モリちゃんの酒中日記 8月その5

8月某日
「私の家は山の向こう-テレサ・テン10年目の真実」(有田芳生 文春文庫 2007年3月)を読む。テレサ・テンは台湾出身で日本では「ときの流れに身をまかせ」「空港」「愛人」などの演歌歌手として知られるが、台湾、香港、中国本土など中国語圏では「アジアの歌姫」として広く人気がある。テレサ・テンの誕生から台湾、日本でのデビューからタイ、チエンマイでの早すぎる死までを本人へのインタビューを含む関係者の証言や資料で綴っていく。なかでも天安門事件に前後する中国の民主化運動へのテレサ・テンへの共感と苦悩が本書の大きなウエイトを占める。書名となった「私の家は山の向こう」は中国の民主化運動支援のため香港で開催されたコンサートでテレサ・テンが歌った歌のタイトルである。元歌は日中戦争当時につくられ、その後、大陸から台湾に逃れてきた国民党軍の兵士たちが望郷の念を込めて歌ったという。香港のコンサートで歌われたテレサ・テンの「私の家は山の向こう」はユーチューブで聞くことができる。中国語なので意味は分からないが、哀感のあるいいメロディーである。歌い終わったテレサ・テンが「やった!」とでもいうように小さな叫び声を上げているのも収録されている。1989年の天安門事件から4半世紀が過ぎているのに中国の民主化は実現していない。

8月某日
「リラと私-ナポリの物語」(エレナ・フェランテェ 早川書房 2017年7月)を読む。日経新聞に好意的な書評が載り、図書館でリクエストしている人もいなかったので借りることにする。ナポリの町外れの団地に住むリラとエレナの二人の女の子が主人公。リラは靴職人、エレナは市役所の案内係の娘で、作者の分身のエレナの目を通して描かれる「ナポリの物語」は四巻からなっていて、この第一巻が「序章」「幼年期」「思春期」からなり、第二巻が「青年期」、第三巻が「壮年期」、が「成熟の時」「晩年」「終章」という構成になっている。第二巻以降はまだ刊行されていないが、第一巻はリラの結婚式で終わっている。リラは16歳で結婚しているから第一巻の舞台は1950年代。第2次世界大戦の敗戦国であるイタリアの1950年代は、同じ敗戦国の日本に負けず劣らず貧しかった。リラとエレナはともに学業優秀だったがリナは義務教育で学校教育は終了、図書館で小説を借り、独学で外国語を学ぶ。彼女が学ぶのは向学心というより好奇心で、興味が家業の靴づくりや恋人に向かうと図書館には見向きもしなくなる。エレナは教師の勧めるままに上級学校に進学するが、リナとの友情は変わらない。リナとエレナは1944年生まれという設定だから1948年生まれの私とほぼ同世代。イタリア南部と北海道では気候風土には共通点はないのだが、主人公たちの行動や心理には共感するものが多い。敗戦国や貧しさという環境が共通するためだろうか。

8月某日
「デンジャラス」(桐野夏生 中央公論新社 2017年6月)を読む。文豪谷崎潤一郎とその三番目の妻松子とその妹重子、松子の連れ子の清一とその妻千萬子、同じく松子の連れ子で谷崎家に同居する美恵子の物語で、「私」(重子)の目を通して谷崎をめぐる人間関係が語られる。「兄さんは、家族を再編し、構築するのが好きでした。身の回りを、好きな女性だけで(それも血縁のない)固めていく傾向があったのです」というように。ここで言う「兄さん」とは谷崎のことである。重子は「細雪」のヒロイン「雪子」のモデルでありそのことに誇りを持っている。しかし戦争が終わり「細雪」がベストセラーとなり、谷崎が文化勲章を受章したあたりから谷崎の関心は若く奔放な千萬子に向かう。千萬子をモデルに老人の「性」をテーマにした「鍵」や「瘋癲老人日記」が書き上げられる。谷崎にとって最も重要なのは作品であった。谷崎が好んだ女性や贅沢な料理や住居は作品の材料、舞台としても大きな意味を持っていたということなのだろう。それにしても谷崎は毎日のように速達で千萬子と文通していたという。ラインやメールで簡単に連絡をとれる現代と違って、手紙を書いて宛名を書いて切手を貼って郵便局へもっていかなければならない。谷崎の場合は郵便局へは女中が持っていくのだが、それにしても大変なエネルギーだ。

8月某日
社会福祉法人にんじんの会の石川はるえ理事長が主催する虐待予防推進事業勉強会に出席。一般社団法人にんしんSOS東京の中島さんと吉田さんから活動報告を受けた後、絵本作家の生川さんから絵本「あそぼ」の説明があった。厚労省出身で現在、内閣府の地方創生総括官の唐沢剛さん、大分大学の相澤先生、弁護士で社会福祉士の馬場さんらが参加、短期間でこれだけのメンバーを集める石川さんの「突破力」にはいつもながら驚嘆させられる。にんじんの会の事務局で働いている旧友の伊藤さんに会う。

モリちゃんの酒中日記 8月その4

8月某日
新宿歌舞伎町の「ジャックの豆の木」店長だった三輪さんは、「ジャックの豆の木」を閉店させた後、奥さんの実家がある鹿児島に転居した。それでも年に何回かは上京するので時々会う。今日は会社近くの青森料理の店「跳人」で17時に待ち合わせ。三輪さんは鹿児島物産店で「軽羹」や「さつま揚げ」などおいしいものをいろいろ買ってきてくれる。新宿時代の話を色々聞かせてもらう。我孫子に帰って駅前の「愛花」へ。ゴルフショップを経営している福田さんが来る。福田さんは20代に交通事故で瀕死の重傷を負い日本医大の手術で一命を取り留めた。逆境を跳ね返した強さを感じる。

8月某日
図書館で借りた佐藤雅美の「怪盗桐山の藤兵衛の正体-八州廻り桑山十兵衛」(2017年7月文藝春秋)を読む。「オール読物」に2014年11月号から2016年12月号まで断続的に発表されている。桐山の藤兵衛を頭目とする強盗団が桑山十兵衛の管轄する関八州を荒らしまわったが、20年前に犯行はぴたりと止む。十兵衛はひょんなところから藤兵衛の手がかりを得て一味を追う。幕府の広大な放牧場が下総小金にあったが、そこで馬の世話をする牧士がからむ。小説の舞台は江戸を中心に伊勢崎、太田宿、足尾などに広がるが、十兵衛が犯人の即席を追って松戸、柏、我孫子、木下(きおろし)という今でいう常磐線、成田線界隈を辿るのも私には面白かった。我孫子、木下は江戸時代、利根川による水運の要地でもあったのだ。

