モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
NHK BSで映画「緋牡丹博徒」を観る。全部で8作制作された緋牡丹博徒シリーズの第1作で主演が藤純子、子分役に山本麟一と待田京介、敵役の親分が大木実、藤純子の助っ人が高倉健、藤純子に好意的な親分さんに若山富三郎とその妹に清川虹子という豪華布陣。公開は1968年。シリーズは1972年まで続けられたが、ちょうど私の大学4年間と重なる。「緋牡丹博徒」は劇場で観た記憶がある。早稲田松竹だったか新井薬師東映だったか。

8月某日
「兵諫」(浅田次郎 講談社 2021年7月)を読む。「蒼穹の昴」シリーズの最新刊で「兵諫」は「へいかん」と読んで「兵を挙げてでも主の過ちを諫めること」という。この物語に出てくる兵諫は二つ。一つは1936年2月26日、陸軍青年将校が引き起こしたクーデター2.26事件、同じく1936年12月12日中華民国西安で起きた張学良らによる蒋介石の拉致監禁事件、西安事件である。「蒼穹の昴」は人気シリーズだが、変転する中国と日本の近代史を背景にした人間ドラマだ。浅田次郎の志那愛に溢れた作品と私は思う。一つの例は中国人の人名、地名表記だ。日本の小説では中国人名や地名は日本の音で読まれる。蒋介石は「しょうかいせき」、西安は「せいあん」だ。だが「兵諫」はじめ、「蒼穹の昴」シリーズでは中国語読みがルビで示される。蒋介石「ジャンジエシィ」、西安「シーアン」というように。「兵諫」の主人公はニューヨーク・タイムズ記者のジェームズ・リー・ターナー、朝日新聞記者の北村修治あるいは特務機関員の志津大尉とも読めるが、シリーズ全体の主人公は日本と中国の近代史であろう。

8月某日
社会保険出版社の高本社長に面談。午後ワクチン接種で不在ということなので11時過ぎに訪問。社会保険出版社から社保研ティラーレにまわろうかと思ったが、コロナが蔓延中ということもあって自粛、真っ直ぐ我孫子へ帰る。我孫子駅からバスに乗って3つ目のアビスタ前で降りる。停留所から歩いて5分ほどで我が家だが、今日は近くのイタリアン「ムッシュタタン」に寄る。パスタとサラダ、飲み物、デザートが付いて1000円(税別)だった。安いと思いますが。

8月某日
「姉の島」(村田喜代子 朝日新聞出版 2021年6月)を読む。村田喜代子は1945年生まれだから今年76歳。村田は中卒で鉄工所に務め、22歳で結婚して子ども二人を育てながら小説を書き、1987年に「鍋の中」で芥川賞を受賞している。今どき中卒の芥川賞作家って村田と西村賢太くらいだろう。えらいもんだ。「姉の島」は今年85歳で現役の海女をやっている「あたし」雁来ミツルが主人公。舞台は五島列島と思われる島と島に続く海。海にも台地があったり山があったりする。山が海に突き出たのが島だ。ミツルと幼馴染の小夜子が海に潜るとその昔の遣唐使や太平洋戦争で撃沈された軍艦の水兵などに遭遇する。「長安はこちらの方角でよろしいか」「お尋ね申します。トラック島はどっちでしょうか」といった会話が交わされる。終戦後、五島列島の沖で旧海軍の潜水艦が海没処分された。その潜水艦に二人の老海女が訪れ会話する。何とも幻想的である。最後の三行。
おぅーい、小夜子ォー。
あんたァ、どこへ行ったかよォ。
何や見えぬようになった。じゃが、それももうよかろう……。

8月某日
高血圧の治療で月一回、内科を受診する。クリニックは我孫子南口の中山クリニック。もう20年くらい通っている。主治医の中山先生は東大医学部卒、我孫子は内科医が多いのか、いつも閑散としている。診察といっても「変わりありませんか」「ありません」「では血圧を測りましょう」「最近ちょっと高めなんですが」「そうですね。この程度ならいつものお薬でいいでしょう」「ありがとうございます」「お大事にしてください」で、3分間。近くの調剤薬局で薬を処方してもらう。今日は駅北口のイトーヨーカドーのショッピングモールに寄ることにする。3階の本屋で桐野夏生の「インドラネット」を購入。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
「死刑囚 永山則夫」(佐木隆三 講談社 1994年7月)を読む。永山則夫は1968年にタクシー運転手らを被害者に4件の連続射殺事件を起こし、翌年4月に逮捕され死刑判決が確定し、98年4月1日に死刑が執行されている。永山は私より1年遅く1949年に北海道の網走で生まれ、幼くして青森に転居した。一家は極貧状態が続き永山も中学卒業後、渋谷の西村フルーツパーラーに就職するが、長続きせず転職を繰り返す。横須賀の米軍人宅から盗み出した拳銃によって犯行に及ぶ。私が大学1年生の暮れに、現役で明治大学に入った川崎君と川崎君の友人と新宿で呑んでいた。終電がなくなったので明大前の川崎君のアパートへ帰るためタクシーを止めた。運転手が「若い人一人なら絶対に乗せないよ」と言っていたことを今でも覚えている。タクシーの運転手にとってはそれくらい切実な事件だったのだ。本書は永山の公判記録を基本的な資料として書かれている。それでいて著者は本書はノンフィクションではなくノンフィクションノベルであると主張する。公判記録のすべてが真実であるのか不明であるし、見方によって真実は多様な見え方をするということだろうと思う。永山が逮捕された年の9月に私は学生運動で逮捕、起訴され10月には東池袋の東京拘置所に送られる。私は年末には出所しているが短期間とはいえ永山と同じ拘置所にいたことになる。同じ北海道生まれで一歳違い、拘置所ですれ違っていたかも知れない、そういう縁を感じてしまうのだ。

8月某日
社保研ティラーレで吉高会長、佐藤社長と懇談。話題は表敬に訪れた金メダリストのメダルを噛んだ河村名古屋市長のこと。言語道断で一致。阿部正俊さんの遺稿集「真の成熟社会を求めて」の印刷が出来上がり、キタジマの金子さんが届けてくれる。金子さんと社会出版社の高本社長に挨拶。金子さんに上野駅まで送って貰う。

8月某日
「あるヤクザの生涯 安藤昇伝」(石原慎太郎 幻冬舎 2021年5月)を読む。裏表紙に「この本は、次の人が予約して待っています」の黄色い紙が貼ってあったので、読んでいる本を中断して読み進むことにする。180ページ足らずで活字も大きいから2時間ほどで読み終わった。安藤昇は1926年生まれ、少年院から予科練を志願し敗戦により復員、法政大学予科に進学する。花形敬らと安藤組を結成する。横井英樹襲撃事件で逮捕され5年間の服役後、安藤組は解散し安藤は映画俳優に転身する。安藤組時代の力道山との抗争(力道山の使いの東富士と百万円で手打ち)や山口洋子、嵯峨美智子など数々の女出入りも告白されている。安藤昇の語り下ろしの形をとっているが、「この稿を書くにあたって大下英治氏の「激闘!闇の帝王 安藤昇」や安藤昇氏の「男の終い支度」などの書籍を参考にさせて頂きました」(付記)とあるように、既存のドキュメントやインタビューなどを再構成したものというのが正しいだろう。

8月某日
東京オリンピックが終わる。オリンピックに格別の興味があるわけではないが、コロナ禍で外出もままならず家でオリンピック関連のチャンネルを見ることが多くなる。私の同居家族(奥さんと息子)はオリンピックには興味がないようだ。だいたいテレビをほとんど見ない。奥さんはタブレットで韓国や中国のドラマを楽しんでいるらしい。たぶん大人も子供もテレビを見なくなっているのではないか? 高度成長期、一家だんらんの真ん中にはテレビが据えられていた。今や一家だんらんという言葉自体が死語に。

