モリちゃんの酒中日記 9月その4

9月某日
昼飯にチャーハンをつくる。ニンジン、玉ねぎ、ピーマン、ニンニク、ニラをみじん切りにし、オリーブ油とこめ油で炒める。頃合いを見てご飯と溶き卵を入れる。最後にレタスを入れて胡椒と醤油で味付ける。これがなかなか旨い(と思う)。昼飯を自分で作ったので「プレミアム付き我孫子市内共通飲食券(あびチケ)」を昼飯には使えない。そこで3時過ぎに駅前のレストラン「コ・ビアン」に行って「エビときのこのアヒージョ」とキリン一番搾り中瓶を頼む。合計税込みで924円、「あびチケ」1枚(500円)と残りを現金で払う。公園坂を下って市民図書館へ。週刊誌を斜め読みして自宅へ。

9月某日
図書館から借りた「長女たち」(篠田節子 清朝文庫 平成29年10月)を読む。篠田節子はあまり読んだことがない。しかし篠田の病院ないしは老いに関わる小説を読んだ記憶がある。篠田自身の実母を介護した経験が一部下敷きになっている。本書には認知症の母を介護する出戻り娘の話(家守娘)、ヒマラヤ山系の高地で医療に貢献する女医の話(ミッション)、開業医の一人娘が独身のまま父をサポートし糖尿病に腎臓病を併発した実母を介護する話(ファーストレディ)の3編が収録されている。「家守娘」と「ファーストレディ」は育児と違って終わりを見通せない介護のつらさ、それを背負わされる娘の理不尽な思いが伝わってくる。「ミッション」は善意と熱意でアジアのへき地医療に貢献する女医が、善意と熱意だけでは埋めることのできない溝を現地の人たちに感じる様が描かれる。医療、介護、福祉の問題は制度だけでは片づけられない問題を抱えていることをよく表現できていると思う。だけど「家守娘」の認知症の母が72歳、「ファーストレデイ」の糖尿病と腎臓病を併発する母が60歳前というのは如何なものか?ちょいと若すぎないか。昼飯は駅北口のエスニック料理「レモン・グラス」へ。グリーンカレーを頼む。サラダ、生春巻き、アイスクリームがついて税込み1210円。「あびチケ2枚」と現金で支払う。

9月某日
午後、神田の社保研ティラーレの吉高会長を訪問、噴霧器の販売戦略について話し合う。次いでデスクを借りている御徒町のHCM社へ。コロナ禍がまだ続くようなのでHCM社のデスクから撤退することにしたと大橋会長に伝える。HCM社は三鷹で高齢者向けのデイサービスを運営している。コロナで廃業、休業するデイサービスが多い中で、HCM社はそれらの利用者の受け皿となっているそうだ。会長は大手生保、社長は大手銀行出身なので、組織の運営やビジネス感覚に優れているのだろうと思う。HCM社から同じ御徒町の吉池食堂へ向かう。SMSの長久保君が同社を退社するということなのでその慰労会を年友企画の迫田氏、酒井氏とやることに。30分ほど前に来て文庫本を読んでいるとまず酒井さん、次いで長久保君が来る。長久保君何とか言うITの関連企業に行くと言っていた。私の知らない企業名だったが迫田氏も酒井氏も知っていてその会社のサービスを利用していると言っていた。最近、若い人の話題についていけないことが多い。やはり「老兵は死なず消え去るのみ」(マッカーサー)なのであろうか。

9月某日
「遠い声 菅野須賀子」(瀬戸内寂聴 岩波現代文庫 2020年7月)を読む。菅野須賀子は大逆事件で幸徳秋水らと死刑に処せられた明治時代の無政府主義者である。政治犯、思想犯で死刑にされた女性は菅野須賀子が初めてであろうし、その後も出ていないのではないか。連合赤軍事件の永田洋子は死刑が確定していたが病死した。29歳で刑死した須賀子は本書によれば何よりも恋多き女であった。いくつかの恋愛を経た後、6歳年下の荒畑寒村と恋仲となり結婚する。しかし寒村の入獄中に秋水と親しくなり同棲する。出獄した寒村はピストルを抱いて二人を付け狙ったという。表紙に須賀子の写真が掲げられているが決して美人とは言えない。しかし持てたんでしょう。そういう女の人っているよね。美人ではないが男に人気のある人。須賀子は結核を病んでいて刑死しなくとも早死にしたと言われている。恋と革命に短い一生を燃焼しつくしたともいえる。大逆事件で実際に天皇暗殺を企てたのは須賀子と爆弾を製造した宮下、須賀子に従った新村と古河の4名で、残りの秋水らは冤罪とされる。冤罪を含む多くの死刑判決は明治政府の無政府共産主義に対する恐怖心の表れと思える。須賀子は潔く罪を認め裁判中の態度も立派だったという。「遠い声」の初出は「思想の科学」1968年4月号~12月号に連載された。「文藝春秋」1970年1月号に掲載された古河大作の死刑執行前の独白を装った「いってまいります さようなら」も収められている。解説はアナキズム研究者の栗原康。

9月某日
JR南千住駅で本郷さんと待ち合わせ。千住大橋の東京卸売市場の足立市場に向かう。南千住から市場へ向かう途中、「この辺に東アジア反日武装戦線の大導寺将司とあや子が住んでいたんだよ」と教えられる。大逆事件で刑死した菅野須賀子の本を読んだばかりなので何か因縁を感じる。東アジア反日武装戦線も確か昭和天皇の暗殺を企て荒川鉄橋の爆破計画を立てていた筈だ。それはともかく足立市場は魚専門の卸売市場で今回はそこの食堂で食事をとることに。何軒か食堂が並んでいるなか適当な店を選んで入る。まだ1時過ぎだが客もまばら、ビールと刺身の盛り合わせ、だし巻き卵を頼む。地酒を3本呑んでお勘定を頼むと一人2000円ちょっと。「夜は何時からですか?」と聞くと「夜はやっていません。2時30分で営業終了」とのこと。帰りは本郷さんは南千住からバスで。私は京成線の千住大橋から一駅の町屋で千代田線に乗り換え我孫子へ。我孫子駅前の「しちりん」でホッピーを頂く。

9月某日
HCM社で荷物の整理。大橋社長がパソコンと書籍や書類などを業者に頼んで「送っておきますよ」と言ってくれたのでお任せすることに。神田の社保研ティラーレによって、次回の「社会保障フォーラム」の受付状況を聞く。今回はリモートの応募が多いようだ。御徒町駅で年友企画の石津さんと酒井さんと待ち合わせ。台湾料理の「新竹」へ行く。10分ほど歩いて商店街のちょっと外れにその店はあった。この店は「魯肉飯のさえずり」という本を読んで「魯肉飯」を食べてみたいとパソコンを検索して私が調べた。台湾ビールや前菜、いろんな炒め物、そしてもちろん魯肉飯も美味しかった。石津さんにすっかりご馳走になる。あとで調べたら「新竹」というのは台湾の都市の名前だった。

9月某日
「そこにはいない男たちについて」(井上荒野 角川春樹事務所 2020年7月)を図書館から借りて読む。2組の男女の話。料理研究家の園田実日子は愛する夫が死亡してそのショックから立ち直れないでいる。不動産鑑定士の夫、光一との仲が冷え切っているまりは、マッチングアプリで知り合った青年と付き合っている。下北沢とか三鷹台とか今どきのお洒落なスポットが舞台。ストーリーも面白かったが私には園田実日子の作る料理の描写に興味を魅かれた。井上荒野の小説には料理を題材にしたものがいくつかある。「キャベツ炒めに捧ぐ」や「リストランテ アモーレ」などだ。きっと井上荒野も料理好きなのだろう。

モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
近所の床屋さんに行くと「勝手ながら休みます」の張り紙が。しょうがないので床屋さんの近くの我孫子の農産物直売所の「アビコン」を覘く。レタスとニンニクを購入しての帰り道に携帯が震える。「大谷」の表示。「大谷だけど今日、よろしくね」「えっ何かあったっけ?」「会食の約束でしょうが」「あーごめんごめん」。というわけでシャワーを浴びて着替える。18時に東京交通会館の「ふるさと回帰支援センター」で待ち合わせることにしたので、その前に神田の「社保研ティラーレ」によって吉高会長と佐藤社長と懇談。17時過ぎに交通会館に着く。1階の「三省堂書店」「北海道物産店」を覘いた後、「支援センター」へ。大谷さんに古都さんに押し売りされた「自治体職員かく生きる」を押し売り。しばらくすると神山弓子さんが来る。19時30分のスタートだが「練習をやろう」ということで、高知県アンテナショップの「おきゃく」に移動、ビールを呑む。定刻になって厚労省から総務省に出向している辺見聡さん、同じく財務省に出向している吉田昌司さんが来る。辺見さんからは「大臣官房審議官(情報流通行政局担当)」の名刺を、吉田さんからは「財務省主税局総務課兼調査課 企画官」の名刺を頂く。

