モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「他者の靴を履く-アナ―キック・エンパシーのすすめ」(ブレイディみかこ 文藝春秋 2021年6月)を読む。「はじめに」に次のようにある。「2019年に『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を出した。(中略)本の中の一つの章に、たった4ページだけ登場する言葉が独り歩きを始め、多くの人々がそれについて語り合うようになったのだ」。その言葉がエンパシーだ。「ぼくはイエローで」の目次を開いてみると、5章のタイトルが「誰かの靴を履いてみること」となっている。中学生の息子の期末試験に「エンパシーとは何か」という問題が出て、息子は「自分で誰かの靴を履いてみること」と書いて、「余裕で満点とれた」そうである。著者が英英辞典で確認すると「エンパシー…他者の感情や経験を理解する能力」「シンパシー…1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと2.3.(略)」とあった。エンパシーは能力なのに対してシンパシーは感情である。関東大震災の後、大逆罪の容疑で逮捕起訴され死刑の判決を受け、後に無期懲役に減刑されたが、獄中で縊死した金子文子というアナキストがいた。彼女の獄中で書いた短歌に「塩からきめざしあぶるよ 女看守のくらしもさして 楽にはあらまじ」というのがある。反天皇制を唱えていた文子にとって看守は敵側の人間だ。しかし文子はめざしの匂いをかいで、女看守の質素な暮らしぶりを想像してしまう。「ああ、あの人の生活もきっとそんなに楽ではないんだろうと」。これがエンパシーである。獄中において懲役人は看守に対してシンパシーを感じることはない。しかし文子はエンパシーを感じるのである。文子は母や祖母から虐待され満足な教育も受けていない。しかし独学で文字を学び、獄中で自叙伝も著している。

10月某日
社保研ティラーレで吉高会長、佐藤社長と歓談。吉高会長とは岸田新総理に「消極的期待感」を持つことで一致した。私の考えでは岸田の抱くイデオロギーは宏池会の直系らしく修正資本主義だと思う。極端な富の集中を防ぎ、所得の再分配を重視するいわばケインズ主義だ。安倍や菅が抱いている新自由主義とは一線を画する。とは言え安倍の属する細田派の支援もあって自民党総裁の座を手に入れたのだから露骨な政策の舵切りも出来ない。政調会長に安倍と価値観を共有する高市早苗を選んだのも、安倍の意向を無視できない岸田の思惑だろう。社保研ティラーレを出て、居酒屋「鳥千」へ。年友企画の石津さんを呼んで一緒に呑む。

10月某日
「主権者のいない国」(白井聡 講談社 2021年3月)を読む。過激な政権批判で知られる白井だが研究者としての出発はレーニンの思想だ。世に知られるきっかけとなった著作も「未完のレーニンー〈力〉の思想を読む」だ。「主権者のいない国」も政権批判論が並んでいるが、私は白井が現在の上皇が退位の意向を表明するためにビデオ出演して発出した「おことば」を評価していることに注目したい。白井によると「おことば」は「天皇たるもの、ただ生きて存在しているだけでは不十分であり、『動き』、国民との交流を深め、それに基づいた『祈り』を実行することによってのみ、『国民統合の象徴』たりえるとの認識を強く示した」という。右派さらに言えば「ネトウヨ」から毛嫌いされている白井だが、現上皇の思想と行動を一貫して支持している。本書には西部邁や廣松渉に関する小文も掲載されている。両者とも晩年に西部は「反米保守」を自認し、廣松は「日中を軸に『東亜』の新体制」を唱えた。両者には60年安保ブントの指導者だったという共通点がある。白井にも言えることだが、単純な右派左派論ではわかりえない人物に優れモノが多いということか。

10月某日
北千住で小学校以来の友人の山本クンと待ち合わせ。5時の待ち合わせ時間よりだいぶ早く着いたので駅ビルに併設されているルミネに入る。9階の書店「BOOK1ST.」へ入る。桐野夏生の新刊本があったので購入する。新聞の書評にも広告にも見かけたことがなかったので多分、印刷されたばかりなのだろう。奥付を見ると「2021年10月30日 第一刷発行」となっていた。エレベーターホールの椅子に座って読み始める。待ち合わせの時間が近づいたのでエレベーターで駅改札へ。山本クンはすでに待っていた。今日の目当ての店は「室蘭焼き鳥の店 くに宏」。開店直後だったので客は私たち2人だけ。生ビールで乾杯の後、室蘭焼き鳥と卵焼きを頼む。室蘭焼き鳥は豚肉が主で、肉と肉の間に玉ねぎがはさんであるのが特徴。山本クンとは考えてみると70年近い付き合いだ。

10月某日
「砂に埋もれる犬」(桐野夏生 朝日新聞出版 2021年10月)を読む。タイトルの「砂に埋もれる犬」とは何を指すか? 私の考えではこれはこの小説の主人公である優真のことである。優真は母親の育児放棄によりろくに食事も与えられず、母親と母親の同居人から暴力を日常的に加えられる。児童養護施設に入った優真はコンビニの経営者夫妻から養子縁組を希望される。生まれて初めて満足な食事と環境を与えられた優真は満足しながらも戸惑いも覚える。中学に進んだ優真はクラスに馴染めないままクラスメートの熊沢花梨に幼い恋心を抱く。しかし花梨に拒絶された優真は花梨に害意を抱きナイフを購入する…。いつもながらの桐野ワールドで500ページほどの大著を1日半で読み終えてしまった。桐野の小説を現代のプロレタリア文学と称したのは白井聡だが、この構造は「砂に埋もれる犬」にこそ当てはまる。プロレタリアは優真でありブルジョアの代表が熊沢家である。優真の蜂起は未遂に終わる。そこでこの小説も終わるのだが、優真の「階級闘争」はこれからも続くのか?

モリちゃんの酒中日記 9月その4

9月某日
我孫子市民図書館は図書館単独の施設ではなく、集会室や学習室、喫茶店なども含んだ複合施設で全体をアビスタと称している。アビコとスタディを組み合わせたらしい。選挙の投票所にも使われるホールで「大逆事件針文字文書の発見」という講演会があるので聴きに行くことにする。針文字書簡というのは大逆事件で死刑になった菅野須賀子が獄中から、当時朝日新新聞の記者であった杉村楚人冠宛に弁護士の紹介を依頼し併せて幸徳秋水の無罪を訴えたものだ。紙に針で突いて文字を書き、一見すると白紙のように見えるらしい。講師は元我孫子市史編集委員の小林康達氏。小林先生は宇都宮生まれ、東京教育大学」(現筑波大学)を卒業後、千葉県で高校の教師となり我孫子高校に赴任した際に杉村楚人冠の旧居の整理をして針文字書簡を発見した。菅野須賀子は和歌山の新宮で地方紙の記者をしていたことがあって、そのとき楚人冠は東京から記事を送っていたというつながりらしい。ブレイディみかこ、栗原康の著作を読んで無政府主義に興味を持ち、大杉栄とその甥とともに関東大震災時に殺害された伊藤野枝の生涯を描いた「風よ 嵐よ」(村山由佳)を読んで、さらに無政府主義者に共感を抱くようになった。針文字書簡の現物が楚人冠の旧居に展示されているということなので早速、見に行こうと思う。

