モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
「明治日本の植民地支配-北海道から朝鮮へ」(井上勝生 岩波現代選書)を読む。著者の井上勝生は北大の名誉教授、専門は幕末維新史だが、北大の施設で「東学党首魁」と直に墨書された頭蓋骨が発見されたことから、朝鮮半島での日本帝国陸軍による東学党の乱参加者への酸鼻な弾圧処刑、さらには北海道でのアイヌ民族に対する収奪、差別に向きあうことになる。本書によると、日本軍の東学農民軍に対する作戦のすべてが日清戦争の公式戦史から抹消、隠蔽されているという。「東学党首魁」とされた頭蓋骨=遺骨を受け取るために北大を韓国から代表団が訪れる。そのとき代表団の告由文が紹介されているが、その内容は、私の想像を超える激しいものだった。一部を紹介する。「あなたは、新聞紙に包まれて紙箱に入れられたまま、昔の侵略者の地、埃まみれのあちらこちらの片隅に押しやられながら、十年たらぬ百年の間、恥辱の歳月を送られました」「今ここ日本の地には、過去における日帝の韓国侵略を正当化する盲信が、いまだに相次ぐかと思えば、強大国の覇権主義の悪癖も姿を消しません。それゆえにこそ、あなたが命を賭した『斥倭抗戦』の戦いは、実に先駆的な自己犠牲でありましたし、こんにちの私どもが心に刻まなければならぬことの如何と、歩むべき道の方向を克明に差し示して下さっておられます」。

7月某日
「札幌誕生」(門井慶喜 河出書房新社 2025年4月)を読む。明治以前、北海道における和人の中心地は箱館(函館)であり、松前であった。明治になって開拓使が札幌に置かれ、以降、現在まで札幌は北海道庁の所在地であり、北海道最大の都市となった。本書を読むと人口で函館を札幌が上回るのは明治も末期であるという。本書は札幌の開拓や文化の醸成に力を尽くした5人の物語である。最初に登場するのは初代の開拓判官、島義勇。佐賀出身の義勇は北海道開発に尽力するも、ほどなく東京に呼び戻される。やがて江藤新平とともに佐賀で挙兵、佐賀の乱である。乱は敗北し島は江藤とともに斬首される。以下、内村鑑三、バチラー八重子、有島武郎、岡崎文吉の生涯と北海道の関りが綴られる。それなりの人物像が造形されていると思うが…。アメリカ大陸がもともとは先住民、インディアンのものだったように、蝦夷地、北海道はアイヌ民族のものであった。そういう視点が門井には抜け落ちていると思う。

7月某日
「草の根のファシズム-日本民衆の戦争体験」(吉見義明 岩波現代文庫 2022年8月)を読む。戦後の1948(昭和23)年に生まれた私は、55年(昭和30)年に室蘭市立高砂小学校に入学、民主的な教育を受けたことになる。戦後の平和は善、戦前の軍国主義は悪という考え方を植え付けられたのは間違いない。もちろん日本帝国主義のアジア・中国大陸への侵攻は間違いであり、近隣諸国、住民へどれほどの厄災を与えたか計り知れない。しかし満州事変以来の侵略戦争に動員、徴兵された庶民の肉声は私の先入観を少しばかり裏切るものであった。本書によると、徴兵された農民兵士は「忙しく苦しかった農作業から解放され」、「毎日の入浴」、「仲々よい」食事、「立派な革靴」など農村にいる時よりもめぐまれた生活ができた、という。本書のタイトル、「草の根のファシズム」は、日本軍国主義を支えたのは日本人民、大衆であるということであると思う。60年安保の頃、竹内好が「一木一草の天皇制」と言ったことと同じ趣旨ではないだろうか。私は小学校低学年のときに観た映画「二等兵物語」を思い出す。伴淳とアチャコが扮する新兵の軍隊生活を描いたものだが、背景には戦後の庶民の反戦平和への想いがあったように思う。

7月某日
「マリヤの賛歌」(城田すず子 岩波現代文庫 2025年6月)を読む。本書は、惹句に曰く「稼業没落後に芸者屋に売られ、国内外の遊郭や軍『慰安所』で性売買女性として生きざるをえなかった戦中戦後の苦難の日々を、婦人保護施設入所後に振り返った半生記」ということである。城田は1920年生まれ。戦中戦後を売春を生業として生きざるをえなかったが、55年に日本基督教団の「慈愛寮」に入寮、キリスト教に入信し65年に「かにた婦人の村」に入所、後半生を過ごす、1993年没。本書を読むと売春が貧困と密接に関連していることがわかる。戦中戦後に比べると急速に豊かになった現代でも基本的な構造は変わっていないのではないか。ホストクラブで顧客の若い女性に過大な売掛金を科し、売春を強要する事例が報道されている。

モリちゃんの酒中日記 6月その3

6月某日
早稲田大学のサークル(ロシヤ語研究会)の3年後輩だった長田君が亡くなった。友人の友野君が電話で知らせてくれた。新宿区の落合斎場の通夜に参列することにする。我孫子から千代田線で大手町へ。東西線に乗り換えて早稲田、高田馬場の次が落合。徒歩5分ほどで斎場に。通夜はすでに始まっていて僧侶の読経の声が響く。祭壇には長田君の在りし日の笑顔が輝く。いい写真だ。焼香。参列者に知っている顔はいない。友野君は明日の葬儀に参列すると言っていた。お清めの席にも寄らず退席。落合から地下鉄で飯田橋へ、JRに乗り換え秋葉原、山手線で上野へ。上野から常磐線で我孫子へ。常磐線では席を譲られる。席に座って見上げると、譲った人は髪の薄くなった50代後半から60代の人。平気でシルバーシートに座っている若い人もいるが、譲ってくれるのは年配者が多いというのが私の印象。

6月某日
「摂関政治-古代の終焉か、中世の開幕か」(大津透他 岩波書店 2024年11月)を読む。「シリーズ古代史をひらくⅡ」の最終巻。タイトル通り後期平安時代の摂関政治を取り上げている。摂関政治とは摂政、関白がリードする政治ということであろう。それ以前は律令制のもと、中央集権的な支配体制が築かれ、税も中央政府(朝廷)により一元的に管理されていた。それが私的な荘園が広範囲に拡大し、私的領有と公的領有が並立するようになったらしい。しかし何といってもこの時代を画するのは平和な時代ということであろう。摂関政治以前には古くは壬申の乱、大化の改新といった内乱、クーデターがあったし、白村江の戦いに見られる朝鮮半島への出兵もあった。また時代が下れば平安末期には源平の合戦があり、鎌倉時代には二度にわたる元寇があった。平和な時代を背景にして貴族社会では文藝が興隆した。漢詩、和歌などに加えて源氏物語、枕草子などの小説、随筆でも見るべきものがあった。源氏物語、枕草子など女性が執筆したものは女房文学と呼ばれる。私は日本史に興味があるけれど、どうしても動乱期に興味が集中するきらいがある。源平の争乱や、南北朝、応仁の乱、戦国時代、関ヶ原から大坂の陣、幕末の尊王攘夷という具合である。本書を読んで摂関時代にも親しんでみようと思う。

