モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
昨日、汐留の高層ビルの本屋で買った「JR品川駅高輪口」(柳美里 2021年2月新装版初版)を読む。巻末に「本書は2012年10月に単行本『自殺の国』、2016年11月に河出文庫『待ち合わせ』として弊社より刊行されました」とある。同じ著者の「JR上野駅公園口」が昨年11月に全米図書賞を受賞したことから、それにあやかって改題したのかと思っていたが、著者の「新装版あとがき 一つの見晴らしとして」を読むと違う構図が見えてくる。もともと著者は「JR上野公園口」などの連作を「山手線シリーズ」として構想していたが、担当編集者の独立した一つの作品として読まれたほうがいいのでは、という助言を入れて駅名をタイトルとすることは断念した。しかし「JR上野駅公園口」の受賞を機会に当初の構想通り駅名をタイトルとしたということだ。「JR上野駅公園口」は常磐線の起点となる上野と福島浜通り相馬に生まれた出稼ぎ労働者の悲劇的な交錯を描いた秀作だった。一方、「JR品川駅高輪口」は高輪口に近い住宅地に住む女子高校生が主人公。生活も意識も出稼ぎ労働者とは全く異なる。しかし二人はともに家族や共同体、社会から孤立していくということで通底しているのだ。孤絶とそれからの回復は、東日本大震災後、被災地の南相馬に移住して本屋を営む柳美里のテーマなのだろう。

2月某日
「金融政策に未来はあるか」(岩村充 岩波新書 2018年6月)を読む。先週「ドキュメント日銀漂流」を読んだ流れである。現代の金融は私にとって複雑怪奇、本書も日本語で書かれているから読むことはできても解することは難しい。例えば自然利子率。著者によれば現在時点における未来への期待ということなる。未来への期待が大きければ金利は上昇し、未来への期待が小さければ、あるいは不安が大きければ金利は下降するということであろう。日本も含めて先進国は超低金利、ゼロまたはマイナス金利である。私たちが未来に期待を持てない結果だとすればその通りなのだが。岩村充は東大経済学部卒、日銀を経て現在、早稲田大学教授である。この本一冊しか読んではいないがなかなかの理論家である。

2月某日
社会保険出版社の入居しているビルの1階ロビーで香川喜久恵さんと待ち合わせ。印刷会社キタジマの金子さんから再校正紙を受け取るためだ。時間通りに金子さんが来る。再校正紙を受け取り私と香川さんは、白山通りをJR水道橋駅方面へ。途中の北京亭で遅い昼食。この店はBSの「町中華で飲ろうぜ」で紹介されていた店だ。私はカレー、香川さんはタンメンを注文。野菜がたくさん入った具だくさんのカレーだったが、私には量が多い。ここら辺は日大経済学部、明治、専修、東京歯科大などの大学や大原簿記などの専門学校も多い。学生の街だからメシの量も多くなるのだろう。水道橋で新宿方面に行く香川さんと別れ私は神田の社保研ティラーレへ。打ち合わせ後我孫子へ、駅前の「しちりん」で軽く一杯。

2月某日
「MMT-現代貨幣理論とは何か」(井上智洋 講談社選書メチエ 2019年12月)を読む。MMTとはModern Monetary Theoryのことで「自国通貨を持つ国は財政破綻することはない」という主張である。この本の出版は2019年の12月であり、コロナ以前である。しかしコロナ以降、日本経済は需要不足に陥り政府は国債の大量発行により資金を調達し、数次にわたる経済、コロナ対策を実施している。昨年実施された国民一人当たり10万円の給付などはヘリコプターマネーそのもののように私には思える。現実の方が理論を追い越したのである。もっとも1920年代の世界大恐慌のおり、アメリカはフーバー大統領のもと大規模な公共事業を実施して恐慌に対峙した。ケインズ主義的な政策を実施したわけだが、当時のアメリカ政府内にケインズ理論の信奉者はいなかったそうだ。私たちは国の借金(国債)と個人の借金(住宅ローンなど)を同じような感覚で捕らえがちであるが、個人の寿命は有限であるのに対して国の寿命は無限である。個人の借金は死ぬ前に始末をつけなければ、借金の貸し手や残された家族に迷惑をかけるが、寿命が無限である(かのように感じられる)国家の場合はそうでもないということになる。

2月某日
「村に火をつけ、白痴になれ-伊藤野枝伝」(栗原康 岩波現代文庫 2020年1月)を読む。村山由佳の「風よあらしよ」を読んで以来、「美は乱調にあり-大杉栄と伊藤野枝」(瀬戸内寂聴)に続く伊藤野枝シリーズだ。「風よあらしよ」も「美は乱調にあり」も伊藤野枝の恋愛や運動との関りに焦点を当てているがこれは小説だから当然であろう。一方、栗原の「村に火をつけ、白痴になれ」は評伝だから彼女の思想にも筆が及ぶ。物騒な「村に火をつけ、白痴になれ」というタイトルは伊藤の小説「白痴の母」と「火つけ彦七」から取られている。障害の子を持つ母が首吊り自殺してしまうのが「白痴の母」、被差別部落出身の彦七が村に火をつけて回り村人にとっつかまるのが「火つけ彦七」である。どちらも救いがない。現代日本で無政府主義はほとんど力を持たないと言っていいかも知れない。だが伊藤野枝や大杉栄が生きた明治末から大正時代はそうでもなかったようだ。大逆事件で死刑になった幸徳秋水は無政府主義者だったし、大杉は幸徳の子分だった。大杉は1917年のロシア革命にもボルシェビキに対して批判的だったらしい。本書には野枝の「いわゆる『文化』の恩沢を充分に受けることのできない地方に、私は、権力も、支配も、命令もない、ただ人々の必要とする相互扶助の精神と、真の自由合意による社会生活を見た」という文章が紹介されている。野枝は辻潤との間に2人、大杉栄の間に5人の子どもをなしているが、大杉の間の子どもは故郷の福岡県今宿村(現福岡市西区)で産んでいる。よほど居心地が良かったのであろう。彼女のアナーキズムの原点には今宿村での暮らしがあったのかも知れない。 

モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
「ドキュメント日銀漂流-試練と苦悩の四半世紀」(西野智彦 岩波書店 2020年11月)を読む。1996年の松下総裁から現在の黒田東彦総裁までの日本銀行の歩みをドキュメント形式で追ったもの。こう書いてしまうと簡単だが、実は内容はそれほど簡単ではない。私はこの本を読んで複雑極まりないグローバル経済のなかでの中央銀行の役割とは何かを考えさせられた。まぁ一般的には物価の番人とか自国通貨の価値を守る使命があるとか言われているけれど、それはそれとしてこの本が追求しているのが、中央銀行の「政府からの独立」である。黒田総裁以降、日銀は政府の要請に従って赤字国債を増発し続けてきた。これによって円安株高市場が続き雇用も高い水準で維持されてきた。外見的にはアベノミクスは成功したかに見える。「2年で2%」の物価上昇を除いては。私の拙い経済学の知識によると、経済成長は労働力人口の伸びと生産性の伸びによって実現される。日本の労働力人口はすでに減少が始まっている。生産性の伸びは先進国の中でも低い方である。何を言いたいかというと金融だけでは一国の経済を維持することはできない、ということである。しかし金融の安定なくして経済の安定もないというのも事実である。この本は専門用語も多く、私にとって読みやすい本ではなかった。しかし知的興味を十分に刺激された本であった。

2月某日
森元首相が東京オリンピック組織委員会会長を辞任した。女性蔑視発言の責任を取ったもの。森首相って小渕恵三の後だっけ。森、小泉、安倍、福田と旧福田派の政権たらいまわしが続き、麻生短命政権の後を受けて民主党内閣が成立。沖縄問題や東日本大震災への対応のまずさあって、民主党政権は鳩山、菅、野田といずれも短命に終わり、第2次安倍政権が8年近くも長期政権を維持した。自民党は大きく分けるとリベラル派としての宏池会(旧池田派)、田中派と反リベラルで国家主義的な旧岸(福田)派に分けることができると思う。森元首相や安倍前首相はもちろん後者。そのなかでも森元首相は古い自民党を代表する人。リベラル派が保守本流の筈なんだけれど、この10年ほどで急速に力を失ってしまったと思う。

2月某日
「業平」(高樹のぶ子 日本経済新聞出版本部 2020年5月)を読む。「小説伊勢物語」という副タイトルがあるから、平安時代の「伊勢物語」に着想を得たものと思われるが、私の古典の知識では在原業平を主人公にした物語しか思い浮かばない。日本経済新聞の夕刊に連載されたもので、その折の挿絵(大野俊明画伯)の一部も本書にカラーで収録されている。さて何の知識もなく読み始めた「業平」であるが、私には大変面白かった。在原業平という人は平城天皇の息子である阿保親王と桓武天皇の孫である伊都内親王の間に生まれた。皇統の血筋なんですね。しかし世は藤原氏が権力を握り始めた頃で業平は権力の主流を歩むことはなかった。とは言え右近衛権中将まで昇進しているから、それなりの出世はしている。業平は官人としては武官の道を歩んだ。和歌の名手で色好みということからすると文弱のイメージがあるが、弓や乗馬も巧みだったようだ。伊勢物語は歌物語であると同時に当時の宮中の恋物語でもある。業平は後に天皇の妻となる人や皇族で伊勢神宮の斎宮を務める女性とも「共寝」する関係を結ぶ。「共寝」って要するに性交渉があったということ。業平がいた頃の9世紀の恋愛観や結婚観は、現在とは違っていることに注意が必要だろう。この頃は男が女のもとに通う妻問い婚だった。当時の貴族は寝殿造りという広壮な邸宅に住んでいたから、家のものに気が付かれずそうしたことも可能だったのだろう。むしろ家人は気付いても知らぬふりをしていたか。日本人が一夫一婦制や処女性を重要視するようになったのは明治以降、キリスト教が解禁されてからと言われているしね。昔の日本人は性に対して今よりもおおらかだったのだろう。

