モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
「帝国と立憲-日中戦争はなぜ防げなかったのか」(板野潤治 筑摩書房 2017年7月)を読む。本書で坂野先生が言いたかったことは明治維新以降、日米開戦に至るまで日本の政治過程は「立憲」勢力と「帝国」勢力がせめぎ合い、ときには前者が後者を圧倒しまたときには後者が前者を圧倒するという繰り返しであったということだろうと思う。そして結局は前者は後者によって駆逐され、日本はファシズムへの道をたどる。中国大陸への侵略から太平洋戦争、敗戦へと至るわけだ。翻って現代の日本はどうか? 天皇主権の明治憲法下の戦前と国民主権の現憲法下の現代はもちろん全く異なる政治体制にある。しかし安倍一強体制から菅体制になって新「帝国」勢力が圧倒的に力を持ち出しているように私には思える。菅政権は自民党の岸田派、石破派以外の各派閥から支持を得て成立した。このことは逆に党内から政権に対して異を唱えることを許さない雰囲気を醸成していないか? 以前の自民党は党内反主流派に元気があった。政権交代はなかったが、党内で疑似政権交代を繰り返していた。自民党内で「立憲」勢力と「帝国」勢力が拮抗していたのである。私としては自民党内の「立憲」勢力としての宏池会(岸田派)に少しばかり期待しているのだけれど。

12月某日
「三体」(劉慈欣 早川書房 2019年7月)を図書館で借りて読み始める。人気があるらしく裏表紙に「読み終わったらなるべく早くお返しください」という黄色い紙が貼られている。文化大革命のさなか、紅衛兵による知識人への糾弾闘争の場面から物語は始まる。1967年の北京である。それから時代は40数年後の現代中国に舞台は移る。これから小説は一気にSF小説となってくる。それで私は急速に興味を失ってしまう。SFは苦手なんだよ。明日、この本は図書館に返却しよう。待っている人がいるのだからね。
だもんで、やはり図書館で借りた「はじめての文学」(文藝春秋)の桐野夏生(207年8月)の巻を読むことにする。「はじめての文学」は村上春樹、よしもとばなな、浅田次郎、山田詠美などの現代の人気作家を12人選び、12巻として刊行したもの。桐野の巻には6作が収められている。うち半分の3作は既読だったがやはり面白かった。桐野は巻末の「小説には毒がある」という短文で「毒」にこそ小説の魅力はあると書いているが、桐野の小説の魅力はそこにある。読者としては読書を通して得難い体験をしてしまう。桐野は「使ってしまったコインについて」の解説で「もしかすると、自分が社会のアウトサイダーなのではないか、という怯えと、アウトサイダーを排する社会への怒りは、私の作品に繰り返し表れる主題でもあります。その原形がここにも表れているのでしょう」と書いている。納得である。

12月某日
家にあった向田邦子の「無名仮名人名簿」(文藝春秋 2015年12月)を読み返す。私は1970年代の後半だったと思うがテレビドラマ「だいこんの花」のファンで毎週欠かさず見ていたように思う。父親役が森繁久彌で独身の息子が竹脇無我、当時のホームドラマでは珍しい枯れたユーモアに魅かれたのだろう。この脚本が向田の手によるものと知ったのは後のことである。1980年に向田が直木賞を受賞し翌年航空機事故で急逝したころ知ったのかも知れない。「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」とは向田の直木賞受賞に際して山本夏彦が書いたものの中にあるそうだが、私も実に同感である。「無名仮名人名録」には32編のエッセーが収められている。初出が何時どこに発表されたのかの記載がされていないのが残念である。私は冒頭の「お弁当」が最も気に入っている。向田が小学4年生の頃である。向田は昭和4(1929)年の生まれであるから昭和10年代前半であろうか。転校した鹿児島の小学校のすぐ横の席の女の子が茶色っぽい漬物だけがおかずの貧しいお弁当を食べている。ある日、向田がその漬物を一切れ分けてもらうとこれがひどくおいしい。女の子は学校帰りに家に寄れ、漬物をご馳走してあげるという。彼女が向田を台所へ連れて行き黒っぽいカメの上げ蓋を持ち上げたとき、「何をしている」と怒鳴られる。働きに出ていたらしい母親が帰ってきたのだ。「東京から転校してきた子が、これをおいしいといったから連れてきた」というようなことを言って彼女は泣きだした。母親は向田をちゃぶ台の前に坐らせ、漬物を振舞ってくれたという話が紹介されている。向田の父親は生命保険会社に勤め当時の典型的な中流家庭であった。だがときは戦前である、現在のように9割が中流ということなどありえなかった。向田の描くホームドラマの舞台は中流家庭である。だが向田の視線は遥か戦前、鹿児島の貧しい食卓もとらえている。向田のドラマが庶民の心をとらえる所以であろう。

12月某日
向田邦子の小説を読みたくなって図書館で「隣の女」(文春文庫 2010年11月)を借りて読む。表題作を含めて5編の短編が収められているが、ストーリー仕立ての巧みさや古風ともいえる文体の意外な艶っぽさに感心する。向田は田辺聖子や瀬戸内寂聴、林真理子とは違った女流作家として大成していたと思われる。本書は単行本が昭和56年10月に出版されている。向田が飛行機事故で亡くなったのが同年8月、本書に収められた「春が来た」が絶筆となった。向田作品では幸福の絶頂にある家庭は描かれない。かといって不幸のどん底にある家庭も描かれない。不幸と幸福がない交ぜとなった家庭が描かれる。「春が来た」の主人公は化粧映えのしないOLの直子。若手サラリーマンの風見と恋仲になるが、見栄を張って父は広告会社の重役、母は行儀作法にやかましく、家は庭付き一戸建てと小さなうそをつく。デートの最中、足を捻挫した直子は風見に家へ送られ嘘は露見してしまう。しかし風見は「見栄をはらないような女は、女じゃないよ」と優しい。風見は直子の家にちょくちょく遊びに来るようになるが、それまで身なりに気を使わなかった母親が化粧をするようになったり直子の家族は変わり始める。二人の恋は実らず直子の母親もクモ膜下で急死する。母の初七日が終わった頃、直子はばったり風見に会う。「みんな元気?」と問われ、実は母が、と言いかけて直子は口を噤む。この人のおかげで、束の間だったがうちに春が来たのだ。「元気よ、みんな元気」と直子は答え、自分でもびっくりするような大きな声で「さようなら」を告げる。幸せは長続きはしない、かといって不幸せも長続きしないのである。これが普通の庶民にとっての日常であり願望なのだ。向田はそこを巧みに描くのである。

モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
島田療育センターで河幹夫理事長に面談、今年亡くなった阿部正俊さんの遺稿集について相談する。阿部さんが残した何冊かの著作をもとに編集することで一致、今年中に私が阿部さんの著作を読んで、大まかな台割を作成し年明け後、ご遺族に提示できればと思う。ところで島田療育センターは多摩センターにあるのだが、本日は大手町から丸ノ内線で霞が関へ、千代田線に乗り換え代々木上原で小田急へ、新百合ヶ丘から小田急多摩線で多摩センターへという乗り換えを繰り返した。河さんによると京王線が都営新宿線と乗り入れているので、「それの方が便利じゃないの」ということなので帰りは京王線にする。確かに岩本町まで一本で行けるのでこの方が便利。秋葉原から山手線、上野から常磐線で我孫子まで帰る。昼飯を食べ損ねたので駅前の「しちりん」でホッピーとつまみを少々。
帰りの電車の中で「悪党芭蕉」(嵐山光三郎 新潮文庫 平成20年10月)を読み終わる。直近の酒中日記で「嵐山は作家、エッセイストと紹介されることが多いが、私に言わせると『雑文家』というジャンルこそふさわしい」と書いたが、「悪党芭蕉」は雑文などではなく嵐山が丁寧に史料を読み解きながら、作家の想像力によって芭蕉の実像に迫った伝記風ルポルタージュである。私には芭蕉は江戸時代の俳人というイメージしかなかったのだが、この本を読んでイメージが大きく変わった。芭蕉が故郷の伊賀上野から江戸に出てきたのは29歳、寛文12(1672)年である。当初は河川工事の専門家として神田川の工事に携わった。嵐山は「神田川工事は、芭蕉の余技ではなく、本職であった。むしろ俳諧の方が余技であった」としている。もちろん徐々に俳諧の方が本職になっていくのだが、江戸時代の俳諧師はたんなる俳句のお師匠さんではない。句会を催しスポンサーをまわり、句集を出す。芭蕉の場合はこれに全国各地への吟行と、それをもとにした「奥の細道」などの紀行文の執筆が加わる。イベントとしての句会を開催し、スポンサーをまわるなどは現在でいえば広告代理店である。嵐山はマルチ人間としての芭蕉にみずからを投影したのかも知れない。