8月某日
「9条の戦後史」(加藤典洋 ちくま新書 2021年5月)を読む。加藤典洋が亡くなったのは2019年の5月、亡くなる1カ月前に「9条入門」(創元社)が出版されている。「9条」とはもちろん戦争放棄をうたった日本国憲法の9条のことである。加藤は1948年4月1日生まれで、学齢としては1948年の早生まれと同じ扱いになるらしい。山形東高校を1965年に卒業、同年に東大に入学している。本書を読んでいる期間がちょうど東京オリンピックと重なり、読み終わるのに1週間以上かかってしまった。新書版で500ページ以上という本の厚さもあるが、9条に対して、あるいは軍備や戦争と平和に関して日本人や政治家、政治学者らがどのように感じ、論じてきたかが詳細に論じられており、文章の意味を読み取るのに時間がかかってしまった。「『はじめに』に代えて」で野口良平という人が加藤が中高生向けに書いた「僕の夢」という文章を引用している。「理想というのは大事だ。政治というのは、新しい価値を作り出すための人々の企てだからね。むろん、理不尽なことには立ち向かうんだが、そういう必要と、この理想と二つがあってはじめて、政治は、実現できないと思われていたことを可能にする人間の営みになる」。これはほとんど全共闘運動のことを語っていると私には思われた。戦後、日本は保守党が主導権を握る内閣の下で、対米従属しながら核武装を回避しつつ、曲がりなりにも軽武装路線を貫いてきた。しかし安倍政権で事態は大きく変化した。安倍がトランプをパートナーとしつつ、米国の言いなりに武器を調達し、米軍の世界戦略に積極的に協力してきた。加藤は9条と国連との連携により、日米安保条約を解消し、米国を含めたアジア太平洋地域の安全保障を提言しているのだが…。

モリちゃんの酒中日記 7月その4

7月某日
「女たちのポリティクス-台頭する世界の女性政治家たち」(ブレイディみかこ 幻冬舎新書 2021年5月)を読む。「小説幻冬」の2018年12月号から20年11月号に連載されたもの。英国のブライトンに労働者階級のアイルランド系の夫とハーフの息子と暮らすブレイディみかこは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」がベストセラーとなって以来の読者である。というか私はその少し前に発売された「女たちのテロル」(岩波書店)を面白く読んだ。その頃、私にとってはブレイディみかこはまったくの無名のライターだった。「女たちのテロル」では20世紀の女性のテロリストを何人か取り上げているのだが、日本人では関東大震災直後に、摂政の宮(昭和天皇)暗殺未遂事件で夫の朴烈とともに逮捕され、後に宇都宮刑務所で縊死した金子文子の生涯がスケッチされている。貧しい人々への共感が彼女の考え方の基本にはある。政治思想的には無政府主義ね。そしてブレイディみかこが英国在住ということも見逃せない。日本、日本人という限定的な視点から解放されているのだ。英国首相だったメイ、ドイツ首相のメルケルには辛口の評価。ニュージーランドのアーダーン首相、フィンランドのマリン首相らには肯定的な評価が下されている。メイはEU離脱後の国家運営における無能さ、メルケルはこてこての財政再建論者であることが否定的な評価の理由である。私はブレイディみかこの本に出合うまでは財政再建主義者であったのだが、少し考えを改めようかなと考え始めているところ。MMT(現代貨幣理論)を少し勉強してみるか。

7月某日
「身分帳」(佐木隆三 講談社文庫 2020年7月)を読む。佐木隆三は1937~2015年。「復讐するは我にあり」はじめ、犯罪小説の第一人者。「死刑囚 永山則夫」「小説 大逆事件」は未読だがそのうちぜひ読みたい。人生の大半を刑務所で送った主人公の山川一は、昭和61年2月に旭川刑務所を出所、東京の弁護士が身元引受人となったことから上京する。生活保護を受けながら職を探し、運転免許取得の苦労や近所の人々との交流などが描写される。
私はこの本を読みながら大学生の頃、交流のあったMさんのことを思い出した。今から半世紀以上前の1969年の4月28日(4.28沖縄闘争)で私の友人が逮捕された。そのとき留置所で同房だったのがMさんである。Mさんはその頃30代前半だったと思うが、少年の頃から素行が悪く刑務所を出たり入ったりの生活だったらしい。留置所でも警官に反抗し「エビ固め」で攻められるなどの拷問を受け、同房の私の友人に「留置所を出たら証言してほしい」と依頼した。この一件の結末は知らないが、この年の夏以降、私たちはMさんのもとで土方のアルバイトに精を出すことになる。その年の9月、私は早大第2学生会館屋上で凶器準備集合、傷害、公務執行妨害、現住建造物放火などの容疑で逮捕される。学生会館の屋上から押し寄せる機動隊に向けて火炎瓶や石ころを投げつけたわけね。逮捕起訴されて東京拘置所(その頃はまだ東池袋に会った)にMさんから「私がもっと若かったら君と一緒に戦いたい」という内容の封書が届いた。在学中はよくMさんのもとで土方のバイトをしたっけ。かなり割のよいバイトだった。なお「身分帳」は西川美和監督、役所広司主演で「すばらしき世界」として映画化されている。

7月某日
東京神田の社保研ティラーレを訪問。吉高会長、佐藤社長、議員秘書の神戸さんと懇談。吉高さんから高級焼酎「百年の孤独」を頂く(ネットで値段を調べたら、定価5726円!)。キタジマの金子さんの営業車で社会保険出版社へ。近藤さんと「真の成熟社会を求めて」の打ち合わせ。御茶ノ水の社会保険出版社から上野駅まで金子さんに送って貰う。我孫子で「しちりん」に寄る。
「蟲息山房から-車谷長吉遺稿集」(新書館 2015年12月)を読む。蟲息山房は「ちゅうそくさんぼう」と読み、車谷と奥さんで詩人の高橋順子さんが住む家のこと。車谷が命名した。全集に入らなかった短編小説や俳句、連句、対談、インタビューなどが収められている。玄侑宗久との対談で車谷は何を目指しているかと問われ、「人間が人間であることの不気味さをテーマに書きたいわけです」と答えている。今思えば覚悟を持った小説家だったように思う。「10年夏に全集を刊行してから執筆意欲を失った」と高橋順子さんが書いている。10年とは2010(平成22)年のことである。車谷が妻の留守に食べ物を喉に詰まらせて窒息死したのが、それから5年後の2015(平成27)年5月であった。

7月某日
「財政赤字の神話-MMTと国民のための経済の誕生」(ステファニー・ケルトン 早川書房 2020年10月)を読む。MMTとは現代貨幣理論のことで、アメリカ、イギリス、日本など自国通貨の発行権を有する国の政府は、赤字国債を発行し続けても問題ない(ただしインフレには注意)という理論である。今回のコロナ対策に関しても多くの公費が使われているが、その多くの(おそらくすべての)財源は国債である。私は長く「健全財政論者」で、借金を子や孫の世代に残すのには反対という立場である。だがこの本を読んで私の考えは揺らぎ始める。この本の第1章は「家計と比べない」で章の扉にはタイトルの文字とともにオバマ大統領の2010年一般教書演説から「アメリカ中の家族が支出を控え、困難な決断をしている。政府もそうしなければならない」という文言が添えられている。そして扉の裏には「神話1 政府は家計と同じように収支を管理しなければならない」と並べて「現実 家計と異なり、政府は自らが使う通貨の発行体である」という言葉が掲げられている。「自らが使う通貨の発行体」というのがミソでEU加盟国や地方政府は除外される。ステファニー・ケルトンはニューヨーク州立大学の教授で経済学者。2015年の米上院予算委員会でチーフエコノミスト、大統領選挙では民主党の予備選でバーニー・サンダース候補の政策顧問を務めたという。社会主義者ではないがバリバリの左派である。

