モリちゃんの酒中日記 5月その2

5月某日
「完本 私の昭和史 2.26事件異聞」(末松太平 中央公論新社 2023年1月)を読む。2.26事件は1936(昭和11)年2月26日に起きた一部の陸軍青年将校によるクーデター未遂事件である。当時、著者の末松は青森の連隊で大尉に任官していた。クーデターに参加した青年将校や彼らに思想的な影響を与えた北一輝、西田税とは頻繁に会い議論を交わす間柄であった。末松は青森勤務だったため、事件には参画していないが、37年1月陸軍軍法会議で禁固4年の判決を受け免官。本書は63年に刊行された「私の昭和史」に三島由紀夫や橋川文三の当時の書評を加え、さらに日本近代史研究者の筒井清忠の解説を加えて完本としたもの。500ページを超える大著で読み終わるのに3日かかってしまった。昭和維新を構想するに至る当時の青年将校の考え方、行動の背景が理解できた。2.26事件の前年、陸軍省内で白昼、軍務局長の永田鉄山が皇道派の相沢中佐に斬殺されている。末松は相沢とも親しく交際しており、末松は相沢の礼儀正しさや真面目さを評価している。私はどちらかというと相沢に狂気染みたものを感じていたので、そこいらは新鮮に感じた。

5月某日
「太平洋戦争への道 1931-1941」(半藤一利 加藤陽子 保阪正康 NHK出版新書 2021年7月)を読む。ロシアのウクライナ侵攻が始まったのが昨年2月。私はそこにかつて日本が歩んだ中国への侵略の道を想う。1931(昭和6)年9月、中国東北部の柳条湖で、日本の経営する南満州鉄道の鉄路が何者かによって爆破された。関東軍はこれを中国軍によるものとして武力攻撃を開始、5カ月でほぼ満洲全域を制圧し、翌年には満洲国が建国される。ロシアの思惑も短期間にウクライナ全土を制圧し、親ロシア政権を樹立したいというものだったろうが、ウクライナ軍の強固な抵抗にあっている。ウクライナ国軍と国民の旺盛な戦意に加えて米国やヨーロッパ諸国の援助も見逃せない。ロシア国民に戦争の真実が知らされていないというのも戦前の日本と似ている。ロシアは5月9日に戦勝記念日を祝ったばかりだが、プーチン大統領はかつてヒトラーがソ連に侵攻して手ひどい敗北を喫し、自らは自殺したことを思い返すべきだ。

5月某日
「私のことだま漂流記」(山田詠美 講談社 2022年11月)を読む。毎日新聞の「日曜くらぶ」に連載されたものを単行本にしたもの。本文にも出てくるが「日曜くらぶ」には、山田が敬愛して止まない宇野千代がかつて「生きていく私」を連載していた。山田の小説は何冊か読んできた。なかなか才能のある作家と思っている。このエッセーを読んで、この人が普通のサラリーマン家庭で育ち、明治大学文学部に進学し、売れない漫画家となり大学を中退し、新宿、銀座、赤坂、六本木でホステス家業を転々とする20代前半を過ごしたことを知った。その後、子持ちの黒人の米軍人と知りあい福生で同棲しているときに文藝賞を受賞し、作家デビューを果たすのだ。宇野千代との交情、売れない漫画家時代も面白いのだが、私には日本における黒人差別にいささか驚いた。デビュー作の「ベッドタイムアイズ」は米軍基地からの脱走兵としがないクラブ歌手のラブストーリー。「そうは言っても、黒人相手じゃないか。しかも、出会って、アイコンタクトだけで好意を伝え、すぐさま性的関係を持つ。あまりにもふしだらなんじゃないのか? そう糾弾されて面食らった」「日本人が肌の色に関する差別語をまだ豊富に持っていて、それを口に出すことに、ほとんど躊躇しない時代だった」と山田は記す。山田の両親が差別意識のまったくない人たちで山田が実家に連れて行った黒人親子を歓待する話などはほっとさせられるのだが…。朝日新聞に芥川賞作家の李琴美がオーストラリアのLGBTや先住民の迫害の過去について書いていた。私の父の父(つまり祖父)は明治時代に滋賀県から北海道に渡り、苫小牧で古着屋を開業したという。祖父が北海道の先住民であるアイヌを迫害した事実は知らない。けれど私の祖父を含めた和人たちが総体としてアイヌの人たちの土地を奪ったのは歴史的な事実と思われる。

5月某日
中央区勝どきの月島第2児童公園で開かれているマルシェを見に行く。吉武民樹さんに誘われ大谷源一さんと参加する。地下鉄の勝どき駅に4時頃着いてブラブラしていると大谷さんに会えた。川村学園大学で吉武さんの同僚だった台湾出身の福永先生が肉まんとあんまんを出店しているのだ。好評ですでに売れ切れていたが、事前に予約しておいてくれたので手に入れることが出来た。福永先生に挨拶して公園を後にしバスで築地本願寺へ向かう。築地本願寺の喫茶コーナーで一休み。築地本願寺から歩いて銀座7丁目のライオンへ。吉武さんの出身校の福岡修猷館の同級生が集まっているとのこと。福岡出張のときお世話になった弁護士の羽田野先生も来ていた。吉武さんから早稲田の政経学部出身で長崎の中学で堤修三さんと同級生だった人(確か田中さん?)を紹介される。銀座7丁目から新橋駅まで歩き上野東京ラインに乗車。上野で川口に帰る大谷さんと別れ、私と吉武さんは我孫子へ。

5月某日
「長く高い壁」(浅田次郎 角川文庫 2021年2月)を読む。時は1938年秋、日中戦争下の満洲に隣接する華北が舞台。タイトルの「長く高い壁」は万里の長城を意味する。従軍作家の小柳が推理する分隊10名の毒殺事件の真相とは?浅田次郎は中国の近代史に明るい。そしておそらく中国語にも。浅田は高卒後、自衛隊に入隊しさまざまな職業を経た後、作家に。「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞を受賞している。人間、学歴ではないんだよなー。

モリちゃんの酒中日記 5月その1

5月某日
年友企画の岩佐さんのお誘いで神田の和食屋で会食。社会保険研究所の谷野浩太郎社長、フィスメックの小出建社長も同席。3人以上で呑むのは大学時代の同級生、雨宮弁護士、内海君と新橋で呑んで以来。久しぶりなのでつい呑み過ぎ。2次会に昔行っていた葡萄舎へ。店主のケンちゃんも交えて焼酎を呑む。呑み過ぎたので我孫子駅からタクシーで自宅へ。たまにはいいか。

5月某日
「老いの超え方」(吉本隆明 朝日文庫 2009年8月)を読む。吉本隆明が「老い」について語ったもの。吉本は1924年生まれだから、発行された09年には85歳である。私が吉本を読み始めたのは大学に入学した1968年だから、私が20歳で吉本は44歳である。以来私は「擬制の終焉」「芸術抵抗と挫折」「自立の思想的拠点」などの情況論を読んで「私と同じ考えの人がいる」と勝手に思ったものである。吉本の思想の原理論ともいうべき「共同幻想論」「言語にとって美とは何か」「心的現象論」も読んだことは読んだが、私にはよく理解できなかった。吉本は本書で「『食えるかどうかは分からないけれども、物書きをやってみようか』と自分で思ったのは40歳過ぎからです」と語っている。当時、私は吉本の著作を早稲田の古本屋で新刊割引で買っていたように思う。古本なので吉本の印税収入には貢献しなかったことになる。本書は吉本の老いとの向き合い方が率直に語られていて、私は好感を持った。本書で吉本が肯定的に評価しているのは親鸞と現代フランスの思想家、ミシェル・フーコーだ。