9月某日
図書館で借りた「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(望月衣塑子+佐高信 講談社+α新書 2020年7月)を読む。望月は映画「新聞記者」の原作となった同名のノンフィクションも書いている。菅官房長官(当時)への「しつこい」(いい意味でね)質問でも名前を挙げた。望月と佐高の対談がメインなので読みやすく2時間ほどで読了。テレビのワイドショーを観ると日本の「政治ジャーナリズム」は一見すると隆盛を誇っているかに見える。しかし望月も佐高も権力批判こそジャーナリズムの本懐と主張する。私もまったく同感である。望月は1975年生まれで今年45歳、表紙に佐高とともに写真が掲載されているがキリリとした美人である(どうでもいいけど)。両親は団塊の世代でともに亡くなっている。父親は左翼の活動家であったようだ。

9月某日
地下鉄の千代田線で我孫子から新御茶ノ水へ。美土代町のイタリア風レストランの「花の碗」へ。社保研ティラーレの吉高会長と会食の予定。次亜塩素酸水や二酸化塩素水による微細ミストの噴霧器Gバスターを開発した人を紹介してくれるという。吉高会長が開発者の岸工業社長の岸さん、二酸化塩素を取り扱っている㈱プライスの河田社長、税理士の琉子さんをともなって現れる。社会保険旬報の谷野編集長を交えランチ。私は海鮮パスタを頼んだが、スープが絶品でした。会食後、揃って社会保険出版社を訪問、同社の高本社長はじめ営業幹部に説明する。岸さんや河田さんの説明を聞くとGバスターは確かに不特定多数の住民が利用する役所の受付や高齢者施設、学校などでの需要が期待できそうだ。社会保険出版社での説明が終わった後、私はお茶の水駅から神田経由で我孫子へ。「しちりん」によって18時頃帰宅。

9月某日
高血圧の治療にほぼ月1回、「中山クリニック」に通っている。治療と言ってもドクターが「どうですか?」と聞いて私が「変わりありません」と答え、「じゃ、血圧測りましょう」とドクターが血圧を測って終わり。5分もかからない。それから処方箋を持って薬局へ行く。今日は奥さんから「プレミアム付き我孫子市内飲食共通券」の「あびチケ」を貰ったので、中山クリニックの近くの蕎麦屋「三谷屋」へ行って「親子丼」を食べる。ぶらぶらと公園坂を歩いているとちょうど「鳥の博物館経由天王台駅行き」のバスが来たので乗ることにする。鳥の博物館は我孫子農産物直売所アビコンのすぐ近くなので、アビコンでニラとピーマンを買う。アビコンから我孫子市民図書館まで歩く。

9月某日
図書館で借りた「時代の抵抗者たち」(青木理 河出書房新社 2020年5月)を読む。元共同通信の記者で現在、フリージャーナリストとしてコメンテーターなどテレビ出演も多い青木の対談集。テレビのコメンテーターは発言時間が短く細切れに切り取られがちだ。青木のテレビでの発言も「いいことを言っているな」と思わせるものも多いのだが、時間の関係でどうしても事件に対する「感想」の域を出ないと私などは思ってしまう。本書はなかにし礼、前川喜平、古賀誠など9人の論者と青木の対談をまとめたもので読み応えがあった。私はとくに古賀誠「平和を貫く保守政治を」、岡留安則「スキャンダリズムから沖縄の怒りへ」、安田好弘「オウム事件、光市事件の弁護人として」を面白く読んだ。古賀はかつての自民党保守政治家の良心と凄さを持っている人で、岡留の反骨精神は現代のジャーナリズムにこそ復権させなければならないものだ。私がもっとも感心したのは安田好弘だ。光市事件とは18歳の少年が光市の団地に水道の検針員を装って侵入、若い母親を強姦のうえ殺害し寝ていた乳児も殺害したというものだ。犯人は極悪人のように報道され私もそれを信じていた。安田は丹念に被告との面談を繰り返し、被告が両親から虐待を受け、母親の自殺まで目撃したことを調べ上げ、被告に「解離性障害」の疑いがあることを突き止める。「真実を追求する」のは弁護士のみならず、検事、裁判官、捜査に携わる警察官の責務だが、安田は愚直にそれをやっている。青木が安田に「心からの敬意を抱いている」というのもうなづける。

9月某日
図書館で借りた「おさん」(山本周五郎 新潮文庫 昭和45年6月)を読む。文庫本の初版は昭和45年だが、私が手にしたのは平成30年7月73刷であった。周五郎は1967(昭和42)年に亡くなっているが、国民的な作家として今も根強い人気があることを示している。私も40代頃には周五郎はよく読んだ。「樅ノ木は残った」「五變の椿」「虚空遍歴」「さぶ」などなどである。どちらかというと長編を好んで読んできたような気がするが、周五郎には短編にも名作がある。「おさん」には10の短編が収められている。冒頭の「青竹」は昭和17年に満洲で発行されていた「ますらを」に掲載された作品。大阪夏の陣で主人公は軍令に背いても持ち場死守するが部下の大半を失う。軍令違反で処分されるが結局は加増される。周五郎の太平洋戦争中の作品には戦意高揚ものもあるが、当時「上官の命令は天皇陛下の命令」だったわけで、この作品は軍令違反を採りあげているだけに微妙だ。10作品のうち「戦陣もの」はこの1作のみで、あとは「市井もの」「武家もの」。異色なのが平安時代の盗賊を主人公にした「偸盗」。主人公の鬼鮫は貴族は農民や庶民から搾取して富を築いているのだから、その一部を盗賊が盗み返すのは当然という価値観の持ち主。貴族の16歳の美貌の娘を誘拐して身代金を奪おうとするのだが、この娘がとんだあばずれで鬼鮫が蓄えていた貴重な食べ物、酒を消費し、あろうことか類い稀な好色で鬼鮫に肉体関係を迫る。これは昭和36年の作品である。ということは昭和35年の安保闘争における共産党や社会党の正統反体制グループを鬼鮫が象徴し、当時の全学連や共産主義者同盟の異端反体制グループを貴族の姫が象徴していると言えまいか。ちょいとうがちすぎかね。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
図書館で借りた「魯肉飯(ろばぷん)のさえずり」(温又柔 中央公論新社 2020年8月)を読む。台湾に赴任した男が台湾人女性と結婚、日本に帰国して生まれた女児が主人公の桃嘉(ももか)。桃嘉は台湾人の母親(雪穂)と日本人の父親(茂吉)によって大切に育てられ大学に進学する。いくつかの就職試験を受けるが全敗したこともあってサークルの先輩で商社マンの聖司のプロポーズを受け入れる。日本人と台湾人のハーフの桃嘉と台湾人の雪穂の眼を通して家族とは、夫婦とは?を問いかける。私は桃嘉の夫の聖司の描き方がやや類型的と思った以外は大変面白かった。魯肉飯とは台湾料理でご飯に肉とスープを掛けたものらしい。今度、食べてみよう。

9月某日
「自治体職員かく生きる」(自治体活性化研究会 生活福祉機構 2019年5月)が5冊送られてくる。自治体活性化研究会の幹事のひとりの古都賢一さんから「モリちゃん買ってよ」と言われたからである。定価2000円を1600円に割り引いてくれたので8000円である。早速、神田のきらぼし銀行から送金する。神田に来たついでに「魯肉飯」を食べようと、スマホで台湾料理店を探す。駅の南口にあるということだが見つからない。スマホの地図ってわかりにくいんだよね、私にとっては。仕方がないので前に行ったことのある「隨苑」で「カニチャーハン」(700円)を頼む。神田の社保研ティラーレに寄った後、虎ノ門のフェアネス法律事務所の渡邉弁護士と面談、遠藤代表弁護士も顔を出す。霞が関から千代田線で我孫子へ。駅前の「しちりん」で黒ホッピーと白ホッピー。

9月某日
厚生労働事務次官を退任する鈴木俊彦さんに挨拶するために社保研ティラーレの吉高会長、佐藤社長と事務次官室へ。15分ほど話しをして退出。社保研ティラーレに帰って「魯肉飯」の話をすると、吉高さんが「台湾料理で暑気払いしようか」。ということで昨日見つからなかった神田駅南口の台湾料理店に向かう。やはり見つからないので店に電話すると、神田店は撤収したということだ。近くの「アサリラーメン」をメインにしている店に入る。アサリの蒸したものやムール貝の韓国料理風に味付けしたものとか意外に美味しかった。すっかりご馳走になってしまった。

9月某日
図書館で借りた「帰らざる夏」(加賀乙彦 講談社文芸文庫 1993年8月)を読む。加賀乙彦は今年になってから「湿原」「宣告」を読んだがいずれも読み応えがあった。「帰らざる夏」は太平洋戦争末期の陸軍幼年学校を舞台とした長編小説である。加賀自身が陸軍幼年学校に入学し終戦により学校自体が消滅し、旧制中学に復学しているから主人公の幼年学校生徒、鹿木省司という少年には作家自身の体験が反映されている筈だ。戦争末期であるから幼年学校全体が「天皇陛下のために死ぬ」という空気に覆われていた。これはおそらく事実と思われる。が14歳で幼年学校に入学し16歳で卒業して陸軍士官学校に進学するわけだから、そこにはもちろん青春がある。男だけの世界であるからそこには男同士の同性愛的な感情も発生する。戦争自体は天皇の玉音放送によって終結するのだが、それに納得できない鹿木と鹿木と同性愛的に結ばれている源は、割腹自殺する。小説のラストは鹿木と源の割腹シーンで終わる。三島由紀夫と森田必勝の市谷陸上自衛隊での自決を思い出させるシーンである。

