをクリントイーストウッドが好演。自分の住む町に引っ越してきたモン族の少年タオとの交流が始まる。モン族はベトナムやラオスに分布する山岳民族だが、ベトナム戦争で米軍に協力したことから共産政権の成立に伴いアメリカに亡命したらしい。タオを付き合っていたモン族の不良グループと訣別、ウォルトの紹介で手に職をつけ始める。ウォルトは肺がんで余命が幾ばくも無いことを知る。不良グループは報復にタオの姉を強姦する。不良グループに面談するウォルト、ピストルをちらつかせる不良グループ。ポケットに手を入れたウォルトは短銃を取り出そうとしたと誤解した不良グループに射殺され、不良グループは収監される。もちろんすべてはウォルトが仕組んだことで葬儀のときに自宅は教会へ、愛車のグラントリノはタオに遺贈されると発表される。クリントイーストウッドは1930年5月生まれ。高倉健は1931年2月生まれ、同じ学年である。クリントイーストウッドは西部劇から高倉健は仁侠映画からスタートして演技派俳優に変身した。どちらも好きなんだよね、私。

11月某日
「韓国併合-大韓帝国の成立から崩壊まで」(森万佑子 中公新書 2022年8月)を読む。私は韓国の歴史についてはほとんど無知であったことをこの本を読んで知らされた。朝鮮半島には古くから朝鮮民族による国家が成立していた。日本列島に国家が成立した以前から朝鮮半島には国家が成立していたと考えられる。その差は中国に対する距離的な遠近が影響したと思われる。朝鮮半島に成立した国は中国と朝貢関係を結んだが、日本列島に成立した国は相対的に独立していた。もっとも福岡県で出土した金印に「漢委奴国王」と記されていたように中国に冊封されたケースもあるし、豊臣秀吉のように朝鮮半島、中国大陸への侵略を企てた者もいる。大韓帝国の源は1392年に建国された朝鮮王朝で中国大陸は女真族の清王朝が支配していた。朝鮮王朝は清から冊封を受けたが、清に倒された明王朝に親近感を持っていたとされる。明王朝は漢民族であり朝鮮は明から儒教、科挙、衣冠制度などを受け継ぐ。中華文明は清ではなく朝鮮が受け継いでいるというプライドがあった。明治維新以降朝鮮半島はロシアと日本、清からの干渉にさらされる。日清戦争を経て朝鮮は清からの支配を脱し、清との冊封関係を絶って大韓帝国が成立する。しかし日本からの間接的な侵略、直接的な干渉は続く。大韓帝国は日本の保護国となり、1910年に併合される。日本にとって朝鮮は江戸時代まで文化の先進地域であった。仏教も文字も朝鮮半島を経由して日本にもたらされた。明治維新までは日本人は朝鮮とその背後の中国王朝には尊敬の念を抱いていた。明治以降、欧米列強と同じように帝国主義的な進出を意図し、ついには植民地支配や侵略に繋がっていくわけである。

11月某日
学生時代、同じサークル(早大ロシア語研究会)だった長田君と同じく学生時代、同じ寮(江古田の国際学寮)だった友野君と千代田線乃木坂駅の青山霊園側改札で待ち合わせ。亡くなった尾崎(森)絹江さんの娘さんが夫とやっているフランス料理に行く。政策研究大学院大学の脇を通ってお寺もある静かな通りにその店はあった。店には私たちしかいなく結局、13時から16時過ぎまで店にお邪魔していたことになる。尾崎さんの夫でやはりロシア語研究会にいた森君とも電話で話すことができた。乃木坂で長田君と友野君と別れ、私は国会議事堂前で南北線に乗り換え市ヶ谷へ。市ヶ谷ルーテルホールへ。荻島良太さんのサキソフォンリサイタルに行く。川邉さん、吉武さん、大谷さんと一緒。荻島さんのリサイタルは久しぶり。素人の私が言うのもなんですが、難曲と思われる現代音楽風の曲を体も使いながらこなしていた。コロナ禍ということもあって客の入りはいまいちだったが、生意気を言わせてもらえば若い人の成長する姿を見るのはいいものだ。

11月某日
「悪と往生-親鸞を裏切る『歎異抄』」(山折哲雄 中公文庫 2017年1月)を読む。末木文美士の「親鸞」に続いての親鸞本である。末木は唯円が親鸞からの聞き書きを記録した歎異抄を主著の教行信証以上に評価されているのは如何なものかという立場であったが、本書はもっぱら歎異抄から親鸞と聞き手の唯円の思想を探ろうというものだ。山折は唯円に対して聞き手としてだけではなく、歎異抄の編集者としての立場を認めている。親鸞の思想をどのようにインタビュー記事としての歎異抄のなかで表現していくか、そこに編集者としての唯円の立場がある。山折はそうした唯円の立場を「唯円の二重性」と表現する。「師の言葉をひとしずくももらすまいと耳を澄ましている唯円」と「親鸞の言葉を背にして『異端』の道にふみ迷う弟子たちに立ち向かっていく、戦闘的な唯円」である。前者がインタビュアー、後者が編集者としての唯円である。本書には巻末に「『歎異抄』の参考テキスト」が収録されている。初めて通読したが、十分に理解したとは言い難し!

モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
「日本仏教の社会倫理-正法を生きる」(島薗進 岩波現代文庫 2022年9月)を読む。私の宗教への関心は、ひとつはオウム真理教や旧統一教会などのいわゆるカルト集団への関心につながる。もうひとつは吉本隆明が親鸞を思想者として高く評価していることだ。私どもの世代にとって吉本の存在は別格で、吉本に心酔する若者たちを評して「吉本教」信者と揶揄されたりしたものだ。それはともかくヨーロッパにおけるキリスト教、中東からアジアに及ぶイスラム教、東南アジアから中国大陸、日本列島に及ぶ仏教-これらは世界の三大宗教と呼ばれる-の存在は、人間の存在や人間社会の存在について、それぞれ根源的な思惟を迫った(らしい)。本書のタイトルは「日本仏教の…」となっているが、著述は当然のように原始仏教から始まる。第1章は「在家と出家」で、乞食という生き方が仏教僧団の在り方を絶対的に決定するという。在家と出家の関係は私には前衛党員(職業革命家)とシンパの関係を連想させる。出家は生産活動に従事しない。職業革命家も革命が仕事なので労働はしない。出家は乞食によって生き、職業革命家はカンパによって生きる。オウム真理教も信者の寄進によって教団は運営され、旧統一教会も基本は同じであろう。
本書のサブタイトルは「正法を生きる」となっているが、島薗は日本仏教における正法の概念を重視する。正法は末法思想の末法に対立するもので正しい思想、考え方で政治や社会が運営される世の中とでもいえばいいであろうか。昭和戦前期において北一輝や青年将校に影響を与えたのが日蓮宗であり、その影響は宮沢賢治や満州事変を企てた石原莞爾にも及んでいる。彼らの「革命思想」を支えたのは末法=正法思想だったのかもしれない。社会倫理という観点から宗教を見直すといろいろなことが見えてくる。宮沢賢治の童話も社会倫理の観点から読み直しても面白そうだ。島薗は戦前の日蓮主義が昭和維新と呼ばれる革命的な政治運動に寄与する一方で、文化的な側面として宮沢賢治の物語作品をあげている。「賢治は仏教本来の教えを、現代人の生き方、感じ方に即して分かりやすく伝えるものとして童話を構想した」のだとしている。終章の「東日本大震災と仏教の力」で島薗は「正法を広めることの中には、困っている人に寄り添い、癒しの場を提供することが含まれている」としている。被災地支援に「正法を具現する人々」を見たのであろう。

11月某日
マッサージのあと我孫子の農産物直売所「アビコン」によってレタスとたまねぎスープを購入。図書館で借りていた「神聖天皇のゆくえ―近代日本社会の基軸」(島薗進 筑摩書房 2019年4月)を読み進む。明治以降の日本の政治体制は天皇制のもとにあったのは確かだろう。そのなかで天皇制の廃止も視野に入れた無政府主義者や共産主義者の運動があり、それにたいする苛烈な弾圧もあったし、自由民権運動や大正デモクラシー、民本主義など、民主主義的な動きもあった。戦前をすべて民主主義が圧殺された暗黒時代だったとみるのもまた一面的なのであろう。中島京子の小説で映画化された「小さいお家」を読んでもそのことはうかがい知れる。日本人は天皇制をどのように受容してきたかという観点から本書を読むと面白い。古代、天皇親政が行われていたのはほぼ間違いないところであろう。もっともその頃は天皇という呼称はまだなく大王(おおきみ)と呼ばれていたらしい。平安時代には天皇は直接的に政治の表舞台に立つことは少なくなり、藤原氏や平氏が権力を握り、こうした体制は明治維新まで続く。江戸時代の庶民にとって天皇は遠い存在であり、身近な権利者は領主である殿様であったろう。本書は幕末の尊王思想の高まりから天皇崇拝が国家の柱となった明治時代、天皇崇敬による全体主義的動員の時代を経て敗戦に至る日本の近代を概観しながら最後に象徴天皇制を評価する。天皇が憲法で定める日本国の象徴であることには日本国民の多くが同意している。前の天皇や現在の天皇の人柄もあって、多くの日本国民は天皇及び天皇家を敬愛している。しかし私の理解では天皇は、天照大神の子孫として神道の祭主でもある。この立場をどう評価すべきか。秋篠宮は大嘗祭への公費支出について「内廷会計」で行うべきだと発言した。著者は「象徴天皇制の理念が、自ずから指し示す方向」と評価する。同感です。

11月某日
3年前に亡くなった福田博道さんを偲ぶ会を御徒町の吉池食堂で。13時30分からなので10分前に予約していた席に着く。定刻には松下、高橋、伊藤、岡田、友野、香川、林そして私の8名が揃う。献杯してそれぞれ福田さんの思い出を語る。福田さんは1950年生まれ、福井県武生市出身、早稲田大学文学部文芸学科卒業。家具関係の業界紙の記者をしていて私とはその頃知り合ったと思う。その後ライターとして独立、年友企画でいろいろな仕事を助けてもらった。娘さんと息子さんがいてそれぞれ立派に成人して、娘さんはピアニストで東欧のチェコかハンガリーに留学していた。息子さんは大手の運送会社に勤めてシンガポール支店勤務という話をしていた。福田さんは自分のことを「売れっ子」ならぬ「売れん子ライター」といっていたが娘さんの留学先や息子さんの赴任先に遊びに行っていた。家族、友人に恵まれたということか。お酒を呑まない香川さんと岡田さんは1次会でさよなら。残りの6人で2次会へ。

11月某日
11時30分から予約していたマッサージの絆へ。いつもの通り15分の電気療法と15分のマッサージ。本日は歩いて7~8分の床屋さん「髪工房」へ。途中で乾物屋さんの「手賀の屋」でレトルトカレー、干しエビなどを購入。髪工房では待ち時間ゼロ。「お客さんがいないなんて珍しいですね」というと「こんなもんですよ」と親方。親方は今年、78歳になったそうだ。「夜にテレビを観ていると寝ちゃうんですよ」。まぁ私も似たようなものです。「髪工房」は65歳以上は料金2000円が1800円に割引されるうえ、スタンプが5個たまるとさらに300円引かれる。ありがたいがお客の高齢者割合が上昇しているので経営は大丈夫かと心配になる。帰りにスーパー「カスミ」によってスコッチのティチャーズを安売り(1078円=税込み)してたので購入する。

モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
「乱れる海よ」(小手鞠るい 平凡社 2022年10月)を読む。小手鞠るいという作家には今まで関心がなかった。図書館で新刊コーナーに並んでいたこの本を手に取るまでは。本文が始まる前に次の文章が掲げられていた。献辞のように。
 まだ何もしていない
 何もせずに 生きるために
 多くの代償を支払った
 思想的な健全さのために
 別な健全さを浪費しつつあるのだ
 時間との競争にきわどい差をつけつつ

 天よ 我に仕事を与えよ
                 ―奥平剛士
奥平剛士って今じゃぁ知らない人の方が多いと思うけれど、1972年5月30日に起きたイスラエルの「テルアビブ空港乱射事件」の3人の犯人の一人で主犯格だった。奥平は事件の最中に銃弾を浴びて死亡、他の一人は手榴弾で自爆した。残った一人が岡本公三でイスラエルの法廷で終身刑を宣告された。本書の末尾に注意書きのように「本書は、実際の事件に着想を得て書かれたフィクションです。歴史的事実を盛り込んでありますが、登場人物はすべて、著者によって創作されています」と記載されている。ではあるけれど主人公の渡良瀬千尋が奥平剛士を、生き残った岡部洋三が岡本公三をモデルとしたことは明らかだ。千尋は京大文学部に進学、セツルメント活動で貧しい子供たちの面倒を見る一方、自分を追い込むように肉体労働に勤しんでいた。魅力的な人物として描かれているが、当時の活動家連中のなかにはそういった人間が確かにいたね。「あとがき」で著者の小手鞠は事件のときに高校生で、校長が「我が校出身の奥平さんが仲間ふたりと共にイスラエルで自動小銃を乱射し、罪のない人々を大勢、殺してしまった…奥平さんの為した行為は間違っていたが、平等な社会、差別のない社会を作ろうとしていた彼の理想は間違っていなかった」と話したそうである。なかなかの校長である。ちなみにこの高校は岡山県立岡山朝日高校、私の記憶に間違いがなければ岡山きっての進学校である。

11月某日
「私にとってオウムとは何だったのか」(早川紀代秀 川村邦光 ポプラ社 2005年3月)を読む。川村邦光という人の本は先月、荒畑寒村の評伝を読んだけど本業は宗教学者のようだね。早川紀代秀は1949年生まれ、神戸大学農学部、大阪府立大学大学院修士課程修了。86年にオウム神仙の会(後にオウム真理教に改称)に入会。95年に逮捕、死刑判決確定、2018年死刑執行。川村が旧知の弁護士から早川の裁判での証言を求められたことから二人の交流は始まった。すでに早川は麻原彰晃からのマインドコントロールは解けており、自分が犯した罪を激しく後悔している。早川は麻原からの指示に〝自らが認める権威が示す正義”に従うという習性は、決して特殊なことではなく、人間誰しもが持っている特性、と書いている。これは確かに旧統一教会にも当てはまるし、イスラム教徒によるテロにもそういった側面があると思う。宗教ではなくとも日本の新左翼による内ゲバにも「権威が示す正義に従ってしまった」結果があるのではないか。連合赤軍によるリンチ殺人事件もそうだ。オウム真理教の信徒たちはグル麻原の指示に盲目的に従った。私にはそれがスターリンによる反対派の粛清、連合赤軍によるリンチ殺人を連想させるのだ。

11月某日
オウム真理教は仏教をベースにしながらも、ハルマゲドンなどキリスト教の概念を盛り込んだりした麻原彰晃が考え出した新興宗教の一つと考えられる。仏教といっても幅広いが、激しい修行による個人の解脱を重視した小乗仏教に近いとも考えられる。こうした考え方に真っ向から対立すると思われるのが親鸞であろう。ということから図書館の宗教コーナーの仏教の棚を眺めていたら「吉本隆明が語る親鸞」(糸井重里事務所 2012年1月)という本が目についたので早速借りることにする。2011年の東日本大震災を経て、糸井重里は親鸞は「どんな立場でどんな言葉を民衆に投げかけていたのか」という問題意識から、吉本と対談する。冒頭が吉本と糸井の対談で、以下に過去の吉本の親鸞に関する講演が収録されている。吉本には「最後の親鸞」という著作もあり、以前から親鸞の思想に注目していた。この本は私も読んだが、よく理解できなかった記憶がある。今回は講演録ということもあり、何となくわかったような気がする。
吉本にとって親鸞が生きた戦乱と天変地異の中世は「ある意味で現在と同じ」で「目に見えない戦いや、人を支配していたり支配していなかったりというような問題が、目に見えないかたちで重なっています」と語る。私はロシアのウクライナ侵攻や旧統一教会問題を思い起こしてしまう。吉本はまた「肉体を痛みつけたり、精神を痛みつけたりする修行の果てに、浄土を思い浮かべたり、仏様の姿が眼の前に思い浮かぶようになったりすることには本当はなんの意味もないんだ、ということが、親鸞のなかに重要な考え方としてあった」と思うとする。それはまた「人間が自力でできることに見切りをつけたということ」でもある。修行によって浄土へ行くことはできない、「ただ本当に阿弥陀如来を心の底から信ずる、そして名前を称える、そうしたら浄土へゆけます。それ以外のことをやったら駄目ですよ」というのが親鸞の信念だった、と吉本は言い切る。60年安保のときに吉本は既存の日本共産党や社会党、総評などの「擬制の終焉」を唱え、「自立の思想的拠点」を築けと叫んだ。その頃と変わっていないね。

モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
ふるさと回帰支援センター創立20周年記念レセプションがルポール麹町で開催される。午後1時スタートだが、寝坊して1時間ほど遅れる。前消費者庁長官の伊藤明子さんはじめ、旧建設省の住宅技官出身者が何人か来ていた。伊藤さんと元長岡市長の森民夫さんが挨拶していた。私は小川富吉さんや合田純一さん、長岡の財団法人の理事長をしている水流さんと歓談。元早大全共闘で群馬で小児科医をやっている鈴木基司さんに挨拶。イノシシの会で機関紙の編集をしているウメ(梅沢?)さんとも懇談。滋慶学園の常務をやっていた平田さんにも挨拶。私くらいの年代になると元○○というのが多くなるんだね。散会後、(社福)にんじんの会の石川理事長と元滋慶学園の大谷さんと帰る。四ツ谷駅の途中の食堂で軽く一杯、石川さんにご馳走になる。石川さんは私より一歳年上の筈だが至って元気、にんじんの会の経営も順調な様子だ。「借金で大変なんだよう」といっていたが大谷さんに「借金も信用のうちですよ」といわれてた。四ツ谷駅で石川さんと別れ、上野駅で大谷さんと別れる。柏駅で人身事故があったらしく上野で一時間ほど待たされる。

11月某日
「姫君を喰う話-宇野鴻一郎傑作短編集」(宇野鴻一郎 新潮文庫 令和3年8月)を読む。宇野鴻一郎は私の若い頃は、川上宗薫などと並んでポルノチックな作風で知られていたのだが、もともとは本作品集にも収録されている「鯨神」で芥川賞を受賞した純文学の出身なのだ。短編集には六つの短編が収められているが、私にはどの作品も面白かった。共通しているのは土俗的な香りともいうべきものだ。解説を作家の篠田節子が執筆している。宇能の初期の作品群について「純文学の檻(枠ではない)にはとうてい収まらない、ストーリー性とテーマ性、迫力のある描写を持った大きな作品群で、宇野鴻一郎は今、再評価されるべき作家なのではなかろうか。」と記している。同感である。

11月某日
歯医者は何年か前から近所の石戸歯科。先日、定期健診で2日ほど通って歯石除去などをやって貰った。石戸先生の息子さんが最近売り出しのノンフィクションライターの石戸諭である。待合室には石戸諭の著書が並んでいる。今回、石戸歯科に行ったら平松洋子の「いわしバターを自分で」(文春文庫 2022年3月)が並んでいた。手に取ってみると石戸諭が解説を書いているのだ。「なるほど」と、石戸歯科から徒歩2分の我孫子市民図書館へ行く。幸いにも文庫本のコーナーにあったので早速、借りることにする。週刊文春での連載エッセー「この味」から2019年12月12日号~2021年9月9日号をまとめたものだ。平松洋子は食にまつわるエッセーの名人。「立ち食いソバ」を巡るエッセーは忘れがたい。「いわしバターを自分で」は、共産党副委員長で参議院議員の山下芳生氏のツイッターを紹介しているのがとくに気に入っている。日本共産党というと真面目で融通が利かないイメージが私には強いが、平松さんが紹介する山下議員のツイッターによる「料理紹介」は、そんな私のイメージをいい意味で裏切ってくれた。

11月某日
「フィールダー」(古谷田奈月 集英社 2022年8月)を読む。古谷田奈月は1981年我孫子市生まれ。ウイキペディアによるとNHK学園高校から二松学舎大学国文科に進んで卒業している。古谷田の作品を読むのは初めて。本作は大手出版社の雑誌編集者の目を通して、雑誌執筆者である評論家のベドフィリア(小児性愛)疑惑を巡る出版社や社会の通念やその底にあるものを描く。これを物語の縦糸とすれば横糸はスマホ上で戦われるゲームである。私はゲームに対する知識がほとんどないので、横糸の方はあまり理解できなかった。それにしても古谷田という作家としての力量は十分に評価されていいだろうと思う。この本は再読してみたいと思った。

11月某日
「李朝残影-反戦小説集」(梶山李之 光文社文庫 2022年8月)を読む。梶山李之は1930年京城(現在のソウル)生まれ。敗戦に伴い広島に引き上げる。広島高等師範卒。62年には「黒の試走車」がベストセラーになり、以来、推理、官能、時代小説などでヒット作を連作、75年に取材先の香港で死去―文庫のカバー裏に記載された著者略歴をさらにかいつまんで記すとこのようになる。しかし流行作家になる前の梶山は日本の植民地だった朝鮮を舞台にした小説を書き残している。宇野鴻一郎もそうだけれど、流行作家になる前の作家は純文学を志していた場合が多い。「李朝残影」は「反戦小説集」となっているけれど、私にはむしろ「望郷小説集」と感じられた。失われた故郷、植民地朝鮮を想う小説である。「族譜」「李朝残影」など5編の短編が収録されているが、「闇船」を除いて主人公は植民地朝鮮に住む日本人青年である。植民地に住むことに違和感、罪悪感を抱いている日本青年である。この日本青年は作者、梶山の分身と考えてよい。私は梶山李之の流行作家としての存在しか知らない。豪放磊落な印象であったが、本書を読む限りではむしろ繊細、含羞の人といった印象が強い。