5月某日
「シリーズ世界の思想 マルクス 資本論」(佐々木隆治 角川選書 平成30年7月)を読む。マルクスは1818年に生まれ1883年に亡くなっている。資本論第1巻の執筆を開始したのが1863年、刊行されたのが1867年だ。マルクスの死後、エンゲルスの編集によって第3巻が刊行されたのが1894年である。第1巻の初版は千部だったという。本書は資本論第1巻の肝と思われる部分を日本語訳で紹介し、その後に佐々木の解説が付されている。何しろ150年前、明治維新の前年に発行された書物である。資本主義も大きく変貌し、資本論もさすがに古くなっているのではと思いがちだが、佐々木の考えは全く違う。資本主義の本質が変わっていない以上、資本論の生命は続くのである。古典としてではなく資本主義の批判の書として。「資本主義が浸透すればするほど自動的に前近代的差別がなくなっていくのは幻想なのです。資本が極めて強い力を持っている現代の日本社会において、どれだけ前近代的な前近代的な女性差別がしぶとく生き残っているかを思い出すだけでも、このことは容易に理解できるでしょう」「『新自由主義的』諸政策の本当の目的は、経済成長ではなく、社会保障などを含めた労働者の実質的な取り分を減少させることにより、剰余価値率を高め利潤率の低下を補うことにあるのです」……。それはそうなのだが。マルクスの時代のイギリスの工場労働者は1日16時間労働、土曜日は8時間労働であった。現在は完全週休二日制、1日8時間労働である。今後、ITやロボットの活用により、労働時間はさらに短くなると言われている。私はこうした現象を労働者は好意的に受け止めるべきだと思っている。確かに非正規雇用の増大など「新自由主義的」矛盾も目に付くが。

5月某日
監事をしている一般社団法人の監事監査で虎ノ門へ。もうひと方の監事と説明を受ける。この一般社団法人ではキャッシュレス化が進んでいるのに感心した。もっとも社会では普通のことかも知れないとも思う。何しろ私がビジネス社会を引退して5年も経過しているのだ。監事監査を終えて虎ノ門から新橋方面をうろつく。私が年友企画に入社する前は烏森口にあった日本プレハブ新聞社という会社で、業界紙の記者をしていた。烏森口の呑み屋さんには随分と世話になったものだ。本日は17時からお多幸新橋店で社会保険出版社の高本夫妻と会食。高本さんにすっかりご馳走になったうえ、高級ウイスキーやお菓子などのお土産をいただく。

モリちゃんの酒中日記 4月その4

4月某日
「ゼロからの『資本論』-一番わかりやすいマルクス入門」(斎藤幸平 NHK出版新書 2023年1月)を読む。これでも私は1960年代末から70年代初頭にかけて学生運動に積極的に参加し、世間からは過激派などと呼ばれたものです。当時の学生運動を担っていたのは左翼で、今では信じられないが共産主義や社会主義の実現のための学生運動だった。マルクスやレーニンの書物は必読書で、勉強嫌いな私でもマルクス、レーニンのいくつかは読んでいた。当時は初期マルクスの疎外論が人気で私も「経済学哲学草稿」「ドイツイデオロギー」は読んだ記憶がある。さてあれから50年以上が経過して再びマルクスに脚光が浴びようとしている。仕掛人の一人が本書の著者の斎藤幸平で前著の「人新世の『資本論』」はベストセラーとなり、斎藤も職場が大阪市大から東大へと「出世」した。
マルクスは大学で博士号を取得した後、ライン新聞で編集者として働き始め、木材討伐の記事に健筆を揮う。暖房や煮炊き用に枯れ枝を拾う人が検挙されたことに抗議し、批判したのだ。枯れ枝は当時の人々にとっての共有財産=社会的富だったのである。「かつては誰もがアクセスできる〈コモン〉(みんなの共有財産)だった『富』が資本によって独占され、貨幣を介した交換の対象、すなわち『商品』になる」「例えば飲料メーカーが、ミネラル豊富な水が湧く一帯の土地を買い占め、汲み上げた水をペットボトルに詰めて『商品』として売り出してしまう」と斎藤は批判する。これは旧ソ連や中国などの社会主義国でも同様である。斎藤はこれらの「社会主義国」を民主主義の欠如した「政治的資本主義」「国家資本主義」と規定する。そして「格差や搾取、戦争や暴力、植民地支配や奴隷制の問題に向き合い、国家の暴走に抗いながら自由や平等の可能性を必死に考えようとした思想家たちの、知恵と想像力から学ぶことが求められます」と訴える。衆院補欠選挙と統一地方選では共産党と立憲民主党が後退し、維新が躍進した。古い左翼は没落し、都市型の改革型保守が票を集める。ファシズムの予感とならないことを願うのみである。

4月某日
「また会う日まで」(池澤夏樹 朝日新聞出版 2023年3月)を読む。四六判で700ページを超す大著だが、大変面白く二日で読み切ってしまった。年金生活者ですから時間だけはたっぷりとあるのです。海軍兵学校出身で軍艦勤務の後、海軍水路部で長く海図の作成や気象学などに携わり、終戦時には海軍少将だった秋吉利雄の物語である。と同時に九州福岡にルーツを持つ一族の物語でもある。池澤夏樹は1945年に北海道帯広に生まれる。父は小説家の福永武彦、両親の離婚により母と上京、母親の再婚により池澤姓となる。本書には福永武彦も実名で登場する。秋吉は水路部で海軍軍人という身分ながらむしろ研究者としての道を歩み、性格も温和だった。その秋吉はまた熱心な聖公会の信者でもあった。戦前、戦中の軍国主義下でのキリスト教信者であり海軍将校という立場。加えて海軍兵学校を出た後、東大理学部で物理学を学んだ自然科学者としての立場。この立場が物語に陰影を与えていると思う。池澤夏樹の母親の再婚相手の池澤さんを私は知っている。確か池澤喬さんといって知り合った頃はコーポラティブハウスの普及に尽力されていた。秋吉が通った聖公会三光教会は白金三光町にあった。震災の翌年、司牧者となったのが野瀬秀敏師とある。私が業界紙の記者をやっていたときの同僚が野瀬善郎さんといって確か牧師の息子であった。秀敏師と関係があるかも知れない。残念なことに善郎さんは10数年前に亡くなっていて確かめるすべがない。というようなわけで、この小説は私にいろいろなことを思い出させてくれた。

4月某日
「老人ホテル」(原田ひ香 光文社 2022年10月)を読む。我孫子市民図書館で借りたのだが、人気があるらしく裏表紙に「この本は多くの人の予約が入っています。なるべく1週間くらいでお返しください」という赤い紙が貼ってある。確かに面白く私は1日で読み終わってしまった。主人公は天使、エンジェルという名の元キャバ嬢。日村天使、本名である。大宮の老人が多く宿泊している通称、老人ホテルで清掃のアルバイトをしている。宿泊客で金を持っていると思われる老婆、光子に財産目当てで接近するが…。天使は逆に光子からお金の大切さを学ぶことになる。高校中退の元キャバ嬢の自立の物語である。私は原田ひ香原作のNHK「土曜ドラマ」「一橋桐子(75)の犯罪」も昨年、楽しみに観ていた。原田は1970年生まれだが、高齢者の心理を巧みに描いていると思う。