6月某日
「道長ものがたり-『我が世の望月』とは何だったのか―」(山本淳子 朝日新聞出版 2023年11月)を読む。「摂関政治」に続いて、この時代をリードした藤原道長を巡る物語である。道長の時代を画するのは、道長はじめ当時の有力者が、天皇または皇太子にみずからの娘を妃として入内させ、皇子を得ようとしたことである。この皇子が成人前にミカドになれば、妃の父となる有力者は摂政として、政治を司ることができるからだ。ミカドの外祖父として権力を握る、このような例は世界史でも例のないことでなかろう。しかし道長の時代のようにそれが百年も続いたというのは、珍しいのではないか?道長には天皇を廃してみずから王となる選択肢はなかった。天皇制は温存しつつ、実際の権力は摂関家(藤原氏)や将軍家(鎌倉、足利、徳川)が握るという伝統である。ひるがえって現代も、天皇制は象徴天皇制として残しつつ、実際の権力は議院内閣制のもと、内閣総理大臣が握っているということであろう。

6月某日
社会福祉法人にんじんの会の評議員会に出席。会場は立川の同法人の研修センター。前回は立川駅から会場にたどり着けず欠席してしまったが、今回は30分前に無事、到着することができた。中村理事長と石川常務理事及び各施設の管理者から法人運営について説明があり、了承した。経営は順調に推移しているようだ。実務を担っている石川常務の手腕と職員の能力向上によるものと思う。石川常務の母親で創業者の石川はるえさんは欠席とのことだった。会議の終了後、近くの「末広」で食事。幹部職員と楽しく歓談することができた。

6月某日
「マル」(平沢克己 集英社インターナショナル 2025年3月)を読む。平沢克己は1950年東京・蒲田生まれ、早稲田大学理工学部卒業後、翻訳会社を立ち上げる。私は1948年北海道生まれで早大政経学部卒。生まれは東京の下町と北海道の山のなかという違いはあるが、反骨精神が旺盛なところなど一部共通点があり、面白く読んだ。私は当時、盛り上がっていた学生運動にのめり込んだが、平沢は冷静だったようだ。東京育ちと北海道育ちの違いだろうか。

モリちゃんの酒中日記 6月その2

6月某日
「日銀の限界-円安、物価、賃金はどうなる?」(野口悠紀雄 幻冬舎新書 2025年1月)を読む。著者の野口悠紀雄は1940年生まれ。今年、85歳になるのだが、その経済を見る目の確かさはいささかも衰えない。本書における野口の考え方を私なりに要約すると、まず円安は日本を弱くする。円安で企業の利益は増えるが、それは企業が輸入物価の上昇を販売価格に転嫁しているからで、円安による企業の利益増は消費者の犠牲により生まれている。円安によって外国人労働者を確保できなくなり、国際競争から脱落していく可能性もある。外国人労働者の確保のために、韓国は永住権の付与に積極的だが日本は遅れをとっている。米国への留学生も、韓国の4万9755人に対して日本は1万3447人である。1人当たりGDPでも(単位:万ドル)、日本は4.1に対して、アジアではシンガポール10.6、台湾4.3、韓国4.2である(ちなみにアメリカ10.1、イギリス6.7、ドイツ6.4、フランス5.4、イタリア4.5で、G7のメンバーで最低)。円安効果で大企業の収益は増大しているが、それは企業の利益として蓄積され労働者に還元されない。昨年、今年と賃上げ率は高かったが、それは主として大企業の労働者や公務員で、中小、零細企業の労働者やフリーターには及んでいない。ジャパンアズナンバーワンは遠い過去のものとなってしまった。物価の上昇に賃金が追いついて行かない。著者が指摘するのは労働生産性の向上が進んでいないこと。企業の投資が伸びていないし、高等教育も生産性の向上と結びついていない。どうするニッポン!

6月某日
上野の国立科学博物館に「特別展 古代DNA-日本人のきた道-」を観に行く。今度の日曜日(6月15日)が最終日とあって、ウイークデーにもかかわらず結構な人であった。展示物にカメラを向ける人、説明文をメモする人と熱心な老若男女が多かった。私はテーマに興味はあるのだが、人混みを避ける性向があるので展示物は後ろから垣間見る程度であった。その替わり解説パンフレットを2500円で購入、あとでじっくり勉強するつもりだ。実は身体障害者手帳を見せると入場料2500円が免除される。免除された2500円でパンフレットを購入したとも言える。

6月某日
午前中、アビスタ前から坂東バスに乗車、終点の我孫子駅前の一個手前のバス停、八坂神社前で下車、理髪店「カットクラブパパ」へ。お客がいなかったので早速、調髪。料金は今年から500円上がって4000円に。帰りは歩きで我孫子図書館に寄り、週刊文春と週刊新潮を軽く読んで、リクエストしていた本を受けとって帰宅。

6月某日
「歳月」(茨木のり子 岩波現代文庫 2025年5月)を読む。茨木のり子(1925~2006年)は現代詩人。8歳年上の夫の医師、三浦保信とは1975年に死別している。本詩集は彼女の夫への挽歌である。詩の原稿は彼女の死後、Yと表書きされたボール紙の箱から発見された。茨木のり子は私の母親などと同世代だが、彼女の詩には自立などの戦後の価値観を強く感じさせるものが多い。本詩集でも夫への感情を素直に綴っている。「なれる」と題された詩を抜粋しよう。


 なれる
おたがいに
なれるのは嫌だな
親しさは
どんなにふかくなってもいいけれど
三十三歳の頃 あなたはそう言い
二十五歳の頃 わたしはそれを聞いた
今まで誰からも教えられることもなくきてしまった大切なもの
おもえばあれがわたしたちの出発点であったかもしれない
(後略)

モリちゃんの酒中日記 6月その1

6月某日
北海道の室蘭市で同じ小学校、中学校、高校に通った山本君から前進座歌舞伎公演のチケットを2枚貰った。劇場は池袋のサンシャイン劇場。演目は山田洋次脚本の「裏長屋騒動記」で、落語の「らくだ」「井戸の茶碗」を下敷きにしているという。元年友企画の石津さんを誘い、劇場前で待ち合わせ。前進座公園だが、客演の曾我廼家寛太郎(松竹新喜劇)が怪演。ほぼ満員の観客たちも満足していたようだ。もちろん、我々も満足。終って有楽町線の東池袋から有楽町へ。有楽町周辺の焼き鳥屋で石津さんにご馳走になる。焼き鳥屋にも外国人が数組、欧米系だけでなく東南アジア系、インド系?と多彩であった。

