モリちゃんの酒中日記 1月その4

1月某日
「ロシアとは何ものか-過去が貫く現在」(池田嘉郎 中央公論新社 2024年5月)を読む。プーチン大統領が率いる現在のロシア連邦、その前身はソ連であり、ソ連はロシア帝国の打倒のうえに築かれた。東京大学大学院教授で73年生まれの著者は、該博な知識をもとに「ロシアとは何ものか」を解説してくれる。「はじめに」で「過去100年ほどのあいだに、ロシアは帝政から共産党独裁へ、そして大統領国家へと変転をとげた。だが、ロシア史を貫く基本構造は同じである」とし、「統治が直接的な人間関係によって支えられている」と続ける。これを説明するために著者はゲマインシャフトとゲゼルシャフトという概念を用いる。ゲマインシャフトとは、血縁共同体が代表的で「個々の部分がはじめから全体の有機的な一部をなす共同体」でゲゼルシャフトとは、「個々の部分がある利害のために集まって、全体を形成している共同体」で会社が代表的な事例である。「各人が固有の権利をもたず、一個の集団として上位権力から構成されるロシアの人的結合は、よりゲマインシャフト的な傾向をもつ。これに対して、各人が固有の権利をもつヨーロッパ人の人的結合は、よりゲゼルシャフト的な傾向をもつ」。なるほどで。そうすると戦前の日本はゲマインシャフト的であり、中国や北朝鮮もそういう傾向があることにならないか。ただ日本は戦後、完全にゲゼルシャフト化したかというとそうでもないのではないか。昨今のフジテレビや中居某の問題を見聞するに現代日本にもゲマインシャフトの影が残っているように思う。ただロシアもゴルバチョフの時代にゲゼルシャフト化する機会があったようだ。

1月某日
監事をやっている一般社団法人の理事会が八重洲であるので出席。2月にある高校の同期会の会場の予約のためにニュー新橋ビルの「初藤」へ。ランチの後、予約を済ませる。神田駅西口で前の会社の同僚と17時30分に待ち合わせ。時間があるので新橋⇒有楽町⇒東京⇒神田と歩く。17時30分に同僚と会い、西口直ぐの「ととや大関」へ。調子に乗っていささか呑み過ぎ。

1月某日
「あさ酒」(原田ひ香 祥伝社 2024年10月)を読む。「ランチ酒」シリーズの最新刊。「見守り屋」を始めることになった美麻。一晩、クライアントが眠っているのを見守るのが「見守り屋」の仕事。仕事が終わってから朝からやっている食べ物屋で朝食をとることになるのだが…。「ランチ酒」シリーズはそこそこ面白いと感じたのだが、本作はちょっとね。「読み終わったらなるべく早くお返しください」の黄色いラベルが貼ってあったので、これから図書館に行って返してきます。

1月某日
有名タレント中居某から発したフジテレビ問題。社長と会長が辞任し、遠藤龍之介副会長も3月に辞任するという。フジテレビの経営陣はこれで何とか問題の決着を図ろうとしたのだろうが、マスコミと世間の追求の嵐は収まりそうもない。社長と会長を歴任した日枝取締役相談役の辞任は避けられないのではないか、というのが私の個人的な観測。さらに個人的な観測を言わせてもらえば、フジテレビ問題には日本の天皇制の問題が潜んでいる。戦前の明治憲法では天皇は無答責とされた。天皇にはあらゆることに責任がないのである。天皇を政治家や軍部から一歩距離を置かせた伊藤博文らの知恵であった。フジテレビの相談役も無答責なのである。明治憲法は立憲君主制に立脚した、当時としては優れた憲法であったが、軍部の独裁を防ぐことはできなかった。フジテレビは元に戻ることはできるのだろうか?

1月某日
「天皇の歴史08 昭和天皇と戦争の世紀」(加藤陽子 講談社 2011年8月)を読む。昭和天皇は1901(明治34)年4月、明治天皇の皇太子(後の大正天皇)の第1子として生まれる。生涯に3度の焦土を経験した。1度目は皇太子として訪問したヨーロッパで第1次世界大戦の戦跡を訪ねた。皇太子は「戦争というのは実にひどいものだ」とつぶやいたという。2度目は1923年の関東大震災。皇太子は摂政に就任していた。自動車や騎馬で現場を視察した。3度目は太平洋戦争末期の東京大空襲で、天皇は陸軍の軍装で被害地を自動車で巡行した。本書を読むと日中戦争から太平洋戦争における天皇の軍事的な発言が目につく。かなり的確な発言だったようだ。軍事的な知識も豊富だったと思われる。私などは戦後の昭和天皇しか知らないから、生物学者としての天皇や地方巡行の際の「愛される皇室」を体現した天皇皇后像を思い浮かべるだけだが、戦前は確かに大元帥陛下としての天皇でもあったのだ。著者の加藤陽子は東大教授、日本近代史専攻の歴史学者である。半藤一利との共著もある。略歴を見ると1960年うまれ、今年65歳だから東大は定年の歳である。 

モリちゃんの酒中日記 1月その3

1月某日
小川町の蕎麦屋「創」でフィスメックの小出社長、社会保険出版社の高本社長と会食。ここは料理もおいしいが日本酒の品揃えが多いのが特色。日本酒に目を奪われて料理のことをあまり覚えていないのが難点だ。小出社長にすっかりご馳走になる。帰りは新御茶ノ水から千代田線で我孫子まで1本。途中で家に電話して我孫子駅まで迎えに来てもらう。

