モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
「やさしい猫」(中島京子 中央公論新社 2021年8月)を読む。この小説は今年、NHKでドラマ化されている。これがなかなか良かったので図書館で借りることにした。小説は母子家庭の女の子(マヤ)が「きみ」に話しかけるかたちではじまる。保育士をやっている女の子の母親(ミユキさん)は東日本大震災の災害ボランティアでスリランカ人(通称クマさん)と出会う。都内で偶然に再会したふたりはやがて恋仲に。結婚を決意するが外国籍のクマさんには出入国管理の壁が立ちふさがる。クマさんは法務大臣により強制退去処分を受けることになってしまう。マヤとミユキさん、クマさんは弁護士を頼んで法廷で争うことになる。マヤは小学校以来のベストフレンド、ナオキくんに「つきあってくれ」と告白するが振られる。実はナオキ君はLGBTだったのだ。物語にはクルド人を両親に持つ美少年が出てきたり、なんというか普段私たちには見えない日本国内の「少数派」の人たちが登場する。日本は島国ということもあってか「少数派」には冷たい気がする。人権の観点からもマズいし、労働力人口が減っていくのだから経済の観点からもマズいと思う。

10月某日
11時からマッサージ。肩と腰に15分、電気を掛けてあと15分はマッサージ。ここは健康保険が効くので自己負担は550円のみ。天気が良いのでマッサージの後は散歩。我孫子農産物直売所のアビコンまで歩く。レタスとピーマンを購入。我孫子高校前から坂東バスに乗車、アビスタ前で下車して帰宅。「ロマンス小説の七日間」(三浦しをん 角川文庫 2003年11月)を読む。海外ロマンス小説(ハーレークイーンロマンとかね)の翻訳家であるあかりと恋人の神名の日常を描くと同時に、かんなが翻訳しているイギリス中世の騎士と女領主の恋物語が綴られる。しをんという名前は本名で三浦の母親が石川淳の紫苑物語からとったそうだ。父親は元中央大学教授。ところで神名は年が明けたら海外放浪の旅に出るそうだ。そういえば三浦しをんの小説で恋人が海外の秘境を探検する人というのを読んだ記憶があるが…。放浪する人、ひとところに留まらない人が三浦しをんの好みかも知れない。

10月某日
「ひとびとの精神史 第6巻 日本列島改造 1970年代」(杉田敦編 岩波書店 2016年1月)を読む。「刊行にあたって」には「本企画は、第二次世界大戦の敗戦以降、現在に至るまでのそれぞれの時代に、この国に暮らすひとびとが、何を感じたか、どのように暮らし行動したかを、その時代に起こった出来事との関係で、精神史的に探究しようとする企てである」と記されている。そして「ここでいう精神史とは、卓越した思想家たちによる思想史でもなければ、大文字の『時代精神』でもない」とも述べている。第6巻では「Ⅰ列島改造と抵抗」「Ⅱ管理社会化とその抵抗」「Ⅲアジアとの摩擦と連帯」の3編で構成され、Ⅰでは田中角栄と他3名、Ⅱでは吉本隆明と藤田省三他2名、Ⅲでは小野田寛郎と横井庄市他2名がとりあげられている。冒頭で政治家、思想家、残留日本兵という著名人をとりあげ、その後はそれほど著名ではない庶民あるいは大衆的な知識人をとりあげている。Ⅰで言うと三里塚闘争の小泉よね、横浜新貨物線反対同盟の宮崎省吾、Ⅱでは生活クラブ生協の岩根邦雄、ゼネラル石油労組の小野木祥之、Ⅲでは金芝河と日韓連帯運動を担ったひとびと、アジアの女性たちとの連帯を追求した在日女性の金順烈である。いずれも有名人でも「時代精神」を背負っている知識人でもない。しかし鮮烈で嘘のない生き方をした人であることが本書を読むと伝わってくる。