2月某日
阿部正俊さんの本の表紙デザインを斎須デザイナーにお願いする。家を出たときから結構な雨が降っていた。紹介してくれる浜尾さんと斎須さんのオフィスのある銀座1丁目の奥野ビル1Fで待ち合わせ。ビルに一歩入ってびっくり。戦前からの建物と一目で実感されるような内装なのだ。浜尾さんと一緒にエレベーターに乗るが、このエレベーターが全手動。素晴らしい。斎須さんのオフィスで打ち合わせ。奥野ビルは銀座アパートメントと言って当時の最先端集合住宅だったそうだ。関東大震災後、同潤会アパートが何棟か建設されたが銀座アパートメントはその民間版なのだろう。斎須さんとの打ち合わせがある浜尾さんを残して私は帰る。帰りは6階から階段で降りた。コンクリートの階段と重厚感のある手すりが素敵であった。銀座線の京橋から新橋へ。共同通信の城さんとカレッタ汐留の本屋で待ち合わせ。この本屋も近く閉店するとのこと。城さんにランチをご馳走になりながら、いろいろな話を伺う。新橋から我孫子へ。我孫子へ帰った頃には雨が上がっていた。

2月某日
「美は乱調にあり-伊藤野枝と大杉栄」(瀬戸内寂聴 岩波現代文庫 2017年1月)を読む。伊藤野枝の生涯を描いた「風よあらしよ」(村山由佳)を読んで野枝という人物に興味を抱いた。で、この小説を読むことにしたわけ。タイトルは大杉の「美はただ乱調にある。諧調は偽りである」という言葉から取られている。「美は乱調にあり」の初出は、「文藝春秋」の1965年4月号~12月号まで連載された。今から半世紀以上も前のことである。小説は「私=瀬戸内寂聴」が野枝の生まれた福岡へ取材旅行に行くシーンから始まる。野枝と大杉が虐殺されたのは関東大震災のあった1923年。執筆当時は野枝の関係者はまだ存命だった。伊藤野枝の二つ下の妹、当時68歳のツタさんの独白が興味深い。もちろん小説であるから、独白をそのまま真実とするのは過ちとしても。野枝は辻潤、大杉と結婚して10年間に7人の子を得ているが、出産のときはいずれも野枝の博多今宿の実家に帰っている。身なりをかまわない野枝に、母親が村のみんなが見ているのだから「髪くらい結ってきたらどうだ」というと「今に、女の髪は、あたしがやっているような形になるのよ。みてなさい」と答えたという。ツタさんは「今になってみれば、たしかに姉の予言通りになりましたからね」と述懐している。野枝には確かに未来を見通す不思議な力が備わっていたのかも知れない。生前、「畳の上では死ねそうもない」と話していてその通りになったしね。

モリちゃんの酒中日記 2月その1

2月某日
我孫子市民図書館でコロナ感染者が出た、ということで図書館は「当分の間、閉鎖」。で自宅にある未読の本を読むことにする。手に取ったのは「戦後入門 加藤典洋 ちくま新書 2015年10月」。この本は家の近くの香取神社で開かれる朝市の古本屋コーナーで入手した。定価は1500円だが、500円くらいで買ったと思う。2年ほど前に買ったのだが新書版で600ページというボリュームから手を出せないでいた。図書館が休館なので挑戦することにする。加藤は「はじめに―戦後が剝げかかってきた」で「先の戦争でこてんぱんに負けた日本は、面白い。私は、この国には世界に平和構築を呼びかける大きな可能性が秘められていると思っています」と述べている。この加藤の想いが強く表れていると思われるのが「第三部原子爆弾と戦後の起源」である。加藤はまず米国における原子爆弾開発の経緯をたどり、次いで原子爆弾の広島と長崎への投下と、その想像を絶する被害に対する米国内および連合国内の反響を記す。これが私には面白かった。私の拙い知識においては日本に対する原爆投下は、日本の敗戦を速め米軍兵士のそれ以上の損傷を防ぐうえでやむを得ないものだった、あるいは真珠湾攻撃に対する報復として、原爆投下はむしろ歓迎すべきだというのが米国世論の大勢であろうというものであった。
しかし加藤によると原爆投下後に、原爆を開発した科学者、世論をリードしてきたジャーナリスト、哲学者、宗教者たちにやってきた感情は「言葉にならない動揺と、虚脱、深い懐疑」だったという。加藤はそれを彼らが残した膨大な回想録や記事、日記などから論証してゆく。原爆投下直後あるいは戦争終結直後から、米国のプロテスタントやカトリックの宗教界から原爆投下に対する批判と懐疑が表明された。米国の代表的な神学者はプロテスタント系の雑誌に「我が国のより冷静で思慮深い階層にとっては、日本に対する勝利は奇妙な胸騒ぎと不満を残すものだった。…我々は日本が我々に対して使用したものよりも恐ろしい武器を彼らに使ったのだ」と書き残している。保守派雑誌の編集長も「歴史上もっとも破壊的な兵器」を老若男女に「無差別に使用」したと記している。「なぜ日本に事前の警告を行わなかったのか。降伏の意志を表明している日本に降伏のチャンスを与えなかったのか」-こうした批判は執拗に続けられた、と加藤は述べる。これらの批判に対して米国政府とその支持者は猛然と反論を開始する。こうした批判が一掃されなければ今後、米国が国際社会のなかで原子力推進の牽引車となることは困難になるからだ。
現代史は現代史だからこそ「思い込み」によって「作られてしまう」可能性がある。コロナもそう。私たちは限られた情報の中であっても、主体的に判断していかなければならない。

2月某日
加藤典洋の「戦後入門」を読み進める。日本は1945年8月、米軍を中心とした連合軍に敗北し第二次世界大戦は終了する。結果、我々は占領軍が起草した平和憲法を手に入れる。そして朝鮮戦争が勃発し、日本は米軍の巨大な後方基地となる一方で米国の対日政策は大きく変化し、米国の要請により日本は再軍備に踏み切る。しかしときの吉田茂政権はあくまでも軽武装にとどめ、経済成長を優先させる。吉田の想いはその後の自民党政権に受け継がれ、日本は高度経済成長を遂げ、国民の生活と社会保障の水準も向上した。池田・佐藤政権は吉田の意図を引き継ぎ、「経済的アプローチによる政治的課題の代替的達成、つまり経済大国化によってナショナリズムの発露をめざすという新路線の確立」に成功する。加藤は池田と佐藤の路線を継承する宏池会、および田中派の経済、外交政策についてはおおむね認める。宏池会、田中派以外の中曽根政権についても同様である。きわめて危ういと危惧するのが安倍政権であり、その思想的バックボーンをなすという日本会議である。安倍政権成立の前、2000年の森内閣のときに起きた宏池会の流れをくむ加藤紘一の「加藤の乱」の挫折により、自民党内の穏健派、親米派、良識派、ハト派の溶解・解体が始まったと加藤典洋は指摘する。その後の首相は、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎といずれも自民党のタカ派ないし非ハト派出身者がなっているとも指摘する。福田康夫は福田元首相の子どもであり、福田派は岸派を継承しているから、系譜的にはタカ派である。私はしかし、福田康夫は思想的にはハト派と見ているけどね。
加藤は「あとがき」で、この本を書くにあたって「私が最も励まされ、教えられたのは、イギリス人のドナルド・ムーアと元編集者の矢部宏冶」の憲法9条論としている。この2人の本は私も読んでみたいと思う。加藤は現実の政治路線として「平和的リアリスト」(平和主義+国際主義)のグループ-このなかにはドーアや矢部も含まれる-と「非武装中立論」(平和主義+一国主義)のグループの連携をはかることを提言する。これには自民党ハト派の一部、小沢一郎の国連中心主義、社民党・日本共産党の平和主義、外務省、財務省、防衛省の一部政治的リアリズム派までが結集できることになる、としている。私ならばこれに宗教界(仏教、カトリック、プロテスタント、創価学会など)の一部を加えたいところだ。現実の国政を見ると自民党と公明党の連立政権が圧倒的多数を占めている。しかし今年の夏までには衆議院選挙は必ずある。後手後手に回る新型コロナ対策、与党議員の相次ぐ不祥事と自公は守勢に立たされている。加藤の政治路線が実現するチャンスである。残念ながら加藤は2019年に亡くなっているのだが。

