モリちゃんの酒中日記 1月その3

1月某日
「ポラリスが降り注ぐ夜」(李琴峰 筑摩書房 2020年2月)を読む。ポラリスは北極星の意味だけれど私にはアメリカの潜水艦発射ミサイルの名前として記憶している。最初にこの小説のタイトルを目にしたとき「ミサイルが降り注ぐ夜」と理解し、第3次世界大戦の話かと思ってしまった。実際はそんなことなくて「ポラリス」とは新宿2丁目のレズビアンバーの名前だ。バーを訪れる女たち、そしてその女たちを巡る男と女たち。台湾や中国籍の人々、性的マイノリティの人々…。現代社会は様々なマイノリティの人々が共存している。マイノリティは昔から存在したのだろうが、現代はその人々が声を大きく上げだした時代なのだろうと思う。李琴峰は1989年台湾生まれ、2013年来日とあるから、日本語は母国語ではなく「学んだ」ものだろう。李琴峰の日本語には私は微かな違和感を持つことがある。そして私にとってはそれも李琴峰の魅力となっているようだ。

1月某日
四谷の主婦会館(プラザF)で開かれた故小野田譲二氏の「お別れ会」に出席する。小野田譲二と言っても若い人にはピンと来ないと思うが、我々団塊の世代それも学生運動の経験者にとってはスターの一人だ。革命的共産主義者同盟(革共同)の政治局員、学生対策部長を務めたが後に革共同を離脱、「遠くまで行くんだ」グループを結成、雑誌「遠くまで行くんだ」を創刊した。私は小野田氏とは面識がないのだが、呼びかけ人に早稲田の高橋ハムさんと鈴木基司さんがいたので参加することにした。コロナのオミクロン株が広がるなか、大谷源一さんから「会費だけ払って参加を見送るつもり」と連絡があったが、「行こうよ!終わったら上野界隈で一杯やろう」と主張して行くことに。開始の14時頃にプラザFに着く。会費6000円を払って会場に入ると、大谷さんやハムさんがすでに来ていた。見渡せば老人ばかりだ。埼大や法大、早大、東大で小野田氏と関りがあった人が出て思い出を語っていた。高田馬場のジャーナリスト専門学校でも教えていたことがあったそうで教え子も弔辞を読んでいた。埼玉の駿台予備校での教え子が、「授業が終わると酒をご馳走してくれて、それが楽しみだった」と語っていた。面白くかついい人であったらしいことは十分伝わってきた。終って御徒町の中華料理屋「大興」へ行く。

1月某日
上野千鶴子と鈴木涼美の往復書簡集「限界から始まる」(幻冬舎 2021年7月)を読む。上野千鶴子は女性学、ジェンダー学の権威と言ってもいいと思うが鈴木涼美は誰? 巻末の略歴によると1983年生まれ、作家。慶應大学環境情報学部卒、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。大学在学中にキャバクラのホステス、AV女優などを経験したのち、2009年から日経新聞記者となり14年に自主退社。著書に「『AV女優』の社会学」「身体を売ったらサヨナラ」「愛と子宮に花束を」「ニッポンのおじさん」などがある。往復書簡中にも出てくるが父親は法政大学名誉教授で舞踏評論家、翻訳家の鈴木晶、エーリッヒ・フロム「愛するということ」の翻訳家、母親は2016年に亡くなった、児童文学研究家・翻訳家の灰島かり。インテリ一家で育ち高学歴、それでAV女優。なかなかのギャップであるが、そういうことを抜きにしても本書は面白かった。この往復書簡集は雑誌「幻冬」に1年間にわたって連載されたものをまとめたものだが、それぞれ「エロス資本」「母と娘」「恋愛とセックス」などのテーマが定められている。気になったところに付箋を貼っておいた。「恋愛とセックス」では「性と愛はべつべつのものだから、べつべつに学習しなければなりません。あるときからわたしは、愛より前に性を学ぶ若い女性たちの登場に気がつくようになりました。しかも男仕立ての一方的なセックスを。性のハードルはおそろしく下がったのに、性のクオリティは一向に上がらないことを」。これは上野から鈴木への書簡である。「フェミニズム」では「フェミニズムは卒業するものではなく、多様な色が織り込まれたカーペットから、必要な時に自分にとって救いとなる糸を拾い上げられるものであって欲しいし、多くの、それほど不自由ではなくとも、もう少し自由になりたいと感じている女性を、何か限定したトピックにおける意見の相違によって排除せずに、掬いあげられるものであって欲しいと切に思います」と鈴木から上野に書き送っている。同じ「フェミニズム」で上野から鈴木へ「ひとの善し悪しは関係によります。悪意は悪意を引き出しますし、善良さは善良さで報われます。権力は忖度と阿諛を生むでしょうし、権力は傲慢と横柄を呼び込むかもしれません」と書き送っている。上野も鈴木もまじめにまともに向き合っているのである。

1月某日
「食べる私」(平松洋子 文藝春秋 2016年4月)を読む。平松洋子は1958年、岡山県倉敷市の出身。東京女子大卒。食をテーマにしたエッセー「この味」を週刊文春に連載している。私は「この味」で平松が神田駅ガード下の立ち食いソバやの閉店を惜しんでいたことを覚えている。「食べる私」は芸能人や文学者、その他の有名人に平松が食についてインタビューした「オール読物」の連載を一冊にまとめたもの。デーブ・スペクターから樹木希林まで29人のインタビューが4章構成で掲載されている。私の個人的な好みからすると第4章(小泉武夫、服部文祥、宇能鴻一郎、篠田桃紅、金子兜太、樹木希林)が面白かった。小泉武夫をインタビューしたのは神田の「くじらのお宿 一乃谷」。この店は私が勤めていた会社の近くで、何回かランチを食べに行ったし夜も何回か行った。小泉は発酵学者として知られるが、この本でのテーマは鯨。小泉は私より5歳年上だが、鯨に対する偏愛には同類を感じさせるものがあった。私どもの子どもの頃鯨は貴重品ではなく、学校の給食にもよく出てきた。牛や豚に比べると安価で大量に流通していたのだろう。宇能のインタビューは宇能の横浜の広壮な邸宅で行われた。宇能は今では官能小説家として広く認知されているが文壇デビューは芥川賞作の「鯨神」。小泉武夫とは鯨で繋がる。

1月某日
「墨東奇譚」(永井荷風 新潮文庫 昭和26年12月)を読む。墨東奇譚の墨にはサンズイがつき奇譚の奇には糸へんがつくのだが、私のパソコンの技術では出てこない。隅田川の東の物語というほどの意味であろう。永井荷風の小説を読むのは初めてであるが面白かった。昭和初期、大江匡という小説家が玉ノ井あたりでにわか雨に会う。持参の傘をさすと「檀那、そこまで入れてってよ。」と若い女が入ってくる。大江とお雪と名乗る娼婦の出会いである。本文中ではお雪は娼婦とは明示されていないが、当時の玉ノ井は有名な私娼窟であることからそう解釈されているようだ。お雪は大江と所帯を持つことを望むが、大江の足は次第に遠のいて行く。大江はときにお雪との出会いを思い出す。「わたくしとお雪とは、互いに其本名も其住所も知らずにしまった。…一たび別れてしまえば生涯相逢うべき機会も手段もない間柄である」。うーん、何とも風情がある。小説は大江すなわち作家の荷風が、お雪のことを切なく思い出すシーンで終わる。終った後に「作家贅言」として荷風の、その時代への想いが綴られるがこれが面白い。当時の慶應の学生とOBが野球見物(早慶戦であろう)の帰りに銀座によって乱暴狼藉を働く。かつて三田で教鞭をとったことがあったが早く辞めたのは賢明であったと書く。さらに慶應の経営者から「三田の文学も稲門に負けないように尽力していただきたい」と言われ、文学を学生野球と同列に論じていると憤慨している。

モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
厚労省1階のロビーで社保研ティラーレ社長の佐藤聖子さんと待ち合わせ。時間より10分ほど早く到着したらすでに佐藤社長は来ていた。早速、社会・援護局の山本麻里局長を訪問、4月の「地方から考える社会保障フォーラム」への参加をお願いする。演題は「コロナ禍の経験を踏まえた地位K時共生社会の実現」に決まった。