10月某日
江利川毅さんからメールが届く。「久しぶりに集まって一杯やりませんか」という内容。異議がある筈もなし。江利川さんが当時の厚生省年金局資金課長に就任したころからの付き合いだからかれこれ40年近くになる筈。その後、彼は年金課長や経済課長など難しいポストを歴任、内閣府で官房長、次官を務め退官。証券系の研究機関の理事長になったと思ったら、不祥事で混乱していた厚労省の次官へ。その後、人事院総裁を務めた。まぁ官僚中の官僚と言えるかもしれない。しかし全然偉ぶらない気さくな人柄で多くの人に慕われている。
「虚実亭日乗」(森達也 紀伊國屋書店 2013年1月13日)を読む。「スクリプタ」という紀伊國屋書店のPR誌に連載されたものを加筆修正のうえ単行本にしたもの。森達也の本はオウム真理教関連本を1、2冊読んだ記憶がある。死刑を宣告された元信者たちのことを真面目に書いていた。今回の本は森達也と思われる元映像作家にして現在作家である緑川南京を主人公とするフィクションである。最後の章の末尾に「最後の最後に書くけれど、この書籍に書かれたことは、すべて100%一字一句残さず真実です」と書き残している。しかしページをめくると「この作品はフィクションです。」の一行が。私は主人公の緑川南京(森達也)が力道山やピースボート、北朝鮮問題、死刑問題などに直面しながら、真実とは、正義とは、に悩んでいることに強く共感する。この本を読んで初めて知ったこと。北朝鮮国民は最高指導者(この当時は金正日)のことを「将軍さま」と呼び、その権威主義的体制が強調される。しかし儒教文化の影響が強い朝鮮半島では、北朝鮮でも韓国でも目上の人にはほぼ必ず「さま」(ニム)を付けるという。韓国語から日本語に翻訳するとき普通はこの「ニム」を外す。北朝鮮の独裁者を呼ぶときだけは例外的に「さま」が付けられる。本当のことってときには分からないようになっている。それと森達也って我孫子の住人らしい。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「R・E・S・P・E・C・T リスペクト」(ブレイディみかこ 筑摩書房 2023年8月)を読む。みずからをアナキストと宣言しているブレイディの初?の小説。たぶん初めてだと思う。やはりアナキストを自認している政治学者の栗原康が推薦文を寄せている。本の冒頭に「この物語は、2013年にロンドン東部で始動したFOCUS E15運動と、同運動が2014年に行ったカーペンターズ公営住宅地の空き家占拠・解放運動に着想を得たフィクションであり、小説であります。…以下略」という文章が掲げられている。シングルマザーでホステル(若年層ホームレスの居住施設)からの退去を迫られたジェイドとその仲間たちが、空き家の公営住宅を占拠し、自らの要求を貫徹していくというストーリー。この小説を読んでいた私は50年以上前の私の全共闘体験を思い出した。1969年の4月、私たち無党派と反革マル党派の連合部隊はヘルメットと樫の棒で武装して革マルの支配する早稲田の本部構内に進出、革マルの武装部隊を粉砕し、本部封鎖に成功する。封鎖は9月に機動隊により解除される。私たちは機動隊に対抗して第2学館に立て籠ったが攻防数時間で武装解除、逮捕される。拘置所から釈放された11月には授業が再開されていた。
私たちは校舎でジェイドたちは公営住宅という違いはあるが、占拠という戦術は一緒。占拠された空間が一種の祝祭空間に変化してゆくのも同じだ。ジェイドたちは地域の住民たちと交流を深めてゆくが、私たちには住民との交流はほぼなかった。当時、日共民青は当初から全共闘派と対立していたし、革マル派は1月の東大安田講堂の戦いに参加しなかったことで全共闘派と対立を深めていった。革マル派は数年後、中核派のシンパと見られた文学部の学生をリンチ、殺害に至る。この辺の陰惨さも日本の新左翼運動に見られてジェイドたちの運動には見られない特徴だ。政経学部の全共闘はノンセクトが中心で明るかったけどね。私は当時2年生で1学年上の浅井さんや後藤さんと仲良くしてもらった記憶がある。拘置所から出てきたら彼らはもう学園から消えていた。その後、会うことはなかった。地域に根差したジェイドたちの運動は永続する運動のように見える。私は全共闘の無党派の運動は基本はアナキズムではなかったか、と思っている。べ平連の運動もアナキズムに近似しているように思える。全共闘もべ平連も遠くなってしまった。しかし日本においても貧富の格差は拡大しているし、ロシアのウクライナ侵攻も続いている。現代にも矛盾は存在し拡大しているのだ。

10月某日
「かたばみ」(木内昇 角川書店 2023年8月)を読む。北海道新聞、中日新聞など地方紙に連載されたものがもとになっている。ちなみに「かたばみ」とはカタバミ科の多年草。クローバーのような葉を持ち、非常に繫殖力が強く「家が絶えない」に通じることから、江戸時代にはよく家紋に用いられた。花言葉は「母の優しさ」「輝く心」など(本書のカバーに記述)。「家が絶えない」「母の優しさ」が本書のテーマと言える。私はNHKの「ファミリーヒストリー」という番組が好きでよく見るが、本書も日本女子体育専門学校で槍投げ選手として活躍した悌子のファミリーヒストリーである。肩を壊して槍投げ選手を引退した悌子は小学校の代用教員に。悌子には早稲田大学で投手として活躍した幼馴染がいる。当然、結婚すると思っていたが彼は別の人と結婚、すぐに出征して戦死してしまう。嫁は赤ちゃんを身ごもっていた。出産後、嫁は再婚するが悌子に赤ちゃん清太の養育を依頼する。悌子は定職のない権蔵と結婚し清太を実子として育てる。終戦後、清太はすくすくと育ち中学校ではエースとして活躍する。権蔵もドラマ作家として売れ出すが…。惹句に曰く「2023年を代表する傑作の誕生」。かどうかは分からないが、私は大変面白く読ませてもらった。清太は昭和33(1958)年に中学2年生(13、4歳)だから昭和20年か19年生まれだね。作者の木内昇は1967年生まれだから清太は親の世代になるか。