12月某日
社保研ティラーレの佐藤社長と南青山の一般社団法人未来研究所臥龍に香取照幸代表理事を訪問。香取さんは厚労省からアゼルバイジャン大使を経て上智大学の総合人間科学部の教授に就任し、一般社団法人も立ち上げた。香取さんには2月の地方議員向けのフォーラムでの講師をお願いする。香取さんから一時間ほど我が国の社会保障の現状についてレクチャーを受ける。熱を込めて語るその姿はさながら「憂国の志士」であった。私としては亡くなった荻島國男さんや竹下隆夫さんの話が出来てうれしかった。

12月某日
「ママナラナイ」(井上荒野 祥伝社 令和2年10月)を読む。10編の短編が収録されている。祥伝社のWEBマガジンンに連載されたもので帯に曰く「この世に生を享け、大人になり、やがて老いるまで―ままならぬ心と体を描いた美しくも不穏な、極上の10の物語」。「不穏な」という形容がそれぞれの短編にふさわしいように思う。「約束」という1編を除いては。高校生の篤を主人公にした「約束」私には爽やかな青春小説と読めた。劣等生の篤は優等生の皐月から生徒会長への立候補を要請される。立候補して当選したら「セックスしてもいい」という皐月の「約束」もあり、篤は立候補する。勉強もできて常識のある生徒を当選させたい教師は篤に立候補の辞退を迫る。演説会で篤は「俺が生徒会長になるなんて絶対無理だからやめておけと言われました。そのかわりに副会長に立候補しろって。むかつきませんか? 俺はむかついたよ。だからいやだって言った…」と暴露する。大きな歓声、拍手。これはまぁフランス革命のようなもの、教師の横暴に劣等生が立ち上がったのだから。そうかそういう意味では、この「約束」も「不穏」なのかもしれない。

12月某日
「三度目の恋」(川上弘美 中央公論新社 2020年9月)を読む。力作であり意欲作、だろうと思う。梨子は2歳になる前に将来の夫となるナーちゃんに会い、一目惚れする。ナーちゃんは女性にも優しく結婚後も女性の影が絶えない。ナーちゃんとの結婚生活を送る中で梨子は長い夢を二つ見る。一つは江戸時代の吉原の遊女、春月となり馴染みの客となった高田と恋に落ち駆落ちする夢。もう一つは平安時代のやんごとなき姫君の女房となり、いくつかの情事を経験する夢。もう一方でこの物語の核となるのは梨子が小学生の時の用務員、高岡との出会い。梨子も高岡も夢か現実か分かつことができないシーンで時空を超越し、過去と現在を行き来する。古代から現代まで人が人を恋するという意味では恋愛の意味は変わらないのだろうが、その形態はずいぶんと変化している。平安時代の貴族社会では男が女の家に通う「妻問い婚」が普通だった。というようなことを思い起こさせたり、不思議な読後感であった。

12月某日
忘年会の呼びかけで本郷さんと水田さんとJR大塚駅で待ち合わせ、15時ちょうどに改札口付近に集合。南口周辺を軽く散策、「築地銀だこ大塚駅南口店」に入る。この3人は年齢もバラバラ(一番年長が本郷さんで73、4、次が私で72、一番若いのが水田さんで60代)、職歴もバラバラ(本郷さんは石油商社、水田さんは塾の講師、私は零細出版社)、出身大学もバラバラ(本郷さんは中大、水田さんは北大、私は早大)である。共通点というと3人とも年金生活者であることと3人とも全共闘体験があること。だから話はどうしても政治的な色彩を帯びやすい。本日も主な話題は新型コロナと菅政権批判であった。

モリちゃんの酒中日記 11月その4

11月某日
図書館で借りた「私はスカーレット Ⅲ」(林真理子 小学館文庫 2020年10月)を読む。原作はもちろんマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」で登場人物もほぼ踏襲している(と思われる。何しろ原作を読んでいない。ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブル主演の映画は何度か観たけど)。主役のスカーレットが語り手になっているのだけれど、高慢で自信家というその性格がたいへん巧みに描かれていると思う。女流作家としての林真理子の力量が十分に発揮されている。Ⅲでは南部の大都会アトランタに出て来たスカーレットが、北軍の迫るアトランタで臨月のメラニーを支えながら故郷のタラに脱出する様子が臨場感たっぷりに描かれる。実際の南北戦争は1961年から65年まで4年間戦われ北軍の勝利に終わる。1968年1月の鳥羽伏見の戦いに始まって翌年の五稜郭の戦いで終わった日本の戊辰戦争に比べるとスケール感が違うと言わざるを得ない。タラではスカーレットがたどり着いた前の日に最愛の母が死んだことが明らかにされ、大勢いた奴隷の多くも逃亡してしまっている。荒廃した故郷で妻を失って茫然自失の父を抱え、「どうする!スカーレット」-第4巻が楽しみである。

11月某日
嵐山光三郎の「『下り坂』繫盛記」(2014年7月 ちくま文庫)を読む。嵐山は作家、エッセイストと紹介されることが多いが、私に言わせると「雑文家」というジャンルこそふさわしい。これは何も貶めているわけではない。「雑」という意味には「何にも属さない」という意味があって(個人の意見です)、雑誌のコラムなども私の分類では雑文に入る。サンデー毎日の「満月雑記帳」(中野翠)、「抵抗の拠点から」(青木理)、週刊文春の「夜ふけのなわとび」(林真理子)、「本音を申せば」(小林信彦)など私の愛読する雑文です。中野や林はどちらかと言えば軟、小林はどちらかと言えば硬、青木ははっきり硬派である。昭和の終わりごろだと思うが「情報センター出版局」という出版社から椎名誠の「さらば国分寺書店のオババ」という本が出版され、以降この出版社から村松友見の「私、プロレスの味方です」など数々の雑文の名作が生み出された。雑文家には雑誌の編集者出身が多いように感じる。嵐山は平凡社で「太陽」の編集長だったし、小林も確か「ヒッチコックマガジン」の編集者ではなかったか。雑文家と雑誌、雑の字が共通しているでしょう。どれはともかく、嵐山は國學院大學で日本の古典文学を専攻、平凡社に入社、40前にフリーとなっている。本書は文庫化される前に2009年に新曜社から単行本として出版されている。とすれば収録されている雑文が執筆されたのは2000年代初頭、1942年生まれの嵐山が60代に入った頃から60代後半にさしかかった頃である。人生が下り坂になり始めた頃の執筆、だからタイトルが「『下り坂』繫盛記」なのです。

11月某日
数日前に堤修三さんから「来月19日に72歳を超え云々」というメールをもらったので「私は11月25日が誕生日で50年前の11月25日には三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で自決しました」と返信した。今日25日に堤さんから「祝・72歳!誕生日は禄でもない日だったのですね(笑)」というメールが来た。次いで山田風太郎の「人間臨終図鑑」から72歳で死んだ人々を列記してくれた。古くは孔子、西行、水戸光圀、新しいところでは棟方志功、船橋聖一、ジャン・ギャバン、ジョン・ウエインなどなど。そうか、私もそういう年齢になったのか…。

11月某日
神田の「ゐくよ寿司」で社保研ティラーレの吉高会長、佐藤社長、社会保険旬報の谷野編集長、税理士の琉子さんとランチミーティング。社会保険研究所のエレベーターホールで全国社会福祉協議会の古都賢一副会長と待ち合わせ、谷野編集長に面談。社保研ティラーレで吉高会長、琉子さん、雑賀さんと除菌システムG-バスターの販売会議。雑賀さんはG-バスターの販売代理店で営業担当だが商品知識も豊富、雑賀さんにG-バスターのスポークスマンになってもらったらいいと思う。17時過ぎに古都さんと鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」へ。遅れて元日航のキャビンアテンダントの神山さん、「ふるさと回帰支援センター」を手伝わされている大谷さんが来る。古都さんは元厚労省で全社協に来るまでは国立病院機構の副理事長をしていた。役人ぽくないのが魅力だ。

