モリちゃんの酒中日記 4月その3

4月某日
1974年に三菱重工の本社ビルをはじめ連続企業爆破事件が発生した。事件を起こしたのは反日武装戦線を名乗るグループだった。この事件を追ったドキュメント映画が「狼をさがして」だ。渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映しているというので友人の本郷さんを誘って観に行くことにする。我孫子から千代田線で表参道へ。会場へ着くとすでに本郷さんが来ていた。観客は30人程度か、若い人もチラホラいたがほとんどは私たちと同じ老人。監督が韓国の人で、そのせいか事件を客観的に見ているように感じられた。実は犯人グループの一人で検挙後、服毒自殺した斎藤和氏は私の高校の一年先輩。勉強もできて生徒からも教師からも信頼を集めていた。現役で東京都立大学へ進学したと思うが、犯行グループへ加わらなければ、大学教授か作家、評論家になっていたんじゃないかと思う。映画を観た後、渋谷のヒカリエで蕎麦屋に入り、昼食兼一杯。本郷さんと別れて私は半蔵門線で神保町へ。印刷会社の金子さんに会う。金子さんに秋葉原まで送って貰い我孫子へ。我孫子で「しちりん」による。

4月某日
先週、角田光代の「対岸の彼女」(文春文庫 2007年10月)を2人の女子高生がアルバイト、家出をしながら自立していく物語と酒中日記に紹介したが、家にある「対岸の彼女」を読み返したら、全然違っていた。専業主婦の小夜子は小さな旅行代理店で働き始める。旅行代理店プラチナ・プラネットの女社長、葵がもう一人の主人公。葵は高校生の頃、親友のナナコと夏休みアルバイトし、その後家に帰ることなく家出する。2人は同性心中を図るが未遂に終わる。女子高生2人がアルバイトして家出する、というところだけが記憶に残っていたわけだ。ナナコと葵の関係は、ほぼ20年後の小夜子と葵の関係に置き換わる。小夜子と葵はいったんは訣別するが再び共に働くようになる。角田光代は「紙の月」もそうだが、女(の子)の屈折した心理を描くのが上手い。

4月某日
内神田の社保研ティラーレで「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。吉高会長、佐藤社長に研究所から松澤総務部長、水野氏が参加。新型コロナウイルスとワクチン接種の動向が見通せないのと、オリンピックの開催動向も不透明なので結論は先送りに。次いで虎ノ門のフェアネス法律事務所で打ち合わせ。虎ノ門から歩いて有楽町の東京交通会館へ。「ふるさと回帰支援センター」の大谷さんを訪問。高橋公理事長が出てきたので一緒に呑みに行くことに。地下1階の博多うどんの店「よかよか」に行く。このお店には何度か来たことがあるが、店長がミャンマーの出身。日本がペラペラだし顔も日本人と区別がつかない。料理もこの人が作っているのだろうか?日本酒によく合うものが出てくる。高橋公理事長は早稲田の全共闘つながり。大谷さんも大学は違うが全共闘つながりで、二人は全共闘運動が終焉を迎えた後、大森で粉せっけんを創っていたそうだ。高橋さんにすっかりご馳走になる。

4月某日
「近代日本の国家構想 1871-1936」(坂野潤治 岩波現代文庫 2009年8月)を読む。タイトルにある「1871-1936」は廃藩置県から2.26事件によって日本がファシズムの道を歩み始めるまでをあらわしている。著者の意図はこの時代の政治史を「政治家や思想家がめざした政治体制構想の相克の過程として描こうと」(まえがき)したことにある。本書の概略は最終章の「政党政治の成立と崩壊」の末尾に示されている。概略をさらにかいつまんで記すと次のようになる。-1875年の大阪会議から始まった「上からの民主化」は、イギリス・モデルの議院内閣制を自覚的に目指すようになる(1879年の福沢諭吉の「民情一新」)。1881年3月の大隈重信参議の建言によりそれが現実の有力な選択肢となる。明治14年の政変で挫折する福沢-大隈ラインのイギリス・モデルは1890年の議会開設前後に息を吹き返す。これは1914年に吉野作造により20世紀初頭のイギリス自由党をモデルに再構築される(吉野の民本主義)。現実の政治体制が吉野構想にもっとも近づいたのは1929年成立の浜口内閣だったが、1936年の2.26事件により最終的に息を絶たれることになる-。坂野潤治先生は「岩波現代文庫版あとがき」で「安保転向者」であることを明らかにしているが、先生は60年安保当時、東大文学部国史学科に在籍し全学連の指導者の一人であった。先生は「あとがき」で「自由主義と両立する社会主義や、格差是正につとめる自由主義は、過去にも存在したし、今後も存続できるはずである」と言い切っている。まったく賛成!先生は昨年、鬼籍に入られた。黙とう。

モリちゃんの酒中日記 4月その2

4月某日
亀山郁夫の「大審問官スターリン」でいくつかのことを書き忘れていた。ひとつはタガンツェフ事件である。地質学者のタガンツェフが組織されたとされる反革命陰謀事件で、死刑判決および逮捕の際に殺されたもの96名(うち16名が女性)、強制収容所送り83名、という大規模な犠牲者を出した。ソ連崩壊後の調査では、「そうした政府転覆を目的とした陰謀組織はいっさい存在しなかった」とされた。私はこれを読んで大逆事件を連想した。大逆事件も菅野須賀子などを除いて幸徳秋水らは大多数の被告は事件と無関係だった。もう一つは帝政時代のスターリンが秘密警察の協力者だったことを証明するファイルの存在だ。このファイルは赤軍幹部の手に渡り、赤軍幹部たちはスターリンの処分を巡り激しい論争を繰り広げた。スターリンは反撃に転じてトゥハチェフスキーらの赤軍幹部をNKVDに逮捕させ、軍人らに死刑が宣告された。一時はスターリンの盟友で「党の寵児」とも呼ばれたことのあるブハーリンにも、彼を含む18名の被告とともに死刑の判決が下された。ブハーリンは獄中からスターリンに「抗議するつもりはまったくない。私の罪は万死に値する」と手紙を送っている。今の私たちからすればこうしたブハーリンの行為は不可解であり、おぞましくも滑稽でさえある。しかし半世紀前の日本において連合赤軍幹部が兵士に死刑を宣告したり、リンチの挙句死に至らしめた事件があったが、そのときも殺された兵士たちの心境は「私の罪は万死に値する」と似たようなものであった。スターリン主義の限りなく深い闇。

4月某日
山田詠美の「血も涙もある」(新潮社 2020年2月)を読む。主要な登場人物は4人。料理研究家の沢口喜久江、50歳。その夫で10歳年下のイラストレーターの太郎。喜久江のアシスタントで太郎の不倫相手である和泉桃子、35歳。太郎の美大の同級生で友人の中学の美術教師、玉木。山田詠美の作中登場人物はいつも生き生きとしている。それに今回は料理研究家が主人公だから、喜久江が手掛ける美味しそうな料理も登場人物(?)に加えたい。日常の中の波乱が本作のテーマ。

4月某日
大学の同級生5人と会食。弁護士をやっている雨宮先生の事務所に集合ということで、弁護士ビルの1階でエレベーターを待っていると内海純君が来る。内海君は学部を卒業した後、商学部の大学院に進学していすゞ自動車に就職した。雨宮先生と内海君と私の3人でお茶を飲んでいると、大阪府堺市在住の清眞人君が来る。清君の奥さんも同級生の旧姓近藤百合子さんだが、少し遅れて新橋駅からタクシーで来るという。外に出て待っていると百合子さんがタクシーで来る。雨宮先生が予約していた近くの居酒屋へ行く。雨宮先生とはこの間呑んだし内海君とも呑む機会はあるが、清君とは卒業以来だ。というか清君は在学中はバリバリの民青だったので、全共闘系の私たちとはあまり会話もなかった。清君は学部を卒業した後、文学部の大学院に進学、哲学を専攻して博士課程を修了した。文学部に学士入学した百合子さんと親しくなって結婚した(と思う)。雨宮先生は就職が内定していたがそれを断って司法試験に挑戦、合格後、検事になって弁護士となった。もう一人、今日は欠席したが岡超一君は伊勢丹に就職した。今日、欠席の吉原君も全共闘側だったが確かアメリカかメキシコに留学後、三鷹市の社協で働いていた。私が「(同級生だった)小林はブントの戦旗派になって神奈川で学校の事務員になったまでは聞いているのだけど、その後分からないんだ」というと清君が「大学院の頃に小林にブントに行くと言われた」とポツリ。うーん、50年も経つといろいろあるけれど、会って話すと50年の歳月もどっかへ行ってしまう。