1月某日
「全斗煥-数字はラッキー7だ」(木村幹 ミネルヴァ書房 2024年9月)を読む。韓国では現職のユン大統領が訴追され、職を追われる危機にあるという。その一方で直近の世論調査では野党に水を開けられていた与党の支持率が野党を逆転したという。韓国の政治状況に比べると日本はぬるま湯と思うのは私だけだろうか。韓国では大統領を辞めた後に訴追されるケースが極めて多い。訴追されていないのはユン大統領の前の文大統領など僅かといってよい。全斗煥は朴大統領が暗殺された後の大統領で朴と同様、陸軍の出身である。彼が在任した1981~87年は朴に引き続き、韓国の高度成長期であり、退任した翌年にはソウル五輪が開催されている。しかしその開会式に全が出席することはなかった。在任中に起きた光州事件への関与などが影響したと思われる。結局、全は95年に収監され96年に無期懲役が確定するが、翌年には特赦で放免されている。21年11月、90歳で死去している。なぜ韓国は権力を失った前大統領に厳しいのだろうか。私は韓国が保守と革新の厳しい対立、されも僅差の対立によることが大きいと思う。対して日本の場合は天皇の存在が大きいのではないか。天皇は権力は持たないが、それ故、国民の統合の象徴としての機能を果たしているように思う。

1月某日
「加耶/任那-古代朝鮮に倭の拠点はあったか」(仁藤敦 中公新書 2024年11月)を読む。私が日本史を学んだのはもう60年も前の高校生のとき。そのとき朝鮮半島の南部には任那日本府というのがあって日本が領有していたと学んだものだった。しかしそれは現在ではかなり否定されている学説だということを本書で初めて知った。任那日本府の存在は日本書紀に記述されているのを根拠とし、また好太王の碑にも倭が百残(百済の蔑称)を従えたということが記されている。著者の仁藤はきちんとした史料批判により歴史的事実を明らかにして行く。任那は日本書紀ではそのように表記されているが、古代朝鮮では加耶と呼ばれた地域である。では任那日本府はあったのか。「あとがき」から引用する。「本書を手に取る方が、一番関心あると思われるのは『任那日本府』の解釈だろう。これは、倭から派遣された使者、土着した二世の旧倭臣、在地系加耶人という三つから構成された集団である」。科学としての歴史学が定着するまで、権力者に都合の良い歴史が作られたのだ。

1月某日
フジテレビの社長会見に反発、フジへのCM放送を差し止める企業が相次いでいると報じられている。朝日新聞によると「現時点ではACジャパンのCMが流れても、広告料金はテレビ局に支払われるという。フジ関係者によると深刻な影響が出るのは、4月以降の番組だ」という。もともとタレントの中井某と女性の間で発生したトラブルに端を発した問題。インターネットの発達などによって新聞やテレビなどの既存メディアの影響力は急速に低下しているという。今回の問題はそれに拍車をかけることになるだろう。
兵庫県議会の百条委員会の委員を務めていた前県議が死亡(自殺とみられる)した。NHK党の立花孝志氏らによるネットでの誹謗中傷が原因という。立花氏は「前県議は兵庫県警の任意取り調べを受けていた」「明日逮捕される予定」などの事実とは異なる情報をネットで流していた。ネットなど情報の進化に比べて、それとどう向き合うかという態度、慣習、リテラシーの整備が追いついていないのだろう。

1月某日
トランプ大統領の就任式。トランプ支持層の熱狂と反トランプ層の沈黙。私の観るところ熱狂的なトランプ支持層というのは白人の労働者階級が多いのではないか。アメリカの製造業の多くが国際競争力を失い、多くの労働者が工場を去った。職とともに誇りを失った労働者も多かったのではないか。そんな彼らに訴えたのがトランプの「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン」だ。そこにファシズムの兆しはないのか。私は第一次世界大戦の敗北により自信喪失したドイツ国民に、アーリア民族の栄光を訴えたヒットラーを思い浮かべてしまうのだが。

1月某日
「西郷従道-維新革命を追求した最強の「弟」」(小川原正道 中公新書 2024年8月)を読む。西郷従道(1843~1902)は西郷隆盛の実弟であるが、父を幼くして亡くした従道にとって、15歳離れた隆盛は父代わりの存在であった。従道は戊辰戦争に従軍、明治新政府でも主として軍事畑で能力を発揮する。兄隆盛は西南戦争で賊軍の将として自裁するが、従道は軍隊でも政府でも要職を歴任する。何度か「総理大臣」の声があったが従道が受けることはなかった。従道は当初は陸軍に属し、陸軍として台湾出兵も経験しているが、初の入閣は第1次伊藤内閣の海軍大臣であった。当時彼は陸軍中将であった。従道は権力欲が薄く、したがって敵も少なかったと思える。総理大臣を受けなかったのも「分をわきまえる」ためだったのかもしれない。

モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
「この星のソウル」(黒川創 新潮社 2024年11月)を読む。戦前の日本と朝鮮、戦後の独裁政権下の韓国と高度経済成長期の日本、そして現在の韓国と日本、時空を超えた旅を体験させてくれる小説である。主人公の中村直人は1961年生まれ。著者の黒川も1961年生まれだから著者の分身と考えてよさそうだ。中村は韓国のガイドブックを編集するためにソウルを訪れる。ガイドを頼んだのが在日韓国人でソウルに留学中の崔(チェ)さんである。崔さんと二人で訪れるソウルの街、そこは戦前の李王朝の首都でもあり、日本に併合された後の京城である。韓国の現代史へのあまりの無知に恥ずかしくなる。

