モリちゃんの酒中日記 12月その3

12月某日
「ウクライナ動乱-ソ連解体から露ウ戦争まで」(松里公孝 ちくま新書 2023年7月)を読む。松里公孝氏は東大大学院法学政治学研究科教授でロシア・ウクライナ関係史の専門家。本書では書名の通りソ連解体から今も継続するウクライナ戦争まで概説する。概説と言っても新書で500ページもあって読み通すのに3日かかってしまった。ウクライナという独立国家が生まれたのはロシア革命以降、ウクライナ・ソヴェト社会主義共和国(RSR)が最初。独立国家と言ってもRSRはソ連を構成する連邦国家の一つだった。日本は島国で第2児世界大戦に敗北してから、その領土は基本的に本州、四国、九州と北海道及び南方諸島と離島に固定化されてきた。日本にも北方領土や尖閣諸島問題があるものの、ウクライナやパレスチナの問題と比べると軍事的な衝突もなくほぼ平穏と言ってよい。ウクライナ(RSR)とソ連のロシア・ソヴェト連邦社会主義共和国との境界線は目まぐるしく変わった。今回のウクライナ動乱においてもクリミア半島やドンバス地区の帰属が争われたが、本書によるとこれらの地区ではもともとロシア語を話す人も多く、親ロシア感情を持つ人も多かったようだ。住民投票の結果、親ロシア国家が誕生したのもうなずけない話ではない。だからといって軍事力による現状変更は認められないが…。
本書を要約するのは難しいので、結論部分を引用しよう。「こんにちのウクライナは、民族解放闘争の結果生まれたのではなく、ソ連の解体の結果生まれた。…しかし、ソ連の自壊の結果、たなぼた式で生まれた広大なウクライナは、先祖伝来ウクライナ語ではない言語で話し、書き、考えて来た住民、ウクライナ民族史観で英雄とされる人物たちに祖先が迫害された住民も抱え込んでしまった」「そうした場合には…民族国家ではなく、市民的な国家を作ることが妥当な戦略であったろう」「残念ながら、独立後30年間のウクライナは、この反対の方向に向かって進んできた」。独立後30年間ということはソ連解体後30年間ということでもあるが、共産主義イデオロギーに支えられた「ソヴェト・ピープル」(中国の中華民族に該当)に代替しうる市民的なリベラリズムが未成熟であったということであろうか。私は露ウ戦争の過程でウクライナでも市民的なリベラリズムが確立しつつあると信じたい。しかしロシア革命、第1次世界大戦以降、目まぐるしく国境線を変えて来たウクライナやパレスチナの現実に、私の想像力は追いつけそうにもない。

12月某日
「福田村事件-関東大震災・知られざる悲劇」(辻野弥生 五月書房 2023年7月)を読む。福田村事件とは、震災発生から5日後の9月6日、利根川と鬼怒川が合流する千葉県東葛郡福田村大字三ツ堀(現在の野田市三ツ堀)で香川県から薬の行商に来ていた一行15名が地元民に襲われ、9人が命を落とした事件である。加害者側の地元民は、讃岐弁を話す一行に対し「お前らの言葉はどうも変だ。朝鮮人ではないか」と、いいがかりをつけ、行商人の鑑札を持っていたにもかかわらず、暴行、殺害に及んだ(はじめに-増補改訂版刊行にあたって)。本書は2013年に崙書房から出版より刊行され、その後版元の廃業により絶版になっていたものを大幅に増補改訂して復刊したもの。関東大震災の直後、多くの朝鮮人や社会主義者、無政府主義者が庶民や警察、憲兵らに虐殺されたことは知られている。大杉栄と内縁の妻、伊藤野枝。大杉の甥が甘粕正彦憲兵大尉に殺された事件は、多くの小説や映画の題材になっている。
福田村事件はこの本を読んで初めてその詳細を知ることができた。さらに本書によって、私の住む我孫子でも3名の朝鮮人が撲殺されていたことを知った。当時の東京日日新聞の記事を要約すると、不逞鮮人暴行の流言蜚語が盛んで、我孫子町では自警団を組織し警戒していたが、3日午後3時頃、根戸消防組員が朝鮮人3名を取り押さえ、八坂神社境内に連行した。群衆は3人をさんざん殴打し負傷させたが、警官の制止で殺すまでには至らなかった。ところが同夜9時頃、2名がすきを見て逃亡、大騒ぎとなり残っていた1名を殺害、さらに4日に逃亡した2名を取り押さえ惨殺した、というものである。犯人は起訴された。八坂神社って我が家から歩いて10分くらいのところにあるのだけれど、あそこでそんな惨劇があったなんて俄かには信じられないが、事実なんだろう。映画「福田村事件」を制作した森達也が特別寄稿を寄せている。そこでの印象的なことば。「映画を撮りながら、自分がもしその場にいたらと何度も想像した。殺される側ではない。殺す側にいる時分だ」「何度でも書く。凶悪で残虐な人たちが善良な人たちを殺すのではない。普通の人が普通の人を殺すのだ。世界はそんな歴史に溢れている」「シオニズムの延長としてホロコーストの被害者遺族たちが建国したイスラエルが、なぜこれほど無慈悲にパレスチナの民を加害し続けるのか」。福田村事件は確実に現在に通じているのだ。