7月某日
MMTについてさらに「MMT-現代貨幣理論とは何か」(井上智洋 講談社選書メチエ 2019年12月)を読む。ステファニー・ケルトンは自ら現代貨幣理論派を名乗っているが、井上智洋はMMTに「全面的に賛成でも、反対でもありません」(はじめに)としている。当然、ステファニー・ケルトンの語り口には迫力があり、井上智洋にはそれが欠ける。井上はベーシック・インカム(BI)の導入論者として知られるが、本書でもAI・ロボットが高度に発達した未来にBIが導入されると多くの人が労働から解放される「脱労働社会」が実現する、と主張している(第5章)。私はそれがマルクスの言う共産主義社会と思えるのだが。

モリちゃんの酒中日記 7月その3

7月某日
午前中、月1回の高血圧治療のため我孫子南口駅前の「中山クリニック」へ。治療と言っても「お変わりありませんか?」「特にありません」という簡単な問診のあと、中山先生が血圧を測って「お大事に」「ありがとうございました」で終わり。高血圧は自覚症状がほとんどないので厄介だ。私も11年前の2010年3月、HCM社のゴルフコンペの朝、フラフラしてズボンをはけず、HCM社のMさんに「こういうわけでコンペは欠席します」と電話した。そうしたらMさんが「親父が高血圧で倒れたときと同じだから直ぐに救急車を呼んだ方がよい」と言われてそうした。会社の検診で高血圧と診断され、当時から中山クリニックに通っていたのだが、何しろ自覚症状がないもので服薬もサボり勝ちだった。今は真面目に服薬を続けています。中山クリニックから我孫子薬局でいつもの薬を調剤してもらい帰宅する。

7月某日
厚労省の医系技官だった高原亮治氏。上智大学の教授を務めた後、高知県の医療法人で働いていたが持病の心臓病が悪化、急死した。高原さんの生前、堤修三さんと私の三人で何回か呑みに行った。高原さんが岡山大学医学部の全共闘、堤さんが東大駒場、私が早大政経の全共闘という全共闘つながりだった。7月の命日には堤さんと奈良女子大学元教授の木村陽子さんとの3人で高原さんの墓参りに行くことにしている。お墓と言っても高原さんの遺骨は四谷の聖イグナチオ教会の納骨堂に納められているから、そこにお参りする。お参りした後、近くの喫茶店で休憩。木村さんにCDを頂く。

7月某日
家にあった「それからの海舟」(半藤一利 ちくま文庫 2008年6月)を読む。前に一度読んだことがある筈だが、例によって内容はほとんど覚えていない。著者の半藤は元文藝春秋社の編集者で最後は専務を務めた。東京は向島の生まれで、先祖は越後長岡藩の出。江戸は幕府のおひざ元だし、長岡も薩長の倒幕勢力に抵抗して敗れた。半藤は根っからの薩長嫌いなのである。勝海舟も江戸っ子だが、三河以来の幕臣ではなく「祖父の平蔵が三万両で株を買い、千石取りの男谷家をついだ」。父の小吉が男谷家から勝家の養子に入る。勝小吉は無役の貧乏旗本だったが勝海舟、幼名麟太郎は幼い頃から文武両道に励み優秀だった。表題の「それから」について半藤は「あとがき」で三田薩摩屋敷での勝・西郷隆盛の会談のときと記している。会談の結果、「江戸城は無血開城となり、近代日本は華やかに幕を開いた」のである。海舟は1823(文政6)年に生まれ1899(明治32)年に75歳で没している。当時としては長命だったのではないか。ちなみに維新の三傑といわれる西郷隆盛、木戸孝允(桂小五郎)、大久保利通の終焉についても本書に触れられている。西南戦争の最終局面、城山で政府軍の総攻撃を受ける西郷軍。「流れ弾が股と腹に当たるに及んで、傍らの別府晋介を顧みて言った。『晋どん、晋どん、もうこん辺でよか』」。1878(明治10)年9月24日、享年51。木戸は西南戦争の真っ最中の同年5月26日に「西郷、もういい加減にせんか」の一言を最後に病死した。享年45。翌年、1879(明治11)年5月14日、大久保利通が暗殺される。享年49。三人ともずいぶん若くして死んだことが分かる。そういえば半藤さんも今年1月に亡くなっている。こちらは享年90。

7月某日
林弘幸さんと我孫子駅南口の「しちりん」で呑む。林さんは元年金住宅福祉協会の幹部職員。確か九州支所長や東京支所長を務めた。九州支所長のとき博多でご馳走になった覚えがあるが、仲良くなったのはむしろ林さんが年住協を止めて以降だ。林さんは年住協の前の職場が永大産業。この会社は合板とプレハブ住宅のメーカーだったが、オイルショック後に倒産した。年住協の実質的な創業者だった坂本専務、その後を継いだ中谷、米田さんも永大出身だ。年住協の創業当時の話を聞けた。

7月某日
「ロッキード」(真山仁 文藝春秋 2021年1月)を読む。600ページ近い大著だが、週刊文春に2018年~2019年にかけて連載されていた「ロッキード 角栄はなぜ葬られたか」をもとにしているだけに読みやすかった。私が大学を卒業したのが1972年、田中角栄が首相になったのがその年の7月、文藝春秋に立花隆の「田中角栄研究」が掲載されたのが74年の10月、田中内閣が総辞職したのが11月だ。角栄は首相は辞めたが最大派閥の田中派を率いて自民党の実力者であり続けた。角栄が逮捕されたのは76年の7月である。東京地裁は83年10月に角栄に懲役4年、追徴金5億円の判決を下す。85年2月に角栄は脳梗塞で倒れ入院、退院後も本格的な回復を見ないまま93年12月に波乱に満ちた生涯を閉じている。私が23歳のときに角栄は首相となり、死んだのは私が45歳のときである。感慨深いものを感じながら読了した。角栄の起訴、有罪判決は無理筋であったのでは?と思わせるものがあった。今度、弁護士の雨宮先生に会ったら聞いてみよう。

7月某日
「夫・車谷長吉」(高橋順子 文藝春秋 2017年5月)を読む。最後の文士とも呼ばれた小説家、車谷長吉との日々を描いたエッセー。本作で高橋は講談社エッセイ賞を受賞している。
車谷との出会いから車谷の直木賞受賞、豪華客船による世界一周、そして車谷が晩年、体力と同時に執筆意欲を失ってゆく様子が赤裸々にかつユーモラスに描かれる。私は実は車谷と高橋と二度ほど酒を呑んだことがある。私の兄の奥さん(義理の姉)が小学館に勤めていて高橋順子さんと親しく、酉の市に鳳神社にお参りした後、入谷で4人で呑んだのだ。私が車谷のファンであることを知った義理の姉が誘ってくれたのだ。高橋さんは東大、車谷は慶應の仏文を出たインテリなのだが、お会いしたときは普通のオジサンとオバサンに見えた。高橋さんの方が1年、年長なのだが高橋さんがかいがいしく車谷のお世話をしているように見受けられた。「夫・車谷長吉」を読んで、そのときのことを思い出した。

モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
11時45分に社会保険研究所の入るビルでキタジマの金子さんと待ち合わせ。「真の成熟社会を求めて」のゲラを返すつもりだったが、肝心のゲラを自宅に忘れてしまった。後でメールすることにする。年友企画の石津さんとランチ。「跳人」で三色丼をご馳走になる。「跳人」でホールを担当している大谷さんと話す。大手町から霞が関へ。厚労省1階ロビーで社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。樽見事務次官に「地方から考える社会保障フォーラム」への出席のお願い。厚労省で佐藤社長と別れ、虎ノ門の日土地ビルで打ち合わせを済ませた後、霞が関から千代田線で帰る。北千住で快速に乗り換え我孫子へ。南口駅前の「しちりん」に寄る。