1月某日
韓国の現代史を知ろうと図書館で「新・韓国現代史」(文京殊 岩波新書 2015年12月)を借りる。序章で幕末から明治期の日本人の朝鮮、朝鮮人観を描き、さらに1910年の日本の韓国併合の歴史をたどる。韓国は現在、ユン大統領の弾劾が国会で議決されたが、大統領は官邸での籠城を続けている。私は韓国の民主主義の徹底と市民のデモによる政治参加、政治意識の高さに驚いたものだ。本書を読むと韓国の民主主義が多くの市民が犠牲になった光州事件をはじめとした市民的な抵抗をもとにしていることがわかった。戦後、日本がアメリカから与えられた民主主義を受け入れたのとは、基本が違う気がする。韓国は日本と違って終戦後直ぐに民主主義的な政体が発足したわけではない。日本の敗戦により日本の植民地であった朝鮮半島には北にはソ連軍が、南には米軍が進駐し北には朝鮮民主主義人民共和国、南には大韓民国が成立する。韓国では李承晩が政権を長く握ったが1960年の広範な学生デモにより退陣に追い込まれる。民主主義が定着するかに見えたが朴正煕の軍事クーデターにより朴が独裁的な権力を手中にする。朴のもとで日韓条約が結ばれ、また驚異的な経済成長を遂げる。朴は1979年に暗殺される。朴の後を継いだのが同じ軍人出身の全斗煥で80年には民主化を求める光州事件が起きる。民主化の声が高まり92年には金泳三が大統領に就任、97年に金大中、03年に廬武鉉、07年には李明博、12年には朴槿恵が大統領に当選する。「新・韓国現代史」はここらで記述を終了するのだが、大統領は文大統領に続いてユン大統領が就任する。韓国には政権交代のダイナミズムが存在する。だからこそ市民の政治意識も高くならざるを得ないのではないか。

1月某日
「三千円の使いかた」(原田ひ香 中公文庫 2021年8月)を読む。単行本は18年4月発行だから時代状況は10年代後半か。私が会社を辞めたのが確か16年の11月だからその頃とも重なる。東京は十条に暮らすサラリーマン一家の暮らし、とくにお金を巡る物語である。十条というのがミソ。北区十条、JRの駅でいうと京浜東北線の東十条と赤羽線の十条である。住宅地ではあるが決して高級ではない。東十条から赤羽を過ぎて川を渡ると川口、埼玉県だ。私は中年の母・智子や姉娘の真帆に感情移入してしまったが、実は祖母の琴子と同年代であった。琴子は夫を亡くした後、年金を減額され働きに出ることに。琴子の決意が美しくたくましいのだ。

1月某日
大学の同級生が新橋で弁護士事務所を開いている。彼が幹事をやって毎年、同級生が4、5人集まって新年会をやっている。でも今年は入院や検査、風邪などで欠席者が相次ぎ、私と弁護士の先生だけが出席ということに。5時過ぎに西新橋の事務所を訪問。先生は家族でロスアンゼルスに行ってきたそうでお土産をいただく。先生の事務所の女性を交えて3人で新年会。事務所の女性と話すのは初めてだが、話題が豊富でなかなか面白かった。ちなみに愛読書

モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
「明治天皇の大日本帝国 天皇の歴史07」(西川誠 講談社 2011年7月)を読む。平安時代以降、日本の国王たる天皇は後醍醐天皇など一部の例外を除いて直接的な権力を行使してこなかった。「君臨すれども統治せず」ということだが、江戸時代の庶民にとって、自らの王は自分たちと領地を統治する大名とその大名を支配する将軍であって、天皇は京都の御所の密やかな存在で「君臨」とは遠い存在であった。そういう存在が明治維新で一変する。薩長などの倒幕勢力は、その目的のために王政復古というイデオロギーとその象徴として天皇を担ぎだした。維新当時、明治天皇はわずか16歳。

1月某日
11時30分に予約していたマッサージ店「絆」へ。年賀状の返事をポストに出して坂東バスの停留所「若松」から「我孫子駅」行きに乗車、「八坂神社前」で下車、町中華の「喜楽」で中華焼きそばを食す。一人で食べている高齢男子多し。もちろん私もそのひとり。「カットクラブパパ」で散髪。今年から料金が500円上がって4000円に。「八坂神社前」から「アビスタ前」までバス。

1月某日
「ガザ虐殺を考える-その悲痛で不条理な歴史と現状を知るために」(森達也編著 論創社
2024年11月)を読む。現在のイスラエルのガザ侵攻は、直接的には2023年のヒズボラによるイスラエルに対する奇襲攻撃への報復であり、イスラエルに正当性があるかのように見える。しかし本書を読むと、イスラエルというユダヤ国家の建国そのものに疑念が持たれるし、現在のガザ侵攻は本書のタイトルのようにガザ虐殺そのものだ。酒井啓子は「2023年10月7日以降世界で起きていることとして、ガザで数万の住民が圧倒的な軍事力のもとで殺戮されていること、完全封鎖状態のなかで飢餓、衛生状態の悪化により死に瀕していることという、人道的危機の深刻さが第一に指摘できるが、加えて深刻視すべき点は、国連や人道支援組織、国際社会が、この紛争を解決できていないことだ」と述べる。新右翼の代表的な活動家、木村三浩は「今こそ、ベトナムやイラクをはじめ、アメリカがやってきた侵略戦争、介入戦争を徹底的に批判し、検証しつつ、裁く時ではないだろうか。パレスチナ・ハマスの決起とは、彼らが長い歴史の中で置かれた立場からの言い分だということを、我々は想像してみる必要があるのだ」と書いている。虐げられている人々を想像する力ということだろう。

1月某日
「台所で考えた」(若竹千佐子 河出書房新社 2024年11月)を読む。若竹は63歳で主婦から作家になり、70万部のベストセラー「おらおらでひとりでいぐも」で芥川賞を受賞した。若竹の著作を読むのは初めてだがかなり共感できた。弱者への共感そして強者への抵抗とかね。

1月某日
上野駅不忍口で大谷さんと待ち合わせ。御徒町まで歩く。御徒町で前に行った中華、大興を目指すが開店前で断念、御徒町駅前の吉池食堂に変更。ビール、日本酒を頼み、刺身などを食す。吉池は新潟の出なので栃尾の油偈も頂く。大谷さんにすっかりご馳走になる。上野駅で大谷さんと別れ、私は常磐線で我孫子へ。駅前の「しちりん」による。