9月某日
図書館で借りた「ジョージ・オーウェル-『人間らしさ』への賛歌」(川端康雄 岩波新書 2020年7月)を読む。ジョージ・オーウェルは「動物牧場」「1984」といった全体主義を風刺したイギリスの作家で、私はオーウェルがスペイン内戦に人民戦線側の義勇軍に参加したときのドキュメント「カタロニア賛歌」を昔、面白く読んだことがある。しかしオーウェルについての知識はそれくらいで今回、この本を読んで作家の誕生から死までのおおよそを理解することができた。オーウェルは1903年にインドで生まれた。父親は現地で英国政府の役人をしていた。オーウェルによると「ありきたりの中流階級家庭のひとつ」だ。オーウェルは生後一歳で英国に戻り、18歳でパブリック・スクールのイートン校を卒業、大学には進学せず当時英国の植民地だったインド帝国警察官任用試験に合格する。赴任先はビルマで24歳まで植民地での警察官を務める。中産階級の出身で植民地の警察官を務めた経験が、オーウェルの労働者階級への同情や反帝国主義的な感情を高めることになったようだ。英国に帰国後は作家を志す一方で貧民窟を訪ねたり、ホテルのポーターや皿洗いを経験する。1933年、「パリ・ロンドン放浪記」で作家デビューする。
1936年6月にアイリーンと結婚、7月にスペイン内戦が勃発、12月にスペイン、バルセロナに入る。1937年1~6月、人民政府側のPOUM(マルクス主義統一労働者党)の民兵隊に参加し、アラゴン戦線で闘う。これをドキュメントとして描いたのが「カタロニア賛歌」である。スペイン内戦は政権を握っていた人民政府に対する、ドイツ、イタリアの支援を受けたフランコの率いるファシストのクーデターにより始まった。人民政府側にはソ連が支援し、世界各地から労働者、市民が義勇軍として参加した。ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」はスペイン内戦を舞台としたもので、ゲイリー・クーパーとイングリッド・バークマンの主演で映画化されている。私はテレビで放映されているのを観たが、義勇軍として参加したアメリカ人(クーパー)とファシストにより金髪を丸刈りにされたバーグマンの悲恋映画である。重傷を負ったクーパーがバーグマンを逃がすために、独り機関銃坐に残る。私も残ると泣き叫ぶバーグマンにクーパーは「逃げろ!僕は君の心に生き続ける」と叫ぶ(私の記憶による再現です)。話は逸れたがPOUMはトロツキスト主体の政党であったため最初はファシストに次いでソ連に支援されたスターリニストに弾圧される。このときのスターリニストやファシストに対する嫌悪がオーウェルに「動物牧場」や「1984」を書かせたと言える。
スペインでのスターリニストからの逮捕を辛うじて逃れたオーウェルは「ソヴィエト神話を暴露」するために「動物牧場」の執筆を開始する。1944年2月に脱稿するが何社もの出版社から出版を断られる。というのも第2次世界大戦の末期であり、英国とソ連は同盟関係にあったため、出版は友好関係を損なうと思われたためだ。「動物牧場」の出版は1945年の8月まで引き延ばされることになるが、これが功を奏して「動物牧場」は世界的なベストセラーとなる。戦争の終息は冷戦の始まりでもあり「動物牧場」はソ連の体制批判として受け入れられたのだ。「あらすじ」は本書によると、農場で酷使されていた動物たち(農民、プロレタリアート)が人間の農場主(皇帝、ブルジョアジー)を追放、動物たちの自主管理による「動物牧場」(ソ連)が成立するが、やがて動物たちのなかでも管理能力のある豚たち(共産党)が農場の運営を組織してゆく。まもなく豚の特権化が進行し、権力闘争の末、豚のナポレオン(スターリン)の独裁体制が完成するというものである。「動物牧場」の完成を待たずに最初の妻、アイリーンは39歳で死去する。
「動物牧場」に続いてベストセラーとなったのが1949年6月に刊行された「1984」である。同じく本書の「あらすじ」によると、1984年、世界は3つの超大国に分割されている。主な舞台はオセアニア国に属するロンドン。神格化された指導者ビッグ・ブラザーを頂点とする党の支配が貫徹している。「テレスクリーン」による私生活の監視、友人や家族による密告、マスメディアの操作、言語の改造によって思想統制が徹底されている。党支配に疑問を抱くようになった主人公は恋人と密会し禁断の自由恋愛を実行する。現体制の転覆を夢想するが、思想警察に逮捕され、ついには破滅する。この「あらすじ」だけでもいろんなことが連想させられる。ビッグ・ブラザーは麻原彰晃を、私生活の監視、友人家族による密告はコロナ禍の「自粛警察」、マスメディアの操作、言語の改造は安倍政権による文書の改ざん、森友、加計、桜疑惑だ。「1984」の刊行後、その年の10月にオーウェルは肺結核で入院していた病院で15歳年下のソニアと再婚するが、翌年1月に大量喀血で死去、46歳であった。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
社保研ティラーレで佐藤社長、吉高会長と13時過ぎから打ち合わせ。その前に近くのラーメン屋「天天有」で「冷やしラーメン」(700円)を食べる。ここの冷やしラーメンを食べるのは二度目。スープに氷が5~6個浮いていて見るからに涼しそう。細長く切ったチャーシューとネギがたっぷり。ここの冷やしラーメンはお勧めです。佐藤社長、吉高会長と打ち合わせの後、内閣官房の吉田学新型コロナウイルス感染症対策推進室次長(内閣審議官)に面談、「地方から考える社会保障フォーラム」の講師について相談する。私は国会議事堂前から千代田線で我孫子へ。我孫子駅前の「しちりん」に寄る。

9月某日
神田の鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」でランチ。「本日の煮魚定食」(800円)を頼む。店員の大谷君が「今日はカレイです」。美味しかったが小骨が多く食べ散らかしてしまった。社保研ティラーレで打ち合わせ。缶ビールを頂く。帰りの電車で「大衆食堂へ行こう」(安西水丸 朝日文庫 2006年8月)を読了。安西が東京の大衆食堂を訪問、イラスト入りで紹介したもの。神田のガード下の「弁亀本店」(閉店)、築地の「たけの」など私の行ったことのある店も紹介されていた。

9月某日
今週は「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせでほぼ毎日、神田の社保研ティラーレへ。今日のランチは鎌倉河岸ビル1階の「石川亭」でカレーを食べようと思っていたら、本日休業の札が。しかたがないので地下1階の「跳人」で「本日の日替わり定食(とんかつ)」(800円)を食べる。18時から厚労省OBで全社協副会長の古都賢一さん、滋慶学園OBでふるさと回帰支援センターの大谷源一さん、そして年友企画の酒井佳代さんと「跳人」で呑み会。安倍首相退任を受けて自民党の総裁選が実施される。岸田派、石破派以外の派閥は菅義偉官房長官支持を表明。勝ち馬に乗る姿勢が見え見え、情けないねぇ。かつての自民党の派閥、派閥の領袖にはもっと活力、迫力があったと思うけど。

9月某日
午後から図書館で借りた「カレーライス-教室で出会った重松清」(新潮文庫 令和2年7月1日)を読む。重松清は人気があるようで「この本は次の人が予約して待っています。読み終わったらなるべく早くお返しください」と書かれた黄色い紙が裏表紙に貼られている。重松清の作品は教科書や入試問題に採用されることが多い。この短編集には重松の作品の中から教科書に載ったものや入試や模試に繰り返し出題された話が掲載されている。重松の作品でこれまで私が読んだものは「毒がない」のが共通点。まぁ小学校や中学校生活を舞台に子供たちや教師を登場人物とするのだからそれも無理はない。この短編集にも母親が入院する話や少年野球のレギュラーになれないまま小学校を卒業する子どもとその父親でチームの監督している男の話など、「毒はない」けれどちょっぴり「苦味」の効いた作品も。

9月某日
我孫子の農産物直売所「アビコン」へ行く。レモン1個(170円)とレタス(150円)を購入。アビコン併設のレストラン「舞米亭」で昼食、カレーライスを注文する。ここは本来、セルフサービスの店なのだが、私が杖を突いているのを見た店員(オバサン)が「いいですよ」と言ってカレーを持ってきてくれた。意外と言っては何ですが美味しかった。カレーと揚げ野菜、ライス、サラダが別々に出てくる。ライスに揚げ野菜を乗せてカレーをかけて食べました。食べ終わった器を下げるのも店員がやってくれて、お店を出るときにも「お気を付けて」の一言。

9月某日
厚労省の1階で社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。老健局長の土生栄二さんの部屋に伺い、次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の講演をお願い、快諾してもらう。社保研ティラーレで吉高会長と面談、新型コロナウイルス対策の噴霧器の販売を手伝うように言われる。帰りに小腹が空いたので我孫子駅の日高屋で「冷やし麺」(550円)を食す。