10月某日
「はーばーらいと」(吉本ばなな 晶文社 2023年6月)を読む。つばさ(男子)とひばり(女子)は小学生からの仲良し。つばさのお父さんが投身自殺希望者に巻き込まれて窓から転落死したり、ひばりの両親が経営していたバーを閉鎖してカルト教団に入信したり、ありがちな日常が描かれる(日常生活ではありがちとは言えないが、小説世界ではありがちと私は考える。カルト教団とは言ってもオウム真理教ほど過激な集団ではなく、教祖は「みかん様」と言って「道で会ったら好きになってしまいそうな、姿の良いおじいさんだった」。つばさはひばりを教団施設から脱会するが、暴力的に阻止されることもなく書類上の手続きだけだった。「あとがき」で吉本ばななは「誰かが自分らしく好きなように生きる(ひばりちゃんの両親も、つばさくんのお父さんも)ことが、巻き込まれた近しい人を傷つけることがあるということを、人の心の動きとして、書いてみたかった」と述べている。カルト教団に入信することが「自分らしく好きなように生きる」ことなのか、私はやや疑問。しかし自分のことを振り返れば、私が学生時代、全共闘運動に参加したのも「自分らしく好きなように生きる」ためだったと思う。全共闘運動はさておき、党派への参加もカルト教団への入信も大差がないように今では思う。
ジャニーズの性加害問題について考えてみると、ジャニーさんは「自分らしく好きなように」性加害を行ってきただろう。そして「巻き込まれた近しい人を傷つけ」てしまったのだ。ジャニーズ事務所とカルト教団を同列に扱ってはいけないが、私はそれを集団の怖さと表現したい。戦前の日本社会の天皇制ファシズム、ドイツのナチズム、ソ連のスターリン主義にも同じようなものを感じる。スターリン主義ロシアはプーチンや北朝鮮の金王朝に受け継がれているのではないか。私は吉本隆明(ばななの父)の共同幻想論を思い浮かべる。ついでに言うとスターリン主義に対抗し得るのは反スターリン主義ではなく、吉本の唱えた自立であろう。反スタではスターリン主義を克服できない、と私は見る。

10月某日
「被害者家族と加害者家族 死刑をめぐる対話」(原田正治 松本麗華 岩波ブックレット
2023年8月)を読む。原田は1983年に「半田保険金殺人事件」で末弟を殺害される。犯人は死刑を宣告される。原田は犯人とも面会を続け、死刑の停止を訴えるが、犯人は処刑される。松本麗華(りか)は、地下鉄サリン事件をはじめとする一連の事件で首謀者とされ、死刑判決ののち処刑された麻原彰晃こと松本智津夫の三女。被害者家族(原田)と加害者家族(松本)が対話する。それも和気あいあいとした雰囲気で。読んでいても原田の飄々とした雰囲気が伝わってくる。この人は殺人犯だから悪人、悪人の殺人犯は処刑して当然、という観念、先入観から遠い存在のような気がする。そんな原田に対して松本も素直に対話に応じる。私としては死刑が確定した後も袴田事件のように冤罪が強く疑われる事件もあり、死刑廃止の立場、最高刑は終身刑でいいように思う。それと松本は松本智津夫の娘ということで大学入学や就職を拒否された経験があるという。これは差別でしょ!

モリちゃんの酒中日記 9月その4

9月某日
「甦る『資本論』-若者よ、マルクスを読もう 最終巻」(内田樹×石川康宏 かもがわ出版 2023年7月)を読む。内田樹はレヴィナスの研究者として知られるが武道家でもある。1950年生まれ。東大在学中は革マル派の活動家だったことがあるらしい。この本でも「学生運動にかかわっていた頃に『プロレタリア的自己形成』という言葉を時々耳にしました。もちろん『内田はプロレタリア的な自己形成ができていない』という批判の文脈で使われた言葉です」と自身のことを綴っている。一方の石川康宏は1957年生まれ。ウイキペディアによると立命館大学二部経済学部を卒業。在学中は自治会委員長。京都大学の大学院博士課程を修了後、神戸女学院大学で内田の同僚となる。全国革新懇の代表世話人を務める。ということはバリバリの日本共産党員ということか? まぁ日本共産党にも委員長の公選制を主張する人があらわれたり(その後、確か除名)、変わりつつあるのかもしれない。それにしてもマルクスの思想を学ぶに当たって革マル派や日共などの党派的立場を前提にするのはやはり間違いだろう。マルクスもエンゲルスも世界革命を主張する共産主義者同盟の主要メンバーだったがイギリス亡命以降は、実践活動からは事実上身を引いたみたいだ。マルクスは資本論の執筆に専念したし、エンゲルスはマルクスを支えるための商売に忙しかったらしい。私はまだ資本論を読んでいないが、この本を読んで資本論はたんに経済学や哲学の書ではなく、マルクスが当時の労働者の労働や生活の実態把握のうえに書かれたことがよく分かった。

9月某日
「まずはこれ食べて」(原田ひ香 双葉文庫 2023年4月)を読む。原田ひ香は昨年、NHKの夜ドラで原田原作の「一橋桐子(76)の犯罪」を観てから読むようになった。独身で身寄りもない老女が刑務所へ行けば衣食住に不自由はないと犯罪を企てる話だ。老女役を松坂慶子が好演していた。「まずはこれ食べて」は、大学の同級生が卒業後、IT関連企業を起業した社員たちと、そこに家政婦として派遣される筧みのりの物語だ。IT関連企業だから社員たちの出社は遅い。筧の主な仕事は彼らに昼食と夕食、夜食をつくることだ。ストーリーが進展するなかで、この企業の成り立ちや社員のそれぞれの事情、そして筧の生い立ちや半生が明らかになってくる。私は原田のほのぼのとしながらも風刺も効かせた物語づくりのファンです。

9月某日
私が社長をしていた年友企画を辞めてから5年ほどになる。その年友企画の社員(今では役員になっているらしい)から連絡があってランチをご馳走してくれるという。その日はマッサージの予約をしていたので、マッサージを受けた後我孫子駅へ。13時に神田駅西口で待ち合わせ。駅前の昼からやっている居酒屋へ入る。何でも最近は企画書づくりにもAIを活用しているとか。食べたり吞んだりしているうちに15時を過ぎてしまったのでお開きに。すっかりご馳走になってしまった。しかし年友企画のような会社でもAIの活用が始まっているのかといささかビックリした。「老兵は死なず、消え去るのみ」の感、強し。

