モリちゃんの酒中日記 6月その4

6月某日
(一財)医療経済研究・社会保険福祉協会から委託を受けて実施した「音楽運動療法の在宅普及に関する調査研究」がまとまったので、「打ち上げ」をするという連絡が入った。委託を受けたのは㈱ひつじ企画で、同社の社長が元厚労省の宇野裕さん。調査の全体的な方向性を決めて報告書の執筆、作成もほとんど一人で仕上げてくれた。「打ち上げ」には座長の川内基裕小金井リハビリテーション副院長は海外出張中で欠席だったが、それ以外は全員出席した。会場の新宿の中華料理店「西安」に行くと私が一番乗り、続いて特養「かないばら苑」苑長の依田明子さん、宇野さん宇野さんの奥さんの宇野雅子さんが来る。そして音楽療法士の丸山ひろ子さん、ホームヘルパー協会東京都支部の黒澤加代子さんが来て乾杯。私はこの研究会に参加するまで音楽療法の存在すら知らなかったのだが、一般市民代表という感じで参加させてもらった。音楽療法の可能性について十分な手応えを感じたことを先ずは報告しておきたい。詳しくは報告書を読んでもらいたいが、以下は私の個人的な感想。ひとつは、音楽のメロディーやリズム、そして歌なら歌詞は人間の意識のかなり深いところで繋がっているのではないかということ。もうひとつはスマホやタブレットの登場で、利用者や入所者のマイソングが簡単に検索できるということ。認知症で問題行動を繰り返す利用者に、スマホで検索して卒業した小学校の校歌を聴かせたところ問題行動は収まり、スマホに合わせて校歌を歌いだした。おそらく認知症予防や認知症の進行を遅らせる効果もあると思う。ジャズの源流はアフリカから連れてこられた黒人奴隷たちの歌やリズムにあると言われているが、おそらく日本のお寺で唱えられる声明(しょうみょう)にもそんな原初的な力が感じられる。音楽の力、「恐るべし!」である。

6月某日
図書館から借りた「憑神」(浅田次郎 新潮文庫 平成19年5月)と「密約 物書同心居眠り紋蔵」(佐藤雅美 講談社文庫 2001年1月)を読む。浅田は1951(昭和26)年生まれ、佐藤は1941(昭和16)年生まれだから10歳違い。浅田は‘97年「鉄道員(ぽっぽや)」で、佐藤は’94年「恵比寿屋喜兵衛手控え」で直木賞を受賞している。浅田は江戸時代とくに幕末を中心にした時代小説に加えて明治、大正、昭和そして現代を舞台にした小説を数多く執筆していて、確か「ペンクラブ」会長も務めた今や文壇の重鎮。一方の佐藤は幕末の通貨戦争を描いた「大君の通貨」がデビュー作、しっかりとした時代考証には定評がある。「憑神」は三河以来の幕臣、別所彦四郎が主人公。御目見え以下の御徒歩組に生まれ、24歳のとき組頭の井上家に婿入りするが男子を授かったとたんに露骨な婿いびりが始まり、ついには離縁される。彦四郎はある日、草に埋もれた小さな祠を見つけ酔いに任せて神頼みをするが、この神様が貧乏神。貧乏神に憑かれた故に憑神である。将軍家が大政奉還し鳥羽伏見の戦いを経て、幕府の残党は上野の山に立て籠って気勢を上げている。彦四郎は貧乏神が音を上げるほどの正直者だが、最後は甲冑に身を固め上野の山に向かう。「密約」の舞台は11代将軍の家斉の治世、文化文政の頃か。江戸町奉行所勤めの藤木紋蔵は、今で言うナルコレプシーという突然眠気に襲われるという奇病に取りつかれている。であるが故に奉行所勤務の花形、定廻り勤務にはまわされず内勤の「例繰り方」勤務に勤める。例繰り方は過去の判例を調べるのが主な仕事で物書同心は以下で言えば東京地裁の書記と、東京検察庁の検察事務官を兼ねたような存在なのだろうか。紋蔵は市井の様々な事件に関わる一方、30年前に殺害された父を手に掛けた犯人を追っている。「密約」ではまだ犯人が分かっていないけれど、徐々にその網は絞り込められつつある。続巻が楽しみです。

6月某日
「ニュースの深き欲望」(森達也 朝日選書 2018年3月)を読む。森達也という人はオウム真理教信者のドキュメンタリー映画「A」と「A2」を撮った映像作家で、オウムの実態に迫った「A3」という著作で講談社ノンフィクション賞を受賞している。映像は見たことはないが「A3」を読んで、オウムという集団に対して先入観なく、その実像に迫ろうとしている態度に好感を持った。今回の著作では情報とは何か、メディアとは何かについて森の考えを率直に述べている。エピローグで森は「事実はない。あるのは解釈だけだ」というニーチェの言葉を引いて「僕たちが見たり聴いたり読んだりする情報は、誰かが誰かの視点で解釈した情報だ」とし、だからこそ記者やディレクターなどのメディア関係者の責任は「とてつもなく重い」と断じている。納得である。

6月某日
社会福祉法人にんじんの会の評議員会に出席のため立川へ。立川駅で同じ評議員の中村秀一さんに会ったので一緒に会場へ。決算と新しい理事の承認が主な議題。確か昨年の決算は利益率が1%台に低迷していたと思ったが、今年はV字回復を成し遂げていた。介護報酬がなかなか引き上げられない中でのV字回復は立派。評議員会を終わって石川はるえ理事長に評議員の中村さんや吉武民樹さん、監事の税理士の先生と近くの美登利寿司でご馳走になる。

6月某日
神田駅北口の「鳥千」を6時から予約。ここは20年くらい前にはよく来たのだが、最近、大谷源一さんと来ることが多い。「鳥千」という店名から焼き鳥がメインと思いがちだが、ここの売りは魚。6時からビールを呑み始めていると大谷さんが到着。遅れて高齢者住宅財団の落合明美さんが来る。刺身の盛り合わせと「アラ煮」を堪能。我孫子に帰って久しぶりに「愛花」に寄る。

6月某日
「鳥千」に行く前に神田神保町の古書店街を歩く。このところ図書館ばかりで新刊の書店も足が遠のきまして古書店に足を踏み入れるのは久しぶり。桐野夏生のサイン本が店頭に置いてあるので迷わず買うことにする。定価は1600円(税別)だが、古書店の売値は税込み300円、しかもどう見ても新刊である。「ローズガーデン」(講談社 2000年6月)である。村野ミロという女性探偵を主人公にした小説で「顔に降りかかる雨」「天使に見捨てられた夜」に続くシリーズ3作目。前2作はミステリーの長編小説だが、「ローズガーデン」は表題作で高校生の村野ミロを描く。それも後にミロと結婚する高校の同級生、博夫が結婚後、インドネシアに単身赴任し、奥地へ商品の部品を届けに行くために河をボートで遡りながらミロを回想するという凝った構造になっている。ミロの生い立ちや家族構成、生業などは桐野夏生を全く違うのだが、なぜか「ローズガーデン」を読んで私は「ミロ=夏生」の想いを強くした。

