モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
図書館で借りた「神と黒蟹県」(絲山秋子 文藝春秋 2023年11月)を読む。絲山秋子ってデビューしたころから読んでいるけど、独特なんだよね。1966年生まれだから今年57歳か。本作では独特にさらに磨きがかかったと言える。黒蟹県という架空の県が舞台。ていうか黒蟹県なんて自在するわけがないじゃん。そこに神が出現する。神はいろんな人物になり替わる。神だからできるわけ。しかしこの神は奇跡をおこなうわけでもなく、特定の宗教、宗派を名乗るわけでもない。ストーリーを紹介するのも意味がない気がする。私はでも脱力系の絲山の小説が好みでもある。誤植を発見した。199ページ。
「『釜錦』の仕込み水と水源は一緒だから、あれはいい水だよ」
 釜泉酒造はピーナッツのすぐ裏にある酒蔵である。釜綿は生産量こそ少ないが、名水仕込みの酒として知る人ぞ知る名酒である。
2行目の「釜綿」は「釜錦」の誤植と思われる。初出は文芸雑誌の「文学界」だし、DTP制作として「ローヤル企画」という社名まで出ているのに。

12月某日
「ザ・シット・ジョブ 私労働小説」(ブレイディみかこ 角川書店 2023年10月)を読む。ブレイディみかこの本を最初に読んだのは「女たちのテロル」(岩波書店)だ。ブレイディみかこという人の名前は聞いたことがなかったが、面白そうなので借りた。大正末期の女性テロリスト、金子文子はじめ、イギリスやアイルランドで女性解放や独立を運動に参加した女性たちを描いた作品だった。ブレイディみかこを有名にしたのは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社)だろう。これは本屋さんで買いました。彼女の本を何冊か読むと、彼女の思想傾向がアナキズムに近いことがわかる。本書の「あとがき」でデヴィッド・グレーバーの「ブルシット・ジョブ-クソどうでもいい仕事の理論」(岩波書店)に触れているが、彼もアナキストだ。本書は主人公の「私」が日本とイギリスでさまざまな仕事に就き、いろいろな経験をしたことが綴られている。「あとがき」で、「この本はフィクションである。ノンフィクションではないし、自伝でもない」と書いている。そう書くのは作者の自由であるが、私はこの小説は彼女の体験がもとになっていると思う。第6話「パンとケアと薔薇」で病院で介護の仕事をしていた母親のことが描かれている。母は家へ帰ると病院の看護師や患者、患者の家族のことを口汚く罵っていた。そんな母親のことを私は許せなかった。しかし実は母親は…。あとは読んでのお楽しみ。

12月某日
大学時代の同級生5人が集まって忘年会。会場は丸の内の新東京ビル地下1階、「やんも」丸の内店で12時30分から。常磐線我孫子駅から快速で上野へ、上野から山手線で東京駅へ。東京駅から徒歩5分ほどで新東京ビル。私が5分ほど遅れて会場に着くとみんな揃っていた。会場を予約してくれたのは弁護士の雨宮先生。他に内海、岡、吉原君と私。料理を楽しみながら生ビールと冷酒を各1合。ただし内海君は酒を呑めないのでノンアルコールビール。世間話を1時間半ほどしたところでお開き。私は千代田線二重橋駅から我孫子まで座って帰る。

12月某日
「TERUKO&LUI 照子と瑠衣」(井上荒野 祥伝社 2023年10月)を読む。私には非常に面白かった。家族あるいは夫婦、それと友情と恋愛がテーマかな。照子は45年に及ぶ夫、寿朗との結婚生活を放棄、夫のBMWで親友の瑠衣と出奔する。二人はともに70歳、中学2年と3年のときの同級生だ。ただ本当に仲良くなったのは二人が30歳になったときのクラス会だ。照子を2次会に強引に誘おうとしていた塚本君を瑠衣が突き飛ばしてくれたのがきっかけだ。瑠衣はクラブ歌手で宝くじで当たった50万円を元手に老人マンションに入居するが、二大派閥のどちらにも属しないことから嫌がらせを受けることになる。ふたりとも夫や世間というしがらみに同調できないのだ。ふたりは別荘地まで車を走らせ、1軒の別荘の前で車を止める。照子は別荘のカギを壊して侵入する。不法侵入である。そこで二人は暮らし始め、別荘地の住人との交流が生まれる。瑠衣はカレーと酒の店で歌う仕事を見つけ、照子は以前に習ったトランプ占いを喫茶店の片隅ですることになる。しかしいつまでも不法占拠しているわけにはいかない。クリスマスパーティの夜、二人はまたBMWで旅に出る…。寿朗とか塚本君、別荘地の嫌味な住民などイヤーな人も登場するが、基本は親切な優しい人が照子と瑠衣の周囲の人びとである。それは照子と瑠衣が親切で優しい人でもあるからだが。井上荒野の小説に出てくる食事のシーンっていいんだよな。