9月某日
社保研ティラーレの吉高会長からスマホに電話。11月に予定している地方議員向けの「地方から考える社会保障フォーラム」の集客がいま一つらしい。コロナ禍では致し方ないとすべきか。3時頃に伺いますと言って電話を切る。東京に出かけるのは10日ぶりである。吉高さんは地元、山口県の高校を卒業後、武田薬品に入社し労働組合の専従を経て、産別の副会長に就任。中医協の委員も務めた労働界の大物である。話題が豊富で自分の意見をきちんと言う人なので話していて楽しい。この日も1時間ほど話して帰る。帰りの電車の中で「そのへんをどのように受け止めてらっしゃるか」(能町みね子 文春文庫 2020年9月)を読む。巻末に「本書は『週刊文春』の連載『言葉尻とらえ隊』(2018年6月21日号~2020年4月16日号)を選抜・改稿し、まとめてものです」とある。週刊文春は毎号読んでいるのだが、「言葉尻とらえ隊」はほとんど読んだことがなかった。今回読んでみて能町みね子は極めて真っ当なことを書いていると思った。幻冬舎の見城社長や三浦瑠偉に対する(好意的ではない)評価には共感するし、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」の一連の「騒動」に対する見解にも同意する。ウイキペディアで能町みね子を検索したら北海道生まれで茨城県育ち、土浦一高を卒業後、東大文Ⅲに入学とあった。秀才なんだ。もともとは男性で性転換手術を受けたんだって。知らなかったなー。

9月某日
杉村楚人冠記念館を訪問。家から歩いて8分くらい。杉村楚人冠の家と庭園を保存して一般に公開している。入館料は300円だが私は障害者手帳を見せ無料。現在は企画展「弱者へのまなざし-幸徳秋水・堺利彦・杉村楚人冠の交流」を開催中だ。大逆事件の被告だった菅野須賀子が楚人冠に送った「針文字文書」も展示されていた。針で突いたような文字がかすかに窺える。今から110年ほど前菅野須賀子が実際に書いたのかと思うと感慨深い。旧居を出て庭園を散策する。往時はここから手賀沼が見えたそうだ。我孫子が文人の街とか北の鎌倉と呼ばれたことも「さもありなん」と思う。楚人冠はここから蒸気機関車に曳かれた客車に乗って東京の朝日新聞社まで通ったのだろうか。

9月某日
昨日の自民党総裁選挙では決選投票で岸田が圧勝した。河野は予想よりもかなり票を減らしたが、安倍元首相が電話で多くの議員に圧力をかけたらしい。河野に石破が付いたことが気に入らないらしい。なんか自民党の総裁選挙もスケールが小さくなったという感じ。昔のように札束が乱れ飛ぶ総裁選はいただけないが、ポスト佐藤の田中VS福田の戦いは見どころがあった。高度経済施長路線の田中に対して福田は安定経済成長を主張した。総裁選では田中が勝利したが、オイルショックにより日本は狂乱物価に見舞われ、田中自身も金脈を追求され、退陣を余儀なくされた。今から思うと福田の安定成長路線が正しかったわけで、福田は「政策で勝って、政争で負けた」と言われた(評伝・福田赳夫に詳しい)。安倍元首相の属する細田派はもとをただせば福田派である。福田派の源流は岸派だからタカ派のイメージがあるけれども、福田赳夫の考え方自体はもっとリベラルであったようだ。「評伝・福田赳夫」を読んで以来、宏池会(現在の岸田派)=ハト派、清話会(細田派)=タカ派というイメージが揺らぎつつある。しかし岸田の所得の再分配を重視するというのは歓迎できる。清話会も安倍のようなタカ派路線ではなく、福田赳夫の路線を継承すべきだ。今回、総務会長に就任する福田赳夫の孫に頑張ってもらいたい。

モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
「我が産声を聞きに」(白石一文 講談社 2021年3月)を読む。英語学校の非常勤講師と自宅での英会話の個人レッスンを続けている名香子は47歳、夫の良治は54歳、大手家電メーカーの研究職、一人娘の真理恵は早稲田大学の建築学科の2年生で大学進学を契機に一人暮らし。名香子は良治とともに良治のがん検診の結果を聞きにがんセンターへ向かう。初期の肺がんとの結果を聞いた後、二人で食事へ。食事の席で良治から聞かされたのは、好きな人がいる、その人と暮らしたいので家を出るという衝撃の告白。困惑する名香子の心理と行動を描くというのが、この小説のストーリーだ。小学生の名香子は捨てられた子猫と出会いミーコと名付けて飼い猫とするが、母の貴和子に猫の毛アレルギーが出て、ミーコは貰われていった。良治と結婚してしばらく経って庭に幼い猫が迷い込んできた。この猫もミーコと名付け一家で可愛がるのだが、良治の不手際から失踪してしまう。良治が家を出てからしばらくしての朝、庭で子猫の鳴き声がする。この小説は「『ミーコ、お帰り』/そう呟いて、彼女は一歩一歩、猫の鳴き声のする草むらへと近づいていく。」という文章で終わる。子猫が名香子の再生の象徴となっていると私は読みました。そしてもう一つ。実家の貴和子から手渡された句集の一句に小さな丸い印が付いていた。その句は「初みくじ凶なり戦い甲斐ある年だ」。これは母親から名香子へのメッセージなのだが、作者から読者へのメッセージでもあるように私には思えた。

9月某日
近所の鍼灸接骨院へ通っている。週2回、週1回は電気とマッサージ、あと1回はこれに鍼が加わる。鍼は昔、週1回ほど中国鍼に通っていたことがある。目黒の王先生のところだ。王先生は中国出身だが、文化大革命で迫害されて日本に来たそうだ。いつだったか尖閣列島問題についてどう思うか聞かれ、私が口よどんでいると「日本人はもっと毅然としなければダメよ」とそれこそ毅然と言われてしまった。中国共産党嫌いは徹底していると思ったものだが、現在の習近平指導部を見ると王先生の見方は正しかったという他ない。ネットで調べると目黒の店は閉店したようで、立川と国立で「こらんこらん」という鍼灸マッサージ院を経営しているみたいだ。

9月某日
ご近所シリーズ。床屋は近所の「髪工房」を利用している。11時頃、店を覗いたら平日にもかかわらず4人ほどが待っていた。我孫子の農産物を売っている「アビコン」が近くなので寄ってみると今日は休み。「髪工房」まで戻ると待ち客は二人に減っていたので待つことにする。平日なので空いていると思ったのが間違いのようで、本日の利用者は私も含めて全員が老人。年金受給者にとっては毎日が日曜日なのである。「髪工房」は私より少し年上のご主人とその娘さんの二人でやっている。店を出るときのお二人の「ありがとうございました」の声が心地よい。今日は「アビコン」まで足を延ばしたので万歩計は9000歩を超えていた。

