モリちゃんの酒中日記 6月その3

6月某日
「花桃実桃」(中島京子 中公文庫 2016年6月)を読む。中島京子の小説は比較的よく読む。直木賞を受賞し映画化もされた「小さいおうち」は広い意味での反戦小説として読んだ。「花桃実桃」は親の遺産で古いアパートを取得して、家主としてそのアパートに住む40代、独身の花村茜とその身辺の物語。中年独身女性の茜は田辺聖子の小説では「ハイミス」として描かれるが、女性の生涯独身率もこの頃では高率を維持していることに伴い「ハイミス」も死語に。小説では不動産屋の親父は中年独身女性のことを「行かず後家」と表現して茜の顰蹙を買うが「行かず後家」も死語でしょう。中島京子の小説には悪人が出てこない。市井の人々の平凡なように見えて非凡な日常に光を当てる。その意味では田辺聖子の後継者の一人だ。

6月某日
「AIは人類を駆逐するのか? 自律世界の到来」(太田裕朗 幻冬舎 2020年6月)を読む。著者の太田はもともと物理学者を目指し京都大学で研究生活に入り、工学研究科航空宇宙工学専攻の助教を経て、カリフォルニア大学サンタバーバラ校で研究に従事、2010年に帰国後、マッキンゼー・アンド・カンパニーでコンサルタント。2018年から自律制御システム研究所を経営という経歴の持ち主。ロボットが自動的に動くとは、自動制御(オートメーション)によって動くことを指し、一方、ロボットが自律的に動くとは、それが自律的(オートノミー)を獲得していることを意味する(はじめに)。このことから太田はAIを備えたロボットが人間の代替物として稼働する近未来を予測する。例えば次のように。①物質(食料、エネルギー)のシンギュラリティ(技術的特異点)が来る。これによって生命維持に必要な物質が飽和する。働かなくても食べられる時代が来るかもしれない。②少ない人口で現状維持できる社会が誕生する。自律ロボットになれば少ない人口で現在のGNPは維持できる。人が減り、自律生産能力が上がれば、豊かになり、出生率もどこかで定常化する。③自律頭脳が全員が正しいと思えるコンセンサス形成に論理的な助言をするようになる。主義主張や感情論、ポピュリズム政治は、行政や富の分配といった国家の役割の中で相対的に弱まり、集団としての意思決定はより論理的なものとなる。④教育も変わる。人工知能を使うべき人が持つべき精神や設計者としての頭脳は、単に知見を得る、作業を学ぶという学問をするだけではなく、その根本を設計するための価値観や倫理が大事になるからだ。⑤私たちの脳そのものも変わる。脳の持つ力を別のことに振り向け、より豊かな精神生活を送れるようになる。なるほどねぇ、方向性としては大変良いと思うけれど。

6月某日
「ファウンテンブルーの魔人たち」(白石一文 新潮社 2021年5月)を読む。近未来私小説かな。私小説というのは作家自身を主人公にして、作家の近辺に起こったことを題材に小説化したもの、というふうに一応は定義してみる。小説の主人公、前沢倫文は福岡出身の親子2代の小説家だ。この設定は白石と重なる。しかし舞台は近未来の東京、新宿だ。どのくらいの近未来かというと、南北朝鮮が統一されてから十数年後という記述があるから、すくなくとも今から30年後、2050年頃の設定と考えていいのではないか。前沢は新宿御苑近くのタワーマンション、ファウンテンブルーに同性の恋人、英理と暮らす。このタワーマンションは新宿2丁目のゲイタウンの跡地に建設された。なぜ跡地かというと4年前に大きな隕石が新宿2丁目に激突、ゲイタウンは跡形もなくなってしまったからだ。同じマンションには皇居前の楠木正成像を模したAIロボット、マサシゲ(マー君)、天才IT技術者で音楽家でもある茜丸鷺郎(アッ君)も住む。マー君はどのような人物にも変態することができるし、両性具有的存在で前沢とも肉体関係を結ぶ。さらに人工子宮の開発を巡って日本、中国、インドの政財界を巻き込んだスキャンダルが描かれる。「ファウンテンブルーの魔人たち」というタイトル通り「魔人たち」の物語だ。AIロボットのマー君が「人間が死を恐れている限り、僕たちの能力には太刀打ちできないけど、死を恐れないという理にかなわない選択をしたとき、人間は、僕たちが到底できないような生き方をすることができるんだ」と語る場面がある。人間にとって生は有限だからこそ時間に意義があるということかも知れない。それにしても四六判600ページ超えは読みでがありました。

6月某日
我孫子市民図書館で本を探していたら大谷源一さんからスマホに電話。大谷さんはワクチン接種の2回目も終わったそうだ。私は2回目が6月28日なので7月に入ったら我孫子で一緒にお酒を呑むことに。手賀沼公園のコブハクチョウを確認して家へ。家に着いたらスマホに年友企画の迫田さんから電話。「へるぱ!」の編集会議への参加の確認。私が参加しても役に立つとは思えないので、先日、酒井さんには「老兵は死なず消え去るのみ」といって不参加を伝えたのだけれど。なんか気を使わせているのじゃないかな。

6月某日
「現代思想の冒険者たち⑰ アレントー公共性の復権」(川崎修 講談社 1998年11月)を読む。我孫子市民図書館の思想のコーナーを眺めていたら「現代思想の冒険者たち」シリーズが目についた。アレントはハンナアーレントのこと。1906年ドイツのユダヤ人家庭に生まれ、大学で哲学と神学を学ぶ。指導教官のハイデガーと恋愛関係に。ナチスが政権をとったあとにアメリカに亡命。戦後、「全体主義の起源」をあらわし、政治思想家としての名声を不動にする。第2次世界大戦中のユダヤ人虐殺に重要な役割を担ったとされるアドルフ・アイヒマンの裁判を記録した「イェルサレムのアイヒマン」は、アイヒマンを上司の命令に従った平凡な小役人で、「悪の陳腐さ」として描き大論争になった。アレントは1975年、69歳でニューヨークの自宅で亡くなっている。「現代思想の冒険者たち」シリーズは、アレントをはじめとした現代思想家の概説書である。第1章「19世紀秩序の解体」第2章「破局の20世紀」にはそれぞれ「『全体主義の起源』を読む」というサブタイトルがついている。アレントが全体主義として分析の俎上に載せたのはナチズムとスターリン主義である。戦後まもなくナチズムは敗北したとはいえ、スターリンは絶対的な権力を握り、ソ連とスターリンは米国に対抗して冷戦の一方の旗頭であった。その時代にナチズムとスターリン主義の同質性を指摘したのは慧眼という他ない。
日本の新左翼運動も多くが反スターリン主義を掲げたのだが、その内実はスターリン主義を克服し得てはいなかったと思う。新左翼の内ゲバには「公共性」の理念がなかったと思う。あったとしてもきわめて薄かった。内ゲバの後に来る連合赤軍によるリンチ殺人事件に至っては公共性のかけらもない。まさにリンチ=私刑である。つまり国家権力と対峙し、それを転覆しようとする以上、革命勢力には国家権力を上回る「公共性」を求められる。アレントが指摘するようにナチズムにもスターリン主義にもその意識が薄かった。話は飛ぶが現在のNHKの大河ドラマは渋沢栄一を主人公にした「青天を衝け」で、豪農のせがれの榮一は当初は尊王攘夷のテロリスト志向であった。ドラマで描かれた天狗党の乱もテロリスト集団である。しかし尊王攘夷という一点で公共性に繋がっていたような気がする。救国ということでね。

6月某日
「アレントー公共性の復権」を読み終わる。政治思想家としてのアレントの概説書なんだけれど私にはちょいと難しかった。月報も添付されていたけれど執筆者のひとりが文筆家の森まゆみ。アレントが世を去った1975年、早稲田大学政治経済学部政治学科に在籍、藤原保信ゼミで西洋政治思想史を学んでいた。「群れをなすことなく、女性であることを否定せず、この学生時代を(生きのびる)ことができたのは、ローザ・ルクセンブルグやシモーヌ・ヴェイユ、そしてハンナ・アレントのおかげである」と書いている。私は1972年に同じ政治学科を卒業しているが、授業に出席した記憶をほとんどないし、自分で言うのもなんですが、最低の成績で卒業させてもらいました。当時私らは自分の大学のことを「学生一流、校舎二流、教師三流」と言っていましたが今から思うと無知でした。モリカケ問題や桜を見る会などで政権の私物化が問題になったが、学術会議の任命拒否問題も含めて、広い意味での政治の公共性の問題と思う。

