社長の酒中日記 1月その3

1月某日
図書館から借りた佐藤雅美の「老いらくの恋」(文芸春秋 2010年)を読む。縮尻鏡三郎シリーズの一冊。縮尻鏡三郎は勘定奉行所のキャリア司法官僚だったが、故あって仮牢大番役の「元締」といわれる責任者となっている。仮牢大番役は今でいう警察の留置所のようなもので、小伝馬町の牢に送るものをとりあえず預かったり喧嘩した者や酔っ払いを暫時預かったりしていた。庶民の司法相談にも応じていてそれが小説のネタにもなっている。このシリーズもそうだが、佐藤雅美の時代小説は、時代考証が非常にしっかりしているのが特徴で、それが小説にリアリティを与える一因ともなっている。江戸時代の司法制度や土地法制など私が知ったところで何の役に立つわけではないのだが、まぁそこそこの「歴史好き」である私には堪らないのです。

1月某日
「路地裏の資本主義」(平川克美 角川SSC新書 14年9月)を読む。「グローバリズムってどうなのよ?」「資本主義っていつまで続くの?」というのがわたしの目下の関心事のひとつ。平山のこの本も水野和夫の「資本主義の終焉と歴史の危機」、中野剛史の「世界を戦争に導くグローバリズム」などと同じ問題意識から読んだ。たとえば「現在、先進国を覆っている不況は、商品経済の自立的な運動の結果としての生産過剰に、人間の生活が追い付けなくなっているということを示している」という論理は、水野の15世紀イタリアの山の頂上まで葡萄畑(ワインの原料としての)、21世紀日本の全国津々浦々までウオシュレットの設置が歴史的な低金利を招いているという論理と同様なものである。また、自身の父親の介護体験とマルセル・モースの「贈与論」(勁草書房)から、弱きものへの支援は現代人が信じているような慈悲心ではなく、かつて弱き乳幼児だった自分に与えられた贈与を、第三者お返しする行為であるとする記述などは新鮮であった。

1月某日
市民のための福祉勉強会を継続してやっているホスピタリティ*プラネット(主宰・藤原留美さん)の勉強会へ当社のS田と行く。会場は品川駅港南口のコクヨ本社。勉強会は2部構成で1部は元老健局長の宮島俊彦さん、精神科医の上野秀樹さん、藤原留美さんの3人による鼎談で、2部がDAYS BLG!NPO町田市つながりの開の理事長、前田隆行さんの「認知症の人々の生きる力を引き出す」という講演。鼎談は宮島さんのリードで恙なく終了。上野先生はとても謙虚で感じがよかった。もともと1部は認知症の当事者が講演するはずだったのだが、都合で出られず急きょ鼎談に変更されたという。宮島さんは司会も上手。前田さんの活動報告は私にとっては「目からうろこ」。要介護度4の人がバッティングセンターでバットを振るったり、バスケットコートでバスケットに興ずる映像が映されたが、わたしはどうしても要介護高齢者を保護すべきもの、弱きものとして認識しがちだったが、これは間違いだということが分かった。もとろん加齢により身体的、精神的な能力は衰えていくのだろうが、だからと言って保護されたいと思うわけじゃない。前期高齢者にして身体障碍者4級の私が言うのだから間違いない。懇親会では上野先生と少し話ができた。八王子の歯科衛生士、古田さんと名刺交換。

1月某日
中央線沿線で訪問介護事業所や老健、特養、グループホームを展開している社会福祉法人にんじんの職員による実践報告会に行く。理事長の石川はるえさんとは古くからの友人。で、川村女子学園の吉武副学長と一緒に参加する。わたしは途中から参加したのだが、それでも介護現場の職員、それも若い職員が自分たちの仕事を客観的に見つめながら、利用者により良いサービスを提供するにはどうすべきか真剣に模索していることが伝わってきた。たとえば「夜勤2勤務制を検討してきて見えてきたもの」では従来の夜勤1勤務では職員の疲労感やひいては利用者の安全確保に自信が持てないという不安から夜勤2勤務制を試行。生活リハビリ回数・リクレーションの実施回数が増えた、残業時間が減ったなどの成果が出たという。現場の改善意欲は貴重だと思う。終了後、近くの呑み屋さんで吉武さんともどもごちそうになる。

1月某日
長寿社会開発センターの石黒秀喜さんにワークショップの講師をお願いに行く。オヤノコト社主催のワークショップで浴風会ケアスクールの服部安子さん、白梅大学の山地先生にもお願いしている。石黒さんは前から存じ上げているが名刺をもらったことがなかったのでもらう。名刺の裏に自称“アルチューハイマー”認知症疑似体験者常習者と刷り込まれていた。帰りにHCMに寄ってそのままM社長、O常務と呑みに。富国生命のY崎さん、I藤さん、富国倶楽部のF谷さんが合流。富国生命はM社長の元職場。合流したのは元部下たちでM社長は部下に慕われていたことがよくわかる。

1月某日
社会保険倶楽部霞が関支部の新年賀詞交換会。四谷の東京貨物健康保険組合の会館へ行く。支部長の幸田正孝元厚生次官の音頭で乾杯。社会保険倶楽部の霞が関支部は社会保険庁や保険局、年金局のOB、現役が会員。最近は現役はほとんど出席せず、OBのみだ。私や親会社の川上社長は関連出版社の社長ということで会員になっている。幸田さんややはり元次官の近藤純五郎さんにあいさつ。社会保険庁OBの三木さんや田辺さんと久しぶりに話せた。宴の途中で「ふるさと回帰支援センター」の高橋ハムさんから電話。健康生きがいづくり財団の大谷常務が来ているから顔を出せという。四谷からタクシーで有楽町の交通会館へ。近くの土佐料理屋、と言ってもちょいと洒落た洋風の高級レストラン風。かつおの塩たたき、酒盗などとおいしい日本酒をいただく。

1月某日
NPO法人の生活福祉21の勉強会。飯田橋のセントラルスポーツと高齢者雇用事業団を見学するとのことで、参加を申し込んでおいたのだがキャンセル。呑み会だけに参加する。会場は飯田橋の魚金。会費5000円にしては伊勢海老や毛ガニが出て豪華。生活福祉21の事務局の女性と民介協の扇田専務、東急建設の部長と歓談。終了後2次会に誘われるが、所要があるといって断る。結核予防会の竹下常務に電話して神田の葡萄舎で待ち合わせ。店主の賢ちゃんを入れて3人で呑む。

1月某日
家族を失った人の悲しみを癒す「グリーフケア」という分野がある。ケアワーカーが看取りをするケースが増えているという。少子化時代ということは多死化時代でもある。そう思って何かビジネスと結び付けられないかと考えている。社会保険出版社のT本社長の奥さんがグリーフサポートの一般社団法人を立ち上げたというので話を聞く機会があった。そのとき薦められたのがこの本「妻を看取る日」(新潮文庫 単行本の初版は09年12月)である。著者の稲垣忠生は国立がんセンターの総長を経て、今は名誉総長。奥さんとのなれ初めから闘病生活、死そして喪失と再生の日々が描かれている。二人が出会ったとき、稲垣は26歳、彼女は38歳の既婚者だった。「愛があるなら年の差なんて」とはいうものの12歳年上とは。今から40年前の話である。彼女の離婚再婚自体が大変だったろうし、お互いの家族の納得をえるまでの苦労も並大抵ではなかったろうと思う。でもとても仲の良い夫婦であったことが本を読んでいても暖かく伝わってくる。彼女の死の直後、稲垣は堪えきれず酒に溺れる。しかしもともとが聡明な人なので徐々に立ち直るのだが、私には時間の存在が大きいと感じられた。時間とともにつらい記憶は薄れ、楽しかった記憶がよみがえってくるのである。だから夫婦に限らず、人間には「楽しい記憶」が必要だということ。

1月某日
芝公園にあるSMS本社で介護事業の経営者、管理者をターゲットとする新しいWEB媒体の打合せ。私は介護業界のレベルを上げていくには行政の指導監督の強化ではなく市場競争によるレベルアップが必要との考え。そういう観点を持ちながら新しい媒体に協力していきたいと思っている。またSMSにはその方向で市場をリードして行ってもらえればと思う。SMSの打合せ後、浜松町の「青柚子」で当社の迫田や浜尾と社内体制などを話し合う。

1月某日
オヤノコトマガジン社が3月20日、21日に開催する「オヤノコトサミット」でワークショップを依頼に大田区の地域包括支援センター入新井の澤登さんをオヤノコトマガジン社の馬場さんと訪ねる。快諾してくれた上「ウチのスッタフも何人か行ってもらいましょう」と言ってくれた。日ごろから支援の必要な高齢者とその家族に接しているためか、私たちの希望を理解してくれ、貴重なアドバイスをいただく。17時30分から厚労省OBの堤修三さんと堤さんの高校からの友人で京大教授を定年で退いた間宮洋介さんと会社近くのビアレストラン「かまくら橋」で呑み会。二人は東大でも学部は違うが一緒。間宮さんは西部邁や宇沢弘文に師事したらしい。学者として高名な人だが全然偉ぶったところがない。東大の頃、堤さんは緑色、間宮さんは青色のヘルメットを被っていたとか。途中から当社の迫田が参加。

社長の酒中日記 1月その2

1月某日
「コーポレート・ガバナンス」(岩波新書 14年11月 花崎正晴)を読む。コーポレート・ガバナンス、企業統治はこの数年、わたしの関心の高い分野。会社は利益を上げることが重要な役割だが、利益を上げればそれでいいか、そうでもないだろう、というのが漠然としたわたしの考え。では企業は何のために存在するのか?というところからコーポレート・ガバナンスに関心が向かったきっかけだ。著者の花崎は早稲田の政経出身、日本開発銀行設備投資研究所などを経て現在、一橋大学商学研究所教授。株主と経営者の関係はエージェンシー関係として理解される。会社の所有者たる株主がその代理人としての経営者に経営を委任している。しかし株主と経営者の利害が常に一致するとは限らない。株主と経営者の利害対立は、企業がフリーキャッシュフローを多額に派生させたときに深刻になる。フリーキャッシュフローとは、企業にとって長期的に見てプラスの収益を生む設備投資プロジェクトの原資として使われたとしても、なお余剰となるキャッシュフロー部分を指す。フリーキャッシュフローが存在すると、資本コストを下回るような低い収益しか生み出さない非生産的な投資プロジェクトに資金が回ったり経営者の自己満足を引き上げるだけの浪費的な支出に使われたりといった非効率が生ずる。当社の所有するゴルフ場会員権なども「浪費的な支出」と言えなくもない。ただこの場合は株主も賛同して購入したからね。それはともかく、これからのコーポレート・ガバナンスとして著者は「各企業およびその投資家、従業員、顧客などのステークホルダーは、環境問題、コンプライアンス、企業倫理などを含めた多様な社会的責任に合致した行動をとっていくことが求められよう」としている。もって瞑すべし。

