モリちゃんの酒中日記 1月その3

1月某日
飲み友達の本郷さんから借りた「漂流」(角幡唯介 新潮文庫 令和2年4月)を読む。著者のことはまったく知らない。どうも漂流した漁民のノンフィクションらしい。文庫本で700ページ近くあるのだが2日ほどで読み切った。宮古島のすぐ隣の島、伊良部島の佐良浜が主人公と言ってもいいかも知れない。佐良浜は教員と役人以外はみな漁民と言われるほど、漁業、漁民の街である。1994年3月、フィリピンのミンダナオ島の沖合で1隻の救命筏が発見され、沖縄のマグロ延縄船、第一保栄丸の船長、本村実と8人のフィリピン人船員が救助される。「漂流物」を手掛けたいと考えていた角幡は新聞社のデータベースでこの記事を入手、本村の沖縄県浦添市の本村の家に電話を入れる。電話に出た本村の妻、富美子の答えは10年ほど前から行方不明になっている、前と同じように漁に出て帰ってこない、というものだった。そこから角幡の沖縄本島、伊良部島、グアム、フィリピンを巡る長い旅が始まる。角幡は本村の体験を追体験するために、グアムからマグロ延縄漁船に乗り込む。
本書は行方不明となった本村を追うドキュメントという一面、角幡がわずか19tの漁船に乗り込んでグアムからフィリピンまでの航海を体験するという冒険譚の一面、そして伊良部島とその母島となる池間島の島民からなる海洋民族に対する考察という側面がある。最後の海洋民族に対する考察からの文章。「本来の生というのは死を感じることができなければ享受することができないものである。科学技術や消費生活が進展することで都市における生は便利に、安逸になり、快楽指数も上昇したが、そのことによって私たちが知ったことは、日常が便利で快適になることと、自分の生が深く濃密になることとはまったく関係がないということであった」「死が近くにある生。佐良浜の人たちの話に耳をかたむけているうちに、私には、それが彼らの世界観を形成していることにほぼまちがいのないことのように思えてきた。私が彼らに接したときに感じていた、生にたいしてどこかわりきった感覚、過去や人間関係のしがらみや執着のなさなどは、そこに起因しているように感じられた」(第4章 消えた船、残された女)。角幡って若いのに(1976年生まれ)、熟成を感じさせる。76年生まれじゃ若くもないけれど。

1月某日
1月も半ばを過ぎた。世間ではとっくに正月休みは終わり動き始めているようだ。だが私は年金生活者で高年齢、高血圧の持病持ち、つまりコロナに感染すると重病化しやすいハイリスク者である。外出は控えなければならない。テレビを観てもニュースはコロナとトランプばかり。ドラマ、歌番組、バラエティーは若者向け。私は松重豊の「孤独のグルメ」や六角精児の「呑み鉄本線日本旅」など好んで観る。「孤独のグルメ」では群馬県の大泉町を訪ねていた。大泉町はブラジル人の出稼ぎ労働者が多く、したがって町にはブラジル料理屋やブラジル物産店がある。「呑み鉄本線日本旅」では会津鉄道で南会津の造り酒屋訪問である。数年前会津若松に行ったことがある。新鹿沼でゴルフをやった後、東武線で鬼怒川へ。鬼怒川で野岩鉄道に乗り、終点で会津鉄道に乗り換え、途中駅で下車、温泉宿に1泊した。温泉宿の客は私一人だけだった。会津若松では東日本大震災で被災した福島県浜通り地方の人々のための住宅が建設されていた。お城を観て白虎隊が自刃した飯森山に寄った。帰りは福島か郡山に出て、新幹線で帰った。

1月某日
図書館で借りた「青春とは、」(姫野カオルコ 文藝春秋 2020年11月20日)を読む。主人公は乾明子(いぬい・めいこ)、2020年3月現在、都下の南部線沿線のシェアハウスに住み、去年からスポーツジムのインストラクターをやっている。というようなことは小説の本筋とはあまり関係しない。小説の主な舞台は45年前、すなわち1975年の明子の高校時代である。高校は滋賀県立虎水高校。姫野カオルコは1958年滋賀県生まれだから、姫野自身の高校生活がモデルと思いがちだが巻末に「この物語はフィクションです。実在の人物や団体とは関係ありません」とあるからそうでもないのかも。姫野カオルコの小説は、実際にあった東大生による集団強制性交事件に想を得た「彼女は頭が悪いから」を読んだだけと思う。「青春とは、」には別に大きな事件が描かれるわけでもなく、明子の日常が淡々と描写される。これが私には何とも心地よかった。私は姫野のちょうど10歳年長、私の高校3年生は1965年、北海道立室蘭東高校であった。私も十分にバカで愚かであったが、それは青春の特権だろう。

1月某日
「青春とは、」が「何とも心地よかった」ので、姫野カオルコの本を続けて図書館で借りる。「近所の犬」(幻冬舎文庫 平成29年12月)である。姫野カオルコは2015年に「昭和の犬」で直木賞を受賞している。「昭和の犬」の単行本が発行されたのが2014年3月、「近所の犬」は同年9月である。「昭和の犬」と「近所の犬」はタイトルも似ているし、単行本発行時期も近いので姉妹作?と思ってしまうが、それは大違い。「近所の犬」の「はじめに」で著者自身が「前作『昭和の犬』は自伝的要素の強い小説、『近所の犬』は私小説である」と書いている。自伝的要素の強い小説と私小説はどこがどう違うのか。同じく「はじめに」で「事実の占める度合いであろう。それとカメラ(視点)の位置。『私小説』のほうが、事実度が大きく、カメラ位置も語り手の目に固定されている」と。なるほどわかりやすい。「近所の犬」はタイトル通り、作者の「近所の犬」との出会いを描いたものだが、独身で家では犬を飼えない50歳代のオバサンと近所の犬との交情である。ユーモラスでありちょっぴり切なくもある。そういえば一昨年、自宅の火事で亡くなった福田博道さんも犬好きだった。「犬名辞典」という著作もある。

1月某日
ジョー・バイデンの大統領就任式。日本時間で午前2時からだ。夜中に目が覚めたらちょうど午前2時。NHKで中継を観る。バイデン78歳とは思えない力強い演説だ。アメリカの政治家に比べると日本の政治家は演説が下手と思います。国会の演説や答弁は官僚の作った(と思われる)原稿を棒読みだものね。大統領は国民の選挙で選ばれるけれど日本の首相は国会で選ばれる。国会で多数を握れば首相になれる。具体的には自民党の過半数を取り込めば首相になれる。国民に直接訴えることなく、自民党の派閥の領袖との取引で首相が誕生する。必ずしも国民に訴える必要はない。小泉首相誕生のときは違った。あのときは確か国会議員票で劣勢だった小泉が街頭で国民に直接訴えて、地方代議員の票を集めて勝利したのだ。安倍政権から自民党の体質が変わってきたのではないか。派閥の連合体が切磋琢磨してこその自民党だと思いますが。

1月某日
図書館で借りた「コモンの再生」(内田樹 文藝春秋 2020年11月)を読む。雑誌「GQ JAPAN」に連載中のエッセーをまとめたもの。「GQ」の鈴木正文編集長と担当が神戸の内田の家でインタビューしたものがもとになっているという。鈴木編集長というのは慶應中退で50年前はブント(共産主義者同盟)の戦旗派だったと思う。内田自身、50年前は東大の革マル派だったらしい。だもんで私は長く、内田の書いたものは認めても内田自身は許せなかった。私が在学していた当時の早稲田大学は革マル派の牙城であった。ということは革マル派以外は迫害されていた。で「内田は許せない」と元ブントの友野君やレヴィナス研究家としての内田を評価していた友人に言っていた。二人とも「昔の話でしょ」と取り合ってくれなかったが。だが「コモンの再生」を読むと内田の考えにほぼ全面的に賛成せざるを得ないことが分かった。だいたい内田は合気道の高段者らしく、喧嘩しても勝てそうもないし(苦笑)。
コモンとは共有地のことだ。内田によるとマルクスとエンゲルスによって「コモンの再生」が提言され、それが「共同体主義」すなわち「コミュニズム」としている(まえがき)。この考えは「資本論の哲学」の熊野純彦の考えに近いと思う。内田はさらに、最初にマルクスを訳した人たちが「コミュニズム」を(共産主義ではなく)「共有主義」や「共同体主義」にしていたら日本の左翼の歴史は違っていたかも知れないと言っている。これも大賛成。そしてマルクスを共産主義に向かわせたのは、当時の労働者たちのあまりに悲惨で過酷な労働条件に対する「共苦の涙」だとし、しかしその運動の過程で「いくらかの人間が苦しんだり、死んだりすることは『正義のコスト』なんだから気にならないという倒錯が生じる」。そして内田は「僕はどれほど高貴な政治的理想を掲げた運動でも、生身の人間の弱さや愚かさや邪悪さに対して、ある程度の寛容さを示すことが必要だろうと思うのです」と続ける。これは日本の新旧の左翼運動に対する根源的な批判になっていると思う。

モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
図書館で借りた「明治維新 1858-1881」(坂野潤治+大野健一 講談社現代新書 2010年1月)を読む。この本は前に読んで「明治維新に対する新しい見方だな」と思った記憶はあるが「新しい見方」が何だったか記憶にないので再読することにした。坂野潤治は日本近代政治史を専攻する政治学者で昨年亡くなった。60年安保のときの全学連指導者の一人で、亡くなった樺美智子の東大文学部国史科の先輩だった。坂野が1937年生まれに対して共著者の大野は1957年生まれ、専門は開発経済学である。大野は「まえがき」で、明治政府による近代化政策が第2次世界大戦後の東アジアの韓国、台湾、シンガポール、マレーシアなどの開発独裁の原型となったとする、考え方は「まったく事実に反している」と強調する。東アジアの開発独裁は朴正煕らの独裁者あるいは単独政党が、長期にわたって抑圧的な開発主義を貫徹した。しかし明治政権においては天皇は名目的な最高権力者ではあったが、「政治の実権は多数の藩閥政治家が入れ替わり立ち替わり握っていた」とする。国家目標を「富国」「強兵」「憲法」「議会」に置く四つのグループが合従連衡をしながら政策を競い合ってきたのが明治政権の内実であり、著者らはこれを政権の「柔構造」と名付けている。柔構造は大正デモクラシー、5.15、2.26事件を経て「硬構造」の軍部独裁に向かう。ひるがえって現代日本はどうか。安倍政権が10年近く続き、菅政権がその後を継いだが、その構造はとても柔構造とは言えない。自由民主党という政党はもともとが各派閥の連合体であり、本質的に柔構造であったと思うのだが、小選挙区制と安倍一強体制がその体質を変えてしまったようだ。

1月某日
図書館で借りた「夜かかる虹」(角田光代 講談社文庫 2004年1月)を読む。「夜かかる虹」「草の巣」の2編の中編が収められている。今さら純文学、大衆文学の区別を論じても意味するものは少ないと思う。何しろ大衆文学の中堅作家に与えられる直木賞作家の桐野夏生が岩波書店の「思想」で特集に採りあげられる時代である。本書の2編の初出はいずれも講談社の純文学雑誌「群像」ということからすると、2編とも純文学的、あるいは実験的要素が強いということかも知れない。2編ともに恋愛や犯罪というわかりやすいものをテーマにしてはいない。強いて言うなら人間関係か。「夜にかかる虹」は姉妹の、「草の巣」はほとんど行きずりと言ってよい男女の。

1月某日
図書館で借りた「ネンレイズム・開かれた食器棚」(山崎ナオコーラ 河出書房新社 2115年10月)を読む。今年に入って山崎の小説を読むのは「肉体のジェンダーを笑うな」に続いて2冊目。私の理解では山崎は性別をはじめとして、年齢、肉体、言語などすべてのジャンルでの差異を否定し「人間」あるいは「生きもの一般」として一括りにできないか、と目論んでいるように思われる。こういう思想は50年前ならアナーキズムに分類されたんだけれどね。山崎は1978年生まれ、50年前には存在していなかった。私は本書と「肉体のジェンダーを笑うな」を読んで山崎の革命性を確信しました。思想的には過激なんだけれど、文体は優しく改行も多くて読みやすい。山崎は芥川賞も直木賞も受賞していないが、21世紀前半の注目すべき作家だと思う。

1月某日
NHKBSで「鉄道員(ぽっぽや)」を観る。浅田次郎原作で高倉健主演である。私の学生時代はとうのヤクザ映画が全盛で、その中でも高倉健主演のものは人気抜群であった。私は「網走番外地」シリーズよりも昭和初期を舞台にした「昭和残侠伝」シリーズの方が好きでしたね。「親の意見を承知で拗ねて、つもり重ねた不孝の数をなんと詫びよかおふくろに」という主題歌を、過激な学生運動の渦中にあった自分自身に重ね合わせたりしたりした。「ぽっぽや」で高倉健が演じるのは老いた駅長。「昭和残侠伝」の主人公-確か花田秀次郎といった-の面影もない。何度かテネシーワルツのメロディーが流れるが、これは健さんの別れた妻、江利チエミの持ち歌であった。たまたま前日、どこかのBSで「美空ひばり、笠置シヅ子、江利チエミ」の特番をやっていたが、それによると江利チエミは義理の姉に数億円の財産を横領され、累が健さんに及ぶのを恐れて離婚した、ということだった。「ホントかね?」とも思わせるが、やはり健さん主演の「居酒屋兆治」でもテネシーワルツを健さんが口ずさんでいた記憶がある。ホントかもしれない。

1月某日
歴史探偵を名乗り日本近代史とくに昭和史について著作を多く残した半藤一利さんが90歳で亡くなった。黙とう。半藤さんの著作は何作か読んだこともあるし、講演会に来てもらったこともある。確か社会保険庁のOBに対する講演会で、末次彬さんに「半藤さんを呼びたいんだけど」と相談された。その頃「マスコミ電話帳」という本があって作家や芸能人の連絡先を表示していた。表示のFAX番号に依頼状を送ると「半藤だけど」と電話がかかってきた。半藤さんは「墨田川の向こう側-私の昭和史」(ちくま文庫)にある通り、本所区の出身、王貞治とは幼馴染。王さんは子供のころから足腰が強く、子ども同士の相撲でもうっちゃりで勝つことが多かった。餓鬼大将(半藤さんである)はそれが気に入らず、「ワン、お前には大和魂はないのか」と大喝したそうである。餓鬼大将はその後、長岡に疎開し長岡中学を経て旧制浦和高校から東大文学部に進学した。浦高から東大を通じてボート部、墨田川との縁は切れなかったわけだ。奥さんは夏目漱石の孫で、半藤さんにも「漱石先生ぞな、もし」の著作があるが私は未読。半藤さんは文藝春秋社に入社、退社したときは専務だった。会社自体はどちらかといえば保守的な出版社だが、半藤さんは反戦平和主義で一貫していた。日本学術会議への任命を拒否された加藤陽子さんとの対談集「昭和史裁判」(文春文庫)もある。

1月某日
図書館で借りた「民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本史」(藤野裕子 中公新書 2020年8月)を読む。力作である。本書は明治維新時の新政反対一揆、秩父困民党による秩父事件、日露講和条約に反対した日比谷焼き討ち事件、関東大震災時の朝鮮人虐殺という四つの事件を軸として、日本の近代を描く。私たちは50数年前には「暴力学生」と言われていた。当時の暴力学生はたんに暴力的な学生のことではなく、機動隊や他のセクトに対して暴力で対抗する反日本共産党系のセクト、ノンセクトの学生たちを特に暴力学生と呼んだ。まぁすでに死語ですけどね。本書の序章で著者は安丸良夫を引用して「世直し一揆の激しい打ちこわしは、一揆勢力にとって非日常的な解放空間であった」と述べている。私たちが校舎をバリケード封鎖した空間は確かに非日常的な空間であったし、新宿やお茶の水で道路を自動車や看板、商店から持ち出した机や椅子を積み上げて封鎖した空間も、一時的な解放区として、非日常的な空間であった。本書の日比谷焼き討ち事件の描写を読むと半世紀前の自分たちの姿が蘇る。朝鮮人虐殺には胸が痛む。明治以降、日本は朝鮮半島、朝鮮人に対して一方的に加害者であったことを忘れてはならないと胸に刻む。民衆暴力には秩父事件や日比谷焼き討ち事件のように反権力なものと関東大震災時の朝鮮人虐殺のように、権力におもねり、追従したものと2つの面があることが分かった。

モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
年末に「金閣を焼かねばならぬ―林養賢と三島由紀夫」(内海健)を読んだ。しかし三島由紀夫の「金閣寺」は未読であったため、書店で「金閣寺」(新潮文庫 昭和33年9月)を購入、早速読むことにする。「金閣寺」はどもりの青年僧「私」が金閣寺に修行僧として入り、金閣寺に圧倒的な美を感じつつ、「金閣寺を焼かねばならぬ」と決意し実行するまでを三島の華麗な筆で描いている。金閣寺への放火は金閣寺あるいは美に対するテロルである。私はこの想念は14年後の1970年11月25日の市ヶ谷自衛隊での三島の事件に通じると思う。市ヶ谷での三島の自決は、三島の自分自身に対するテロルでもあると解釈できるのではないか。