7月某日
「政治家の責任-政治・官僚・メディアを考える」(老川祥一 藤原書店 2021年3月)を読む。著者の老川は読売新聞グループ本社会長・主筆代理、同グループではナベツネこと渡辺恒雄主筆に次ぐナンバー2ということだろう。1941年東京都出身、早稲田大学政経学部政治学科卒業後、1964年読売新聞社に入社。入社以来、多くの期間を政治部で過ごし政治部長も務めた。この本を一読して私も色々な感慨を持ったが、一つは衆議院選挙制度の中選挙区から小選挙区への移行であろう。一選挙区に3~5人程度の定員を設ける中選挙区制は選挙に金がかかり過ぎる、同一政党から複数の候補者が立候補するため派閥政治が助長される、などの批判があり小選挙区制への移行が決まった。政党には税金から政党助成金が交付されるようにもなった。中選挙区時代は派閥のボスから盆暮れ、選挙時に金が配られていた。党執行部の力が強まり派閥の力は低下した。現在の菅首相(総裁)は無派閥だが、かつては考えられなかった。安倍一強を謳歌できたのも小選挙区制の賜物と言えまいか。政治家が小粒になったのも小選挙区制に源がありはしないだろうか。

7月某日
「何とかならない時代の幸福論」(ブレイディみかこ×鴻上尚史 朝日新聞出版 2021年1月)を読む。ブレイディみかこは一昨年だったか、金子文子らの女性テロリストを描いた「女たちのテロル」(岩波書店)を読んで以来のフアン。鴻上尚史の芝居は観たことはないけれど、彼が司会をやっているNHKBSの在日の外国人を集めてのトーク番組「COOLJAPANN」はときどき観る。二人とも日本社会を外から(批判的に)見ているのが共通点と言えようか。コロナで同調圧力が高まっている現在、二人の視点は重要だ。コロナと言えば、明日から東京に緊急事態宣言が発出される。これに関連して西村担当大臣が、酒類を提供する飲食店には金融機関や種類の卸業者を通じて圧力をかけるとか発言して批判を浴びた(後に撤回したらしいが)。西村大臣は灘高から東大を出て通産省に入った秀才らしいが、だめだねぇ。コロナで窮地に立たされている飲食店等の弱者に対する想像力が欠けている。「何とかならない時代の幸福論」でも「『エンパシー』とは、その人の立場を想像する能力」としてブレイディみかこが「『エンパシーという能力を磨いていくことが多様性には大事なんだよ』と、息子が学校で習ってきた」と語っていた。そういうことなんだよなぁ。

7月某日
家にあった「幕末維新変革史」(下)(宮地正人 岩波書店 2012年9月)を読むことにする。上巻を10年近く前に読んで下巻は読まずに放っておかれた。読まずに死んでしまうのももったいないので読むことにする。下巻は第Ⅲ部「倒幕への道」、第Ⅳ部「維新史の課程」、第Ⅴ部「自由民権に向けて」という構成。著者の宮地正人は1944年生まれ、東大の史料編纂所教授、国立歴史博物館館長を務めている。東大の国史学科を卒業しているから昨年亡くなった坂野潤治先生の後輩にあたる。ウイキペディアでは宮地のことを「左派」としているが、そういう決めつけは如何なものか。第Ⅲ部は政治史的に言うと薩長同盟の成立から大政奉還までを扱っている。そうそうこの本を読むきっかけとなったのはNHKテレビの大河ドラマ「青天を衝け」がちょうど、渋沢栄一が一橋慶喜に仕官し、慶喜が大政奉還をする当たりを扱っているからだ。渋沢を演ずる吉沢亮という役者がなかなかいい。二枚目なんだけれど三枚目的でもあるし、熊谷あたりの方言「だっぺ」丸出しなのも好感が持てる。
本書が面白いのは中央の政治史だけでなく経済や地方、文化や学問にも焦点を当てている点だ。第Ⅲ部ではこれまであまり知られていなかった蘭学者や東国の平田国学者、豪農や豪商にも言及している。「青天を衝け」でも渋沢家が熊谷の豪農で藍玉を扱う商人を兼ねていることが描かれている。第33章「幕末期の東国平田国学者」では宮和田光胤という国学者が紹介されている。この人は今は取手市と合併した藤代町宮和田の出身、今でも宮和田という地名は残っているし宮和田小学校も存在する。水戸街道沿いということもあって水戸学の影響も受けたらしい。本陣の当主だから名字帯刀は許されたが基本は農民ないしは町民であった。この辺は渋沢家と一緒だ。新選組の近藤勇や土方歳三も三多摩の農民出身。だけれども剣術も学問も学び江戸へ出て道場を開く。道場を開く資金はおそらく実家からも出ていただろう。米だけでなく生糸も扱っていたと思われる。開国によって藍玉や生糸の価格が乱高下した。渋沢や近藤らの生産者が攘夷思想に魅かれていく一因となったのでは。

7月某日
「幕末維新変革史」(下)の第Ⅳ部「維新史の過程」を読み進む。明治維新の性格については、講座派(日本共産党系)の絶対主義革命と労農派(戦後の日本社会党に繋がる)のブルジョア民主主義革命という二つの見方があった。本書はそのどちらに与するものではない。講座派と労農派の論争そのものが観念的であったのかも知れない。本書は明治維新が政治体制、経済社会、暮らしを含めて幅広い変革であったことを明らかにしていく。私としては士農工商の近世的身分制度の解体など、明治政府の民主的、進歩的な性格は評価する一方、後の大逆事件をはじめとした反動的な性格も見逃せないと思っている。そういえば坂野潤治先生は明治時代から大正デモクラシー、5.15事件まで日本は民主的とファシズム的の政権交代が繰り返されてきたと述べていたように思う。

7月某日
「幕末維新史」(下)を読了。今回読んだのは第5部「自由民権にむけて」。第48章「福沢諭吉と幕末維新」、第49章「田中正造と幕末維新」の2章で構成される。福沢は九州中津の中津藩、奥平家の下級武士の家に生まれる。天保5(1835)年生まれだから、ペリー来航がなければ九州の片田舎で平凡な一生を送った可能性が高い。しかしペリー来航が福沢の運命を一変させる。蘭学の習得を命じられた福沢は長崎、次いで大阪の緒方洪庵の塾で学ぶ。オランダ語を学んだ福沢は開港した横浜に出かけるが、欧米世界での共通語は英語であることを知り愕然とする。オランダ語を学んだ友人の多くは「今さら」と英語学習に背を向けるが福沢は果敢に挑戦する。これが福沢の咸臨丸による渡米、さらに帰国後の幕臣への登用につながる。幕臣としての福沢は、統一中央政府の幕府という形で幕府をとらえ、幕府権力の維持、強化を訴える。維新後の福沢は幕臣の静岡移住にも加わらず、新政権にも参加しなかった。維新前からの英語塾、のちの慶應義塾の経営に務めることになる。明治という時代は薩長を中心とする藩閥政府とそれと結びついた三井、三菱、住友、安田らの政商(後の財閥)の時代と理解されやすいが、福沢らの慶應義塾の力も無視できない。なにしろ東京大学が1977年に設立され、最初の卒業生を出すまでは、慶應義塾は最大の管理養成校だったらしい。それ以降は経済人を輩出していくが、彼らが明治期のブルジョア民主主義を担ってゆくことになる。田中正造は下野国小中村の庄屋の家に生まれる。幕末期には近隣の農民や浪人たちと共謀して倒幕の挙兵を試みるが鎮圧される。この辺の反権力の志は後の足尾銅山の鉱毒反対闘争に引き継がれてゆく。本書を読んで感じたのは、われわれが享受している民主主義や平和は当たり前のように存在しているように見えるが、そうではないということ。先人たちの命がけの労苦のうえに成り立っている。事実、幕末から明治期にかけて倒幕運動や反政府運動に携わった者のうち少なからぬ人が死罪となっている。当時の死罪は斬首だからね。文字通り「首を賭けた」闘いだったわけだ。