12月某日
13時に元滋慶学園の大谷源一さんと上野駅不忍口で待ち合わせ。今日は昼飲みの約束で店はまだ決めていない。上野駅からアメ横商店街を歩く。年末で人が多い。なんか中国系のお店が増えた感じ。御徒町駅近くの中華料理店、大興へ行く。お客が並んでいたが、10分ほどで店内へ。ここはおいしくて値段がリーズナブルなので人気店なのだ。1時間半ほど中華料理とビールにハイボールで過ごす。東京方面へ向かう大谷さんと御徒町駅で別れ、私は御徒町から山手線1駅の上野へ。上野から常磐線で我孫子へ。駅前のバス停からバスで若松へ。絆というマッサージ店で4時からの予約なのだ。ジャスト4時に絆へ。15分のマッサージと15分の電気をかけてもらう。マッサージの後、近くのウエルシアへ寄る。ウエルシアで38度の壱岐焼酎を購入。家へ帰って一休みの後、17時から7チャンネルの「孤独のグルメ」を見る。

12月某日
今年最後のマッサージを受けに近所の「絆」へ。帰りにウエルシアへ寄ってスコッチ「GRANTS」を購入。昼飯に自分のためにチャーハンを作る。具材は卵、ニンジン、タマネギ、
キムチ、レタス。油を熱し、ニンジン、タマネギを投入、次いで予め溶いた卵とご飯、キムチ、マヨネーズを混ぜ合わせたものを投入、しばらく炒めた後にレタスを投入して1分ほど炒めて完成。キムチが意外に健闘、美味しくいただく。今日が今年最終日となる我孫子市民図書館に行く。リクエストしていた本を2冊受け取る。「永山則夫 小説集成2」と「帝国の構造」(柄谷行人)の2冊である。

12月某日
「満州事変から日中戦争へ-シリーズ日本近代史⑤」(加藤陽子 岩波新書 2007年)を読む。「はじめに」で近衛首相のブレインであった昭和研究会などの知識人の執筆と推定される「戦闘の性質-領土侵略、政治、経済的権益を目標とするものに非ず、日中国交回復を阻害しつつある残存勢力の排除を目的とする一種の討匪戦なり」という文章が紹介されている。プーチンのウクライナ侵攻の理屈「ウクライナのネオナチの排除」とほぼ同じ理屈のように私には思える。日本は維新後、長く欧米列強との不平等条約に苦しんだが、大韓帝国や清国には不平等条約を強要した。私は明治以来、日本が欧米列強に対等となろうと努力してきたことは認める。だが、それは結局、朝鮮半島や中国大陸への侵略、さらにはアジア太平洋戦争へとつながっていったのではなかったか、と思わざるを得ない。著者の加藤陽子先生の思いもそこにあるような気がする。

