モリちゃんの酒中日記 1月その3

1月某日
昨夜、11時過ぎに就寝。4時頃いったん目が覚めたので起床。朝のテレビを2時間ほど漫然と見た後、2度寝。11時頃起床。朝食はトーストにバター、チーズ、「5種のリーフ」を乗せて、スープと一緒に食べる。ランチはコーンスープにご飯を入れて、副食は「5種のリーフ」にツナ缶とたまねぎのみじん切りを乗せ、ドレッシングをかけて食べる。
「戦前日本のポピュリズム-日米戦争への道」(筒井清忠 中公新書 2018年1月)を読む。私はこの頃、日本と世界の現状が第2次世界大戦前の状況と非常に似てきているように思えてならない。本書を読んでもそのことを痛感した。ロシアのウクライナ侵攻は日本の中国大陸への侵攻を思い起こさせるし、ロシアのクリミア半島併合は日本軍部の満洲国建国と非常に似ていると思わせる。自民党安倍派を中心とした裏金疑惑は、昭和戦前期の政財界の腐敗を思わせる。日本はそれからファシズム、そして日米戦争の道を歩きはじめる。今はさすがに日米戦争はないだろうが、怖いのは台湾海峡と北朝鮮のリスクではないか。戦前は日本、ドイツ、イタリアで3国軍事同盟を結び、米英ソ連に対抗した。現在はロシア、中国、北朝鮮が権威主義国家同士で連携しているように思う。3国に共通しているのは思想としてのスターリン主義(個人への権力の集中、自由な言論の弾圧等)である。そしてスターリン主義に対抗できるのは反スターリン主義ではなく民主主義である。

1月某日
「満州事変-政策の形成過程」(緒方貞子 岩波現代文庫 2011年8月)を読む。著者は国連難民高等弁務官を1991年から10年間勤めた緒方貞子(1927~2019)である。私は世界各地の難民支援に活躍した緒方のことしか知らなかったが、本書の解説やウイキペディアによると、昭和初期に生まれた女性にしては珍しく国際的、学際的な活躍をした女性である。
彼女の曽祖父は犬養毅、祖父は犬養内閣の外相を務めた吉澤健吉。母は元共同通信社長の犬養康彦や評論家の犬養道子、エッセイストの安藤和津の従妹。ということは安藤和津の夫の奥田瑛二やその娘の安藤サクラとも親戚ということになる。まぁ家系的に見てもリベラルなのは了解できる。外交官の娘として生まれ、幼少期をサンフランシスコ(バークレー)、広東省、香港などで過ごし、小学校5年生で帰国、聖心女子学院に編入、聖心女子大学英文科卒。カリフォルニア大学バークレー校の大学院で政治学の博士号を取得。本書は大学院に提出した博士論文をもとに日本語訳されたものである。
本書は「日清・日露の戦争によって既に満州に鉄道をはじめとする諸権益を得ていた日本は、その一層の発展を図ることを基本的な対外政策としていた。特に関東州及び南満州にある鉄道の保護を任務としていた関東軍は、より積極的な保護と発展の機会を求める在満日本人の要求にも応え、次第に積極的な戦略論を展開するに至った」(まえがき)過程とその結果としての中国侵略、満洲国建国に至る「政策の形成過程」を描く。私は緒方が満州事変の原動力となった日本帝国主義を「社会主義的帝国主義」と定義したいとしていることに注目したい。緒方は満州事変が国民に歓迎された理由の一つとして「事変の結果国民経済が拡大されることが期待された」ことをあげている。満洲での戦火拡大を担った関東軍も日本政府に対し「満洲開発の成果を国民大衆に享受させるため、社会政策上の大改革を断行するよう要請した」がこれは、これはナチスの国家社会主義的な政策を思い出させる。これはすなわち「社会主義的帝国主義」である。ソ連のアフガン侵攻や中国の新疆ウイグル自治区への弾圧も社会主義的帝国主義である。ロシアのウクライナ侵攻は、ロシアが社会主義から離脱したため、たんなる帝国主義である。

1月某日
8時起床。日課となっているNHK朝のテレビ小説「ブギウギ」を見る。主人公の趣里が演ずる福来スズ子(モデルは笠置シズ子)が村山興業(モデルは吉本興業)の御曹司、村山愛助の子どもを妊娠していることが判明。喜ぶシズ子と村山。だが、大阪の村山の母(小雪が好演)は激怒。どうするスズ子? 図書館へ寄った後、11時頃、バスでアビスタ前から八坂神社前の床屋(カットクラブパパ)へ。散髪の後、歩いて手賀沼縁の「水辺のサフラン我孫子店」へ、サンドイッチを購入。手賀沼公園内のベンチで食べる。