1月某日
「大切な人をどう看取るのか‐終末期医療とグリーフケア」(岩波書店 信濃毎日新聞社文化部 10年3月)を読む。07年10月から09年9月にかけて信濃毎日新聞に連載したものを加筆・訂正したもの。少子化=多子化ととらえれば「死」もビジネスチャンスととらえることができる。そう考えて終末期医療、看取り、グリーフケアの勉強をはじめたところ。あとがきである医師の「人間はいずれ誰しも最期を迎えるという当たり前のことを認識すれば、一人一人の行動や考えが変わる可能性は大きい。死を日常に取り戻すことは、社会を大きく変える力になる」という発言が紹介されていた。今、真摯に死を見つめることが求められていると思う。

1月某日
HCMのM社長、O橋さんと新宿で呑む。帰りは私とO橋さんは池袋まで一緒。わたしが「今日の総括が必要ですね」と言ってもう一軒誘うと、O橋さんの地元の「大山に行きましょう」という。大山商店街の名高いハッピーロードの外れの「伏音」という居酒屋に案内される。O橋さんが電話で予約を入れておいてくれたのでカウンターに席が用意されていた。前にO橋さんに紹介されたチェコからの留学生ヨハナ嬢もここでO橋さんがナンパしたらしい。常連客もマスターもママも感じが良かった。さすが大山!ケアステーションみなみ風練馬のサービス提供責任者をやっているT橋さんと名刺交換。O橋さん、また連れてってくださいね。

1月某日
竹内孝仁国際医療福祉大学教授と当社のO山役員と3人で富国生命ビル28階の富国倶楽部で食事。先生の日医大、医学連の頃の話、東京医科歯科大での医局長時代の話などとても興味深かった。先生は70歳代半ば近くになられているはずだが、今でもジムに通っているそうで、とてもチャーミングでお元気だ。今度、当社の社員にもいろいろと話を聞かせてもらいたいと思った。

1月某日
一般財団法人の社会保険福祉協会から制作を受託している「へるぱ!」の編集会議。いつもはこちらが協会に出向くのだが、今回は当社にU田さん以下、担当の方に当社までご足労願った。「へるぱ!」の編集を任せていただいたお蔭で、当社は曲がりなりにも介護の世界に食い込むことができた。社福協に深く感謝である。編集会議終了後、神田のベルギー料理屋で新年会。我孫子で「愛花」に寄る。O越さんが来ていた。

1月某日
3連休だが、いろいろとやり残したことがあるので休日出勤。ひと段落したところでライターのF田さんに電話。上野で会うことにする。F田さんは私より1~2歳下で早稲田の文学部の確か文芸学科出身。いろいろな意味で得難い人材で娘さんはピアノでチェコのプラハに留学している。F田さん自身は大卒後、行くところがなく家具の業界紙という私と同じようなコースをたどった。二人で焼酎を1本空けて帰る。

1月某日
フランスでアラブ系過激派によるテロで犯人の3人が射殺された。わたしの場合、テロで思い浮かぶのは東アジア反日武装戦線狼による三菱重工本社ビル爆破をはじめとする連続爆破テロだ。犯行グループの一人、斉藤和氏は逮捕直後に服毒自殺した。実は斉藤氏はわたしの高校の1年先輩。中学も同じで学業優秀で生徒たちだけでなく教師からの信望も厚かった。斉藤さんが逮捕され自殺したというニュースにわたしは驚愕したのだが、なんとなく「あの人ならやりかねないかな」と思ったものだ。のちに斉藤さんは高校時代からアイヌ問題に関心があり、それも日本帝国主義に対する怒りの発端となっていたようだ。一般市民を巻き込むテロ行為は理由が何であれ許されるものではない。しかしテロリストを逮捕、射殺することによって問題が解決したとする考えには反対だ。なぜ、テロが生まれるのかそこを考えなければテロの根絶とはならない。

1月某日
日本環境協会のH弘之氏と御茶ノ水で呑む。Hさんは元年住協で支社長をやっていた。年住協在籍中は仕事上のお付き合いはなかったのだが、呑み会やゴルフで一緒になった。今でも年に何回か呑む。なぜか気が合うんでしょう。とくに話題があるわけではないが互いの近況報告などを話す。

1月某日
元厚労次官のA沼氏と麹町のスペイン料理屋、メソン・セルバンテス。A沼氏は普段は京都在住で母校の京大の理事をやっている。東京へはときどき主張で出てくるらしい。A沼氏から電話があったので「女性好きなあなたのために何人か声を掛けときますよ」と言ったら「何言ってんだよ。女好きはあんたでしょ」と電話を切られた。それからすぐ電話がかかってきて「女の人に声を掛けることは比定しません」と言ってきた。ほら、やっぱり。それで参議院議員の秘書をやっているY倉さん、元住宅情報の編集長で今は会社社長のO久保さん、中央線沿線で介護事業を展開しているI川さん、NHK記者のH家さん、国土交通省から現在、内閣府に出向しているI藤さんに電話する。Y倉さんの都合がつかず、I川さんも体調不良とのこと。約束は7時30分からだったが、私に野暮用があって1時間ほど遅れてしまった。A沼氏とO久保氏が来ていた。しばらくしてH家さんも来る。A沼さんは「京大も予備校化が進んでいる。何とかしたい」と熱弁をふるう。でもわたしたち早大全共闘は40ン年前に「産学共同路線粉砕!」をスローガンにしていたのだけどね。まぁ和気藹々のうちに会合を終了しました。次の日の朝、内閣府のI藤さんから電話があり、「ごめん、11時過ぎまで仕事しちゃった」とのこと。旧建設省住宅局で係長になる前からI藤さんのことは知っているが、昔から仕事好きだったものね。お産で入院していた時も、病室から役所に電話を掛けて指示していたというエピソードを聞いたことがあった。

1月某日
埼玉グループホーム協議会のN村会長と東浦和の居酒屋へ行く。N村さんはほとんど呑まないのでわたしがもっぱら呑む。今日は東浦和で栄養士の先生を招いて勉強会があったということだ。介護業界に人が集まらない話だが、給与が日恋だけの問題ではないと思う。埼玉グループホーム協議会はよく勉強会や研修会をやっている。介護に携わる職員の向上心を刺激しているのだ。職員のスキルアップに努力しない事業所は淘汰されていくというか、淘汰されなければならないと思いますね。 

社長の酒中日記 1月その1

1月某日
年が明けたけれど相変わらずすることもない。妻に付き合ってテレビで箱根駅伝を見る。妻はわたしと早稲田の同級生だが、我孫子在住が長いせいか我孫子にある中央学院を応援している。わたしはとくに贔屓の大学もないのだが、走っている選手が皆若いというか幼いのにいささか驚く。「女の日時計」と同じくブックオフで買った桐野夏生の「アンボス・ムンドス‐ふたつの世界」(文春文庫 単行本09年10月)を読む。主人公が女性という以外なんの共通点もないかにみえる6つの短編をまとめたものだ。あえて言うなら、作中の主人公と現実との距離感、現実との違和感、ときには現実への憎悪がテーマとなっているように思う。表題作は夏季休暇中に不倫相手の教頭とキューバに旅した女教師が帰国すると担任の女子が事故死したことを知らされる。不倫相手は自殺し女教師も小学校を退職する。事故死の真相を究明するのがこの短編のテーマではない。小学生の女の子、校長、父兄、世間の自覚せざる悪意がテーマのように思う。現実との違和感、距離感、憎悪をこの小説は拡大、増幅してわれわれに見せてくれる。巧みな小説とはその見せ方が巧みでもあると思う。

1月某日
初詣で湯島天神へ行く。夕方4時ころ行ったのだがお参りまで1時間待ち。行列を整理していたお巡りさんによると、さっきまでは2時間、3時間待ちだったとか。受験生とその家族が多いのかもしれないが、受験生は家で勉強しておいたほうがいいんじゃないの?松戸で我孫子の飲み友達、O越さんと新年会。松戸駅の改札で6時の待ち合わせ。N田さん、O越さんの奥さんが来る。O越さんはパチンコ店から出られないようなので先に行く。駅から3分ほどで「かがやす」へ。ここはN田さんの発見したお店で、O越さんも2~3回来ているらしい。確かに安くてうまい。でも年齢も年齢だからそんなに食べられない。ほどなくO越さんも来る。満腹になって我孫子へ帰る。O越夫妻は「愛花」に寄ると言っていたが、私は失礼する。

1月某日
仕事始め。昔は仕事始めというとお昼頃から会社で軽く一杯やって、それから麻雀なんかをやったものだが、今は本当に「仕事」を始める日。わたしも午後からあいさつ回りをしたが、話が長引いて2社しか回れなかった。まぁいいんですけど。4時に会社に帰って、4時半から当社の仕事始め、5時から親会社の仕事始めに顔を出す予定。