8月某日
天理市の介護事業者、有限会社あいネットを取材。社長の中川さんとNPO法人つむぎの山本代表に当社の迫田と話を伺う。グループ全体の前期の売上げは1億2000万円、純利益は790万円、利益率は6.5%、うち小規模多機能(美心逢)が売上げ7300万円、純利益760万円、利益率10.5%、デイサービス(つむぎ)が売上げ2100万円、純利益8万6000円、利益率0.4%、訪問介護(ゆうゆう)が売上げ2800万円、純利益が150万円、利益率5.5%。今期の4-7月ではグループ全体で49000万円を売上げ、純利益は870万円、利益率は17.6%と好調だ。小規模多機能が売上げ2900万円、純利益620万円、利益率21.5%、デイサービスが売上げ920万円、純利益180万円、利益率19.6%、訪問介護が売上げ1050万円、純利益60万円、利益率5.5%。デイサービスの稼働率が上がったことが高収益につながった。職員の仕事の見える化を図り、パソコンを活用して管理コストを削減したこと、さらに仕事のムダを減らして労働密度を上げてきたことも大きい。
夜は京都で元厚労省の阿曽沼さん、阿曽沼さんと同期の田中耕太郎さん、それと2人より3年入省が早い堤修三さんと食事。の筈だったが食事の場所がわからずウロウロしているうちに携帯が電池切れに。コンビニを探して充電器を買い求め近くのアイリッシュパブ、ダブリンで充電、聞いたことのないアイリッシュウィスキーを吞む。充電が進んで携帯を見ると阿曽沼さんから10回以上も電話が。阿曽沼さんに電話すると見当はずれの場所を探していたようで「タクシーで来い」との指示。やっと「先斗先太」という料理屋にたどり着く。3人に平身低頭して謝る。

8月某日
奈良の橿原神宮前の社会福祉法人うねび会の「ぽれぽれケアセンター白橿」に酒井宏和理事長を訪問。酒井さんは民介協の理事でもあるので何度か東京で会っている。「ぽれぽれケアセンター白橿」は地域密着型特養、グループホーム、ショートステイ、リハビリ強化型のデイサービス、ケアプランセンター、住宅型有料老人ホームそれに職員向けの保育所を備えた複合施設。ぽれぽれグループは社福のうねび会と株式会社のひまわりの会で構成されるグループ。創業者は理事長のお母さんで「ぽれぽれ」はスワヒリ語で「ゆっくり、ゆっくり」という意味。前理事長がケニアに旅行した際に「この名前にしよう」となったらしい。入居者も職員もいきいきとしているのが印象的だった。

8月某日
慶應大学商学部の権丈善一先生に取材。当社の迫田が同行。13時から取材などで食堂へ。慶應出身の迫田の勧めで「山食堂」のカレーライスを食べる。権丈先生には日本の社会保障の持続可能性について聞く。社会保障を巡る多くの問題は財源をどうするかだが、給付先行型だった日本の社会保障はその財源的に非常に厳しいのが現実と先生。要はこの現実を国民が受け入れ、負担増に納得するかということだと思う。

モリちゃんの酒中日記 8月その3

8月某日
会社近くの呑み屋「跳人」の大谷さんに目黒の雅叙園でやっている「アートイルミネーション 和のあかり×百段階段」のチケットをもらった。折角なのでフリーライターの香川さんを誘っていくことにする。目黒駅で待ち合わせて雅叙園に行く。確か30年近く前に「年金と住宅」という雑誌の「古地図を歩く」という連載で、筆者の中村一成さんとカメラマンの緒方さんと取材に訪れたことがある。かつて雅叙園があったと思われる一角にはタワーホテルが建ち印象は一変していた。百段階段のある建物は昭和10年建築で、雅叙園に唯一現存する木造建築だそうで、ウィキペディアで調べると太宰治の小説の舞台にもなったそうだ。見終わってから目黒駅の反対側にあるPIZZERIA&BAR CERTOで食事。

8月某日
来年の「医療・介護ダブル改定の最新情報と対策」をSMSの介護経営コンサルタント星野公輔さんが講演するというので住友不動産芝公園タワーのSMSまで当社の迫田と聞きに行く。会場には介護事業者と思しき人たちが50人ほど集まっていた。大変参考になる講演だったが、乱暴に要約すると、日本全体が高齢化と労働力人口の減少により財政難と人手不足に陥っている、しかし利用者数が約1.5倍に増えることや入院期間の短縮によりマーケットは拡大し、IT、IOT、ロボット、クラウド等の導入により生産性の向上が図られるというもの。医療と介護は間違いなく成長産業だが、医療報酬と介護報酬の伸びは抑制されざるを得ない。報酬の点数は切り下げられるということだ。星野氏は訪問介護の収支差率(経常利益率)の5.5%が中小企業平均(2014年度:3.6%)くらいに下げる可能性ありとしていた。我孫子に10時頃帰り、駅前の「愛花」に寄る。昔常連だった「ゆきっぺ」が来ていた。「私も60過ぎたのよ」と言っていたがあまり変わらないように見えたけどね。

8月某日
慶應大学商学部教授の権丈善一先生の「ちょっと気になる医療と介護」(勁草書房 2017年1月)を読む。権丈さんは前回の「地方から考える社会保障フォーラム」に講師として来ていただいた。そのとき前著の「ちょっと気になる社会保障」を読んだが、「医療と介護」はさらに過激になっているように思う。それだけ日本の社会保障制度の持続可能性がピンチに立たされているということなんだろう。権丈さんは戦闘的と形容詞をつけたいほどの改革論者だ。しかも実証的で実践的な議論を進める。例えば「第6章 競争から協調へ」では舞鶴市の例を挙げて、国立病院や日赤、市立病院などの公的病院に医師が分散して患者を奪い合い状況にあると指摘、新型医療法人の創設を提案する。この法人に参加する国立病院や公的病院は本部から切り離されることを法律的に担保するというのだ。系列病院による病院完結型医療から地域完結型医療への転換ということでもあるのだろう。普通の専門書や新書では巻末に「注」が付いているのだが、本書は「知識補給」として長めの「注釈」が施されている。「指標と政策概念の間にあるギャップ」では「指標頼りの政策は、指標の変化が起こりやすい近辺の政策に政策担当者の関心を集中させて、本当に深刻な問題を放置させる」ことも起こりかねないとし「大切なことは、指標よりも人の思考力の方が上」と強調。同感です。他にも小選挙区制や内閣人事局についての考えにも全く賛成!

モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
老健局長、社会保険庁長官を歴任した後、阪大教授におさまったのが堤修三さん。阪大教授を定年で辞めた後は「小人閑居して不善を為す」かと思ったら、最近何かと忙しいらしい。取材にかこつけて会うことにした。当社までご足労願って1時間ほど取材、取材が終わったら亡くなった高原亮次さんが眠っている四谷の聖イグナチオ教会に行くことにする。高原さんは厚生省の医系技官、健康局長で退職した。高原さんと堤さんは同じ日に厚生省を退職したそうだ。在職中はそれほど親しくなかった2人だが退職してから仲良くなり、私も同席して3人でよく吞んだ。堤さんが東大全共闘、高原さんが岡山大学の医学部の全共闘、私が早大全共闘という全共闘つながりでもあった。高原さんが納骨されているところで黙祷、せっかくだから四谷の新道通りで吞むことにする。5時前だったので空いている店は少なかったが、2階の居酒屋に入る。さかなが美味しい店で「のどぐろ」がお勧めということで刺身を頼む。ビールで乾杯の後は日本酒。

8月某日
日本経済新聞の「経済教室」で井上智洋駒澤大学准教授が「2030年には汎用AIが実現し労働の大半は代替され」、筆者の名付ける「純粋機械化経済」が実現する。「純粋機械化経済では成長率が年々高まる」が、ベーシックインカム(基本所得、BI)のような大規模な所得の再分配制度を導入しなければ、資本家が高い収益を得る一方、多くの労働者が失業して所得を得られなくなると予言する。「BIなきAIはディストピア(反理想郷)をもたらしかねない。しかしBIのあるAIはユートピアをもたらすであろう」というのが結語である。AIとBIって語呂合わせ的にもいいんじゃないかな。
夕方、「ジャックと豆の木」の元マスター、三輪ちゃんと会食。当社の岩佐が私に話があるというので岩佐も同席。岩佐も「ジャックと豆の木」には何回か訪れたことがあったそうだ。三輪ちゃんは現在、鹿児島在住だが、慈恵医大で治療中の身でもあるのでときどき東京に出てくる。30年以上も新宿歌舞伎町でクラブをやっていただけに話はとっても面白い。

8月某日
図書館で借りた井上智洋駒沢大学准教授の「ヘリコプターマネー」(日本経済新聞出版社 2016年12月)を読む。井上の主張は単純化させると、世の中に流通する貨幣の量を増大させれば好況になり、そのためにはかつてミルトン・フリードマンが主張した「ヘリコプター」政策をとるべきというものだ。空からヘリコプターでお金を降らせるように、日銀のような中央銀行(または政府)が発行したお金を国民にばらまく政策である。実際の政策となるとそう簡単にはいかないと思うが、井上という経済学者は「国民にとっての経済」を考えている学者ではないか。AIに対する考え方にもそれは現れていると思う。
会社近くの「いきしぐさ」でフィスメックの小出社長にご馳走になる。当初は編集者の阿部さんと3人の予定だったが、全住協の加島常務が来社したので誘うことにする。小出社長は以前、年金住宅融資を扱う全国社会保険共済会という財団にいたので加島さんとは旧知の仲。阿部さんは年住協の「ヨーロピアンハウス」の編集をお願いしたので、共通の知人もいる。年金住宅融資の全盛期の話などで盛り上がった。

8月某日
終戦記念日が近いためだろう、我孫子市民図書館の展示コーナーには太平洋戦争関連の図書が並べられていた。そのうちの一冊「日本のいちばん長い夏」(文春新書 2007年10月 半藤一利編)を借りる。第2次世界大戦の敗北は日本人にとって初めての対外戦争の敗北であり、外国軍による占領も有史以来の体験であった。日本の敗戦とは何であったか、30人の大座談会が明らかにする。表紙に刷られたコピーに曰く“政治や軍部の中枢から前線の将兵や銃後の人々まで、30の視点が語る忘れてはいけないあの戦争。貴重な証言で埋め尽くされた「後世への贈り物」”。この大座談会を企画し司会を務めたのが若き日の半藤一利であった。座談会が行われたのが昭和38(1963)年の6月、文藝春秋の8月号に掲載された。吉田茂元首相と町村金吾元警視総監(当時北海道知事)は誌上参加だったが、それにしても28人が「なだ万」という料亭の大広間に集まり、午後3時から5時間に及ぶ座談会がスタートした。ということが巻末の半藤と昭和思想史の研究者、松本健一の対談で明らかにされている。大座談会という形式で、しかも各界の人材を集めて当時の状況を明らかにするという発想は、半藤の編集者としてのセンスの良さであろう。半藤はこの座談会に触発されてドキュメント「日本のいちばん長い日」を執筆することになる。座談会が実施されてから半世紀。出席者のほとんどが故人となっている。当たり前のことだが「生きているうち」にしか話は聞けないのである。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
図書館で借りた「物書同心居眠り紋蔵シリーズ」の「敵討ちか主殺しか」(佐藤雅美 講談社 2017年6月)を読む。巻末のシリーズ紹介のページによると本作は15作目。佐藤雅美のシリーズものの中でも人気のシリーズなのだろう。江戸時代の町奉行は警察と司法を兼ねていた。主人公の紋蔵は過去の判例を調べる「例繰り方」である。今まで時代小説やテレビで取り上げられたのは、刑事事件の捜査を主とする「町方」同心。江戸時代も幕末に近い文化文政のころが舞台。商品経済も行きわたり、江戸文化が爛熟したころ。丁寧な時代考証はいつもの佐藤雅美の小説である。