モリちゃんの酒中日記 6月その3

6月某日
高齢者住宅財団の落合さんの趣味はフラメンコ。今から20年以上前になると思うが、落合さんがまだ社会保険研究所で編集補助をしていたときのことだ。社員旅行では毎年、グループの若手社員に依る「余興」が演じられるのだが、その年は落合さんが主導して若手女子社員によってフラメンコが躍られた。フラメンコなど見たこともない私たちは目を奪われた。ホテルに泊まっていた他の団体客も観に来ていた。それ以来、落合さんは20年以上も研鑽を続けてきたわけだ。そのリサイタルが本日、西日暮里の「アルハンブラ」であるというので観に行くことにする。12時開場、12時30分開演ということなので12時過ぎに会場に着くとすでに7分の入り。当日は強い雨が降っていたにも関わらずだ。日薬連の宮島俊彦さんが来ていたので近くに座る。プレハブ建築協会の合田純一さん、滋慶学園の大谷源一さんも来る。高齢者住宅財団は国交省と厚労省の共管だが、国交省の人も何人か来ていて合田さんに挨拶していた。開演の12時30分にはほぼ満席となっていた。踊りは2部構成だったが落合さんは両方に出演、素人が見ても大変、迫力のある踊りだった。90歳近い女性も踊っていたが実に楽しそうだった。終って合田さんと大谷さんと西日暮里駅前の「串まる」でホッピーを昼飲み。

6月某日
「官僚たちの冬-霞が関復活の処方箋」〈田中秀明 小学館新書 2019年9月〉を読む。著者の田中秀明は1960年東京生まれ、東工大大学院を終了後大蔵省入省、予算・財政投融資・自由貿易交渉・中央省庁等改革などに関わり、一橋大経済研究所、内閣府参事官を経て、現在は明治大公共政策大学院教授。厚生省老人保健部へ出向経験もある。1年ほど前に「地方から考える社会保障フォーラム」で「地方財政」について講演してもらったことがある。そのときも大変わかりやすくて明快な語り口で地方議員にも好評だった。
タイトルの「官僚たちの冬」は作家の城山三郎が「官僚たちの夏」で描いた天下国家を論じたころと現在を対比したかったのだろうが、タイトル的には成功したとは言い難い。内容としては少子高齢化で経済成長率が鈍化し、政治的には安倍一強下で官邸主導型の統治スタイルに官僚は如何に対応すべきかを述べた極めて真っ当な本である。従来の霞が関ではジェネラリストが求められてきたがこれからはスペシャリストを目指すべきというのが著者の考え。確かに右肩上がりに経済成長していたころは、税収も右肩上がりで官僚の役割は成長の果実をどう分配するかだったから、官僚もジェネラリストで良かったかも知れない。しかし「失われた20年」となった今は国民に負担を求めるのが政治と官僚の役割であり、そのためには幅広い常識とともに高い専門知識が要求されるのかもしれない。厚労省の雇用と年金省とその他の医療、介護、福祉、子育て省への分割論もその意味では理解できる。田中先生や権丈先生の声に国民や政治家はもっと耳を傾けるべきであろう。

6月某日
図書館で借りた「日曜日たち」(吉田修一 講談社 2003年8月)を読む。5編の短編の連作だが、最初の「日曜日のエレベーター」を読み始めて、「あっこの本前に読んだな」と思いだした。でも前に読んだときは分からなかったことが今回読んでよくわかった。繰り返して読むことも悪くない。この連作の隠れた主人公は親から育児放棄された二人の兄弟。兄は小学校3年生ぐらいで弟は小学校に入ったばかりか。第1作の主人公、渡辺はフリーター。池袋のバーで知り合った恋人、圭子は医療関係の学校に通う。ここが吉田修一の物語づくりの巧さだと思うが、圭子は実は医大生でしかも韓国籍だったことが徐々に明らかにされる。渡辺は路地に佇んでいた兄弟にたこ焼きをご馳走する。兄弟と孤独な都会の住民のちょっとした出会いが綴られていく。最後はDVに悩む乃理子が駆け込んだ自立支援施設で、保護された兄弟に出会う。施設から逃げようとする兄弟に乃理子は着けていたピアスを外して「これ約束の品だから。絶対にふたりを離れ離れにしないって約束した証だから」と、ふたりの手に一個ずつ握らせる。数年後、再会した兄の耳にはピアスが。

6月某日
「日本人の死生観を読む―明治武士道から『おくりびと』へ」(島薗進 朝日新聞出版 2011年11月)を読む。島薗は1948年生まれだから私と同年、「エピローグ」によると「大学入学時は将来医療に携わることを考えていた」とあるが、難関の医学部進学過程に進学したのち「文転」したものと思われる。それはさておき本書のテーマは死生観に触れた日本人の書物やテキストを読むというもの。私は「第5章無残な死を超えて」を興味深く読んだ。これは戦争文学の傑作として名高い「戦艦大和ノ最期」(1946年)の作者、吉田満の著作から吉田の死生観を追ったものだ。吉田は復員後、日銀に就職してからも戦争と戦争における死を考え続ける。戦後も長く戦争体験のみにこだわった稀有な知識人と言えようか。島薗、吉田の著作はもう少し読んでみたい。

6月某日
ふるさと回帰支援センターの高橋ハム理事長から辻哲夫さんが有楽町の交通会館にあるセンターを見に来るので、伊藤明子さんにも声を掛けておいてと言われる。辻さんは元厚労次官で現在は東大の特任教授で柏プロジェクトを主導したり、亡くなった近藤純五郎さんの後の社会保険福祉協会の理事長職を引き受けたりと何かと忙しい人である。伊藤さんは国土交通省の住宅技官、女性で初めて住宅局長に就任、1年で内閣に引き抜かれた。もらった名刺には「内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局地方創生総括官補」とあった。交通会館の地下の画廊では宮島俊彦の奥さんの百合子さんの絵の個展が開かれていたので、4人で観に行く。そして高知料理の店「おきゃく」へ。辻さんと伊藤さんの話の迫力に圧倒される。

6月某日
「さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生」(伊東乾 集英社 2006年11月)を読む。タイトルを見ただけではどんな内容かわからないが、オウム真理教の死刑囚、豊田亨〈2018年7月26日執行〉について東大物理学科の同級生で現在、東大准教授の伊東乾が綴ったもの。東大でも最難関とされる物理学科の修士を終了し博士課程への進学も決まっていた豊田は、学業を放棄しオウム真理教に帰依し出家する。将来、ノーベル賞も期待されるような優秀な頭脳を持つ男がなぜ殺人を犯すようになったか。麻原によるマインドコントロールによると言ってしまえばそうなのだが、なぜ簡単にマインドコントロールされたのかという疑問は残る。私も出会いによっては麻原のマインドコントロール下におかれた可能性はあるのだ。「サイレント・ネイビー」は帝国海軍の伝統で、現実政治への介入を積極的に行った陸軍に対して政治介入に消極的だった海軍のことを表現している。「さよなら」は豊田のオウム帰依に対して積極的に介入できなかった著者の悔恨が表現されているのだ。

モリちゃんの酒中日記 6月その2

6月某日
「アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る」(溝口睦子 岩波新書 2009年1月)を読む。アマテラスは天皇家の先祖で、だからアマテラスが祭られている伊勢神宮は今度即位した新天皇も早速、皇后と一緒にお参りすることになっている。とここら辺は私たちにとって常識なのだが、この常識は誤ってはいないにしても必ずしも真実とは言えないことを溝口は古事記や日本書紀を読み解いて実証する。日本書紀では極めて明快に「タカミムスヒ」を国家神=皇祖神として掲げている。溝口の論を乱暴に要約すると、タカミムスヒは5世紀に「朝鮮半島から導入した、元を辿れば北方ユーラシアの遊牧民の間にあった支配者起源神話にその源流をもつもの」で、これに対してアマテラスは弥生に遡って日本土着の文化から生まれたとされる。6世紀から7世紀にかけてタカミムスヒからアマテラスへの国家神の転換がなされたことになる。この転換を主導したのが天武天皇とするのが溝口説である。日本神話を日本列島という狭い地域に閉じ込めることなく広く東アジアの情勢との関連で読み取ろうしたのである。