社長の酒中日記 12月その2

12月某日
年末年始の休みが始まる。今年は9連休だが特に予定もないので、本を読んで過ごすことにする。我孫子駅前の書店で買った桐野夏生の「夜また夜の深い夜」(14年10月 幻冬舎)を読む。最近、読む本の大半は自宅から歩いて5分の我孫子図書館で借りる。桐野はベストセラー作家なので、図書館で借りるとなると何か月待ちとなる。で桐野の近著の「だから荒野」などは書店で買っている。主人公のマイコはナポリのスラムに日本人の母親と住んでいる。マイコには国籍がなく生まれたときから19歳の今に至るまでアジアやヨーロッパで転居を繰り返す。学校はロンドンの小学校に行ったきりで、その後は母親が日本から取り寄せた教科書使って教えている。ナポリに日本人が店長を務めるマンガ喫茶がオープンし、マイコはそこの常連となり日本のマンガに強く魅かれる。ここまでが物語の第一段階。第二段階はマイコが家出し、エリスとアナという2人の若い女性と邂逅し、行動を共にすることから始まる。エリスは内戦で肉親を殺され自身もレイプされ、そこから逃れるために殺人も犯す。アナも親に捨てられた過去を持つ。3人にはナポリに居ながらイタリア国籍も市民権もないという共通点がある。エリスがマフィアにレイプされたうえ殺されても対抗するすべがないのだ。しかしこの3人は人間としてのプライドと他者に対する優しさという感情を共有する。
グローバリズムが拡大深化し、格差は広がっている。そのとき国家は何をなすべきか、マイコら3人は国家、市民社会という後ろ盾がないままマフィアと争う。当然敗退し、エリスは殺されるのだが、3人の精神的な強いつながりは残る。アナは女の子を出産しその子にエリスと名付ける。マイコは南半球で名前を変えて母親と暮らす。新しい名前はエリスだ。

12月某日
図書館から借りた「愛に乱暴」(吉田修一 13年5月 新潮社)を読む。「夜また夜の深い夜」が無国籍の日本人を主人公にして外国を舞台にした、日本の小説には珍しい「グローバリズム」ノベルとすれば、「愛に乱暴」は東京郊外の高級住宅地を舞台とする伝統的な「ドメスティック」ノベルである。主人公桃子は夫と夫の実家の別棟に住む。ある日、夫は桃子と別れ恋人と再婚したいと告げる。わたしは小説を読むとき、登場人物の誰か(多くは主人公)に感情移入することが多いのだが、この小説の場合、桃子にも夫にも感情移入できなかった。わたしも男ですから桃子の夫が浮気する気持ちが分からないわけではないが、もうちょっとぴしっとしなさなさいよ、といいたくなる。夫の恋人が決して魅力的に描かれていないのもわたしには好感が持てる、というか夫の恋人が魅力的なら「それゃ無理ないよ」で終わってしまうものね。ドメスティックノベルではあるけれど、後期資本主義の日本で暮らす中産階級の家族の危機が良く描かれていると思う。そのなかで救いがあるとすれば近所のコンビニに務める外国人、李さんとの触れ合いと、パート先のサラリーマンが、今度独立するから一緒にやらないかと声をかけてくれたことだろう。桃子にも「家族」以外の社会とのつながりを残している点である。

12月某日
佐藤優の「功利主義者の読書術」(新潮文庫 平成24年4月)を読む。小説新潮に連載されたものをまとめたもので09年7月に単行本化されている。佐藤は1960年生まれだから私より一回り12年若い。同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省に入省。ロシア連邦日本大使館、本省勤務の後、背任と偽計業務妨害罪で逮捕起訴され、05年に執行猶予付き有罪判決を受ける。佐藤の本を読んで感心するのはその記憶力と読書量である。どちらも半端ではないのだが、本書においてはその読書の量と幅の広さに今更ながら驚かされる。わたしは佐藤が背任と偽計業務妨害罪で有罪となったのは、検察官僚が一つの国家意思のもとに遂行したものと思っている。国家が権力を維持するうえで鈴木宗雄や佐藤の言動や存在が邪魔となったが故の有罪判決と思っている。しかし佐藤が起訴され有罪にならなければ、職業的作家としての佐藤は誕生しなかったのではないか、あるいはノンキャリアの外務官僚としての将来に見切りを付けて作家となったとしても、今の佐藤とはそうとう違った作家になったのではないかと思われる。だとすれば佐藤の逮捕起訴、有罪判決も日本の文化状況という視点からすれば意味のあることだったかもしれない。
宇野弘蔵の「資本論を学ぶ」をとりあげて佐藤は大要次のように言う。日本の非正規労働者の増加について「非正規雇用者の労働者は、労働組合によって守られておらず、弱い立場にある。従って、賃金が低い水準に抑えられるのである」とし「年収200万円以下の給与所得者が1000万人を超えているのは、尋常な状態ではない」ともいう。ほとんど社会民主主義者の言説ではあるが、佐藤はそこでは終わらない。「マルクスの『資本論』や宇野弘蔵の著作がもっと読まれるようになれば、資本主義の限界についての認識が日本社会で共有されるようになる」というのである。わたしには佐藤が日本の経済や社会の現状分析の武器としてマルクスや宇野弘蔵の著作をもっと利用しなさいと言っているように思えるのだが。

12月某日
上野のブックオフで買った田辺聖子の「女の日時計」(講談社文庫)を読む。10数年前から田辺の小説は読むようになったが、「女の日時計」は初めて読む。初出は「婦人生活」の1969年1~12月号とあるから今から45年前。ストーリーをざっと紹介すると、阪神間で高級住宅地として名高い夙川の旧家に嫁いだ沙美子が主人公。母屋とは別棟の新居で穏やかで優しい夫と新婚生活を送っている。姑や小姑との小さな軋轢はあるが、夫の愛に包まれた生活を考えれば当然、我慢すべきものであった。義理の妹の見合い相手、相沢があらわれるまでは。相沢は沙美子に一目ぼれし沙美子もバンコクに赴任する相沢の後を追うことをいったんは心に決める。結局はそうはならず、病に倒れた姑を看病するうちに沙美子は一家の主婦の座を実質的に襲うことになる。沙美子の学校時代の親友と義理の姉の夫との不倫、親友と沙美子の夫の弟との純愛もからんでストーリーは展開してゆく。田辺はこの小説で何を言いたかったのだろうか?田辺は1964年に芥川賞を受賞、66年にカモカのオッチャンこと医師の川野純夫氏と結婚している。田辺にとって子持ちの川野氏との結婚は、一種の「断念」としての側面もあったのだと思う。「断念」は言い過ぎかもしれないが開業医の妻、それも二人の子持ちの後添えになるのだから、文筆業を続けることの不安がなかったわけではあるまい。田辺のそこらへんの「断念と不安」を象徴的に描いたのが「女の日時計」ではなかったのかと思う。そう考えて文体を見ると、以降の軽妙さは見られず、硬質で重い文体と感じてしまうのである。

社長の酒中日記 12月その1

12月某日
パソコンが壊れて酒中日記のデータが失われてしまった。一から出直し。ベッドの脇に積んであった本の中に買った覚えのない文庫本があった。ベルンハルト・シュリンクという人の書いた「朗読者」(新潮文庫)という本である。4年前入院していた時、誰かが差し入れしてくれたのだろうと思う。15歳の少年「ぼく」が母親とあまり年の違わない女性ハンナと出会う。二人は恋に陥り結ばれる。ハンナは市電の車掌をしていてなぜか「ぼく」が本を朗読することを好む。ハンナは突然「ぼく」の前から姿を消してしまう。ここまでがこの小説の第1部。ここまでなら少年と年上女の青春愛欲小説で終わる内容だ。第2部でストーリは意外な展開をする。「ぼく」は法律を学ぶ学生になりナチスの看守を裁く法廷を見学する。被告席に他の被告と一緒に座っていたのはハンナだった。ハンナはユダヤ人虐殺の罪に問われたのだ。裁判の過程で「ぼく」には真実が明らかになってくる。ハンナは文盲だったのだ。ハンナが文盲を認めれば罪は軽減されたかもしれないが、ハンナは識字能力があるように装い、終身刑を宣告される。「ぼく」は刑務所の「ハンナ」に朗読したテープを送り続ける。仮釈放の日、迎えに行った「ぼく」に刑務所長はハンナが自殺したことを告げる。哀切極まりないストーリーであるが、私はいろいろと考え込んでしまった。
ひとつは戦争犯罪の問題。ハンナは確かにナチスの看守役を志願し、その職責を全うしたわけだから戦争犯罪人ではある。しかしナチスの思想の積極的な支持者ではなく、文盲の彼女でも勤まる仕事に就いただけという見方もできる。「ぼく」は彼女の死後、彼女の独房を訪ねるが、そこにはナチスの犠牲者と並んでハンナ・アーレントのエルサレムでのアイヒマン裁判のレポートも残されていた。アーレントは確か「命令に従っただけ」と主張するアイヒマンに対して「凡庸な犯罪者」という表現で誰にでもアイヒマンになり得ることを指摘した。これをアイヒマン擁護の言説ととらえられて、アーレントはユダヤ社会において批判されることになるのだが、それはさておいても戦争犯罪の問題、それも指導者ではない場合は、指導者でないからこその問題が出てくる。昔あったフランキー堺主演の「私は貝になりたい」というテレビドラマもそうだった。もうひとつはハンナが文盲だったという設定である。彼女の少女時代については小説では明らかにされていないが、文盲という事実が過酷な少女時代を連想させずにはおかない。今年のノーベル平和賞受賞者であるパキスタンのマララではないけれど、あまねく教育を受ける権利は保障されないとね。

12月某日
京都、名古屋出張。名古屋で家具の固定をやっているグループの忘年会に顔を出すのが目的だったのだが、ついでに京都で医師の三宅先生に会うことにした。三宅先生は奥さんが認知症で「認知症家族の会」の古くからのメンバー。会うのは今回で三回目だがなぜか気が合う。先生は昭和20年生まれだから来年70歳のはずだが、容貌も考え方も若々しい。京大の医学部を出てしばらく船医をやり、それから厚生省に入ったが、役人は肌に合わず京都に帰ったという。もっとも出身は岡山だそうだ。それから名古屋に戻って家具の固定の忘年会へ。ボランティアのみなさんや応援している消防署員のみなさんにあいさつ。翌日は昭和区で認知症のデイサービスを運営している皆本さんを訪問。いろいろと勉強させてもらった。