1月某日
珍しく雪が降り、今朝起きてみると雪が残っていた。雪を避けて歩いていたらぎっくり腰になってしまった。マッサージの先生に話すと「広い意味で雪害ですね」。今週は毎日、マッサージに通うことになった。

1月某日
「彼岸花が咲く島」(李琴峰 文藝春秋 2021年6月)を読む。今年の芥川賞受賞作だ。李は1989年台湾生まれ、2013年に来日というから24歳の頃。台湾にいるころから日本語を習得していたというが、それにしても日本語で小説を書いてしまうなんてすごいことだと思う。大海原にポツンと浮かぶ島が小説の舞台でタイトルともなった「彼岸花が咲く島」だ。島に流れ着いた少女と、その少女を助けた島の少女が主人公だ。「本作はフィクションで、作中に登場する島は架空の島です」と注意書きが付けられているが、沖縄列島の先の方、台湾に近い島であろう。この島では〈ニホン語〉と〈女語〉(ジョゴ)と二つの言語が話されているが〈ニホン語〉は島固有の方言であり〈女語〉は現代日本語に近い。二人の少女はノロ(巫女)を目指し、試験に合格してノロとなる。ノロの長老、大ノロから島の歴史が語られる。私はこの小説を読んで、日本という国の成り立ちについて考えることになった。単一の言語を話す単一民族の国と思われがちだが、北方には独自の文化と言葉を持つアイヌ民族がいるし、沖縄にも独特な方言と文化がある。万世一系の天皇の支配した大和朝廷だけが日本ではないのだ。

1月某日
BSプレミアムでアメリカ映画「悲しみは空の彼方に」を観る。アメリカでも日本でも1959年に公開されている。ストーリーは夫を早くに亡くしながらも舞台女優を目指すローラは、娘のスージーとニューヨーク郊外の海水浴場へ遊びに来ていたが娘とはぐれてしまう。娘は黒人女性アーニーの娘サラジェーンと遊びに興じていた。失業中のアーニー親子をローラは家に招く。アーニーは料理の腕を活かしてローラの家に住み込みで働くことになる。アーニー親子は母親は外見上も黒人だが、娘のサラジェーンは父親が白人だったことから見た目は白人と変わらない。ローラは舞台女優として成功し映画界にも進出し、富と名声を得る。これだったらハッピーエンドだが、この映画はここで暗転する。ローラ綾子もアーニーも人間は人種によって差別されてはならないという考えを持っているが、サラジェーンは白人として生きてゆこうとする。家出したサラジェーンは踊子として生きてゆく。人種差別を禁止した公民権法案は1964年である。この映画が法案の成立の後押しをした可能性がある。アーニーは死んで黒人霊歌が歌われ荘厳な葬儀が営まれる。葬列が進む中、喪服のサラジェーンが葬列に近付き母の棺に泣いて謝罪する。アメリカ開拓期の黒人奴隷の存在はアメリカの恥である。南北戦争後も続いた黒人差別も同様である。日本人も偉そうなことは言えない。今も続いている部落差別、明治以降の中国人や朝鮮人差別、沖縄やアイヌへの差別、これらに真剣に向き合うことなくして日本の民主主義はありえないと思う。

1月某日
「乃南アサ短編傑作篇 岬にて」(新潮文庫 平成28年3月)を読む。著者が新潮社から出版した短編集の中から「傑作」を集めたということらしい。読んだ記憶のあるものが何篇かあるのもそのためだろう。乃南アサって長編もうまいが短編も巧みですね。終り方も人情味あふれるものがあり、ホラー的な終わり方があり、破滅的な終わり方もある。作者の人物造形の巧みさによるところが大きいのだろうが、今回、気が付いたのは地方もの(高知、宇和島、知床)、伝統芸能もの(能面づくり、陶芸)などで、風景描写や伝統芸の周辺描写も巧みさに驚いた。取材も並大抵ではないと思う。

モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
「可能性としての戦後以降」(加藤典洋 2020年4月 岩波現代文庫)を読む。加藤は1948年生まれ、2019年に亡くなっている。本書の単行本は1999年3月に岩波書店から刊行された。Ⅲ部構成で先ほどⅠ部の「『日本人』の成立」を読みおわった。初出は明治学院論叢「国際学研究」第2号(1988年3月)である。自分が日本人であると意識するのはどういうときか? 湾岸戦争や中東危機のとき、自衛隊の艦船や兵員、航空機が派遣されるとかすべきでないとか議論されたとき、日本はどうなるんだ、日本人としてどうすべきだ、というふうに考えたのは事実だし、東日本大震災のときも、そしてコロナ禍の今も、そんなことを考える。アメリカはイギリスから脱出した清教徒がアメリカ東海岸にたどり着いて独立宣言を発出したのが国の始まりだし、中国は辛亥革命、抗日戦争、国共内戦を経て中華人民共和国の成立が宣言された。同じようにフランスはフランス革命の結果、共和国となり、イギリスは名誉革命を経て立憲民主国家となった。日本はどうか。3~4世紀に九州北部から近畿地方にかけて部族国家が成立し、中国大陸との交渉があったのは歴史的な事実だ。その国家の一つが邪馬台国である。
しかしこの頃はわれわれの先祖は日本人ではなく倭人と称していた。日本書紀の成立が720年で完成まで40年を要したというから日本という呼称は600年代、7世紀にはすでに使われていたのではないか。加藤は「『日本書紀』を作っているのは、『日本人』になろうとする「倭人」たちなのである」と書いているが、うまいことを言うね。いくつかの部族国家がまとまって倭国が成立したと思われるが、その長は大王(おおきみ)と呼ばれた。天皇と呼ばれるようになったのは雄略の頃だったか。高句麗人、新羅人、百済人と並んで倭人(日本人)がいた。日本海を通じて朝鮮半島と日本列島は親密な交流があり、日本と百済の連合軍が新羅に敗れた白村江の戦いなどの戦争行為もあった。朝鮮半島から日本への移住も盛んで、仏教や最新の文物、技術とともに日本に移り住んだ彼らは帰化人と呼ばれた。蘇我氏の先祖も帰化人という説もあり、天皇の妃が朝鮮半島の出身という例もある。どうも日本人が朝鮮人や中国人を差別するようになったのは明治以降らしい。これはやはり恥ずべきことと言わざるを得ない。

1月某日
社保研ティラーレに年始の挨拶。吉高会長と1時間ほど雑談。千代田線霞が関から町屋へ。「ときわ」で16時から大谷さんと呑む約束。「ときわ」に行くと16時30分からスタートと張り紙が。仕方ないので近くの蕎麦屋で生ビールで時間をつぶす。16時30分に「ときわ」に行くと7~8人の行列ができていた。栃尾油揚げやナマコを堪能。

1月某日
「カムカムエヴリバディ」を毎日欠かさず観ている。「カムカム」は1日に4回放映される。第1回目は朝7時30分からでNHKのBSプレミアム、2回目は8時30分からNHKで、同じものがお昼の12時45分から再放送、最後に11時からNHKBSプレミアムで。上白石萌音が主演した岡山編が年末で終わり、現在は深津絵里が上白石萌音の娘るいを演ずる大阪編だ。昭和38年頃の大阪だ。私はその頃、北海道の室蘭市で中学生だった。テレビが普及してきたが、映画は娯楽の王者の最後の光芒を放っていたように思う。るいが弁護士の卵と初デートで観に行った映画が「椿三十郎」。主演が三船敏郎、敵役が仲代達矢。私も観ましたね。「カムカム」もそうだがNHKの朝のテレビ小説って、戦争の影が色濃く残っているのが多い。「ひよっこ」ではヒロインの叔父さんがインパール帰りだったし、「エール」では作曲家の主人公が戦地慰問をするし戦意高揚の曲も作っている。日中戦争から太平洋戦争に至る「この前の戦争」は日本にとって大変な戦争だったんだと改めて思う。

1月某日
NHKBSの「呑み鉄本線日本旅」を観る。俳優の六角精児が地方の鉄道に乗るという趣旨の番組なのだが、ゆく先々の美味いもの美味しい酒との出会いも見どころ。今日は宗谷本線を起点の旭川から終点の稚内まで。美味しいものは稚内での水ダコのしゃぶしゃぶ、美味しい酒は日本最北端の「ブルアリー」での地ビール、ここのビールには白樺の樹液が入っているそうだ。