6月某日
内神田のマンションにある社保研ティラーレを訪問。約束は16時だったが30分早く着いてしまった。吉高会長が対応してくれる。吉高会長の自宅は茨城県の神栖市だが、この40年間東京都内にマンションを借り、週末に神栖へ帰るという二重生活を送っていた。しかし80歳になったのを機に都内のマンションを撤収、神栖に定住することにした。「地方から考える社会保障フォーラム」の開催について私がお手伝いをしたことから、本日は私に晩御飯をご馳走してくれるそうだ。17時近くなったので予約している神田駅前付近のタイ料理屋へむかう。タイ料理を食べるのは初めてだったが、なかなか美味しかった。人気の店らしく18時頃にはほぼ満員になった。遅れて社保研ティラーレの佐藤社長も到着。佐藤さんは現在、立憲民主党の衆議院議員の秘書をやっている。二人から重ねて感謝されたが、感謝しなければならないのは私の方だ。「社会保障フォーラム」を手伝うことになったのは私が60歳を過ぎてからだが、毎回テーマや講師の選定、依頼などが楽しかった。タイ料理屋を出て、近くの喫茶店でおしゃべり。楽しい時間をありがとう!

6月某日
「YABU NO NAKA ヤブノナカ」(金原ひとみ 文藝春秋 2025年4月)を読む。タイトルは芥川龍之介の短編小説「藪の中」を意識したものだ。芥川の小説は平安時代を舞台に、藪の中で男の死体が発見される事件を描く。細かなストーリーは忘れてしまったが、ネットで検索すると「事件の真相をめぐり、4人の目撃者と3人の当事者が証言を述べるが、それぞれの証言が食い違い、矛盾し、真相が明らかにならないという構造が特徴」だそうだ。金原の小説は小説家の長岡友梨奈を巡って担当する現・元の編集者、友梨奈のパートナー、諸上塚の娘、元編集者の息子などが状況を語る。それぞれが「状況を語る」というところが芥川の小説ともつながるということだろう。私は面白く読んだが、元担当編集者が50代で小説家が40代、小説家のパートナーが20代、娘や息子は10代から20代という設定。50代の元担当編集者の使う言葉は了解できるが、40代、20代、10代の使う言葉には、私には意味不明のものも散見された。私も70代後半、現代小説を読むのはちと無理がある?

6月某日
「美土里倶楽部」(村田喜代子 中央公論新社 2025年3月)を読む。村田喜代子は80歳、福岡県中間市在住。八幡市の中学校を卒業後、鉄工所に就職。結婚、子育て後に同人雑誌に参加、「鍋の中」で芥川賞受賞。「美土里倶楽部」は夫を病で喪った主人公、美土里とその周辺の未亡人たちの話し。それなりの喪失感を抱きつつ、それぞれが前向きに生きて行こうとする…。「未亡人倶楽部」の話しと言ってもいいかも知れない。私は以前から村田喜代子の小説は読んでいた。私より3歳年上の村田とは、価値観を共有しているという想いが強いのだ。比較するつもりはないが(そういって比較しているのだが)、金原ひとみはたぶん、大卒で父親は大学教授。金原はたぶん都内居住、もしかしたら港区在住。中卒の芥川賞作家は私の記憶では村田喜代子と西村賢太くらい。西村が亡くなった今、村田にはまだまだ元気で頑張ってもらいたい。

6月某日
監事をやっている一般社団法人の理事会が東京駅八重洲口の貸会議室で開かれるので出席。13時30分の開催だが、東京駅に着いたのが13時頃、昼食を食べるまもなく会場へ。開会にあたっての会長挨拶が毎回、面白い。今回はトランプ大統領と盟友だったイーロン・マスク氏の訣別に触れて「二人とも大富豪ですからね。合うわけがありません」だって。理事会を無事に終えて徒歩で神田駅まで歩く。神田駅からJRで一駅、秋葉原へ。駅近くの中華バーミアンで大橋さんと土方さんと待ち合わせ。土方さんからお土産をいただく。4時から4時間近くバーミアンで呑んで食べて喋る。

モリちゃんの酒中日記 5月その3

5月某日
柏駅で室蘭市立高砂小学校以来の友人、山本君と待ち合わせ。16時に改札口で待ち合わせだが、30分ほど早く着いたので駅構内の売店の前をウロウロしていたら、山本君に声を掛けられる。改札を出て柏駅西口方面へ。居酒屋へ入店。山本君とは中学校、高校も一緒なので共通の友人や教師の話題で盛り上がる。山本君から前進座のチケットと畑で収穫した玉ねぎをいただく。山本君は舞台の照明技師をやっていたので、舞台のチケットが手に入るらしい。

5月某日
歯の定期健診で近所の手賀沼健康歯科へ、担当の歯科衛生士さんに歯を診てもらう。特に問題はなかった。前回は磨き残しを指摘されたが今回はなし。歯のクリーニングをしてもらって定期健診終了。清算は今回から機械化されていた。若い事務の女性が手伝ってくれて無事終了。

5月某日
「しずかなパレード」(井上荒野 幻冬舎 2025年2月)を読む。井上荒野の小説はどれも面白い。今回は数組の夫婦、あるいは家族の物語。舞台は長崎と東京。長崎では当然、登場人物は長崎弁を話す。井上荒野の父、井上光晴は長崎出身、長崎の炭鉱を舞台にした作品もある。私には幕末の長崎の遊郭を舞台にした「丸山蘭水楼の女たち」という小説が記憶に残っている(タイトルはちょっと曖昧)。井上荒野は東京生まれの東京育ちだが、彼女のDNAが長崎弁に向かわせたのか。夫婦、家族の縁って本当に確かなものなのか、と考えさせる小説。私のなかでは今年のベスト、今のところですが。

5月某日
「父が牛飼いになった理由(わけ)」(河崎秋子 集英社新書 2025年3月)を読む。河崎秋子は1979年北海道生まれ。北海学園大学経済学部を卒業後、家業の酪農に従事する傍ら、小説を執筆。24年「ともぐい」で直木賞受賞。本作は500年前のルーツまでたどる河崎のファミリーヒストリー。ルーツは金沢藩の武士で父方の祖父が満洲に移住、父は昭和17年に満洲で生まれる。祖父母は4人の子を連れ堺市に帰る。父は兄弟とともに帯広畜産大学に学び、卒業後は公務員の農業改良普及員になる。同僚だった母と結婚後、標津町茶志骨に入植、酪農を始める。当時は今ほど機械化されていたわけではなく、「酪農を始める」のは相当な決意が必要だった。だが楽天的な父は妻や子どもたちと力を合わせ、酪農事業を成功させる。私も北海道生まれだが河崎が生まれた道東ではなく、気候が比較的な温暖な道南の室蘭。しかも富士鉄や日本製鋼所を擁する工業都市で、同級生の父兄は製鉄やそれに関連する職業の人が多く、農業まして酪農家などはほとんどいなかった。同じ北海道でも随分と違うものだ。なお河崎が卒業した北海学園大は大泉洋や安田顕も卒業した、今や名門である。

5月某日
「いのちの記憶-銀河を渡るⅡ」(沢木耕太郎 新潮文庫 2025年2月)を読む。沢木耕太郎のエッセイ集。前半はいわば沢木の身辺雑記、これも子供の頃にはまったTVドラマ「逃亡者」の話し、週に一度出会う「焼き芋屋」の話しなどを面白く読んだが、後半の沢木が出会った人の人物スケッチが格段に面白かった。美空ひばり、田辺聖子とカモカのおっちゃん、高倉健といった芸能人や文化人とのかかわりを描いたエッセイも面白かったが、私にはむしろ世間的には有名とは言えない編集者やカメラマンの面影を伝えるエッセイに魅かれるものがあった。にしても横浜国立大学経済学部卒業後、就職が決まっていた富士銀行を一日も出社せずに退社、恩師の長洲一二のすすめで東京放送の調査月報にルポを書いていた青年が、今年78歳の小説も手掛けるルポルタージュの大御所となるとは!