モリちゃんの酒中日記 6月その2

6月某日
「総員玉砕せよ!」(水木しげる 講談社文庫 1995年5月)を読む。あとがきで水木自身がこの物語は「90パーセントは事実です」と書いている。大東亜戦争下の南方戦線における兵隊の現実を巧みに描いている。兵隊の現実とは「軍隊で兵隊と靴下は消耗品といわれ」「将校、下士官、馬、兵隊といわれる順位の軍隊で兵隊というのは“人間”ではなく馬以下の生物と思われていた」(あとがき)ということである。解説で足立倫行が、水木は妖怪マンガ家として広く知られ評価されているが「戦記マンガ家としての水木氏の業績がもっと注目されてもいいと思う」と記している。まったく同感である。

6月某日
「〔続〕少子化論-出生率回復と〈自由な社会〉」(松田茂樹 学文社 2021年3月)を読む。一般的な少子化対策論とはやや趣を異にする論旨で私にはそこが面白かった。出生率が2.0となるためには2つの方向性があるとする。方向性1はほぼ全員が結婚して、夫婦はおよそ2人の子どもを持つようにする。方向性2は、結婚する人しない人、子どもを多くもうける人とそうでない人がいながら、全体の出生率をおよそ2.0に回復させるものである。松田は方向性2を目指すことを提案する。方向性2のような社会は、「人々の結婚・出生に関して〈多様〉である。個人が結婚・出生するか否かが〈自由な社会〉」だからだ。書名のサブタイトルに〈自由な社会〉と謳われている意味がやっとわかる。日本社会の将来的なイメージは〈自由な社会〉であるべきだと思う。そのためには市民が選べる選択肢をできるだけ豊富に社会が用意することが必要だし、その前に市民ひとり一人が自由な市民であることが必要だ。

6月某日
「私はスカーレット Ⅳ」(林真理子 小学館文庫 2021年4月)を読む。あの大作、「風と共に去りぬ」を林真理子が新しく翻訳、というか「翻訳協力」として巻末に2人の名前が記されているから、林が翻訳をもとに林版の「風と共に去りぬ」を創作したということか。私は「風と共に」は未読、主人公のスカーレット・オハラをビビアンリーが演じた映画は観たけれど。しかし、「私はスカーレット」は私にとっては滅法面白い小説である。第4巻は夫を南北戦争で失ったスカーレットが北軍の猛攻に晒されるアトランタを逃れ、故郷の「タラ農園」にたどり着いたところから始まる。スカーレットを待っていたのは最愛の母の死と、老耄が進行する父の姿であった。農園で働いていた黒人奴隷たちの多くは逃亡し、スカーレットは自ら食料を調達したり綿花摘みに勤しむことになる。一種の逆転人生だよね。南北戦争は共和党の北部と民主党の南部による奴隷解放を巡る戦争だった。一面では工業化が進んだ北部の新興ブルジョアジー対南部の綿花栽培に依存する大農場主との戦いでもあった。つまり新興ブルジョアジー対封建的大農場主の階級闘争という側面があるのだ。

6月某日
「歴史認識 日韓の溝-分かり合えないのはなぜか」(渡辺延志 ちくま新書 2021年4月)を読む。著者の渡辺延志(のぶゆき)は元朝日新聞記者のジャーナリスト。日本と韓国には主に歴史認識を巡って対立があることは認識していた。そして私の見るところ、韓国政府や韓国世論の方に日本政府や日本世論よりも分があると考える。日本は豊臣秀吉の時代に二度にわたって朝鮮半島を侵略し、さらに明治以降、日清・日露戦争では朝鮮半島を経由して中国本土、満洲に進出した。挙句、韓国民衆の気持ちを無視する形で韓国併合を強行した。どう考えても日本は加害者で韓国は被害者。というのが私の素朴な考えだった。今回、本書を読んで私の考えが大筋において間違っていなかったと思うことができた。著者の渡辺は、私が感性的に感じていたことを資料を駆使して立証している。1904年から1905年にかけて闘われた日露戦争に勝利した日本は、朝鮮半島への支配を強め、ついに1910年、韓国は日本に併合される。韓国の民衆は日本帝国主義の意のままに併合されたわけではなかった。1907年から1911年にかけて日本の支配に抵抗する民衆蜂起、義兵闘争が戦われ日本軍から徹底した弾圧を受けた。これに先立って「日清戦争の原因になった」とされる東学農民戦争が1894年に戦われる。これに対しても日本軍は徹底した弾圧で臨む。そして1923年の関東大震災では東京、横浜で多くの朝鮮人が「武装蜂起を企てている、井戸に毒投げ入れた」などのデマ情報のもとに虐殺された。虐殺したのは自警団として組織された日本の民衆である。私が思うに虐殺した日本の民衆には、朝鮮半島での民衆蜂起に対する弾圧の記憶が残っていた。「関東大震災の混乱に乗じて復讐される」という潜在的な恐怖心があったのではなかろうか。

モリちゃんの酒中日記 6月その1

6月某日
「おれたちの歌をうたえ」(呉勝浩 文藝春秋 2021年2月)を読む。四六判で600ページ近い長編ミステリー。ミステリー好きとは言えない私の興味を読み終わるまで持続させた作家の力量はなかなかのものである。本年度上半期の直木賞ノミネートは確実でしょう。戦争から長野県の現在は上田市に編入されている真田町に復員し、中学校の国語教師となった竹内と、竹内の五人の教え子、そして竹内の二人の娘を中心にして物語は回る。教え子の一人、サトシが変死体で見つかり、暗号が残される。暗号の解読を求めて元刑事で教え子の一人でもある河辺と、サトシの同居人であった茂田との奇妙な旅が始まる。ロード・ノベルでもあるわけなのだが、私にとっては登場人物が多過ぎ、ストーリーが複雑過ぎ。

6月某日
「新型コロナウイルスワクチン接種のお知らせ」が届く。市内に住む吉武さんがパソコンでの申し込みについていろいろアドバイスしてくれる。「どーせモリちゃんはできないだろうから奥さんにやってもらえ」と。その通りです。奥さんに申し込んでもらって来週に第1階の接種、6月最終週に第2回の接種が決まる。

6月某日
「野の春 流転の海第9部」(宮本輝 新潮文庫 令和3年4月)を読む。「流転の海」シリーズの完結編である。巻末の解説によると「流転の海」は37年間にわたって宮本輝が書き続けた。「流転の海」は福武書店の「海燕」1982年1月号から1984年4月号に連載されたが「第2部 地の星」以降は「新潮」に連載され、単行本化、文庫本化も新潮社である。30年ほど前に「流転の海」シリーズの最初の方は読んだ記憶がある。50歳で房江と結婚した熊吾は伸仁に恵まれる。伸仁はほぼ宮本輝と考えて間違いない。熊吾と房江は実の父母である。「野の春」では高校を卒業した伸仁が一浪の後、追手門学院大学に進学、テニス部での合宿費用を稼ぐために房江の勤めるホテル(多幸クラブ)のボーイのアルバイトに精を出す。熊吾は中古車販売業に勤しむ一方、浮気相手の森井博美と同棲するために家を出る。熊吾という男は面倒見も気前もいいが、女にも持てるのである。時代は1966年から1968年にかけてである。小説のなかにも中国の文化大革命やベトナム戦争の日本への影響が影を差す。10.8羽田闘争はじめ激しくなっていく学生運動も時代の空気を彩る。「流転の海」全9巻は日本の敗戦から高度成長の絶頂期を生きた男、熊吾の一代記であるとともに、あの時代の鎮魂歌でもあると思う。私の1966年は道立室蘭東高校の3年生、受験勉強に身が入らずボーっとして生きていたように思う。1967年は東京の叔母さんの家から予備校に通った。10.8に衝撃を受け大学に行ったら学生運動をしようと秘かに決意した。

6月某日
家の近くの香取神社で月1回、第1土曜日に開かれる朝市に行く。11時頃の起床だったので朝食もとらずに香取神社へ。何しろ朝市なので午後にはお店が撤退してしまうのだ。さして広くもない境内には野菜やコーヒーなどの飲み物、アクセサリーを売る店が揃い、想像以上に賑やかだ。私は古本のコーナーで水木しげるの「総員玉砕せよ!」と吉田満の「戦艦大和ノ最期」を購入(2冊で600円)。香取神社から手賀沼公園を通ってわが家へ。香取神社の手賀沼公園も子連れの若い夫婦をたくさん見かけた。少子化なんてどこの国の話ですかと思ってしまう。

