モリちゃんの酒中日記 5月その2

5月某日
「心に龍をちりばめて」(白石一文 新潮文庫 平成22年1月)を読む。ヒロインの小柳美帆は医者の娘で誰もが振り返るような美人、お茶の水女子大を卒業後、イギリスに短期留学した後フードライターとして年収2000万円を稼ぐ。恋人は東大法学部卒業後、共同通信社に入社、保守党から国政への進出を目指す。こう書くと嫌味なカップルと言わざるを得ない。しかしこれは美帆の抱えるもう一つの現実を際立たせるための小説上のテクニックだ。美帆のもう一つの現実とは、孤児として医者の家で育てられ、幼馴染で弟の命の恩人の仲間優司は、「俺は、小柳のためならいつでも死んでやる」と美帆に言うが、福岡でヤクザとなっていた。恋人の子を妊娠した美帆は恋人と別れ、優司とドライブの最中、優司に恨みを抱くヤクザに襲われる。こう粗筋をたどると典型的な通俗小説にしか見えないし、事実これは通俗小説である。しかし私は大変、面白く読んだ。多分、これは読者と作者の「相性」の問題と思う。

5月某日
「キャンセルされた街の案内」(吉田修一 新潮社 2009年8月)を図書館から借りて読む。エアメールを模した表紙がお洒落だ。帯には「デビューから『悪人』までの、そのすべてのエッセンスが詰め込まれた必読のマスターピース」とあるけれど、私には全10編のうちほとんどが印象に残らなかった。唯一、表題作に奇妙な印象が残った。故郷の長崎から風来坊の兄が上京し「ぼく」の部屋に居候する。「ぼく」は別れた恋人の母親に可愛がられ、母親の家に入り浸る。「ぼく」は船会社に勤務の傍ら私小説を書いているのだが、現在とその私小説と故郷の軍艦島の思い出が交差する。短編ならばこういうちょっと複雑なストーリーが最近の私は好みのようだ。

5月某日
会社の帰りに上野駅構内の本屋「ブックエクスプレス」に寄って、本を眺めていたら元年住協の林弘幸さんから携帯に電話。今、神田にいるということなので「ブックエクスプレス」で待ち合わせ。林さんは新松戸に住んでいるので新松戸で吞むことにする。市松戸の駅近くの「GUI吞み」に行く。ここは新横綱の稀勢の里の写真とサインが飾ってある。林さんによると稀勢の里の所属する部屋(田子の浦部屋)が以前、松戸にあり、その関係で力士が顔を出していたことがあるという。稀勢の里は今でも年に何回かこの店に来るそうだ。林さんは3月で前の会社も退職、今はフリー。定期のないのがつらいのと、昼食を自分で作ると麺類中心となり塩分が多めになるのが悩みと言っていた。なるほどね、参考になります。

5月某日
我孫子駅前の本屋で文庫本を物色していたら藤沢周平の「一茶」(文春文庫 2009年 単行本は1978年)が目についたので買う。以前は藤沢周平は好きでよく読んだがこのところご無沙汰だった。「一茶」はもちろん面白かったが、今回は藤沢の文章の巧みさに感心した。一茶は50を過ぎて江戸での生活を切り上げ故郷の信州に帰る。そこで思いもかけず嫁の話が持ち上がる。その話を聞いた後の文章である。「外に雪囲いがしてあるので、家の中は昼も薄ぐらく、出るまで気づかなかったが、外に出ると珍しく日が照っていた。大きな千切れ雲が、ゆっくり空を走っていて、二乃倉を出て野に出ると、雪の野は雲が走り去るとまぶしく日にかがやいた」。江戸期ならば老年であろう50過ぎ。その老爺に持ち上がった嫁取り話に沸き立つような喜びが伝わってくる風景描写である。一茶といえば子供や小動物に優しい俳人というイメージがあるが、藤沢の描く一茶は、前半生は俳諧師としてスポンサーの顔色を伺いながら句作に励む日々を送り、後半生は親の遺産を巡って親族と争い、嫁との間に設けた子供にも死なれ、ついには嫁とも死に別れるという我々のイメージを大きく裏切る一茶である。藤沢は故郷の師範学校を出た後教職に就くが、ほどなく結核に倒れ療養生活を余儀なくされる。教職への復帰はかなわずハム、ソーセージ業界の業界紙に就職する。私には藤沢が「思いならぬ人生」を一茶に託して描いたと思えるのである。

5月某日
図書館で借りた「『格差』の戦後史―階級社会、日本の履歴書」(橋本健二 河出書房新社 2009年10月)を読む。橋本は以前、「居酒屋ほろ酔い考現学」(毎日新聞社)を読んだことがことがあるが、本職の社会学の本を読むのは初めて。データを駆使して通説に切り込んでいく姿勢には好感が持てる。著者は「格差について語ることは、政治について語ることである」という。政治の最も基本的な機能は資源の再分配にあるからだ。今の自民党政権がその機能を十全に果たしているとは思えないが、野党の民進党にもその自覚があるとは思えない。日本の再分配が最も進んだのは戦中と戦争直後であろう。戦中は総力戦体制のもと「平等」が指向され、戦争直後は圧倒的なモノ不足から結果的に「平等」となった。資源を再分配するにも資源自体が不足していたからだ。

モリちゃんの酒中日記 5月その1

5月某日
HCM社で打合せ。終了後、大橋社長から「この後予定入ってますか?」と聞かれる。「何も」と答えると、「ご馳走しますから呑みに行きましょう」と誘われる。「清龍にしようか」と向かうと違う店になっていたので烏森口の縄暖簾に入る。私はホッピー、大橋社長は生ビールからウイスキーの水割り。いい気持ちになったところで烏森口の大橋社長行きつけのスナックへ。ここのママは最近まで明治生命の外務員とママを兼業していたらしい。頭の回転がよさそうだが、外務員としては押しが弱いかも。すっかり大橋社長にご馳走になってしまう。

5月某日
芝パークビルで開かれたシルバーサービス振興会の月例研究会に当社の酒井と参加。講師は一橋大学の猪飼周平教授でテーマは「地域包括ケア化はヘルスケアの生活モデル化―長期的トレンドに基づく支援観の変化「生活モデル化」による地域包括ケア」。いささか難解だったが、当日のレジメをパラパラめくっていたらおぼろげながら理解できた感じがする。「地域包括ケアの総括」では、地域包括ケアが浸透しない原因として「介護保険は様々な議論がありながらも素早く社会に浸透・根付いた」のに対して、地域包括ケアは「多くの自治体にとってはなぜ、地域包括ケアを展開しなければならないのか理由がわからず、積極的に取り組む姿勢になれない」としている。また「労働力人口の減少と財政逼迫に立ち向かう政策の必要性として「ロボット、自動運転、AI技術などによって労働生産性を上げること」「テクノロジーを最大限活用した先に人間にしかできない支援とは何かを今から考えておく必要」を上げていたが、これには共感するところが大きかった。それで肝心のなぜ生活モデルなのかについては、私の理解では「医療モデル」「社会保障モデル」では、援助が必要とされる人の複雑な全体像を把握することはできず、支援モデルが社会保障モデルから「生活モデル」へ移行しつつあるということ。講演を聞いた後、同じ芝パークビルにある企業年金連合会の足利聖治常務理事を訪問する。