1月某日
「あの家に暮らす四人の女」(三浦しをん 中公文庫 2018年6月)を読む。「あの家」とは阿佐ヶ谷駅から徒歩20分、善福寺川にほど近い敷地150坪の古い洋館、牧田家のことである。家には寡婦の鶴代、鶴代の娘で刺繍作家の佐知、下宿人の雪乃と多恵美が暮らす。佐知は「私たち、『細雪』に出てくる四姉妹と同じ名前なんだよ」と語る。解説(清水良典)によると「この物語は、谷崎潤一郎の『細雪』が下敷きになっているのである」「長女の鶴子が夫の転勤に伴って東京へ去り、芦屋の邸宅には幸子、雪子、妙子の三姉妹が暮らす」ということだ。私は「細雪」は未読。だがこの小説は楽しく読ませてもらった。私は舞台となった阿佐ヶ谷駅から徒歩20分あたりには土地勘がある。私の知り合いが理事長をやっていた社会福祉法人の経営するグループホームがあったのだ。ヒマに任せてグループホームに通い、阿佐ヶ谷駅界隈で理事長に何度かご馳走になったことを覚えている。

モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
「ナチュラルボーンチキン」(金原ひとみ 河出書房新社 2024年10月)を読む。ナチュラルボーンは「生まれつきの」、チキンは「ニワトリ」ではなく俗語の「臆病モノ」という意味である。主人公の浜野は45歳独身の×1女性。出版社の文芸図書の編集部に在籍していたが、同業者との離婚を機に経理担当となり、「仕事に動画とご飯」がルーティンとなる。浜野はある日、部長から在宅勤務の平木と連絡をとれないので様子を見て来てくれないかと頼まれる。ホストクラブに通いロックグループのコンサートに入れあげる平木の日常は、浜野の「仕事と動画とご飯」とは全く異質のものだった。浜野は平木に誘われてロックコンサートへ行き、バンドの打ち上げにも参加する。そしてそこで出会ったバンドのメンバー、まさかと恋仲になるのだが…。金原ひとみは1983年生まれ、私と35歳違う。出てくる用語も私には意味不明な横文字も多い。それでも私にはこの物語が面白かった。柄谷行人が言っていたと思うが、中上健次や村上春樹以降の「新しい文学」の世界があるように感じられるのだ。

12月某日
目が覚めると喉が痛い。体の節々も痛い。体温を測ると平熱であった。念のため名戸ヶ谷我孫子病院へ行く。アビスタ前からバスに乗って4つ目の市役所前で降りると病院のすぐ前に着く。内科外来で3時間待って診察は5分。たんなる風邪だった。まぁ採血や採尿、CTで肺も撮影してもらったし、いい機会とゆうことで。市役所前からバスに乗って若松で下車、調剤薬局のウエルシアで調剤。ウエルシアから徒歩で自宅へ。朝から何も食べていなかったので、妻にうどんを作ってもらって食す。

12月某日
テレビでクリントイーストウッド主演、監督の「グラントリノ」を観る。実はこの作品は2度ほど観ているのだが、いつも途中から。今回初めて最初から観る。「グラントリノ」というのはフォード社の制作した1970年代の乗用車。燃費が悪く現代向きではないということでは主人公のコワルスキーを象徴している。コワルスキーの住む町にベトナムから脱出したモン族が住み着くようになる。モン族の少年との淡い友情が描かれる。少年の姉がモン族の不良に凌辱され、コワルスキーは立ち上がる。コワルスキーは死に、グラントリノはモン族の少年に遺贈される。コワルスキーはポーランド系移民の末裔で宗教はカソリック。アメリカ社会では少数派である。トランプの大統領再登場でアメリカ社会の分断が強化されるという予測も根強い。「グラントリノ」はアメリカ社会における少数派、ベトナム難民の少年とポーランド移民の末裔のカソリックの老人の友情を描いたという観方もできる。

12月某日
「ナチズム前夜-ワイマル共和国と政治的暴力」(原田昌博 集英社新書 2024年8月)を読む。第1次世界大戦でドイツが敗北し、ワイマル共和国が成立する。やがてナチスが台頭しワイマル共和制は崩壊する。本書は当時、ドイツの街頭や酒場で起きていた「暴力」に着目し、それが共和国の政治や社会を蝕んでいった過程をひもとくことによって答えを探る。この時期のドイツ政治の特徴のひとつは街頭での政治的暴力である。主として共産党とナチスが時に死者を出しながら激しく戦った。私は日本において1980年代から顕著になった革共同革マル派と中核派の内ゲバを連想してしまう。こちらの場合は多数の犠牲者を出しながら暴力的な衝突は一応は終息したようだ。

12月某日
「消費される階級」(酒井順子 集英社 2024年6月)を読む。著者の酒井順子は「負け犬の遠吠え」(2004年)が出世作となったエッセイスト。私は酒井の著作を読むのは本作がはじめて、おおむね酒井の考えに同意できた。例えば「結婚する人が減り続け、そうして日本の人口が減っていくのは、制度上の平等と精神的平等の乖離から日本人が眼を逸らし、放置し続けているから」というくだり。「制度上の平等と精神的平等の乖離」ね。確かに私の在職していた会社も日本の多くの職場にも男女の「制度上の平等」は保障されていた。しかし「精神的平等」はどうか? おそらく精神的な平等はまだのような気がする。

12月某日
「坂の中のまち」(中島京子 文藝春秋 2024年11月)を読む。北陸の高校から東京の女子大に進学した私は、茗荷谷の志桜里さんの家に下宿する。私と志桜里さんの日常が淡々と描かれる。私の学生時代というと50年以上前だが、学生運動が盛んな時代で、学生同士の暴力事件が日常的に起きていた。とても「淡々と」してはいなかった。しかし今にして思うと「坂の中のまち」に描かれるような日常が正しいのだと思う。

モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
「まほろ駅前多田便利軒」(三浦しをん 文春文庫 2009年1月)を読む。先日読んだ三浦の「エレジーは流れない」がつまらなかったので直木賞受賞作で映画化もされた本書を読むことにする。感想は「面白かった」。便利屋を主人公とした発想、中年×1の独身男ふたりのコンビ、コロンビア出身の売春婦…。登場人物がいずれもユニーク。乃南アサの「前持ち二人組」シリーズと似た感じを私は持った。どちらもそれぞれが優れたエンターテインメントだと思うけれど、重たい過去を抱えた二人組ということで…。「前持ち二人組」は文京区の根津が舞台だが、こちらはまほろ市という架空の街が舞台。小説中では「まほろ市は東京の南西部に、神奈川へ突きだすような形で存在する」「まほろ市の縁をなぞるように、国道16号とJR八王子線が走っている」と紹介されている。これからわかるようにまほろ市のモデルは町田市である。しかしモデルの都市が物語の構成に大きな影響を与えたとは思えない。東京近郊で高度経済成長期に人口が膨張した、中堅の都市であればよい。独身男の二人、多田と行天について物語は次のように語る。「多田と行天は、たぶん似たような空虚を抱えている。それはいつも胸のうちにあって、二度と取り返しのつかないこと、得られなかったこと、失ったことをよみがえらせては、暴力の牙を剥こうと狙っている」「わかったことは、と多田は事務所に戻りながら考えた。行天は確実にだれかを幸せにしたことがあるが、俺にはないということだ」。これはすでにハードボイルドではなかろうか。

12月某日
月に1度のペースで我孫子駅近くの中山クリニックへ行く。バスでアビスタ前から八坂神社前まで行く。高血圧の治療のためだが、治療行為は行われることはない。毎日測る血圧の測定記録を提出し、先生に見てもらう。先生「安定してますね」私「はい」先生「いつもの薬を出しておきましょう」私「はい。ありがとうございます」先生「お大事に」。こういう応答を恐らく20年以上やっている。ところでいつもは閑散としているクリニックの待合室が混んでいた。恐らくインフルエンザの予防接種のためだろう。私はすでに済ませているがコロナのワクチン接種の予約をしておいた。帰りは八坂神社前から若松までバス。ウエルシア薬局で調剤してもらう。ウエルシアから歩いて5分で自宅へ。

12月某日
「二〇三高地-旅順攻囲戦と乃木希典の決断」(長南正義 角川新書 2024年8月)を読む。ロシアの極東艦隊の拠点であった旅順港とそれを防衛していたのがロシア帝国陸軍である。ロシア軍は堅固な要塞に守られ、兵器弾薬も豊富に所有していた。日本帝国陸軍は満洲軍(総司令官 大山巌 総参謀長 児玉源太郎)の第三軍(司令官 乃木希典 参謀長  
伊地知幸介)が攻撃に当たった。第三軍は8月19日、第1回の総攻撃を開始するが、戦闘総員5万765人(ロシア軍の1.5倍)中1万5860人の死傷者(死傷率約31%、ロシア軍の約10倍)を出して、失敗に終わる。突撃は主に小銃と機関銃で阻止され、「特に機関銃の存在が脅威であった」。陸軍は要塞に対する重砲の威力が不足していることを認識し、対艦用の海岸砲である大口径重砲28サンチ榴弾砲を活用することとし、大本営は8月下旬に28サンチ榴弾砲を旅順要塞攻撃に投入することにした。砲の据え付け作業は9月に終了、10月から要塞攻撃と旅順港内のロシア艦隊攻撃に使用された。10月30日、第2回の総攻撃が開始されたが、またも失敗に終わった。第2回の死傷者は3830人(第1回の約5分の2)、ロシア軍の死傷者・行方不明者は4532人(第1回の3倍)であり、「戦闘成績は第1回総攻撃に比して遥かに良かった」。
第3回の総攻撃は11月26日に開始され、12月5日に203高地を陥落させた。第3回の203高地における死傷者は7578人(ロシア軍死傷者6739人)であった。主要堡塁が陥落し1905(明治38)年1月1日、ロシア軍のステッセル中将は降伏を決意、翌2日に水師営で日露両軍の委員が「旅順港開城規約」に調印し、旅順攻囲戦は終結した。乃木将軍に対して戦略家として能力が低かったとする評もあるが、著者は否定する。著者は乃木の決断力、統率力を高く評価し、司令部の組織的能力を効果的に活用する点でも優れていたとしている。「指揮力や決断力のみならず、統率の基盤たる人格も含め、乃木の存在が旅順攻略に寄与した度合いは大きい。そして何よりも彼は、悪条件が重なる中で軍を立て直し、「負け戦(lost battle)」を逆転勝利に導いた。近代日本史上稀有な軍人なのである。それゆえ、乃木は軍司令官として名将と評されて然るべきだといえよう」(おわりに)。乃木は旅順攻囲戦で2人の息子も亡くしているしね。

12月某日
韓国が揺れている。発端はユン大統領が戒厳令を発令したことに始まる。与野党議員が国会で戒厳令の無効を議決、ユン大統領は戒厳令の撤回に追い込まれた。国会でユン大統領の罷免は回避されたが、ユン大統領の早期の辞任は避けられないのではないか。辞任どころかユン大統領の内乱罪での逮捕もあり得るという。内乱罪の最高刑は死刑。韓国では民主主義が未成熟とする論調が一部にあったが、私はむしろ日本以上に民主主義が徹底しているように思う。国会外での市民の集会(15万人ともいわれる)が国政に大きな影響を与えた。民主主義は結局のところ市民、国民の政治に対する関心の深さで決まると思うけれど…。

モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
秋葉原のバーミヤンで軽く忘年会。メンバーはHCM社の大橋さん、ネオユニットの土方さん、それに年友企画で経理を担当していた石津さん、それに私。2時に会場に行くと大橋さんと石津さんはすでに来ていた。すぐに土方さんも来て乾杯。3時間ほど食べて呑む。この4人はネオユニットが開発、制作した「胃ろう・吸引シミュレーター」の販売に関わったのが共通点。在庫がなくなっても呑み会は続けたいと思う。