9月某日
「武器としての『資本論』」(白井聡 東洋経済新報社 2020年4月)を読む。昨年の4月に初刷りが出て7月に第7刷が発行されているから、この種の本というかマルクス関係の本としては異例の売れ行きではなかろうか。斎藤幸平の「人新世の『資本論』」(2020年9月)も増刷を重ねているから、マルクスは再び注目を集められているのかも知れない。私たちが学生の頃は初期マルクスの「経済学哲学草稿」や「ドイツイデオロギー」がよく読まれていた。内容をよく理解したとは思えないが、前者では「資本制社会では人間が自らが産み出したものから敵対(疎外)される」こと後者からは「将来の共産主義社会の自由なイメージ」を読み取ったような記憶がある。さて今、なぜ資本論なのだろうか?私が白井の著作を読んで感じたことは資本制社会(現代社会)の有限性ということだ。資本制社会に先行する社会、ヨーロッパや中国、日本の封建社会も有限だったし、中央集権的な封建国家も部族的な封建国家がもとになっている。資本制社会にも理屈としては「次の社会」が待っているのだろう。マルクスはその社会を共産主義社会と予見した。今の資本制社会を永続的な社会として見るのではなく、「次の社会」はどうあるべきなのかという視点を持つことは重要なことだと思う。

9月某日
「めだか、太平洋を往け」(重松清 幻冬舎文庫 2021年8月)を読む。重松が得意とする教師もの。今回の主人公はアンミツ先生、22歳で教師となり60歳の定年まで勤めあげ、定年後はさらに一年、再雇用で教師を続けた。同僚だった夫は五年前にすい臓がんで世を去り、娘はカナダで働いている。息子の健夫は妻の薫とともに自動車事故で死亡、遺された孫の翔也を引き取ることになる。翔也は薫の連れ子で健夫と血縁関係はない。アンミツ先生は63歳にして血縁関係のない孫と二人の生活を東京郊外で始めることになる。ここを主舞台とすると副舞台は東日本大震災の被災地、北三陸市。アンミツ先生の教え子のキックがボランティアで復興に取り組んでいる。タイトルはアンミツ先生が6年生を担任したとき、卒業式の日に「太平洋を泳ぐめだかになりなさい」とスピーチしたことから。この小説は2012年12月から2014年4月まで十勝毎日新聞、神奈川新聞など地方紙16紙で連載された。小説で描かれる時期も震災の翌年だからほぼリアルタイムで震災後が舞台となっている。この小説に底流として流れているのは死と再生の物語である。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「偉い人ほどすぐ逃げる」(武田砂鉄 文藝春秋 2021年5月)を読む。著者の武田は1982年生まれ、ということは今年39歳か。私の息子の年代である。河出書房新社を経て2014年からフリーライター。かなり人気があるようで、この本にも「この本は、次の人が予約してまってます。読みおわったらなるべく早くお返しください」という図書館からのメッセージが貼られていたし、奥付を見ると初刷が5月23日で早くも8月20日には3刷となっている。2016年から純文学の雑誌とされている「文学界」に「時事殺し」として連載されたものから選び抜いて一冊にして出版したものだ。保守かリベラルかという範疇からすると武田は間違いなくリベラルである。本書にも保守派との論争がいくつか出てくるが、相手の論理が破綻していることを指摘するのに容赦がない。武田が相手にしたのは保守派を自称する非論理的な右派に過ぎないということももちろんある。武田は東京オリンピックの開催に反対し本書でも第3章のタイトルは「五輪を止める」となっている。そのなかで新国立競技場建設のために国立競技場に隣接していた都営霞ヶ丘アパートが解体され住民が追い出されたことが記されている。私はオリパラに関してさしたる興味もなかったが、競技のテレビ画像を漫然と追っていた。当初は既存の施設の活用により安上がりな五輪を目指していたのにいつの間にかオオゴトになってしまった。民主的な手続きを経ているとは思えない。そしてそれを見過ごしている私たち。本書はコロナ禍の市民、国民にも問うている。

9月某日
先日、頂いた商品券で柏の高島屋でウイスキーを買うことにする。地下2階の酒売り場に行く。ウイスキーのコーナーで品定め。いつもは千円~二千円のウイスキーを買っているのだが、今回は奮発してHIGHLAND PARKの12年物、4620円(税込み)を買うことにする。家へ帰ってネットで調べるとスコットランド最北端の蒸留所で、評価も高かった。さらにネットで調べると、その蒸留所はオークニー諸島にあり、この島々は古くはバイキングの支配下にあったという。それでこのウイスキーの箱には「THE ORKNEY SINGLE MALT WITH VIKING SOUL」と記されているわけだ。きっとオークニー諸島の住民は誇り高きバイキングの末裔なのだろう。

9月某日
「尊王攘夷-水戸学の四百年」(片山杜秀 新潮選書 2021年5月)を読む。片山杜秀は慶應大学法学部教授で日本政治思想史の研究者であると同時に音楽評論家としても活躍している。学部は慶應大学法学部だが大学院は橋川文三のいた明治大学大学院に進んでいる。本書は雑誌連載(新潮45、新潮)をもとにしていることもあって、尊王攘夷や水戸学にまつわる幅広いテーマに着目しており、普通の歴史書にはない楽しさがあった。明治維新の捉え方にしても「薩長土肥が連合して幕府を倒した」という従来の見方に対して「天皇が政治に前面化する不可逆的なきっかけを作って、維新への流れを動かしがたいものにしたのは、徳川斉昭に感化された阿部正弘で、その不可逆性を可逆性と思って引き戻そうとし、失敗したのが井伊直弼で、不可逆的な流れを最終到達点まで導いたのは、これもまた斉昭が徹底教育した息子の徳川慶喜だった」という見解が示される。また三島由紀夫(本名・平岡公毅)は祖母に溺愛されて育てられたことは知られているが、その祖母、平岡なつの母は永井高で、水戸藩の支藩、宍戸藩のお姫様であった。永井高の兄、宍戸藩主の徳川頼徳は水戸藩の内紛の鎮撫を命ぜられるが果たせず、切腹させられる。菅義偉の敬愛する政治家、梶山清六は祖父の静から静の父の弟、梶山敬介が天狗党に参加し各地を転戦の後、越前敦賀で武田耕運斎や藤田小四郎らと処刑されていると聞かされた。現在放映されているNHKの大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一も熊谷の豪農出身だが尊王攘夷に目覚め高崎城を襲って銃を奪い、横浜の外人居留地を襲う計画を立てたが従弟に説得され未遂に終わる。幕末、維新期は小説、映画、テレビドラマの舞台となることも多いが、それだけ血なまぐさい時代だったとも言える。

9月某日
銀座の弁護士事務所で打ち合わせ。その後、大谷さんと呑みに行くことになっている。弁護士事務所を出た後で大谷さんから電話、近くにいるらしい。山形県のアンテナショップ前で待ち合わせて有楽町のガード下へ向かう。オープンしたてらしい「アジェ有楽町」という焼肉屋へ入る。店の女の子によると京都が本店で大阪、金沢にも店があるという。なかなか美味しかったし値段もリーズナブルであった。久しぶりの外呑みであった。