モリちゃんの酒中日記 12月その4

12月某日
「のろのろ歩け」(中島京子 文春文庫 2015年3月)を読む。単行本は2012年の3月である。「天燈幸福」「北京の春の白い服」「時間の向こうの一週間」の3作が収録されている。舞台はそれぞれ現代、というか2010年ごろの台湾、北京、上海である。タイトルの「のろのろ歩け」は、「北京の…」で中国初の女性誌創刊のために北京を訪れた夏美が屋台で饅頭を買ったときにマンマン・ゾウと声かけられることに由来する。漫漫走、のろのろ歩けという意味である。「天燈幸福」は亡母の知己である3人の台湾男性に会いに行く美雨のちょっとしたロードノベルだ。相棒は花蓮(ファレン)へ行く列車で知り合った台湾人のトニー。本筋とは関係ないが台湾料理がおいしそう。「北京の…」は活き活きと働く北京のスタッフの描写が見どころ。「時間の…」は北京で働く夫と同居するために北京を訪れた亜矢子が中国人の案内で不動産を見て歩く。実はこの中国人は…。なかなか上等な短編集であった。

12月某日
「くらしのアナキズム」(松村圭一郎 ミシマ社 2021年9月)を読む。著者の松村圭一郎の本を読むのは初めてではない。3年ほど前、同じミシマ社の「うしろめたさの人類学」を読んだ。SCNの高本代表に借りた。エチオピアでのフィールドワークについて書いたものと記憶しているが、人類学的な観察対象のエチオピアの人たちとの交流が対等な目線で記録されていていたと記録する。今回、松村の関心はアナキズムに向かうのだが、「人類学の視点から」というのがユニークだ。もっともこれには先達がいて2020年に急逝したデヴィッド・グレーバーで、「アナーキスト人類学のための断章」などの著作がある。グレーバーの著作はアナキスト文人、栗原康の「サボる哲学-労働の未来から逃散せよ」でも引用されていた。それはさておき、松村の考えにはほぼ全面的に同意する。何十万年かの人類の歴史の中で国家が誕生したのは紀元前3300年頃のメソポタミアでウルクと呼ばれる都市国家だった。人類史のなかでは比較的、「新しい」エピソードなのだ。フランスの人類学者ピエール・クラストルは「『未開社会』が国家をもたないのは、国家をもつ段階に至っていないからではなく、むしろあえて国家をもつことを望まなかったから」と言っているそうだ。文明とは?進歩とは?幸福とは?…いろいろと考えさせるところの多い本であった。

12月某日
「秘密の花園」(三浦しをん 新潮文庫 平成19年3月)を読む。巻末に「本書は2002年3月マガジンハウスから刊行された」とあるから、初出はマガジンハウスの雑誌かな、女子高を舞台にしていることからすると若い女性向けの雑誌かも知れない。小説は「洪水のあとに」①「地下を照らす光」②「廃園の花守りは唄う」③の3部構成で、語り手は①が那由多、②が淑子、③が翠、3人とも幼稚舎から高校まである横浜の聖フランチェスカ学園の高校の同級生だ。那由多はサラーリーマン家庭の娘で最近、母を亡くした。淑子は鎌倉の病院の娘で、夏休みに一家でモルジブに行くほどの金持ちの家だ。翠は東横線の白楽駅の小さな書店の娘で弟がいる。三浦しをんは中高が確か横浜のフェリスだから、彼女の体験の一部がもとになっているのかも知れない。彼女のデビュー作は2000年の「格闘する者に〇」だから、デビュー間もない作である。小説の一つの軸となるのが、淑子と国語教師の平岡との恋愛である。恋愛の過程で淑子は失踪するのだが平岡は平然と授業に出てくる。そんな平岡に対して翠は「愛のかけらを傲慢に投げ落としておいて、のらりくらりと日常を続けようとしている」と批判的である。小説が書かれてから20年後の今なら、平岡は責任を取らされて退職を迫られたであろう。恋愛するのにも窮屈な時代となったのか。

12月某日
「きみのためにできること」(村山由佳 集英社文庫 1998年9月)を読む。単行本は96年11月である。文庫本のカバーに印刷されている著者略歴によると、村山は64年生まれ、立教大学文学部卒、93年「天使の卵」で小説スバル新人賞、03年「星々の舟」で直木賞を受賞となっている。私は昨年、村山の関東大震災後に大杉栄とその甥とともに憲兵に虐殺された伊藤野枝の生涯を描いた「風よあらしよ」を読んだ。だが、村山が本領を発揮してきたのは恋愛小説らしい。「きみのためにできること」もテレビ制作会社の新米音声マンの高校時代からの恋人と10歳以上年上の女優でジャズシンガーとを巡る物語である。撮影で西表島や日本アルプス、房総半島を巡るから観光小説の面もあるが、何といっても新米音声マンの青春小説であり成長物語だね。

12月某日
近所の「絆」で今年最後のマッサージ。来年は1月4日からスタートということなので4日の11時30分からを予約。「絆」は30代前半と思われる二人の若い男性がやっている。そのせいか女性客が多いような気がする。マッサージ店を出た後、我孫子市の農産物直売所「アビコン」を訪問。粉末の玉ねぎスープとレタスを購入する。アビコンからの帰りにパン屋「まきば」によって、「チキンレバームース」を購入。家に帰ってスマホの万歩計アプリを見たら9300歩。家にあったニンジン、ピーマン、玉ねぎに買ってきたレタスを刻み、キムチを隠し味にご飯と卵を炒めてチャーハンを作る。玉ねぎスープと一緒に本日の昼食である。
「学歴貴族の栄光と挫折」(竹内洋 講談社学術文庫 2011年2月)を読む。竹内は1941(昭和17)年生まれ。佐渡ヶ島育ちで京大教育学部を卒業。民間企業に務めた後、大学院に進学、京大の教員となる。何年か前にこの人の確か「教養主義の没落」を読んだことがある。その中で学生時代に「吉本隆明もいいけど清水幾太郎(福田恒存だったかもしれない)もいいぞ」と言ったら、女子大生に「この人、ウヨクよ」と言われたエピソードを紹介し、その頃は「この人、バカよ」と言われたに等しいと書いていたことを覚えている。竹内と私では竹内が6歳年長ということになるが、私の学生時代も同じような感じだった。モノゴトの本質を書物から学ぶのではなく、世間的な評価それも学生というきわめて狭い世間の評価で書物や著者を評価していたのである。それはともかく本書は「旧制高校」を通して150年に及ぶ日本の高等教育を論じている。小学校―旧制中学―旧制高校―大学というのが戦前のエリートコースであった。戦後、旧制高校は廃止され六・三・三・四制の単線系教育システムに移行した。しかし旧制高校的エリート意識は残った。このエリート意識が最終的に解体されたのは1960年代末から70年代にかけて闘われた学園闘争(著者は大学紛争と書いているが)によってである。同時期の丸山眞男と吉本隆明の論争、対立にも学歴貴族と傍系学歴の対立を見る。丸山は一高、東京帝大法学部、法学部助手から助教授、教授と絵に描いたようなエリートコースを歩んだ。対して吉本は高等小学校から府立化学工業学校→米沢高等工業学校→東京工業大学という傍系コースを歩んでいる。竹内によると「吉本はすでに安保闘争直後のころから『進歩的教養主義・擬制民主主義の典型的な思考法』と丸山批判をしており、『ここには思想家というには、あまりにやせこけた、筋ばかりの人間像が立っている』という有名な文句が冒頭にでてくる『丸山眞男論』も書いている」という。私が大学生だった昭和45(1970)年には大学進学率は23.6%で、竹内は「昭和40年代は日本の高等教育がエリート段階からマス段階になったときである」と書いている。2018年で大学・短期大学への進学率は54.8%と過半数を超えている。高等教育のマス化がさらに深化、拡大しているのである。