6月某日
「あちらにいる鬼」(井上荒野 朝日新聞出版 2019年2月)を読む。井上荒野は割と好きな作家で、新作が出ると図書館にリクエストする。「あちらにいる鬼」は、女流作家の長内みはると小説家の白木篤郎の不倫、篤郎の妻と2人の娘を巡る話だ。長内みはるは瀬戸内寂聴、白木篤郎は井上光晴がモデルになっている。そして作者の井上荒野は井上光晴の長女である。一種のモデル小説だが、モデルの不倫関係を不倫の当事者の長女が描くという、世間的に見ればスキャンダラスな話かもしれない。でも小説的にはとても面白かった。みはると篤郎の不倫はみはるの出家により終止符を打たれる。やがて篤郎は癌に冒され死に至る。この本の読みどころのひとつはみはると篤郎が不倫関係を続けながら、みはると篤郎の妻が心を通わせ、なおかつ篤郎と篤郎の妻の関係も基本的には揺るがないというところではないか。小説だからもちろんデティールはフィクションだが、みはる-篤郎-篤郎の妻、という3者の関係は事実に基づいていると思う。3者のうちフィクションでは篤郎と篤郎の妻、現実では井上光晴とその妻が死んでいる。みはる=寂聴だけが生きているのだが、寂聴は井上光晴との関係を暴かれても微動だにしない、どころか楽しんでいるのである。ネットで「あちらにいる鬼」を検索したら寂聴と井上荒野の対談が掲載されていたが、まさに楽しそうであった。30年ほど前だが、村瀬春樹さんに誘われて出席したパーティで井上荒野に挨拶したことがある。「お父さんに似てますね」と言った覚えがあるが、もちろん私は井上光晴の実物に会ったことはない。会ったことはないが当時、井上光晴の小説をよく読んでいて新刊が出るたびに買っていたような気がする。しかし、図書館に行って驚いたが、現代日本文学のコーナーに井上光晴の本が一冊もないのである。おそらく書庫に収蔵されているのであろう。「おちらにいる鬼」で井上光晴の人と作品に興味を持つ人が増えればな、とふと思う。

6月某日
石津さんと地下鉄根津駅で待ち合わせ「根津食堂 民の幸」へ。ここは数日前、青海社に行く前にランチに寄った店。不忍通りの東大側の一本裏通りの、そのまた奥の路地にある。ランチのときは若い女性がウエイトレスをしていたが、今日は時間が早いのか、経営者らしい上品な年配の女性が一人だけ。刺身や野菜の煮物などを頂く。ビールで乾杯の後、私はもっぱら日本酒。料理はおそらく経営者と見られる女性の手作り、どれも美味しかった。

モリちゃんの酒中日記 6月その1

6月某日
大分市の介護事業所、㈱ライフリーの佐藤孝臣代表取締役にインタビュー。佐藤孝臣さんは作業療法士で大分市内で自立支援型デイサービス事業を展開する傍ら、全国各地で自立支援という介護保険の理念に基づいて、利用者の要介護度を軽減させ介護保険を卒業させる重要さを講演で訴えている。要介護度を軽減させると介護事業所にとっては介護保険収入は減少となる。利用者にとっても重度化したほうが介護給付費が増えて「トクした」ような感覚を持つ人がいるそうだ。佐藤さんは自分で自分の身の回りのことができる方が利用者にとっても幸福度がアップすると語る。それだけではない、我々団塊の世代が後期高齢者となる2015年以降、今の勢いで要介護高齢者が増えていったらどうなるか?介護保険は税金と保険料で運営されていることを忘れてはならないと思う。佐藤さんは作業療法士の研究大会に講師として出席するために上京、その合間にインタビューに応じてくれた。

6月某日
「一億円のさようなら」(白石一文 徳間書店 2018年7月)を読む。本文が500ページを超える大著ではあるが、ストーリー展開が面白く3日程度で読み通してしまった。主人公は化学品製造会社に勤める創業者一族の鉄平。長年勤めた医療機器関連の会社をリストラされ家族4人で化学品製造会社のある福岡に移住した。インフルエンザで会社を休んでいた鉄平の家へ弁護士から妻の夏代に電話がかかったのが話の発端。弁護士からの電話に「妻の謎の過去」を感じた鉄平は妻に内緒で福岡に出張してきた弁護士と会うことにする。弁護士が明かしたのは妻が結婚前に遺産を贈与され、その相続財産は48億円という途方もないものだった。その間、娘は長崎の看護学校、息子は鹿児島の歯科大学に進学し、夏代は弁当製造工場の正社員となり、鉄平も創業者一族を巻き込んだ社内抗争のとばっちりを受ける。それに衆議院議員を目指す三鷹市の高松琢磨がからむ。高松は地元の地主の息子で鉄平の親友、藤木遊星を小学校の4年生から陰湿ないじめを繰り返す。高校生になった鉄平は秘かに琢磨を襲撃、琢磨は半身不随となるも国政を目指す。琢磨は邪悪なるものの象徴として描かれているのだが、大変盛りだくさんなストーリーで、私は白石一文のチャレンジ精神を評価したい。

6月某日
本郷さんからメールが来て南千住で呑むことに。南千住で6時に待ち合わせる。6時に南千住駅前に行くと本郷さんはすでに来ていた。今日は本郷さんの友人と3人で呑む予定。少し遅れてその友人、永井さんが来る。本郷さんは1947年生まれ、私は1歳下、永井さんはさらに3~4歳下。本郷さんは中大、永井さんは北大、私は早大のそれぞれ全共闘崩れが共通点。南千住から歩いて7~8分の「串揚げ茶屋たつみ」という店に入る。南千住仲通りという寂れた商店街の奥にある。中年の女性が2人でやっている店は、つまみもおいしかったし値段もリーズナブル。帰りは都電荒川線の三ノ輪橋から。

6月某日
「とめどなく囁く」(桐野夏生 幻冬舎 2019年3月)を書店で買ってすぐに読みだす。いつもの桐野作品以上にミステリアスでとても面白かったのだが、この1~2週間何やかやと忙しくて読後の感想を記す暇がなかった。で読後2週間の今、感想を述べようと思うのだが。富豪の塩崎克典の後妻に入った早樹は夫との年齢差は20歳以上、克典の娘や長男の嫁と同じ世代だ。早樹の前の夫は海釣りで行方不明となった。死体は発見されなかったが死亡が認定され塩崎と結婚することになった。ネタをバラしちゃうと実は夫は生きていた。夫は早樹と結婚する以前から付き合っていた女と切れることができず、釣りも密会のアリバイ作りに使われていたのだ。まぁほとんどあり得ない話と思うが、夫の生存を疑い始めた先の困惑や怒り、戸惑いを描く桐野の筆致はさすがである。読後2週間も経つと感想も粗雑になってしまう。スミマセン。

6月某日
全国訪問ボランティアナースの会(キャンナス)の菅原由美代表に「地方から考える社会保障」での講演をお願いする。キャンナスの本部は藤沢だが、菅原さんは「中村秀一さんの社会保障フォーラムを聴きに上京するからそのときに会いましょう」と言ってくれた。社会保障フォーラムは18時30分開始なので17時に会場のプレスセンターの1階で待ち合わせ。社保険ティラーレの佐藤聖子社長も来る。菅原さんはナースとしての出発こそ病棟のナースだが、結婚後は町の診療所や企業の診療所も経験、保健所にもいたことがあるそうだ。おそらくそこで現場の対応力を磨いたのであろう。その対応力は被災地でも発揮されている。菅原さんと話していると社会福祉法人にんじんの会の石川はるえ理事長が来た。私はこのところ仕事しすぎ気味なので、打ち合わせ後千代田線の霞が関から我孫子へ真直ぐ帰ることにする。霞が関始発の電車が来たので座って帰ることができた。我孫子で「しちりん」に寄り、久しぶりに「愛花」に顔を出す。