9月某日
図書館で借りた「評伝 福田赳夫 五百旗頭真監修 井上正也 上西朗夫 長瀬要石 岩波書店 2021年6月」を読む。田中角栄や大平正芳に比べて福田を論じた書物は少ないそうだ。田中は庶民宰相として圧倒的な人気を図りながらロッキード事件で退陣を余儀なくされた後も闇将軍として権力の座にこだわった。大平は田中の盟友として田中の積極財政を引き継ぎ、総選挙の最中に急死する。福田は三木から政権を引き継いだ後、2年で大平・田中連合に総裁選に敗れ退陣する。福田は岸信介の直系ということもあって、私の頭の中では長く自民党右派の位置づけであった。事実、福田派を引き継ぐ清話会は安倍晋三の長期政権を支え、今回の総裁選挙でも安倍はタカ派の高市早苗の支持をいち早く打ち出している。しかし「評伝 福田赳夫」を読むと今まで私が描いていた福田赳夫像とは異なるイメージが浮かんでくる。福田は大蔵官僚として主計局長まで務め日本の財政について、責任ある見解を抱いていたし、その背景には後にOBサミットに結実する地球の未来、有限な環境資源に対する深い洞察があった。本書に「第一次オイルショックからの勃発から約五年、福田は一貫して日本の経済政策を主導した。それは日本経済が高度成長から安定成長へと移行する過渡期であった」という文章がある。福田亡き後、日本経済は安定成長からゼロ成長、マイナス成長へと陥る。米国に次いで世界第二位の経済大国という座を滑り落ちても久しい。日本はどこへ行くのか。福田を評する言葉に「政策の勝者、政争の敗者」がある。裏返すと政策の敗者が政争で勝利してきたわけである。少子化が進む現在、日本には後がないと思うのだが。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
「太平洋戦争への道 1931-1941」(NHK出版新書 半藤一利 加藤陽子 保阪正康 2021年7月)を読む。半藤一利は今年1月に亡くなった、昭和史を中心に多くの作品を残した作家で元文藝春秋社の編集者。加藤陽子は日本近代史を専攻する学者で東大教授。保阪正康は日本帝国主義の勃興と没落を追うジャーナリスト。半藤は1930年生まれ、保阪は1939年生まれ、加藤は1960年生まれだ。保阪は蒋介石の次男の蔣緯国の話として「日本の軍人は単純に言えば歴史観がないのだろう」という言葉を紹介している。加藤は1940(昭和15)年に締結された日独伊三国軍事同盟と太平洋戦争について次のように言う。1940年6月にフランスがドイツに降伏し、ドイツと戦争をしているのはイギリスだけとなった(ドイツがソ連に侵攻するのは翌年の6月、アメリカが参戦するのは日本の真珠湾攻撃以降である)。イギリスがドイツに負けると東南アジアのイギリスの植民地はドイツに奪われてしまう(仏領インドシナ、蘭領インドネシアも)。それを回避するためにも軍事同盟を締結したという見方である。東アジアを西欧の帝国主義から解放するというのが大東亜戦争のイデオロギーだったはずだが、この見方からすると日本は何ともみみっちい。半藤は「学ぶべき教訓」として、不勉強な人たちが指導者になって、自分たちの勢いに任せた判断をやってきたとし「判断の間違いが積み重なって、どうにもならないところまできて、戦争になってしまった」と書いている。何やら後追いを繰り返す現代のコロナ対策を見ているようである。

9月某日
菅首相が自民党の総裁選挙に出ないことを表明。すでに出馬を宣言している岸田文雄に勝ち目がないと判断したのか。菅の不出馬を受けて河野太郎、野田聖子も立候補の意向を発している。石破、下村も立候補を検討しているという。菅の不出馬表明により自民党の総裁選挙が一気に注目度を集めている。総裁選挙には自民党員以外には投票権はない。しかしながら自民党の総裁に選ばれると、国会で自民党と公明党の議員により総理大臣に選出される。現状では自民党の総裁選挙は次期首相の選出と同じ意味なのだ。菅政権は安倍政権を引き継いだ。閣僚も引き継いだしイデオロギーも引き継いだ。安倍前首相はイデオロギー的に近い高市早苗を支援するという。自民党は政策的にもイデオロギー的にも幅広い民意を代表している。改憲派もいるし護憲派もいる。改憲派のなかにも自主防衛派もいれば国連中心主義者もいる。社会保障についても自助努力を重視する人もいれば所得の再分配を重視する人もいる。今度の総裁選ではそこいら辺のことを自由闊達に議論してほしい。

9月某日
「岩倉具視-言葉の皮を剥きながら」(永井路子 文藝春秋 2008年3月)を読む。岩倉具視はNHKの大河ドラマでは「青天を衝け」では山内圭哉が、「西郷どん」では笑福亭鶴瓶が演じている。演じている役者にもよるのだろうが、どちらかというと「怪物」のイメージがある。ドラマでも主役にはなりえない。お札でも「五百円札」だからね。平安時代の昔から公家には家格があり昇進できる位が決まっていた。岩倉具視の家格は低く下級公家、永井によると「村上源氏系の久我(こが)家の庶流で家禄百五十石、下級の小公家にすぎない」という。その下級の小公家が幕末、明治維新という革命期に活躍した。いくつかの偶然が作用した。具視の妹が孝明天皇の側に上がり、具視も侍従として天皇の側近となった。禍福は糾える縄の如し、やがて具視は任を解かれ京都郊外の岩倉村に蟄居させられる。ここで具視は倒幕の構想を練ることになる。尊王攘夷というが幕末も押し迫ってくると攘夷派の影は薄くなる。こてこての攘夷主義者とされる孝明天皇も晩年には開国やむなしに至っていたようだ。具視は尊王倒幕を掲げる原理主義者、理想主義者であったわけだが、政治的には徹底した現実主義者だったのだ。この頃の自民党政治を見ると、理想は一向に語られず一方で現実からも目を背けているような気がするのだが。

9月某日
「ラーメン煮えたもご存じない」(田辺聖子 新潮文庫 昭和55年4月)を読む。巻末に「この作品は昭和52年2月新潮社より刊行された」とある。120編余りのエッセーが収録されていて文中で「夕刊フジ」に連載されていたことが分かる。ということは昭和50(1975)年頃、連載されていたのだろうか。今から50年近く前に連載されていたものだが、まったくと言っていいほど「古さ」を感じさせない。私はその頃、学校を卒業して初めての職場だった写植屋を辞めて、駒込の日本木工新聞社という業界紙の記者をしていた。「田辺聖子」という名前くらいは知っていたかもしれないが、まったく興味はなかった。田辺先生を読み始めるのは年友企画に入社して以降で、山本周五郎や藤沢周平、司馬遼太郎などと並行して読んでいたように思う。当時、山本はすでに物故しており藤沢も司馬も21世紀になる前に亡くなっている。田辺先生は1928年生まれで2019年6月に亡くなっている。91歳と長命である。「夕刊フジ」はサラリーマン相手のタブロイド判の夕刊紙である。田辺先生も読者を意識してサラリーマンが帰りの電車で読んでも肩の凝らないような話題を選んでいる。しかし、時として田辺先生の硬派の顔が覗くときがある。台湾選手がオリンピックに出場できなかった(そんなこともあったのか)話題に触れて、「せっかく出ようといってるものを、帰すことはないと思うのだ」と率直である。その一方で中国革命を「人類のなしとげた仕事の中では、たいへんすばらしいものの一つだと思う」と評価する。公平なんだよね。「人、サムライたらんと欲せば」というエッセーでは「私は、男も女も、大丈夫、つまりサムライたるべきこと、とかたく信じている」と宣言し、「いや、サムライというのは、昔も今も、生きにくいのだ」と嘆じる。結論は「愛のために生き、愛のために死ぬ人は、サムライが義のために生き、義のために死ぬのと同じで、愛と義とは、人間にとって同義であるのだ」と格調高い。私は田辺先生と同時代を生きたことを幸せに思うものです。