モリちゃんの酒中日記 10月その4

10月某日
「おいしいものと恋のはなし」(田辺聖子 文春文庫 2018年6月)を読む。すでに文庫本に収録されている作品の中から「食べ物と恋愛」というテーマに沿ったものが集められている。とは言っても田辺先生の短編小説は恋愛をテーマないしはサブテーマにしたものがほとんどである。そのなかで編者が気に入っているものを集めたのであろうか。ちなみに編者が明らかにされていないのも如何なものか。単行本は2015年7月に世界文化社から刊行されているので世界文化社の編集者が編者なのかもしれない。それにしても田辺先生の小説を読むのは久しぶりである。であるがほとんど読んだことのある小説であった。でも私にとって田辺先生の小説は何度読んでも楽しいのである。ちょいと哀切なのが「ちさという女」。主人公の「私」が勤める会社の同僚が「秋本ちさ」。独身で30代後半、しまり屋で自分が住むマンションのほかにもいくつかの賃貸物件を所有している。私は会社の同僚、工藤静夫と恋愛関係にある。ちさは私に「あんた、工藤さんとあやしいの?」と聞いてくる。以下原文。
「さあ。どうかな」
と私はいい、ちさをからかいたくなった。
「でも、工藤サンは、秋本さんが好きやって。尊敬するっていってたわよ」
「阿呆なこと、いいなさなんな」
とちさは狼狽して、常になく、まぶしそうな顔をした。
ちさは工藤の誕生日に直径30センチくらいの大きなバースデイケーキを贈ってくる。この短編小説は以下の私の独白で終わっている。
 静夫と結婚して、三歳の男の子がある今になっても、私は、ちさのバースデイケーキを思い出すと胸いたむ。ちさにしみじみとした思いを持つようになった。
最後の一行が効いています。

10月某日
マッサージの日。近所のマッサージ店絆へ週2回通っている。予約の5分ほど前にお店の前に着く。施術を終わったおばあさんが出て来て、玄関の引き戸を閉める。私に気がついて玄関を開けてくれる。この頃、おばあさんに親切にされる。先日もマッサージに行くとき、おばさんに「どこへ行くの?」と聞かれ「すぐそこまで」と答えると「近くまでついていってやろうか?」といわれた。丁重に断ったが、俺ってそんなに弱々しく見えるのかなぁ。
「星間商事株式会社社史編纂室」(三浦しをん ちくま文庫 2014年3月)を読む。タイトルのとおり、星間商事という会社の社史編纂室の日常のドタバタを描くのだが、三浦しをんの作品としては私にはつまらなかった。話の軸のひとつが戦後、星間商事が太平洋上のサリメニという島に経済進出するというもの。日本帝国主義の復活の一局面だと思うのだが、著者の三浦にはその意識は薄いようだ。

10月某日
「天使に見捨てられた夜」(桐野夏生 講談社文庫 2017年7月)を読む。単行本は94年6月の発行である。主人公は新宿に住む私立探偵、村野ミロ。小説の時代背景は90年前後か、小説中に携帯電話を使う場面が出てこないからね。フェミニスト系の出版社の女社長に人探しを依頼されたミロ。探すのはアダルトビデオの出演者の若い女性だ。人探しを縦糸とすると横糸はミロのマンションの隣人トモさん、ビデオ制作会社の代表矢代との性愛だ。トモさんには恋愛感情を持っているミロだが、トモさんは女には欲情しない同性愛者である。一方、矢代には恋愛感情は持っていないが、二度ほど体を重ねてしまう。人探しのストーリーももちろん読ませるのだが、私はミロの性愛に興味が行ってしまう。ミロのトモさんへの感情。「しかし彼を好きになれば、私は底に穴の空いた壺で水を汲むようなものなのだ。壺から水がこぼれる時の音まで聞こえるような気がする。こぼれた水は私の足を濡らすだろう」。これってハードボイルドな文章だと思う。90年前後は私のいた会社でもビデオ制作を受注していた。もちろん実際の制作はビデオ制作会社に外注する。その制作会社で裏ビデオを見せてもらったことがある。そのことを思い出してしまった。

10月某日
「荒畑寒村-反逆の文字とこしえに」(川村邦光 ミネルヴァ書房 2022年8月)を読む。「ミネルヴァ日本評伝選」シリーズの一冊。寒村は1886(明治20)年8月に横浜で生まれ昭和56(1981)年3月に95歳で亡くなっている。私が学生の頃にはまだ現役の運動家だったようで巻末の略年譜によると昭和43(1968)年11月に革共同中核派の政治集会で講演、昭和45(1970)年には全国反戦青年委員会集会で講演している。荒畑寒村は青年期には菅野スガ(大逆事件で死刑)と婚姻関係にあり、菅野の死後に竹内玉と結婚している。玉は11歳年上だが献身的に寒村を支えたという。寒村が54歳のとき玉は66歳で死去、寒村60歳のとき森川初枝と再婚するが、寒村88歳のとき初枝は享年76歳で亡くなる。寒村の運動家としての出発は無政府主義者、アナーキストであった。現在では考えられないことだが当時、社会主義者と無政府主義者の勢力は拮抗していたようだ。むしろ1917年にロシアで社会主義革命が成功するまでは無政府主義が社会主義を圧倒していたのではないだろうか。著者の川村邦光という人は1950年福島県生まれ。1984年東北大学大学院博士課程単位取得満期退学。大阪大学文学部教授を経て現在、同大学名誉教授という経歴である。ウイキペディアによると学生運動経験者とある。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
「大東亜共栄圏-帝国日本のアジア支配構想」(中公新書 安達宏昭 2022年7月)を読む。本書によると大東亜共栄圏という語句が使われたのは1940年8月、第2次近衛内閣の松岡洋右外相が「当面の外交方針は大東亜共栄圏の確立を図る」と記者会見で述べたのが初めてという。80年以上前のことであるが、本書を読むと随分と現代にも通じるものがあると感じた。最近使われる「開かれたインド、太平洋」という言葉だって地理的には大東亜共栄圏と近いものがある。大東亜共栄圏の理想は、ヨーロッパ共同体(EU)のような東アジア共同体であったように思う。しかしその現実は英米蘭の東南アジア植民地を帝国日本の支配下に置き、食料や石油などの天然資源を収奪するというものであった。アメリカとイギリスの植民地であったフィリピンとビルマは独立したが、形式的な独立で実際は日本の軍部に従属させられていた。戦後日本の食料や石油を輸入に頼らざるを得ないという現実は、大東亜共栄圏の時代と変わらない。本書の副タイトルとなっている「帝国日本のアジア支配」ではなく平等互恵の精神による東アジア共同体構想が求められているのではないか。