1月某日
年齢を重ねるごとにずぼらになる。朝起きるのは7時30分~11時30分で、したがって朝食はとったりとらなかったり。コロナ対策で朝晩1日2回の入浴は欠かさないが、不要不急の外出は避けて引きこもりの毎日。テレビのザッピングと読書が主要な日課である。昨日は「ポツンと一軒家」という番組で高知県の山奥に暮らす88歳のおばあちゃんが紹介されていた。夫と息子に先立たれたこの人は60歳過ぎまで土木作業員と農業を続け、現在も野菜作りにいとまがない。こんにゃく芋を栽培しこんにゃくも手作り、ゆでたこんにゃくにこれも手作りの柚子みそを付けて食べたスタッフの美味しそうな表情が印象的だった。

1月某日
年末に図書館で借りた「肉体のジェンダーを笑うな」(山崎ナオコーラ 集英社 2020年11月)を読む。巻末に著者紹介が「山崎ナオコーラ(やまざき・なおこーら)作家。性別非公開。『人のセックスを笑うな』で純文学作家デビュー。今は、1歳と4歳の子どもと暮らしながら東京の田舎で文学活動を行っている。(中略)本書収録の3作も純文学として文芸誌に発表しているが今後も純文学を続けていくのだろうか?目標は『誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい』。」と記されている。著者紹介は普通は編集者が著者の意向を確認して作成するものと思われるが、山崎の場合はおそらく自作。「父乳の夢」は、父親も医師の処方と助産師の指導によってわが子に自分の父を飲ませられるようになる話。「笑顔と筋肉ロボット」は小柄で非力だった妻が筋肉ロボットによって自在に背が高くなり、重い荷物も持てるようになるというストーリー。「キラキラPMS(または、波乗り太郎)」は女性の生理とPMS(月経前症候群)を巡る話。私は自己の男性という性に対して疑いをさしはさむことなく生きてきたものだが、本作を読んで性の不可思議性について改めて考えさせられた。性意識は時代や文化によって変貌する。科学の発達によって男が父を出すようになるかもしれないし、妊娠することも可能になるかもしれない。ロボットや人工知能の発達によって働き方も大きく変わるだろう。ベーシックインカムの導入によって労働の概念自体が変わっていくかもしれない。私たちはそれらに対する備えができているのだろうか。山崎からの警鐘として本書を読んだ。

1月某日
図書館で借りた「アンダークラス2030-置き去りにされる『氷河期世代』」(橋本健二 毎日新聞出版 2020年10月)を読む。橋本健二は格差の問題を追求してきた社会学者で現在は早稲田大学人間科学学術院教授。「居酒屋ほろ酔い考現学」という著書もあり居酒屋好きでも知られている。著者によると就職氷河期世代とは1973~1985年生まれの人たちでこの人たちが就職に直面する1994~2007年が就職氷河期となる。第2次ベビーブーム世代とも一部重なるが、大学の定員増が図られる一方で、バブルの崩壊と不良債権問題が深刻化し、企業の求人意欲は衰えた。正規労働者の求人を抑える一方で企業は労働コストが低い非正規労働者を求めるようになった。著者は非正規雇用で働くパート主婦以外の労働者を「アンダークラス」と呼ぶ。就職氷河期世代でアンダークラスの人たちは収入が低く生涯未婚率が高い。結婚して家庭を持って子供が生まれても貧困の連鎖が続く可能性がある。著者は「氷河期世代はすでに30歳代後半以上の年齢になっている。これから子どもを持つ可能性は小さいだろう」とする。そして次世代の労働力が生まれなくなることは社会の存続を困難にするだろうと訴える。そのために著者は同一労働同一賃金の徹底、最低賃金の引き上げ、労働時間短縮とワークシェアリングを提案する。そのうえで所得の再分配を大胆に進めるために①累進課税の強化②資産税の導入③相続税率の引き上げ④生活保護制度の実効性の確保―も提案している。新型コロナウイルスの感染拡大により、飲食店の閉店、企業の倒産、雇用者の失業は進んでいる。今こそ橋本健二先生の意見に耳を傾けるべきだろう。

1月某日
「新宗教を問う―近代日本人と救いの信仰」(島薗進 ちくま新書 2020年11月)を読む。新宗教というのは仏教、キリスト教、イスラム教など世界宗教として確立された宗教ではなく近代、とくに19世紀以降に広まった新興の宗教のことを指す。本書では創価学会、霊友会、大本教、天理教、幸福の科学、オウム真理教などがとりあげられている。著者の島薗は宗教学者で東大教授を経て現在は上智大学神学部特任教授。本書によると新宗教が発展したのは1920年から1970年のおよそ50年間で、1970年代以降はオウム真理教などいわゆる新新宗教が登場するが、新宗教全体としては衰退期を迎えるという。新宗教に共通する要素として「病気なおし」「心なおし」「世直し」があげられる。戦前、そして戦後しばらくは国民の栄養状態も悪いうえに医療体制も不十分で、庶民にとって病気は大きな脅威であった。多くの新宗教は庶民のそうした心理に訴えた、それが病気なおしである。心なおしは「心を変えると、運命が変わる」で、自分の運命が変わることが救いとなる、極めて現世利益的である。「世直し」は戦前に創価学会や大本教が弾圧されたことが示すように、新宗教には権力に対して非妥協的な側面を持つ場合がある。天皇制に対して直接的に対決したわけではないが、治安当局にとっては取締り対象であった。さた新宗教の今後であるが、橋本健二先生が言うように貧富の差が拡大しつつあり、さらにコロナで社会不安が広がっている。新宗教に限らず宗教、スピリチュアルなものの出番は増えてくるのではなかろうか。島薗先生の本はもう少し読んでみたいと思った。

1月某日
社保研ティラーレで打ち合わせ。2月19日の「地方から考える社会保障フォーラム」を実施するのか延期するのかを協議。その後、キタジマの金子さんに原稿を入稿する。金子さんの車で虎ノ門まで送って貰う。フェアネス法律事務所で打ち合わせ。虎ノ門から銀座線で銀座へ。「ふるさと回帰支援センター」の大谷さんに面談。我孫子の開運コーヒーを渡す。いつもなら大谷さんと呑みに行くのだが、今日にも緊急事態宣言が発出されるということなので我孫子へ帰る。

モリちゃんの酒中日記 12月その5

12月某日
図書館で借りた「日本習合論」(内田樹 ミシマ社 2020年9月)を読む。習合とは二つの異なる宗教が出会う中で敵対することなく、融合していく状態のことを言うようだ。日本では仏教の伝来以降、仏教と日本の在来の宗教であった神道が融合していく。神仏習合である。キリスト教はユダヤ教の分派として発生し、ローマ帝国の迫害を受けながらついにはローマ帝国公認の世界宗教となっていく。当時のゲルマン民族はローマ帝国からすれば蛮人でそれぞれが原始宗教を信仰していた。キリスト教はこれらの原始宗教と融合することなくゲルマン民族への布教に成功する。もっともクリスマスや復活祭にはゲルマン神話の痕跡が残されているという指摘もある。さて内田の習合論には学ぶべきものが多かった。ひとつは農業と市場(マーケット)についての考え方だ。私などは市場で貨幣と交換されることにより農産物は効率よく配分されると信じてきたが、どうも違うようだ。「農作物は商品ではない」と内田は断言する。農業は宇沢弘文のいう社会的共通資本であり、「政治とマーケットは社会的共通資本の管理をしてはいけない」とする。こうした考え方は内田の習合論の「習合というのは、受け入れ、噛み砕き、嚥下し、消化し、自分の一部とする」という考え方と通底すると思う。ポストコロナの生き方を内田の習合論は示唆しているように思える。

12月某日
今年最後の床屋に行く。私が行く床屋は私の住んでいる我孫子市若松の「髪工房」。私より年上のマスター(75歳くらいか)とその娘さんらしき人(30~40歳代)の二人でやっている。年末なので混んでいると思ったが、待つこともなく顔剃りから始めてもらった。顔剃りとシャンプー、仕上げは娘さん、カットするのはマスターと分業化されている。隣の年配の客とマスターは年末年始の過ごし方を話題にしていた。お天気にもよるがマスターは釣りに行くそうで、金沢八景から船で東京湾のアジ釣りらしい。髪工房はマスターの腕がしっかりしてるうえに安いのが特徴。大人2000円だが高齢者は1800円、そして5回に1回はさらに500円引きとなる。「よいお年を!」と挨拶して店を出る。