モリちゃんの酒中日記 8月その4

8月某日
「メタボラ」(桐野夏生 朝日新聞 2007年5月)を読む。初出は「朝日新聞2005年11月28日~2006年12月21日」となっている。桐野の主要な著作は読んできたつもりだが「メタボラ」は読んでなかった。昨年、桐野の「日没」(岩波書店)の発売に合わせて雑誌「思想」で「桐野夏生の小説世界」を特集、白井聡が「桐野夏生とその時代-「OUT」「グロテスク」「メタボラ」について」という論文を発表していた。小説は森の中を逃げ惑う「僕」の描写から始まる。「僕」は自分が誰かもなぜこのような状況にあるのかも理解できない。理解できるのは自分が記憶喪失であるということだけだ。「僕」は森の中で若い男に出会う。男は伊良部昭光と名乗り、ここは沖縄本島で自分は宮古島出身であることを告げる。昭光は素行不良を叩きなおすために「独立塾」に入れられ、そこから脱走して「僕」に出会ったのだ。昭光と昭光からギンジと名付けられた「僕」の旅が始まる。白井聡は「OUT」や「グロテスク」と比べて「メタボラ」は「団結することや激しい共喰いの戦いに参加することのできない、無力で受動的な個人を物語の中心に据えることにより、一段高次のリアリズムを実践している。そしてその個人が、革命的な変容を内的に遂げるのである」と分析する。「革命的な変容」ね。確かに前回読んだ「インドラネット」の主人公も、ある事件に巻き込まれたことをきっかけに「革命的な変容」を遂げている。個人の変容、それも革命的な変容も桐野のテーマの一つと思う。

8月某日
特定危険指定暴力団、工藤会(北九州市)のトップに対して福岡地裁は死刑を言い渡した。このトップは昭和21年生まれの74歳、私の2歳上でほぼ同年代だ。中学から少年院に入れられた札付きの不良だったようだ。不良から暴力団のコースをたどるのは貧困などの家庭環境が大きいと私は思ってしまうが、この人の実家は北九州に幅広く土地を所有している農家で、若いころ博打に大負けすると実家の土地を売って処理したそうだ。母親の遺産として数億円を得ている。資金力と才覚で九州有数の暴力団トップに昇りつめたのだろう。ネットで週刊実話に連載されていた彼の手記を覗いたら、弁護士から差し入れられて「破天荒伝」を読んでいた。これは共産主義者同盟(戦旗)の指導者だった荒岱介(故人)の書いたもの。差し入れした弁護士の意図は分からないが、「すべての犯罪は革命的である」(平岡正明)ということか。4件の市民襲撃事件で殺人罪などに問われたことから死刑判決がなされたものだが、私はもともと死刑制度に反対なのでこの判決にも承認しかねる。死刑を廃止して終身刑を、というのが私の考えだ。

8月某日
「女ともだち」(角田光代、井上荒野、栗田有起、唯野未歩子、川上弘美 2010年3月 小学館)を読む。女流作家5名による「女ともだち」をテーマにしたアンソロジーである。栗田と唯野以外は私にとっては馴染みの作家である。発刊から11年を経過して栗田と唯野の名前は聞かない。もしかしたら文芸という市場から淘汰されてしまったのかも知れない。「女ともだち」がテーマであるが、各作品に出てくる女主人公が派遣社員であるのも共通している。白井聡ならば、派遣社員に関しては階級闘争の視点を抜きにしては論じないし、桐野夏生ならば、正社員との格差それからくる憎悪と蔑視が描かれるだろう。それに対して本作で描かれる派遣は、正社員以上に仕事ができるが会社(組織)に属していないことに誇りを持っている存在として描かれる。私としては2000年代の時代の描かれ方としては、総体として「甘い」といわざるを得ない。

8月某日
御茶ノ水の社会保険出版社で「真の成熟社会を求めて」の発送状況を聞く。神田の銀行に寄って社保研ティラーレに顔を出そうかと思うが、16時を過ぎていたので止める。「跳人」で一杯と思ったがオープンが17時からなので断念。おとなしく我孫子へ帰る。「しちりん」は今月いっぱい休業中で「コビアン」でビールでも飲むつもりが、ここも「酒類の提供をしていません」。コロナで世界中が大変なことになっているが、私としては外で呑めないのが一番困ります。帰りの電車で図書館から借りていた「なぜ秀吉は」(門井慶喜 毎日新聞出版 2021年5月)を読む。「朝鮮出兵をめぐる圧倒的な人間ドラマ」という惹句だが私にはピンと来なかった。ただ秀吉のころの日本が「東アジア世界で、いや、ヨーロッパをふくめても、世界一の軍事動員力を保持していた」というのにはいささか驚いた。作者によると秀吉が九州平定のために集めた兵力は総勢20万人に対し、同時代のフランスのユグノー戦争の規模は数万人だったという。日本人は好戦的な民族なのか?

8月某日
秀吉つながりで「智に働けば-石田三成像に迫る10の短編」(山田裕樹編 集英社文庫 2021年7月)を読む。豊臣政権では秀吉が総理大臣とすれば、三成は官房長官ということになろうか。五大老筆頭の徳川家康は副総理だ。とすれば関ヶ原合戦は副総理に官房長官が挑んだ戦いということになる。当時、家康の所領は関東に255万石、三成は近江佐和山19万石である。自民党の派閥でいえば家康派の議員255人に対して三成派は19人。三成に勝機があるとすれば派閥の合従連衡しかない。三成は西国の有力大名に声を掛け、毛利と島津は三成派の西軍に参加した。西軍に参加はしたが実際の参戦は見送り、東軍すなわち家康派は地滑り的な勝利を手にする。三成は自分を取り立ててくれた豊臣政権に恩義がある。政権奪取を目指す家康を許すことはできなかったのである。戦いに負けて捕らえられた三成は斬首される。これが戦国時代の厳しさである。

8月某日
地下鉄千代田線を霞ヶ関駅で下車、虎ノ門フォーラムを訪問。中村秀一理事長が不在だったので「真の成熟社会を求めて」を係の人に渡す。新橋烏森の「なんどき屋」でカメラマンの岡田明彦さんと待ち合わせ。16時待ち合わせに10分ほど早く着いたので生ビールを頼む。ジェムソンの水割りに切り替えたところで岡田さんが登場。「真の成熟社会を求めて」を手渡し。阿部正俊さんの思い出話しをする。岡田さんと二人で呑むのは何年ぶりだろうか。コロナ禍で外で呑むこと自体がほとんどなくなった。私としても久しぶりの「外呑み」。