5月某日
京大理事の阿曽沼さんからメールで東京出張とのこと。霞が関で仕事ということなので西新橋の「酒房 長谷川」を予約。約束の6時に行くと阿曽沼さんはすでに来ていてビールを吞んでいた。大学の理事というのも結構、大変らしい。まぁ私の今の立場からすると、「全ての人の仕事は大変!」と思ってしまう。私もビールにしてそのあとは日本酒をぬる燗で。阿曽沼さんにすっかりご馳走になる。新橋駅で阿曽沼さんと別れ、私は我孫子で「七輪」に寄る。

5月某日
健康生きがい財団の大谷常務に電話して神田明神下の「章太亭」で待ち合わせ。神田駅でばったりHCMの大橋社長に会ったので一緒に飲むことにする。ここでもビールの後、ぬる燗。大橋社長は忙しくて昼飯抜きで今日初めての食事だそうだ。大橋さんは「章太亭」は初めてだが気に入ってくれたようだ。ちょうど神田明神のお祭りで吞んでいる最中に、お神輿が近くの通りを通る。お店の人も客も神輿を見に行く。お店の女の人は神輿を担ぎだした。この辺りは「ご町内」が立派に機能していると感じた。地域包括ケアシステムの原型があると言えるのではないか。

5月某日
図書館で借りた「ぼくらの民主主義なんだぜ」(高橋源一郎 朝日選書 2015年5月)を読む。高橋源一郎の本は小説を含めて読んだことはない。高橋は1951年生まれ、横浜国大経済学部中退。読んで大変まともなことが書いてあり感心した。朝日新聞の論壇時評として2011年の4月から2015年の3月まで連載されたものがまとめられている。そうなのだ、本書は2011年の東日本大震災の直後から執筆が開始され、当然のことだが大震災や原発事故に対する論評が目立つ。それぞれの時評に高橋の思いが凝縮されている。そのなかでとくに最終章の「「知らない」から始まる」が私は好きだ。高校2年の夏休み、広島で出会ったヤクザの話から始まる。そのヤクザは慶応大学大学院でスタンダールを研究していたが親の家業を継ぐために広島に呼び戻された。広島のヤクザから話は「仁義なき戦い」と続き、そこで主人公のヤクザを演じた菅原文太へと進む。菅原は晩年、政治活動に踏み出し、「行動する知識人」とも見なされる。その菅原について「『知識人』になった後の菅原と、俳優・菅原文太との間に齟齬が感じられなかったは、彼が、演じることを通じて、自然に『知識』を、いや『知性』を身にまとっていったからなのかもしれない。そのことは、実はひどく難しいことなのだった」と述べている。

モリちゃんの酒中日記 4月その4

4月某日
「日本宗教史」(岩波新書 末木文美士 2006年4月)を図書館で借りて読む。宗教のことは真面目に考えたことがないので戸惑うことも多かったが、興味深く読めた。日本の場合、アニミズムを淵源とする神道に渡来した仏教が加わり、それが互いに混淆するという歴史がある。江戸時代、キリシタン禁教の徹底に仏教寺院の檀家制度が幕府に利用された。幕末から明治掛けて続々と登場した天理教や大本教などの新宗教の存在もユニークである。現代の日本において信仰を持っている人の割合は少ないと思われるが、強い信仰を持たないこそ、天皇制や葬式仏教の問題など日本人の精神に宗教の与える影響は強いものがあるだろう。

4月某日
土曜日だけど「40歳からの介護研修」キックオフミーティングに参加。会場は中央区新川のSCNの高本代表のマンションの集会室。「40歳からの介護研修」を企画・立案したアイネットの中川裕晴代表取締役、山本博美NPO法人つむぎ理事長その他も奈良県の天理市から参加、中川さんから概要の説明を受けた。江利川毅元厚生労働次官(確か介護保険法が成立したときの担当審議官だった)、江利川さんと厚生省入省同期の川邉さんも参加してくれた。キックオフミーティング後、近くのキリンシティで懇親会。懇親会中にネオユニットの土方さんの携帯に映像担当の横溝君から電話。土方さん、横溝君、HCMの大橋さんと私の4人で神田の葡萄舎で吞む。

4月某日
日曜日、カイポケフェスタ2017東京に参加。講演会では2018年の診療報酬と介護報酬のダブル改定へ向けた介護事業所の具体的な取組を聞けた。総じて登壇した経営者は介護保険の将来について楽観的な見通しは持っていないといってよい。介護報酬は切り下げられ、支給範囲は狭められるだろうという見通しだ。その中で管理部門のICT化やAIやロボットの導入は不可避という考えだ。私もまったく同感。会場の品川から東京‐上野ラインで我孫子へ直帰、駅前の「七輪」へ寄る。

4月某日
南阿佐ヶ谷の新しい「ケアセンターやわらぎ」の事務所で「虐待防止パンフレット」の打合せ。石川代表、原画を描く生川君、フリーの編集者の浜尾さんと私の4人。5時に打合せが終わって石川さんが「角打ちに行こう」というのでついていくことにする。角打ちとは酒屋さんでお酒を吞ませることを言う。昔は多くの酒屋さんでやっていたと思うが、今は希少価値。コップ酒を買って燗をする場合は自分でレンジでチンをする。ここの角打ちはお寿司屋さんが寿司を握ってくれるところがすごい。その寿司がまた絶品だった。6時半に角打ちを出て私は西荻窪に向かう。西荻窪には兄夫婦が住んでいて改札に迎えに来てくれていた。駅近くの居酒屋で近況を話す。私が最近、辻原登が面白いと言ったら兄も「俺もそうなんだ」。ちょっとびっくり。小説の好みも兄弟で似るのかな。

4月某日
その辻原登の「円朝芝居噺 夫婦幽霊」(講談社文庫 2010年3月)を読む。冒頭は鏑木清方の傑作「三遊亭円朝像」の話から始まり、円朝の噺の多くが速記本として販売され人気を呼んだこと、日本における速記の成り立ちと普及へと話は続く。そして作者である私が速記に興味を持ったいきさつが紹介される。作者は反故同然に保管されていた円朝の噺の速記録を入手し、その速記録に基づく「夫婦幽霊」の噺が延々と続く。「延々」と書いてしまったが、この噺自体が推理仕立てにもなっていてはなはだ面白い。最後に実はこの速記録は円朝の噺の速記ではなく…と真実(あくまでも小説上の真実)が明かされるというストーリー。辻原登は巧みだ。

4月某日
HCM社で大橋社長とネオユニットの土方さんと「胃ろう・吸引等シミュレータ」の販売会議。SNSの活用や記者発表の必要性を議論。終わってから新橋の北海道料理の居酒屋「うおや一丁」で吞む。土方さんが開発したシミュレータの販売をひょんなことから手伝うようになったのは4~5年前、当社の大前さんがまだ元気だったころだ。大前さんが亡くなって販売をHCMに移して2~3年になる。当初は殆ど売れなかったのだが昨年暮れにホームページをリニューアルしたころから徐々に売れ始めてきている。介護職の医療行為の一部解禁も追い風になっていると思う。開発者の土方さんも大橋さん、私も医療については門外漢、それでもなんとかやってきた。

