モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
「日本仏教の社会倫理-正法を生きる」(島薗進 岩波現代文庫 2022年9月)を読む。私の宗教への関心は、ひとつはオウム真理教や旧統一教会などのいわゆるカルト集団への関心につながる。もうひとつは吉本隆明が親鸞を思想者として高く評価していることだ。私どもの世代にとって吉本の存在は別格で、吉本に心酔する若者たちを評して「吉本教」信者と揶揄されたりしたものだ。それはともかくヨーロッパにおけるキリスト教、中東からアジアに及ぶイスラム教、東南アジアから中国大陸、日本列島に及ぶ仏教-これらは世界の三大宗教と呼ばれる-の存在は、人間の存在や人間社会の存在について、それぞれ根源的な思惟を迫った(らしい)。本書のタイトルは「日本仏教の…」となっているが、著述は当然のように原始仏教から始まる。第1章は「在家と出家」で、乞食という生き方が仏教僧団の在り方を絶対的に決定するという。在家と出家の関係は私には前衛党員(職業革命家)とシンパの関係を連想させる。出家は生産活動に従事しない。職業革命家も革命が仕事なので労働はしない。出家は乞食によって生き、職業革命家はカンパによって生きる。オウム真理教も信者の寄進によって教団は運営され、旧統一教会も基本は同じであろう。
本書のサブタイトルは「正法を生きる」となっているが、島薗は日本仏教における正法の概念を重視する。正法は末法思想の末法に対立するもので正しい思想、考え方で政治や社会が運営される世の中とでもいえばいいであろうか。昭和戦前期において北一輝や青年将校に影響を与えたのが日蓮宗であり、その影響は宮沢賢治や満州事変を企てた石原莞爾にも及んでいる。彼らの「革命思想」を支えたのは末法=正法思想だったのかもしれない。社会倫理という観点から宗教を見直すといろいろなことが見えてくる。宮沢賢治の童話も社会倫理の観点から読み直しても面白そうだ。島薗は戦前の日蓮主義が昭和維新と呼ばれる革命的な政治運動に寄与する一方で、文化的な側面として宮沢賢治の物語作品をあげている。「賢治は仏教本来の教えを、現代人の生き方、感じ方に即して分かりやすく伝えるものとして童話を構想した」のだとしている。終章の「東日本大震災と仏教の力」で島薗は「正法を広めることの中には、困っている人に寄り添い、癒しの場を提供することが含まれている」としている。被災地支援に「正法を具現する人々」を見たのであろう。

11月某日
マッサージのあと我孫子の農産物直売所「アビコン」によってレタスとたまねぎスープを購入。図書館で借りていた「神聖天皇のゆくえ―近代日本社会の基軸」(島薗進 筑摩書房 2019年4月)を読み進む。明治以降の日本の政治体制は天皇制のもとにあったのは確かだろう。そのなかで天皇制の廃止も視野に入れた無政府主義者や共産主義者の運動があり、それにたいする苛烈な弾圧もあったし、自由民権運動や大正デモクラシー、民本主義など、民主主義的な動きもあった。戦前をすべて民主主義が圧殺された暗黒時代だったとみるのもまた一面的なのであろう。中島京子の小説で映画化された「小さいお家」を読んでもそのことはうかがい知れる。日本人は天皇制をどのように受容してきたかという観点から本書を読むと面白い。古代、天皇親政が行われていたのはほぼ間違いないところであろう。もっともその頃は天皇という呼称はまだなく大王(おおきみ)と呼ばれていたらしい。平安時代には天皇は直接的に政治の表舞台に立つことは少なくなり、藤原氏や平氏が権力を握り、こうした体制は明治維新まで続く。江戸時代の庶民にとって天皇は遠い存在であり、身近な権利者は領主である殿様であったろう。本書は幕末の尊王思想の高まりから天皇崇拝が国家の柱となった明治時代、天皇崇敬による全体主義的動員の時代を経て敗戦に至る日本の近代を概観しながら最後に象徴天皇制を評価する。天皇が憲法で定める日本国の象徴であることには日本国民の多くが同意している。前の天皇や現在の天皇の人柄もあって、多くの日本国民は天皇及び天皇家を敬愛している。しかし私の理解では天皇は、天照大神の子孫として神道の祭主でもある。この立場をどう評価すべきか。秋篠宮は大嘗祭への公費支出について「内廷会計」で行うべきだと発言した。著者は「象徴天皇制の理念が、自ずから指し示す方向」と評価する。同感です。

11月某日
3年前に亡くなった福田博道さんを偲ぶ会を御徒町の吉池食堂で。13時30分からなので10分前に予約していた席に着く。定刻には松下、高橋、伊藤、岡田、友野、香川、林そして私の8名が揃う。献杯してそれぞれ福田さんの思い出を語る。福田さんは1950年生まれ、福井県武生市出身、早稲田大学文学部文芸学科卒業。家具関係の業界紙の記者をしていて私とはその頃知り合ったと思う。その後ライターとして独立、年友企画でいろいろな仕事を助けてもらった。娘さんと息子さんがいてそれぞれ立派に成人して、娘さんはピアニストで東欧のチェコかハンガリーに留学していた。息子さんは大手の運送会社に勤めてシンガポール支店勤務という話をしていた。福田さんは自分のことを「売れっ子」ならぬ「売れん子ライター」といっていたが娘さんの留学先や息子さんの赴任先に遊びに行っていた。家族、友人に恵まれたということか。お酒を呑まない香川さんと岡田さんは1次会でさよなら。残りの6人で2次会へ。

11月某日
11時30分から予約していたマッサージの絆へ。いつもの通り15分の電気療法と15分のマッサージ。本日は歩いて7~8分の床屋さん「髪工房」へ。途中で乾物屋さんの「手賀の屋」でレトルトカレー、干しエビなどを購入。髪工房では待ち時間ゼロ。「お客さんがいないなんて珍しいですね」というと「こんなもんですよ」と親方。親方は今年、78歳になったそうだ。「夜にテレビを観ていると寝ちゃうんですよ」。まぁ私も似たようなものです。「髪工房」は65歳以上は料金2000円が1800円に割引されるうえ、スタンプが5個たまるとさらに300円引かれる。ありがたいがお客の高齢者割合が上昇しているので経営は大丈夫かと心配になる。帰りにスーパー「カスミ」によってスコッチのティチャーズを安売り(1078円=税込み)してたので購入する。

モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
「乱れる海よ」(小手鞠るい 平凡社 2022年10月)を読む。小手鞠るいという作家には今まで関心がなかった。図書館で新刊コーナーに並んでいたこの本を手に取るまでは。本文が始まる前に次の文章が掲げられていた。献辞のように。
 まだ何もしていない
 何もせずに 生きるために
 多くの代償を支払った
 思想的な健全さのために
 別な健全さを浪費しつつあるのだ
 時間との競争にきわどい差をつけつつ