モリちゃんの酒中日記 7月その1

7月某日
社保研ティラーレで次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせを吉高会長、佐藤社長とする。缶ビールをご馳走になる。キタジマの金子さんと「真の成熟社会を求めて」のスケジュールを打ち合わせ。金子さんに車で上野まで送って貰う。我孫子で営業再開した「しちりん」に寄る。

7月某日
「アンソーシャル ディスタンス」(金原ひとみ 新潮社 2021年5月)を読む。コロナ禍の5組の若い男女の恋愛とセックスを描いた5編の中編小説が収められている。恋愛もセックスも引退の身ですがそれなりに面白かったけれど、最近は「厨房」が罵倒する言葉となっていることを学ぶ。中学生を意味する「中坊」が同音の「厨房」となったらしいけれど、わけがわからないよ。

7月某日
「敗戦後論」(加藤典洋 ちくま学芸文庫 2015年7月)を読む。「敗戦後論」は①「敗戦後論」②「戦後後論」③「語り口の問題」-の3部構成になっていて、初出は①が「群像」95年1月号、②が「群像」96年8月号、③が「中央公論」97年2月号で、単行本は1997年8月に講談社より刊行されている。2005年12月にちくま文庫で再刊され、2015年7月にちくま学芸文庫に収録された。単行本、ちくま文庫、ちくま学芸文庫のそれぞれに、著者の「あとがき」が掲載され、ちくま文庫には内田樹の「卑しい街の騎士」、ちくま学芸文庫には伊東祐史の「1995年という時代と『敗戦後論』」というタイトルの解説が付けられている。単行本、文庫の「あとがき」も文庫の解説も、学芸文庫にすべて収められており、これは加藤典洋のことをあまりよく知らない私のような読者にとっては大変ありがたい。以下、「敗戦後論」の内容紹介を「あとがき」と解説に沿って進めたい。
単行本の「あとがき」で、加藤は「この本は互いに性格の異なる三本の論稿からなっている」と述べ、「敗戦後論」が政治編、「戦後後論」が文学編、「語り口の問題」がその両者をつなぐ蝶番の編と位置付ける。これに対して学芸文庫版の解説で伊東祐史は、加藤の位置づけを肯定しつつ第二論文「戦後後論」が「加藤のすべての著作の“扇の要‟に位置」し、「加藤の『文学』の原論である」とし、それをもとに、日本の戦後を論じたのが第一論文「敗戦後論」であり、デリケートな政治社会問題を論じたのが第三論文の「切り口の問題」となる。私は「あとがき」も解説も本文を読んでから読んだから、3つの論文のそういった関係はこれらの文章を読んで初めて知った。何しろ私にとってはいささか難解で、しかも巻末の注釈にも目を通しながら読んだので、文庫本一冊を読み終わるのに三日かかってしまった。
第二論文は太宰治とサリンジャーを軸に戦争(第2次世界大戦)と文学の関りを論じたもので、第三論文はハンナアーレントが戦後、ユダヤ人大量虐殺の罪で裁かれたアイヒマンを描いたルポルタージュ「エルサレムのアイヒマン」を軸に批評を展開している。二つの論文共に私が完全に理解したとは思えないが、文学や思想に真剣に向き合おうとする加藤の姿勢には共感できた。しかし私が一番問題意識を持って読んだのが最初の「敗戦後論」であった。第一論文の「敗戦後論」を貫く加藤の最大の問題意識は「ねじれ」である。日本の現行憲法は日本人の手によって書かれたものではなくGHQの英文の原文を翻訳したものであることはもはや常識である。進駐軍の圧倒的な武力を前に、日本国および日本国民は憲法を「押し付けられた」。しかしその「押し付けられた」憲法は、戦力の放棄をうたう世界に誇るべきものだった。これが加藤の言う「ねじれ」の一つである。もう一つの「ねじれ」は先の戦争(日中戦争、太平洋戦争)の犠牲者は日本人は3百万人、アジア・太平洋地域は併せて2千万人に及ぶ。これらの犠牲者に我々は真摯に向き合っていないのではないか? というのが加藤の提起する第2の「ねじれ」である。
「ここには二種の死者がいる。死者もまた私たちのもとでは分裂している。この分裂を超える道はどこにあるのか」と加藤は書いて、吉田満の「戦艦大和ノ最期」から兵学校出身の哨戒長、白淵大尉の言葉を引用する。「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目覚メルコトガ最上ノ道ダ」。加藤は「ここにいるのは、どれほど自分たちが愚かしく、無意味な死を死ぬかと知りつつ、むしろそのことに意味を認めて死んでいった一人の死者だからである」と書く。私は2、3カ月前、我孫子の香取神社の朝市で「戦艦大和ノ最期」を入手、初めて読んで今までにない何とも言えない気持ちになった。だから加藤の気持ちはよく分かる。だが私は同じ朝市で買った「総員玉砕せよ!」(水木しげる)という戦争マンガを取り上げたい。昭和18年末、陸軍部隊の一支隊が中部太平洋ニューブリテン島に進駐する。マンガは重労働と下士官のビンタに明け暮れる一人の新兵の視点で描かれる。偵察に行った同僚が鰐に襲われたり、熱病に倒れていく。そんななかで戦局は確実に悪化していき、昭和20年3月部隊に玉砕命令が下される。玉砕戦でも生き残る兵や士官がいる。それを察知した司令部はさらなる玉砕戦を命じる。兵たちは猥雑で娑婆に未練たっぷりに描かれる。海軍士官の白淵大尉のような高潔さやインテリジェンスは微塵もない。私はそこにむしろ感動した。白淵大尉は自分の死に意味を見つけた。だがニューブリテン島の兵たちは意味を見つけることもなく死んでいく。

7月某日
社保研ティラーレで佐藤社長と吉高会長と雑談。その後、社会保険出版社の1階でキタジマの金子さんから「真の成熟社会を求めて」の最終ゲラを貰い、次いで社会保険出版社の高本社長に挨拶、金子さんに上野まで送って貰う。上野駅で大谷源一さんと待ち合わせ。一緒に有楽町の交通会館の「ふるさと回帰支援センター」に行って高橋公理事長に挨拶。交通会館地下1階の博多うどんの店「よかよか」に行く。ビール、シャンペンと日本酒を頂く。この店は博多うどんの店だが、おいしい日本酒と日本酒にあったつまみを揃えている。店を仕切っているのはネパール出身の青年。日本語は日本人と変わらないし、顔もほぼ日本人である。

7月某日
近所の「髪工房」という床屋で散髪。髪工房は私より2~3歳年上のご主人とその娘さんがやっている。65歳以上は1800円のうえ、スタンプが5回になるとさらに500円引きになる。今日は500円引きの日だったので1300円だった。申し訳ないほど安価。床屋さんのすぐ前が坂東バスのバス停、我孫子高校前だ。床屋さんを出るとすぐバスが来たので乗る。終点の我孫子駅で降りて南口駅前の「ココ一番屋」に入って「野菜カレー」を食べる。雨が降ってきたので帰りもバス。このところ障害者割引を利用しているので片道75円である。「モリちゃんの酒中日記」を読み返していたら6月に加藤典洋の「敗戦後論」を読んでいたことが判明。認知症発症か?「どっかで読んだことが…」と思ったのは事実ですが1カ月前に読んだことを忘れる?