9月某日
「レイテ沖海戦〈新装版〉」(半藤一利 PHP文庫 2023年7月)を読む。解説を含めると文庫版で500ページを超え、読み通すのに3日かかった。もともと本書は1970(昭和45)年にオリオン出版社より「全軍突撃・レイテ沖海戦」の題名で刊行され、84年(同59)年に朝日ソノラマ文庫の航空戦史シリーズの一冊にも「レイテ沖海戦」と改題され上下二巻で加えられた(決定版のためのあとがき)。半藤さんは1930年の生まれだから、執筆したのはまだ30代ということになる。「あとがき」では「読み直すとかなり面映ゆいところがある。曲筆はないが舞文の箇所はここかしこにある」と書いているが、確かに歴史探偵として円熟した文章を書いていた晩年のそれとは趣が違う。本書では提督、艦長、幕僚クラスから下士官、兵に至るまでのそれぞれのドキュメントで構成されているが、とくに海軍兵学校第73期出身の最下級最年少の少尉たちには多くの紙幅が割かれている。半藤先生は非戦の人ではあるが、軍人とくに純粋な若い軍人は好きだったのじゃないか。私はアジア太平洋戦争に対しては賛成できないし、それに先立つ日本帝国主義の朝鮮半島や中国大陸への侵攻は認めることはできない。が、特攻隊員を含め先の戦争で亡くなった多くの死を「愚かな死」と一括りにすることはできない。そこは半藤先生と同じ立場である。

モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
「敗者としての東京」(吉見俊哉 筑摩選書 2023年2月)を読む。「東京は三度、占領されている」という著者の説をもとに「敗者としての東京」を論じている。最初の占領は、1590年に徳川家康によって。家康は豊臣秀吉に命じられて三河から江戸に移った。当時、東国の中心と言えば鎌倉幕府の置かれた鎌倉であり、戦国時代になってからは北条氏の根拠地であった小田原であったという。江戸はひなびた寒村でしかなかった。家康から秀忠、家光の三代(1590~1640年)で江戸に大きな都市改造が加えられ、現在の東京の原型を形づくった。二度目の占領は、1868年の明治維新である。薩摩軍と長州軍を中核とする官軍は、江戸城を無血開城させ、最後まで抵抗した彰義隊を上野でせん滅する。三度目の占領は、言うまでもなく1945年のアジア太平洋戦争の敗北によって、米軍を中心とした連合軍による占領である。吉見は史料を丹念にたどりながら江戸・東京の三度の占領と、変容する社会を描く。都市の下層民や女性労働者(女工)の状況も描かれる。1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得した女子バレーボールについては、次のように説明されている。1930年代の前半まで女子バレーは圧倒的に高等女学校(高女)のチームが強かったが、30年代後半から紡績工場のチームが次々と高女のチームを打ち負かすようになり、ついにオリンピックで世界制覇に至る。高女に進学できるのは中産階級以上の階層の子女であり、女工となるのは中産階級以下の階層の子女であり、吉見はそこに文化的な階級闘争を読み取って行く。
 私が本書でもっとも興味を魅かれたのが「第Ⅲ部 最後の占領とファミリーヒストリー」である。そこでは吉見の母方のファミリーヒストリーが描かれる。特攻隊帰りの不良大学生で、後に安藤組の創始者となり、組解散後は東映の実録やくざ者の映画スターとなった安藤昇は母方の祖母が姉妹だったという。吉見の母の「おばあちゃんは『チエちゃんのところはいいわよね。ノボルさんに何でも買ってもらえて』って言うんだけど、何言ってんのよ…。」という発言が紹介されているが、ノボルさんとは安藤昇のことである。私は自分自身が学生運動の敗者であり、そのこともあってか敗者の歴史に興味を持ってきた。維新の敗者である彰義隊、白虎隊、五稜郭の戦いなどである。それはさらに第二明治維新の西南戦争の敗者たる薩軍と西郷隆盛、秩父事件の敗者たち、昭和維新を唱えた2.26事件の敗者としての青年将校らに引き継がれる。敗者の歴史(ヒストリー)のなかにこそ物語(ストーリー)は埋まっている。

9月某日
「敗者の想像力」(加藤典洋 集英社新書 2017年5月)を読む。加藤典洋は1948年生まれだから私と同世代の批評家である。私の記憶では48年の4月1日生まれなので早生まれ扱いとなり、学年では私の1年上である。確か現役で東大に合格し、東大闘争もあって2年留年し、卒業は私と同じ72年の筈である。大学院の入試に失敗し国会図書館に勤務する。国会図書館からカナダの図書館への出向を命じられ、多田道太郎の知遇を得る。日本に帰ってから批評家としてデビュー、明治学院大学や早稲田大学の教授を務める。19年5月に死去。私は彼の「敗戦後論」や「戦後入門」などを読んだが、私にとってはやや難解であった。にもかかわらず彼の著作を読むのは、難解ながら何か惹きつけるものがあるからだろう。彼の父親が警察官で戦前は特高ということから来る屈折のようなものに魅かれるのかもしれない。1945年8月、日本は米軍を主体とする連合軍に敗北し占領される。この敗北が日本、及び日本人の精神にどのような影響を与えたか、を考察したのが本書である。1954年に公開された映画「ゴジラ」は、04年の「ゴジラ FINAL WARS」まで、50年間に28作を数えるシリーズとなった。なぜ、この怪獣映画は、日本人の心を捉えたのだろうか。加藤は「ゴジラが『戦争の死者たち』を体現する存在だからではないか」と考える。今年亡くなった大江健三郎については、大江が沖縄の集団自決を巡る裁判で被告とされた件では全面的に大江を擁護している。詳細は省くが私も大江を擁護する。私と同世代の批評家がアジア太平洋戦争の敗者や死者にこだわってきたことに驚く。同時にそれは正しいことのように思えてくる。