モリちゃんの酒中日記 8月その4

8月某日
コロナ禍で近場の飲食店も困っているだろうと思う。昼飯はなるべく近場の飲食店でとるようにしよう。まずわが家から一番近いと思われる「手打蕎麦 湖庵」(若松139-3)へ行く。ヒマと読んでいたがほぼ満席であった。そういえば今日は日曜日だっけ。茗荷やネギ、揚げ玉、鰹節などが入った冷やし蕎麦(正式名称は忘れた)を頼む。そこそこ旨いと思うが、汁を全部飲み終わった後に「そば湯」が出てくる。仕方ないので「そば湯」を器に入れて呑むが、これが結構旨かった。お値段は税込1210円。そばを食い終わった後、歩いて5分の我孫子市民図書館へ。コロナの影響でここも比較的空いている。いつもは受験生らしき若者に占拠されているデスクで「スミス・マルクス・ケインズーよみがえる危機の処方箋」(ウルリケ・ヘルマン みすず書房 2020年2月)の残りを読む。ヘルマンという人は学者ではなくジャーナリストなんだけれど、私には経済学の基礎がないので読みやすくはなかった。結局のところヘルマンは新古典派=新自由主義者を否定する。スミス、マルクス、ケインズはそれぞれ時代的な制約もあって過ちも犯すが、学問的な誠実さは新古典派よりもはるかにあったとされる。私は学問的なことよりも経済学の巨匠の私生活が垣間見えて、そこが楽しかった。マルクスには3人の娘がいたが、彼女たちにはフランス語とイタリア語の家庭教師を付け、絵と歌とピアノを習わせた。完全なブルジョア教育である。しかもマルクスには資本主義社会でお金を稼ぐ能力に欠け、その生活はエンゲルスに支えられていた。ケインズには同性愛的な傾向があり、何人かの愛人がいた。2人の男性は生涯を通じて重要な存在であったと記されている。まぁそんなことは彼らの経済学に対する貢献に比べると、どうということはないけれど。

8月某日
向田邦子の「あ・うん」(文春文庫 2003年8月新装版第1刷)を読む。向田は昭和4(1929)年生まれ、放送作家となり代表作に「だいこんの花」「七人の孫」「寺内貫太郎一家」などがあるが、55年に初めての短編小説で直木賞を受賞、56年8月に航空機事故で急逝した。「だいこんの花」は森繫久彌と竹脇無我が親子の役で私はよく観ていた。ウイキペディアによると「あ・うん」はもともとテレビドラマで、その後に小説化されたという。テレビドラマ化もNHKとTBSで行われたという。工場経営者の門倉修三と製薬会社のサラリーマンの水田仙吉が主人公。2人は軍隊で一緒に上巻に殴られた仲。門倉は仙吉の妻、たみに惚れていて、仙吉もたみも気付いているが口にすることはない。私はテレビドラマの記憶はないがNHKでは仙吉をフランキー堺、門倉を杉浦直樹、たみを吉村実子、仙吉とたみの娘、さと子を岸本加世子が演じている。TBSでは仙吉を串田和美、たみを田中裕子、門倉を小林薫、さと子を池脇千鶴という布陣だ。映画は私は観ている。門倉が高倉健、仙吉が坂東英二、たみが富司純子、さと子が富田靖子である。富田靖子は去年か一昨年のNHKの朝の連ドラ「スカーレット」で主役のお母さん役をやっているから、それくらい時間が経っているということ。

8月某日
図書館で借りた「見知らぬ妻へ」(浅田次郎 光文社文庫 2001年4月)を読む。8編の短編が収められていて、読み始めて「なんか読んだような記憶があるな」と思っていたが、最後に納められている表題作を読んで「これは確かに読んだことがある」という確信に変わった。「酒中日記」をスクロールすると2017年の10月に読んでいる。3年近く前ではあるがそれにしても自分の記憶力に自信が持てなくなった。しかし物は考えようである。何度も同じ本を楽しめるということは悪いことではない。この短編集に共通しているのは「愛の切なさはかなさ」であろうか。「30年近い前にふと知り合った踊り子との短い出会い」(踊子)、「クラシックの世界を捨てクラブのピアニストとして生きる男の孤独と矜持」(スターダスト・レヴュー)、「戦後の広場での混血の男の子との出会いと別れ」(かくれんぼ)、「北海道に家族を残し歌舞伎町で客引きをする男と偽装結婚相手の中国人女性との切ない愛」(見知らぬ妻へ)などである。これは田辺聖子の短編にも言えることだがある種の類型である。彼については解説で橋爪大三郎が、浅田は「類型の造形に徹底することで、作品世界の奥行きを深めるという方法をとっていると思われる。いわば類型を使って類型をつき破る試みだ」と分析している。

8月某日
午前中、企業年金連合会の足利聖治さんを訪問。浜松町から神田へ。「跳人」で「マグロのづけ丼」で昼食。従業員で顔見知りの大谷君がアイスコーヒーをサービスしてくれる。社保険ティラーレで「地方から考える社会保障フォーラム」の反省と次回の講師について検討。今回から会場とリモート参加を並行して行ったが概ね好評だったようだ。続いて有楽町の銀座法律事務所で田中弁護士と打ち合わせ。終了後、御徒町駅北口改札へ。年友企画の社員の石津さん、酒井さんと待ち合わせ。石津さんの提案で。湯島のへぎ蕎麦「こんごう庵」へ。天ぷらはじめ大変おいしかった。締めにへぎ蕎麦を頂く。御徒町から帰る二人と別れ、私は湯島から千代田線で我孫子へ。

8月某日
新霞が関ビルのロビーで社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。4階の全国社会福祉協議会で副会長の古都賢一さんに面談、次回の「地方から考える社会保障フォーラム」への出席をお願いする。地下鉄の国会議事堂前から大手町へ。社保研ティラーレによって神田から我孫子へ。我孫子の「七輪」でビール。

8月某日
「新自由主義の帰結―なぜ世界経済は停滞するのか」(服部茂幸 岩波新書 2013年5月)を読む。7年以上前に書かれた本だが、コロナ不況の現在にも当てはまることが多いと感じた。この本が書かれた当時の経済危機といえば08年のアメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻によるリーマン・ショックであろう。アメリカ政府は金融機関を救済するために多額の公的資金を投入した。リーマン・ショックの前にサブプライムローンの破綻に端を発した住宅バブル崩壊があり、その前にはITバブル崩壊があった。服部はアメリカ政府の経済政策の失敗を新自由主義的な経済政策の失敗とし、今こそニューディール政策に学べと主張する。ひるがえって新型コロナウイルス対策として40兆円に及ぶ国費が投じられ、あるいは投じられようとしている。全額が国債による借金である。バラマキではなく新型コロナウイルスや災害に備えた社会インフラの整備に使ってもらいたいと切に願う。

8月某日
国立西洋美術館に「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」を観に行く。この日は大谷源一さん、神山弓子さんと3人で我孫子の「七輪」で呑むはずだったが大谷さんが17時30分まで会議ということなので上野の美術館で時間をつぶそうとなったわけ。例によって私の障害者手帳を示すと本人と付き添い1名が観覧料無料となる。常設展も観て上野から常磐線で我孫子へ。20分ほど我孫子駅の南口あたりを案内する。「七輪」の2階を神山さんが予約していてくれたので2階へ。神山さんから日本酒を頂く。18時45分ころ大谷さんが到着。改めて乾杯。

8月某日
安倍総理が記者会見で辞任を表明。コロナ対策、経済対策が迷走するなか潰瘍性大腸炎が再発した。この人は攻めには強いが守りには弱い。こうした人に長期政権を委ねた政治家、そうした政治家を選んだ私も含めた国民の罪は重い。
図書館で借りた「物語の海を泳いで」(角田光代 小学館 2020年8月)を読む。角田光代が書いてきた書評や読書について書かれたエッセーを一冊にまとめたもの。自分の読んでいない本の書評というのは如何なものかと思ったが、読んでみると角田の感性にそれなりに触れることができて面白かった。そうは言っても好きな作品の書評を読むのは格別。吉田修一や白石一文、桐野夏生、井上荒野、川上弘美、辻原登などの作品に対する書評には引き込まれる。「あとがき」に「50歳を過ぎ、さらに衝撃的なことに気づいてしまった。何ということだろう、読んだ本の中身を忘れてしまうのである」とあって、思わず「おんなじ」とニヤリ。

8月某日
図書館で借りた「靖国神社の緑の隊長」(半藤一利 幻冬舎 2020年7月)を読む。半藤が「週刊文春」の編集者だった1960年夏に執筆、出版した「人物太平洋戦争」から8編をえらび、読みやすい文章に書き直したものだ。「まえがき」で半藤は、「戦争の犠牲者をどう追悼したらいいか」と聞かれたら「日本がいつまでも平和でおだやかな国であることを、亡くなったひとたちに誓うこと」と答えると自問自答している。半藤は東京大空襲も経験した「反戦」の人なのだ。NHKBSで渡辺恒雄読売新聞社主の長時間インタビューを放映していたが、この人も反戦の人だね。半藤は今年90歳、渡辺は94歳である。戦争の記憶はどんどん薄れていく。