モリちゃんの酒中日記 6月その4

6月某日
香取神社の朝市で買った古本「戦艦大和ノ最期」(吉田満 講談社文芸文庫 1994年8月)を読む。戦争文学の名作として名前は知っていたが読むのは初めて。吉田は1923年生まれ、1944年東京帝大法学部在学中に学徒動員で海軍に入隊、少尉、副電測士として戦艦大和に勤務。「戦艦大和ノ最期」は終戦後、1日で書き上げたという。全編文語体で書かれているが、文語体が米軍機との戦闘場面、大和の撃沈場面、その後の漂流、救助の極度に緊迫した場面を描くのに効果を挙げている。吉田は復員後、日本銀行に就職、国庫局長、監事を務めたが、1979年56歳で亡くなっている。戦争文学は戦争を体験したものにしか書き得ないものではない。現に浅田次郎の優れた戦争小説を読んだことがある。しかし「戦艦大和ノ最期」は、体験したものしか書き得ないものだ。大和は1945年3月、母港呉港を出港、豊後水道を下り沖縄島を目指す。米軍機に襲われ激闘2時間の末、轟沈される。乗員3332名のうち約3000名が艦と運命を共にした。制空権を完全に失った状況で大和はよく戦ったというべきだろう。しかし、私はミッドウェー海戦以降、勝ち目のない戦を継続した東条英機らの戦争指導者を憎むね。

6月某日
「ハコブネ」(村田沙耶香 集英社文庫 2016年11月)を読む。本書の初出は「すばる」の2010年10月号、単行本化は2011年11月である。精神科医で批評家の斎藤環は「村田沙耶香は闘っている。何と? 異性愛主義、ならびにそれに由来する性交原理主義と」と、村田の「消滅世界」(河出文庫 2018年7月)の解説で述べている。村田の闘いは「ハコブネ」においても同様に展開されている。この小説の書かれた2010年頃は現在よりももっとLGBTなど性的少数者に対する理解は進んでいなかったと思う。「ハコブネ」は異性とのセックスが辛く、自分の性に自信が持てない19歳の里帆、セックスに実感が持てない31歳の知佳子、知佳子の友人で女であることに固執する椿の、それぞれの性を巡る物語である。斎藤環の言うように村田の異性愛主義と性交原理主義との闘いは一貫している。文学は元より孤独な闘いであるが、村田の孤独は「性的観念、性的通念」を相手にしているだけにその孤絶感はまたひとしおだろう。私は村田沙耶香を支持します。

6月某日
「人口減少社会の未来学」(内田樹編 文藝春秋 2018年4月)を読む。内田が序論「文明史的スケールの問題を前にした未来予測を執筆、構造主義生物学の池田清彦やブレイディみかこ、平川克美、隈研吾、姜尚中ら10人が寄稿している。人口減少は自然過程というのが各論者にほぼ共通した認識。そのなかで内田は今後、我々がやらなければならないのは「後退戦」と位置付ける。「どうやって勝つか」ではなく「どうやって負け幅を小さくするか」だ。確かに労働力人口が増加し、高度経済成長が続いた時代には「勝つこと」が求められていた。池田は「動物の個体群動態(人類の場合は人口動態)を考える上で、一番重要な概念はキャリング・キャパシティ(環境収容力)である」とする。そのうえでAIやロボットが普及すれば労働者は失業し、社会環境は悪化する。ベーシックインカムの支給によってそれを防止すれば定常経済が当たり前の世界になり、「そうなればキャリング・キャパシティがほぼ一定で、人口もほぼ一定という、生物種の生存戦略としては最適な社会になる」と予言している。人口問題について考えるには人類史的な視点が必要ということか。

6月某日
2回目のワクチン接種。1回目は駅前のイトーヨーカドーの3階だったが2回目は中山クリニック。中山先生は私の高血圧症の主治医で東京大学医学部出身の秀才。名前を呼ばれて接種室に行くと中山先生が「あぁ森田さん」と一言。無事接種を終え15分ほど休憩して中山クリニックを出る。イトーヨーカドーのCDで現金を降ろし、レストラン「コビアン」でランチ。「ハンバーグ&ウインナー」のBランチ(660円)と生ビール(550円)を頼む。「コビアン」を出て公園通りを下って手賀沼公園で休憩して帰る。

6月某日
10日ほど前に読んだ「現代思想の冒険者たち」シリーズの⑰「アレントー公共性の復権」の月報に森まゆみが早稲田の政経学部の藤原保信ゼミでアレントやローザ・ルクセンブルグを学んだことを記していた。ウイキペディアによると藤原保信は1935~1994年、父が戦死して祖父に育てられ南安曇農業高校を卒業後、働きながら第2政経学部で学び大学院に進んだ。我孫子市民図書館で藤原保信を検索すると「自由主義の再検討」(岩波新書 1993年8月)がヒットしたので借りることにする。藤原は1994年に亡くなっているので、本書は彼の最後の著書になるのかも知れない。「あとがき」で「本書は、ほんらいならばもう少しはやく書き上げられるはずであった。しかしちょうど半分ほど書き進んだところで体調を崩し、中断を余儀なくされた」と記されている。病魔と闘いながらの執筆だったのだろうか。ソ連が崩壊したのが1991年だから、「社会主義に勝利した自由主義」という当時の一般的な風潮に一石を投じたかったのかも知れない。序章の「自由主義は勝利したか」で藤原は自由主義を経済的には資本主義、政治的には議会制民主主義を基本とする社会と定義したうえで、「自由主義そのものが自己修正し、自己克服を遂げていかなければならない」としている。また自由主義の遠い将来は「形を変えた社会主義かも知れない」とも記している。第Ⅱ章「社会主義の挑戦は何であったか」ではマルクスの思想を好意的に概説している。この章の終わりは、完成した共産主義社会では「まさに『各人の自由な発展が、万人の自由な発展』の条件になり、各人はその能力に応じて働きつつ、必要に応じて受けとる。そこにひとつのユートピアをみるのは間違いであろうか」と結ばれている。完成した共産主義社会に「ひとつのユートピアをみる」のは高卒で現場の労働者であった経験がいわせているのだろうか。

モリちゃんの酒中日記 6月その3

6月某日
「花桃実桃」(中島京子 中公文庫 2016年6月)を読む。中島京子の小説は比較的よく読む。直木賞を受賞し映画化もされた「小さいおうち」は広い意味での反戦小説として読んだ。「花桃実桃」は親の遺産で古いアパートを取得して、家主としてそのアパートに住む40代、独身の花村茜とその身辺の物語。中年独身女性の茜は田辺聖子の小説では「ハイミス」として描かれるが、女性の生涯独身率もこの頃では高率を維持していることに伴い「ハイミス」も死語に。小説では不動産屋の親父は中年独身女性のことを「行かず後家」と表現して茜の顰蹙を買うが「行かず後家」も死語でしょう。中島京子の小説には悪人が出てこない。市井の人々の平凡なように見えて非凡な日常に光を当てる。その意味では田辺聖子の後継者の一人だ。

6月某日
「AIは人類を駆逐するのか? 自律世界の到来」(太田裕朗 幻冬舎 2020年6月)を読む。著者の太田はもともと物理学者を目指し京都大学で研究生活に入り、工学研究科航空宇宙工学専攻の助教を経て、カリフォルニア大学サンタバーバラ校で研究に従事、2010年に帰国後、マッキンゼー・アンド・カンパニーでコンサルタント。2018年から自律制御システム研究所を経営という経歴の持ち主。ロボットが自動的に動くとは、自動制御(オートメーション)によって動くことを指し、一方、ロボットが自律的に動くとは、それが自律的(オートノミー)を獲得していることを意味する(はじめに)。このことから太田はAIを備えたロボットが人間の代替物として稼働する近未来を予測する。例えば次のように。①物質(食料、エネルギー)のシンギュラリティ(技術的特異点)が来る。これによって生命維持に必要な物質が飽和する。働かなくても食べられる時代が来るかもしれない。②少ない人口で現状維持できる社会が誕生する。自律ロボットになれば少ない人口で現在のGNPは維持できる。人が減り、自律生産能力が上がれば、豊かになり、出生率もどこかで定常化する。③自律頭脳が全員が正しいと思えるコンセンサス形成に論理的な助言をするようになる。主義主張や感情論、ポピュリズム政治は、行政や富の分配といった国家の役割の中で相対的に弱まり、集団としての意思決定はより論理的なものとなる。④教育も変わる。人工知能を使うべき人が持つべき精神や設計者としての頭脳は、単に知見を得る、作業を学ぶという学問をするだけではなく、その根本を設計するための価値観や倫理が大事になるからだ。⑤私たちの脳そのものも変わる。脳の持つ力を別のことに振り向け、より豊かな精神生活を送れるようになる。なるほどねぇ、方向性としては大変良いと思うけれど。