8月某日
近所の床屋「髪工房」で散髪。散髪後、天ぷら屋の「程々」で「程々定食」。天ぷらに刺身、焼き魚、小鉢、しじみ汁。デザートとコーヒーが付いて1200円は安いと思う。我孫子産の野菜を売っているアビコンへ。雨が降ってきたのでアビコンの置き傘を拝借。15時30分に鍼灸マッサージの予約を入れている「絆」へ。今日は鍼を打って貰ったので、総額3,450円。
マッサージは健康保険が効くので450円、鍼治療は3,000円である。

モリちゃんの酒中日記 8月その3

8月某日
「インドラネット」(桐野夏生 角川書店 2021年5月)を読む。25歳の晃は志望大学に落ちて第三志望の法学部を卒業、IT企業の子会社で派遣社員として働いている。どうしようもない日常に抗うこともしない晃。晃の高校時代は輝いていた。長身でイケメンの空知がいつも一緒だったから。晃のもとにある日、空知の父俊一が死んだという知らせが届く。通夜に出席した晃はカンボジアで行方不明になっている空知の姉妹を捜してくれという依頼を受ける。晃は会社に退職届を出しカンボジアに飛び立つ。飛行機に乗るのも海外旅行も初めてなのに。カンボジアでは入国早々金を盗まれ、簡易宿泊所の受付でアルバイトをすることに。晃の周辺の日本人バックパッカーやカンボジアの人々、さらに怪しげなカンボジア在住の日本人実業家と触れあううちに晃はたくましく成長してゆく。アフガニスタンのカブールを反政府勢力タリバーンが占領、タリバーンはアフガン全土を掌握したようだ。「インドラネット」の舞台となったカンボジアも混沌とした政治状況だが、アフガンも同様だ。日本、韓国、中国などの東アジアは比較的安定しているが、北朝鮮や香港、ウイグル地区など不安定要素も抱える。私たち日本人は西欧的な価値観で事態を推し量りがちだが、アジア的な混沌という視点も必要かもしれない。

8月某日
社会保険出版社の高本社長を訪問。「真の成熟社会を求めて」の発送状況の報告を受ける。上野駅の不忍口で17時に大谷さんと待ち合わせ。上野駅の入谷口方面へ向かう。コロナ感染リスクは不忍口方面より入谷口方面の方が低い(大谷氏談)そうだ。入谷口の前にも入った居酒屋へ。生ビール、焼酎、カツオの刺身などを頼む。店に入ったときは客はまばらだったが、出るときはほぼ満席で若い人がほとんど。上野駅で大谷さんと別れ我孫子へ帰る。

8月某日
「あした、この国は崩壊する ポストコロナとMMT」(黒野伸一 ライブ・パブリッシング 2021年3月)を読む。惹句に曰く「経済理論に基づく新感覚近未来SF小説」。MMTとは現代貨幣理論のこと。この本でも大学教授に「国債を発行して財政支出を拡大することで、財政出動と同額だけ、民間の預金通貨は増えるんだから、緊縮財政なんてする必要はない。つまり国の赤字なんぞ気にせず、必要あらばドンドン国債を発行すればいいんだ」と主張させている。現実に日本政府もコロナ対策費は全額を国債で賄っていると見られる。国債発行残高は1000兆円を超えていると思われるが、国民の多くは、そして政治家の多くもあまり心配しているように見られない。長期にわたる不況で需要不足が続いている。経済はデフレ基調である。MMTのデメリットは通貨の膨張によるインフレだが、日本経済には当分、その心配はない。ということは金融当局の財務省も通貨の番人たる日銀もMMTを実践していることにならないか。

8月某日
阿部正俊さんの「真の成熟社会を求めて」を厚労省の書店、友愛書房に置いてもらおうと、運営している友愛十字会の蒲原基道理事長にお願いに行く。顧問をしている日本生命の日比谷オフィスを訪問。蒲原さんが年金局の企画課で係長をしていたときの課長が阿部さんで、仲人も阿部さんに頼んだという昔話も聞かせてくれた。蒲原さんに暑いから地下鉄の日比谷駅から真っ直ぐ帰りなさいよ、と忠告される。忠告に逆らって有楽町のガード下で生ビールと思ったがやっている店が見当たらない。上野の駅構内もダメ。松戸駅で途中下車したがここもダメ。コロナ自粛が徹底されているのが分かる。我孫子駅前の関野酒店でアイリッシュウイスキーのブッシュミルズを買って帰る。

8月某日
近所の整体院に通っている。週1回ほどで今日は3回目。会社を辞めるまでは神田や我孫子でマッサージに良く行っていた。今通っている「絆」という整体院は健康保険が効く。ただし保険が効くのはマッサージだけで電気治療やハリ治療は自費だ。本日はマッサージに電気治療をプラスして3000円でお釣りが来た。スタッフは青年である。患者は老人が多い。施術が終わり料金を払うと「ありがとうございます。気を付けてお帰りください」。ひとを老人扱使いするなと一瞬、思う。しかし実際、老人なんだよな。

モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
NHK BSで映画「緋牡丹博徒」を観る。全部で8作制作された緋牡丹博徒シリーズの第1作で主演が藤純子、子分役に山本麟一と待田京介、敵役の親分が大木実、藤純子の助っ人が高倉健、藤純子に好意的な親分さんに若山富三郎とその妹に清川虹子という豪華布陣。公開は1968年。シリーズは1972年まで続けられたが、ちょうど私の大学4年間と重なる。「緋牡丹博徒」は劇場で観た記憶がある。早稲田松竹だったか新井薬師東映だったか。

8月某日
「兵諫」(浅田次郎 講談社 2021年7月)を読む。「蒼穹の昴」シリーズの最新刊で「兵諫」は「へいかん」と読んで「兵を挙げてでも主の過ちを諫めること」という。この物語に出てくる兵諫は二つ。一つは1936年2月26日、陸軍青年将校が引き起こしたクーデター2.26事件、同じく1936年12月12日中華民国西安で起きた張学良らによる蒋介石の拉致監禁事件、西安事件である。「蒼穹の昴」は人気シリーズだが、変転する中国と日本の近代史を背景にした人間ドラマだ。浅田次郎の志那愛に溢れた作品と私は思う。一つの例は中国人の人名、地名表記だ。日本の小説では中国人名や地名は日本の音で読まれる。蒋介石は「しょうかいせき」、西安は「せいあん」だ。だが「兵諫」はじめ、「蒼穹の昴」シリーズでは中国語読みがルビで示される。蒋介石「ジャンジエシィ」、西安「シーアン」というように。「兵諫」の主人公はニューヨーク・タイムズ記者のジェームズ・リー・ターナー、朝日新聞記者の北村修治あるいは特務機関員の志津大尉とも読めるが、シリーズ全体の主人公は日本と中国の近代史であろう。

8月某日
社会保険出版社の高本社長に面談。午後ワクチン接種で不在ということなので11時過ぎに訪問。社会保険出版社から社保研ティラーレにまわろうかと思ったが、コロナが蔓延中ということもあって自粛、真っ直ぐ我孫子へ帰る。我孫子駅からバスに乗って3つ目のアビスタ前で降りる。停留所から歩いて5分ほどで我が家だが、今日は近くのイタリアン「ムッシュタタン」に寄る。パスタとサラダ、飲み物、デザートが付いて1000円(税別)だった。安いと思いますが。

