3月某日
「マルクス解体-プロメテウスの夢とその先」(斎藤幸平 講談社 2023年10月)を読む。斎藤幸平は1987年生まれの「人新世の資本論」などで知られる気鋭の思想家。東大大学院総合文化研究科准教授。プロメテウスはギリシア神話に登場する神。ゼウスの怒りによって火を奪われた人類に同情し、ゼウスを欺いて火を盗み人類に与えた。火を手に入れた人類は自然の力に打ち克ち、技術や文明を発展させていく。ところが、豊かになってゆく過程で人類は、火を使って兵器を作り、戦争で殺し合いを始めてしまう。さらなるゼウスの怒りを買ったプロメテウスは、コーカサスの岩場に釘付けされ、半永久的に鷲に肝臓を啄まれ続けることになる。人類はさらに原子力のような科学技術を発展させ、また大量の化石燃料を燃やすことで、地球そのものを気候変動の影響で燃やし尽くそうとしている(はじめに)。斎藤幸平はマルクスの思想から脱成長コミュニズムを読み取るが、それは従来のマルクス理解に解体を迫るものであった。というようなことが本書のタイトルの所以であろうと思う(あくまで私の推測です)。
この本はマルクスを本格的に勉強したことのない私にとってかなり難解であった。図書館で借りた本なので気になるところに傍線を引くわけにもいかず、本は付箋だらけになってしまった。私のマルクス理解の浅薄さを気付かせることとなった。そのいくつかを本書から紹介する。エコロジーがマルクスの資本主義批判の構成要素の一つだった。故にマルクスのポスト資本主義像も「環境社会主義」として再解釈できるようになった。グローバル・ノースの労働者階級は「帝国的生活様式」によってグローバル・サウスの人間や自然を搾取や収奪をするようになる。北と南の対立と不平等は中核部と周縁部の不平等とも表現される。これを積極的に展開したのがローザ・ルクセンブルグで、彼女は資本主義的発展が非資本主義社会に破壊的影響を与えているだけでなく、中核部は周縁部に奴隷の労働力や天然資源を無償で供給させていると批判する。また「人間の手に負えない気候変動の本格化は、自然の支配という近代のプロメテウス主義の野望が失敗に終わったことを示唆している」と。マルクスの「脱成長コミュニズムは平等主義的な経済を実現するために、経済の速度を落とし、市場経済を縮小することを目指」して「20世紀においては誰にも認識されることはなかったが、人新世における人間の生存の可能性を高めるため、今こそかつてないほどに重要な未来社会の理念なのである」。
3月某日
「錠剤F」(井上荒野 集英社 2024年1月)を読む。10編の短編を収めた短編集。私は井上荒野の小説はよく読んでいるほうだと思うが、この短編集は従来のものとは少し趣が違うと感じられた。なにかざらつくものを感じるのだ。表題作となった「錠剤F」はハウスクリーニングの会社に勤める私と同僚の安奈を中心にして物語が展開する。私鉄沿線の学園都市を訪問する私と安奈。安奈が自身の安楽死のための錠剤を譲ってくれるというドクターFに会うためだ。安奈は錠剤の代金10万円を用意している。錠剤の真偽が確認されないのでビジネスは成立しない。私と安奈が近くの居酒屋で飲んでいると、ドクターFも仲間と呑んでいる。みんなで合流してメンバーのアパートへ向かう。突然、ドクターFは歩道橋から身をひるがえして落下する。ざらつくね。不穏。
3月某日