6月某日
ワクチン接種に行ってきた。場所は我孫子駅南口のイトーヨーカ堂の3階。南口のイトーヨーカ堂は1、2階は店舗で3階はスポーツジムと催事場になっているが、今回は催事場がワクチン接種会場となっている。会場は名戸ヶ谷我孫子病院が運営していて、看護師さんと女性の事務職員が体温測定や受付を担当していた。年配のドクターから問診を受けた後、ワクチン注射、チクッとした程度だった。15分ほどパイプ椅子に座って会場を出る。あっけないほど簡単だった。

モリちゃんの酒中日記 5月その4

5月某日
「ブロークン・ブリテンに聞け」(ブレイディみかこ 講談社 2020年10月)を読む。ブレイディみかこを読んだのは一昨年の「女たちのテロル」(岩波書店)を読んだのが初めて。ブレイディみかこが何者かも知らず、図書館の新着案内で書名だけでリクエストした。金子文子はじめ、アイルランド独立戦争の女スナイパーや大英帝国の女性参政権運動のリーダーの生き方を追った本だった。それからすぐに「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社)がベストセラーになった。こちらは図書館にリクエストが殺到していたので書店で購入した。ブレイディみかこは左翼である。それもアナキスト系のかなり過激な左翼で、日本共産党系や旧社会党系の旧左翼とも反日共系の新左翼とも一線を画す。本書でも英国のデヴィッド・グレーバーの階級論を「マルクスではなくクロポトキンの思想の延長上にある」とし、「人間には他者をケアしたい本能が備わっていて、人はそれをしながら生きる方向を転換せねばならない」と彼の思想を紹介している。ステレオタイプの左翼思想ではない。ブレイディみかこは福岡修猷館高校を卒業後、ロック好きが高じて渡英、アイルランド系のトラック運転手と結婚して男児を得る。この男の子が「ぼくはイエローで…」の「ぼく」である。英国で保育士の資格をとり「最底辺保育所」で働きながら、ブログでエッセーを発表していた。英国在住ということも彼女の視点のユニークさと関連しているかも知れない。島国で「王制」であるということから日本と英国は共通点が多いように日本人は勝手に思っているが、それは大いなる勘違いであることを本書は示してくれる。それもアッパーミドルや上流階級ではなく、労働者階級の視点で、英国のEU離脱やロイヤルファミリー、エリザベス女王に対する庶民の評価、コロナウイルスへの対応などについて縦横に筆をふるう。私は70歳前後になってブレイディみかこと加藤典洋の著作に出会えたことは幸運だと思っている。

5月某日
図書館でサンデー毎日の最新号に目を通していたら下山進という人の「2050年のメディア」という連載コラムが目についた。萩尾望都という女流漫画家の語り下ろしの「一度きりの大泉の話」(河出書房新社 2021年4月)を取り上げていて、なんでも萩尾と当時(1970年代)、萩尾以上に人気のあった漫画家、竹宮恵子との出会いと別離の話がメインストーリーのようだ。私は大学生が漫画を読むようになった1960年代後半から70年代にかけて学生生活を送ったからもちろん漫画は読んでいた。ただその頃の大学生は圧倒的に男子学生が多く、「右手に少年サンデー、左手に朝日ジャーナル」というように、私らが愛読していたのはもっぱら少年漫画だった。したがって私の場合、萩尾望都や竹宮恵子は名前を知っている程度で作品は読んだことはない。というわけで「一度きりの大泉の話」にもそれほど興味を持ったわけではなかったが、図書館の新刊コーナーにはその本が並んでいるではないか。早速、借り出して読んでみるとこれが面白い。萩尾は1949年生まれで私の一歳年下、同じ時代の空気を吸ってきたわけだ。萩尾は上京後、大泉で竹宮と共同生活をしながら、漫画の制作に励むのだが、ある日竹宮から絶縁を宣言される。それは半世紀後の今も続く。今日の朝日新聞(5月29日)の書評欄でトミヤマユキコという人がこの本を取り上げ、読者としての私たちの仕事は「真相究明でも善人悪人のジャッジでもなく、彼女の戸惑い、恐れ、苦しみにそっと触れることだろう」と記している。その通りだと思う。思うのだが、この本のきっかけとなったのは同時期を描いた竹宮の「少年の名はジルベール」だという。我孫子市民図書館のHPで検索したら在庫と出た。さっそくリクエストした。

5月某日
「少年の名はジルベール」(竹宮恵子 小学館 2016年2月)を読む。この間読んだ「一度きりの大泉の話」は竹宮や萩尾望都が参加した大泉サロンとその周辺について萩尾の視点から描いたものだが、「少年の名は…」竹宮側の見方が明らかにされている。竹宮はもちろん漫画家なのだが、2000年に京都精華大学教授に、2014年には学長に就任している。竹宮は漫画家として優れているだけでなく教育者、あるいは大学の管理者、経営者としても名をなしたと言えるだろう。「少年の名は…」にも「一度切りの…」にも1972年に竹宮、萩尾、山際涼子(漫画家)に加えて、その頃から竹宮のプロデューサー的存在だった増山法恵の4人で行ったヨーロッパ旅行のことが記されている。旅行の準備や旅行中の庶務的なことは竹宮が引き受けていたようだ。やはり管理能力が抜群なのだと思う。それに対して萩尾望都はやはり芸術家肌何だなぁ。竹宮はこの本のラストで萩尾や増山らの若いころ友人たちを振り返り、「あの一瞬とも思える時間のなかで、なぜ巡り合えたのだろうか。それ自体がこの世の奇跡だ」と記している。同じ体験を共有しながら萩尾は傷つき、記憶を封印し、竹宮は追憶し懐かしむ。面白い。

5月某日
石巻市の地酒、日高見(平孝酒蔵)が6本届く。送り主は石巻出身の神山さん。石巻の母上のところに帰郷するので石巻の地酒を贈るというので日高見を所望した。6本も送られてきたのでひたすら恐縮。東日本大震災のとき石巻に取材に入り、確か駅前の物産館で買ったのが初めて。日高見国とは古代日本または蝦夷の地を美化していて用いた語とある。具体的な地名というよりも王権の東方の地、太陽が出てくる地域を意味していたらしい。北海道の日高地方(サラブレッドの産地として有名)も日高見国に因んでいるという。平安時代初期まで蝦夷は東北地方まで進出していた。坂上田村麻呂の蝦夷征討を高校の日本史で習った記憶がある。田村麻呂に与えられた征夷大将軍の称号が、後に源頼朝や足利尊氏、徳川家康へ武家の棟梁として与えられた。朝日新聞朝刊(5月31日)に「北海道・北東北の縄文遺跡群」のことが紹介されていた。数千年から1万年以上さかのぼるこれらの遺跡を築いた縄文人は蝦夷やアイヌの祖先だったのか、弥生人との関係は、興味は尽きない。なおこの記事によると、縄文文化は農耕・牧畜と定住がほぼ同時に始まった世界の他地域と異なり、農耕以前の「狩猟・採集・漁労の段階で定住を確立したのが特徴だ」としている。

