モリちゃんの酒中日記 3月その3

3月某日
小学校以来の友人の山本君と北千住の室蘭焼き鳥の店「くに宏」で待ち合わせ。ところが「くに宏」がコロナで休業中なので近くの「九州人情酒場 魚星」へ。女性客が多い店だった。家に帰ってネットで調べたらチムニーの経営だった。チエーン店なんだけれど鯨やゴマサバの刺身はそれなりに美味しかった。山本君は20歳で結婚して孫の女の子に子供が生まれたと言っていた。ひ孫ということになる。

3月某日
「武士論-古代中世史から見直す」(五味文彦 講談社選書メチエ 2021年5月)を読む。現在のNHK大河ドラマは「鎌倉殿の12人」、北条泰時が主人公で泰時の姉で頼朝の妻となる政子や頼朝、義経兄弟ら、それに源氏、平家の武将たちが物語を回していく。そんなわけで本書を読むことにしたのだが、私にはちょいと難しかった。源氏は清和天皇、平家は桓武天皇を先祖とする。皇族の血筋なのだが歴史が下るにしたがって藤原氏や天皇家、皇族などの暴力装置となる。関東以北の蝦夷を討った前九年後三年の役の源義家、保元平治の乱を戦った平清盛、源義朝らがそうだ。ただ彼らは単なる暴力装置ではなく、所有する荘園の経営者でもあった。さらに清盛は日宋貿易にも乗り出したし、下って足利義満は明との貿易にも努めた。暴力だけでは権力は維持できない。これは現代にも当てはまる。無論、プーチンのことである。

3月某日
ランチを東京の鎌倉橋ビル地下1階の「跳人」で「海鮮丼」。フロアーを担当する大谷君に挨拶。「跳人」は夜も営業しているそうだ。「お客はサッパリですけど」と大谷君。食事を終えて社保研ティラーレへ。吉高会長と雑談。吉高会長は私より2歳ほど年上の筈だが、精神的にはとても若い。世間への好奇心には見習うべきものがある。佐藤社長と厚生労働省へ。次回の「地方から考える社会保障」のチラシを講演予定の皆さんに配布。霞ヶ関駅で佐藤社長と別れ、私は千代田線で我孫子へ。途中、柏で下車して高島屋でウイスキーを購入する。我孫子駅北口の居酒屋「やまじゅう」で一杯。

3月某日
たまたまNHKのBSにチャンネルを合わせたら日本にいるクルド人の女の子を主人公にしたドラマをやっていた。クルド人についてはよく知らないがトルコ、シリア、イランに分散して生活し独自の文化を持つが独立した国家は持たない。それどころか自分が所属する国家の政府からは抑圧されている。日本にいるクルド人は母国の政府の迫害から逃れてきた人たちらしい。ドラマのタイトルは「マイスモールランド」。劇中で女の子の父親が自分の胸を叩いて「私たちの国はここにある!」と叫ぶシーンがあるが、それがタイトルに繋がったと思う。途中でニュースをはさんで前後編併せて90分以上の長編だがまったく飽きなかった。女の子の一家は在留資格を取り消され、建設現場で働いていた父親は不法就労で入管に収容される。父親は帰国を決意する。帰国すれば逮捕は必至だ。自分の逮捕と引き換えに子供たちに日本のビザが発行される可能性があるからだ。
父親の拘留が続くままドラマは終わる。理不尽である。これはそのまま日本の入管制度の理不尽さを表現している。しかし救いもある。それは主人公のボーイフレンドやその母親、あるいは主人公一家のために奔走する弁護士の存在である。制度や政府は理不尽だが、庶民は暖かいのである。もっとも庶民の中にも主人公に不埒なことを仕掛けようとする理不尽なオジサンもいるのだが。私はこのドラマを観て昨年読んだ中島京子の「やさしい猫」を思い出した。日本で働くスリランカ人男性と日本のシングルマザーの物語で、スリランカ人は入管に収容されるのだが、日本人の仲間たちや弁護士の働きによって釈放されるというストーリーだ。日本は亡命希望する外国人に対して冷たい。亡命希望の理由を精査し帰国すれば逮捕やことによると命の危険さえあるものについては在留を認めるべきである。考えてみれば戦前の日本は亡命朝鮮人や中国人、ビルマ人などについて寛大だったように思うけど。

モリちゃんの酒中日記 3月その2

3月某日
桐野夏生の最新刊、「燕は戻ってこない」(集英社 2022年3月)を読む。桐野夏生の小説を「現代のプロレタリア文学だ」と評したのは政治思想家の白井聡だったが、本書も現代のプロレタリア文学と言える。主人公の29歳の女性、リキは派遣社員として病院の事務を仕事にしている。給料は手取りで14万円、部屋代の58000円を除いた、残りの82000円で生活する。リキはまさしく現代のプロレタリアートである。プロレタリアートの解放をめざす日本共産党の眼もリキのもとには届かないし、労働者の味方である労働組合の存在もリキには遠い。そんなリキに1000万円の仕事が舞い込む。代理母出産である。不妊症の妻に代わって夫の精子を人工授精し、妊娠出産するという仕事である。不妊症の夫、草桶基はバレーのダンサー、母も著名なダンサーで資産家の娘。母は不妊治療の治療費も援助してくれる。
基母子はさしずめ現代のブルジョアジーだ。リキは双子の男女を妊娠し出産する。リキは妊娠中、日本画家のりりこの事務仕事を手伝う。りりこは基をお金でリキの頬っぺたを叩いたと言い「こういうのって、経済格差を利用した搾取っていうんですよ」と非難する。リキはどうする?ネタバレになるので結末は書かないが、リキはある方法によりブルジョアジーに報復する。「蜂起」に成功するのだ。

3月某日
上野駅で香川さんと待ち合わせ。東京国立博物館平成館に「ポンペイ展」を観に行く。約2000年前の紀元79年、イタリア中南西部にあった人口1万人ほどの都市が街の北西10㌔にあるヴェスヴィオ山が噴火、大量の噴出物が住民ごと街を呑み込んだ。18世紀以降発掘が進んだが、今回の「ポンペイ展」ではイタリア・ナポリ国立考古学博物館が所蔵する宝飾品や彫像、日用品など150点が出品されている。2000年前のポンペイの生活は考えようによっては今の私たちの生活より快適だったかも知れないと思った。上水道は完備だし装飾用の美術品も各家庭に備わっていた。といってもこれらの生活は奴隷の存在によって支えられていた。ブドウの栽培やワインの製造などがポンペイの経済を支えていたようだが、これらも奴隷労働があったればこそであろう。観終わって根津まで歩き沖縄料理屋に入る。