12月某日
「永山則夫小説集成2 捨て子ごっこ」を読む。永山則夫は1949(昭和24年)6月に北海道網走市呼人番外地に生まれる。父親は家に寄り付かず極貧のうちに育つ。5歳(1954年)の10月に母親が次姉、妹、姪を連れて故郷の青森県北津軽郡板柳町に帰る。本書の「捨て子ごっこ」は網走の母親に捨てられたころのN(主人公をNと表現する。則夫のNであろう)が描かれる。「残雪」は、板柳町の中学3年生、就職を控えたころを描く。「なぜか、海」は東京で就職した渋谷の西村フルーツパーラーでの暮らしが描かれる。Nははじめは同期のなかでも優秀な店員であったが、次第に周囲から浮いてきてしまい、9月に職場の同僚と口論、そのまま出奔する。横浜港から外国船で密出国するまでを描く。「陸の眼」でNは外国船で発見され、香港で取り調べを受け、横浜まで送還される。Nはしばらく長兄のいる栃木県小山市に寄留、板金工場に勤めるがまもなく離職、ヒッチハイクで横浜を目指すまでが描かれる。「異水」ではNは横浜からさらに大阪までヒッチハイクを続け、米屋に勤めることになる。この米屋は作中では南野米穀店となっているが、守口市の駅前にある米福屋米穀店で実在する。米福屋のHPのプロフィールの項に永山則夫と異水のことに触れている。米福屋で永山は熱心に働くが社長に戸籍謄本の提示を求められる。当時、高倉健主演の網走番外地シリーズが人気で永山は番外地出身が露見することを恐れ、離職する。
永山は西村フルーツパーラーでも米福屋でも仕事熱心で同僚や上司に評価される。外国船での密航でも発見されてから中国人のコックに親切にされる。可愛い顔立ちで女性にも持てたことが作中で描かれている。米福屋での永山の写真が巻頭と解題に掲載されている。17歳の屈託のない笑顔である。私は世間が拳銃による連続射殺事件に湧いていた1968年12月、中学と高校が一緒だった川崎君(故人。当時、明大文学部の2年生、私は早大政経学部の1年生)とその友人たちと新宿で呑み、電車が終わっていたのでタクシーを止めた。そのとき運転手が「若者一人なら絶対に乗せなかったよ」と言われたのを覚えている。そして69年の9月、早大第2学生会館の攻防戦で逮捕起訴された私は9月末から12月頃まで当時、池袋にあった東京拘置所に収監されていた。恐らく永山も収監されていたと思う。同じ「臭い飯」を喰った仲である。ただし東京拘置所の食事は貧乏学生にとっては「悪くなかった」。

モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
図書館で借りた「神と黒蟹県」(絲山秋子 文藝春秋 2023年11月)を読む。絲山秋子ってデビューしたころから読んでいるけど、独特なんだよね。1966年生まれだから今年57歳か。本作では独特にさらに磨きがかかったと言える。黒蟹県という架空の県が舞台。ていうか黒蟹県なんて自在するわけがないじゃん。そこに神が出現する。神はいろんな人物になり替わる。神だからできるわけ。しかしこの神は奇跡をおこなうわけでもなく、特定の宗教、宗派を名乗るわけでもない。ストーリーを紹介するのも意味がない気がする。私はでも脱力系の絲山の小説が好みでもある。誤植を発見した。199ページ。
「『釜錦』の仕込み水と水源は一緒だから、あれはいい水だよ」
 釜泉酒造はピーナッツのすぐ裏にある酒蔵である。釜綿は生産量こそ少ないが、名水仕込みの酒として知る人ぞ知る名酒である。
2行目の「釜綿」は「釜錦」の誤植と思われる。初出は文芸雑誌の「文学界」だし、DTP制作として「ローヤル企画」という社名まで出ているのに。

12月某日
「ザ・シット・ジョブ 私労働小説」(ブレイディみかこ 角川書店 2023年10月)を読む。ブレイディみかこの本を最初に読んだのは「女たちのテロル」(岩波書店)だ。ブレイディみかこという人の名前は聞いたことがなかったが、面白そうなので借りた。大正末期の女性テロリスト、金子文子はじめ、イギリスやアイルランドで女性解放や独立を運動に参加した女性たちを描いた作品だった。ブレイディみかこを有名にしたのは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社)だろう。これは本屋さんで買いました。彼女の本を何冊か読むと、彼女の思想傾向がアナキズムに近いことがわかる。本書の「あとがき」でデヴィッド・グレーバーの「ブルシット・ジョブ-クソどうでもいい仕事の理論」(岩波書店)に触れているが、彼もアナキストだ。本書は主人公の「私」が日本とイギリスでさまざまな仕事に就き、いろいろな経験をしたことが綴られている。「あとがき」で、「この本はフィクションである。ノンフィクションではないし、自伝でもない」と書いている。そう書くのは作者の自由であるが、私はこの小説は彼女の体験がもとになっていると思う。第6話「パンとケアと薔薇」で病院で介護の仕事をしていた母親のことが描かれている。母は家へ帰ると病院の看護師や患者、患者の家族のことを口汚く罵っていた。そんな母親のことを私は許せなかった。しかし実は母親は…。あとは読んでのお楽しみ。

12月某日
大学時代の同級生5人が集まって忘年会。会場は丸の内の新東京ビル地下1階、「やんも」丸の内店で12時30分から。常磐線我孫子駅から快速で上野へ、上野から山手線で東京駅へ。東京駅から徒歩5分ほどで新東京ビル。私が5分ほど遅れて会場に着くとみんな揃っていた。会場を予約してくれたのは弁護士の雨宮先生。他に内海、岡、吉原君と私。料理を楽しみながら生ビールと冷酒を各1合。ただし内海君は酒を呑めないのでノンアルコールビール。世間話を1時間半ほどしたところでお開き。私は千代田線二重橋駅から我孫子まで座って帰る。