 天よ 我に仕事を与えよ
                 ―奥平剛士
奥平剛士って今じゃぁ知らない人の方が多いと思うけれど、1972年5月30日に起きたイスラエルの「テルアビブ空港乱射事件」の3人の犯人の一人で主犯格だった。奥平は事件の最中に銃弾を浴びて死亡、他の一人は手榴弾で自爆した。残った一人が岡本公三でイスラエルの法廷で終身刑を宣告された。本書の末尾に注意書きのように「本書は、実際の事件に着想を得て書かれたフィクションです。歴史的事実を盛り込んでありますが、登場人物はすべて、著者によって創作されています」と記載されている。ではあるけれど主人公の渡良瀬千尋が奥平剛士を、生き残った岡部洋三が岡本公三をモデルとしたことは明らかだ。千尋は京大文学部に進学、セツルメント活動で貧しい子供たちの面倒を見る一方、自分を追い込むように肉体労働に勤しんでいた。魅力的な人物として描かれているが、当時の活動家連中のなかにはそういった人間が確かにいたね。「あとがき」で著者の小手鞠は事件のときに高校生で、校長が「我が校出身の奥平さんが仲間ふたりと共にイスラエルで自動小銃を乱射し、罪のない人々を大勢、殺してしまった…奥平さんの為した行為は間違っていたが、平等な社会、差別のない社会を作ろうとしていた彼の理想は間違っていなかった」と話したそうである。なかなかの校長である。ちなみにこの高校は岡山県立岡山朝日高校、私の記憶に間違いがなければ岡山きっての進学校である。

11月某日
「私にとってオウムとは何だったのか」(早川紀代秀 川村邦光 ポプラ社 2005年3月)を読む。川村邦光という人の本は先月、荒畑寒村の評伝を読んだけど本業は宗教学者のようだね。早川紀代秀は1949年生まれ、神戸大学農学部、大阪府立大学大学院修士課程修了。86年にオウム神仙の会(後にオウム真理教に改称)に入会。95年に逮捕、死刑判決確定、2018年死刑執行。川村が旧知の弁護士から早川の裁判での証言を求められたことから二人の交流は始まった。すでに早川は麻原彰晃からのマインドコントロールは解けており、自分が犯した罪を激しく後悔している。早川は麻原からの指示に〝自らが認める権威が示す正義”に従うという習性は、決して特殊なことではなく、人間誰しもが持っている特性、と書いている。これは確かに旧統一教会にも当てはまるし、イスラム教徒によるテロにもそういった側面があると思う。宗教ではなくとも日本の新左翼による内ゲバにも「権威が示す正義に従ってしまった」結果があるのではないか。連合赤軍によるリンチ殺人事件もそうだ。オウム真理教の信徒たちはグル麻原の指示に盲目的に従った。私にはそれがスターリンによる反対派の粛清、連合赤軍によるリンチ殺人を連想させるのだ。

11月某日
オウム真理教は仏教をベースにしながらも、ハルマゲドンなどキリスト教の概念を盛り込んだりした麻原彰晃が考え出した新興宗教の一つと考えられる。仏教といっても幅広いが、激しい修行による個人の解脱を重視した小乗仏教に近いとも考えられる。こうした考え方に真っ向から対立すると思われるのが親鸞であろう。ということから図書館の宗教コーナーの仏教の棚を眺めていたら「吉本隆明が語る親鸞」(糸井重里事務所 2012年1月)という本が目についたので早速借りることにする。2011年の東日本大震災を経て、糸井重里は親鸞は「どんな立場でどんな言葉を民衆に投げかけていたのか」という問題意識から、吉本と対談する。冒頭が吉本と糸井の対談で、以下に過去の吉本の親鸞に関する講演が収録されている。吉本には「最後の親鸞」という著作もあり、以前から親鸞の思想に注目していた。この本は私も読んだが、よく理解できなかった記憶がある。今回は講演録ということもあり、何となくわかったような気がする。
吉本にとって親鸞が生きた戦乱と天変地異の中世は「ある意味で現在と同じ」で「目に見えない戦いや、人を支配していたり支配していなかったりというような問題が、目に見えないかたちで重なっています」と語る。私はロシアのウクライナ侵攻や旧統一教会問題を思い起こしてしまう。吉本はまた「肉体を痛みつけたり、精神を痛みつけたりする修行の果てに、浄土を思い浮かべたり、仏様の姿が眼の前に思い浮かぶようになったりすることには本当はなんの意味もないんだ、ということが、親鸞のなかに重要な考え方としてあった」と思うとする。それはまた「人間が自力でできることに見切りをつけたということ」でもある。修行によって浄土へ行くことはできない、「ただ本当に阿弥陀如来を心の底から信ずる、そして名前を称える、そうしたら浄土へゆけます。それ以外のことをやったら駄目ですよ」というのが親鸞の信念だった、と吉本は言い切る。60年安保のときに吉本は既存の日本共産党や社会党、総評などの「擬制の終焉」を唱え、「自立の思想的拠点」を築けと叫んだ。その頃と変わっていないね。

モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
ふるさと回帰支援センター創立20周年記念レセプションがルポール麹町で開催される。午後1時スタートだが、寝坊して1時間ほど遅れる。前消費者庁長官の伊藤明子さんはじめ、旧建設省の住宅技官出身者が何人か来ていた。伊藤さんと元長岡市長の森民夫さんが挨拶していた。私は小川富吉さんや合田純一さん、長岡の財団法人の理事長をしている水流さんと歓談。元早大全共闘で群馬で小児科医をやっている鈴木基司さんに挨拶。イノシシの会で機関紙の編集をしているウメ(梅沢?)さんとも懇談。滋慶学園の常務をやっていた平田さんにも挨拶。私くらいの年代になると元○○というのが多くなるんだね。散会後、(社福)にんじんの会の石川理事長と元滋慶学園の大谷さんと帰る。四ツ谷駅の途中の食堂で軽く一杯、石川さんにご馳走になる。石川さんは私より一歳年上の筈だが至って元気、にんじんの会の経営も順調な様子だ。「借金で大変なんだよう」といっていたが大谷さんに「借金も信用のうちですよ」といわれてた。四ツ谷駅で石川さんと別れ、上野駅で大谷さんと別れる。柏駅で人身事故があったらしく上野で一時間ほど待たされる。

11月某日
「姫君を喰う話-宇野鴻一郎傑作短編集」(宇野鴻一郎 新潮文庫 令和3年8月)を読む。宇野鴻一郎は私の若い頃は、川上宗薫などと並んでポルノチックな作風で知られていたのだが、もともとは本作品集にも収録されている「鯨神」で芥川賞を受賞した純文学の出身なのだ。短編集には六つの短編が収められているが、私にはどの作品も面白かった。共通しているのは土俗的な香りともいうべきものだ。解説を作家の篠田節子が執筆している。宇能の初期の作品群について「純文学の檻(枠ではない)にはとうてい収まらない、ストーリー性とテーマ性、迫力のある描写を持った大きな作品群で、宇野鴻一郎は今、再評価されるべき作家なのではなかろうか。」と記している。同感である。

11月某日
歯医者は何年か前から近所の石戸歯科。先日、定期健診で2日ほど通って歯石除去などをやって貰った。石戸先生の息子さんが最近売り出しのノンフィクションライターの石戸諭である。待合室には石戸諭の著書が並んでいる。今回、石戸歯科に行ったら平松洋子の「いわしバターを自分で」(文春文庫 2022年3月)が並んでいた。手に取ってみると石戸諭が解説を書いているのだ。「なるほど」と、石戸歯科から徒歩2分の我孫子市民図書館へ行く。幸いにも文庫本のコーナーにあったので早速、借りることにする。週刊文春での連載エッセー「この味」から2019年12月12日号~2021年9月9日号をまとめたものだ。平松洋子は食にまつわるエッセーの名人。「立ち食いソバ」を巡るエッセーは忘れがたい。「いわしバターを自分で」は、共産党副委員長で参議院議員の山下芳生氏のツイッターを紹介しているのがとくに気に入っている。日本共産党というと真面目で融通が利かないイメージが私には強いが、平松さんが紹介する山下議員のツイッターによる「料理紹介」は、そんな私のイメージをいい意味で裏切ってくれた。