3月某日
「愚かな薔薇」(恩田陸 徳間書店 2021年12月)を読む。腰巻のコピーに曰く「14年の連載を経て紡いだ吸血鬼SF」。巻末の掲載誌一覧によると「SF Japan」という雑誌に2006年から11年まで掲載され、続いて「読楽」という雑誌に2012年から20年まで隔月に掲載されている。四六判で580ページだから読み終わるのに三日も費やしてしまった。内容はというと…。私なりに単純化すると、1万数千年後に地球は太陽に吸収されてしまう。それまで地球外の星に人類は移住しなければならない。日本のある地方で船と呼ばれる宇宙船によってそれが何代も前から実践されている。というようなことを物語として14年間も連載する、ウーン、ご苦労さま。

3月某日
「東京23区×格差と階級」(橋本健二 中公新書ラクレ 2021年9月)を読む。橋本健二先生は早稲田大学人間科学学術院教授。格差と階級についての研究を40年近く続け「新・日本の階級社会」「アンダークラスー新たな下層階級の出現」「〈格差〉と〈階級〉の戦後史」「中流崩壊」などの著書がある。戦後、日本が経済成長を遂げる中で格差は拡大し続けているというのが先生の基本的な立場である。しかし格差を解消し階級対立を止揚するために「革命を!」という立場はとらない。先生は「しばしば共産主義者と誤解される」とし、「定義にもよるが共産主義とは、私有財産制を廃止して階級のない社会=無階級社会をめざし、最終的には国家すら廃止しようとする思想と運動である。しかし私は、階級をなくすことは不可能だし、そもそも望ましくないと考える」としている。そして「問題は、階級間に大きな格差があること、そして階級間に障壁があって、所属階級が出身階級によって決まってしまう傾向があることである」(終章 交雑する都市へ)と主張する。都市政策としては公営住宅の供給拡大や家賃補助を重視する。思想的にはリベラルなんだね。なお、先生にはフィールドワークとして居酒屋考現学を実践し著作も何冊かある。居酒屋の歴史をたどるという学術的な側面と居酒屋紹介的な側面を持つ楽しい著作である。

モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
「関友子さんを偲ぶ会」に出席。関さんというのは赤坂にあったクラブ邑のママである。1968年に早稲田の政経学部に入学したので私の同期生、というより私の奥さんとも同期生で奥さんとは仲が良かった。私は在学中にはほとんど面識がなく、クラブ邑からの付き合い。関さんは最初、新宿歌舞伎町でクラブを開業したが私はその頃、会社の金を使える立場になかったので上司に便乗して同じく歌舞伎町にあった「ジャックの豆の木」というクラブに通っていた。偲ぶ会は関さんが所属していた早稲田の出版研究会の人が出席していた。友子さんの一人娘、一奈さんがゲスト。一奈さんはタイ在住で一時帰国中、今月中にタイへ帰るそうだ。一奈さんのワインの呑みっぷりが大変気持ちよかった。会には邑で友子さんを支え、邑が閉店した後も友子さんと仲が良かった千恵さんも参加していた。会場を提供してくれた浪漫堂の倉垣君に感謝!

3月某日
「同志少女よ、敵を撃て」(逢坂冬馬 早川書房 2021年11月)を読む。早川書房主催のアガサ・クリスティー賞受賞作である。第2次世界大戦中のスターリングラード攻防戦や大戦末期の要塞都市ケーニヒスベルクを舞台に赤軍の女性の狙撃兵、セラフィマと彼女の属する射撃訓練学校の生徒たち、そして射撃訓練学校の教官、イリーナの群像劇として描かれる。第2次世界大戦はナチスドイツの電撃的なソ連侵攻から始まった。そう思うとこの何日かのロシア軍のウクライナ侵攻に思いが及ぶ。スターリングラード攻防戦は1942年、今から80年前である。プーチンは80年前のヒトラーと同じようなことをしようとしているのではないか。週刊文春の今週号(3月10日号)で林真理子が「夜ふけのなわとび」でソ連の対独戦と本書に触れている。以下抜粋。
「それにつけても不思議なのは、最近この対独戦を描いた『戦争は女の顔をしていない』が、日本ではベストセラーになったことである。ソ連はなんと百万人を超える女性兵士がいたというから驚く。
そしてこの本に影響された『同志少女よ、敵を撃て』は、日本の作家によるものであるが、こちらも大ヒット、直木賞の候補にもなった。フェミニズムの気配もあり、若い読者がついた」。
著者の逢坂冬馬は1985年生まれ、明治学院大学国際学部卒の新鋭作家。物語の組み立ては新人作家とは思えないほど緻密だし、歴史考証も正確。次作にも期待したい。とりあえず私は我孫子市民図書館に「戦争は女の顔をしていない」をリクエストした。

3月某日
「幕末社会」(須田努 岩波新書 2022年1月)を読む。幕末という言葉から私がイメージするのは尊王攘夷というスローガンや、倒幕運動のなかで闘われた桜田門外の変や佐幕派への討幕派のテロル、池田屋事件、寺田屋事件などの討幕派に対するテロル、さらには大政奉還から鳥羽伏見の戦いから五稜郭の戦いに至る戊辰戦争である。著者の須田努という人は違うアプローチで幕末に迫る。「はじめに」で著者は「本書でこだわりたいのは、政治や制度ではなく、社会の様相である」と記している。「社会の様相」は何から見えてくるのか? 著者はそれを百姓一揆や騒動から読み取ろうとする。一揆や騒動を主導したのは多くは若者であった。彼らは世襲的身分を超えて社会的ネットワークを作り出していったのである。一揆や騒動は暴力をともなった。「あとがき」で「幕末という時代、若者が現状から抜け出す途が開けた、といえる。(中略)現状打破と自己実現を可能にしたのは暴力であった」としている、私はここから1960年代末の学生運動をイメージしてしまう。あの頃も「現状打破と自己実現」を投石とゲバ棒によって暴力的に実現しようとしていた。須田は「暴力を選択した若者の多くはその暴力の中で死んでいった」とし「しんどいが事実である」と書く。これも過激な学生運動の末路を連想させるではないか。