12月某日
酒場を巡る番組が好きでよく見る。とくにコロナ禍で外に呑みにいけないとなるとテレビ番組で不満を解消することになる。「吉田類の酒場放浪記」に「女酒場放浪記」はこの種の番組では一番古いのではなかろうか。ビール、酎ハイ、ホッピー、日本酒を店の勧めるままに呑むのがいい。割と日本酒にこだわっているのが「太田和彦のぶらり旅・居酒屋百選」。玉袋筋太郎の「町中華で飲ろうぜ」は生ビールから酎ハイが定番。スポンサーが宝酒造なので酎ハイで乾杯するのがきたろうの「夕焼け酒場」である。以上は多少は演出があるにせよ基本はドキュメントである。これに対して「この番組はフィクションです」とクレジットが着くのが「孤独のグルメ」で久住昌之原作、松重豊演じるサラリーマン、井の頭五郎が主に大衆食堂や町中華を食べ歩く。食堂の店主や店員なども役者が演じているのだが、お店はホンモノ。ドラマが終わった後で原作者の久住がその店を訪ねるシーンが放映されることもある。それと忘れてはならないのが「六角精児の飲み鉄本線、日本旅」である。俳優で鉄道マニアの六角精児が、鉄道で日本各地を旅し居酒屋や造り酒屋を訪れると番組。列車の中で六角が缶ビールやワンカップの日本酒を呑む、その表情がいいんだよね。

12月某日
図書館で借りた「金閣を焼かなければならぬ―林養賢と三島由紀夫」(内海健 河出書房新社 2020年6月)を読む。1955年生まれ、東大医学部卒の精神科医である。今年は三島由紀夫没後50年ということもあって三島関連の図書がずいぶんと出版されたらしい。本書は三島の小説「金閣寺」を題材に、金閣寺に放火した犯人の青年僧のモデルとなった林養賢、そして作家の三島由紀夫の生をたどった精神分析的ドキュメントである。三島由紀夫の作品は割と好きでよく読んだ。「金閣寺」も高校生のときに読んだ覚えがあるが、これを機会に読み返してみようと思う。私には本書は理解できたとは言い難い。だがエピローグの「まつろわぬ者たちへ」で著者が林養賢とその母親の墓に林養賢の親戚の案内で参るシーンは、ちょっと心打たれた。

モリちゃんの酒中日記 12月その4

12月某日
「湖の女たち」(吉田修一 新潮社 2020年10月)を読む。琵琶湖湖畔の介護療養施設で元京大教授の百歳の男が殺される。事件を追う2人の刑事、介護施設で働く若い女、事件を取材する週刊誌記者はかつて被害者が薬害事件に関わっていたこと、さらに戦前の満洲で731部隊に所属していたことを探り出す。「湖の女たち」の湖はもちろん琵琶湖のことだが、同時にハルビンの平房湖も暗示させる。終戦の年の冬、平房湖の湖岸で少年たちによるおぞましい事件が起きていた。幾筋の起伏に富んだストーリーが交錯する。吉田修一の構想力、想像力に圧倒される。

12月某日
「愛がなんだ」(角田光代 角川文庫 平成18年2月)を読む。通称テルちゃん(20代OL)とマモちゃん(20代出版社勤務)の交際というか交流を中心とするストーリー。テルちゃんはマモちゃんに惚れている。マモちゃんの私用にこき使われ会社の仕事がおろそかになり解雇同然に会社を辞める。そうした今どきの若者の日常をユーモアを交えて描く。私は全然納得いかなかった。マモちゃんにもマモちゃんの理不尽な要求に唯々諾々と従うテルちゃんの姿勢にも。しかし奥付を見ると令和元年の6月で19刷を記録している。それなりの支持を得ているのである。さらにネットで検索すると昨年には映画化もされてある程度のヒットをしているらしい。私は少し反省する。恋愛小説として読むから納得できないのだ、現代の若者の習俗を描いた小説として読めばそれなりの納得はできる。小説中の居酒屋のメニュー紹介も結構詳しい。決して美味そうとは言えないが。

12月某日
図書館で「日本史」のコーナーを眺めていたら岩波新書の「新選組」(松浦玲 2003年9月)が目に付く。松浦玲は以前、大谷さんから貰った「勝海舟」を読んで面白かった記憶があるので早速借りることにする。新選組って幕末に活躍した集団のなかではかなりユニークだと思う。集団のイデオロギーは尊王攘夷であり尽忠報国である。尊王攘夷というスローガンは敵対する長州や薩摩、さらに当時の京都に出没した不逞浪士と一致する。薩長の尊王攘夷は慶応3年10月の徳川慶喜の大政奉還により、尊王倒幕に変換される。しかし新選組は幕命により京都守護職、松平容保預かりとされ京都の市中警護を委任されていた集団である。まして尊王攘夷は大政奉還の1年前に逝去した孝明天皇が固執したイデオロギーで、新選組がこれに敵対することはありえなかった。しかし近藤勇も禁門の変から第1次長州征伐あたりから微妙に変化し、ついには蘭方医松本良順に西洋事情の教えを乞うようになる。ちなみに松本良順は榎本武揚に従って函館まで従軍している。それにしても新選組が幕臣となるのは慶応3年6月である。それまでは京都守護職から市中警護を任された浪士の集団という扱いである。逮捕権や尋問権は持っていたものの幕臣、今で言う公務員ではなかった。町奉行所の与力や同心が幕臣だったのに、その下の岡っ引には正式な形では報酬は支給されなかったのと同じである。著者の松浦玲は京大を学生運動で放校処分にあっている。幕末でいえば不逞浪士の一派だったわけですが、きちんと歴史的に新選組を評価しています。

12月某日
図書館で借りた「ヤマト王権-シリーズ日本古代史②」(岩波新書 吉村武彦 2010年11月)を読む。1カ月ほど前に読んだ「ワカタケル」(池澤夏樹)は倭の5王の一人、雄略天皇となるワカタケルを主人公とした小説だったが、政(まつりごと)や性愛などに対する古代人の荒々しくも瑞々しい感性を描いた好著であった。私は「ヤマト王権」を飛鳥時代に連なる大和政権について歴史学ではどうとらえているのか興味深く読んだ。この時代(だいたい6世紀より前)は紙による記録がほとんどない。古事記や日本書紀(記紀)の編まれたのは古事記が712年、日本書紀が720年だし、厳密な歴史書と見ることはできない。中国の歴史書(魏志や宋書など)に出てくる倭国の記述と記紀の記述を照らし合わせたり、考古学と連携して検証したりする作業が必要となってくる。ヤマト王権とは現在の天皇家の先祖となるのはほぼ間違いない。しかし天皇家が男系男子で受け継がれてきたとか長子相続というのは、近代の明治以降に刷り込まれたものではないか、という疑問が本書を読むと湧いてくる。ワカタケルは兄の安康天皇を刺殺してるし、本書によると蘇我馬子は配下に命じて崇峻天皇を殺させた。古代、中世、近世と、天皇は権力のあるなしに関わらず、政治的、思想的にこの国の柱だったんだね。

12月某日
図書館で借りた「東京湾景」(吉田修一 新潮文庫 平成18年7月)を読む。吉田修一の小説に私はなぜ魅かれるのだろうか?ひとつは描かれる人間像であり、登場人物の置かれた社会関係の巧みな描き方に魅かれるのではないか。本編の主人公は亮介、品川埠頭の貨物倉庫で働く25歳。出会い系サイトで知り合った恋人の美緒は対岸のお台場の石油会社で広報を担当するOL。男は高卒で倉庫でフォークリフトを操る肉体労働者、女は大卒で一流企業の美人OL。この設定は普通に考えれば不自然である。しかしこの小説を読んでいると、不自然さはまったく感じられない。吉田修一の作家的な力量という他ない。舞台は品川駅港南口から天王洲アイル駅、品川埠頭、お台場である。この30年か40年で最も変貌をとげた地域である。時代設定としては、りんかい線が開通した1996年頃、だから亮介の行く銭湯「海岸浴場」もまだ残っているのだ。ネットで調べると「海岸浴場」は実在するが2002年3月をもって廃業したそうだ。

12月某日
社保研ティラーレで吉高会長、柳子氏、雑賀氏とG-バスター販売の打ち合わせ。確実に売れてはいるようだが、期待していたほどには出ていない。新型コロナウイルスに対して「三密回避は守り」「G-バスターによる滅菌は攻め」という形で営業したらと提案する。1月中旬以降に厚労省記者クラブで記者発表を予定するが、どういった切り口での記者発表にするか、思案のしどころ。

12月某日
河幹夫さんとJRお茶の水駅で待ち合わせ、社会保険出版社で阿部正俊さんの遺稿集の打ち合わせ。印刷会社のキタジマの金子さんが加わる。何とか今年度中の出版に漕ぎ着けたい。河さんと阿部さんの思い出話をする。阿部さんの年譜を整理していて思い出したが私が阿部さんに初めて会ったのは阿部さんが年金局の資金課長で、私が日本プレハブ新聞という住宅業界の記者をしていたときだ。阿部さんが38歳、私が32歳のときだ。今から40年前である。当時の資金課は公的年金の運用を担当していたが、多くは大蔵省の資金運用部へ預託していた。資金運用部から住宅金融公庫や年金福祉事業団を通じて住宅融資が行われていた。住宅資金の担当課長として阿部さんを取材したのだ。一介の業界紙の記者に対しても阿部さんは丁寧に答えてくれた。