11月某日
「フィールダー」(古谷田奈月 集英社 2022年8月)を読む。古谷田奈月は1981年我孫子市生まれ。ウイキペディアによるとNHK学園高校から二松学舎大学国文科に進んで卒業している。古谷田の作品を読むのは初めて。本作は大手出版社の雑誌編集者の目を通して、雑誌執筆者である評論家のベドフィリア(小児性愛)疑惑を巡る出版社や社会の通念やその底にあるものを描く。これを物語の縦糸とすれば横糸はスマホ上で戦われるゲームである。私はゲームに対する知識がほとんどないので、横糸の方はあまり理解できなかった。それにしても古谷田という作家としての力量は十分に評価されていいだろうと思う。この本は再読してみたいと思った。

11月某日
「李朝残影-反戦小説集」(梶山李之 光文社文庫 2022年8月)を読む。梶山李之は1930年京城(現在のソウル)生まれ。敗戦に伴い広島に引き上げる。広島高等師範卒。62年には「黒の試走車」がベストセラーになり、以来、推理、官能、時代小説などでヒット作を連作、75年に取材先の香港で死去―文庫のカバー裏に記載された著者略歴をさらにかいつまんで記すとこのようになる。しかし流行作家になる前の梶山は日本の植民地だった朝鮮を舞台にした小説を書き残している。宇野鴻一郎もそうだけれど、流行作家になる前の作家は純文学を志していた場合が多い。「李朝残影」は「反戦小説集」となっているけれど、私にはむしろ「望郷小説集」と感じられた。失われた故郷、植民地朝鮮を想う小説である。「族譜」「李朝残影」など5編の短編が収録されているが、「闇船」を除いて主人公は植民地朝鮮に住む日本人青年である。植民地に住むことに違和感、罪悪感を抱いている日本青年である。この日本青年は作者、梶山の分身と考えてよい。私は梶山李之の流行作家としての存在しか知らない。豪放磊落な印象であったが、本書を読む限りではむしろ繊細、含羞の人といった印象が強い。

モリちゃんの酒中日記 10月その4

10月某日
「おいしいものと恋のはなし」(田辺聖子 文春文庫 2018年6月)を読む。すでに文庫本に収録されている作品の中から「食べ物と恋愛」というテーマに沿ったものが集められている。とは言っても田辺先生の短編小説は恋愛をテーマないしはサブテーマにしたものがほとんどである。そのなかで編者が気に入っているものを集めたのであろうか。ちなみに編者が明らかにされていないのも如何なものか。単行本は2015年7月に世界文化社から刊行されているので世界文化社の編集者が編者なのかもしれない。それにしても田辺先生の小説を読むのは久しぶりである。であるがほとんど読んだことのある小説であった。でも私にとって田辺先生の小説は何度読んでも楽しいのである。ちょいと哀切なのが「ちさという女」。主人公の「私」が勤める会社の同僚が「秋本ちさ」。独身で30代後半、しまり屋で自分が住むマンションのほかにもいくつかの賃貸物件を所有している。私は会社の同僚、工藤静夫と恋愛関係にある。ちさは私に「あんた、工藤さんとあやしいの?」と聞いてくる。以下原文。
「さあ。どうかな」
と私はいい、ちさをからかいたくなった。
「でも、工藤サンは、秋本さんが好きやって。尊敬するっていってたわよ」
「阿呆なこと、いいなさなんな」
とちさは狼狽して、常になく、まぶしそうな顔をした。
ちさは工藤の誕生日に直径30センチくらいの大きなバースデイケーキを贈ってくる。この短編小説は以下の私の独白で終わっている。
 静夫と結婚して、三歳の男の子がある今になっても、私は、ちさのバースデイケーキを思い出すと胸いたむ。ちさにしみじみとした思いを持つようになった。
最後の一行が効いています。

10月某日
マッサージの日。近所のマッサージ店絆へ週2回通っている。予約の5分ほど前にお店の前に着く。施術を終わったおばあさんが出て来て、玄関の引き戸を閉める。私に気がついて玄関を開けてくれる。この頃、おばあさんに親切にされる。先日もマッサージに行くとき、おばさんに「どこへ行くの?」と聞かれ「すぐそこまで」と答えると「近くまでついていってやろうか?」といわれた。丁重に断ったが、俺ってそんなに弱々しく見えるのかなぁ。
「星間商事株式会社社史編纂室」(三浦しをん ちくま文庫 2014年3月)を読む。タイトルのとおり、星間商事という会社の社史編纂室の日常のドタバタを描くのだが、三浦しをんの作品としては私にはつまらなかった。話の軸のひとつが戦後、星間商事が太平洋上のサリメニという島に経済進出するというもの。日本帝国主義の復活の一局面だと思うのだが、著者の三浦にはその意識は薄いようだ。

10月某日
「天使に見捨てられた夜」(桐野夏生 講談社文庫 2017年7月)を読む。単行本は94年6月の発行である。主人公は新宿に住む私立探偵、村野ミロ。小説の時代背景は90年前後か、小説中に携帯電話を使う場面が出てこないからね。フェミニスト系の出版社の女社長に人探しを依頼されたミロ。探すのはアダルトビデオの出演者の若い女性だ。人探しを縦糸とすると横糸はミロのマンションの隣人トモさん、ビデオ制作会社の代表矢代との性愛だ。トモさんには恋愛感情を持っているミロだが、トモさんは女には欲情しない同性愛者である。一方、矢代には恋愛感情は持っていないが、二度ほど体を重ねてしまう。人探しのストーリーももちろん読ませるのだが、私はミロの性愛に興味が行ってしまう。ミロのトモさんへの感情。「しかし彼を好きになれば、私は底に穴の空いた壺で水を汲むようなものなのだ。壺から水がこぼれる時の音まで聞こえるような気がする。こぼれた水は私の足を濡らすだろう」。これってハードボイルドな文章だと思う。90年前後は私のいた会社でもビデオ制作を受注していた。もちろん実際の制作はビデオ制作会社に外注する。その制作会社で裏ビデオを見せてもらったことがある。そのことを思い出してしまった。