4月某日
図書館で借りた「1941 決意なき開戦 現代日本の起源」(堀田江理 人文書院 2016年6月)を読む。A5判400ページの大著だが開戦に至る日本の指導者層、それも政府、陸海の軍部、枢密院、宮中に至るまで、の動きを克明にたどるだけでなく永井荷風の日記をはじめ、当時の日記や書簡類にも丹念に目を通し、指導者層だけでなく市民や知識人がすでに始まっていた日中戦争や次第に窮屈になりつつある日常生活をどう感じていたかを記す。本書を読むまでの私の太平洋戦争に対する認識は、軍部とくに陸軍の独走に近衛文麿はじめ指導者層が引きずられた結果、開戦に至ったという単純なものだった。しかし本書を読むと何よりも戦前の日本は、ナチスドイツのような独裁国家とは言えず、大政翼賛会によって議会政治は弱体化していたもの、戦争に向けての意思決定は首相、主要大臣、陸海軍の参謀総長と軍令部総長、企画院総裁、枢密院議長が出席し天皇も臨席する御前会議を経て決められていたということがそれとわかる。国家の指導者たる出席メンバーの多くは日米開戦には否定的であった。にもかかわらず日本は開戦の道を選び、広島、長崎への原爆投下をはじめ、膨大な人的、物的な被害を被る。
このような悲劇は我々に多くの教訓をもたらしたはずである。現在、その教訓は正しく生かされているのだろうか?著者は「あとがき」で「開戦前夜における政策決定にまつわる諸問題は、我々にとって他人事ではなく、敗戦を経ても克服することができなかった負の遺産だとも言えるだろう。そのことはごく最近では、福島原発事故や新国立劇場建設問題に至る道のり、およびその事後処理における一連の経緯が明確にしている。より多くの人々に影響を及ぼす決断を下す立場の指導者層で、当事者意識や責任意識が欠如する様相は、あまりにも75年以上前のそれと酷似している」と警鐘を鳴らしている。ところで著者の堀田江理という人の著作を読むのは初めてだが歴史学者としてまた著述家として並々ならぬ力量を感じさせる。1994年、プリンストン大学歴史学部卒業というからまだ40歳台と思われる。もともと本書は英文で発表されたものを著者自ら日本語に訳したものという。すごいですね。

モリちゃんの酒中日記 4月その3

4月某日
白梅学園大学の山路憲夫さんと「ビアレストランかまくら橋」で会食。山路さんは元毎日新聞の論説委員。毎日新聞では長く社会保障と労働運動を担当していた。実は私は学生時代、西武池袋線の江古田にあった国際学寮という学生寮に寄宿していたのだが、山路さんはその学生寮でも先輩にあたる。山路さんは3月で常勤の教授職は退いて障がい者のグループホームなどを運営する社会福祉法人の理事長に専念するとのことだった。そういえば山路さんと一緒の吞み仲間だった元自治労副委員長の徳茂真知子さんも横浜の寿町で福祉施設の施設長をやっているという。偉いなー。

4月某日
半藤一利の「文士の遺言-なつかしき作家たちと昭和史」(講談社 2017年3月)を読む。半藤は東大文学部卒、文藝春秋社に入社、雑誌の編集を長く携わり、専務で退社。歴史探偵を名乗りとくに昭和史をテーマにした著作が何冊もある。私には文藝春秋社専務という経歴から「保守的な歴史観の持ち主」という先入観があり、今までほとんど著作を読んだことはなかった。だが加藤陽子東大教授との対談や「ノモンハン事件」を読んで、昭和の軍部の独走やそれを許した政治家や言論界に対して非常に批判的であることを知ることができた。それ以来、半藤の著作を割りとよく読む。本書も永井荷風の「断腸亭日乗」に触れ、荷風が張作霖爆殺事件、満州事変、2.26事件、日中戦争、日独伊三国同盟が太平洋戦争への道に繋がっているとの認識を昭和16年の時点で抱いていたことを明らかにしている。終章の「宮崎駿さんへの手紙」では特定秘密保護法の制定、集団的自衛権の行使の閣議決定などに強い危機感を表明している。「そうなんだ、一所懸命につくってきた平和日本・主権在民という国家機軸は、かくも根の浅いものであったのだ」という具合である。半藤は86歳、私もがんばらなきゃと思うのである。

4月某日
HCMの大橋社長は高校、大学、就職した明治生命でも卓球部、高校の卓球部の後輩が三浦さん。今、2人は年住協主催の介護予防を目的とした卓球教室のコーチもしている。今日は大橋、三浦さんに加えシミュレーターを開発した土方さん、映像担当の横溝君と私で卓球をすることに。川崎の宮前平のスポーツセンターに集合した4人、早速卓球に興じる。私は三浦さんに教えを乞うが最初は全然、ラケットにボールが当たらなかった。だんだんボールが当たるようになるとがぜん面白くなってくる。だが、八丁堀で呑み会があるのでお先に失礼する。ラケットと靴を買わなくては!八丁堀の「うみかぜ」に行くとまだ誰も来ていない。しばらくすると健康生きがい財団の大谷さんが来たのでビールで乾杯、厚労省からがんセンターに出向している横幕さんも来る。少し遅れて東京都介護福祉士会の白井会長が来て全員が揃う。利害関係のないもの同士、気楽におしゃべりを楽しんだ。東京駅から上野東京ラインで我孫子へ。駅前の「愛花」に寄ると市橋君が来ていた。

4月某日
HCMの事務所で大橋社長から朝日不動産鑑定事務所の田坂社長を紹介される。田坂社長は私と同い年で早稲田高等学院から現役で早稲田の政経学部に進学、私は一浪だから私より1年早く卒業して大正海上(現在の三井住友海上)に入社したという。年友企画は年金住宅融資の申込書類なども制作していたからローン保証をしていた大正海上にはお世話になった。当時の担当だった大正海上の遠山さんや後に三井住友海上の社長になった江頭さんのこともよく知っているということだった。
(一財)医療経済研究・社会保険福祉協会の委託で宇野裕さん(元厚労省・ひつじ企画代表)が「音楽運動療法の在宅普及方策に関する調査研究」を行うことになり、私も研究委員会のメンバーとなった。第1回の顔合わせが武蔵小金井駅近くの「全力屋」というところであるというので顔を出す。今日集まったのは宇野さんと私以外では、小金井リハビリテーション病院の副院長で日本スポーツ連盟会長でもある川内基裕さん、認定音楽療法士の丸山ひろ子さん、(社福)一廣会の金井原苑苑長の依田明子さん。専門分野がそれぞれ違うので、話をしていてもなかなか新鮮だった。