モリちゃんの酒中日記 12月その3

12月某日
家にあった「対岸の彼女」(角田光代 文春文庫 2007年10月)を読む。以前に一度、読んだことがあるのだけれど、断片的な記憶しかない。前回はそれほど面白く感じなかったと思うが、今回はとても面白く寝る前に読み始めて明け方まで読みふけってしまった。専業主婦の小夜子は働きに出ることを決意、旅行会社プラチナ・プラネットの面接を受け、採用される。小夜子の仕事は旅行会社の本業ではなく副業の掃除代行業だが、小夜子は個人住宅の汚れに汚れた浴室やトイレの清掃に夢中になっていく。小夜子とプラチナ・プラネットの女社長、葵がビジネスを通じて親しくなりながら、プライベートでも親密さをふかめてゆく。小夜子と葵の現在進行中の章と、高校生時代の葵と親友のナナコの世間から孤絶した友情を描く過去の章が交互に展開される。私はどうも「世間から孤絶」というところに魅かれたようだ。年金生活者としての私は社会とのかかわりは持ちつつも「老兵は死なず消え去るのみ」感を日々強くしつつある。「対岸の彼女」を前回読んだときはバリバリの現役、世間からの孤絶について理解できなかったのかも知れない。

12月某日
次回の社会保障フォーラムの講師をお願いしている日本ワクチン産業協会の今川昌之理事長に面談する。社保研ティラーレの佐藤社長と三越前の福徳神社で待ち合わせ。福徳神社のすぐ前が武田薬品の東京本社であった。仲介の労をとってくれた永井さんが玄関前に迎えに来てくれる。武田薬品の本社ビルは新築のようで受付のインテリアは材木を巧みに配してモダンな雰囲気。会議室で理事長と面談、理事長は武田薬品のグローバルワクチンビジネスユニット日本ワクチン事業部長も兼ねているが一企業にとどまらず、新型コロナウイルスに対するワクチンの開発が日本、世界をつなぐ大きな課題になっていることを熱心に語ってくれた。

12月某日
厚労省1階ロビーで社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。次回の社会保障フォーラムで今年の厚生労働白書について講演をしてもらうことになっている人事課の渡邊由美子調査官に挨拶。地下鉄で霞が関から大手町へ。大手町ファイナンシャルシティビルの地下「蜂の家」で「温野菜たっぷりカレー」をご馳走になる。社保研ティラーレで社会保険研究所の松澤、水野両氏を交え社会保障フォーラムの企画会議。来年2月開催予定のフォーラムの集客が思うようにいっていない現状が報告される。帰りに我孫子駅前の「しちりん」へ。
図書館で借りた「〈階級〉の日本近代史-政治的平等と社会的不平等」(坂野潤治 講談社メチエ 2014年11月)を読む。明治政権を財政的に支えたのは地租である。江戸時代の年貢が地租に置き換わった。ただ年貢は生産物(米)に対する課税だったのに対し地租は土地の価格に対する課税であった。フロー(年貢)とストック(地租)に対する税の違いである。ということは米の価格が上がっても(インフレ)になっても税(地租)は変わらないから農民(地主)はインフレを歓迎した。地主階級を支持基盤とした自由党(後の政友会)はインフレ政策に走りがちであった。都市のブルジョア階級を主な支持基盤とした憲政会(後の民政党)はインフレ政策に警戒的であった。1925年に普通選挙制が実現し25歳以上の男子にはすべて選挙権が与えられた。男子だけではあったが政治的な平等が実現した。日本共産党は非合法化されていたが、社会民主主義を掲げる社会大衆党などの無産政党も衆議院に議席を持つようになる。私たちは戦前を軍部やファシストが支配し、民主主義勢力を弾圧した「暗黒時代」と捉えがちだが、少なくとも1937年7月の日中戦争勃発までは、日本でも民主主義勢力は活発に活動していた。坂野先生はそのことを資料を駆使して活写する。

12月某日
神田駅南口の「〇喜(まるよし)」という店で17時45分から呑み会。出席者は社会保険出版社の高本社長、フィスメックの小出社長、社保研ティラーレの佐藤社長と年友企画の岩佐愛子さんと私。この店は老舗おでん屋の「尾張屋」の隣。3時間呑み放題コースで4000円は安いのか高いのかよくわからない。終ってもまだ9時前だったので近くの「葡萄舎」に全員で顔を出す。この店に行くのは久しぶり。店主のケンちゃんも元気そうだった。

12月某日
角田光代の「紙の月」(ハルキ文庫 2014年4月)を図書館で借りて読む。本作は2007から08年にかけて静岡新聞など地方紙に連載されたものを大幅に加筆・訂正し2012年3月に角川春樹事務所から単行本として刊行されている。2014年には吉田大八監督、宮沢りえ主演で映画化された。ストーリーをごく単純化すると「平凡な主婦の梅澤梨花は銀行のパートとして働きだす。東京郊外の町田周辺の農地を売却した裕福な高齢者に対して梨花の誠実な営業は顧客を拡大させてゆく。フルタイムのパートに昇格した梨花は有力な顧客の孫、光太と知り合う。光太の自主映画製作費を一部立て替えたことをきっかけにして梨花の巨額横領が進行してゆく」となる。この小説は犯罪小説と同時に恋愛小説である。私は同時に貨幣とは何か、信用とは何か、家族とは何かを考えさせる哲学小説でもように思えた。

12月某日
伊集院静の「三年坂」(講談社文庫 2011年11月)を図書館で借りて読む。巻末の「あとがき」の日付は平成元年(1989年)7月で、当時の伊集院の心境を知ることができる。この4年前に伊集院は妻(女優の夏目雅子)をがんで亡くし創作から遠ざかろうとしていた。小説を書くように仕向けてくれたのは作家の色川武大であった。この短編集には表題作はじめ6編の短編が収録されている。私は初めて知ったのだが、そのうちの「皐月」がデビュー作となった。おそらく講談社の小説誌「小説現代」に掲載されたのだろう。色川武大も1989年に60歳で亡くなっている。妻を早くに亡くし敬愛する作家も見送らざるを得なかったことが、伊集院の作風に陰影を深くさせているのかも知れない。私は「水澄(みずすまし)」という短編が一番好きですね。大学を中退して幾つかの職を転々とし、妻子とも別れ今はゴルフ場の会員権のセールスマンが主人公。セールスに疲れ公園で休んでいると草野球のメンバーが集まってくる。ピッチャーが欠けたままだ。男は自分から「その人が来るまで投げましょうか」と声を掛ける。男は甲子園を目指す球児だったが県の決勝戦で敗退、不祥事を起こしプロへの道も絶たれてしまう。たまたま巡り合った草野球で男は好投し連敗続きのチームを救う。これは男の再生の物語だ。伊集院の妻の死から再生してゆく姿と二重写しになってくるのだ。

モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
「帝国と立憲-日中戦争はなぜ防げなかったのか」(板野潤治 筑摩書房 2017年7月)を読む。本書で坂野先生が言いたかったことは明治維新以降、日米開戦に至るまで日本の政治過程は「立憲」勢力と「帝国」勢力がせめぎ合い、ときには前者が後者を圧倒しまたときには後者が前者を圧倒するという繰り返しであったということだろうと思う。そして結局は前者は後者によって駆逐され、日本はファシズムへの道をたどる。中国大陸への侵略から太平洋戦争、敗戦へと至るわけだ。翻って現代の日本はどうか? 天皇主権の明治憲法下の戦前と国民主権の現憲法下の現代はもちろん全く異なる政治体制にある。しかし安倍一強体制から菅体制になって新「帝国」勢力が圧倒的に力を持ち出しているように私には思える。菅政権は自民党の岸田派、石破派以外の各派閥から支持を得て成立した。このことは逆に党内から政権に対して異を唱えることを許さない雰囲気を醸成していないか? 以前の自民党は党内反主流派に元気があった。政権交代はなかったが、党内で疑似政権交代を繰り返していた。自民党内で「立憲」勢力と「帝国」勢力が拮抗していたのである。私としては自民党内の「立憲」勢力としての宏池会(岸田派)に少しばかり期待しているのだけれど。