11月某日
図書館で借りた「わたしに無害なひと」(チェ・ウニョン 亜紀書房 2020年4月)を読む。やはり図書館で借りた「優しい暴力の時代」(チョン・イヒョン)が面白かった。両方とも現代韓国の女流作家の作品だ。「わたしに無害なひと」には七つの短編が収められている。タイトルは「告白」という短編の「ジニと一緒にいると、ミジュの心にはそういった安堵感がゆっくりと広がっていった。あなたは私にとって無害な人なのよ」という文章からつけられている(と思う)。チェ・ウニョンは1984年生まれというから今年36歳、私からすれば子供のような年齢だが、異性間や同性同士の愛情や友情を「関係性」という視点から丹念にえがいているように思う。最後の「アーチディにて」もちょっと変わった小説だ。語り手はブラジル生まれのラルド。大学を中退した引きこもり気味の青年だ。ひと夏の恋の相手だったアイルランド娘を追ってダブリンへ。当然のように拒絶されたラルドは帰国すべくダブリン空港でブラジル行きの飛行機の窓側に座る。二度とアイルランドの地を踏むことはないと思って。しかしアイスランドの火山噴火によって事態は一変、ダブリン空港は十日間の閉鎖を余儀なくされる。有り金も乏しくカードも停止されたラルドはダブリンからバスで3時間以上かかる人里離れたアーチディの果樹園でアルバイトをする羽目に。そこで出会うのが韓国で看護師をしていたハミンだ。ラルドとハミンの交情(恋愛未満友情以上)がテーマなのだが、ここでも異郷(アイルランド)における外国人(ポルトガル語を母国語とするブラジル人と韓国語を母国とする韓国人)同士の「関係性」が重要なカギとなるのだ。

11月某日
朝日新聞朝刊(11月26日)で「日没」(岩波書店)の作家、桐野夏生氏がインタビューに答えていた。学術会議の菅首相による任命拒否問題や「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」などを挙げて記事は「そんな雰囲気にあらがうかのように、精力的に発言を続け、小説に書く。それはなぜなのか」と桐野氏に問いかけると、氏は「ださいと思われるかもしれないし、攻撃されるかもしれない。けれど、いま言わないと後悔する。怒りがこみ上げて憤死しそう」と答える。それはそれで私は100%桐野氏を支持する。だが小説の結末について氏は語る。「最初はうまく逃げおおせて、その体験を書いている、というエピローグにしようかと思っていた。けれど、近年の状況をみていて絶望的な気持ちになった。ちょっとそれは違うな、と」。私は「え!」と驚く。主人公は逃げおおせたものと私は理解していたのだ。改めて「日没」の結末部分を読む。施設から逃れた主人公は逃亡をほう助者の自転車から降り、「早く行けよ」と促される。「私はゆっくりと荷台から降り、おむつを着けた不格好な姿のまま、よたよたと崖の方に近付いていった」。まぁ主人公は崖から飛び降りると考えるのが妥当なところだろう。私は主人公は「逃げおおせる」と誤読していたわけね。誤読したのは読者たる私の責任が100%なことは間違いないし、私は映画でも小説でも作家の意図と違った解釈をすることがままある。それはそれでまっいいかと思っています。

モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
社保研ティラーレにあった「サンデー毎日」の11月1日号を貰ってくる。新聞は日付が変わるとあまり読む気がしない。私の中高生時には弁当箱を包むのに新聞紙を用いていたが、現在はそのように新聞紙を用いる家庭もないだろう。古紙回収でトイレットペーパーと交換されるのが関の山である。その点、古雑誌は面白い。発刊当時は見落としていたコラムを読んだりすると意外なことを教えられたりする。さてサンデー毎日の11月1日号では書評欄「サンデーライブラリー」のコラム「本のある日々」に注目。この欄は村松友視や小林聡美らが交代で執筆しているのだが、今回は小林の番。小林は「大阪弁ちゃらんぽらん(新装版)」(田辺聖子 中公文庫)をとりあげ、「田辺さんの解説で大阪弁のおちゃめな猥雑さがひときわ輝く」と評していた。田辺ファンの私ではあるが「大阪弁ちゃらんぽらん」は未読であった。我孫子市民図書館の蔵書を検索すると文庫ではなく「田辺聖子全集」の15巻に収録されていた。「ああしんど」「あかん」「わや」「あほ」「すかたん」などの大阪弁に田辺流の解説を加えていく。「あほとすかたん」の項で田辺先生は「大坂のあほは、これは私の長年の持論であるが、『マイ ディア…』という感じで、親愛をこめた、ぼんやりした雰囲気の言葉である」と書いている。私は田辺先生の名作「夕ごはんたべた?」を思い出す。これは今から半世紀ほど前の作品で、尼崎下町の開業医、三太郎一家の高校生の息子が過激思想にかぶれ、一家が引っ掻き回されるまぁ「ユーモア長編」である。その小説の終わり近く三太郎は連合赤軍事件に触れて、「阿呆な奴らやなあ、永田洋子らは、首くくって死んでしもた森恒夫は」と述べ、「この『阿呆』はむろん罵声ではない。…いたましさのあまりの『阿呆』である」と続けている。田辺先生の想いは深く鋭いのである。古サンデー毎日に勉強させてもらいました。

11月某日
柳美里の小説「JR上野駅公園口」が全米図書賞を受賞した。この小説は読んだ覚えがある。福島県浜通り出身の出稼ぎ農夫が主人公で、出稼ぎ続きの人生で故郷に落ち着くことがない。糟糠の妻にも死なれ確か東日本大震災の津波で娘は流される。最後は主人公は上野駅の長い鉄橋から身を投げて死ぬのではなかったろうか?救いのない小説ではあるけれど読み終わった後味は悪くない。きっと作者柳美里の主人公や震災被災者に対する温かい眼差しが感じられるからではなかろうか。柳美里さん、おめでとう!

11月某日
田辺聖子先生の「大阪弁ちゃらんぽらん」を読了。小説家は言葉を扱う職人であると私は思っているが、田辺先生はまさにその通りの人ではないか。言葉とは文化なのである。大阪弁はまさに浪速の文化なのだ。日本学術会議の任命拒否問題で「総合的、俯瞰的な観点から」と壊れたレコードのように繰り返す菅首相は学術や文化に対する尊敬の念がないのではないか。田辺先生も草葉の陰で泣いていよう。「大阪弁ちゃらんぽらん」に戻ると挿絵が灘本唯人でこれがまたいい。たとえば「えげつない」の項の挿画はストリップ劇場の舞台で「御開帳」をしている踊子の姿を後ろから描き、正面にそれをのぞき込む禿げたサラリーマンを配する。うーん、えげつない!