4月某日
「人物ノンフィクションⅠ 1960年代の肖像」(後藤正治 岩波現代文庫 2009年4月)を読む。著者の後藤は1946年生まれ、京都大学農学部卒のノンフィクション作家。私は前のこの人の茨木のり子の評伝を読んだことがある。本書には次の5つの人物ルポが掲載されている。「滅びの演歌-藤圭子」「黄金時代-ファイティング原田」「君は決して一人ではない-ビートルズ&ボビー・チャールトン」「海を流れる河-吉本隆明」。ルポの対象を肯定的に表現しているのが私には心地よい。とくにファイティング原田は前向きで明るい青年ボクサーとして描かれている。まだ貧しかった時代である。原田は中卒で米屋で働きながらボクシングジムで修業する。藤圭子もビートルズも貧しかったが演歌とポップスで才能を開花させる。吉本隆明はどうか?吉本は東京工大卒業後、いくつかの中小企業に勤めるが組合運動を理由に職場を追われる。職を探しながら詩作と評論を手がける。60年代って高度経済成長の入り口で、貧しさは普遍的であった。ただ私の記憶によれば経済的な格差は今ほどひどくはなく、かなり平等に貧しかったと思う。

モリちゃんの酒中日記 4月その3

4月某日
我孫子駅で上野行きの快速電車を待っていたら品川行が来た。乗車して東京駅で下車、ふるさと回帰支援センターの高橋ハム理事長に電話する。「来いよー」ということなので有楽町の交通会館へ。呑み会の打ち合わせ。大谷源一さんに連絡して御徒町駅北口で待ち合わせ。大谷さんの馴染みの居酒屋へ。

4月某日
「大きな字で書くこと 僕の一〇〇〇と一つの夜」(加藤典洋 岩波現代文庫 2023年3月)を読む。加藤典洋は1947年生まれで私と同年。しかし4月1日生まれなので学年は1年上。確か山形東高を卒業して現役で東大に入学、東大で全共闘運動に参加し、大学は6年かけて卒業した。大学院の入試にも落ち、就職試験にもすべて落ちて国立国会図書館に就職する。全共闘運動への参加と就職試験にすべて落ち、というところに私は勝手に親近感を抱いている。加藤は明治学院大学と早稲田大学で教え定年退職した後、2019年に71歳で死んでいる。加藤の本との出会いは数年前の我孫子の青空市、数冊の古本が出展されていたなかに加藤の「戦後入門」(ちくま新書)があった。それ以来、図書館で加藤の本を見つけては読んでいる。私にとって加藤の文章は魅力的だが難解。しかし死後に編集された本書は短い文章を集めたこともあって、非常にわかりやすい。私には戦前に山形県の特高警察に勤め、戦後は警察署長にもなった実父のことを書いたエッセーが気に入っている。私も含めて学生運動に参加した学生は大なり小なり親との葛藤を抱えていた。その中で最大のものは親が警察官だ。加藤も加藤の父親もそのことから逃げることはなかった。

4月某日
週2回のマッサージの日。「モリタさん、ずいぶん凝ってますね」と言われる。思い当たることはある。テレビの観すぎ。昨日の夕方、「孤独のグルメ」「YOUは何しに日本へ」「鶴瓶の家族に乾杯」「呑み鉄本線日本旅」と4時間半ほどテレビを観続けた。長時間テレビを見た後はストレッチしましょう! マッサージのあと床屋。いつも通っていた近所の床屋が今年に入ってから閉店してしまい、1月から成田街道沿いの床屋にしている。近所の床屋さんは私より年長だったが、今度の床屋さんはかなり若そう。3500円。床屋さんのあと「コビアン」で食事。Aランチ770円(税込み)。
「BAD KIDS」(村山由佳 集英社文庫 2022年10月)を読む。初出は「小説スバル」
1994年2、5~7月号で単行本は94年7月に集英社から刊行されている。村山由佳は64年7月うまれだから、この小説を構想、執筆したのは20代最後の頃ではないだろうか。主人公及び主人公の友人たちは高校3年生。ラグビー部の隆之、プロの写真家を目指す都が主人公とくれば、青春小説となるが、この小説は単純に青春小説という枠には収まり切れない。隆之はラグビー部の親友に恋心を抱き、都の従兄で著名なピアニストの篠原光輝はゲイを公言している。最近、性的マイノリティに対する市民的権利への配慮などが言われ始めているが本書が構想、執筆されたのは30年前である。村山由佳は当時から「進んでいた」と言わざるを得ない。

4月某日
「ミス・サンシャイン」(吉田修一 文藝春秋 2022年1月)を読む。図書館で借りて、家で改めて本書を手に取ると「あっこの本読んだことがある」と気がつく。奥付からすると一年くらい前に読んだことになるが内容はほとんど覚えていない。以前は自分の記憶力の減退にショックを受けたものだが、現在は少し違う。中身を覚えていないということは新しい本を読むと同じこと、新鮮な気持ちで読めると思うことにした。本書の主人公は大学院で映画、演劇史を学ぶ岡田一心。指導教官から紹介されて往年の大女優、和楽京子の荷物を整理するアルバイトをすることになる。アルバイト中に和楽京子(親しい人からは鈴さんと呼ばれている)から彼女の生い立ちや長崎での被爆体験が明かされる。女優となった京子はハリウッドにも招かれアカデミー賞の候補ともなり、女優として絶頂期を迎える。しかしこのとき彼女は、同じく被爆した親友の佳乃子を原爆症で失う。一心も喫茶店のウエイトレスと恋に落ちるがやがて相手は去っていく。一心には小学校5年生のとき9歳の妹を失った過去がある。本書は死、別離と再生の物語である。帯に「鈴さんの哀しみが深く伝わってきました」という大女優、吉永小百合の言葉が紹介されている。深く納得!

4月某日
「82年生まれ、キム・ジヨン」(チョ・ナムジュ 筑摩書房 2018年12月)を読む。発行当時かなり話題になった本だが、遅ればせながら図書館で借りた。一読して大変面白いと感じた。主人公はタイトルの通り1982年生まれの韓国女性のキム・ジヨン。父親は公務員で母親は専業主婦だが、この母親の描かれ方にこの小説のテーマが潜んでいる。父親は早期退職し、退職金を元手に商売を始めるのだが、商売の主導権は完全に母親が握る。父親が公務員時代の仲間と呑んで家に帰ってから、仲間の中でオレが一番の成功者だったと自慢するが、母親に「おかゆ屋も私がやろうって言ったんだし、このマンションだって私が買ったんだ。(中略)私と子供たちに感謝してよね。酒臭いから今日はリビングで寝てちょうだい」といなされる。韓国社会で女性が困難さの中で自立を果たして行く物語と一言で言うとそうなるのだが、韓国社会に残る差別的・封建的な遺制とか、それと密接につながると思われる少子化の問題など、日本にとっても他人事とは思えない問題を、深刻にかつユーモアを交えて描いている。