12月某日
「三体」(劉慈欣 早川書房 2019年7月)を図書館で借りて読み始める。人気があるらしく裏表紙に「読み終わったらなるべく早くお返しください」という黄色い紙が貼られている。文化大革命のさなか、紅衛兵による知識人への糾弾闘争の場面から物語は始まる。1967年の北京である。それから時代は40数年後の現代中国に舞台は移る。これから小説は一気にSF小説となってくる。それで私は急速に興味を失ってしまう。SFは苦手なんだよ。明日、この本は図書館に返却しよう。待っている人がいるのだからね。
だもんで、やはり図書館で借りた「はじめての文学」(文藝春秋)の桐野夏生(207年8月)の巻を読むことにする。「はじめての文学」は村上春樹、よしもとばなな、浅田次郎、山田詠美などの現代の人気作家を12人選び、12巻として刊行したもの。桐野の巻には6作が収められている。うち半分の3作は既読だったがやはり面白かった。桐野は巻末の「小説には毒がある」という短文で「毒」にこそ小説の魅力はあると書いているが、桐野の小説の魅力はそこにある。読者としては読書を通して得難い体験をしてしまう。桐野は「使ってしまったコインについて」の解説で「もしかすると、自分が社会のアウトサイダーなのではないか、という怯えと、アウトサイダーを排する社会への怒りは、私の作品に繰り返し表れる主題でもあります。その原形がここにも表れているのでしょう」と書いている。納得である。

12月某日
家にあった向田邦子の「無名仮名人名簿」(文藝春秋 2015年12月)を読み返す。私は1970年代の後半だったと思うがテレビドラマ「だいこんの花」のファンで毎週欠かさず見ていたように思う。父親役が森繁久彌で独身の息子が竹脇無我、当時のホームドラマでは珍しい枯れたユーモアに魅かれたのだろう。この脚本が向田の手によるものと知ったのは後のことである。1980年に向田が直木賞を受賞し翌年航空機事故で急逝したころ知ったのかも知れない。「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」とは向田の直木賞受賞に際して山本夏彦が書いたものの中にあるそうだが、私も実に同感である。「無名仮名人名録」には32編のエッセーが収められている。初出が何時どこに発表されたのかの記載がされていないのが残念である。私は冒頭の「お弁当」が最も気に入っている。向田が小学4年生の頃である。向田は昭和4(1929)年の生まれであるから昭和10年代前半であろうか。転校した鹿児島の小学校のすぐ横の席の女の子が茶色っぽい漬物だけがおかずの貧しいお弁当を食べている。ある日、向田がその漬物を一切れ分けてもらうとこれがひどくおいしい。女の子は学校帰りに家に寄れ、漬物をご馳走してあげるという。彼女が向田を台所へ連れて行き黒っぽいカメの上げ蓋を持ち上げたとき、「何をしている」と怒鳴られる。働きに出ていたらしい母親が帰ってきたのだ。「東京から転校してきた子が、これをおいしいといったから連れてきた」というようなことを言って彼女は泣きだした。母親は向田をちゃぶ台の前に坐らせ、漬物を振舞ってくれたという話が紹介されている。向田の父親は生命保険会社に勤め当時の典型的な中流家庭であった。だがときは戦前である、現在のように9割が中流ということなどありえなかった。向田の描くホームドラマの舞台は中流家庭である。だが向田の視線は遥か戦前、鹿児島の貧しい食卓もとらえている。向田のドラマが庶民の心をとらえる所以であろう。

12月某日
向田邦子の小説を読みたくなって図書館で「隣の女」(文春文庫 2010年11月)を借りて読む。表題作を含めて5編の短編が収められているが、ストーリー仕立ての巧みさや古風ともいえる文体の意外な艶っぽさに感心する。向田は田辺聖子や瀬戸内寂聴、林真理子とは違った女流作家として大成していたと思われる。本書は単行本が昭和56年10月に出版されている。向田が飛行機事故で亡くなったのが同年8月、本書に収められた「春が来た」が絶筆となった。向田作品では幸福の絶頂にある家庭は描かれない。かといって不幸のどん底にある家庭も描かれない。不幸と幸福がない交ぜとなった家庭が描かれる。「春が来た」の主人公は化粧映えのしないOLの直子。若手サラリーマンの風見と恋仲になるが、見栄を張って父は広告会社の重役、母は行儀作法にやかましく、家は庭付き一戸建てと小さなうそをつく。デートの最中、足を捻挫した直子は風見に家へ送られ嘘は露見してしまう。しかし風見は「見栄をはらないような女は、女じゃないよ」と優しい。風見は直子の家にちょくちょく遊びに来るようになるが、それまで身なりに気を使わなかった母親が化粧をするようになったり直子の家族は変わり始める。二人の恋は実らず直子の母親もクモ膜下で急死する。母の初七日が終わった頃、直子はばったり風見に会う。「みんな元気?」と問われ、実は母が、と言いかけて直子は口を噤む。この人のおかげで、束の間だったがうちに春が来たのだ。「元気よ、みんな元気」と直子は答え、自分でもびっくりするような大きな声で「さようなら」を告げる。幸せは長続きはしない、かといって不幸せも長続きしないのである。これが普通の庶民にとっての日常であり願望なのだ。向田はそこを巧みに描くのである。

モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
島田療育センターで河幹夫理事長に面談、今年亡くなった阿部正俊さんの遺稿集について相談する。阿部さんが残した何冊かの著作をもとに編集することで一致、今年中に私が阿部さんの著作を読んで、大まかな台割を作成し年明け後、ご遺族に提示できればと思う。ところで島田療育センターは多摩センターにあるのだが、本日は大手町から丸ノ内線で霞が関へ、千代田線に乗り換え代々木上原で小田急へ、新百合ヶ丘から小田急多摩線で多摩センターへという乗り換えを繰り返した。河さんによると京王線が都営新宿線と乗り入れているので、「それの方が便利じゃないの」ということなので帰りは京王線にする。確かに岩本町まで一本で行けるのでこの方が便利。秋葉原から山手線、上野から常磐線で我孫子まで帰る。昼飯を食べ損ねたので駅前の「しちりん」でホッピーとつまみを少々。
帰りの電車の中で「悪党芭蕉」(嵐山光三郎 新潮文庫 平成20年10月)を読み終わる。直近の酒中日記で「嵐山は作家、エッセイストと紹介されることが多いが、私に言わせると『雑文家』というジャンルこそふさわしい」と書いたが、「悪党芭蕉」は雑文などではなく嵐山が丁寧に史料を読み解きながら、作家の想像力によって芭蕉の実像に迫った伝記風ルポルタージュである。私には芭蕉は江戸時代の俳人というイメージしかなかったのだが、この本を読んでイメージが大きく変わった。芭蕉が故郷の伊賀上野から江戸に出てきたのは29歳、寛文12(1672)年である。当初は河川工事の専門家として神田川の工事に携わった。嵐山は「神田川工事は、芭蕉の余技ではなく、本職であった。むしろ俳諧の方が余技であった」としている。もちろん徐々に俳諧の方が本職になっていくのだが、江戸時代の俳諧師はたんなる俳句のお師匠さんではない。句会を催しスポンサーをまわり、句集を出す。芭蕉の場合はこれに全国各地への吟行と、それをもとにした「奥の細道」などの紀行文の執筆が加わる。イベントとしての句会を開催し、スポンサーをまわるなどは現在でいえば広告代理店である。嵐山はマルチ人間としての芭蕉にみずからを投影したのかも知れない。

12月某日
社保研ティラーレの佐藤社長と南青山の一般社団法人未来研究所臥龍に香取照幸代表理事を訪問。香取さんは厚労省からアゼルバイジャン大使を経て上智大学の総合人間科学部の教授に就任し、一般社団法人も立ち上げた。香取さんには2月の地方議員向けのフォーラムでの講師をお願いする。香取さんから一時間ほど我が国の社会保障の現状についてレクチャーを受ける。熱を込めて語るその姿はさながら「憂国の志士」であった。私としては亡くなった荻島國男さんや竹下隆夫さんの話が出来てうれしかった。

12月某日
「ママナラナイ」(井上荒野 祥伝社 令和2年10月)を読む。10編の短編が収録されている。祥伝社のWEBマガジンンに連載されたもので帯に曰く「この世に生を享け、大人になり、やがて老いるまで―ままならぬ心と体を描いた美しくも不穏な、極上の10の物語」。「不穏な」という形容がそれぞれの短編にふさわしいように思う。「約束」という1編を除いては。高校生の篤を主人公にした「約束」私には爽やかな青春小説と読めた。劣等生の篤は優等生の皐月から生徒会長への立候補を要請される。立候補して当選したら「セックスしてもいい」という皐月の「約束」もあり、篤は立候補する。勉強もできて常識のある生徒を当選させたい教師は篤に立候補の辞退を迫る。演説会で篤は「俺が生徒会長になるなんて絶対無理だからやめておけと言われました。そのかわりに副会長に立候補しろって。むかつきませんか? 俺はむかついたよ。だからいやだって言った…」と暴露する。大きな歓声、拍手。これはまぁフランス革命のようなもの、教師の横暴に劣等生が立ち上がったのだから。そうかそういう意味では、この「約束」も「不穏」なのかもしれない。