10月某日
「荒畑寒村-反逆の文字とこしえに」(川村邦光 ミネルヴァ書房 2022年8月)を読む。「ミネルヴァ日本評伝選」シリーズの一冊。寒村は1886(明治20)年8月に横浜で生まれ昭和56(1981)年3月に95歳で亡くなっている。私が学生の頃にはまだ現役の運動家だったようで巻末の略年譜によると昭和43(1968)年11月に革共同中核派の政治集会で講演、昭和45(1970)年には全国反戦青年委員会集会で講演している。荒畑寒村は青年期には菅野スガ(大逆事件で死刑)と婚姻関係にあり、菅野の死後に竹内玉と結婚している。玉は11歳年上だが献身的に寒村を支えたという。寒村が54歳のとき玉は66歳で死去、寒村60歳のとき森川初枝と再婚するが、寒村88歳のとき初枝は享年76歳で亡くなる。寒村の運動家としての出発は無政府主義者、アナーキストであった。現在では考えられないことだが当時、社会主義者と無政府主義者の勢力は拮抗していたようだ。むしろ1917年にロシアで社会主義革命が成功するまでは無政府主義が社会主義を圧倒していたのではないだろうか。著者の川村邦光という人は1950年福島県生まれ。1984年東北大学大学院博士課程単位取得満期退学。大阪大学文学部教授を経て現在、同大学名誉教授という経歴である。ウイキペディアによると学生運動経験者とある。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
「大東亜共栄圏-帝国日本のアジア支配構想」(中公新書 安達宏昭 2022年7月)を読む。本書によると大東亜共栄圏という語句が使われたのは1940年8月、第2次近衛内閣の松岡洋右外相が「当面の外交方針は大東亜共栄圏の確立を図る」と記者会見で述べたのが初めてという。80年以上前のことであるが、本書を読むと随分と現代にも通じるものがあると感じた。最近使われる「開かれたインド、太平洋」という言葉だって地理的には大東亜共栄圏と近いものがある。大東亜共栄圏の理想は、ヨーロッパ共同体(EU)のような東アジア共同体であったように思う。しかしその現実は英米蘭の東南アジア植民地を帝国日本の支配下に置き、食料や石油などの天然資源を収奪するというものであった。アメリカとイギリスの植民地であったフィリピンとビルマは独立したが、形式的な独立で実際は日本の軍部に従属させられていた。戦後日本の食料や石油を輸入に頼らざるを得ないという現実は、大東亜共栄圏の時代と変わらない。本書の副タイトルとなっている「帝国日本のアジア支配」ではなく平等互恵の精神による東アジア共同体構想が求められているのではないか。

10月某日
「日本解体論」(白井聡・望月衣塑子 朝日新書 2022年8月)を読む。政治学者の白井と東京新聞記者の望月との対談集。白井は左派の論客、望月は仮借のない政権批判で知られる。日本の全体的な政治状況や論壇、マスコミの状況をみると左派、リベラルの旗色は悪く、保守派、右派の勢いが増しているように思う。安倍晋三政権以降とくにその感が強い。そのなかにあって白井と望月は貴重な存在と言える。本書でも言及されているが、私は伊藤詩織さん問題は日本の劣化を象徴しているように思う。ジャーナリストの伊藤詩織さんがTBSテレビの政治部記者の山口敬之氏を準強姦容疑で被害届を提出、しかし不自然な逮捕令状の取り消しなどがあってその後、不起訴になった件だ。山口氏が安倍元首相と近く、警視庁幹部はそれを忖度したのではないかといわれた。民事訴訟では詩織さん側が勝訴した記憶があるが山口氏側は控訴した筈である。酒を強要して泥酔させホテルに連れ込んでことに及ぶという山口氏の卑劣な行いはい詩織さんの手記で明らかにされている。性被害を被害者が顔出し実名で告発するのは異例のことだ。しかし詩織さんの行動は#MeToo運動に繋がっていく。一方でひどい詩織さんタタキもあった。本書ではそんな現代日本の劣化した現実がいくつも明らかにされる。私たちはその現実に絶望感に近いものを感じるのだが、その現実に果敢に切り込んでいこうとする望月記者に希望も抱くのである。この対談が行われたのは東京オリンピックを巡る汚職事件で電通の高橋元専務が逮捕される前だが、本書は「東京五輪の悲劇的状況」として金まみれの東京オリンピックをきちんと批判している。

10月某日
上野駅の公園口で香川さんと待ち合わせ国立東京博物館へ。創立150周年ということで企画展示は国宝展。甲冑や刀剣、仏像それに肖像画などが展示されていた。入り口を間違えたのか一般客とは逆のまわり方をしてしまった。博物館や美術館は障害者手帳を提示すると本人と介助者1名が無料で拝観できる。そのせいか、どうも私の拝観態度は真剣味に欠ける傾向があるようだ。早々と東京博物館を出て上野駅に向かう。上野駅構内の「つばめグリル」で夕食。「つばめグリル」は品川駅前にもある。なんとなく上野駅や品川駅に似合う気がする。「つばめ」は特急「つばめ」から来ているのだろうか。だとしたら東京駅にもあるかも知れない。上野駅で香川さんと別れ私は常磐線で我孫子へ。我孫子で駅前の「しちりん」に寄る。

10月某日
円安と物価の上昇が止まらない。円安が輸入物価を押し上げロシアのウクライナ侵攻が原油や小麦価格を高騰させている。物価の上昇も賃金の上昇をともなえば持続的な経済成長を期待できるのだが、現状は賃金の上昇をともなわない「悪いインフレ」である。円安の主因は米国の利上げと日本の金融緩和政策の継続にあると言われている。黒田東彦日銀総裁は金融の緩和政策は継続すると発言している。国の借金は1000兆円といわれている。金利が1%上がると金利負担は10兆円。利上げに踏み切ろうにも踏み切れない事情があるのだ。岸田首相も旧統一教会問題に加えて円安と物価上昇、まさに一寸先は闇の状態だ。

10月某日
「自発的隷従の日米関係史-日米安保と戦後」(松田武 岩波書店 2022年8月)を読む。著者の松田は1945年生まれ、79年にウィスコンシン大学大学院歴史研究科修了、京都外国語大学の前学長。日米関係を分析するにあたっての基本的視点として、米国の対日政策は「善意からではなく、明確に自覚した自らの国益に基づいた」ものであり続けるとし、さらに米国の国民の大半が日本人が米国を知っているほどには「日本について知らない」としている。1941年12月8日に始まったアジア太平洋を舞台とする日本の対米戦争は45年8月15日に日本の完全な敗北をもって終わる。それ以降の日米関係は著者のいう「自発的隷属」であった。自発的隷属関係は戦後だけでなく、戦前から「米国の力を利用して競争力を高め、身に付けたその競争力を武器に、米国と競争し対峙する」という形で存在した。これは「いわば対米従属・『面従腹背型』の日米協調戦術」だったわけである。アメリカは独立した時点で共和制を宣言し、自由と独立(国家と個人の)を重んじた。それにたいして近代日本は天皇制と農耕文化のもとに出発した。個人よりも共同体が重視され共同体の意志に逆らうと村八分にされた。50年以上前に東大全共闘により安田講堂に落書きされた「連帯を求めて、孤立を恐れず」のスローガンはいまだに有効なのだ。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
内神田の「跳人」で大谷さんと待ち合わせ。大谷さんが来る前に店員の大谷さん(同じ苗字)と雑談。土方歳三の生涯を描いた司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読みたいそうだ。何でも京極夏彦の土方を扱った小説を読んで土方に興味を持ったようだ。京極ではなかったかもしれないが、分厚くて持ち運びに苦労すると言っていたので多分京極だろう(京極の小説は分厚くて定評がありサイコロ本と呼ばれているそうだ)。大谷さんが来たので本格的に呑み始める。今日はビールに始まってウイスキー、日本酒、焼酎を一通り呑む。帰りは神田から京浜東北線で大谷さんは川口まで、私は上野から常磐線で我孫子まで。我孫子で「しちりん」による。