5月某日
「〈ロシア〉が変えた江戸時代-世界認識の展開と近代の序章」(岩﨑奈緒子 吉川弘文館 2024年12月)を読む。私はペリーが来航するまでの江戸時代を、士農工商という身分制度に縛られた因循姑息な社会というふうに捉えていたが、本書はそんな考えを一変させた。鎖国という時代状況にあって、意外にも科学や技術への関心は高く、蘭学への興味も高まった。当時、北海道は蝦夷地と呼ばれていたが、本書によると、「渡島半島の松前氏の支配領域が松前地、それを除く北海道の大半の地域は蝦夷地と呼ばれていた」そうである。ロシア船はクナシリやエトロフに寄港し、ラクスマンやレザノフは長崎を訪れ、通商を要求している。ロシアに限らず、アメリカやイギリスの艦船も日本近海を訪れた。寛政8(1796)年8月、英国のプロビデンス号が蝦夷地の虻田沖に現れ沿岸の測量を行い、エトモ(室蘭)に数日停泊した。蝦夷地は海産物や毛皮の産地としてだけでなく、外国からの侵略に備える防衛拠点としても注目された。幕府から津軽藩や南部藩に蝦夷地への出兵が要請された。私の故郷、室蘭にも陣屋という地名が残っているが、南部藩の陣屋があったということだ。ロシアはじめ米英、仏などの欧米先進国にとっては、帝国主義の前夜である。日本が侵略されなかったのはたまたまかも知れないが、本書を読むと、当時の日本は蘭学を通じた科学や技術レベルが高く、伊能忠敬の地図作成などから武士階級中心に、国境意識が高まると共に国土防衛意識が強くなったと考えられる。きっと攘夷思想の萌芽と言えるのだろう。

5月某日
「〈ロシア〉が変えた江戸時代」が面白かったので著者の岩﨑奈緒子を我孫子市民図書館で検索すると数冊がヒットした。そのなかで「日本の歴史25 日本はどこへ行くのか」(岩﨑奈緒子他 講談社学術文庫 2010年7月)を借りて読むことにする。岩崎が執筆したのは「第5章〈歴史〉とアイヌ」である。和人による北海道開拓が本格化する明治以前のアイヌの人びとの生業は基本的に海や河川における鮭漁と、陸地におけるシカなどの狩猟であった。これら彼らの権利は江戸時代の松前藩、あるいは幕府の支配のときは基本的に認められていた。それが明治新政府(開拓使、北海道庁)では、アイヌの人々は排除されていくことになる。岩崎は次のように主張する。「アイヌの飯料取を核として構成された漁業秩序を、むしろ温存する形で和人の進出が図られた蝦夷地と、その一切の清算から始まった北海道との断絶は深い。アイヌが存在の基礎としていた漁業権・狩猟権の喪失は、アイヌにとって、近世と近代との間を截然と分ける本質的な転換を意味した」。私はパレスチナ問題を思い浮かべてしまう。イスラエル建国の以前、パレスチナではユダヤ人とアラブ人が共存して暮らしていたという。それがイスラエルの建国からアラブ人の苦境は続く。明治政府もイスラエルもアイヌやアラブの人たちからすれば、簒奪者、侵略者ということになる。 

5月某日
「シリーズ古代史をひらくⅡ 列島の東西・南北-つながりあう地域」(責任編集・川尻秋生)を読む。北海道、蝦夷の歴史に興味を持ち始めたので、本書ではとくに「北海道 北方との窓口 簑島栄紀」と「東北 蝦夷の世界 三上喜孝」を読むことにする。とくに簑島の論文では私が初めて知ったことが多く記されていて興味深かった。アイヌの人びとの日本本土との交流は古くは日本書紀に記されている。書記には天武天皇が、皇太子の草壁皇子らにヒグマの毛皮を分配したことが書かれている。また本書では北海道でも古墳の存在があったことが明らかにされている。7‐8世紀に北海道式古墳が築かれ副葬品も発見されている。アイヌ社会は原始共産主義社会に近いのでは、と私などは思い込んでいたが、古墳の存在は、ある種の階級社会だったことを示しているのではなかろうか。いゃー興味深いですね。 

5月某日
新松戸にある松戸年金事務所で地域型年金委員地区連絡会議に出席。副所長が今、国会で審議されている年金改正案などについて1時間30分ほど説明してくれる。出席者は私を含めて5人ほど。同じ我孫子市在住で社会保険OBのNさんも出席していたので挨拶する。Nさんとは昔、一緒にゴルフへ行ったものだが、「最近ゴルフ行ってますか?」と聞いたら、「それどころじゃないんだよ」と、この1年ほど皮膚に湿疹ができて病院通いで大変だったそうだ。

モリちゃんの酒中日記 5月その2

5月某日
「学校の戦後史」(岩波新書 木村元 2015年3月)を読む。戦後の学制改革で注目すべきは新制中学校の存在と本書は述べる。「義務制の中学校は、当時世界でもアメリカ以外には存在しておらず」(序章)ということだ。戦前は尋常小学校が義務教育で、卒業すると高等小学校、旧制中学校、高等女学校などへ進学する。エリートコースは旧制中学で旧制中学卒業後は、旧制高校さらに大学へと進学する。高等小学校卒業後は工業学校、商業学校、師範学校へ進学する。その後は高等工業専門学校、高等商業専門学校、高等師範学校である。戦前が複線型とすれば戦後は単線型である。私が大学生のころ(1968~72)は学生運動が盛んで、産学協同路線粉砕とか教育の帝国主義的再編粉砕とか叫んでいたものだ。産学協同路線は高度経済成長期ということもあり、一般的には受け入れられてきた。しかし本書では「市場原理に支配される現実社会において、公共性を生きる政治的能力の育成を教育の積極的な対象とすることは難しい。したがって、市場原理とは別の原理(すなわち公共性)のもとに政治的能力の獲得を保障する必要があり、そこに学校の役割が認められる」(終章)としている。産学協同路線とは教育に市場原理を持ち込むものだとすれば、産学協同路線粉砕は正しかったのかもしれない。