8月某日
近場のレストランシリーズ第2弾、本場インドカレー専門店と銘打った「ハリオン」(若松141-4)へ行く。若松店と我孫子駅北口店、取手店と3店舗もある。我孫子産のチキンとトマトを使ったセット1230円を頼む。ナンまたはライスでライスを選択。バターライスなのかな。私には少し量が多い。満足して店を出るが外は猛烈な暑さ。普段なら5分で家に着くがマスクをしてヨロヨロ歩くので倍近くかかってしまった。

モリちゃんの酒中日記 8月その3

8月某日
我孫子の駅前の本屋で見た「すき焼きを浅草で」(平松洋子 文春文庫 2020年5月)を購入、早速読む。我孫子駅前の本屋はもともと平賀書店といって地元資本のお店だったのが、何年か前に東武鉄道系の書店に代わり今では1階がコンビニ、2階が漫画と雑誌、文庫本主体の本屋となっている。2階には店員は不在で、1階のコンビニで決済する。地方都市の本屋の生き残ることの難しさがこんなところにも表れている。「すき焼きを浅草で」は週刊文春で連載中のコラム「この味」を文庫化したもので、すでに6冊が文庫化されていることを初めて知った。作者の平松洋子さんという人のことを30~40代の独身女性というように漠然と想像していたが、実は1958年生まれの現在62歳、結婚していて成人した子供もいることを知ってちょいとびっくり。基本的には食にまつわるエッセーなのだが、ときに現代日本社会に対する鋭い批評もあって、「平松洋子侮りがたし」である。このところ本はもっぱら図書館だが、平松洋子のこのシリーズは書店で、しかも我孫子駅前のコンビニの2階の本屋で買おうかな!

8月某日
朝、家の周りを散歩する。6時に家を出て、家の前の手賀沼遊歩道へ出てそのまま沼に出る。もう釣りをしている人が何人かいる。竿を固定して近くの人と大声で話している人がいる。あんな声を出していては魚が寄ってこないのではないか。犬の散歩をしている人どうしが何人か集まって会話をしている。ジョギングしている人とも何人かすれ違ったり追い越されたりする。7割程度は私と同じ年恰好かそれ以上の高齢者である。グランドでは多少は若いご婦人のグループが敷物を敷いて体操をしている。手賀沼の近くに住んで半世紀近くになるが、手賀沼の魅力を感じるようになったのはこの1~2年、仕事を辞めてからだ。1時間ほど散歩して家に帰る。明日はもう少し早く家を出よう。
図書館で借りた加賀乙彦の「風と死者」(筑摩書房 1975年2月)を読む。奥付が新装版第2刷となっている。1966年から69年にかけて雑誌に掲載された4編の短編が収められている。加賀乙彦の短編を読むのは初めてだが、私には4編がそれぞれに面白かった。「くさびら譚」は、「私」の大学時代の恩師で世界的な神経病理学者、朝比奈教授の話である。教授はあるときから神経病理学に興味を失い、キノコの採取、分類にとりつかれる。そして自ら「私」の勤務する精神病院への入院を希望する。加賀は異常と正常を超えて「精神の高み」があることを示したかったのではなかろうか。「車の精」は、フランス人の老神父から譲られた愛車の話。優れたユーモア小説として私は読んだ。「ゼロ番区の囚人」は東京拘置所で精神科医を務めた作者の経験に基づいている。「風と死者」は精神病院での火災がテーマ。火災で死んだ患者、その家族、看護人、精神科医などの「語り」が見事である。そういえば加賀の「湿原」でも「宣告」でも、登場人物の会話が結構、効果的なんだよね。

8月某日
図書館で借りた「孤独な夜のココア」(田辺聖子 新潮文庫 昭和58年3月)を読む。単行本は昭和53(1978)年だから半世紀近く前の作品なんだけれど、全然色褪せていない。この本を読むのは確か2回目だがそれでも面白い。12の短編が収められているがそのどれもが面白い。「春つげ鳥」は22歳の「わたし」と倍の年齢の笠原サンの物語。二人は愛し合っていて丘の上の一軒家で暮らし始める。笠原サンは毎朝8時半に家を出て7時頃に帰る。「でも、その夜、笠原サンは、いつまで待っても帰らなかった」。「、」の打ち方が絶妙。読者の不安を煽る打ち方。笠原サンは会社で倒れ、病院に運ばれ死んだのだ。悲しい物語ではある。だけどかけがえのない「愛の物語」なんだよね。

8月某日
図書館で借りた「スミス・マルクス・ケインズ―よみがえる危機の処方箋」(ウルリケ・ヘルマン みすず書房 2020年2月)を読み始める。著者はドイツの経済ジャーナリスト、1964年生まれ。ベルリン自由大学で歴史学と哲学を専攻。2006年より日刊紙「taz」で経済部門担当と著者略歴にあった。今日の夕刊1面トップで「GDP年27.8%減、戦後最悪」と報じられていた。新聞は「コロナ危機が国内経済に与えた打撃の大きさが浮き彫りとなった」と述べている。本書の副題「よみがえる危機の処方箋」ではないが、過去の経済学の巨人がどのように考えて来たのか、知ることも悪くはないだろう。「国富論」の著者は「第2章 経済を発見した哲学者―アダム・スミス」と「第3章 パン屋から自由貿易まで―『国富論』(1776)」で取り上げられている。アダム・スミスは「神の見えざる手」という言葉からも自由経済の信奉者と見られがちだが、著者の見方はまったく違う。「スミスはむしろ富裕層の特権と闘った社会改革者だった。たしかに競争と自由市場は擁護したが、それは自己目的ではなく、あくまで地主や裕福な商人の特権を切り崩すための手段だった。スミスは、現代に生きていればおそらく社会民主主義者になっていただろう」と言うのである。

8月某日
「スミス・マルクス・ケインズ」は一休みして、重松清の「星に願いを―さつき断章」(新潮文庫 平成20年12月)を読む。1995年から2000年までの6年間、互いに関係のない3人の5月の一コマを綴ったものだ。1995年というと今から25年前、1月に阪神淡路大震災があり、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件があり、5月には麻原彰晃以下の教団の主要幹部が逮捕された。私は47歳で仕事に遊びに飛び歩いていた頃である。私は3人の主人公のなかではタカユキに共感を覚えた。神戸で震災ボランティアに参加したタカユキは東京の実家に戻ると共に怠惰な高校生に戻っていた。怠惰な高校生にもガールフレンドができる。1学年下の彼女は優秀で現役で北大に入学、2浪して都内の私立の教育学部に入ったタカユキは彼女に会いに札幌へ行き、学校の先生を志望している旨を伝える。私も怠惰な高校、大学生活を送ったからね、わかるんだよね、タカユキの気持ちが。

8月某日
企画を手伝っている地方議員向けのセミナー、「地方から考える社会保障フォーラムの開催日。今回から会場を日本生命丸の内ガーデンタワーに移し、従来2日間にわたっていたものを1日に短縮した。講師は厚労省から鈴木俊彦事務次官、伊原和人江利川毅医療科学研究所理事長、伊原和人政策統括官、栗原正明企画官、それに江利川毅医療科学研究所理事長だ。今回からオンライン中継も導入したがさほどの混乱もなく終わることができた。終了後、大谷源一さんに会場まで来てもらい飲みに行くことにする。千代田線の大手町から町屋へ。何度か行ったことのあるトキワ食堂へ行く。ここは居酒屋ではあるのだが、本来は名前の通り食堂である。私たちの隣のバーさんも「鯖の味噌煮定食」を食べていた。想像するに夫は既に亡くなり子供たちも独立して、バーさんは一人暮らし。「一人分の晩御飯を作るのも面倒臭いから」とトキワ食堂へ。私と大谷さんも1時間ほどで解散、お勘定は一人当たり2230円でした。

モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
図書館で借りた「ドキュメント強権の経済政策―官僚たちのアベノミクス2」(軽部謙介 岩波新書 2020年6月)を読む。著者の軽部謙介は1955年生まれ、早大卒後、時事通信社入社、ワシントン支局長、解説委員長などを経て、現在はフリーのジャーナリストで帝京大学経済学部教授だ。延べ150人を超える関係者へのインタビュー、公文書、議事録、メモなどをソースにしたドキュメントは十分、読み応えのあるものだった。安倍一強が進む中で官邸の機能、権限が強化され、相対的に政権の中で財務省のウエイトが低下し経済産業省の影響力が大きくなっていく過程がよく理解できた。黒田日銀や内閣人事局の実像についても突っ込んだ取材がされている。私としても安倍政権の功罪を考えるいい機会となった。もちろん私の考えでは功の部分はほとんどなく、罪ばかりが目立つのだが。