2月某日
図書館で借りた「風よあらしよ」(村山由佳 集英社 2020年9月)を読む。四六判ハードカバーで400ページを超す大著だが、大変面白く2日余りで読了した。関東大震災の混乱時に大杉栄と大杉の甥、宗一とともに憲兵隊に虐殺された伊藤野枝の評伝小説ということになろうが、それだけにとどまらず明治から大正にかけての日本社会の在りようを、巧みに描いていると思う。作者の村山由佳って恋愛小説家の筈。私は「ダブル・ファンタジー」を週刊文春の連載時に読んだくらい。伊藤野枝と大杉栄を主人公にした小説は瀬戸内寂聴も書いているから、村山由佳はこの小説をきっかけに小説家として変身を遂げるかもしれない。大杉栄は日頃から自由恋愛を唱えていたが、伊藤野枝と出会ったときは年上の妻、保子と暮らしていた。野枝も後にダダイストとなる辻潤と同棲し二人の子どもまでいた。野枝は子どもを辻潤のもとに残し大杉のもとに走った。三角関係、四角関係のもつれから神近市子に大杉が刺されるという日蔭茶屋事件もあったが、野枝と大杉の関係は良好で二人の間には毎年のように子どもが産まれた。二人の愛は本物だったし大杉は子煩悩で家事にも協力的だった。しかし家族だけでなく常に何人かの同志を居候させなければならなかった大杉家の家計は火の車であった。この小説には大杉と野枝の恋愛小説の側面と大杉一家の家庭小説という側面がある。もうひとつ見逃せないのは大正という時代の社会ドキュメントという側面だ。大正12(1923)年、大杉は無政府主義の国際大会に出席するために外遊する。外遊の費用を出した一人が有島武郎である。大杉の帰国の直前に有島は軽井沢で婦人公論の記者と心中していた。そして関東大震災。かねてから共産主義者や無政府主義者の活動に不満を抱いていた憲兵隊の甘粕大尉は大杉、野枝、大杉の甥を検束、大杉と野枝に激しい暴行を加えたうえに虐殺した。扼殺された甥はわずか数えで七歳であった。戦前は暗黒時代という見方がある。大杉らの虐殺事件にはその一面はある。しかし大杉と野枝と子供たちの貧しいが幸せな家庭、彼らを温かく見守る友人や同志のアナキストたち。これらは現代とも遜色ないといえる。むしろ彼らの方が濃密な関係を築き得たとさえ思えるのだ。

2月某日
東京五輪・パラリンピック組織委員会の森会長の女性蔑視発言が波紋を呼んでいる。国内、海外を問わず非難する声が圧倒的、というか擁護する発言は皆無。大杉栄や伊藤野枝が活動していたのはおよそ100年前だが、当時から大杉は幼子をあやしたり、おしめの洗濯をやったりと家事に協力的だった。森会長の意識は100年以上遅れていると言わざるを得ない。こういう人を会長に選ぶというセンスも問題。それ以前にこういう人が内閣総理大臣だったという現実。ミャンマーでは軍のクーデタに対する抗議デモが続いているというし、ロシアでも反プーチンの活動家ヌバリヌイ氏の釈放を求めるデモが続いている。日本でも森会長の辞任を求める抗議デモが必要ではないですか?

モリちゃんの酒中日記 1月その4

1月某日
NHKのニュースで福島県の「上梅田」(かみうめだ)というバス停を採りあげていた。音読みすると「ジョー・バイデン」になるんだって。オバマ大統領が登場したときも福井県の小浜市が人気になった。そうすると大阪の梅田を縄張りとするジョーというチンピラも「ジョー・バイデン」と呼ばれるのだろうか?というようなことをヒマに任せて思っていたら大谷さんから「東洋経済オンライン」に香取照幸さんの執筆記事が載っていると添付記事と一緒にメールが来た。タイトルは「民主主義の危機に社会保障が重要視される理由」「中間層崩壊を防ぐ『防貧』こそ福祉国家の使命」。「東洋経済オンライン」は無料で読める(と思う)ので是非一読を。私が勝手に要約すると「民主主義が機能するためには民主主義の中核を担う安定的な中間層の形成が必要。そのためには市民1人ひとりの活力、自己実現を保障すること、つまりそれを生み出す『市民的自由の保障』が不可欠である」というもの。高度経済成長が続いた時代はそれなりに成長の果実は再分配されていた。だけど現在はどうか?富の集中と分断が進んでいるのではないか?トランプ現象もそれとは無縁ではない。

1月某日
図書館で借りた「昭和の犬」(姫野カオルコ 幻冬舎 2013年9月)を読む。姫野は本作で第150回直木賞を受賞した。滋賀県香良市に住む柏木イクの5歳から、高校を卒業して大学に進学、就職して現在(平成20年12月)までの犬(一部ネコ)とのかかわりを描く、「自伝的要素の強い」(「近所の犬」の「はしがき」)作品である。イクは一人娘で両親が共稼ぎということもあり鍵っ子である。学校から帰ると犬と過ごす時間が多いのである。両親は大正生まれで父は戦後10年もシベリアに抑留されていた。両親の仲は良いとは言えない。むしろ悪い。イクは高卒後、東京の大学に進学したのも、大学卒業後、内定した滋賀県職員にならなかったのも実家に帰りたくないがためである。こんな風に書くと「なんかクライ小説」のように思われがちだが、そこはかとなくユーモアも漂う作品である。

1月某日
我孫子の駅前の居酒屋「しちりん」は15時から店を開けている。坂東バスの停留所「アビスタ前」から三つ目が終点の「我孫子駅」。我孫子駅前の「関谷酒店」で家のみ用のウイスキー「マリーボーン」を買ってから「しちりん」に向かう。カウンター席にソーシャルディスタンスを保ちながら座る。「しちりん」には焼酎の「キンミヤ」1升瓶とウイスキーの「ブラックニッカ」をボトルキープしている。「キンミヤ」でホッピーを呑み、「ウイスキーのソーダ割」に進む。つまみはサービス品の「ショルダーハム」(200円)と「砂肝焼き」(180円)。お勘定は800円であった。我孫子駅前からバスでアビスタ前へ。まだ5時前なのにすっかり暗くなっていた。

1月某日
「空いている」と思って入った近所の床屋が意外に2人待ち。お昼前には散髪が終わるだろうとの予想を裏切り家に着いたのは12時過ぎ。13時過ぎに社保研ティラーレと約束していたので昼飯もとらずに我孫子駅から電車に乗る。14時頃に社保研ティラーレに着いて吉高会長、佐藤社長と雑談。話題はどうしても新型コロナのことになってしまう。2月に予定している地方議員向けの「社会保障フォーラム」への申し込み状況が今一つなのだ。2月10日の会議で結論を出すと聞いて社保研ティラーレを辞す。近所の鹿児島ラーメンの店「天天有」で遅めのランチ。16時に香川喜久恵さんとお茶の水の「山の上ホテル」ロビーで待ち合わせ。少し早めについたので本を読んでいたら香川さん登場。2人で社会保険出版社に向かい、キタジマの営業マンの金子さんから阿部正俊さんの本の初稿を貰う。香川さんとは出版社で別れ、私は金子さんの自動車に乗せてもらって、虎ノ門の「医療・介護・福祉フォーラム」へ。中村秀一理事長と雑談。このところ私の会話の95%は雑談である。現役のときはさすがにこれほど多くはなかったが、それでも65%は雑談であったような気がする。「雑談人生」も悪くない。中村さんと別れて新橋から有楽町に向かい「ふるさと回帰支援センター」の大谷源一さんに面談。エレベーターホールで高橋公理事長に会う。「中村秀一さんがよろしくって」と伝える。大谷さんの仕事が終わるのを待って交通会館地下1階へ。博多うどんの店「よかよか」に行くと18時で閉店との由。近所の「五島」で呑むことにする。五島料理をつまみながらしばし雑談。大谷さんにすっかりご馳走になる。

1月某日
巷で評判の「人新世の『資本論』」(斎藤幸平 集英社新書 2020年9月)を読む。人新世は「ひとしんせい」と読み、「人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツエンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新世」(Anthropocence)と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である」(はじめに)ということである。気候変動と資本主義先進国の帝国的生活様式が地球環境を致命的に破壊するという著者の知見が海外も含めた膨大な研究、学説から立証されていく。著者は最終的にはマルクスの理論、とくに晩期マルクスの理論によって、資本主義的生産様式の転換を訴える。そうなんですよ。本書はマルクス理論による地球革命の書なんです。地球革命とは私の造語ですがトロッキズムや新左翼の呼号する世界革命を超えるものとしての地球革命だ。資本主義経済では地球環境の破壊を救うことはできない。共有地=コモンを取り戻すのがコミュニズムとも主張する。斎藤幸平は1987年生まれ、今年34歳である。若き俊英のこれからに大いに期待したい。私の若いころは晩期マルクスより初期マルクスが好まれたんだよね。「経済学哲学草稿」や「ドイツイデオロギー」などでマルクスの疎外論を学んだ。学んだというのは言い過ぎだね。よく理解しえたとは言えないから。それでも疎外からの解放を「革命の根拠」の一つにしていたような気がする。