10月某日
「道」(白石一文 小学館 2022年7月)を読む。並製で500ページを超える長編である。「道」というのはニコラ・ド・スタールという人の描いた絵画のタイトルで、この絵はこの本の扉にも使われ、小説でも重要な役割を演ずる。主人公の功一郎は高校受験のときに手痛い失敗をしてしまう。合格間違いなしと思われていたので、そのことを母親に言い出せずにいる。母親が家政婦として働いている富豪の家に遊びに行ってその絵「道」に出会う。絵を見つめていると突然、絵に引き込まれてしまう。引き込まれたのは受験の前の世界である。この世界で功一郎はなんなく高校受験に成功する。2021年の2月、功一郎は食品会社の我孫子工場の責任者となっている。しかし女子大生の娘を交通事故で亡くし、それが原因で妻は重篤なうつ病を病み自殺未遂を繰り返す。功一郎は再び絵の前に立ち、娘が交通事故に逢った現場に時空を移動し、娘を助ける。まぁ荒唐無稽な話しなんですが、功一郎の働く我孫子の描写はリアル。功一郎が贔屓にしている我孫子の鰻屋「木暮屋」は天王台駅近くに実在する。東日本大震災をはじめとしてこの世には悲惨な災害、事故、事件が絶えない。最近では元首相への銃撃事件とかウクライナ戦争、コロナもあるしね。別の世界を思い浮かべたくもなるよね。

10月某日
有楽町のふるさと回帰支援センターに大谷さんと高橋公理事長を訪問。11月3日の同センター20周年記念レセプションの件。有楽町からバスでトリトンスクエアの㈱日本建築住宅センターの合田純一社長に面談、レセプションに出席とのこと。トリトン発のバスで有楽町へ。途中双子用の乳母車に双子の赤ちゃんを乗せた若いお母さんが乗車、バスの若い運転手が乗降を手伝う。有楽町で下車。大谷さんはJRへ、私は千代田線の日比谷から大手町へ。社保険ティラーレで吉高会長、佐藤社長と面談。帰りは神田から上野経由で我孫子へ。

10月某日
「昭和史講義【戦後文化篇】(上)」(筒井清忠編 ちくま新書 2022年7月)を読む。「日本が迫られている課題・問題と格闘した」思想家や作家、運動がとりあげられている。第1講の「丸山眞男と橋川文三-昭和超国家主義の転換」から第19講の「全共闘運動-課題と遺産」まで、中には興味をひかないものもあったが、私にはおおむね面白かった。例えば宇野重規の「福田恒存と保守思想」は「福田は日本の近代が脆弱であると知りつつ、それでも世界における日本の役割を模索したように思う。それが福田の『保守』だったのではなかろうか」という文章で結ばれている。「獅子文六と復興」(牧村健一郎)では戦後、戦犯指定に怯えつつも文壇復活を果たした文六を「戦前、戦中、戦後の昭和と並走、同伴した作家だった。ただ、時代に埋没したわけではない。フランス仕込みの個人主義とクールな視点が、作品に批評性を持たせた」と評価する。戦後の一時期流行した「葦」や「人生手帖」という人生雑誌というメディアについては「勤労青年の教養文化」(福間良明)の項で、これらの人生雑誌には「『想像の読者共同体』と反知性主義的知性」があったと論じている。今はほとんどの中学生が高校に進学し、大学への進学率も60%を超えていると思うが、私の中学時代、高校に進学しない人が20%くらいいたし、大学進学率も30%未満だったように思う。高校や大学への進学を断念しながらも知性へのあこがれを持ち続けた人たちには「反知性主義的知性」が必要だったのかも知れない。

10月某日
円安が止まらない。直接的な原因はアメリカが金融引き締めを意図して金利の引き上げに舵を切っているのに対して、日本は金融の緩和、ゼロ金利政策をとっているためだろう。だが日本の国力、経済力の低下により円が売られているという側面もあるに違いない。30年ほど前はジャパンアズナンバーワンといわれ、日本資本がアメリカの著名なビルや企業を買って顰蹙を買ったりしたものだ。今や賃金は上がらず、賃金水準は韓国にも抜かれたらしい。少子高齢化に対する無策も円安に拍車をかけているのではなかろうか。教育環境や研究環境の地道な見直しが求められているように思う。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「自民党の女性認識-『イエ中心主義』の政治指向」(安藤優子 明石書店 2022年7月)を読む。著者の安藤優子は上智大学在学中にニュース番組のアシスタントとしてデヴュー。のちにニュースキャスター。上智の大学院博士課程後期・満期退学。この本は博士論文をもとにして書かれた。戦後の保守党が女性や女性議員をどう見てきたかを社会学的な観点から解説した、というふうに私なりに本書をまとめてみたが、1970年代以降の政治過程を振り返ることにもなっており、面白かった。私が社会人となったのが1972年で、私の社会人時代と本書の叙述する時代がおおまかにいえば一致する。私が少しびっくりしたのが70年代から80年代にかけて、保守派の論客、佐藤誠三郎や村上泰亮、公文俊平、香山健一らが自民党に一定の影響力があったことだ。影響力があったにもかかわらず。実際の政治家の意識はそれによってほとんど影響されなかった。安倍元首相の国葬に関連して村上誠一郎という自民党の代議士が安倍元首相のことを国賊と呼んだとかで安倍派の議員が何らかの処分が必要と言いだしているという。自民党は党名のとおり自由で民主的な党ならば、党内での言論の自由は保障されるべきである。自民党にはかつて宇都宮徳馬、松村謙三らの良識派といわれた議員が存在し、それが自民党の政策の幅の広さを保障していたように思う。安倍派は90数名と突出した国会議員数を誇っている。それが安倍派の独裁へと進むのなら自民党にとって不幸であり、日本にとっても不幸だ。

10月某日
「小暮荘物語」(三浦しをん 祥伝社文庫 2014年10月)を読む。小田急線の急行通過駅・世田谷代田から徒歩5分にある、ボロアパートの住民を巡る連作短編集。大家は会社を定年退職し一戸建ては持ってはいるが、妻も含めて同居する家族との関係が面倒で、小暮荘に愛犬とともに転居してきた小暮。住人は小暮を入れて5人。1室は空室である。小暮の隣は女子大生の光子、セックスフレンドが何人かいる軽薄な女として登場するが、実は彼女は妊娠できない肉体を抱えている。光子に限らず小暮荘の住人には大家の小暮を含めて悩みを抱えている。それぞれの短編が面白かったが、私の一押しは「柱の実り」。アパートの住民でトリマーをやっている美禰と中年のヤクザ、前田との純愛物語である。三浦しをんは困難な現実に直面する庶民をユーモラスに描く。「絶望の虚妄なるは希望の虚妄なるに相同じ」とする魯迅と似た視点だ。

