モリちゃんの酒中日記 10月その4

10月某日
元参議院議員の阿部正俊さんが亡くなった。77歳だった。今から40年近く前、阿部さんが厚生省年金局の資金課長だったころに初めて知り会った。私が日本プレハブ新聞の記者で年金住宅融資の取材がきっかけだった。厚生官僚と親しくなったのは阿部さんが初めてだったが、率直な物言いが印象に残った。阿部さんが老人保健局長のとき、参議院選挙に出馬を決意、当時年金住宅福祉協会の企画部長だった竹下隆夫さんとパンフレットを作ったりした。山形県が選挙区なので現地まで応援に行った。応援と言っても演説に拍手するくらいだったけれど。参議院議員を2期12年務めた後、議員は引退したが社会保険倶楽部の会合で何回かお会いした。議員の頃、厚労省の若手が議員会館に説明に行くと、逆に議論を吹っ掛けられて困っていたという話を聞いたことがある。社会保障の将来を真剣に憂いていたが故と思う。正論を正論として堂々と述べる政治家が少なくなっている現在、阿部正俊という政治家は得難い存在だった。

10月某日
幼馴染の山本義則、通称オッチと我孫子の「もつ焼きやまじゅう」で呑む。小学校入学前からの付き合いなので、70年近くの付き合いとなる。もっともお互いに仕事を持っていた頃はそんなに会うこともなかったが、仕事を引退してからは年に2、3回は会っていたように思う。オッチとは小学校、中学校、高校と一緒だった。室蘭東高の首都圏在住者の同期会でも顔を合わせていたが、コロナ禍で首都圏同期会も開かれず、オッチとも久しぶりの再会となった。小学校5、6年生のときは同じクラスだったが、オッチは圧倒的な存在感があり餓鬼大将だった。

10月某日
神田の社保研ティラーレを13時に訪問する。その前に近くの「台北苑」という中華料理屋で「ルーロー飯」を食べる。社保研ティラーレの佐藤聖子社長と国会議事堂前の内閣府に行く。首相官邸前に「学術会議人事への介入反対」という手書きのポスターを持って立っている紳士がいた。内閣府では厚労省から出向している内閣官房新型コロナ感染症対策推進室の梶尾雅宏審議官に挨拶。梶尾審議官には「地方から考える社会保障フォーラム」で「ウィズコロナ社会の課題~感染拡大防止と社会経済活動の両立」という講演をしていただくことになっている。梶尾審議官とは初対面だったがなかなか感じのいい人だった。もっとも最近の官僚とくに厚生官僚は押しなべて感じがいい。社保研ティラーレに戻って吉高会長と雑談、我孫子へ帰って駅前の「しちりん」で一杯。

10月某日
図書館で借りた「悪党・ヤクザ・ナショナリスト―近代日本の暴力政治」(エイコ・マルコ・シナワ 藤田美菜子訳 朝日新聞出版 2020.9)を読む。幕末から明治以降の政治と暴力との関りについて述べたもの。主として博徒、ヤクザ、愛国主義者ら、つまり右翼と政治権力について分析している。私の学生時代、反日本共産党系の学生は「暴力学生」と呼ばれていた。ゲバ棒と投石で機動隊と対峙していたからね。そして暴力学生の多くは高倉健や鶴田浩二、若山富三郎、藤純子、菅原文太などが出演する主として東映のヤクザ映画に熱狂したものだ。悪辣な敵ヤクザの卑劣な攻撃に耐えながら最後は敵ヤクザに討ち入りするという決まりきったストーリーが、機動隊や敵対する党派の暴力にさらされていたわが身と二重写しになっていたのだろう。この本で初めて知ったのだが、秩父困民党のリーダーだった田代栄助は養蚕業を営む傍ら博打も打つ博徒だったんだ。「強きを挫き弱きを扶ける」という仁侠映画に出てくるような博徒だね。

10月某日
図書館で借りた「ちょっと気になる『働き方』の話」(権丈英子 勁草書房 2019年12月)を読む。著者の権丈先生は亜細亜大学経済学部の教授で副学長。慶応大学商学部出身ということからも、権丈善一先生と夫婦と思われる。この本の装丁も善一先生の「ちょっと気になる社会保障」を踏襲しているしね。それはともかく大変面白くかつわかりやすい語り口で日本の労働市場の現在と将来を明らかにしている。日本は人口減少社会となり生産年齢人口も減少していく。私たちは今までこれを「危機」ととらえてきたが、著者の捉え方は一味違う。著者は「労働力希少社会」ととらえ「早晩、資本に対する労働の相対価値が上昇していきます」とし、「生産要素間の相対価格の変化は、長期的には市場メカニズムによる調整を通じて、歴史を変える力」を持っているとも喝破する。最近の報道によるとコロナ禍でも企業の内部留保は増え続けているという。ということは労働分配率は低下していると思われる。権丈先生はあくまでも「長期的には」という留保を付けているが、日本における労働組合の組織率の低下やパートタイム労働者の増加も「資本に対する労働の相対価値」の上昇を妨げているのかもしれない。 

10月某日
図書館で借りた「推し、燃ゆ」(宇佐美りん 河出書房新社 2020年9月)を読む。宇佐美りんは1999年生まれだから今年21歳か。対談をした村田沙耶香との写真がネットに公開されていたが、どこにでもいる女子大生という感じだった。村田沙耶香だって玉川大学卒業後、コンビニでバイトしながら作家修業してたんだから同じようなものだけれど。村田にしろ宇佐美にしろ才能のひらめきは私にも感じられる。ただ宇佐美となると私と51歳の歳の差がある。孫の世代ですよ。本書はアイドルグループの追っかけをやっている女子高生の日常を題材にしたものだが、言葉についていけないものがある。「スクショ」ってなんだ?ネットで検索するとスクリーンショットのことだというが、スクリーンショットが分からない。ひとつひとつの術語に意味が分からない所があるが、文体はしっかりしている。例えば次のような描写は古風とも言えるのではないか。「風が吹き荒れていた。朝から急激に悪化した天候は、コンクリート製の壁に囲まれた建物の内部をも暗く湿らせている。雷は空を突き崩すような音を立て、壁に走ったひびや、セメントの気泡のあとを白く晒し出す」。これはアイドルグループのコンサート会場の描写なのだが、ある種のカタストロフィーを予感させる描写だ。好きな作家として確か中上健次を挙げていたがさもありなん。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
「ジョゼと虎と魚たち」(田辺聖子 角川文庫 昭和61年1月)を読む。表題作を含む9編の短編が収録されている。「ジョゼと…」をはじめ何度か読んだものばかりである。でも田辺の短編は読むごとに違った感懐を抱かせる。テーマは男と女の恋愛なのだが、「恋の棺」「ジョゼと…」「男たちはマフィンが嫌い」「雪の降るまで」は性が重要なテーマになっている。「恋の棺」は29歳のインテリアデザイナーでバツ1の宇禰と長姉の末息子で大学浪人中の有二の物語。遅い夏休みを一人で六甲のホテルの過ごす宇禰の物語。二人は宇禰の部屋で結ばれる。「しかし宇禰はこの悦楽を先鋭化するために、二度と有二と機会を持とうとは思わないのだ。宇禰はそういう決意を匕首のようにかくし持ちながら、微笑んでいる自分の「二重人格」が、いまはいとしく思えている。これこそ、女の生きる喜びだった」。性愛の男女行き違いを象徴的に描いているように思う。「ジョゼと…」は脳性麻痺のジョゼと大学生の恒夫の物語。ジョゼと同居していた祖母が死に恒夫は市役所に就職が決まる。アパートにジョゼを訪ねた恒夫は「信じられぬほどに小さく、まことに格好のいい美しい唇を目の前で見ていると急にそうしたくなって、接吻した」。それから二人は交わる。恒夫は「女子学生と何べんか体験はあったが、こんなこわれもののようなもろい体ははじめてだった。その日、はじめてジョゼの繊(ほそ)い脚を直接(じか)に見て、これも人形のような脚だと思った。しかし人形は人形なりに精巧にできていて、外から見るより、少なくとも女の機能はかなり図太く、したたかに、すこやかに働いているのがわかった」「繊い人形のような脚のながめは異様にエロチックで、その間に顫動している底なしの深い罠、鰐口のような罠がある。恒夫はそこへがんじがらめに括りつけられたように目もくらむ心地になる」-何とも巧みな表現でさすが田辺先生である。二人は一緒に住み始める。「恒夫はいつジョゼから去るか分からないが、傍にいる限りはそれでいいとジョゼは思う。そしてジョゼは幸福を考えるとき、それは死と同義語に思える。完全無欠な幸福は、死そのものだった」。これはもはや哲学ではないでしょうか。

10月某日
社保研ティラーレで吉高会長、岸工業の岸社長、OHANA税理士事務所の琉子代表とGバスターの販売戦略会議。新型コロナウイルス対策にGバスターが有効なことに何とか納得が行く。岸社長も琉子代表も熱心なので応援したいと思う。17時30分から神田美土代町の「花の碗」で社保研ティラーレの佐藤社長と年友企画の岩佐さんと食事。「花の碗」の基本はイタリアンだが、ランチに行くと赤だしの味噌汁とお新香が付き、ナイフとフォークに割り箸も付いているのでありがたい。ディナーでも割り箸が付く。料理も厨房で取り分けてくれるのもうれしい。家庭的な雰囲気で値段もリーズナブルだ。