モリちゃんの酒中日記 5月その3

5月某日
「敗戦後論」(加藤典洋 ちくま学芸文庫 2015年7月)を読む。巻末に「本書は1997年8月5日、講談社より刊行され、2005年12月10日、ちくま文庫で再刊された」とある。本書には加藤の3つの論文が収められているが、それぞれの初出誌は「敗戦後論」が「群像」95年1月号、「戦後後論」が「群像」96年8月号、「語り口の問題」が「中央公論」97年2月号である。今年が2021年だから今から25年前に発表された論文である。私が50歳になる手前、40代後半の頃である。その頃、加藤典洋なんていう批評家の存在を知っていたのだろうか? 名前くらいは知っていたかも知れないが、ほとんど興味を覚えなかったと思う。加藤の本を読んだのも昨年の「戦後入門」(ちくま新書 2015年10月)が初めてだ。それも我孫子の香取神社境内で月一で開かれる朝市で500円で購入したものを数カ月、放っておいて読みだしたのだ。加藤は私と同年で彼が早生まれのため学年は一つ違い(大学では私が一浪したため学年は二つ違い、私が早大に入学したとき、彼は東大の3年生)だ。私は20歳のころ(1968年)、25年前は昭和18年、戦中であった。それは歴史としてしか存在しなかった。現在から「敗戦後論」が書かれた25年前を振り返ると、それは現在(現代)としてしか意識されない。私が年を重ね時間の流れる速度を短く感じるようになったためだろうか。あるいは逆に経済が高度成長から減速経済に移行し、時間がゆっくり流れるように感じるようになったためだろうか。
「敗戦後論」は先の大戦で敗れた国家としての日本と日本人を問い直そうとする試みである。敗戦そして戦後を日本人はどうとらえたか?加藤は日本古代史の津田左右吉や天皇機関説の美濃部達吉の戦後の言説に注目する。津田は戦前、実証的な古代研究で当局からの弾圧を受け、戦後は民主主義陣営に立つ学者として期待された。しかし津田が「世界」に寄せた論文は「建国の事情と万世一系の思想」と題するもので「天皇は『われらの天皇であられる』。『われらの天皇』はわれらが愛さねばならぬ」と「世界」の編集者を困惑させるものだった。美濃部は新憲法を審議する枢密院でただ一人反対する。理由は憲法改正を定めた帝国憲法73条は日本がポツダム宣言を受け入れた時点で無効である、というものだった。加藤によると津田も美濃部も敗戦による「ねじれ」の感覚に自覚的だったことを示している。この「ねじれ」に自覚的な文学者として加藤は中野重治と太宰治をあげる。中野や太宰の作品にあらわれるのは「ねじれ」の感覚と戦後の一種の解放感に対する違和感である。この違和感は大岡昇平の「俘虜記」や「レイテ戦記」にも通底する。大岡はエッセーにテレビの1日の終わりに日の丸が画面一杯に映るのに「いやな感じがする」と書く。大岡はさらに外国の軍隊が日本にいる限り、絶対に日の丸をあげないと断ずる。大岡のエッセーが書かれたのは1957年である。半世紀以上たった今も沖縄には米軍が駐留している。「敗戦後論」は十分に存在の意味があるのである。

5月某日
「南北戦争-アメリカを二つに裂いた内戦」(小川寛大 中央公論新社 2020年12月)を読む。南北戦争については奴隷解放を巡って、それに賛成する北部の州と反対する南部の州が戦ったアメリカの19世紀の内戦、程度の知識しかなかった。今回この本を読んでアメリカにおける南北戦争の存在の大きさが分かった。戦前戦後という言葉は日本ならば太平洋戦争の前と後ということで理解されるが、アメリカでは戦前(antebellum)と戦後(postbellum)は1861年から1865年にかけて行なわれた南北戦争の前か後かを指す言葉という。戦死者は南北両軍併せて約60万人。アメリカ独立戦争のアメリカ側の戦死者2万5000人、第二次世界大戦では約40万人、ベトナム戦争では約5万人である。南北戦争は、最も多くのアメリカ人が命を落とした戦争なのだ。南北戦争は奴隷制の維持か否かを争って戦われた戦争であることは正しいのだが、より正確に言うと奴隷制の維持を主張する南部諸州が合衆国から脱退、南部連合国という新国家を作り、それを認めない合衆国と戦闘状態に入ったということであろう。当時の黒人奴隷は主として南部で綿花の栽培、収穫に使役されていた。それに対して北部では小麦、トウモロコシなどの穀類が主要な農作物であり、牛や馬を使役していた。南部は綿花に完全に依存した地域であったのに対し、北部は多様な農産物、さらに鉄鋼業や造船業などの諸工業に依存していた。南北の格差は明らかなのだが、それでも4年間にわたって南部は抵抗したと言える。よく知られているように当時の大統領はリンカーンで戦争中に再選され、戦後に暗殺された共和党の大統領である。南部は民主党の地盤であった。現在のアメリカはバイデン、オバマ、クリントンらの民主党大統領にはリベラルの印象が強い反面、トランプ、ブッシュらの共和党大統領には保守のイメージが強い(個人の感想です)。どうなっているのでしょうか?

5月某日
「百合中毒」(井上荒野 集英社 2021年4月)を読む。井上荒野は好きな作家で図書館に新刊が入るとリクエストする。「百合中毒」もひと月ほど待ったが読むことができた。八ヶ岳の麓で園芸店を営む一家の物語。女主人の歌子は25年前に夫に出て行かれるが、現在は園芸店の従業員との再婚を考えている。夫はイタリア料理店のイタリア人の女と暮らすようになるが、女がイタリアへ帰国し、夫は園芸店に戻ってくる。長女は元銀行マンと結婚し夫婦で店を手伝っているが、夫の不倫を疑っている。次女は勤め先の上司と不倫の仲だが雲行きが怪しくなっている。タイトルの百合中毒は、園芸店で売られた百合に飼い猫が中毒したとクレームを付けられた作中のエピソードによる。不倫がテーマなのだが、より正確に言うと男と女が主題なんだろうね。そう言えば井上荒野の父は井上光晴。瀬戸内晴美と長く不倫関係にあった。瀬戸内はその関係を清算するのも出家の一因という説がある。井上荒野には光晴と瀬戸内の関係をモデルにした「あちらにいる鬼」という作品があるが、これももちろん面白く読んだ。

5月某日
今日の朝日新聞朝刊の千葉版に「千葉県の新型コロナウイルスワクチンの高齢者への接種率が、全国ワースト2の4.3%」という記事が出ていた。ちなみに全国平均は6.1%で最も高かったのは和歌山の17.5%、次いで山口の14.3%だった。首都圏は東京が6.6%、神奈川が4.6%、埼玉が4.5%と軒並み低い。人口が多ければ高齢者の数も多く準備も大変だろうと自治体関係者に同情はするが、なるべく早めに接種してもらいたいものだ。近所の80歳過ぎの高齢者には6月接種のお知らせが届いたということなので、私は7月かな。

モリちゃんの酒中日記 5月その2

5月某日
「〈階級〉の日本近代史-政治的平等と社会的不平等」(坂野潤治 講談社選書メチエ 2014年11月)を読む。本書は日本近代史を「階級」という視点から描いたものと言える。士農工商という身分制度をはじめとした封建制度は1871年の廃藩置県で完了する。主導したのは武士階級それも幕藩体制下では下層の武士階級であった。その3年後に「民撰議院設立建白書」が、租税を払う者には参政権が与えられるべきであると主張している。明治初期の租税は大部分が地租であったから、租税を払う者とは上層農民、地主を意味していた。1890年に第1回の総選挙が実施されたが、当選者の多くは地主階級であった。一定以上の税金を納めている者にしか選挙権を与えられなかった制限選挙だったからこれは当然であった。制限選挙は徐々に緩和されると同時に、所得税を払う都市ブルジョアジーが台頭してきた。殖産興業のスローガンのもと、日清・日露、第一次世界大戦を経て繊維産業中心から重化学工業化も進められた。1925年に男子の普通選挙法が成立し、無産階級にも選挙権が与えられた。この動きは坂野先生によると明治維新、自由民権運動、大正デモクラシー、昭和デモクラシーに対応し、担い手は「士」⇒「農」⇒「商」⇒「工」の順で時間をかけて広がってきた。この流れは総力戦体制のもとでも、戦時下でも、占領下でも進んで、時代を動かしていったというのが坂野先生の考えである。これぞ坂野史観である。

5月某日
監事をしている一般社団法人の監事監査があるので東京虎ノ門へ。小1時間で監査が終わり、お茶の水の社会保険出版社の1階で印刷会社の金子氏と待ち合わせ。若干の打ち合わせをした後、社会保険出版社の高本社長を訪問。日経新聞の「交友録」に高橋ハムさんが書いたエッセーのコピーを貰う。金子氏に車で御茶ノ水駅まで送って貰い我孫子へ帰る。

