モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
図書館で借りた「海峡に立つ-泥と血の我が半生」(許永中 小学館 2019年9月)を読む。許永中。イトマン事件の主犯といわれた人だよね。7月に「バブル経済事件の深層」(岩波新書)を読んだが、イトマン事件には触れていなかった。バブル経済って金が金を呼び、信用が根拠もなく膨張したことなんだと思う。怖いのはその渦中にいると一般人の私たちでさえそれが異常だと思えないこと。私は当時、年友企画で年金住宅融資を担当していたが、旺盛な住宅需要に対して住宅金融公庫や年金住宅融資などの公的資金はいつも不足していた。公的資金は低利で人気があったのだが、それでも公庫融資で年5.5%であった。今から30年以上前のこととはいえ隔世の感がある。本書について言うと大阪の在日朝鮮人の家に生まれた許永中が大学を中退して度胸と腕力と知恵で、その筋で頭角を現していく過程がそれなりによく描かれていると思う。梁石日の小説「血と骨」を思い出した。

12月某日
「悪足搔きの後始末 厄介弥三郎」(佐藤雅美 講談社文庫 2018年1月)を読む。2015年1月に単行本として出版されたとあるが、「もしかしたら読んだことがあるかなぁ」と思いつつ読み進むが、記憶は甦らない。江戸時代は長子相続が原則で、長男以外の男子は親亡き後は兄の世話になっていて、「厄介」と呼ばれていて幕府の公用語にもなっていた。都築弥三郎は650石取りの幕臣、兄の孝蔵の厄介である。厄介から逃れる道は家付きの娘の婿養子になるか、家を出て浪人となるかしかない。弥三郎は婿養子を蹴って浪人の道を選ぶ。それなりに生きる道も見つけ「厄介」の身ならばとても叶えられなかった嫁ももらうことができた。しかしある事件をきっかけに弥三郎の運命は暗転、お尋ね者の身分となってしまう。ヤクザの客分となった弥三郎は出入りの助っ人に駆り出され…。ここまで読んで「あぁ読んだことがある」と思い出した。佐藤雅美の小説は綿密な時代考証と一種の「軽み」が特徴。本書にもそれはあるのだが、「厄介」故の悲しさが底を流れている気がする。

12月某日
早稲田大学に法学部学術院の菊池馨実先生を訪問。11時の約束だったが念のため10時35分に地下鉄東西線早稲田駅で社保険ティラーレの佐藤聖子社長と待ち合わせ。法学部の校舎に行き、エレベータで教授の部屋がある12階へ。約束の時間までラウンジで過ごす。私が早稲田の学生だったのは50年前でエレベータのある校舎はなかった。キャンパスを行き来する女子大生の多さにもびっくりした。だいたい私は在学中、ほとんど授業に出たことがないので校舎に足を踏み入れるのは稀。ストライキで校舎をバリケード封鎖したときはバリケードの内側、つまり校舎にいたけども。授業のあるときは校舎に行かずストライキで授業のないときは校舎に行くという倒錯した学生生活を送っていたわけだ。菊池先生には来年2月の「第21回地方から考える社会保障フォーラム」への参加を快諾いただいた。50年前「メルシー」というラーメン屋によく行っていたが現在も健在ということなのでそこを覗いてみる。50年前はラーメンが50円であったが今は450円であった。私は470円のもやしそばを、佐藤社長はオムライスを頼む。味は昔と変わらないように思えたが、今の私からすると随分と塩辛く感じられた。佐藤社長にご馳走になる。早稲田から霞が関へ。社会保険研究所の水野君と待ち合わせ3人で厚労省へ行って、鈴木俊彦事務次官にも社会保障フォーラムへの参加を依頼する。

12月某日
神田で打ち合わせの最中、上智大学の客員教授をやっている吉武民樹さんから電話。「今、大学?」と「そう」という答え。17時30分に神田駅の北口で待ち合わせることにする。「大谷さんにも連絡しといて」ということで、大谷さんとも神田駅北口で待ち合わせることに。大谷さんは神山弓子と登場、少し遅れて吉武教授も来る。北口の近くにある「鳥千」に行くと満員だった。年末の金曜日とあって呑み屋さんはどこも書き入れ時のようだった。南口の「葡萄舎」でやっと座ることができた。白井幸久先生も遅れてくるという。大谷さんが迎えに行ってくれた。5人で私が持ち込んだスコッチを1本空けてお開きに。吉武教授とは上野からグリーン車で帰ることにする。吉武教授が缶チューハイを買ってくれる。我孫子について吉武教授と久しぶりに「愛花」に寄る。「愛花」も常連さんで一杯だったが、なんとか席を作ってくれた。隣に居たSM作家のお姉さんと団鬼六について話したような気がする。家に着いたら午前2時を過ぎていた。

12月某日
図書館で借りた「民主主義は終わるのか―瀬戸際に立つ日本」(山口二郎 岩波新書 2019年10月)を読む。著者の認識を一言で表すとすれば「第二次安倍政権のもとで、日本の民主主義は壊れ続けている」(はじめに)というもの。安倍政権を批判する言説は多いがこの本ほど正面を切って堂々と批判したものを私は知らない。安倍内閣は桂太郎内閣を抜いて立憲史上、最長の記録を更新しているが、これは安倍政権が国民から安定的に支持されていることを必ずしも意味しない。国政選挙では安倍政権が勝利を続けているが、それは野党の分裂と低い投票率に助けられたものに過ぎない。国民、市民が国政に関心を持って、自分の意志を投票行動において明らかにする、それが民主主義の基本であろうと思う。この本を図書館に返したら、私も一冊購入して友人、知人に薦めようと思う。

モリちゃんの酒中日記 11月その4

11月某日
新橋の「うおまん」で早稲田大学政経学部の同じクラスだった岡超一君と雨宮英明君と呑み会。政経学部でクラスは違ったが同じ学年の関友子さんも一緒。岡君は卒業後、第一志望だったデパートの伊勢丹に就職、定年まで勤めあげた。雨宮君は内定していた生命保険会社を蹴って司法試験に挑戦、合格後検事に任官し今は「辞め検」で新橋の弁護士ビルに事務所を開いている。関さんは多分、卒業していない。確かエレクトーン奏者を経て新宿にクラブを開業、後に赤坂に移った。学部のクラスは選択した第2外国語で分けられ私たちのクラスはロシヤ語だった。ひとクラス50人から60人くらいはいたと思うが私たちのクラスは民青(日本民主青年同盟、日本共産党系の青年組織)が強く、クラス委員選挙で私はいつも民青の清真人君に負けていた。清君は後に近畿大学の哲学の教授となったが、清君の奥さんは同じクラスメートの近藤百合子さんだ。雨宮君の息子さんが今年早稲田大学の法学部へ進学、奥さんと一緒に早稲田祭に行ってきたそうだ。

11月某日
浅田次郎の「わが心のジェニファー」(小学館文庫 2018年10月)を読む。主人公のローレンス・クラーク(ラリー)はマンハッタンのアッパー・ウエストサイドで暮らすサラリーマン、職場はウォール街の投資会社。ラリーの幼いころに両親は離婚、ラリーは祖父母に育てられた。祖父は退役の海軍少将で第二次世界大戦への従軍経験を持つ。ラリーの恋人ジェニファーは「ニューヨークで一番のソーシャライツで、ゴージャスで、美貌と教養を兼ね備え」ているとラリーは信じて疑わない。ソーシャライツって社交界の名士の意味だってこの本で初めて知った。やたらたとカタカナの英語が出てくるのもこの小説の特徴だが、ラリーは日本贔屓のジェニファーの勧めで日本を訪れることになる。日本からジェニファーに送る手紙の書き出しがいつも「Jennifer On My Mind」で始まるのだ。ラリーの祖父は日本に対して偏見があって「黄色い猿」「ジャップ」を繰り返す。その偏見にはある理由があるのだが、それは最終章で明らかにされる。でも日本を一人旅するアメリカ人青年を主人公とするなんて、浅田次郎の着想がいいよね。

11月某日
年友企画の石津幸恵さんと御徒町の吉池食堂で待ち合わせ。吉池食堂では「今、テーブル席は満席でカウンターで良ければ」と言われる。カウンターで待つこと5分で石津さんが同僚の酒井佳代さんをともなってあらわれる。石津さんに「今日、銀行に寄る時間がなかったので8,000円しかないのだけれど」というと「いいよ、今日は私がおごってあげる」と言われる。元部下にご馳走になるのはいささか情けないが遠慮なくご馳走になることにする。酒井さんは今度結婚するというので「誰と?」と聞くと「森田さんの知らない人」という答え。そりゃそうだ。石津さんはビール、酒井さんはウーロン茶。私は日本酒(南部美人と桃川)を頂く。吉池食堂はスーパー吉池の経営で、ここの鮮魚部は定評がある。そのためだろうかタコの刺身、貝の刺身の盛り合わせ、つぶ貝のエスカルゴ風など大変美味しかった。締めにおにぎりも食べたのでちょいと食べすぎ。今回は石津さんにすっかりご馳走になってしまった。次回は酒井さんの結婚祝いを兼ねて私がご馳走しよう。