10月某日
「駆けこみ交番」(乃南アサ 新潮文庫 平成19年9月)を読む。世田谷区等々力の交番に勤務する新米巡査、高木聖大が主人公。交番が舞台だから極悪人は出てこない。本書には「とどろきセブン」「サイコロ」「人生の放課後」「ワンマン詐欺」の4編が収められている。冒頭の「とどろきセブン」は、交番の近くのマンションのオーナーで自身もその最上階に住む老女、神谷さんをマドンナとする7人組の物語。「サイコロ」はサイコロのようなコンクリート製のモダンな住宅に住む小学生兄弟に対する育児放棄がテーマ。「人生の放課後」は神谷さんのもと住んでいた家がマンションに建て替えられる経緯と、そのなかで神谷さんを中心にした7人組が形成されてきたことが明らかにされる。「ワンマン詐欺」は愛犬が誘拐される事件が発生、犯人の元総会屋が逮捕され、犯人と亡くなった神谷さんの夫との意外な接点もあらわれる。高木聖大は主人公というよりも狂言回しと言った方が適切かもしれない。主人公はむしろ「とどろきセブン」を中心にした町の住民であり、隠されたテーマは「高齢社会における都市コミュニティ」だ。

10月某日
桐野夏生の最新作「日没」(岩波書店 2020年9月)を読む。帯に「『表現の不自由』の近未来を描く、戦慄の警世小説」と書かれていた。この小説を読み進むうちに、私は日本学術会議が推薦した新会員のうち6人が菅総理から任命されなかった件を連想し、一瞬心が暗くなったが半面で小説家桐野の時代を見抜く鋭さに驚かされもした。主人公は女性で40代バツイチの小説家マッツ夢井。「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会」から召喚状が届くことから驚愕の物語は始まる。読者からの提訴に基づいて作家に対して若干の講習などを行うという召喚状だ。召喚状に従ってJR線のC駅へ向かった夢井は待っていた車に乗せられて茨城県方面に向かう。着いたのはコンクリートの塀がぐるりと取り囲んだ七福神浜療養所だ。この療養所でマッツ夢井が体験したことを軸に物語は展開していく。まぁ時の政権に気に入らない小説を書いている小説家はコンクリートの壁に囲まれた「療養所」に収監されるのだ。ナチスはナチスの意向に逆らった知識人を弾圧したが、戦前の日本でも共産党だけでなく民主主義者や特定の宗教の信者が弾圧された。京大前総長の山際寿一氏が朝日新聞(10月22日朝刊)に「学術会議問題と民主主義 全体主義への階段上がるな」と題するエッセーを寄稿している。そのなかで「民主主義とは、どんな小さな意見も見逃さず、全体の調和と合意を図り、誰もが納得する結論を導き出すことだ」と書いている。なんの説明もなく学術会議が推薦した6名を任命拒否した菅首相は民主主義に背いていると言えないか? 私は今こそマルティン・ニーメラー(1892~1984 ドイツの神学者)の次の言葉をかみしめたい。「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。社会民主主義者が牢獄へ入れられたとき、私は声を上げなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」。

10月某日
16時頃、有楽町の東京交通会館にある「ふるさと回帰支援センター」に大谷源一さんを訪問したら17時30分頃まで会議ということなので、近くのガード下の呑み屋で時間をつぶすことにする。ウイスキーのソーダ―割を2杯飲み、つまみに頼んだポテトサラダを食べたところで大谷さんから「会議が終わった」との連絡が入る。「ふるさと回帰支援センター」に行くと高橋公理事長がいたので雑談。「学術会議問題は民主主義の危機」であることで一致、「団塊の世代に最後の頑張りが求められているね」と言ったら、ハムさんも「そーだよう」と大きく頷いていた。大谷さんと近くのイタリアンへ。厚労省から財務省に出向している吉田昌司さん、全国社会福祉協議会の古都賢一副会長、共同通信の城和香子記者と呑み会。城さんが同僚の岩原奈穂さんを連れてくる。よく食べよく呑んだ。

10月某日
御徒町の清瀧酒蔵でHCM社の大橋進会長とデザイナーの土方さんと呑む。コロナ禍、学術会議問題、経済の行方と話題は各方面に飛んだがたいへん面白かった。土方さんは3人の子持ちで奥さんがキャリアウーマンなので保育所の送り迎えと食事の支度は土方さんの役目。その奮闘記をユーモアたっぷりに聞かせてくれる。しかし、土方さんのような家庭が男女共同参画社会を実践しているのだ。大橋会長にすっかりご馳走になる。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
図書館で借りた「昭和史講義【戦後編】(下)」(筒井清忠編 ちくま新書 2020年8月)を読む。【戦後編】(下)は第1講「石橋内閣」から第21講「バブル時代の政治」を扱っている。石橋内閣は1956年12月から1957年2月までのごく短期間存続した内閣で、1948年生まれの私はこのとき小学校2年生、石橋内閣の記憶はほとんどない。しかしそれ以降の「安保改定」「安保闘争と新左翼運動の形成」「池田内閣と高度経済成長」「佐藤長期政権」「日韓基本条約」などは記憶に残っているし、第12講「全共闘運動・三島事件・連合赤軍事件」は私は早大全共闘の下級活動家として当事者の一人であった。本書を通読して思うのは「日本現代史は知っているようで知らないことが多い」という感慨であった。私が興味を持った幾つかについて感想を記しておきたい。
第3講「安保闘争と新左翼運動の形成」
安保闘争を主導した全学連と共産主義者同盟(ブント)が日本共産党での党内抗争を経て誕生したのは知っていたが、その淵源をたどると日共の所感派と国際派の分裂、六全協による党の統一までさかのぼることを初めて知った。そういえば廣松渉という東大教授で哲学者は安保ブントの理論家の一人であったが、高校生のときはすでに日共の党員だったという。本書によると日共東大細胞のキャップだった森田実と島成郎らが全学連を再建したのが1956年6月で同年秋の第2次砂川闘争には生田浩二、唐牛健太郎、清水丈夫ら後の安保闘争の指導者が参加した。彼らが全学連の主流派を形成するのだが主流派は日共の旧所感派が多かったというのも本書で初めて知った。生田浩二は静岡高校出身で高校時代からの党員で所感派に与し、中核自衛隊に志願して火炎瓶闘争を行った。生田はブントの事務局長を務めたが安保闘争後、青木昌彦らと渡米し近代経済学を学んだが志半ばにして火災事故で死んでいる。それはともかく日共から除名ないし排除された森田や島らによって1958年12月、ブント創立大会が開かれた。安保闘争後、ブントは分裂消滅するが、組織や理念は一部は革共同に吸収され、一部は第2次ブントに継承されていく。
第6講「池田内閣と高度経済成長」
60年安保の一連の騒動の責任をとって岸が退陣した後に登場したのが池田内閣である。所得倍増論を掲げた池田が主張したのは「政府が高成長に伴う税の自然増収分を財源に、鉄道や道路といった飽和状態の産業基盤の整備を進めれば、10年間に月給は2倍にも3倍にもなる」というものであった。実際に「1960年の一人当たり実質国民所得を基準にすると、68年に2倍を超え、70年には2.5倍になった」のである。私が早稲田に入学したのが68年だが、それまでのわが家の家計を考えるととても東京の私学には進学させられなかったと思う。それでも何とか学費を払うことができたのは高度成長のおかげということかも知れない。農村の過剰人口がとしに吸収されサラリーマンや工場労働者になって高度経済成長を支えた。おそらく出生率も2.0前後だったのではないか。未来に希望が持てた時代なのだ。高度経済成長には公害など負の側面は確かにあるけれど、国民一人一人にとっては今よりはるかに将来に希望の持てた時代であったと思う。
第10講「佐藤長期政権」第12講「全共闘運動・三島事件・連合赤軍事件」
佐藤政権は池田首相が1964年11月に病気で退陣した後を受けて登場した。政権は7年8カ月と長期に及び1972年7月に総裁選で福田赳夫に勝利した田中角栄に引き継がれる。私の高校3年間と浪人の1年間、大学の4年間とほぼ重なる。浪人しているときの1967年10月8日、佐藤訪米阻止の羽田闘争が三派全学連を中心とする学生たちによって闘われた。私は浪人だったから闘争には参加しなかったものの「大学に行ったら学生運動をやろう」とひそかに思ったものだ。68年頃から東大、日大をはじめ全国で学園闘争が激化、佐藤政権は大学立法で応じる。三島由紀夫が東大全共闘と駒場で討論を交わしたのが自決の1年前の69年5月である。早稲田から締め出されていた反革マル連合(後の早大全共闘)が、正門前に陣取る革マルの防衛隊を粉砕したのが4月17日、第2学生会館の封鎖が機動隊により解除され、学館の屋上で私が逮捕されたのが9月3日である。逮捕後、大森警察署に留置されることになるのだが、留置所の女子房に京浜安保共闘の女子学生が入ってきた。のちに連合赤軍で殺された大槻節子である。金網越しではあったが楚々とした美人であることが伺えた。70年の11月25日に三島と楯の会が市ヶ谷の自衛隊司令部で自衛隊の決起を促す演説した後、割腹自殺している。私は早稲田からバスで市ヶ谷に向かい、塀の周りをウロウロしたがもちろん現場に入ることはできなかった。評論家の村上一郎が中に入ろうと自衛官と押し問答しているのを目撃した。佐藤政権の末期は確かに騒然とした時代ではあったが、経済は好調でだからこそ学生が異議申し立てをする余裕があったのかもしれない。