モリちゃんの酒中日記 2月その4

2月某日
「むずかしい天皇制」(大澤真幸 木村草太 晶文社 2021年5月)を読む。大変面白かった。面白かったけれども、社会学者の大澤と憲法学者の木村の対話により構成されている本書をすべて理解できたわけではもちろんない。しかし昨日(2月23日)はたまたま徳仁天皇の誕生日であった。天皇誕生日に天皇制を論じる本書を読んだのも何かの縁、本書に沿いながら天皇制について勝手に考えてみた。日本書紀や古事記では最初の天皇は神武天皇ということになっているが戦後の歴史学では神話上の存在として否定されている。では誰が最初の天皇かというと、山川の教科書では雄略天皇(第21代)で、天皇という言葉は使わずにワカタケルの大王の解説として出てくる。「ワカタケル」(池澤夏樹)という小説を読んだことがあるが競争相手の王子を殺してしまうなど、かなり暴力的だ。もっともそう思うのは現代人の発想で古代人はもっと荒々しく人間や自然と対峙していたのかも知れない。雄略天皇はじめ古代の天皇は実際に武力に基づいて権力を保持していたと考えられる。天皇ではないが推古天皇を補佐した聖徳太子や奈良の大仏の建造を命じた聖武天皇などは、相当強い権力を持っていたんでしょうね。
しかし天皇親政は日本史のなかではむしろ例外で、そのことは著名な法制史学者である石井良助の「天皇 天皇の生成および不親政の伝統」という著作で明らかにされているようだ。平安時代になって藤原氏の摂関政治が天皇親政にとって代わる。摂関政治は平氏に受け継がれ、平氏を打倒した源頼朝が鎌倉幕府を開く。頼朝の血筋は三代で途絶えるが、以降は北条氏が執権として権力を握り、将軍は京都から親王や上級の貴族を招いている。北条氏が滅んだあと、例外的に後醍醐天皇が建武の新政により親政を敷くが長続きしないで南北朝、室町幕府の時代となる。応仁の乱を経て戦国時代になるが、この頃、朝廷は本当にお金に困ったらしい。費用の捻出ができず即位の儀式も出来ないこともあったという。それでも天皇制は生きのびる。むしろ武力も財力もなかったからこそ生きのびたと言っていいかも知れない。大澤先生によると「天皇のことを信長ほど蔑ろにした武士はいない」。天皇から左大臣や征夷大将軍などの地位を提案されるが信長は歯牙にもかけなかったという。信長は明智光秀に殺されるが、光秀は天皇をバカにしている信長に憤慨したわけではない。大澤先生は、日本史に内在している「論理」からすると「天皇をそこまで蔑ろにする人は排除される運命にある」と説く。
短い豊臣政権を経て徳川政権が250年続く。江戸時代を通じて朝廷の存在感はかなり薄い。存在感が一気に増すのが幕末、ペリーが来航しアメリカと条約を交わし、その勅許を幕府が朝廷、孝明天皇に求めたことによる。それ以前に何か問題があって、幕府から朝廷に意見を求めたことはない。天皇及び公家は幕府から僅かな禄を与えられ、学問や和歌、書道などに励んでいたのだろう。朝廷は文化的な存在として生き延びた。それが黒船の来航により180度変化する。自信を失った幕府は朝廷の後ろ盾、勅許を求める。尊王攘夷の嵐が吹き、江戸では桜田門外の変が起こり、京都では開国派へのテロが横行する。尊王攘夷が尊王開国に転換し倒幕の密勅が薩摩と長州に下される。というか岩倉と大久保利通あたりが共謀して、幼い明治天皇に密勅を出させた。天皇の政治利用である。明治維新から20年ほどたって大日本帝国憲法が制定される。「天皇は神聖にして侵すべからず」とされる一方、国会が開設される。現在の憲法下では衆議院の多数の賛成を得て総理大臣が指名されるが、戦前は総理大臣は衆議院の多数に拠らず、元老の指名であった。それでも大正デモクラシーから5.15事件まで衆議院の多数を握る政党が総理大臣を指名するという慣習が成立した。
現憲法下で皇室、天皇の在り方は大きく変わった。戦前、皇室が所有していた膨大な財産は国有財産とされた。皇居は天皇家の財産ではなく国有地である(要確認)。天皇は家賃、地代は払っていないと思うけど。イギリスの王家はウインザー城などの邸宅をいくつか私有しているしタイの王室などはけた外れの金持ちらしい。日本の皇室のメンバーは終身の公務員と言ってもいいと思う。逃げ出したくなるんじゃないかな。眞子さんの気持ちがちょっぴり理解できるような…。

2月某日
「ミーツ・ザ・ワールド」(金原ひとみ 集英社 2022年1月)を読む。銀行OLの由嘉理は焼肉擬人化漫画をこよなく愛する今どきの腐女子。新宿の合コンで酔っ払った由嘉理はキャバ嬢のライに助けられ、ライの歌舞伎町のマンションで生活するようになる。由嘉理が歌舞伎上で出会うホストやオカマバーの店主、作家などを通して由嘉理は新しい世界を知るようになる。私の読後感では由嘉理は「新しい世界を知る」のではなく「新しく生き始める」なのだが、なんだか前向き過ぎてね。金原ひとみの作風は退廃的と思っていたが、本作を読むとどうも違うようだ。新宿歌舞伎町の友情を描いた小説とも読めた。

2月某日
監事をやっている一般社団法人の理事会が東京駅八重洲口の貸会議室であるので出席する。今回は新しい理事の承認だけなので理事会は5分で終わる。その後、理事さんたちは運営委員会に出席するが監事は退席する。八重洲口から日本橋を経て神田へ。神田からお茶の水まで歩く。御茶ノ水でカレーの専門店へ入り「エビカレー」(1000円)を食べる。きらぼし銀行で通帳に記帳、新御茶ノ水から千代田線で我孫子へ。家へ帰ってスマホの万歩計を見ると16,000歩を超えていた。

モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
「浮沈・踊子 他3編」(永井荷風 岩波文庫 2019年4月)を読む。持田叙子の解説によると、「浮沈」は昭和16年12月8日に書き始められたという。日本軍による真珠湾奇襲の日というのも何やら因縁めく。戦争中は発表を見送られ、戦後、中央公論の昭和21年1月号から6月号に連載された。ヒロインさだ子が女給として生活を維持しながら、かつての常連だった越智と上野駅で偶然に再会、恋に落ちてゆく。反時代的と言おうか、時局に批判的だった荷風の面目躍如たる作品である。

2月某日
「この国のかたちを見つめ直す」(加藤陽子 毎日新聞出版  2021年7月)を読む。日本の近代史を専門にし、東京大学文学部で教鞭をとる加藤教授の本だが、この本には毎日新聞に連載されたコラムやインタビューが収録されている。加藤教授は日本学術会議への任命を拒否された6人の学者のひとり。任命拒否についても極めて論理的に反論しているが、私は加藤教授の豊富な読書量に驚いた。日本近代史を専門にする大学教授なら当然かもしれないが、シナリオライターの笠原和夫の「書いたものは必ず読むようにしてきた」とか、橋本治や井上ひさしを愛読している。加藤教授の歴史書が面白いのも彼女の幅広い読書によるところが大きいのではないか。

2月某日
「それからの海舟」(半藤一利 ちくま文庫 2008年6月)、「幕末史」(半藤一利 新潮文庫 平成24年11月)を続けて読む。「それからの海舟」は筑摩書房のPR誌「ちくま」に連載されたもの、「幕末史」は慶應丸の内シティキャンパスの特別講義として、2008年3月から7月まで12回にわたって講演したものをまとめたものである。私は半藤さんに講演を依頼したことがある。20年ほど前だったか、会社で「森田さん電話ですよ」と言われて出たら「半藤だけど」。その頃は半藤さんの本を読んでいなくて「半藤さんって誰だっけ?」と一瞬思ったが幸いすぐに思い出した。確か厚労省OBのSさんにお願いされたのだ。講演の依頼にも快諾してもらって、当日、私も講演を聞いたはずだが内容はまったく覚えていない。当時、私は文藝春秋社=保守的出版社と思い込んでいて、「そこの専務をやった奴(半藤さんのこと)ならゴリゴリの保守だろう」と思っていたのだ。のちに半藤さんの著作を読むにつけ、半藤さんが反戦の高い志を持つ人だということを知るわけである。学術会議への任命を拒否された東大の加藤陽子教授との対談もあるくらいで、この人の日本近代史に対する学識の深さは半端ではない。その深い学識を平明な語り口で叙述するのが、歴史探偵たる半藤さんの真骨頂なのだ。
「それからの海舟」の「それから」とは大政奉還後ということである。大政奉還をしてから、つまり幕府が幕府でなくなってから、幕府と最後の将軍、徳川慶喜を支えたのが勝海舟である。半藤さんの先祖は長岡藩に仕えていたそうである。戊辰戦争に際して河井継之助に率いられて官軍に抵抗したあの長岡藩である。したがって半藤さんは官軍という呼称は用いない。官軍はあくまでも西軍であり、長岡藩や会津藩、五稜郭に立て籠った幕軍の残党まで、東軍と称する。「それからの」で描かれる海舟は頭脳明晰なうえに肝が据わっており、世の中を見通す眼力は薩長の藩閥政治家たちの遥か上をいっていた。「それからの」の主演はもちろん海舟だが、助演男優賞を上げたいのが二人、徳川慶喜と西郷隆盛だ。慶喜と海舟は必ずしも互いに好意を抱いていたとは言えないが、海舟は家臣として生涯、慶喜を支える。西郷は江戸城明け渡しの交渉相手だが、その人間的度量の大きさに海舟は感服してしまう。西南戦争の最終局面、城山で西郷は別府晋介の介錯で死ぬが、海舟は西郷の息子の留学の面倒を見たり西郷の碑を建てたりしている。
「幕末史」も反薩長史観に貫かれている。「はじめの章」で永井荷風の薩長罵倒の啖呵が紹介されている。「薩長土肥の浪士は実行すべからざる攘夷論を称え、巧みに錦旗を擁して江戸幕府を転覆したれど、原(もと)これ文華を有せざる蛮族なり」(「東京の夏の趣味」)。慶應が明治に改元されたころの狂歌に「上からは明治だなどといふけれど 治まるめい(明)と下からは読む」というのがあるという。江戸の庶民が明治維新に対して冷ややかな感情を抱いていたことがわかる。「五箇条の御誓文」という明治維新の一つのイデオロギーを示したものがある。このもとが坂本龍馬の「船中八策」にあることも、半藤さんは明らかにする。後藤象二郎が坂本から船中八策を示され、後藤は坂本案であることを伏せて藩主の山内容堂に伝える。容堂は船中八策をもとに「大政奉還に関する建白書」を朝廷と幕府に提出し、これが五箇条の御誓文のもととなった。最近の歴史の教科書ではどうなっているのか。教科書ではないが「幕末維新変革史(下)」(宮地正人 岩波書店 2012年)によると、「3月15日江戸城総攻撃期日の前日の14日、京都紫宸殿の明治天皇が出御、公卿諸侯を率い天神地祇に誓う形式で5カ条の誓文が示された」とあっさり記述されている。歴史としてはこういうことかも知れないが、半藤さんは歴史をより深くとらえようとしていると私には思える。

モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
「大杉栄伝-永遠のアナキズム」(栗原康 角川ソフィア文庫 令和3年2月)を読む。本書はもともと2013年に夜光社から刊行された単行本に加筆訂正したものだ。「おわりに」では次のように書かれている。「今年(2013年)の3月初旬だったろうか。この原稿を書きはじめたころ、わたしは名古屋をおとずれた。友人のYさんがよびかけた勉強会合宿に参加するためだ。2011年3月12日以降、おおくの友人たちが東京を去った。放射能を避けるためだ」。「文庫版あとがき」では「目下、コロナの大フィーバー、わたしにとって、大杉栄とカタストロフはセットなのだろうか」と記されている。原発事故のさ中に初版、コロナ禍の渦中に文庫化という過酷な運命の本書は、大杉栄という激しい人生を歩んだ人の伝記にふさわしい運命を歩んでいるようだ。栗原の「サボる哲学-労働の未来から逃散せよ」(NHK出版新書)によると、アナキズムの語源はギリシャ語の「アナルコス」、「無支配」からきているそうだ。そういえば大杉栄や伊藤野枝、金子文子など伝記小説を読むと、彼ら彼女らは人から支配されることを拒絶しつつ、人を支配することも拒んだ。天皇や皇太子の暗殺を企てるほど過激な彼らは、一方で家族や友人たちには優しく接している。見返りを期待しない相互扶助ね。