8月某日
図書館で借りた「ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国」(田中克彦 岩波新書 2009年6月)を読む。1939(昭和14)年の5月11日から9月15日まで満洲国とモンゴル人民共和国の国境地帯で日本・満洲国軍とソ連・モンゴル人民共和国軍との間で闘われた戦闘を、日本では「ノモンハン事件」と呼び、ソ連(ロシア)では「ハルハ河の勝利」あるいは「ハルハ河の会戦」と呼んでいるが、モンゴル人は「ハルハ河の戦争」と呼んでいる。「大量の戦車と航空機を出動させ、双方の正規軍にそれぞれ2万人前後の死傷者、行方不明者を出したこの軍事衝突は単なる事件を越えた、明らかに戦争であるのにそう呼ばないのは」、この戦争が宣戦布告なしに戦われた非公式の戦争であるからである。戦争を仕掛けた当事者、つまり関東軍と日本政府は、あくまでも「事件」という、内輪の話にとどめておきたかったと田中は、第1章で述べている。ところで著者の田中は歴史の専門家ではなく、言語学やモンゴル学を専攻している。モンゴル民族の側からこの戦争を観ているところに本書の最大の特徴があると思う。
モンゴル人と一口に言っても、ノモンハン当時はモンゴル人民共和国の外モンゴル、満洲国に包摂された内モンゴル、人民共和国にも満洲国にも属さないが、両国やソ連、中国の影響下にあったブリヤードやバルガなどのモンゴル人がいたのである。モンゴル人はもともと遊牧民であり版図や領土という概念に馴染まない。が、私の高校世界史のレベルというと、明に代わって中国大陸を支配した女真族は清を建国し、モンゴル人も漢人もおそらくチベットもその支配を受け入れてきた。しかし19世紀にロシアが南下政策によって中国に進出、ロシア革命によって共産政権となっても外モンゴルに進出し、傀儡政権としてのモンゴル人民共和国を成立させた。一方、遅れた帝国主義国としての日本も日清・日露戦争、第一次世界大戦を経て中国大陸進出の野望を剥き出しにして、満州事変を引き起こす。結果生まれたのがこちらも傀儡政権としての満洲国である。モンゴル人は傀儡政権としての人民共和国と満洲国に引き裂かれることになる。とくに人民共和国ではスターリンによる粛清が、ノモンハン戦争前後に繰り返され、その数は2万人を超えるという。ちなみにノモンハン戦争におけるモンゴル人民革命軍の死者は237人に過ぎない。モンゴル側の死者の大半はソ連軍のものだったのだ。

8月某日
岩波新書の「ノモンハン戦争」を読んでいわゆるノモンハン事件が、従来言われているたんなる、満洲国とモンゴル人民共和国との国境紛争に止まらず、日本やソ連さらに中国をも巻き込んだ国際的な紛争の一つの表れであることが理解できた。さらに、その底流には民族問題がある。民族問題は20世紀に解決を迫られ21世紀に持ち越された大きな課題である。例えばモンゴル民族は現代でもモンゴル人民共和国、中国、旧ソ連などに分断されている。その責任は帝国主義国としてのロシア帝国や日本帝国、そして旧宗主国としての清、中華民国にある。さらにソ連の利害をモンゴル民族の利害に優先させたソ連共産党、中国共産党の責任も大きい。民族問題は宗教と密接な関係がある。モンゴル族の宗教は仏教だったが、ソ連共産党はこれを弾圧した。現代では仏教を国教とするミャンマーでは少数のイスラム教徒、ロヒンギャが迫害されている。キリスト教が主体のフィリピンでもイスラム教徒が迫害されている。人種差別に対する抵抗では白人警官が黒人容疑者を虐待、殺害した「ジョージ・フロイト事件」から始まった#BlackLivesMatter運動は記憶に新しい。民族問題、宗教問題、人種問題、さらにあらゆる差別問題は21世紀の人類共通の課題である。

8月某日
図書館で借りた「岩井克人『欲望の貨幣論』を語る」(丸山俊一+NHK「欲望の資本主義」制作班 東洋経済新報社 2020年3月)を読む。岩井克人は「会社はだれのものか」を読んだことがある。内容は例によって覚えていないが、株主のものでも経営者のものでもなく、従業員のものでもなく……といったような内容で「法人」という概念について独自の見解を述べていたような気がする。今回の本は貨幣について仮想通貨のビットコインからアリストテレス、ケインズ、ハイエクなどの思想に触れつつ、岩井の見解を吐露している。岩井は日本に現存する経済学者としては巨人の地位を築いているが、それは単に経済学だけではなく、文学、芸術、歴史などの幅広い知見に支えられたものであることがよく分かる。ちなみに奥さんは小説家の水島美苗。

8月某日
ほぼ1週間ぶりで東京へ。虎ノ門のフェアネス法律事務所で渡邉弁護士と遠藤弁護士と打ち合わせ。社会福祉法人に関する案件なので、私が「全国社会福祉協議会(全社協)と話したほうがいいかも知れない。副会長の古都さんは知り合いなので」と言って、全社協のことを少し説明する。会長は慶應大学の塾長をやった清家篤さんと伝えると、遠藤弁護士は「えっ清家さん、そんなことやっているの」という。古くからの知り合いだそうだ。フェアネス法律事務所は明日から夏休みということだ。千代田線で大手町に出て社保研ティラーレで佐藤社長と吉高会長と次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。会場参加とリモート参加がほぼ半分くらいだそうだ。

8月某日
図書館で借りた「乳房」(伊集院静 文春文庫 2007年9月)を読む。巻末の小池真理子の解説によると、収録された5作の短編はすべて「小説現代」(講談社)に短期連載されたという。伊集院はこの作品によって平成3(19991)年の吉川英治文学新人賞を受賞した。単行本は講談社から発行され文庫本も講談社からであった。講談社文庫の解説は久世光彦が書いていて、この解説は文春文庫にも再録されている。久世は伊集院の作品の「色っぽさ」に着目し、さらに「愚昧なほど古典的な作家だと思う」「無頼の生活を傍らに置いておかないと安心できない不良の性情である」とも。伊集院は1950年の確か早生まれ、立教大学に入学し野球部に入ったのが1968年だと思う。私が1年浪人して早稲田に入ったのが同じ1968年。グラウンドで白球を追っていた伊集院に対して、私は街角で学園で機動隊に石ころを投げていました。

8月某日
「ある死刑囚との対話」(加賀乙彦 弘文堂 1990年3月)を読む。死刑囚Aと加賀との実際の手紙のやりとり公開したものである。1967年8月15日から69年12月7日、Aが処刑される前日までの2年4カ月間の文通の記録である。Aをはじめ死刑囚は未決囚を勾留する東京拘置所に収容される。この酒中日記にも何度か書いたが、私は69年の9月3日の早稲田大学第2学生会館屋上で公務執行妨害、現住建造物放火、傷害その他の容疑で現行犯逮捕され大森警察署に留置された。起訴猶予になるかという淡い期待も外れ、起訴された私は東京、北池袋にあった東京拘置所に移管された。私は統一公判組には入らず、反省組として分離公判を希望したので11月末か12月には東京拘置所を出ている。が、私は1カ月か2カ月、東京拘置所でAとすれ違ったかもしれないのだ。Aが犯した犯罪は強盗殺人事件で事件当時は典型的なアプレゲール(戦後派)の事件としてマスコミに取り上げられた。しかし死刑判決後、Aはカトリックの神父と出会いカトリックに入信する。加賀への手紙でもカトリックに対する深い信仰が伺える。加賀はAの処刑時は未だ信者ではなかったが、Aの死後、ほぼ20年の後、1988年のクリスマスに洗礼を受ける。本書は死刑囚と小説家にして精神医学者との往復書簡ではあるけれど、私には信仰について考えさせるきっかけを与えてくれた本である。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
図書館で借りた桐野夏生の「水の眠り 灰の夢」(文春文庫 1998年10月 単行本は95年10月)を読む。舞台はオリンピックを1年後に控える1963年9月の東京、主人公は週刊誌のトップ屋、村善こと村野善一。桐野は女探偵、桐野ミロを主人公とする連作小説を執筆している(93年「顔に降りかかる雨」、94年「天使に見捨てられた夜」、00年「ローズガーデン」、02年「ダーク」)が、本作はミロの父親善一が主人公である。オリンピックを控えて東京の街は大改造の真っ最中に加えて、景気は高度成長を続けている。だが光があれば闇がある。作家、桐野はその闇の部分にしっかりと目を向ける。闇とは女子高校生の売春や薬中毒であり、その女子高校生に群がる大人たちである。村野は女子高校生の殺人、死体遺棄事件それに草加次郎を名乗る爆弾事件に巻き込まれていく。作中で村野と友人で同業の後藤が1958年に日本で公開されたポーランド映画「灰とダイヤモンド」について語り合うシーンがあるが、「水の眠り 灰の夢」というタイトルにも「灰とダイヤモンド」の反時代的な気分が反映されている。

8月某日
何気なく本棚に目をやると桐野夏生の「水の眠り 灰の夢」(文春文庫 2016年4月新装版第1刷)があるではないか。4年前に買って読んでいたのをすっかり忘れていたのだ。新装版ということで表紙も一新されていたし、解説も旧版の井家上隆幸(書評家)からライターの武田砂鉄に代わっていたけれど。読んでいるときはまったく気付かなかった。人間の記憶なんて当てにならないと思ったが、人間一般ではなく、当てにならないのは「私の」記憶だ。