12月某日
当社は神田の雑居ビルの5階にあるのだが、その3階に入居しているのが訪問介護事業者の団体、民間介護の質を高める事業者協議会(民介協)である。今日はそこの理事会で理事会後の忘年会に声をかけられる。全国から20名あまりの理事さんが参加、忘年会は近くの「野らぼー」といううどん屋で。民介協の研修会には何度か参加させてもらったし、取材に伺った事業者もいくつかある。介護事業に真面目に取り組んでいる印象が強いし、会員同士の仲が良いのもこの団体の特徴。現場の経営者と話ができて楽しかった。

12月某日
佐藤優の「先生と私」(14年1月 幻冬舎)を読む。佐藤優の中学時代の主として塾の講師たちとの交流の物語なのだが、早熟で社会主義に興味を抱く佐藤少年がとても真面目でキュートだ。父親や母親の描き方も好感が持てる。佐藤は鈴木宗雄と組んで、外務省の本流に対して盾をついたような印象が強かったのだが、佐藤の執筆したいろいろな本を読むにつけ当人は至って真面目であり、語学と宗教、経済学に該博な知識を有していることがわかってきた。佐藤の本を読んでいつも驚かされるのはそのすさまじい記憶力だ。そして家族や仲間に対する愛情や信頼も半端ではない。佐藤優のような人は、これまでにいなかったしこれからもでないのではないか。本当に異色の人だ。

12月某日
高田馬場でグループホームを運営している社会福祉法人サンの理事に就任した。忘年会があるというので参加する。理事長、理事、監事、評議員らが参加。理事に就任して3か月が経過しているが、非常勤理事なので情報も少なく、たまにグループホームに顔を出しても理事長と話すぐらいで経営の実態はなかなかつかめない。それでも今日の某目㎜会に参加して話を聞く中で課題と思われるものがいくつか浮かび上がってきた。ひとつはコミュニケーション不足。理事長や管理者の思いが現場に十分伝わっているとは言えないのではないか?もちろん現場の思いが管理職や経営者に十分に伝わっていないのではないかということもある。職員相互のコミュニケーションが足りないのでないかと思えるところもある。新参理事でもあり何より社会福祉法人の経営にはズブの素人なので偉そうなことは言えないが、「入居者の満足」を第一に考えていきたい。

12月某日
吉本隆明の「真贋」(講談社文庫)を読む。吉本は学生時代から読んでいるが「言語にとって美とは何か」「共同幻想論」「心的現象論序説」などの「思想書」は、正直あまり理解できなかった。私はむしろ「自立の思想的拠点」「芸術的抵抗と挫折」「擬制の終焉」といった情勢論、転向論に魅かれた。過激な学生運動から脱落した私は、吉本がプロレタリア文学者の転向を「大衆の原像の喪失、離脱」というふうなとらえ方をしているのを読んで、自分自身の「転向」にも妙に納得したものだった。「真贋」07年に講談社インターナショナル社より語りおろし単行本として刊行されたもので、吉本の思想の根底にある生き方を吉本自らが語ったものとして私には興味深かった。印象に残ったグレーズをひとつ書き写すと「総理大臣だから偉いとか、大学教授だから偉いとか、あるいは名だたる芸術家だから偉いとか、そういったふうに思わないほうがいい。人を見る上でもっとも大事なことを挙げるとすれば、それはその人が何を志しているか、何を目指しているかといった、その人の生きることのモチーフがどこにあるかということのほうだと言える気がします」。私にとっての「生きるモチーフ」と問われても、明確に答えることはできない。そうではあるが、私にとっての吉本とは思想家というよりも、「生き方の師匠」という感じだ。

12月某日
国際厚生事業団のT田専務、損保会社の顧問を務めながら障碍者の施設を運営している社会福祉法人の理事長をやっているK林さんは厚生省入省同期である。今日は私も含めて3人で忘年会。ビール、赤白ワインを呑む。T田さんとK林さんの入省同期以外の共通点は東京生まれ東京育ちという点。T田さんは山の手、K林さんは下町という違いはあるものの「生き方」に嫌みがなくナイーブという共通点があるような気がする。私は北海道生まれだが、母親が東京の成城育ち。わたしも嫌みがなくナイーブということ?

12月某日
朝、携帯に社員のS田から連絡が入る。「母が病気のため10時に社会保険福祉協会から校正を受け取ってきてほしい」。今年の仕事納めの日だから皆忙しいんですよ。わたしは暇ですが。10時に校正紙を受け取り、まぁ序でと言ってはなんですがH田常務、U田さんに年末のご挨拶。12時からお昼を食べながらHCMで「胃ろう・吸引シミュレータ」の販売会議。HCMのM社長、O橋常務、開発者のH方さん、わたしが参加。ビールと日本酒を少々いただく。4時から当社の仕事納め。民介協のO田専務、当社の社外重役で社会保険研究所のS木常務にも参加してもらう。O田専務の富士銀行時代の同僚が偶々来ていたので参加してもらう。17時から社会保険研究所の仕事納めに顔を出す。30分ほど歓談してパートのT島さんを誘ってHCMの仕事納めに参加。日本酒、ウイスキーをいただいていささか酩酊。

社長の酒中日記 10月その2

10月某日
健康生きがいづくり財団のPR用パンフレットとDVD作成の仕事を請け負っている。今日は財団理事長で元厚労次官の辻さんに中間報告の日。辻さんが特任教授をやっている東大にスタッフのH尾とY溝君と向かう。H尾の的確な説明もあって中間報告はクリア。辻さんからいただいた指摘もいちいちもっともなものだった。東大から池袋へ。友人で弁護士のK良くんに会う。今、理事を引き受けている社会福祉法人のことなどを相談する。川村学園大学の副学長をやっているY武さんから電話。「今、東京に来ているから例の店で待っていて」と一方的に言う。相変わらず自分勝手な人である。例の店とは多分、根津の「ふらここ」であろうと検討をつけて根津に行ったらまだ開いていない。近所の「安暖亭」(アンダンテ)というこじゃれたチャイニーズレストランに入り、ホタテとセロリの炒めたものとビールを頼む。食べ終わって「ふらここ」へ行くとY武さんはまだ来ていなかった。ほどなくして常連の女性客が来る。明日から遅い夏休みをとって釧路で馬に乗るらしい。Y武さんが来てビートルズなどを歌う。

10月某日
CIMネットのN宮さんから「大分のK枝先生が見えているので来ませんか?」との電話。K枝先生は私より年上だが九大の医学部出身。今はどこの病院にも属さず、いくつかの病院で非常勤で診察治療に当たっている。地域医療とITを結びつけることに情熱を傾けている。先日のY審議官の講演をネタに私が「小さな市町では地域包括ケアの実現は難しいと思う。各医療圏ごとがいいのではないか?」と言ったら「それはいいかもしれない」と賛同してくれた。自治体の行政力には大きな格差が出てきているように思う。それを放置して地域包括ケアの実施を自治体に求めても無理が出てくると思う。増田元総務相による「自治体消滅の警告もある。ことは地域包括ケアだけの問題ではないのである。広域連合の発想が必要だと思う。

蕎麦屋をでたところ
蕎麦屋をでたところ
元厚労次官で今は京大の理事として早朝を補佐しているA沼さんから「幾つか挨拶回りして、5時半ころ神田駅でどう?」とのメール。その日はシルバーサービスのK留さんやフィスメックのK出社長と約束があったが7時からなので神田駅へ5時過ぎに向かう。文庫本を読んでいるとA沼さんがやってくる。西口商店街を歩いていると「シャン トゥ ソレイユ」というベルギー料理の店の看板が目に入ったのでそこにすることに。ムール貝のワイン蒸しなどなかなか美味しかった。会社の近況などを報告し、アドバイスを受ける。A沼さんと別れ、K留さん、K出さんと待ち合わせている蕎麦屋へ。K出さん結核予防会のT下常務が既に来ていた。おいしい日本酒を冷でいただく。遅れてK留さんが来る。K留さんと呑むのは初めてだが、仕事でいろいろお世話になっている。いつも威張ることなく対等に我々と付き合ってくれる。業界や厚労省の信頼も厚いと思う。私は少し酔いすぎたので蕎麦屋で失礼する。

10月某日

返事はあした
返事はあした
田辺聖子の「返事は明日」(集英社文庫)を読む。短大卒の江本留々は24歳のOL.2歳上の恋人、隆夫がいる。隆夫とは落語会で知り合い意気投合、そのまま恋愛関係になる。隆夫は長身色白でまつ毛が長い一見貴公子風。天草四郎からとって「シローちゃん」とも影で呼ばれている。しかしこの隆夫は一言で言えば煮え切らないのである。それに対してルルは一途。この辺のギャップ、行き違いが小説の流れを作っている。結局、ルルは同僚で料理の上手い村山くんとの結婚を決意する。村山くんは故郷へ帰って温泉旅館を継ぐのだが、村山くんと結婚するということは温泉宿のおかみさんになることでもあるが、ルルはそれでもいいと思うのである。田辺聖子にはツチノコ騒動を描いた傑作があるが、田舎というか鄙び願望が少しあると思う。田辺自身は大阪で生まれ大阪で育ち神戸で結婚した純粋な都会人であるがそれだけに鄙びへのあこがれがあるのではないか。伴侶となった「カモカのおっちゃん」も土の匂いのする人のように思う。それはさておきこの小説にはものを食べる場面が結構あってそれも楽しめる。村山くんとは「美々卯」で食事をするのだが、田辺はルルにこう言わせている。「私もムラちゃんもうどん好き、『うどん仲間』といっていい。一緒にうどんを食べられるって、とてもいい男であるのだ。だって気取ってる人間なら、うどんを食べてるトコを人に見られたくない、と思うであろう」。そばは気取って食べられるからいいそうである。そうなるとラーメンもダメね。パスタはギリギリかな。