4月某日
「池田大作研究-世界宗教への道を追う」(佐藤優 朝日新聞出版 2020年10月)を読む。大変面白かった。600ページ近い大著を2日足らずで読んでしまった。池田大作にしろ創価学会にしろ今まで知らなかったことを知ることができた。創価学会は初代会長の牧口常三郎によって1930年に創立された。戦時中に国家神道に従わない創価学会は弾圧され、牧口は2代会長となる戸田城聖とともに逮捕、投獄され牧口は獄死する。戸田に見出されたのが池田で戸田を補佐して夕張炭労事件や大阪事件を乗り切り、戸田の死後3代会長となる。夕張炭労事件というのは、創価学会の政界進出に危機感を抱いた夕張の炭労が組合員の創価学会員に「学会を脱会しなかったら組合を除名する」と迫り、学会は憲法の信教の自由を盾に炭労に勝利した。大阪事件は参議院選挙の大阪選挙区での買収容疑で池田自身が逮捕起訴され一審で無罪を勝ち取った事件である。
サブタイトルとなっている「世界宗教への道を追う」の意味は何か。世界三大宗教としてキリスト教、イスラム教、仏教があげられるが、このうち世界宗教と呼べるのは、キリスト教だけではないか(個人の考えです)。仏教は確かに東アジア、東南アジアを中心に世界的に展開しているもの基本的には布教は一国に止まっている。イスラム教も中東ではシーア派、スンニ派が国境を越えた布教活動を行っているが、中東以外では国内に止まっているように見える。対してキリスト教はどうか?佐藤優はキリスト教はユダヤ教と別れて以来、世界宗教の道を歩んでいると見る。カトリック、プロテスタント各派、ロシア正教とも国境を問わず、教えを広めていくことが使命とされている(と思う)。創価学会は1975年に創価学会インタナショナル、SGIを設立し、世界宗教への道を鮮明にさせている。学会は1991年に宗門、日蓮正宗から離脱した。佐藤はこれを民族宗教としてのユダヤ教からキリスト教が分離し、世界宗教への道を歩み始めたことを連想させるとする。佐藤の考えは正しいと思うが、私はSGIにレーニンが創設した共産主義インターナショナル(第3インターナショナル)の無意識の影響を見る。第3インターは国際共産主義の名のもとに革命、ロシア革命の輸出を試みた。SGIは世界広宣流布の名のもとに宗教としての創価学会の各国、地域への布教を目指していると言えないだろうか。まっ私見ですけれど。にしてもプロテスタント信者である佐藤の書いた「池田大作研究」はいろいろなことを考えさせる好著であった。

4月某日
「銀の夜」(角田光代 光文社 2020年11月)を読む。初出は「VERY」(2005年7月号~2007年6月号掲載)とある。初出の雑誌連載から単行本になるまで15年という時間がかかっている。「あとがき」にそのわけが記されている。作者の角田が2017年の暮れに仕事場の大掃除をしていたら校正刷が出てきた。が内容にもタイトルにも覚えがない。「見覚えのない校正刷が出てきてこわい」とSNSに記入したら、雑誌「VERY」に連載したものでは?という指摘があった。記憶がよみがえり、連載終了後「この小説はだめだと思い」、全体的になおすつもりで校正刷をもらった。当時、角田はもっとも忙しい時期で、締め切りに追いまくられ、校正刷は手つかずのまま記憶の底に沈められてしまった。改めて出版の打診を受けて読み返すと、「なおせない」と角田は思う、「ここに、私はもう入れない」という感覚だったという。小説の主人公は十代にちょっとしたメジャーデビューを果たした3人の30代の女性、夫が浮気をしていることを知りつつ嫉妬を感じない片山ちづる、早くに結婚して母となった岡野麻友美、帰国子女で独身の草部伊都子である。この作品は角田が「対岸の彼女」で直木賞を受賞したころの作品である。「銀の夜」は3人の主人公がそれぞれに自立を遂げようとする物語である。「対岸の彼女」も2人の女子高生がアルバイトや家出をしながら自立していくという物語であったと思う。二つともストーリー展開は巧みだし、読後感は爽やかなのだ。

モリちゃんの酒中日記 4月その1

4月某日
昨年亡くなった元参議院議員の阿部正俊さんの本、「真の成熟社会を求めて」が完成に近づいているので、阿部さんの都内のマンションを訪問して奥さんと息子さんと打ち合わせ。お土産に沖縄のお菓子を頂く。社会保険出版社の1階でゲラをキタジマの金子さんに渡す。金子さんの車で神田まで送って貰う。鎌倉河岸ビルの「跳人」でランチ。有楽町の「ふるさと回帰支援センター」に大谷さんを訪問。アイスコーヒーをもらう。高橋理事長に挨拶。第2次早大闘争のとき、8号館で山下洋輔トリオが演奏したライブのCD「DANCING古事記」を頂く。今日は何かものを貰う日だ。

4月某日
図書館で借りた「心が雨漏りする日には」(中島らも 青春出版社 2002年10月)を読む。アル中で睡眠薬中毒患者の日常を描いた「今夜、いつものバーで」は小説だが、「心が雨漏りする日には」はエッセー。「今夜…」が映画やテレビドラマとすれば「心が…」は実写版、ドキュメントである。「心が…」を読むと、中島らもの薬物やアルコールに対する依存度はかなり深刻だったことがうかがえる。しかし中島らもの小説やエッセー、舞台での活躍は半端ではない。早世が惜しまれる。
同じく図書館で借りた「ムーンライト・イン」(中島京子 KADOKAWA 2021年3月)を読む。「ムーンライト・イン」というペンションを経営していた中林虹太郎は同居していた妹の死をきっかけにペンションをたたむ。虹太郎は独身だが信金に勤めていた頃、美貌の人妻と恋に陥る。彼女は事故で車椅子を余儀なくされるが夫を亡くして虹太郎のもとに身を寄せることに。この二人に引き寄せられるように介護福祉士、日本とフィリピンのハーフのヘルパー、自転車で放浪する青年が「ムーンライト・イン」に棲みつく。一種のハウスシェアだが、血縁関係のない疑似家族ということができる。私はこの小説を読んで50年前の東大闘争のとき壁に残された「連帯を求めて、孤立を恐れず」という落書きを思い出した。人は本来、孤独ではあるが結びつくことを求める存在であるという意味において。

4月某日
社会保険旬報の4月1日号に前厚労省医務技監の鈴木康博さんの「新型コロナウイルスと今後の医療」という講演が紹介されていた。「あぁ成程ね」と読みながら思った。たとえばウイルスは人間や動物に寄生して生きていく。寄生した人間を殺さず、長生きさせて自分も長く生きる。その意味では今回のコロナも、2年になるか3年になるかわからないが、いずれ弱毒化して通常の季節性コロナ風邪になる、と言っている。また日本が感染者数や死者が少ない要因として、マスク着用の徹底、挨拶様式(これは多分、抱擁や握手などの濃厚接触が少ない様式のことだろう)、家の中では靴を脱ぐ、などを挙げていた。日本のコロナ対策は遅れているという印象だったが、鈴木さんの講演ではちょっと違うようだ。