4月某日
昨日、一昨日と地方議員を対象にした第12回の「地方から考える社会保障フォーラム」が社会保険研究所で開催された。今回は65名の定員に100名を超える申し込みがあったということだ。地方議員の社会保障に対する関心は高いということだろう。初日は厚労省の度山徹政策統括官付社会保障担当参事官に「医療・介護・福祉」について制度改正の方向を、川崎で小規模多機能事業所を運営しているNPO法人ひつじ雲の柴田範子理事長には「認知症高齢者と地域」について語ってもらった。武田俊彦厚労省医薬・生活衛生局長、訪問管理栄養士の奥村圭子さん、日本薬剤師会相談役の漆畑稔氏には「地域包括ケアシステムと栄養士薬剤師の役割」について語り合ってもらったが、結論は「薬より食事」。
2日目は国土交通省住宅局審議官の伊藤明子さんに「新たな住宅セーフティネット制度」と題して高齢者や障がい者、外国人の居住対策と空き家の活用について話してもらい、午後は元宮城県知事の浅野史郎さんに「地方議会の行政チェック」について講演してもらった。夜は石川はるえさんが代表を務める「やわらぎ・にんじん実践報告会」に吉武民樹さんと参加。介護職が地域包括ケアシステムの重要な一翼を担っていることがよくわかる報告だった。終わってから吉武さんと上野の「養老乃瀧」へ。

モリちゃんの酒中日記 4月その2

4月某日
図書館のリサイクル本に「魂萌え」(桐野夏生 毎日新聞社 2005年4月)が出ていたので、早速家に持ち帰り読むことにする。最近、桐野の新刊本をよく買う。桐野は我孫子図書館でも人気が高く、リクエストすると何十人も待たされるからだ。最近買って読んだのが「夜また夜の深い夜」「抱く女」「バラカ」「サルの見る夢」「夜の谷を行く」だ。このところの桐野の小説には時代的なメッセージ性が強いと思う。「抱く女」と「夜の谷を行く」では70年代初頭の学生運動に焦点があてられているし、「バラカ」は福島の原発事故が背景にある。「魂萌え」はそれらとは趣を異にする。帯に曰く「夫の急死後、世間という荒波を漂流する主婦・敏子。60歳を前にして惑う心は何処へ? ささやかな日常の中に豊饒な世界を描き出した桐野夏生の新たな代表作」。夫あるいは夫の属する世界に守られていた専業主婦の敏子は、夫の死後、夫の愛人関係にあった存在を知ることになり、遺産を巡って子どもたちとの関係もきしむ。そんななかで敏子は少しずつ変わっていく。それは夫に従属していた暮らしからの自立と言い換えられるかもしれない。自立は一方で過去からの清算を迫られることでもある。そこにおずおずと、しかし毅然として立ち向かおうとする敏子の姿は美しい。

4月某日
年住協の倉沢氏(倉ちゃん)、阿部氏(あべっち)と呑みに行くことにする。以前は竹内理事を交えてよく呑みに行ったものだが、竹内理事の退職後はとんとご無沙汰だった。倉ちゃんが五反田のNTT病院の先生と会うというので、6時に五反田駅の改札で待ち合わせ。五反田から池上線で2つ目の戸越銀座の焼鳥屋で吞む。久しぶりなので吞みすぎてしまって何を話したかよく覚えていない。品川から上野東京ラインで我孫子へ。駅前の「愛花」に寄る。

4月某日
図書館で借りた「天皇制批判の常識」(小谷野敦 洋泉社 2010年10月)を読む。新書版で200ページほどの本だが、小谷野の言いたいことは「まえがき」の「私は中学生の頃、身分制というのがよくないと教えられ、誰それの子供であるからということで優遇されたり冷遇されたりすることは間違いだと教えられた。その過程で、では天皇制は良くないはずではないか、と考えたのは、当然のことである」につきていると思う。彼はその後も天皇制について考え続けたが、天皇制を認めていいという結論には至らなかったということである。小谷野の該博な知識、独自の思想性、文学性を既存のアカデミズムやジャーナリズムは正当に評価していないのではないか。その意味では小室直樹を彷彿させる。

4月某日
社長を退任したので会社に出勤するのは週4日か3日にしようと思う。で今日はウイークデイだけど休み。客が少ないだろうと思って行きつけの理髪店を覗くと、待合のソファーにはお客が4人も座っていた。あきらめて家に帰る。私の住んでいるところは我孫子市若松というところなのだが、近所の人が「年寄りばかりで若松じゃなくて老松だよ」と自嘲気味にしゃべっていたことを思い出す。「毎日が日曜日」の住人が増えているのだ。だから平日でも理髪店は混んでいるのだろう。家に帰ると携帯にHCMの大橋さんから電話。呑みに行きませんかという誘いの電話。「今自宅です」「じゃ駄目だね」「行くから上野あたりで吞んでて」と電話を切って上野に向かう。ところが電車が柏を出た時点で携帯を忘れたことに気付く。携帯がなければ上野で会うことは不可能と思い家に引き返す。1時間ほど遅れて上野駅前で大橋さんと大橋さんの高校の卓球部の後輩、三浦さんに会うことが出来た。ガード下の居酒屋にここがよさそうと入る。入ってからここはSCNの高本代表、市川理事と尾久でのインタビューの帰りに寄った店だったことを思い出す。生ビールとホッピー(黒)でいい気持ちになる。

4月某日
図書館で借りた「最後の資本主義」(ロバート・B・ライシュ 東洋経済新報社 2016年12月)を読む。原題はSAVING CAPITALISM。「資本主義の救済」という意味だろうか。ライシュはアメリカの社会や経済の現状を鋭く分析、第2次世界大戦後のアメリカンドリームを支えた膨大な中間層がやせ細り、今や富を独占する大企業の経営者や金融エリートたちと中間層から脱落した非正規の低学歴の労働者たちに分裂していると説く。たとえばアメリカの大企業のCEOの報酬は1978年から2013年の間に937%(8.4倍)になったのに対し、同時期の労働者の賃金上昇はわずか10.2%だった(第11章 CEO報酬の隠れた仕組み)という具合である。このままではアメリカの社会や経済が壊滅的な打撃を被るであろうという危機感がライシュにこの本を書かせたのであろう。そういう意味が原題には込められている。日本では宮本太郎中大教授の共生社会が同じような立脚点に立っているように思う。

モリちゃんの酒中日記 4月その1

4月某日
桐野夏生が月刊文藝春秋に連載(2014年11月号から2016年3月号)していた「夜の谷を行く」が単行本となって出版された。新聞広告に出ていたので早速、上野駅構内の書店、ブックエクスプレスで購入する。1972年の連合赤軍事件で逮捕、有罪判決を受けた主人公、西田啓子の40年後を描いたもの。西田啓子は恐らく架空の人物だが、主犯で逮捕後に東京拘置所で自殺した森恒夫、死刑判決が出た後、病死した永田洋子などはすべて実名である。啓子は刑期を終えた後、小さな学習塾を経営していたが数年前に塾を閉鎖、今は年金と貯金を取り崩して生活している。美容院を経営する妹の和子やその娘との啓子の過去を巡るトラブルが前半の主なストーリー。後半は一緒に連合赤軍の山岳ベースから逃亡した君塚佐知子や元夫の久間との再会を軸にストーリーは進む。その合間に山岳ベースでの生活やリンチの場面が回想される。連合赤軍の取材を続けているフリーライターの古市のことを啓子は好ましい青年と感じ、一緒に現在の山岳ベースを見に行くことにする。山の中で古市から驚くべき過去を聞かされる啓子。ラストの「ふと気が付くと、山は恐ろしいほどの命の気配に満ちていた。蝉しぐれ、虫の羽音、せせらぎ。啓子は目を閉じてその中に浸ろうとした」という文章は事件を浄化させるがごとく美しい。