1月某日
今月に90歳で亡くなった半藤一利の対談集「昭和史をどう生きたか」(文春文庫 2018年7月)を読む。澤地久枝、加藤陽子、吉村昭ら12人との対談が収められているが、めっぽう面白かった。面白かっただけでなく考えさせられることも多かった。歴史探偵としてまたジャーナリストとしての半藤の面目躍如である。澤地久枝との対談では昭和の軍部が長期的な戦略もなく無謀な戦争に突き進んでいった様子が語られる。「失敗の本質」の著者、野中郁次郎の対談では半藤は「日本の組織にいちばん欠けているのは自己点検による自己改革。さらに言語化。これができないんです」と語っているが、コロナ禍で有効な政策を打ち出しえていない菅政権にも当てはまると思う。菅政権だけに責任を押し付けるわけにはいかない。野坂昭如との対談では「明治、大正と続くなんでも西洋かぶれの近代国家は危険であると言ったのが夏目漱石です」「あの時代には、他にも同様を鳴らした人はいましたが、戦後は誰もいませんでしょう」という半藤に対して野坂は「高橋和巳が長生きしていたら、あるいはという気がします」と答えている。政治家だけでなく知識人の劣化も進んでいるということか。宮部みゆきとの対談では「戦争への道というのはそんなに急に来るわけじゃない。ジリジリと、つまらない小事件がいくつも起きていたり、それが重なり合って大事件となる」と半藤が指摘し宮部は「時代の熱に同調せずに、淡々と穏やかに頑張れるかどうかで、人間は真価を問われるんだろうなあ、と思うんです。変調に目を光らせて、熱狂に気を許さないことですね」と応じている。憲法については辻井喬との対談で「そしていま、若い人たちは飽き足らない。何かを変えたくてしょうがない。平和憲法の問題も、とにかく機軸を変えたいのだと思うのです」「ただ変えたいのですよ。いままでのじゃダメだと思いたいんです。哲学とか理念があるわけじゃない。もちろん、日本の明日への見通しなんかまったくない」と語る。辻井との対談の初出は2005年の「論座」9月号である。当時よりも状況は確実に悪化している。「半藤先生はいいときに死んだ」なんて10年後のこの国で思いたくはない。

1月某日
午前中の雨が雪に変わり、図書館に行くのを止めた。家にある本で我慢しようと本棚に目を移す。単行本の「男の城」(田辺聖子 講談社 1979年2月)に目が留まる。「ぼてれん」など7つの短編が収められている。私が田辺先生の著作を読むようになったのは21世紀になってからで、長編は図書館で田辺聖子全集を借りて読み、短編は文庫本を図書館で借りたり本屋で買ったりした。「男の城」は単行本だからおそらく21世紀になってから古書店で求めたと思われる。収録されている作品のうちで最も古いのは「女運長久」で「文学界」の昭和41年9月号、最も新しいのは「花の記憶焼失」で「問題小説」の昭和52年12月号である。私が田辺先生に魅かれた最初は、大阪のOLを主人公にしたユーモアタッチの恋愛小説、それから「小林一茶」など評伝小説、そして「朝ごはん食べた?」などの家庭小説である。「男の城」はそれのどれにも当てはまらないような気がする。もちろんそこはかとないユーモアは忍ばされているのだが。敢えて「男の城」のテーマを挙げれば「男の悲哀」であろうか。表題作の「男の城」は折角の新居を女房、義理の母、義理の妹に好きなようにされるが亭主は廊下の突き当りにささやかな書斎を確保、「男の城」とする話である。「女運長久」は老舗菓子店の経営を任せ、自身は日本舞踊を趣味としつつ馴染みの芸者をアパートに囲う。踊りの稽古の後にアパートのドアをノックするが応答がない。芸者と経営を任せている甥が出来ているという暗い予感が男を襲う、という話である。やっぱり「男の悲哀」が主題。

モリちゃんの酒中日記 1月その3

1月某日
飲み友達の本郷さんから借りた「漂流」(角幡唯介 新潮文庫 令和2年4月)を読む。著者のことはまったく知らない。どうも漂流した漁民のノンフィクションらしい。文庫本で700ページ近くあるのだが2日ほどで読み切った。宮古島のすぐ隣の島、伊良部島の佐良浜が主人公と言ってもいいかも知れない。佐良浜は教員と役人以外はみな漁民と言われるほど、漁業、漁民の街である。1994年3月、フィリピンのミンダナオ島の沖合で1隻の救命筏が発見され、沖縄のマグロ延縄船、第一保栄丸の船長、本村実と8人のフィリピン人船員が救助される。「漂流物」を手掛けたいと考えていた角幡は新聞社のデータベースでこの記事を入手、本村の沖縄県浦添市の本村の家に電話を入れる。電話に出た本村の妻、富美子の答えは10年ほど前から行方不明になっている、前と同じように漁に出て帰ってこない、というものだった。そこから角幡の沖縄本島、伊良部島、グアム、フィリピンを巡る長い旅が始まる。角幡は本村の体験を追体験するために、グアムからマグロ延縄漁船に乗り込む。
本書は行方不明となった本村を追うドキュメントという一面、角幡がわずか19tの漁船に乗り込んでグアムからフィリピンまでの航海を体験するという冒険譚の一面、そして伊良部島とその母島となる池間島の島民からなる海洋民族に対する考察という側面がある。最後の海洋民族に対する考察からの文章。「本来の生というのは死を感じることができなければ享受することができないものである。科学技術や消費生活が進展することで都市における生は便利に、安逸になり、快楽指数も上昇したが、そのことによって私たちが知ったことは、日常が便利で快適になることと、自分の生が深く濃密になることとはまったく関係がないということであった」「死が近くにある生。佐良浜の人たちの話に耳をかたむけているうちに、私には、それが彼らの世界観を形成していることにほぼまちがいのないことのように思えてきた。私が彼らに接したときに感じていた、生にたいしてどこかわりきった感覚、過去や人間関係のしがらみや執着のなさなどは、そこに起因しているように感じられた」(第4章 消えた船、残された女)。角幡って若いのに(1976年生まれ)、熟成を感じさせる。76年生まれじゃ若くもないけれど。

1月某日
1月も半ばを過ぎた。世間ではとっくに正月休みは終わり動き始めているようだ。だが私は年金生活者で高年齢、高血圧の持病持ち、つまりコロナに感染すると重病化しやすいハイリスク者である。外出は控えなければならない。テレビを観てもニュースはコロナとトランプばかり。ドラマ、歌番組、バラエティーは若者向け。私は松重豊の「孤独のグルメ」や六角精児の「呑み鉄本線日本旅」など好んで観る。「孤独のグルメ」では群馬県の大泉町を訪ねていた。大泉町はブラジル人の出稼ぎ労働者が多く、したがって町にはブラジル料理屋やブラジル物産店がある。「呑み鉄本線日本旅」では会津鉄道で南会津の造り酒屋訪問である。数年前会津若松に行ったことがある。新鹿沼でゴルフをやった後、東武線で鬼怒川へ。鬼怒川で野岩鉄道に乗り、終点で会津鉄道に乗り換え、途中駅で下車、温泉宿に1泊した。温泉宿の客は私一人だけだった。会津若松では東日本大震災で被災した福島県浜通り地方の人々のための住宅が建設されていた。お城を観て白虎隊が自刃した飯森山に寄った。帰りは福島か郡山に出て、新幹線で帰った。

1月某日
図書館で借りた「青春とは、」(姫野カオルコ 文藝春秋 2020年11月20日)を読む。主人公は乾明子(いぬい・めいこ)、2020年3月現在、都下の南部線沿線のシェアハウスに住み、去年からスポーツジムのインストラクターをやっている。というようなことは小説の本筋とはあまり関係しない。小説の主な舞台は45年前、すなわち1975年の明子の高校時代である。高校は滋賀県立虎水高校。姫野カオルコは1958年滋賀県生まれだから、姫野自身の高校生活がモデルと思いがちだが巻末に「この物語はフィクションです。実在の人物や団体とは関係ありません」とあるからそうでもないのかも。姫野カオルコの小説は、実際にあった東大生による集団強制性交事件に想を得た「彼女は頭が悪いから」を読んだだけと思う。「青春とは、」には別に大きな事件が描かれるわけでもなく、明子の日常が淡々と描写される。これが私には何とも心地よかった。私は姫野のちょうど10歳年長、私の高校3年生は1965年、北海道立室蘭東高校であった。私も十分にバカで愚かであったが、それは青春の特権だろう。

1月某日
「青春とは、」が「何とも心地よかった」ので、姫野カオルコの本を続けて図書館で借りる。「近所の犬」(幻冬舎文庫 平成29年12月)である。姫野カオルコは2015年に「昭和の犬」で直木賞を受賞している。「昭和の犬」の単行本が発行されたのが2014年3月、「近所の犬」は同年9月である。「昭和の犬」と「近所の犬」はタイトルも似ているし、単行本発行時期も近いので姉妹作?と思ってしまうが、それは大違い。「近所の犬」の「はじめに」で著者自身が「前作『昭和の犬』は自伝的要素の強い小説、『近所の犬』は私小説である」と書いている。自伝的要素の強い小説と私小説はどこがどう違うのか。同じく「はじめに」で「事実の占める度合いであろう。それとカメラ(視点)の位置。『私小説』のほうが、事実度が大きく、カメラ位置も語り手の目に固定されている」と。なるほどわかりやすい。「近所の犬」はタイトル通り、作者の「近所の犬」との出会いを描いたものだが、独身で家では犬を飼えない50歳代のオバサンと近所の犬との交情である。ユーモラスでありちょっぴり切なくもある。そういえば一昨年、自宅の火事で亡くなった福田博道さんも犬好きだった。「犬名辞典」という著作もある。