4月某日
「地方から考える社会保障フォーラム」。千代田線大手町駅からすぐの日本生命丸の内ガーデンタワー3階へ。今回の講師は厚労省の認知症施策・地域介護推進課長、ワクチン産業協会理事長らだが、聴衆を最も魅了した講師は香取照幸(上智大学教授・未来研究所臥竜代表理事)だった。テーマは「持続可能な社会保障制度を考える」だったが、少子化対策について「最も重要なのは、『家庭的責任の公平な分担とそれを可能にする働き方改革』であり、その鍵は『企業の行動変容』であり、『経済システム改革』」とし、政府がやるべきことも多いが、産業界・個別企業、そして社会を支配している男性が果たすべき責任と役割は極めて大きい、と語っていたのが印象的であった。フォーラム終了後、大手町から一駅の神保町へ。社会保険出版社の高本社長を訪問。帰りは御茶ノ水から秋葉原、上野経由で我孫子へ。駅前の「しちりん」で一杯。

4月某日
図書館でたまたま手にした「大審問官スターリン」(亀山郁夫 岩波現代文庫 2019年9月)を読む。スターリンとは言うまでもなく世界で初めての社会主義革命をロシアで成功させたレーニンの後継者で、ソ連をアメリカと並ぶ強大国に育て上げたあの独裁者、スターリンである。本書はスターリンの評伝というのではない。評伝ならばもっと詳細に彼の生涯を描いたものがある筈だ。私はスターリンを中心にした、当時の革命家、政治家、陰謀家、芸術家の群像劇として本書を読んだ。スターリンは1924年にレーニンが死去して以降、1953年に死去するまで権力を独占し続けた。毛沢東は確かに中国においては現在でも神格化されているかも知れないが、文革以前は劉少奇や鄧小平らにより実質的な権力からは遠ざけられていた(それが文革による奪権闘争の始まり)。ヒットラーに至っては首相、総統であった期間は20年に満たないのではないか。キューバのカストロ首相は半世紀近く首相の座にあったと思うが、独裁者の暗いイメージはない。スターリンも死後のスターリン批判によって、大粛清の事実が明らかにされて初めてイメージ失墜に見舞われた。それまではソ連人民やソ連に忠誠を誓う人民にとっては「全民族の父」であった。
本書を読んで思ったのは、いわゆるスターリン主義とは何だったのかということである。スターリン本人は共産主義者、レーニン主義者と自己規定していたかも知れぬがスターリン主義者とは自称していなかったと思う。日本では革命的共産主義者同盟の革マル派と中核派が反スターリン主義を標榜している。官僚主義や一国社会主義、政治的には共産党独裁体制、経済体制として国家独占資本主義体制を言うのだろうか。北朝鮮の体制はスターリン主義体制だろうか。むしろ封建的な軍事独裁世襲国家体制と言った方がいいかも知れない。スターリンはトロツキーを恐れていたと思う。レーニンの戦友で革命戦争の輝かしい指導者。スターリンにはなかった名声と知性。スターリンはトロツキーを党から除名し国外追放し、さらに亡命先のメキシコで暗殺者に殺させる。暗殺者はメキシコの刑務所に20数年収監された後、ソ連に帰国した。トロツキーと同様、ロシア革命の指導者だったブハーリン、カーメネフ、ルイコフらは反革命の容疑で裁判にかけられ、死刑判決のあと銃殺される。結局、ロシア革命は失敗だったのではないだろうか。遅れた資本主義国としてのロシア帝国にはまずブルジョア民主主義革命が必要だった。メンシェヴィキや社会革命党の路線が正しかったのでは。ボルシェビキがもたらしたのは開発独裁の専制国家だったのではないか。

モリちゃんの酒中日記 3月その4

3月某日
「ひそやかな花園」(角田光代 講談社文庫 2014年2月)を読む。たまたま我孫子の本屋で目にした。新刊本でもないので平積みされていたわけではなく、講談社文庫の角田光代のコーナーに差し込まれていた。角田光代は割とよく読む作家なんだけれど、「紙の月」を去年読んで以来、「人生の深淵を描いているなぁ」と思うようになった。「ひそやかな花園」はAID(非配偶者間人工授精)によって産まれた7人の男女の物語だ。7人は母親同士が同じクリニックで不妊治療を受け、幼少期の数年間、夏休みの数日を同じ別荘で過ごしたという共通の記憶を持っている。AIDということは実の父親、つまり母親の卵子にたどり着いた精子の持ち主は母親の夫ではないことを意味している。角田光代はAIDを通して家族の絆とは何か、親子とは何か?もっと言うなら「人生の幸せとは何か?」を描きたかったように思う。7人は成長して歌手やイラストレーター、広告代理店勤務、親の会社の役員などになっている。しかしプロローグとエピローグは職を転々とし容姿も冴えない紗有美の視点から描かれている。結論を言っちゃうと冴えない紗有美が自己肯定へ転ずるのだ。自分の日常に幸福を見出すわけね。この結論に至るまでが何ともミステリアスで読ませる。

3月某日
1週間ぶりで東京へ。西新橋の社会保険福祉協会で「保健福祉活動支援事業」運営委員会に介護経営コンサルタントの堀口先生や小規模多機能など福祉事業の経営者の柴田先生と出席。素人の私が出席するのはおこがましいが、勉強になるので出席している。運営委員の任期は2年で今年3月末で切れるのだが、あと2年運営委員を委嘱されてしまった。少し勉強しないとね。

3月某日
「太平天国の乱―皇帝なき中国の挫折」(菊池秀明 岩波新書 2020年12月)を読む。太平天国の乱とは清末に起こったキリスト教を基盤とし洪秀全をリーダーとした内乱程度の知識しかなかったので今回、この本を読んでいろいろなことを知ることができた。太平天国の主張は、キリスト教という外来思想の影響を受けながらも、儒教の「貧しきを憂えず、等しからざるを憂う」という中国古来の伝統的価値観への回帰をめざすものだった。一種の原理主義で清末の世俗的な価値観とは相容れなかった。著者はこれを人民公社を設立して人々の画一的な生活を理想とした毛沢東時代と鄧小平の改革・開放路線の先取りではないかとしている。太平天国は清朝皇帝を否定する。太平天国で皇帝を名乗るのは上帝ヤハウエのみで洪秀全は真主とされ、救世主イエス・キリストの弟という位置づけだった。太平天国が発生したのは1850年、滅亡したのは1864年である。日本でいえばペリー来航(1853年)の少し前に発生し、禁門の変の年に滅亡した。アメリカの南北戦争が1861年から65年だから世界史的な激動のときだったのかも知れない。

3月某日
「小さいおうち」(中島京子 文春文庫 2012年12月)を読む。先日、テレビでこの小説を原作にした映画を放映していた。主人公の女中タキを倍賞千恵子、回想シーンの少女時代、戦前のタキを黒木華、若く美しい奥様を松たか子、奥様と許されぬ恋に落ちる青年、板倉を吉岡秀隆が演じていた。私たちは昭和20年8月15日の終戦までの日本を、特高警察が暗躍する暗い時代と想像しがちだ。むろん、共産主義を信奉する左翼にとってはそうかもしれないが、庶民とくに東京の山の手に暮らす、この小説に出てくる一家などにとってはそれなりに暮らしやすい時代だったのではないか、と思う。戦争も当初は真珠湾奇襲の成功や、シンガポール陥落など連戦連勝であった。それがミッドウェー海戦の敗北以降から日本軍の敗勢が明瞭になっていく。この物語でも奥様は夫と一緒に空襲で亡くなる。タキは戦後も女中を続けるが「小さいおうち」のような家庭に出会うことはなかった。この小説は戦時下の山の手の中流家庭と、戦争によるその暮らしの崩壊を描く。反戦小説としても読むことができる。

3月某日
社保研ティラーレで「地方から考える社会保障フォーラム」の会議。社会保険研究所の松澤、水野氏、社保研ティラーレの吉高会長、佐藤社長と私が参加。4月のフォーラムの参加者は低調、「泣く子とコロナ」には勝てない。次の会はオリンピック後。ポストコロナでの会の在り方を考えて行かなければならない。社保研ティラーレの後、虎ノ門のフェアネス法律事務所へ。