モリちゃんの酒中日記 4月その2

4月某日
大学のときの同級生で今、西新橋の弁護士ビルで事務所を開いている雨宮弁護士を訪問。少し遅れて同じ同級生の内海君が来る。3人で弁護士ビルの1階にある割烹「舞」に行く。ビールで乾杯した後、日本酒をいただく。内海君は飲めないのでウーロン茶。お刺身の盛り合わせや鴨鍋などをいただく。私たちは1968年の入学で1972年に卒業した。確か1年28組でクラスには50人以上が在籍していた。学生運動が盛んな時期で私たちのクラスも民青系と反民青系に分かれていた。クラス委員の選挙では私がいつも民青系の清君に大差で負けていた。秩序派が民青と手を結んだためである。しかし雨宮、内海、そして岡、島崎、小林、吉原君、女子では今は清君の奥さんになっている近藤さん、私の奥さんの小原さんは私を支持していてくれた。あれから50年以上経っているけど、元気なうちは一緒に酒を呑みたいね。

4月某日
「無人島のふたり-120日以上生きなくちゃ日記」(山本文緒 新潮社 2022年10月)を読む。著者は1962年生まれ、2001年「プラナリア」で直木賞、「自転しながら公転する」で中央公論文藝賞を2021年に受賞する。2021年4月、著者はステージ4bの末期の膵臓がんと診断される。本書はその年の5月から亡くなる10月までの日記である。私も何人かの友人をがんで亡くしている。会社の同僚だった大前さんや本田さん、年住協の部長から結核予防会の専務になった竹下さんがそうである。今回、本書を読んで末期がん患者の心理の一端を知ることができた。末期がんの患者を見舞うのは辛いことである。そのため私は見舞いを控えた記憶がある。しかし辛いのは何よりも患者本人であることが本書を読んでよく分かった。

4月某日
「結婚は人生の墓場か?」(姫野カオルコ 集英社文庫 2010年4月)を読む。主人公は小早川正人、大手出版社に勤務し、年収は1000万円以上。普通は人も羨む境遇である。だが小早川の実情は違う。ローンに追われ、仕事に追われ、趣味の散歩すらままならない日常。姫野カオルコは「結婚は人生の墓場である」と言いたかったのか?まぁそれもあるかも知れないが私としては、人生の幸福は収入や勤め先にあるのではなく、家族や友人たちに恵まれることではないか、と思ってしまう。姫野さん、違いますかね?

4月某日
家にあった村田沙耶香の小説を2冊続けて読む。「地球星人」(令和3年4月 新潮文庫)と「消滅世界」(2018年8月 河出文庫)。「地球星人」は家族と馴染めない少女、奈月が主人公。毎年夏におばあちゃんのいる長野へ家族旅行する。そこで会ういとこの由宇と結婚の約束をしている。奈月は塾の講師から性的いたずらを連続して受け、講師を殺害するが事件は迷宮入りに。10数年後、長野の家に由宇が移住しそこを奈月が訪れる…。「消滅世界」は近未来の東京が舞台。夫婦のセックスは近親相姦として禁止され、妊娠は性交によらず人工授精が原則。主人公の雨音によると「家族というシステムは、生きていく上で便利なら利用するし、必要なければしない。私たちにとってそれだけの制度になりつつあった」ということだ。性や家族が村田沙耶香のテーマなのだ。「消滅世界」を読んでいて私は全体主義国家の社会を連想してしまった。出産さえも、そしてセックスさえも国家にコントロールされる社会だ。少子化に歯止めがかからない日本では出産一時金の増額などが実施されるようだが、私にはちょいと「いやな感じ」。

4月某日
「女たちのジハード」(篠田節子 集英社文庫 2000年1月)を読む。単行本は1997年1月に発行され、本作で同年の直木賞を受賞している。中堅損保会社に勤めるOLたちの暮らし、恋、夢を描く連作が13編。本作が出版された97年は今から26年前、当時のOLの暮らしはほぼ30年ほど前のものと考えていいだろう。小説中に携帯電話は登場しないのが、現在の暮らしと違うくらいで、それ以外はまったく古びていない。当時とは格段に女性の社会進出が進んでいるが、社会の意識はそれに追いついていないように思う。解説は田辺聖子先生。田辺先生が解説を書いたのは70歳くらいのときか。田辺先生が大阪の働く女たちを活き活きと描写した小説を執筆したのは半世紀ほど前のことだろうか、携帯電話などもちろんなく、女たちは親と同居か四畳半の風呂無しアパートに住んでいた。でも田辺先生の小説は未だに香気を失っていない。「女たちのジハード」も同様である。

4月某日
「ミライの源氏物語」(山崎ナオコーラ 淡交社 2023年3月)を読む。著者の山崎ナオコーラはフェミニズム系の小説家と思っていた。それはそれで大きく間違ってはいないと思うのだが、本書は山崎の視点からの現代的な源氏物語論。ルッキズム、ロリコン、マザコン、ホモソーシャル、貧困問題など14の視点からの源氏物語論だ。山崎は國學院大學日本文学科卒で卒業論文は「『源氏物語』浮舟論」。私などと違って真面目に授業を受けていたようで本書でも各章に源氏物語の原文とそれにたいするナオコーラ訳が添付されている。源氏物語は私の浅薄な理解では光源氏という地位も財産もある持て男が、多くの女性と恋愛をしまくる話だが、山崎はその源氏物語をジェンダーの観点から読み解いて行く。源氏物語の冒頭は「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらいたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありける」という有名な文章から始まる。桐壺帝に寵愛された桐壺更衣の紹介である。桐壺帝と桐壺更衣の間に生まれたのが光源氏。桐壺更衣は早世し、光源氏によって理想化され、山崎によれば「ゆがめられていく」のだが、山崎の見立てではそこにこそ真実がある。「どの性別であろうと、誰だって、世間の中でゆがめられています。世間の中でしか自分の形を作れません。…みんな他者の視点によって、自分の姿を形作られています」。

モリちゃんの酒中日記 4月その1

4月某日
「孤塁-双葉郡消防士たちの3.11」(吉田千亜 岩波現代文庫 2023年1月)を読む。双葉郡とは福島県浜通りの郡の名で南をいわき市、北を南相馬市に接する。双葉消防本部は、広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村の6町、2村からなる双葉地方広域市町村圏組合の、組合事業の一つとして消防業務を行っている。本書は2011年3月11日に発生した東日本大震災と福島第1原発の事故に不眠不休で対応した消防士たちのドキュメントである。私はこの本を読むまで福島県南部の沿岸部で、震災時に多くの消防士たちの死を覚悟した救援活動があったことを知らなかった。あらためて医師や看護師、警察官や自衛官と並んで消防士その他のエッセンシャルワーカーに敬意を表したい。私は震災2カ月後に取材でライター、カメラマン、編集者と一緒に石巻に入った。仙台を早朝にカメラマンの運転するレンタカーで立ち、石巻の被災地や避難所を取材した。その後も気仙沼や山田町、そして本書に出てくる双葉郡を訪れたのだが、消防士たちの活躍を知ることはなかった。これはたぶん私だけの問題ではないと思う。戦災を含む災害の取材には情報の制約が付きまとう。取材者は限られた情報の中から一部を取り出して市民に情報を届けざるを得ない。その意味では著者の吉田が、災害後、数年たってからこの取材を始めたことは、災害の記憶をより深く留めることになったと思う。

