モリちゃんの酒中日記 2月その4

2月某日
「むずかしい天皇制」(大澤真幸 木村草太 晶文社 2021年5月)を読む。大変面白かった。面白かったけれども、社会学者の大澤と憲法学者の木村の対話により構成されている本書をすべて理解できたわけではもちろんない。しかし昨日(2月23日)はたまたま徳仁天皇の誕生日であった。天皇誕生日に天皇制を論じる本書を読んだのも何かの縁、本書に沿いながら天皇制について勝手に考えてみた。日本書紀や古事記では最初の天皇は神武天皇ということになっているが戦後の歴史学では神話上の存在として否定されている。では誰が最初の天皇かというと、山川の教科書では雄略天皇(第21代)で、天皇という言葉は使わずにワカタケルの大王の解説として出てくる。「ワカタケル」(池澤夏樹)という小説を読んだことがあるが競争相手の王子を殺してしまうなど、かなり暴力的だ。もっともそう思うのは現代人の発想で古代人はもっと荒々しく人間や自然と対峙していたのかも知れない。雄略天皇はじめ古代の天皇は実際に武力に基づいて権力を保持していたと考えられる。天皇ではないが推古天皇を補佐した聖徳太子や奈良の大仏の建造を命じた聖武天皇などは、相当強い権力を持っていたんでしょうね。
しかし天皇親政は日本史のなかではむしろ例外で、そのことは著名な法制史学者である石井良助の「天皇 天皇の生成および不親政の伝統」という著作で明らかにされているようだ。平安時代になって藤原氏の摂関政治が天皇親政にとって代わる。摂関政治は平氏に受け継がれ、平氏を打倒した源頼朝が鎌倉幕府を開く。頼朝の血筋は三代で途絶えるが、以降は北条氏が執権として権力を握り、将軍は京都から親王や上級の貴族を招いている。北条氏が滅んだあと、例外的に後醍醐天皇が建武の新政により親政を敷くが長続きしないで南北朝、室町幕府の時代となる。応仁の乱を経て戦国時代になるが、この頃、朝廷は本当にお金に困ったらしい。費用の捻出ができず即位の儀式も出来ないこともあったという。それでも天皇制は生きのびる。むしろ武力も財力もなかったからこそ生きのびたと言っていいかも知れない。大澤先生によると「天皇のことを信長ほど蔑ろにした武士はいない」。天皇から左大臣や征夷大将軍などの地位を提案されるが信長は歯牙にもかけなかったという。信長は明智光秀に殺されるが、光秀は天皇をバカにしている信長に憤慨したわけではない。大澤先生は、日本史に内在している「論理」からすると「天皇をそこまで蔑ろにする人は排除される運命にある」と説く。
短い豊臣政権を経て徳川政権が250年続く。江戸時代を通じて朝廷の存在感はかなり薄い。存在感が一気に増すのが幕末、ペリーが来航しアメリカと条約を交わし、その勅許を幕府が朝廷、孝明天皇に求めたことによる。それ以前に何か問題があって、幕府から朝廷に意見を求めたことはない。天皇及び公家は幕府から僅かな禄を与えられ、学問や和歌、書道などに励んでいたのだろう。朝廷は文化的な存在として生き延びた。それが黒船の来航により180度変化する。自信を失った幕府は朝廷の後ろ盾、勅許を求める。尊王攘夷の嵐が吹き、江戸では桜田門外の変が起こり、京都では開国派へのテロが横行する。尊王攘夷が尊王開国に転換し倒幕の密勅が薩摩と長州に下される。というか岩倉と大久保利通あたりが共謀して、幼い明治天皇に密勅を出させた。天皇の政治利用である。明治維新から20年ほどたって大日本帝国憲法が制定される。「天皇は神聖にして侵すべからず」とされる一方、国会が開設される。現在の憲法下では衆議院の多数の賛成を得て総理大臣が指名されるが、戦前は総理大臣は衆議院の多数に拠らず、元老の指名であった。それでも大正デモクラシーから5.15事件まで衆議院の多数を握る政党が総理大臣を指名するという慣習が成立した。
現憲法下で皇室、天皇の在り方は大きく変わった。戦前、皇室が所有していた膨大な財産は国有財産とされた。皇居は天皇家の財産ではなく国有地である(要確認)。天皇は家賃、地代は払っていないと思うけど。イギリスの王家はウインザー城などの邸宅をいくつか私有しているしタイの王室などはけた外れの金持ちらしい。日本の皇室のメンバーは終身の公務員と言ってもいいと思う。逃げ出したくなるんじゃないかな。眞子さんの気持ちがちょっぴり理解できるような…。

2月某日
「ミーツ・ザ・ワールド」(金原ひとみ 集英社 2022年1月)を読む。銀行OLの由嘉理は焼肉擬人化漫画をこよなく愛する今どきの腐女子。新宿の合コンで酔っ払った由嘉理はキャバ嬢のライに助けられ、ライの歌舞伎町のマンションで生活するようになる。由嘉理が歌舞伎上で出会うホストやオカマバーの店主、作家などを通して由嘉理は新しい世界を知るようになる。私の読後感では由嘉理は「新しい世界を知る」のではなく「新しく生き始める」なのだが、なんだか前向き過ぎてね。金原ひとみの作風は退廃的と思っていたが、本作を読むとどうも違うようだ。新宿歌舞伎町の友情を描いた小説とも読めた。

2月某日
監事をやっている一般社団法人の理事会が東京駅八重洲口の貸会議室であるので出席する。今回は新しい理事の承認だけなので理事会は5分で終わる。その後、理事さんたちは運営委員会に出席するが監事は退席する。八重洲口から日本橋を経て神田へ。神田からお茶の水まで歩く。御茶ノ水でカレーの専門店へ入り「エビカレー」(1000円)を食べる。きらぼし銀行で通帳に記帳、新御茶ノ水から千代田線で我孫子へ。家へ帰ってスマホの万歩計を見ると16,000歩を超えていた。

モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
「浮沈・踊子 他3編」(永井荷風 岩波文庫 2019年4月)を読む。持田叙子の解説によると、「浮沈」は昭和16年12月8日に書き始められたという。日本軍による真珠湾奇襲の日というのも何やら因縁めく。戦争中は発表を見送られ、戦後、中央公論の昭和21年1月号から6月号に連載された。ヒロインさだ子が女給として生活を維持しながら、かつての常連だった越智と上野駅で偶然に再会、恋に落ちてゆく。反時代的と言おうか、時局に批判的だった荷風の面目躍如たる作品である。

2月某日
「この国のかたちを見つめ直す」(加藤陽子 毎日新聞出版  2021年7月)を読む。日本の近代史を専門にし、東京大学文学部で教鞭をとる加藤教授の本だが、この本には毎日新聞に連載されたコラムやインタビューが収録されている。加藤教授は日本学術会議への任命を拒否された6人の学者のひとり。任命拒否についても極めて論理的に反論しているが、私は加藤教授の豊富な読書量に驚いた。日本近代史を専門にする大学教授なら当然かもしれないが、シナリオライターの笠原和夫の「書いたものは必ず読むようにしてきた」とか、橋本治や井上ひさしを愛読している。加藤教授の歴史書が面白いのも彼女の幅広い読書によるところが大きいのではないか。