11月某日
17時から神田の「跳人」で忘年会。その前に上野の国立東京博物館で開催されている「はにわ展」を観に行くことにする。平日の午後というのに「はにわ展」は行列ができるほどの賑わい。展示品は写真撮影が自由に行われるのでカメラやスマホで展示物を撮影している人も多い。上野駅に戻ると16時過ぎ、神田駅までJRで、神田駅西口から徒歩で鎌倉河岸ビル地下1回の「跳人」へ。開店まで10分ほど時間があるので店の前の椅子に座って待っていると厚労省OBの小林さんが登場、ほどなく店長があらわれ開店。もう1人、大谷さんも来店して3人が揃う。ビールで乾杯の後、私は日本酒、2人はハイボールを呑む。

11月某日
「エレジーは流れない」(三浦しをん 双葉文庫 2024年10月)を読む。三浦しをんの小説はずいぶん読んできたけれど、概ね面白かった。しかし本作は違った。温泉町に暮らす高校生の群像劇なのだが、私には少しも面白くなかった。まぁ私はこの11月で76歳になった。高校生が主人公の小説に共感できなくてもしょうがないか。

11月某日
「人生オークション」(原田ひ香 講談社文庫 2014年2月)を読む。表題作と「あめよび」の中編2作がおさめられている。「エレジーは流れない」とちがってこちらは面白かった。「人生オークション」は離婚して一人暮らしとなった叔母と、叔母を訪ねてくる姪の話。叔母の持っているブランド品はネットオークションで販売するのだが…。その過程で叔母さんの隠れた過去が明らかになって来る。「あめよび」は雨予備のこと。ラジオ中継される野球放送などが雨天で試合が行われないことに備えた番組のこと。眼鏡店に勤める美子は何年も付き合っている恋人輝男がいる。輝男は工場務めだが「あめよび」番組への投稿が趣味。輝男には美子には明かさない諱(いみな)があるのだが…。この本は我孫子市民図書館で借りたのだが人気があるらしく「この本は、次の人が予約してまっています」という黄色い紙が裏表紙に貼ってあった。早速返してこよう。

11月某日
「ふかいことをおもしろく」(井上ひさし PHP文庫 2024年10月)を読む。井上ひさしは1934年11月、山形県置賜郡小松町(現・川西町)に生まれる。父は作家志望でかつ農民運動にも従事するが34歳の若さで死亡する。母は釜石でラーメンの屋台を始めるが、井上は同居せず、仙台の児童養護施設、ラ・サール・ホームで暮らす。仙台一高を経て、上智大学に進学、在学中から浅草フランス座でストリップの幕合にやっている笑劇の台本を書き始める。1964年からNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」(共作)の台本執筆。69年に「日本人のへそ」で演劇界にデビュー。72年には「手鎖心中」で直木賞を受賞。それ以降、戯曲や小説で相次いで受賞。01年には朝日賞、04年、文化功労者にえらばれる。10年4月に永眠。井上ひさしはユーモア作家として括られることが多いかも知れないが、私は反骨、反戦の作家ととらえたい。井上が現代に生きていればウクライナやガザの現状をどう思うだろうか…。

モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
土曜日だが、いつもより早く目を覚ました。新聞を取りに行って1時間ほど寝床の中で読む。7時過ぎに起床。入浴。朝食を済ませ9時30分からNHKBSの「高倉健にあいたい」を見る。高倉健の生前の映像と武田鉄矢、佐藤浩一などのインタビューで構成される。高倉健は役柄からして「寡黙な人」と見られがちだが、佐藤浩市によると実際はよくしゃべる人だったという。しかしだからといって明るい人だったかどうかは分からない。番組では高倉健の座右の銘が紹介されていた。「往く道は精進にして、忍びて終わりて悔いなし」という仏教の言葉。ネットで調べると大無量寿経の歎仏偈(たんぶつげ)に出てくる言葉で、正確には「たとい身を、もろもろの苦毒の中に終わるとも、我が行は精進して、忍びてついに悔いじ」(たとえどんな苦難にあおうとも、決して後悔しないであろう)だそうだ。思うに高倉健は精進と決意の人であったのであろう。本日は15時45分に柏駅中央口で高校時代の友人たちと待ち合わせ、会食の予定。15時30分過ぎに柏駅中央口で待つ。45分を過ぎても50分を過ぎてもだれもあらわれない。幹事役のYさんの携帯に電話しようとして気がついた。今日ではなく12月だったんだ。昔から思い込みが激しいんだよ!

11月某日
「アイヌがまなざす-痛みの声を聴くとき」(石原真衣 村上靖彦 岩波書店 2024年6月)を読む。石原は1982年、アイヌと琴似屯田兵(会津藩)とのマルチレイシャルとして生まれる。村上は1972年生まれ、大阪大学人間科学科教授。本書は石原と村上によるアイヌの人びとへのインタビューとそれへの考察によって構成される。私は北海道室蘭市出身でアイヌの人びとには多少の理解があるつもりでいたのだが、本書を読んで北海道と先住民のアイヌについてあまりにも知らないことだらけだったのに驚かされた。まず私たちの先祖は植民者、侵略者として先住民アイヌの土地を奪ったということ。恐らく狩猟採集の民族だったアイヌには土地を私有するという観念はなかったと思われるが、彼らが狩猟や採集で歩いた北海道の大地(アイヌモシリ)はアイヌの共有地、コモンであった。所有権は当然、共同体としてアイヌ全体にある。それを植民者は共有地からアイヌを追い出し移住させた。明治になってからも収奪は続いた。一部を除いてアイヌの生活水準は低く、高校への進学率も低かった。人類学研究の名前でアイヌの墓から遺骨が盗掘された事実もある。唐突だが、私は東アジア反日武装戦線のことを思いだした。主犯の大道寺は釧路出身、逮捕当日の自殺したSは私と同じ室蘭出身。ともにアイヌ差別や在日朝鮮人差別への怒りが運動を始めた動機という。無差別テロは許されないけれど…。