11月某日
図書館で借りた「日本近代史」(坂野潤治 ちくま新書 2012年3月)を読む。新書版で400ページ以上あるので読み終わるのに1週間くらいかかってしまった。ちなみに坂野は今年10月に亡くなっている。坂野は1937年生まれで60年安保のときは全学連の指導部の一人だったらしい。6月15日に国会南通用門あたりで亡くなった樺美智子は東大国史学科の後輩にあたるのではないか。本書は第1章改革1857-1863、第2章革命1863-1871、第3章建設1871-1880、第4章運用1880-1893、第5章再編1894-1924、第6章危機1925-1937の6章で構成されている。日本史は中学生の頃から私にとってはほとんど唯一の好きな学科で、なかでも幕末以降の日本近代史は現在と直接地続きとなる事柄、事件も多く興味を抱いていた。とは言え今回、坂野の「日本近代史」を読んで初めて知ったことも少なからずあった。私如きが言うのもなんですが坂野こそ「碩学」という名にふさわしい。第1章改革では西郷隆盛を高く評価している。尊王攘夷論を有力藩主と各藩有志者の「合従連衡」により勤王倒幕へと導いた力量を評価してのことである。第2章革命では倒幕側の改革派と保守派に焦点を当てる。改革派は薩長土の下級武士であり、保守派は「公武合体」路線の藩主層である。戊辰戦争を経て廃藩置県が進められると自ずと保守派は後景に退かざるを得なくなる。第3章建設では維新政権内で韓国や清国への外征派が没落し、大久保利通らの「富国派」が台頭し、西南戦争の勝利により、「富国派」の殖産興業中心の時代となることが描かれる。第4章運用では自由民権運動や国会開設の請願運動を農民の政治参加、地租改正などを背景に論じていく。第5章再編では日清、日露戦争を通じて帝国主義国家としての膨張とそれにともなって社会が再編されていく様が描かれる。日露講和反対運動は、9月5日の調印の日から10月4日の枢密院による条約批准の日まで1カ月続く。これを坂野は1960年の5月19日から6月18日にかけての安保反対運動と重ね合わせ「真暗で一人の議員もいない議事堂を、10万とも20万とも言われる学生とともに取り囲み、何もできないまま改定安保条約の自然成立を迎えたあの夜の挫折感が、50年の歳月を経て蘇ってくるのである」と書く。第6章危機では政友会と民政党の二大政党時代から美濃部達吉の天皇機関説事件、満州事変、5.15事件、2.26事件を経て日本が日中戦争に突入していくことを明らかにしていく。大正デモクラシーの頃は言わば定説となっていた天皇機関説が社会の軍国主義化、ファッショ化が進む中で排撃されていく。しつこいようですが、これは菅首相の日本学術会議の任命拒否問題につながると思うよ。

11月某日
「ワカタケル」(池澤夏樹 日本経済出版 2020年9月)を図書館から借りて読む。池澤夏樹は現在、朝日新聞朝刊に連載小説「また会う日まで」を連載している。戦前の海軍軍人が主人公の小説でこれがなかなか面白く、毎朝楽しみにしている。というわけで「ワカタケル」も図書館にリクエストしていたのだ。タイトルのワカタケルは第21代天皇の雄略天皇のことで5世紀に大和地方に実在した。池澤は古事記や日本書紀を底本にしてこの小説を執筆したと思われるが、私は実に面白く読んだ。古墳時代が舞台となるがこの頃の日本は、まだ神々と人間の接点が色濃くあった。小説にも倭の初代大王カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)やタケノウチ(武内宿祢)の亡霊がワカタケルと交流したりする。男女の関係も開放的でワカタケルも正式の妃以外の多くの女性と交合する。考えてみると一夫一婦制が日本に浸透したのも明治以降だからね。欧米のキリスト教の影響と思われる。万世一系の天皇制というけれど、一夫多妻制だから維持できたともいえる。この小説で面白いのは朝鮮半島の新羅、百済、高句麗、中国大陸の宋など東アジアの情勢と倭=大和政権との関係にも触れていること。なかでも朝鮮半島からの渡来民が政権およびこの島国の文化に大きく貢献したことを評価している。たぶん古事記や日本書紀においてもそのような記述がみられるのではないかと思われる。日本人の多くが中国大陸や朝鮮半島を侵略の対象とみなすようになったのは明治以降、それまでは文明先進国として尊敬していたのだ。著者の池澤夏樹は福永武彦と詩人の原條あき子の間に生まれ、離婚後、原條が再婚した池澤喬の池澤姓を名乗っている。
私は池澤喬さんに30年以上前だけれど会ったことがある。産経新聞の記者出身で当時、コーポラティブハウジングを推進する会の代表幹事だった。「今度、芥川賞をとった池澤夏樹の義理のお父さんだよ」と噂されていた。「ワカタケル」とはなんの関係もないけれど。

モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
「東京裏返し―社会学的街歩きガイド」(吉見俊哉 集英社新書 2020年8月)を読む。著者の吉見俊哉は1957年生まれ、今年63歳。東大大学院情報学環教授である。私は今を去ること30年以上前、「年金と住宅」という雑誌で「古地図を歩く」という欄を担当し、当時年住協の理事長だった中村一成さんとカメラマンと3人で江戸町奉行所の跡や赤穂浪士の討ち入りの足どりを辿ったりした思い出がある。1年以上連載は続いたのでこの本でも紹介されている上野、本郷、湯島、王子あたりには土地勘があるのだ。というかそれ以来「街歩き」が好きになった。「はじめに」で街歩きが最近盛んになったのはNHKテレビの「ブラタモリ」がきっかけと紹介されていたが、私は「ブラタモリ」も好きでよく観ます。東京は3回占領されているというのが著者の考え。最初は徳川家康、次は薩長、3度目は太平洋戦争による米軍だ。東京というと赤坂、六本木、新宿、渋谷といった東京西部の都心に関心が向かいがちだが著者は都心北部に注目する。上野、秋葉原、本郷、湯島、谷中あたりね。ここら辺も私の趣味と一致する。さらに墨田川と多摩川に挟まれた江戸=東京は神田川、石神井川、日本橋川、小名木川など多くの河川、水路を巡らした水の都でもあったことが明らかにされる。コロナで街歩きもままならないが、とりあえず神田明神、湯島天神あたりを街歩きしてみようかな。

11月某日
「戦前日本のポピュリズム―日米戦争への道」(筒井清忠 中公新書 2018年1月)を読む。筒井清忠は日本の近現代史専攻で彼の編著作は何冊も読んだ。資料を駆使して定説を覆していくところが好感を持てる。本書の「まえがき」で著者は「ポピュリズムの定義はいろいろあるが、要するに大衆の人気に基づく政治」と定義し、「言い換えると、ほかでもない日米戦争に日本を進めていったのがポピュリズム」とする。第1章の「日比谷焼き討ち事件」から第12章「第二次近衛内閣・新体制・日米戦争」まで戦前期の日本のポピュリズムについて紹介・分析がなされているが、ここでは第10章の「天皇機関説事件」を考えてみたい。天皇機関説事件とは、憲法学者美濃部達吉が大正期以来唱えてきて学会でも多くの支持を得てきた天皇機関説が、1935年に「国体明徴運動」の展開によって国体に反するものとして攻撃され、明治憲法の解釈として否定された事件である。まず、貴族院と衆議院で天皇機関説が攻撃され軍部さらにマスコミ、庶民がこれに追随した。天皇機関説排撃だけでなく、戦前のポピュリズムにマスコミの果たした役割は大きい。さて私は天皇機関説排撃に現代の菅内閣の「学術会議任命拒否」を重ね合わせてみてしまうのだ。学術への貢献という観点から学術会議が推薦した学者を、俯瞰的な観点という抽象的な言葉で否定する菅官邸。美濃部の天皇機関説も学問的、学術的観点から否定されたのではなく、天皇を神聖視するポピュリズムによって否定された。「学術会議」問題に関して言うとマスコミが官邸に批判的なのが救いだ。だが共同通信の論説副委員長が首相補佐官になったりして、大丈夫か?と思ってしまう。

11月某日
神田駅南口の中華料理屋「隨苑」でランチ、回鍋肉定食680円。「ライス少な目で」とお願いしたが、それでも完食するのにやや苦労する。年齢と共にだんだん食が細くなる。社保研ティラーレで吉高会長と雑談、その後、厚労省の伊原和人政策統括官とティラーレの佐藤社長とリモート会議、次回の「地方から考える社会保障フォーラム」について貴重なアドバイスを頂く。伊原さんは全世代型社会保障の担当ということでウイークデイは時間がとれず、土曜日午後のリモート会議となった。「土曜日に出てきてもらってありがとう」ということで社保研ティラーレに神田駅西口の洋風居酒屋で夕食をご馳走になる。

11月某日
図書館で借りた「秘密の花園」(三浦しをん 新潮文庫 平成19年3月)を読む。巻末に「本書は2002年2月マガジンハウス社から刊行された」とあるから初出はマガジンハウス系の雑誌かも知れない。三浦しをんの小説って私はそれほど多く読んだわけではないが、割とユーモアに満ちたものが多かったと思うけれど、この小説は一味違うと感じた。カトリック系女子校に通う3人の女子高生が主人公。那由多が語り手となる「洪水のあとに」、淑子が語る「地下を照らす」、翠(すい)の「廃園の花守りは唄う」の3章構成。私は小中高と一貫して男女共学だったから女子校の雰囲気はちょいと想像がつかない。それこそ私にとっては女子校は「秘密の花園」である。久しぶりに「透明感」溢れる小説を読んだ思い。

モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
14時に我孫子駅で大谷源一さんと待ち合わせ。成田線で元日航のキャビンアテンダントの神山弓子さんが着く。3人でバスで市役所前へ。「水の館」の展望台から手賀沼を一望。1階の「あびこん」で地元の野菜販売を見てから再びバスで我孫子駅前へ。「しちりん」で3人で呑む。私は「しちりん」へはたいてい一人で行くので頼むものが限られる。この日は3人だったのでいろいろなものが食べられてうれしかった。

11月某日
今日は11月3日、文化の日である。11月3日は確か明治天皇の誕生日だったんだよね。したがって明治時代は天長節(今で言う天皇誕生日)、大正時代から昭和前期、敗戦までは明治節と呼ばれていた。それはともかく年金生活者の私は「毎日が日曜日」、祝日はあまり関係ない。午前中、何気なくテレビをつけるとNHKBSで「プロフェッショナルー仕事の流儀」をやっていた。タイトルは「餅ばあちゃんの物語~菓子職人・桑田ミサオ~」。青森県の津軽地方、五所川原あたりに住む今年93歳のミサオばあちゃんが主人公。60歳のとき手作りの笹餅を持って老人ホームに慰問に行ったら2人のお婆さんに涙を流して喜ばれたのが餅づくりを始めたきっかけ。タイトルは「餅職人」となっているが、ミサオさんは小豆も自分で作っているし、笹も自分で採集している。もちろんスーパーなどへ卸もしているが津軽鉄道の車内販売も手掛ける。経済学は分業の発達によって資本主義経済は発展したとするが、「餅ばあちゃん」は経済学の原理に反して何でも自分でやってしまうのだ。マルクスの「ドイツイデオロギー」に将来の共産主義社会では分業が止揚され、「今日は漁師明日は百姓」みたいな社会が実現するというようなことが書いてあったように記憶するが「餅ばあちゃん」は分業を止揚してしまっているのかも知れない。「何でも自分でやってしまっている」から生産性は高くはない。したがって利益率も低い。だが「餅ばあちゃん」はそれでもいいのである。お客が喜んでくれるから。経済が発達すると生産者には消費者の顔が見えにくくなるのが常識だが、「餅ばあちゃん」はこの常識にも反している。私は「餅ばあちゃん」を「菓子職人」ではなく「資本主義経済を超越した偉大な小生産者」と呼びたい。なお、あとでネットで調べたら今日の放送は6月22日の再放送でした。

11月某日
図書館で借りた「優しい暴力の時代」(チョン・イヒョン 斎藤真理子訳 河出書房新社 2020年8月)を読む。中国語圏での姓名は日本と同じ姓が最初に来て名前が後に来る。欧米はこの逆で名前が来て姓が来る。朝鮮半島ではどうか。キム・イルソン(金日成=北朝鮮のキム王朝の初代)のように日本、中国と同じ姓+名の順である。本書の著者チョン・イヒョンの場合もチョンが姓でイヒョンが名前ということになる。男性か女性かは私には判別がつかない。「訳者あとがき」によると本書は、短編集「優しい暴力の時代」の全訳に、短編集、「今日の嘘」所収の「三豊(サムプン)百貨店」を加えて1冊としたという。ついでに言うと「訳者あとがき」では著者のことを「現在の韓国文学を語る際に欠かせない女性作家である」としているので女性ということが分かる。この短編集を一言で言うならば「日常の中の非日常」だろうか?「何でもないこと」は平凡な日常生活を送る一家の中学生の娘が突然、出産するという話。「ずうっと、夏」は日本人商社員と韓国人妻の間に生まれた太った女の子が主人公。父の赴任先のK国のインターナショナルスクールで韓国語を話す東洋系の少女に出会う。彼女はどうやらノース・コリアの首領の係累らしい。彼女との短い交流への想いが「ずうっと、夏」というタイトルに現れているようだ。

11月某日
「地方から考える社会保障フォーラム」開催。今回で23回目。今回は厚労省から内閣官房に出向して新型コロナウイルス感染症対策室審議官の梶尾雅宏審議官、全国社会福祉協議会副会長の古都賢一氏、厚労省の健康危機管理・災害対策室長から現在、日本生命出向中の高島章好氏、そして老健局長の土生栄二氏の4人が講師。会場は前回から皇居のお堀端の日本生命ガーデンタワービル3階のAP東京丸の内でオンライン中継も実施した。地方議員の先生方も満足してくれたようだ。フォーラム終了後、近くのアマンホテルで打ち上げ。

モリちゃんの酒中日記 10月その4

10月某日
元参議院議員の阿部正俊さんが亡くなった。77歳だった。今から40年近く前、阿部さんが厚生省年金局の資金課長だったころに初めて知り会った。私が日本プレハブ新聞の記者で年金住宅融資の取材がきっかけだった。厚生官僚と親しくなったのは阿部さんが初めてだったが、率直な物言いが印象に残った。阿部さんが老人保健局長のとき、参議院選挙に出馬を決意、当時年金住宅福祉協会の企画部長だった竹下隆夫さんとパンフレットを作ったりした。山形県が選挙区なので現地まで応援に行った。応援と言っても演説に拍手するくらいだったけれど。参議院議員を2期12年務めた後、議員は引退したが社会保険倶楽部の会合で何回かお会いした。議員の頃、厚労省の若手が議員会館に説明に行くと、逆に議論を吹っ掛けられて困っていたという話を聞いたことがある。社会保障の将来を真剣に憂いていたが故と思う。正論を正論として堂々と述べる政治家が少なくなっている現在、阿部正俊という政治家は得難い存在だった。

10月某日
幼馴染の山本義則、通称オッチと我孫子の「もつ焼きやまじゅう」で呑む。小学校入学前からの付き合いなので、70年近くの付き合いとなる。もっともお互いに仕事を持っていた頃はそんなに会うこともなかったが、仕事を引退してからは年に2、3回は会っていたように思う。オッチとは小学校、中学校、高校と一緒だった。室蘭東高の首都圏在住者の同期会でも顔を合わせていたが、コロナ禍で首都圏同期会も開かれず、オッチとも久しぶりの再会となった。小学校5、6年生のときは同じクラスだったが、オッチは圧倒的な存在感があり餓鬼大将だった。

10月某日
神田の社保研ティラーレを13時に訪問する。その前に近くの「台北苑」という中華料理屋で「ルーロー飯」を食べる。社保研ティラーレの佐藤聖子社長と国会議事堂前の内閣府に行く。首相官邸前に「学術会議人事への介入反対」という手書きのポスターを持って立っている紳士がいた。内閣府では厚労省から出向している内閣官房新型コロナ感染症対策推進室の梶尾雅宏審議官に挨拶。梶尾審議官には「地方から考える社会保障フォーラム」で「ウィズコロナ社会の課題~感染拡大防止と社会経済活動の両立」という講演をしていただくことになっている。梶尾審議官とは初対面だったがなかなか感じのいい人だった。もっとも最近の官僚とくに厚生官僚は押しなべて感じがいい。社保研ティラーレに戻って吉高会長と雑談、我孫子へ帰って駅前の「しちりん」で一杯。

10月某日
図書館で借りた「悪党・ヤクザ・ナショナリスト―近代日本の暴力政治」(エイコ・マルコ・シナワ 藤田美菜子訳 朝日新聞出版 2020.9)を読む。幕末から明治以降の政治と暴力との関りについて述べたもの。主として博徒、ヤクザ、愛国主義者ら、つまり右翼と政治権力について分析している。私の学生時代、反日本共産党系の学生は「暴力学生」と呼ばれていた。ゲバ棒と投石で機動隊と対峙していたからね。そして暴力学生の多くは高倉健や鶴田浩二、若山富三郎、藤純子、菅原文太などが出演する主として東映のヤクザ映画に熱狂したものだ。悪辣な敵ヤクザの卑劣な攻撃に耐えながら最後は敵ヤクザに討ち入りするという決まりきったストーリーが、機動隊や敵対する党派の暴力にさらされていたわが身と二重写しになっていたのだろう。この本で初めて知ったのだが、秩父困民党のリーダーだった田代栄助は養蚕業を営む傍ら博打も打つ博徒だったんだ。「強きを挫き弱きを扶ける」という仁侠映画に出てくるような博徒だね。