8月某日
図書館で借りた「明日香さんの霊異記」(高城のぶ子 潮文庫 2020年4月)を読む。奈良の薬師寺の非正規職員として売店などで働く明日香が主人公。明日香は短大卒のまだあどけなさが残る女性だが愛読書が日本霊異記で、おまけに各地の地名の由来を調べるのが趣味。野生のカラスの「ケーカイ」と仲がいい。ちなみにケーカイは日本霊異記の作者の景戒にちなんでいる。それなりに面白かったんだけれど、現代の若い女性を主人公にしたのは疑問。高城にはむしろ日本霊異記を題材にしたファンタジーを期待したい。

8月某日
図書館で借りた「チーム・オベリべリ」(乃南アサ 講談社 2020年6月)を読む。乃南アサは「女刑事・音道貴子シリーズ」や「前持ち女二人組」シリーズなどで知られるミステリーと人情ものを併せ持つ作風で、私は割と好きな作家である。だが本作は北海道開拓の実録ものである。主人公は渡辺カツという女性。依田勉三とともに晩成社を興し北海道十勝の開拓を行った渡辺勝の妻である。依田勉三といっても北海道出身者以外にはあまり知られていないと思うが、高校卒業まで北海道室蘭市で育った私には郷土の偉人として胸に刻まれた名前である。チーム・オベリべリというタイトルは現在の帯広市周辺のアイヌ語の地名、オベリべリの開拓者チームという意味である。A5判600ページを超える大著だが2日半で読み通してしまった。年金生活者で他にすることもないこともあるが、故郷北海道の草創期の物語として興味深く読んだ。晩成社を興した3人(依田勉三、渡辺勝、カツの実兄の鈴木銃太郎)はスコットランド出身の宣教師で医師のワデルの英語塾で学び、北海道開拓を志す。今からおよそ140年前である。その頃の北海道十勝は厳しい自然の大地があるのみで人工物は何もない土地だった。家も畑も自分たちで建て、開墾するしかなかった。カツは横浜の共立女子校で英語を学んだ才媛でかつ敬虔なキリスト教徒であった。私の父方の祖父も、カツや依田勉三より遅れること20年で滋賀県の彦根から北海道に渡っている。もっとも私の祖父は開拓者ではなく、開拓者相手の古着を扱っていたようだ。浄土真宗の信徒でもあった。西部邁の父も札幌郊外の真宗の信徒であったように記憶しているが、北海道の厳しい自然と立ち向かっていくには何らかの信仰が必要だったのかも知れない。

8月某日
コロナ感染者の拡大が進む中、ほぼ1週間ぶりで東京へ。社保研ティラーレで佐藤社長、吉高会長と次回の社会保障フォーラムの打ち合わせ。次回からリモートでの参加もできるようにしたが、今のところリモートと会場の割合が4対6というところ。講演をお願いしている伊原和人政策統括官とリモートで打ち合わせ。折角、東京に来たのだから誰かと呑みに行こうかと思ったが、コロナのことを考えて真直ぐ帰ることに。我孫子へ帰って家呑みのウイスキーが切れていることを思い出して、駅前の関口酒店へ。今回はギルビージンを購入。
店番のお母さんが「明日は熱中症注意報が出るそうですよ」というので、キンミヤ焼酎の「シャリキン」を2つ購入。シャリキンとはパックされたキンミヤ焼酎を冷凍庫でシャリシャリにシャーベット状にすること。ちょいと楽しみ。

8月某日
新型コロナに対する安倍政権の対応がチグハグさを増していると感じるのは私だけだろうか。例えばgo toキャンペーン。知事たちが県をまたぐ移動は自粛してもらいたいと言っているのに観光需要を刺激する施策ではないか。今週発売の週刊文春では政権を支える自民党の二階幹事長と旅行業界の親密さが指摘されていたが、どうもこの政権は身内に甘すぎる。安倍首相は来年の東京オリンピックの終了を政権の花道としたいと考えているらしい。だが、最近の世論調査によると安倍政権の不支持率が支持率を大幅に上回っているし、このところの安倍首相の顔色も心なしか優れない。早ければ年内の政権投げだしもあり得るかも。

モリちゃんの酒中日記 7月その5

7月某日
浅田次郎の「マンチュリアン・レポート」が面白かったので、同じ著者の「清朝末期もの」を読むことにする。手始めに「珍妃の井戸」(講談社文庫 2005年4月)を読む。義和団事件から2年後の北京が舞台。北京から西安に事件を避けようとする西太后と光緒帝一家、光緒帝の愛妾、珍妃は同行を許されず紫禁城内で死ぬ。珍妃の死の真相を探ろうとする英、独、日、露の北京駐在員。英国はエドモンド・ソールズベリー伯爵、英国海軍の提督。ドイツはヘルベルト・フォン・シュミット男爵、ドイツ帝国の陸軍大佐、ロシアはセルゲイ・ペトロヴィッチ公爵、露清銀行総裁、日本は松平忠永子爵、東京帝大教授の4人である。それにしても、浅田の歴史的事実をもとに壮大なフィクションを形づくっていく力量には舌を巻かざるを得ない。珍妃自体が実在の人物で、史実では西太后に西安行きの直前に死を賜ったことになっているという。清末の宮廷、宦官、袁世凱らの軍人、北京の外交団が織りなす華麗な人間関係、その奥にある王朝末期の華美にして不穏な雰囲気、そこら辺が実に巧みに描かれている。

7月某日
図書館で借りた「恋愛未満」(篠田節子 光文社 2020年4月)を読む。篠田節子ってほとんど読んだことないのだけれど、巻末の著者略歴によると1955年東京生まれ、90年に「絹の変容」で小説すばる新人賞新人賞受賞、デビューとある。今年65歳ということか。本作には5編の短編が納められている。どれも嫌味のない爽やかな読後感の小説だが、私的には最後の「夜の森の騎士」がお薦めかな。13年連れ添った夫と円満に協議離婚した亜希子は実家へ戻る。実家の父はすでに亡くなり母には認知症の兆候が。入院先でMRI検査を担当した不愛想な検査技師は、しかし認知症の母親への対応はナイト=騎士を思わせるものだった。母親の付き添いで深夜の病院で目覚めた亜希子はのどの渇きを覚え自販機を探す。病棟で迷った亜希子に手を差し伸べてくれたのは検査技師だった。技師は自販機用の小銭を貸してくれた上、亜希子を病室へ導いてくれる。母親の死後、病院の清算を済ました亜希子は検査技師に小銭を返し、今朝ほど自分で揚げたドーナッツを差し出す。「恋愛未満」というタイトルは恋愛に至る前の男女の触れ合いを表現している。「夜の森の騎士」における亜希子と検査技師の交情がまさにそれに当たる。そういえば篠田には認知症の母と自分のがん体験を綴ったエッセーがあった筈。ネットで検索すると「介護のうしろから『がん』が来た」だった。今度読んでみよう。

7月某日
テレビで映画「グラン・トリノ」を観る。クリントイーストウッド主演・監督のこの映画を観るのは2回目。イーストウッドが演じるのは自動車工場を退職し、妻にも先立たれたやもめの頑固な爺さん。隣に越してきたインドシナ半島の少数民族、モン族の一家と親しくなる。モン族はベトナム戦争のときに米軍側に味方したことから革命政権に迫害され、アメリカに逃れてきたらしい。モン族一家の息子はモン族の不良たちに虐められるが、イーストウッドに助けられる。不良たちは報復に息子の姉を凌辱する。イーストウッドは単身で不良たちのアジトに乗り込む。懐から銃を取り出す仕草を見せたイーストウッドに不良たちは銃を乱射する。実はイーストウッドは丸腰で不良たちに銃を撃たせるために仕組んだのだ。「グラン・トリノ」はイーストウッドの演じる元自動車工の愛車。大型で燃費が悪く小回りが効かないところが元自動車工と似ている。私は「居酒屋兆次」や「幸福の黄色いハンカチ」の高倉健を思い出した。ちなみにイーストウッドは1930年生まれ、健さんは1931年生まれだ。

7月某日
図書館で借りた「宣告」(加賀乙彦 新潮社 1993年8月)を読む。A5判上製、本文796ページでしかも上下2段組だから、読み通すのに5日もかかったが面白かった。加賀乙彦は1929年生まれ、府立6中(現新宿高校)から陸軍幼年学校、終戦により6中に復学し旧制の都立高校理科(現都立大学)から東大医学部に進学した。精神医学者として東京拘置所の医務部技官を務めたことがある。「宣告」にはこのときの経験が下敷きになっている。主人公は死刑囚の楠本他家雄、モデルはメッカ殺人事件の犯人で1969年12月に死刑が執行された正田昭である。楠本を診察する精神科医、近木は加賀がモデル。主な舞台は東京拘置所の死刑囚が収容されている獄舎と医務部。死刑囚というのは死刑が執行されるまでは未決囚なので、刑務所ではなく拘置所に収容される。死刑囚の死刑が執行されるまでの心理を描いた類い稀な小説である。小説全体の空気は明るくはないけれども真っ暗というわけではない。楠本と文通するJ大学心理学科の大学生、玉置恵津子とのエピソードは微笑ましくもある。ここでも上智大学で心理学の教授だったこともある加賀の経験が生かされている。東京拘置所には死刑確定囚が収容されている一角があるが、そこでの死刑囚同士の交流も興味深く描かれる。中卒で獄中でマルクス主義の文献を学習する河野は、連続射殺事件の永山則夫を彷彿させるし、河野に影響を与え後に自殺する学生運動家の唐沢は、連合赤軍事件の東京拘置所で自殺した森恒夫のことを思い出させる。死刑執行は執行の前日に本人に言い渡される。この小説も読み進んでページが残り少なくなってくると「あぁ楠本も間もなく処刑されるのか」と切なくなってくる。