5月某日
「大きな字で書くこと」(加藤典洋 岩波書店 2019年11月)を読む。加藤典洋は1948(昭和23)年4月1日生まれ。私と同年だが4月1日生まれなので学年は1947年と一緒。1966年に東大に入学、1967年10月8日の第1次羽田闘争に衝撃を受け、11月の第2次羽田闘争に初めてデモに参加、それまでは非政治的な人間だったという。私は1948年の11月生まれで加藤と同年だが、学年は1年下。大学は一浪したので大学の学年は2年下。第1次羽田闘争は浪人生のときだった。「大学に入学したら学生運動をやろう」と秘かに決意した。加藤はその後、東大全共闘として全共闘運動に参加、卒業は私と同じ1972年だ。大学院の入試に落ちて国立国会図書館に勤務、1978~1982年、カナダのモントリオール大学東アジア研究所に派遣される。カナダでフランス文学者の多田道太郎と知りあい、多田から大学教師になるきっかけを与えられ、明治学院大学の教師となる。「大きな字で書くこと」には、加藤の「自分史」にまつわることが記されているのだが、時代的に共通するところもあって、私には面白かった。加藤の父は1916(大正6)年生まれ、20代で山形県巡査となり「特高」(特別高等警察の略、政治犯や思想犯を取り締まった)に配属される。全共闘運動に参加した加藤は、後に干刈あがたに「じつは父親が警察官だったので捕まるわけにはいかなかったんです」というと、「干刈さんが、あ、私のところもそうなんです、といって私の顔を正面から見た」と書かれている。当時の活動家(今や死語、学生運動に主体的に参加し暴力も辞さなかった)にとって「親が警察官」というのは深刻な問題だった。加藤典洋はなかなかいいと思うのだが、残念ながら2019年5月に亡くなっている。

5月某日
NHKBSプレミアムで「タクシー運転手-約束は海を越えて」を観る。1980年に起きた光州事件を題材にした韓国映画で日本公開は2018年4月。ソンガンホが演じるソウルのタクシー運転手は妻を亡くして娘と2人暮らし。光州での取材を希望するドイツ人の記者を乗せて光州事件真っ只中の光州市に入る。記者と運転手が目撃したのは、軍に抗議する市民、学生と彼らを容赦なく銃撃する軍の姿だった。2人を案内してくれた学生も銃撃され死亡する。運転手は記者から謝礼を渡され、いったんはソウルへ帰りかけるが、記者と市民のことが心配になり引き返す。記者と運転手はタクシー運転手仲間の援けもあって無事に金浦空港に脱出、記者のレポートはドイツで放映される。私はこの映画を観て、現在のミャンマーの状況に思いを馳せた。ミャンマーでも軍事政権に反対して市民が立ち上がったが、軍は発砲で応じ何百人単位での死者も出ている。光州事件も軍事クーデターで実権を握った全斗煥大統領のもとで起こった。「歴史は繰り返す」という言葉を思い出す。

5月某日
BSフジのプライムニュースを観る。反町というキャスターが偉そうでもなく、庶民的でちょっと気に入っている。識者を3人呼んで異なった角度からニュースを解説する形式も悪くない。新聞のテレビ欄には「気鋭哲学者×伊吹文明 コロナ感染と資本主義 緊急事態宣言と日本人」となっていたのでチャンネルをBSフジに合わせる。伊吹文明は自民党の重鎮で衆議院議員、気鋭哲学者というのは昨年「人新世の資本論」で注目を集めた斎藤幸平と日本思想史の先崎彰容。伊吹は80代、先崎は40代、斎藤は30代なので議論は嚙み合うのかと心配したが、コロナ禍の世界の現状についての認識は危機感の深刻度に違いはあっても、おおむね一致していた。伊吹は京大経済学部から大蔵省を経て政治家になった。政治家としての哲学を持った人だと思う。こういう人は与野党を通じて少なくなった。斎藤は産業革命以降の資本主義の過剰な発展による地球温暖化などの環境破壊について危機感を強く表明していた。

5月某日
朝日新聞の「科学季評」で山極寿一京大前総長が「環境問題は技術のせいか」を投稿していた。新型コロナウイルスの感染源は正確には特定できていないが、中国の市場で売られていたセンザンコウやコウモリではないかとし、エボラ出血熱に直面したアフリカ、ガボンでの体験を記している。ゴリラがエボラウイルスに感染して死に始めた。森林伐採で樹木が減り、ゴリラが寝ている木に感染源のコウモリがやってきて接触、ゴリラが感染し人間にも広がった。さらに森林伐採によって現金経済が奥地まで浸透し、伐採会社が去って失業した人々が野生動物の肉を都市で売りさばき始め感染が広がったという。山際は「地域の自然に合った人間の幸福な暮らしとは何かを考え、実現するための技術を導入する必要があると思う」とする。科学者としての山際の結論はそれでいいと思うが、私たちにはポスト産業資本主義を見つめた議論が求められていると思う。

5月某日
「ウィーン近郊」(黒川創 新潮社 2021年2月)を読む。表紙にエゴン・シーレの「死と乙女」が使われている。ベッドの上で乙女が黒衣の男に抱きついている図柄で黒衣の男が死をあらわしているのだろうか、気持ちのいい絵とは言えない。黒川創の小説を読むのは初めてだが、私には面白かった。「ウィーン近郊」を読んでいて途中から辻原登の作風に似てるなと感じた。イラストを生業とする西川奈緒のもとにウィーンの兄、優介が自殺したという連絡が入る。奈緒は新生児の特別養子縁組制度で迎えた洋を連れてウィーンへ向かう。ウィーンの兄の友人たちや在オーストリア日本国大使館の久保寺領事との交流が描かれる。ニューヨークやロンドン、パリではなくウィーンが舞台というのが面白い、というか作品的にはある種の必然性がある。ウィーン滞在最後の日、奈緒が訪れた美術館はクリムトやエゴン・シーレのコレクションで知られる。領事の久保寺は奈緒を日本に送った翌週に美術館でエゴン・シーレの大作「死と乙女」に目をとめる。この本の表紙に使われた絵である。ギャラリーの売店で求めた解説書によると、これは1915年、作者が25歳のときの作品だという。久保寺は大学生の英語のテキストだったグレアム・グリーンの「第三の男」を思い出す。映画にもなったこの小説の舞台もウィーンだった。小説の中で話が連関していく、ロンドのように。この感じが辻原の作風に似ているのかも知れない。

モリちゃんの酒中日記 5月その1

5月某日
「時代の異端者たち」(青木理 河出書房新社 2021年2月)を読む。スタジオジブリ出版部が刊行する月刊の小冊子「熱風」での青木をホストとする連載対談「日本人と戦後70年」が土台となっている。本書に掲載されているのは翁長雄志沖縄県知事(当時)はじめ9名との対談である。権力者、為政者、政治家の役割は何か、を考えさせられたのは翁長、そして長く国会議員を務めた河野洋平、ジャーナリストの半田滋、ふるさと納税に反対して総務省の局長を飛ばされた平嶋彰英との対談であった。翁長は戦後の日本の繁栄は沖縄の犠牲のもとになされてきたと憤り、普天間基地の返還と辺野古移設に関連して「普天間は沖縄県民が自ら差し出した基地ではありませんと。強制的に接収された土地なんですと。それが老朽化したから、世界一危険になったから、また沖縄に負担しろというのは(略)本当の意味で日本という民主主義国家が品格ある成熟したものにはなっていないということではないでしょうか」と語る。河野は自民党が絶対多数を握る国会の現状と、さらに小選挙区制などで変質した自民党の現状を憂うる。半田も安倍政権下で進行してきた専守防衛論からの逸脱を語り、対米一辺倒の防衛政策に疑問を呈している。平嶋はふるさと納税制度の拡充に反対して当時の菅官房長官の逆鱗に触れ左遷された。ふるさと納税は比較的裕福な層にメリットがある制度で、この拡充などもってのほかとの発言が問題視された。他にもゲイであることをカミングアウトしたジャーナリスト、北丸雄二、「国境なき医師団」の看護師、白川優子との対談など、大変面白くまた考えさせられた。

5月某日
NHKBSプレミアムで「六角精児の呑み鉄本線日本旅」を観る。本日は再放送ではなく新作「春、秩父鉄道を呑む」。埼玉県は意外に酒蔵が多いらしい。羽生駅から秩父鉄道に乗ってスタート、沿線の酒蔵を訪問する前にちょうど見ごろの桜を鑑賞。秩父はセメントの原料となる石灰の産地、武甲山がある。確か秩父セメント発祥の地。秩父鉄道や秩父セメントにも渋沢栄一が関係しているはずだ。秩父ではもつ焼きを肴に地酒を一杯。石灰の採掘やセメント工場に全国から働く人が集まり、その人たちを相手にもつ焼き屋が増えたらしい。秩父はウイスキーの産地でもある。翌日、六角精児は秩父ウイスキーの蒸留所を訪問する。NHKだから蒸留所名は明らかにされないが、肥土(あくと)伊知郎氏が創業した秩父蒸留所である。六角精児はウイスキーも堪能し絶好調である。この番組のナレーションは壇蜜。これがまたいい。