10月某日
「日本解体論」(白井聡・望月衣塑子 朝日新書 2022年8月)を読む。政治学者の白井と東京新聞記者の望月との対談集。白井は左派の論客、望月は仮借のない政権批判で知られる。日本の全体的な政治状況や論壇、マスコミの状況をみると左派、リベラルの旗色は悪く、保守派、右派の勢いが増しているように思う。安倍晋三政権以降とくにその感が強い。そのなかにあって白井と望月は貴重な存在と言える。本書でも言及されているが、私は伊藤詩織さん問題は日本の劣化を象徴しているように思う。ジャーナリストの伊藤詩織さんがTBSテレビの政治部記者の山口敬之氏を準強姦容疑で被害届を提出、しかし不自然な逮捕令状の取り消しなどがあってその後、不起訴になった件だ。山口氏が安倍元首相と近く、警視庁幹部はそれを忖度したのではないかといわれた。民事訴訟では詩織さん側が勝訴した記憶があるが山口氏側は控訴した筈である。酒を強要して泥酔させホテルに連れ込んでことに及ぶという山口氏の卑劣な行いはい詩織さんの手記で明らかにされている。性被害を被害者が顔出し実名で告発するのは異例のことだ。しかし詩織さんの行動は#MeToo運動に繋がっていく。一方でひどい詩織さんタタキもあった。本書ではそんな現代日本の劣化した現実がいくつも明らかにされる。私たちはその現実に絶望感に近いものを感じるのだが、その現実に果敢に切り込んでいこうとする望月記者に希望も抱くのである。この対談が行われたのは東京オリンピックを巡る汚職事件で電通の高橋元専務が逮捕される前だが、本書は「東京五輪の悲劇的状況」として金まみれの東京オリンピックをきちんと批判している。

10月某日
上野駅の公園口で香川さんと待ち合わせ国立東京博物館へ。創立150周年ということで企画展示は国宝展。甲冑や刀剣、仏像それに肖像画などが展示されていた。入り口を間違えたのか一般客とは逆のまわり方をしてしまった。博物館や美術館は障害者手帳を提示すると本人と介助者1名が無料で拝観できる。そのせいか、どうも私の拝観態度は真剣味に欠ける傾向があるようだ。早々と東京博物館を出て上野駅に向かう。上野駅構内の「つばめグリル」で夕食。「つばめグリル」は品川駅前にもある。なんとなく上野駅や品川駅に似合う気がする。「つばめ」は特急「つばめ」から来ているのだろうか。だとしたら東京駅にもあるかも知れない。上野駅で香川さんと別れ私は常磐線で我孫子へ。我孫子で駅前の「しちりん」に寄る。

10月某日
円安と物価の上昇が止まらない。円安が輸入物価を押し上げロシアのウクライナ侵攻が原油や小麦価格を高騰させている。物価の上昇も賃金の上昇をともなえば持続的な経済成長を期待できるのだが、現状は賃金の上昇をともなわない「悪いインフレ」である。円安の主因は米国の利上げと日本の金融緩和政策の継続にあると言われている。黒田東彦日銀総裁は金融の緩和政策は継続すると発言している。国の借金は1000兆円といわれている。金利が1%上がると金利負担は10兆円。利上げに踏み切ろうにも踏み切れない事情があるのだ。岸田首相も旧統一教会問題に加えて円安と物価上昇、まさに一寸先は闇の状態だ。

10月某日
「自発的隷従の日米関係史-日米安保と戦後」(松田武 岩波書店 2022年8月)を読む。著者の松田は1945年生まれ、79年にウィスコンシン大学大学院歴史研究科修了、京都外国語大学の前学長。日米関係を分析するにあたっての基本的視点として、米国の対日政策は「善意からではなく、明確に自覚した自らの国益に基づいた」ものであり続けるとし、さらに米国の国民の大半が日本人が米国を知っているほどには「日本について知らない」としている。1941年12月8日に始まったアジア太平洋を舞台とする日本の対米戦争は45年8月15日に日本の完全な敗北をもって終わる。それ以降の日米関係は著者のいう「自発的隷属」であった。自発的隷属関係は戦後だけでなく、戦前から「米国の力を利用して競争力を高め、身に付けたその競争力を武器に、米国と競争し対峙する」という形で存在した。これは「いわば対米従属・『面従腹背型』の日米協調戦術」だったわけである。アメリカは独立した時点で共和制を宣言し、自由と独立(国家と個人の)を重んじた。それにたいして近代日本は天皇制と農耕文化のもとに出発した。個人よりも共同体が重視され共同体の意志に逆らうと村八分にされた。50年以上前に東大全共闘により安田講堂に落書きされた「連帯を求めて、孤立を恐れず」のスローガンはいまだに有効なのだ。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
内神田の「跳人」で大谷さんと待ち合わせ。大谷さんが来る前に店員の大谷さん(同じ苗字)と雑談。土方歳三の生涯を描いた司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読みたいそうだ。何でも京極夏彦の土方を扱った小説を読んで土方に興味を持ったようだ。京極ではなかったかもしれないが、分厚くて持ち運びに苦労すると言っていたので多分京極だろう(京極の小説は分厚くて定評がありサイコロ本と呼ばれているそうだ)。大谷さんが来たので本格的に呑み始める。今日はビールに始まってウイスキー、日本酒、焼酎を一通り呑む。帰りは神田から京浜東北線で大谷さんは川口まで、私は上野から常磐線で我孫子まで。我孫子で「しちりん」による。