2月某日
「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(池上彰・佐藤優 講談社現代新書
2021年12月)を読む。私が高校を卒業したのが1967年で、東京の予備校に通っていた10月8日、当時の佐藤首相の南ベトナム訪問に反対して三派全学連を中心とした学生集団が機動隊の阻止線を突破、羽田空港に迫った。翌日の朝刊1面に「学生、暴徒化!」というような大きな活字が躍っていたことを覚えている。私は「大学に入ったら学生運動をやろう」と秘かに決意したものだ。68年4月早稲田の政経学部に入学、自治会は社青同解放派が握っていて、5月の連休明けには私も解放派の青ヘルメットを被っていた。68年の12月に解放派は革マル派によって早稲田を追い出され、東大駒場へ逃げた。本書で佐藤は「新左翼の本質はロマン主義であるがゆえに、多くの者にとって運動に加わる入り口になったのは、実は思想性などなにもない、単純な正義感や義侠心でした。そのために大学内の人間関係を軸にした親分・子分関係に引きずられて仁侠団体的になり、最後は暴力団の抗争に近づいていった」と話しているが、まぁ「あたらずと雖も遠からず」だ。私ら解放一家は革マル組によって早稲田のシマを追い出されたのである。

2月某日
「自壊する官邸-『一強』の落とし穴」(朝日新聞取材班 朝日新書 2021年7月)を読む。安倍首相が辞任して菅政権が誕生した時点で本書が執筆されているので、短命に終わった菅政権、菅のあとを継いだ岸田政権についての論評はないけれど、それでも十分に面白かった。新しいことが書かれているわけではないが、保守政権としてはかなり異質であった安倍政権の本質が活写されていると思う。7年8カ月という憲政史上最長の安倍政権はなぜ、可能だったのか?党内に大きな反対勢力が存在せず、総務会で発言するのも石破茂、村上誠一郎などに限られていた。さらに安倍政権は選挙に強く強力な野党が存在しなかった。反対勢力が弱いと権力を握っている側はどうしても説明責任を果たさなくなりがちである。内閣人事局の存在も大きかったようだ。安倍政権以前は各省の局長級の人事には各省からの人事案がすんなり通っていたが安倍政権では差し替えられることもあったという。学術会議の任命拒否もこれに繋がっている。巻末に御厨貴東大名誉教授らに対するインタビューが掲載されているが、牧原出東大教授の「恣意的人事、やめるのが先決」というインタビューが印象的だった。牧原教授は「安倍、菅政権での官邸官僚の影響力は、無理を通して道理を引っ込ませる力でした」とし具体例としてアベノマスクをあげている。官邸官僚が全戸配布を首相に無理に押しつけたが、それを無理だとは官邸官僚も気付いていなかった。こうした構図が長期間繰り返されたというのだ。恐ろしい!

モリちゃんの酒中日記 2月その1

2月某日
新型コロナウイルスワクチンの3回目の接種を我孫子駅南口のイトーヨーカ堂3階で受ける。65歳以上ということなので会場はジジババで溢れていた。わがままと言われてきた団塊の世代だが、接種会場では素直に係の指示に従っていた。接種後10分ほど椅子に座って安静にしてから解放。昼飯をネットで評判の良かった「あちゅ庵」でとろうと思い、行ってみたら休みだった。家まで歩いて帰り奥さんが作ってくれた炒飯を食べる。
NHKBSの「アナザーストーリー」を観る。今回のテーマは「ノルウェーの森」。1969年に舞台を設定した村上春樹の恋愛小説である。実はアナザーストーリーのディレクターから当時の早稲田の学生運動について教えてもらいたいという連絡があった。製作会社に行って当時の状況を説明し、「村上春樹のことだったら倉垣光孝君が詳しいと思うよ」と伝えた。映像では倉垣君が当時の村上春樹について語っているところが映されていた。見終わった後、担当ディレクターに「大変面白かったです。1969年は私にとっても特別な年です」とメールしておいた。ディレクターからは「観てくださってありがとうございます!嬉しいです」という返信が来た。
ワクチンの副反応か体が痛い。筋肉痛ですね。おとなしく家で過ごすことにする。

2月某日
近所の床屋「髪工房」へ行く。2人待ちだったので近くの天ぷら屋「程々」で天丼定食を食べる。990円。海老2本にイカ、カボチャ、白見魚の天ぷらとお吸い物、お新香が付いてだから安いと思う。「髪工房」で散髪。ここは大人料金2000円だが65歳以上は1800円、申し訳ない。床屋の帰りにスーパーカスミでアルコール度数55度の「奥飛騨ウオッカ」を購入、こちらは税込1320円。ついでにマッサージ「絆」でマッサージを受ける。
図書館で借りた「民主主義のための社会保障」(香取照彦 東洋経済新報社 2021年2月)を読む。著者の香取さんは元厚労官僚。昨年、「地方から考える社会保障」の講師をお願いした。現役時代から優秀で知られ、介護保険制度の発足時には山崎史郎さん、唐沢剛さんとの3人組で厚生省のYKKと称された。今度の著作にもいろいろと考えさせられるところが多かったが、とくに第6章の「日本再生の基本条件-経済・財政・社会保障を一体で考える」、第7章の「ガラパゴス日本「精神の鎖国」-二つの海外勤務から見えてきたこと」を取り上げたい。著者の論を乱暴に要約するとこの30年間、日本は先進国中で最低ランクの成長率だった。本文中で2019年12月末と1989年12月末の経済指標が示されている。平均株価(3万8915円87銭⇒2万3656円62銭)、名目GDP(421兆円⇒557兆円)、1人当たりの名目GDP(342万円⇒441万円)、世界経済に占める日本経済の割合(15.3%⇒5.9%)、政府債務(254兆円⇒1122兆円)、政府債務の対GDP比(61.1%⇒198%)、企業の内部留保(163兆円⇒463兆円)。株価は4割下落し、名目GDPは32%、1人当たり名目GDPは29%上昇したが、世界経済に占める日本経済の割合は大きく後退した。この間、政府債務は4.4倍になる一方、企業の内部留保は2.8倍に増加した。株価を企業の成長力に対する期待の反映とすれば、株価の低迷は日本経済の減速の反映であろう。内部留保の増大は有効な投資先の見えなさと、企業家の投資マインドの減速感を著しているようにも見える。著者は、「富の増加をもたらす政策としての所得再分配、安定的な需要を生み出す自立した中間層の創出」を主張し、「社会保障はそのための政策ツール」として位置づけられる。非常に明快な論だと思う。