11月某日
「だめになった僕」(井上荒野 小学館 2024年10月)を読む。ネットによると「著者23年ぶりの書下ろし長編恋愛小説」だって。主人公は音村綾、長野でペンションを経営しながら漫画家としても活躍している。綾が東京で開かれるサイン会に出席するところから話は始まり、物語は「現在」から「1年前」「4年前」…「14年前」「16年前」とさかのぼり、エピローグ「現在」で終わる。恋愛小説であるとともにちょっとした「謎解き小説」でもあると思うのでストーリーの詳細は省きます。私としては大変満足した小説でした。

11月某日
「聖書の同盟-アメリカはなぜユダヤ国家を支持するのか」(船津靖 KAWADE夢新書 2024年6月)を読む。パレスチナの紛争は分かりにくい。とりわけ外国に占領された経験が第2次世界大戦に敗れて連合国、主として米国に占領された1回だけという日本人にとっては分かりにくい。本書は共同通信で海外特派員経験が長く、現在は広島修道大学で国際政治を教える著者が優しい語り口で解き明かしてくれる。現在のイスラエルやパレスチナが存在する地域は第1次世界大戦までがドイツと同盟国だったオスマントルコが領有していた。しかしもともとこの地域にはユダヤ人の国家が存在していた。本書によると「ユダヤ人の歴史で確かなのは前9世紀以降、エルサレムを中心に、伝説的なダビデ王家の血統を主張する王が支配する南王国ユダが存在し、その北方に強大な北王国イスラエルがあった」「両王国ともヤハウェを信仰する宗教的部族連合」だった。北王国はアッシリアに滅ぼされ、南王国もやがて新バビロニアに滅ぼされる。その後、ペルシアやシリアの支配を経てユダヤ人独立国家、ハスモン王朝が成立するがやがてローマの支配下に入る。そこで君臨したのがヘロデ王で、このときにユダヤ教の神殿支配者層を公然と批判したのがイエスである。イエスはユダヤ教の革新を目指したとも言えるが同時にキリスト教の創始者でもあった。「ユダヤ人は「神の選民」でありながら「神の子」イエスを受け入れることを拒んで殺した、とキリスト教徒に非難され」「ユダヤ教徒のその後の苦難は「神罰」として正当化され」た。
独立国家を失ったユダヤ人は世界各地へとくにヨーロッパへ移住した。ユダヤ人は差別されてきたが19世紀以降、故郷への帰郷運動が本格化する。第一次世界大戦中、英米仏はユダヤ財閥からの戦費調達のため戦後のユダヤ国家創設を約束し、アラブには対オスマントルコへの戦闘協力と引き換えに戦後の独立を約束した。有名な2枚舌、3枚舌外交である。ナチスのユダヤ人迫害もあって戦前からイスラエルへのユダヤ人帰還は続いた。しかしそこはアラブ人が平和に暮らしていた土地でもあった。イスラエルとアラブは1948年から67年まで3次に渡る中東戦争を戦った。昨年10月のハマスのイスラエル侵攻に始まり、報復にイスラエルがガザを侵攻しているのは第4次中東戦争ということになる。トランプ再選の場合、著者は次のように予想する。サウジアラビアとイスラエルの国交を正常化させ、イラン封じ込めの負担も両国に分担させ、中東への軍事的関与を減らし、余力を中国との競争やアメリカ国内への投資に充てたいところだろう、というものだ。なかなかに説得力のある主張だと思うのだが。

モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
「転がる珠玉のように」(ブレイディみかこ 中央公論新社 2024年6月)を読む。ブレイディみかこの本に出合ったのは19年6月に出版された「女たちのテロル」を図書館で見て借りたのがきっかけだ。「女たちのテロル」は戦前のアナキストで、摂政暗殺を企てたとして死刑を宣告され、後に無期懲役に減刑されるも獄中で縊死した金子文子と海外の女性テロリスト2名の評伝をまとめたもの。これ以降ブレイディみかこの著作を読むようになった。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」は英国ブライトンでのアイルランド系イギリス人の夫と息子との暮らしを描いて話題となった。彼女は福岡の名門校、修猷館高校を卒業後、進学せずに英国へ渡った。「ぼくはイエローで…」の頃、中学生だった息子が「転がる…」では高校生で大学を受験するまでになっている。夫が癌になったり母親が死んだり…。それなりに起伏のある家族や周囲の人たちの人生を淡々と描く。

11月某日
社保研ティラーレを表敬訪問。吉高会長と佐藤社長へ挨拶。衆議院選挙ではティラーレは立憲民主党の神奈川県の新人候補を応援していたが、めでたく当選したそうだ。帰りに我孫子駅前の「しちりん」で夕食兼晩酌。

11月某日
アメリカ大統領選で共和党のトランプが当選。予想された大接戦とはならず、ハリスは敗退した。大統領選ではヒラリークリントンとハリス、二人の女性民主党候補がトランプに敗れている。米国の大統領は軍の最高司令官も兼ねるが、女性に最高司令官は務まらないということか。トランプはロシアのプーチンや北朝鮮の金最高指導者と親近性が高いように思う。それが国際間の緊張緩和に向かうのか。私はプーチンや金を増長させることを恐れる。

11月某日
「言葉果つるところ」(鶴見和子 石牟礼道子 藤原書店 2024年9月)を読む。本書は鶴見(1918~2006)と石牟礼(1927~2018)の対談集で、2002年に発行された(鶴見和子・対話まんだら)『石牟礼道子の巻』を底本としている。タイトルは鶴見が石牟礼を評して「言葉果てたるところから文学が出発する。そして文学は言葉果つるところに到達する、かつそこが出発点になる」と発言しているところからとられている。水俣病の闘いも「言葉果つるところ」から始まったし、水俣にほど近い島原の地で400年前に闘われた島原の乱も同様であった。水俣病の問題はもう終わったように私などは感じていたが、それはどうも終わっていないのだ。産業革命以降の人類の深刻な環境汚染が終わらないかぎり、水俣の問題は繰り返されている。