12月某日
「光」(三浦しをん 集英社文庫 2013年10月)を読む。初出は「小説すばる」で2006年11月号~2007年7月号、2007年9月号~12月号、単行本化は2008年11月である。三浦しをんの作品に対する私の印象は、デビュー作の「格闘する者に〇」から始まって、直木賞を受賞した「まほろ駅前多田便利軒」、本屋大賞受賞作の「舟を編む」など、それなりに厳しい現実をユーモアに皮肉を交えて描くという印象だった。「光」の印象は全然異なる。最初の舞台は伊豆七島に付随したような美浜島。島民が全部で3百人に満たない小さな島だ。中学生の信之は同級生の美花と大人の眼を盗んでセックスを繰り返す仲だ。島を襲う大津波。島民の大半は流される。大津波が来た夜、美花が観光客でカメラマンの山中とセックスしている姿を目撃した信之は山中を殺害する。両親と妹を津波に奪われた信之は東京の施設で暮らし川崎市役所に務める。美貌の美花は映画俳優として注目を浴びる存在となっている。山中の殺害を目にした幼馴染の輔(たすく)も川崎で小さな工場で工員として働く。美花を守るために信之は第2の殺人を決意する…。爽やかさのまったくない、不穏なイメージの漂う小説。面白かったけれど。津波で多くの人が亡くなったのは2011年3月、三浦はその5年以上前に被害を予見するような小説を描いていたわけだ。

12月某日
「地球星人」(村田沙耶香 新潮社 2018年8月)を読む。村田沙耶香は仲間内では「クレイジー沙耶香」と呼ばれているらしい。なぜかは知らないがこの小説を読むと「さもありなん」と思えてくる。小学生の奈月は自分のことを魔法少女と認識している。長野のおばあちゃんの家で会う同い年のいとこの由宇は宇宙人だ。小学生の二人は結婚を誓い裸で抱き合っているところを親に発見される。二人の仲は引き裂かれる。塾の美貌の学生教師に凌辱された奈月は復讐に学生を殺害する。奈月の犯行は迷宮入りする。大人になった奈月は結婚し亡くなったおばあちゃんの家で由宇に再会し、そこでも惨劇が繰り返される。とストーリーを述べてもむなしいものがある。クレージー沙耶香だもね。

モリちゃんの酒中日記 12月その3

12月某日
「彼は早稲田で死んだ―大学構内リンチ殺人事件の永遠」(樋田毅 文藝春秋 2021年11月)を読む。1972年11月8日、早稲田大学文学部構内で文学部2年の川口大三郎君が文学部自治会のメンバーに拉致され、殺害された。本書は当時、文学部1年で文学部自治会を支配していた革マル派に抵抗した著者の綴る、半世紀ぶりのドキュメントである。私は72年の3月に政経学部を卒業しているから、川口事件を直接は知らない。が、革マルの暴力的な学園支配に抵抗した一人として本書には共感する点が多かった。私たち早大反戦連合と一部セクトとノンセクトの連合部隊は69年の4月17日、革マルの戒厳令を暴力的に突破、本部封鎖に成功した。しかし同年9月3日、機動隊の導入により全学の封鎖は解除され、革マルの学園支配は続くことになる。革マルの暴力的支配が悪いに決まっているが、それを暗黙のうちに認め、大学が徴収した自治会費を革マルの自治会執行部に渡していた大学当局の罪は軽くない。私たちは暴力で革マルに対峙したが、著者らは非暴力を貫く。フランス文学者の渡辺一夫の「寛容について」などに影響されたことがうかがえる。いま振り返ると著者らの非暴力路線が正しかったような気もする。暴力は暴力を産み際限がない。それは革マルvs中核、革マルvs解放派のように死人を何人も出す凄惨な内ゲバに繋がっていく。

12月某日
「格闘する者に〇」(三浦しをん 新潮文庫 平成17年3月)を読む。巻末に「この作品は2000年4月に草思社より刊行された」とあるから、1976(昭和51)年生まれの著者が24歳のときである。物語は出版社志望の大学生、可南子が出版社の入社試験に挑みながら数々の人生体験を経て大人(?)になってゆく姿をユーモラスに描いたものだ。おそらく早稲田大学文学部出身の著者の体験がもとになっていると思われるが、ストーリーや文章の完成度は大学を卒業したばかりの人とは思えないものがある。著者の小説や少女漫画の読書体験によるところが大きいのだろうか。なおタイトルの「格闘する者に〇」は、K談社の入社試験でK談社の社員が試験の説明で「該当する者に〇」を「カクトウする者に〇」と誤って読んだことに由来する。これって事実をもとにしている?

12月某日
図書館に「彼は早稲田で死んだ」を返し、三浦しをんと村田喜代子の小説を借りる。駅前の蕎麦屋「三谷屋」で遅い昼食を食べる。「親子丼、ご飯少な目で」と頼む。三谷屋は戦前からある古い店で志賀直哉邸や杉村楚人冠邸にも出前で行っていたかもしれない。680円だった。我孫子駅入口のバス停でバスに乗る。我孫子高校前のバス停はスーパーカスミの真ん前である。スーパーカスミで680円(税別)の国産ジンを購入。日曜と木曜にカスミを利用すると10%の割引券がもらえる。奥さんに渡すと喜んでいた。

12月某日
「ボーナスが出たのでご馳走しますよ」というメールが石津さんから来る。御徒町駅前のスーパー吉池の9階、「吉池食堂」で待ち合わせ。HCM社の大橋会長にも声をかけたという。17時30分頃に吉池食堂に到着、ほどなく大橋さんが来る。御徒町に会社のある大橋さんだが吉池食堂は初めてという。「あたしたちは常連だよね」と石津さん。石津さんは以前に勤めていた会社が湯島にあったとかで御徒町には土地勘があるのだ。石津さんはビール、私はビールから日本酒の常温、大橋さんは最初から焼酎のお湯割り。スーパー吉池はもともと総合食品スーパーなのでメニューも充実している。石津さんにすっかりご馳走になる。

12月某日
「屋根屋」(村田喜代子 講談社 2014年4月)を読む。村田喜代子は1945年福岡県八幡市(現北九州市)生まれ。築18年の木造住宅に住む主婦の「私」が主人公。雨漏りの修理に家を訪れた屋根屋の永瀬。永瀬は自分の見たい夢を自在に見ることができるという。「私」は自宅の寝床から永瀬の夢に合流、まず京都の古寺の瓦屋根を空から見に出かける。何度目かには「私」と永瀬は夢でパリを訪れる。パリではノートルダム寺院やランス大聖堂などの尖塔に遊ぶ。その後、屋根屋永瀬と連絡が取れなくなり、屋根屋の事務所兼住宅を訪れると人の影はなかった。他人の夢に合流して空を飛ぶという荒唐無稽な話ではあるが、「私」とゴルフ好きの夫と高校生の息子との生活や、屋根屋とパリでの食事風景などがリアルに描かれる。荒唐無稽とリアルの妙なバランス、そこに作家の腕があると思う。村田は中卒で鉄工所に就職、その後結婚して2児を設ける。1987年に「鍋の中」で芥川賞を受賞する。「中卒作家」で検索すると 村田喜代子のほかに西村賢太と花村萬月が出てきた。村田喜代子は現在では芸術院会員で大学の客員教授も務めているという。本当の実力に学歴は関係ないということである。

12月某日
「ルーティーンズ」(長嶋有 講談社 2021年11月)を読む。長嶋有は同郷なんだよね。ウィキペディアによると、生まれは埼玉県だが幼くして両親が離婚、母の故郷である北海道へ移り、登別市や室蘭市で育つとある。小学校は登別市立幌別西小学校だが、中学は室蘭市立港南中学、高校は道立清水ヶ丘高校だ。大学は法政大学文学部。私が住んでいたのは室蘭市の水元町というところで、文字通り水源地のある山間部にあり室蘭岳という標高911ⅿの山の登山口もあった。それに対して長嶋が通った港南中は港の南、絵鞆半島にあった。いずれにしても長嶋が生まれたのが1972年だから、室蘭市内で顔を合わせることはなかった。「ルーティーンズ」はナガシマさんというバツイチの小説家と、マンガ家である現在の妻そして3歳の娘を主な登場人物とする連作である。村田喜代子の小説を読んでいても感じるのだが、程よい脱力感があるんですよ。

モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
社保研ティラーレで吉高会長と佐藤社長に挨拶。新しい社団法人の設立準備で何かと忙しそうだった。15時30分に我孫子駅の改札で大谷源一さんと神山弓子さんと待ち合わせていたがちょいと遅刻。駅前のドトールコーヒーで待っていた2人とレストラン「コビアン」へ。大谷さんからはマスク、神山さんから石巻の銘酒「日高見」を頂く。社保研ティラーレでビールを頂いていたので私はジントニック、2人は生ビールで乾杯。さらに白ワインをボトルで2本空ける。2人によるとこのワインは値段が安い割に「旨い」ということだ。私の誕生祝ということで、今日は神山さんのおごり。申し訳なし。

12月某日
「私が語りはじめた彼は」(三浦しをん 新潮文庫 平成19年8月)を読む。三浦の小説は「まほろ駅前多田便利軒」「舟を編む」などを読んだが、私の印象は明るくユーモアも漂う物語というものだったが、今度の本は不穏な空気感満載という印象。「結晶」「残骸」など6つの短編で構成されている。大学教授の村川とその妻、娘、弟子がそれぞれの短編の語り手ないし主人公となる。ストーリーを要約するのは面倒、やや入り組んでいるので。でも私には大変面白かった。
森まゆみの「聖子-新宿の文壇BAR『風紋』の女主人」で聖子が太宰治と顔なじみで太宰の紹介で新潮社に入社したことを知った。そういえば太宰が「斜陽」という小説の舞台にした伊豆の別荘は私の母方の祖父、加来金升が建てたものだ。「大雄山荘」と名付けられたこの別荘に太宰の愛人であった太田静江が終戦後に滞在し、その手記か日記が「斜陽」のもとになったという。加来金升はアサヒ印刷とかいう印刷会社の創業者だったが戦時中、大日本印刷か凸版印刷に統合されたらしい。戦後も成城に屋敷を構えていが、私が遊びに行ったときは2階を貸していた。加来金升のことをネットで検索していたら「現代史のトラウマ」というブログに出会った。作者は加来金升の娘、加来都の息子らしい。ということは私のいとこ? ふーん、加来都という人のことは母からも聞いたことはないなぁ。母も3年前に死んでしまったし…。

12月某日
御徒町駅近くの「清龍」という居酒屋で呑み会。埼玉県蓮田市に本社のある清龍酒蔵という蔵元が都内に展開している居酒屋チェーンだ。17時集合ということで10分前に行くとまだ誰も来ていなかった。HCM社の大橋会長、ネオユニットの土方さんが登場して乾杯。年友企画の石津さんは17時30分まで仕事ということで遅れて乾杯。石津さんからチョコレートを頂く。土方さんが開発した「胃ろう・吸引シミュレーター」は今年も何台か売れたそうだ。宣伝や営業活動をほとんどやらないで売れたということは商品力があるということ。というわけで今日の支払いは土方さんが持ってくれた。ありがとう。

12月某日
北千住の「室蘭焼き鳥 くに宏」で呑み会。中学校、高校が同じだった5人が集まった。山本君が声を掛けてくれて千葉県警に務めた竹本君、我孫子市役所の坂本君、建築会社の今村君が集まった。5時に現地集合ということで5時前に北千住駅東口に行くと、山本君に声を掛けられる。店に行くと竹本君が来ていた。今村君、坂本君も来る。室蘭焼き鳥の特徴は豚肉と玉ねぎを串に刺したものを甘辛い醬油ダレで焼き、洋辛子を付けて食べるというもの。室蘭焼き鳥やエシャーレットを食べる。私はビールと日本酒を3本呑む。お勘定は一人3000円でお釣りが来た。

12月某日
「国家の尊厳」(先崎彰容 新潮新書 2021年5月)を読む。先崎彰容は1975(昭和50)年生まれ、東大文学部倫理学科卒、東北大学大学院博士課程を修了、フランス社会科学高等研究院に留学という経歴で現在は日大危機管理学部教授である。先崎の書いたものは割と読んできたように思う。先崎をどう評価するか?第4章の「戦後民主主義の限界と象徴天皇」から私なりに考えたい。先崎は2016年、当時の天皇が生前退位の意向を示した「お言葉」に関連して白井聡の「国体論」を取り上げる。先崎によると「国体論」の論点は、安倍政権の「戦後レジュームからの脱却」への批判であり、天皇発言はこうした論調に対する牽制であったというのが、「国体論」で論じられたとする。先崎はさらに白井について「あたかも人々を扇動するかのような語調で、政権批判を書きなぐっている」と評する。白井はリベラル派で安倍政権批判を繰り返してきたことからすると、先崎は反リベラルの保守派であるかのように見える。しかしどうもことはそう単純ではないことが、本書にも出てくる三島由紀夫、ルソー、ハンナ・アーレントなどの評価からうかがえるのだ。先崎先生には新書の執筆やテレビ出演ではなく、日本の思想についての専門書の執筆を勧めたい。

12月某日
社保研ティラーレを訪問。吉高会長も佐藤社長も新規事業の準備で気合が入っているようだ。本日はフィスメックの小出社長、社会保険出版社の高本社長、高本さんの奥さんでセルフケアネットワーク代表の真佐子さんと会食の予定があるので会場の「磯自慢」まで歩く。真佐子さんに高級チョコレートをいただく。「磯自慢」の料理は味が美味しいだけでなく、その見た目や器にこだわりがあるようだ。美味しい日本酒をたくさんいただいた。小出社長にご馳走になる。今月は今のところ3勝1敗1引き分け。何のことかというと勝=ご馳走になる、負=ご馳走する、引き分け=割り勘、である。負けは香川さんに中華をご馳走した件だが、香川さんは酒を呑まないので、引き分けに近い負けであった。

モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
BSTBSの「町中華で飲ろう」を観る。芸人の玉袋筋太郎が町中華すなわち町場の中華屋さんを訪ねてビールまたは緑茶割りを呑みながらレバニラ炒め、餃子などを食する番組だ。ビールは大人の6・4・3すなわち643ミリリットルの大びん、緑茶割りは氷抜きが原則。今回はたまたま我孫子の隣の柏を訪問。1軒目は中華大島。父が倒れて店を継いだのがカレーライスを修業した息子、店の名前と壁に張ったメニューは以前のままだが中身はカレーの専門店。頼んだカレーは絶品だったが…。2軒目は柏と豊四季の中間にある悠楽。老夫婦のやっている昼は中華、夜はカラオケスナックという店。ビールを頼むとマグロと以下の刺身が出てきて…。3軒目は豊四季の赤門、こちらは本格町中華であった。番組は後半、モデルで女優の高田秋がレポーターを務めて船橋を訪ねる。

12月某日
テレビ東京の「家ついて行ってイイですか?」を観る。街角で声を掛けて家までのタクシー代やコンビニでの買い物代をテレビ東京で負担するから、その人の家までついて行くというものだ。家について行って冷蔵庫をのぞいたり家族のことをインタビューしたりする。これも一種のファミリーヒストリーだ。この日最後に放映されたのは「豪雪の小樽で酒飲む男性…亡き妻へ贈る曲」。若くして最愛の妻を亡くした男が定年退職後、生まれ故郷の小樽へ帰る。趣味はシンセサイザーによる作曲。シンセサイザーを弾きながら妻を偲ぶ歌を口ずさむ。泣けますね。収録のあとしばらくして番組スタッフが男のもとを訪ねるとすでに男は死亡していたという。最愛の妻のもとに旅立ったのだ。ドラマ以上にドラマチック。
「サボる哲学-労働の未来から逃散せよ」(栗原康 NHK出版新書 2021年7月)を読む。栗原は1979年埼玉生まれ、早稲田大学の政治経済学部大学院博士課程出身で白井聰とは同じゼミだったそうだ。東北芸術工科大学の非常勤講師を務める以外は定職を持たず年収200万円を公言する。自他ともに認めるアナキストだからね。アナキストに金持ちは似合わない。ロシアの高名なアナキストであったクロポトキンは公爵家に生まれたが亡命しているからね、金には恵まれなかったろう。幸徳秋水や大杉栄も金には苦労したらしい。栗原はこの本でも「わたしはふだんあまりカネをつかわない。もちろん食料品や『麦とホップ〈黒〉』、タバコや本などは買うのだが、それ以外はほとんどつかわない」と書いている。でも栗原の本を読むとその学識の深さと広さに驚かされる。アナキズムは無政府主義という訳語が使われているが、語源はギリシャ語のアナルコス=無支配という意味で支配的な権力の最たるものが政府ということから無政府主義と訳された。栗原によると「いかなる支配も存在しない、そんな世のなかをめざしているのがアナキスト」ということになる。