6月某日
呑み過ぎでお昼近くに起き出してボーッとしていると石川はるえさんから電話。「今、四谷だけどこれから会おう。我孫子に着いたら電話する」という。とにかく行動が速いからねー、ついていけません。日田市長選挙の話題になると思ったので大谷源一さんにも我孫子に来るように電話。我孫子駅の改札で待っていると石川さんが登場。我孫子のコビアンⅡに案内する。ほどなく大谷さんも合流。日田市長選挙に出る椋野美智子さんのために資金カンパを募ることで一致した。3人で白ワイン3本を空ける。コビアンはそれなりの雰囲気のあるレストランだが値段の安いのが特徴。石川さんが「我孫子に越してこようかな」と言っていた。私は心の中で「それは止めて」とツブヤク。2人を我孫子駅に送って、私は2日連続して「愛花」へ。看護師の「佳代ちゃん」が友達と来ていた。

モリちゃんの酒中日記 5月その4

5月某日
鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」へ。18時からの予約だったが17時30分には店へ。18時過ぎには大谷源一さんが来たので呑み始める。年友企画の酒井佳代さんを電話で呼び出す。彼女はお酒を呑めないのでウーロン茶。7時近くなって厚生労働省の横幕会計課長が来る。別に内容のある話をするでもなく世間話に終始。それがいいのだ。

5月某日
11時半に年友企画で5月の総会で民介協の専務理事を辞めた扇田守専務と待ち合わせる。民介協の扇田さんと会ったのは10年ほど前。厚労省の「老人保健健康増進事業」の補助金事業の申請の件でお願いに行ったのが始まりだ。扇田専務は県立奈良商業高校を卒業後、富士銀行に入行した。高卒では同期で3人しかなれなかった支店長経験者である。なかなかの「遣り手」であるのは間違いのないところだが、憎めない人柄で私とは気が合った。お礼の意味を兼ねて神田の「割烹井上」で食事をする。

5月某日
新宿区役所から高田馬場の玄国寺へ。住職との打ち合わせの後バスで早稲田へ。早稲田から都電に乗って小1時間ほどで町屋に行く。目当ては駅ビルにある「ときわ」。一人で生ビールと日本酒を呑む。我孫子へ帰ると携帯電話に電話が入っていた。元日航のキャビンアテンダントの神山弓子さんからで、電話すると大谷さんと我孫子の「コビアン」で呑んでいるという。大谷さんと3人で「しちりん」へ。「しちりん」では神山さんの息子がバイトしていたことがあるそうだ。神山さんは成田へ大谷さんは川口へ帰る。私は一人で「愛花」へ。目白大学で看護学部の助教をやっている佳代ちゃんがいた。いささか呑み過ぎ。

5月某日
一般社団法人全国年金住宅融資法人協会の監事をしているので東京駅八重洲口の貸会議室で開かれた理事会に出席。その後社保険ティラーレの佐藤聖子社長に電話すると帝国ホテルに元厚労省で今は慶応大学などの客員教授をしている唐沢剛さんといるというので帝国ホテルへ。「しばらく見ないと白髪が増えたね」と言うと、「俺はモリちゃんみたいに気楽に生きてないからいろいろと苦労があるの」と返される。30分ほど無駄話をした後、佐藤社長の西新橋のHCMへ。「キャンナス」の菅原由美代表に電話、「地方から考える社会保障フォーラム」への出席をお願いする。佐藤社長と別れ、日土地ビルへ。元厚労省の川邊新さんと面談。面談後地下1階の蕎麦屋へ。山形の日本酒が美味しかったので2人で3合ほどのむ。

5月某日
川崎市の小規模多機能の「ひつじ雲」を訪問して柴田範子理事長を訪問。川崎から東京駅で丸ノ内線に乗り換えるときバッタリ、フェアネス法律事務所の遠藤代表弁護士に遭遇する。丸ノ内線を大手町で千代田線に乗り換え根津へ。青海社に寄って打ち合わせ。基本的には年金生活者とは言え忙しいのである。この日の夜は吉武民樹さんに誘われて船橋の網元の家で魚をごちそうになることになっている。東京駅の総武線のホームで同じく誘われた大谷源一さんと待ち合わせて船橋へ。少し早く着いたので駅前をブラブラする。船橋は2010年に私が脳出血で倒れたとき、急性期は柏の名戸ヶ谷病院だったが、回復期リハは船橋リハビリテーション病院だったので懐かし感はある。船橋リハ病院を退院した後も何か月か通院したが、そのときも船橋駅前からバスを利用して病院へ通っていた。そんなことも思い出していると吉武さんの奥さんが来て、川村女子大学で吉武さんの同僚だった福永先生ともう一人が登場。
さてこれからが今日は本番である。船橋の網元、大野一敏さんが車2台で迎えに来てくれた。10分ほどで大野さんのお宅へ。なかなか立派な家だ。ビールで乾杯後、大野さんがワインを開けてくれる。大野邸には立派なワインセラーがあるそうだ。大きなワイングラスに白ワインを注いでもらう。野菜サラダ、鱸(すずき)の刺身、アラの煮つけを堪能する。大野さんは何年か前に奥さんを亡くされている。その奥さんが付けた綽名が「勝手のカズ」。自由奔放なその生き方から名付けたのだろうか。帰りに大野さんの著書「おやじの海 勝手のカズ」を渡される。奥さんが「大動脈解離」で亡くなったことも記されていた。大野さんは1939年3月生まれだから今年80歳である。しかし引き締まった身体、潮焼けした顔からはとてもその年には見えない。

モリちゃんの酒中日記 5月その3

5月某日
年友企画の石津さんとJR御徒町駅の改札で待ち合わせ。アルバイトをしている青海社のある根津から地下鉄千代田線で一駅の湯島へ。湯島から歩いて5~6分で御徒町だ。待つこと5分で改札から石津さんが顔を出す。編集の酒井さんも一緒だ。当初は吉池食堂に行くつもりだったが御徒町駅から少し秋葉原よりに寄った居酒屋のアンちゃんの呼び込みに誘われて「御徒町こがね屋」へ。ビールの後私は日本酒。石津さんはずっとビール、酒井さんはウーロン茶。若干飲み足りなかったので近くの韓国居酒屋「名家」へ。マッコリを呑む。酒井さんは茨城へ出張したそうでお土産に日本酒を頂く。

5月某日
図書館で借りた山本周五郎の「安政三天狗」(河出文庫 2018年10月)を読む。巻末の解説(末国善己)によると初出は雑誌「新少年」の1939年1~8月号である。1939年は昭和14年、日中戦争が泥沼化し出した時期であろう。少年向けに優しく書かれているが、ときは幕末、主人公は鵜殿甲太郎という長州藩の青年。師の吉田松陰の密命を帯び、江戸から磐城の平、仙台、天童を経て陸奥に向かう。一種のロードノベルだが、そこに仇討や宝探しのエピソードなどを盛り沢山に織り込んでいる。解説では「時局にささやかな抵抗を示した」とされるが、鵜殿はあくまでも勤王の志士であり、攘夷の気概を持つ青年剣士として描かれている。私にはむしろ時局に迎合していると読めたのだが。当時は小説家に限らず知識人の多くは時局に迎合した。それが普通だったことを認めたほうがいいと思う。