8月某日
社保研ティラーレ主催で年3回実施している「地方から考える社会保障フォーラム」の検討会を会社近くの「むさし坊」で。社保研ティラーレの吉高会長と佐藤社長、社会保険研究所の松沢総務部長、水野君、清水君が出席。社会保険研究所グループとして「社会保険」という枠にとどまらず、社会保障全体に目配りする必要があるのではないかと話す。我孫子に帰って駅前の「愛花」に顔を出す。常連のカヨちゃんとアライさんがいた。

8月某日
今日、明日と休み。久しぶりに被災地を訪ねてみようと思い常磐線で「いわき」へ。急ぐ旅でもないので各駅停車を乗り継いでいったら3時間以上かかってしまった。「いわき」から津波の被害が一番ひどかった「四ツ倉」に行こうと思ったが、次の列車まで1時間以上時間があるので「いわき」の駅前へ。駅前の商業ビルの4階と5階が市立図書館になっているので寄ってみる。ずいぶん立派な図書館だ。東日本大震災のコーナーも常設されているので立ち寄る。四倉町2丁目には7.55mの津波が押し寄せ、いわき市全体で400名近い死者、行方不明者が出たことがわかる。震災関係の図書も揃えられていて、「福島が日本を超える日」(浜矩子他、かもがわ出版、2016年3月)を読んでいたら時間が来たので再び駅へ。2つ目の「四ツ倉」駅で下車。何度か訪れたことがある四ツ倉海岸沿いの「道の駅」へ。ここら辺は野菜や果物、海産物が豊富、昆布となめこなどを買う。2階の喫茶室で生ビール。目の前が海水浴場になっているので行ってみると女子高生と思しきグループがビーチバレーに興じていた。サーフボードを抱えた青年も見かけたが平日からか閑散とした印象だ。駅への帰りに「大川魚店」で弁当を買う。帰りの電車でビールの肴にするつもり。駅前のスーパーで家族の土産に福島産の桃を買う。
「四ツ倉」から乗った電車は水戸行きだったので「いわき」で降りずにそのまま乗車。車中で弁当を食いながらビールを吞む。日立で特急に乗り換えることができるので下車。特急券を買おうとしたらちょうど日立から東京へ帰るサラリーマンで券売機の前には長い列が。結局、目当ての特急には乗れず、勝田まで各駅停車で行くと柏に停車する特急に乗ることができるのでその特急券を購入。駅の特産物コーナーをのぞくとNHKの朝の連ドラ「ひよっこ」の展示がされていた。主人公の「みね子」が生まれ育ったのは茨城県北部の架空の村、奥茨城村。だもんで県北の日立市や常陸大宮市、高萩市などで茨城県北「ひよっこ」推進協議会を結成、PRに努めているのだ。
「ひよっこ」毎回楽しみに見ているので展示も楽しめた。勝田で特急に乗り換え家路に。

8月某日
図書館で借りた桐野夏生の「ジオラマ」(新潮文庫 平成13年1月)を読む。桐野は好きな作家で割とよく読むのだが、読むのは長編がほとんど短編集の「ジオラマ」ではじめて短編を読むことになる。桐野は「あとがき」で子供の頃、地面に埋まっている石ころを剥がす遊びに夢中だったとし、自分にとっての短編小説は「石をめくってみて、その下にあった世界を見る驚きや、その世界を書くこと」と書いている。続けて「様々な場所の様々な石をひっくり返すこと、その地中世界まで掘り下げるのは、私の場合、長編での仕事である」と述べている。なるほどねぇ。そういえば私も子供の頃、石をひっくり返して、蟻が右往左往しているのを飽かずに眺めていた記憶がある。

8月某日
「跳人」で健康生きがいづくり財団の大谷常務と。大谷さんは「生涯現役起業支援事業助成金」の資料を持ってきてくれる。高年齢者が起業するにあたって、募集や採用、教育訓練の費用を助成するというもの。人件費や備品の購入費用は対象とならないそうなので私が考えていたのとは違う助成金。でも大谷さんには感謝。

モリちゃんの酒中日記 7月その5

7月某日
新宿歌舞伎町の伝説のクラブ「ジャックと豆の木」の店長だった三輪さんからワインが送られてくる。ラベルを見るとフランスワインのヴィンテージもの。西荻に住む私の兄の家に北海道の弟が来るというので持って行くことにする。弟はホタテなど北海道の海産物を持ってきてくれたのでそれを肴に呑む。夕方6時頃から呑みはじめ、我孫子の家に帰り着いたら12時を過ぎていた。

7月某日
夕方、会社の石津さんと呑みに行く約束をしていたら、HCMの大橋社長から誘いの電話。ネオ・ユニットの土方さんと静岡に出張した帰りで今、東京駅という。5時に会社近くの「跳人」で待ち合わせ。私は会社近くの藤田酒店が販売元になっている芋焼酎「神田の戦士」を1本買っていく。石津さんも6時には合流、楽しく飲みました。

7月某日
社会保険福祉協会の助成で「音楽運動療法」の研究をやっている。今日は三軒茶屋で実際に音楽療法をやっている現場を見学することに。9時半に三軒茶屋で待ち合わせ。会場の太子堂地区社会福祉協議会へ向かう。メンバーは幹事の宇野裕さん、スポンサーの社福協の本田清隆常務、音楽療法士の丸山ひろ子さん、特養のサービス提供責任者でホームヘルパー協会副会長の黒澤加代子さん、社会福祉法人金井原苑苑長の依田明子さん。三々五々、高齢者が会場に集まってくる。圧倒的に女性が多い。最終的には70人近くになったようだ。本日の講師兼司会進行は井畔理恵さん、ピアノ伴奏は手塚直子さんでいずれも国立音楽院の卒業生。井畔さんの進行が抜群に上手だった。私も久しぶりに大きな声で歌をうたえて楽しかったし、軽いストレッチも取り入れているので運動にもなった。介護予防に最適と思いますね。

7月某日
当社と同じビルにオフィスを構えるのが一般社団法人の民間介護事業者協議会、民介協だ。その民介協のオフィスで暑気払いがあり、当社の全員も招かれた。都合のつく社員、7、8名で押し掛けた。当社からは「跳人」に頼んでオードブルを差し入れ。キタジマからウイスキーや日本酒、それに藤田酒店の「神田の戦士」が差し入れられた。民介協の扇田専務や天野さん、それに扇田専務が後援会長をやっている落語家の三遊亭円丸師匠も参加。扇田専務の音頭でビールで乾杯、私はその後、ワインとウイスキーをご馳走になる。「跳人」のオードビルもおいしかった。タダ酒でつい飲みすぎた。