11月某日
「開けられたパンドラの箱‐やまゆり園障害者殺傷事件」(月刊『創』編集部編 創出版 2018年7月)を読む。セルフケア・ネットワークの高本代表理事が重度重複障害者の実態調査を考えていて、私もその手伝いができればということで「障害」関係の本を図書館で探していてたまたま目についたのがこの本。やまゆり園障害者殺傷事件というのは2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に植松聖(さとし)被告が押し入って障害者19人を殺害、27人を負傷させた事件。ずいぶん前に起きた事件かと思っていたが、まだ3年しか経っていないんだ。月刊『創』は2016年10月号で総特集を組んだのを皮切りに、その後も継続してこの事件を取り上げて来ている。障害を巡る問題は私にとってはやや遠い。親父が実験中の事故で手指の一部を失って障害者になり、私自身も数年前の脳出血の後遺症で右手足にマヒが残り障害者手帳を交付されているにも関わらずだ。思うに私と親父の障害は身体障害でしかも割と軽度であったためであろう。私が障害を意識するのはJRの100キロ以上の乗車券を購入するときぐらいだ。何しろ障害者手帳を示すと乗車券が半額になるのでね。
重度の身体障害、知的障害、精神障害にはまだまだ差別があると思う。やまゆり園の被害者の名前が公表されなかったのも「家族が差別される」という恐れからだと言われている。ただ私は、私も含めて人間は他者(生まれや民族、障害の有無に限らず)を差別をしている限り自由な存在にはなり得ないという考えを持っている。これはなぜ?と言われても困ってしまう。そういう考え、そういう信念だからね。

モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
「しかたのない水」(井上荒野 新潮文庫 平成20年3月)を読む。フィットネスクラブを舞台とする連作短編集。受付の女性、水泳のコーチ、コーチの妻でフラメンコの講師等が織りなす物語ということができる。ある日コーチの妻が失踪する。そんななかで虚実が入り交じって物語が展開していく。ストーリーを要約してもあまり意味はないようなそんな連作短編集である。

11月某日
ブレイディみかこの「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」がノンフィクション部門の本屋大賞を受賞した。「女たちのテロル」を先月読むまでブレイディみかこの存在自体を知らなかったけれど、もう少し作品を読んでみたいということで図書館で検索すると「花の命はノー・フューチャー」(ちくま文庫 2017年6月)がヒットしたので早速借りることにする。もともと2005年にオリジナル版が出版され、それにブログで連載されたものや書下ろしを加えたものだ。著者は高卒後、イギリスに移住してアイルランド人と結婚した。イギリスはブライトンという地方都市(ロンドンにも通勤可能な海辺の町らしい)に住む。イギリスは階級社会ということは聞いていたが、私たちが知るのはアッパークラスやミドルクラスの人々の暮らしで労働者階級や貧民層の生活はあまり知られていない。著者は公営住宅を払い下げられた住宅に住むが、近所に住むのは労働者階級や貧民層。彼らの暮らしぶりが活き活きとユーモアを交えて描写される。ちょっと異質なのは「BABE伝説」というエッセー。これは Mo Mowlam (モー・モーラム)という北アイルランド担当相を務めた英国の政治家の死を悼んだエッセー。北アイルランドの紛争解決に向けてすべての当事者を同じテーブルに着けたのが彼女だという。途中から病を得て失意のうちに死んだようだが、そんな彼女の人生を振り返るブレイディみかこの筆が優しいんだよね。

11月某日
地方議員を対象にした「地方から考える社会保障フォーラム」も20回、6年目を迎えた。今回は日本列島を直撃した台風の影響もあったのだろう申し込みはやや低調。それでも初日は伊藤明子消費者庁長官の「地域の未来を創る消費生活」、厚労省の江浪武志がん・疾病対策課長の「患者と家族を地域でどう支えていくか-第3期がん対策推進基本計画に沿って」それに中島隆信慶應大学教授の「障害者は社会を映す鏡-障害児教育と障害者就労から考える」の話に地方議員の先生たちは熱心に耳を傾け、講師との意見交換も活発に行われた。地方議員以外にも福祉関係者や労働組合からの参加もあって、すそ野は広がりつつあるようだ。中島先生には講義終了後の意見交換会にも参加していただいた。初参加の先生方から「また参加したい」との声も頂いた。2日目は年友企画の大山社長から「地域住民・地方自治体と国民年金」、さらに社会保険研究所グループからの話があった後で厚労省の吉田昌司地域共生社会推進室長から「地域共生社会の実現に向けた包括的な支援体制の整備について」の話があった。私は午後、医療科学研究所の江利川毅理事長と面会の約束があったので吉田室長の話は失礼して赤坂見附へ。
赤坂見附の医療科学研究所の前で高本真佐子セルフケア・ネットワーク代表と待ち合わせ。
高本代表が構想している重度重複障害者についての調査研究についてアドバイスを頂く。銀座へ行く高本代表とは17時にプレスセンター1階で待ち合わせることにして私は虎ノ門のフェアネス弁護士事務所で渡邉弁護士と打ち合わせ後、プレスセンター1階へ。高本代表と近くの喫茶店で打ち合わせ。私はタイムサービスのウイスキーのソーダ割を1杯頂く。18時にプレスセンター10階の虎ノ門フォーラムの月例社会保障研究会へ。今日の講師は放送大学客員教授の田中耕太郎先生による「ドイツの社会保障の動向と日本への示唆」。田中先生とは以前京都で堤修三さん、阿曽沼真司さんと4人で呑んだことがあるので講演前に挨拶する。田中先生のドイツの社会保障、とくに「医療保険と医療提供体制の特徴と改革」の話は大変面白かった。ドイツの医療改革に比較すると日本の改革は微温的で徹底性に欠けると感じた。難民の流入の増加についての質問に「難民という言葉に否定的な響きがあるが、稼得年齢層が流入しておりドイツの労働力不足への対応に貢献している」と答えていたのが印象的であった。

11月某日
社保険ティラーレの佐藤聖子社長と厚生労働省に伊原和人政策統括官を訪問、次回の「地方から考える社会保障フォーラム」のアドバイスをもらう。HCM社で三井住友きらめき生命の営業ウーマンから説明を受けた後、若干の身辺整理をする。HCM社が年末に引っ越しをするためである。HCM社では立派な机を使わせてもらっているのだが、大橋進社長によると今度のオフィススペースは相当狭くなるため机は持っていけないとのこと。書類をいくつかシュレッダー処分した後、社保険ティラーレで打ち合わせ。

11月某日
「日本の地方議会-都市のジレンマ、消滅危機の町村」(辻陽 中公新書 2019年9月)を読む。日本の中央政府の首長、つまり総理大臣は議会(国会)での選挙によって選ばれるが、都道府県や市区町村の首長は住民の選挙で選ばれる。国政は一元代表制を採っているのに対して、地方は二元代表制とっているのだ。平成の大合併によって町村数が大幅に減って、地方議員も1998年末に6万3000人余りいたのが2018年末には3万2000人余りに減少している。地方議員の存在意義がどこにあるのか問うたのが本書である。国会議員はその報酬も含めて高度な専門職として位置づけされているが、果たして地方議員はどうなのかというのが著者の問題意識の一つだと思う。東京都議会など大都市を持つ都道府県議会や市議会はそうしたことも可能であろうが、過疎地の町村議会ではそもそも議員のなり手がいないという問題を抱えている。本書では「地方議員の専門性強化を図るだけでなく、近隣の自治体同士で議会事務局を共同設置するなどして議会総体としての能力向上を進めなければ、議員活動は魅力あるものに映らないし、活性化もしないだろう」としているが同感である。

11月某日
佐藤雅美の八州廻り桑山十兵衛シリーズ「関所破り定次郎 目籠のお練り」(文春文庫 2017年6月)を読む。八州廻りとは関八州、相模、武蔵、上総、下総、安房、常陸、上野、下野の8か国を管轄する勘定奉行配下の巡察吏である。今回の事件の発端は上州(上野の国、今の群馬県)玉村で道案内(江戸でいう岡っ引)が殺されたこと。同じころ相州(相模の国、今の神奈川県)でも道案内が殺される。上州の下手人は定次郎、相州の下手人は六蔵、二人とも博徒崩れだがこの時代ならば侠客である。この二人を追って桑山十兵衛は関八州を行きつ戻りつするのだが、この旅行脚も小説を面白くさせている要素のひとつだと思う。

モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
札幌でコンピュータソフトの会社を経営している佐藤正輝(マサキ)は小中高校が同じ。山本義則(オッチ)と前野信久(ノンチ)も同じでこの3人は家も近所だった。マサキとノンチは高校でスキー部を創部、マサキが東京に出張してくるたびにスキー部の連中に声を掛けて集まる。私も高校1年のときワンシーズンだけスキー部に席を置いたことがあるので参加することにしている。「新橋か有楽町辺りに店を予約しておいて」とマサキからメールが来たので、HCM社近くの「李さんの中華屋さん」をネットで予約、新橋駅の烏森口で待ち合わせることにする。待ち合わせ時間の10分ほど前に烏森口に行くと紅一点の中田(旧姓)さんが来ていた。ノンチは少し遅れて娘さんと来ることになっているので、予定の6人が集まったところで会場へ。少し遅れてノンチ親娘も登場する。ノンチが隣に来たのでお互いの家族のことなどを話す。そう言えばノンチの母親と私の母親が仲良しだったことを思い出した。幼馴染もいいものだ。佐藤からみんなにお土産の「札幌ラーメン」が配られる。私は春日部に住むオッチと一緒に新橋から上野東京ラインで帰る。

11月某日
図書館で借りた「明治維新の敗者たち-小栗上野介をめぐる記憶と歴史」(マイケル・ワート 野口良平訳 みすず書房 2019年6月)を読む。内容もよくわからないままタイトルに魅かれて借りたのだが正解であった。小栗上野介忠順は遣米使節の目付を務めたほか軍艦奉行、外国奉行などの役に就いた幕臣である。しかし今日、小栗が記憶されているとしたらそのような事績よりも大政奉還後、薩長を主とする官軍に対する徹底抗戦を主張しそれが容れられないとなると官を辞し、領地のあった今の群馬県に隠棲するも官軍に捕らえられ斬首されるという悲劇的な死によってであろう。著者のマイケル・ワードは小栗が隠棲した権田村(その後倉渕村、現在は町村合併によって群馬県高崎市の一部)で英語の教員をしているときに小栗のことを知り、それがきっかけとなって幕末日本を研究することになったという。本書は小栗の生涯の歴史的な事実を辿ることが目的ではなく(もちろんその役割も可能な限り果たしてはいるが)、小栗の生涯と死が日本の社会でどのように受け入れられていったかを一次資料、文学作品、映画、テレビ、記念事業などにより実証的に論じている。小栗の記憶を意識的に探し出し、後世に遺そうとした人のことを、著者はメモリー・アクティビストと呼んでいる。歴史には確かに思い出や記憶の集積という側面もあるのだろう。

11月某日
図書館で借りた「私はスカーレット Ⅰ」(林真理子 小学館文庫 2019年10月)を読む。マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」の超訳本である。「風と共に去りぬ」は読んでいないけれど、映画は2回か3回観ている。映画館とテレビでね。主人公のスカーレットはヴィヴィアン・リー、スカーレットの永遠の恋人レット・バトラーはクラーク・ゲーブル。「私はスカーレット」は、主人公のスカーレットが一人称で語り下ろす。スカーレットって当時16歳だったんだな。美して驕慢。ずっと恋焦がれていたアシュレは結婚してしまい、当てつけのようにスカーレットはチャールズ・ハミルトンと結婚。折から南北戦争が勃発、召集された夫は死ぬ。寡婦となったスカーレットは一人息子を連れて南部の中心地、アトランタへ向かう。林真理子自体が「風と共に去りぬ」の大ファンで、それがうまく作品に生かされていると思う。Ⅱ以降も読みたい。

11月某日
柏のがん研究センター東病院へ青海社の工藤社長と行く。根津の青海社に寄って千代田線で北千住へ。北千住からつくばエクスプレスで柏の葉キャンパス、そこからバスでがん研究センター東病院へ。精神腫瘍科の小川先生と秘書の酒井さんに面談、スケジュールなどを確認。帰りもバスで東病院から柏へ、柏から常磐線で我孫子まで1駅。工藤社長に「食事して行く?」と聞かれたので「呑んでいこう」と答え、駅前の「七輪」へ。

11月某日
16時から千代田線町屋駅直結の「ときわ」で呑み会。メンバーは私と確か中大の4トロ(50年前、正統トロツキストを自称していた第4インター派を他党派はこう呼んでいた)出身の某氏と北大叛旗派(同じく50年前のことですが1960年代末に共産主義者同盟(ブント)が分裂、戦旗派、赤軍派、情況派、叛旗派などが生まれた)OBの某氏である。4トロ氏は私より1歳上、叛旗氏は私より2~3歳下だがまぁ同世代である。叛旗氏は北大の理系学部を卒業後、1部上場企業に就職したが塾講師に転身、それも2~3年前に辞めたようだ。4トロ氏は卒業後、石油の業界団体に就職、その後石油の輸入商社で働いて定年退職した。叛旗氏は最近、中国に行ってきたようでその土産話を聞かせてもらった。中国は共産党が独裁的に支配する国家独占資本主義国家になったようだ。16時から4時間も呑み続けたので、呑み会終了。町屋から千代田線で我孫子へ。駅前の「愛花」で日本酒を2杯程頂く。さすがに疲れたのでタクシーで自宅まで帰る。

11月某日
元厚労省の江利川毅さんや川邉新さんを囲む「例の会」を神田司町の中華飯店「上海台所」で18時から。夕方、内神田の社保険ティラーレで打ち合わせがあったのでその後、佐藤聖子社長と15分ほど歩いて「上海台所」へ。いつもは一番乗りは川邉さんなのだが今回は15分前には江利川さんが来る。「上海台所」は初めての店なので早めに来たという。続いて川邉さんが来たが「だいぶ前についていたがその辺をウロウロしていた」。続いてセルフケア・ネットワークの高本真佐子代表、元厚労省で埼玉医科大学教授の亀井美登里さん、滋慶学園の大谷源一さん、上智大学の吉武民樹さん、社会保険研究所の手塚さん、基金連合会の足利聖治さんが来て、本日のメンバーは全員集合。高本代表が料理をテキパキと頼んでくれたので幹事は楽であった。今回の「上海台所」はおおむね好評だったので次回もここにすることにした。

モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
上野の東京都美術館に「コートールド美術館展―魅惑の印象派」をフリーライターの香川さんと観に行く。「マネ、ルノアール、ドガ、セザンヌ、ゴーガン、巨匠たちの傑作が終結」とパンフレットにあり、確かに私でも知っている名画、ドガの踊り子やセザンヌのサント=ヴィクトワール山などが出品されておりなかなか見ごたえがあった。コートールド美術館はコートールドという英国の実業家のコレクションが元になっていることを今回初めて知った。コートールドの事績も紹介されていたがレーヨンの製造・国際取引で財を成しただけでなく経済学の論文を専門雑誌に載せるなど学者的な側面もあったようだ。私は倉敷市に大原美術館を開設した倉敷レーヨンの大原総一郎を連想した。ウイキペディアで検索すると、大原財閥の実質的な創業者で大原美術館を開設したのは大原総一郎の実父の孫三郎だった。この人が偉い人で倉敷紡績の社長を継いだ後、のちのクラレでレーヨンの製造に乗り出しただけでなく中国電力、中国銀行の創業にも参加している。孫三郎が偉いのは実業だけでなく大原美術館や大原社会問題研究所を開設するなど芸術や社会問題にも深い関心を持ったことだ。ウイキペディアによると孫三郎は東京専門学校(後の早稲田大学)に入学した後、放蕩に明け暮れ現在の価格で1億円ほどの借財をつくり、倉敷に引き戻されたという。うーん面白そう。

11月某日
我孫子図書館で「大原孫三郎」を検索すると「わしの眼は10年先が見える-大原孫三郎の生涯」(城山三郎 新潮文庫 平成9年5月)が出てきたので早速借りて読むことにする。文庫本で300ページを超える厚さだが、私にとっては大変面白く4時間ほどで読み通してしまった。大原孫三郎は東京専門学校に遊学したが放蕩がたたって倉敷に連れ戻される。それが20歳そこそこなのだがその後が凄い。父の跡を継いで倉敷紡績の社長に就任する一方、天然原料に依らない化学繊維レーヨンに着目、後のクラレ、倉敷絹織を創業する。それだけではなく現在、大原孫三郎の名を高からしめているのは大原美術館や大原社会問題研究所、労働科学研究所、倉敷総合病院などをつくり、その運営資金を生涯にわたって援助し続けたことであろう。また本書ではクリスチャンの石井十次の孤児院経営にも援助を惜しまなかったも記されている。三井財閥や三菱財閥はその財力では大原家をはるかにしのいだかも知れないが、文化事業、医療、福祉事業、そして地域への大原家の貢献は特筆すべきものと思う。三井三菱は明治政権と結びついて日本の軍事大国化とともに成長したのに対し大原家は、倉敷地方の大地主から出発し紡績業の創業当初は稼業と企業の分離があまり進んでいなかったことも、孫三郎の地域や文化への貢献は起因するのではなかろうか。孫三郎も取締役会で文化事業などへの出費を何度か反対されるのだが、たぶん創業家としての名望と圧力、そして株の支配によって反対を抑えることができたのだろう。余談ではあるが、総一郎の妻は侯爵家の野津家から嫁いでいる。新興ブルジョアジーとしての大原家のブルジョア社会における地位を示していると言ってもよい。