5月某日
「明治維新の意味」(北岡伸一 新潮選書 2020年9月)を読む。北岡伸一は1948年生まれ、東大法学部、同大学院卒業後、東大教授、国連大使、国際大学学長などを歴任、現在は国際協力機構(JICA)理事長である。明治維新をどうとらえるかは日本の近代をどう位置付けるか、とほぼ同義であると私は考えている。戦前のいわゆる講座派は明治維新を絶対主義の確立と捉え、他方の労農派はブルジョア革命と捉えた。講座派に結集したのは日本共産党系の学者に対して労農派は非日共系のマルクス経済学者が多かった。来るべき革命のイメージとしては日共系(講座派)が、絶対主義を打倒するブルジョア民主主義革命に対して、非日共系(労農派)はプロレタリア革命であった。この論争は戦後も持ち越され、日本共産党は講座派を引き継いで当面する革命はブルジョア民主主義革命とし、対して労農派理論を継承した共産主義者同盟(ブント)は、プロレタリア革命を主張した。これらの論争は今からするとあまり生産的とも思えないが、私の学生時代(今から半世紀前)は結構、真剣な論争課題だった。著者の北岡は「明治維新は以上のマルクス主義のカテゴリーにあてはまらない民族革命であるという主張を行った」岡義武の立場をとる。すなわち「明治維新は、西洋の脅威に直面した日本が、近代化を遂げなければ独立を維持できないと考えて行なった革命」という見方である。いずれにせよ私はこの本を大変面白く読ませてもらった。以下、いくつか挙げてみる。

ペリー来航
1853年6月3日ペリーが浦賀に、7月にはプチャーチンが長崎に来航しそれぞれ開国を求めた。ペリーやプチャーチンと接触した幕府の役人は、「はるばる地球のかなたからやってきて、何年も家に帰ることなく、嵐の中をものともせず出航する彼らを見て、真の豪傑だと感じ入った」。それと同時に圧倒的な装備の黒船に対して全国的に危機感が共有された。これは清国や朝鮮には見られなかったことである。

五箇条の御誓文と政体書
公卿や諸侯に対し明治政府の基本方針を示したのが五箇条の御誓文である。文脈を素直に読む限り封建的でも絶対主義的とも思えない。公卿や諸侯に対しての宣言であり市民や農民に対してのものではなかったという限界はあったにせよである。1868年6月、新しい統治機構を示す政体書が出された。政体書には三権分立の思想が取り入れられ、アメリカ憲法がモデルになっていたという。

版籍奉還と廃藩置県
「すべての土地人民は天皇のもの」(王土王民)の考え方からすると版籍奉還は当然だったし、少なくない藩で財政がひっ迫していたことから統治の責任を放棄したい藩も存在した。版籍奉還後も藩主は潘知事となったが、中央政府は全国3000万石の仕事をするのに、実収は800万石しかなかった。名実ともに中央集権体制を確立するためには廃藩置県は不可避であった。

徴兵制と地租改正
武士という身分を最終的に解体したのは徴兵制で、これを担ったのは武家ではなく村医者の家出身の大村益次郎である。大村が暗殺された後、徴兵制を推進したのは山縣有朋だった。国家財政を支えるため税制改革が不可避となったが、明治初期の段階で課税に耐えうる主体は農民であった。年貢として物納されていた税金を明治政府は土地に対する課税、地租とした。地租は一定であり農業の生産性が高まれば農民は剰余価値を手にすることができ、農民の生産意欲は物納の年貢よりも向上したと思われる。

岩倉使節団
1871年11月岩倉具視を正使、木戸、大久保、伊藤らを副使とする岩倉使節団が横浜港を出港した。使節団の一行は欧米の文明に大きな衝撃を受けた。とくにイギリスの富強の根源が工業力にあることを痛感した。大久保は帰国後、西郷らの主導する征韓論に反対し内治優先を貫き、内務卿として殖産興業を推進したが岩倉使節団による見分が大きく影響した。革命後、新政権の幹部が大挙して本国を留守にすることは考えられない。留守中に反革命が起こる可能性が十分あったからである。

大久保独裁の現実
大久保は帰国後、国政をリードし朝鮮との国交問題、琉球の帰属問題などの外交案件にめどをつける一方、国内では殖産興業を推進し士族の反乱も鎮圧した。大久保は公論と衆論を明確に区別し、公論を得るための手段が衆論であり、多数の意見だからといって、それを採るのは誤りと断言している。これを現代の政治に当てはめれば、国会で多数派を形成しているのは衆論による。国会での議論によって公論を得るのが筋である。それが行われているとは言い難い。大久保は1878年5月に暗殺される。鹿児島では西郷を倒した人物としてはなはだ評判が悪く、銅像建立は1979年のことだった。

明治憲法の制定
1882年、伊藤博文は憲法研究のため渡欧する。ウイーンでシュタインから講義を受け大きな影響を受ける。シュタインの憲法論は立憲君主制度であったが、伊藤の憲法案は議会に予算の審議権を与えるなど、さらに進歩的であった。伊藤はトックヴィルの「アメリカにおける民主政治」を高く評価していたが、彼の憲法構想に影響を与えたのは「ザ・フェデラリスト」と言われる。1885年12月内閣制度が発足し総理大臣には伊藤が就任した。1889年に憲法が発表されたが、世間はこれを高く評価した。著者の北岡も「参加の拡大が一つの頂点に到達した」と評価している。

明治維新の意味
北岡は明治維新以来の政治を「ベストの人材を起用して、驚くべきスピードで決定と実行を進めている」と評価し、それに対して現代の日本は「きわめて閉塞的な状況にある」としている。そして「重要な判断基準は、日本にとってもっとも重要な問題に。もっとも優れた人材が、意思と能力のある人の衆知を集めて、手続論や世論の支持は二の次にして、取り組んでいるかどうか、ということである」とし、明治維新はそれを教えてくれているというのだ。まったく同感。

5月某日
「明治14年の政変」(久保田哲 集英社インターナショナル 2021年2月)を読む。明治14年の政変についてこれまであまり考えてこなかったが、本書を読んで概略が理解できた。 
著者の久保田は1982年生まれ。明治14年の政変って複雑な政治過程が背景にあり、政治的な人間関係もまた複雑、そうしたなかで久保田は新書版で手際よく分かりやすく叙述している。明治14(1881)年という年は西南戦争から4年後である。維新の3傑のうち西郷は西南戦争で敗死し、その数カ月前に木戸孝允は病死、木戸の病死の1年後に大久保は暗殺されている。大久保亡き後、政権を担ったのが伊藤博文と岩倉具視であった。伊藤と岩倉は薩長勢力のバランスを取りながら政権をリードした。政権の中枢にありながら薩長藩閥に属さなかったのが肥前出身の大隈重信であった。大隈は幕末、明治維新にこれといった功績はなかったが、財政家として維新以降の積極財政を担ってきた。明治10年代は国会開設に対する議論が盛んになってきた時期でもあり、大隈は明治14年3月に立憲政体に関する意見書を提出した。英国の議院内閣制を範とした意見書だった。一方、北海道開拓使の払い下げ事件が発覚する。参議兼北海道開発史長官だった黒田清隆が、同じ薩摩出身の五代友厚に開拓使の官有物を払い下げた事件である。明治14年の政変は結局、大隈が政権を去ることによって決着する。憲法の制定と国会開設こそが近代化のカギとする伊藤は、政変の翌年に憲法研究のため渡欧する。

モリちゃんの酒中日記 4月その4

4月某日
「いっちみち」(乃南アサ 新潮文庫 令和3年3月)を読む。「乃南アサ短編傑作選」と銘打たれていてすでに発行されている単行本や雑誌に掲載されたものを収録している。表題作となった「いっちみち」は「小説新潮」の昨年7月号に掲載されたもの。新型コロナウィルスが蔓延するなか松山の高齢者施設に勤める芳恵は、30年間帰っていなかった故郷、臼杵へ行ってみることを思いつく。「いっちみち」は臼杵の言葉で「行ってみよう」ほどの意味。芳恵は臼杵で初恋の人に再会するが…。あとはホラーの短編。