10月某日
図書館で借りた「武器としての『資本論』」(白井聡 東洋経済新報社 2020年4月)を読む。奥付を見ると4月に初刷りを発行して3カ月後の7月に第6刷発行とあるから、この種の本としてはかなり売れているほうではないだろうか?「この種の本」とは左翼的な傾向のある本、ということで、私の学生時代とは真逆である。資本論とは言うまでもなくマルクスの手による資本制の本質を明らかにした書物だが、もちろん私は読んだことはない。白井聡は若手の若手(1977年生まれ)の政治思想史の学者で私は「未完のレーニン」「永続敗戦論」「国体論」などを読んだことがあるが、アカデミックな学者というよりも吉本隆明の若いときを思わせる鋭い問題意識を感じる。私は左翼の学生だったので若いときにマルクスやレーニンの本は読んだ。読んだけれどマルクスの資本論や経済学批判は敬遠し初期マルクスと言われた経済学哲学草稿、ドイツイデオロギーなどには挑戦した。が理解はできなかった。共産党宣言やフランスの内乱、ルイ・ボナパルトのブリューメル18日などは何とか理科で来たと思う。要するに原理論的な書物は苦手で運動論的なものは比較的好んでいたように思う。レーニンの「何をなすべきか」「国家と革命」なども運動論として読んだ。さて「武器としての『資本論』」だが、平易な語り口で叙述されていることもあって大変読みやすい。だが書かれている内容は高度。簡単に要約するのは困難なので著者の問題意識の一部を私なりに紹介してみたい。
マルクスによる資本制社会の定義は「物質代謝の大半を商品の生産・流通(交換)・消費を通じて行なう社会」であり、「商品による商品の生産が行われる社会(=価値の生産が目的となる社会)ということである。物質代謝とは人間が何かをインプットし何かをアウトプットしていく連鎖のことと考えていい。食物から栄養をインプットし、精神的・肉体的活動としてアウトプットしていくのも物質代謝の一環であろう。「物質代謝の大半」を「商品の生産・流通(交換)・消費」を通じて行なう社会」が資本制社会ということになる。日本でいえば江戸時代はこの定義が当てはまるのではないかと考えてしまうが、江戸時代は基本的には封建的な身分社会であり、土地の私有は原則認められず職業選択の自由もなかった。日本が本格的に資本主義化するのは、版籍奉還から廃藩置県、廃刀令が発せられ、四民平等が宣言された明治維新以降ということになる。
なお白井聡はユーミンが安倍首相の辞任会見について「泣いちゃった、切なくて」とコメントしたことに対し、自身のFacebookに「荒井由美のまま夭折すべきだったね。本当に醜態をさらすより、早く死んだ方がいい」と書き込み、非難を浴びた(らしい)。私は安倍首相の辞任に「泣いちゃった」りはせず、むしろ「もっと早く辞めるべき」と思った口だから、白井の感性に近い。だが、白井先生は自身の社会的な影響力に対してもっと自覚的になったほうがいい。「好漢、自重せよ」ですな。もちろん私は白井聡の政治思想の研究業績は高く評価します。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
全国社会福祉協議会の古都副会長に面談。社保研ティラーレの佐藤社長に同行して来月の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。場所を社保研ティラーレに移して吉高会長とOHANA税理士事務所の琉子さん、小林さんと新製品販売の打ち合わせ。有楽町の交通会館にある「ふるさと回帰支援センター」に大谷源一さんを訪ねる。高橋理事長に挨拶して近くの「三州屋銀座店」へ。大谷さんにご馳走になる。大谷さんに「Les Anges(レサンジュ)」第2号を貰う。この雑誌は目次に「新木正人と同時代の群像たち 時に刻んだ爪痕を見よ!」とあるように数年前亡くなった新木正人の友人たちによる雑誌である。新木正人といっても今や知る人も少ないと思う。というか新木が「遠くまで行くんだ」などのミニコミで健筆をふるっていた1960年代末から1970年代でも新木は「知る人ぞ知る」存在で決してメジャーではなかった。私も「新木正人を偲ぶ会」に大谷さんに誘われていくまでは知らなかった。しかし出席してみると早稲田の反戦連合の高橋ハムさんや鈴木基司さん、滋慶学園の平田豪成さん、社会保険研究所の金山さんなど見知った人に何人かに出会った。極めて粗っぽくまとめると60年代末から70年代にかけての「学生叛乱」の時代に革共同中核派から離脱した小野田譲二らと思想傾向を同じくするグループらしい。それはともかく帰りの電車で読んだ「Les Anges」はなかなか面白かった。

10月某日
図書館で借りた「昭和史講義【戦後編】(上)」(筒井清忠編 ちくま新書 2020年8月)を読む。このシリーズは近現代史や思想史の専門家がテーマごとに執筆している。本書では「天皇・マッカーサー会談から象徴天皇まで」から「日ソ共同宣言」まで20のテーマが設定されている。各編ともに私が初めて知った歴史的事実も非常に面白かった。各テーマの詳述は避けるが、編者の筒井教授の「まえがき」の一部を紹介しておこう。「戦後昭和史についての書物は多いが、客観的で実証的な研究成果に基づいて書かれたものは少なかった。しかしさまざまな形でようやく近年資料が公開され着実な成果が積み重ねられつつある。それらを初めて集大成するのが本書である」。

10月某日
「日本学術会議」が推薦した会員候補105人のうち6人が任命されなかった。会員は学術会議が推薦した候補を内閣総理大臣に任命されることになっているが、従来の慣例では候補者はそのまま任命されていた。ただ10月4日の朝日新聞では2016年の補充人事では官邸が難色を示し欠員補充ができなかったと報じている。いづれにしても安倍政権以来の官邸の官僚人事への介入が学術、学問の世界にも及んできているように思う。学術会議が誕生したのは戦前、一部を除いて大学や学者が戦争に協力してきた反省に基づいていると聞いている。6人のうち近代日本政治史の加藤陽子東大教授の著作の何冊か私も読んでいて、特に戦前期に日本が戦争に突き進んでいく状況を分析した「それでも日本人は『戦争』を選んだ」には感銘を受けた。政治権力が学問の世界に口をはさむのは厳に慎むべきだ。安倍―菅政権の問題、そしておそらくは官邸官僚の資質の問題と思われる。

10月某日
御徒町駅でHCM社の大橋会長と待ち合わせ。「清龍」という居酒屋へ行く。「清龍」は埼玉県蓮田の清瀧酒造の直営店で、私は神田と高田馬場店には行ったことがあるが御徒町店は初めて。大橋さんによると御徒町店は新しいのか「内装がきれい」ということだった。ホッピーを呑みながら楽しく会話、だが残念ながら呑み過ぎで内容は覚えていません。大橋会長にすっかりご馳走になる。

10月某日
社会保険出版社で高本社長と「Gバスター」の打ち合わせ。御茶ノ水から神田へ行って社保研ティラーレに寄って佐藤社長と懇談、大手町から霞が関へ。フェアネス法律事務所でリモート会議。終って遠藤代表弁護士に現在読んでいる「日ソ戦争1945年8月」の著者、富田武成蹊大学教授を「知っていますか?」と聞くと、「知ってるよ、この間も会ったばかり」と言っていた。富田には「歴史としての東大闘争」の著作もあり、社会主義学生戦線(フロント)の活動家だったという。フェアネス法律事務所の今村弁護士の父上は、東大駒場の自治会委員長でフロントだったというし、東大のフロントは優秀だったようだ。仙谷由人、阿部知子もそうだしね。