12月某日
「TERUKO&LUI 照子と瑠衣」(井上荒野 祥伝社 2023年10月)を読む。私には非常に面白かった。家族あるいは夫婦、それと友情と恋愛がテーマかな。照子は45年に及ぶ夫、寿朗との結婚生活を放棄、夫のBMWで親友の瑠衣と出奔する。二人はともに70歳、中学2年と3年のときの同級生だ。ただ本当に仲良くなったのは二人が30歳になったときのクラス会だ。照子を2次会に強引に誘おうとしていた塚本君を瑠衣が突き飛ばしてくれたのがきっかけだ。瑠衣はクラブ歌手で宝くじで当たった50万円を元手に老人マンションに入居するが、二大派閥のどちらにも属しないことから嫌がらせを受けることになる。ふたりとも夫や世間というしがらみに同調できないのだ。ふたりは別荘地まで車を走らせ、1軒の別荘の前で車を止める。照子は別荘のカギを壊して侵入する。不法侵入である。そこで二人は暮らし始め、別荘地の住人との交流が生まれる。瑠衣はカレーと酒の店で歌う仕事を見つけ、照子は以前に習ったトランプ占いを喫茶店の片隅ですることになる。しかしいつまでも不法占拠しているわけにはいかない。クリスマスパーティの夜、二人はまたBMWで旅に出る…。寿朗とか塚本君、別荘地の嫌味な住民などイヤーな人も登場するが、基本は親切な優しい人が照子と瑠衣の周囲の人びとである。それは照子と瑠衣が親切で優しい人でもあるからだが。井上荒野の小説に出てくる食事のシーンっていいんだよな。

12月某日
「新しい戦前-この国の〝いま″を読み解く」(内田樹 白井聡 朝日新聞出版 2023年8月)を読む。内田樹は1950年生まれ、東大文学部仏文科卒、都立大学大学院博士課程中退。神戸女学院大学。白井聡は1977年生まれ、早稲田大学政経学部卒、一橋大学大学院単位修得退学。京都精華大学准教授。二人とも現在の日本の論壇では「左派」に位置する。二人の対談はしたがって私がうなずけるものがほとんどであった。「ウクライナの軍事力はロシアと比べたらかなり弱い。…人口はロシアの3分の1.GDPは10分の1です。ですからロシアに対する『倫理的優位性』がほとんど唯一の強みなのです」「遠からず日本は『途上国によくある独裁制の腐敗国家』に近いものまで堕落する」「日本の政党の掲げるべき唯一の政治的課題は『国家主権の奪還』だと僕は思う。日本は部分主権国家であるという痛苦な自覚がない政治家には日本を次のフェーズに引き上げることはできません」(内田)。「孤立するようなことをあえて言えば、敵もつくりますが、同時に仲間もできる。…孤立を恐れない勇気だけが本当の仲間をもたらす」「しかし、ロシアがドル圏から弾き出されることによって、一挙にオルタナティブな決済システムが発達する可能性が出てきたわけです。今BRICS諸国を中心に、米ドル以外の通貨によって決済を行っていこうとする動きが次々と出ています」(白井)。「新しい戦前」というタイトルは昨年、タモリが「徹子の部屋」で発言したものだ。卓越したタレントの予感を感じさせる。白井が「まえがき」で神宮外苑の再開発に触れているが、これも「新しい全体主義」のあらわれかも知れない。

12月某日
「熊の肉には飴があう」(小泉武夫 ちくま文庫 2023年7月)を読む。カバー袖の著者紹介によると小泉先生は1943年、福島県の造り酒屋に生まれる。東京農大名誉教授。専門は醸造学・発酵学・食文化論とある。そういえば、前に勤めていた会社(年友企画)の近くにあった鯨料理の店「一之谷」は先生の贔屓の店だそうだ。で本書はフィクションなのか事実をもとにしたノンフィクションであるのかよくわからないが、私には面白かった。飛騨の宮寺の集落の一番奥の、「山の裾野に近いところに、古くて大きな家屋を構えた「右官屋権之丞」という奇妙な名前の料理屋がある」。その料理屋がこのストーリーの舞台である。右官とは本書によるとその昔、建築に関わる職の中で木に関わる職を「右官」、土に関わる職を「左官」と区別し、その右官に飛騨の大工集団、飛騨の匠を当てたそうである。右官屋権之丞の主人、藤丸権之丞誠一郎の祖先も飛騨の巧であった。右官の藤丸家がいつまで木工巧で、いつから専業農家になったのかは記録に残っていない。料理屋に転換したのはつい近年で、当代の15代目の権之丞誠一郎である。誠一郎は農業の傍ら、猟銃免許を取得して副業として猟師をしていた。そのうち猟師が本業化していって、さらに誠一郎の猟師料理が評判となっていった。その猟師料理をもとにして開店したのが「右官屋権之丞」である。右官屋権之丞で提供する料理の紹介が本書の主なストーリーなのだが、漬物や行者ニンニク、身欠きニシンを使った料理などには郷愁を覚えた。私の故郷、北海道でも50~60年前にはこれらの食材を使った料理が食卓に出たものだった。まぁ今から考えると貧しい食卓ではあったが、懐かしさは格別である。

モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
北海道の室蘭で小中高が一緒だった山本君と呑むことになったので、中高が一緒だった坂本君も誘うことにする。山本君は家が近所で小学校の5、6年生が同じクラスだった。坂本君は中学校で私と同じブラスバンド部に所属、トランペットを吹いていた。柏駅の中央改札口で待ち合わせ、昼間からやっている居酒屋「かね子」に入る。生ビールで乾杯の後、私は焼酎のお湯割り、坂本君と山本君は焼酎の水割りを呑む。「かね子」は焼トンの美味い店で、3時に入店したときは空席もあったがすぐに満席となった。2時間制で少し超過したが3人とも満足したようだった。柏から山本君は東武野田線で春日部へ、私と坂本君はJR常磐線で私は我孫子、坂本君は天王台へ。私は我孫子で「しちりん」に寄る。

12月某日
図書館で借りた「武家か天皇か-中世の選択」(関幸彦 朝日新聞出版 2023年10月)を読む。歴史を出来事の叙述としてではなく、体制(システム)の相克、協調、闘争として捉えようとしている関の論理の展開には興味を覚えた。しかし私が親しんだ歴史の本とはちょっと感覚が違い、250ページに満たない本ながら読み終わるのに4日もかかってしまった。本書を要約するのは難しい。私が興味を持った論を紹介したい。例えば至尊と至強の分離。12世紀の源平争乱を経て源頼朝は鎌倉に幕府を開くが、これにより天皇(至尊)と至強としての幕府権力が分離される。摂関政治が台頭するまでの古代国家においては大王が軍事力と政治権力を独占していた。9世紀以前の天皇名は文武、天武、聖武など「武」や「文」の漢語が共有され、そこには帝王たる治世への形容句が内包されていた。しかし10世紀の東アジア史の転換(大唐帝国の滅亡)を契機に、日本は律令国家体制から王朝国家に移行し、それに伴って天皇の呼称も変化する。宇多・醍醐・村上と続く京都の地名や御所名を冠する天皇の登場である。

12月某日
図書館で借りた「我が産声を聞きに」(白石一文 講談社 2021年7月)を読む。表紙の猫の写真を見て「見たことあるなぁ」と思ったが、読み始めてこの本は読んだことがあると感じた。2021年の発行だから2年前、そんな直近に読んだ本でも忘れてしまうのだ、と自分の耄碌ぶりに驚く。しかし考えてみれば同じ本を2度読むということは悪いことではない。本書でも前回読んだときは感じられなかったことを発見することができた。東京の理工系大学の大学院卒のエリート技術者と結婚した関西の外語大学出身の名香子が主人公。名香子は突然、夫に好きな人ができたので別れて欲しいと言われ、夫は好きな人の住む北千住へと行ってしまう。前回、読んだときには気付かなかったが、作者は完全に名香子の味方。夫との別離をきっかけにして名香子は敢然として自立の道を選ぶ。自立を決意したとき、庭に数年前いなくなったミーコと似た猫が姿を現す。猫は夫からの自立の象徴とも読める。