3月某日
図書館で借りた「今夜、すべてのバーで」(中島らも 講談社文庫 2020年12月)を読む。中島らもは1952年兵庫県尼崎市に生まれる。確か中学から灘に進学してる。高校から酒や薬物に親しんで灘高と言えば進学校だが、らもは大阪芸術大学に進む。2004年に転落事故で死んでいる。「今夜、すべてのバーで」の前に読んだのが中島京子の「小さいおうち」で、同じ中島姓だが二人は関係ない。しかし二つの小説には驚くべき共通点があった。それは「赤マント、青マント」のエピソードである。「小さいおうち」では、ぼっちゃんが学校で赤マント、青マントの話を聞いて眠れなくなるというエピソードが紹介されている。「今夜、」では、アル中で入院中の主人公がアル中の現実を受け入れるか、アルコールの海で入水自殺するかという不毛な選択に悩むとき、「赤マント、青マント」という「古くから全国スケールで、子供たちの間に連綿と継承されている」話を思い出す。たまたま続けて読んだ二冊の小説に「赤マント、青マント」という同じエピソードが紹介されていたわけだ。中島らももアル中で苦しんだらしいが、中島らもの分身とも言えるのが主人公の小島容。アル中治療のために入院し、医師や自分自身との葛藤を通して退院へ至る過程がリアルに描写される。アル中のリアルな描写はさすがに中島らもである。巻末に引用文献と参考文献が列記されている。リアルな描写には根拠があるのだ。

3月某日
13時過ぎに社保研ティラーレで吉高会長と佐藤社長に面談。15時に虎ノ門のフェアネス法律事務所。神山弓子さんに渡邊弁護士を紹介。夕方、大学の同級生の雨宮弁護士から携帯に電話。やはり大学の同級生だった清君が上京するので久しぶりに呑み会を予定。雨宮先生の事務所は西新橋なので「今、虎ノ門なのでこれから行きます」と電話する。雨宮先生の事務所で日本酒をご馳走になる。

モリちゃんの酒中日記 3月その3

3月某日
13時30分から監事をやっている一般社団法人の理事会があるので東京駅八重洲口へ。近くの中華料理屋で中華飯を食べて少し早いが会場へ。13時15分には全員が揃ったので開会、13時35分には全議事が終了したので閉会。社会保険出版社の入っているビルの1階で校正の香川さん、印刷会社の金子さんと待ち合わせていると、出版社の高本社長が通りかかったので挨拶。香川さんと金子さんが揃ったので出版社で校正紙を金子さんに渡す。私と香川さんは都営地下鉄の神保町駅へ。新宿方面に行く香川さんと別れ、私は内幸町へ。虎ノ門の日土地ビルで弁護士の渡邊さんと打ち合わせ。新橋あたりで一杯やろうと思ったが、千代田線の霞ヶ関駅から帰ることにする。松戸行きが来たので乗車、シルバーシートが空いていたので座って読書。松戸に着いたので快速取手行きに乗り換え。またシルバーシートに座る。
私は65歳以上(今年で73歳)でしかも障害者手帳を持っているので堂々と座ることにしている。我孫子駅に18時頃到着、「しちりん」で一杯やっていこうと思ったが、その気になれず自宅へ。

3月某日
図書館で借りた「U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面」(森達也 講談社現代新書 2020年12月)を読む。著者の森達也はもともとテレビのドキュメンタリー作家なんだけれど、オウム真理教信者のドキュメンタリー作品の制作過程でテレビ局や制作会社の意向に従うことができなくなり、結果的に自分でビデオカメラを回して作品を完成させた。映像作品だけでなく活字媒体でもオウム真理教信者の真実に迫っている。その「A3」には感銘を受けたことを覚えている。さて本書であるが書名にあるUは相模原市の津久井やまゆり園で、多数の重度心身障害者を殺傷した植松聖のことである。植松は一審で死刑判決を受け、上告をせずに死刑判決が確定している。本書は作家やジャーナリスト、精神医学者、植松を取材した新聞記者などを森がインタビューし、この事件の独自性と同時に普遍性をあぶりだしている。それだけでなく日本の司法制度の限界、あるいは間違った方向に進んでいるかに見える裁判院制度の問題点も指摘している。裁判員制度は裁判への市民参加の道を開いたという意味で私は賛成していたのだが、本書を読むとどうやらそうでもないらしい。裁判員となるのは多くは仕事を持つ人々である。何年も長期にわたる裁判には付き合いきれない。したがって裁判はスケジュール化され、裁判期間は短縮化される。裁判所に提出される精神鑑定書も以前は分厚いものだったが、現在は裁判員の負担を考えて薄いものになっているという。そもそも裁判とは何か、ということも本書は問うているように思う。証拠や証人調べにより有罪か無罪を確定し、有罪なら量刑を宣告する。しかし植松や麻原彰晃は死刑宣告ありきで、事件の真相究明がなされたとは言い難い。裁判の大きな役割には事件の真相究明とそれによる同種の事件の再発防止がある筈だ。本書のインタビューをベースとした構成は森達也のドキュメンタリー作家としての面目を遺憾なく発揮させているように思う。

3月某日
図書館で借りた「何が私をこうさせたか-獄中手記」(金子文子 岩波文庫 2017年12月)を読む。金子文子は明治36(1903)年横浜に生まれ、大正12(1923)年9月3日、関東大震災後に内縁の夫、朴烈とともに予防検束され10月には治安維持法違反で起訴されている。大正14年の夏ころから自伝(本書)の執筆をはじめ、翌年3月には朴烈、文子ともに死刑判決を受け、後に御社により無期懲役に減刑。文子は宇都宮刑務所栃木支所に移送され、7月23日に獄中で縊死している。文子は小学校、高等小学校は卒業しているが、家庭の事情から満足に通学していない。20歳で検挙され21歳で本書を執筆し22歳で自死。生き急ぎ死に急いだ22年間だった。獄中で執筆された本書は、貧しさや親戚に虐待された幼少期から朴烈に出会うまでが記されているのだが、不思議と悲哀の感情や悲壮感は感じられない。むしろユーモラスな場面さえ随所に出てくる。自分の境遇をバネにして社会の変革を決意したからなのだろうか。それならなぜ自殺なんかしたのだろう。金子文子は獄中で朴烈と結婚したことから遺骨は朴の家族に引き取られ、墓は韓国にある。

3月某日
「ファザーファッカー」(内田春菊 文春文庫 2018年11月新装版第1刷)を読む。内田春菊1959年長崎生まれの現在61歳。これは養父つまり母の二番目の夫に性的虐待というか強制性交を強いられる娘の話で、内田春菊の自伝的小説である。図書館でたまたま目にして借りたのだが、内田春菊って金子文子に似ていると思った。家庭の愛に恵まれずに育った、頭が良く学校の成績も良かったが、学歴は低い(金子文子は高等小学校卒、内田春菊は高校中退)。上京後、職を転々とする(文子は夕刊売り、女中、おでん屋の店員、春菊は写植屋、ホステス、ウエイトレスなど)といった共通点が多いのだ。既成の価値観にすがることなく自分の価値観を押し通すところなどもそっくりではないか?春菊が文子と同時代に生きていたらアナーキストになっていたかも知れないし、文子が現代に生まれたら漫画家になっていたかも知れない。