11月某日
図書館で借りた「地下鉄に乗って」(浅田次郎 徳間文庫 1997年6月)を読む。地下鉄にはメトロとルビが振ってある。単行本は1994年4月に刊行されたとあるから25年前の作品である。浅田は1951年生まれだから40代前半の創作で1997年には「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞を受賞している。私はこのところ浅田次郎の作風に魅かれて何冊も読んでいる。どこがいいのか考えてみると概ね庶民であるところの登場人物が、人生に対して真摯に向き合おうとしている姿を作家としての浅田が、これまた真摯に丁寧に描こうとしているということかもしれない。本書の舞台は現代、といっても1990年前後の東京である。中年サラリーマンの主人公、小沼真次はクラス会の帰り、地下鉄に乗って時空を超えた不思議な体験をする。不思議な体験は一度ならず何度も繰り返し真次を訪れる。それは兄の自殺した地下鉄の駅であったり、終戦前にソ連軍の侵攻の脅える避難民で溢れかえる壕であったりする。それらを体験して真次は人生の不条理に改めて気が付くのだが、浅田はそこに「希望」と「愛」を忘れずに嵌め込む。まぁ考えてみれば通俗である。しかし私にはこの通俗がたまらないのである。

11月某日
品川駅から新幹線で新横浜へ。セルフケア・ネットワークの高本真佐子代表理事と待ち合わせる。高本さんと横浜線の中山駅のロータリーで待っていると社会福祉法人キャマラードのみどりスマイルホームの統括責任者、菊地原巧介さんが車で迎えに来てくれる。みどりスマイルホームは重度重複障害者のためのグループホームで、男女12人の障害者の人たちが共同生活している。日中、入居者は同じ社会福祉法人が運営するデイサービスで過ごすためにホームは静かなものだった。高本さんが重度重複障害者のグループホームにおけるエンド・オブ・ライフについて実態調査を行いたいと考えたことから今回の訪問となったもの。もっとも私は初めての訪問だが、高本さんは何度か来ているらしく話を聞いた看護師さんやサービス提供責任者の方とも顔なじみのようだった。認知症高齢者のグループホームは何度か訪問したことはあるが重度重複障害者のグループホームを尋ねたのは初めて。初回の訪問で分かったようなことを言うのは避けるべきだが、職員の人の熱い思いは伝わってきた。菊地原さんに中山駅まで送ってもらい帰りは横浜から在来線で品川へ。品川駅構内の「ぬる燗佐藤」で高本さんにご馳走になる。私は品川から始発の上野東京ラインで我孫子まで座っていく。

モリちゃんの酒中日記 10月その4

10月某日
吉田修一と並んで最近よく読むのが白石一文。吉田修一が1968年長崎生まれ、白石一文が1958年福岡生まれ、私が1948年北海道生まれとちょうど10年刻み。まぁどうでもいいけどね。で今回読んだのが白石の「快挙」(新潮社 2013年4月)だ。カメラマン志望の主人公「私」が「みすみ」と出会って結婚したのが1992年、私が25歳、みすみが27歳のとき。みすみは月島で一人で居酒屋をやっていた。居酒屋の2階に転がり込んだ私はアルバイトとカメラマン修業に明け暮れていた。カメラマンから作家志望に切り替えた私をみすみは変わらず支援してくれた。これで立派に作家となりましたならば、実人生ならばメデタシメデタシなのだがそこは小説、私が結核になったり、みすみが他の男性に心を寄せたりといくつもの起伏が用意されている。「みすみに男がいるようなんです」。私は義理の父(つまりみすみの父)に打ち明ける。義理の父の答え。「きみも、物書きの端くれならよう知ってるはずや。人間の心の中には魔物が棲んどる。いまのみすみもそうなんやろ。きみの心にかて魔物はおるんや。わしにはきみたち夫婦のことはちっとも分からへん。分からへんが、要はその魔物に負けんようにしてほしい。わしに言えるんは、たった一つ、それきりや」。うーん、小説とは言えなかなかいいセリフだ。

10月某日
18時に川崎で小規模多機能施設をやっている柴田範子先生を訪問。1時間ほど話した後、「この後、何にもないのでしょ。晩御飯食べていきましょう」と誘われる。柴田先生行きつけの蕎麦屋さんに行ったら満員だったので、川崎駅構内の「食べ物屋さん」がたくさん入っているゾーンでうどんをご馳走になる。私はウイスキーのソーダ割を2杯頂く。川崎から先生は南武線で私は東海道線で帰る。私は品川駅で常磐線の上野東京ラインに乗り換え、グリーン車を奮発する。

10月某日
5時過ぎに我孫子に着いたので駅前の七輪に寄る。七輪を出てバス乗り場に行こうとすると「モリちゃん」と声を掛けられる。「愛花」の常連で目白大学看護学科の助教をやっている佳代ちゃんだった。じゃと「愛花」に向かうが休みだったので焼き鳥屋の「仲間」へ。佳代ちゃんとは去年、やはり常連のソノちゃんと3人で新潟に一泊旅行をした。今年は北茨城行きを去年の3人組に加えて今年は車を出してくれる人を加えて4人で計画しているという。「仲間」を出て佳代ちゃんと別れ奥さんに電話して車で迎えに来てもらう。

10月某日
図書館で借りた「日本のマクロ経済政策-未熟な民主政治の帰結」(熊倉正修 岩波新書 2019年6月)を読む。まだ販売されてから半年も経っていない新書だが、新聞の書評欄で取り上げられた記憶もないし、図書館でもそれほど読まれた形跡もない。アベノミクス批判の書なのだが、かなり徹底した批判であるとともに副題に「未熟な民主政治の帰結」とあるように現代日本の政治批判の書でもある。著者は第2次安倍政権発足以来のマクロ経済政策(アベノミクス)について、その通貨政策、金融政策、財政政策を批判するのだが、私にとってはややハードル高し。「ふーん、そうなんだ」という程度の浅い理解しかできなかった。しかし最終章「マクロ経済政策と民主主義-日本が生まれ変わることは可能か」は理解できたし著者の熊倉の見識には感心させられた。異次元金融政策によって実質金利はゼロまいしマイナスとなっているが、これは著者によると「実質的な利益を全く生まない企業でも資金を借り入れて操業を続けられることを意味」し、こうした状態が続くと「非効率な企業が市場から淘汰されなくなり、資源配分の効率性が損なわれる」とする。また「極端な低金利によって企業の設備投資を煽ることを続けていると、せっかく生みだした付加価値の中で設備の建設や更新に回る分が増加し、私たちの暮らしは一向に楽にならないということになりかねない」とも言っている。
私が最も感心したのは最終章の4「日本は変わることができるか」である。著者が求める社会とは、個人の自律を基礎とし、各人が自らの力で自分の人生を切り開いてゆく覚悟と、広い社会に積極的に関与してゆく姿勢が求められる社会である。今の日本はそうなっていないし、自民党政治は全体合理的な政策より近視眼的で現状維持志向の強い政策が選択されやすい社会を生んでいるという。著者の思想には社会的共通資本を重視する宇沢弘文に近いものを感じる。著者は1967年生まれ、東大文学部卒業後、ケンブリッジ大学政治経済学部博士課程を修了している。この本の前半の鋭い経済分析と最終章の政治哲学的な社会分析は政治経済学部博士課程修了という経歴も一部影響しているのかも知れない。大学で学ぶ経済学には2系統あって、アメリカ(ドイツもそうだったかもしれない)の経済学部、イギリスの政治経済学部というのを聞いたことがある。日本の大学の多くは経済学部だが、一部の私学、早稲田や明治は政治経済学部である。私がこの本の最終章に「政治哲学的な社会分析」を感じたのは政治経済学部的な政治と経済を見据えた複眼的な思考を感じたのかもしれない。もう少し調べてみると経済学はもともとはポリティカル・エコノミーと呼ばれていたらしい。それをマーシャル(マーシャルの曲線のマーシャルか?)が経済学として独立させたんだってさ。