10月某日
「味なメニュー」(平松洋子 新潮文庫 2018年12月)を読む。このところ平松洋子の食にまつわるエッセーにはまっている。以前読んだ立ち食いソバを食べ歩くエッセーも面白かったが本書も和食、洋食、居酒屋その他を食べ歩くエッセーである。もちろん立ち食いソバもある。基本的に庶民の食べ物である。カレーでは代々木の「ライオンシェア」、銀座の「ニューキャッスル」が紹介されている。立ち食いソバは銀座の「よもだそば」と新橋の「そば作」そして中野駅北口の「かさい」。「立ち食いソバ」の章は「立ち食いそばの数だけ、とっておきの話がある。一杯のそばにこもっているのは、知恵と工夫のエッセンス。その豊かさに手招きされて今日も足が向く」という文章で結ばれている。平松洋子は職人に対するリスペクトの念が強くある。料理、食事に対するあくなき興味はそのリスペクトに支えられている。「新橋駅前の楽園で」という章では「ニュー新橋ビル」に出店しているお店が紹介されている。このビルには思い出がある。大学を卒業してから三つ目に務めたのが新橋烏森口にある業界紙。ニュー新橋ビルにはランチにも行ったし酒も飲みに行ったものだ。地下の居酒屋にもいったし、1階の酒屋では確か立ち飲みもやっていた。2階のスナック「T&A」は常連となって20年くらい通ったが今はもうない。

10月某日
「味なメニュー」でニュー新橋ビルのことを読んだらテレビでそのビルのことがとりあげられていた。番組は「ビルぶらレトロ探訪」、新番組で、俳優の梶原善が昭和から建つ「オヤジたちの楽園」のビルを訪問するというもの。初回は1階のスタンド洋食と生ジュースの店、そして2階の中国人経営のマッサージ店が紹介されていた。1階はチケットの安売り店が多く進出、2階はマッサージ店に占拠されているような状態だった。私が通っていた頃の面影もない。昭和は遠くなりにけりである。梶原善は「鎌倉殿13人」で殺し屋の善次役を好演した。素の梶原はとぼけた味を出していた。次回もニュー新橋ビルを取り上げるという。たぶん地下の居酒屋だろう。

10月某日
雨が降って寒い。翌日の朝刊には今季最低の11.3度を記録したとあった。マッサージの後、そのまま我孫子駅へ。千代田線一本で大手町、雨のなか社保研ティラーレへ向かう。途中の葉菜海家という居酒屋風食堂でランチ。焼き魚と味噌汁、お漬物それに小鉢を選べる。私は納豆を選ぶ。納豆にウズラの生卵はかかっていたのがうれしい。値段は850円だが「ごはん少な目で」と頼んでいたので50円引き。社保研ティラーレで次回のフォーラムの打ち合わせを終わって神田駅から有楽町駅へ。ふるさと回帰支援センターの高橋ハムさんに面会。センターが20周年でパーティを開催するとのこと。何人かの声掛けを頼まれる。銀座から地下鉄銀座線で虎ノ門へ。フェアネス法律事務所で渡邊弁護士と面談。面談後、今村渚弁護士が下関の父上の弁護士事務所で働くことになったと挨拶に来る。何かの折に学生運動の話になったとき、今村さんが「私の父も学生運動をしていたんです」と話した。聞けば東大闘争のときの東大教養学部の自治会委員長だそうな。厚生省OBで私と同世代の東大出身者に聞くと「確かに今村という委員長だった。美青年だったよ。娘も美人か?」と。今村さんはとても可愛い人です。雨のなか歩くのが面倒なので虎ノ門から上野、上野から我孫子へ。我孫子駅前の「しちりん」で一杯。

モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
「星屑」(村山由佳 幻冬舎 2022年7月)を読む。ジャンルでいえば「芸能小説」かな。ときは1970年代後半、博多のライブハウスでジャズを歌っていた少女ミチルは芸能プロダクションの桐江にスカウトされる。著名な作曲家、高尾のレッスンでミチルの歌には磨きがかかる。芸能プロの専務の娘で社長の孫でもある真由とコンビを組むことになる。最初は反発し合う2人だが、徐々に互いを認め合っていく。ヨーロッパで活躍するロックバンドに才能を見出されたミチルはロンドンに旅立つ。芸能界での成功物語だが、女性マネージャーの桐江の成長譚もサブストーリーとして読める。70年代後半といえば職場の女性差別は露骨にあった。芸能界でも例外ではなく桐江も女性であるうえに短大卒ということもあって、マネージャー業を本格的に任せられているわけではなく雑用に振り回されている。ミチルと出会いが桐江の運命もかえていくのだ。村山由佳の小説は伊藤野枝の生涯を描いた「風よあらしよ」を読んだのが最初。同作は最近、NHKでテレビドラマ化されて伊藤野枝は吉高由里子が好演していた。でも星屑はテレビや映画よりアニメーションが向いていると思う。

9月某日
ほぼ1週間ぶりで東京へ。14時近くに神田駅到着。昼ご飯がまだだったことに気づき飯屋を捜す。しかしここらは13時30分か14時でランチタイムが終わってしまう店が多いようだ。ようやくオープンしている中華屋を見つけ「五目焼きそば」を食べる。15時前に社保研ティラーレを訪問、佐藤社長と吉高会長と雑談していると、松下政経塾で学んでいる宗野君が来る。佐藤社長と宗野君の3人で赤坂の医療科学研究所の江利川理事長を訪ねる。江利川さんが厚生省年金局の資金管理課長時代から親しくさせてもらっている。今から30年以上前の話だ。江利川さんはその後、年金課長、薬務局経済課長といった難しいポストを歴任、海保保険法が国会で審議されていた頃は担当の審議官だった。内閣府に移って官房長、次官を務める。退官後、一時証券会社系のシンクタンクの理事長を務めたが、厚労省がいろいろな問題を抱えていたとき、厚生労働省の次官に就任。内閣府、厚労省と中央官庁の次官を二度も務めるのは異例である。江利川さんはその後、人事院総裁に就任、民主党政権下で「筋を通した官僚」として知られる。江利川さんが予約してくれた南欧料理の店「月の市場」へ移動。ほどなく武田製薬からゼンセン同盟に出向している永井さん、年友企画の岩佐さんが来て全員が揃う。江利川さんは内閣主席参事官も勤め官邸の勤務も長い。今の官邸官僚に対してはかなり厳しい評価、さもありなん。