12月某日
「新しい戦前-この国の〝いま″を読み解く」(内田樹 白井聡 朝日新聞出版 2023年8月)を読む。内田樹は1950年生まれ、東大文学部仏文科卒、都立大学大学院博士課程中退。神戸女学院大学。白井聡は1977年生まれ、早稲田大学政経学部卒、一橋大学大学院単位修得退学。京都精華大学准教授。二人とも現在の日本の論壇では「左派」に位置する。二人の対談はしたがって私がうなずけるものがほとんどであった。「ウクライナの軍事力はロシアと比べたらかなり弱い。…人口はロシアの3分の1.GDPは10分の1です。ですからロシアに対する『倫理的優位性』がほとんど唯一の強みなのです」「遠からず日本は『途上国によくある独裁制の腐敗国家』に近いものまで堕落する」「日本の政党の掲げるべき唯一の政治的課題は『国家主権の奪還』だと僕は思う。日本は部分主権国家であるという痛苦な自覚がない政治家には日本を次のフェーズに引き上げることはできません」(内田)。「孤立するようなことをあえて言えば、敵もつくりますが、同時に仲間もできる。…孤立を恐れない勇気だけが本当の仲間をもたらす」「しかし、ロシアがドル圏から弾き出されることによって、一挙にオルタナティブな決済システムが発達する可能性が出てきたわけです。今BRICS諸国を中心に、米ドル以外の通貨によって決済を行っていこうとする動きが次々と出ています」(白井)。「新しい戦前」というタイトルは昨年、タモリが「徹子の部屋」で発言したものだ。卓越したタレントの予感を感じさせる。白井が「まえがき」で神宮外苑の再開発に触れているが、これも「新しい全体主義」のあらわれかも知れない。

12月某日
「熊の肉には飴があう」(小泉武夫 ちくま文庫 2023年7月)を読む。カバー袖の著者紹介によると小泉先生は1943年、福島県の造り酒屋に生まれる。東京農大名誉教授。専門は醸造学・発酵学・食文化論とある。そういえば、前に勤めていた会社(年友企画)の近くにあった鯨料理の店「一之谷」は先生の贔屓の店だそうだ。で本書はフィクションなのか事実をもとにしたノンフィクションであるのかよくわからないが、私には面白かった。飛騨の宮寺の集落の一番奥の、「山の裾野に近いところに、古くて大きな家屋を構えた「右官屋権之丞」という奇妙な名前の料理屋がある」。その料理屋がこのストーリーの舞台である。右官とは本書によるとその昔、建築に関わる職の中で木に関わる職を「右官」、土に関わる職を「左官」と区別し、その右官に飛騨の大工集団、飛騨の匠を当てたそうである。右官屋権之丞の主人、藤丸権之丞誠一郎の祖先も飛騨の巧であった。右官の藤丸家がいつまで木工巧で、いつから専業農家になったのかは記録に残っていない。料理屋に転換したのはつい近年で、当代の15代目の権之丞誠一郎である。誠一郎は農業の傍ら、猟銃免許を取得して副業として猟師をしていた。そのうち猟師が本業化していって、さらに誠一郎の猟師料理が評判となっていった。その猟師料理をもとにして開店したのが「右官屋権之丞」である。右官屋権之丞で提供する料理の紹介が本書の主なストーリーなのだが、漬物や行者ニンニク、身欠きニシンを使った料理などには郷愁を覚えた。私の故郷、北海道でも50~60年前にはこれらの食材を使った料理が食卓に出たものだった。まぁ今から考えると貧しい食卓ではあったが、懐かしさは格別である。