4月某日
今日(4月27日)の朝日新聞朝刊のオピニオン欄に阿古智子東大教授の「香港、強まる共産党支配」というインタビューが掲載されていた。阿古さんは1997年に香港が英国から中国に返還されたときに香港大学に留学していた。当時、阿古さんは「香港が英国の植民地支配から解放され、現地の人々が自らの政治制度をつくっていく。一方、中国は香港を『世界への窓』と位置づけ、経済を発展させ、政治体制もオープンにしていく」と楽観していた。今は「見方が甘かったと言われればその通りです」と。阿古さんは香港の民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)とも親交があり、実刑判決を受けた周さんたちを心配していた。昨年6月のオンラインセミナーでの周さんの発言が紹介されていた。「私たちは命をかけて闘っています。将来には不安しかありません。来年、私は生きているでしょうか。人権、民主主義、自由を空気のように思っていてよいのでしょうか。なくなると分かるのです。その価値を」。うーん、この言葉は重い。日本でも菅首相の学術会議会員の任命拒否について何ら合理的な説明がされない事態が続いている。「自由を空気のように思っていてよいのか」という周さんの言葉をかみしめるべきだ。

4月某日
NHK BSプレミアムで「内藤大助の大冒険」を見る。内藤大助ってプロボクシングの世界チャンピオンだった人でテレビのバラエティ番組に出演したりしてるちょっとした人気者だ。
北海道の豊浦町出身で生後間もなく両親が離婚、母親に育てられた。「内藤大助の大冒険」は京成立石駅前の居酒屋から始まる。常連の内藤が「オレ、今度アラスカに行くんだよ」と店の大将に話すシーンである。京成立石駅前の呑み屋街っていかにもディープでね。私も飲み友達の大越さんに連れられて行ったことがあるけれど。アラスカでは犬ぞりで奥地の温泉まで何日もかけて行くのだ。犬ぞりの指導をするのは30歳の女性で子供のころからそりを引くシベリアンハスキー犬と親しんでいる。女性に厳しく指導される内藤はカゲで悪態をつく。ゴールの温泉に着いたとき、女性は初めて内藤のことを誉めてくれる。内藤は女性に尊敬の念さえ抱くようになる。ここら辺には内藤の「素」の良さが出ている。「内藤大助の大冒険」ってシリーズものなのかなぁ、また観てみたい。

4月某日
「もう死んでいる12人の女たちと」(パク・ソルメ 斎藤真理子訳 白水社 2021年3月)を読む。難解!ストーリーがよく分からない。しかし斎藤真理子の解説を読んでパク・ソルメに対する興味がわいてきた。もともとパク・ソルメはデビュー以来、「個性的」「独創的」「前衛的」という評価がされてきたようなのだ。パク・ソルメは1986年、光州市に生まれる。作品には光州事件の影響を思わせるものも多い。2011年の3.11フクシマ原発事件に言及している作品もある。パク・ソルメの作品は難解ではあるけれど、現代社会が抱える困難さと向き合った作品と言えるのかも知れない。

4月某日
「大暴落 ガラ 内閣総理大臣三崎皓子」(幸田真音 中公文庫 2020年3月)を読む。日本初の女性総理大臣に就任した三崎皓子が、大洪水に見舞われた首都、東京の危機に対処していく姿を描いた小説と一口に言ってしまえばそうなのだが、私には現在のコロナ禍への対応に右往左往している政治家たちと二重写しに感じられとても面白かった。本作はシリーズ2作目で、「スケープゴート 金融担当大臣三崎皓子」に続くもの。「スケープゴート」は未読だが、気鋭の経済学者だった三崎皓子が民間人として金融担当大臣となり、請われて参議院選挙に出馬して当選、官房長官に抜擢される。前総理の引退後、与党の一部と野党の支持により初の女性総理となった三崎皓子の活躍を描くのが本書だ。タイトルの大暴落は、東京を襲った大洪水と時を同じくして起こった株式市場の暴落と円相場の急落のことを指している。自然災害と金融危機が同時に日本を襲うというストーリーである。洪水は三崎の的確な指揮と現場の頑張りとによって被害の拡大を防ぐことができ、金融危機は三崎の学生時代からのライバルで財務省に入省後、中国のインフラ投資銀行の幹部に転職した北条由紀子の協力により収束に向かう。現実はどうか?コロナ禍は縮小の兆しさえ見せず、首都圏、大阪圏、中部圏を中心に拡大を続けている。小説と違って現実の対応は後手後手に回っているように思える。経済はアメリカの好景気に支えられて株価も円ドル相場も安定しているかに見える。しかしコロナ対策費は新規国債の発行により賄われている。金利が超低金利だから何とか財政が持っているようなもので、金利が上昇局面になれば日本財政は危険水域に入ってしまう。現実は小説よりもはるかに厳しいのである。

モリちゃんの酒中日記 4月その3

4月某日
1974年に三菱重工の本社ビルをはじめ連続企業爆破事件が発生した。事件を起こしたのは反日武装戦線を名乗るグループだった。この事件を追ったドキュメント映画が「狼をさがして」だ。渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映しているというので友人の本郷さんを誘って観に行くことにする。我孫子から千代田線で表参道へ。会場へ着くとすでに本郷さんが来ていた。観客は30人程度か、若い人もチラホラいたがほとんどは私たちと同じ老人。監督が韓国の人で、そのせいか事件を客観的に見ているように感じられた。実は犯人グループの一人で検挙後、服毒自殺した斎藤和氏は私の高校の一年先輩。勉強もできて生徒からも教師からも信頼を集めていた。現役で東京都立大学へ進学したと思うが、犯行グループへ加わらなければ、大学教授か作家、評論家になっていたんじゃないかと思う。映画を観た後、渋谷のヒカリエで蕎麦屋に入り、昼食兼一杯。本郷さんと別れて私は半蔵門線で神保町へ。印刷会社の金子さんに会う。金子さんに秋葉原まで送って貰い我孫子へ。我孫子で「しちりん」による。

4月某日
先週、角田光代の「対岸の彼女」(文春文庫 2007年10月)を2人の女子高生がアルバイト、家出をしながら自立していく物語と酒中日記に紹介したが、家にある「対岸の彼女」を読み返したら、全然違っていた。専業主婦の小夜子は小さな旅行代理店で働き始める。旅行代理店プラチナ・プラネットの女社長、葵がもう一人の主人公。葵は高校生の頃、親友のナナコと夏休みアルバイトし、その後家に帰ることなく家出する。2人は同性心中を図るが未遂に終わる。女子高生2人がアルバイトして家出する、というところだけが記憶に残っていたわけだ。ナナコと葵の関係は、ほぼ20年後の小夜子と葵の関係に置き換わる。小夜子と葵はいったんは訣別するが再び共に働くようになる。角田光代は「紙の月」もそうだが、女(の子)の屈折した心理を描くのが上手い。

4月某日
内神田の社保研ティラーレで「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。吉高会長、佐藤社長に研究所から松澤総務部長、水野氏が参加。新型コロナウイルスとワクチン接種の動向が見通せないのと、オリンピックの開催動向も不透明なので結論は先送りに。次いで虎ノ門のフェアネス法律事務所で打ち合わせ。虎ノ門から歩いて有楽町の東京交通会館へ。「ふるさと回帰支援センター」の大谷さんを訪問。高橋公理事長が出てきたので一緒に呑みに行くことに。地下1階の博多うどんの店「よかよか」に行く。このお店には何度か来たことがあるが、店長がミャンマーの出身。日本がペラペラだし顔も日本人と区別がつかない。料理もこの人が作っているのだろうか?日本酒によく合うものが出てくる。高橋公理事長は早稲田の全共闘つながり。大谷さんも大学は違うが全共闘つながりで、二人は全共闘運動が終焉を迎えた後、大森で粉せっけんを創っていたそうだ。高橋さんにすっかりご馳走になる。

4月某日
「近代日本の国家構想 1871-1936」(坂野潤治 岩波現代文庫 2009年8月)を読む。タイトルにある「1871-1936」は廃藩置県から2.26事件によって日本がファシズムの道を歩み始めるまでをあらわしている。著者の意図はこの時代の政治史を「政治家や思想家がめざした政治体制構想の相克の過程として描こうと」(まえがき)したことにある。本書の概略は最終章の「政党政治の成立と崩壊」の末尾に示されている。概略をさらにかいつまんで記すと次のようになる。-1875年の大阪会議から始まった「上からの民主化」は、イギリス・モデルの議院内閣制を自覚的に目指すようになる(1879年の福沢諭吉の「民情一新」)。1881年3月の大隈重信参議の建言によりそれが現実の有力な選択肢となる。明治14年の政変で挫折する福沢-大隈ラインのイギリス・モデルは1890年の議会開設前後に息を吹き返す。これは1914年に吉野作造により20世紀初頭のイギリス自由党をモデルに再構築される(吉野の民本主義)。現実の政治体制が吉野構想にもっとも近づいたのは1929年成立の浜口内閣だったが、1936年の2.26事件により最終的に息を絶たれることになる-。坂野潤治先生は「岩波現代文庫版あとがき」で「安保転向者」であることを明らかにしているが、先生は60年安保当時、東大文学部国史学科に在籍し全学連の指導者の一人であった。先生は「あとがき」で「自由主義と両立する社会主義や、格差是正につとめる自由主義は、過去にも存在したし、今後も存続できるはずである」と言い切っている。まったく賛成!先生は昨年、鬼籍に入られた。黙とう。