10月某日
「道」(白石一文 小学館 2022年7月)を読む。並製で500ページを超える長編である。「道」というのはニコラ・ド・スタールという人の描いた絵画のタイトルで、この絵はこの本の扉にも使われ、小説でも重要な役割を演ずる。主人公の功一郎は高校受験のときに手痛い失敗をしてしまう。合格間違いなしと思われていたので、そのことを母親に言い出せずにいる。母親が家政婦として働いている富豪の家に遊びに行ってその絵「道」に出会う。絵を見つめていると突然、絵に引き込まれてしまう。引き込まれたのは受験の前の世界である。この世界で功一郎はなんなく高校受験に成功する。2021年の2月、功一郎は食品会社の我孫子工場の責任者となっている。しかし女子大生の娘を交通事故で亡くし、それが原因で妻は重篤なうつ病を病み自殺未遂を繰り返す。功一郎は再び絵の前に立ち、娘が交通事故に逢った現場に時空を移動し、娘を助ける。まぁ荒唐無稽な話しなんですが、功一郎の働く我孫子の描写はリアル。功一郎が贔屓にしている我孫子の鰻屋「木暮屋」は天王台駅近くに実在する。東日本大震災をはじめとしてこの世には悲惨な災害、事故、事件が絶えない。最近では元首相への銃撃事件とかウクライナ戦争、コロナもあるしね。別の世界を思い浮かべたくもなるよね。

10月某日
有楽町のふるさと回帰支援センターに大谷さんと高橋公理事長を訪問。11月3日の同センター20周年記念レセプションの件。有楽町からバスでトリトンスクエアの㈱日本建築住宅センターの合田純一社長に面談、レセプションに出席とのこと。トリトン発のバスで有楽町へ。途中双子用の乳母車に双子の赤ちゃんを乗せた若いお母さんが乗車、バスの若い運転手が乗降を手伝う。有楽町で下車。大谷さんはJRへ、私は千代田線の日比谷から大手町へ。社保険ティラーレで吉高会長、佐藤社長と面談。帰りは神田から上野経由で我孫子へ。

10月某日
「昭和史講義【戦後文化篇】(上)」(筒井清忠編 ちくま新書 2022年7月)を読む。「日本が迫られている課題・問題と格闘した」思想家や作家、運動がとりあげられている。第1講の「丸山眞男と橋川文三-昭和超国家主義の転換」から第19講の「全共闘運動-課題と遺産」まで、中には興味をひかないものもあったが、私にはおおむね面白かった。例えば宇野重規の「福田恒存と保守思想」は「福田は日本の近代が脆弱であると知りつつ、それでも世界における日本の役割を模索したように思う。それが福田の『保守』だったのではなかろうか」という文章で結ばれている。「獅子文六と復興」(牧村健一郎)では戦後、戦犯指定に怯えつつも文壇復活を果たした文六を「戦前、戦中、戦後の昭和と並走、同伴した作家だった。ただ、時代に埋没したわけではない。フランス仕込みの個人主義とクールな視点が、作品に批評性を持たせた」と評価する。戦後の一時期流行した「葦」や「人生手帖」という人生雑誌というメディアについては「勤労青年の教養文化」(福間良明)の項で、これらの人生雑誌には「『想像の読者共同体』と反知性主義的知性」があったと論じている。今はほとんどの中学生が高校に進学し、大学への進学率も60%を超えていると思うが、私の中学時代、高校に進学しない人が20%くらいいたし、大学進学率も30%未満だったように思う。高校や大学への進学を断念しながらも知性へのあこがれを持ち続けた人たちには「反知性主義的知性」が必要だったのかも知れない。

10月某日
円安が止まらない。直接的な原因はアメリカが金融引き締めを意図して金利の引き上げに舵を切っているのに対して、日本は金融の緩和、ゼロ金利政策をとっているためだろう。だが日本の国力、経済力の低下により円が売られているという側面もあるに違いない。30年ほど前はジャパンアズナンバーワンといわれ、日本資本がアメリカの著名なビルや企業を買って顰蹙を買ったりしたものだ。今や賃金は上がらず、賃金水準は韓国にも抜かれたらしい。少子高齢化に対する無策も円安に拍車をかけているのではなかろうか。教育環境や研究環境の地道な見直しが求められているように思う。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「自民党の女性認識-『イエ中心主義』の政治指向」(安藤優子 明石書店 2022年7月)を読む。著者の安藤優子は上智大学在学中にニュース番組のアシスタントとしてデヴュー。のちにニュースキャスター。上智の大学院博士課程後期・満期退学。この本は博士論文をもとにして書かれた。戦後の保守党が女性や女性議員をどう見てきたかを社会学的な観点から解説した、というふうに私なりに本書をまとめてみたが、1970年代以降の政治過程を振り返ることにもなっており、面白かった。私が社会人となったのが1972年で、私の社会人時代と本書の叙述する時代がおおまかにいえば一致する。私が少しびっくりしたのが70年代から80年代にかけて、保守派の論客、佐藤誠三郎や村上泰亮、公文俊平、香山健一らが自民党に一定の影響力があったことだ。影響力があったにもかかわらず。実際の政治家の意識はそれによってほとんど影響されなかった。安倍元首相の国葬に関連して村上誠一郎という自民党の代議士が安倍元首相のことを国賊と呼んだとかで安倍派の議員が何らかの処分が必要と言いだしているという。自民党は党名のとおり自由で民主的な党ならば、党内での言論の自由は保障されるべきである。自民党にはかつて宇都宮徳馬、松村謙三らの良識派といわれた議員が存在し、それが自民党の政策の幅の広さを保障していたように思う。安倍派は90数名と突出した国会議員数を誇っている。それが安倍派の独裁へと進むのなら自民党にとって不幸であり、日本にとっても不幸だ。