4月某日
4月になって最初の日曜日。「天気晴朗なれども花粉多し」である。外出を控えてテレビと読書に専念する。BS1で六角精児の「呑み鉄本線日本旅」を観る。今回は新潟県に次いで造り酒屋が多い長野県を旅する。長野といえば蕎麦も有名、六角さんは蕎麦屋も訪れ、蕎麦とともに日本酒を堪能する。日曜日2時からはフジテレビでドキュメンタリー番組を観るのが恒例。今日は18歳で栃木から浅草のフレンチレストランに務めることになった女性の2年間を追った。結局、彼女はレストランを辞めてしまうのだが、私の20歳の頃を想うと「しかたないよ。またがんばりな!」と声を掛けたくなってしまう。
「花粉症と人類」(小塩海平 岩波新書 2021年2月)を読む。今年の花粉の飛散量は去年の10倍とか言われている。イングランドの牧草花粉症、アメリカのブタクサ花粉症と日本のスギ花粉症はあわせて世界の三大花粉症といわれているらしい。米英をはじめとした先進国の花粉症研究の紹介が手際よくなされている。そのうえで「ヴィクトリア朝後期はイギリスの上下水道が整備された時期であり、環境衛生が向上して感染症や寄生虫が減ったこと、また富裕層における牛肉や羊肉、ミルクやチーズの摂取量が増え、免疫に関するタンパク質量が増加したことなども、花粉症患者増大の引き金となったはずである」と述べている。要するに文明化が花粉症患者増大の一因という考え方だ。私は深く共感する。私の考えではコロナも武漢郊外の森の深くに潜んでいたウィルスが、開発を要因として人類と接触したのが地球規模の大流行の始まりではないか。自然との共存、人類以外の生きものとの共存が今こそ求められている。

4月某日
「日本神話はいかに描かれてきたか-近代国家が求めたイメージ」(及川智早 新潮社 2017年10月)を読む。明治維新により政権は徳川幕府から新政権へ移行した。新政権の頂点には幼い明治天皇が就いたが、政権としては支配の正当性を明らかにする必要があった。教育現場でも江戸期には顧みられることのなかった「古事記」「日本書紀」の神話が天皇の国土統治の由来を説くものとしてとりあげられることとなった。その際、多くの国民にイメージを提供したのが画像である。著者は主として戦前期の教科書や商品パンフレットに残された画像を収集、分析して解析を加えている。イナバのシロウサギ伝説は記紀に由来するが、この物語でシロウサギに騙されるワニとは何を指すのか。2説があって日本には生息しない熱帯由来の鰐なのか、あるいは鮫や鱶の類いなのか。著者は「ワニという概念は、鰐であり、鮫であり、海蛇であり、龍であったといえよう。つまり、それらすべてを含む、水に棲む威力のある想像上の存在を指示する語としてあったとするべきである」と断言する。ワニが現実の生物である鰐か鮫であるかを議論するのは「近代的合理主義」というのである。私は著者の見解に賛成である。

4月某日
「無限の玄/風下の朱」(古谷田奈月 ちくま文庫 2022年9月)を読む。古谷田奈月は我孫子出身。というわけで最新作の「フィールダー」も読んだけれどあまりよく理解できず。「無限の玄」は文庫の裏表紙のコピーによると「ブルーグラスバンド『百弦』のリーダーにして一家の長である宮嶋玄は、家でひとりで死んだにもかかわらず、なぜか毎日蘇っては死に続ける。その不条理な繰り返しに息子たちは蝕まれていく」、「風下の朱」は同じく「魂の健康を求めて野球部を作ろうとする侑希美さんの下に集まった私たちは、しかし理想と現実の間で葛藤する」となっている。「無限の玄」の登場人物は男性だけ、「母の不在」もテーマか。一方、「風下の朱」は女子大が舞台だけに女性だけが登場する。こちらは「男性性の不在」がテーマか。というかむしろ「女性性」とは何かに迫っているような気もする。しかし著者の野球の知識は半端ではない。

4月某日
「丸の内線療法少女ミラクリーナ」(村田沙耶香 角川書店 2020年1月)を読む。表題作を含め4編の中編小説が掲載されている。表題作は小学校3年生から魔法少女ミラクリーナに変身できるようになった30代の女性会社員茅ヶ崎リナが主人公。もちろん実際に変身することなど不可能なのだが、リナは変身を装うことにより難関を回避してきた実績がある。たとえば急な残業を頼まれたときも、秘かにミラクリーナに変身し笑顔で残業を引き受ける。小学校以来の変身仲間のレイコの同棲相手も変身ゲームに加わることになるのだが。村田沙耶香は性の問題に取り組んできた小説家と思うが、この表題作に限りセックスの話は後景に退く。一種のよくできたドタバタ劇として私は読んだのだが、それはそれで快適な読後感であった。他の3つの中編、「秘密の花園」「無性教室」「変容」は著者が年来のテーマとする性が主題。表題作を含め「クレイジー沙耶香」の面目躍如ということか。古谷田奈月は我孫子市出身だが、村田沙耶香は我孫子市の東北に位置する印西市の出身である。

4月某日
「マルクス-生を呑み込む資本主義」(白井聡 講談社現代新書 2023年2月)を読む。白井聡は1977年生まれの政治学者なんだけど、本書を読むと白井のフィールドは政治学に止まらずもっと広い。本書ではマルクスの思想を「経済学哲学草稿」「共産党宣言」「経済学批判」「資本論」などの著作から拾い上げ、現在の日本や世界の動向を考えながら解説している。「はじめに」で「資本主義は近代文明社会を築き上げたが、その資本主義のメカニズムによって文明に終止符が打たれようとしている」とし「このメカニズムを最初に見抜き、徹底的に解明したのがマルクスだった」としている。マルクスの思想の淵源はヘーゲルにある。マルクスはヘーゲル左派のフォイエルバッハを批判することによって宗教一般の批判、さらに資本主義批判を行う。「資本主義社会では労働力が商品化され、労働過程とその生産物が利潤追求の道具となるために、働く者は自らの労働の主人公でなくなってしまう」のだ。マルクスは、「人間による人間の支配がある限り、それは本来の意味での人間社会ではない」「その支配がなくなったときはじめて、人間の本当の意味での歴史が始まる」とし、「共産主義社会とは、そのような支配なき社会を指すものだ」とする。共産主義を目指す政党や組織はそこのところを本当に理解しているのだろうか。

モリちゃんの酒中日記 3月その4

3月某日
「思想史の相貌-近代日本の思想家たち」(西部邁 世界文化社 1991年6月)を読む。先週読んだ「日本の保守とリベラル」(宇野重規)では福沢諭吉や福田恒存について多く論じられていた。福沢諭吉はリベラリストとして福田恒存は保守派として論じられていた。そういえば西部に福沢や福田を論じた本があったなと本棚の奥から探してきたのが本書である。本書が書かれたのは今から30年以上前だが、一読してまったく古さを感じなかった。60年安保ブントを率いた西部は、現在も革共同全国委員会の議長を務める清水丈夫と確か東大経済学部の同期で親しかった筈。それはさておき本書では保守の水脈の先端に福田恒存がいるのに対し、その起点には福沢諭吉がいる、としている。諭吉といえば、幕臣から明治新政権の高位に着いた勝海舟と榎本武揚を批判した「瘦我慢の記」があるが、本書では勝や榎本が「荷物をば担わずして休息する者」の代表者とみえたからである、としている。福田恒存については私は彼の著作を読んだことがないので論評はできない。しかし「あとがき」で「何を隠そう、私の思想の師は福田恒存その人なのであり、本書を携えて氏にお会いさせてもらうべく大磯に出かける楽しみが私を待ってくれているわけなのである」と記しているのを読むと、西部の福田への傾倒ぶりがうかがえるというものだ。