12月某日
「満洲事変はなぜ起きたのか」(筒井清忠 中央公論新社 2015年8月)を読む。去年、タレントのタモリが「来年は新しい戦前が始まる」と言って一部で注目を集めた。ロシアのウクライナ侵攻は昨年の2月だから「新しい戦前」は昨年から始まっていたのかもしれないし、ロシアのクリミア半島併合は2014年3月だから、そこから「新しい戦前」が始まったともいえる。私はロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのパレスチナ・ガザ地区侵攻が、戦前の日本の満洲国建国やその後の中国大陸への全面的な戦闘拡大と二重写しに感じられる。日清日露戦争に勝利した軍部、とくに陸軍は次の狙いを中国大陸に定める。日露戦争後、満洲に留まったまま軍政を継続しようとする軍部の児玉源太郎参謀総長に伊藤博文韓国統監は「満洲は決して我国の属地ではない。純然たる清国の領土である」と発言したことが紹介されている。筒井は「伊藤は見事なリーダーシップを発揮したのである。また、この時、文官による陸軍のコントロールが実行されたといえなくもないであろう」と評価している。日本はパリ講和条約でも人種平等案を提起している。米国内の差別問題とイギリスの反対とにウイルソンが抗しえず、削除されたが。ワシントン会議でも日本はおおむね国際協調路線だった。むしろ米国では排日移民法が可決されるなど排外主義的傾向が強まっていた。大正デモクラシーという風潮もあってか、この頃の日本は比較的リベラルであった。
日本が侵略色を強くしていくのは昭和に入ってからであろう。張作霖爆殺事件や満州事変のきっかけとなった柳条湖事件など陸軍の謀略と、それに乗じた新聞報道などによって戦争気運は高まっていく。そういえば朝の連続テレビ小説「ブギウギ」でも戦時色が色濃くなって主人公の弟が戦死し、真珠湾奇襲攻撃の成功に街は沸き立っていた。本書でも、張作霖爆殺事件や満州事変などの謀略事件が「日本軍の手によって行われたことがすぐに中国と世界に判明し決定的に信用を落としたのである」と綴られている。後に外務大臣となった重光葵は次のように言っている。「大正期の日本は世界の五大国、三大国の一つまでいわれるようになり…人類文化に対する責任は極めて重かった。…『責任を充分に自覚し、常に自己反省を怠ることなく、努力を続けることによってのみ』この責任は果たされるはずであった」
「然るに、日本は国家も国民も成金風の吹くに委せて…内容実力はこれに伴わなかった…日本は、個人も国家も、謙譲なる態度と努力とによってのみ大成するものである、という極めて見易き道理を忘却してしまった」。この時期は普通選挙制度の実現など平等主義的政治要求が一般化した時代でもある。「参政権の獲得により日本の権益の侵害は国民一人一人の利益への侵害と受け止められるように」なり、「それへの被害者意識と報復を求める感情は巨大な、ある場合には統御できないものともなるのである」という著者の認識は、やがて来るファシズムの時代を予感させる。

12月某日
フィスメックの小出社長と社会保険出版社の高本社長と会食の予定。17時30分に小出社長を訪問することになっている。少し早く着いたので1階ロビーで本を読んでいると社会保険研究所の鈴木前社長が通りかかり、しばし雑談。17時20分にフィスメックに向かうと年友企画の岩佐さんに遭遇。小出社長と神田小川町の「蕎麦といろり焼 創」に向かう。ほどなく高本社長が来たので生ビールで乾杯。あとは日本酒の銘酒を楽しむ。この店は料理が美味しいうえに銘酒を揃えているのが嬉しい。2時間ほどで会食を修了。すっかりご馳走になる。高本社長に千代田線の新御茶ノ水駅の改札まで送って貰う。地下鉄に乗ったら若い男性に席を譲られる。後期高齢者で身体障害者なのでありがたく座らせて貰う。

12月某日
「ウクライナ戦争をどう終わらせるか-『和平調停』の限界と可能性」(東大作 岩波新書 2023年2月)を読む。2022年2月24日にロシアのウクライナ侵攻は始まった。本書はその1年後に出版されている。来年の2月には戦争開始から2年が経過することになるが、戦争は終わりそうもない。アメリカがベトナム戦争に敗北したように、またフランスがアルジェリアから撤退したようにロシアもウクライナから撤退せざるを得なくなるのではなかろうか、というのが私の希望的観測である。著者はそのためにはロシアへの経済制裁の継続、EUや米国そして日本のウクライナへの支援が必要とする。本書では日本の2つのNGOが紹介されている。「ピースウィンズ・ジャパン」と「難民を助ける会」である。しかしガザの難民にも支援が必要だしね。政治資金パーティーのキックバックを受けた安倍派の国会議員は率先してカンパすべきであろう。

モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
「ロシア・ウクライナ戦争-歴史・民族・政治から考える」(塩川伸明編 東京堂出版 2023年10月)を読む。ロシアのウクライナ侵攻が始まってから私は少しウクライナに関心を持ち始めた。例えばウクライナ語はロシア語とは似ているが違う言語だということ。ただアメリカやイギリス、フランスやロシアの歴史に比べるとウクライナについては殆ど無知と言ってよい。それでまぁ我孫子市民図書館で本書を借りたわけです。第2章「ルーシの歴史とウクライナ」で松里公孝東大大学院教授が書いていることが参考になった。それによると、現在のウクライナ地域は①9~12世紀は世俗国家としてはキエフ・ルーシに統合②13~17世紀、モンゴルによりキエフ・ルーシは滅亡、ルーシは東西に分裂③17~18世紀、ロシア帝国が東西ルーシを再統一④19世紀~ロシア革命まで、正教とカトリックの闘争が西部諸県の「ポーランド人問題」として内政化して継続。ロシア革命によりウクライナ、ロシア、ベラルーシが生まれた。ウクライナはソ連(ソヴェト社会主義共和国連邦)を構成する社会主義共和国となった。それでソ連の解体によりウクライナは名実ともに独立国になったということである。中・東欧史ってややこしんだよね。とくにウクライナは。
第4章「歴史をめぐる相克-ロシア・ウクライナ戦争の一断面」で浜由樹子静岡県立大準教授が「ウクライナは、異なる来歴を持ついくつもの地域から成り立っており、民族構成、使用される言語、宗教分布も地域によって少しずつ違う」と書いている。大雑把に言うと西の方が親西欧でウクライナ語が優勢で東部地区が親ロシアでロシア語を話す人が多いらしい。そしてクリミア州はもともとソ連のロシア共和国に属していたが、フルシチョフによってウクライナ共和国に移管された。2022年のロシアのウクライナ侵攻に先駆けて2014年にクリミア州が住民投票の結果、ロシア連邦に編入されたが、ロシアの軍事力を背景にした編入と思っていたが、そうとばかりは言えないらしい。2022年10月には東南部4州が住民投票の結果を受けてロシアに併合されたが、これも同様だ。しかしである、ロシアのウクライナ侵攻は紛れもなく「力による現状変更」である。イスラエルのガザ侵攻が認められないのと同様にロシアのウクライナ侵攻も認めるわけにはいかないのである。私としては。

11月某日
「柄谷行人・中上健次 全対話」(講談社文芸文庫 2011年4月)を読む。柄谷行人は1941(昭和16)年兵庫県生まれの思想家。近著に「力と交換様式」。中上健次は1946(昭和21)年和歌山県生まれ。新宮高校卒業後、新宿でフーテン生活を送りつつ小説家を目指す。76年に「岬」で第74回芥川賞受賞。「枯木灘」「19歳の地図」「蛇淫」などを執筆、92年にガンで逝去。私の友人で5年ほど前に亡くなった竹下隆夫さんが中上と親しくて、確か和歌山の新宮で執り行われた中上の葬儀にも出たように思う。竹下さんは当時、年金住宅福祉協会に勤務していたが、もともとは文芸図書の出版社だった冬樹社で編集長をしていたから中上とはその頃からの付き合いだったのだろう。解説(高澤秀次)によると、柄谷と中上の出会いは1968年、当時東京新宿・紀伊國屋ビルの5階にあった「三田文学」の編集室であった。68年と言えば前年の67年の10.8羽田闘争で火が付いた学生運動が68年に入って東大、日大闘争が始まり10月21日の国際反戦デーでは新宿駅中心に大規模な騒乱状態を出現させた年である。本書によると中上はフーテン時代に早稲田の法学部の地下にあった社学同のサークルの部室に顔を出していて荒岱介(後の共産同戦旗派の創始者)などと親しかったそうだ。それはともかく「本当は、交通があるという状態が都市なんで(中略)世界史を見ても結局、活溌な交通や異種交配があるところだけ“進化”している」(柄谷)、「フリー・ジャズなんて(中略)音がつくりあげるコード、すなわち法制度から、なるべく遠くへ行こうと思うわけでしょう」(中上)という発言などは今でも新しいと思う。

11月某日
11月25日は私の75歳の誕生日である。吉本隆明と同じ誕生日というか1970年に三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺した日でもある。そして8年ほど前に私の母が92歳で亡くなった日だ。ということで西荻窪に住む兄から、北海道に住む弟が出てくるので食事をしようというメールがあった。待ち合わせ場所は新宿野村ビル。久しぶりの新宿なので迷ってしまい5分ほど遅刻。予約してあった土佐料理の「ねぼけ」へむかう。夜景がきれいだった。私以外は奥さんと一緒だった。新宿駅で彼らと別れ私は山手線で日暮里へ。日暮里から常磐線で我孫子へ。