2月某日
「それからの海舟」(半藤一利 ちくま文庫 2008年6月)、「幕末史」(半藤一利 新潮文庫 平成24年11月)を続けて読む。「それからの海舟」は筑摩書房のPR誌「ちくま」に連載されたもの、「幕末史」は慶應丸の内シティキャンパスの特別講義として、2008年3月から7月まで12回にわたって講演したものをまとめたものである。私は半藤さんに講演を依頼したことがある。20年ほど前だったか、会社で「森田さん電話ですよ」と言われて出たら「半藤だけど」。その頃は半藤さんの本を読んでいなくて「半藤さんって誰だっけ?」と一瞬思ったが幸いすぐに思い出した。確か厚労省OBのSさんにお願いされたのだ。講演の依頼にも快諾してもらって、当日、私も講演を聞いたはずだが内容はまったく覚えていない。当時、私は文藝春秋社=保守的出版社と思い込んでいて、「そこの専務をやった奴(半藤さんのこと)ならゴリゴリの保守だろう」と思っていたのだ。のちに半藤さんの著作を読むにつけ、半藤さんが反戦の高い志を持つ人だということを知るわけである。学術会議への任命を拒否された東大の加藤陽子教授との対談もあるくらいで、この人の日本近代史に対する学識の深さは半端ではない。その深い学識を平明な語り口で叙述するのが、歴史探偵たる半藤さんの真骨頂なのだ。
「それからの海舟」の「それから」とは大政奉還後ということである。大政奉還をしてから、つまり幕府が幕府でなくなってから、幕府と最後の将軍、徳川慶喜を支えたのが勝海舟である。半藤さんの先祖は長岡藩に仕えていたそうである。戊辰戦争に際して河井継之助に率いられて官軍に抵抗したあの長岡藩である。したがって半藤さんは官軍という呼称は用いない。官軍はあくまでも西軍であり、長岡藩や会津藩、五稜郭に立て籠った幕軍の残党まで、東軍と称する。「それからの」で描かれる海舟は頭脳明晰なうえに肝が据わっており、世の中を見通す眼力は薩長の藩閥政治家たちの遥か上をいっていた。「それからの」の主演はもちろん海舟だが、助演男優賞を上げたいのが二人、徳川慶喜と西郷隆盛だ。慶喜と海舟は必ずしも互いに好意を抱いていたとは言えないが、海舟は家臣として生涯、慶喜を支える。西郷は江戸城明け渡しの交渉相手だが、その人間的度量の大きさに海舟は感服してしまう。西南戦争の最終局面、城山で西郷は別府晋介の介錯で死ぬが、海舟は西郷の息子の留学の面倒を見たり西郷の碑を建てたりしている。
「幕末史」も反薩長史観に貫かれている。「はじめの章」で永井荷風の薩長罵倒の啖呵が紹介されている。「薩長土肥の浪士は実行すべからざる攘夷論を称え、巧みに錦旗を擁して江戸幕府を転覆したれど、原(もと)これ文華を有せざる蛮族なり」(「東京の夏の趣味」)。慶應が明治に改元されたころの狂歌に「上からは明治だなどといふけれど 治まるめい(明)と下からは読む」というのがあるという。江戸の庶民が明治維新に対して冷ややかな感情を抱いていたことがわかる。「五箇条の御誓文」という明治維新の一つのイデオロギーを示したものがある。このもとが坂本龍馬の「船中八策」にあることも、半藤さんは明らかにする。後藤象二郎が坂本から船中八策を示され、後藤は坂本案であることを伏せて藩主の山内容堂に伝える。容堂は船中八策をもとに「大政奉還に関する建白書」を朝廷と幕府に提出し、これが五箇条の御誓文のもととなった。最近の歴史の教科書ではどうなっているのか。教科書ではないが「幕末維新変革史(下)」(宮地正人 岩波書店 2012年)によると、「3月15日江戸城総攻撃期日の前日の14日、京都紫宸殿の明治天皇が出御、公卿諸侯を率い天神地祇に誓う形式で5カ条の誓文が示された」とあっさり記述されている。歴史としてはこういうことかも知れないが、半藤さんは歴史をより深くとらえようとしていると私には思える。

モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
「大杉栄伝-永遠のアナキズム」(栗原康 角川ソフィア文庫 令和3年2月)を読む。本書はもともと2013年に夜光社から刊行された単行本に加筆訂正したものだ。「おわりに」では次のように書かれている。「今年(2013年)の3月初旬だったろうか。この原稿を書きはじめたころ、わたしは名古屋をおとずれた。友人のYさんがよびかけた勉強会合宿に参加するためだ。2011年3月12日以降、おおくの友人たちが東京を去った。放射能を避けるためだ」。「文庫版あとがき」では「目下、コロナの大フィーバー、わたしにとって、大杉栄とカタストロフはセットなのだろうか」と記されている。原発事故のさ中に初版、コロナ禍の渦中に文庫化という過酷な運命の本書は、大杉栄という激しい人生を歩んだ人の伝記にふさわしい運命を歩んでいるようだ。栗原の「サボる哲学-労働の未来から逃散せよ」(NHK出版新書)によると、アナキズムの語源はギリシャ語の「アナルコス」、「無支配」からきているそうだ。そういえば大杉栄や伊藤野枝、金子文子など伝記小説を読むと、彼ら彼女らは人から支配されることを拒絶しつつ、人を支配することも拒んだ。天皇や皇太子の暗殺を企てるほど過激な彼らは、一方で家族や友人たちには優しく接している。見返りを期待しない相互扶助ね。

2月某日
「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(池上彰・佐藤優 講談社現代新書
2021年12月)を読む。私が高校を卒業したのが1967年で、東京の予備校に通っていた10月8日、当時の佐藤首相の南ベトナム訪問に反対して三派全学連を中心とした学生集団が機動隊の阻止線を突破、羽田空港に迫った。翌日の朝刊1面に「学生、暴徒化!」というような大きな活字が躍っていたことを覚えている。私は「大学に入ったら学生運動をやろう」と秘かに決意したものだ。68年4月早稲田の政経学部に入学、自治会は社青同解放派が握っていて、5月の連休明けには私も解放派の青ヘルメットを被っていた。68年の12月に解放派は革マル派によって早稲田を追い出され、東大駒場へ逃げた。本書で佐藤は「新左翼の本質はロマン主義であるがゆえに、多くの者にとって運動に加わる入り口になったのは、実は思想性などなにもない、単純な正義感や義侠心でした。そのために大学内の人間関係を軸にした親分・子分関係に引きずられて仁侠団体的になり、最後は暴力団の抗争に近づいていった」と話しているが、まぁ「あたらずと雖も遠からず」だ。私ら解放一家は革マル組によって早稲田のシマを追い出されたのである。

2月某日
「自壊する官邸-『一強』の落とし穴」(朝日新聞取材班 朝日新書 2021年7月)を読む。安倍首相が辞任して菅政権が誕生した時点で本書が執筆されているので、短命に終わった菅政権、菅のあとを継いだ岸田政権についての論評はないけれど、それでも十分に面白かった。新しいことが書かれているわけではないが、保守政権としてはかなり異質であった安倍政権の本質が活写されていると思う。7年8カ月という憲政史上最長の安倍政権はなぜ、可能だったのか?党内に大きな反対勢力が存在せず、総務会で発言するのも石破茂、村上誠一郎などに限られていた。さらに安倍政権は選挙に強く強力な野党が存在しなかった。反対勢力が弱いと権力を握っている側はどうしても説明責任を果たさなくなりがちである。内閣人事局の存在も大きかったようだ。安倍政権以前は各省の局長級の人事には各省からの人事案がすんなり通っていたが安倍政権では差し替えられることもあったという。学術会議の任命拒否もこれに繋がっている。巻末に御厨貴東大名誉教授らに対するインタビューが掲載されているが、牧原出東大教授の「恣意的人事、やめるのが先決」というインタビューが印象的だった。牧原教授は「安倍、菅政権での官邸官僚の影響力は、無理を通して道理を引っ込ませる力でした」とし具体例としてアベノマスクをあげている。官邸官僚が全戸配布を首相に無理に押しつけたが、それを無理だとは官邸官僚も気付いていなかった。こうした構図が長期間繰り返されたというのだ。恐ろしい!