3月某日
家にあった「黄昏の橋」(高橋和巳 筑摩書房 1971年6月)を読む。2年ほど前に家の近所の喫茶店兼古書店で3冊200円くらいで買ったうちの1冊だ。高橋和巳は1971年5月3日に39歳で死んでいる。「黄昏の橋」は当時あった新左翼系の総合誌「現代の眼」の68年10月号~70年2月号に断続的に連載された。高橋の死によって未完とされている。主人公の時枝はK大卒の博物館学芸員。高校の歴史教師などを経て現在の職にありついた。職場近くに下宿し、酒飲みで仕事にも熱意を持てない。高橋は1967年6月に京大文学部助教授に就任するが、大学闘争で全共闘側を支持、69年3月に辞職する。時枝は親の見舞いに伊丹空港に向かう途中、学生のデモ隊と機動隊が激しくぶつかる現場に遭遇し、学生が機動隊に追われ橋から墜落して死亡するシーンも目撃する。救援組織から時枝に証言が求められるところで小説は未完のまま終わる。時枝は高橋から小説家と思想家の部分を除いた分身である。酒飲みで気のいい奴ではなかったんじゃないかなー、高橋は。

3月某日
「大逆事件-死と生の群像」(田中伸尚 岩波現代文庫 2018年2月)を読む。2月に伊藤野枝の評伝小説「風よあらしよ」(村山由佳)を読んで以来、明治大正期のアナーキストの評伝やドキュメントを読んできたがどれも面白かった。当時のアナーキストの反抗心や自由さに共感したのだと思う。明治政府はその反抗心や自由さを、体制を覆そうとしているととらえ、幸徳秋水ら26人を起訴、12人を絞首台に送った。本書は死刑になった12人の実像や遺族のその後を追ったばかりでなく、無期懲役に減刑された人たちの出獄後の人生を追ったドキュメントである。大逆事件といっても幸徳秋水や菅野須賀子については扱った小説も少なくないが、残りの人たちの情報に接することは少ない。本書を読んで事件以降、起訴された人の家族は世をはばかってひっそりと生きてきたことが分かる。菅野須賀子や宮下太吉は実際に明治天皇の暗殺を企て爆弾も用意したと思われるが、その計画自体かなり杜撰なものだった。まして、その他の人々については明治政府によって大逆罪に陥れられたのだ。死刑後、社会主義者の堺利彦は刑死者の家族を慰めに行脚したこと、さらに徳富蘆花が一高で「謀反論」という講演を行い、幸徳らを擁護したことなどが明らかにされている。死刑を宣告された後、無期に減刑されたもののうち、坂本清馬は釈放されたのち戦後、再審活動を本格的に始めた。最高裁は1967年7月に再審請求の特別抗告の棄却を決定する。戦前の司法が軍部や時の政権に迎合した反省が感じられない、と田中は憤慨する。私も思う。新型コロナに対する性具の対応、総務省の接待疑惑に対する菅首相の対応、モリカケ、桜を見る会の疑惑に対する安倍首相の対応、日本は本当に民主主義国家なの?

モリちゃんの酒中日記 3月その2

3月某日
図書館で借りた瀬戸内寂聴の「遠い声 菅野須賀子」(岩波現代文庫 2020年7月)を読む。実はこの本、昨年の9月に読んでいるんだよね。「酒中日記」の昨年9月分に感想が記されている。でも内容はほとんど覚えていない。赤瀬川源平がいうところの老人力がついてきた証拠かな。解説はアナキズム研究家の栗原康でこれがなかなかいい。2月に村山由佳の伊藤野枝の評伝小説「風よあらしよ」を読んで以来、主に瀬戸内寂聴の伊藤野枝、金子文子、朴烈らの大正期のアナキストの評伝小説を読んできた。彼らは殺されたり(伊藤野枝、大杉栄)、自殺したり(金子文子)するのだが、菅野須賀子は刑死である。市ヶ谷監獄の断頭台で処刑された。この小説は全編、菅野須賀子の独白、それも処刑前日と処刑当日の独白で綴られている。菅野須賀子は最初、荒畑寒村と結婚する。寒村との結婚前にも何人かの男と恋愛し性交渉もあった。寒村が獄中にあるとき幸徳秋水と同棲するが、寒村は出獄後ピストルを懐に二人を付け狙ったという。菅野須賀子には性に奔放、淫乱、毒婦というイメージが付きまとうことになるのだが、瀬戸内寂聴はそんなイメージに惑わされることなく、天皇制や封建制に抗った一人の女性として菅野須賀子を描いている。伊藤野枝、金子文子、菅野須賀子の三人に共通しているのは、自分自身に対する正直さかな。

3月某日 
図書館で借りた「女たちのテロル」(ブレイディみかこ 岩波書店 2019年5月)を読む。この本は前にも読んだ記憶はあるが、例によって内容はさっぱり覚えていない。本扉の次のページに「百年前の彼女たちから、百年後を生きるあなたへ」という言葉が刻まれている。この本は百年前に生きた日本のアナキスト、金子文子と英国のサフラジット(女性参政権運動家)のエミリー・デイヴィソン、アイルランドの独立運動を戦い女性の狙撃兵としても優秀だったマーガレット・スキニダーの短い物語である。金子文子の評伝小説の「余白の春」(瀬戸内寂聴)を読んだばかりだが、こちらの金子文子像はより実録っぽい。彼女たちに共通するのは、世の中を変えるという目的のためには暴力やテロルも辞さないということである。現代の日本では暴力はとかく否定されがちである。私などの学生時代は、全共闘の学生たちはマスコミや日本共産党・民青から暴力学生と呼ばれていた。ヘルメットとゲバ棒で「武装」し、投石を繰り返す学生たちを暴力学生と彼らは呼んだ。たぶんこの言葉には学生の本分たる勉学を放棄したものへの蔑視も含まれている。実際、早稲田の全共闘運動の最盛期だった1969年頃、文学部の社青同解放派の活動家が「お前ら、勉強なんかしたくないだろ。だからストやるんだよ」とアジテーションしているのを目撃している。私たちは「異議ナーシ」と答えたものである。そうか50年前の全共闘の源流は100年前の金子文子にあるんだ。

3月某日
東日本大震災から10年。あのとき私は八丁堀の地下鉄の駅に入る直前だった。もちろん地下鉄は動かず、八丁堀から東京駅の八重洲口を通って丸の内口へ。そして内神田の年友企画へ帰った。歩いて帰ることのできる社員は帰し、私は校正のナベさんと神田駅西口の焼き鳥屋で呑むことにした。この店はビルの5階にあり窓から神田駅のホームを見渡せた。電車が動くようになれば直ぐ分かるのだ。ところが電車は一向に動き出さず、私はナベさんと湯島のスナック「マルル」まで歩くことにする。マルルのシャッターは降りたままなので、地下のスナックに入る。中年のママが「今日は女の子が出てこれないのよ、それでもいい?」という。「もちろん」と10時近くまで呑む。10時なるとオープンするスナックが根津の「ふらここ」。ここで朝まで時間をつぶす。朝になっても電車は動かない。ナベさんと上野まで歩き、ナベさんと別れ私は南千住行きのバスに乗る。南千住から動き出した日比谷線で北千住へ。北千住から綾瀬、亀有当たりまで歩いたところで千代田線が動き出した。我孫子駅に着いたのは15時くらいだったろうか。気持ちが高揚しているせいかほとんど疲れを感じなかった。

3月某日
家にあった「思い出袋」(鶴見俊輔 岩波新書 2010年3月)を読む。この本は2010年3月に私が脳出血で倒れ、船橋市立リハビリテーション病院に入院していたとき友人の西村美智代さんが差し入れてくれたものだ。なんとなく読みそびれて10年以上たってしまった。岩波書店のPR誌「図書」に2003年から2009年に連載された「一月一話」を新書にまとめたものだ。新書出版当時87歳だった鶴見が不良少年だった幼少期、ハーバード大学への留学時代、日米捕虜交換船で帰国し海軍軍属として経験したインドネシアのことなどがアトランダムに綴られている。「学校という階梯」という項目では金子ふみ子のことがとりあげられている。アナキストで皇太子暗殺未遂の容疑で死刑を宣告され、恩赦で無期懲役に減刑されたにもかかわらず、刑務所で縊死した金子文子である。通常は文子と表記するが鶴見はふみ子と表記しているので、ここでは鶴見の表記に従う。金子ふみ子は22歳で自死するが小学校も満足に通えず、家庭は貧困で父は外に女を作って出奔、母は男を家に誘う。しかしふみ子は単身上京し働きながら夜学で学ぶ。私は今、金子文子の獄中手記「何が私をこうさせたか」(岩波文庫)を読んでいるが文章の構成などたいしたものである。パソコンもワープロもない時代、難しい漢語や漢字も易々と使っている。もっとも獄中手記では満足に通えなかった小学校でも彼女の成績は群を抜いていたそうである。