11月某日
作家の伊集院静が亡くなる。73歳だった。私は伊集院静の愛読者とは言えないが、現代作家のなかでは割と読んだ方である。本日(11月29日)の朝日新聞朝刊に桜木紫乃が追悼文を寄せていた。桜木は伊集院のことを無頼と呼んで次のように書く。「無頼はときどき、誰にも告げずにふらりと博打の旅に出るらしい。今度はいったいどんな賭場を見つけ、どんな楽しい博打を打っているのか」。伊集院は確かに無頼であった。無頼はしかし「頼り無い」状態でもあるのだ。在日朝鮮人の家に生まれ高校球児として活躍し、立教大学野球部に入部するも身体を壊して退部。広告代理店のプロデューサーとして当時、人気絶頂の夏目雅子と出会い結婚するが、夏目は病死してしまう。その後、篠ひろ子と結婚する。華やかな人生とも言えるが、挫折と出会いと別れの人生でもあった。

11月某日
「くまちゃん」(角田光代 新潮文庫 平成23年10月)を読む。「あとがき」で「この小説に書いた男女は、だいたい20代の前半から30代半ばである。1990年代から2000年を過ぎるくらいの時間のなかで、恋をし、ふられ、年齢を重ねていく。そう、この小説では全員がふられている」として、次いで「私はふられ小説を書きたかったのだ」と続ける。7編の短編小説がおさめられているが確かに全編「ふられ小説」である。ところで私はふられた経験がない。本当はふられたのにそれに気付かなかったのかもしれないが、自覚がない。北海道で高校までを送り、東京で一浪し大学に入学した。同級生と恋愛し卒業してすぐ結婚した。つまり女性に持てたから振られたことがないのではなく、真剣な恋愛は今の奥さんとの一度切りという貧しくも幸運な恋愛経験の結果である。

11月某日
図書館で借りた「1937年の日本人-なぜ日本は戦争への坂道を歩んでいったのか」(山崎雅弘 朝日新聞出版 2018年4月)を読む。私はかねがねロシアのウクライナ侵攻が戦前の日本の中国大陸への侵攻と重ね合わせて見てきたもので、山崎雅弘という人の書いた本は初めて読むが借りることにした。山崎は大学で教える歴史学者ではない。巻末の略歴では戦史・紛争史研究家となっている。岩波新書の「独ソ戦」を書いた大木毅の存在と近いのかも知れない。「独ソ戦」も面白かったが本書も面白かった。山崎の着目点が良い。山崎は「はじめに」で、ある日を境に「日本人の生活や価値観が」昨日までの「平和の時代」から一転して「戦争の時代」へ激変するような「分岐点」は見当たらないとしている。そうかも知れない。ロシアのウクライナ侵攻にも中世から帝政時代、ソ連時代とその解体といった長い歴史があるし、イスラエルのガザ侵攻には第1次世界大戦時のイギリスの戦略の問題(枢軸国側だったオスマントルコに対抗するためにアラブ勢力には戦後の独立を約束し、ユダヤ人にはユダヤ国家の建設を約束した)、つまりイギリスの二枚舌、三枚舌外交戦略の問題がある。まぁ2000年前にはローマの属国だったとはいえ、ユダヤ国家は存在した。
1937年前後の日本の状況は、既成政党は国民の信用を失っており、軍拡による急激な物価上昇が国民生活を直撃していた。ここらへんは岸田政権下の現代日本を想起させる。7月7日の盧溝橋事件をきっかけに始まった支那事変は当初は政府も軍も不拡大方針だったが、世論やそれを煽った新聞の論調に引きずられ、まず陸軍が戦線の拡大と軍事費の増額を唱え、政府もそれに追随した。ただし衆議院では軍に対して批判的な議員が粛軍演説をしたり、一部の雑誌(中央公論や改造)では軍に批判的な論文も掲載された。ジャーナリストの伊藤正徳は大局的な見地で他国との紛糾を捉えるならば、相互の譲歩や多少の屈服を日本が敢えてすることも、決して日本にマイナスではないと文藝春秋で指摘している。1937年の年末、日本軍は首都南京に迫りつつまった。新聞(大阪朝日)は「南京包囲の態勢成る」「いよいよ迫る首都最後の日」と報じる一方で、大丸、高島屋、三越などの百貨店の全面広告や半面広告を掲載している。つまり、山崎が「はじめに」で書いたように平時から戦時への分岐点が明確にあるわけではなく戦争と平和が併存しつつ、グラデーションのように戦時色が強くなり、やがては戦時一色となるのだ。現代の日本では岸田政権はウクライナ戦争による物価高騰に対応して減税を約束する一方で、自衛隊の装備の現代化に向けて増税の検討に入っているという。いつか来た道をたどることがないように祈るのみである。