3月某日
「僕の女を探しているんだ」(井上荒野 新潮社 2023年2月)を読む。帯に「大ヒットドラマ『愛の不時着』に心奪われた著者による熱いオマージュの物語」とある。「愛の不時着」は観ていないのですが、仄聞するに「北朝鮮に不時着した韓国の令嬢と北朝鮮将校の恋物語」らしい。本書は9編の恋物語の連作。共通するのは「イ…」と名乗る長身、イケメンが恋物語の主人公を助けてくれること。彼は異国出身で日本に来てから日が浅い。韓国出身とは明示されていないが、「イ…」と名乗ることから韓国から来たことが示される。彼は愛する人を探しに日本に来た。タイトルがそれを示している。瑞々しい恋の物語に私はすっかり感動してしまった。今年75歳になるんですが、まっいいか。

3月某日
「この世界の問い方-普遍的な正義と資本主義の行方」(大澤真幸 朝日新聞出版 2022年11月)を読む。本書は朝日新聞出版の月刊PR誌「一冊の本」の連載を再編集し、加筆したものという。内容は「ロシアのウクライナ侵攻」「中国と権威主義的資本主義」「アメリカの変質」「日本国憲法の特質」の4章建て。東大社会学の見田宗介ゼミの出身。本書を読む限りについては大澤の主張には反対すべきものはなかった。ロシアにとってウクライナは「ほとんどわれわれ」だったが、そのウクライナが親西欧の大統領を選択しEUやNATOへの加盟を準備しているという―これをロシア、プーチンは許容できなかったのだ。その根底にあるのは「プーチンの、(さらに一般化すれば)ロシア人の、ヨーロッパ(西側)に対する劣等感とルサンチマンだ」としている。この劣等感を解消させるのは「自らがヨーロッパ以上のヨーロッパたりうることを示し」、自国政府つまりプーチンとその政府を「打倒し、戦争を終結させることである」と宣言する。私が思うにロシアのウクライナ侵攻は日本帝国の韓国併合、中国大陸侵略、満洲国建国を思い浮かべさせる。さらに大澤は日本人および日本の政治家に対し、ウクライナの側に立つにあたって、「それが国益にかなっているかだけを考えている」「何がグローバルで普遍的な正義に貢献できるのか、という観点を持っていない」と批判する。ウクライナを訪問した岸田首相のお土産が必勝と書かれた広島のシャモジだったという。「グローバルで普遍的な正義」のカケラも見られないではないか。
中国の現状を権威主義的資本主義とする大澤は、資本主義が発展すると「ある段階で、十分な生産力の発展を阻害するものになる。このとき、(資本主義的な)生産関係を変える革命が起き、社会主義が到来する」というマルクス主義の法則をあげ、中国ではまったく逆のことが起きているとする。中国では「社会主義的な生産関係が、生産力の発展に桎梏となっていた」ために、「改革開放」によって「生産関係を、資本主義的なものへ転換した」のである。大澤が危惧するのは権威主義的資本主義は中国だけでなく資本主義の本家たる米国にも及ぼうとしていることだ。GAFAMに代表されるIT企業は「サイバースペース上の私的所有権を活用して利益を得ている」。この私的所有権は国家権力によって保障されている。これは「権威主義的資本主義ではないか」というのが大澤の危惧である。大澤は「資本主義の行き着く先が、権威的資本主義であるとすれば、結局、求める社会は、資本主義そのものの超克を含意していることになる」と主張する。どうするニッポン、日本資本主義。

モリちゃんの酒中日記 3月その3

3月某日
監事をしている一般社団法人の理事会が東京駅近くの貸会議室であったので出席する。会議の冒頭、弁護士でもある会長さんが再審の期待される袴田事件に触れた挨拶をした。弁護士だけに正義感が強いのだろう。理事会終了後、上野の東京博物館へ。特別展で京都の東福寺の寺宝が展示されていた。仁王像など鎌倉期の彫刻に圧倒される。谷中を通って根津へ。千代田線で我孫子へ、我孫子駅北口の「やまじゅう」で一杯。

3月某日
「裏表忠臣蔵」(小林信彦 新潮文庫 平成4年11月)を読む。忠臣蔵、子どもの頃、正月に映画で何回か観た記憶がある。確か浅野内匠頭が中村錦之助、大石内蔵助が片岡千恵蔵だったような。NHKの大河ドラマでもやったかなぁ。大石内蔵助が長谷川一夫ね。ただ私たちの知る忠臣蔵は歌舞伎の忠臣蔵をもとにした映画やテレビドラマのイメージで史実とは異なっている。本書は事件当時の関係者の日記や記録をもとにして批判的な考証が加えられているのが特徴。赤穂の浅野家では士分以上の者が二百十余騎あったが、五万石の家中の標準が七十騎だから通常の3倍の軍備を持っていたことになる。過剰な軍備を支えるために領民に過酷な負担を強いた。内匠頭が切腹したとの報を耳にした多くの領民は快哉を挙げたという。ちなみに著者の小林は今年90歳になる。長命ですね。

3月某日
「物価とは何か」(渡辺努 講談社選書メチエ 2022年1月)を読む。10年前、財務省出身の黒田東彦氏が日銀総裁に就任し、2%の物価上昇を2年で達成すると公約した。昨年まで物価上昇率は0%近辺で上下して公約は果たされることはなかった。ところが今年1月の消費者物価指数(CPI)は104.3で前年同月比4.7%上昇した。円安で輸入物価が上昇したことに加えてロシアのウクライナ侵攻による原油高が影響しているようだ。日銀が苦労しても実現できなかった2%の物価上昇をウクライナでの戦争が実現させてしまった。本書が執筆されたのは2021年であり、物価の上昇が起きる前だ。しかし東大経済学部卒業後、日銀に勤務しその後、東大大学院経済学研究科教授を務める著者は、物価のメカニズムについて丁寧に説明してくれる。とは言え経済学の素人の当方としては著者の言説を理解できたとは言えない。私が理解できたのは「インフレもデフレも気分次第」ということと、それを裏付けるベン・バーナンキFed議長の「中央銀行の行う金融政策は98%がトークで、アクションは残りの2%に過ぎない」という発言くらいである。

3月某日
「日本の保守とリベラル-思考の座標軸を立て直す」(宇野重規 中央公論新社 2023年1月)を読む。昔と言うか20年くらいまでは「保守とリベラル」という言い方はしてこなかった。保守vs革新という図式で保守は自民党が代表し、革新は社会党、次いで共産党が代表していた。東京都や大阪府、京都府、大阪市や横浜市に社共共闘をベースに革新系の知事や市長が誕生したのは半世紀も前である。リベラルという言葉が頻繁に使われ出したのは社会党がほぼ消滅し民主党が政権をとった頃かも知れない。著者の宇野は思想としてのリベラルに注目し、福沢諭吉や石橋湛山、丸山眞男や丸山の師、南原繁をリベラルの系譜に登場させている。それ以外でも鶴見俊輔、清沢冽があげられている。一方の保守では代表的知識人として福田恒存を挙げている一方で、伊藤博文を「明治憲法を前提に、その漸進的な発展を目指したという点では、伊藤は近代日本における『保守主義』を担ったといえる」と評価している。宇野の分析で興味深いのは「保守リベラル」という視点である。戦後、短期間ではあったが政権を担当した石橋湛山をはじめ、池田勇人を淵源とする宏池会の面々が「保守リベラル」に相当する。大平正芳、宮澤喜一、加藤紘一などであり、現首相の岸田文雄もそれに連なる。宏池会は岸信介から安倍元首相に至る清話会が軍備の増強をはじめタカ派路線をとるのに対して軽武装と経済重視の路線を掲げた。岸田首相がどれほど宏池会の路線を継承しているか、疑問の残るところではある。しかし昨日来、報じられている「ウクライナへの電撃訪問」の記事を読むと、多少の期待は残るのである。宇野が福沢諭吉と福田恒存を評価しているのを読んで、西部邁もこの2人を評価していることを思い出した(「思想史の相貌-近代日本の思想家たち」 1991年6月 世界文化社)である。