10月某日

末裔
末裔
絲山秋子の「末裔」(講談社 2011年2月)を読む。区役所職員の省三が家に帰るとドアの鍵穴が無くなっていた。鍵穴がなければドアは開かない。妻を亡くし子供たちは家を出てひとり暮らし。外側からしか家のドアはあけられないのだ。省三はとりあえず、新宿に出て一人呑むことにする。そこから省三のファンタスチックな旅が始まる。この小説を読んで感じたのは家族とか血族にとって、過去は確実に確定されたもので確かな実在なのだが、未来は不確定に満ちているということである。それは家族や血族に限らないのだけれど、家族や国家という共同的な幻想は、その共同幻想が未来永劫続くという観念とセットになっているような気がする。省三は先祖の足跡を辿りに長野県の佐久まででむくことになり、なんとも安らいだ気分になる。省三の回想に出てくる省三の父や伯父は、とても懐かしく描かれる。「末裔」は絲山流の昭和へのオマージュである。

10月某日

一橋大学兼松講堂で開かれた国立市の「認知症の日」
一橋大学兼松講堂で開かれた国立市の「認知症の日」
本日は国立市の「認知症の日」。「地域包括ケアのサイエンス」を書いた筒井孝子さんも講演するというので当社のS田と本を売りに会場の一橋大学兼松講堂へ行く。筒井さんは市民向けにとてもわかりやすい講演をしていた。「役所にたよらないこと、男の人は一人で留守番できるようになること」というような内容だったような気がする。一連のイベントが終了したあとの近くのイタリアレストランで開催された、打ち上げにも参加させてもらった。国立市の佐藤市長、一橋大学の林教授なども参加、当社のS田と元社会保険庁長官でスエーデン大使もやったW辺さんは高校が北海道の岩見沢東高校の同窓ということで盛り上がっていた。

10月某日

月例社会保障フォーラムで講演する小笠原先生
月例社会保障フォーラムで講演する小笠原先生
福祉医療介護政策研究フォーラム(中村秀一理事長)の月例社会保障研究フォーラム。今日の講師は岐阜県の小笠原内科の小笠原文雄院長(日本在宅ホスピス協会会長)による「おひとりさまを支える在宅ホスピスケア~ひとりで家で死ねますか?」という講演。小笠原先生の講演は以前にも聞いたことがあるのだがそのときはそれほど印象に残らなかった。だが今回は「在宅医療」の意味を考える非常に意義深い講演だったし、小笠原先生の人柄と思えるが偉ぶることのない率直でユーモア溢れる講演だった。先生が看取った患者さんや患者さんの家族の写真がスライドで写されたが、笑顔に溢れていた。先生は希望死、満足死、納得死と呼んでいたが、こうした死に方が医療・看護・介護・福祉・保健の連携・協働+介入によって可能になるのであった。だが日本全国で在宅死を可能にさせるには、地域医療とくに訪問看護や在宅緩和ケアの体制整備、患者・家族への情報提供が必要だろうと思った。

10月某日

独立ケアマネのO村さん
独立ケアマネのO村さん
独立ケアマネの取材で江戸川区の小岩へ。「けあまね処すもも」の管理者で主任介護支援専門員のO村さんを取材する。独立ケアマネの取材は3人目。いままでの2人は大変興味深い取材ができたのだが、今回も手応え十分だった。O村さんは専業主婦だったが、子供を抱えて離婚後、専業主婦でもできそうな仕事としてホームヘルパーに。ケアマネの受験資格を得たあと、受験し合格した。当初は事業所に属したケアマネだったが昨年独立したという。管理者、代表社員を含めてスタッフは4人。なんとか利益を出しているという。独立ケアマネの取材をして、ケアマネジャーのあるべき姿がなんとなく分かるようになってきた気がするし、独立ケアマネのそれぞれの人間性に触れることができて大変、楽しい取材である。

10月某日

そもそも株式会社とは
そもそも株式会社とは
「そもそも株式会社とは」(岩田規久男 ちくま新書 2007)を読む。大変勉強になった。
まず「株式会社の基本は、株主が取締役の選任権と解任権をはじめとする会社の重要な経営方針を決定する権利を持っている」(株主主権の原則)ということ。また「株式会社とは、株主が経営者に株主の利益に沿って、会社を経営するように委託した組織である」とも言える。取締役会の任務は「業務執行の決定」と業務執行取締役の「監督」にあり、取締役はこの2つの任務を果たすことを株主から委任されている。取締役は経営のプロとして「善良なる管理者の注意義務(善管注意義務)」を怠って、会社に損害をあたえたときには、会社に対して損害賠償しなければならない。会社がその取締役の責任を追及しない場合には、株主が会社に代わって提訴できる(株主代表訴訟)。こうした意味から岩田は、会社は株主のものと言える(株主主権論)としているのだが、しかし株主主権論は「会社の付加価値を創造する主体は従業員と経営者である」ことを否定するものではない、とも言っている。また、会社がイノベーションによって付加価値を創造してゆくとき、そのもっとも重要な主体は従業員と経営者であることも確認している。岩田は「会社は誰のものか?」という問いには「株主主権論」の立場にたちながら、付加価値創造の主体はあくまでも従業員と経営者と言っているのだ。深く納得。

社長の酒中日記 10月その1

10月某日

富国倶楽部からの夜景
富国倶楽部からの夜景

大学の同級生のA宮弁護士の事務所が西新橋の弁護士ビルにあるのでHCMに寄ったついでに表敬訪問。金曜日に飲む約束をする。その足で郵政互助会琴平ビルにある医療介護福祉政策研究フォーラムのN村理事長を訪問。オヤノコトネットのO沢さんに会うことになったことを報告。今日は6時から富国生命ビルの富国倶楽部で元自衛官の人と会うことになっているので、少し早いが富国倶楽部に向かう。富国倶楽部にはユトリロやクールベといった名画が掛けられている。

クールベの「波」
クールベの「波」

「シャガールが戻ってきました」と掛かりのF谷さんが教えてくれたのでシャガールを鑑賞。ほどなくHCMのO橋さんが来る。2人でビールを呑んでいると元自衛官お二人がやってくる。今日は自衛官の再就職先についての相談。二人共大変感じの良い人で、「色々と聞いてみましょう」と約束してくれた。

昭和の香りがするスナックのたまちゃんと
昭和の香りがするスナックのたまちゃんと

私とO橋さんは2人で新橋の昭和の香りがするスナック「陽」へ。ママさんは現役の生命保険の外務員。

10月某日
国際福祉機器展に当社の有力顧客である社会保険福祉協会とSMSが出展しているので見に行くことにする。社福協とSMSのブースに出向き担当者に挨拶。時間がないので二つのブースの近所だけを見学。介護報酬請求ソフトやケアプラン作成ソフトなど今年はICTを活用したもの、それもクラウドを利用したものが多いように感じた。事務管理部門のコスト削減、合理化が課題となっているということだろう。

レストランかまくら橋にて
レストランかまくら橋にて

私が当社に入社する前にいたのが日本プレハブ新聞社という住宅の業界紙。当社に入社してからもリクルートの「ハウジング」という雑誌を創刊から2年くらい手伝った。そんなわけで今でも住宅関連業界や国土交通省住宅局関係には知り合いが多い。今日は日本プレハブ新聞時代の同僚、O田賢治さんが音頭をとって積水ハウスの広報マンだったH順一郎さん、ミサワホームで政官、業界の調整役を担っていたK山さん、住宅展示場の運営をやっていたI藤さん、K川さん、リクルートで「ハウジング」の編集をやっていたT島みどりさんが当社の近くの「ビアレストランかまくら橋」に集まった。話題はどうしても住宅のことになる。住宅展示場の役割についても議論になったが、私としては実際に建てる家とはかけ離れて広く豪華なモデルハウスには疑問がある。商品見本としての役割よりも客寄せとしての役割が強いように思う。住宅を先ごろ亡くなった経済学者の宇沢弘文のいう「社会的共通資本」としての捉え方が消費者側にも供給側にも弱いと思う。

10月某日

奥さんの実家の元ガソリンスタンドの一角に事務所を構えたI川さん
奥さんの実家の元ガソリンスタンドの一角に事務所を構えたI川さん

SMSの仕事で事業所に属さない独立ケアマネの取材。第1回は練馬のI川さん。I川さんはカネボウ化粧品の出身。昭和25年生まれというから私とほぼ同年齢。利用者に適したケアプランを、いかに費用を抑えて提供するのがポイントと話す。非常にわかりやすい。独立ケアマネは取材したことがなかったので勉強になる。夜、大学時代の同級生A宮弁護士に虎ノ門の「たけとら」という店で日本酒をご馳走になる。

10月某日

10・8山崎博昭プロジェクト
10・8山崎博昭プロジェクト

今から47年前の1967年10月8日、当時の佐藤栄作首相の訪米に反対する全学連の学生たちが羽田空港に突入しようと機動隊と激突した。この戦いで京都大学の一年生だった山崎博昭君(18歳)が弁天橋で亡くなった。彼を追悼するモニュメントの建設と記念誌の作成を目的とした「10・8山崎博昭プロジェクト」の集会が大井町で開かれるという。O谷氏と一緒に出かけることにする。当時私は浪人中で同年の山崎君が死んだことにショックを受けたことを覚えている。翌春、早稲田大学に入学するのだが、授業に出席した記憶はほとんどない。デモと集会、サークル活動(ロシヤ語研究会といってもロシヤ語を学習したわけではなく麻雀の面子を集めに通っていた)の日々だった。集会は詩人の佐々木幹郎の司会で始まったが、私同様ほとんどが前期高齢者のジジババ。羽田闘争のドキュメント映画「現認報告書」を観たところで、私はインタビューの仕事があったので退席した。

N村さんと当社のS田
N村さんと当社のS田

インタビューの仕事は前日に引き続き、独立ケアマネの取材。ケアマネの受験講座の講師を勤めるN村さんを講師の現場に訪ねる。ここではインタビューは無理なのでタクシーで会社へ。N村さんは社会事業大学出身の社会福祉士。長野県安曇野市で独立ケアマネを営んでいる。独立したのは一年ほど前。前日のI川さんのインタビューでも感じたが、独立ケアマネは経済的には結構きつい。きついけれどもケアマネの職責からして事業所と独立していることが望ましいのもわかってきた。介護保険制度は財政的に持続可能な制度にしていくことも大切だがケアプランの作成含めて「質の担保」の側面からの検証も必要だ。インタビュー後、当社のS田、I藤と四人で「葡萄舎」へ。

10月某日

愛してよろしいですか?
愛してよろしいですか?