10月某日
図書館で借りた「ちょっと気になる『働き方』の話」(権丈英子 勁草書房 2019年12月)を読む。著者の権丈先生は亜細亜大学経済学部の教授で副学長。慶応大学商学部出身ということからも、権丈善一先生と夫婦と思われる。この本の装丁も善一先生の「ちょっと気になる社会保障」を踏襲しているしね。それはともかく大変面白くかつわかりやすい語り口で日本の労働市場の現在と将来を明らかにしている。日本は人口減少社会となり生産年齢人口も減少していく。私たちは今までこれを「危機」ととらえてきたが、著者の捉え方は一味違う。著者は「労働力希少社会」ととらえ「早晩、資本に対する労働の相対価値が上昇していきます」とし、「生産要素間の相対価格の変化は、長期的には市場メカニズムによる調整を通じて、歴史を変える力」を持っているとも喝破する。最近の報道によるとコロナ禍でも企業の内部留保は増え続けているという。ということは労働分配率は低下していると思われる。権丈先生はあくまでも「長期的には」という留保を付けているが、日本における労働組合の組織率の低下やパートタイム労働者の増加も「資本に対する労働の相対価値」の上昇を妨げているのかもしれない。 

10月某日
図書館で借りた「推し、燃ゆ」(宇佐美りん 河出書房新社 2020年9月)を読む。宇佐美りんは1999年生まれだから今年21歳か。対談をした村田沙耶香との写真がネットに公開されていたが、どこにでもいる女子大生という感じだった。村田沙耶香だって玉川大学卒業後、コンビニでバイトしながら作家修業してたんだから同じようなものだけれど。村田にしろ宇佐美にしろ才能のひらめきは私にも感じられる。ただ宇佐美となると私と51歳の歳の差がある。孫の世代ですよ。本書はアイドルグループの追っかけをやっている女子高生の日常を題材にしたものだが、言葉についていけないものがある。「スクショ」ってなんだ?ネットで検索するとスクリーンショットのことだというが、スクリーンショットが分からない。ひとつひとつの術語に意味が分からない所があるが、文体はしっかりしている。例えば次のような描写は古風とも言えるのではないか。「風が吹き荒れていた。朝から急激に悪化した天候は、コンクリート製の壁に囲まれた建物の内部をも暗く湿らせている。雷は空を突き崩すような音を立て、壁に走ったひびや、セメントの気泡のあとを白く晒し出す」。これはアイドルグループのコンサート会場の描写なのだが、ある種のカタストロフィーを予感させる描写だ。好きな作家として確か中上健次を挙げていたがさもありなん。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
「ジョゼと虎と魚たち」(田辺聖子 角川文庫 昭和61年1月)を読む。表題作を含む9編の短編が収録されている。「ジョゼと…」をはじめ何度か読んだものばかりである。でも田辺の短編は読むごとに違った感懐を抱かせる。テーマは男と女の恋愛なのだが、「恋の棺」「ジョゼと…」「男たちはマフィンが嫌い」「雪の降るまで」は性が重要なテーマになっている。「恋の棺」は29歳のインテリアデザイナーでバツ1の宇禰と長姉の末息子で大学浪人中の有二の物語。遅い夏休みを一人で六甲のホテルの過ごす宇禰の物語。二人は宇禰の部屋で結ばれる。「しかし宇禰はこの悦楽を先鋭化するために、二度と有二と機会を持とうとは思わないのだ。宇禰はそういう決意を匕首のようにかくし持ちながら、微笑んでいる自分の「二重人格」が、いまはいとしく思えている。これこそ、女の生きる喜びだった」。性愛の男女行き違いを象徴的に描いているように思う。「ジョゼと…」は脳性麻痺のジョゼと大学生の恒夫の物語。ジョゼと同居していた祖母が死に恒夫は市役所に就職が決まる。アパートにジョゼを訪ねた恒夫は「信じられぬほどに小さく、まことに格好のいい美しい唇を目の前で見ていると急にそうしたくなって、接吻した」。それから二人は交わる。恒夫は「女子学生と何べんか体験はあったが、こんなこわれもののようなもろい体ははじめてだった。その日、はじめてジョゼの繊(ほそ)い脚を直接(じか)に見て、これも人形のような脚だと思った。しかし人形は人形なりに精巧にできていて、外から見るより、少なくとも女の機能はかなり図太く、したたかに、すこやかに働いているのがわかった」「繊い人形のような脚のながめは異様にエロチックで、その間に顫動している底なしの深い罠、鰐口のような罠がある。恒夫はそこへがんじがらめに括りつけられたように目もくらむ心地になる」-何とも巧みな表現でさすが田辺先生である。二人は一緒に住み始める。「恒夫はいつジョゼから去るか分からないが、傍にいる限りはそれでいいとジョゼは思う。そしてジョゼは幸福を考えるとき、それは死と同義語に思える。完全無欠な幸福は、死そのものだった」。これはもはや哲学ではないでしょうか。

10月某日
社保研ティラーレで吉高会長、岸工業の岸社長、OHANA税理士事務所の琉子代表とGバスターの販売戦略会議。新型コロナウイルス対策にGバスターが有効なことに何とか納得が行く。岸社長も琉子代表も熱心なので応援したいと思う。17時30分から神田美土代町の「花の碗」で社保研ティラーレの佐藤社長と年友企画の岩佐さんと食事。「花の碗」の基本はイタリアンだが、ランチに行くと赤だしの味噌汁とお新香が付き、ナイフとフォークに割り箸も付いているのでありがたい。ディナーでも割り箸が付く。料理も厨房で取り分けてくれるのもうれしい。家庭的な雰囲気で値段もリーズナブルだ。

10月某日
「駆けこみ交番」(乃南アサ 新潮文庫 平成19年9月)を読む。世田谷区等々力の交番に勤務する新米巡査、高木聖大が主人公。交番が舞台だから極悪人は出てこない。本書には「とどろきセブン」「サイコロ」「人生の放課後」「ワンマン詐欺」の4編が収められている。冒頭の「とどろきセブン」は、交番の近くのマンションのオーナーで自身もその最上階に住む老女、神谷さんをマドンナとする7人組の物語。「サイコロ」はサイコロのようなコンクリート製のモダンな住宅に住む小学生兄弟に対する育児放棄がテーマ。「人生の放課後」は神谷さんのもと住んでいた家がマンションに建て替えられる経緯と、そのなかで神谷さんを中心にした7人組が形成されてきたことが明らかにされる。「ワンマン詐欺」は愛犬が誘拐される事件が発生、犯人の元総会屋が逮捕され、犯人と亡くなった神谷さんの夫との意外な接点もあらわれる。高木聖大は主人公というよりも狂言回しと言った方が適切かもしれない。主人公はむしろ「とどろきセブン」を中心にした町の住民であり、隠されたテーマは「高齢社会における都市コミュニティ」だ。

10月某日
桐野夏生の最新作「日没」(岩波書店 2020年9月)を読む。帯に「『表現の不自由』の近未来を描く、戦慄の警世小説」と書かれていた。この小説を読み進むうちに、私は日本学術会議が推薦した新会員のうち6人が菅総理から任命されなかった件を連想し、一瞬心が暗くなったが半面で小説家桐野の時代を見抜く鋭さに驚かされもした。主人公は女性で40代バツイチの小説家マッツ夢井。「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会」から召喚状が届くことから驚愕の物語は始まる。読者からの提訴に基づいて作家に対して若干の講習などを行うという召喚状だ。召喚状に従ってJR線のC駅へ向かった夢井は待っていた車に乗せられて茨城県方面に向かう。着いたのはコンクリートの塀がぐるりと取り囲んだ七福神浜療養所だ。この療養所でマッツ夢井が体験したことを軸に物語は展開していく。まぁ時の政権に気に入らない小説を書いている小説家はコンクリートの壁に囲まれた「療養所」に収監されるのだ。ナチスはナチスの意向に逆らった知識人を弾圧したが、戦前の日本でも共産党だけでなく民主主義者や特定の宗教の信者が弾圧された。京大前総長の山際寿一氏が朝日新聞(10月22日朝刊)に「学術会議問題と民主主義 全体主義への階段上がるな」と題するエッセーを寄稿している。そのなかで「民主主義とは、どんな小さな意見も見逃さず、全体の調和と合意を図り、誰もが納得する結論を導き出すことだ」と書いている。なんの説明もなく学術会議が推薦した6名を任命拒否した菅首相は民主主義に背いていると言えないか? 私は今こそマルティン・ニーメラー(1892~1984 ドイツの神学者)の次の言葉をかみしめたい。「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。社会民主主義者が牢獄へ入れられたとき、私は声を上げなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」。