9月某日
「カモナ マイハウス」(重松清 中央公論新社 2023年7月)を読む。婦人公論に「うつせみ八景」というタイトルで連載されたものを、書籍化にあたり改題、加筆修正を行ったものだ。四六判400ページを超える小説だが、丸1日と2時間ほどで読了した。重松の小説は読みやすいからね。還暦間近の夫婦が主人公。両親の介護を終え看取った妻は、両親の実家を相続し兄から実家を解体し更地にして売り出すことを告げられる。これに夫婦の息子で売れない劇団を主宰している青年や、古びた洋館で茶会を主催する老婆が絡んでくる。還暦間近ということは我が家の15年前である。ちょいと感慨深いものがある。それにしても空き家問題は深刻だ。少子高齢化のもう一つの向かい合わなければならない現実だ。

9月某日
虎ノ門にある一般財団法人の会議に参加。この財団法人が行っているセミナー開催や調査研究事業への補助事業活動などの報告を受ける。私以外は小規模多機能を運営したり、訪問介護事業を手がけたりと現実に福祉事業を担っている人が委員をやっている。私が委員であることに違和感があるが、「福祉の受け手」という立場から発言することにする。任期いっぱいは務めるつもりだ。虎ノ門までは我孫子から上野東京ラインで新橋、新橋からは銀座線で虎ノ門へ。帰りは地下鉄千代田線の霞が関から我孫子まで一本。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「はたちの時代-60年代と私」(重信房子 太田出版 2023年6月)を読む。重信房子ねぇ。重信は1945年生まれだから私とほぼ同世代。本書によると都立の商業高校を卒業後、キッコーマン醬油に入社。その後、キッコーマンに勤めながら明治大学文学部のⅡ部に入学、持ち前の正義感からブント(共産主義者同盟)が主導する明大の学生運動に参画する。1969年にブントが路線を巡って分裂したときは赤軍派に所属。 国際根拠地論に従って京大生の奥平剛士と偽装結婚、パレスチナに渡る。奥平はその後、リッダ空港銃撃戦で死亡する。本書には私が知らなかったブント分裂や赤軍派誕生の状況、連合赤軍の実態が描かれていてそれはそれで面白い。しかし私は当時好景気の絶頂にあった日本で、革命を現実として捉えていた彼らの感覚こそが面白い。私なども革命を夢想した学生の一人だが、赤軍派に加入するほど度胸は持ち合わせていなかった。重信が連合赤軍の指導者だった森恒夫とも親しかったことも明かされるが、同じ明治のブントの仲間だった遠山美枝子の死の報にパレスチナで接する衝撃にも驚かされる。
毛沢東主義の京浜安保共闘とブント赤軍派が連合したのが連合赤軍だが、毛沢東主義とブンドの違いについて重信は次のように主張する。「ブントと毛沢東派の問題の立て方は、根本的に違います。ブントは、路線問題など政治主義的に、その見解の一致を行動の一致、組織活動の基本としています…革命家の自覚を持って、恥じない範囲で自由に過ごそうということでしょう。教条主義ではないのです。プチブル的な自由主義であり、寛容とも言えるし、だらしない組織性で知られます」「ところが毛沢東派は、一般的にも当時は特に『四人組』の時代でもあり、日常生活の在り方一つ一つの中で、利己主義は無いか、走資派の芽は無いかという批判活動と、その追及を受けた自己批判など、告発し追求するスタイルの文化大革命・思想革命を重視していました。こうした毛沢東派的な見方でみれば、ブントの指導部含めて、みな失格の烙印を押されそうです」。この見方は当たっているように思う。ただ毛沢東派といってもいろいろあって、ブントのML派や日中友好協会(正統)に軸足を置く一派などがいた。ML派はゲバルトに強かったという印象が強いけれど…。

9月某日
「暗い時代の人々」(森まゆみ 朝日文庫 2023年9月)を読む。書店の文庫本の新刊コーナーに平積みされていたので迷いなく買う。図書館ばかりでなくたまには書店に行くべきだと思う。戦前、同調圧力に屈することなく自由の精神を貫いた真の〝リベラリスト″たちを描く小伝集。森まゆみ自身がリベラリストである。早稲田大学政経学部で藤原保信のゼミで学んだ影響があるのかもしれない。戦争中の帝国議会で反軍演説を行った斎藤隆夫の項で早大出身の斎藤に触れて「わたしも1970年代にこの大学に学び、興味深い授業は斎藤保信先生の授業とゼミぐらいだったが、何かというと『都の西北』を歌ったことを覚えている」と記している。森はリベラリストだが、時代が右傾化するなかで左派色が強まっているように私には思える。「文庫版あとがき」でも「単行本刊行後も、新型コロナの猖獗、無観客で行われた東京オリンピック、安倍元首相の銃撃事件、台湾有事や北朝鮮のミサイル攻撃の喧伝、そしてロシアとウクライナの戦争が起こった。それらを口実に米国から武器を買い、軍備を増強し、自由な言論の外堀は埋められ続けている(中略)『新しい戦前』という言葉も現実味を帯びてきた」と日本の現状を憂いている。深く同感。