12月某日
NHKBSプレミアムで「誰が為に鐘は鳴る」を観る。舞台はスペイン市民戦争、アメリカから人民戦線派に義勇軍として参加したロバート(ゲーリー・クーパー)は、ファシスト軍がおさえる橋の爆破を命ぜられる。人民戦線派の山岳ゲリラに協力を求めるがゲリラには美しい娘がいて食事作りを手伝っていた。この娘、マリア(イングリッド・バーグマン)はやがて恋仲となる。橋の爆破に成功したロバートと山岳ゲリラたちは馬で現場から逃走をはかる。敵の銃弾がロバートを射抜く。馬に乗ることが困難になったことを悟ったロバーツは現場に一人残り敵をひきつけることを決意する。マリアは「私も一緒に残る」と泣くが、ロバートは「僕は君のなかに生き続ける」と一人で機関銃を敵に撃ち放つ。エンドマーク。私はこの何年もテレビでしか映画を観ないが、そのなかで「ローマの休日」と「誰が為に鐘は鳴る」は何度も見た。「ローマの…」はオードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペックで1953年の制作、「誰がために…」は1943年の制作だ。1943年と言えば昭和18年、アメリカは太平洋で日本とヨーロッパではドイツと死闘を繰り返していた時期である。反ファシズムの戦意高揚の意味もあったのかも知れないが、この余裕は日本にもドイツにもなかったものだ。

12月某日
東京都美術館で開催されているゴッホ展を観に行く。上野駅公園口で香川さんと待ち合わせ美術館へ。ゴッホ展は過去何回も日本で開催されているが、今回はヘレーネ・クレラー=ミュラーという収集家が集めたものだ。ヘレーネ(1869~1939)は1907年かから近代絵画の収集をはじめ、実業家の夫の支えのもと11000点を超える作品を入手、とくにファン・ゴッホの作品では世界最大の収集家となった。今回のゴッホ展はオランダ時代の習作から晩年の「糸杉」や「悲しむ老人『永遠の門にて』」などが展示されていた。オランダ時代の養老院の老人たちをモデルにしたデッサンも数点展示されていたが、私は「コーヒーを呑む老人」が気に入った。友人の出雲さんに似ているように思ったからだ。2時間近くを美術館で過ごし香川さんと根津へ。根津駅近くの中華料理屋で食事。割と美味しかった。

12月某日
「定年ゴジラ」(重松清 講談社文庫 2001年2月)を読む。初刷が2001年2月で図書館から借りたこの本の奥付では2015年6月第40刷となっているから相当広範囲に読まれたんだろうな。舞台は東京西部のニュータウン、丸の内銀行を60歳で定年退職したばかりの山崎さんが主人公である。巻末に「本書は1998年3月小社より刊行」とあるから、物語の時点は1995(平成7)年ごろであろう。60歳の山崎さんは1935(昭和10)年生まれと推定される。今でも生きているとすれば今年86歳になった筈。ちなみに作者の重松は1963(昭和38)年生まれだから、山崎さんの子どもの世代である。私はこの小説を読んで向田邦子や田辺聖子先生の小説を思い浮かべた。サラリーマンないしはサラリーマンOBの悲哀がそこはかとなく感じられるからである。一昔前のテレビドラマならば山崎さん役を森繁久彌、長女の旦那役または次女の恋人役を竹脇無我が演じたかもしれない。私が現在住んでいるのは江戸川を越え利根川で茨城県と接する昭和40年代後半に造成された住宅地である。ニュータウンほど規模は大きくないし山崎さんの住むくぬぎ台ニュータウンほど住民が親密でもない。奥さんの親が建てた家だから、近所の家のご主人たちはほとんどが年齢も会社の役職も上の人たちだったからね。でもニュータウンもいつまでもニュータウンではない。成長し成熟しついには朽ち果てるのである。

12月某日
「聖子-新宿の文壇BAR『風紋』の女主人」(森まゆみ 亜紀書房 2021年11月)を読む。森まゆみは地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を創刊したことで知られる。地域や人のドキュメントを描く地道な仕事も続けている。私は「彰義隊遺文」、「しごと放浪記」しか読んだことはないが、もっと読んでみたい。この本の著者紹介では「中学生の時に大杉栄や伊藤野枝、林芙美子を知り、アナキズムに関心を持つ」となっている。確か岩波文庫の伊藤野枝の文章の解説は森が書いていたと思うが、そういうことなんだ。本書はアナキストで洋画家の林倭衛の娘である林聖子からの聞き書きをメインとするドキュメントである。林聖子の個人史でもあるが聖子につらなる人脈をたどると日本の近現代史にもなるくらいの凄いネットワークである。林倭衛は明治28(1895)年生まれ、伊藤野枝と同じ年だ。働きながら絵を学びアナキズムと出会う過程で10歳上の大杉栄と知り合う。代表作のひとつに「出獄後のO氏」があるがO氏とは大杉栄のことである。本書は第Ⅰ部戦前篇、第Ⅱ部戦後篇に分かれるが第Ⅰ部は主として林倭衛、第Ⅱ部は林聖子とその周辺について書かれている。私には第Ⅱ部がとても面白く感じられた。終戦前に父を亡くした聖子は近所に住む太宰治と知りあい、太宰の紹介で新潮社に入社する。入社後、太宰は玉川上水で心中するがその捜索にも聖子は関わっている。筑摩書房を経て舞台芸術学院で演劇を学び、後に映画監督となる勅使河原宏と同棲する。勅使河原の前に哲学者の出隆の息子、出英利と同棲するが英利は事故死してしまう。そして文壇BARとして後に有名になる「風紋」を開くことになるのだが…。私も「風紋」に行ったことがある。文芸出版社の腕利きの編集者だった竹下隆夫さんに連れて行ってもらったと思う。巻末に「林倭衛・聖子のまわりの人々」という図があるが、「風紋の客」として壇一雄、色川武大、粕谷一希、田村隆一、中上健次といったそうそうたる名前が挙がっていた。

モリちゃんの酒中日記 11月その4

11月某日
「海洞(KAIDO)-アフンルパロの物語」(三浦清宏 文藝春秋 2006年9月)を読む。三浦は先週、旧友の山本良則君から借りた「長男の出家」を読んだばかりだ。三浦は北海道室蘭市生まれ、私は生後1歳から予備校のために上京した19歳まで室蘭で育ったので親近感がある。「海洞」は刊行直後に図書館で借りた読んだ記憶があるが、内容はまったく覚えていなかった。「あとがき」まで含めると四六判で600ページ、しかも2段組と来ているから読みおわるまで4日ほどかかってしまった。だけど私にはたいへん面白く長さを感じさせなかった。主人公の名前は大浦清隆、三浦清宏と二字が同じということからも分かるようにこの小説は三浦の自伝的な大作なのだ。オリンピックを1年後に控えた昭和38年、清隆は10年ぶりに帰国する。アメリカに留学し、大学を卒業した後にアメリカやヨーロッパで働いていたのだ。帰国後、親戚の代議士、南原徳蔵の屋敷にしばらく居候する。南原は当時の北海道4区選出の南條徳男である。岸派のちに藤山派に属し農林大臣や運輸大臣を歴任した自民党の重鎮である。小説の主な舞台は清隆の居候先の東京と故郷の室蘭。
私の育ったのは水元町といって、その名の通り水源地に近い山の中であったのに対して、清隆が生まれたのは母の実家の武林写真館で、これは当時の室蘭の繁華街である海岸町にあった。清隆の母方の祖父、武林孝一郎が明治時代に苦労して創業した。北海道で3番目か4番目の開業であった。孝一郎のモデルと思われるのが武林盛一という実在の写真家だ。孝一郎の家は信州の本陣、脇本陣の家柄だが武林盛一は弘前の出身で、幕末に箱館奉行所で写真術を学び維新後、札幌で開業する。南原徳蔵は仙台の東北中学から一高、東京帝大法学部に進み弁護士になる。政友会の院外団で頭角を現し、北海道から衆議院選挙に挑戦し代議士となる。戦争中の大政翼賛会での活動が響いて戦後は一時、公職追放の憂き目を見るが追放介助後、保守党の有力政治家として復活する。要するに「海洞」は南原家と武林家のファミリーヒストリーを縦軸とし、清隆の仕事や恋愛で成長していく姿を横軸とした一大叙事詩なのだ。私はNHKの番組の「ファミリーヒストリー」を好きでよく見るが、「海洞」を面白く読んだのも同じ理由かもしれない。