4月某日
川越の尚美大学に総合政策学部の高橋幸裕専任講師をSCNの高本代表理事のお供で訪問。帰りに池袋で下車。前にHCMの大橋社長にご馳走になった「鳥定」へ行く。ここは昭和レトロな店で、バックに流される音楽は昭和の懐かしい歌謡曲。高本代表とは珍しくこの頃の政治状況について語り合った。

4月某日
出勤は週に3日くらいに止めようと思い今日は休み。10時頃起床、11時頃朝昼兼用の食事。2時頃まで家にいて2時過ぎに図書館、花見を兼ねて手賀沼のほとりを散策。4時半に駅前の「七輪」へ。今日は5時から元年住協の林さんと呑み会。林さんは新松戸に住まいがあり、新松戸で何回か吞んだことがある。林さんから勤めていた環境協会を退社したというメールが来たので呑み会となった。林さんと別れてから我孫子駅前のマッサージ店へ。

4月某日
帰宅しようと山手線に乗っていたら健康・生きがい財団の大谷さんから電話。今、和歌山から帰って東京駅だという。日暮里で吞もうということになって北改札で待つこと5分。大谷さんとまず谷中霊園方面に向かい、ついで太田道灌像のある東口へ。太田道灌像の向かいにある「いづみや」へ。ここは以前一人で入ったことがあるが安くて大衆的なお店。大谷さんによると大宮にも兄弟店があるそうだ。だがメニューには微妙な違いがある。ここは一人で来て30分ほどで帰る人が多い。居酒屋にも個性があるのだ。

4月某日
新宿歌舞伎町のスナック「ジャックの豆の木」の店長だった三輪さんは、お店を閉店後奥さんの実家がある鹿児島に帰っているが、不動産の管理や何やかやでときどき東京に出てくる。私も会社を休んで神保町で待ち合わせ。桜を見に行こうと靖国神社へ。平日だが私らのような高齢者で境内は混んでいた。大鳥居を潜り、桜を見ながら本殿へ。係りの人が「本殿を正面から写真に撮らないでください」と叫んでいる。三輪さんはお父さんの弟が戦死したとかで子どものころ母親に連れられて、靖国に足を運んだことがあるという。お国のために死んでいった英霊を祀っている靖国神社には尊崇の念が強い。そんな三輪さんも安保法制等の安倍政権の姿勢には批判的だ。まっとうな常識人なのである。靖国神社から千鳥ヶ淵へ。歩きながら歌舞伎町時代の話を聞く。「歌舞伎町の三大スケベ」の話とかここには書けない話も聞くことが出来た。三輪さんと別れ私は半蔵門線の麴町駅へ。帰ろうと思ったが大手町で千代田線に乗り換え湯島へ。不忍池で花見という魂胆だ。不忍池も花見客でいっぱい。ここは外国人の花見客も多い。金髪の若い男女が和服を着て花見に来ている。よく見ると足にはスニーカーを履いている。外国人の若い女性2人連れが和服で通る。こちらはちゃんと草履を履いていた。

4月某日
図書館で借りた「闇の奥」(辻原登 2010年10月 文藝春秋)を読む。最近、辻原登をよく読むのだけれど、きっかけはたぶん「許されざる者」だと思う。4、5年前に発表された作品で、大逆事件に連座して死刑になった和歌山の医師、大石の事績を追った内容だったと思う。舞台は確か新宮だったと記憶している。和歌山は京都、奈良、大阪に距離的には近いけれど「異郷」なんだよね。「闇の奥」にもそれは感じられる。「闇の奥」は読み進んでいくうちにどんどん面白くなっていくのだけれど、作家としての辻原が何を目指しているのか、それもよくわからなくなってますます面白くなってくる。ストーリーは私が要約するには複雑すぎるけど、要するに作者、辻原と辻原の父の村上とその小学校時代の同級生、三上隆の物語である。三上は蝶と小人伝説に魅せられてボルネオの秘境に挑み、消息が途絶える。村上が中心になって何度か現地、ボルネオを捜索するというストーリーだが、最終的には舞台はチベットへ。きっと事実とフィクションがない交ぜになっていると思うけれど、辻原の物語の構想力はすごいと思う。

モリちゃんの酒中日記 3月その4

3月某日
亡くなった荻島国男さんの奥さん、荻島道子さんを花小金井の有料老人ホームに訪問する。我孫子の鈴木珈琲の珈琲をお土産に持って行く。係りの人が「荻島さんなら3階の談話室にいらっしゃいますよ」と教えてくれたので談話室に行くとそれらしき人がいない。キョロキョロしていると「あらっ」と声を掛けられ振り返ると道子さんがいた。髪が黒々として後ろからだと気が付かなかった。「染めたのよ」と道子さん。道子さんは長く小学校の教師をしていたが、本日は野方の小学校のころの同僚の方たちが来ていた。一緒に「図書館の改革をやったのよ」ということだ。

3月某日
佐藤雅美の「縮尻鏡三郎シリーズ 首を斬られにきたの御番所」(文春文庫 2007年6月)を図書館で借りて読む。佐藤の時代小説にはいくつかのシリーズがあり、主なもので「物書き同心居眠り紋蔵」「八州廻り桑山十兵衛」それに「縮尻鏡三郎」がある。この3つはいずれも捕物ものだが、主人公の人間関係や家庭を丁寧に描いているのも特徴の一つ。その意味ではホームドラマの要素もある。本作でも義理のせがれ(娘の知穂の夫)で家を継いでいる三九郎が狂言回しの役を担っている。私も当初は佐藤雅美の綿密な時代考証に魅かれていたのだが、最近では家族ドラマの要素も楽しんでいる。

3月某日
図書館で借りた村田喜代子の「八幡炎炎記」(平凡社 2015年2月)を読む。村田喜代子は割と好きな作家で、最近も熊本の遊女を描いた「ゆうじょこう」を面白く読んだ。本書は広島の紳士服店の親方の女房と深い仲となり、九州の八幡に駆け落ちしてきた瀬高克美と駆け落ちした相手、ミツエとその親族を中心にした物語。どこにでもありそうな戦後の庶民の物語だが、実はそれが圧倒的なリアリティをもって「どこにもない」庶民の物語として読者に迫ってくる。挿絵が何枚か掲載されていて、「ずいぶん迫力あるなぁ」と思ったら作者は堀越千秋だった。