モリちゃんの酒中日記 2月その1

2月某日
新型コロナウイルスワクチンの3回目の接種を我孫子駅南口のイトーヨーカ堂3階で受ける。65歳以上ということなので会場はジジババで溢れていた。わがままと言われてきた団塊の世代だが、接種会場では素直に係の指示に従っていた。接種後10分ほど椅子に座って安静にしてから解放。昼飯をネットで評判の良かった「あちゅ庵」でとろうと思い、行ってみたら休みだった。家まで歩いて帰り奥さんが作ってくれた炒飯を食べる。
NHKBSの「アナザーストーリー」を観る。今回のテーマは「ノルウェーの森」。1969年に舞台を設定した村上春樹の恋愛小説である。実はアナザーストーリーのディレクターから当時の早稲田の学生運動について教えてもらいたいという連絡があった。製作会社に行って当時の状況を説明し、「村上春樹のことだったら倉垣光孝君が詳しいと思うよ」と伝えた。映像では倉垣君が当時の村上春樹について語っているところが映されていた。見終わった後、担当ディレクターに「大変面白かったです。1969年は私にとっても特別な年です」とメールしておいた。ディレクターからは「観てくださってありがとうございます!嬉しいです」という返信が来た。
ワクチンの副反応か体が痛い。筋肉痛ですね。おとなしく家で過ごすことにする。

2月某日
近所の床屋「髪工房」へ行く。2人待ちだったので近くの天ぷら屋「程々」で天丼定食を食べる。990円。海老2本にイカ、カボチャ、白見魚の天ぷらとお吸い物、お新香が付いてだから安いと思う。「髪工房」で散髪。ここは大人料金2000円だが65歳以上は1800円、申し訳ない。床屋の帰りにスーパーカスミでアルコール度数55度の「奥飛騨ウオッカ」を購入、こちらは税込1320円。ついでにマッサージ「絆」でマッサージを受ける。
図書館で借りた「民主主義のための社会保障」(香取照彦 東洋経済新報社 2021年2月)を読む。著者の香取さんは元厚労官僚。昨年、「地方から考える社会保障」の講師をお願いした。現役時代から優秀で知られ、介護保険制度の発足時には山崎史郎さん、唐沢剛さんとの3人組で厚生省のYKKと称された。今度の著作にもいろいろと考えさせられるところが多かったが、とくに第6章の「日本再生の基本条件-経済・財政・社会保障を一体で考える」、第7章の「ガラパゴス日本「精神の鎖国」-二つの海外勤務から見えてきたこと」を取り上げたい。著者の論を乱暴に要約するとこの30年間、日本は先進国中で最低ランクの成長率だった。本文中で2019年12月末と1989年12月末の経済指標が示されている。平均株価(3万8915円87銭⇒2万3656円62銭)、名目GDP(421兆円⇒557兆円)、1人当たりの名目GDP(342万円⇒441万円)、世界経済に占める日本経済の割合(15.3%⇒5.9%)、政府債務(254兆円⇒1122兆円)、政府債務の対GDP比(61.1%⇒198%)、企業の内部留保(163兆円⇒463兆円)。株価は4割下落し、名目GDPは32%、1人当たり名目GDPは29%上昇したが、世界経済に占める日本経済の割合は大きく後退した。この間、政府債務は4.4倍になる一方、企業の内部留保は2.8倍に増加した。株価を企業の成長力に対する期待の反映とすれば、株価の低迷は日本経済の減速の反映であろう。内部留保の増大は有効な投資先の見えなさと、企業家の投資マインドの減速感を著しているようにも見える。著者は、「富の増加をもたらす政策としての所得再分配、安定的な需要を生み出す自立した中間層の創出」を主張し、「社会保障はそのための政策ツール」として位置づけられる。非常に明快な論だと思う。

2月某日
「ひとりでカラカサさしてゆく」(江國香織 新潮社 2021年12月)を読む。篠田莞爾(86歳)、重森勉(80歳)、宮下佐知子(82歳)はかつて一緒の会社に勤めていたことがあり、現在も親交がある。篠田は重度のがんを患っている。篠田は自ら死することを決意し重森と宮下もそれに従うことにする。物語は3人と3人と付き合いのあった何人かの暮らしをなぞりながら進む。230ページの中編小説ながら登場人物が多い!私的には重森の生き方に魅かれた。何人かの女と暮らしたが結婚経験はない。羽振りの良かったこともあるが今は家賃も滞納しているほどだ。重森は在日の外国人に対する日本語教師をしていたことがあり、中国人の教え子とは今でも交流がある。3人は大晦日に猟銃で自殺することになるのだが…。

2月某日
何日かぶりで東京へ。上野経由神田駅下車。鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」でランチ。「漬け丼」ライス少な目で。社保研ティラーレを訪問。コーヒーと水割りをご馳走になり吉高会長、佐藤社長と雑談。上野駅構内の本屋で「激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972」(池上彰 佐藤優 講談社現代新書 2021年12月)を購入。我孫子で「しちりん」による。

モリちゃんの酒中日記 1月その3

1月某日
「ポラリスが降り注ぐ夜」(李琴峰 筑摩書房 2020年2月)を読む。ポラリスは北極星の意味だけれど私にはアメリカの潜水艦発射ミサイルの名前として記憶している。最初にこの小説のタイトルを目にしたとき「ミサイルが降り注ぐ夜」と理解し、第3次世界大戦の話かと思ってしまった。実際はそんなことなくて「ポラリス」とは新宿2丁目のレズビアンバーの名前だ。バーを訪れる女たち、そしてその女たちを巡る男と女たち。台湾や中国籍の人々、性的マイノリティの人々…。現代社会は様々なマイノリティの人々が共存している。マイノリティは昔から存在したのだろうが、現代はその人々が声を大きく上げだした時代なのだろうと思う。李琴峰は1989年台湾生まれ、2013年来日とあるから、日本語は母国語ではなく「学んだ」ものだろう。李琴峰の日本語には私は微かな違和感を持つことがある。そして私にとってはそれも李琴峰の魅力となっているようだ。