11月某日
私の住んでいる町内(我孫子市若松です)にいつも行列ができているラーメン屋がある。床屋さんに行ったついでに、桂という名前のそのラーメン屋に行ってみた。私が行ったときはたまたま行列が途切れて並ばずにカウンターに座ることができた。ラーメン750円の食券を購入、待つこと10分ほどでラーメンと体面。煮干し味でチャーシュー2枚とシナチク、刻んだネギが載っている。確かに旨いとは思うが「行列して並ぶほどの味か」という疑問は残る。カウンター席だったので店主らしき人(30代後半から40代くらい)がラーメンやチャーハンを作る姿を見ることができた。当たり前ですが非常にまじめに作っていた。いらっしゃいませー、毎度ありがとうございます、またどうぞ、という店員の声、態度も心地良い。今度はチャーハンを食べにいこう。ラーメン屋を出るとまた行列ができていた。私はラーメン屋の向かいのスーパーカスミによってポーランドのウオッカ、ズブロッカを買って帰る。

11月某日
昨日は私の73回目の誕生日であった。私の誕生日は三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で自決した日でもあるし、私の母親の命日とも重なる。私の母親は政治的な人ではなかったがかなり徹底した平和主義者だった。ちょうど今、NHKテレビの朝ドラで上白石萌音が演じている主人公と同じくらいの年齢だったからね。今朝の朝ドラ「カムカム、エブリバディ」は萌音の夫の戦死が伝えられる場面だった。私の母親も晩年、何度か手紙をくれて「シゲオ、戦争だけはダメだよ。分かっているね」と書いてきたものだ。安倍、菅内閣の姿勢はどうも平和志向とは言い難い。被爆地広島選出の岸田首相はどうですか?
この時期、作家の車谷長吉さんと2回ほど呑んだことがある。浅草の大鳥神社のお酉様の帰りに入谷の「酒処侘助」だった。なんで車谷さんかというと私の兄の奥さんが小学館の編集者をしていた関係で詩人の高橋順子さんと親しく、高橋さんの夫が車谷さんというわけである。私が車谷長吉の小説のファンを知っている兄嫁が私にも声を掛けてくれたのだ。そういえば侘助にも行っていないなぁ。

11月某日
柏高島屋ステーションモールに出店している成城石井にウイスキーを買いに行く。品揃えは高島の酒類売り場よりはるかに充実している。バーボンの「オールドグランドダッド114」(OLDGURAND-DAD)を購入、114というのはアルコール度数57%ということ。海外産のジンやウオッカの場合、アルコール度数×2の数値が記載されていることがある。家に帰って早速試飲すると私好みの「濃くてほんのり甘い味」である。そういえば昔、根津のスナック「ふらここ」でママに呑ませてもらったことがある。これも昔であるが我孫子駅前の関野酒店にバーボンの「クレメンタイン」を置いてあってアルコール度数が50%くらいあったように思う。店のオバサンが「アルコール度数が高いほど旨いんですよね」と語っていた。
「オリンピックにふれる」(吉田修一 講談社 2021年9月)を読む。東京オリンピックって今年だったっけ?と思うほどオリンピックの印象は薄い、私にとっては野球の大谷選手のアメリカでの活躍や大相撲の横綱白鵬の引退の方が記憶に強く残っている。「オリンピックにふれる」は香港、上海、ソウルでの若者たちのスポーツと恋愛模様が描かれ、表題作では無観客の東京オリンピックの国立競技場にこだわる若者の話である。吉田修一は過去に台湾やタイを舞台にした小説を描いているが、アジアの若者の屈託を描かせるとさすがに巧い!

11月某日
「暗殺者たち」(黒川創 新潮社 2013年5月)を読む。ちょいと変わったスタイルの小説だ。著者と思しき作家が、サンクトぺテルブルグ大学日本語学科の学生たちに「ドストエフスキーと大逆事件」という演題で講演するという形で、安重根や幸徳秋水、菅野須賀子ら大逆事件に関係した人たちの人生の一端に触れていく。安重根は伊藤博文を哈爾濱(ハルピン)駅頭で暗殺し、幸徳らは明治天皇の暗殺を企てたとしていずれも処刑されている。大逆事件については何冊かの本を読んできたが、安重根については高校の歴史の教科書程度の知識しかなかったので、この本は興味深く読んだ。日本の初代内閣総理大臣にして、最初の韓国統監、暗殺当時は枢密院議長だった伊藤が暗殺されたのは1909(明治42)年10月26日、であった。暗殺者の安は1879(明治9)年に現在は北朝鮮に含まれる黄海沿岸で生まれる。伊藤をピストルで射殺したときは満30歳、その翌年、1910年3月に遼東半島の旅順監獄で死刑に処される。日本は明治維新前後から朝鮮半島進出の気持ちを持っていた。西南戦争の原因の一つも西郷の征韓論を巡るものだったし、日清、日露戦争も朝鮮半島の支配を巡る帝国主義戦争であった。日露戦争に勝利した日本は朝鮮半島支配、朝鮮人民支配を露骨に進め、1907年には韓国皇帝・高宗に退位を求め、韓国軍も解散させるに至る。ナショナリストであった安は抗日運動に身を投じる。伊藤が暗殺された翌年、安が処刑された韓国は日本に併合される。
一方、大逆事件は1910年5月25日、信州・明科で工員・宮下太吉が逮捕され、6月1日には幸徳が連行される。菅野は獄中にあったため改めて検挙されることはなかった。6月22付の時事新報に弁護士・横山勝太郎に不思議な手紙が届けられたという記事が掲載される。一見すると真っ白な紙だが、よく見ると、針で刺したような細かな穴が点々とあいていて、背後に黒い紙を当てると、はっきり文面が読み取れる。獄中の菅野からで「私外三名近日死刑ノ宣告ヲ受クベシ 幸徳ノ為ニ何卒御弁護ヲ願フ」と記されていた。いわゆる「針文字書簡」だ。これに対して、東京朝日新聞の記者であった杉村楚人冠は、「かくの如き密書を他に漏らすことを横山君は別に不徳と考えなかったのであろうか」という公開状を紙面に載せている。著者の黒川創は「社会主義者、無政府主義者に対する風当たりが猛烈につのるなかで、ただちに、こんな抗議を公にした杉村楚人冠は、勇気ある人物だったと言わずにおれません」と杉村の勇気を称賛している。杉村は後に我孫子市に居を構えることになるのだが、没後半世紀以上たった21世紀になってから一通の封筒が発見された。菅野から楚人冠に当てたもう一通の針文字書簡だった。横山弁護士への手紙と同様に幸徳の弁護士を依頼する一方で「彼ハ何モ知ラヌノデス」とも書かれている。幸徳秋水を事件に巻き込んでしまった菅野の気持ちが伺える。なおこの「針文字書簡」は我孫子市の楚人冠記念館に保管されている。ところで菅野は大逆事件当時は幸徳と結婚していたが、それ以前は荒畑寒村と事実婚の関係だった。寒村が赤旗事件で千葉監獄に入獄していたとき、「罪と罰」の英訳本が菅野から差し入れられる。この本には寒村のアルファベットによる署名と菅野の英文よる謹呈の言葉が遺されている。献辞入りの「罪と罰」を寒村は晩年、菅野の伝記小説を書き上げた女流作家贈呈している。最近亡くなった瀬戸内寂聴のことであろう。

モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
本日は10時30分からマッサージ、30分で終えて11時15分から石戸歯科クリニックへ。前回は50%以上あった歯磨きの磨き残しが25%になっていた。13時30分から社保研ティラーレで打ち合わせだったが20分以上遅刻してしまった。次回の「地方から考える社会保障」フォーラムの検討をしたが、吉高会長は新しいビジネスを構想しているようで、フォーラムは12月になったらまた検討することにする。16時から日暮里の「ばんだい」で大谷さん神山さんとの会食。神山さんにはいつも石巻の銘酒などを貰っているので、御徒町の松坂屋で日光カナ屋ホテルのバームクーヘンを購入。16時に「ばんだい」に入ると二人はもう来ていた。「ばんだい」にはベトナム人の美人バイトがいた。マスクをしているからか、女の人がみんな美人に見えてしまう。