7月某日
図書館で借りた「日本の近代とは何であったか―問題史的考察」(岩波新書 三谷太一郎 2017年3月)を読む。三谷太一郎は東大名誉教授で専門は日本外交史。新書版で文章も平易だが、書かれている内容はかなり高度だ。近代以前、「慣習の支配」によって人類は拘束され、独創性は停滞した。人類を慣習の支配から解放することが「近代」の歴史的意義で、それは「議論による統治」を意味する。マルクスと同時代人でマルクスと同じように政治経済学的観点から英国近代を分析したウォルター・バジョットは「いかなる国家も議論による統治を持たなければ一流たりえない」と言っている。幕藩体制において権力は複数の老中、若年寄、目付等によって行使されたが、これは三谷によると権力抑制のメカニズムであったという。倒幕後の権力は各藩の権力を超えた「公議」として認識され、王政復古は幕府的な存在を排除し、権力の分立と立憲制を招来した。これに対して昭和の大政翼賛会に対する違和感、反発は、ナチズム、ファシズム、ボルシェビズムを連想させた故であった。
日本に資本主義が勃興したのは、日清戦争以前に先進的作業技術、資本、労働力、平和といった資本主義を可能にする客観的条件が存在したためである。具体的には①官営事業に象徴される国家による先進的産業技術の導入②地租を始めとする安定度の高い歳入を保障する租税制度③質の高い労働力を生み出す公教育制度(初等及び高等教育制度)④資本蓄積を妨げる資本の非生産的消費としての対外戦争の回避があげられる。一方、日本の植民地構想は経済的利益関心よりも軍事的、安全保障的関心から発生している。ヨーロッパ先進国(英仏等)のように「自由貿易帝国主義」による「非公式帝国」の拡大は目指さず、より大きなコストを要する軍事的依存度が高い「公式帝国」の途を選んだ。日本の近代化を貫く機能主義的思考様式については、明治日本にはヨーロッパというモデルはあったがヨーロッパ化のモデルはなかった。そのため制度、技術、機械、その他の商品といった個別の機能を導入してヨーロッパ化を図った。またヨーロッパには諸機能を統合する機能として宗教(キリスト教)があったが、日本ではそれを皇室に求めた。「神の不在」が天皇の神格化をもたらしたのである。明治憲法の外で「神聖不可侵」を体現する天皇の超立憲君主的性格を積極的に明示したのが「教育勅語」である。井上毅、山県有朋、伊藤博文らの藩閥官僚と天皇の側近勢力(永田英莩)の共同作品であった。通常の勅語には国務大臣の副署があるが教育勅語にはない。これは教育勅語が立憲君主制の原則に拘束されないことを示している。
終章で三谷は東日本大震災による原発事故は、日本の近代そのものへの根源的な批判を惹起したとする。徳川慶喜政権から明治政権へ権力は交代したが、路線として「文明開化」と「富国強兵」は連続している。戦後の日本は国民主権を前提にした「強兵」なき「富国」路線を歩んできたが原発事故によってその路線が揺らいでいる。三谷は国際共同体の組織化を通じてグローバルな規模での近代化路線の再構築を提案する。これを実現していくのは我々後世代の務めだろう。

モリちゃんの酒中日記 7月その4

7月某日
2日間にわたった「第13回地方から考える社会保障フォーラム」が無事終了。「社会保障政策を立案する厚生労働省と、地方議員の橋渡しができれば」という想いから始めたのだが今では定員の55名に対して毎回、70名以上の参加申し込みがある。地方行政の花形は以前は道路や箱モノの建設といった公共工事関連だったが今は、高齢者問題を中心とした福祉に関心が移っているということだと思う。毎回、講師を務めて頂いている厚生労働省をはじめとした中央省庁の官僚の皆さんに深く感謝である。

7月某日
中村秀一さんが主宰する「医療介護福祉政策研究フォーラム」に参加。今回の講師は財務省の宇波弘貴総合政策課長。テーマは「財政からみた社会保障の現状と課題」。中村さんが保険局の企画課長のとき課長補佐で厚労省に出向していたというし、総合政策課長の前は主計局で厚生労働担当の主計官というからこのテーマを語るとしたらまさに適任。社会保障制度の持続可能性を担保するためには、①経済成長②財源の確保③社会保障費の伸びの抑制、が必要という論はまさに正当。しかし①はともかく②と③は国民の痛みを伴う改革が必要だ。ポピュリズムに傾斜する安倍政権、何でも反対の民進党、彼らに任せておいて大丈夫なのか!フォーラム終了後、結核予防会の竹下専務とプレスセンタービル地下の焼鳥屋「おか田」で吞む。

7月某日
ケアセンターやわらぎの石川さんと内閣府の唐沢剛さんを訪問。「にんしんSOS」の中島かおり代表理事が同行。児童虐待防止のための勉強会について相談。社会福祉法人にんじんの会の石川施設長、当社の酒井が同行。その足で石川さんと私と酒井は虎の門フォーラムの中村理事長を訪ねる。中村さんの新しい単行本「社会保障改革に伴走して」(仮タイトル)の打合せ。打合せ終了後、私と石川さんで虎ノ門の居酒屋へ。「赤まる 虎ノ門店」はタイガースファンの店。大型テレビが4台ほど設置してある。石川さんはタイガースファンということで店長とタイガースの話で盛り上がっていた。石川さんにご馳走になる。我孫子に帰って「愛花」に寄る。