1月某日
四谷の主婦会館(プラザF)で開かれた故小野田譲二氏の「お別れ会」に出席する。小野田譲二と言っても若い人にはピンと来ないと思うが、我々団塊の世代それも学生運動の経験者にとってはスターの一人だ。革命的共産主義者同盟(革共同)の政治局員、学生対策部長を務めたが後に革共同を離脱、「遠くまで行くんだ」グループを結成、雑誌「遠くまで行くんだ」を創刊した。私は小野田氏とは面識がないのだが、呼びかけ人に早稲田の高橋ハムさんと鈴木基司さんがいたので参加することにした。コロナのオミクロン株が広がるなか、大谷源一さんから「会費だけ払って参加を見送るつもり」と連絡があったが、「行こうよ!終わったら上野界隈で一杯やろう」と主張して行くことに。開始の14時頃にプラザFに着く。会費6000円を払って会場に入ると、大谷さんやハムさんがすでに来ていた。見渡せば老人ばかりだ。埼大や法大、早大、東大で小野田氏と関りがあった人が出て思い出を語っていた。高田馬場のジャーナリスト専門学校でも教えていたことがあったそうで教え子も弔辞を読んでいた。埼玉の駿台予備校での教え子が、「授業が終わると酒をご馳走してくれて、それが楽しみだった」と語っていた。面白くかついい人であったらしいことは十分伝わってきた。終って御徒町の中華料理屋「大興」へ行く。

1月某日
上野千鶴子と鈴木涼美の往復書簡集「限界から始まる」(幻冬舎 2021年7月)を読む。上野千鶴子は女性学、ジェンダー学の権威と言ってもいいと思うが鈴木涼美は誰? 巻末の略歴によると1983年生まれ、作家。慶應大学環境情報学部卒、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。大学在学中にキャバクラのホステス、AV女優などを経験したのち、2009年から日経新聞記者となり14年に自主退社。著書に「『AV女優』の社会学」「身体を売ったらサヨナラ」「愛と子宮に花束を」「ニッポンのおじさん」などがある。往復書簡中にも出てくるが父親は法政大学名誉教授で舞踏評論家、翻訳家の鈴木晶、エーリッヒ・フロム「愛するということ」の翻訳家、母親は2016年に亡くなった、児童文学研究家・翻訳家の灰島かり。インテリ一家で育ち高学歴、それでAV女優。なかなかのギャップであるが、そういうことを抜きにしても本書は面白かった。この往復書簡集は雑誌「幻冬」に1年間にわたって連載されたものをまとめたものだが、それぞれ「エロス資本」「母と娘」「恋愛とセックス」などのテーマが定められている。気になったところに付箋を貼っておいた。「恋愛とセックス」では「性と愛はべつべつのものだから、べつべつに学習しなければなりません。あるときからわたしは、愛より前に性を学ぶ若い女性たちの登場に気がつくようになりました。しかも男仕立ての一方的なセックスを。性のハードルはおそろしく下がったのに、性のクオリティは一向に上がらないことを」。これは上野から鈴木への書簡である。「フェミニズム」では「フェミニズムは卒業するものではなく、多様な色が織り込まれたカーペットから、必要な時に自分にとって救いとなる糸を拾い上げられるものであって欲しいし、多くの、それほど不自由ではなくとも、もう少し自由になりたいと感じている女性を、何か限定したトピックにおける意見の相違によって排除せずに、掬いあげられるものであって欲しいと切に思います」と鈴木から上野に書き送っている。同じ「フェミニズム」で上野から鈴木へ「ひとの善し悪しは関係によります。悪意は悪意を引き出しますし、善良さは善良さで報われます。権力は忖度と阿諛を生むでしょうし、権力は傲慢と横柄を呼び込むかもしれません」と書き送っている。上野も鈴木もまじめにまともに向き合っているのである。

1月某日
「食べる私」(平松洋子 文藝春秋 2016年4月)を読む。平松洋子は1958年、岡山県倉敷市の出身。東京女子大卒。食をテーマにしたエッセー「この味」を週刊文春に連載している。私は「この味」で平松が神田駅ガード下の立ち食いソバやの閉店を惜しんでいたことを覚えている。「食べる私」は芸能人や文学者、その他の有名人に平松が食についてインタビューした「オール読物」の連載を一冊にまとめたもの。デーブ・スペクターから樹木希林まで29人のインタビューが4章構成で掲載されている。私の個人的な好みからすると第4章(小泉武夫、服部文祥、宇能鴻一郎、篠田桃紅、金子兜太、樹木希林)が面白かった。小泉武夫をインタビューしたのは神田の「くじらのお宿 一乃谷」。この店は私が勤めていた会社の近くで、何回かランチを食べに行ったし夜も何回か行った。小泉は発酵学者として知られるが、この本でのテーマは鯨。小泉は私より5歳年上だが、鯨に対する偏愛には同類を感じさせるものがあった。私どもの子どもの頃鯨は貴重品ではなく、学校の給食にもよく出てきた。牛や豚に比べると安価で大量に流通していたのだろう。宇能のインタビューは宇能の横浜の広壮な邸宅で行われた。宇能は今では官能小説家として広く認知されているが文壇デビューは芥川賞作の「鯨神」。小泉武夫とは鯨で繋がる。

1月某日
「墨東奇譚」(永井荷風 新潮文庫 昭和26年12月)を読む。墨東奇譚の墨にはサンズイがつき奇譚の奇には糸へんがつくのだが、私のパソコンの技術では出てこない。隅田川の東の物語というほどの意味であろう。永井荷風の小説を読むのは初めてであるが面白かった。昭和初期、大江匡という小説家が玉ノ井あたりでにわか雨に会う。持参の傘をさすと「檀那、そこまで入れてってよ。」と若い女が入ってくる。大江とお雪と名乗る娼婦の出会いである。本文中ではお雪は娼婦とは明示されていないが、当時の玉ノ井は有名な私娼窟であることからそう解釈されているようだ。お雪は大江と所帯を持つことを望むが、大江の足は次第に遠のいて行く。大江はときにお雪との出会いを思い出す。「わたくしとお雪とは、互いに其本名も其住所も知らずにしまった。…一たび別れてしまえば生涯相逢うべき機会も手段もない間柄である」。うーん、何とも風情がある。小説は大江すなわち作家の荷風が、お雪のことを切なく思い出すシーンで終わる。終った後に「作家贅言」として荷風の、その時代への想いが綴られるがこれが面白い。当時の慶應の学生とOBが野球見物(早慶戦であろう)の帰りに銀座によって乱暴狼藉を働く。かつて三田で教鞭をとったことがあったが早く辞めたのは賢明であったと書く。さらに慶應の経営者から「三田の文学も稲門に負けないように尽力していただきたい」と言われ、文学を学生野球と同列に論じていると憤慨している。

モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
厚労省1階のロビーで社保研ティラーレ社長の佐藤聖子さんと待ち合わせ。時間より10分ほど早く到着したらすでに佐藤社長は来ていた。早速、社会・援護局の山本麻里局長を訪問、4月の「地方から考える社会保障フォーラム」への参加をお願いする。演題は「コロナ禍の経験を踏まえた地位K時共生社会の実現」に決まった。

1月某日
珍しく雪が降り、今朝起きてみると雪が残っていた。雪を避けて歩いていたらぎっくり腰になってしまった。マッサージの先生に話すと「広い意味で雪害ですね」。今週は毎日、マッサージに通うことになった。