10月某日
「日ソ戦争1945年8月-捨てられた兵士と居留民」(富田武 みすず書房 2020年7月)を読む。第2次世界大戦の東アジア地域での戦闘、戦争を太平洋戦争と呼ぶのは米国側の呼称で、日本は大東亜戦争と呼んでいた。太平洋戦争では中国戦線やインパール戦線をイメージすることは難しい。まして終戦の年の8月9日、ソ連軍の満洲侵攻に始まり終戦が発せられた8月15日以降も戦闘が継続された、本書が言うところの「日ソ戦争」は、太平洋戦争の「本筋」からは外れた戦闘と思われがちだし、私も本書を読むまではそう思ってきた。1945年8月9日から9月2日まで戦われた日ソ戦争はソ連軍170万人、日本軍100万人が短期間ではあれ戦い、日本側の死者は将兵約8万、民間人約25万、捕虜約60万を数えた、明らかな戦争であった。私は確か加藤陽子の著作によって日本の戦死者が昭和18年以降に急増していることを知り、早期和平に踏み切れなかった日本の戦争指導者の決断力のなさに憤りを覚えた。日ソ戦争にもそのことは強く感じる。まして列車による避難は関東軍や満鉄社員とその家族が優先されたことを知ると、「権力者とその周辺を優遇する」という日本の「ある種の風土」を感じてしまう。これは最近の安倍政権や菅政権にも感じられることだ。と同時に捕虜をシベリアに抑留し、安価または無償の労働力として活用したソ連、スターリンにも怒りを禁じえない。ソ連は人的資源だけでなく工場の機械設備や原料、食料も奪った。そのうえソ連軍の軍紀は乱れ日本人婦女子に対する強姦事件が頻発したという。日ソ戦争については個別の具体例はこれまでも明らかにされてきたが、その全体像は本書によってはじめて明らかになったといって良い。

モリちゃんの酒中日記 9月その4

9月某日
昼飯にチャーハンをつくる。ニンジン、玉ねぎ、ピーマン、ニンニク、ニラをみじん切りにし、オリーブ油とこめ油で炒める。頃合いを見てご飯と溶き卵を入れる。最後にレタスを入れて胡椒と醤油で味付ける。これがなかなか旨い(と思う)。昼飯を自分で作ったので「プレミアム付き我孫子市内共通飲食券(あびチケ)」を昼飯には使えない。そこで3時過ぎに駅前のレストラン「コ・ビアン」に行って「エビときのこのアヒージョ」とキリン一番搾り中瓶を頼む。合計税込みで924円、「あびチケ」1枚(500円)と残りを現金で払う。公園坂を下って市民図書館へ。週刊誌を斜め読みして自宅へ。

9月某日
図書館から借りた「長女たち」(篠田節子 清朝文庫 平成29年10月)を読む。篠田節子はあまり読んだことがない。しかし篠田の病院ないしは老いに関わる小説を読んだ記憶がある。篠田自身の実母を介護した経験が一部下敷きになっている。本書には認知症の母を介護する出戻り娘の話(家守娘)、ヒマラヤ山系の高地で医療に貢献する女医の話(ミッション)、開業医の一人娘が独身のまま父をサポートし糖尿病に腎臓病を併発した実母を介護する話(ファーストレディ)の3編が収録されている。「家守娘」と「ファーストレディ」は育児と違って終わりを見通せない介護のつらさ、それを背負わされる娘の理不尽な思いが伝わってくる。「ミッション」は善意と熱意でアジアのへき地医療に貢献する女医が、善意と熱意だけでは埋めることのできない溝を現地の人たちに感じる様が描かれる。医療、介護、福祉の問題は制度だけでは片づけられない問題を抱えていることをよく表現できていると思う。だけど「家守娘」の認知症の母が72歳、「ファーストレデイ」の糖尿病と腎臓病を併発する母が60歳前というのは如何なものか?ちょいと若すぎないか。昼飯は駅北口のエスニック料理「レモン・グラス」へ。グリーンカレーを頼む。サラダ、生春巻き、アイスクリームがついて税込み1210円。「あびチケ2枚」と現金で支払う。

9月某日
午後、神田の社保研ティラーレの吉高会長を訪問、噴霧器の販売戦略について話し合う。次いでデスクを借りている御徒町のHCM社へ。コロナ禍がまだ続くようなのでHCM社のデスクから撤退することにしたと大橋会長に伝える。HCM社は三鷹で高齢者向けのデイサービスを運営している。コロナで廃業、休業するデイサービスが多い中で、HCM社はそれらの利用者の受け皿となっているそうだ。会長は大手生保、社長は大手銀行出身なので、組織の運営やビジネス感覚に優れているのだろうと思う。HCM社から同じ御徒町の吉池食堂へ向かう。SMSの長久保君が同社を退社するということなのでその慰労会を年友企画の迫田氏、酒井氏とやることに。30分ほど前に来て文庫本を読んでいるとまず酒井さん、次いで長久保君が来る。長久保君何とか言うITの関連企業に行くと言っていた。私の知らない企業名だったが迫田氏も酒井氏も知っていてその会社のサービスを利用していると言っていた。最近、若い人の話題についていけないことが多い。やはり「老兵は死なず消え去るのみ」(マッカーサー)なのであろうか。

9月某日
「遠い声 菅野須賀子」(瀬戸内寂聴 岩波現代文庫 2020年7月)を読む。菅野須賀子は大逆事件で幸徳秋水らと死刑に処せられた明治時代の無政府主義者である。政治犯、思想犯で死刑にされた女性は菅野須賀子が初めてであろうし、その後も出ていないのではないか。連合赤軍事件の永田洋子は死刑が確定していたが病死した。29歳で刑死した須賀子は本書によれば何よりも恋多き女であった。いくつかの恋愛を経た後、6歳年下の荒畑寒村と恋仲となり結婚する。しかし寒村の入獄中に秋水と親しくなり同棲する。出獄した寒村はピストルを抱いて二人を付け狙ったという。表紙に須賀子の写真が掲げられているが決して美人とは言えない。しかし持てたんでしょう。そういう女の人っているよね。美人ではないが男に人気のある人。須賀子は結核を病んでいて刑死しなくとも早死にしたと言われている。恋と革命に短い一生を燃焼しつくしたともいえる。大逆事件で実際に天皇暗殺を企てたのは須賀子と爆弾を製造した宮下、須賀子に従った新村と古河の4名で、残りの秋水らは冤罪とされる。冤罪を含む多くの死刑判決は明治政府の無政府共産主義に対する恐怖心の表れと思える。須賀子は潔く罪を認め裁判中の態度も立派だったという。「遠い声」の初出は「思想の科学」1968年4月号~12月号に連載された。「文藝春秋」1970年1月号に掲載された古河大作の死刑執行前の独白を装った「いってまいります さようなら」も収められている。解説はアナキズム研究者の栗原康。

9月某日
JR南千住駅で本郷さんと待ち合わせ。千住大橋の東京卸売市場の足立市場に向かう。南千住から市場へ向かう途中、「この辺に東アジア反日武装戦線の大導寺将司とあや子が住んでいたんだよ」と教えられる。大逆事件で刑死した菅野須賀子の本を読んだばかりなので何か因縁を感じる。東アジア反日武装戦線も確か昭和天皇の暗殺を企て荒川鉄橋の爆破計画を立てていた筈だ。それはともかく足立市場は魚専門の卸売市場で今回はそこの食堂で食事をとることに。何軒か食堂が並んでいるなか適当な店を選んで入る。まだ1時過ぎだが客もまばら、ビールと刺身の盛り合わせ、だし巻き卵を頼む。地酒を3本呑んでお勘定を頼むと一人2000円ちょっと。「夜は何時からですか?」と聞くと「夜はやっていません。2時30分で営業終了」とのこと。帰りは本郷さんは南千住からバスで。私は京成線の千住大橋から一駅の町屋で千代田線に乗り換え我孫子へ。我孫子駅前の「しちりん」でホッピーを頂く。

9月某日
HCM社で荷物の整理。大橋社長がパソコンと書籍や書類などを業者に頼んで「送っておきますよ」と言ってくれたのでお任せすることに。神田の社保研ティラーレによって、次回の「社会保障フォーラム」の受付状況を聞く。今回はリモートの応募が多いようだ。御徒町駅で年友企画の石津さんと酒井さんと待ち合わせ。台湾料理の「新竹」へ行く。10分ほど歩いて商店街のちょっと外れにその店はあった。この店は「魯肉飯のさえずり」という本を読んで「魯肉飯」を食べてみたいとパソコンを検索して私が調べた。台湾ビールや前菜、いろんな炒め物、そしてもちろん魯肉飯も美味しかった。石津さんにすっかりご馳走になる。あとで調べたら「新竹」というのは台湾の都市の名前だった。

9月某日
「そこにはいない男たちについて」(井上荒野 角川春樹事務所 2020年7月)を図書館から借りて読む。2組の男女の話。料理研究家の園田実日子は愛する夫が死亡してそのショックから立ち直れないでいる。不動産鑑定士の夫、光一との仲が冷え切っているまりは、マッチングアプリで知り合った青年と付き合っている。下北沢とか三鷹台とか今どきのお洒落なスポットが舞台。ストーリーも面白かったが私には園田実日子の作る料理の描写に興味を魅かれた。井上荒野の小説には料理を題材にしたものがいくつかある。「キャベツ炒めに捧ぐ」や「リストランテ アモーレ」などだ。きっと井上荒野も料理好きなのだろう。

モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
近所の床屋さんに行くと「勝手ながら休みます」の張り紙が。しょうがないので床屋さんの近くの我孫子の農産物直売所の「アビコン」を覘く。レタスとニンニクを購入しての帰り道に携帯が震える。「大谷」の表示。「大谷だけど今日、よろしくね」「えっ何かあったっけ?」「会食の約束でしょうが」「あーごめんごめん」。というわけでシャワーを浴びて着替える。18時に東京交通会館の「ふるさと回帰支援センター」で待ち合わせることにしたので、その前に神田の「社保研ティラーレ」によって吉高会長と佐藤社長と懇談。17時過ぎに交通会館に着く。1階の「三省堂書店」「北海道物産店」を覘いた後、「支援センター」へ。大谷さんに古都さんに押し売りされた「自治体職員かく生きる」を押し売り。しばらくすると神山弓子さんが来る。19時30分のスタートだが「練習をやろう」ということで、高知県アンテナショップの「おきゃく」に移動、ビールを呑む。定刻になって厚労省から総務省に出向している辺見聡さん、同じく財務省に出向している吉田昌司さんが来る。辺見さんからは「大臣官房審議官(情報流通行政局担当)」の名刺を、吉田さんからは「財務省主税局総務課兼調査課 企画官」の名刺を頂く。

9月某日
図書館で借りた「なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか」(望月衣塑子+佐高信 講談社+α新書 2020年7月)を読む。望月は映画「新聞記者」の原作となった同名のノンフィクションも書いている。菅官房長官(当時)への「しつこい」(いい意味でね)質問でも名前を挙げた。望月と佐高の対談がメインなので読みやすく2時間ほどで読了。テレビのワイドショーを観ると日本の「政治ジャーナリズム」は一見すると隆盛を誇っているかに見える。しかし望月も佐高も権力批判こそジャーナリズムの本懐と主張する。私もまったく同感である。望月は1975年生まれで今年45歳、表紙に佐高とともに写真が掲載されているがキリリとした美人である(どうでもいいけど)。両親は団塊の世代でともに亡くなっている。父親は左翼の活動家であったようだ。

9月某日
地下鉄の千代田線で我孫子から新御茶ノ水へ。美土代町のイタリア風レストランの「花の碗」へ。社保研ティラーレの吉高会長と会食の予定。次亜塩素酸水や二酸化塩素水による微細ミストの噴霧器Gバスターを開発した人を紹介してくれるという。吉高会長が開発者の岸工業社長の岸さん、二酸化塩素を取り扱っている㈱プライスの河田社長、税理士の琉子さんをともなって現れる。社会保険旬報の谷野編集長を交えランチ。私は海鮮パスタを頼んだが、スープが絶品でした。会食後、揃って社会保険出版社を訪問、同社の高本社長はじめ営業幹部に説明する。岸さんや河田さんの説明を聞くとGバスターは確かに不特定多数の住民が利用する役所の受付や高齢者施設、学校などでの需要が期待できそうだ。社会保険出版社での説明が終わった後、私はお茶の水駅から神田経由で我孫子へ。「しちりん」によって18時頃帰宅。

9月某日
高血圧の治療にほぼ月1回、「中山クリニック」に通っている。治療と言ってもドクターが「どうですか?」と聞いて私が「変わりありません」と答え、「じゃ、血圧測りましょう」とドクターが血圧を測って終わり。5分もかからない。それから処方箋を持って薬局へ行く。今日は奥さんから「プレミアム付き我孫子市内飲食共通券」の「あびチケ」を貰ったので、中山クリニックの近くの蕎麦屋「三谷屋」へ行って「親子丼」を食べる。ぶらぶらと公園坂を歩いているとちょうど「鳥の博物館経由天王台駅行き」のバスが来たので乗ることにする。鳥の博物館は我孫子農産物直売所アビコンのすぐ近くなので、アビコンでニラとピーマンを買う。アビコンから我孫子市民図書館まで歩く。

9月某日
図書館で借りた「時代の抵抗者たち」(青木理 河出書房新社 2020年5月)を読む。元共同通信の記者で現在、フリージャーナリストとしてコメンテーターなどテレビ出演も多い青木の対談集。テレビのコメンテーターは発言時間が短く細切れに切り取られがちだ。青木のテレビでの発言も「いいことを言っているな」と思わせるものも多いのだが、時間の関係でどうしても事件に対する「感想」の域を出ないと私などは思ってしまう。本書はなかにし礼、前川喜平、古賀誠など9人の論者と青木の対談をまとめたもので読み応えがあった。私はとくに古賀誠「平和を貫く保守政治を」、岡留安則「スキャンダリズムから沖縄の怒りへ」、安田好弘「オウム事件、光市事件の弁護人として」を面白く読んだ。古賀はかつての自民党保守政治家の良心と凄さを持っている人で、岡留の反骨精神は現代のジャーナリズムにこそ復権させなければならないものだ。私がもっとも感心したのは安田好弘だ。光市事件とは18歳の少年が光市の団地に水道の検針員を装って侵入、若い母親を強姦のうえ殺害し寝ていた乳児も殺害したというものだ。犯人は極悪人のように報道され私もそれを信じていた。安田は丹念に被告との面談を繰り返し、被告が両親から虐待を受け、母親の自殺まで目撃したことを調べ上げ、被告に「解離性障害」の疑いがあることを突き止める。「真実を追求する」のは弁護士のみならず、検事、裁判官、捜査に携わる警察官の責務だが、安田は愚直にそれをやっている。青木が安田に「心からの敬意を抱いている」というのもうなづける。

9月某日
図書館で借りた「おさん」(山本周五郎 新潮文庫 昭和45年6月)を読む。文庫本の初版は昭和45年だが、私が手にしたのは平成30年7月73刷であった。周五郎は1967(昭和42)年に亡くなっているが、国民的な作家として今も根強い人気があることを示している。私も40代頃には周五郎はよく読んだ。「樅ノ木は残った」「五變の椿」「虚空遍歴」「さぶ」などなどである。どちらかというと長編を好んで読んできたような気がするが、周五郎には短編にも名作がある。「おさん」には10の短編が収められている。冒頭の「青竹」は昭和17年に満洲で発行されていた「ますらを」に掲載された作品。大阪夏の陣で主人公は軍令に背いても持ち場死守するが部下の大半を失う。軍令違反で処分されるが結局は加増される。周五郎の太平洋戦争中の作品には戦意高揚ものもあるが、当時「上官の命令は天皇陛下の命令」だったわけで、この作品は軍令違反を採りあげているだけに微妙だ。10作品のうち「戦陣もの」はこの1作のみで、あとは「市井もの」「武家もの」。異色なのが平安時代の盗賊を主人公にした「偸盗」。主人公の鬼鮫は貴族は農民や庶民から搾取して富を築いているのだから、その一部を盗賊が盗み返すのは当然という価値観の持ち主。貴族の16歳の美貌の娘を誘拐して身代金を奪おうとするのだが、この娘がとんだあばずれで鬼鮫が蓄えていた貴重な食べ物、酒を消費し、あろうことか類い稀な好色で鬼鮫に肉体関係を迫る。これは昭和36年の作品である。ということは昭和35年の安保闘争における共産党や社会党の正統反体制グループを鬼鮫が象徴し、当時の全学連や共産主義者同盟の異端反体制グループを貴族の姫が象徴していると言えまいか。ちょいとうがちすぎかね。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
図書館で借りた「魯肉飯(ろばぷん)のさえずり」(温又柔 中央公論新社 2020年8月)を読む。台湾に赴任した男が台湾人女性と結婚、日本に帰国して生まれた女児が主人公の桃嘉(ももか)。桃嘉は台湾人の母親(雪穂)と日本人の父親(茂吉)によって大切に育てられ大学に進学する。いくつかの就職試験を受けるが全敗したこともあってサークルの先輩で商社マンの聖司のプロポーズを受け入れる。日本人と台湾人のハーフの桃嘉と台湾人の雪穂の眼を通して家族とは、夫婦とは?を問いかける。私は桃嘉の夫の聖司の描き方がやや類型的と思った以外は大変面白かった。魯肉飯とは台湾料理でご飯に肉とスープを掛けたものらしい。今度、食べてみよう。

9月某日
「自治体職員かく生きる」(自治体活性化研究会 生活福祉機構 2019年5月)が5冊送られてくる。自治体活性化研究会の幹事のひとりの古都賢一さんから「モリちゃん買ってよ」と言われたからである。定価2000円を1600円に割り引いてくれたので8000円である。早速、神田のきらぼし銀行から送金する。神田に来たついでに「魯肉飯」を食べようと、スマホで台湾料理店を探す。駅の南口にあるということだが見つからない。スマホの地図ってわかりにくいんだよね、私にとっては。仕方がないので前に行ったことのある「隨苑」で「カニチャーハン」(700円)を頼む。神田の社保研ティラーレに寄った後、虎ノ門のフェアネス法律事務所の渡邉弁護士と面談、遠藤代表弁護士も顔を出す。霞が関から千代田線で我孫子へ。駅前の「しちりん」で黒ホッピーと白ホッピー。

9月某日
厚生労働事務次官を退任する鈴木俊彦さんに挨拶するために社保研ティラーレの吉高会長、佐藤社長と事務次官室へ。15分ほど話しをして退出。社保研ティラーレに帰って「魯肉飯」の話をすると、吉高さんが「台湾料理で暑気払いしようか」。ということで昨日見つからなかった神田駅南口の台湾料理店に向かう。やはり見つからないので店に電話すると、神田店は撤収したということだ。近くの「アサリラーメン」をメインにしている店に入る。アサリの蒸したものやムール貝の韓国料理風に味付けしたものとか意外に美味しかった。すっかりご馳走になってしまった。