3月某日
HCMの大橋社長、ネオユニットの土方さんとHCMで「シミュレータの販売会議」。売ったところからの評判はいいし、もっと売れてしかるべき商品ということでは一致。要するに商品情報がユーザーにまで浸透していない、情報を露出させなければとなった。会議を終わって新橋の「花の舞」で吞む。映像を担当している横溝君も参加。

3月某日
日経新聞の書評欄で中学か高校のころ、太宰治の「人間失格」の大きな影響を受けたというエッセーを読み、図書館で「人間失格」を借りることにする。図書館にあったのは岩波文庫で「人間失格」と絶筆となった「グッド・バイ」、晩年の評論「如是我聞」が収められている。底本となったのは1948年7月刊の「人間失格」(筑摩書房)、同年11月刊の「如是我聞」(新潮社)である。太宰は1948年6月13日、玉川上水に山崎富江と入水している。私は同年11月の生まれだから、「人間失格」は、この世に出てから私とほぼ同じ年月を過ごしたことになる。解説の三好行雄がいうように太宰の文学のキーワードのひとつは「道化」。道化によって世間との和解を図ろうとする主人公は、しかし根源的な和解に至ることはなく、自身の規定によると「人間を失格」し、脳病院に収容される。凄惨な物語ではあるが、太宰の実人生をある程度たどった青春小説の一面もある。

3月某日
上野駅構内の書店、ブックエクスプレスで「結婚」(井上荒野 角川文庫 平成28年1月)を買う。結婚詐欺師とその連れ合い、そして複数の被害者の物語。結婚詐欺に関わらず詐欺に引っかかるのは普通の人である。世間知らずな人が騙されるというのとも違う気がする。この小説は犯人と被害者の関係を詐欺というかなり特殊な犯罪であぶり出す。井上はここら辺の心理描写が巧みと思う。

3月某日
図書館で借りた「夜の公園」(川上弘美 中央公論新社 2006年11月)を読む。中西リリと夫の隆夫を中心とする既婚、未婚に関わらない男女関係を描く。心中未遂もあったりするのだが、太宰の描く心中未遂事件に比べると時代の違いを感じざるを得ない。ひとつは時間の過ごし方。現代はおしゃれな食事、お酒、携帯電話が必須だ。過剰な消費が前提となっているのだ。終戦直後に描かれた太宰の小説は欠乏が前提である。しかし男女の結びつきは小説の永遠のテーマとなっている。

3月某日
図書館で借りた浅田次郎の「月島慕情」(文春文庫 2009年11月)を読む。浅田次郎は「巧いなー」と思う。このところ桜木紫乃の恋愛小説にはまっているが、小説の深さというか余韻というか、そこらへんは浅田次郎が数歩リードかな。桜木はまだ若いのだから頑張ってね!表題作の「月島慕情」。吉原の遊女に売られたミノは生駒太夫として年季を重ね、駒形一家の時次郎に引かされることになる。しかし、ひょんなことから時次郎には妻も子もあり、妻子と離縁した後の身請け話だったことが知れる。ミノは身を引くことを決め、宿替えを人買いの卯吉に相談する。「あたしはね、この世にきれいごとなんてひとっつもないんだって、よくわかったの。だったら、あたしがそのきれいごとをこしらえるってのも、悪かないなって思ったのよ」「ばかだな、おめえは」「それァ承知さ」「ばかだが、いい女だぜ」。泣かせるセリフである。

3月某日
奈良県の天理市で介護事業を展開する「あいネットグループ」をセルフケア・ネットワーク(SCN)の高本代表と社会保険出版社の高本社長と訪ねる。あいネットグループを訪問するのは私と高本代表は3回目、高本社長は初めて。あいネットの山本さんと中川さんの優秀さには毎回驚かされるし、今回はパンフレット「40歳からの介護研修」をデザインしたデザイナーの方ともお話ししたがこの人も優秀。こういう出会いは大切にしたい。今回の出張は、SCNの仕事なので交通費はSCNに出してもらった。帰りの新幹線は3人で宴会。2人とは東京駅で別れて私は我孫子へ。駅前の「愛花」に寄る。

3月某日
日本経済新聞にシンポジウム「AI本格稼働社会へ」の内容が掲載されていた。その中で富国生命の部長が「医療保険の給付金の支払い部門にAIを導入した。(中略)AI導入で肝心なのは、導入を目的とせず、AIを前提とした業務設計を行うことだ」と語り、NECの研究所長は「人間の認識・理解、予想・推論、計画・最適化をシステム処理し」と言っていた。公的医療保険や介護保険の支払い審査にもAIの導入は不可避と思うし、ケアプランの作成などはまさにAI向きと思った。さぁーて、人間は何をやるのか。

3月某日
民介協の理事長はソラストの佐藤専務、その佐藤専務を支えていたのが同じくソラストの柴垣さん。佐藤専務もソラストを退き柴垣さんもソラストを退社することになった。で、民介協の扇田専務が音頭をとって柴垣さんの送別会を開催することになり、私にも声がかけられた。会場は神田の「玄品ふぐ」、出席者はほかにカラーズの田尻さん、浜銀総研の田中さんなど総勢9人。なかなか心温まる会だった。ソラストの中国人の女性が参加していたので出身を聞くと西安だという。上越教育大学で勉強したという。優秀そうであった。

3月某日
図書館で借りた「咲庵(しょうあん)」(中山義秀 2012年3月 中公文庫)を読む。中山義秀(1900~1969)を読むのは初めて。咲庵とは明智光秀の号で、明智光秀が斎藤道三の首実検に立ち会う冒頭から、本能寺で織田信長を自害に追い込み、山崎の合戦で秀吉に敗れるまでの生涯を描いている。信長の苛烈な独裁者ぶり、それへの対応に右往左往する家臣たちの姿がよく描かれている。しかし戦国時代の主従関係って凄い。主の意に添わなければ切腹、磔刑も覚悟しなければならなかったのだから。

モリちゃんの酒中日記 3月その3

3月某日
社会福祉法人にんじんの会の石川はるえ理事長と阿佐ヶ谷の星乃珈琲で会う。だんだんダンスと児童虐待防止パンフの新しい担当を紹介される。立教大学大学院の石川さんの講座の出身ということだ。名刺がまだ出来ていないということで名前を聞いたけど忘れてしまいました!終わって近くの「築地日本海」という店でご馳走になる。店名に恥じず刺身と寿司が美味しかった。

3月某日
システムエンジニアの李さんが晩ご飯をご馳走してくれるというので、会社近くの小料理屋「福一」へ。李さんは名前からもわかるように在日だ。今は日本に帰化して日本名は大山というのだが、みんなが李さんと呼ぶので私も李さんと呼んでいる。もともとは亡くなった大前さんの知り合いで、明治大学生協の同僚だったそうだ。李さんは昔、ボイラー関係の仕事をしていて、そのときの同僚が早稲田の哲学の教授をやっているという。私が「早稲田の哲学と言えば竹田青嗣がいるね」と言ったら「それそれ、竹田青嗣」と李さん。
ボイラー仲間なんだ。私は焼酎のお湯割りを4杯ほど、李さんは生ビールを2杯。いい気持になりました。