1月某日
「彼岸花が咲く島」(李琴峰 文藝春秋 2021年6月)を読む。今年の芥川賞受賞作だ。李は1989年台湾生まれ、2013年に来日というから24歳の頃。台湾にいるころから日本語を習得していたというが、それにしても日本語で小説を書いてしまうなんてすごいことだと思う。大海原にポツンと浮かぶ島が小説の舞台でタイトルともなった「彼岸花が咲く島」だ。島に流れ着いた少女と、その少女を助けた島の少女が主人公だ。「本作はフィクションで、作中に登場する島は架空の島です」と注意書きが付けられているが、沖縄列島の先の方、台湾に近い島であろう。この島では〈ニホン語〉と〈女語〉(ジョゴ)と二つの言語が話されているが〈ニホン語〉は島固有の方言であり〈女語〉は現代日本語に近い。二人の少女はノロ(巫女)を目指し、試験に合格してノロとなる。ノロの長老、大ノロから島の歴史が語られる。私はこの小説を読んで、日本という国の成り立ちについて考えることになった。単一の言語を話す単一民族の国と思われがちだが、北方には独自の文化と言葉を持つアイヌ民族がいるし、沖縄にも独特な方言と文化がある。万世一系の天皇の支配した大和朝廷だけが日本ではないのだ。

1月某日
BSプレミアムでアメリカ映画「悲しみは空の彼方に」を観る。アメリカでも日本でも1959年に公開されている。ストーリーは夫を早くに亡くしながらも舞台女優を目指すローラは、娘のスージーとニューヨーク郊外の海水浴場へ遊びに来ていたが娘とはぐれてしまう。娘は黒人女性アーニーの娘サラジェーンと遊びに興じていた。失業中のアーニー親子をローラは家に招く。アーニーは料理の腕を活かしてローラの家に住み込みで働くことになる。アーニー親子は母親は外見上も黒人だが、娘のサラジェーンは父親が白人だったことから見た目は白人と変わらない。ローラは舞台女優として成功し映画界にも進出し、富と名声を得る。これだったらハッピーエンドだが、この映画はここで暗転する。ローラ綾子もアーニーも人間は人種によって差別されてはならないという考えを持っているが、サラジェーンは白人として生きてゆこうとする。家出したサラジェーンは踊子として生きてゆく。人種差別を禁止した公民権法案は1964年である。この映画が法案の成立の後押しをした可能性がある。アーニーは死んで黒人霊歌が歌われ荘厳な葬儀が営まれる。葬列が進む中、喪服のサラジェーンが葬列に近付き母の棺に泣いて謝罪する。アメリカ開拓期の黒人奴隷の存在はアメリカの恥である。南北戦争後も続いた黒人差別も同様である。日本人も偉そうなことは言えない。今も続いている部落差別、明治以降の中国人や朝鮮人差別、沖縄やアイヌへの差別、これらに真剣に向き合うことなくして日本の民主主義はありえないと思う。

1月某日
「乃南アサ短編傑作篇 岬にて」(新潮文庫 平成28年3月)を読む。著者が新潮社から出版した短編集の中から「傑作」を集めたということらしい。読んだ記憶のあるものが何篇かあるのもそのためだろう。乃南アサって長編もうまいが短編も巧みですね。終り方も人情味あふれるものがあり、ホラー的な終わり方があり、破滅的な終わり方もある。作者の人物造形の巧みさによるところが大きいのだろうが、今回、気が付いたのは地方もの(高知、宇和島、知床)、伝統芸能もの(能面づくり、陶芸)などで、風景描写や伝統芸の周辺描写も巧みさに驚いた。取材も並大抵ではないと思う。

モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
「可能性としての戦後以降」(加藤典洋 2020年4月 岩波現代文庫)を読む。加藤は1948年生まれ、2019年に亡くなっている。本書の単行本は1999年3月に岩波書店から刊行された。Ⅲ部構成で先ほどⅠ部の「『日本人』の成立」を読みおわった。初出は明治学院論叢「国際学研究」第2号(1988年3月)である。自分が日本人であると意識するのはどういうときか? 湾岸戦争や中東危機のとき、自衛隊の艦船や兵員、航空機が派遣されるとかすべきでないとか議論されたとき、日本はどうなるんだ、日本人としてどうすべきだ、というふうに考えたのは事実だし、東日本大震災のときも、そしてコロナ禍の今も、そんなことを考える。アメリカはイギリスから脱出した清教徒がアメリカ東海岸にたどり着いて独立宣言を発出したのが国の始まりだし、中国は辛亥革命、抗日戦争、国共内戦を経て中華人民共和国の成立が宣言された。同じようにフランスはフランス革命の結果、共和国となり、イギリスは名誉革命を経て立憲民主国家となった。日本はどうか。3~4世紀に九州北部から近畿地方にかけて部族国家が成立し、中国大陸との交渉があったのは歴史的な事実だ。その国家の一つが邪馬台国である。
しかしこの頃はわれわれの先祖は日本人ではなく倭人と称していた。日本書紀の成立が720年で完成まで40年を要したというから日本という呼称は600年代、7世紀にはすでに使われていたのではないか。加藤は「『日本書紀』を作っているのは、『日本人』になろうとする「倭人」たちなのである」と書いているが、うまいことを言うね。いくつかの部族国家がまとまって倭国が成立したと思われるが、その長は大王(おおきみ)と呼ばれた。天皇と呼ばれるようになったのは雄略の頃だったか。高句麗人、新羅人、百済人と並んで倭人(日本人)がいた。日本海を通じて朝鮮半島と日本列島は親密な交流があり、日本と百済の連合軍が新羅に敗れた白村江の戦いなどの戦争行為もあった。朝鮮半島から日本への移住も盛んで、仏教や最新の文物、技術とともに日本に移り住んだ彼らは帰化人と呼ばれた。蘇我氏の先祖も帰化人という説もあり、天皇の妃が朝鮮半島の出身という例もある。どうも日本人が朝鮮人や中国人を差別するようになったのは明治以降らしい。これはやはり恥ずべきことと言わざるを得ない。

1月某日
社保研ティラーレに年始の挨拶。吉高会長と1時間ほど雑談。千代田線霞が関から町屋へ。「ときわ」で16時から大谷さんと呑む約束。「ときわ」に行くと16時30分からスタートと張り紙が。仕方ないので近くの蕎麦屋で生ビールで時間をつぶす。16時30分に「ときわ」に行くと7~8人の行列ができていた。栃尾油揚げやナマコを堪能。

1月某日
「カムカムエヴリバディ」を毎日欠かさず観ている。「カムカム」は1日に4回放映される。第1回目は朝7時30分からでNHKのBSプレミアム、2回目は8時30分からNHKで、同じものがお昼の12時45分から再放送、最後に11時からNHKBSプレミアムで。上白石萌音が主演した岡山編が年末で終わり、現在は深津絵里が上白石萌音の娘るいを演ずる大阪編だ。昭和38年頃の大阪だ。私はその頃、北海道の室蘭市で中学生だった。テレビが普及してきたが、映画は娯楽の王者の最後の光芒を放っていたように思う。るいが弁護士の卵と初デートで観に行った映画が「椿三十郎」。主演が三船敏郎、敵役が仲代達矢。私も観ましたね。「カムカム」もそうだがNHKの朝のテレビ小説って、戦争の影が色濃く残っているのが多い。「ひよっこ」ではヒロインの叔父さんがインパール帰りだったし、「エール」では作曲家の主人公が戦地慰問をするし戦意高揚の曲も作っている。日中戦争から太平洋戦争に至る「この前の戦争」は日本にとって大変な戦争だったんだと改めて思う。

1月某日
NHKBSの「呑み鉄本線日本旅」を観る。俳優の六角精児が地方の鉄道に乗るという趣旨の番組なのだが、ゆく先々の美味いもの美味しい酒との出会いも見どころ。今日は宗谷本線を起点の旭川から終点の稚内まで。美味しいものは稚内での水ダコのしゃぶしゃぶ、美味しい酒は日本最北端の「ブルアリー」での地ビール、ここのビールには白樺の樹液が入っているそうだ。