10月某日
図書館で借りた「つみびと」(山田詠美 中央公論新社 2019年5月)を読む。家庭崩壊、それも三代にわたる家庭崩壊の物語である。父の母に対する常軌を逸した暴力に小学生の琴音はただ耐えることしかできなかった。ある日、父が仕事から帰ってくると胸を押さえて苦しみだす。琴音は敢えて救急車を呼ばない。父の死が確認されてから救急車を呼ぶ。間接的な「父殺し」である。何年か経って母は材木商の伸夫を家に入れる。正式な結婚をしなかったのは伸夫の妻が離婚に承知しなかったためである。琴音は信夫になつき、信夫も琴音に個室やベッドを与えて関心を買う。個室やベッドは信夫の琴音に対する性的虐待の舞台となる。もうこれだけで読むのが嫌になってくる。嫌になってくるのだが読むのを止められない。山田詠美の筆力によるものだろうと思う。琴音は成人して地域の少年野球の指導者として人望の厚い笹谷隆史と結婚、三児を設ける。長女の蓮音は高校生時代から性的にも乱れた生活を送るがアルバイト先のファミレスで知り合った地域の素封家の息子、音吉と出会って恋に落ち結婚する。音吉の間に生まれたのが年子の桃太と萌音(もね)である。だが二人の結婚生活は長続きしなかった。蓮音は育児疲れから逃れる意味もあってかつての仲間たちと夜遊びを再開する。
離婚した蓮音は二人の子供連れて上京、自身のブログには「銀座の高級クラブのホステスにスカウトされる」と綴るが、手に職も学歴もないしかも子連れの若い女が働ける場所は風俗店しかなかった。蓮音はしかし精いっぱい桃太と萌音を愛し育てようとする。だが蓮音は風俗店の同僚に誘われてホストクラブに通いだす。行く着くところは育児放棄である。〈小さき者たち〉として桃太の視点から語られる一節が「痛い」。子供は母親を慕い、その帰りをひたすら待つのみである。真夏にアパートの一室に放棄された二人の幼児は飢えて死ぬ。蓮音は逮捕され懲役30年が確定し栃木の女子刑務所に収監される。蓮音の母の琴音は性的虐待を受けた影響か精神が不安定で精神病院への入退院を繰り返し夫とは離婚する。離婚後の琴音の人生にこの物語の「救い」があり、すべて「再生」の物語として読める。琴音は精神病院から兄の勝から「もう飽きたろ、琴音。ここ出よう」と連れ出される。琴音は子供のころから慕っていた信次郎と再会、共に暮らすようになり心の平安が訪れる。「エピローグ」は刑務所に面会に訪れた琴音と蓮音の会話で終わる。面会時間が終わって立ち去る蓮根に「叫ぶようにして娘の名を呼ぶ」琴音。蓮音は笑って母に言う。何と言ったかはここに書かないほうがいいだろう。この4行に「再生」が凝縮されている。

10月某日
私は読みかけた本を途中で止めることはほとんどないのだけれど、今回「あとは切手を、一枚貼るだけ」(小川洋子・堀江敏幸 中央公論新社 2019年6月)は半分も読まないうちに止めることにした。「つみびと」を読んだ後ではあまりに牧歌的な感じがしたし、図書館でリクエストしている人が10数人いるので早めに返すことにした。ちょうど図書館でリクエストしていた「女たちのテロル」(ブレイディみかこ 岩波書店 2019年5月)の準備ができたということなのでちょうどいい。図書館で本を返し「女たちのテロル」を読み始めるとこれがめっぽう面白い。結果的に「あとは切手を、一枚貼るだけ」を早く返して良かった。

10月某日
図書館で借りた「女たちのテロル」(ブレイディみかこ 岩波書店 2019年5月)を読む。日本とイギリス、アイルランドの3人の女性についてのエッセーである。この3人がそれぞれに大変個性的なのだが、書名の如く「テロリスト」であることが共通している。日本は内縁の夫、朴烈とともに摂政の宮(昭和天皇のこと)暗殺を企てたことで1923年に逮捕され、死刑判決を受け無期懲役に減刑されるも刑務所内で縊死した金子文子である。イギリスは戦闘的な女性参政権運動家で1913年、エプソン競馬場のダービーで国王の馬の前に飛び出して命を落としたエミリー・デイヴィソン、アイルランドは1916年のイースター蜂起で女スナイパーとして活躍した数学教師のマーガレット・スキニダーである。著者のプレイディみかこについては何も知らないが1965年生まれで福岡修猷館高校卒業である。私は私の母校、室蘭東高校を除くともっとも知り合いの多いのが修猷館高校である。吉武民樹先生と修猷館で吉武先生と同期だった弁護士の羽根田先生、そして東急住生活研究所の所長をやった望月久美子さんである。皆さん頭もいいが性格もいい、何よりもインデペンデントなのが共通している。プレイディみかこもそんな感じだね。文体がポップでアナキズム研究家の栗原康を彷彿とさせると思ったら「参考文献」に栗原編の「狂い咲け、フリーダム-アナキズム・アンソロジー」があったからあるいは知り合いかも知れない。昨年来、栗原の著作を読んだり、今年になってからも昭和初期のアナキストを主人公とした高見順の「嫌な感じ」を読んだりしてアナキズムにハマっている私である。共産主義はどうしてもレーニン主義に行っちゃうんだよね。そこから党の無謬性とか中央集権制はすごく近いと思う。1960年代末から70年代の全共闘運動は今にして思うとアナキズムだね。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
「いつか陽のあたる場所で-マエ持ち女二人組」(乃南アサ 新潮文庫 平成22年2月)を図書館で借りる。「マエ持ち」というのは「前科持ち」の隠語だ。小森谷芭子29歳はホスト貢ぐために伝言ダイヤルで適当な相手を見つけては、ホテルに連れ込んで金を奪うという手口を繰り返したうえで逮捕された。昏睡強盗罪で起訴され懲役7年の判決を受けて刑務所へ収監された。二人組のもう一人、江口綾香41歳は長年の夫の暴力に耐えかねて夫を殺害、殺人罪で懲役5年である。要するに二人は同じ刑務所仲間である。出所した芭子は死んだ祖母が住んでいた千駄木の一軒家に越してくる。綾香も近くのアパートに住んで見習のパン職人として働く。芭子はお嬢さん育ちだが、実家からは祖母の家と三千万円の通帳を渡されて縁切りされている。二人とも刑務所のことは周囲には絶対の秘密。芭子は7年間、海外に留学していたことになっている。生まれも育ちも違う二人が刑務所で出会い親友となる。こうした物語の背景づくりが巧みと思う。舞台となる谷中、根津、千駄木あたりは私が現在、たまにバイトで顔を出す青海社の近く。ヨミセ通りとか谷中の商店街などがこの小説の絶好の舞台となっている。

10月某日
社会保険出版社の高本哲史社長とフィスメックの小出建社長と3人でささやかに去年の10月に亡くなった竹下隆夫さんの「偲ぶ会」をやることに。会場は鎌倉橋1階の洋食店「石川亭」。ここは以前「ビアレストランかまくら橋」と言っていたのだが、10月から「石川亭」に名前が変わった。予約を受け付けてくれた女性が「あら森田さん!」と言ってくれたから従業員はそのままということか。「石川亭」はネットで調べると春日部が創業の地で都内や近郊に何店舗か展開している。「ビアレストランかまくら橋」が「石川亭」の傘下になったということかも知れない。ワインを相当飲んで「葡萄舎」へ行ったようだがあまり覚えていない。森田茂生、今年71歳。お酒はほどほどにしましょう。