2月某日
「ひとりでカラカサさしてゆく」(江國香織 新潮社 2021年12月)を読む。篠田莞爾(86歳)、重森勉(80歳)、宮下佐知子(82歳)はかつて一緒の会社に勤めていたことがあり、現在も親交がある。篠田は重度のがんを患っている。篠田は自ら死することを決意し重森と宮下もそれに従うことにする。物語は3人と3人と付き合いのあった何人かの暮らしをなぞりながら進む。230ページの中編小説ながら登場人物が多い!私的には重森の生き方に魅かれた。何人かの女と暮らしたが結婚経験はない。羽振りの良かったこともあるが今は家賃も滞納しているほどだ。重森は在日の外国人に対する日本語教師をしていたことがあり、中国人の教え子とは今でも交流がある。3人は大晦日に猟銃で自殺することになるのだが…。

2月某日
何日かぶりで東京へ。上野経由神田駅下車。鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」でランチ。「漬け丼」ライス少な目で。社保研ティラーレを訪問。コーヒーと水割りをご馳走になり吉高会長、佐藤社長と雑談。上野駅構内の本屋で「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(池上彰 佐藤優 講談社現代新書 2021年12月)を購入。我孫子で「しちりん」による。

モリちゃんの酒中日記 1月その3

1月某日
「ポラリスが降り注ぐ夜」(李琴峰 筑摩書房 2020年2月)を読む。ポラリスは北極星の意味だけれど私にはアメリカの潜水艦発射ミサイルの名前として記憶している。最初にこの小説のタイトルを目にしたとき「ミサイルが降り注ぐ夜」と理解し、第3次世界大戦の話かと思ってしまった。実際はそんなことなくて「ポラリス」とは新宿2丁目のレズビアンバーの名前だ。バーを訪れる女たち、そしてその女たちを巡る男と女たち。台湾や中国籍の人々、性的マイノリティの人々…。現代社会は様々なマイノリティの人々が共存している。マイノリティは昔から存在したのだろうが、現代はその人々が声を大きく上げだした時代なのだろうと思う。李琴峰は1989年台湾生まれ、2013年来日とあるから、日本語は母国語ではなく「学んだ」ものだろう。李琴峰の日本語には私は微かな違和感を持つことがある。そして私にとってはそれも李琴峰の魅力となっているようだ。

1月某日
四谷の主婦会館(プラザF)で開かれた故小野田譲二氏の「お別れ会」に出席する。小野田譲二と言っても若い人にはピンと来ないと思うが、我々団塊の世代それも学生運動の経験者にとってはスターの一人だ。革命的共産主義者同盟(革共同)の政治局員、学生対策部長を務めたが後に革共同を離脱、「遠くまで行くんだ」グループを結成、雑誌「遠くまで行くんだ」を創刊した。私は小野田氏とは面識がないのだが、呼びかけ人に早稲田の高橋ハムさんと鈴木基司さんがいたので参加することにした。コロナのオミクロン株が広がるなか、大谷源一さんから「会費だけ払って参加を見送るつもり」と連絡があったが、「行こうよ!終わったら上野界隈で一杯やろう」と主張して行くことに。開始の14時頃にプラザFに着く。会費6000円を払って会場に入ると、大谷さんやハムさんがすでに来ていた。見渡せば老人ばかりだ。埼大や法大、早大、東大で小野田氏と関りがあった人が出て思い出を語っていた。高田馬場のジャーナリスト専門学校でも教えていたことがあったそうで教え子も弔辞を読んでいた。埼玉の駿台予備校での教え子が、「授業が終わると酒をご馳走してくれて、それが楽しみだった」と語っていた。面白くかついい人であったらしいことは十分伝わってきた。終って御徒町の中華料理屋「大興」へ行く。

1月某日
上野千鶴子と鈴木涼美の往復書簡集「限界から始まる」(幻冬舎 2021年7月)を読む。上野千鶴子は女性学、ジェンダー学の権威と言ってもいいと思うが鈴木涼美は誰? 巻末の略歴によると1983年生まれ、作家。慶應大学環境情報学部卒、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。大学在学中にキャバクラのホステス、AV女優などを経験したのち、2009年から日経新聞記者となり14年に自主退社。著書に「『AV女優』の社会学」「身体を売ったらサヨナラ」「愛と子宮に花束を」「ニッポンのおじさん」などがある。往復書簡中にも出てくるが父親は法政大学名誉教授で舞踏評論家、翻訳家の鈴木晶、エーリッヒ・フロム「愛するということ」の翻訳家、母親は2016年に亡くなった、児童文学研究家・翻訳家の灰島かり。インテリ一家で育ち高学歴、それでAV女優。なかなかのギャップであるが、そういうことを抜きにしても本書は面白かった。この往復書簡集は雑誌「幻冬」に1年間にわたって連載されたものをまとめたものだが、それぞれ「エロス資本」「母と娘」「恋愛とセックス」などのテーマが定められている。気になったところに付箋を貼っておいた。「恋愛とセックス」では「性と愛はべつべつのものだから、べつべつに学習しなければなりません。あるときからわたしは、愛より前に性を学ぶ若い女性たちの登場に気がつくようになりました。しかも男仕立ての一方的なセックスを。性のハードルはおそろしく下がったのに、性のクオリティは一向に上がらないことを」。これは上野から鈴木への書簡である。「フェミニズム」では「フェミニズムは卒業するものではなく、多様な色が織り込まれたカーペットから、必要な時に自分にとって救いとなる糸を拾い上げられるものであって欲しいし、多くの、それほど不自由ではなくとも、もう少し自由になりたいと感じている女性を、何か限定したトピックにおける意見の相違によって排除せずに、掬いあげられるものであって欲しいと切に思います」と鈴木から上野に書き送っている。同じ「フェミニズム」で上野から鈴木へ「ひとの善し悪しは関係によります。悪意は悪意を引き出しますし、善良さは善良さで報われます。権力は忖度と阿諛を生むでしょうし、権力は傲慢と横柄を呼び込むかもしれません」と書き送っている。上野も鈴木もまじめにまともに向き合っているのである。