モリちゃんの酒中日記 12月その4

12月某日
「のろのろ歩け」(中島京子 文春文庫 2015年3月)を読む。単行本は2012年の3月である。「天燈幸福」「北京の春の白い服」「時間の向こうの一週間」の3作が収録されている。舞台はそれぞれ現代、というか2010年ごろの台湾、北京、上海である。タイトルの「のろのろ歩け」は、「北京の…」で中国初の女性誌創刊のために北京を訪れた夏美が屋台で饅頭を買ったときにマンマン・ゾウと声かけられることに由来する。漫漫走、のろのろ歩けという意味である。「天燈幸福」は亡母の知己である3人の台湾男性に会いに行く美雨のちょっとしたロードノベルだ。相棒は花蓮(ファレン)へ行く列車で知り合った台湾人のトニー。本筋とは関係ないが台湾料理がおいしそう。「北京の…」は活き活きと働く北京のスタッフの描写が見どころ。「時間の…」は北京で働く夫と同居するために北京を訪れた亜矢子が中国人の案内で不動産を見て歩く。実はこの中国人は…。なかなか上等な短編集であった。

12月某日
「くらしのアナキズム」(松村圭一郎 ミシマ社 2021年9月)を読む。著者の松村圭一郎の本を読むのは初めてではない。3年ほど前、同じミシマ社の「うしろめたさの人類学」を読んだ。SCNの高本代表に借りた。エチオピアでのフィールドワークについて書いたものと記憶しているが、人類学的な観察対象のエチオピアの人たちとの交流が対等な目線で記録されていていたと記録する。今回、松村の関心はアナキズムに向かうのだが、「人類学の視点から」というのがユニークだ。もっともこれには先達がいて2020年に急逝したデヴィッド・グレーバーで、「アナーキスト人類学のための断章」などの著作がある。グレーバーの著作はアナキスト文人、栗原康の「サボる哲学-労働の未来から逃散せよ」でも引用されていた。それはさておき、松村の考えにはほぼ全面的に同意する。何十万年かの人類の歴史の中で国家が誕生したのは紀元前3300年頃のメソポタミアでウルクと呼ばれる都市国家だった。人類史のなかでは比較的、「新しい」エピソードなのだ。フランスの人類学者ピエール・クラストルは「『未開社会』が国家をもたないのは、国家をもつ段階に至っていないからではなく、むしろあえて国家をもつことを望まなかったから」と言っているそうだ。文明とは?進歩とは?幸福とは?…いろいろと考えさせるところの多い本であった。

12月某日
「秘密の花園」(三浦しをん 新潮文庫 平成19年3月)を読む。巻末に「本書は2002年3月マガジンハウスから刊行された」とあるから、初出はマガジンハウスの雑誌かな、女子高を舞台にしていることからすると若い女性向けの雑誌かも知れない。小説は「洪水のあとに」①「地下を照らす光」②「廃園の花守りは唄う」③の3部構成で、語り手は①が那由多、②が淑子、③が翠、3人とも幼稚舎から高校まである横浜の聖フランチェスカ学園の高校の同級生だ。那由多はサラーリーマン家庭の娘で最近、母を亡くした。淑子は鎌倉の病院の娘で、夏休みに一家でモルジブに行くほどの金持ちの家だ。翠は東横線の白楽駅の小さな書店の娘で弟がいる。三浦しをんは中高が確か横浜のフェリスだから、彼女の体験の一部がもとになっているのかも知れない。彼女のデビュー作は2000年の「格闘する者に〇」だから、デビュー間もない作である。小説の一つの軸となるのが、淑子と国語教師の平岡との恋愛である。恋愛の過程で淑子は失踪するのだが平岡は平然と授業に出てくる。そんな平岡に対して翠は「愛のかけらを傲慢に投げ落としておいて、のらりくらりと日常を続けようとしている」と批判的である。小説が書かれてから20年後の今なら、平岡は責任を取らされて退職を迫られたであろう。恋愛するのにも窮屈な時代となったのか。

12月某日
「きみのためにできること」(村山由佳 集英社文庫 1998年9月)を読む。単行本は96年11月である。文庫本のカバーに印刷されている著者略歴によると、村山は64年生まれ、立教大学文学部卒、93年「天使の卵」で小説スバル新人賞、03年「星々の舟」で直木賞を受賞となっている。私は昨年、村山の関東大震災後に大杉栄とその甥とともに憲兵に虐殺された伊藤野枝の生涯を描いた「風よあらしよ」を読んだ。だが、村山が本領を発揮してきたのは恋愛小説らしい。「きみのためにできること」もテレビ制作会社の新米音声マンの高校時代からの恋人と10歳以上年上の女優でジャズシンガーとを巡る物語である。撮影で西表島や日本アルプス、房総半島を巡るから観光小説の面もあるが、何といっても新米音声マンの青春小説であり成長物語だね。

12月某日
近所の「絆」で今年最後のマッサージ。来年は1月4日からスタートということなので4日の11時30分からを予約。「絆」は30代前半と思われる二人の若い男性がやっている。そのせいか女性客が多いような気がする。マッサージ店を出た後、我孫子市の農産物直売所「アビコン」を訪問。粉末の玉ねぎスープとレタスを購入する。アビコンからの帰りにパン屋「まきば」によって、「チキンレバームース」を購入。家に帰ってスマホの万歩計アプリを見たら9300歩。家にあったニンジン、ピーマン、玉ねぎに買ってきたレタスを刻み、キムチを隠し味にご飯と卵を炒めてチャーハンを作る。玉ねぎスープと一緒に本日の昼食である。
「学歴貴族の栄光と挫折」(竹内洋 講談社学術文庫 2011年2月)を読む。竹内は1941(昭和17)年生まれ。佐渡ヶ島育ちで京大教育学部を卒業。民間企業に務めた後、大学院に進学、京大の教員となる。何年か前にこの人の確か「教養主義の没落」を読んだことがある。その中で学生時代に「吉本隆明もいいけど清水幾太郎(福田恒存だったかもしれない)もいいぞ」と言ったら、女子大生に「この人、ウヨクよ」と言われたエピソードを紹介し、その頃は「この人、バカよ」と言われたに等しいと書いていたことを覚えている。竹内と私では竹内が6歳年長ということになるが、私の学生時代も同じような感じだった。モノゴトの本質を書物から学ぶのではなく、世間的な評価それも学生というきわめて狭い世間の評価で書物や著者を評価していたのである。それはともかく本書は「旧制高校」を通して150年に及ぶ日本の高等教育を論じている。小学校―旧制中学―旧制高校―大学というのが戦前のエリートコースであった。戦後、旧制高校は廃止され六・三・三・四制の単線系教育システムに移行した。しかし旧制高校的エリート意識は残った。このエリート意識が最終的に解体されたのは1960年代末から70年代にかけて闘われた学園闘争(著者は大学紛争と書いているが)によってである。同時期の丸山眞男と吉本隆明の論争、対立にも学歴貴族と傍系学歴の対立を見る。丸山は一高、東京帝大法学部、法学部助手から助教授、教授と絵に描いたようなエリートコースを歩んだ。対して吉本は高等小学校から府立化学工業学校→米沢高等工業学校→東京工業大学という傍系コースを歩んでいる。竹内によると「吉本はすでに安保闘争直後のころから『進歩的教養主義・擬制民主主義の典型的な思考法』と丸山批判をしており、『ここには思想家というには、あまりにやせこけた、筋ばかりの人間像が立っている』という有名な文句が冒頭にでてくる『丸山眞男論』も書いている」という。私が大学生だった昭和45(1970)年には大学進学率は23.6%で、竹内は「昭和40年代は日本の高等教育がエリート段階からマス段階になったときである」と書いている。2018年で大学・短期大学への進学率は54.8%と過半数を超えている。高等教育のマス化がさらに深化、拡大しているのである。