5月某日
昨年(2018年)の7月にオウム真理教の教祖、麻原彰晃と教団幹部の死刑囚13人の処刑が行われた。平成から令和への改元や天皇の退位と新天皇の即位に目を奪われて、大量処刑の事実も忘れ去られようとしているようだ。というか私自身、「ああそういえばそんなこともあったなぁ」という感じなのだ。この本を読むまでは。図書館で思想、宗教関連の本棚を眺めていたら「オウムと死刑」(河出書房新社 2018年11月)が目についた。青木理、田口ランディ、森達也、片山杜秀ら14人が執筆したりインタビューに答えたりしている。いずれも麻原彰晃以外の死刑囚は麻原のマインドコントロールによって殺人などの罪を犯したもので、事件の真相解明がなされていない時点での処刑には反対との論調だ。私もそう思う。「平成に起きた事件は平成のうちに処理を終えたい」というのは論外。改元と犯罪は本来無関係の筈。

5月某日
社会福祉法人サン・ビジョンは愛知県や長野県で老人福祉施設を展開している一方で長野県塩尻市ではサン・サンワイナリーというワインの醸造所を運営している。サン・ビジョンの理事長をやっている堤修三さんから銀座・三越の地下3階の食品売り場で試飲即売会をやるので吉武君と来てよと誘われる。有楽町から三越に向かうと、三越の入口に堤さんが待っていた。お酒の売り場に行くとサン・サンワイナリーの武藤さんがワインの説明をしながら試飲をさせてくれた。上智大学の吉武さんの同僚、栃本一三郎さん、遅れて吉武民樹さんが来る。栃本さんも吉武さんもワインを買っていたが、私は後日買いに来ることにする。三越から歩いて交通会館地下の「よかよか」へ。先日、高橋ハムさんにご馳走になった店だ。日本酒の4合瓶を石巻の「日高見」から始まって4人で4本呑む。1人1本である。お酒にうるさい栃本先生も満足したようだ。我孫子へ帰って久しぶりに「愛花」に寄る。

5月某日
村田喜代子の「飛族(ひぞく)」(文藝春秋 2019年3月)を読む。九州の南の島、もしかしたら奄美諸島か琉球諸島か。養生島という島が小説の舞台だ。かつて漁業で栄えたこの島に住むのは老女が二人。イオさん92歳、ソメ子さん88歳。イオさんの娘のウミ子は大分の山奥に嫁ぎ川魚料理屋をやっているがイオさんを大分に引き取ろうと養生島にやってくる。娘と言ってもウミ子も65歳だ。3人の老女と、ときどき島にやってくる役場の鴫君がこの小説の主な登場人物である。島での日常が淡々と描かれるが、こんな老後も悪くはないな、と思わせる小説である。裏表紙に村田喜代子の略歴が載っている、村田は1945年生まれ、今年74歳。主な著作も列記されているが、わたしは「龍飛御天歌」「ゆうじょこう」「八幡炎炎記」「エリザベスの友達」を読んだことがある。いずれもなかなかに面白かった。

5月某日
西葛西にある東京福祉専門学校に白井孝子先生を訪問。この学校は地域の高齢者や子どもたちに学校のスペースを提供、居場所づくりに貢献している。私も利用者と勘違いされアイスコーヒーとお菓子が出される。ありがたくいただいていると待ち合わせていた大谷源一さんが登場、ふたりで白井先生に面談。大谷さんと西葛西の駅前で呑もうかと思ったが、大谷さんが武蔵野線で帰ってもいいというので、西葛西から東西線で西船橋へ。西船橋から武蔵野線で新松戸。新松戸駅前の赤提灯「ぐい呑み」へ。ここは林弘幸さんと何度か来た店。美味しいお刺身を肴に日本酒を呑む。新松戸から大谷さんは川口へ。私は我孫子へ。我孫子で久しぶりにバーに寄ってジントニックとウォッカトニックを頂く。いささか呑み過ぎ。

モリちゃんの酒中日記 5月その2

5月某日
「おもかげ」(浅田次郎 毎日新聞出版 2017年12月)を読む。長年勤めた商社を退職した竹脇は、後輩が開いてくれた慰労会の帰途、地下鉄丸ノ内線の車内で倒れ近くの病院に救急搬送される。竹脇を見舞いに来る同期入社で現社長の堀田、幼馴染のトオル、集中治療室の隣のベッドのカッちゃんなど通して竹脇の半生が明らかにされる。竹脇は1951年生まれだから作者の浅田と同年である。竹脇は孤児として施設で育つ。その仲間がトオルで、竹脇の一人娘の夫はトオルが社長を務める土建屋の少年院帰りの若い衆である。竹脇は新聞販売店に住み込みで働き、難関の国立大学に入学、商社に入りニューヨークや中国駐在員を務める。社長にはなれなかったが定年時は関連会社の役員だったから、商社員としてはまぁまぁの出世である。孤児から一流商社員とならば「まぁまぁ」どころか「たいした」出世かもしれない。私からすれば浅田の現代を舞台にした小説は現代の「おとぎ話」である。だがそのおとぎ話には浅田の様々な体験が埋め込まれている。浅田の実人生は親の事業失敗で一家離散も経験している。その後、一家は再び一緒になることはなかったという。孤児の孤独や世間の温かさと冷たさを描くとき、浅田の実人生が反映されていない筈がない、と私は思う。

5月某日
10連休が終わって7日の火曜日である。世間は仕事にスイッチが入ったが私はまだ。厚労省OBの高根和子さんに誘われてゴルフ。ゴルフ場は成田のPGM総成ゴルフクラブ、7時に我が家まで社保庁OBの中西さんに迎えに来てもらう。我孫子からゴルフ場まで車でほぼ1時間。上りは連休明けということもあって結構混んでいたが、下りはスムーズに行けた。少し遅れて高根さんと末次さんが到着。総成ゴルフクラブは植栽や樹木の手入れも行き届いてきれいなコースだ。天気も曇天だが暑くも寒くもなくちょうど良し。スコアは数えないことにしています。料金は「セルフ昼食付パック」8449円。割安感強し。ゴルフは行く前は多少億劫に感じるのだが、実際にやってみるとスコアは別にして「やってよかった」となるのが最近の傾向。今回も高根さんに「誘ってくれてありがとう」だ。

5月某日
大学時代の同級生、岡君、雨宮君、内海君それと同じクラスではなかったが女子の関さんと早稲田の「志乃ぶ」で会食。「志乃ぶ」は4月に「早大闘争を振り返る会」の2次会で行った店で私が予約しておいた。根津駅前から都バスに乗って本駒込、千石、護国寺経由で早稲田へ。店に着くと全員が揃っていた。内海君はイタリヤで現地の自動車関連企業のアドバイサーをやっており、里帰り中。昔からコスモポリタン的な雰囲気のある男だったが、そこらへんは50年たっても変わらない。早稲田から都電で町屋へ、町屋から千代田線で我孫子へ。

5月某日
机を借りているHCM社の大橋社長と新橋烏森神社すぐのちょいと洒落た居酒屋へ。最近の小洒落た居酒屋の特徴は店主ならびに店員が若くて愛想がいいこと、料理にも工夫がされていることではなかろうか。この店も突き出し、料理が美味しかったが何を食べたか忘れてしまった。お店の名前も覚えていない。大橋社長にすっかりご馳走になってしまったが、店名を忘れては申し訳ないじゃないか!喝!ですね。我孫子へ帰って「愛花」に寄る。