7月某日
図書館で借りた「ヒトラーと第2次世界大戦」(三宅正樹 清水書院 2017年5月)を読む。これは1984年に刊行したものに加筆・修正を施して新訂版として復刊したものだが、基本的な論旨、考え方は変わっていない。アドルフ・ヒトラーは1889年4月20日、オーストリアとドイツの国境の町、ブラウナウで生まれた。父はオーストリア‐ハンガリー帝国の国境の税関の官吏であった。ヒトラーは第1次世界大戦ではミュンヘンでドイツ軍に志願、兵長で敗戦を迎えている。敗戦直後の1919年9月、ミュンヘンの群小右翼政党のひとつに過ぎなかった「ドイツ労働者党」に入党する。やがて党名は「国家社会主義ドイツ労働者党」(ナチ党)とかえられ、1921年には党首となっている。1933年1月、ナチ党は議会の過半数は制していなかったが、ヒトラーはヒンデンブルグ大統領から首相に指名される。ヒンデンブルグ大統領の死後、ヒトラーは「総統」(フューラー)に就任する。ヒトラーはアーリア人種の代表としてのドイツ民族が、ヨーロッパの東部に自己の生活空間(レーベンスラウム)をきずく権利を有することをくり返し「我が闘争」のなかで主張し、チェコスロバキアの解体、ポーランド分割、英仏への宣戦布告(第2次世界大戦)を通して実践される。
政権奪取後のヒトラーは、ナチ党と軍部の力を背景に独裁権力を強化する。しかしヒトラー暗殺計画が軍の一部で企てられるなど、その独裁権力は必ずしも盤石とは言えなかった。またヒトラーの世界戦略は、最終的には英仏を屈服とソ連の解体を目指したにせよ、西部戦線と東部戦線の2正面作戦に加えて、米国の参戦により破たんし、ドイツは敗北しヒトラーは自殺する。ヒトラーにとって日本を三国軍事同盟に参加させることは、ソ連をけん制する意味からも重要であった。日本では主に陸軍と近衛が三国同盟を推進した。海軍は省的な反対に止まり、三国同盟は締結され日本も対米英戦争に踏み切らざるを得なくなる。ドイツも日本にも開戦を踏みとどまるという選択肢は残っていたし、開戦後も和平の機会はいくつかあった。しかし結局は敗戦国の日本とドイツだけでなく戦勝国も多くの犠牲を払うこととなる。このような犠牲の上に現在の平和があるということを忘れてはならない。

モリちゃんの酒中日記 7月その3

7月某日
年金住宅福祉協会(年住協)の理事を退任した森益男さんのご苦労さん会。HCMの大橋社長が声を掛けてくれた。西新宿の「佐賀県三瀬村ふもと赤鶏」という大橋さんが予約してくれた店に行く。「ふもと赤鶏」というのは鶏の種類らしいけれど、レバーやハツが美味しかった。森さんと初めて会ったのは今から30年以上前だったと思う。森さんは富国生命で団体信用生命保険を担当していて、年住協はじめ転貸民法法人や年金福祉事業団を担当していた。私も年友企画で年金住宅融資を担当していた関係で親しくなった。当時は資金不足の時代で住宅金融公庫や年金住宅融資の人気も高く、転貸民法法人の鼻息も荒かった。特に年住協は転貸民法法人の中でも常にトップで、当時は毎年、関連の生保や損保に声を掛けてヨーロッパツアーを催していた。森さんと私は20年以上前のツアーに参加したが、団長は当時の環境次官を退任して年住協の理事長に就任していた森幸男さん。森団長と当時、千代田生命の専務だった津山さんは奥さん同伴だった。私と森さんは若輩者だったがツアー仲間のセントラルシステム社長の大沼さんなどに可愛がられた。森さんと私、それに千代田火災の黒川さんの3人が割と一緒に行動していたことを懐かしく思い出す。津山さん、大沼さん、黒川さんは亡くなってしまった。それだけ時間が経過したということなのだ。

7月某日
江藤淳の「南洲残影」(文春文庫 2001年3月)を読む。単行本になった平成10年に私は買って読んでいるはずなのだが、内容はまったく覚えていない。「南洲残影」は「全的滅亡の曲譜」という章から始まる。勝海舟は西郷隆盛との談判によって江戸無血開城に成功したことは良く知られている。その海舟は西郷が西南戦争に敗死した後も彼を追慕してやまず、「亡友南洲氏」などいくつかの漢詩を残している。江藤はしかし「なんといっても一私人海舟の心情、あるいは真情は、切々と流露してやまないのは」、海舟作の薩摩琵琶歌「城山」であるとしている。琵琶歌というのは七五調で四弦の薩摩琵琶の調べにのせて朗誦されるという。ちなみに江藤によると「城山」は「きのふまでは陸軍大将とあふがれ、君の寵遇世の覚え、たぐひなかりし英雄も、けふはあへなく岩崎の、山下露と消え果て〃」と西郷隆盛一人の悲劇を描くだけでなく「桐野村田をはじめとし、むねとのやからもろともに、烟と消えしますら雄」のすべて、私学校党全体の滅亡が、語られ追慕されているとしている。西南戦争は明治維新という革命に対する、復古的な反革命戦争というイメージが色濃くあるように思うが、本書を読むことによって西郷軍への参加者には実に多様な経歴、思い、政治思想があったことがうかがえる。
例えば西郷軍が鹿児島へと敗走するなかで自刃した小倉処平は、明治4年に英国に留学、英語もよくし訳書もある。城山で西郷の死を見届けた後戦死した村田新八は、岩倉使節団の一員として欧米各国を視察した。また佐土原隊の隊長で藩主忠寛の妾腹の三男、島津啓次郎は、7年間米国に学び、アナポリス海軍兵学校を卒業したという。欧米の進んだ文明を知悉していたわけである。ここからは私の想像になるのだが、西南戦争には明治維新に対する反革命戦争的な性格と、明治維新の不徹底なブルジョア民主主義革命、市民革命としての性格を徹底させようとした革命戦争(戊辰戦争に次ぐ第二次革命戦争)という性格も併せ持っていたのではないだろうか。

7月某日
朝、我孫子駅から電車に乗ったら「愛花」の常連の「カヨちゃん」に会った。カヨちゃんは看護師で「愛花」で知り合った頃は筑波大学大学院の院生だったが、今は有明の確か嘉悦大学の助教だ。南千住でつくばエクスプレスに乗り換え、新御徒町で大江戸線に乗り換えて有明まで行くらしい。南千住まで人工知能や手塚治虫のおしゃべりをして楽しかった。
お茶の水の社会保険出版社で「40歳からの介護研修」の打ち合わせ。天理から(有)あいネットの中川社長、NPO法人つむぎの山本代表とアトリエ・カプリスの岩田さんにきてもらい、東京からはSCNの高本代表、社会保険出版社の高本社長、間宮君、戸田さん、それとHCMの大橋社長と私が参加した。中川社長には「へるぱ!」の特集「介護は本当に成長産業か?」の取材をお願いして快諾してもらった。打ち合わせ後、私は近くの「スタジオ・パトリ」に寄って三浦さんと「スタジオ・パトリ」に最近間借りするようになった保科さんに挨拶。