12月某日
「光」(三浦しをん 集英社文庫 2013年10月)を読む。初出は「小説すばる」で2006年11月号~2007年7月号、2007年9月号~12月号、単行本化は2008年11月である。三浦しをんの作品に対する私の印象は、デビュー作の「格闘する者に〇」から始まって、直木賞を受賞した「まほろ駅前多田便利軒」、本屋大賞受賞作の「舟を編む」など、それなりに厳しい現実をユーモアに皮肉を交えて描くという印象だった。「光」の印象は全然異なる。最初の舞台は伊豆七島に付随したような美浜島。島民が全部で3百人に満たない小さな島だ。中学生の信之は同級生の美花と大人の眼を盗んでセックスを繰り返す仲だ。島を襲う大津波。島民の大半は流される。大津波が来た夜、美花が観光客でカメラマンの山中とセックスしている姿を目撃した信之は山中を殺害する。両親と妹を津波に奪われた信之は東京の施設で暮らし川崎市役所に務める。美貌の美花は映画俳優として注目を浴びる存在となっている。山中の殺害を目にした幼馴染の輔(たすく)も川崎で小さな工場で工員として働く。美花を守るために信之は第2の殺人を決意する…。爽やかさのまったくない、不穏なイメージの漂う小説。面白かったけれど。津波で多くの人が亡くなったのは2011年3月、三浦はその5年以上前に被害を予見するような小説を描いていたわけだ。

12月某日
「地球星人」(村田沙耶香 新潮社 2018年8月)を読む。村田沙耶香は仲間内では「クレイジー沙耶香」と呼ばれているらしい。なぜかは知らないがこの小説を読むと「さもありなん」と思えてくる。小学生の奈月は自分のことを魔法少女と認識している。長野のおばあちゃんの家で会う同い年のいとこの由宇は宇宙人だ。小学生の二人は結婚を誓い裸で抱き合っているところを親に発見される。二人の仲は引き裂かれる。塾の美貌の学生教師に凌辱された奈月は復讐に学生を殺害する。奈月の犯行は迷宮入りする。大人になった奈月は結婚し亡くなったおばあちゃんの家で由宇に再会し、そこでも惨劇が繰り返される。とストーリーを述べてもむなしいものがある。クレージー沙耶香だもね。

モリちゃんの酒中日記 12月その3

12月某日
「彼は早稲田で死んだ―大学構内リンチ殺人事件の永遠」(樋田毅 文藝春秋 2021年11月)を読む。1972年11月8日、早稲田大学文学部構内で文学部2年の川口大三郎君が文学部自治会のメンバーに拉致され、殺害された。本書は当時、文学部1年で文学部自治会を支配していた革マル派に抵抗した著者の綴る、半世紀ぶりのドキュメントである。私は72年の3月に政経学部を卒業しているから、川口事件を直接は知らない。が、革マルの暴力的な学園支配に抵抗した一人として本書には共感する点が多かった。私たち早大反戦連合と一部セクトとノンセクトの連合部隊は69年の4月17日、革マルの戒厳令を暴力的に突破、本部封鎖に成功した。しかし同年9月3日、機動隊の導入により全学の封鎖は解除され、革マルの学園支配は続くことになる。革マルの暴力的支配が悪いに決まっているが、それを暗黙のうちに認め、大学が徴収した自治会費を革マルの自治会執行部に渡していた大学当局の罪は軽くない。私たちは暴力で革マルに対峙したが、著者らは非暴力を貫く。フランス文学者の渡辺一夫の「寛容について」などに影響されたことがうかがえる。いま振り返ると著者らの非暴力路線が正しかったような気もする。暴力は暴力を産み際限がない。それは革マルvs中核、革マルvs解放派のように死人を何人も出す凄惨な内ゲバに繋がっていく。

12月某日
「格闘する者に〇」(三浦しをん 新潮文庫 平成17年3月)を読む。巻末に「この作品は2000年4月に草思社より刊行された」とあるから、1976(昭和51)年生まれの著者が24歳のときである。物語は出版社志望の大学生、可南子が出版社の入社試験に挑みながら数々の人生体験を経て大人(?)になってゆく姿をユーモラスに描いたものだ。おそらく早稲田大学文学部出身の著者の体験がもとになっていると思われるが、ストーリーや文章の完成度は大学を卒業したばかりの人とは思えないものがある。著者の小説や少女漫画の読書体験によるところが大きいのだろうか。なおタイトルの「格闘する者に〇」は、K談社の入社試験でK談社の社員が試験の説明で「該当する者に〇」を「カクトウする者に〇」と誤って読んだことに由来する。これって事実をもとにしている?

12月某日
図書館に「彼は早稲田で死んだ」を返し、三浦しをんと村田喜代子の小説を借りる。駅前の蕎麦屋「三谷屋」で遅い昼食を食べる。「親子丼、ご飯少な目で」と頼む。三谷屋は戦前からある古い店で志賀直哉邸や杉村楚人冠邸にも出前で行っていたかもしれない。680円だった。我孫子駅入口のバス停でバスに乗る。我孫子高校前のバス停はスーパーカスミの真ん前である。スーパーカスミで680円(税別)の国産ジンを購入。日曜と木曜にカスミを利用すると10%の割引券がもらえる。奥さんに渡すと喜んでいた。

12月某日
「ボーナスが出たのでご馳走しますよ」というメールが石津さんから来る。御徒町駅前のスーパー吉池の9階、「吉池食堂」で待ち合わせ。HCM社の大橋会長にも声をかけたという。17時30分頃に吉池食堂に到着、ほどなく大橋さんが来る。御徒町に会社のある大橋さんだが吉池食堂は初めてという。「あたしたちは常連だよね」と石津さん。石津さんは以前に勤めていた会社が湯島にあったとかで御徒町には土地勘があるのだ。石津さんはビール、私はビールから日本酒の常温、大橋さんは最初から焼酎のお湯割り。スーパー吉池はもともと総合食品スーパーなのでメニューも充実している。石津さんにすっかりご馳走になる。

12月某日
「屋根屋」(村田喜代子 講談社 2014年4月)を読む。村田喜代子は1945年福岡県八幡市(現北九州市)生まれ。築18年の木造住宅に住む主婦の「私」が主人公。雨漏りの修理に家を訪れた屋根屋の永瀬。永瀬は自分の見たい夢を自在に見ることができるという。「私」は自宅の寝床から永瀬の夢に合流、まず京都の古寺の瓦屋根を空から見に出かける。何度目かには「私」と永瀬は夢でパリを訪れる。パリではノートルダム寺院やランス大聖堂などの尖塔に遊ぶ。その後、屋根屋永瀬と連絡が取れなくなり、屋根屋の事務所兼住宅を訪れると人の影はなかった。他人の夢に合流して空を飛ぶという荒唐無稽な話ではあるが、「私」とゴルフ好きの夫と高校生の息子との生活や、屋根屋とパリでの食事風景などがリアルに描かれる。荒唐無稽とリアルの妙なバランス、そこに作家の腕があると思う。村田は中卒で鉄工所に就職、その後結婚して2児を設ける。1987年に「鍋の中」で芥川賞を受賞する。「中卒作家」で検索すると 村田喜代子のほかに西村賢太と花村萬月が出てきた。村田喜代子は現在では芸術院会員で大学の客員教授も務めているという。本当の実力に学歴は関係ないということである。