日曜日。朝から雨。床屋へ奥さんに車で送ってもらう。朝食兼昼食をビールと日本酒で頂く。昼寝をした後、雨の日の日曜日には田辺聖子と決めて集英社文庫の「愛してよろしいですか?」を読み始める。初版は昭和57年とあるから30年以上も前の作品である。ハイミスの「すみれ」と就職を控えた大学生「わたる」の恋物語である。携帯電話もコンビニもなく「すみれ」のアパートには風呂もない。だけれどこれは恋愛を巡る周辺環境が変わっただけで、「すみれ」と「わたる」の恋愛そのものが古びて色褪せたわけではない。「すみれ」は基本的に真面目な女性である。これは田辺の小説のヒロイン全般に言えることだが、「すみれ」は「わたる」に「誠実だけが人間に大切なものやわ」「マジメや誠実が人間の根本でなかったら、社会の連帯や構造も崩れてしまうやないの」と言う。言葉がやや70年代的ではあるが、要するに「すみれ」は、真面目でキュートな女性として描かれているのだ。

10月某日
民間介護事業者協議会のO田専務と西新橋の「花半」へ。遅れてHCMのO橋常務。このところ考えている「退職自衛官の再就職先として介護業界はどうか?」についてO田専務が訪問入浴業界にいたときの経験を聞くためだ。この話は5分くらいで済んで、話はもっぱらO田専務が介護業界にいたときの話とその前の都市銀行に在籍した頃の話。O田専務のいた銀行は高卒200名、大卒250名の同期から支店長になるのが高卒5人、大卒50人くらいだそうだ。高卒は20人にひとり、大卒は5人にひとりの狭き門だ。O田専務はその狭き門をくぐり抜けて上福岡支店を皮切りにいくつかの支店長を歴任した。それだけにO田専務の話は説得力があり面白い。ひとしきりO田専務の話を堪能したあと、O橋常務と阪神タイガースの話題で盛り上がっていた。我孫子駅前の「愛花」に寄る。F田さんに会う。

10月某日

富国倶楽部からの夜景
富国倶楽部からの夜景

神田の葡萄舎で元厚労省で阪大教授を勤めたあと、現在「暇人」を自称しているT修三先生と呑む。先生とは元厚労省で上智大学の教授を勤め、昨年急死したT原亮治先生と3人で何度か呑んだ。T原先生は生前、プロテスタントからカソリックに改宗したが、T修三先生は、その影響もあってか最近、宗教書を読むことが多いという。そこで私が20年ほど前、初めてヨーロッパに行ったときの「宗教体験」の話をした。あれはスイスのどこかの都市の郊外だったと思う。日曜日で公式行事もなく1日自由時間だったので一人で街を散策していたら、教会があったので入ってみるとミサをやっていた。後ろの席で神父さんの説教している姿を眺めていたら、突然ポロポロと涙が出てきた。説教は多分ドイツ語がフランス語で行われていたのでもちろん意味が分かってのことではない。旅行も終盤に差し掛かって肉体的な疲労がピークに達していたため神経が昂ぶっていた影響もあると思う。それとカソリックの教会のイエス像やマリア像、ステントグラスなどの雰囲気も旅に疲れた心を刺激したのだと思う。そんな話をしていたら高齢者住宅財団のO合さんが遅れて登場。葡萄舎の焼酎はアルコール度数が高い(多分40度くらい)のでかなり酔っ払う。

10月某日

資本主義という謎-「成長なき時代」をどう生きるか
資本主義という謎-「成長なき時代」をどう生きるか

エコノミストの水野和夫と社会学者の大澤真幸の「資本主義という謎-『成長なき時代』をどう生きるか」(NHK出版 2013年2月)を図書館から借りて読む。大澤による「まえがき」から本書のコンセプトを見てみよう。第1章の「なぜ資本主義は普遍化したのか?」では、まず資本主義は文明の先進地域の中国やイスラム圏では誕生せず、周辺的な地域、西欧で生まれたことに触れている。これは、資本主義がマックス・ウェーバーやカール・シュミットが示唆するようにきわめて特殊な文化を背景に持つ倫理や生活様式(具体的にはキリスト教とくにプロテスタント)に規定されているためだ。しかし現在では、資本主義はほとんど普遍化し、どのような文化にも根付いている。資本主義は一方できわめて特殊であり他方で、ほとんど普遍的と言っていい波及力を持つ。この両極性をどう理解するかという問いが提起される。第2章の「国家と資本主義」は資本主義にとって国家とのつながりは必然であると主張する者もいれば、逆に、国家は、資本主義には本来不要なジャマ物であるとする専門家もいる。国家と資本主義の関係は「腐れ縁で続く夫婦の関係」のようなものと本書はいう。第3章の「長い21世紀と不可能性の時代」では歴史家のブローデルや世界システム論のウォーラステインが用いる時代区分の「長い16世紀」論、つまり1450年から1650年までの200年間は、西欧で世界経済したがって初期の資本主義が誕生した歴史の転換点となっている、という考え方にならって1970年代から現在、将来を長い21世紀ととらえる。第4章「成長なき資本主義は可能か?」では、われわれの社会は経済成長を前提にして運営されているが、経済成長がさまざまな問題をもたらし、そもそも経済成長自体が困難になってきている。経済成長なしの資本主義を考えてみる。第5章の「『未来の他者』との幸福論」では未来の他者との連帯や21世紀のグローバリゼーションのあとの制度設計について語られる。私にとって非常に刺激的な本ではあるが、簡単には解けない問題を与えられたような気がする。

社長の酒中日記 9月その3

9月某日

銀座の某クラブにて
銀座の某クラブにて
社会福祉法人の理事への承認を要請されたので受諾することにする。SMS社で打合せ中に理事長から「ハンコと署名が6時半まで必要なの」という電話が。しようがないから地下鉄で高田馬場へ。途中でハンコを買う。7時半から神田のジビエ料理の「罠」で呑み会があるので折り返し神田へ。「罠」にはHCM社のM社長と当社のS田が既に来ていた。白ワインから呑み始める。ジビエとは野鳥やイノシシ、シカなどの野生動物の肉を言うらしいが、この日はキジやイノシシ、シカなどを食べる。遅れて記者のJ、国立病院機構のFさんも参加。M社長とS田と私はM社長行きつけの銀座のクラブへ。

9月某日

錆びる心
錆びる心
図書館で借りた桐野夏生の「錆びる心」(文春文庫 00年11月 単行本初版は11月)を読む。桐野夏生は私のお気に入りの作家。「OUT」「柔らかな頬」「ナニカアル」「だから荒野」などいずれも面白かった。写真で見ると結構美人。62歳だけど。「錆びる心」は短編集。桐野は長編で並々ならぬ力量を示すがこの短編集も読ませる。桐野の小説を読むと「人間ってどうしようもないな」と思うと同時に「それでも人間って面白い」と思わせる。

9月某日
社会福祉士でいわき市の病院でMSWをやっているS木さんがCIMのN宮理事長と一緒に来社。当社で「メディカル・クラーク」という雑誌の編集をやっているI佐と「へるぱ!」やSMS社関連の介護系の編集をやっているS田を引き合わせる。S田は民介協の仕事でいわき市の地域包括センターの取材をしたことがあるので話が盛り上がった。14時に医療介護福祉政策研究センターのN村理事長にS木さんとN宮さんを連れて行く。北里病院のO野沢先生の開発した「退院支援システム」について説明する。N村さんからこのシステムの優れている点のエビデンスが不足しているのではないかとか他のシステムとの差異性がよく分からないとの貴重な指摘を受ける。

9月某日

青山2丁目の駅の近くのミラービルに向かいのビルが映っていた。
青山2丁目の駅の近くのミラービルに向かいのビルが映っていた。
国立新美術館に「オルセー美術館展」をデザイナーのY沢さん、フリーライターのK川さんと観に行く。「印象派の誕生―描くことの自由」というサブタイトルが示すようにマネ、モネ、ミレー、セザンヌ、ルノアールといった印象派の絵画を鑑賞。マネの「アスパラガス」という小品には、アスパラガスの束を描いたマネの絵に80フランの値に対し100フランが送金されてきたため「あなたがお買いになったアスパラガスの束から1本抜け落ちていたので追加します」という手紙を添えてその客に贈られたという説明文があった。シャレているね。私はそのアスパラガスの絵葉書と同じくマネの「ロシュフォールの逃亡」などの絵葉書を購入する。
「どまん中」のあんきも
「どまん中」のあんきも
絵を鑑賞した後、赤坂の「どまん中」という居酒屋で会食。我孫子へ帰ってから「あい花」に寄る。常連さんが書いた小説の草稿を読まされる。冒頭部分を読んだだけだが、ヒラリー・クリントンを模したと思われるオバマの後の大統領の就任演説が私には巧みに描かれていると感じられた。

9月某日

室蘭東高の首都圏同期会。手前の3人がS本、N沢、I田君。
室蘭東高の首都圏同期会。手前の3人がS本、N沢、I田君。
銀座の「銀波」という高級居酒屋で私の卒業した室蘭東高校の首都圏同期会。室蘭東高校は千五の第一次ベビーブーム世代の高校進学に備えて新設された高校で私たちが2期生。1学年5クラスでうち普通科が3クラス、商業科が2クラス。普通科でも3クラスしかないので全員が顔見知り。年齢が50台に差しかかったころから首都圏で同期会を開くようになった。出光興産を退職したS川君が永久幹事をやってくれている。銀座の交差点を渡って会場に行こうとしたら、やはり同期生のF君がいたので声をかける。F君は小学生のとき、私の通っていた高砂小学校に転校してきて以来、中学、高校と一緒。高校を卒業後、神奈川県警に勤務したが、いまはなぜか幼稚園を経営している。会場に入ると懐かしい顔が揃っていた。ちょいと呑み過ぎなので一時会で失礼する。