8月某日
「姉の島」(村田喜代子 朝日新聞出版 2021年6月)を読む。村田喜代子は1945年生まれだから今年76歳。村田は中卒で鉄工所に務め、22歳で結婚して子ども二人を育てながら小説を書き、1987年に「鍋の中」で芥川賞を受賞している。今どき中卒の芥川賞作家って村田と西村賢太くらいだろう。えらいもんだ。「姉の島」は今年85歳で現役の海女をやっている「あたし」雁来ミツルが主人公。舞台は五島列島と思われる島と島に続く海。海にも台地があったり山があったりする。山が海に突き出たのが島だ。ミツルと幼馴染の小夜子が海に潜るとその昔の遣唐使や太平洋戦争で撃沈された軍艦の水兵などに遭遇する。「長安はこちらの方角でよろしいか」「お尋ね申します。トラック島はどっちでしょうか」といった会話が交わされる。終戦後、五島列島の沖で旧海軍の潜水艦が海没処分された。その潜水艦に二人の老海女が訪れ会話する。何とも幻想的である。最後の三行。
おぅーい、小夜子ォー。
あんたァ、どこへ行ったかよォ。
何や見えぬようになった。じゃが、それももうよかろう……。

8月某日
高血圧の治療で月一回、内科を受診する。クリニックは我孫子南口の中山クリニック。もう20年くらい通っている。主治医の中山先生は東大医学部卒、我孫子は内科医が多いのか、いつも閑散としている。診察といっても「変わりありませんか」「ありません」「では血圧を測りましょう」「最近ちょっと高めなんですが」「そうですね。この程度ならいつものお薬でいいでしょう」「ありがとうございます」「お大事にしてください」で、3分間。近くの調剤薬局で薬を処方してもらう。今日は駅北口のイトーヨーカドーのショッピングモールに寄ることにする。3階の本屋で桐野夏生の「インドラネット」を購入。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
「死刑囚 永山則夫」(佐木隆三 講談社 1994年7月)を読む。永山則夫は1968年にタクシー運転手らを被害者に4件の連続射殺事件を起こし、翌年4月に逮捕され死刑判決が確定し、98年4月1日に死刑が執行されている。永山は私より1年遅く1949年に北海道の網走で生まれ、幼くして青森に転居した。一家は極貧状態が続き永山も中学卒業後、渋谷の西村フルーツパーラーに就職するが、長続きせず転職を繰り返す。横須賀の米軍人宅から盗み出した拳銃によって犯行に及ぶ。私が大学1年生の暮れに、現役で明治大学に入った川崎君と川崎君の友人と新宿で呑んでいた。終電がなくなったので明大前の川崎君のアパートへ帰るためタクシーを止めた。運転手が「若い人一人なら絶対に乗せないよ」と言っていたことを今でも覚えている。タクシーの運転手にとってはそれくらい切実な事件だったのだ。本書は永山の公判記録を基本的な資料として書かれている。それでいて著者は本書はノンフィクションではなくノンフィクションノベルであると主張する。公判記録のすべてが真実であるのか不明であるし、見方によって真実は多様な見え方をするということだろうと思う。永山が逮捕された年の9月に私は学生運動で逮捕、起訴され10月には東池袋の東京拘置所に送られる。私は年末には出所しているが短期間とはいえ永山と同じ拘置所にいたことになる。同じ北海道生まれで一歳違い、拘置所ですれ違っていたかも知れない、そういう縁を感じてしまうのだ。

8月某日
社保研ティラーレで吉高会長、佐藤社長と懇談。話題は表敬に訪れた金メダリストのメダルを噛んだ河村名古屋市長のこと。言語道断で一致。阿部正俊さんの遺稿集「真の成熟社会を求めて」の印刷が出来上がり、キタジマの金子さんが届けてくれる。金子さんと社会出版社の高本社長に挨拶。金子さんに上野駅まで送って貰う。

8月某日
「あるヤクザの生涯 安藤昇伝」(石原慎太郎 幻冬舎 2021年5月)を読む。裏表紙に「この本は、次の人が予約して待っています」の黄色い紙が貼ってあったので、読んでいる本を中断して読み進むことにする。180ページ足らずで活字も大きいから2時間ほどで読み終わった。安藤昇は1926年生まれ、少年院から予科練を志願し敗戦により復員、法政大学予科に進学する。花形敬らと安藤組を結成する。横井英樹襲撃事件で逮捕され5年間の服役後、安藤組は解散し安藤は映画俳優に転身する。安藤組時代の力道山との抗争(力道山の使いの東富士と百万円で手打ち)や山口洋子、嵯峨美智子など数々の女出入りも告白されている。安藤昇の語り下ろしの形をとっているが、「この稿を書くにあたって大下英治氏の「激闘!闇の帝王 安藤昇」や安藤昇氏の「男の終い支度」などの書籍を参考にさせて頂きました」(付記)とあるように、既存のドキュメントやインタビューなどを再構成したものというのが正しいだろう。

8月某日
東京オリンピックが終わる。オリンピックに格別の興味があるわけではないが、コロナ禍で外出もままならず家でオリンピック関連のチャンネルを見ることが多くなる。私の同居家族(奥さんと息子)はオリンピックには興味がないようだ。だいたいテレビをほとんど見ない。奥さんはタブレットで韓国や中国のドラマを楽しんでいるらしい。たぶん大人も子供もテレビを見なくなっているのではないか? 高度成長期、一家だんらんの真ん中にはテレビが据えられていた。今や一家だんらんという言葉自体が死語に。

8月某日
「9条の戦後史」(加藤典洋 ちくま新書 2021年5月)を読む。加藤典洋が亡くなったのは2019年の5月、亡くなる1カ月前に「9条入門」(創元社)が出版されている。「9条」とはもちろん戦争放棄をうたった日本国憲法の9条のことである。加藤は1948年4月1日生まれで、学齢としては1948年の早生まれと同じ扱いになるらしい。山形東高校を1965年に卒業、同年に東大に入学している。本書を読んでいる期間がちょうど東京オリンピックと重なり、読み終わるのに1週間以上かかってしまった。新書版で500ページ以上という本の厚さもあるが、9条に対して、あるいは軍備や戦争と平和に関して日本人や政治家、政治学者らがどのように感じ、論じてきたかが詳細に論じられており、文章の意味を読み取るのに時間がかかってしまった。「『はじめに』に代えて」で野口良平という人が加藤が中高生向けに書いた「僕の夢」という文章を引用している。「理想というのは大事だ。政治というのは、新しい価値を作り出すための人々の企てだからね。むろん、理不尽なことには立ち向かうんだが、そういう必要と、この理想と二つがあってはじめて、政治は、実現できないと思われていたことを可能にする人間の営みになる」。これはほとんど全共闘運動のことを語っていると私には思われた。戦後、日本は保守党が主導権を握る内閣の下で、対米従属しながら核武装を回避しつつ、曲がりなりにも軽武装路線を貫いてきた。しかし安倍政権で事態は大きく変化した。安倍がトランプをパートナーとしつつ、米国の言いなりに武器を調達し、米軍の世界戦略に積極的に協力してきた。加藤は9条と国連との連携により、日米安保条約を解消し、米国を含めたアジア太平洋地域の安全保障を提言しているのだが…。