3月某日
数年前に閉店した新宿歌舞伎町のクラブ「ジャックの豆の木」のマスター、三輪さんと会社近くの「ビアレストランかまくら橋」で待ち合わせ。私が酒のディスカウントストアでニッカウヰスキーの「宮城峡」を買い込んで店に行くと三輪さんはすでに来ていた。生ビールの後、私は宮城峡、三輪さんはずっとビールだった。三輪さんに「ジャックの豆の木」のころの話をいろいろと教えてもらう。いつか三輪さんの「聞き書き」本を作ってみたいものだ。

3月某日
日本橋小舟町のSCNの事務所で「40歳からの介護研修」の打合せ。お昼ご飯を近くの「花乃蕎麦」でご馳走になる。ミニ天丼と温かい蕎麦のセットを頼む。小舟町、堀留町、人形町界隈はおいしい店が多い。夕方、健康・生きがいづくり財団の大谷常務と築地のがんセンターへ。厚労省から出向している経営企画部長の横幕章人さんに面会。横幕さんは水道環境部計画課のとき荻島課長の下にいたことがあるそうだ。「そのうち呑みましょう」ということで横幕さんとは別れ、大谷さんと2人で日比谷線で人形町へ。甘酒横丁の居酒屋へ入る。なかなか結構でした。

3月某日
先日読んだ小林信彦の「天才伝説 横山やすし」(文春文庫)の解説は映画評論家の森卓也という人が書いていた。解説の冒頭、山本夏彦の「私の岩波物語」から「若いとき天才といわれた人は一生忘れない。誰一人おぼえていなくなっても忘れない。全盛時代があったことを世間は忘れてあとかたもないのにひとり当人は忘れない」という一節が引用されていた。森卓也はもちろん「若いとき天才といわれた人」=横山やすしという意味で引用しているのだが、「天才伝説」と同じく古書として入手したのが、たまたま山本夏彦の「私の岩波物語」(文春文庫 1997年5月)だった。山本夏彦の主宰する雑誌「室内」に1987年4月~1993年4月まで連載され、1994年に文藝春秋社で単行本になっている。「室内」という雑誌はもと「木工界」という名称で家具、建具業界、設計家、デザイナーなどを主要な読者としていた。40年前、私が在籍していた日本木工新聞社という業界新聞社は「週刊家具」「週刊建具」「週刊新建材」(のちに住宅ジャーナルと改題)という新聞を発行していたから「室内」という雑誌の存在は知っていたが、手に取って読むことはなかった。20代の学生運動崩れの業界紙記者が読むには高級すぎたのかもしれない。「私の岩波物語」は「室内」が創刊35周年を超えたのを機会に山本が社史として同誌に連載を始めたものだが、岩波、講談社、電通はじめ印刷、製本に至るまでの業界のナマの歴史を描いている。山本夏彦は2002年に亡くなり「室内」も休刊、ああいう雑誌はもう現れないだろう。ちなみに「若いとき天才といわれた人は一生忘れない」は「実業之日本社の時代」の項にあり、実業之日本社が日本の出版界をリードしていたことを述べているが、ここでの「若いとき天才といわれた人」は同社のことである。

モリちゃんの酒中日記 3月その2

3月某日
久しぶりに神田明神下の「章太亭」へ。ここは女性3人(70代、60代、50代(いずれも推定))でやっている小料理屋で、お客も女性たちと同じような年代が多い。ビールを頼むと「銘柄は何がいい?」と聞いてくれる。こういう店はなかなかない。キリンの一番搾りを頼む。おでんと月見を肴にぬる燗(確か沢の鶴だったと思う)を3本ほど。少しいい気持になって我孫子へ。駅前のバー「Vingt Neuf」に寄る。ジントニックを頼む。隣のお客が呑んでいたジンが美味しそうだったのでストレートでいく。確かにうまいような気がした。

3月某日
有楽町の交通会館の三省堂に寄る。今話題の村上春樹の「騎士団長殺し」が所狭しと平積みされている。私は躊躇せず2階の文庫本売り場に行く。村田喜代子の「ゆうじょこう」(新潮文庫 平成28年2月発行 単行本は25年4月)を買う。鹿児島県の硫黄島(小笠原諸島の硫黄島とは別)で生まれ育ったイチは15歳で熊本の東雲楼に売られてくる。遊女として売られて来るのだがこのイチは滅法たくましい。遊女はなじみ客に手紙を書かなければならないし、借金がいくら残っているか算術も学ばなければならない。イチと同僚たちは遊郭の学校、女紅場(じょこうば)に通わされる。そこにはお師匠さんの鐵子がいた。鐵子は下級幕臣の娘。幕府瓦解ととともに収入の途絶えた親によって吉原に売られた。年季を終えた後、遊女たちの読み書きの師匠となる。鐵子にイチは女紅場に行くたびに手紙を書く。島育ちでなおかつ好奇心いっぱいのイチには何もかもが新鮮だ。島の言葉で書かれた手紙の幼さ。遊女として女として成長していくイチ。これらを描く作者の筆力に脱帽。

3月某日
3.11の東日本大震災から6年。土曜日なので家でゴロゴロしていると、同じ我孫子の住人の吉武民樹さんから電話。駅北口のショッピングセンターで鎮魂の催しがあってその打ち上げがあるから来ないかという誘い。社長を辞めてやることもないだろうと心配してくれているのだろう、ここは厚意に甘えて行くことにする。開始の6時を少し回ったころ会場のショッピングセンターの3階に行くと打ち上げはすでに始まっていた。吉武さんは川村女子学園大学の副学長を去年まで勤め、地元でも名士。我孫子消防団の元団長で震災直後に南三陸町に入った人の話を聞くことが出来た。会の後、近くの蕎麦屋「おかめ」で吉武さんにご馳走になる。聞けばもうすぐ店を閉めるという。後継者不足なのだろうか。吉武さんと別れた後、駅南口の「愛花」へ。

3月某日
上野駅構内の本屋で「とめられなかった戦争」(加藤陽子 2017年2月 文春文庫)を買う。加藤陽子は東大大学院人文社会系大学院教授で日本近現代史専攻。日本が戦争へと突き進んでいく過程を実証的に研究している。何冊か著作を読んだことがあるが、実証的で謙虚な研究姿勢には好感が持てる。さて本書は、2011年5月、NHK教育テレビで4回にわたって放映された「さかのぼり日本史 昭和 とめられなかった戦争」の内容に添って書かれている。第1章「敗戦への道」1944年から第4章「満州事変 暴走への原点」まで歴史をさかのぼって、敗戦へ至る道が明らかにされている。加藤の視点は軍部が暴走したという単純なものではなく、それを阻止できなかっただけでなく、むしろ支えた当時の政治家、官僚、宮中そして次第に好戦的なっていくマスコミや庶民にも批判の目は向けられている。ところで本書によって私は「満州」の意味を始めて理解した。もともとは清王朝を建てたジュシェン(女真)族の国名(マンジュ国=16世紀末、清の太祖ヌルハチが建国した部族国家。マンジュとは梵語のマンジュシリ、文殊菩薩に由来する)であり、民族名だった。その後、マンジュの音に漢字の「満州」が当て字された。その範囲は清末、中華民国の行政区画でいえば東三省(遼寧省〔奉天省〕、吉林省、黒竜江省)の地域に該当する。なるほどねー。