9月某日

大将論
大将論
図書館から借りた「大将論」(池宮彰一郎 朝日新聞社 02年3月)を読む。指導者とかリーダーと呼ばれるためには何が必要なんだろうという最近の私の関心にも答えてくれるような気がしたからだ。イスラム史の山内昌之との対談で、山内は「島津義弘は、領国と民に対する安堵、これが侍としての本分であると肝に銘じている」と言っている。これですね。会社と社員、社長の関係から言うと「会社と社員に対する安堵。これが社長としての本分である」と言い換えることができると思う。

9月某日

ビッグボックスで買ったブックカバー
ビッグボックスで買ったブックカバー
高田馬場でグループホームを経営する社会福祉法人の理事になってくれと頼まれた。認知症ケアや地域福祉を学ぶいい機会なので承諾することにした。ごループホーム経営の相談に乗ってくれる人が来るというので高田馬場へ。NPO法人でグループホームを経営しているH田さんと社会保険労務士のN田さんと名刺交換。その後、日暮里で健康生きがいづくり財団のO谷常務に会う。「ばんだい」というお店で日本酒を4~5杯。隣に座った式根島か神津島で電気屋を営んでいる70歳代のご夫婦と話す。温厚で上品なご夫婦だった。あんなふうに年をとりたいね。高田馬場のビッグボックスでブックカバーをバーゲンしていたので買う。

9月某日

K出、T本、T下さん
K出、T本、T下さん
結核予防会のT下さんが10月から常務になるというのでお祝いの会をすることに。上野の
池之端のホテル鴎外荘の京料理「伽羅」を予約する。上野駅から不忍池に沿って鴎外荘まで歩く。ホテルに着いたらフィスメックのK出社長が既に来ていた。取り敢えず二人で生ビールで乾杯。遅れてT下さん、社会保険出版社のT本社長が来る。コース料理を頼んだのだが私にはちょっと重い。

9月某日
八丁堀のCIMネットで「退院支援システム」の開発者、北里大学病院のO野沢先生に会う。現在実用化に向けてバージョンアップの最中という。完成したら厚労省の記者クラブで記者発表することをアドバイスした。HCM社でH田会長、M社長に会う。遅れて弁護士のK林先生が来る。私とHCMのK島さんをいれて5人で高級居酒屋へ。獺祭や田酒、黒龍などの銘酒をご馳走になる。K林先生は確か木場の材木屋の名家の出身。学習院から名大の大学院を出ている。奥さんは明治維新で活躍した井上聞多の直系で岳父は日本古代史の井上光貞という華麗なる家系。でも全然気取ることのない気さくな先生だ。知り合いの飲み屋のママさんが何か法律問題で悩んでいたとき紹介したら、1時間以上も話をきいてくれてアドバイスをくれたそうだ。それで相談料は2000円しかとらなかったそうでママはいまだに感謝している。

社長の酒中日記 9月その2

9月某日

葡萄舎でMさんとI津さん、I井さん
葡萄舎でMさんとI津さん、I井さん

CIMネットのN宮理事長と「退院支援ソフト」の普及を応援している。このソフトは北里大学病院のO沢医師が急性期病院から回復期病院、あるいは在宅に復帰する患者さんの状態をデータ化し回復期病院の医療ソーシャルワーカーや医師に提供するというもの。これからの地域連携や地域包括システムにはもってこいのシステムと思う。今日はN宮さんの紹介で公益社団の日本医療社会福祉協会の業務執行理事のS木さん、それに高崎医療センターで医療ソーシャルワーカーをしているS原さんと会うことになった。S木さんは普段は福島県いわき市病院でソーシャルワーカーをしている。いわき市は震災後、何度か行っているので話があった。とくにいわきから2~3駅先の四倉は奥さんの実家があるそうで、話が盛り上がった。厚労省の医政局か保険局に繋ぐべき話と思われるが、相談がてら、元厚労省で国際医療福祉大学のN村先生に紹介することにした。今日は6時からHCMのM社長と待ち合わせていたので途中で失礼する。神田の葡萄舎に行くとM社長と当社のI井さんはすでに来ていた。もうひとり当社のI津さんも呼ぶ。私はN宮さんにビールと日本酒をご馳走になっていたのでかなり酔っぱらう。

9月某日

「とんび」
「とんび」

3連休。我孫子駅前の東武ブックスで買った角川文庫の「とんび」(重松清)を読む。トラックドライバーのヤスさんは、奥さんを事故で亡くし一人息子のアキラを育て上げる。アキラは早稲田大学法学部へ進学し、出版社に入社、年上で子連れの同僚と愛し合う。2人は結婚しこどもが生まれる。まさに通俗を絵に描いたようなストーリーなのだが、私はたまにはこういう小説を読むのもいいかもと思ってしまった。人間の善意を素直に信じられそうだから。

9月某日

「緑の毒」
「緑の毒」

図書館で借りた桐野夏生の「緑の毒」(角川書店 2011年8月)を読む。これは重松の小説とは180度違って惹句に曰く「暗い衝動をえぐる邪心小説!」。妻もある39歳の開業医が連続レイプ犯という設定。医者というかなり特殊な職業の夫婦の話でもあり、開業医や救急病院を舞台とする医療の内幕小説でもあり、被害者たちがネットで出会って結束して犯人を追いつめる復讐譚でもある。「とんび」のような人生もあれば「緑の毒」のような人生もある。そういうことだと思う。

9月某日

「コーポレート・ガバナンスー経営者の報酬と交代はどうあるべきか」
「コーポレート・ガバナンスー経営者の報酬と交代はどうあるべきか」

「コーポレート・ガバナンス―経営者の交代と報酬はどうあるべきか」(久保克行 日本経済新聞出版社 2010年)を図書館から借りて読む。非常に参考になった。私なりに理解したのは①経営者は株主から経営を委託されている②したがって業績が不振な会社の経営者は交替させるべきである③取締役会の役割は本来、経営を監視するところにある④しかしながら日本の企業の場合、社長の部下という側面が強く監視機能が働いていない場合が多い、というものである。また「会社は誰のものか?」というテーマも気になるところだ。アメリカでは「株主のもの」という意識が強く、近年、日本もそういう傾向が強くなっているという。私の場合は抽象的だが、会社は公共財であるという意識が強い。株主のものでも従業員のものでもなく、社会のものだという考えである。社会に役立つモノや情報を生産することによって付加価値を得、従業員の生活も安定させることができるという考えだ。

9月某日
社会保険庁OBのK野さんと神田の庄内料理の店「このじょ」へ。「このじょ」というのは庄内弁で「このあいだ」という意味らしい。元気なお姉さんがフロアを担当している。「虎穴」という日本酒をいただく。ネーミングがいいね。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」にちなんだものだろう。K野さんとはK野さんが庁の保険指導課庶務班長のときからの付き合いだから25年以上の付き合い。Kさんが国民年金協会に来てから付き合いはさらに深くなった。亡くなった当社のO前さんとも仲が良く、3人で呑んだことも何度かある。

9月某日
元厚労省のA沼さんと東京駅近くの「すし屋の勘八」で呑む。認知症や地域包括ケアについていろいろと教えてもらう。遅れてジャーナリストのH家さんが参加。後輩というか部下のY屋さんを連れてくる。Y屋さんはがん、認知症の取材を続けているという。いろいろ情報交換させてもらう。年寄り同士で呑んで懐旧譚にふけるのも悪くないが、若い人と話すのもいいものだ。

9月某日

医療介護福祉研究フォーラムの第22回月例研究会
医療介護福祉研究フォーラムの第22回月例研究会

医療介護福祉政策研究フォーラムの第22回月例研究会。今回のテーマは「障害者福祉の到達点と今後の課題」。最初に社会・援護局の障害福祉専門官の高原伸幸さんが「生涯福祉の現状と実践的課題」について講演した。高原さんは中国四国厚生局も併任ということで広島の今回の台風による土砂災害の報告もあった。また奥さんがくも膜下出血で倒れ、高次機能障害となったことも率直に話していた。講演では障害福祉サービスの予算がこの10年間に2倍となり、平成26年度には1兆374億円に上っていることにも触れていたが、障害福祉サービスに関心の薄い私としては少々びっくりした数字だった。このほか施設から地域への移行が進んでいるなど、最近の障害福祉はずいぶんと変わっているのだなぁという印象を強くした。
続いて前中国四国厚生支局長稲奈川秀和さんの「障害者差別解消法による障害者政策の新たな展開」も「共生社会」という言葉からはじまって、貧困や障害による差別について私に考えるきっかけを与えてくれた講演だった。最後の「障害者の可能性を切り拓く―アール・ブリュットの取り組み方」は滋賀県の社福グローの田端一恵さん。アール・ブリュットとは日本語に直訳すると「生の(加工されていない)芸術」という意味で、既存の文化や流行などに影響されずに自身の内側から湧き上がる衝動のまま表現した作品をさす言葉だそうだ。実は私は2年前の滋賀県大津市で開かれた「アメニティフォーラム」に参加したときY武さんに誘われて近江八幡市にある「アール・ブリュット」のミュージアムに行ったことがある。そのときも障害者のアートに驚いたものだが、講演した田端さんなどの裏方が支えているわけなのだ。このフォーラムでは旧知の人に会えるのが楽しみで、本日も全社協のT井副会長や前任のK林さん、それから久しぶりに社会保険庁の企画課長のころ知り合ったN野さんにあうことができた。

9月某日

サービス提供責任者の方々による座談会
サービス提供責任者の方々による座談会

財団法人社会保険福祉協会の50周年記念事業の一環でサービス提供責任者の方々による「座談会」を開催するという。印刷物としてまとめる仕事を頂いたので、編集者とライター、カメラマンが取材に行く。私も少し覗かせてもらったが、三つのグループに分かれて、活発な討議が行われている。議論の内容もさることながら、訪問系のヘルパーさんたちが交流することの大切さを感じた。
聖イグナチオ教会の納骨堂のマリア像?
聖イグナチオ教会の納骨堂のマリア像?
私はこの日は、元厚労省の医系技官で昨年急死したT原さんのお墓参りをすることになっていたので途中で失礼する。お墓参りと言ってもT原さんの遺骨は、上智大学の聖イグナチオ教会に納骨されているのでそこで元厚労省でこの前まで阪大教授をやっていたT修三さん、埼玉県庁のOGで上智大の非常勤講師のK藤ひとみさん、それに当社のI佐と待ち合わせる。聖イグナチオ教会は、たいへんモダンでしかし荘厳さも併せ持つ建物だった。お参りをした後、高田馬場のグループホームを見学する。理事長のN村美智代さんが案内してくれる。ここのグループホームは職員、ボランティアの数も多いようで入居者は手厚い介護を受けているようで、私は何度かお邪魔しているが入居者の表情が明るくていい。