3月某日
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の決勝戦が日米で戦われた。朝7時からのTV中継を観ていたら歯医者の予約時間が来てしまった。家から歩いて7~8分の石戸歯科クリニックを訪問。診察台に着席すると歯科衛生士のお姉さんが「森田さん、野球観てましたか?」と聞くので「大谷が内野安打で一塁に行ったところまで」と答える。「帰ったらゆっくり観てください」と言われる。歯医者から帰るとすでに決着は着いていて3対2で日本の勝利であった。降圧剤がなくなったので15時過ぎに中山クリニックへ。「どうですか?」「はぁ花粉症が…」「花粉症の薬を出しておきましょう」。中山クリニックから大手薬局チェーンのウエルシアへ。家に帰って外出の準備。本日は18時に根津で友人の石津さんと待ち合わせ。18時ちょうどに石津さん登場。初めて行く中華「安暖亭」へ。割と安くて美味しい店だった。

モリちゃんの酒中日記 3月その2

3月某日
「大塩平八郎の乱-幕府を震撼させた武装蜂起の真相」(中公新書 薮田寛 2022年12月)を読む。大塩平八郎の乱自体は歴史的な事件として記憶に残っている。しかし、江戸末期に大阪の奉行所役人だった大塩という人が窮民救済を目的に乱を企て失敗した、という知識しかなかった。だから新書とは言え、大塩の個人史や当時の知識人や豪農、商人の生活や考え方を学べたのは上出来である。大塩は大坂町奉行所の与力であった。与力とは奉行所の役職で配下に同心を抱えた。江戸町奉行で言えば与力25人に同心100人が配属された。現代の警察に例えれば、警視総監=町奉行、警視=与力、警部=同心、巡査部長=岡っ引、巡査=下っ引きというところであろうか?しかし本書を読むと大塩と言う人が並みの与力ではなかったことがわかる。与力としても優秀で当時禁制であった切支丹や不正無尽を摘発したりしている。しかしそれよりも特筆すべきは大塩が当代一流の知識人だったことである。自宅に洗心洞という私塾を開いたことからすると教育者でもあった。当時の知識人の常として書も漢詩もよくしたらしい。一流の知識人、頼山陽や渡辺崋山とも交流があった。理財の才もあったようで、江戸の官学のトップだった林家にも融資の斡旋を試みている。大塩が決起した背景には天明の飢饉がある。さらに江戸、大阪など大都市における貨幣経済の隆盛=貧富の差の拡大もあったであろう。大塩の乱は一日で鎮圧されてしまうが、大塩は息子とともに市内に潜伏したあと自殺する。実は大塩は乱の前に江戸の幕閣に当てて建議書を送っていた。大塩はその返事を待っていたのではないかというのが著者の推測である。

3月某日
「窓」(乃南アサ 講談社文庫 2016年1月)を読む。単行本は1990年代に発行され、文庫本は99年に出版され、現在のは新装版。乃南アサは1960年生まれだから今年63歳。物語の主人公は聴覚障害のある高校3年生の女の子、麻里子。同じ障害のある聾学校生、直久と知り合うが、直久は聾学校の教師殺人事件に巻き込まれていく。解説では「優れた青春サスペンス」と持ち上げられていたが、私にはそれほど感じられなかった。私は前科持ちの二人の女性が主人公の「前持ち二人組」シリーズや新人巡査シリーズのほうが好きですね。「窓」にもユーモアの要素があるが、ちょいと暗め。

3月某日
「戦争と平和」(吉本隆明 文芸社 2004年8月)を読む。市立図書館の吉本隆明のコーナーに押し込まれていたのを見つけ借りることにした。「戦争と平和」「近代文学の宿命-横光利一について」と題する講演、そして【付録】として川端要壽という人が書いた「吉本隆明-愛と怒りと反逆」というタイトルのエッセーが収録されていた。「戦争と平和」という講演で吉本は政治的リコール権と経済的リコール権という話をしていた。前者は戦争の危機が迫った場合、国民は直接投票でときの政府に不信任を表明し退陣させるというものだ。後者は一種の不買運動である。これが可能になるのは現代の消費のうち半分以上が「つかわなければつかわなくてもいい」消費に使われているためである。バブル以降、日本が消費資本主義に移行したことを根拠にしていると思われる。エッセーを書いた川端は吉本と府立化工の同級生であった。このエッセーに登場する吉本はべらんめえ口調で完全に下町のおっちゃんであった。

3月某日
作家の大江健三郎が3月3日に亡くなっていたことが明らかにされた。88歳だった。大江は1935年愛媛県生まれ、58年に「飼育」で芥川賞を受賞。55年に「太陽の季節」で芥川賞を受賞した石原慎太郎(1932~2022)とは対照的な人生を送り、また作風も大きく異なっていたが、私はどちらも好きで高校生の頃からよく読んでいた。大江なら「死者の奢り」「飼育」、石原は「太陽の季節」「処刑の部屋」。二人が昨年、今年と続けて亡くなったことは戦後文学の終焉を象徴しているような気がする。私は現存する日本の作家では桐野夏生、川上未映子、柳美里なんかが好きだけれど彼女たちが大江や石原の系譜を継承しているとは思えない。

3月某日
「平成時代」(吉見俊哉 岩波新書 2019年5月)を読む。今年は2023(令和5)年だから、本書は元号が平成から令和に改元された直後に執筆が開始されたものと思われる。元号を使っている国は日本だけで、その日本でも西暦による表記が主流となっているとき、果たして「平成時代」と元号で一括りすることに意味があるのだろうか?という疑問に対して著者は「天皇在位との対応が偶然でも、なお「平成」を一つの「時代」として捉えるべき偶然以上の何かがある」として、平成の30年間は「何よりも「失敗」と「ショック」の時代だった」とする。失敗はIT戦略に乗り遅れ韓国や台湾の後塵を拝するようになった日本の家電業界が代表的であり、政治で言えば民主党政権の失敗は誰の目にも明らかだ。政策で言えば少子化を食い止めることが出来なかった人口政策があげられるだろう。ショックは阪神淡路大震災と東日本大震災があげられる。福島の原発事故による完全復興は12年経過した現在でもまだめどが立っていない。平成が始まった1989年、私は40歳だった。会社を引退したのが69歳、平成29年だったから、会社の中堅から社長を務めた30年間はほぼ「平成時代」と重なる。