9月某日
図書館で借りた「帰らざる夏」(加賀乙彦 講談社文芸文庫 1993年8月)を読む。加賀乙彦は今年になってから「湿原」「宣告」を読んだがいずれも読み応えがあった。「帰らざる夏」は太平洋戦争末期の陸軍幼年学校を舞台とした長編小説である。加賀自身が陸軍幼年学校に入学し終戦により学校自体が消滅し、旧制中学に復学しているから主人公の幼年学校生徒、鹿木省司という少年には作家自身の体験が反映されている筈だ。戦争末期であるから幼年学校全体が「天皇陛下のために死ぬ」という空気に覆われていた。これはおそらく事実と思われる。が14歳で幼年学校に入学し16歳で卒業して陸軍士官学校に進学するわけだから、そこにはもちろん青春がある。男だけの世界であるからそこには男同士の同性愛的な感情も発生する。戦争自体は天皇の玉音放送によって終結するのだが、それに納得できない鹿木と鹿木と同性愛的に結ばれている源は、割腹自殺する。小説のラストは鹿木と源の割腹シーンで終わる。三島由紀夫と森田必勝の市谷陸上自衛隊での自決を思い出させるシーンである。

9月某日
図書館で借りた「ジョージ・オーウェル-『人間らしさ』への賛歌」(川端康雄 岩波新書 2020年7月)を読む。ジョージ・オーウェルは「動物牧場」「1984」といった全体主義を風刺したイギリスの作家で、私はオーウェルがスペイン内戦に人民戦線側の義勇軍に参加したときのドキュメント「カタロニア賛歌」を昔、面白く読んだことがある。しかしオーウェルについての知識はそれくらいで今回、この本を読んで作家の誕生から死までのおおよそを理解することができた。オーウェルは1903年にインドで生まれた。父親は現地で英国政府の役人をしていた。オーウェルによると「ありきたりの中流階級家庭のひとつ」だ。オーウェルは生後一歳で英国に戻り、18歳でパブリック・スクールのイートン校を卒業、大学には進学せず当時英国の植民地だったインド帝国警察官任用試験に合格する。赴任先はビルマで24歳まで植民地での警察官を務める。中産階級の出身で植民地の警察官を務めた経験が、オーウェルの労働者階級への同情や反帝国主義的な感情を高めることになったようだ。英国に帰国後は作家を志す一方で貧民窟を訪ねたり、ホテルのポーターや皿洗いを経験する。1933年、「パリ・ロンドン放浪記」で作家デビューする。
1936年6月にアイリーンと結婚、7月にスペイン内戦が勃発、12月にスペイン、バルセロナに入る。1937年1~6月、人民政府側のPOUM(マルクス主義統一労働者党)の民兵隊に参加し、アラゴン戦線で闘う。これをドキュメントとして描いたのが「カタロニア賛歌」である。スペイン内戦は政権を握っていた人民政府に対する、ドイツ、イタリアの支援を受けたフランコの率いるファシストのクーデターにより始まった。人民政府側にはソ連が支援し、世界各地から労働者、市民が義勇軍として参加した。ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」はスペイン内戦を舞台としたもので、ゲイリー・クーパーとイングリッド・バークマンの主演で映画化されている。私はテレビで放映されているのを観たが、義勇軍として参加したアメリカ人(クーパー)とファシストにより金髪を丸刈りにされたバーグマンの悲恋映画である。重傷を負ったクーパーがバーグマンを逃がすために、独り機関銃坐に残る。私も残ると泣き叫ぶバーグマンにクーパーは「逃げろ!僕は君の心に生き続ける」と叫ぶ(私の記憶による再現です)。話は逸れたがPOUMはトロツキスト主体の政党であったため最初はファシストに次いでソ連に支援されたスターリニストに弾圧される。このときのスターリニストやファシストに対する嫌悪がオーウェルに「動物牧場」や「1984」を書かせたと言える。
スペインでのスターリニストからの逮捕を辛うじて逃れたオーウェルは「ソヴィエト神話を暴露」するために「動物牧場」の執筆を開始する。1944年2月に脱稿するが何社もの出版社から出版を断られる。というのも第2次世界大戦の末期であり、英国とソ連は同盟関係にあったため、出版は友好関係を損なうと思われたためだ。「動物牧場」の出版は1945年の8月まで引き延ばされることになるが、これが功を奏して「動物牧場」は世界的なベストセラーとなる。戦争の終息は冷戦の始まりでもあり「動物牧場」はソ連の体制批判として受け入れられたのだ。「あらすじ」は本書によると、農場で酷使されていた動物たち(農民、プロレタリアート)が人間の農場主(皇帝、ブルジョアジー)を追放、動物たちの自主管理による「動物牧場」(ソ連)が成立するが、やがて動物たちのなかでも管理能力のある豚たち(共産党)が農場の運営を組織してゆく。まもなく豚の特権化が進行し、権力闘争の末、豚のナポレオン(スターリン)の独裁体制が完成するというものである。「動物牧場」の完成を待たずに最初の妻、アイリーンは39歳で死去する。
「動物牧場」に続いてベストセラーとなったのが1949年6月に刊行された「1984」である。同じく本書の「あらすじ」によると、1984年、世界は3つの超大国に分割されている。主な舞台はオセアニア国に属するロンドン。神格化された指導者ビッグ・ブラザーを頂点とする党の支配が貫徹している。「テレスクリーン」による私生活の監視、友人や家族による密告、マスメディアの操作、言語の改造によって思想統制が徹底されている。党支配に疑問を抱くようになった主人公は恋人と密会し禁断の自由恋愛を実行する。現体制の転覆を夢想するが、思想警察に逮捕され、ついには破滅する。この「あらすじ」だけでもいろんなことが連想させられる。ビッグ・ブラザーは麻原彰晃を、私生活の監視、友人家族による密告はコロナ禍の「自粛警察」、マスメディアの操作、言語の改造は安倍政権による文書の改ざん、森友、加計、桜疑惑だ。「1984」の刊行後、その年の10月にオーウェルは肺結核で入院していた病院で15歳年下のソニアと再婚するが、翌年1月に大量喀血で死去、46歳であった。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
社保研ティラーレで佐藤社長、吉高会長と13時過ぎから打ち合わせ。その前に近くのラーメン屋「天天有」で「冷やしラーメン」(700円)を食べる。ここの冷やしラーメンを食べるのは二度目。スープに氷が5~6個浮いていて見るからに涼しそう。細長く切ったチャーシューとネギがたっぷり。ここの冷やしラーメンはお勧めです。佐藤社長、吉高会長と打ち合わせの後、内閣官房の吉田学新型コロナウイルス感染症対策推進室次長(内閣審議官)に面談、「地方から考える社会保障フォーラム」の講師について相談する。私は国会議事堂前から千代田線で我孫子へ。我孫子駅前の「しちりん」に寄る。

9月某日
神田の鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」でランチ。「本日の煮魚定食」(800円)を頼む。店員の大谷君が「今日はカレイです」。美味しかったが小骨が多く食べ散らかしてしまった。社保研ティラーレで打ち合わせ。缶ビールを頂く。帰りの電車で「大衆食堂へ行こう」(安西水丸 朝日文庫 2006年8月)を読了。安西が東京の大衆食堂を訪問、イラスト入りで紹介したもの。神田のガード下の「弁亀本店」(閉店)、築地の「たけの」など私の行ったことのある店も紹介されていた。

9月某日
今週は「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせでほぼ毎日、神田の社保研ティラーレへ。今日のランチは鎌倉河岸ビル1階の「石川亭」でカレーを食べようと思っていたら、本日休業の札が。しかたがないので地下1階の「跳人」で「本日の日替わり定食(とんかつ)」(800円)を食べる。18時から厚労省OBで全社協副会長の古都賢一さん、滋慶学園OBでふるさと回帰支援センターの大谷源一さん、そして年友企画の酒井佳代さんと「跳人」で呑み会。安倍首相退任を受けて自民党の総裁選が実施される。岸田派、石破派以外の派閥は菅義偉官房長官支持を表明。勝ち馬に乗る姿勢が見え見え、情けないねぇ。かつての自民党の派閥、派閥の領袖にはもっと活力、迫力があったと思うけど。

9月某日
午後から図書館で借りた「カレーライス-教室で出会った重松清」(新潮文庫 令和2年7月1日)を読む。重松清は人気があるようで「この本は次の人が予約して待っています。読み終わったらなるべく早くお返しください」と書かれた黄色い紙が裏表紙に貼られている。重松清の作品は教科書や入試問題に採用されることが多い。この短編集には重松の作品の中から教科書に載ったものや入試や模試に繰り返し出題された話が掲載されている。重松の作品でこれまで私が読んだものは「毒がない」のが共通点。まぁ小学校や中学校生活を舞台に子供たちや教師を登場人物とするのだからそれも無理はない。この短編集にも母親が入院する話や少年野球のレギュラーになれないまま小学校を卒業する子どもとその父親でチームの監督している男の話など、「毒はない」けれどちょっぴり「苦味」の効いた作品も。