9月某日

築地本願寺
築地本願寺

第一生命の東京マーケット営業部のS水部長さんに第一生命の築地寮でフィスメックのK出社長とご馳走になる。会場に行く前に築地本願寺を見物した後、会場へ。S水とは珍しい姓なので出身を尋ねると福岡という。高校は修猷館だそうで、ならばY武さんの後輩ということになる。私の知り合いのうちで出身高校が最も多いのが修猷館かも知れない。Y武さん、元日経の論説委員のW辺俊介さん、Y武さんと同期で弁護士のH田野さん、東急住生活研究所の所長をやったM月久美子さん、それからまだ厚生労働省の現役のH生さんもそうだ。不思議と飾らないいい人ばかりだ。

9月某日

「西郷隆盛―西南戦争への道」
「西郷隆盛―西南戦争への道」

岩波新書の「西郷隆盛―西南戦争への道」(猪飼隆明 1992年初版)を読む。猪飼は序章で「西郷の軌跡は、近代天皇制国家成立過程そのもののうちに、またその関連の中ではじめてその本質が明らかにされると考えて」いると述べている。岩倉、大久保らの遣欧使節グループすなわち有司専制グループと残留組(西郷、板垣、江藤ら)の対立と考えると分かりやすいし、残留組がのちに国権派と自由民権派に別れて行くのも面白い。

9月某日

「ばかもの」
「ばかもの」

図書館から借りていた「ばかもの」(絲山秋子 2008年 新潮社)を読む。冒頭から大学生と年上女のセックスシーンで少し驚いたが、これは大学生のヒデと額子との関係をわかりやすく提示するのに必要だったためで、その後の展開は私の予想を裏切るものだった。額子は出奔するようにヒデと別れ、結婚するが事故で腕を失う。ヒデは地元の家電量販店に就職するが強度のアルコール依存症になり恋人にも去られる。ヒデは依存症を克服すべく入院する。退院後、二人は再会する。二人が結婚することを暗示して物語は終わるのだが、私にはとても爽やかな恋と肉体と精神の再生の物語として読めた。

社長の酒中日記 9月その1

9月某日
久しぶりにディアレイクカントリー倶楽部でゴルフ。旧社会保険庁のOB5人と私。私の組はM本さんとW辺さん。M木さんとI田さんT口さんの組が続く。暑さもそれほどでもなく、ときどき秋を感じさせる爽やかな風が吹いた。私は4年前、脳出血で倒れ、右半身に障碍が残った。それでもゴルフは続けている。ゴルフの上手な人が半身不随になったら、ゴルフを再開するのに抵抗はあると思うが、私のように健常だったときも下手だった場合は再会するのに何の抵抗もなかった。そんな話を妻にしたら、「あんた、そんなことより誘ってくれる人に感謝しなさい!」と怒られた。ごもっとも。

9月某日
フリーライターのI川玲子さんと西新橋の「花半」で5時半から呑み始める。I川さんは日本舞踊をやっていたという。師匠は実の叔母さんで、その師匠と弟子の確執の話がかなりおもしろかったのだが、例によって中身は忘れてしまった。話に夢中になっているうちに、周りのお客さんは皆帰ってしまった。開店から閉店までいたわけね。嗚呼。

9月某日
「へるぱ!」という雑誌の企画・編集・発行を㈶医療経済研究・社会保険福祉協会(社福協)という財団法人から委託されている。今日はそこの常務さんと担当のU田さんたちとの暑気払い。有楽町の「あい谷」で18時から。「へるぱ!」は介護保険のサービス提供責任者向けの雑誌で年4回の発行。実は私はこの雑誌を手掛けるまでは「サービス提供者」のなんたるかを理解していなかった。この雑誌によって介護サービスの実態をわずかながら理解できるようになったし、この雑誌がなかったら当社のビジネスも今のような展開にはなっていなかったと思う。民介協、老年医学会、介護福祉士会、SMS、ソラストなどの団体、企業や多くの介護事業経営者や医師、看護師、ケアマネ、現場のスタッフと出会うことができた。会社にとっても自分にとっても大きな財産だと思っている。社福協には深く感謝している。といっても実際にこの雑誌を切り盛りしているのは当社のS田である。彼女が企画を考え、取材先を選定している。ときに取材先に同行するがこれが実に勉強になる。S田にも深く感謝である。

9月某日

駅員の帽子を被って記念撮影
駅員の帽子を被って記念撮影

健康・生きがいづくり開発財団の仕事で「健康・生きがいづくりアドバイザー」の活動を撮影している。前回は北海道札幌市のA石さんだったが、今回は長野県長野市の「三才プロジェクト」。中央線の長野駅から2つ目に三才駅という駅がある。なんでも名古屋のデパートが三歳児に焦点を当てたキャンペーンを展開、その際に三才駅の切符をプレ算としたのがきっかけになって注目を集めるようになったという。このプロジェクトのリーダーのA井さんや事務局長の話を聞くことができたが、純粋に地域のため三歳児のための活動をしている姿に感動した。この三才プロジェクトには長野高専の生徒たちも協力しているが、その協力の姿も自然で大変、微笑ましかった。北海道のA石さんはじめ、健康・生きがいづくりアドバイザーの活動はあなどれない。高齢者のこうした活動は地域包括ケアの支えの一部となっていく可能性があると思った。お土産に虫かごに入った鈴虫を頂く。会社に持って行ったら可憐な鳴き声を聴かせてくれた。

9月某日
最近、休日の取材が続いている。今日は久しぶりの休みなので近所を散歩する。私の家は千葉県我孫子市の手賀沼の沼縁に建っている。もともとは岳父が引退後、住むために建てたものだが、引退前に亡くなってしまい、最初は私たち夫婦、そして子供が2人生まれ、連れ合いを亡くした私の奥さんの母堂とも同居した。建築後40年、増改築を2度ほどしたけれど、今でも健在だ。その我が家の周辺を紹介します。

手賀沼の夕暮れ
手賀沼の夕暮れ

 

手賀沼公園には愛犬家が多く集う
手賀沼公園には愛犬家が多く集う

 

 

沼縁に若いカップルが寄り添っていた
沼縁に若いカップルが寄り添っていた

 

手賀沼公園の夕景
手賀沼公園の夕景

 

9月某日
元建設省の住宅技官で、現在はプレハブ建築協会のG田専務を誘って神田明神下の章太亭へ。ビールを頼んだ後、日本酒のぬる燗へ。つまみはお造りとサンマ、おでん。旬のサンマは銀色に輝き美味しかった。「これどこのサンマ?」と女将に聞いたら「章太亭の!」という答え。まっそれはそうだ。G田さんには住宅業界の現状とサービス付き高齢者住宅の取組みなどについて教えてもらう。別れ議に「G田さん。尊敬する上司っていた?」と聞いたら「いましたよ。Y本さんにU野さん」という答え。2人とも住宅局長経験者でY本さんは今年亡くなった前山口県知事、U野さんは建設省の住宅技官でG田さんの先輩。「二人とも亡くなったけど」とG田さん。寂しいですね。翻って私には尊敬できる上司はいたか?私は尊敬できる上司であったか?少なくとも尊敬できる上司ではないね。

9月某日

O谷常務と八丈焼酎「島流し」
O谷常務と八丈焼酎「島流し」

健生財団のO谷常務に財団の「健康・生きがいアドバイザー」のDVD制作の途中経過を説明。池袋の前に2人で行った「八丈島」という店に。「島流し」という35度の焼酎をキープしていたので生ビールのあとにそれを呑む。半分以上残っていたが、35度はさすがにきつく全部呑むことはできなかった。O谷常務は「今度来るとき俺が呑んでおくよ」と言っていたのでまかせる。

 

 

 

 

9月某日

林真理子「不機嫌な果実」
林真理子「不機嫌な果実」

林真理子の「不機嫌な果実」(文春文庫 単行本は1996年10月)を読む。読み始めはあまり感心しなかった。人妻とかつての恋人である広告会社の社員とのたんなる不倫話としか思えなかったからである。だが中盤から音楽評論家の新しい恋人が登場するあたりから、話は面白くなってくる。人妻は真剣に離婚を考え、家を出て実家に帰る。結婚、恋愛、セックスって何だろうと高校生のように考えてしまうところだった。小説は再び広告会社の社員との不倫に走るシーンで終わる。主人公が最後に到達したの「子供をつくること」。私はこの唐突な終わり方に林真理子の並々ならぬ「作家的力量」を感じたのだが。

 

 

9月某日
北海道室蘭市の小中高と一緒だったS藤正輝君が夫婦で上京。高校が一緒だったS川、U野君、女子は北海道室蘭市の小中高と一緒だったS藤正輝君が夫婦で上京。高校が一緒だったS川、U野君、女子はN田さんとO原さんに声かけて集まることにした。会場は東京駅丸の内口と三菱UFJ信託銀行本店ビル地下1階の「ヴァン・ドゥ・ヴィ」。約束の6時に行くと、S川、U野、N田、O原はもう来ていたので、とりあえずビールで乾杯。10分ほど遅れてS藤夫妻が到着。お土産に北海道の銘菓「若狭イモ」を頂く。私の高校は第一次ベビーブーマー世代の私の1年上が1期生で私たちは2期生。つまり新設校だったわけで少子化にともなって数年前室蘭商業高校と統合されて東翔高校という名前になったという話を風の便りに聞いたことがある。普通科3クラス、商業科2クラスでクラス会は普通科3クラスが合同で行う。それだけ仲がいいということだと思う。首都圏同窓会を今月に開く予定だ。S藤夫妻の歓迎会なのにお勘定はS藤君が払ってくれた。