12月某日
「ルーティーンズ」(長嶋有 講談社 2021年11月)を読む。長嶋有は同郷なんだよね。ウィキペディアによると、生まれは埼玉県だが幼くして両親が離婚、母の故郷である北海道へ移り、登別市や室蘭市で育つとある。小学校は登別市立幌別西小学校だが、中学は室蘭市立港南中学、高校は道立清水ヶ丘高校だ。大学は法政大学文学部。私が住んでいたのは室蘭市の水元町というところで、文字通り水源地のある山間部にあり室蘭岳という標高911ⅿの山の登山口もあった。それに対して長嶋が通った港南中は港の南、絵鞆半島にあった。いずれにしても長嶋が生まれたのが1972年だから、室蘭市内で顔を合わせることはなかった。「ルーティーンズ」はナガシマさんというバツイチの小説家と、マンガ家である現在の妻そして3歳の娘を主な登場人物とする連作である。村田喜代子の小説を読んでいても感じるのだが、程よい脱力感があるんですよ。

モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
社保研ティラーレで吉高会長と佐藤社長に挨拶。新しい社団法人の設立準備で何かと忙しそうだった。15時30分に我孫子駅の改札で大谷源一さんと神山弓子さんと待ち合わせていたがちょいと遅刻。駅前のドトールコーヒーで待っていた2人とレストラン「コビアン」へ。大谷さんからはマスク、神山さんから石巻の銘酒「日高見」を頂く。社保研ティラーレでビールを頂いていたので私はジントニック、2人は生ビールで乾杯。さらに白ワインをボトルで2本空ける。2人によるとこのワインは値段が安い割に「旨い」ということだ。私の誕生祝ということで、今日は神山さんのおごり。申し訳なし。

12月某日
「私が語りはじめた彼は」(三浦しをん 新潮文庫 平成19年8月)を読む。三浦の小説は「まほろ駅前多田便利軒」「舟を編む」などを読んだが、私の印象は明るくユーモアも漂う物語というものだったが、今度の本は不穏な空気感満載という印象。「結晶」「残骸」など6つの短編で構成されている。大学教授の村川とその妻、娘、弟子がそれぞれの短編の語り手ないし主人公となる。ストーリーを要約するのは面倒、やや入り組んでいるので。でも私には大変面白かった。
森まゆみの「聖子-新宿の文壇BAR『風紋』の女主人」で聖子が太宰治と顔なじみで太宰の紹介で新潮社に入社したことを知った。そういえば太宰が「斜陽」という小説の舞台にした伊豆の別荘は私の母方の祖父、加来金升が建てたものだ。「大雄山荘」と名付けられたこの別荘に太宰の愛人であった太田静江が終戦後に滞在し、その手記か日記が「斜陽」のもとになったという。加来金升はアサヒ印刷とかいう印刷会社の創業者だったが戦時中、大日本印刷か凸版印刷に統合されたらしい。戦後も成城に屋敷を構えていが、私が遊びに行ったときは2階を貸していた。加来金升のことをネットで検索していたら「現代史のトラウマ」というブログに出会った。作者は加来金升の娘、加来都の息子らしい。ということは私のいとこ? ふーん、加来都という人のことは母からも聞いたことはないなぁ。母も3年前に死んでしまったし…。

12月某日
御徒町駅近くの「清龍」という居酒屋で呑み会。埼玉県蓮田市に本社のある清龍酒蔵という蔵元が都内に展開している居酒屋チェーンだ。17時集合ということで10分前に行くとまだ誰も来ていなかった。HCM社の大橋会長、ネオユニットの土方さんが登場して乾杯。年友企画の石津さんは17時30分まで仕事ということで遅れて乾杯。石津さんからチョコレートを頂く。土方さんが開発した「胃ろう・吸引シミュレーター」は今年も何台か売れたそうだ。宣伝や営業活動をほとんどやらないで売れたということは商品力があるということ。というわけで今日の支払いは土方さんが持ってくれた。ありがとう。

12月某日
北千住の「室蘭焼き鳥 くに宏」で呑み会。中学校、高校が同じだった5人が集まった。山本君が声を掛けてくれて千葉県警に務めた竹本君、我孫子市役所の坂本君、建築会社の今村君が集まった。5時に現地集合ということで5時前に北千住駅東口に行くと、山本君に声を掛けられる。店に行くと竹本君が来ていた。今村君、坂本君も来る。室蘭焼き鳥の特徴は豚肉と玉ねぎを串に刺したものを甘辛い醬油ダレで焼き、洋辛子を付けて食べるというもの。室蘭焼き鳥やエシャーレットを食べる。私はビールと日本酒を3本呑む。お勘定は一人3000円でお釣りが来た。

12月某日
「国家の尊厳」(先崎彰容 新潮新書 2021年5月)を読む。先崎彰容は1975(昭和50)年生まれ、東大文学部倫理学科卒、東北大学大学院博士課程を修了、フランス社会科学高等研究院に留学という経歴で現在は日大危機管理学部教授である。先崎の書いたものは割と読んできたように思う。先崎をどう評価するか?第4章の「戦後民主主義の限界と象徴天皇」から私なりに考えたい。先崎は2016年、当時の天皇が生前退位の意向を示した「お言葉」に関連して白井聡の「国体論」を取り上げる。先崎によると「国体論」の論点は、安倍政権の「戦後レジュームからの脱却」への批判であり、天皇発言はこうした論調に対する牽制であったというのが、「国体論」で論じられたとする。先崎はさらに白井について「あたかも人々を扇動するかのような語調で、政権批判を書きなぐっている」と評する。白井はリベラル派で安倍政権批判を繰り返してきたことからすると、先崎は反リベラルの保守派であるかのように見える。しかしどうもことはそう単純ではないことが、本書にも出てくる三島由紀夫、ルソー、ハンナ・アーレントなどの評価からうかがえるのだ。先崎先生には新書の執筆やテレビ出演ではなく、日本の思想についての専門書の執筆を勧めたい。

12月某日
社保研ティラーレを訪問。吉高会長も佐藤社長も新規事業の準備で気合が入っているようだ。本日はフィスメックの小出社長、社会保険出版社の高本社長、高本さんの奥さんでセルフケアネットワーク代表の真佐子さんと会食の予定があるので会場の「磯自慢」まで歩く。真佐子さんに高級チョコレートをいただく。「磯自慢」の料理は味が美味しいだけでなく、その見た目や器にこだわりがあるようだ。美味しい日本酒をたくさんいただいた。小出社長にご馳走になる。今月は今のところ3勝1敗1引き分け。何のことかというと勝=ご馳走になる、負=ご馳走する、引き分け=割り勘、である。負けは香川さんに中華をご馳走した件だが、香川さんは酒を呑まないので、引き分けに近い負けであった。