5月某日
「花芯」(瀬戸内寂聴 講談社文庫 2005年2月)を読む。この小説は1957年に発表され、解説(川上弘美)によると、毀誉褒貶の激しかった作品で、「室生犀星、円地文子、吉行淳之介からの好意的な支持があったにもかかわらず、マスコミの向かい風を受けるようになってしまった」という。今から60年以上前の作品であり、平野謙の「必要以上に『子宮』という言葉が使われている」という批評も時代を感じさせる。私は瀬戸内の小説は伊藤野枝と大杉栄を描いた「美は乱調にあり」、菅野スガを描いた「遠い声」、金子文子を描いた「余白の春」のアナキスト3部作しか読んだことがないのだが、彼女が仏教に帰依したことも含めて、精神のアナキストだったのではあるまいか、と思っている。「花芯」で描きたかったのも精神の自由さではないだろうか。

5月某日
「イスラエルの自滅-剣によって立つ者、必ず剣によって倒される」(宮田律 光文社新書 2025年1月)を読む。パレスチナ問題についての本は元日本赤軍の重信房子のも含めて数冊読んだが、この本が一番わかりやすかった。著者は1955年生まれ。慶應義塾大学文学部東洋史専攻、同大学大学院修了後、UCLA大学院修了。87年、静岡県立大学に勤務し、中東アフリカ論や国際政治学を担当。2012年、現代イスラム研究センターを創設、理事長に。専門的な知識とジャーナリスチックな感覚を併せ持つ貴重な人材とみた。本書の結論的部分が「パレスチナに主権をもつのは『パレスチナ人』であり、イギリスがユダヤ人の国家建設を約束したバルフォア宣言も、また1947年の国連分割決議も、パレスチナ人の民族自決権を侵害するものだ」というものだ。今も続くイスラエルのガザ侵攻やパレスチナへの植民は、日本の満洲侵略を思い起こさせる。副題の「剣によって立つ者、必ず剣によって倒される」は旧約聖書にある言葉だそうだ。ユダヤ教徒であるイスラエル国民、なかんずくネタニヤフ首相は肝に銘ずべし。

5月某日
「前方後円墳」(下垣仁志 吉川弘文館 2025年3月)を読む。日本列島において3世紀後期から7世紀初頭にかけて大規模な墓が造営された。その多くが形状から前方後円墳と名付けられた。著者は京都大学大学院教授、1975年生まれだから今年50歳、気鋭の考古学者と呼んでいいだろう。巨大な墳墓が造営された背景を遺跡などの出土物から科学的に推定し、さらに大胆な推測を加えるという手法は私には好感が持てた。「前方後円墳の論理-公共事業説批判」では次のように述べている。「(超)大型古墳は、その造営を通じて経済・軍事・イデオロギー・領域・社会関係などの権力資源が複合的に行使される媒体として機能した。…超大型古墳の造営が各種権力資源のコントロールと安定的に嚙みあった古墳中期の畿内に国家が誕生していたと判断できる」。ピラミッド公共事業説というのがあって、これから類推して古墳公共事業説があるが、著者は「古墳時代の造墓には人民に配慮した『公共事業』性も『失業対策』性もまったくみいだせない」とし、「結果論的に生じた社会への還元を、安直に支配者の善意に読みかえてしまう古墳公共事業説の志向は、歴史事象をねじまげるものと評せざるをえない」と断言する。さらに著者は「古墳公共事業説が論者の意図に反して、現代日本の全体主義化を学問面から助長しかねない」と危惧する。リベラルだねぇ。

5月某日
監事をしている一般社団法人の監査が虎ノ門の事務所で13時30分から。事業報告書、決算報告書、銀行残高証明書などを示され、常務理事と事務局長から説明を受ける。幹事は私ともう一人、会員協会の理事長の二人。理事長はさすがに的確な質問をしていたが、私はほぼ説明を聞くだけ。1時間ほどで監査を修了。本日は17時から御徒町の吉池食堂で大谷源一さんとの会食がある。地下鉄銀座線の虎ノ門から上野広小路へ移動。御徒町周辺の「てんや」で遅いランチ。上野松坂屋と吉池をのぞく。吉池食堂へ行くと「本日は予約で一杯です」とのこと。大谷さんにその旨連絡すると、「大興」を5時から予約しました、との返事。「大興」は町中華の名店で、店内に創業1946年とあった。私も大谷さんも1948年生まれだから私たちよりも年上である。しかし中華は後期高齢者の二人組にはやや重い。

モリちゃんの酒中日記 5月その1

5月某日
昨日はメーデー。今は手賀沼公園の一部となって家族連れが敷物を敷いて憩っていたりするが、昔は確かグランドとして使われていた。メーデーのときも我孫子市内の労組が集会に使っていた記憶がある。労働組合の組織率も低下しているからね。図書館で借りた「幸福な遊戯」(角田光代 角川文庫 2003年11月)を読む。単行本は91年9月に福武書店から刊行されている。表題作の「幸福な遊戯」「無愁天使」「銭湯」の3編の中編小説が収録されている。私の角田光代の小説の印象は健全なリアリズムというもので決して暗くはない。90年に「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞してデビューとある。角田は67年生まれだから、早稲田大学第1文学部を卒業して間もなくのデビューである。恵まれていたデビューとも言えるが不安に満ちたデビューであったと想像する。私はこの3作にその「不安」を色濃く感じるのだ。

5月某日
「日ソ戦争-帝国日本最後の闘い」(麻田雅文 中公新書 2024年4月)を読む。ソ連は第2次世界大戦末期まで日ソ中立条約によって対日本との戦闘を控えてきた。しかし1945年5月、ドイツの無条件降伏を経て日本、とくに満洲、南樺太、千島列島への侵攻が具体化してくる。本書は45年8月9日にソ連軍が満洲へ侵攻し、さらに南樺太、千島列島を奪取した経緯を、当時の記録をもとに再現している。本書を読んで思うのはソ連という国家の膨張的、侵略的性格だ。それは現在のロシアのウクライナ侵攻にも受け継がれている。中ソ対立が顕著だったとき、中国共産党はソ連を社会帝国主義と形容したが、それは正しいと本書を読んで思う。もっとも戦前の日本は帝国主義そのもので東アジアを蹂躙した。著者は「おわりに」で日ソ戦争の特徴的な3点をあげている。①日ソ戦争では民間人の虐殺や性暴力など、現代では戦争犯罪に当たる行為が停戦後も多発した②住民の選別とソ連への強制連行③領土の奪取。①は日本軍の南京事件などが見られるし②は日本の朝鮮人や中国人の強制連行や強制労働が見られる。③は現にウクライナ戦争でロシアが、ガザ戦争でイスラエルがやっていることである。