1月某日
ジョー・バイデンの大統領就任式。日本時間で午前2時からだ。夜中に目が覚めたらちょうど午前2時。NHKで中継を観る。バイデン78歳とは思えない力強い演説だ。アメリカの政治家に比べると日本の政治家は演説が下手と思います。国会の演説や答弁は官僚の作った(と思われる)原稿を棒読みだものね。大統領は国民の選挙で選ばれるけれど日本の首相は国会で選ばれる。国会で多数を握れば首相になれる。具体的には自民党の過半数を取り込めば首相になれる。国民に直接訴えることなく、自民党の派閥の領袖との取引で首相が誕生する。必ずしも国民に訴える必要はない。小泉首相誕生のときは違った。あのときは確か国会議員票で劣勢だった小泉が街頭で国民に直接訴えて、地方代議員の票を集めて勝利したのだ。安倍政権から自民党の体質が変わってきたのではないか。派閥の連合体が切磋琢磨してこその自民党だと思いますが。

1月某日
図書館で借りた「コモンの再生」(内田樹 文藝春秋 2020年11月)を読む。雑誌「GQ JAPAN」に連載中のエッセーをまとめたもの。「GQ」の鈴木正文編集長と担当が神戸の内田の家でインタビューしたものがもとになっているという。鈴木編集長というのは慶應中退で50年前はブント(共産主義者同盟)の戦旗派だったと思う。内田自身、50年前は東大の革マル派だったらしい。だもんで私は長く、内田の書いたものは認めても内田自身は許せなかった。私が在学していた当時の早稲田大学は革マル派の牙城であった。ということは革マル派以外は迫害されていた。で「内田は許せない」と元ブントの友野君やレヴィナス研究家としての内田を評価していた友人に言っていた。二人とも「昔の話でしょ」と取り合ってくれなかったが。だが「コモンの再生」を読むと内田の考えにほぼ全面的に賛成せざるを得ないことが分かった。だいたい内田は合気道の高段者らしく、喧嘩しても勝てそうもないし(苦笑)。
コモンとは共有地のことだ。内田によるとマルクスとエンゲルスによって「コモンの再生」が提言され、それが「共同体主義」すなわち「コミュニズム」としている(まえがき)。この考えは「資本論の哲学」の熊野純彦の考えに近いと思う。内田はさらに、最初にマルクスを訳した人たちが「コミュニズム」を(共産主義ではなく)「共有主義」や「共同体主義」にしていたら日本の左翼の歴史は違っていたかも知れないと言っている。これも大賛成。そしてマルクスを共産主義に向かわせたのは、当時の労働者たちのあまりに悲惨で過酷な労働条件に対する「共苦の涙」だとし、しかしその運動の過程で「いくらかの人間が苦しんだり、死んだりすることは『正義のコスト』なんだから気にならないという倒錯が生じる」。そして内田は「僕はどれほど高貴な政治的理想を掲げた運動でも、生身の人間の弱さや愚かさや邪悪さに対して、ある程度の寛容さを示すことが必要だろうと思うのです」と続ける。これは日本の新旧の左翼運動に対する根源的な批判になっていると思う。

モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
図書館で借りた「明治維新 1858-1881」(坂野潤治+大野健一 講談社現代新書 2010年1月)を読む。この本は前に読んで「明治維新に対する新しい見方だな」と思った記憶はあるが「新しい見方」が何だったか記憶にないので再読することにした。坂野潤治は日本近代政治史を専攻する政治学者で昨年亡くなった。60年安保のときの全学連指導者の一人で、亡くなった樺美智子の東大文学部国史科の先輩だった。坂野が1937年生まれに対して共著者の大野は1957年生まれ、専門は開発経済学である。大野は「まえがき」で、明治政府による近代化政策が第2次世界大戦後の東アジアの韓国、台湾、シンガポール、マレーシアなどの開発独裁の原型となったとする、考え方は「まったく事実に反している」と強調する。東アジアの開発独裁は朴正煕らの独裁者あるいは単独政党が、長期にわたって抑圧的な開発主義を貫徹した。しかし明治政権においては天皇は名目的な最高権力者ではあったが、「政治の実権は多数の藩閥政治家が入れ替わり立ち替わり握っていた」とする。国家目標を「富国」「強兵」「憲法」「議会」に置く四つのグループが合従連衡をしながら政策を競い合ってきたのが明治政権の内実であり、著者らはこれを政権の「柔構造」と名付けている。柔構造は大正デモクラシー、5.15、2.26事件を経て「硬構造」の軍部独裁に向かう。ひるがえって現代日本はどうか。安倍政権が10年近く続き、菅政権がその後を継いだが、その構造はとても柔構造とは言えない。自由民主党という政党はもともとが各派閥の連合体であり、本質的に柔構造であったと思うのだが、小選挙区制と安倍一強体制がその体質を変えてしまったようだ。

1月某日
図書館で借りた「夜かかる虹」(角田光代 講談社文庫 2004年1月)を読む。「夜かかる虹」「草の巣」の2編の中編が収められている。今さら純文学、大衆文学の区別を論じても意味するものは少ないと思う。何しろ大衆文学の中堅作家に与えられる直木賞作家の桐野夏生が岩波書店の「思想」で特集に採りあげられる時代である。本書の2編の初出はいずれも講談社の純文学雑誌「群像」ということからすると、2編とも純文学的、あるいは実験的要素が強いということかも知れない。2編ともに恋愛や犯罪というわかりやすいものをテーマにしてはいない。強いて言うなら人間関係か。「夜にかかる虹」は姉妹の、「草の巣」はほとんど行きずりと言ってよい男女の。

1月某日
図書館で借りた「ネンレイズム・開かれた食器棚」(山崎ナオコーラ 河出書房新社 2115年10月)を読む。今年に入って山崎の小説を読むのは「肉体のジェンダーを笑うな」に続いて2冊目。私の理解では山崎は性別をはじめとして、年齢、肉体、言語などすべてのジャンルでの差異を否定し「人間」あるいは「生きもの一般」として一括りにできないか、と目論んでいるように思われる。こういう思想は50年前ならアナーキズムに分類されたんだけれどね。山崎は1978年生まれ、50年前には存在していなかった。私は本書と「肉体のジェンダーを笑うな」を読んで山崎の革命性を確信しました。思想的には過激なんだけれど、文体は優しく改行も多くて読みやすい。山崎は芥川賞も直木賞も受賞していないが、21世紀前半の注目すべき作家だと思う。

1月某日
NHKBSで「鉄道員(ぽっぽや)」を観る。浅田次郎原作で高倉健主演である。私の学生時代はとうのヤクザ映画が全盛で、その中でも高倉健主演のものは人気抜群であった。私は「網走番外地」シリーズよりも昭和初期を舞台にした「昭和残侠伝」シリーズの方が好きでしたね。「親の意見を承知で拗ねて、つもり重ねた不孝の数をなんと詫びよかおふくろに」という主題歌を、過激な学生運動の渦中にあった自分自身に重ね合わせたりしたりした。「ぽっぽや」で高倉健が演じるのは老いた駅長。「昭和残侠伝」の主人公-確か花田秀次郎といった-の面影もない。何度かテネシーワルツのメロディーが流れるが、これは健さんの別れた妻、江利チエミの持ち歌であった。たまたま前日、どこかのBSで「美空ひばり、笠置シヅ子、江利チエミ」の特番をやっていたが、それによると江利チエミは義理の姉に数億円の財産を横領され、累が健さんに及ぶのを恐れて離婚した、ということだった。「ホントかね?」とも思わせるが、やはり健さん主演の「居酒屋兆治」でもテネシーワルツを健さんが口ずさんでいた記憶がある。ホントかもしれない。

1月某日
歴史探偵を名乗り日本近代史とくに昭和史について著作を多く残した半藤一利さんが90歳で亡くなった。黙とう。半藤さんの著作は何作か読んだこともあるし、講演会に来てもらったこともある。確か社会保険庁のOBに対する講演会で、末次彬さんに「半藤さんを呼びたいんだけど」と相談された。その頃「マスコミ電話帳」という本があって作家や芸能人の連絡先を表示していた。表示のFAX番号に依頼状を送ると「半藤だけど」と電話がかかってきた。半藤さんは「墨田川の向こう側-私の昭和史」(ちくま文庫)にある通り、本所区の出身、王貞治とは幼馴染。王さんは子供のころから足腰が強く、子ども同士の相撲でもうっちゃりで勝つことが多かった。餓鬼大将(半藤さんである)はそれが気に入らず、「ワン、お前には大和魂はないのか」と大喝したそうである。餓鬼大将はその後、長岡に疎開し長岡中学を経て旧制浦和高校から東大文学部に進学した。浦高から東大を通じてボート部、墨田川との縁は切れなかったわけだ。奥さんは夏目漱石の孫で、半藤さんにも「漱石先生ぞな、もし」の著作があるが私は未読。半藤さんは文藝春秋社に入社、退社したときは専務だった。会社自体はどちらかといえば保守的な出版社だが、半藤さんは反戦平和主義で一貫していた。日本学術会議への任命を拒否された加藤陽子さんとの対談集「昭和史裁判」(文春文庫)もある。