3月某日
「忍ぶ川」(三浦哲郎 新潮文庫 昭和40年5月)を読む。本作は1960年の芥川受賞作で加藤剛と栗原小巻が共演した映画にもなっている。私はこの小説を読むのは初めてだが、終戦後何年もたっていない東京の下町を舞台にした「純愛小説」に「いいなぁ」と心から思った。物語は青森から上京して大学に通う「私」と料亭「忍ぶ川」に働く志乃との恋愛と結婚を描く。パソコンもスマホもなく二人の新婚世帯には電話すらない。しかし社会全体が貧しかった時代だし、若い二人は貧しさを苦にしない。それどころか希望に満ちてさえする。高度経済成長の結果、日本と日本人は飛躍的に豊かになった代わりに失ったものも多かった。そんなことを感じさせる小説であった。

モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
私は日本の社会主義勢力の硬直性と暴力性にはうんざりしている。先ごろ、日本共産党員が党首の公選制を主張して除名されたが、これなどは硬直性を象徴していると私は思う。一歩の暴力性は主として新左翼に見られる。中核派と革マル派の内ゲバ、ブントや解放派の分裂にともなう内ゲバ、連合赤軍のリンチ殺人…。中核派や革マル派は反スターリン主義を掲げるが、スターリンの粛清と同じようなことをやっているのではなかろうか?そもそもスターリン主義の淵源はレーニン主義にあるのではないか、と私は考える。レーニンが率いたボルシェビキには秘密主義と暴力性がともなっている。帝政下、秘密警察や軍隊の過酷な弾圧という環境を考えると、致し方のない面もあるかもしれない。封建的帝国主義国家で未成熟な資本主義社会から一気に社会主義社会を目指したことに無理があったのかもしれない。こうした無理がソ連崩壊につながり、現在のロシアのウクライナ侵攻につながっているのではないだろうか。

3月某日
レーニン主義への疑問から戦前、獄中にありながらイタリア共産党を指導したグラムシの思想に興味を抱いた。図書館でグラムシを検索したら「グラムシ・セレクション 片桐薫編 平凡社 2001年4月)が出てきた。「セレクション」なので「獄中ノート」はじめ、グラムシの主要図書からのアンソロジーである。グラムシの思想の柔軟性、革新性の一部を感じ取ることが出来たと思う。反合理化はかつて日本の左翼的な労働組合の重要な旗印であったが、グラムシは違った。「イタリアの労働者たちは…コスト低減をめざす技術革新・労働の合理化・企業全体のより完全な自動作業化や技術的組織化の導入にたいし、反対したことなど一度もなかった」。現在で言うとIT化やロボットの導入による生産性の飛躍的な向上に対して労働者は反対するのではなく、生産性の向上で得られる付加価値の増大に対して労働者への分配を要求すべきということだろう。1917年のロシア革命に対しては「あらゆる自主性、あらゆる自由を尊重しなければならない。人間社会の新しい歴史がはじまり。人間精神の歴史の新しい実験がはじまる」と歴史上はじめての社会主義革命に希望を表明している。この希望は裏切られることになるのだが。現代にグラムシの思想は意味があるのだろうか?この問いには20年以上前に書かれた吉見俊哉氏の解説が答えている。
吉見氏は1970年代から80年代の英国で、「サッチャリズムはそれまで英国を支配してきたケインズ主義的福祉国家を正面から攻撃していった」とし、1920年代のイタリアにおけるファシズムの台頭を思い浮かべる。これは現代日本の政治状況では安倍元首相が、それまで自民党政治の主軸であった自民党宏池会による、福祉の重視、軽武装を転換し、防衛力と日米同盟の強化へと舵を切ったことを思い出させる。グラムシの思想は明らかにレーニンやスターリンが主導したロシアマルクス主義とは異なる。日本では1960年代に日本共産党から分派した構造改革派に受け継がれていると思う。学生組織ではフロントや共学同、労働者組織では社労同や共労党があった。今はもうないんだろうけれど。私としてはグラムシはもう少し勉強してみたい。我孫子市民図書館にはあまり期待できないので、今度、丸善にでも寄ってみよう。

3月某日
「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」(斎藤幸平 KADOKAWA 2022年11月)を読む。斎藤の前著「人新世の『資本論』」は面白く読ませてもらった。それはマルクスの思想の新しい解釈として「へぇーそうなんだ」と感心した程度で、斎藤についても「優秀な学者」程度の認識であった。今回「ぼくはウーバーで…」を読んで斎藤は「優秀な学者」に止まらず、世界の現実と向き合う「優秀な運動家」の側面があることがわかった。運動家といっても政党や団体に所属する運動家ではない。自立した一市民としての運動家である。私は前回読んだグラムシの思想と通底するものが斎藤にはあるのではないかと考えている。本書は毎日新聞に連載されたものに書下ろしを加えたもので、基本的には斎藤が取材しまとめている。斎藤は学者や運動家に止まらず優れたジャーナリストでもあるわけだ。初回の「ウーバーイーツで配達してみた」は斎藤が実際にウーバーで働いた記録である。ウーバーのように「特定の会社で働くのではなく、オンライン上でその場限りの仕事を請け負う労働形態は『ギガワーク』と呼ばれる」が、斎藤の感想は「ギガワークはAIやロボットにやらせるとコストが高すぎる作業を人間が埋めているような虚無感が残る」というものだ。斎藤は労働現場を訪ねながら「労働とは」「労働の価値とは」を問い直して行く。保育の現場を取材して「保育士だけではない、看護師、介護士清掃員、小中高の教員。私たちの日々の生活に必要なエッセンシャルワーカーに甘えすぎていないだろうか」という感想を抱く。東京オリンピックについて最近、汚職や談合の事実が明らかになってきているが、斎藤は「五輪の陰 成長へひた走る暴力性」でその問題点を指摘している。斎藤は思想家にして運動家、そして優れたジャーナリストである。そういえばマルクスも思想家にして革命家であり、若い頃はライン新聞などに寄稿するジャーナリストだった。

3月某日
小中高校を同じ学校に通った山本君と我孫子駅改札で待ち合わせ。駅前の居酒屋「しちりん」に行く。一人飲みではなく2人以上で呑むのは1月の石津さん、本間さんと呑んで以来。ということでいささか呑み過ぎ、後半は記憶が飛んでいる。後で山本君から写メが送られてきたが私は寝ているね。

3月某日
「香港陥落」(松浦寿輝 講談社 2023年1月)を読む。太平洋戦争の開戦直前、直後、戦後の香港を舞台にした物語である。目次には「香港陥落」として「1941年11月8日土曜日」「1941年12月20日土曜日」「1946年12月20日土曜日」、「香港陥落―SideB」として「1941年11月15日土曜日」「1941年12月20日土曜日」「1961年7月15日土曜日」という文字が並んでいる。アヘン戦争後、香港は英国に割譲され英国の植民地となった。香港政庁に務め後にロイター通信香港支局に雇用される英人のリーランドが主人公というか狂言回し役を務める。そうだな、主人公はむしろ香港という街そのものかもしれない。リーランドはウエールズで生まれ育った。英国はイングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランドの4つの地方に分かれている。日本人にはあまり理解できないが、それぞれの地域に独特の気風が残っている。それはさておきリーランドは日本人の谷尾悠介、香港人の黄(ホアン)と親交を結ぶ。黄と同棲しているのが英人の画家グウィネス。そしてローレックスのまがいものをリーランドに売りつけた沈(シユン)が主な登場人物だ。私はこの魅力的な物語を読みながら現下のウクライナ戦争に思いをはせる。日本軍に占領されようとする香港がロシアの侵攻にさらされるウクライナを彷彿とさせるのだ。香港は3年8カ月の占領のあと、日本の敗戦により解放される。ウクライナはどうなるのか?