5月某日
昨日は青空のもと気温も24度位まで上がったのだが、連休最終日の本日は一転、昨夜から冷たい雨が降っている。「溺レる」(川上弘美 文春文庫 2002年9月)を読む。単行本は1999年8月、川上は1958年生まれだから彼女が40歳前後の作品である。女流文学賞と伊藤整文学賞を受賞しているから文学作品としても高く評価されたのだろう。表題作を含む8つの短編が納められているが、いずれも男女のことを題材にしている。私は上品なエロティックを感じつつ読んだ。15時30分から立憲民主党の街頭演説会が我孫子駅南口のロータリーで。岡田克也、我孫子選出の衆議院議員の宮川伸、参議院副議長の長浜ひろゆきが登場。3人の演説を聞いて私が感じたのは「現場感」の希薄さ。生産や流通の現場、医療や介護の現場をもっと回るべきではないか。そこには切実な国民のニーズがあるはずだし、そのニーズに応えるのが立憲民主党の役割と思うのだが。

5月某日
バス停のアビスタ前から坂東バスに乗車。平日の午後のためか乗客が少ない。終点の東我孫子車庫のひとつ前の我孫子中学校では私ひとりに。終点で下車、左へ行くと天王台の駅、右へ行くと手賀沼だ。手賀沼へ出て遊歩道を歩くことにする。あやめ通りを手賀沼方面に下ると「手賀沼ふれあいライン」にぶつかる。この道をしばらく行くと「ジュリエッタ」というイタリア料理店がある。私は言ったことはないが☆4.3、「本日は満席です」の貼り紙が出ていた。「手賀沼ふれあいライン」から田んぼのあぜ道を横切って遊歩道へ。私のような高齢者歩行者に行きかう。ようやく前方に「水の館」が見えてくる。「水の館」1階の我孫子農産物直売所「アビコン」を訪問、我孫子高校前まで歩き坂東バスを待つ。バスをアビスタ前で下車、帰宅。1万3千歩ほど歩いていた。

5月某日
表参道の「ふーみん」で会食。「ふーみん」は中華の名店で吉武民樹さんが表参道にあった「こどもの城」の理事長をしていたときによく利用していたそうだ。3月に高本夫妻のマンションで開かれた花見の会の延長で、そのとき初参加の小堀鴎一郎先生も岩佐愛子さんと一緒に参加してくれた。高本夫妻の友人の市川美奈子さんにも久しぶりで会うことができた。私のテーブルは吉武さん、高本社長、大谷さんと一緒で、小堀先生のテーブルは岩佐さん、江利川さん、今は立憲民主党の議員秘書をしている佐藤さんが一緒。もう一つのテーブルは厚生省で江利川さんと入省同期の川邊さん、川邉さんが資金課長のときの課長補佐の岩野さん、高本夫人と市川さんだ。大変おいしい料理をいただいたが、おしゃべりに夢中で何を食べたかよく覚えていない。

モリちゃんの酒中日記 4月その4

4月某日
図書館で借りた「西洋の敗北-日本と世界に何が起きるのか」(エマニエル・トッド 文藝春秋 2024年11月)を読む。「この本は多くの人の予約が入っています。なるべく1週間くらいでお返しください」という赤い紙が貼ってあったので、3日間あまりで400ページ余りの本を読了。しかし中身を理解し得たかというと心もとない。ロシアのウクライナ侵攻が本書執筆の動機の一つだったようだ。序章でロシアを「ネオ・スターリン的な官僚制のロシアとはかけ離れた、技術的、経済的、社会的に極めて柔軟性に富む「近代的なロシア」-つまり侮ってはならない強敵-を見出すことができる」と表現する一方、アメリカについては「西洋の危機、とりわけアメリカの末期的な危機こそ地球の均衡を危うくしている」と指摘している。プーチン政権下2000年から2017年でアルコール中毒による死亡率は、人口10万人当たり25.6人から8.4人に、殺人率も28.2人から6.2人に減少、2020年には4.7人にまで低下している。2000年の乳幼児死亡率は1000人当たり19人だったが2020年には4.4人まで減少、アメリカの5.4人を下回った。西欧が課した経済制裁もロシアに一定の困難をもたらしたが、一方で代替物の生産などで経済成長ももたらしたという。

4月某日
「戦争と有事-ウクライナ戦争、ガザ戦争、台湾危機の深層」(佐藤優 GAKUKEN 2024年10月)を読む。私が感じたのは佐藤優の考えはウクライナ戦争に関してはロシア、プーチン寄り、ガザ戦争に関してはイスラエル寄りということだ。佐藤は同志社大学神学研究科修了、外務省入省、在ロシア連邦日本国大使館に勤務、その後、本省で対ロシア外交の最前線で活躍した。確かプロテスタントの信者でもあり、そうした経歴からもロシアやイスラエル寄りとなるのも、うなずけないことではない。まぁ私は佐藤とは対称的にウクライナ、アラブ寄りなのですが。

4月某日
千葉県地域型年金委員会の理事会に出席。会場は京葉線の千葉みなと駅近くの千葉年金事務所である。理事会開催の30分ほど前に駅に到着、駅構内の立ち食いソバ屋でカツ丼の小を食べる(450円)。スマホの地図を見ながら年金事務所を探すが難航。1カ月くらい前に立川の社会福祉法人の評議員会に結局たどり着けなかった記憶がよぎる。何とか探しあげて30分遅刻で出席。千葉県年金委員会の解散等を決議する。理事会終了後、近くの居酒屋で出席理事全員で懇親会。理事は社会保険OBが大半だが、会長の岩瀬さんは確か京葉銀行の出身で現在は趣味で油絵を描く。いつか自分の油絵を絵葉書にしたものをいただいたが巧みなものだった。懇親会の費用は幹事の佐々木満さんが委員会の残余金から払ってくれた。京葉線から武蔵野線を経由、新松戸から常磐線で我孫子へ。

4月某日
「男どき 女どき」(向田邦子 新潮文庫 昭和60年5月)を読む。向田邦子は1929(昭和4)年-生まれ、1981(昭和56)年に台湾上空の飛行機事故で死去。人気シナリオライターとして数々のドラマを手がけたが、80年に直木賞を受賞。ということは小説家として「これから」というときに亡くなったことになる。本書は「この作品集は昭和57年8月新潮社より刊行された」と巻末に付記されているから、作家の事故死を受けて急に編集されたものだろう。4編の短編といくつかのエッセーが収録されている。短編には彼女の才能を感じるしエッセーには彼女の気配りと優しさを感じる。

4月某日
「菜食主義者」(ハン・ガン クオン 2011年4月)を読む。昨年、韓国初のノーベル文学賞を受賞したハン・ガン。本書も受賞を受けて増刷されたらしく、奥付は「2024年12月第2版第8刷」となっていた。本書は「菜食主義者」「蒙古斑」「木の花火」というタイトルの中編小説の連作である。最初の「菜食職主義者」を読んだ段階ではさして感銘を受けなかったのだが、「蒙古斑」「木の花火」と読み進むうちにハン・ガンの人間洞察の深さに驚かされることとなった。主人公が植物となるイメージが出てくるが、これは人間に対する絶望を表現しているように私には読めた。