10月某日
「小暮荘物語」(三浦しをん 祥伝社文庫 2014年10月)を読む。小田急線の急行通過駅・世田谷代田から徒歩5分にある、ボロアパートの住民を巡る連作短編集。大家は会社を定年退職し一戸建ては持ってはいるが、妻も含めて同居する家族との関係が面倒で、小暮荘に愛犬とともに転居してきた小暮。住人は小暮を入れて5人。1室は空室である。小暮の隣は女子大生の光子、セックスフレンドが何人かいる軽薄な女として登場するが、実は彼女は妊娠できない肉体を抱えている。光子に限らず小暮荘の住人には大家の小暮を含めて悩みを抱えている。それぞれの短編が面白かったが、私の一押しは「柱の実り」。アパートの住民でトリマーをやっている美禰と中年のヤクザ、前田との純愛物語である。三浦しをんは困難な現実に直面する庶民をユーモラスに描く。「絶望の虚妄なるは希望の虚妄なるに相同じ」とする魯迅と似た視点だ。

10月某日
「味なメニュー」(平松洋子 新潮文庫 2018年12月)を読む。このところ平松洋子の食にまつわるエッセーにはまっている。以前読んだ立ち食いソバを食べ歩くエッセーも面白かったが本書も和食、洋食、居酒屋その他を食べ歩くエッセーである。もちろん立ち食いソバもある。基本的に庶民の食べ物である。カレーでは代々木の「ライオンシェア」、銀座の「ニューキャッスル」が紹介されている。立ち食いソバは銀座の「よもだそば」と新橋の「そば作」そして中野駅北口の「かさい」。「立ち食いソバ」の章は「立ち食いそばの数だけ、とっておきの話がある。一杯のそばにこもっているのは、知恵と工夫のエッセンス。その豊かさに手招きされて今日も足が向く」という文章で結ばれている。平松洋子は職人に対するリスペクトの念が強くある。料理、食事に対するあくなき興味はそのリスペクトに支えられている。「新橋駅前の楽園で」という章では「ニュー新橋ビル」に出店しているお店が紹介されている。このビルには思い出がある。大学を卒業してから三つ目に務めたのが新橋烏森口にある業界紙。ニュー新橋ビルにはランチにも行ったし酒も飲みに行ったものだ。地下の居酒屋にもいったし、1階の酒屋では確か立ち飲みもやっていた。2階のスナック「T&A」は常連となって20年くらい通ったが今はもうない。

10月某日
「味なメニュー」でニュー新橋ビルのことを読んだらテレビでそのビルのことがとりあげられていた。番組は「ビルぶらレトロ探訪」、新番組で、俳優の梶原善が昭和から建つ「オヤジたちの楽園」のビルを訪問するというもの。初回は1階のスタンド洋食と生ジュースの店、そして2階の中国人経営のマッサージ店が紹介されていた。1階はチケットの安売り店が多く進出、2階はマッサージ店に占拠されているような状態だった。私が通っていた頃の面影もない。昭和は遠くなりにけりである。梶原善は「鎌倉殿13人」で殺し屋の善次役を好演した。素の梶原はとぼけた味を出していた。次回もニュー新橋ビルを取り上げるという。たぶん地下の居酒屋だろう。

10月某日
雨が降って寒い。翌日の朝刊には今季最低の11.3度を記録したとあった。マッサージの後、そのまま我孫子駅へ。千代田線一本で大手町、雨のなか社保研ティラーレへ向かう。途中の葉菜海家という居酒屋風食堂でランチ。焼き魚と味噌汁、お漬物それに小鉢を選べる。私は納豆を選ぶ。納豆にウズラの生卵はかかっていたのがうれしい。値段は850円だが「ごはん少な目で」と頼んでいたので50円引き。社保研ティラーレで次回のフォーラムの打ち合わせを終わって神田駅から有楽町駅へ。ふるさと回帰支援センターの高橋ハムさんに面会。センターが20周年でパーティを開催するとのこと。何人かの声掛けを頼まれる。銀座から地下鉄銀座線で虎ノ門へ。フェアネス法律事務所で渡邊弁護士と面談。面談後、今村渚弁護士が下関の父上の弁護士事務所で働くことになったと挨拶に来る。何かの折に学生運動の話になったとき、今村さんが「私の父も学生運動をしていたんです」と話した。聞けば東大闘争のときの東大教養学部の自治会委員長だそうな。厚生省OBで私と同世代の東大出身者に聞くと「確かに今村という委員長だった。美青年だったよ。娘も美人か?」と。今村さんはとても可愛い人です。雨のなか歩くのが面倒なので虎ノ門から上野、上野から我孫子へ。我孫子駅前の「しちりん」で一杯。