3月某日
我孫子市民図書館の蔵書を「大逆事件」をキーワードに検索していたら「針文字書簡と大逆事件~事件が文学に与えた影響」(我孫子市教育委員会 我孫子市文化財報告第3集 2010)がヒットした。早速リクエストする。A4判で24ページのパンフレットだ。明治、大正、昭和を通じて活躍したジャーナリスト、杉村楚人冠は我孫子に在住し自宅は杉村楚人冠邸として公開されている。楚人冠邸で発見されたのが菅野須賀子から楚人冠に出された書簡である。針で書かれたような筆跡で「爆弾事件ニテ私外三名近日死刑ノ宣告ヲ受クベシ御精探ヲ乞ウ 尚幸徳ノ為メニ弁ゴ士ノ御世話切ニ願フ  六月九日 彼ハ何ニモ知ラヌノデス」と書かれた書簡で、封筒には同じく針文字で「京橋区滝山町 朝日新聞社 杉村縦横様 菅野須賀子」とあった。この書簡は明治43(1910)年6月11日に牛込から統監されている。杉村縦横とは楚人冠の別号で幸徳秋水、菅野須賀子と楚人冠は事件以前から交流があった。このパンフレットでは書簡が須賀子の手によるものと断定はしていない。が私はホンモノと思いたい。書簡の最後の「彼ハ何ニモ知ラヌノデス」の一文に、幸徳を救おうとする須賀子の一念がうかがえるではないか。

モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
今日から3月。暖かいので散歩。家の前の「手賀沼ふれあいライン」と称するバス通りを渡って、そのまま成田街道に出る。成田街道を左折して横断歩道を渡って我孫子駅へ。我孫子駅構内を通って北口へ。構内のキオスクがスシローに代わっていた。北口のショッピングプラザ3階の書店に寄る。ちくま文庫の「はたらかないで、たらふく食べたい」(栗原康)を購入。我孫子駅南口でレストラン「こびあん」によってランチ。「生姜焼き定食」を食べる。

3月某日
「はたらかないで、たらふく食べたい 増補版」(栗原康 ちくま文庫 2021年2月)を読む。本書は2015年4月にタバブックスから刊行された単行本に未収録原稿などを加えたから増補版というわけだ。著者は1979年生まれ、早稲田大学政治経済学部を卒業後、同大学の政治学研究の博士課程を修了した。だけど定職につかず親のもとで暮らしている。結婚を決めた彼女に振られる話は本書の「豚小屋に火を放て」に詳しい。「文庫版あとがき」によると栗原先生の現在の年収は200万円、この本を書き始めた頃の、「およそ20倍だ」。栗原先生独特の踊るような文体のカゲで実は、現在の資本制社会に根本的な批判を行っていることを見逃してはならないと思う。船本洲治って人について書かれた「だまってトイレをつまらせろ」では、山谷、釜ヶ崎での暴動を「秩序紊乱だ。たのしすぎる」と肯定的に評価する。栗原先生は著者略歴では「アナキズム研究家」となっているし、読み込んでいる文献はアナキズム関係に止まらず「老子」「荘子」「本居宣長」などにまで及んでいる。相当な勉強家であることは確かである。しかし先生は大杉栄がそうだったように、すぐれた実践家だと思う。書斎におさまりきらないのである。

3月某日
「余白の春 金子文子」(瀬戸内寂聴 岩波現代文庫 2019年2月)を読む。初出は「婦人公論」1971年1月号~72年3月号に連載された。大杉栄とともに虐殺された伊藤野枝を主人公にした評伝小説「風よあらしよ」(村山由佳)から読み始めた大正期のアナキストの評伝小説も、これで5作目。金子文子は伊藤野枝とほぼ同時代に生きた。伊藤野枝が虐殺されたときと同じ頃に大正天皇と皇太子(後の昭和天皇)の暗殺を企てた容疑で逮捕され、大逆罪で死刑判決を受けた後、無期懲役に減刑される。宇都宮刑務所栃木支所に収監されたが、独房で縊死。金子文子は山梨の貧しい家に生まれた。肉親の愛には恵まれなかったようで10代の頃朝鮮の祖母と叔母に引き取られるが虐待に近い扱いを受け、日本に逃げ戻る。親類を頼って上京、働きながら正則学園と研数学館に通う。社会主義者が通うおでん屋に勤めていたときに朝鮮人の朴烈と知りあい同棲する。朴烈は朝鮮独立を志すのだが思想的にはニヒリストだ。金子文子も思想的に朴烈と同化していく。アナキストとニヒリストは同じような思想ととられがちだが、違うようだ。アナキストは無政府共産主義社会の実現を目指すが、ニヒリストは国家や社会そのものの否定を目指す。金子文子は朴烈との刑死を望むが減刑によりその望みは叶えられなくなる。その絶望感が縊死を選ばせたのか。瀬戸内寂聴が金子文子の韓国の墓を訪ねる場面が描かれているが、これが何とも美しくも悲しい。

3月某日
阿部正俊さんの本の校正紙の受け渡しを社会保険出版社の1階で、キタジマの金子さんから校正者の香川さんへ。その後、香川さんとニコライ堂を観に行く。コロナで一般公開は中止で中には入れなかった。聖橋を渡って湯島の聖堂の脇を通って神田明神へ。お参りした後、急な階段(男坂)を下る。以前、よく利用した章太亭の前を通って大きな通りへ出る。2時過ぎだがイタリア料理店が空いていたので入る。香川さんが「今日はご馳走しますよ」と言ってくれたので遠慮なくご馳走になる。食べ終わって私は千代田線の湯島駅へ、香川さんは秋葉原へ。

3月某日
私の故郷室蘭を舞台にした映画「モルエラニの霧のなか」を観に行ったとき、一緒に行った山本良則君が貸してくれた「猛スピードで母は」(長嶋有 文藝春秋 2002年1月)を読む。表題作と「サイドカーに犬」の2編の中編小説が収められている。表題作の舞台は北海道の南岸沿いの小都市M市。もちろん室蘭である。離婚した母と団地に二人暮らしする慎の物語である。ウイキペディアで調べると長嶋は幼い頃両親の離婚で室蘭に引っ越し。港南中学、清水が丘高校をへて東洋大学2部に進学。サラリーマン生活を経て作家になった。なんか面白そうなのでもう少し読んでみようかな。

3月某日
鎌倉河岸ビルの地下1階「跳人」でランチ。お店の大谷君が「サッパリですよ」とさえない表情で嘆く。「そのうちコロナも収まるよ」と根拠のない激励をする。「社保研ティラーレ」によって吉高会長と雑談。神田からお茶の水経由で社会保険出版社へ。高本社長と近藤役員に故阿部正俊さんの「真の成熟社会求めて」出版のお願いをする。お茶の水から秋葉原、上野経由で我孫子へ。