7月某日
図書館にリクエストしていた「最高のオバハン―中島ハルコはまだ懲りていない!」(林真理子 文春文庫 2019年8月)を読む。「この本は、次の人が予約して待っています」という黄色い紙が裏表紙に貼られていたので急いで読むことにする。NHKBSプレミアムで「アラビアのロレンス」を放映するが、それも観ないで「最高のオバハン」に集中することにする。そしたら2時間30分ほどで読み終わってしまった。「宣告」に比べるとこちらは文庫本で236ページ、内容も軽いからね。中島ハルコという女社長と、独身のフードライター、菊池いづみの織りなす軽妙な物語。毎回、いろんな美味しいものを食べ歩くのも物語に彩りを添えている。

7月某日
「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせで神田の「社保研ティラーレ」で吉高会長と佐藤社長と面談。その後、地下鉄銀座線で神田から虎ノ門へ。「フェアネス法律事務所」で打ち合わせ。虎ノ門から銀座へ出て有楽町の交通会館へ。交通会館の「ふるさと回帰支援センター」を訪問する。高橋公理事長と最近、高橋理事長から総務部長の代役を仰せつかった大谷源一さんに挨拶。高橋理事長に来客があるので、大谷さんと先に交通会館地下1階の「博多うどん・よかよか」へ行く。ここは「博多うどん」はもちろん提供するが、日本酒を揃えていることで、高橋理事長が贔屓にしている店だ。店長は日本酒にももちろん詳しいが、依然聞いたことによるとネパールだったかミャンマーだったかの出身。だが顔は日本人にしか見えないし日本語も日本人以上に上手だ。高橋さんが来たので日本酒で乾杯。高橋さんにすっかりご馳走になる。

モリちゃんの酒中日記 7月その4

7月某日
図書館で借りた「マンチュリアン・レポート」(浅田次郎 講談社文庫 2013年4月)を読む。浅田には清朝末期からの中国を舞台にした「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」「中原の虹」があり、本書もその一環ということらしい。解説(渋谷由里・中国近代史研究者)でも、これらの近代中国シリーズを「最初から読んでいただければと思う」と記している。本書の主人公は志津邦陽陸軍中尉、そしてイギリスの鉄道車両工場で造られ、李鴻章から西太后に贈られた機関車、「鋼鉄の公爵(アイアン・デューク)」である。その他の主な登場人物は張作霖、昭和天皇である。志津中尉は治安維持法改悪に関する意見書を公表したことにより陸軍刑務所に捕らわれの身となるが、昭和天皇の密命により釈放される。戦争に傾斜する陸軍を懸念する昭和天皇から満洲の現況をレポートするよう命じられるのだ。イギリスで製造された鉄道車両を西太后の御料車となり、後に張作霖の所有となったとこの物語ではされている。張作霖はこの車両に乗車して満洲へ帰る途中で爆殺されるのだ。どこまでが史実でどこまでがフィクションなのか、読んでいる途中、まさに「巻を置く能わず」であった。

7月某日
1日間違えた高原亮治さんの命日、四谷の上智大学隣の聖イグナチオ教会で16時に堤修三さんと木村陽子さんと待ち合わせ。地下の納骨堂にお参り。木村さんに「森田さん、2日連続で来てくれるなんて高原さんも喜んでいるよ」と言われる。堤さんが禁酒中なので四ツ谷駅のショッピングモール2階のカフェアントニオへ。私はバランラインのハイボールを頼む。いつもより旨いと感じたのは炭酸水の違いか。木村さんは「糠床」で茄子やニンジンの糠漬けを作ったり、マンションのベランダを利用して園芸に精を出す日常だそうだ。この3人は年に一度、高原さんの命日に会う関係だ。なんか面白いね。

7月某日
図書館で借りた「香港デモ戦記」(小川善昭 集英社新書 2020年5月)を読む。新型コロナウイルスの影響もあって現在は香港の街角は平静さを取り戻しているようだが、昨年の春から暮れにかけて香港は「逃亡犯条例」の改正を巡って学生、市民の大規模なデモに見舞われていた。本書はデモに明け暮れた香港を現地取材したルポルタージュだ。日本の全共闘世代である私は2019年の香港を、1968~70年の東京と二重写しに見てしまいがちだ。学生が主体となって機動隊と激突し、一部の市民、野次馬が学生を支援するという構造は、1968年の王子野戦病院反対闘争、同じく10月21日の国際反戦デーの新宿騒乱事件、翌年1月の東大安田講堂の攻防戦に呼応したお茶の水カルチェラタン闘争などと似たような構造を持っている。しかし大きな違いは、当時の日本の学生は「世界革命」を目標とする反日本共産党の共産同や革共同の革命党派の指示で動員されていたことだ。対して香港の学生には統一した司令部は存在せず、各自が自発的にネットで連絡を取り合いながら集会やデモを行っている。私はここに香港の新しさと可能性を見出す。インターネットはそれ以前と比較すると情報量を圧倒的に増加させ、人間と人間の繋がりをフラットにさせた。それが香港の学生たちが主張するように「一国二制度」の堅持に向かうのか、中国政府の介入を強め、「一国二制度」の崩壊へと向かうかは不明であるが。私としては香港の学生、市民を支援したい気持ちで一杯なのだけれど。

7月某日
図書館で借りた「私はスカーレットⅡ」(林真理子 小学館文庫 2020年4月)を読む。マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」のリメイク版。私は原作の「風と共に去りぬ」は読んでません。ヒロインのスカーレットをヴィヴィアン・リー、相手役のレット・バトラーをクラーク・ゲーブルが演じた映画は観ているけれど。文庫本の惹句に曰く「名作『風と共に去りぬ』を林真理子がヒロイン視点でポップに甦らせる一人称小説。血湧き肉躍る展開の第二巻!」とある。スカーレットは南部の大農園の主の娘として生まれ、自他ともに認める美貌の持ち主。しかし恋するアシュレはメラニーと結婚、当てつけにスカーレットが結婚した相手は南北戦争で戦死。16歳で未亡人、17歳で母親になったスカーレットは大都会のアトランタへ。「風と共に去りぬ」は黒人差別の表現があるなどして批判されている。どのような名作も時代的な制約からは免れえない。それを踏まえたうえで名作を楽しむ機会を奪ってはならないというのが私の立場。「スカーレットⅡ」では南軍が北軍に圧倒されて、アトランタでも食料や衣類が欠乏していく状況が描かれる。レットは戦争のさ中、北軍の港湾封鎖をかいくぐって大儲けする。が「どんな崇高なことを言っても、戦争をする理由はひとつしかない。金ですよ」と公言するリアリストでもある。南北戦争は1861~65年で「風と共に去りぬ」の刊行は1936(昭和11)年、その当時の日本で、こんなことを発言する人がいたろうか?いたとしても治安維持法で検挙されたに違いない。アメリカの懐の深さを感じてしまう。

7月某日
社保研ティラーレで次回の社会保障フォーラムの応募状況を聞く。新型コロナウイルスの感染拡大が続くなか、集客はいまひとつ。だがリモートでの応募が幾つか出てきているのは朗報と思う。落語をリモートでやったという噺家もいるらしい。新型コロナウイルスは確かに人類にとっての厄災である。でも厄災を厄災で終わらせてしまっては情けない。「転んでも只では起きない」精神が大事です。

7月某日
図書館で借りた「狼の義―新犬養木堂伝」(林新・堀川恵子 角川書店 2019年3月)を読む。著者の林新(はやし・あらた)はNHKのプロデューサーで2017年に亡くなっている。堀川恵子は林の奥さんでノンフィクション作家、亡夫の志を継いで本書を完成させた。犬養木堂、犬養毅は昭和7(1932)年5月15日、首相官邸で海軍軍人らに殺害された(5.15事件)。本書は犬養が慶應義塾在学中に西南戦争の従軍記者を務めたから頃から、その死までを綴ったドキュメントである。「狼の義」というタイトルは尾崎が狼面をしていたことによる。小柄だが眼光が鋭かったということである。戦前というと軍部が言論統制を敷いて民主主義を弾圧した時代と単純に捉えがちだが、明治から大正、昭和、日中戦争、太平洋戦争を経て敗戦に至る歴史は、そう簡単ではない。本書を読んでもそのことはよく分かる。尾崎が若い時から自由民権運動に身を投じたように、戦前の日本には軍国主義、対外膨張の流れとは別に民権拡張、対外協調の流れが確かにあった。本書は尾崎に寄り添った古島一男という人物を配して対外協調(とくに中国との)路線を貫いた尾崎の一生を描いている。