1月某日
図書館で借りた「民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本史」(藤野裕子 中公新書 2020年8月)を読む。力作である。本書は明治維新時の新政反対一揆、秩父困民党による秩父事件、日露講和条約に反対した日比谷焼き討ち事件、関東大震災時の朝鮮人虐殺という四つの事件を軸として、日本の近代を描く。私たちは50数年前には「暴力学生」と言われていた。当時の暴力学生はたんに暴力的な学生のことではなく、機動隊や他のセクトに対して暴力で対抗する反日本共産党系のセクト、ノンセクトの学生たちを特に暴力学生と呼んだ。まぁすでに死語ですけどね。本書の序章で著者は安丸良夫を引用して「世直し一揆の激しい打ちこわしは、一揆勢力にとって非日常的な解放空間であった」と述べている。私たちが校舎をバリケード封鎖した空間は確かに非日常的な空間であったし、新宿やお茶の水で道路を自動車や看板、商店から持ち出した机や椅子を積み上げて封鎖した空間も、一時的な解放区として、非日常的な空間であった。本書の日比谷焼き討ち事件の描写を読むと半世紀前の自分たちの姿が蘇る。朝鮮人虐殺には胸が痛む。明治以降、日本は朝鮮半島、朝鮮人に対して一方的に加害者であったことを忘れてはならないと胸に刻む。民衆暴力には秩父事件や日比谷焼き討ち事件のように反権力なものと関東大震災時の朝鮮人虐殺のように、権力におもねり、追従したものと2つの面があることが分かった。

モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
年末に「金閣を焼かねばならぬ―林養賢と三島由紀夫」(内海健)を読んだ。しかし三島由紀夫の「金閣寺」は未読であったため、書店で「金閣寺」(新潮文庫 昭和33年9月)を購入、早速読むことにする。「金閣寺」はどもりの青年僧「私」が金閣寺に修行僧として入り、金閣寺に圧倒的な美を感じつつ、「金閣寺を焼かねばならぬ」と決意し実行するまでを三島の華麗な筆で描いている。金閣寺への放火は金閣寺あるいは美に対するテロルである。私はこの想念は14年後の1970年11月25日の市ヶ谷自衛隊での三島の事件に通じると思う。市ヶ谷での三島の自決は、三島の自分自身に対するテロルでもあると解釈できるのではないか。

1月某日
年齢を重ねるごとにずぼらになる。朝起きるのは7時30分~11時30分で、したがって朝食はとったりとらなかったり。コロナ対策で朝晩1日2回の入浴は欠かさないが、不要不急の外出は避けて引きこもりの毎日。テレビのザッピングと読書が主要な日課である。昨日は「ポツンと一軒家」という番組で高知県の山奥に暮らす88歳のおばあちゃんが紹介されていた。夫と息子に先立たれたこの人は60歳過ぎまで土木作業員と農業を続け、現在も野菜作りにいとまがない。こんにゃく芋を栽培しこんにゃくも手作り、ゆでたこんにゃくにこれも手作りの柚子みそを付けて食べたスタッフの美味しそうな表情が印象的だった。

1月某日
年末に図書館で借りた「肉体のジェンダーを笑うな」(山崎ナオコーラ 集英社 2020年11月)を読む。巻末に著者紹介が「山崎ナオコーラ(やまざき・なおこーら)作家。性別非公開。『人のセックスを笑うな』で純文学作家デビュー。今は、1歳と4歳の子どもと暮らしながら東京の田舎で文学活動を行っている。(中略)本書収録の3作も純文学として文芸誌に発表しているが今後も純文学を続けていくのだろうか?目標は『誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい』。」と記されている。著者紹介は普通は編集者が著者の意向を確認して作成するものと思われるが、山崎の場合はおそらく自作。「父乳の夢」は、父親も医師の処方と助産師の指導によってわが子に自分の父を飲ませられるようになる話。「笑顔と筋肉ロボット」は小柄で非力だった妻が筋肉ロボットによって自在に背が高くなり、重い荷物も持てるようになるというストーリー。「キラキラPMS(または、波乗り太郎)」は女性の生理とPMS(月経前症候群)を巡る話。私は自己の男性という性に対して疑いをさしはさむことなく生きてきたものだが、本作を読んで性の不可思議性について改めて考えさせられた。性意識は時代や文化によって変貌する。科学の発達によって男が父を出すようになるかもしれないし、妊娠することも可能になるかもしれない。ロボットや人工知能の発達によって働き方も大きく変わるだろう。ベーシックインカムの導入によって労働の概念自体が変わっていくかもしれない。私たちはそれらに対する備えができているのだろうか。山崎からの警鐘として本書を読んだ。

1月某日
図書館で借りた「アンダークラス2030-置き去りにされる『氷河期世代』」(橋本健二 毎日新聞出版 2020年10月)を読む。橋本健二は格差の問題を追求してきた社会学者で現在は早稲田大学人間科学学術院教授。「居酒屋ほろ酔い考現学」という著書もあり居酒屋好きでも知られている。著者によると就職氷河期世代とは1973~1985年生まれの人たちでこの人たちが就職に直面する1994~2007年が就職氷河期となる。第2次ベビーブーム世代とも一部重なるが、大学の定員増が図られる一方で、バブルの崩壊と不良債権問題が深刻化し、企業の求人意欲は衰えた。正規労働者の求人を抑える一方で企業は労働コストが低い非正規労働者を求めるようになった。著者は非正規雇用で働くパート主婦以外の労働者を「アンダークラス」と呼ぶ。就職氷河期世代でアンダークラスの人たちは収入が低く生涯未婚率が高い。結婚して家庭を持って子供が生まれても貧困の連鎖が続く可能性がある。著者は「氷河期世代はすでに30歳代後半以上の年齢になっている。これから子どもを持つ可能性は小さいだろう」とする。そして次世代の労働力が生まれなくなることは社会の存続を困難にするだろうと訴える。そのために著者は同一労働同一賃金の徹底、最低賃金の引き上げ、労働時間短縮とワークシェアリングを提案する。そのうえで所得の再分配を大胆に進めるために①累進課税の強化②資産税の導入③相続税率の引き上げ④生活保護制度の実効性の確保―も提案している。新型コロナウイルスの感染拡大により、飲食店の閉店、企業の倒産、雇用者の失業は進んでいる。今こそ橋本健二先生の意見に耳を傾けるべきだろう。

1月某日
「新宗教を問う―近代日本人と救いの信仰」(島薗進 ちくま新書 2020年11月)を読む。新宗教というのは仏教、キリスト教、イスラム教など世界宗教として確立された宗教ではなく近代、とくに19世紀以降に広まった新興の宗教のことを指す。本書では創価学会、霊友会、大本教、天理教、幸福の科学、オウム真理教などがとりあげられている。著者の島薗は宗教学者で東大教授を経て現在は上智大学神学部特任教授。本書によると新宗教が発展したのは1920年から1970年のおよそ50年間で、1970年代以降はオウム真理教などいわゆる新新宗教が登場するが、新宗教全体としては衰退期を迎えるという。新宗教に共通する要素として「病気なおし」「心なおし」「世直し」があげられる。戦前、そして戦後しばらくは国民の栄養状態も悪いうえに医療体制も不十分で、庶民にとって病気は大きな脅威であった。多くの新宗教は庶民のそうした心理に訴えた、それが病気なおしである。心なおしは「心を変えると、運命が変わる」で、自分の運命が変わることが救いとなる、極めて現世利益的である。「世直し」は戦前に創価学会や大本教が弾圧されたことが示すように、新宗教には権力に対して非妥協的な側面を持つ場合がある。天皇制に対して直接的に対決したわけではないが、治安当局にとっては取締り対象であった。さた新宗教の今後であるが、橋本健二先生が言うように貧富の差が拡大しつつあり、さらにコロナで社会不安が広がっている。新宗教に限らず宗教、スピリチュアルなものの出番は増えてくるのではなかろうか。島薗先生の本はもう少し読んでみたいと思った。

1月某日
社保研ティラーレで打ち合わせ。2月19日の「地方から考える社会保障フォーラム」を実施するのか延期するのかを協議。その後、キタジマの金子さんに原稿を入稿する。金子さんの車で虎ノ門まで送って貰う。フェアネス法律事務所で打ち合わせ。虎ノ門から銀座線で銀座へ。「ふるさと回帰支援センター」の大谷さんに面談。我孫子の開運コーヒーを渡す。いつもなら大谷さんと呑みに行くのだが、今日にも緊急事態宣言が発出されるということなので我孫子へ帰る。