1月某日
御徒町の清瀧上野2号店で3時から新年会。3時に会場に行くと石津さんが来ていた。少し遅れてHCM社の大橋さんとデザイナーの土方さんが来る。会費3000円で足りない分は大橋さんと土方さんが出してくれたようだ。私はビールと日本酒、ウイスキーのソーダ割をいただく。気がつくと7時を過ぎていた。4時間以上、呑んで食べてしゃべっていたわけだ。石津さんからお煎餅とハンカチをいただく。石津さんは4月いっぱいで年友企画を退社すると言っていた。そのときはまた呑もうと思う。土方さんは地下鉄で石津さんは京浜東北線で帰る。私と大橋さんは山手線で上野へ。私は上野から常磐線で我孫子へ。大橋さんは出張で仙台へ。

1月某日
指名手配されていた東アジア反日武装戦線の桐島聡が、末期がんで入院している病院で自ら桐島聡と名乗り出た。半世紀前の爆弾容疑という。東アジア反日武装戦線といえば、同じ頃に丸の内の三菱重工ビルで時限爆弾を爆発させ多くの死傷者を出した事件が記憶に残る。犯人の大道寺夫妻は逮捕され死刑判決が確定した。夫はガンにより拘置所で死去、妻は確か大使館占拠の人質と交換に国外退去となった。大道寺夫妻と同時に逮捕され、直後に服毒自殺したSさんは私の中学校、高校の1学年上。秀才で現役で東京都立大学に合格した。当時、盛んだった学生運動とは一線を画しアイヌ解放闘争や朝鮮人差別問題に取り組んでいたようだ。Sさんの想いはどのようなものだったのだろうか? 桐島が名乗り出たというニュースを知ってそんなことを思った。

1月某日
末期がんで入院中に指名手配が判明した桐島聡が入院先の病院で死亡したことが報じられた。実名を明らかにしてから数日の命であった。桐島に家族はいたのだろうか? 逃亡中は家族を持たなかったのか、両親や兄弟は健在なのか? 世間の無責任なまなざしにさらされることのないように祈るばかりだ。私は田辺聖子先生の「夕ごはんたべた?」を思い出す。昭和50年に刊行されたこの小説は尼崎下町の開業医、吉水三太郎が過激な学生運動にのめり込む子供たちに悩まされながらも「やさしさ」を忘れない日常を描く名作である。田辺先生は三太郎の眼を通して当時の過激派学生たちを「若者たちに、透徹した見通しや、大衆を納得させる現実的な理論があったとは思いにくい。だから、それら若者の情熱はいくらでもエスカレートしていった。大衆の支持と共感を離れ、突っ走ってしまった」と描く。「そうして大気圏の中で燃えつき、消滅し、あるいは、再び戻ることのない屑星となって、あてどなく遊弋し、闇に消えていった。紛争学生の烙印を捺され、放逐され処刑され、ふるい落とされていった」。この一文を私は桐島に読ませたかったと思う。これは田辺先生からの紛争学生に対する挽歌のように感じられるのである。

1月某日
「風葬」(桜木紫乃 文春文庫 2016年10月)を読む。単行本は2008年10月に出版されている。舞台は根室と釧路。著者は北海道釧路生まれ。裁判所職員を経て作家デビュー。現在も北海道在住だったと思う。小説はまだロシアがソ連と呼ばれていた頃の話である。1990年代頃か。密漁、恋愛、サビれゆく街などテーマ満載の小説である。この小説に限らず桜木の小説を読むと、この作者は「強い作家」と思う。人物描写に容赦がないのである。

1月某日
「永遠年計」(温又柔 講談社 2022年10月)を読む。温又柔は1980年台北生まれ、両親ともに台湾人。幼少期に来日。台湾というのは地域というか島の名称で、国の名前としては中華民国。でも中華民国として正式に国交を結んでいる国は少ない。日本も1972年に中華人民共和国と国交を回復し中華民国とは断行した。でも日本人の多くは中国本土よりも台湾に親近感を持っているのではないだろうか。民主主義という共通の価値観を有する国として。本書には表題作の「永遠年軽」と「誇り」「おりこうさん」の3作がおさめられているが、「誇り」で主人公の大伯父が、主人公に「日本は、台湾を二度捨てた。わかるか?一度目は天皇陛下に。二度目は田中角栄に。俺たちは捨てられたんだ」と語るのが紹介されている。「一度目は天皇陛下に」というのは1945年の敗戦で日本は植民地としての台湾や朝鮮半島を失ったことを指している。小説を離れて私は台湾と日本そして中国本土との関係は現状維持が望ましいと思っている。いつの日か、中国が民主化され平和的に台湾と中国が一緒になれる日まで。