5月某日
「インサイド 財務省」(読売新聞経済部 中央公論新社 2019年3月)を読む。旧大蔵省は役所の中の役所と呼ばれ、他の省庁とは別格の存在だった。その力の源泉は各省庁から出せる予算要求を査定し、政府予算案として国会に提出する権限を事実上握っていたからであろう。しかし安倍政権になってその力は幾分、陰ってきたように思われる。財政再建という至上命題から予算のバラマキは許されなくなっている。各省庁の予算は社会保障関係を除くとこの10年ほどほとんど伸びていない。各省庁の新規事業の概算要求を査定するという旧大蔵省主計官の存在意義はだいぶ薄れてきたのではないだろうか。それに加えて森友学園に関わる文書の改ざん問題、さらには福田元次官によるセクハラ疑惑も財務省の威信低下に拍車をかけている。「あとがき」を読売新聞東京本社の矢田俊彦経済部長が書いている。矢田の亡父はNHKの経済部長を務めた人で、亡父の遺稿を「あとがき」で紹介している。「国民の信頼を得るためには、たとえ困難であっても、国民に真意を理解させることが不可欠なのだ。官僚はこの作業を怠ってはならない」「官僚の道を選んだのは、権力欲のためではないはずだ。日本という国をよりよい国にしたい、日本国民に幸福になってもらいたい。そのために、己の能力を国家官僚として十分に発揮したい。そう考えてのことであろう。その官僚としての初心を貫いて欲しい」。

5月某日
ネオユニットの土方さんがHCM社に来社、HCM社の大橋社長と3人で「胃ろう・吸引シミュレーター」の販売について話す。私としてはこの商品はまだまだ「商品力」があると思っているのだが、そのためにも「ひと工夫」が必要ではないか、というのが土方さんの意見。その通りと思う。終って新橋の青森料理のお店「おんじき」へ。6時前から9時過ぎまで3人で呑む。大橋社長と土方さんにすっかりご馳走になる。

5月某日
「風花」(川上弘美 集英社文庫 20011年4月)を読む。主人公の「のゆり」は夫の卓哉との2人暮らし。卓哉の浮気が発覚、2人の関係は微妙に。そのさなか卓哉の転勤で2人は関西へ。のゆりは医療事務の資格をとり歯科医院でアルバイトし自活の道を探り、卓哉とは別居する。恋愛小説なんだろうけれど川上弘美の小説らしくストーリーは淡々と流れる。「淡々」「あっさり」が川上の魅力と私は思う。これは川上の理科系(お茶の水女子大学理学部卒、確か高校で教師をしていた)という出身から来ているのかも。

モリちゃんの酒中日記 5月その1

5月某日
「遊動論-柳田国男と山人」(柄谷行人 文春新書 2014年1月)を読む。柄谷の本は「世界史の実験」「憲法の無意識」に続いて3冊連続。世間は平成から令和への代替わりで大騒ぎだが、柄谷の本には天皇制の基層に触れるものが少なくない。本書も直接的に天皇制を論じたものではないが、柳田の論稿を通して日本人の起源や定住民、遊牧民について述べており、私はテレビで上皇や天皇の姿を見るにつけ、彼らの先祖たる大陸の遊牧民に想いを馳せたくなる。そもそも日本人の祖先にはいくつかのルーツが考えられる。南太平洋、中部太平洋の島々からフィリピンあるいは台湾を経由して沖縄、日本に至るコース、北方騎馬民族が中国大陸、朝鮮半島を経由して日本に上陸したケース、中国大陸南部、現在の福建省あたりから日本にたどり着いた人々などである。シベリヤやベーリング海峡あたりから千島列島経由で南下したのが現在のアイヌ民族の先祖であろうと思われる。天皇家の先祖は北方騎馬民族らしいが、その末裔たちが3世紀に大和地方の有力豪族として政治連合を形成し、大和王権が成立した。その政治連合のトップが天皇家の先祖なんだろう。先祖は北方騎馬民族だから遊牧民なんだが、宮中祭祀は完全に定住民の農業、とくに稲作を意識したものとなっている。毎年秋の新嘗祭は五穀豊穣を神に感謝するもので、これと同じようなものが村の鎮守様の秋祭りであり、天皇の代替わりに際して執り行われるのが大嘗祭だ。日本の保守派は天皇の男系男子に固執しているが、日本はもともと男系でも女系でもなく双系制だったことからすると、男系男子の根拠は曖昧となってくる。柄谷によると双系制は出自・血縁よりも「家」、言い換えれば「人」よりも法人を優位に置く考えだという。「天皇家」を一種の法人と考えれば、この考えもうなづける。
「あとがき」によると、そもそも柄谷と柳田のかかわりは40年前に遡り、その頃柄谷は雑誌に「柳田国男論」を連載していたという。単行本にもせずにいたが、東日本大震災をきっかけに柳田のことを再び考えるようになったという。柳田によると、日本では、人が死んだら魂は裏山の上空に昇って、祖霊(氏神)となって子孫を見守ることになっている。柳田は終戦目前に書いた「先祖の話」で「外地で戦死した若者らの霊をどうするのか」という問いを発している。柳田は若い戦死者に養子をとり戦死者を「初祖」とする「家」を創始することを主張している。柳田にとって死者の帰るべき場所は国家、及び国家の主宰する靖国神社などではなく死者の生まれ育った村の裏山と社なのであった。柳田には国家を超える思想があったし、侵略戦争には否定的であった。天皇の代替わりに天皇制を考えるうえで柳田の思想は有効かもしれない。

5月某日
「エリザベスの友達」(村田喜代子 新潮社 2018年10月)を読む。村田の小説は、結構深刻な問題を違った視点でとらえることによって人間存在を肯定的に捉えるという特徴がある。とこう書いてしまうと優れた小説ってみんなそういう感じがあるのかもしれない。村田の「ゆうじょこう」は遊郭に売られた少女の話だけれど、ことの本質は貧困にあり、売春などは告発されるべきことなのだが、村田はそこにはあえて踏み込まない。田舎の貧しく無知な少女が遊女になることで美しく成長していく姿を描く。さて「エリザベスの友達」のテーマは認知症である。千里の母親の初音は97歳、有料老人ホーム「ひかりの里」で暮らす。初音は戦前の天津租界の裕福な日本人に嫁ぎ、当時の内地では考えられないようなハイカラな生活を送る。租界の若奥さんたちは互いをエヴァ、ヴィヴィアン、サラ、キャシーなどと呼び合っていたほどである。初音はホームの裏口の戸を開けて外へ出て行こうとする。所謂徘徊である。しかし著者の村田及び千里はそうは受け取らない。初音は意識の上では20代、裏口の戸を開けて天津租界に帰ろうとしているのだ。ホームの大橋看護師は認知症の人の言動を否定しない。入居者が幻覚の蛇に怯えれば「あらほんと。あたくしにまかせて」と追い払う。「そんなもの、いないと言ってはいけないのよ。目に見えてるものはいるのよ」という大橋看護師の言葉は認知症介護の本質を突いている。ホームにおける音楽、歌が認知症の進行を緩和させることも描いており、このフィクションがかなりの取材に基づいていることを伺わせる。