1月某日
「食べる私」(平松洋子 文藝春秋 2016年4月)を読む。平松洋子は1958年、岡山県倉敷市の出身。東京女子大卒。食をテーマにしたエッセー「この味」を週刊文春に連載している。私は「この味」で平松が神田駅ガード下の立ち食いソバやの閉店を惜しんでいたことを覚えている。「食べる私」は芸能人や文学者、その他の有名人に平松が食についてインタビューした「オール読物」の連載を一冊にまとめたもの。デーブ・スペクターから樹木希林まで29人のインタビューが4章構成で掲載されている。私の個人的な好みからすると第4章(小泉武夫、服部文祥、宇能鴻一郎、篠田桃紅、金子兜太、樹木希林)が面白かった。小泉武夫をインタビューしたのは神田の「くじらのお宿 一乃谷」。この店は私が勤めていた会社の近くで、何回かランチを食べに行ったし夜も何回か行った。小泉は発酵学者として知られるが、この本でのテーマは鯨。小泉は私より5歳年上だが、鯨に対する偏愛には同類を感じさせるものがあった。私どもの子どもの頃鯨は貴重品ではなく、学校の給食にもよく出てきた。牛や豚に比べると安価で大量に流通していたのだろう。宇能のインタビューは宇能の横浜の広壮な邸宅で行われた。宇能は今では官能小説家として広く認知されているが文壇デビューは芥川賞作の「鯨神」。小泉武夫とは鯨で繋がる。

1月某日
「墨東奇譚」(永井荷風 新潮文庫 昭和26年12月)を読む。墨東奇譚の墨にはサンズイがつき奇譚の奇には糸へんがつくのだが、私のパソコンの技術では出てこない。隅田川の東の物語というほどの意味であろう。永井荷風の小説を読むのは初めてであるが面白かった。昭和初期、大江匡という小説家が玉ノ井あたりでにわか雨に会う。持参の傘をさすと「檀那、そこまで入れてってよ。」と若い女が入ってくる。大江とお雪と名乗る娼婦の出会いである。本文中ではお雪は娼婦とは明示されていないが、当時の玉ノ井は有名な私娼窟であることからそう解釈されているようだ。お雪は大江と所帯を持つことを望むが、大江の足は次第に遠のいて行く。大江はときにお雪との出会いを思い出す。「わたくしとお雪とは、互いに其本名も其住所も知らずにしまった。…一たび別れてしまえば生涯相逢うべき機会も手段もない間柄である」。うーん、何とも風情がある。小説は大江すなわち作家の荷風が、お雪のことを切なく思い出すシーンで終わる。終った後に「作家贅言」として荷風の、その時代への想いが綴られるがこれが面白い。当時の慶應の学生とOBが野球見物(早慶戦であろう)の帰りに銀座によって乱暴狼藉を働く。かつて三田で教鞭をとったことがあったが早く辞めたのは賢明であったと書く。さらに慶應の経営者から「三田の文学も稲門に負けないように尽力していただきたい」と言われ、文学を学生野球と同列に論じていると憤慨している。

モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
厚労省1階のロビーで社保研ティラーレ社長の佐藤聖子さんと待ち合わせ。時間より10分ほど早く到着したらすでに佐藤社長は来ていた。早速、社会・援護局の山本麻里局長を訪問、4月の「地方から考える社会保障フォーラム」への参加をお願いする。演題は「コロナ禍の経験を踏まえた地位K時共生社会の実現」に決まった。

1月某日
珍しく雪が降り、今朝起きてみると雪が残っていた。雪を避けて歩いていたらぎっくり腰になってしまった。マッサージの先生に話すと「広い意味で雪害ですね」。今週は毎日、マッサージに通うことになった。

1月某日
「彼岸花が咲く島」(李琴峰 文藝春秋 2021年6月)を読む。今年の芥川賞受賞作だ。李は1989年台湾生まれ、2013年に来日というから24歳の頃。台湾にいるころから日本語を習得していたというが、それにしても日本語で小説を書いてしまうなんてすごいことだと思う。大海原にポツンと浮かぶ島が小説の舞台でタイトルともなった「彼岸花が咲く島」だ。島に流れ着いた少女と、その少女を助けた島の少女が主人公だ。「本作はフィクションで、作中に登場する島は架空の島です」と注意書きが付けられているが、沖縄列島の先の方、台湾に近い島であろう。この島では〈ニホン語〉と〈女語〉(ジョゴ)と二つの言語が話されているが〈ニホン語〉は島固有の方言であり〈女語〉は現代日本語に近い。二人の少女はノロ(巫女)を目指し、試験に合格してノロとなる。ノロの長老、大ノロから島の歴史が語られる。私はこの小説を読んで、日本という国の成り立ちについて考えることになった。単一の言語を話す単一民族の国と思われがちだが、北方には独自の文化と言葉を持つアイヌ民族がいるし、沖縄にも独特な方言と文化がある。万世一系の天皇の支配した大和朝廷だけが日本ではないのだ。