モリちゃんの酒中日記 12月その5

12月某日
図書館で借りた「日本習合論」(内田樹 ミシマ社 2020年9月)を読む。習合とは二つの異なる宗教が出会う中で敵対することなく、融合していく状態のことを言うようだ。日本では仏教の伝来以降、仏教と日本の在来の宗教であった神道が融合していく。神仏習合である。キリスト教はユダヤ教の分派として発生し、ローマ帝国の迫害を受けながらついにはローマ帝国公認の世界宗教となっていく。当時のゲルマン民族はローマ帝国からすれば蛮人でそれぞれが原始宗教を信仰していた。キリスト教はこれらの原始宗教と融合することなくゲルマン民族への布教に成功する。もっともクリスマスや復活祭にはゲルマン神話の痕跡が残されているという指摘もある。さて内田の習合論には学ぶべきものが多かった。ひとつは農業と市場(マーケット)についての考え方だ。私などは市場で貨幣と交換されることにより農産物は効率よく配分されると信じてきたが、どうも違うようだ。「農作物は商品ではない」と内田は断言する。農業は宇沢弘文のいう社会的共通資本であり、「政治とマーケットは社会的共通資本の管理をしてはいけない」とする。こうした考え方は内田の習合論の「習合というのは、受け入れ、噛み砕き、嚥下し、消化し、自分の一部とする」という考え方と通底すると思う。ポストコロナの生き方を内田の習合論は示唆しているように思える。

12月某日
今年最後の床屋に行く。私が行く床屋は私の住んでいる我孫子市若松の「髪工房」。私より年上のマスター(75歳くらいか)とその娘さんらしき人(30~40歳代)の二人でやっている。年末なので混んでいると思ったが、待つこともなく顔剃りから始めてもらった。顔剃りとシャンプー、仕上げは娘さん、カットするのはマスターと分業化されている。隣の年配の客とマスターは年末年始の過ごし方を話題にしていた。お天気にもよるがマスターは釣りに行くそうで、金沢八景から船で東京湾のアジ釣りらしい。髪工房はマスターの腕がしっかりしてるうえに安いのが特徴。大人2000円だが高齢者は1800円、そして5回に1回はさらに500円引きとなる。「よいお年を!」と挨拶して店を出る。

12月某日
酒場を巡る番組が好きでよく見る。とくにコロナ禍で外に呑みにいけないとなるとテレビ番組で不満を解消することになる。「吉田類の酒場放浪記」に「女酒場放浪記」はこの種の番組では一番古いのではなかろうか。ビール、酎ハイ、ホッピー、日本酒を店の勧めるままに呑むのがいい。割と日本酒にこだわっているのが「太田和彦のぶらり旅・居酒屋百選」。玉袋筋太郎の「町中華で飲ろうぜ」は生ビールから酎ハイが定番。スポンサーが宝酒造なので酎ハイで乾杯するのがきたろうの「夕焼け酒場」である。以上は多少は演出があるにせよ基本はドキュメントである。これに対して「この番組はフィクションです」とクレジットが着くのが「孤独のグルメ」で久住昌之原作、松重豊演じるサラリーマン、井の頭五郎が主に大衆食堂や町中華を食べ歩く。食堂の店主や店員なども役者が演じているのだが、お店はホンモノ。ドラマが終わった後で原作者の久住がその店を訪ねるシーンが放映されることもある。それと忘れてはならないのが「六角精児の飲み鉄本線、日本旅」である。俳優で鉄道マニアの六角精児が、鉄道で日本各地を旅し居酒屋や造り酒屋を訪れると番組。列車の中で六角が缶ビールやワンカップの日本酒を呑む、その表情がいいんだよね。

12月某日
図書館で借りた「金閣を焼かなければならぬ―林養賢と三島由紀夫」(内海健 河出書房新社 2020年6月)を読む。1955年生まれ、東大医学部卒の精神科医である。今年は三島由紀夫没後50年ということもあって三島関連の図書がずいぶんと出版されたらしい。本書は三島の小説「金閣寺」を題材に、金閣寺に放火した犯人の青年僧のモデルとなった林養賢、そして作家の三島由紀夫の生をたどった精神分析的ドキュメントである。三島由紀夫の作品は割と好きでよく読んだ。「金閣寺」も高校生のときに読んだ覚えがあるが、これを機会に読み返してみようと思う。私には本書は理解できたとは言い難い。だがエピローグの「まつろわぬ者たちへ」で著者が林養賢とその母親の墓に林養賢の親戚の案内で参るシーンは、ちょっと心打たれた。

モリちゃんの酒中日記 12月その4

12月某日
「湖の女たち」(吉田修一 新潮社 2020年10月)を読む。琵琶湖湖畔の介護療養施設で元京大教授の百歳の男が殺される。事件を追う2人の刑事、介護施設で働く若い女、事件を取材する週刊誌記者はかつて被害者が薬害事件に関わっていたこと、さらに戦前の満洲で731部隊に所属していたことを探り出す。「湖の女たち」の湖はもちろん琵琶湖のことだが、同時にハルビンの平房湖も暗示させる。終戦の年の冬、平房湖の湖岸で少年たちによるおぞましい事件が起きていた。幾筋の起伏に富んだストーリーが交錯する。吉田修一の構想力、想像力に圧倒される。

12月某日
「愛がなんだ」(角田光代 角川文庫 平成18年2月)を読む。通称テルちゃん(20代OL)とマモちゃん(20代出版社勤務)の交際というか交流を中心とするストーリー。テルちゃんはマモちゃんに惚れている。マモちゃんの私用にこき使われ会社の仕事がおろそかになり解雇同然に会社を辞める。そうした今どきの若者の日常をユーモアを交えて描く。私は全然納得いかなかった。マモちゃんにもマモちゃんの理不尽な要求に唯々諾々と従うテルちゃんの姿勢にも。しかし奥付を見ると令和元年の6月で19刷を記録している。それなりの支持を得ているのである。さらにネットで検索すると昨年には映画化もされてある程度のヒットをしているらしい。私は少し反省する。恋愛小説として読むから納得できないのだ、現代の若者の習俗を描いた小説として読めばそれなりの納得はできる。小説中の居酒屋のメニュー紹介も結構詳しい。決して美味そうとは言えないが。

12月某日
図書館で「日本史」のコーナーを眺めていたら岩波新書の「新選組」(松浦玲 2003年9月)が目に付く。松浦玲は以前、大谷さんから貰った「勝海舟」を読んで面白かった記憶があるので早速借りることにする。新選組って幕末に活躍した集団のなかではかなりユニークだと思う。集団のイデオロギーは尊王攘夷であり尽忠報国である。尊王攘夷というスローガンは敵対する長州や薩摩、さらに当時の京都に出没した不逞浪士と一致する。薩長の尊王攘夷は慶応3年10月の徳川慶喜の大政奉還により、尊王倒幕に変換される。しかし新選組は幕命により京都守護職、松平容保預かりとされ京都の市中警護を委任されていた集団である。まして尊王攘夷は大政奉還の1年前に逝去した孝明天皇が固執したイデオロギーで、新選組がこれに敵対することはありえなかった。しかし近藤勇も禁門の変から第1次長州征伐あたりから微妙に変化し、ついには蘭方医松本良順に西洋事情の教えを乞うようになる。ちなみに松本良順は榎本武揚に従って函館まで従軍している。それにしても新選組が幕臣となるのは慶応3年6月である。それまでは京都守護職から市中警護を任された浪士の集団という扱いである。逮捕権や尋問権は持っていたものの幕臣、今で言う公務員ではなかった。町奉行所の与力や同心が幕臣だったのに、その下の岡っ引には正式な形では報酬は支給されなかったのと同じである。著者の松浦玲は京大を学生運動で放校処分にあっている。幕末でいえば不逞浪士の一派だったわけですが、きちんと歴史的に新選組を評価しています。

12月某日
図書館で借りた「ヤマト王権-シリーズ日本古代史②」(岩波新書 吉村武彦 2010年11月)を読む。1カ月ほど前に読んだ「ワカタケル」(池澤夏樹)は倭の5王の一人、雄略天皇となるワカタケルを主人公とした小説だったが、政(まつりごと)や性愛などに対する古代人の荒々しくも瑞々しい感性を描いた好著であった。私は「ヤマト王権」を飛鳥時代に連なる大和政権について歴史学ではどうとらえているのか興味深く読んだ。この時代(だいたい6世紀より前)は紙による記録がほとんどない。古事記や日本書紀(記紀)の編まれたのは古事記が712年、日本書紀が720年だし、厳密な歴史書と見ることはできない。中国の歴史書(魏志や宋書など)に出てくる倭国の記述と記紀の記述を照らし合わせたり、考古学と連携して検証したりする作業が必要となってくる。ヤマト王権とは現在の天皇家の先祖となるのはほぼ間違いない。しかし天皇家が男系男子で受け継がれてきたとか長子相続というのは、近代の明治以降に刷り込まれたものではないか、という疑問が本書を読むと湧いてくる。ワカタケルは兄の安康天皇を刺殺してるし、本書によると蘇我馬子は配下に命じて崇峻天皇を殺させた。古代、中世、近世と、天皇は権力のあるなしに関わらず、政治的、思想的にこの国の柱だったんだね。