12月某日
「三度目の恋」(川上弘美 中央公論新社 2020年9月)を読む。力作であり意欲作、だろうと思う。梨子は2歳になる前に将来の夫となるナーちゃんに会い、一目惚れする。ナーちゃんは女性にも優しく結婚後も女性の影が絶えない。ナーちゃんとの結婚生活を送る中で梨子は長い夢を二つ見る。一つは江戸時代の吉原の遊女、春月となり馴染みの客となった高田と恋に落ち駆落ちする夢。もう一つは平安時代のやんごとなき姫君の女房となり、いくつかの情事を経験する夢。もう一方でこの物語の核となるのは梨子が小学生の時の用務員、高岡との出会い。梨子も高岡も夢か現実か分かつことができないシーンで時空を超越し、過去と現在を行き来する。古代から現代まで人が人を恋するという意味では恋愛の意味は変わらないのだろうが、その形態はずいぶんと変化している。平安時代の貴族社会では男が女の家に通う「妻問い婚」が普通だった。というようなことを思い起こさせたり、不思議な読後感であった。

12月某日
忘年会の呼びかけで本郷さんと水田さんとJR大塚駅で待ち合わせ、15時ちょうどに改札口付近に集合。南口周辺を軽く散策、「築地銀だこ大塚駅南口店」に入る。この3人は年齢もバラバラ(一番年長が本郷さんで73、4、次が私で72、一番若いのが水田さんで60代)、職歴もバラバラ(本郷さんは石油商社、水田さんは塾の講師、私は零細出版社)、出身大学もバラバラ(本郷さんは中大、水田さんは北大、私は早大)である。共通点というと3人とも年金生活者であることと3人とも全共闘体験があること。だから話はどうしても政治的な色彩を帯びやすい。本日も主な話題は新型コロナと菅政権批判であった。

モリちゃんの酒中日記 11月その4

11月某日
図書館で借りた「私はスカーレット Ⅲ」(林真理子 小学館文庫 2020年10月)を読む。原作はもちろんマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」で登場人物もほぼ踏襲している(と思われる。何しろ原作を読んでいない。ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブル主演の映画は何度か観たけど)。主役のスカーレットが語り手になっているのだけれど、高慢で自信家というその性格がたいへん巧みに描かれていると思う。女流作家としての林真理子の力量が十分に発揮されている。Ⅲでは南部の大都会アトランタに出て来たスカーレットが、北軍の迫るアトランタで臨月のメラニーを支えながら故郷のタラに脱出する様子が臨場感たっぷりに描かれる。実際の南北戦争は1961年から65年まで4年間戦われ北軍の勝利に終わる。1968年1月の鳥羽伏見の戦いに始まって翌年の五稜郭の戦いで終わった日本の戊辰戦争に比べるとスケール感が違うと言わざるを得ない。タラではスカーレットがたどり着いた前の日に最愛の母が死んだことが明らかにされ、大勢いた奴隷の多くも逃亡してしまっている。荒廃した故郷で妻を失って茫然自失の父を抱え、「どうする!スカーレット」-第4巻が楽しみである。

11月某日
嵐山光三郎の「『下り坂』繫盛記」(2014年7月 ちくま文庫)を読む。嵐山は作家、エッセイストと紹介されることが多いが、私に言わせると「雑文家」というジャンルこそふさわしい。これは何も貶めているわけではない。「雑」という意味には「何にも属さない」という意味があって(個人の意見です)、雑誌のコラムなども私の分類では雑文に入る。サンデー毎日の「満月雑記帳」(中野翠)、「抵抗の拠点から」(青木理)、週刊文春の「夜ふけのなわとび」(林真理子)、「本音を申せば」(小林信彦)など私の愛読する雑文です。中野や林はどちらかと言えば軟、小林はどちらかと言えば硬、青木ははっきり硬派である。昭和の終わりごろだと思うが「情報センター出版局」という出版社から椎名誠の「さらば国分寺書店のオババ」という本が出版され、以降この出版社から村松友見の「私、プロレスの味方です」など数々の雑文の名作が生み出された。雑文家には雑誌の編集者出身が多いように感じる。嵐山は平凡社で「太陽」の編集長だったし、小林も確か「ヒッチコックマガジン」の編集者ではなかったか。雑文家と雑誌、雑の字が共通しているでしょう。どれはともかく、嵐山は國學院大學で日本の古典文学を専攻、平凡社に入社、40前にフリーとなっている。本書は文庫化される前に2009年に新曜社から単行本として出版されている。とすれば収録されている雑文が執筆されたのは2000年代初頭、1942年生まれの嵐山が60代に入った頃から60代後半にさしかかった頃である。人生が下り坂になり始めた頃の執筆、だからタイトルが「『下り坂』繫盛記」なのです。

11月某日
数日前に堤修三さんから「来月19日に72歳を超え云々」というメールをもらったので「私は11月25日が誕生日で50年前の11月25日には三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で自決しました」と返信した。今日25日に堤さんから「祝・72歳!誕生日は禄でもない日だったのですね(笑)」というメールが来た。次いで山田風太郎の「人間臨終図鑑」から72歳で死んだ人々を列記してくれた。古くは孔子、西行、水戸光圀、新しいところでは棟方志功、船橋聖一、ジャン・ギャバン、ジョン・ウエインなどなど。そうか、私もそういう年齢になったのか…。

11月某日
神田の「ゐくよ寿司」で社保研ティラーレの吉高会長、佐藤社長、社会保険旬報の谷野編集長、税理士の琉子さんとランチミーティング。社会保険研究所のエレベーターホールで全国社会福祉協議会の古都賢一副会長と待ち合わせ、谷野編集長に面談。社保研ティラーレで吉高会長、琉子さん、雑賀さんと除菌システムG-バスターの販売会議。雑賀さんはG-バスターの販売代理店で営業担当だが商品知識も豊富、雑賀さんにG-バスターのスポークスマンになってもらったらいいと思う。17時過ぎに古都さんと鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」へ。遅れて元日航のキャビンアテンダントの神山さん、「ふるさと回帰支援センター」を手伝わされている大谷さんが来る。古都さんは元厚労省で全社協に来るまでは国立病院機構の副理事長をしていた。役人ぽくないのが魅力だ。

11月某日
図書館で借りた「わたしに無害なひと」(チェ・ウニョン 亜紀書房 2020年4月)を読む。やはり図書館で借りた「優しい暴力の時代」(チョン・イヒョン)が面白かった。両方とも現代韓国の女流作家の作品だ。「わたしに無害なひと」には七つの短編が収められている。タイトルは「告白」という短編の「ジニと一緒にいると、ミジュの心にはそういった安堵感がゆっくりと広がっていった。あなたは私にとって無害な人なのよ」という文章からつけられている(と思う)。チェ・ウニョンは1984年生まれというから今年36歳、私からすれば子供のような年齢だが、異性間や同性同士の愛情や友情を「関係性」という視点から丹念にえがいているように思う。最後の「アーチディにて」もちょっと変わった小説だ。語り手はブラジル生まれのラルド。大学を中退した引きこもり気味の青年だ。ひと夏の恋の相手だったアイルランド娘を追ってダブリンへ。当然のように拒絶されたラルドは帰国すべくダブリン空港でブラジル行きの飛行機の窓側に座る。二度とアイルランドの地を踏むことはないと思って。しかしアイスランドの火山噴火によって事態は一変、ダブリン空港は十日間の閉鎖を余儀なくされる。有り金も乏しくカードも停止されたラルドはダブリンからバスで3時間以上かかる人里離れたアーチディの果樹園でアルバイトをする羽目に。そこで出会うのが韓国で看護師をしていたハミンだ。ラルドとハミンの交情(恋愛未満友情以上)がテーマなのだが、ここでも異郷(アイルランド)における外国人(ポルトガル語を母国語とするブラジル人と韓国語を母国とする韓国人)同士の「関係性」が重要なカギとなるのだ。

11月某日
朝日新聞朝刊(11月26日)で「日没」(岩波書店)の作家、桐野夏生氏がインタビューに答えていた。学術会議の菅首相による任命拒否問題や「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」などを挙げて記事は「そんな雰囲気にあらがうかのように、精力的に発言を続け、小説に書く。それはなぜなのか」と桐野氏に問いかけると、氏は「ださいと思われるかもしれないし、攻撃されるかもしれない。けれど、いま言わないと後悔する。怒りがこみ上げて憤死しそう」と答える。それはそれで私は100%桐野氏を支持する。だが小説の結末について氏は語る。「最初はうまく逃げおおせて、その体験を書いている、というエピローグにしようかと思っていた。けれど、近年の状況をみていて絶望的な気持ちになった。ちょっとそれは違うな、と」。私は「え!」と驚く。主人公は逃げおおせたものと私は理解していたのだ。改めて「日没」の結末部分を読む。施設から逃れた主人公は逃亡をほう助者の自転車から降り、「早く行けよ」と促される。「私はゆっくりと荷台から降り、おむつを着けた不格好な姿のまま、よたよたと崖の方に近付いていった」。まぁ主人公は崖から飛び降りると考えるのが妥当なところだろう。私は主人公は「逃げおおせる」と誤読していたわけね。誤読したのは読者たる私の責任が100%なことは間違いないし、私は映画でも小説でも作家の意図と違った解釈をすることがままある。それはそれでまっいいかと思っています。

モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
社保研ティラーレにあった「サンデー毎日」の11月1日号を貰ってくる。新聞は日付が変わるとあまり読む気がしない。私の中高生時には弁当箱を包むのに新聞紙を用いていたが、現在はそのように新聞紙を用いる家庭もないだろう。古紙回収でトイレットペーパーと交換されるのが関の山である。その点、古雑誌は面白い。発刊当時は見落としていたコラムを読んだりすると意外なことを教えられたりする。さてサンデー毎日の11月1日号では書評欄「サンデーライブラリー」のコラム「本のある日々」に注目。この欄は村松友視や小林聡美らが交代で執筆しているのだが、今回は小林の番。小林は「大阪弁ちゃらんぽらん(新装版)」(田辺聖子 中公文庫)をとりあげ、「田辺さんの解説で大阪弁のおちゃめな猥雑さがひときわ輝く」と評していた。田辺ファンの私ではあるが「大阪弁ちゃらんぽらん」は未読であった。我孫子市民図書館の蔵書を検索すると文庫ではなく「田辺聖子全集」の15巻に収録されていた。「ああしんど」「あかん」「わや」「あほ」「すかたん」などの大阪弁に田辺流の解説を加えていく。「あほとすかたん」の項で田辺先生は「大坂のあほは、これは私の長年の持論であるが、『マイ ディア…』という感じで、親愛をこめた、ぼんやりした雰囲気の言葉である」と書いている。私は田辺先生の名作「夕ごはんたべた?」を思い出す。これは今から半世紀ほど前の作品で、尼崎下町の開業医、三太郎一家の高校生の息子が過激思想にかぶれ、一家が引っ掻き回されるまぁ「ユーモア長編」である。その小説の終わり近く三太郎は連合赤軍事件に触れて、「阿呆な奴らやなあ、永田洋子らは、首くくって死んでしもた森恒夫は」と述べ、「この『阿呆』はむろん罵声ではない。…いたましさのあまりの『阿呆』である」と続けている。田辺先生の想いは深く鋭いのである。古サンデー毎日に勉強させてもらいました。

11月某日
柳美里の小説「JR上野駅公園口」が全米図書賞を受賞した。この小説は読んだ覚えがある。福島県浜通り出身の出稼ぎ農夫が主人公で、出稼ぎ続きの人生で故郷に落ち着くことがない。糟糠の妻にも死なれ確か東日本大震災の津波で娘は流される。最後は主人公は上野駅の長い鉄橋から身を投げて死ぬのではなかったろうか?救いのない小説ではあるけれど読み終わった後味は悪くない。きっと作者柳美里の主人公や震災被災者に対する温かい眼差しが感じられるからではなかろうか。柳美里さん、おめでとう!

11月某日
田辺聖子先生の「大阪弁ちゃらんぽらん」を読了。小説家は言葉を扱う職人であると私は思っているが、田辺先生はまさにその通りの人ではないか。言葉とは文化なのである。大阪弁はまさに浪速の文化なのだ。日本学術会議の任命拒否問題で「総合的、俯瞰的な観点から」と壊れたレコードのように繰り返す菅首相は学術や文化に対する尊敬の念がないのではないか。田辺先生も草葉の陰で泣いていよう。「大阪弁ちゃらんぽらん」に戻ると挿絵が灘本唯人でこれがまたいい。たとえば「えげつない」の項の挿画はストリップ劇場の舞台で「御開帳」をしている踊子の姿を後ろから描き、正面にそれをのぞき込む禿げたサラリーマンを配する。うーん、えげつない!

11月某日
図書館で借りた「日本近代史」(坂野潤治 ちくま新書 2012年3月)を読む。新書版で400ページ以上あるので読み終わるのに1週間くらいかかってしまった。ちなみに坂野は今年10月に亡くなっている。坂野は1937年生まれで60年安保のときは全学連の指導部の一人だったらしい。6月15日に国会南通用門あたりで亡くなった樺美智子は東大国史学科の後輩にあたるのではないか。本書は第1章改革1857-1863、第2章革命1863-1871、第3章建設1871-1880、第4章運用1880-1893、第5章再編1894-1924、第6章危機1925-1937の6章で構成されている。日本史は中学生の頃から私にとってはほとんど唯一の好きな学科で、なかでも幕末以降の日本近代史は現在と直接地続きとなる事柄、事件も多く興味を抱いていた。とは言え今回、坂野の「日本近代史」を読んで初めて知ったことも少なからずあった。私如きが言うのもなんですが坂野こそ「碩学」という名にふさわしい。第1章改革では西郷隆盛を高く評価している。尊王攘夷論を有力藩主と各藩有志者の「合従連衡」により勤王倒幕へと導いた力量を評価してのことである。第2章革命では倒幕側の改革派と保守派に焦点を当てる。改革派は薩長土の下級武士であり、保守派は「公武合体」路線の藩主層である。戊辰戦争を経て廃藩置県が進められると自ずと保守派は後景に退かざるを得なくなる。第3章建設では維新政権内で韓国や清国への外征派が没落し、大久保利通らの「富国派」が台頭し、西南戦争の勝利により、「富国派」の殖産興業中心の時代となることが描かれる。第4章運用では自由民権運動や国会開設の請願運動を農民の政治参加、地租改正などを背景に論じていく。第5章再編では日清、日露戦争を通じて帝国主義国家としての膨張とそれにともなって社会が再編されていく様が描かれる。日露講和反対運動は、9月5日の調印の日から10月4日の枢密院による条約批准の日まで1カ月続く。これを坂野は1960年の5月19日から6月18日にかけての安保反対運動と重ね合わせ「真暗で一人の議員もいない議事堂を、10万とも20万とも言われる学生とともに取り囲み、何もできないまま改定安保条約の自然成立を迎えたあの夜の挫折感が、50年の歳月を経て蘇ってくるのである」と書く。第6章危機では政友会と民政党の二大政党時代から美濃部達吉の天皇機関説事件、満州事変、5.15事件、2.26事件を経て日本が日中戦争に突入していくことを明らかにしていく。大正デモクラシーの頃は言わば定説となっていた天皇機関説が社会の軍国主義化、ファッショ化が進む中で排撃されていく。しつこいようですが、これは菅首相の日本学術会議の任命拒否問題につながると思うよ。

11月某日
「ワカタケル」(池澤夏樹 日本経済出版 2020年9月)を図書館から借りて読む。池澤夏樹は現在、朝日新聞朝刊に連載小説「また会う日まで」を連載している。戦前の海軍軍人が主人公の小説でこれがなかなか面白く、毎朝楽しみにしている。というわけで「ワカタケル」も図書館にリクエストしていたのだ。タイトルのワカタケルは第21代天皇の雄略天皇のことで5世紀に大和地方に実在した。池澤は古事記や日本書紀を底本にしてこの小説を執筆したと思われるが、私は実に面白く読んだ。古墳時代が舞台となるがこの頃の日本は、まだ神々と人間の接点が色濃くあった。小説にも倭の初代大王カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)やタケノウチ(武内宿祢)の亡霊がワカタケルと交流したりする。男女の関係も開放的でワカタケルも正式の妃以外の多くの女性と交合する。考えてみると一夫一婦制が日本に浸透したのも明治以降だからね。欧米のキリスト教の影響と思われる。万世一系の天皇制というけれど、一夫多妻制だから維持できたともいえる。この小説で面白いのは朝鮮半島の新羅、百済、高句麗、中国大陸の宋など東アジアの情勢と倭=大和政権との関係にも触れていること。なかでも朝鮮半島からの渡来民が政権およびこの島国の文化に大きく貢献したことを評価している。たぶん古事記や日本書紀においてもそのような記述がみられるのではないかと思われる。日本人の多くが中国大陸や朝鮮半島を侵略の対象とみなすようになったのは明治以降、それまでは文明先進国として尊敬していたのだ。著者の池澤夏樹は福永武彦と詩人の原條あき子の間に生まれ、離婚後、原條が再婚した池澤喬の池澤姓を名乗っている。
私は池澤喬さんに30年以上前だけれど会ったことがある。産経新聞の記者出身で当時、コーポラティブハウジングを推進する会の代表幹事だった。「今度、芥川賞をとった池澤夏樹の義理のお父さんだよ」と噂されていた。「ワカタケル」とはなんの関係もないけれど。