10月某日
図書館でたまたま目にした「近代日本150年-科学技術総力戦体制の破綻」(山本義隆 岩波新書 2018年1月)を読む。山本は1960年代後半に闘われた東大闘争のリーダーで当時、理学部物理学科を卒業して大学院博士課程に在籍中であった。東大全共闘の代表を務め全国全共闘でも議長に押された。1941年生まれだから1969年当時は28歳である。封鎖中の安田講堂でも見かけたしアジ演説も何度か聞いたが、あごひげをはやした物静かな、当時20歳の私から見れば「オッサン」であった。安田講堂の防衛隊長を務め、のちに衆議院議員となったのが今井澄で、今井はML同盟だった。今井の秘書をやった後、社会保険研究所の関連会社のメディカル・データの経営を担ったのが何年か前に亡くなった豊浦清さんである。豊浦さんは日比谷高校から東大理学部に進学した秀才で、そう言えば豊浦さんを偲ぶ会にも山本義隆が来ていた。山本は闘争後、東大には戻らず駿台予備校の講師を勤めながら科学史を研究、何冊も著書を出している。
「近代日本150年」に話を戻すと、近代日本は科学技術とどう向き合ってきたかを厳しく検証したということができる。明治以降の日本は富国強兵、殖産興業の旗印のもとひたすら生産力の増強に努める一方、朝鮮半島や中国大陸、東南アジア各地に兵を進め植民地化を図る。高等教育を担った理学部、工学部の教授たちは率先してそれに協力してきた。国策に対して無批判に協力するという学者の姿勢は、戦後も引き継がれているというのが山本の考えで、副題の「科学技術総力戦体制の破綻」はそれを表している。朝鮮戦争やベトナム戦争の特需が日本経済の高度成長を準備し支えた。高度成長はまた水俣はじめ日本各地に公害をもたらす。そして安倍政権に至って「武器輸出が事実上全面解禁」される。山本がさらに問題視するのが原子力発電である。原発がその根本において安全性が確認されていないのは福島の原発事故を見ても明らかだし、すでに日本は6000発のプルトニウム爆弾を作り得る材料を保有しているという。関西電力の会長社長以下の幹部が、原発を立地する福井県高浜町の元助役(故人)から巨額の金品が渡っていたことが報道されている。原発の安全性が確認されていないにもかかわらず原発を建設するのはどう考えても無理筋である。無理を通せば道理が引っ込む。道理が引っ込むから巨額の金品が動いたのだ。

10月某日
日本オンコロジー学会のがん患者とその家族向けのパンフレットづくりを、出版社の青海社が手伝っている。大阪で編集会議があるというので青海社の工藤社長と参加する。工藤社長は今年3月、脳出血で倒れ現在リハビリ中ということで、私は付き添いを兼ねている。と言っても私も2010年に脳出血で倒れ障害者手帳を交付されている。障害者二人組である。4時間ほどの会議で方向性と原稿の締切が決まり工藤社長も一安心である。ちょうど観光シーズンで同じホテルを予約することが出来ず、工藤社長は新大阪駅近くのホテル、私は地下鉄で2駅目の江坂のホテルである。会議の会場からまず工藤社長のホテルを目指すが、なかなか見つからない。私の万歩計は18000歩を超えた。タクシーを呼んでホテルに向かうがどうやら私たちは駅の反対側を探していたようだ。ホテルの近くの「粋采たつみ屋」という店で夕食を兼ねた呑み会。佐渡の地酒があったのでそれを頂く。工藤社長にすっかりご馳走になる。ホテルに戻って私は江坂のホテルへタクシーで向かう。風呂に入って爆睡。爆睡はいいけれど4時頃目が覚めてしまった。日曜日の朝のNHKはインカの人と暮らしを描いた番組や札幌市円山のエゾシマリスの画像を流すなど、なかなか見ごたえがあった。

10月某日
今日は京大病院に入院中の友人を見舞うために京都へ。地下鉄で新大阪へ向かい在来線でゆっくりと京都へ。面会時間が14時からなのでそれくらいがいいのだ。京都駅から地下鉄で丸太町へ。京都御所の壁沿いに歩いて鴨川を渡ってしばらく行くと京大病院である。京大病院の近くの教育会館のレストランで食事。友人が入院している京大病院の積貞棟という病棟に向かう。変わった名前だが任天堂の山内相談役の寄付により建設されたということだ。友人は栄養剤を点滴していたが、思ったよりも元気だった。京都駅の書店で買った岩波新書の「独ソ戦」を渡す。「これ読みたかったんだ」と友人。久しぶりなので一時間近く話してしまい、指定券を買っていた帰りの新幹線を逃す。京阪本線の神宮丸太町から清水五条へ。清水五条からバスで京都駅。観光シーズンなので外国人で一杯だった。現役時代は京都市内の移動はタクシーが主だったが、今は徒歩と公共交通機関である。健康にいいことと市内の地理がよくわかる。ちょうど来た「のぞみ」の自由席へ。運良く座れて車内販売のビールと日本酒を頂く。つまみは昨日、工藤社長が買ってくれた「かまぼこ」2本である。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
図書館で借りた「買春する帝国-日本軍『慰安婦』問題の基底」(吉見義明 岩波書店 2019年6月)を読む。「プロローグ」で吉見は「江戸時代以前から続く日本の性買売(売買春)は長い歴史を持っている。当時の社会では性買売はとくに不道徳ではなく、あたりまえのこととして受け入れられていた」と記す。私が最近読んだ高見順の「いやな感じ」でも、主人公のアナーキストの青年は私娼窟の若い売春婦に恋心を抱いたりする。確かドストエフスキーの「罪と罰」でも主人公のラスコーリニコフが売春婦のソーニャに罪を告白する。しかし日本でも売春防止法が施行される以前は売春が女性の人権を著しく踏みにじるものであったのは間違いない。兵士が性病に罹患するのを防ぎ併せて戦場での強姦を防止する目的から日本陸海軍主導で「慰安所」が各地に設けられた。朝鮮半島や中国大陸、台湾、日本軍が進出したアジア太平洋地域の多くの女性が慰安婦として兵、将校に供出された。売春防止法成立以前の日本について言えば、公娼や私娼の存在の背景には間違いなく貧困があった。疲弊した農村から都市の貧民街から若い女性たちが借金のかたに集められた。女性たちを集めてくるのを仕事としていたのが女衒である。小説家の宮尾登美子は高知で女衒を営む男と愛人の間で生まれているが、このことは宮尾の小説「櫂」に描かれている。宮尾は女衒をもちろん肯定的に描いてはいない。そういう家に生まれてしまった哀しみと苦しみも小説の主題の一つだったと思う。「買春する帝国」では売春防止法成立以降についてはほとんど触れられていない。現在でもソープランド(トルコ風呂)で売春が行われているのは公然たる事実だが、そこが売春防止法で摘発されたということも聞かない。豊かな社会の隠花としてソープは咲き続けるのだろうか。

10月某日
「犯罪小説集」(吉田修一 角川文庫 平成30年11月)を読む。2016年に単行本化されたものが文庫に収められた。「楽園」というタイトルで映画化されこの10月にも公開される。5編の短編が収められているが「あっこれはあの事件を参考にしたな」と思われるのがあった。もちろん作者は作家の想像力で「事件」を「文学」の高見まで昇華させているのだが。この5編に共通しているものがあるとすれば、「現代社会における孤立、孤独」ではないだろうか。舞台は田園地帯(青田Y字路、万屋善次郎)であったり地方都市(曼珠姫午睡)であったり、首都圏(白球白蛇伝)であったりワールドワイド(百家楽餓鬼)であったりするし主人公の職業も、青年実業家や養蜂家、プロ野球選手と様々なのだが、いずれも現代社会のなかで孤立を強いられる、あるいは自ら孤立に向かっていく姿が描かれる。吉田修一は小説に事件や犯罪を描くことが多いように思う。私の月並みな感想を述べれば事件や犯罪にこそ現代が色濃く表現されているからであろう。

10月某日
帰郷(浅田次郎 集英社文庫 2019年6月)を読む。本書は単行本が刊行された2016年に大佛次郎賞を受賞している。文庫本の帯に「戦争に運命を引き裂かれた名もなき人々。いまこそよんでほしい反戦小説集」と印刷されている。浅田は高卒後、自衛隊に入隊し除隊後様々な職に就きながら小説家志望をあきらめなかった人である。自衛隊出身者が反戦の志を高く持っていたとしても何の不思議もないが、とにかく浅田は強い反戦の意志を持ち、それを表現した作品も幾つか残している。先月読んだ「獅子吼」は戦争末期の動物園のライオンを射殺せざるを得なくなる農林学校畜産科出身の古兵と新兵の話だった。で今月読んだ「買春する帝国」に話は戻るのだが戦争と売春はつきものと言ってもよい。この短編集でも冒頭作の「帰郷」は復員兵と娼婦の話だし、「無言歌」は特殊潜航艇の学徒出陣の将校と娼婦の交情が描かれる。私は作家にとって「娼婦」とはと考える。一つ考えられるのは物語を「浄化」するための登場人物として造形される場合が多いのではないかということ。「人生劇場」といっても高倉健主演の映画のほうだが、健さん演じる宮川と藤純子演じる娼婦(確かオトヨと言ったのではなかったか)の濡れ場が重要なシーンを構成していた。穢れた存在としての娼婦こそが純潔=天使のような存在に置き換わるのだ。

