10月某日
「キャベツ炒めに捧ぐ」(井上荒野 角川春樹事務所 2011年9月)を読む。先月、井上荒野の最新作「アクリル」について「まったく共感できない」という感想を述べた。それで井上の15年ほど前の小説の本作を我孫子市民図書館で借りた。総菜屋「ここ亭」で働く60代前半の3人の女性とその周辺を描く本作は「まったく共感できた」。本作では3人の女性たちの夫との死別や離婚も描かれているが、それが実にカラっと描かれているのが嬉しい。人間とは多面的な存在であり、井上荒野という作家にも「アクリル」的な面と、「キャベツ炒め」的な面が存在するということか。
10月某日
「帰郷」(浅田次郎 集英社文庫 2019年6月)を読む。6作の短編を収録した単行本は16年6月に刊行、初出はいずれも「小説スバル」。浅田次郎は1951年東京生まれだから私より3歳下、ほぼ同世代だ。浅田は70年の三島由紀夫の市谷陸上自衛隊での自決に衝撃を受け、71~73年に陸自に入隊、最終階級は陸士長。日本ペンクラブ会長や直木賞選考委員を務めているから、将来の文化勲章受章は間違いのないところ(私の個人的な感想!)。現代を舞台にした小説、主に幕末明治を舞台にした小説、アジア太平洋戦争を題材にした小説など、小説の舞台は多様であるが、本作の舞台はアジア太平洋戦争の戦中、戦後だが、現代と微妙に交錯する作品もある。解説は歴史学者の成田龍一。「浅田さんは、マクロな戦争の仕組みを認識しつつ、人びとの具体的な生活を描く。ミクロに戦争を叙述することによって、戦争小説を非戦小説へと繰り上げていっている」。同感。
10月某日
「ヒトとAI」(岡野原大輔 岩波新書 2026年7月)を読む。AI(人工知能)ってよくわかりません。で、図書館で本書を借りたわけだが、読んでもやっぱりよくわかりません。しかしAIの登場で人間と人間社会が大きな変革を迫られていることは何となく理解できた。人間には死に象徴される有限性があるがAIにはない。「AIが判断に深く関与する世界においても、その結果を引き受けるのは人間であり続ける」(はじめに)。そもそも人間とAIの学習形態は大きく異なるという。AIは「ランダムに切り出された断片を、あたかもショート動画のように次々と見せられていくなかで学習する」。これに対して人間は「人生のような長い時間的連続性をそなえた経験」を学習することによって判断する。人間の学習は視覚・聴覚・感情・身体感覚が同時に符号化され、常に「世界の厚み」を伴っている。AIは「学習の時点ではこのような「世界の厚み」を持たない」。人間には「世界の厚み」を伴っているが、AIにはそれがないということか。なんとなくわかったような…。
10月某日
「スナックふたり」(川上弘美 中央公論新社 2026年7月)を読む。読売新聞に2025年に連載されたもの。東京の下町(と思われる)に店を出す「スナックふたり」が舞台。司と逸子という二人のママとスナックを訪れる常連さんとの物語である。訪れる客のなかに何人かの幽霊がいる、というのが物語のミソ。私はお店で出される「お通し」が面白かった。「枝豆をさやごとフライパンで炒め煮にして醤油をまわしかけたもの」「みにとろろ蕎麦」「今日のお通しは、ひたし豆、それに、セロリのきんぴら、そして、手羽先を柔らかく煮たもの」「味玉-半分に切ってあり、上に黒ゴマが少しだけかかっている-」「れんこんの梅あえ」…。私が現役のころ通っていた根津のスナック「ふらここ」を思い出す。そこのママも料理が上手でいろんなお通しを出してくれたっけ。司のスナックに関する名言「うん、扉を開いてスナックに入っちゃうと、そこには夏も冬も秋も春もない、『スナック』っていう季節があるだけなのよ」。
10月某日
「夜の恩寵」(三浦しをん 集英社 2026年6月)を読む。「夜の恩寵」というタイトルが何とも素敵だ。恩寵って恵みという意味だと思う。この小説での「夜の恩寵」とは夢だ。将来の夢とかそういう夢ではなく眠っているときに観る夢。小説は夢と現実が折り重なるようにして進む。正直、意味がよく読み取れない箇所が何か所かあった。読み返してみてもやはりよく分からない箇所があった。しかしそれは不快ではなかった。惹句に曰く「夢をめぐる妖しくも美しい不思議な物語」。完全には理解できなくとも私にとって魅力的な物語はある。それが本作である。
10月某日
「けったいな関係-田辺聖子傑作短編集」(ちくま文庫 2026年8月)を読む。田辺先生の小説、とくに短編小説はユーモアを基本とするものだが、底に切なさを秘めているところが私は好きである。たとえば「ちさという女」では「私」の同僚の秋本ちさ(32)は仕事はよくできて、頼もしい存在、課長どころか部長でも対等にしゃべった。だが醜女であった。私は同僚の工藤と恋仲だが、社内には秘密にしていた。ちさは私に「あんた、工藤サンとあやしいの?」と尋ねる。「さあ。どうかな」と私はいい、ちさをからかいたくなった。「でも、工藤サンは、あきもとさんが好きやって、そんけいするっていってたわよ」「阿呆なこと、いいなさんな」とちさは狼狽する。一週間ほどたって工藤の誕生日に、ちさは直径30センチくらいのローマ字で「SHIZUO」と工藤の名前が入れられた、大きなバースデイケーキを贈られる。「SHIZUOか…」菓子屋の前で、紙にそう書いて頼んでいるちさの姿を思い浮かべると、「私は、はじめて、ちさをかついだことが胸いたく思われた。静夫と結婚して、三歳の男の子がある今になっても、私は、ちさのバースデイケーキを思い出すと胸いたむ。ちさにしみじみした思いを持つようになった」。