モリちゃんの酒中日記 7月その4

7月某日
「女たちのポリティクス-台頭する世界の女性政治家たち」(ブレイディみかこ 幻冬舎新書 2021年5月)を読む。「小説幻冬」の2018年12月号から20年11月号に連載されたもの。英国のブライトンに労働者階級のアイルランド系の夫とハーフの息子と暮らすブレイディみかこは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」がベストセラーとなって以来の読者である。というか私はその少し前に発売された「女たちのテロル」(岩波書店)を面白く読んだ。その頃、私にとってはブレイディみかこはまったくの無名のライターだった。「女たちのテロル」では20世紀の女性のテロリストを何人か取り上げているのだが、日本人では関東大震災直後に、摂政の宮(昭和天皇)暗殺未遂事件で夫の朴烈とともに逮捕され、後に宇都宮刑務所で縊死した金子文子の生涯がスケッチされている。貧しい人々への共感が彼女の考え方の基本にはある。政治思想的には無政府主義ね。そしてブレイディみかこが英国在住ということも見逃せない。日本、日本人という限定的な視点から解放されているのだ。英国首相だったメイ、ドイツ首相のメルケルには辛口の評価。ニュージーランドのアーダーン首相、フィンランドのマリン首相らには肯定的な評価が下されている。メイはEU離脱後の国家運営における無能さ、メルケルはこてこての財政再建論者であることが否定的な評価の理由である。私はブレイディみかこの本に出合うまでは財政再建主義者であったのだが、少し考えを改めようかなと考え始めているところ。MMT(現代貨幣理論)を少し勉強してみるか。

7月某日
「身分帳」(佐木隆三 講談社文庫 2020年7月)を読む。佐木隆三は1937~2015年。「復讐するは我にあり」はじめ、犯罪小説の第一人者。「死刑囚 永山則夫」「小説 大逆事件」は未読だがそのうちぜひ読みたい。人生の大半を刑務所で送った主人公の山川一は、昭和61年2月に旭川刑務所を出所、東京の弁護士が身元引受人となったことから上京する。生活保護を受けながら職を探し、運転免許取得の苦労や近所の人々との交流などが描写される。
私はこの本を読みながら大学生の頃、交流のあったMさんのことを思い出した。今から半世紀以上前の1969年の4月28日(4.28沖縄闘争)で私の友人が逮捕された。そのとき留置所で同房だったのがMさんである。Mさんはその頃30代前半だったと思うが、少年の頃から素行が悪く刑務所を出たり入ったりの生活だったらしい。留置所でも警官に反抗し「エビ固め」で攻められるなどの拷問を受け、同房の私の友人に「留置所を出たら証言してほしい」と依頼した。この一件の結末は知らないが、この年の夏以降、私たちはMさんのもとで土方のアルバイトに精を出すことになる。その年の9月、私は早大第2学生会館屋上で凶器準備集合、傷害、公務執行妨害、現住建造物放火などの容疑で逮捕される。学生会館の屋上から押し寄せる機動隊に向けて火炎瓶や石ころを投げつけたわけね。逮捕起訴されて東京拘置所(その頃はまだ東池袋に会った)にMさんから「私がもっと若かったら君と一緒に戦いたい」という内容の封書が届いた。在学中はよくMさんのもとで土方のバイトをしたっけ。かなり割のよいバイトだった。なお「身分帳」は西川美和監督、役所広司主演で「すばらしき世界」として映画化されている。

7月某日
東京神田の社保研ティラーレを訪問。吉高会長、佐藤社長、議員秘書の神戸さんと懇談。吉高さんから高級焼酎「百年の孤独」を頂く(ネットで値段を調べたら、定価5726円!)。キタジマの金子さんの営業車で社会保険出版社へ。近藤さんと「真の成熟社会を求めて」の打ち合わせ。御茶ノ水の社会保険出版社から上野駅まで金子さんに送って貰う。我孫子で「しちりん」に寄る。
「蟲息山房から-車谷長吉遺稿集」(新書館 2015年12月)を読む。蟲息山房は「ちゅうそくさんぼう」と読み、車谷と奥さんで詩人の高橋順子さんが住む家のこと。車谷が命名した。全集に入らなかった短編小説や俳句、連句、対談、インタビューなどが収められている。玄侑宗久との対談で車谷は何を目指しているかと問われ、「人間が人間であることの不気味さをテーマに書きたいわけです」と答えている。今思えば覚悟を持った小説家だったように思う。「10年夏に全集を刊行してから執筆意欲を失った」と高橋順子さんが書いている。10年とは2010(平成22)年のことである。車谷が妻の留守に食べ物を喉に詰まらせて窒息死したのが、それから5年後の2015(平成27)年5月であった。

7月某日
「財政赤字の神話-MMTと国民のための経済の誕生」(ステファニー・ケルトン 早川書房 2020年10月)を読む。MMTとは現代貨幣理論のことで、アメリカ、イギリス、日本など自国通貨の発行権を有する国の政府は、赤字国債を発行し続けても問題ない(ただしインフレには注意)という理論である。今回のコロナ対策に関しても多くの公費が使われているが、その多くの(おそらくすべての)財源は国債である。私は長く「健全財政論者」で、借金を子や孫の世代に残すのには反対という立場である。だがこの本を読んで私の考えは揺らぎ始める。この本の第1章は「家計と比べない」で章の扉にはタイトルの文字とともにオバマ大統領の2010年一般教書演説から「アメリカ中の家族が支出を控え、困難な決断をしている。政府もそうしなければならない」という文言が添えられている。そして扉の裏には「神話1 政府は家計と同じように収支を管理しなければならない」と並べて「現実 家計と異なり、政府は自らが使う通貨の発行体である」という言葉が掲げられている。「自らが使う通貨の発行体」というのがミソでEU加盟国や地方政府は除外される。ステファニー・ケルトンはニューヨーク州立大学の教授で経済学者。2015年の米上院予算委員会でチーフエコノミスト、大統領選挙では民主党の予備選でバーニー・サンダース候補の政策顧問を務めたという。社会主義者ではないがバリバリの左派である。

7月某日
MMTについてさらに「MMT-現代貨幣理論とは何か」(井上智洋 講談社選書メチエ 2019年12月)を読む。ステファニー・ケルトンは自ら現代貨幣理論派を名乗っているが、井上智洋はMMTに「全面的に賛成でも、反対でもありません」(はじめに)としている。当然、ステファニー・ケルトンの語り口には迫力があり、井上智洋にはそれが欠ける。井上はベーシック・インカム(BI)の導入論者として知られるが、本書でもAI・ロボットが高度に発達した未来にBIが導入されると多くの人が労働から解放される「脱労働社会」が実現する、と主張している(第5章)。私はそれがマルクスの言う共産主義社会と思えるのだが。