5月某日
「ナポリの物語3 逃れる者と留まる者」(エレナ・フェッランテ 早川書房 2019年3月)を読む。「ナポリの物語」は「リラと私」「新しい名字」と本書、それにまだ翻訳されていない4作目で完結する(と思われる)シリーズ。主人公は作者の分身と思われるエレコ・グレーコ(レヌー)とラッファエッラ・チェルッロ(リラ)の2人。レヌーの父は市役所の案内係、リラの父は靴職人、2人はナポリの下町のアパートで育ち幼い頃から親友となる。シリーズは第2次世界大戦のイタリア敗北後のからナポリが舞台である。2人とも1944年8月生まれ。作者のフェッランテは1943年ナポリ生まれだから、物語は作者の体験が下敷きになっている(と思われる)。第1作はナポリの戦後復興期が第2作では1950年代の高度経済成長期が描かれ、リラは靴職人の道を選びレヌーは高校、大学と進学するのだが2人の関係は変わらない。第3作は60年代後半から70年代のナポリや結婚したレヌーの暮らすフィレンツェが舞台。第3作の舞台となった時代は先進国で日本も含めて学生反乱が荒れ狂った。イタリアでは左翼とファシストとの激しい戦いがあったがこれは日本で言えば全共闘と体育会系の学生、あるいは右翼学生との対決であった。またイタリアでは赤い旅団、西ドイツではドイツ赤軍派などの軍事路線も生まれたが、日本ではブントの赤軍派や連合赤軍、東アジア反日武装戦線がそれに該当する。「ナポリの物語3」でもファシストの抗争やテロ、爆弾事件などが物語の背景として描かれている。レヌーは作家デビューしリラも通信教育でコンピュータを学び、コンピュータ技術者として高給を得るようになる。レヌーは大学教授と結婚し2人の女の子の母親となるのだが幼馴染と再会し恋に落ちてしまう。レヌーの駆落ちで「ナポリの物語3」は終わるのだが、第4作が待ち遠しい。

モリちゃんの酒中日記 4月その4

4月某日
友人の関友子さんが浅草公会堂で三味線を弾くというので、弁護士の雨宮英明先生、元伊勢丹の岡超一さんと行くことにする。3人とも早稲田の政経学部の出身(関さんは卒業していないかも知れない)。関さんは在学中から私の奥さんと親しかった。岡さんと雨宮先生、私と奥さんは語学が同じクラスだった。関さんはエレクトーン奏者をやった後、新宿や赤坂でクラブを開業、そこのママ稼業を頑張っていたが数年前に引退、いまや悠々自適の身である。雨宮先生は内定していた就職先を辞退、司法試験に挑戦し見事合格、検事に任官の後、弁護士に転身した。岡さんは就職先を百貨店に絞り、念願の伊勢丹に入社、親の介護で60歳で定年退職した。私は過激な学生運動に参加、逮捕起訴されたこともあって彼らとは違った人生を歩むことになるのだが、このところ彼らと呑むことが多い。
西新橋の弁護士ビルの雨宮先生の事務所からタクシーで浅草公会堂へ。タクシー代は雨宮先生持ち。公会堂はすでに和服で着飾ったご婦人や恰幅のいい紳士たちでにぎわっていた。ほどなくして岡さんも到着、1階席はほぼ満席だったので2階席に向かう。第2回浅草会ということで、浅草、向島、八王子の芸者衆の踊りがメインで、関さんの三味線はその伴奏というわけだ。料亭に芸者を呼んで酒を呑んだら一人何万円も請求されるところだろうが、この会のチケットは1枚5000円。これで芸者衆の踊りと浅草の幇間芸を楽しめるのだからまぁリーゾナブルというべきか。終って雷門そばの蕎麦屋「満留賀」で一杯。私と岡さんは銀座線で上野へ。銀座線ではなぜか映画の「ゴジラ」の話になって、岡さんは「ゴジラの第1作は反核の映画だったんだ」といろいろ解説してくれた。

4月某日
「プラスチックの祈り」(白石一文 朝日新聞出版 2019年2月)を図書館で借りて読む。ハードカバー本文643ページの大著。通勤の時間と朝1時間の読書で3日で読了。内容が「謎解き」めいていて面白かったことにもよる。主人公は作家の姫野伸昌、福岡の海洋時代小説家の息子で、早稲田大学卒業後大手の出版社に勤務、その後作家デビュー。こうなると姫野は作者、白石の分身と思わせれる。白石の父は海洋時代小説家で直木賞作家の白石一郎。白石は早稲田大学政経学部卒業後、文藝春秋社に入社している。だからこの小説が私小説かというとそれは全く違う。主人公の作家の肉体の一部がプラスチック化するという破天荒な話からストーリーは始まる。荒唐無稽な話ではあっても読者をひきつけるのは白石の作家としての力量のなせる技だと思う。姫野は愛する妻、小雪を失ってから酒浸りの生活を送っているのだが…。この小説のテーマのひとつは人間の記憶だ。それから人間の存在の危うさ、儚さといったところか。飯田橋の居酒屋「てっちゃん」で知り合った村正は、ぼんちりの串を一本取り上げ「このぼんちりの串が本当にあるかどうかだってわからない。僕や姫野さんがあると思い込んでるだけなのかもしれない。物事なんてのは、結局、全部そうなんだと僕は思うんです。全部思っているだけでね」と語る。「我思う故に我あり」(デカルト)の世界ですね。小説の最後では、東京の街全体がプラスチック化され、「『私』はその荘厳な景色に見とれながら、小さな声で祈りをささげる。物語よ、終われ。そして始まれ」で終わる。物語全体が「死と再生の物語」と読めなくもないのである。

4月某日
明日から10連休。「竹下さんを偲ぶ会」で受付をやってくれた香川さん、司会をやってくれた落合さん、カメラマンをやってくれた浜尾さんと夕食を一緒にすることに。お店はこのところ大谷さんとよく行っている千代田線町屋駅から直通の「ときわ食堂」。17時30分スタートなので5分ほど前に町屋駅に着くと、香川さんがいた。同じ電車だったらしい。生ビールとウーロン茶で乾杯。少し遅れて浜尾さんが到着。香川さんがフリーライター、浜尾さんはフリーの編集者だが、落合さんは高齢者住宅財団の企画部長。財団の仕事の関係で18時過ぎに到着。改めて乾杯。私だけが男子(といってもジジイですが)で、残り3人は女子。女子会にジジイが参加したようなものだが、違和感なし!終わって落合さんは都電で王子経由、香川さんと浜尾さんは千代田線で表参道方面、私は我孫子へとそれぞれの家路へ。

4月某日
「世界史の実験」(柄谷行人 岩波新書 2019年2月)を読む。柄谷行人の書物は難解なんだよねぇ。柄谷は東大の学部では経済学を専攻し大学院は英文科に進んだ。夏目漱石論で群像新人文学賞(評論部門)を受賞した後、文芸批評家として世に出た。しかし文学評論では物足りなくなった柄谷は「マルクスその可能性の中心」と「柳田国男論」の雑誌連載をほぼ同時に行う。マルクスの足跡は革命家としてのそれを別にしても、経済学、哲学を幅広く覆っている。柳田国男だって農商務官僚から内閣書記官長という官僚のトップにのぼりつめる一方で、日本の民俗学の草分けともなる。マルクスと柳田を同時にほぼ論及するというのはかなりの力量が無ければできないことだし、知識のストックが無ければできないことだ。柄谷の文章が難解であるのはそうしたことに依るのかもしれない。だけど本書は比較的平易、文体も「ですます調」で読みやすかった。本書は主として柳田国男について書かれているのだが、柳田に付随するかたちで島崎藤村にも触れられている。柳田も島崎も父は平田篤胤の流れを汲む国学者であり神官であった。島崎の父は「夜明け前」の主人公、青山半蔵のモデルであることは知られている。童謡の「椰子の実」の作詞は島崎だが、「名も知らぬ遠き島より流れ来る椰子の実」の着想は柳田である。私は本書の本筋とはやや外れる叙述に心が魅かれた。第一次世界大戦後、二つの社会を変革する実験が行われた。ロシヤ革命と国際連盟の創設で前者はマルクスの、後者はカントの理念に基づいてのものである。マルクスは来るべき革命は一国で開始されるにしても世界革命として波及していくだろうと予想した。それはレーニンらのボルシェビキも同様で、ソ連の正式名称、ソビエト社会主義共和国連邦に「ロシヤ」という地名がないことからも明らかだ。連邦のロシヤ語のサユーズは「同盟」の意味で「ソビエトに基礎を置く社会主義共和国の同盟」ということだ。革命の進展に応じてドイツ、フランス、英国が社会主義共和国の同盟に加盟するというイメージだったのだろう。ドイツ革命が敗北し、さらにレーニン死後、スターリンはソ連一国社会主義の建設に傾斜していくのだが。それはまた別の話であった。