10月某日
「社会保障再考-〈地域〉で支える」(菊池馨実 岩波新書 2019年9月)を読む。書名に再考とあるが、読了してなるほどと思った。格別に新しい説が展開されているわけではないが、少子化が進み財政的にも厳しくなる一方の日本社会にとって必要とされている「社会保障」とは何かを「再考」した本なのだ。「はじめに」では「この本は、持続可能性という概念をひとつの切り口として、日本の社会保障制度のあり方を、さまざまな角度から再考することを目的として」いると述べられている。さらに制度の中で等閑視されていた「相談支援」を正面から論ずる新たな局面にもあることが明らかにされている。サブタイトルの「〈地域〉で支える」にも著者の想いが込められていると言ってよいだろう。社会保障政策を立案するのは厚労省で最終的に決めるのは国会であっても、実践するのは地方自治体であり地域である。著者は第6章の「地域再構築」で「もっと年金委員や年金事務所の役割に注目してもよいのではないか」と書いている。実は私も千葉県の地域型年金委員ではあるのだが、ほとんど何もしていない。地域の再構築という視点で年金委員を考えて来なかったためでもある。ちょいと恥ずかしいね。

10月某日
「アンジュと頭獅王」(吉田修一 小学館 2019年10月)を読む。現代日本の小説家のなかで私が最も注目している作家の一人が吉田修一である。ウイキペディアで検索すると「安寿と厨子王丸」が出てきて「中世に成立した説教節『さんせい太夫』を原作として浄瑠璃などの演目で演じられたきたものを子供向けに改編したもの」とある。私たちが知っているのは森鴎外の「山椒大夫」だが、吉田修一の「アンジュと頭獅王」は「説教集」(新潮社)と「説話節 山椒大夫・小栗判官他」(東洋文庫)を底本としたとあるから、むしろ説教節の原型に近い。しかしそこは吉田修一、なかなか洒落た改変を施している。山椒大夫から逃れた頭獅王は聖に助けられるが、時空を超えて現代の新宿に登場する。阿闍梨サーカスの団長に救われた頭獅王はサーカスの大獅子の飼育係となり、さらに大富豪、六条院の養子となる。さらにアンジュや母親とも再会し、「上古も今も末代も」「富貴の家と栄えたとあり」とメデタシメデタシで終わる。町田康が「義経記」を翻案した「ギケイキ」を書いているが、「アンジュと頭獅王」もそれに勝るとも劣らない傑作である。吉田修一の作風の深さと広さに脱帽である。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
フリーライターの香川喜久恵さんと神田駅西口で待ち合わせる。その前にHCM社の大橋進社長から「今晩一杯どうですか?」といわれていたので、「香川さんと約束があるので一緒にどうですか?」と誘う。大橋さんには店が決まったら連絡することにして香川さんとは神田の葡萄舎に行くことにする。久しぶりに行く葡萄舎は結構混んでいてカウンターに座る。香川さんは病気をしてから酒を呑めなくなったのでコンビニであらかじめお茶を買っていた。私はお刺身を肴に日本酒を頂く。ほどなくして大橋さんが登場。私は調子に乗って日本酒を呑み過ぎる。

10月某日
虎ノ門の日土地ビル地下1階の蕎麦屋「福禄寿」で呑み会。18時30分スタートだが18時過ぎには店に着いてお茶を頂く。少し経って厚労省OBで今は頼まれて大きな社会福祉法人の理事長をやっている堤修三さんがやってくる。「すい臓がんで死ぬのが願望なんだ」と堤さん。「見つかったときはもう手遅れって奴」「そうそう」とまぁ老人の会話ですね。ほどなくして同じく厚労省OBで上智大の特任教授をやっている吉武民樹さん、滋慶学園教育顧問の大谷源一さんが来て「乾杯」。遅れてNHKの堀家春野解説委員、上智大学の栃本一三郎教授が来る。栃本さんがマメに日本酒を頼んでくれる。我孫子へ帰って久しぶりに「愛花」に顔を出す。「愛花」はここしばらく店を閉めていた。常連の福田さんと「俺のボトルはどうなっちゃうのかと心配してたんだよ」「せこいね」と軽口を交わす。

10月某日
図書館で借りた「万波を翔ける」(木内昇 日本経済新聞出版社 2019年8月)を読む。日本経済新聞の夕刊に連載されていたことからその魅力的な挿絵とともに楽しみにしていた。舞台は幕末の江戸。長崎の海軍伝習所で航海術を学んだ幕臣の次男、田辺太一は新設された外国局への出仕を命ぜられる。開国後数年の日本、その中で必死に国益を守ろうとして奮闘する幕臣の姿が描かれる。登場するのは外国奉行の水野忠徳、岩瀬忠震、小栗忠順、それに幕府の幕引きを図る勝海舟、テロリストから一橋家の家臣に変身した渋沢栄一。幕末を幕府の側からそれもあまり有名でもない青年幕吏の視点で描いたのはユニーク。維新後、徳川慶喜に従って静岡に引き込み、沼津の幕臣の子弟のための兵学校で教える太一は、渋沢栄一の勧めで新政府の外務省に出仕することを決意したところで物語は終わる。青年の成長物語であると同時に日本の外交事始めを描いているわけだ。ユニークな挿絵は表紙カバーのイラストにも使用されているが、イラストを描いたのは原田俊二という人だった。

10月某日
図書館で借りた「華族誕生―名誉と体面の明治」(浅見雅男 講談社学術文庫 2015年1月)を読む。浅見という人の本は「公爵の娘」という本を読んだことがある。これは岩倉具視の曾孫が日本女子大学に進学、社会主義思想に触れて治安維持法で逮捕され釈放後自殺するという悲劇を描いたドキュメントだった。巻末の原本あとがきで著者は「世襲の特権階級などないほうがいいに決まっているが、だからといって歴史的存在としての華族(制度)を無視するのは間違いだろう」と書いている。その通りと思うが、「なぜ自分が、なぜわが家がこの爵位なのか、もっと上位でもいいのではないか」という華族の想いが日記などからあぶりだされており、その人間味が何ともおかしい。

10月某日
「姥うかれ」(田辺聖子 新潮文庫 平成2年12月)を図書館で借りて読む。読みながら思い出したのだがこれは78歳で一人暮らしの歌子さんを主人公とするシリーズものの第3作であった。歌子さんは船場の商家に嫁ぎ嫁姑問題で苦労し、商才のない夫に代わって会社に夜も眠られぬ日々を過ごしたりしたのだが、今は旦那も送り、会社も長男に譲って悠々自適の日々である。歌子さんの目を通して現代社会への批評が語られるのだが、単行本が発行されたのは昭和62年とある。西暦で言えば1977年だから今から40年前だが、その批評が色褪せていないことに驚く。しかしここでは歌子さんの現代批評よりも歌子さんその人に焦点を当ててみたい。1970年代に70代ということは1900年前後の生まれだから歌子さんは田辺聖子というよりも彼女の母の世代である。田辺は昭和3年、大阪の写真館の娘に生まれているから本作を書いたころは50代後半、おそらく母の目を通しての現代批評を試みたものと思われる。田辺が描く女性、歌子さんもその一人であるが、その魅力の最大のモノは自立だと思う。戦後日本社会が獲得し、しかし完全に獲得しえていないのが自立であり、それを描こうとする田辺文学は戦後文学の金字塔と私は確信しているのですが。

10月某日
元年住協の林弘幸さんと上野駅で待ち合わせ。私は我孫子、林さんは新松戸なので松戸で呑むことにする。前に行った北口の焼き鳥屋に行く。18時前だったがほぼ満席。焼き鳥屋で閑散としてる店はちょいとヤバイ。そういうことからするとこの店は合格。ハツ、砂肝、ナンコツなどを頼み、ビールと酎ハイを呑む。2時間ほど呑んでお開きに。松戸から各駅停車に乗って林さんは新松戸で下車。私は終点の我孫子まで。

10月某日
社保険ティラーレで打ち合わせ。夕方だったので缶酎ハイを2本頂く。佐藤社長が乾きものを出してくれたのでそれも頂く。打ち合わせが終わって神田駅に向かうと雨が降ってきたので久しぶりに北口の「鳥千」に顔を出す。鰺のナメロウを肴に日本酒を呑んで時間をつぶす。雨が上がったようなので店を出て帰路に。我孫子へ着くとちょうどバスが出た後だったので「七輪」に寄る。「七輪」には焼酎のボトルが置いてあるので白ホッピーと「サービス品」のつまみを頼み、30分ほどで勘定を頼むと千円でお釣りが来た。

10月某日
虎ノ門の医療介護福祉政策研究フォーラムに編集者の阿部孝嗣さんと訪問。3人で中村さんの新刊本についての打ち合わせ。中村さんが研究者のインタビューに答えた「オーラルヒストリー」を軸に専門雑誌などに寄稿した文章をまとめた。「オーラルヒストリー」は平成時代の社会保障政策に関する忌憚のない証言となっていて阿部さんと私の感想も「大変面白い」で一致。私は平成の30年間で官僚の立ち位置とか政治家と官僚の役割とか、かなり変わったなぁという想いを新たにした。台風が迫っているが阿部さんとは久しぶりなので飯野ビルの地下で呑むことにする。阿部さんは若いころ苦労して集めた荒畑寒村などの書籍が二束三文で売られていると嘆く。古書の値が下がったことだけでなく荒畑寒村等の思想が顧みられなくなったことが嘆かわしいのだろう。