9月某日
我孫子の農産物直売所「アビコン」へ行く。レモン1個(170円)とレタス(150円)を購入。アビコン併設のレストラン「舞米亭」で昼食、カレーライスを注文する。ここは本来、セルフサービスの店なのだが、私が杖を突いているのを見た店員(オバサン)が「いいですよ」と言ってカレーを持ってきてくれた。意外と言っては何ですが美味しかった。カレーと揚げ野菜、ライス、サラダが別々に出てくる。ライスに揚げ野菜を乗せてカレーをかけて食べました。食べ終わった器を下げるのも店員がやってくれて、お店を出るときにも「お気を付けて」の一言。

9月某日
厚労省の1階で社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。老健局長の土生栄二さんの部屋に伺い、次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の講演をお願い、快諾してもらう。社保研ティラーレで吉高会長と面談、新型コロナウイルス対策の噴霧器の販売を手伝うように言われる。帰りに小腹が空いたので我孫子駅の日高屋で「冷やし麺」(550円)を食す。

モリちゃんの酒中日記 8月その4

8月某日
コロナ禍で近場の飲食店も困っているだろうと思う。昼飯はなるべく近場の飲食店でとるようにしよう。まずわが家から一番近いと思われる「手打蕎麦 湖庵」(若松139-3)へ行く。ヒマと読んでいたがほぼ満席であった。そういえば今日は日曜日だっけ。茗荷やネギ、揚げ玉、鰹節などが入った冷やし蕎麦(正式名称は忘れた)を頼む。そこそこ旨いと思うが、汁を全部飲み終わった後に「そば湯」が出てくる。仕方ないので「そば湯」を器に入れて呑むが、これが結構旨かった。お値段は税込1210円。そばを食い終わった後、歩いて5分の我孫子市民図書館へ。コロナの影響でここも比較的空いている。いつもは受験生らしき若者に占拠されているデスクで「スミス・マルクス・ケインズーよみがえる危機の処方箋」(ウルリケ・ヘルマン みすず書房 2020年2月)の残りを読む。ヘルマンという人は学者ではなくジャーナリストなんだけれど、私には経済学の基礎がないので読みやすくはなかった。結局のところヘルマンは新古典派=新自由主義者を否定する。スミス、マルクス、ケインズはそれぞれ時代的な制約もあって過ちも犯すが、学問的な誠実さは新古典派よりもはるかにあったとされる。私は学問的なことよりも経済学の巨匠の私生活が垣間見えて、そこが楽しかった。マルクスには3人の娘がいたが、彼女たちにはフランス語とイタリア語の家庭教師を付け、絵と歌とピアノを習わせた。完全なブルジョア教育である。しかもマルクスには資本主義社会でお金を稼ぐ能力に欠け、その生活はエンゲルスに支えられていた。ケインズには同性愛的な傾向があり、何人かの愛人がいた。2人の男性は生涯を通じて重要な存在であったと記されている。まぁそんなことは彼らの経済学に対する貢献に比べると、どうということはないけれど。

8月某日
向田邦子の「あ・うん」(文春文庫 2003年8月新装版第1刷)を読む。向田は昭和4(1929)年生まれ、放送作家となり代表作に「だいこんの花」「七人の孫」「寺内貫太郎一家」などがあるが、55年に初めての短編小説で直木賞を受賞、56年8月に航空機事故で急逝した。「だいこんの花」は森繫久彌と竹脇無我が親子の役で私はよく観ていた。ウイキペディアによると「あ・うん」はもともとテレビドラマで、その後に小説化されたという。テレビドラマ化もNHKとTBSで行われたという。工場経営者の門倉修三と製薬会社のサラリーマンの水田仙吉が主人公。2人は軍隊で一緒に上巻に殴られた仲。門倉は仙吉の妻、たみに惚れていて、仙吉もたみも気付いているが口にすることはない。私はテレビドラマの記憶はないがNHKでは仙吉をフランキー堺、門倉を杉浦直樹、たみを吉村実子、仙吉とたみの娘、さと子を岸本加世子が演じている。TBSでは仙吉を串田和美、たみを田中裕子、門倉を小林薫、さと子を池脇千鶴という布陣だ。映画は私は観ている。門倉が高倉健、仙吉が坂東英二、たみが富司純子、さと子が富田靖子である。富田靖子は去年か一昨年のNHKの朝の連ドラ「スカーレット」で主役のお母さん役をやっているから、それくらい時間が経っているということ。

8月某日
図書館で借りた「見知らぬ妻へ」(浅田次郎 光文社文庫 2001年4月)を読む。8編の短編が収められていて、読み始めて「なんか読んだような記憶があるな」と思っていたが、最後に納められている表題作を読んで「これは確かに読んだことがある」という確信に変わった。「酒中日記」をスクロールすると2017年の10月に読んでいる。3年近く前ではあるがそれにしても自分の記憶力に自信が持てなくなった。しかし物は考えようである。何度も同じ本を楽しめるということは悪いことではない。この短編集に共通しているのは「愛の切なさはかなさ」であろうか。「30年近い前にふと知り合った踊り子との短い出会い」(踊子)、「クラシックの世界を捨てクラブのピアニストとして生きる男の孤独と矜持」(スターダスト・レヴュー)、「戦後の広場での混血の男の子との出会いと別れ」(かくれんぼ)、「北海道に家族を残し歌舞伎町で客引きをする男と偽装結婚相手の中国人女性との切ない愛」(見知らぬ妻へ)などである。これは田辺聖子の短編にも言えることだがある種の類型である。彼については解説で橋爪大三郎が、浅田は「類型の造形に徹底することで、作品世界の奥行きを深めるという方法をとっていると思われる。いわば類型を使って類型をつき破る試みだ」と分析している。

8月某日
午前中、企業年金連合会の足利聖治さんを訪問。浜松町から神田へ。「跳人」で「マグロのづけ丼」で昼食。従業員で顔見知りの大谷君がアイスコーヒーをサービスしてくれる。社保険ティラーレで「地方から考える社会保障フォーラム」の反省と次回の講師について検討。今回から会場とリモート参加を並行して行ったが概ね好評だったようだ。続いて有楽町の銀座法律事務所で田中弁護士と打ち合わせ。終了後、御徒町駅北口改札へ。年友企画の社員の石津さん、酒井さんと待ち合わせ。石津さんの提案で。湯島のへぎ蕎麦「こんごう庵」へ。天ぷらはじめ大変おいしかった。締めにへぎ蕎麦を頂く。御徒町から帰る二人と別れ、私は湯島から千代田線で我孫子へ。

8月某日
新霞が関ビルのロビーで社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。4階の全国社会福祉協議会で副会長の古都賢一さんに面談、次回の「地方から考える社会保障フォーラム」への出席をお願いする。地下鉄の国会議事堂前から大手町へ。社保研ティラーレによって神田から我孫子へ。我孫子の「七輪」でビール。

8月某日
「新自由主義の帰結―なぜ世界経済は停滞するのか」(服部茂幸 岩波新書 2013年5月)を読む。7年以上前に書かれた本だが、コロナ不況の現在にも当てはまることが多いと感じた。この本が書かれた当時の経済危機といえば08年のアメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻によるリーマン・ショックであろう。アメリカ政府は金融機関を救済するために多額の公的資金を投入した。リーマン・ショックの前にサブプライムローンの破綻に端を発した住宅バブル崩壊があり、その前にはITバブル崩壊があった。服部はアメリカ政府の経済政策の失敗を新自由主義的な経済政策の失敗とし、今こそニューディール政策に学べと主張する。ひるがえって新型コロナウイルス対策として40兆円に及ぶ国費が投じられ、あるいは投じられようとしている。全額が国債による借金である。バラマキではなく新型コロナウイルスや災害に備えた社会インフラの整備に使ってもらいたいと切に願う。

8月某日
国立西洋美術館に「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」を観に行く。この日は大谷源一さん、神山弓子さんと3人で我孫子の「七輪」で呑むはずだったが大谷さんが17時30分まで会議ということなので上野の美術館で時間をつぶそうとなったわけ。例によって私の障害者手帳を示すと本人と付き添い1名が観覧料無料となる。常設展も観て上野から常磐線で我孫子へ。20分ほど我孫子駅の南口あたりを案内する。「七輪」の2階を神山さんが予約していてくれたので2階へ。神山さんから日本酒を頂く。18時45分ころ大谷さんが到着。改めて乾杯。