6月某日
「ファウンテンブルーの魔人たち」(白石一文 新潮社 2021年5月)を読む。近未来私小説かな。私小説というのは作家自身を主人公にして、作家の近辺に起こったことを題材に小説化したもの、というふうに一応は定義してみる。小説の主人公、前沢倫文は福岡出身の親子2代の小説家だ。この設定は白石と重なる。しかし舞台は近未来の東京、新宿だ。どのくらいの近未来かというと、南北朝鮮が統一されてから十数年後という記述があるから、すくなくとも今から30年後、2050年頃の設定と考えていいのではないか。前沢は新宿御苑近くのタワーマンション、ファウンテンブルーに同性の恋人、英理と暮らす。このタワーマンションは新宿2丁目のゲイタウンの跡地に建設された。なぜ跡地かというと4年前に大きな隕石が新宿2丁目に激突、ゲイタウンは跡形もなくなってしまったからだ。同じマンションには皇居前の楠木正成像を模したAIロボット、マサシゲ(マー君)、天才IT技術者で音楽家でもある茜丸鷺郎(アッ君)も住む。マー君はどのような人物にも変態することができるし、両性具有的存在で前沢とも肉体関係を結ぶ。さらに人工子宮の開発を巡って日本、中国、インドの政財界を巻き込んだスキャンダルが描かれる。「ファウンテンブルーの魔人たち」というタイトル通り「魔人たち」の物語だ。AIロボットのマー君が「人間が死を恐れている限り、僕たちの能力には太刀打ちできないけど、死を恐れないという理にかなわない選択をしたとき、人間は、僕たちが到底できないような生き方をすることができるんだ」と語る場面がある。人間にとって生は有限だからこそ時間に意義があるということかも知れない。それにしても四六判600ページ超えは読みでがありました。

6月某日
我孫子市民図書館で本を探していたら大谷源一さんからスマホに電話。大谷さんはワクチン接種の2回目も終わったそうだ。私は2回目が6月28日なので7月に入ったら我孫子で一緒にお酒を呑むことに。手賀沼公園のコブハクチョウを確認して家へ。家に着いたらスマホに年友企画の迫田さんから電話。「へるぱ!」の編集会議への参加の確認。私が参加しても役に立つとは思えないので、先日、酒井さんには「老兵は死なず消え去るのみ」といって不参加を伝えたのだけれど。なんか気を使わせているのじゃないかな。

6月某日
「現代思想の冒険者たち⑰ アレントー公共性の復権」(川崎修 講談社 1998年11月)を読む。我孫子市民図書館の思想のコーナーを眺めていたら「現代思想の冒険者たち」シリーズが目についた。アレントはハンナアーレントのこと。1906年ドイツのユダヤ人家庭に生まれ、大学で哲学と神学を学ぶ。指導教官のハイデガーと恋愛関係に。ナチスが政権をとったあとにアメリカに亡命。戦後、「全体主義の起源」をあらわし、政治思想家としての名声を不動にする。第2次世界大戦中のユダヤ人虐殺に重要な役割を担ったとされるアドルフ・アイヒマンの裁判を記録した「イェルサレムのアイヒマン」は、アイヒマンを上司の命令に従った平凡な小役人で、「悪の陳腐さ」として描き大論争になった。アレントは1975年、69歳でニューヨークの自宅で亡くなっている。「現代思想の冒険者たち」シリーズは、アレントをはじめとした現代思想家の概説書である。第1章「19世紀秩序の解体」第2章「破局の20世紀」にはそれぞれ「『全体主義の起源』を読む」というサブタイトルがついている。アレントが全体主義として分析の俎上に載せたのはナチズムとスターリン主義である。戦後まもなくナチズムは敗北したとはいえ、スターリンは絶対的な権力を握り、ソ連とスターリンは米国に対抗して冷戦の一方の旗頭であった。その時代にナチズムとスターリン主義の同質性を指摘したのは慧眼という他ない。
日本の新左翼運動も多くが反スターリン主義を掲げたのだが、その内実はスターリン主義を克服し得てはいなかったと思う。新左翼の内ゲバには「公共性」の理念がなかったと思う。あったとしてもきわめて薄かった。内ゲバの後に来る連合赤軍によるリンチ殺人事件に至っては公共性のかけらもない。まさにリンチ=私刑である。つまり国家権力と対峙し、それを転覆しようとする以上、革命勢力には国家権力を上回る「公共性」を求められる。アレントが指摘するようにナチズムにもスターリン主義にもその意識が薄かった。話は飛ぶが現在のNHKの大河ドラマは渋沢栄一を主人公にした「青天を衝け」で、豪農のせがれの榮一は当初は尊王攘夷のテロリスト志向であった。ドラマで描かれた天狗党の乱もテロリスト集団である。しかし尊王攘夷という一点で公共性に繋がっていたような気がする。救国ということでね。

6月某日
「アレントー公共性の復権」を読み終わる。政治思想家としてのアレントの概説書なんだけれど私にはちょいと難しかった。月報も添付されていたけれど執筆者のひとりが文筆家の森まゆみ。アレントが世を去った1975年、早稲田大学政治経済学部政治学科に在籍、藤原保信ゼミで西洋政治思想史を学んでいた。「群れをなすことなく、女性であることを否定せず、この学生時代を(生きのびる)ことができたのは、ローザ・ルクセンブルグやシモーヌ・ヴェイユ、そしてハンナ・アレントのおかげである」と書いている。私は1972年に同じ政治学科を卒業しているが、授業に出席した記憶をほとんどないし、自分で言うのもなんですが、最低の成績で卒業させてもらいました。当時私らは自分の大学のことを「学生一流、校舎二流、教師三流」と言っていましたが今から思うと無知でした。モリカケ問題や桜を見る会などで政権の私物化が問題になったが、学術会議の任命拒否問題も含めて、広い意味での政治の公共性の問題と思う。

モリちゃんの酒中日記 6月その2

6月某日
「総員玉砕せよ!」(水木しげる 講談社文庫 1995年5月)を読む。あとがきで水木自身がこの物語は「90パーセントは事実です」と書いている。大東亜戦争下の南方戦線における兵隊の現実を巧みに描いている。兵隊の現実とは「軍隊で兵隊と靴下は消耗品といわれ」「将校、下士官、馬、兵隊といわれる順位の軍隊で兵隊というのは“人間”ではなく馬以下の生物と思われていた」(あとがき)ということである。解説で足立倫行が、水木は妖怪マンガ家として広く知られ評価されているが「戦記マンガ家としての水木氏の業績がもっと注目されてもいいと思う」と記している。まったく同感である。

6月某日
「〔続〕少子化論-出生率回復と〈自由な社会〉」(松田茂樹 学文社 2021年3月)を読む。一般的な少子化対策論とはやや趣を異にする論旨で私にはそこが面白かった。出生率が2.0となるためには2つの方向性があるとする。方向性1はほぼ全員が結婚して、夫婦はおよそ2人の子どもを持つようにする。方向性2は、結婚する人しない人、子どもを多くもうける人とそうでない人がいながら、全体の出生率をおよそ2.0に回復させるものである。松田は方向性2を目指すことを提案する。方向性2のような社会は、「人々の結婚・出生に関して〈多様〉である。個人が結婚・出生するか否かが〈自由な社会〉」だからだ。書名のサブタイトルに〈自由な社会〉と謳われている意味がやっとわかる。日本社会の将来的なイメージは〈自由な社会〉であるべきだと思う。そのためには市民が選べる選択肢をできるだけ豊富に社会が用意することが必要だし、その前に市民ひとり一人が自由な市民であることが必要だ。