4月某日
「憲法の無意識」(柄谷行人 岩波新書 2016年4月)を読む。非常に面白く読んだのだけれど、内容を要約するのはかなり難しい。私なりに乱暴に要約してしまうと、憲法が戦後守られてきたのは国民が意識的に守ってきたものではなく、「無意識」のレベルで守られてきたということになる。憲法は明らかに占領軍によって起草されたが、その事実は占領軍の民間検閲局(CCD)の「検閲」により隠蔽される(江藤淳)。柄谷は「検閲」をフロイトの理論により掘り下げる。憲法9条には「戦争を忌避する強い倫理的な意志がある」が、しかし9条は日本国民の自発的な意志ではなく占領軍に押しつけられたものだ。柄谷はこれをフロイトを引用しつつ、先ず、外部の力(占領軍)による戦争(攻撃性)の断念があり、それが国民の良心(超自我)を生みだし、さらにそれが戦争の断念をいっそう求めることになったという構図だ。柄谷は「憲法9条は、日本人の集団的自我であり、『文化』です。(中略)それは意識的に伝えることができないとの同様に、意識的に取り除くこともできません」と述べる。つまり「憲法の無意識」である。
今日で「平成」が終わり明日から「令和」がはじまる。テレビは2、3日前から平静を振り返る特番を流している。皇太子時代も含めて天皇と皇后には「お疲れさんでした」とねぎらいたい。

モリちゃんの酒中日記 4月その3

4月某日
「1969年早大闘争を振り返る会」に高橋ハムさんが亡くなった山口俊さんの第三歌集「総括」を持ってきたので1冊もらう。山口俊は当時から私にとっては得体の知れない存在だった。奥州寄居一家というヤクザの構成員という噂も聞いていたように思う。痩身でかぶっていたヘルメットもオートバイ用ので私たちの工事現場用の普通のヘルメットとは違っていた。全共闘運動が下火になったとき高橋ハムさんとともに革マルに拉致され、リンチされたうえ秩父かどこかの山中に捨てられたということも後に聞いた。その山口さんも数年前に死んだということをハムさんから聞いていた。歌を創っていたことは知らなかったが、今回初めて読んでなかなか良い歌があるのに少し驚く。「ややひきずりし足の痛みよ、青春の記憶すでに定かではない」という歌があるが、革マルのリンチによる後遺症で足を引きずっていたのだろう。解放派の内ゲバ死亡した永井啓之のことを歌った「波は寄せまた波は寄せ青い季節であるかと」は解放派のヘルメットの色が青だったことを思い出させる。もう少し山口俊さんの歌を知りたい思う。

4月某日
「人工知能」(幸田真音 PHP 2019年3月)を読む。人工知能の本は何冊か読んだが、人工知能を題材にした小説を読むのは初めて。本作は「しぶといやつ」というタイトルで月刊「Voice」に連載されたものを改題し、加筆・修正したものというが、幸田は当初、主人公凱の人工知能にからんだ青春物語を書きたかったのではないだろうか。それが人工知能の専門家を取材するうちに人工知能そのものに興味が移っていったように思う。ストーリーは人工知能を使った自動運転の車の開発を巡って安全である自動運転車が、経産省のエリートに襲い掛かるという謎解きが中心。自動運転のプログラムが書き替えられたのだが、私はストーリーよりも人工知能の可能性や、人工知能開発を手掛ける凱が入社したAMIという会社の社長、組織、社員に興味がある。個人の能力を最大限に引き出す自由な組織でなければ、AIの本当の開発は無理であるというようなことが示唆されているように感じたのだけれど。

4月某日
4月から上智大学で教えることになった吉武民樹さんの研究室を大谷源一さんと訪問。社会福祉学科の教授の部屋は2号館の15階にある。亡くなった高原亮治さんが上智大学で教えていたとき、何回か来たことがある。吉武さんの部屋に行く前に資料室の前を通ると、栃本一三郎さんがいたので声を掛ける。吉武さんの部屋へ行くとさすが15階、四ツ谷駅前から市ヶ谷当たりの眺望が広がっていた。四ツ谷駅前の新道通りでも飲もうかと思ったが、大谷さんが19時半から鶯谷の「あじとよ屋」で滋慶学園の人たちとの約束があるというので、そこに行くことにする。上智大学の隣の聖イグナチオ教会の納骨堂には高原さんのお骨が収められているので寄ってみるが行事があるとかで「5時前に来てください」と言われてしまった。「あじとよ屋」の予約を18時半に変更してもらって鶯谷へ。南口から階段を下りて言問い通りへ。酒・食品の業務用スーパー「河内屋」(一般の人も購入できる)の近くに「あじとよ屋」はあった。居酒屋というよりはイタリアン風の内装、料理もフォアグラなどこじゃれている。滋慶学園の2人もそろって乾杯、吉武さんにすっかりご馳走になる。吉武さんと私は上野からグリーン車で我孫子へ。上野でもう少し呑むという3人と別れる。

4月某日
図書館で借りた「大坂の陣 近代文学名作選」(日高昭二編 岩波書店 2016年11月)を読む。大坂の陣を描いた明治以降の文学作品のアンソロジー。大坂の陣は豊臣方の敗北を以て終わるが、解説で言うように明治維新で徳川政権が崩壊したため「家康に代わって、秀吉が明治の世に召喚されはじめる」。江戸時代、徳川政権に歯向かった豊臣について文学作品とは言え触れることにははばかりがあったということであろう。坂口安吾、岡本綺堂、坪内逍遥、吉川英治、菊池寛らの描く太閤秀吉や真田幸村、そして大坂の陣はそれなりに面白かった。何年か前のNHK大河ドラマで堺雅人が真田幸村を演じた「真田丸」を楽しく見た記憶があるかもしれない。それにしても日本における軍事衝突にはいろいろな呼び方がある。天下分け目の「関ヶ原の戦い」、何年かにわたって内戦が続いた「応仁の乱」、源義家の「前九年の役後三年の役」、軍事衝突を「乱」「変」「役」などと表現した。幕末になると「薩英戦争」「下関戦争」「戊辰戦争」と戦争という呼称が普遍化し明治に受け継がれていく。もっとも「薩英戦争」「下関戦争」は明治期につけられたのかも知れない。明治10年の「西南戦争」も「西南の役」とも呼ばれた。日中戦争は戦争中は「支那事変」と呼んだ。宣戦布告をしていないので、日本としては「事変」として主張する必要があったのだ。「大坂の陣」は大阪城を巡る攻防であったことと、徳川方が大阪城に対して包囲の陣立てで臨んだことに由来するのかも。

4月某日
一般社団法人LeLien(ルリアン)代表理事の神山弓子さんの実家は宮城県の石巻市。3.11の当日はJR石巻線の乗客だったそうで、乗客たちの機転とチームワークで辛くも津波の被害を免れたという。神山さんの前職は日本航空の国際線の客室乗務員。9.11は米国上空を航行中だったということで、神山さんは3.11と9.11の2つ、津波とテロの惨事を現地で体験したということになる。その神山さんが石巻に里帰りしてお土産に日本酒とメヒカリを買ってきてくれたというので、上野の大谷源一さんと神山さんが待つ居酒屋へ。ありがたくお土産を頂く。