9月某日
北朝鮮の金正恩委員長がロシアのウラジオストクを訪問、プーチンと会談したり夜はオペラを鑑賞したりしたことが報じられている。戦前は日本、ドイツ、イタリアの3国が軍事同盟を結びファシズム陣営を形成していた。現在はロシアと北朝鮮に中国を加え、権威主義の3国同盟を形成しているように私には思える。これも「新しい戦前」の現実化のひとつであろうか。アメリカやイギリス、日本、韓国、その他先進資本主義国家の現状は、貧富の格差が拡大しつつあるが、それでも前記のロシア、中国、北朝鮮の権威主義国家の現状よりは遥かに〝マシ″と考える。日本の民主主義の現状に満足してはいないが、若い世代に期待するしかないね。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
「B-29の昭和史-爆撃機と空襲をめぐる日本の近現代」(若林宣 ちくま新書 2023年6月)を読む。太平洋戦争末期、日本の主要都市が米空軍機による空襲にさらされ、その空爆の主役を演じたのがB29であるということくらいは私も知っていた。広島、長崎に対する原爆投下もB29によってなされたことも。しかしB29そのものや、B29開発に動いた米軍首脳の考え方について興味を持つことはなかった。B29による本土爆撃はそのほとんどが対象を軍基地や施設に限定しない無差別爆撃であった。しかし無差別爆撃はB29が初めてというわけではなく、日本軍の重慶爆撃やスペイン内戦におけるナチスドイツ空軍による無差別爆撃(これはピカソのゲルニカで描かれている)が知られている。本書によると朝鮮戦争でもB29による無差別爆撃が行われたし、ベトナム戦争ではB29の後継機、B52が無差別爆撃を行った。朝鮮戦争でもベトナム戦争でも爆撃機が飛び立ったのは日本本土や沖縄の米軍基地からだった。現在進行中のウクライナ戦争でもロシアは爆撃機やミサイル、ドローンなどで無差別爆撃を行っている。産業革命以降、科学技術は飛躍的に発展し、それが軍需に転用された。核融合の理論と技術は原子爆弾を生み、それは原発として民需に転用されている。現代は科学技術の発展=人類の発展と喜んではいられない時代なのであろう。なお本書にはB29が撃墜された際、撃墜機から脱出した米兵が捕らえられ、終戦時に捕虜虐待の証拠隠滅のため処刑された例が紹介されている。戦時中、鬼畜米英と唱えられたが鬼畜はどちらであったのか?

9月某日
「戦後日本政治史-占領期から『ネオ55年体制』まで」(境屋史郎 中公新書 2023年5月)を読む。新書ながら戦後80年に及ぶ政治史を簡潔にまとめている好著。私が政治らしきものに目覚めたのが60年安保の年の6月16日、朝起きると母親が緊張した表情で「昨日、女子学生が死んだんだよ」と教えてくれた。1960年の6月15日、日米安保条約の改定に反対する学生、労働者、市民が国会を取り囲み、混乱の中で東大の女子大生が亡くなった。私が学生運動に参加したのも1967年10月8日、当時の佐藤首相の訪ベトナムに反対して反日共系の学生が中心となって激しいデモを行い、その渦中で京大生が亡くなった。私は当時、浪人生だったが大学へ入ったら学生運動をやろうと心に決めたものだ。しかし、戦後の政治史のなかで学生運動が中心的に扱われたことはない(当たり前だけど)。本書でも第2章の「55年体制Ⅱ-高度成長期の政治」のなかで「新左翼の興亡」として1節が割かれているに過ぎない。改めて考えると60年代後半から70年代初めの学生運動の高揚期は高度経済成長期と重なる。人手不足は深刻で就職戦線は売り手市場、学生は選り好みさえしなければどこかには就職できた。「戦後日本政治史」に話を戻すと、戦後は官邸に権力が集中する過程だったんだなと思う。それは立法・行政・司法の3件の中で行政府(つまり官邸)が立法府に対して優位を確立する過程だったとも思う。それは大袈裟に言うとファシズムの予兆でもあるような気がする。タモリが「新しい戦前」と言ったのはこれらのことを指しているのではないか?

9月某日
「日韓関係史」(木宮正史 岩波新書 2021年7月)を読む。日本と韓国との関係は政府と政府の関係、経済を通じた関係、市民相互の関係などがある。本書は主として政府間の交渉を通して日韓関係を概観したものである。日本列島と朝鮮半島は日本海を挟んで隣り合っている。有史以来、日本は朝鮮半島の影響を受けて来たし、朝鮮半島もまた日本の影響を受けて来た。大和朝廷は朝鮮南部に日本府を設けた。朝鮮への進出を意図したが白村江の戦で敗退した。鎌倉時代、二度にわたって蒙古軍の侵略を受けたが、蒙古軍には多くの高麗の人々が含まれていたらしい。豊臣秀吉は日本を平定した後、中国大陸を征服する野望を抱き、手始めに朝鮮半島を侵略した。徳川政権は鎖国政策を続けたが、オランダ、中国(明、清)、朝鮮との交流は続けた。朝鮮の王朝は徳川政権に何度か使節を送っている。明治時代に日本は日清、日露の対外戦争を戦い勝利したが、戦争の原因の一つは朝鮮半島への影響力を巡ってのものだった。1910年に大韓帝国は日本に併合され、日本の支配は1945年の日本の敗戦まで続く。私の考えでは明治維新まで日本は朝鮮を先進国と見て来たのではないだろうか。事実、漢字や仏教、そして稲作や製鉄の技術などは朝鮮半島を経由して日本列島にもたらされた。
しかし明治維新後、日本は朝鮮を国として遅れた国と見做すようになり、1910年には日本に併合される。1945年の日本の敗北により朝鮮は独立するのだが、南北に分断されて状態が続いている。分断国家となった原因を作ったのは日本の韓国併合であったのは間違いのないところであろう。韓国独立後も韓国では政治的には独裁政権が続き、経済的にも日本の高度成長を後追いするしかなかった。この状態を著者は日韓の非対称性と呼ぶ。しかし1990年前後から韓国では民主化と経済成長が著しく進む。韓国と対照的に北朝鮮は庶民の生活を犠牲に軍事独裁体制を確立した。一人あたりのGDPを南北で比較すると1970年に北が386ドル、南が287ドルだったものが2018年には北688ドル、南33,622ドルと大差がついている。一人あたりGDPでは韓国は日本に並び、経済力では対称性が実現している。おそらく去年か今年には韓国は日本を追い抜くと思われる。しかし韓国も日本以上に少子化が進んでいるらしい。少子化という危機を共有し、かつ自由で民主的な社会という価値観を共有している二つの国家が、共栄、共存してゆくことを願うのみである。