8月某日
安倍総理が記者会見で辞任を表明。コロナ対策、経済対策が迷走するなか潰瘍性大腸炎が再発した。この人は攻めには強いが守りには弱い。こうした人に長期政権を委ねた政治家、そうした政治家を選んだ私も含めた国民の罪は重い。
図書館で借りた「物語の海を泳いで」(角田光代 小学館 2020年8月)を読む。角田光代が書いてきた書評や読書について書かれたエッセーを一冊にまとめたもの。自分の読んでいない本の書評というのは如何なものかと思ったが、読んでみると角田の感性にそれなりに触れることができて面白かった。そうは言っても好きな作品の書評を読むのは格別。吉田修一や白石一文、桐野夏生、井上荒野、川上弘美、辻原登などの作品に対する書評には引き込まれる。「あとがき」に「50歳を過ぎ、さらに衝撃的なことに気づいてしまった。何ということだろう、読んだ本の中身を忘れてしまうのである」とあって、思わず「おんなじ」とニヤリ。

8月某日
図書館で借りた「靖国神社の緑の隊長」(半藤一利 幻冬舎 2020年7月)を読む。半藤が「週刊文春」の編集者だった1960年夏に執筆、出版した「人物太平洋戦争」から8編をえらび、読みやすい文章に書き直したものだ。「まえがき」で半藤は、「戦争の犠牲者をどう追悼したらいいか」と聞かれたら「日本がいつまでも平和でおだやかな国であることを、亡くなったひとたちに誓うこと」と答えると自問自答している。半藤は東京大空襲も経験した「反戦」の人なのだ。NHKBSで渡辺恒雄読売新聞社主の長時間インタビューを放映していたが、この人も反戦の人だね。半藤は今年90歳、渡辺は94歳である。戦争の記憶はどんどん薄れていく。

8月某日
近場のレストランシリーズ第2弾、本場インドカレー専門店と銘打った「ハリオン」(若松141-4)へ行く。若松店と我孫子駅北口店、取手店と3店舗もある。我孫子産のチキンとトマトを使ったセット1230円を頼む。ナンまたはライスでライスを選択。バターライスなのかな。私には少し量が多い。満足して店を出るが外は猛烈な暑さ。普段なら5分で家に着くがマスクをしてヨロヨロ歩くので倍近くかかってしまった。

モリちゃんの酒中日記 8月その3

8月某日
我孫子の駅前の本屋で見た「すき焼きを浅草で」(平松洋子 文春文庫 2020年5月)を購入、早速読む。我孫子駅前の本屋はもともと平賀書店といって地元資本のお店だったのが、何年か前に東武鉄道系の書店に代わり今では1階がコンビニ、2階が漫画と雑誌、文庫本主体の本屋となっている。2階には店員は不在で、1階のコンビニで決済する。地方都市の本屋の生き残ることの難しさがこんなところにも表れている。「すき焼きを浅草で」は週刊文春で連載中のコラム「この味」を文庫化したもので、すでに6冊が文庫化されていることを初めて知った。作者の平松洋子さんという人のことを30~40代の独身女性というように漠然と想像していたが、実は1958年生まれの現在62歳、結婚していて成人した子供もいることを知ってちょいとびっくり。基本的には食にまつわるエッセーなのだが、ときに現代日本社会に対する鋭い批評もあって、「平松洋子侮りがたし」である。このところ本はもっぱら図書館だが、平松洋子のこのシリーズは書店で、しかも我孫子駅前のコンビニの2階の本屋で買おうかな!

8月某日
朝、家の周りを散歩する。6時に家を出て、家の前の手賀沼遊歩道へ出てそのまま沼に出る。もう釣りをしている人が何人かいる。竿を固定して近くの人と大声で話している人がいる。あんな声を出していては魚が寄ってこないのではないか。犬の散歩をしている人どうしが何人か集まって会話をしている。ジョギングしている人とも何人かすれ違ったり追い越されたりする。7割程度は私と同じ年恰好かそれ以上の高齢者である。グランドでは多少は若いご婦人のグループが敷物を敷いて体操をしている。手賀沼の近くに住んで半世紀近くになるが、手賀沼の魅力を感じるようになったのはこの1~2年、仕事を辞めてからだ。1時間ほど散歩して家に帰る。明日はもう少し早く家を出よう。
図書館で借りた加賀乙彦の「風と死者」(筑摩書房 1975年2月)を読む。奥付が新装版第2刷となっている。1966年から69年にかけて雑誌に掲載された4編の短編が収められている。加賀乙彦の短編を読むのは初めてだが、私には4編がそれぞれに面白かった。「くさびら譚」は、「私」の大学時代の恩師で世界的な神経病理学者、朝比奈教授の話である。教授はあるときから神経病理学に興味を失い、キノコの採取、分類にとりつかれる。そして自ら「私」の勤務する精神病院への入院を希望する。加賀は異常と正常を超えて「精神の高み」があることを示したかったのではなかろうか。「車の精」は、フランス人の老神父から譲られた愛車の話。優れたユーモア小説として私は読んだ。「ゼロ番区の囚人」は東京拘置所で精神科医を務めた作者の経験に基づいている。「風と死者」は精神病院での火災がテーマ。火災で死んだ患者、その家族、看護人、精神科医などの「語り」が見事である。そういえば加賀の「湿原」でも「宣告」でも、登場人物の会話が結構、効果的なんだよね。

8月某日
図書館で借りた「孤独な夜のココア」(田辺聖子 新潮文庫 昭和58年3月)を読む。単行本は昭和53(1978)年だから半世紀近く前の作品なんだけれど、全然色褪せていない。この本を読むのは確か2回目だがそれでも面白い。12の短編が収められているがそのどれもが面白い。「春つげ鳥」は22歳の「わたし」と倍の年齢の笠原サンの物語。二人は愛し合っていて丘の上の一軒家で暮らし始める。笠原サンは毎朝8時半に家を出て7時頃に帰る。「でも、その夜、笠原サンは、いつまで待っても帰らなかった」。「、」の打ち方が絶妙。読者の不安を煽る打ち方。笠原サンは会社で倒れ、病院に運ばれ死んだのだ。悲しい物語ではある。だけどかけがえのない「愛の物語」なんだよね。

8月某日
図書館で借りた「スミス・マルクス・ケインズ―よみがえる危機の処方箋」(ウルリケ・ヘルマン みすず書房 2020年2月)を読み始める。著者はドイツの経済ジャーナリスト、1964年生まれ。ベルリン自由大学で歴史学と哲学を専攻。2006年より日刊紙「taz」で経済部門担当と著者略歴にあった。今日の夕刊1面トップで「GDP年27.8%減、戦後最悪」と報じられていた。新聞は「コロナ危機が国内経済に与えた打撃の大きさが浮き彫りとなった」と述べている。本書の副題「よみがえる危機の処方箋」ではないが、過去の経済学の巨人がどのように考えて来たのか、知ることも悪くはないだろう。「国富論」の著者は「第2章 経済を発見した哲学者―アダム・スミス」と「第3章 パン屋から自由貿易まで―『国富論』(1776)」で取り上げられている。アダム・スミスは「神の見えざる手」という言葉からも自由経済の信奉者と見られがちだが、著者の見方はまったく違う。「スミスはむしろ富裕層の特権と闘った社会改革者だった。たしかに競争と自由市場は擁護したが、それは自己目的ではなく、あくまで地主や裕福な商人の特権を切り崩すための手段だった。スミスは、現代に生きていればおそらく社会民主主義者になっていただろう」と言うのである。

8月某日
「スミス・マルクス・ケインズ」は一休みして、重松清の「星に願いを―さつき断章」(新潮文庫 平成20年12月)を読む。1995年から2000年までの6年間、互いに関係のない3人の5月の一コマを綴ったものだ。1995年というと今から25年前、1月に阪神淡路大震災があり、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件があり、5月には麻原彰晃以下の教団の主要幹部が逮捕された。私は47歳で仕事に遊びに飛び歩いていた頃である。私は3人の主人公のなかではタカユキに共感を覚えた。神戸で震災ボランティアに参加したタカユキは東京の実家に戻ると共に怠惰な高校生に戻っていた。怠惰な高校生にもガールフレンドができる。1学年下の彼女は優秀で現役で北大に入学、2浪して都内の私立の教育学部に入ったタカユキは彼女に会いに札幌へ行き、学校の先生を志望している旨を伝える。私も怠惰な高校、大学生活を送ったからね、わかるんだよね、タカユキの気持ちが。

8月某日
企画を手伝っている地方議員向けのセミナー、「地方から考える社会保障フォーラムの開催日。今回から会場を日本生命丸の内ガーデンタワーに移し、従来2日間にわたっていたものを1日に短縮した。講師は厚労省から鈴木俊彦事務次官、伊原和人江利川毅医療科学研究所理事長、伊原和人政策統括官、栗原正明企画官、それに江利川毅医療科学研究所理事長だ。今回からオンライン中継も導入したがさほどの混乱もなく終わることができた。終了後、大谷源一さんに会場まで来てもらい飲みに行くことにする。千代田線の大手町から町屋へ。何度か行ったことのあるトキワ食堂へ行く。ここは居酒屋ではあるのだが、本来は名前の通り食堂である。私たちの隣のバーさんも「鯖の味噌煮定食」を食べていた。想像するに夫は既に亡くなり子供たちも独立して、バーさんは一人暮らし。「一人分の晩御飯を作るのも面倒臭いから」とトキワ食堂へ。私と大谷さんも1時間ほどで解散、お勘定は一人当たり2230円でした。