4月某日
「国際法からとらえるパレスチナQ&A-イスラエルの犯罪を止めるために」(ステファニー・クープ 岩波ブックレット 2024年12月)を読む。著者は青山学院大学法学部ヒューマンライツ学科准教授。本書によると国際法とは「国際社会に関する法で、基本的に、国際条約、そして慣習国際法と言われる確立した国際社会の慣習からなります」。そして「パレスチナ人という集団の全部または一部を破壊する意図をもってイスラエルがガザを攻撃しているという視点は、イスラエルによる1948年以来のパレスチナ人の追放、パレスチナの不法占拠の継続、平和的解決の妨害といった歴史的背景を、現在の状況とつなげて考えるためにも、重要」としている。著者の考えに私は全面的に賛成である。1947年、国連総会で、パレスチナ人とユダヤ人の間でパレスチナを分割する決議が採択された。この決議は人口の三分の一、土地の6%しか有していなかったユダヤ人に、パレスチナの領土の57%を与えるという不公平なものであった。さらにイスラエルは1967年の第三次中東戦争以後も、入植地を拡大し、パレスチナ人の住居や施設を爆撃、侵略している。本書はこれらのイスラエルの行為を、国際法から見ても犯罪と断罪している。

4月某日
「82年生まれ、キム・ジヨン」(チョ・ナムジュ ちくま文庫 2023年2月)を読む。昨年末、韓国の現職大統領が罷免された。罷免を要求する集会、デモ行進には多くの女性たちの姿があった。私はテレビのニュースなどでこの映像を見るにつけ「韓国では女性の地位は男性と同等」と思い込んでいたが、本書を読むとそうでもないようだ。同じ子供であっても男の子の進学が優先され、キム・ジヨンの母は、国民学校(日本の小学校)を出ると働かなければならなかった。兄は大学に進んだにも関わらずである。キム・ジヨンの親は私と同じ世代である。韓国は一人当たりのGNPは日本を追い抜いているが、少子化は日本を上回る勢いで進んでいる。私にとって韓国は「近くて遠い国」。韓国のことをもっともっと知りたいと思う。

4月某日
引き続きチョ・ナムジュの「ソヨンドン物語」(筑摩書房 2024年7月)を読む。目次裏に「書名の「ソヨンドン」はカタカナに、本文の町名は「ソヨン洞」とした」と注記がある。洞とは日本での○○市本町のように町に該当する地名の表記方法らしい。ソヨン町に住む人びとの日常を綴る小説である。韓国とくにソウルでは不動産価格の上昇が著しい。それを背景にした庶民の悲喜こもごもが描かれる。日本の文学界でも女性の作家の伸張が著しいが韓国でもその傾向はあるようだ。この小説では登場人物の名前はすべてカタカナで、ユジョン、セフン、ヨングンという具合だ。韓国では漢字はほぼ使われなくなっているようだ。韓国の現代小説はかなり面白いと思う。ハン・ガンのノーベル文学賞受賞も韓国の現代小説に光を当てるきっかけの一つになったのかもしれない。

モリちゃんの酒中日記 4月その3

4月某日
「彼女のこんだて帖」(角田光代 講談社文庫 2011年9月)を読む。いろんな人たち、独身だったり、恋人だったり、夫婦だったり…が料理を通して人生を語る。それも深刻にではなくさらっとね。その料理のレシピが巻末についている。角田光代って深刻な話しも面白いけれど、こうした軽い話もよい。帝国ホテルのPR誌に連載した短編をまとめたのも面白かった。角田の「あとがきにかえて」、井上荒野の解説「世界を味わう小さなスプーン」もよい。

4月某日
「東京抒情」(川本三郎 春秋社 2015年1月)を読む。東京を愛する川本は、旅を愛する人でもある。紀行文にも読ませるものがあるが、今回は東京モノ。私は高校を卒業した1966年に上京、町田市玉川学園の親戚の家で一年間、浪人生活送った後、早稲田大学に入学した。1年生は西武線下井草のアパートに入居した。2年の夏に学生運動で逮捕され、アパートにがさ入れが入ったこともあって居ずらくなり、友人の紹介で練馬区小竹町の力行会が運営する国際学寮に卒業するまでいた。卒業後に現在の妻と結婚、妻の親が建てた我孫子の家に入居、現在に至っている。千葉県民歴が50年以上に及ぶが勤め先は、浜松町、駒込、新橋、神田と変わったが、いずれも東京の個性的な街であった。したがってこの本にも共感するところが多かった。共感その1「東京は大都市とはいえ、よく見れば小さな町の集まりで作られている」。例えば駒込は山手線の外側が豊島区で内側は文京区、豊島区側には霜降り銀座などがあって下町だが、内側には六義園や東洋文庫などがあって山の手の雰囲気を残す。共感その2「東京の町の特色は電車の駅を中心に商店街が作られていくことだが、そこにはたいてい居酒屋がある」。私は浜松町では国道1号線沿いにあった居酒屋、駒込では駅前の姉妹がやっている居酒屋によく行っていた。新橋では居酒屋で一杯やった後、ニュー新橋ビルの2階にあったスナックに行くというのが定番であった。神田では日銀通りをちょっと入った葡萄屋などによく行っていた。2次会には湯島の「マルル」、根津の「フラココ」というスナックへ行った。どちらも個性的なママがいたが、両方ともいまはない。共感その3「ちなみに「金美館」は戦後も、下町に多くの映画館持ったチェーンで、現在も日暮里にはその名残で「金美館通り」という商店街がある」。私の義理の姉(兄の奥さん)の元職場は小学館で詩人の高橋順子さんと親しかった。順子さんの夫が作家の車谷長吉で、私はこの人の小説のファンであった。で、義理の姉が車谷夫妻と酉の市の帰りに金美館通りの小料理屋に行くのでそこに来ないか、と誘ってくれたのだ。「侘助」という小料理屋で今でも繁盛しているようだ。

4月某日
高校時代の同級生、山本君と増田君と春日部駅西口で16時に待ち合わせ。20分ほど目に行くと増田君がすでに来ていて駅前のベンチに座っていた。増田君の隣に座って山本君を待っていると、ほどなく山本君が改札から顔を出す。私と二人は確かに高校の同級生なのだが、増田君とは中学も一緒、山本君とはなんと小学校から一緒である。3人で駅近くの飯田屋へ入る。飯田屋といえば我孫子の飯田屋で元年住協の林さんと呑んだことがある。高齢者の間で飯田屋で呑むことが流行っているのかもしれない。生ビールで乾杯した後、三人は好きなものを呑む。私はハイボール。2時間ほど呑んだ後解散。私は春日部から柏、柏から我孫子へ。我孫子駅前の「しちりん」で軽く一杯。