モリちゃんの酒中日記 2月その4

2月某日
室蘭の小学校、中学校、高校で一緒だった山本良則君と岩波ホールで待ち合わせ。「モルエラニの霧の中」という映画を観るためだ。坪川拓史という室蘭市在住の監督が撮ったこの映画の舞台はもちろん室蘭である。モルエラニとはアイヌの言葉で「小さな坂道をおりた所」という意味で室蘭の語源の一つと言われているそうだ。上映時間3時間を超える長編だが、「冬の章」「春の章」「夏の章」「晩夏の章」「秋の章」「晩秋の章」「初冬の章」の7話で構成されており、長さは苦にならなかった。ただ映画の舞台となったのはかつての室蘭の中心地だった絵鞆半島で、私や山本君が少年時代を過ごした水元町や知利別町はまったく登場しない。水元町や知利別町は室蘭岳の麓に位置し、どちらかというと山の入り口。対して絵鞆半島は噴火湾(内浦湾)に突き出た海の街でモルエラニの言葉通り、坂の多い街だ。室蘭というタイトルを避けてモルエラニという言葉を使ったのは、抽象的な海の街での物語としたかったためではなかろうか。画面がとても美しく、私はこの映画を気に入りました。私が生まれ育ったのは水元町の公務員宿舎なのだが、父親の退職後、家を建てたのは絵鞆半島の突端でこの映画にも出てくる白鳥大橋のすぐ近くだった。私は高台の上に建ち海からの風がビュービュー騒ぐこの家が割と好きだったのだが、父も母も亡くなり家を継いだ弟はこの家を売却して新しくコンパクトな家を建てたそうだ。

2月某日
社会保険出版社で阿部正俊さんの遺稿集のゲラの受け渡し。校正者の香川さんからキタジマの金子さんへ。その後、香川さんと神保町の古書店街へ。久しぶりに建築専門書店の南陽道をのぞく。ランチに香草の香り高い蘭州拉麺を頂く。香川さんと別れ私は新御茶ノ水から千代田線で我孫子へ。駅前の「しちりん」でホッピー。

2月某日
「諧調は偽りなり-伊藤野枝と大杉栄」(上下)(瀬戸内寂聴 岩波現代文庫 2017年12月)を読む。伊藤野枝の生涯を描いた小説だが、同じ作者の「美は乱調にあり」が葉山の日蔭茶屋で大杉栄が神近市子に刺されるまでを描いているのに対して、こちらは日蔭茶屋以降、甘粕正彦らに虐殺されるまでを描いている。「美は乱調にあり」が月刊文藝春秋に連載されたのが1865年、「諧調は偽りなり」は同誌の1981年3月号~83年8月号に連載されている。15年ほどの期間があるが、甘粕正彦像を確定させるのにそれだけの時間がかかったということも一因という。大杉と野枝、さらに満6歳の甥の橘宗一を虐殺したことにより甘粕は懲役10年の判決を言い渡されるが、2年10カ月務めただけで出所している。出所後、満洲に渡った甘粕は満洲映画(満映)の理事長として満洲の政財界で重きをなした。日本の敗戦時に甘粕は青酸カリで服毒自殺を遂げているが、満洲時代の甘粕は人の面倒見がよかったという。これがのちの甘粕善人説に繋がっているようだ。瀬戸内寂聴は甘粕善人説も紹介しながら、甘粕の本質が虐殺者であり弾圧者であることをきちんと描いている。ちなみに大杉らの虐殺に対する報復として、和田久太郎、村木源次郎、古田大次郎らが関東大震災時の戒厳司令長官だった福田雅太郎大将暗殺未遂事件を起こしている。村木は逮捕後獄死、古田は判決後わずか1カ月で死刑が執行され、終身刑の和田は昭和3年2月、秋田刑務所で縊死した。甘粕は3人殺して3年足らずで出獄、和田ら3人は未遂でも刑死、獄死、獄中での自死である。この不公平さにはやりきれないものを感じてしまう。

モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
昨日、汐留の高層ビルの本屋で買った「JR品川駅高輪口」(柳美里 2021年2月新装版初版)を読む。巻末に「本書は2012年10月に単行本『自殺の国』、2016年11月に河出文庫『待ち合わせ』として弊社より刊行されました」とある。同じ著者の「JR上野駅公園口」が昨年11月に全米図書賞を受賞したことから、それにあやかって改題したのかと思っていたが、著者の「新装版あとがき 一つの見晴らしとして」を読むと違う構図が見えてくる。もともと著者は「JR上野公園口」などの連作を「山手線シリーズ」として構想していたが、担当編集者の独立した一つの作品として読まれたほうがいいのでは、という助言を入れて駅名をタイトルとすることは断念した。しかし「JR上野駅公園口」の受賞を機会に当初の構想通り駅名をタイトルとしたということだ。「JR上野駅公園口」は常磐線の起点となる上野と福島浜通り相馬に生まれた出稼ぎ労働者の悲劇的な交錯を描いた秀作だった。一方、「JR品川駅高輪口」は高輪口に近い住宅地に住む女子高校生が主人公。生活も意識も出稼ぎ労働者とは全く異なる。しかし二人はともに家族や共同体、社会から孤立していくということで通底しているのだ。孤絶とそれからの回復は、東日本大震災後、被災地の南相馬に移住して本屋を営む柳美里のテーマなのだろう。

2月某日
「金融政策に未来はあるか」(岩村充 岩波新書 2018年6月)を読む。先週「ドキュメント日銀漂流」を読んだ流れである。現代の金融は私にとって複雑怪奇、本書も日本語で書かれているから読むことはできても解することは難しい。例えば自然利子率。著者によれば現在時点における未来への期待ということなる。未来への期待が大きければ金利は上昇し、未来への期待が小さければ、あるいは不安が大きければ金利は下降するということであろう。日本も含めて先進国は超低金利、ゼロまたはマイナス金利である。私たちが未来に期待を持てない結果だとすればその通りなのだが。岩村充は東大経済学部卒、日銀を経て現在、早稲田大学教授である。この本一冊しか読んではいないがなかなかの理論家である。

2月某日
社会保険出版社の入居しているビルの1階ロビーで香川喜久恵さんと待ち合わせ。印刷会社キタジマの金子さんから再校正紙を受け取るためだ。時間通りに金子さんが来る。再校正紙を受け取り私と香川さんは、白山通りをJR水道橋駅方面へ。途中の北京亭で遅い昼食。この店はBSの「町中華で飲ろうぜ」で紹介されていた店だ。私はカレー、香川さんはタンメンを注文。野菜がたくさん入った具だくさんのカレーだったが、私には量が多い。ここら辺は日大経済学部、明治、専修、東京歯科大などの大学や大原簿記などの専門学校も多い。学生の街だからメシの量も多くなるのだろう。水道橋で新宿方面に行く香川さんと別れ私は神田の社保研ティラーレへ。打ち合わせ後我孫子へ、駅前の「しちりん」で軽く一杯。

2月某日
「MMT-現代貨幣理論とは何か」(井上智洋 講談社選書メチエ 2019年12月)を読む。MMTとはModern Monetary Theoryのことで「自国通貨を持つ国は財政破綻することはない」という主張である。この本の出版は2019年の12月であり、コロナ以前である。しかしコロナ以降、日本経済は需要不足に陥り政府は国債の大量発行により資金を調達し、数次にわたる経済、コロナ対策を実施している。昨年実施された国民一人当たり10万円の給付などはヘリコプターマネーそのもののように私には思える。現実の方が理論を追い越したのである。もっとも1920年代の世界大恐慌のおり、アメリカはフーバー大統領のもと大規模な公共事業を実施して恐慌に対峙した。ケインズ主義的な政策を実施したわけだが、当時のアメリカ政府内にケインズ理論の信奉者はいなかったそうだ。私たちは国の借金(国債)と個人の借金(住宅ローンなど)を同じような感覚で捕らえがちであるが、個人の寿命は有限であるのに対して国の寿命は無限である。個人の借金は死ぬ前に始末をつけなければ、借金の貸し手や残された家族に迷惑をかけるが、寿命が無限である(かのように感じられる)国家の場合はそうでもないということになる。