6月某日
「私はスカーレット Ⅳ」(林真理子 小学館文庫 2021年4月)を読む。あの大作、「風と共に去りぬ」を林真理子が新しく翻訳、というか「翻訳協力」として巻末に2人の名前が記されているから、林が翻訳をもとに林版の「風と共に去りぬ」を創作したということか。私は「風と共に」は未読、主人公のスカーレット・オハラをビビアンリーが演じた映画は観たけれど。しかし、「私はスカーレット」は私にとっては滅法面白い小説である。第4巻は夫を南北戦争で失ったスカーレットが北軍の猛攻に晒されるアトランタを逃れ、故郷の「タラ農園」にたどり着いたところから始まる。スカーレットを待っていたのは最愛の母の死と、老耄が進行する父の姿であった。農園で働いていた黒人奴隷たちの多くは逃亡し、スカーレットは自ら食料を調達したり綿花摘みに勤しむことになる。一種の逆転人生だよね。南北戦争は共和党の北部と民主党の南部による奴隷解放を巡る戦争だった。一面では工業化が進んだ北部の新興ブルジョアジー対南部の綿花栽培に依存する大農場主との戦いでもあった。つまり新興ブルジョアジー対封建的大農場主の階級闘争という側面があるのだ。

6月某日
「歴史認識 日韓の溝-分かり合えないのはなぜか」(渡辺延志 ちくま新書 2021年4月)を読む。著者の渡辺延志(のぶゆき)は元朝日新聞記者のジャーナリスト。日本と韓国には主に歴史認識を巡って対立があることは認識していた。そして私の見るところ、韓国政府や韓国世論の方に日本政府や日本世論よりも分があると考える。日本は豊臣秀吉の時代に二度にわたって朝鮮半島を侵略し、さらに明治以降、日清・日露戦争では朝鮮半島を経由して中国本土、満洲に進出した。挙句、韓国民衆の気持ちを無視する形で韓国併合を強行した。どう考えても日本は加害者で韓国は被害者。というのが私の素朴な考えだった。今回、本書を読んで私の考えが大筋において間違っていなかったと思うことができた。著者の渡辺は、私が感性的に感じていたことを資料を駆使して立証している。1904年から1905年にかけて闘われた日露戦争に勝利した日本は、朝鮮半島への支配を強め、ついに1910年、韓国は日本に併合される。韓国の民衆は日本帝国主義の意のままに併合されたわけではなかった。1907年から1911年にかけて日本の支配に抵抗する民衆蜂起、義兵闘争が戦われ日本軍から徹底した弾圧を受けた。これに先立って「日清戦争の原因になった」とされる東学農民戦争が1894年に戦われる。これに対しても日本軍は徹底した弾圧で臨む。そして1923年の関東大震災では東京、横浜で多くの朝鮮人が「武装蜂起を企てている、井戸に毒投げ入れた」などのデマ情報のもとに虐殺された。虐殺したのは自警団として組織された日本の民衆である。私が思うに虐殺した日本の民衆には、朝鮮半島での民衆蜂起に対する弾圧の記憶が残っていた。「関東大震災の混乱に乗じて復讐される」という潜在的な恐怖心があったのではなかろうか。

モリちゃんの酒中日記 6月その1

6月某日
「おれたちの歌をうたえ」(呉勝浩 文藝春秋 2021年2月)を読む。四六判で600ページ近い長編ミステリー。ミステリー好きとは言えない私の興味を読み終わるまで持続させた作家の力量はなかなかのものである。本年度上半期の直木賞ノミネートは確実でしょう。戦争から長野県の現在は上田市に編入されている真田町に復員し、中学校の国語教師となった竹内と、竹内の五人の教え子、そして竹内の二人の娘を中心にして物語は回る。教え子の一人、サトシが変死体で見つかり、暗号が残される。暗号の解読を求めて元刑事で教え子の一人でもある河辺と、サトシの同居人であった茂田との奇妙な旅が始まる。ロード・ノベルでもあるわけなのだが、私にとっては登場人物が多過ぎ、ストーリーが複雑過ぎ。

6月某日
「新型コロナウイルスワクチン接種のお知らせ」が届く。市内に住む吉武さんがパソコンでの申し込みについていろいろアドバイスしてくれる。「どーせモリちゃんはできないだろうから奥さんにやってもらえ」と。その通りです。奥さんに申し込んでもらって来週に第1階の接種、6月最終週に第2回の接種が決まる。

6月某日
「野の春 流転の海第9部」(宮本輝 新潮文庫 令和3年4月)を読む。「流転の海」シリーズの完結編である。巻末の解説によると「流転の海」は37年間にわたって宮本輝が書き続けた。「流転の海」は福武書店の「海燕」1982年1月号から1984年4月号に連載されたが「第2部 地の星」以降は「新潮」に連載され、単行本化、文庫本化も新潮社である。30年ほど前に「流転の海」シリーズの最初の方は読んだ記憶がある。50歳で房江と結婚した熊吾は伸仁に恵まれる。伸仁はほぼ宮本輝と考えて間違いない。熊吾と房江は実の父母である。「野の春」では高校を卒業した伸仁が一浪の後、追手門学院大学に進学、テニス部での合宿費用を稼ぐために房江の勤めるホテル(多幸クラブ)のボーイのアルバイトに精を出す。熊吾は中古車販売業に勤しむ一方、浮気相手の森井博美と同棲するために家を出る。熊吾という男は面倒見も気前もいいが、女にも持てるのである。時代は1966年から1968年にかけてである。小説のなかにも中国の文化大革命やベトナム戦争の日本への影響が影を差す。10.8羽田闘争はじめ激しくなっていく学生運動も時代の空気を彩る。「流転の海」全9巻は日本の敗戦から高度成長の絶頂期を生きた男、熊吾の一代記であるとともに、あの時代の鎮魂歌でもあると思う。私の1966年は道立室蘭東高校の3年生、受験勉強に身が入らずボーっとして生きていたように思う。1967年は東京の叔母さんの家から予備校に通った。10.8に衝撃を受け大学に行ったら学生運動をしようと秘かに決意した。

6月某日
家の近くの香取神社で月1回、第1土曜日に開かれる朝市に行く。11時頃の起床だったので朝食もとらずに香取神社へ。何しろ朝市なので午後にはお店が撤退してしまうのだ。さして広くもない境内には野菜やコーヒーなどの飲み物、アクセサリーを売る店が揃い、想像以上に賑やかだ。私は古本のコーナーで水木しげるの「総員玉砕せよ!」と吉田満の「戦艦大和ノ最期」を購入(2冊で600円)。香取神社から手賀沼公園を通ってわが家へ。香取神社の手賀沼公園も子連れの若い夫婦をたくさん見かけた。少子化なんてどこの国の話ですかと思ってしまう。

6月某日
ワクチン接種に行ってきた。場所は我孫子駅南口のイトーヨーカ堂の3階。南口のイトーヨーカ堂は1、2階は店舗で3階はスポーツジムと催事場になっているが、今回は催事場がワクチン接種会場となっている。会場は名戸ヶ谷我孫子病院が運営していて、看護師さんと女性の事務職員が体温測定や受付を担当していた。年配のドクターから問診を受けた後、ワクチン注射、チクッとした程度だった。15分ほどパイプ椅子に座って会場を出る。あっけないほど簡単だった。