7月某日
図書館で借りた「ピンポン」(パク・ミンギョ 白水社 2017年6月)を読む。いじめっ子に殴られる姿が「釘」に似ていることから釘とあだ名される中学生と、同じいじめられっ子で「モアイ像」に似ていることからモアイとあだ名される中学生は、原っぱのど真ん中にある卓球台で卓球をするようになる。卓球を卓球店主の「セクラテン」に習う2人。セクラテンから教わる卓球の歴史は戦争の歴史だった。世界はいつもジュースポイントで勝負はまだついていない。空から巨大なピンポン玉が落下し地球は巨大な卓球界になってしまう。「ネズミ」「鳥」との勝利者に、人類をインストールしたままにしておくのか、アンインストールするのか、選択権があるという。という粗筋からもわかるように、この小説はリアリズムではなく壮大な暗喩である。地球という現実、世界という存在に対する暗喩。その暗喩を正確に読み解くことはできなかったが、ストーリーはとても面白かった。小説はそれでいいと思う。

モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
「退屈論」(小谷野敦 河出文庫 2007年10月)を読む。退屈とは何かについて内外の哲学書、思想書、小説などを巡って論じた書である。著者の該博な知識と読書量には圧倒されるし、本書の内容を要約し論評するのは私の能力を超える。とはいえ本書を読むのは苦痛ではなかったし、著者の考えに反発も覚えなかった。小谷野敦はふしぎな人だと思う。

7月某日
元厚労省で川村女子学園大学教授の吉武さんと「健康生きがい財団」の大谷さんと我孫子で飲むことに。我孫子駅の改札で5時に待ち合わせ。我孫子駅の北口で飲むことにする。この日私は休みをとっていたので4時から我孫子駅南口の「七輪」で軽く飲んでいた。それほど酔っているとは思わなかったが3人の会話の内容をほとんど覚えていない。やばいね。それでもそのお店には川村学園の女子大生が「バイトにいますよ」と店長らしき人が言っていたのは覚えている。2人と我孫子駅で別れ、私はひとりで南口の「愛花」へ。

7月某日
「山崎豊子と〈男〉たち」(大澤真幸 新潮選書 2017年5月)を読む。山崎豊子は「白い巨塔」や「大地の子」などで知られる小説家、1924年生まれだから私の父母と同世代で2013年に亡くなっている。山崎の長編小説の多くは映画化やテレビドラマ化されている。私は山崎の小説の良い読者とは言えないし、テレビドラマも熱心に見た記憶はない。でも子供のころ両親が山崎豊子原作の「横堀川」というテレビドラマを熱心に見ていたのを覚えている。しかし本書の巻末の「作品年表」にも「横堀川」の記載はない。ネットで検索するとウイキペディアで「NHKが1966年4月から1967年3月まで放映したテレビドラマ。山崎豊子の小説から「花のれん」と「暖簾」の二作を軸にして、茂木草介が脚本を書いた」とあった。「横堀川」という小説はなかったわけだ。ちょうど私が高校3年生のときで受験勉強の合間に見た記憶がある。大澤真幸は山崎豊子の「白い巨塔」以降の「沈まぬ太陽」「大地の子」「不毛地帯」に焦点を当てて山崎を論じる。これらの作品も週刊誌や月刊誌に連載されていたころから話題を呼び、映画化やテレビドラマ化されている。私も週刊誌や月刊誌で断続的に読んだ記憶がある。大澤は山崎の作品に戦争の影が色濃く投影されていると指摘する。「大地の子」は中国残留孤児が主人公だし、不毛地帯の主人公は終戦時の大本営参謀でシベリア抑留の後、商社に入社、自動車産業の米国メーカーとの合弁や次期戦闘機の輸入に深く関わる。「沈まぬ太陽」は日航機の御巣鷹山墜落事故に題材をとっており、戦争とは直接の関係はないが主人公は組合運動に熱心に関わったことから長くアフリカに左遷される。いずれの主人公にも共通するのは「敗れざる者たち」という点である。山崎はそういう〈男たち〉を描き切ったのだ。

7月某日
「財政と民主主義-ポピュリズムは債務危機への道か」(加藤創太・小林慶一郎編著 日本経済新聞出版社 2017年3月)を読む。「民主主義は過剰なポピュリズムを招き、やがて持続不能になるのではないか」という問題意識から「本書は「財政」の観点に焦点を絞りつつ」日本の現状と将来について論じている。大山礼子(駒澤大学法学部教授)は戦前の帝国議会では男子普通選挙が実施される以前は、納税者代表としての衆議院議員が政府の予算案を厳しくチェックしていたが成人男子があまねく選挙権を得るようになると、議会の大勢はポピュリズムに陥るようになったと指摘する。「デモクラシーがポピュリズムの産婆となる」というパラドクスである。田中秀明(明治大学政策研究大学院教授)は膨張する社会保障関連予算と国と借金に依存する地方財政に警鐘を鳴らす。社会保障や地方財政のモデルは貧しい時代の「分配モデル」を継承しているとして、その転換を訴える。神津多可思(リコー研究所所長)は、「歴史的に類を見ない低位の国債利回り」に支えられた財政運営に対して「持続可能性」の観点から疑問を呈する。最後の「政策提言」は「財政問題を後ろ向きの問題として封印せず、民主主義の再設計に取り組むきっかけとして前向きにとらえなおし、国民階層の広範な議論の対象とすることが、今もっとも求められている」と結ばれている。同感である。

7月某日
会社近くの「跳人」で全住協の加島常務と飲む。「毎日、弁当を作っている」と私が言うと、加島さんは釣りが趣味で、釣った魚を自分で捌くと言っていた。なるほどねぇ。上には上があるもんだ。途中からHCMの大橋社長が参加。心地よく酔う。酔った勢いで我孫子駅前の「愛花」による。