評議員をしている社会福祉法人「にんじんの会」の評議員会が西国分寺の特別養護老人ホームで開催されるので東京から中央線で西国分寺へ。18時45分頃に西国分寺駅南口集合ということだったが、17時過ぎに着いてしまったので北口の焼き鳥屋に入る。焼き鳥5本セットと生ビールを頼む。焼き鳥を食べ生ビールを飲み干し、オバサンと世間話をしているとまだ18時。サントリー角のソーダ割を頼む。「これから会議なのに大丈夫?」と言われるが「大丈夫です」と呑む。18時30分になったので店を出て南口へ。同じ評議員の吉武さんが歩いてきたので声を掛ける。吉武さんは私と同じ我孫子に住んでいて話題はもっぱら甲子園に出場している我孫子の中央学院高校のこと。今日も勝って土曜日に準決勝だと。土曜日はパブリック・ビューイングで応援に行くことにする。国分寺駅南口から法人の車で評議員会会場の特養へ。決算報告を承認。「にんじんの会」は特養や老健、認知症グループホーム、訪問介護事業などを展開しているが、機械化など合理化によってコストを削減、黒字経営を維持している。コスト削減と同時に良質なケアを追求している。立派なものだ。
会場を西国分寺の高級そうな料理屋「わだつみ」に移して懇親会。評議員には吉武さんと同じく厚労省の局長を務めた中村秀一さんや地域の民生委員、野生動物の保護に取り組んでいる人、多摩地域の起業家など多士済々。法人の経営陣からは石川治江理事長、事務局長の石川正紀さんらが参加。懇親会では石川理事長の隣に座る。理事長と法人発足時に私が法人の借金の保証人となった話をする。あのときは奥さんに内緒で実印を持ち出し、書類にハンコをついた。私は石川さんことを信用していたが、奥さんは石川さんのことを知らないからね。帰りは法人が用意してくれたタクシーで吉武さんと我孫子まで帰る。タクシーの運転手は女性で、「離婚しましたけれど、仲人は我孫子の人でした」そうである。吉武さんをつくし野で降ろしてわが家へ向かう。途中で久寺家という地名を見つけて女性は「仲人さんに年賀状を出した地名が久寺家でした」と。世間は狭い。
3月某日
「コモンの「自治」論-資本の論理から抜け出す、みんなの共有論」(斎藤幸平+松本卓也編 集英社 2023年8月)を読む。昨年、現職を破って杉並区長に当選した岸本聡子や京都精華大学准教授の白井聰、岡山大学准教授で文化人類学者の松村圭一郎らが寄稿している。斎藤幸平はマルクス思想の新しい解釈で注目されているし、本書の執筆者はリベラル左派で括ることができると思う。防衛予算の増額や武器輸出の禁止がなし崩しとなり、社会全体が右傾化に進むとみられる現在、リベラル左派は貴重な存在であり、斎藤幸平はその象徴的な存在だと思う。
3月某日
「財政・金融政策の転換点-日本経済の転換点」(飯田泰之 中公新書 2023年12月)を読む。本書によると日本の「中央政府の債務総額は1514兆円。その過半を占めるのが公債(1103兆円。主に普通国債)である。ついで公的年金の預かり金(127兆円)も負債の大きな部分を占める」とある。普通国債の増大部分のうち(678兆円)が歳出の増加によって発生している。なかでも社会保障関係費は444兆円と最大の要因である」という。財政政策とは単純化すれば政府のお金の使い方であり、金融政策とは財務省と日銀による円の量的、質的なコントロールであろう。著者は「不況期には経済全体での失業を抑制しつつ、一方で好況期の人件費高騰に対応できない企業からの離職を促進し、個々の労働者がより高い生産性を発揮できる職場への移行を促進する制度をつくるためにこそ、財政資金を投入する必要がある」と主張する。私はこの考え方に賛成である。日本では業績不振の業界や企業に補助金や低利融資で延命を図りがちである。これが失われた30年を支えた一因であるように思えてならない。失敗したプレイヤーには速やかに競技場(市場)からの退場を促すべきである。著者の飯田泰之は明治大学政経学部教授でNHKの「英雄たちの選択」に何度出演していて、私も見たことがある。
3月某日
春の甲子園は健大高崎(群馬)が報徳学園(兵庫)を下し優勝。報徳は準決勝で我孫子の中央学院を破って決勝に進出。私はこの試合はアビスタでのパブリックビューイングで応援した。同じ我孫子市民の吉武さんが誘ってくれた。誘いがなければ応援に行かなかったことを考えると吉武さんに感謝である。「夏に向けて頑張ろう!」と我孫子市民がいう。私も同感である。