9月某日
「この30年の小説、ぜんぶ-読んでしゃべって社会が見えた」(高橋源一郎・斎藤美奈子 河出新書 2021年12月)を読む。高橋源一郎は1951年1月生まれ、東大の入試が中止になった1969年に京都大学を受験するが不合格、横浜国立大学に入学する。学生運動の活動家になり1970年2月に凶器準備集合罪で逮捕起訴され、8月まで東京拘置所で過ごす。元活動家で作家になった人って小嵐九八郎くらいかな。思想家の内田樹は東大の革マル派の活動家だったらしいけれど。斎藤美奈子は1956年生まれ、新潟高校から成城大学経済学部卒。父親は新潟大学名誉教授の物理学者、妹は韓国文学の翻訳家の斎藤真理子。高橋源一郎にも斎藤真理子にも私は親近感を持つけれど、まともに著作を読んだことはなかった。この本は「SIGHT」という雑誌で2005年から始められた「ブック・オブ・ザ・イヤー」という名称の対談がもとになり、「すばる」での対談や「語り下ろし」が加えられている。この本で取り上げられた小説のほとんどは読んでいない。私が小説や評論を読みだしたのは、会社を辞めた後の2019年だから無理もないのだけれど。最終章の「コロナ禍がやってきた-令和の小説を読む(2021)」ではさすがに、半分くらいの本を読んでいた。しかし二人の発言には共感するところが多かった。共感した箇所に付箋を貼っておいたのだが、あとで確認するとほとんどが高橋の発言だった。斎藤に共感しなかったわけではなくて、たぶん斎藤が挑発役となり高橋がまとめ役という役割分担がなされたためではなかろうか。以下、付箋部分。
「ほんとうに社会のことが知りたいのなら、小説を読むべきなのである。…小説家たちは誰よりも深く、社会の底まで潜り、…そのすべてを小説の中で報告してくれるのだから」(はじめに)。「おもしろいのは、やっぱり3.11以降のひとつの問題は、原発に反対する側がシリアスになり過ぎていることなんだよね。厳しい問題であるほどユーモアが必要で、あんまり厳しい顔をしていると反対も続かないと思うんだ」(第2章)。「やっぱり小説は、どこかで不遜な、野蛮なものであってほしい。…作家は、守るべきモラルもあるけど、大抵のことは守らなくてもいいっていうのが、実は小説の、ある種の生命線だと思っている」(第3章)。田中康夫の「33年後のなんとなく、クリスタル」に触れて、高橋は「なんクリ」の解説で、「この本は資本論」としたうえで「33年後に問題になっているのは…レーニンの帝国主義論」「だから、このあとは『実践論』だね。毛沢東の(笑)」(第4章)。「3.11の問題にしても、原発の問題にしても、昨日今日始まったんじゃなくて、この社会が生んだ必然的な帰結だとするなら、明治維新から描かなきゃダメだろうと」(同)。高橋は自身のラジオ番組で女性作家の作品ばかり選んでいるという指摘に「結果として女性のものが圧倒的に多い。小説だけじゃなく、詩でも短歌でも…気になる言葉を発信している人たちは、どこかでマイノリティの声を代弁している。すると必然的に女性が多くなる」(第6章)。ブレイディみかこの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」について「しかもこれがすごく売れたのがいいですね。理想の社会を生きているから羨ましいんじゃなくて、そこで起きている葛藤が羨ましい」(同)。コロナについて「感染症は単なる病気じゃなくて、文明の病なんですね。文化や文明と交流するようになって初めて、感染症が一つの地域を超えて伝播していった」(同)。コロナ禍と3.11はどこかで通底しているのだ。

9月某日
午前中にマッサージを受ける。11時からの予約だったが15分ほど遅刻してしまった。12時に自宅に帰り昼食。我孫子から各駅停車で大手町へ向かう。社保研ティラーレで次回の「地方から考える社会保障」の打ち合わせ。吉高会長、佐藤社長と私、それに松下政経塾生の宗野君が加わる。吉高会長と私が70代、佐藤社長が50代、対して宗野君は30歳前後で新鮮な意見を言ってくれるのでうれしい。17時45分に御徒町の吉池食堂で前の会社の同僚の石津さんと待ち合わせているので17時に社保研ティラーレを辞去。吉池食堂へ行くと金曜日ということで結構混んでいた。カウンターに案内されてメニューを見ていると石津さんが登場。2時間ほど食べて呑んで喋って帰る。家で大分の焼酎「銀座のすずめ」の封を切り呑み始める。旨い。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「楽しく読むだけでアタマがキレッキレになる奇跡の経済教室【大論争篇】」(中野剛志 KKベストセラーズ 2022年3月)を読む。著者は現役の経産官僚で1971年生まれ、東大教養学部(国際関係論)卒業後、通産省に入省。影響を受けた人物に小林秀雄、佐藤誠三郎と並んで西部邁を挙げている(ウイキペディアによる)。本書を私なりに要約すると月刊誌「文藝春秋」の2021年の10月号に掲載された矢野康治財務次官の「財務次官、モノ申す『このままでは国家財政は破綻する』」という論文(通称矢野論文)を批判するかたちをとりながら、日本の経済学者や政治家を徹底的に批判した書である。矢野論文を私は未読だが、本書によると「財政出動や減税を求める与野党の政治の議論を『バラマキ合戦』と批判した上に、こんなことでは日本の財政はいずれ破綻すると警鐘を鳴らし、『タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの』」という内容だ。一言でいえば財政健全化論で、内容的に別に新しいものではない。ただ現役の財務次官が「文藝春秋」に寄稿したということで話題を呼んだ。
著者はMMT(現代貨幣理論)や「機能的財政」という考え方を参考にしながら、「政府は、国庫が空っぽでも、お金を無尽蔵に生み出すことができるのです。(念のために付言すると、インフレを気にしなければ、ですが)」と主張する。これはつまり、国債をどんどん発行して国の借金を増やすべきだ、という考えである。そして「防災、健康・医療、防衛、環境対策、教育など、政府として当然やるべき仕事をやるために、財政支出を拡大すれば、需給ギャップは埋まって、経済は成長する」とも主張する。過激でトンデモ経済理論にも受け取られかねないが、著者の主張には「インフレを気にしなければ」という留保が付いていることに着目すべきだろう。さらにMMTや機能的財政論の他に著者の思想の根底にはケインズの思想があることにも注目したい。どうも私たちは国の財政を家計とのアナロジーで考えがちである。「家計の収入の10数年分の借金を抱える日本財政」とかね。しかし国は通貨の発行権を持っている。家計にはもちろんそれがない。ロシアのウクライナ侵攻以前であれば私も著者の考えに全面的に賛成をしたであろう。しかし、ウクライナ侵攻以降、円安は進み原油や小麦などの輸入物価は高騰している。世界的なコストプッシュインフレが進んでいる。この段階での著者の見解を聞きたいものだ。

9月某日
午前中、近所でマッサージ治療を30分受けた後、柏へ。頂いた商品券で柏高島屋でウイスキーを購入するためだ。高島屋ではバーボンのMARKERSMARKを購入。アルコール度数45度だ。柏では他にどこにも寄らず我孫子へ。我孫子では近所の蕎麦屋、湖庵で蕎麦を頂く。家へ帰って「赤い長靴」(江國香織 文春文庫 2008年3月)を読む。単行本は2005年1月で出ているから15年以上前の作品。結婚10年になる日和子と逍三の日常を描く連作短編集。二人には子供はいない。結婚前や新婚時代のような強い恋愛感情は消えていて、しかも子供はいない。そんな夫婦関係は何によって成立しうるか、というようなことを考えさせられた。作家の青木淳悟という人が解説で「家庭の平穏さのその底では、二人の心理が絶えずゆれ動き、浮き沈みしている」と表現しているが、まさにそんな感じだ。

9月某日
「そばですよ-立ちそばの世界」(平松洋子 本の雑誌社 2018年11月)を読む。本の雑誌に連載していたものを単行本化したもの。平松洋子が都内の立ち食いそばを訪ね、実際にそばを食しつつ家族のファミリーヒストリーに迫る。私は立ち食いそばをほとんど食べたことがなかったのだが、この本を読んでその奥深さを垣間見ることができた。川一(台東区台東)、そばよし(中央区日本橋本町)、峠そば(港区虎ノ門)には行ってみたい。そして新潟のへぎ蕎麦に加えて日本酒も提供するがんぎ新川一丁目店には17時以降ぜひ。