10月某日
16時頃、有楽町の東京交通会館にある「ふるさと回帰支援センター」に大谷源一さんを訪問したら17時30分頃まで会議ということなので、近くのガード下の呑み屋で時間をつぶすことにする。ウイスキーのソーダ―割を2杯飲み、つまみに頼んだポテトサラダを食べたところで大谷さんから「会議が終わった」との連絡が入る。「ふるさと回帰支援センター」に行くと高橋公理事長がいたので雑談。「学術会議問題は民主主義の危機」であることで一致、「団塊の世代に最後の頑張りが求められているね」と言ったら、ハムさんも「そーだよう」と大きく頷いていた。大谷さんと近くのイタリアンへ。厚労省から財務省に出向している吉田昌司さん、全国社会福祉協議会の古都賢一副会長、共同通信の城和香子記者と呑み会。城さんが同僚の岩原奈穂さんを連れてくる。よく食べよく呑んだ。

10月某日
御徒町の清瀧酒蔵でHCM社の大橋進会長とデザイナーの土方さんと呑む。コロナ禍、学術会議問題、経済の行方と話題は各方面に飛んだがたいへん面白かった。土方さんは3人の子持ちで奥さんがキャリアウーマンなので保育所の送り迎えと食事の支度は土方さんの役目。その奮闘記をユーモアたっぷりに聞かせてくれる。しかし、土方さんのような家庭が男女共同参画社会を実践しているのだ。大橋会長にすっかりご馳走になる。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
図書館で借りた「昭和史講義【戦後編】(下)」(筒井清忠編 ちくま新書 2020年8月)を読む。【戦後編】(下)は第1講「石橋内閣」から第21講「バブル時代の政治」を扱っている。石橋内閣は1956年12月から1957年2月までのごく短期間存続した内閣で、1948年生まれの私はこのとき小学校2年生、石橋内閣の記憶はほとんどない。しかしそれ以降の「安保改定」「安保闘争と新左翼運動の形成」「池田内閣と高度経済成長」「佐藤長期政権」「日韓基本条約」などは記憶に残っているし、第12講「全共闘運動・三島事件・連合赤軍事件」は私は早大全共闘の下級活動家として当事者の一人であった。本書を通読して思うのは「日本現代史は知っているようで知らないことが多い」という感慨であった。私が興味を持った幾つかについて感想を記しておきたい。
第3講「安保闘争と新左翼運動の形成」
安保闘争を主導した全学連と共産主義者同盟(ブント)が日本共産党での党内抗争を経て誕生したのは知っていたが、その淵源をたどると日共の所感派と国際派の分裂、六全協による党の統一までさかのぼることを初めて知った。そういえば廣松渉という東大教授で哲学者は安保ブントの理論家の一人であったが、高校生のときはすでに日共の党員だったという。本書によると日共東大細胞のキャップだった森田実と島成郎らが全学連を再建したのが1956年6月で同年秋の第2次砂川闘争には生田浩二、唐牛健太郎、清水丈夫ら後の安保闘争の指導者が参加した。彼らが全学連の主流派を形成するのだが主流派は日共の旧所感派が多かったというのも本書で初めて知った。生田浩二は静岡高校出身で高校時代からの党員で所感派に与し、中核自衛隊に志願して火炎瓶闘争を行った。生田はブントの事務局長を務めたが安保闘争後、青木昌彦らと渡米し近代経済学を学んだが志半ばにして火災事故で死んでいる。それはともかく日共から除名ないし排除された森田や島らによって1958年12月、ブント創立大会が開かれた。安保闘争後、ブントは分裂消滅するが、組織や理念は一部は革共同に吸収され、一部は第2次ブントに継承されていく。
第6講「池田内閣と高度経済成長」
60年安保の一連の騒動の責任をとって岸が退陣した後に登場したのが池田内閣である。所得倍増論を掲げた池田が主張したのは「政府が高成長に伴う税の自然増収分を財源に、鉄道や道路といった飽和状態の産業基盤の整備を進めれば、10年間に月給は2倍にも3倍にもなる」というものであった。実際に「1960年の一人当たり実質国民所得を基準にすると、68年に2倍を超え、70年には2.5倍になった」のである。私が早稲田に入学したのが68年だが、それまでのわが家の家計を考えるととても東京の私学には進学させられなかったと思う。それでも何とか学費を払うことができたのは高度成長のおかげということかも知れない。農村の過剰人口がとしに吸収されサラリーマンや工場労働者になって高度経済成長を支えた。おそらく出生率も2.0前後だったのではないか。未来に希望が持てた時代なのだ。高度経済成長には公害など負の側面は確かにあるけれど、国民一人一人にとっては今よりはるかに将来に希望の持てた時代であったと思う。
第10講「佐藤長期政権」第12講「全共闘運動・三島事件・連合赤軍事件」
佐藤政権は池田首相が1964年11月に病気で退陣した後を受けて登場した。政権は7年8カ月と長期に及び1972年7月に総裁選で福田赳夫に勝利した田中角栄に引き継がれる。私の高校3年間と浪人の1年間、大学の4年間とほぼ重なる。浪人しているときの1967年10月8日、佐藤訪米阻止の羽田闘争が三派全学連を中心とする学生たちによって闘われた。私は浪人だったから闘争には参加しなかったものの「大学に行ったら学生運動をやろう」とひそかに思ったものだ。68年頃から東大、日大をはじめ全国で学園闘争が激化、佐藤政権は大学立法で応じる。三島由紀夫が東大全共闘と駒場で討論を交わしたのが自決の1年前の69年5月である。早稲田から締め出されていた反革マル連合(後の早大全共闘)が、正門前に陣取る革マルの防衛隊を粉砕したのが4月17日、第2学生会館の封鎖が機動隊により解除され、学館の屋上で私が逮捕されたのが9月3日である。逮捕後、大森警察署に留置されることになるのだが、留置所の女子房に京浜安保共闘の女子学生が入ってきた。のちに連合赤軍で殺された大槻節子である。金網越しではあったが楚々とした美人であることが伺えた。70年の11月25日に三島と楯の会が市ヶ谷の自衛隊司令部で自衛隊の決起を促す演説した後、割腹自殺している。私は早稲田からバスで市ヶ谷に向かい、塀の周りをウロウロしたがもちろん現場に入ることはできなかった。評論家の村上一郎が中に入ろうと自衛官と押し問答しているのを目撃した。佐藤政権の末期は確かに騒然とした時代ではあったが、経済は好調でだからこそ学生が異議申し立てをする余裕があったのかもしれない。