11月某日
春日部駅で13時に小中高と一緒だった山本良則君と待ち合わせ。山本君の車で駅からちょっと離れたコメダ珈琲店へ。山本君はコーヒーとハンバーガー、私はポテトサラダサンドとコーヒーを頼む。ポテトサラダサンドは私にはちょっと量が多かった。コメダ珈琲には1時間以上いた。話すこともあまりないのだが、幼馴染というのはそこにいるだけでいいものだ(個人の感想です)。山本君から自分で作った里芋を渡される。山本君に東武伊勢崎線の「せんげん台駅」まで送って貰う。北千住で常磐線に乗り換えて上野駅へ。神田駅北口で17時30分に石津さんと待ち合わせだがまだ時間があるので神田駅近くの喫茶店で時間をつぶす。
17時30分に石津さん登場。神田駅界隈で前に行ったビストロを捜すが見当たらないので近くの「神田新八本店」へ。私は最初から日本酒、石津さんは生ビール。呑んだり食べたり喋ったりであっという間に時間は過ぎてお開きに。

11月某日
「未来」(湊かなえ 双葉文庫 2021年8月)を読む。湊かなえの小説を読むのは初めて。帯に「万感胸に迫るラスト、渾身の長編ミステリー」と刷り込まれていた。確かに読ませることは読ませるのだが。どうもリアリティに欠ける印象が。特に後半ね。複数のストーリーが交錯するのだが、私の頭が悪いのか関連付けるのが困難だった。

11月某日
山本良則君が貸してくれた「長男の出家」(三浦清宏 1988年2月 福武書店)を読む。三浦清宏は室蘭出身の小説家で1988年上期の芥川賞を本作で受賞している。「私」、妻、長男、長女という家族構成の一家が長男の中学生が出家を決意し、実際に禅寺に出家することによる家族の動揺、変容を描いている。この小説はおそらく三浦の実体験にもとづいている。この長男はどうなったのだろうか?三浦には「海洞」という室蘭を舞台にした長編小説がある。もう一度読んでみようと思う。フジテレビの「ザ・ノンフィクション」を観る。今回は立川談志の晩年の姿を談志自身や息子や娘の撮影で映し出す。談志は「落語は業の肯定である」と書いているが談志の人生そのものが業の追求であったと思う。咽頭がんが進行し死の直前までカメラを拒むことはなかったという。生前の西部邁と親交があったが、二人とも業が強そうだ。

11月某日
週に2回、近所の鍼灸マッサージに通っている。家を出て2~30メートル歩くと後ろから「おじいちゃん」と声を掛けられる。ふり向くと私よりも年上そうな女性が「おじいちゃん、大丈夫ですか?」と、気遣ってくれる。確かに私は脳出血の後遺症で右半身にマヒが残り、足を引きずって歩く。だけれど日常生活で他人の介助を受けたことはない。「ありがとうございます。すぐそこのマッサージ屋さんですから大丈夫です」と答えると、女性はさらに「ついて行きましょうか?」と聞くではないか。これも丁寧にお断わりしたが、傍から見ると私の歩行姿は介助が必要なんだといささかショックであった。

モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
社会保険福祉協会の「保健福祉活動支援事業」運営委員会に参加。社福協が実施している「福祉活動」について報告を受け、意見を言うことになっている。私以外は「ひつじ雲」の柴田理事長など介護事業の専門家であり、私などの出る幕はないと思うのだがあと2年、委員の任期が残っているのでそれまでは続けようと思う。新しく医院となった宮川路子さんを紹介される。宮川さんは慶應大学出身の医学博士で現在、法政大学人間環境学部の教授。社福協からの帰り、虎ノ門まで少し話すことができたが、とても気さくでそれでいて教育には熱意を持っているようである。虎ノ門で宮川さんと別れ私は日土地ビルのフェアネス法律事務所へ。渡邉先生から経過報告を受ける。遠藤代表弁護士からは今度出す本のゲラ刷を見せられる。年友企画の迫田さんとその後、呑む予定だったが迫田さんの都合がつかず延期。今日の晩御飯はいりませんと言ってあるので我孫子の北口の居酒屋で一人酒。

11月某日
昨日に引き続き東京へ。本日は社保研ティラーレで「地方から考える社会保障フォーラム」の会議。吉高会長、佐藤社長、社会保険研究所の総務部長と水野氏が参加。フォーラムはおおむね年間3回、3コマで実施することで合意。次回のだいたいの構想について私がまとめてくることになった。社保研ティラーレを出て神田駅に向かうと「森田さん」と声を掛けられる。HCM社の大橋会長である。事務所へ帰る大橋さんと上野駅までご一緒する。土方さんを入れて忘年会をやることで一致した。上野駅からはちょうど来た特別快速に乗車。日暮里の後は北千住まで止まらない。我孫子にも止まらないので柏で下車。高島屋の地下2回の酒売り場によって国産のジンを買う。柏駅北口の「庄屋」で一杯。

11月某日
「しごと放浪記-自分の仕事を見つけたい人のために」(森まゆみ インターナショナル新書 2021年8月)を読む。森まゆみは1954年生まれ、73年に早稲田大学政経学部政治学科に入学。私は72年に卒業だからキャンパスですれ違ったこともない。私は森まゆみの良い読者とは言えないが「彰義隊遺聞」などを楽しく読んだ記憶があるし、彼女たちが発行していた地域雑誌「谷根千」は何冊か買った記憶がある。30年以上前だが「年金と住宅」という雑誌の編集をしていたとき「古地図を歩く」という連載の取材で谷中の大円寺を訪れた。菊人形が展示されていたがその傍らで「谷根千」が売られていた。売っていたのは本文中に出てくる山崎範子だった。森は大学を卒業後、PR会社と出版社に2年務めた後フリーに。地域活動や景観保存活動、反原発の活動にも取り組む。離婚も経験した。この本を読むと、森まゆみは自立した市民の先駆けであると思う。岩波文庫の「伊藤野枝集」は森まゆみの編集である。あまりお金になりそうもない地味な仕事もきちんとやっているのである。

11月某日
「ハコブネ」(村田沙耶香 集英社文庫 2016年11月)を読む。初出は「すばる」2010年10月号、単行本化されるのは2011年11月である。村田は1979年生まれ、2016年に芥川賞を受賞しているが、その前に03年に野間文芸新人賞、13年に三島由紀夫賞を受賞している。ファミレスでバイトする19歳の里帆は異性とのセックスが辛い。自分の本当の性は男ではないかと疑う彼女は、乳房の存在を極端に抑えた服装で自習室に通い始める。そこで出会うのは女であることに固執する31歳の椿とその友人で生身の男性と寝ても実感が持てない知佳子だった。LGBTQなど性的な多様性に関心が集まったのはこの5年ほどのことではないか?村田が本書で描きたかったのは性の多様性、不可思議性なのではないかと思う(自信はないけれど)。村田の小説を読むといつも「ちょいと理解できないな」感が付きまとう。でもまた読んでしまうんだよなぁ。

11月某日
瀬戸内寂聴さんが亡くなった。99歳だった。私は昨年、村山由佳が伊藤野枝の生涯を描いた「風よ、嵐よ」を読んで以来、明治大正期のアナキストに興味を抱き、瀬戸内寂聴の「美は乱調にあり」「諧調は偽りなり」(伊藤野枝と大杉栄)、「遠い声」(菅野須賀子)、「余白の春」(金子文子)を読んだ。菅野須賀子は大逆事件に巻き込まれて刑死、伊藤野枝は大杉とともに憲兵隊に虐殺され、金子文子は刑務所で自死した。まぁ三人とも非業の死である。瀬戸内は天寿を全うしたと言える。瀬戸内は出家する前、作家の井上光晴と不倫関係にあった。それを赤裸々に描いたのが井上の娘、井上荒野の「あちらにいる鬼」である。「あちらにいる鬼」を巡って瀬戸内と井上荒野が楽しそうに対談していた。こだわらない人であり、誰とでも対等に話をできる人だったと思う。