9月某日
某財団法人の「保健福祉活動支援事業」運営委員会に参加。この財団法人は公益事業の一環として介護事業者やヘルパー向けにセミナーを実施したり、調査研究事業の助成を行っているが、その報告を受けてコメントするというものだ。介護現場での人手不足はかなり深刻なようで、「ICTやロボットの導入が急がれますね」という無難なコメントをしておいた。某財団法人の近くにある法律事務所に寄って情報交換。その後、千代田線の霞が関から我孫子へ。我孫子駅北口の南フランス料理とワインのお店「Bistoro Vin‐dange」(ビストロ・ヴァン・ダンジュ)で神山弓子さんと大谷源一さんと会食。神山さんにすっかりご馳走になる。

9月某日
「そばですよ」に続いて平松洋子の「食べる私」(文藝春秋 2006年4月)を読む。「そばですよ」は立ち食いそばの食べ歩きだが、こちらは著名人と食の関りを、平松洋子がインタビューで明らかにしてゆく。もともとは「オール読物」に連載されていたもので、インタビューした著名人はデーブ・スペクターから樹木希林まで29人。食文化や発酵学が専門の小泉武夫をインタビューしたのは神田の「鯨のお宿 一乃谷」。これは前の会社にいたときランチで何回か行きました。「食べる」という行為は人間、人柄が出るものだということを知らされる一冊。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
「暗鬼」(乃南アサ 文春文庫 2000年10月)を読む。初出は1993年角川文庫である。たまたま図書館で目にした本だが、新聞やテレビ、週刊誌で話題となっているカルト宗教を思い起こされる内容となっている。両親、弟妹、祖父母に曾祖母という大家族が同居する一家に嫁いだ法子が主人公。東京郊外の小金井に広壮な屋敷を持ち他に何軒かの家作を持つ婚家の本業は米屋で、米穀以外にも燃料や調味料も扱っている。家族仲は睦まじく法子も何不自由のない生活を送っている。ある日、店子の一家が無理心中で亡くなるまでは。以下、中村うさぎの解説に沿ってこの小説の中身を見てみたい。中村は「家族とは、ひとつの宗教である」と断言し、「その教義や秘儀は、多かれ少なかれ、他者を戸惑わせるモノなのである」とする。私は毎晩の晩酌を欠かせない。私の実家もそうであったし、私の連れ合いの父上も酒飲みであったから、連れ合いも私の飲酒には好意的(?)である。しかし酒を呑む習慣のない家で育った女性と結婚していたらどうであろうか、そうとう悲劇的な晩飯風景となったのではなかろうか。中村はこの小説を「『家族という名の宗教団体』の得体の知れない暗闇を、外部からの闖入者である『嫁』の目を通して、きわめてミステリアスにグロテスクに描いている」とする。安倍元首相を狙撃した容疑者の母親は旧統一教会の信者となって教団への献金を繰り返し、家庭は崩壊した。中村は「時代とともに、日本の家族は解体した」とし、「家族を失うことで、我々は宗教を失」い、そして「新たな宗教観・世界観を求めて」「新興宗教や自己啓発セミナーに逃げ込んだ」と指摘する。1993年が初出のこの小説は、カルト宗教の現在を予感させるのである。

9月某日
「昭和史講義【戦後文化篇】(下)」(筒井清忠編 ちくま新書 2022年7月)を読む。この新書の袖には「『昭和史講義』シリーズの最終配本となるこの戦後文化篇の下巻では、さまざまなジャンルの映画作品とそれをつくった監督たち、テレビドラマからアニメ、雑誌に至るまで、百花繚乱のメディア文化を、19の観点から第一線の研究者がわかりやすく解説する」と綴られている。私の家に白黒テレビが入ってきたのは私が小学校の4,5年生の頃だったと思う。それまでの娯楽といえば漫画雑誌、トランプなどの室内ゲーム、空き地でのチャンバラそして映画であった。今でこそほとんど観なくなった映画だが、中学生くらいまでは夏休みや冬休み、GWには必ずといっていいほど映画館に行っていた。本書にも出てくる「ゴジラ」「明治天皇と日露大戦争」「若大将シリーズ」などは映画館で観た記憶がある。今でこそ映画監督は大学出が常識で、大島渚は京大、山田洋次は東大である。しかし本書によると、成瀬巳喜男も小津安二郎も木下恵介も黒澤明も大学を出ていない。「撮影所で育った叩き上げである」(第3講 成瀬巳喜男)。本書によれば劇作家の菊田一夫も大学出ではない。菊田は大学どころか「生地も実の両親も明らかではない。(中略)転々とした前半生なので、各地でゆかりの作家として紹介されている」(第13講 菊田一夫-歯を喰いしばる人生)。私は大学に入学すると再び映画を観るようになった。主として東映の仁侠映画である。本書によれば東映の「人生劇場・飛車角」(沢島忠監督 1963年)が仁侠映画の最初となっているが、1968年か69年に確か早稲田松竹で観たはず。シリーズの昭和残侠伝、網走番外地(いずれも高倉健主演)、緋牡丹博徒(藤純子主演)も観たねぇ。日本初の本格的劇場用アニメ「白蛇伝」も小学生の頃、劇場で観た。同作は東映動画の制作だが、「NHK朝の連続テレビ小説「なつぞら」(2019)の主人公・奥原なつのモデルとなったのは、東映動画に所属したアニメーター・奥山玲子である」(第15講 東映動画とスタジオジブリ)。

9月某日
「セカンドチャンス」(篠田節子 講談社 2022年6月)を読む。惹句に曰く「50歳を過ぎても、敗者復活(セカンドチャンス)の大逆転!」「麻里、51歳。長い介護の末母親を見送った。婚期も逃し、病院に行けばひどい数値で医者に叱られ、この先は坂を下っていくだけと思っていたが…」「水泳教室に飛び込んだら、人生がゆるゆると転がりだした」「人生、まだまだ捨てたもんじゃない」。主人公の通うスポーツジムは「プレハブのようなかまぼこ形屋根の平屋建てだ」。大手のスポーツジムとは大違い。主人公と主人公が通うジムにはポンコツ手前という共通項があるのだ。しかし主人公を加えた4人のチームはマスターズでの入賞を果たす。

9月某日
「新選組の遠景」(集英社 野口武彦 2004年8月)を読む。著者の野口武彦は1937年東京生まれ。早稲田大学文学部卒業後、東京大学大学院博士課程中退。神戸大学文学部教授を経て著述業。本書はタイトル通りに新選組のちょっとしたエピソードを残された資料から検証していく。近藤勇、土方歳三、沖田総司らは剣の遣い手として知られているが、彼ら3人の属した剣術の流派は天然理心流である。この流派は「剣術・柔術・棒術・気合術を総合した武術」で「勝つためには何でもやる下卒の兵法なのである」。また天然理心流は集団戦法を得意とした。近藤や土方は三多摩の農家の出身で「新選組には農村自警団の延長といった一面がある」。幕末、京都における過激派浪士の取り締まりには打ってつけと言える。新選組だけでなく幕軍全体が鳥羽伏見の戦いで薩長らの官軍に敗北する。これが戊辰戦争の行方を決定づけるのだが、土方は「武器は鉄砲でなければだめだ。自分は刀と槍で戦ったが、何の役にも立たなかった」と述懐している。土方は会津、蝦夷と転戦するが鳥羽伏見の戦いを教訓にして銃を中心とした近代戦に切り替えていく。野口武彦が早稲田大学在学中はちょうど60年安保の最中で、野口は日共の構造改革派リーダーだったという。