モリちゃんの酒中日記 4月その2

4月某日
亀山郁夫の「大審問官スターリン」でいくつかのことを書き忘れていた。ひとつはタガンツェフ事件である。地質学者のタガンツェフが組織されたとされる反革命陰謀事件で、死刑判決および逮捕の際に殺されたもの96名(うち16名が女性)、強制収容所送り83名、という大規模な犠牲者を出した。ソ連崩壊後の調査では、「そうした政府転覆を目的とした陰謀組織はいっさい存在しなかった」とされた。私はこれを読んで大逆事件を連想した。大逆事件も菅野須賀子などを除いて幸徳秋水らは大多数の被告は事件と無関係だった。もう一つは帝政時代のスターリンが秘密警察の協力者だったことを証明するファイルの存在だ。このファイルは赤軍幹部の手に渡り、赤軍幹部たちはスターリンの処分を巡り激しい論争を繰り広げた。スターリンは反撃に転じてトゥハチェフスキーらの赤軍幹部をNKVDに逮捕させ、軍人らに死刑が宣告された。一時はスターリンの盟友で「党の寵児」とも呼ばれたことのあるブハーリンにも、彼を含む18名の被告とともに死刑の判決が下された。ブハーリンは獄中からスターリンに「抗議するつもりはまったくない。私の罪は万死に値する」と手紙を送っている。今の私たちからすればこうしたブハーリンの行為は不可解であり、おぞましくも滑稽でさえある。しかし半世紀前の日本において連合赤軍幹部が兵士に死刑を宣告したり、リンチの挙句死に至らしめた事件があったが、そのときも殺された兵士たちの心境は「私の罪は万死に値する」と似たようなものであった。スターリン主義の限りなく深い闇。

4月某日
山田詠美の「血も涙もある」(新潮社 2020年2月)を読む。主要な登場人物は4人。料理研究家の沢口喜久江、50歳。その夫で10歳年下のイラストレーターの太郎。喜久江のアシスタントで太郎の不倫相手である和泉桃子、35歳。太郎の美大の同級生で友人の中学の美術教師、玉木。山田詠美の作中登場人物はいつも生き生きとしている。それに今回は料理研究家が主人公だから、喜久江が手掛ける美味しそうな料理も登場人物(?)に加えたい。日常の中の波乱が本作のテーマ。

4月某日
大学の同級生5人と会食。弁護士をやっている雨宮先生の事務所に集合ということで、弁護士ビルの1階でエレベーターを待っていると内海純君が来る。内海君は学部を卒業した後、商学部の大学院に進学していすゞ自動車に就職した。雨宮先生と内海君と私の3人でお茶を飲んでいると、大阪府堺市在住の清眞人君が来る。清君の奥さんも同級生の旧姓近藤百合子さんだが、少し遅れて新橋駅からタクシーで来るという。外に出て待っていると百合子さんがタクシーで来る。雨宮先生が予約していた近くの居酒屋へ行く。雨宮先生とはこの間呑んだし内海君とも呑む機会はあるが、清君とは卒業以来だ。というか清君は在学中はバリバリの民青だったので、全共闘系の私たちとはあまり会話もなかった。清君は学部を卒業した後、文学部の大学院に進学、哲学を専攻して博士課程を修了した。文学部に学士入学した百合子さんと親しくなって結婚した(と思う)。雨宮先生は就職が内定していたがそれを断って司法試験に挑戦、合格後、検事になって弁護士となった。もう一人、今日は欠席したが岡超一君は伊勢丹に就職した。今日、欠席の吉原君も全共闘側だったが確かアメリカかメキシコに留学後、三鷹市の社協で働いていた。私が「(同級生だった)小林はブントの戦旗派になって神奈川で学校の事務員になったまでは聞いているのだけど、その後分からないんだ」というと清君が「大学院の頃に小林にブントに行くと言われた」とポツリ。うーん、50年も経つといろいろあるけれど、会って話すと50年の歳月もどっかへ行ってしまう。

4月某日
「池田大作研究-世界宗教への道を追う」(佐藤優 朝日新聞出版 2020年10月)を読む。大変面白かった。600ページ近い大著を2日足らずで読んでしまった。池田大作にしろ創価学会にしろ今まで知らなかったことを知ることができた。創価学会は初代会長の牧口常三郎によって1930年に創立された。戦時中に国家神道に従わない創価学会は弾圧され、牧口は2代会長となる戸田城聖とともに逮捕、投獄され牧口は獄死する。戸田に見出されたのが池田で戸田を補佐して夕張炭労事件や大阪事件を乗り切り、戸田の死後3代会長となる。夕張炭労事件というのは、創価学会の政界進出に危機感を抱いた夕張の炭労が組合員の創価学会員に「学会を脱会しなかったら組合を除名する」と迫り、学会は憲法の信教の自由を盾に炭労に勝利した。大阪事件は参議院選挙の大阪選挙区での買収容疑で池田自身が逮捕起訴され一審で無罪を勝ち取った事件である。
サブタイトルとなっている「世界宗教への道を追う」の意味は何か。世界三大宗教としてキリスト教、イスラム教、仏教があげられるが、このうち世界宗教と呼べるのは、キリスト教だけではないか(個人の考えです)。仏教は確かに東アジア、東南アジアを中心に世界的に展開しているもの基本的には布教は一国に止まっている。イスラム教も中東ではシーア派、スンニ派が国境を越えた布教活動を行っているが、中東以外では国内に止まっているように見える。対してキリスト教はどうか?佐藤優はキリスト教はユダヤ教と別れて以来、世界宗教の道を歩んでいると見る。カトリック、プロテスタント各派、ロシア正教とも国境を問わず、教えを広めていくことが使命とされている(と思う)。創価学会は1975年に創価学会インタナショナル、SGIを設立し、世界宗教への道を鮮明にさせている。学会は1991年に宗門、日蓮正宗から離脱した。佐藤はこれを民族宗教としてのユダヤ教からキリスト教が分離し、世界宗教への道を歩み始めたことを連想させるとする。佐藤の考えは正しいと思うが、私はSGIにレーニンが創設した共産主義インターナショナル(第3インターナショナル)の無意識の影響を見る。第3インターは国際共産主義の名のもとに革命、ロシア革命の輸出を試みた。SGIは世界広宣流布の名のもとに宗教としての創価学会の各国、地域への布教を目指していると言えないだろうか。まっ私見ですけれど。にしてもプロテスタント信者である佐藤の書いた「池田大作研究」はいろいろなことを考えさせる好著であった。

4月某日
「銀の夜」(角田光代 光文社 2020年11月)を読む。初出は「VERY」(2005年7月号~2007年6月号掲載)とある。初出の雑誌連載から単行本になるまで15年という時間がかかっている。「あとがき」にそのわけが記されている。作者の角田が2017年の暮れに仕事場の大掃除をしていたら校正刷が出てきた。が内容にもタイトルにも覚えがない。「見覚えのない校正刷が出てきてこわい」とSNSに記入したら、雑誌「VERY」に連載したものでは?という指摘があった。記憶がよみがえり、連載終了後「この小説はだめだと思い」、全体的になおすつもりで校正刷をもらった。当時、角田はもっとも忙しい時期で、締め切りに追いまくられ、校正刷は手つかずのまま記憶の底に沈められてしまった。改めて出版の打診を受けて読み返すと、「なおせない」と角田は思う、「ここに、私はもう入れない」という感覚だったという。小説の主人公は十代にちょっとしたメジャーデビューを果たした3人の30代の女性、夫が浮気をしていることを知りつつ嫉妬を感じない片山ちづる、早くに結婚して母となった岡野麻友美、帰国子女で独身の草部伊都子である。この作品は角田が「対岸の彼女」で直木賞を受賞したころの作品である。「銀の夜」は3人の主人公がそれぞれに自立を遂げようとする物語である。「対岸の彼女」も2人の女子高生がアルバイトや家出をしながら自立していくという物語であったと思う。二つともストーリー展開は巧みだし、読後感は爽やかなのだ。