4月某日
「あ・うん」(向田邦子 文春文庫 2003年8月)を読む。「あ・うん」はテレビドラマ化もされ、映画化もされた。テレビドラマはNHKとTBSで作られたが私が観たのはNHKの方。主人公の水田仙吉をフランキー堺、門倉修造を杉浦直樹、水田の奥さんで門倉が秘かに惚れている水田たみを吉村実子、門倉の奥さんを岸田今日子、水田の一人娘を岸本加世子が演じていた。映画では門倉を高倉健、水田が坂東英二、門倉の妻を富司純子、娘を富田靖子が演じていた(ウイキペディアによる)。小説では門倉と水田の容貌を「門倉は羽左衛門をもっとバタ臭くしたようなと言われる美男で、銀座を歩けば女は一人残らず振り返るといわれたが、仙吉のほうは、ただの一人も振り返らない男だった」と表現されているからテレビも映画もキャスティングは適切であった。文庫本の裏表紙に「太平洋戦争をひかえた世相を背景に男の熱い友情と親友の妻への密かな思慕が織りなす市井の家族の情景を鮮やかに描いた著者唯一の長編小説」と記載されている。向田は昭和4(1929)年生まれ、56(1981)年8月に航空機事故で死去。テレビドラマは81年5月から6月にかけて放映されている。

モリちゃんの酒中日記 4月その2

4月某日
HCM社の大橋さんから尾身茂さんの日本経済新聞に連載された「私の履歴書」の切り抜きが送られてきた。今朝、新聞を取りに行ったら大橋さんからの封書があったのだ。「私の履歴書」によると尾身さんは子どもの頃から外交官志望であった。高校生のときに米国に1年間留学し、帰国したとき東大は紛争で入試はなく、慶應大学法学部に通うことに。自治医科大学が一期生を募集していることを知り、入試を受け合格する。卒業後は東京都の離島の診療所や都立墨東病院で地域医療に携わる。WHOへの赴任を希望し、そのため厚生省に入省する。WHOではフィリピンにある西太平洋事務局に勤務、ポリオ撲滅などに貢献した。尾身さんはSARSの流行も半年で終息させた。後にコロナウイルスの闘いで中心的な役割を担うことになるが、感染症と向き合った人生とも言えようか。尾身さんは現在、結核予防会の理事長。6年ほど前に亡くなった竹下隆夫さんが専務理事を務めていた団体だ。竹下さんが元気だったころ、水道橋のビルにあった予防会の本部によく竹下さんを訪問したことを思いだす。

4月某日
図書館で借りた「鯨の岬」(河崎秋子 集英社文庫 2022年6月)と「村田兆治という生き方-マサカリ投法、永遠なれ」(三浦基裕 ベースボール・マガジン社 2024年11月)を読む。「鯨の岬」は表題作と「東陬(とうすう)遺事」がおさめられている。表題作は老年期に差し掛かろうとする主婦が幼年期を振り返るというストーリー。私にとっては可もなく不可もなしという読後感。「東陬遺事」は読み応えがあった。幕末、幕府の直轄地となった北海道東部のネモロ(根室)地方の物語。東陬とは東の僻地という意味らしい。河崎は北海学園大学出身の酪農家、「東陬遺事」で北海道新聞文学賞を受賞、その後、直木賞も受賞。文章もしっかりしているし時代考証もホンモノだ。「村田兆治」はマサカリ投法で名をはせた元ロッテライオンズの村田兆治の物語。作者の三浦基裕は日刊スポーツの社長を務めた後、佐渡市長を1期務めた。2期目は元市役所職員に敗れたが、この時の市長選には元厚労省職員で佐渡市の副市長を務めた私の友人も出馬した。それはさておき、村田はプロを引退した後、離島甲子園の開催など少年野球の振興に尽力した。自宅の火災で死亡したが、著者の哀惜の情が伝わってくる書である。

4月某日
「ピリオド」(乃南アサ 双葉文庫 2024年5月)を読む。巻末に「本書は2002年5月、小社より文庫判で刊行された同名作品の新装版です」との文章がある。乃南は1960年生まれだから40歳頃に構想、執筆された小説である。当時、話題になったという記憶もないが、私は面白く読んだ。主人公は40歳、×1のフリーカメラマンの葉子。冒頭、葉子が津軽の廃屋と化したアパートを訪ねるシーンから物語は始まる。去年、死刑になったという男の育った家だという。小説では死刑囚の名前は明らかにされないが、永山則夫のことであろう。物語では葉子の住む中野のマンション、葉子の兄一家が住む長野の家、それと葉子と兄が育った栃木の家、そして津軽の廃屋が重要な意味を持っている(と思う)。葉子と不倫関係にあった編集者の妻が殺害される。葉子のマンションには甥が受験のために滞在し、姪も春休み遊びにくるに。葉子の兄は末期がんで長野の病院に入院している。葉子の旧友でもある兄の妻は近くのガソリンスタンドの主人との不倫が疑われている。終章で葉子が撮影した栃木の実家の写真を見るシーンがある。そこで葉子は津軽の廃屋のことを思いだす。「あの長屋が残る限り、既に刑死している男の記憶は、人々から薄れることはないだろう。男は今も不名誉なまま、生き続けることになる」と記されている。

4月某日
アメリカのトランプ大統領が自国第一主義に基づいて高い関税障壁を設けようとしている。これについて今朝の朝日新聞(4月14日)に小野塚知二・東大特任教授(西洋社会経済史)が解説していた。19世紀、重商主義のもと自国の産業を保護するために高い関税がかけられていた。当時の英国では人口増加に伴う穀物価格の上昇が問題になっていた。そこで外国の食糧に関税をかけずに輸入することを主張したのがリカードで、その考え方は1846年の穀物法廃止につながり、輸入穀物の関税が撤廃された。しかし自由貿易の考え方がそのまま単線的に広がったと見るのは過ちで、第一次世界大戦の背景には英国やドイツ、イタリア、ロシアに広がった経済的なナショナリズムがある。戦間期の1932年、英国は自由貿易から保護主義に転換、オーストラリアやインドなどを自国の経済圏に囲い込み、それ以外の国には高い関税を課した。やがて世界は連合国側(米英中ソなど)と枢軸国(日独伊)に分かれ、第二次世界大戦を戦うことになる。戦後の国際通貨基金(IMF)や関税貿易一般協定(GATT)に通底するのは、経済的に相互依存が進めば戦争の可能性が低くなるという思想だ。小野塚教授は最後に次のように警告する。「米国が経済圏を囲い込み始めたりすれば、1930年代のブロック化に近づくかもしれない。関税をおもちゃのようにもてあそび続けるなら、これまで経験したことのない緊張と摩擦がもたらされる恐れがある」。何年か前にタモリが言っていた「新しい戦前が始まる」という言葉が思い出される。