1月某日
BSプレミアムでアメリカ映画「悲しみは空の彼方に」を観る。アメリカでも日本でも1959年に公開されている。ストーリーは夫を早くに亡くしながらも舞台女優を目指すローラは、娘のスージーとニューヨーク郊外の海水浴場へ遊びに来ていたが娘とはぐれてしまう。娘は黒人女性アーニーの娘サラジェーンと遊びに興じていた。失業中のアーニー親子をローラは家に招く。アーニーは料理の腕を活かしてローラの家に住み込みで働くことになる。アーニー親子は母親は外見上も黒人だが、娘のサラジェーンは父親が白人だったことから見た目は白人と変わらない。ローラは舞台女優として成功し映画界にも進出し、富と名声を得る。これだったらハッピーエンドだが、この映画はここで暗転する。ローラ綾子もアーニーも人間は人種によって差別されてはならないという考えを持っているが、サラジェーンは白人として生きてゆこうとする。家出したサラジェーンは踊子として生きてゆく。人種差別を禁止した公民権法案は1964年である。この映画が法案の成立の後押しをした可能性がある。アーニーは死んで黒人霊歌が歌われ荘厳な葬儀が営まれる。葬列が進む中、喪服のサラジェーンが葬列に近付き母の棺に泣いて謝罪する。アメリカ開拓期の黒人奴隷の存在はアメリカの恥である。南北戦争後も続いた黒人差別も同様である。日本人も偉そうなことは言えない。今も続いている部落差別、明治以降の中国人や朝鮮人差別、沖縄やアイヌへの差別、これらに真剣に向き合うことなくして日本の民主主義はありえないと思う。

1月某日
「乃南アサ短編傑作篇 岬にて」(新潮文庫 平成28年3月)を読む。著者が新潮社から出版した短編集の中から「傑作」を集めたということらしい。読んだ記憶のあるものが何篇かあるのもそのためだろう。乃南アサって長編もうまいが短編も巧みですね。終り方も人情味あふれるものがあり、ホラー的な終わり方があり、破滅的な終わり方もある。作者の人物造形の巧みさによるところが大きいのだろうが、今回、気が付いたのは地方もの(高知、宇和島、知床)、伝統芸能もの(能面づくり、陶芸)などで、風景描写や伝統芸の周辺描写も巧みさに驚いた。取材も並大抵ではないと思う。

モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
「可能性としての戦後以降」(加藤典洋 2020年4月 岩波現代文庫)を読む。加藤は1948年生まれ、2019年に亡くなっている。本書の単行本は1999年3月に岩波書店から刊行された。Ⅲ部構成で先ほどⅠ部の「『日本人』の成立」を読みおわった。初出は明治学院論叢「国際学研究」第2号(1988年3月)である。自分が日本人であると意識するのはどういうときか? 湾岸戦争や中東危機のとき、自衛隊の艦船や兵員、航空機が派遣されるとかすべきでないとか議論されたとき、日本はどうなるんだ、日本人としてどうすべきだ、というふうに考えたのは事実だし、東日本大震災のときも、そしてコロナ禍の今も、そんなことを考える。アメリカはイギリスから脱出した清教徒がアメリカ東海岸にたどり着いて独立宣言を発出したのが国の始まりだし、中国は辛亥革命、抗日戦争、国共内戦を経て中華人民共和国の成立が宣言された。同じようにフランスはフランス革命の結果、共和国となり、イギリスは名誉革命を経て立憲民主国家となった。日本はどうか。3~4世紀に九州北部から近畿地方にかけて部族国家が成立し、中国大陸との交渉があったのは歴史的な事実だ。その国家の一つが邪馬台国である。
しかしこの頃はわれわれの先祖は日本人ではなく倭人と称していた。日本書紀の成立が720年で完成まで40年を要したというから日本という呼称は600年代、7世紀にはすでに使われていたのではないか。加藤は「『日本書紀』を作っているのは、『日本人』になろうとする「倭人」たちなのである」と書いているが、うまいことを言うね。いくつかの部族国家がまとまって倭国が成立したと思われるが、その長は大王(おおきみ)と呼ばれた。天皇と呼ばれるようになったのは雄略の頃だったか。高句麗人、新羅人、百済人と並んで倭人(日本人)がいた。日本海を通じて朝鮮半島と日本列島は親密な交流があり、日本と百済の連合軍が新羅に敗れた白村江の戦いなどの戦争行為もあった。朝鮮半島から日本への移住も盛んで、仏教や最新の文物、技術とともに日本に移り住んだ彼らは帰化人と呼ばれた。蘇我氏の先祖も帰化人という説もあり、天皇の妃が朝鮮半島の出身という例もある。どうも日本人が朝鮮人や中国人を差別するようになったのは明治以降らしい。これはやはり恥ずべきことと言わざるを得ない。

1月某日
社保研ティラーレに年始の挨拶。吉高会長と1時間ほど雑談。千代田線霞が関から町屋へ。「ときわ」で16時から大谷さんと呑む約束。「ときわ」に行くと16時30分からスタートと張り紙が。仕方ないので近くの蕎麦屋で生ビールで時間をつぶす。16時30分に「ときわ」に行くと7~8人の行列ができていた。栃尾油揚げやナマコを堪能。

1月某日
「カムカムエヴリバディ」を毎日欠かさず観ている。「カムカム」は1日に4回放映される。第1回目は朝7時30分からでNHKのBSプレミアム、2回目は8時30分からNHKで、同じものがお昼の12時45分から再放送、最後に11時からNHKBSプレミアムで。上白石萌音が主演した岡山編が年末で終わり、現在は深津絵里が上白石萌音の娘るいを演ずる大阪編だ。昭和38年頃の大阪だ。私はその頃、北海道の室蘭市で中学生だった。テレビが普及してきたが、映画は娯楽の王者の最後の光芒を放っていたように思う。るいが弁護士の卵と初デートで観に行った映画が「椿三十郎」。主演が三船敏郎、敵役が仲代達矢。私も観ましたね。「カムカム」もそうだがNHKの朝のテレビ小説って、戦争の影が色濃く残っているのが多い。「ひよっこ」ではヒロインの叔父さんがインパール帰りだったし、「エール」では作曲家の主人公が戦地慰問をするし戦意高揚の曲も作っている。日中戦争から太平洋戦争に至る「この前の戦争」は日本にとって大変な戦争だったんだと改めて思う。

1月某日
NHKBSの「呑み鉄本線日本旅」を観る。俳優の六角精児が地方の鉄道に乗るという趣旨の番組なのだが、ゆく先々の美味いもの美味しい酒との出会いも見どころ。今日は宗谷本線を起点の旭川から終点の稚内まで。美味しいものは稚内での水ダコのしゃぶしゃぶ、美味しい酒は日本最北端の「ブルアリー」での地ビール、ここのビールには白樺の樹液が入っているそうだ。