モリちゃんの酒中日記 9月その4

9月某日
図書館で借りた「資本主義と闘った男-宇沢弘文と経済学の世界」(佐々木実 講談社 2019年3月)を読む。四六判で600ページを超える大著だが、宇沢弘文という人物の思想と行動が本人や同僚のインタビューや著作、論文を通じて浮かび上がらせた作品である。本書が成功しているのは著者の佐々木実の宇沢弘文への尊敬の念が、著述の底流に流れているためと思われる。私が宇沢の名前を知ったのは彼の社会的共通資本という考え方に出会ってからである。従って彼が世界的な数理経済学者であったこともノーベル経済学賞の候補であったことも知らないし、晩年、水俣病や成田空港問題に深く関わっていたことも本書を読んで知った。本書の前半は生い立ちから東大の数学科を出て大学院まで進むが、途中でその数学の才能を生かして理論経済学に転身し、アメリカのスタンフォード大学、シカゴ大学で国際的にも認められる数理経済学者に成長、ケネス・アロー、ジョセフ・スティグリッツ、ポール・サミュエルソン、ミルトン・フリードマンら著名な経済学者と交流してゆくまでが描かれる。東大時代にマルクス経済学の勉強会にも顔を出し、日本共産党の不破哲三らとも親交があったことが明かされる。またシカゴ大学ではベトナム反戦運動にも関わっていたことにも触れられている。前半は近代経済学説史外伝の様相を示すと同時に、世の中の矛盾と闘う経済学者としての宇沢の横顔を伝える。
後半は日本に帰国して東大経済学部に席を置き、水俣病や成田空港問題、地球温暖化対策に深く関わる一方、社会的共通資本の理論を深めていく宇沢の姿を描く。宇沢が東大に着任したのは1968年の4月で、前年の67年10月8日には羽田空港周辺で三派全学連がヘルメットとゲバ棒で武装し佐藤訪米阻止闘争を闘い、68年には東大、日大から始まった大学闘争が全国に波及していく。宇沢は学園闘争とは距離を置く一方、環境問題、公害問題に深く関わり始める。水俣の現場に足繁く通いながら東大工学部助手の宇井純、熊本大医学部の原田正純と交流らと交流を深める。宇沢が社会的共通資本について解説している文章を引用しよう。「社会的共通資本は、土地を始めとする、大気、土壌、水、森林、河川、海岸などの自然資本だけでなく、道路、上・下水道、公共的な交通機関、電力、通信施設、司法、教育、医療などの文化的制度、さらに金融・財政制度を含む」。社会資本や社会インフラという言葉よりも広く、概念的には「深い」。私の考えでは人間も含まれる「生きもの」が地球上で「快適に」過ごすための「社会的な」条件とでもいえる。様々な社会的な運動に関わった宇沢だが晩年は孤独だった。後継者を尋ねる著者に「日本にはいないし、海外にもいないんだよ」と語った宇沢の言葉が紹介されている。また浩子夫人は「宇沢は、ひとりぼっちでした」と証言している。「孤独」はしかし、宇沢の到達した地点の「高さ」を表しているようにも思われる。

9月某日
夜半に猛烈な吐き気に襲われ目を覚ます。ウゲーウゲーと胃の内容物をすべて吐き出す。リビングで起きていた奥さんが「大丈夫?救急車呼ぼうか?」と声を掛ける。私は前夜、北千住の居酒屋で食べた刺身に当たったと思い、「吐いてしまえばどうということはない」と答える。だが、吐き気は治まらず胃液のようなものが込み上げてくる。便意にも何度か襲われトイレに行くと水のような便が出る。2階の長男も心配して起きて来て「救急車を呼んだほうがいいよ」と言うが、これにも「病院が開いたら行くから」と断る。夜中の3時頃から2時間ほど七転八倒し、上と下から出すものはすべて出したうえで何とか眠りに着く。10時過ぎに目を覚ます。不快感は残るが吐き気と便意は去る。食欲は全くなし。入浴後、体重を図ると2キロ以上減っていた。青海社の工藤社長から「今日の角田さんの送別ランチ会は12時半から根津の『はん亭』です」というメールが来る。「真直ぐ会場に行きます」とメールを返す。車で駅まで送ってもらい千代田線で我孫子から根津へ。「はん亭」に行くと工藤社長と奥さんがすでに来ていた。「はん亭」は有名な串揚げ屋だが食欲がないので私だけ「お茶漬け」にしてもらう。お茶を飲みながら軽口を叩いていると気分がだんだん戻ってくる。工藤社長から角田さんへ花束とワインが送られ出席者全員で写真を撮って送別会は終了。私は根津から霞が関へ。HCM社に着くと大橋社長が「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれる。16時に三井住友あいおい生命の営業の人がHCM社に来る。生保商品の説明を受けた後、「今日は体調がすぐれませんから」と17時前にHCM社を出て家路に。

9月某日
気分は良好。お昼頃HCM社に出社、某氏から頼まれていた作業を2時間ほど。16時過ぎに社保険ティラーレへ。吉高会長と雑談。吉高さんは「この時間だからお茶よりこっちがいいでしょう」と缶酎ハイを出してくれる。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の例え通り缶酎ハイを2本頂く。社会保険出版社の戸田さんと17時50分に虎ノ門の郵政互助会館で待ち合わせているのでタクシーで郵政互助会館へ。戸田さんと一緒に医療介護福祉政策研究フォーラム理事長の中村秀一さんに面談。終わって戸田さんが「少し呑みましょうか」と言ってくれたので飯野ビル地下の信州のお酒が置いてある店へ。「真澄」を3杯程頂く。まさに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」である。霞が関から我孫子へ。

9月某日
「獅子吼」(浅田次郎 文春文庫 2018年12月)を読む。浅田次郎は1951(昭和26)年生まれだから私より3歳年少。高卒後、陸上自衛隊に入隊するが「大学受験に失敗して」説と「三島由紀夫事件に刺激されて」説があるようだ。浅田は自衛隊出身であるが反戦平和主義者でもある。「獅子吼」は6編の短編小説が納められていて、表題作の「獅子吼」は優れた反戦小説であると同時に私には近頃稀な動物愛護小説としても読めた。舞台は太平洋戦争末期の東北地方のある県の動物園。「農業と畜産で立っている県」で「沿岸の重工業地帯」は空爆と艦砲射撃によって連日のように叩かれていたというから岩手県であろう。小説中で話されている方言は浅田の「壬生義士伝」の南部藩出身の新選組隊士の話す言葉に似ている。おそらく動物園のある都市は盛岡で沿岸の重工業地帯とは釜石である。前置きが長くなったが一方の主人公は動物園のライオンであり、もう一方の主人公は農学校畜産科出身の騎兵連隊の新兵である。戦争末期に上野動物園の動物たちの悲劇は語り継がれているが、同じような話はどこの動物園でもあったらしい。盛岡の農学校に進学した貧しい学生たちには奨学金が支給された。奨学生には課外労働が義務付けられ畜産科の奨学生は動物園に通わされる。主人公のライオンと新兵は顔なじみであったのだ。空爆が盛岡にも及び動物園が破壊されることを恐れた当局は、ライオンの射殺を新兵に命じる。動物たちに喰わせよと残飯を新兵に与える食事担当の軍曹のセリフが泣かせる。「人間と人間の戦争なら、人間がいくら死んだって文句は言えめえが、なしてけだものが飢えて死なねばならねんだ。まして動物園さなぐなったら、子供らはどこさ遠足行くの」。

9月某日
10月1日から消費税が10%に引き上げられる。少子高齢化が続き労働力人口が減る一方で高齢者の人口は増えていく。引き上げは仕方ないし今後、低所得者対策をしっかりやったうえで15%までの引き上げはもとよりヨーロッパ並みの30%以上への引き上げも仕方がないのかなと思っていた、令和新選組の山本太郎の主張を知るまでは。山本太郎は消費税の廃止を訴える。いきなりの消費税の廃止は無理だとしても「所得の再分配」の観点から日本の税制全般を考え直すことは必要と思う。消費税は大衆課税であり所得の低い層に負担が重くなる「逆進性」も指摘されている。所得の高い層への所得税の強化、法人の内部留保への課税強化、相続税の課税範囲の拡大などがもっと考えられていい。そうすると高額所得者や企業は海外に逃げ出すという声も聞かれるが、そうならないように魅力的な情報・生活インフラ、芸術文化観光インフラを整備していくということではないのだろうか?