9月某日
四川料理隨苑淡路町店で「山歩き同好会」の同窓会。この同好会は私が年友企画に在籍していた当時、私と社員の岩佐、村井さん、社会保険研究所の谷野さん、それに厚労省の酒井英行さんで近郊の山に日帰りで行っていたことから何となく緩くスタートした。酒井さんが勲章をもらったときに富国クラブを会場に同好会で祝う会をやったことを記憶しているが、その後はコロナもあってやっていない。今回は岩佐さんが音頭をとってくれて久しぶりの開催となった。酒井さんはお酒を辞めているということだったが、みんなで和気あいあいのときを過ごした。酒井さんから皆にお菓子が配られた。お勘定は谷野さんが払ってくれた。恐縮。

モリちゃんの酒中日記 8月その3

8月某日
「朝鮮王公族-帝国日本の準皇族」(新城道彦 中公新書 2015年3月)を読む。つい先だってアメリカのキャンプデービッドで日米韓の首脳会談が行われた。この3か国は特別な関係にあると思う。日米は1941年11月8日から1945年8月15日まで太平洋戦争を戦った。日本は韓国を1910年に併合し、敗戦まで支配下においた。朝鮮半島は日本の敗戦によって南は米軍の、北はソ連軍の支配下におかれた。南は大韓民国、北は朝鮮人民民主主義共和国として分断統治されている。日本の韓国併合まで韓国は大韓帝国として皇帝の支配する国だった。併合にともなって韓国の皇族は朝鮮王公族として、日本の皇族に準ずる地位と待遇を得ることになる。「異民族ながら『準皇族』扱いにされた彼らの思いは複雑であった。」「本書は、帝国日本に翻弄された26人の王公族の全貌を明らかにする」(本書の袖のコーピーより)。ということなのだが、戦争が終わってから80年近く経過し、日韓併合からは100年以上が経過している。正直あまりピンと来ない。そこで韓国皇帝の正統な後継者、王世子李垠(イウン)に嫁いだ梨本宮方子の母、梨本宮伊都子の目を通して、この結婚と当時の宮中社会を描いた小説「李王家の縁談」(林真理子 文藝春秋 2021年11月)を読む。

8月某日
「李王家の縁談」を読む。「李王家の縁談」について作者の林真理子が週刊文春の連載エッセー「夜ふけのなわとび」(9月7日号)で次のように書いていた。「もともと皇族や華族が大好きで、本も一冊書いている。文藝春秋から出した『李王家の縁談』は、朝鮮の皇太子に嫁いだ『梨本宮伊都子妃の日記』を元にしている。これが面白いの何のって。昔の皇族の妃が、いわゆる〝書き魔″で、克明な日記を書いているのだ」。林はさらに伊都子妃について「戦後は民主主義についていけなかった。テレビで見る正田美智子さんに憤慨したりしている」と書いている。明治維新によって士農工商といった身分制度は撤廃されたはずだが、皇族に加えて華族が新しい身分制度となった。華族は旧大名家や公家、維新の功労者などが列せられた。伊都子は鍋島侯爵家の出身で父親がイタリア公使としてローマに赴任していたときに産まれたことから伊都子と名付けられたという。戦後、朝鮮半島は日本帝国主義の支配から脱して南は韓国、北は朝鮮民主主義人民共和国として独立した。李王家の末裔はどうしたんだろう? 浅田次郎の小説に陸軍高官だった王世子の弟が、広島の原爆で爆死し、お付きの士官が拳銃自殺する小説があったと思う。これも泣かせるんだよね。

8月某日
「フェミニズム 『女であること』を基点にする」(加藤陽子 鴻巣友希子 上間陽子 上野千鶴子 NHK出版 2023年7月)を読む。別冊NHK100分de名著シリーズの一冊。私は加藤陽子の「伊藤野枝集」が面白かった。伊藤野枝は100年前の関東大震災の直後に当時、実質的に夫婦関係にあった大杉栄と一緒にいた甥と3人ともに憲兵大尉の甘粕正彦に殺害される。伊藤野枝の生涯は瀬戸内寂聴の「美は乱調にあり」や村山由佳の「風よあらしよ」などで描かれている。加藤陽子がとりあげた「伊藤野枝集」は岩波文庫で森まゆみが編集して2019年9月に出版されている。加藤は伊藤野枝が「百年以上前の日本で、仕事と子育てを両立することができたのでしょうか」という問いを発する。加藤は没落したとはいえ、それなりの教育を受けることのできた伊藤野枝の育ちと、仮設と断りながら「野枝は子育てに大きな喜びを感じていた」ことをあげている。なるほどねぇ。私は団塊の世代の多くの男性がそうであるように子育てに積極的に関わってこなかった。我が家において子育て、教育は母親つまりは妻の役割であった。母親と子供の関係はそれなりの緊張感もはらみながらも親密であった。私と子供の関係はと言えば、母親に比べれば疎遠、それは現在にも至る。