7月某日
「戦後政治を終わらせる」(白井聡 NHK出版新書 2016年4月)を読む。「はじめに」で本書が目指すのは「戦後レジームからの脱却」としているが白井のいう「戦後レジームからの脱却」は安倍首相の唱えるそれとはまったく異なる。白井は「戦後レジーム」の根幹は、敗戦と東西冷戦によってもたらされた対米従属にあるという。もちろんこの対米従属路線を政治的に主導したのは戦後の保守政権=自民党である。そしてこの自民党を一方で支えたのが革新勢力の要であった社会党である。(白井はこれを「プロレス」と表現するけれどプロレスファンが読むと怒るよ!)それはともかく白井は矢部浩治の著作から、戦後の日本は憲法を最高法規とする法体系と「アメリカと約束したこと」(条約のように公認されたものもあれば、密約のように非公然のものもある)もまた事実上の法になっているとする。たとえば米軍機は事実上日本のどこであれ、高度何メートルで何の問題もないとし、これは日米地位協定に基づいた航空法の特別法によって保障されているとしている。このことも含めて永続敗戦レジームに最も敏感に抵抗しているのが沖縄だ。本書は戦後の政治過程を「永続敗戦レジーム」というキーワードによって鋭く解いて見せたといえるだろう。

モリちゃんの酒中日記 7月その1

7月某日
「偽りの経済政策-格差と停滞のアベノミクス」(服部茂幸 岩波新書 2017年5月)を読む。服部は1964年生まれ、京大経済学部卒、現在同志社大商学部教授。2014年に岩波新書で「アベノミクスの終焉」を上梓しているから、本書はその続編。安倍首相は経済の成長路線を選択しその政策的な表現がアベノミクスで、黒田日銀総裁とともに消費者物価の2%上昇を公約した。この公約は現在に至るも実現していない。服部は経済理論を駆使してなぜ実現できないか、主として副総裁として日銀を黒田とともにけん引している岩田規久男を標的に批判している。表やグラフを用いての批判はち密に行われているのだろうが、経済の素人として読み通すのにいくらか苦労した。しかも理解できたのは全体の60%くらいだろうか。しかし私なりにアベノミクス批判をするとすれば労働生産性が上がっていないということを上げたい。労働力人口が減少する中で、経済成長を遂げようとすれば労働生産性を上げるしかない。AIやICT、ロボットの活用はもちろんのこと、経営や労働の在り方も変えていく必要があるがそこができていないような気がしてならない。それは政治や行政に頼るのではなく経営者やそこで働く一人一人の労働者の問題であると思う。

7月某日
都議選で自民党が大敗、都民ファーストの会、公明党など小池都知事の与党が圧倒的な多数を制した。安倍政治の「終わりの始まり」の予兆か。「アベノミクスと暮らしのゆくえ」(山家悠紀夫 岩波ブックレット 2014年10月)を読む。「偽りの経済政策」に続くアベノミクス批判の書だが、こちらが出版されたのは3年前。だから批判の対象は「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」の「旧三本の矢」である。私なりに著者の考えを要約すると、黒田日銀の政策はそもそも中央銀行の独立性という観点から疑問があるし、量的な金融緩和についても効果は限定的だ。現に量的緩和にマイナス金利の導入という質的緩和に踏み切ったが、これも効果を上げているとはいいがたい。「機動的な財政政策」は相変わらず公共事業頼みであり、「成長戦略」については企業減税や規制緩和は企業の内部留保を膨らませたもののそれが投資に向かっていない、と批判する。消費増税に反対するという著者の見解には同意できないが、それ以外の主張にはおおむねうなずける。アベノミクス批判についてうちの奥さんと話したら「証券会社の営業マンはとっくに安倍ちゃんに見切りをつけている」そうだ。

7月某日
「誰が日本の労働力を支えるのか」(野村総合研究所・寺田知太、上田恵陶奈、岸浩稔、森井愛子 東洋経済新報社 2017年 4月)を読む。労働力人口の減少という現実を受けて、外国人労働者とAI、ロボットの活用について論じている。2015年度の国勢調査によると日本の総人口は1億2709万人、2010年に比較すると100万人減少している。また労働力人口はピークの1998年に比べると200万人少ない6598万人となっている。四国全体の労働力人口が191万人だから、その分がすっぽりと抜け落ちた勘定になる。労働力人口は2030年までに300万人減少すると予測されているが、これは東海地方全体の労働力人口に匹敵する。このような労働力人口の減少への対応策としてまず考えられるのは、外国人労働者の活用である。本書は外国人労働力(F-wf)について「受け入れるか否か」より「来てくれるか否か」だと指摘する。日本の外国人労働者数は2016年で108万人、これに対して総人口が日本の半分の韓国のそれが96万人、同じく日本の5分の1の台湾が60万人であり、日本の出遅れ感は否めない。スイスのビジネススクールIMDの調査によると、日本の「働く場所」としての魅力は61か国中52位で長時間労働と高くない給与水準が不人気の理由という。世界的な人材争奪戦は激しさを増す一方で、そもそも人材の供給国だった中国でさえ2025年から総人口の減少が始まる。
 期待の持てそうなのが劇的な変化を遂げつつある人工知能である。本書ではソフトウエアアルゴリズムの革新として、1980年代は人間が情報とモデルを入力する「エキスパートシステム」、2000年代は機械が情報を分析するモデルを自動構築した「機械学習」、2012年頃から機械が情報を分析するモデルを自動構築する「ディープラーニング」へと移ってきたという。さらに日本の労働者の49%は人工知能やロボットで代替可能という衝撃的なデータも示される。医療についてはディープラーニング(画像認識の応用)により自動診断が可能になると予測する。人間はどうすればいいのか。本書は元リクルートの藤原和博氏の著作から「ジグソーパズル型人材」と「レゴ型人材」という2つのパターンを拾い上げる。「ジグソーパズル型」は「情報処理」や「正解を当てるチカラ」が強みであり、デジタル労働力(D-wf)が得意とする分野である。一方、「レゴ型」は「情報編集力」や「納得解を導き出すチカラ」に優れ、これは「正解のない組み合わせを世に問う」ということでもあり、引き続き人間の仕事であり続けるという。様々な革新プランについて「うちの業界(組織)は特殊だから」ということで退けられるケースがあるがこれは危険と警鐘を鳴らす。これからの人材は「複数の選択肢を持ち、選択の痛みに耐える精神力を持つこと」、「これが選択する力を持つことに他ならない」と本書は結論する。なるほどねー。納得である。