11月某日
週1回のマッサージで「絆」へ。今日は長男が休みなので車でスーパーウエルシアによってアイリッシュウイスキーを購入、ついでに床屋まで送ってもらう。床屋の後、近くの食堂「三平」で中華丼を食べる。駅前からバスでアビスタ前まで。

11月某日
「罪名、一万年愛す」(吉田修一 KADOKAWA 2024年10月)を読む。吉田修一は芥川賞受賞作家だが作品は純文学に限らず、恋愛小説、冒険小説と幅が広い。本作は冒険小説と言える。横浜の私立探偵に一風変わった依頼が舞い込む。「一万年愛す」と名付けられた35カラット以上のルビーを探してもらいたいというのだ。舞台は富豪の一家が滞在する九州の孤島。実は九州でデパート経営に成功した富豪一家の祖父には隠された秘密があった。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
日曜日の朝日新聞「歌壇 俳壇」から。ガザに想いを寄せて。「ガザの子はたぶん大谷翔平を知らない野球さえできなくて」(近江八幡市 寺下吉則)「『将来はヒズボラになる』と泣きながら父の屍のそばに座る子」(牛久市 高木美鈴)。袴田さん、無罪。「再審の無罪となりし弟をこの日も車椅子で押す姉」(寝屋川市 今西富幸)「弟よ、巌、巌は無実なり姉の見据ゑし判決下る」(東京都 笹山羊)。袴田さんは俳壇にも。「袴田さんさて何をせん秋の暮れ」(八王子市 額田博文)。次の2句は全共闘世代の俳句?「連帯も共闘もせず秋の蠅」(東京都新宿区 山口晴雄)「青茄子に思想の如く棘がある」(東京都渋谷区 佐藤正夫)。

10月某日
「あなたを待ついくつもの部屋」(角田光代 文藝春秋 2024年7月)を読む。部屋とはホテルの部屋のことである。ホテルは東京、大阪、上高地の帝国ホテルである。初出はIMPERIAL80号から122号とあるから帝国ホテルのPR雑誌に掲載されたものであろう。東京、大阪、上高地の帝国ホテルを訪ねる老若の女性を主人公とした42編の短編が収録されている。ホテルを舞台にした42編のショートストーリー、どれも都会的で洒脱であった。最後の「光り輝くその場所」は20歳のとき、はじめて帝国ホテルに足を踏み入れた楓子は、宴会場で開催されていた文学賞の受賞パーティに迷い込む。38歳になった楓子は、自身の受賞パーティ会場となった帝国ホテルへ向かうという話。

10月某日
17時30分に神田駅で前の職場の友人と待ち合わせ。少し早く出て上野の国立東京博物館で開催中の「はにわ展」を観に行こうかと思ったが、思い直して東京駅へ。丸の内口を出て、丸善の書籍売り場に向かう。吉田修一の新刊、「罪名、一万年愛す」を購入。丸の内口から歩いて神田駅へ。待ち合わせ時間にはまだ時間があるので駅近くの居酒屋で時間をつぶす。時間になったので神田駅北口へ。かつての同僚と北口近くの居酒屋で呑む。

10月某日
「猛獣ども」(井上荒野 春陽堂書店 2024年8月)を読む。高原の別荘地でのひと夏のできごと。密会中の男女が熊に殺される。愛に傷ついた管理人の男女と別荘の6組の夫婦に何が…。「夫婦って不思議だな」と思ってしまう。なんの関係もなかった一組の男女が出会い恋に落ち、家庭を営む。その不思議さを井上荒野はたんたんとさりげなく描く。巧み!

10月某日
幼馴染の佐藤君が出張で東京に出てくるので新橋で会食の予定。先日、国立東京博物館の「はにわ展」に行けなかったので上野駅で下車したら雨が降ってきたので、上野駅近くの西洋美術館に変更、クロード・モネ展が開催中だった。実は私は障害者手帳を持っているので公立の美術館や博物館は基本的に無料。平日の午後だったのに結構、混んでいて入場者が並んでいたが、こちらも障害者優先でスイスイ。しかもエレベータまで案内してくれる。一通り鑑賞したので新橋へ。昔、新橋烏森口の日本プレハブ新聞社という業界紙に勤めていたことがあった。会社があったビルには呑み屋さんが入っていた。約束の17時30分近くなったので烏森口へ。高校で1年後輩だった小川君、井出君などがすでに到着していた。女子の旧姓中田さん、佐藤君も揃ったので会場の銀座ライオン新橋店へ。実はこの集まりは室蘭東高スキー部のOB会なのだが、ほぼ幽霊会員だった私にも声が掛る。会費は6000円だったが、佐藤君がすべて払ってくれた。佐藤君は札幌でIT会社を創業、社長から会長に退いた。ありがたくご馳走になる。佐藤君にご馳走になったうえ、お土産に北海道の銘菓「わかさ芋」をいただく。

10月某日
「正しく読む古事記」(武光誠 エムディエヌコーポレーション 2019年10月)を読む。古事記と日本書紀は日本の国の成り立ちを伝えるという同じような役割を持っていると思っていたが、本書によるとその役割をそれぞれ違っていた。古事記は人々に読ませる「伝説集」で、日本書紀は、日本の公式の史書としてつくられた。古事記は天皇家の歴史であるのに対して日本書紀は、海外向け(当時は唐か)の日本の歴史で、記述内容も古事記が漢文を下敷きにした和文であるのに日本書紀は漢文であった。古事記には子供ころ親しんだ童話もとになったものもある。海彦山彦、ヤマトタケルなどなど。