12月某日
図書館で借りた「東京湾景」(吉田修一 新潮文庫 平成18年7月)を読む。吉田修一の小説に私はなぜ魅かれるのだろうか?ひとつは描かれる人間像であり、登場人物の置かれた社会関係の巧みな描き方に魅かれるのではないか。本編の主人公は亮介、品川埠頭の貨物倉庫で働く25歳。出会い系サイトで知り合った恋人の美緒は対岸のお台場の石油会社で広報を担当するOL。男は高卒で倉庫でフォークリフトを操る肉体労働者、女は大卒で一流企業の美人OL。この設定は普通に考えれば不自然である。しかしこの小説を読んでいると、不自然さはまったく感じられない。吉田修一の作家的な力量という他ない。舞台は品川駅港南口から天王洲アイル駅、品川埠頭、お台場である。この30年か40年で最も変貌をとげた地域である。時代設定としては、りんかい線が開通した1996年頃、だから亮介の行く銭湯「海岸浴場」もまだ残っているのだ。ネットで調べると「海岸浴場」は実在するが2002年3月をもって廃業したそうだ。

12月某日
社保研ティラーレで吉高会長、柳子氏、雑賀氏とG-バスター販売の打ち合わせ。確実に売れてはいるようだが、期待していたほどには出ていない。新型コロナウイルスに対して「三密回避は守り」「G-バスターによる滅菌は攻め」という形で営業したらと提案する。1月中旬以降に厚労省記者クラブで記者発表を予定するが、どういった切り口での記者発表にするか、思案のしどころ。

12月某日
河幹夫さんとJRお茶の水駅で待ち合わせ、社会保険出版社で阿部正俊さんの遺稿集の打ち合わせ。印刷会社のキタジマの金子さんが加わる。何とか今年度中の出版に漕ぎ着けたい。河さんと阿部さんの思い出話をする。阿部さんの年譜を整理していて思い出したが私が阿部さんに初めて会ったのは阿部さんが年金局の資金課長で、私が日本プレハブ新聞という住宅業界の記者をしていたときだ。阿部さんが38歳、私が32歳のときだ。今から40年前である。当時の資金課は公的年金の運用を担当していたが、多くは大蔵省の資金運用部へ預託していた。資金運用部から住宅金融公庫や年金福祉事業団を通じて住宅融資が行われていた。住宅資金の担当課長として阿部さんを取材したのだ。一介の業界紙の記者に対しても阿部さんは丁寧に答えてくれた。

モリちゃんの酒中日記 12月その3

12月某日
家にあった「対岸の彼女」(角田光代 文春文庫 2007年10月)を読む。以前に一度、読んだことがあるのだけれど、断片的な記憶しかない。前回はそれほど面白く感じなかったと思うが、今回はとても面白く寝る前に読み始めて明け方まで読みふけってしまった。専業主婦の小夜子は働きに出ることを決意、旅行会社プラチナ・プラネットの面接を受け、採用される。小夜子の仕事は旅行会社の本業ではなく副業の掃除代行業だが、小夜子は個人住宅の汚れに汚れた浴室やトイレの清掃に夢中になっていく。小夜子とプラチナ・プラネットの女社長、葵がビジネスを通じて親しくなりながら、プライベートでも親密さをふかめてゆく。小夜子と葵の現在進行中の章と、高校生時代の葵と親友のナナコの世間から孤絶した友情を描く過去の章が交互に展開される。私はどうも「世間から孤絶」というところに魅かれたようだ。年金生活者としての私は社会とのかかわりは持ちつつも「老兵は死なず消え去るのみ」感を日々強くしつつある。「対岸の彼女」を前回読んだときはバリバリの現役、世間からの孤絶について理解できなかったのかも知れない。

12月某日
次回の社会保障フォーラムの講師をお願いしている日本ワクチン産業協会の今川昌之理事長に面談する。社保研ティラーレの佐藤社長と三越前の福徳神社で待ち合わせ。福徳神社のすぐ前が武田薬品の東京本社であった。仲介の労をとってくれた永井さんが玄関前に迎えに来てくれる。武田薬品の本社ビルは新築のようで受付のインテリアは材木を巧みに配してモダンな雰囲気。会議室で理事長と面談、理事長は武田薬品のグローバルワクチンビジネスユニット日本ワクチン事業部長も兼ねているが一企業にとどまらず、新型コロナウイルスに対するワクチンの開発が日本、世界をつなぐ大きな課題になっていることを熱心に語ってくれた。

12月某日
厚労省1階ロビーで社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。次回の社会保障フォーラムで今年の厚生労働白書について講演をしてもらうことになっている人事課の渡邊由美子調査官に挨拶。地下鉄で霞が関から大手町へ。大手町ファイナンシャルシティビルの地下「蜂の家」で「温野菜たっぷりカレー」をご馳走になる。社保研ティラーレで社会保険研究所の松澤、水野両氏を交え社会保障フォーラムの企画会議。来年2月開催予定のフォーラムの集客が思うようにいっていない現状が報告される。帰りに我孫子駅前の「しちりん」へ。
図書館で借りた「〈階級〉の日本近代史-政治的平等と社会的不平等」(坂野潤治 講談社メチエ 2014年11月)を読む。明治政権を財政的に支えたのは地租である。江戸時代の年貢が地租に置き換わった。ただ年貢は生産物(米)に対する課税だったのに対し地租は土地の価格に対する課税であった。フロー(年貢)とストック(地租)に対する税の違いである。ということは米の価格が上がっても(インフレ)になっても税(地租)は変わらないから農民(地主)はインフレを歓迎した。地主階級を支持基盤とした自由党(後の政友会)はインフレ政策に走りがちであった。都市のブルジョア階級を主な支持基盤とした憲政会(後の民政党)はインフレ政策に警戒的であった。1925年に普通選挙制が実現し25歳以上の男子にはすべて選挙権が与えられた。男子だけではあったが政治的な平等が実現した。日本共産党は非合法化されていたが、社会民主主義を掲げる社会大衆党などの無産政党も衆議院に議席を持つようになる。私たちは戦前を軍部やファシストが支配し、民主主義勢力を弾圧した「暗黒時代」と捉えがちだが、少なくとも1937年7月の日中戦争勃発までは、日本でも民主主義勢力は活発に活動していた。坂野先生はそのことを資料を駆使して活写する。

12月某日
神田駅南口の「〇喜(まるよし)」という店で17時45分から呑み会。出席者は社会保険出版社の高本社長、フィスメックの小出社長、社保研ティラーレの佐藤社長と年友企画の岩佐愛子さんと私。この店は老舗おでん屋の「尾張屋」の隣。3時間呑み放題コースで4000円は安いのか高いのかよくわからない。終ってもまだ9時前だったので近くの「葡萄舎」に全員で顔を出す。この店に行くのは久しぶり。店主のケンちゃんも元気そうだった。

12月某日
角田光代の「紙の月」(ハルキ文庫 2014年4月)を図書館で借りて読む。本作は2007から08年にかけて静岡新聞など地方紙に連載されたものを大幅に加筆・訂正し2012年3月に角川春樹事務所から単行本として刊行されている。2014年には吉田大八監督、宮沢りえ主演で映画化された。ストーリーをごく単純化すると「平凡な主婦の梅澤梨花は銀行のパートとして働きだす。東京郊外の町田周辺の農地を売却した裕福な高齢者に対して梨花の誠実な営業は顧客を拡大させてゆく。フルタイムのパートに昇格した梨花は有力な顧客の孫、光太と知り合う。光太の自主映画製作費を一部立て替えたことをきっかけにして梨花の巨額横領が進行してゆく」となる。この小説は犯罪小説と同時に恋愛小説である。私は同時に貨幣とは何か、信用とは何か、家族とは何かを考えさせる哲学小説でもように思えた。

12月某日
伊集院静の「三年坂」(講談社文庫 2011年11月)を図書館で借りて読む。巻末の「あとがき」の日付は平成元年(1989年)7月で、当時の伊集院の心境を知ることができる。この4年前に伊集院は妻(女優の夏目雅子)をがんで亡くし創作から遠ざかろうとしていた。小説を書くように仕向けてくれたのは作家の色川武大であった。この短編集には表題作はじめ6編の短編が収録されている。私は初めて知ったのだが、そのうちの「皐月」がデビュー作となった。おそらく講談社の小説誌「小説現代」に掲載されたのだろう。色川武大も1989年に60歳で亡くなっている。妻を早くに亡くし敬愛する作家も見送らざるを得なかったことが、伊集院の作風に陰影を深くさせているのかも知れない。私は「水澄(みずすまし)」という短編が一番好きですね。大学を中退して幾つかの職を転々とし、妻子とも別れ今はゴルフ場の会員権のセールスマンが主人公。セールスに疲れ公園で休んでいると草野球のメンバーが集まってくる。ピッチャーが欠けたままだ。男は自分から「その人が来るまで投げましょうか」と声を掛ける。男は甲子園を目指す球児だったが県の決勝戦で敗退、不祥事を起こしプロへの道も絶たれてしまう。たまたま巡り合った草野球で男は好投し連敗続きのチームを救う。これは男の再生の物語だ。伊集院の妻の死から再生してゆく姿と二重写しになってくるのだ。