3月某日
わが家のある我孫子市若松の近くにちょっと洒落た喫茶店がある。ランチもやっているのだが私は入ったことがない。日曜日に近郊の農家が軽トラックに野菜を載せて売りに来る。散歩のついでに寄ることがある。今日は菜の花を買う。その喫茶店の店頭で古本も売っている。「天才伝説 横山やすし」他文庫本4冊を買う。文春文庫で初版は2001年1月、単行本は1998年1月、「週刊文春」連載は1997年。やすしが死んだのは1996年1月、今から21年前だ。本書を読むと2人で演じるショービジネスとしての漫才の難しさがよくわかるような気がする。両雄は並び立たなければならないのだが、漫才はそこが難しい。ツービトは結局たけしが残り、伸介竜介では竜介が脱落した。漫才の相方同士が仲の悪いのは当たり前で例外は兄弟、夫婦、もと夫婦と本書にも出ていたが、それほど難しいということであろう。私は本書に描かれた芸人やすしの肖像を大変面白く興味深く読ませてもらったが、天才の不安、哀しさも十分に伝わった。

モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
西新橋の社会保険福祉協会で会議。会議終了後、同じ西新橋の弁護士ビルに大学の同級生、雨宮弁護士を訪ねよもやま話。近くの「酒房 長谷川」へ。高齢(80代?)のマスターに挨拶。マスターは力道山の後援者だった新田組の社長と親しく、「力道山VS木村政彦」のゴングを鳴らしたそうだ。ここは新潟の料理と酒の店で美味しい。雨宮弁護士にすっかりご馳走になる。

3月某日
図書館で借りた「対話する社会へ」(暉峻淑子 岩波新書 2017年1月)を読む。淑子は「いつこ」と読むそうだ。暉峻の名前はオールド左翼として私の記憶に残っていたが、「対話する社会へ」を読むとそんな感じはなかった。むしろ「対話」の重要性を諄々と説く姿勢には好感が持てた。大事なことは人間の考えがいろいろであり、単一の価値観に陥らない広い視野が必要ということ。そのためにこそ対話が大切なのだ。人間同士、憎みあうのではなく「対話」することにより、こんがらかった糸もほぐれるということだろう。インターネットによる通信が飛躍的に拡大する現代だからこそ対話がより重要になってくると思う。

3月某日
吉田修一の新刊「犯罪小説集」(KADOKAWA 2016年10月)を図書館で借りて読む。人気があるようで裏表紙に「この本は、次の人が予約してまっています。読み終わったらなるべく早くお返しください。」と印刷された黄色い紙が貼ってあった。5つの犯罪が吉田の小説上で展開される。モデルとなった犯罪があると私にはっきりわかったのは2つ。名家の3代目で大手企業の専務の地位にありながらギャンブルにおぼれていく男を描く「百家楽餓鬼(ばからがき)」、これは大王製紙の会長が関連会社から多額の借金をして賭博につぎ込んだ事件をモデルにしている。もうひとつは「万屋善次郎」。これは過疎の村での大量殺人がモデルになっていると思う。犯罪は小説やドラマの宝庫である。日本の古典でいえば石川五右衛門や白波五人男、ドストエフスキーなら「罪と罰」、現代日本なら「復讐するは我にあり」(佐木隆三)、最近なら「籠の鸚鵡」(辻原登)、吉田修一なら「悪人」など。圧倒的多数の読者は善良な市民で生涯、犯罪と関わることはなかろう。そういう人がなぜ、犯罪に魅かれるのか?おそらく小説の供給側(小説家)としては、人間の極限が描きやすいということ、小説の需要側(読者)としては、犯罪の非日常性かもしれない。これについては自信がないけれど。

3月某日
当社の石津さんを飲みに誘う。会社から神田駅に向かう途中に「神田もつ焼きセンターえん」という店があるのでそこにする。期待していなかったけれど「モツ」が非常にうまかった。朝どれのモツで石津さんによると「私んちの方でとれた」。モツはやはり鮮度ですね。
石津さんにご馳走になってしまった。

3月某日
図書館で借りた「いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件」(大崎善生 KADOKAWA 2016年11月)を読む。この本も人気があるようで「次の人がまっています」という黄色い紙が貼ってある。大崎は「聖の青春」「将棋の子」など将棋界を題材にしたノンフィクション作家としてデビュー、最近は小説も発表している。この本はタイトルにもある通り2007年に名古屋で起きた、闇サイトで知り合った男たちが女性を拉致して殺害した事件を題材にしている。被害者の女性が30歳を過ぎてから囲碁に興味を抱き、名古屋市内の囲碁カフェに通い始めたことを知った大崎が事件をノンフィクションとして描きたいと思い至った。何の罪もない見ず知らずの女性を拉致し殺害する。しかも犯人の一人は女性に強姦に及ぼうとまでする(未遂)。母一人子一人で育った被害者女性の、控えめだが確かな人生と残された母の苦悩、そして犯人の卑劣さが抑制された筆致で描かれていると思う。

3月某日
「共生保障〈支え合い〉の戦略」(宮本太郎 岩波新書 2017年1月)を図書館で借りて読む。少子高齢化社会ということは支えられる層が増大し支える層が減少するという社会である。少子化については20年ほど前から様々な人や団体が警鐘を鳴らしてきたにもかかわらず、消費税の10%への引き上げは見送られたのを始めとして見るべき改革がなされたとは言い難い。私ら団塊の世代がすべて後期高齢者となる2025年には「どうなるんだよ!」と思っていたときだけに、この本には共感し納得するところが多かった。
 著者は以前から「「支える」「支えられる」という二分法からの脱却」を唱えていたが、本書はその理念的かつ具体的な処方箋ということができる。その前提として社会全体として中間層がやせ細り貧富の差が拡大していることを指摘する。「支える」「支えられる」の二分法的思考では社会保障給付の拡大か切り捨てと言ったそれこそ二分法的な政策しか出てこない。著者は「「支える側」を支え直す」と「「支える側」の参加機会を拡大」を提唱する。前者ではこれまで「支える側」であった現役世代を広く支え直し、彼ら彼女らがその力を発揮できる条件づくりを目指す、として具体的には企業の外部でも知識や技能を身につけることができるリカレント教育や職業訓練、女性の社会参加を支える子育て支援、あるいは将来の支え手を育てる就学前教育などをあげている。後者ではこれまで「支える側」とされがちであった人々が積極的に社会とつながることを支援することであるとしている。この他、介護や子育てなどの「準市場」では「サービスの質を客観的に評価することが必要」とする一方、準市場における情報の非対称性も指摘している。こうした議論は論壇だけでなく政策決定の場でも積極的に議論すべきと思う。