2月某日
「村に火をつけ、白痴になれ-伊藤野枝伝」(栗原康 岩波現代文庫 2020年1月)を読む。村山由佳の「風よあらしよ」を読んで以来、「美は乱調にあり-大杉栄と伊藤野枝」(瀬戸内寂聴)に続く伊藤野枝シリーズだ。「風よあらしよ」も「美は乱調にあり」も伊藤野枝の恋愛や運動との関りに焦点を当てているがこれは小説だから当然であろう。一方、栗原の「村に火をつけ、白痴になれ」は評伝だから彼女の思想にも筆が及ぶ。物騒な「村に火をつけ、白痴になれ」というタイトルは伊藤の小説「白痴の母」と「火つけ彦七」から取られている。障害の子を持つ母が首吊り自殺してしまうのが「白痴の母」、被差別部落出身の彦七が村に火をつけて回り村人にとっつかまるのが「火つけ彦七」である。どちらも救いがない。現代日本で無政府主義はほとんど力を持たないと言っていいかも知れない。だが伊藤野枝や大杉栄が生きた明治末から大正時代はそうでもなかったようだ。大逆事件で死刑になった幸徳秋水は無政府主義者だったし、大杉は幸徳の子分だった。大杉は1917年のロシア革命にもボルシェビキに対して批判的だったらしい。本書には野枝の「いわゆる『文化』の恩沢を充分に受けることのできない地方に、私は、権力も、支配も、命令もない、ただ人々の必要とする相互扶助の精神と、真の自由合意による社会生活を見た」という文章が紹介されている。野枝は辻潤との間に2人、大杉栄の間に5人の子どもをなしているが、大杉の間の子どもは故郷の福岡県今宿村(現福岡市西区)で産んでいる。よほど居心地が良かったのであろう。彼女のアナーキズムの原点には今宿村での暮らしがあったのかも知れない。 

モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
「ドキュメント日銀漂流-試練と苦悩の四半世紀」(西野智彦 岩波書店 2020年11月)を読む。1996年の松下総裁から現在の黒田東彦総裁までの日本銀行の歩みをドキュメント形式で追ったもの。こう書いてしまうと簡単だが、実は内容はそれほど簡単ではない。私はこの本を読んで複雑極まりないグローバル経済のなかでの中央銀行の役割とは何かを考えさせられた。まぁ一般的には物価の番人とか自国通貨の価値を守る使命があるとか言われているけれど、それはそれとしてこの本が追求しているのが、中央銀行の「政府からの独立」である。黒田総裁以降、日銀は政府の要請に従って赤字国債を増発し続けてきた。これによって円安株高市場が続き雇用も高い水準で維持されてきた。外見的にはアベノミクスは成功したかに見える。「2年で2%」の物価上昇を除いては。私の拙い経済学の知識によると、経済成長は労働力人口の伸びと生産性の伸びによって実現される。日本の労働力人口はすでに減少が始まっている。生産性の伸びは先進国の中でも低い方である。何を言いたいかというと金融だけでは一国の経済を維持することはできない、ということである。しかし金融の安定なくして経済の安定もないというのも事実である。この本は専門用語も多く、私にとって読みやすい本ではなかった。しかし知的興味を十分に刺激された本であった。

2月某日
森元首相が東京オリンピック組織委員会会長を辞任した。女性蔑視発言の責任を取ったもの。森首相って小渕恵三の後だっけ。森、小泉、安倍、福田と旧福田派の政権たらいまわしが続き、麻生短命政権の後を受けて民主党内閣が成立。沖縄問題や東日本大震災への対応のまずさあって、民主党政権は鳩山、菅、野田といずれも短命に終わり、第2次安倍政権が8年近くも長期政権を維持した。自民党は大きく分けるとリベラル派としての宏池会(旧池田派)、田中派と反リベラルで国家主義的な旧岸(福田)派に分けることができると思う。森元首相や安倍前首相はもちろん後者。そのなかでも森元首相は古い自民党を代表する人。リベラル派が保守本流の筈なんだけれど、この10年ほどで急速に力を失ってしまったと思う。

2月某日
「業平」(高樹のぶ子 日本経済新聞出版本部 2020年5月)を読む。「小説伊勢物語」という副タイトルがあるから、平安時代の「伊勢物語」に着想を得たものと思われるが、私の古典の知識では在原業平を主人公にした物語しか思い浮かばない。日本経済新聞の夕刊に連載されたもので、その折の挿絵(大野俊明画伯)の一部も本書にカラーで収録されている。さて何の知識もなく読み始めた「業平」であるが、私には大変面白かった。在原業平という人は平城天皇の息子である阿保親王と桓武天皇の孫である伊都内親王の間に生まれた。皇統の血筋なんですね。しかし世は藤原氏が権力を握り始めた頃で業平は権力の主流を歩むことはなかった。とは言え右近衛権中将まで昇進しているから、それなりの出世はしている。業平は官人としては武官の道を歩んだ。和歌の名手で色好みということからすると文弱のイメージがあるが、弓や乗馬も巧みだったようだ。伊勢物語は歌物語であると同時に当時の宮中の恋物語でもある。業平は後に天皇の妻となる人や皇族で伊勢神宮の斎宮を務める女性とも「共寝」する関係を結ぶ。「共寝」って要するに性交渉があったということ。業平がいた頃の9世紀の恋愛観や結婚観は、現在とは違っていることに注意が必要だろう。この頃は男が女のもとに通う妻問い婚だった。当時の貴族は寝殿造りという広壮な邸宅に住んでいたから、家のものに気が付かれずそうしたことも可能だったのだろう。むしろ家人は気付いても知らぬふりをしていたか。日本人が一夫一婦制や処女性を重要視するようになったのは明治以降、キリスト教が解禁されてからと言われているしね。昔の日本人は性に対して今よりもおおらかだったのだろう。

2月某日
阿部正俊さんの本の表紙デザインを斎須デザイナーにお願いする。家を出たときから結構な雨が降っていた。紹介してくれる浜尾さんと斎須さんのオフィスのある銀座1丁目の奥野ビル1Fで待ち合わせ。ビルに一歩入ってびっくり。戦前からの建物と一目で実感されるような内装なのだ。浜尾さんと一緒にエレベーターに乗るが、このエレベーターが全手動。素晴らしい。斎須さんのオフィスで打ち合わせ。奥野ビルは銀座アパートメントと言って当時の最先端集合住宅だったそうだ。関東大震災後、同潤会アパートが何棟か建設されたが銀座アパートメントはその民間版なのだろう。斎須さんとの打ち合わせがある浜尾さんを残して私は帰る。帰りは6階から階段で降りた。コンクリートの階段と重厚感のある手すりが素敵であった。銀座線の京橋から新橋へ。共同通信の城さんとカレッタ汐留の本屋で待ち合わせ。この本屋も近く閉店するとのこと。城さんにランチをご馳走になりながら、いろいろな話を伺う。新橋から我孫子へ。我孫子へ帰った頃には雨が上がっていた。

2月某日
「美は乱調にあり-伊藤野枝と大杉栄」(瀬戸内寂聴 岩波現代文庫 2017年1月)を読む。伊藤野枝の生涯を描いた「風よあらしよ」(村山由佳)を読んで野枝という人物に興味を抱いた。で、この小説を読むことにしたわけ。タイトルは大杉の「美はただ乱調にある。諧調は偽りである」という言葉から取られている。「美は乱調にあり」の初出は、「文藝春秋」の1965年4月号~12月号まで連載された。今から半世紀以上も前のことである。小説は「私=瀬戸内寂聴」が野枝の生まれた福岡へ取材旅行に行くシーンから始まる。野枝と大杉が虐殺されたのは関東大震災のあった1923年。執筆当時は野枝の関係者はまだ存命だった。伊藤野枝の二つ下の妹、当時68歳のツタさんの独白が興味深い。もちろん小説であるから、独白をそのまま真実とするのは過ちとしても。野枝は辻潤、大杉と結婚して10年間に7人の子を得ているが、出産のときはいずれも野枝の博多今宿の実家に帰っている。身なりをかまわない野枝に、母親が村のみんなが見ているのだから「髪くらい結ってきたらどうだ」というと「今に、女の髪は、あたしがやっているような形になるのよ。みてなさい」と答えたという。ツタさんは「今になってみれば、たしかに姉の予言通りになりましたからね」と述懐している。野枝には確かに未来を見通す不思議な力が備わっていたのかも知れない。生前、「畳の上では死ねそうもない」と話していてその通りになったしね。