10月某日
図書館で借りた「武器としての『資本論』」(白井聡 東洋経済新報社 2020年4月)を読む。奥付を見ると4月に初刷りを発行して3カ月後の7月に第6刷発行とあるから、この種の本としてはかなり売れているほうではないだろうか?「この種の本」とは左翼的な傾向のある本、ということで、私の学生時代とは真逆である。資本論とは言うまでもなくマルクスの手による資本制の本質を明らかにした書物だが、もちろん私は読んだことはない。白井聡は若手の若手(1977年生まれ)の政治思想史の学者で私は「未完のレーニン」「永続敗戦論」「国体論」などを読んだことがあるが、アカデミックな学者というよりも吉本隆明の若いときを思わせる鋭い問題意識を感じる。私は左翼の学生だったので若いときにマルクスやレーニンの本は読んだ。読んだけれどマルクスの資本論や経済学批判は敬遠し初期マルクスと言われた経済学哲学草稿、ドイツイデオロギーなどには挑戦した。が理解はできなかった。共産党宣言やフランスの内乱、ルイ・ボナパルトのブリューメル18日などは何とか理科で来たと思う。要するに原理論的な書物は苦手で運動論的なものは比較的好んでいたように思う。レーニンの「何をなすべきか」「国家と革命」なども運動論として読んだ。さて「武器としての『資本論』」だが、平易な語り口で叙述されていることもあって大変読みやすい。だが書かれている内容は高度。簡単に要約するのは困難なので著者の問題意識の一部を私なりに紹介してみたい。
マルクスによる資本制社会の定義は「物質代謝の大半を商品の生産・流通(交換)・消費を通じて行なう社会」であり、「商品による商品の生産が行われる社会(=価値の生産が目的となる社会)ということである。物質代謝とは人間が何かをインプットし何かをアウトプットしていく連鎖のことと考えていい。食物から栄養をインプットし、精神的・肉体的活動としてアウトプットしていくのも物質代謝の一環であろう。「物質代謝の大半」を「商品の生産・流通(交換)・消費」を通じて行なう社会」が資本制社会ということになる。日本でいえば江戸時代はこの定義が当てはまるのではないかと考えてしまうが、江戸時代は基本的には封建的な身分社会であり、土地の私有は原則認められず職業選択の自由もなかった。日本が本格的に資本主義化するのは、版籍奉還から廃藩置県、廃刀令が発せられ、四民平等が宣言された明治維新以降ということになる。
なお白井聡はユーミンが安倍首相の辞任会見について「泣いちゃった、切なくて」とコメントしたことに対し、自身のFacebookに「荒井由美のまま夭折すべきだったね。本当に醜態をさらすより、早く死んだ方がいい」と書き込み、非難を浴びた(らしい)。私は安倍首相の辞任に「泣いちゃった」りはせず、むしろ「もっと早く辞めるべき」と思った口だから、白井の感性に近い。だが、白井先生は自身の社会的な影響力に対してもっと自覚的になったほうがいい。「好漢、自重せよ」ですな。もちろん私は白井聡の政治思想の研究業績は高く評価します。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
全国社会福祉協議会の古都副会長に面談。社保研ティラーレの佐藤社長に同行して来月の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。場所を社保研ティラーレに移して吉高会長とOHANA税理士事務所の琉子さん、小林さんと新製品販売の打ち合わせ。有楽町の交通会館にある「ふるさと回帰支援センター」に大谷源一さんを訪ねる。高橋理事長に挨拶して近くの「三州屋銀座店」へ。大谷さんにご馳走になる。大谷さんに「Les Anges(レサンジュ)」第2号を貰う。この雑誌は目次に「新木正人と同時代の群像たち 時に刻んだ爪痕を見よ!」とあるように数年前亡くなった新木正人の友人たちによる雑誌である。新木正人といっても今や知る人も少ないと思う。というか新木が「遠くまで行くんだ」などのミニコミで健筆をふるっていた1960年代末から1970年代でも新木は「知る人ぞ知る」存在で決してメジャーではなかった。私も「新木正人を偲ぶ会」に大谷さんに誘われていくまでは知らなかった。しかし出席してみると早稲田の反戦連合の高橋ハムさんや鈴木基司さん、滋慶学園の平田豪成さん、社会保険研究所の金山さんなど見知った人に何人かに出会った。極めて粗っぽくまとめると60年代末から70年代にかけての「学生叛乱」の時代に革共同中核派から離脱した小野田譲二らと思想傾向を同じくするグループらしい。それはともかく帰りの電車で読んだ「Les Anges」はなかなか面白かった。

10月某日
図書館で借りた「昭和史講義【戦後編】(上)」(筒井清忠編 ちくま新書 2020年8月)を読む。このシリーズは近現代史や思想史の専門家がテーマごとに執筆している。本書では「天皇・マッカーサー会談から象徴天皇まで」から「日ソ共同宣言」まで20のテーマが設定されている。各編ともに私が初めて知った歴史的事実も非常に面白かった。各テーマの詳述は避けるが、編者の筒井教授の「まえがき」の一部を紹介しておこう。「戦後昭和史についての書物は多いが、客観的で実証的な研究成果に基づいて書かれたものは少なかった。しかしさまざまな形でようやく近年資料が公開され着実な成果が積み重ねられつつある。それらを初めて集大成するのが本書である」。

10月某日
「日本学術会議」が推薦した会員候補105人のうち6人が任命されなかった。会員は学術会議が推薦した候補を内閣総理大臣に任命されることになっているが、従来の慣例では候補者はそのまま任命されていた。ただ10月4日の朝日新聞では2016年の補充人事では官邸が難色を示し欠員補充ができなかったと報じている。いづれにしても安倍政権以来の官邸の官僚人事への介入が学術、学問の世界にも及んできているように思う。学術会議が誕生したのは戦前、一部を除いて大学や学者が戦争に協力してきた反省に基づいていると聞いている。6人のうち近代日本政治史の加藤陽子東大教授の著作の何冊か私も読んでいて、特に戦前期に日本が戦争に突き進んでいく状況を分析した「それでも日本人は『戦争』を選んだ」には感銘を受けた。政治権力が学問の世界に口をはさむのは厳に慎むべきだ。安倍―菅政権の問題、そしておそらくは官邸官僚の資質の問題と思われる。

10月某日
御徒町駅でHCM社の大橋会長と待ち合わせ。「清龍」という居酒屋へ行く。「清龍」は埼玉県蓮田の清瀧酒造の直営店で、私は神田と高田馬場店には行ったことがあるが御徒町店は初めて。大橋さんによると御徒町店は新しいのか「内装がきれい」ということだった。ホッピーを呑みながら楽しく会話、だが残念ながら呑み過ぎで内容は覚えていません。大橋会長にすっかりご馳走になる。

10月某日
社会保険出版社で高本社長と「Gバスター」の打ち合わせ。御茶ノ水から神田へ行って社保研ティラーレに寄って佐藤社長と懇談、大手町から霞が関へ。フェアネス法律事務所でリモート会議。終って遠藤代表弁護士に現在読んでいる「日ソ戦争1945年8月」の著者、富田武成蹊大学教授を「知っていますか?」と聞くと、「知ってるよ、この間も会ったばかり」と言っていた。富田には「歴史としての東大闘争」の著作もあり、社会主義学生戦線(フロント)の活動家だったという。フェアネス法律事務所の今村弁護士の父上は、東大駒場の自治会委員長でフロントだったというし、東大のフロントは優秀だったようだ。仙谷由人、阿部知子もそうだしね。

10月某日
「日ソ戦争1945年8月-捨てられた兵士と居留民」(富田武 みすず書房 2020年7月)を読む。第2次世界大戦の東アジア地域での戦闘、戦争を太平洋戦争と呼ぶのは米国側の呼称で、日本は大東亜戦争と呼んでいた。太平洋戦争では中国戦線やインパール戦線をイメージすることは難しい。まして終戦の年の8月9日、ソ連軍の満洲侵攻に始まり終戦が発せられた8月15日以降も戦闘が継続された、本書が言うところの「日ソ戦争」は、太平洋戦争の「本筋」からは外れた戦闘と思われがちだし、私も本書を読むまではそう思ってきた。1945年8月9日から9月2日まで戦われた日ソ戦争はソ連軍170万人、日本軍100万人が短期間ではあれ戦い、日本側の死者は将兵約8万、民間人約25万、捕虜約60万を数えた、明らかな戦争であった。私は確か加藤陽子の著作によって日本の戦死者が昭和18年以降に急増していることを知り、早期和平に踏み切れなかった日本の戦争指導者の決断力のなさに憤りを覚えた。日ソ戦争にもそのことは強く感じる。まして列車による避難は関東軍や満鉄社員とその家族が優先されたことを知ると、「権力者とその周辺を優遇する」という日本の「ある種の風土」を感じてしまう。これは最近の安倍政権や菅政権にも感じられることだ。と同時に捕虜をシベリアに抑留し、安価または無償の労働力として活用したソ連、スターリンにも怒りを禁じえない。ソ連は人的資源だけでなく工場の機械設備や原料、食料も奪った。そのうえソ連軍の軍紀は乱れ日本人婦女子に対する強姦事件が頻発したという。日ソ戦争については個別の具体例はこれまでも明らかにされてきたが、その全体像は本書によってはじめて明らかになったといって良い。