8月某日
「のろのろ歩け」(中島京子 文春文庫 1015年3月)を読む。解説の酒井充子によると「三者三様の女性たちがアジアの街にやってきた。文房具メーカーに勤める大学卒業二年目の美雨は台湾に、ファッション雑誌の編集経験十年、バリバリの編集者、夏美は北京へ。そして派遣スタッフだった亜矢子は、仕事を辞めて夫の駐在地である上海へ。三人が、それぞれの旅先あるいは滞在先で出会う人たち、小さな出来事によって、ほんの少しだけ返信する」と要約される。中島京子の小説に登場する女性たちはそれぞれに魅力的である。私には彼女たちが声高に女性の自立を叫ぶのではなく、それぞれの生き方が人間としての自立に基礎をおいていることから魅力的に感じるのではないかと思う。
 

モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
「松雪先生は空を飛んだ」(上下)(白石一文 角川書店 2023年1月)を読む。それなりに面白かったんだけど…・。空を飛ぶ能力を持った人たちの話し。松雪先生の私塾に学ぶ数人がある日先生に呼び出され、先生の血を飲まされる。それによって空を飛ぶ能力を身につけるのだが、私はオウム真理教、麻原彰晃の空中浮遊と血のイニシエーションを思い出させた。白石一文には「プラスチックの祈り」という荒唐無稽な小説があった。確か人間や街がプラスチックになってしまうというストーリーだった。ストーリーは荒唐無稽でも、そこに切実さがあれば小説としてはあり得るとおもうけれど、私の読むところでは本作にはその切実さが希薄であった。

8月某日
「かっかどるどるどぅ」(若竹千佐子 河出書房新社 2023年5月)を読む。若竹千佐子は1954年、岩手県遠野市生まれ。岩手大学教育学部卒。卒業後は臨時教員をへて専業主婦。55歳で夫を亡くし息子のすすめで小説講座で学ぶ。「おらおらでひとりでいぐも」で63歳で作家デビュー。本作は小説としては2作目。主な登場人物は5人。女優の夢を捨てきれず、つましい暮らしを送る60代後半の女性。舅姑の介護に明け暮れ、自分を持たぬまま生きてきた68歳女性。大学院を出たものの就職氷河期に重なり、非正規雇用の職を転々とする30代後半の女性。生きることに不器用で、自死を考える20代の男性。心もとない毎日を送る4人は、引きつけられるように古いアパートの一室を訪ねるようになる。そこでは片倉吉野という不思議な女性が、訪れる人たちに食事をふるまっていた。…というのがこの小説の大雑把な前提だ。超高齢社会で格差社会でかつ孤立社会でもある現代日本の断面を描きつつその再生も展望する小説。読んでいて心が温まります。

8月某日
「腹を空かせた勇者ども」(金原ひとみ 河出書房新社 2023年6月)を読む。表題作と「狩りをやめない賢者ども」「愛を知らない勇者ども」「世界に散りゆく無法者ども」という4つの短編で構成されている。主人公は中学3年生から高校1年生までのレナレナ。レナレナのママとパパ、中学校の同級生、そして行きつけのコンビニの店員で中国からの留学生が主な登場人物である。作者の金原は1983年生まれで、レナレナの親と同じ世代であろう。そして私の子どもと同じ世代でもある。ということはレナレナは私の孫と同世代ということになる。レナレナは同級生はもちろんのこと中国からの留学生とも心を通わせる。だが両親、とくにパパとはうまくコミュニケーションがとれない。パパの存在感は一貫して薄い。結局、この小説社会は女たちによって支えられている。現実の日本社会は女性の進出が進んでいるとは言っても男性社会である。だが10年、20年経過してレナレナたちが社会の中堅を担うようになったら、そこは変わる可能性がある。その可能性を大きく予感させる一作であった。

8月某日
「日本人が知らない戦争の話-アジアが語る戦争の記憶」(山下清海 ちくま新書 2023年7月)を読む。太平洋戦争という呼び方は日本がアメリカに負けた後に、米国政府や米軍の意向に沿って決められたと思う。日本では日米開戦後、大東亜戦争という呼称が用いられている。太平洋戦争では中国大陸の戦争やビルマでの戦闘をイメージすることは難しい。地理的には大東亜戦争という呼び方がしっくりすると思うが、戦後の日本人には受け入れがたかった。それで本書ではアジア・太平洋戦争という言い方をしている。「日本人が知らない」というタイトルの通り、本書には私たちの知らない戦争の現実が記されている。真珠湾の奇襲からほどなくして日本陸軍は英領のシンガポールを陥落させた。シンガポールは中国系の人々(華人)が住民の多数を占めたが、多くの華人が日本軍の手により虐殺された。オランダ領であったインドネシアでも、住民を虐待した例は多い。ナチスドイツのユダヤ人虐殺を視野に入れると鬼畜米英ではなく、鬼畜日独こそがふさわしいと思えてくる。広島、長崎への原爆投下もあって、我々は日本人を戦争の被害者ととらえがちだ。もちろん無差別爆撃による被害者としての側面もあるのだが、中国や東南アジアの人々に対しては、私たちは加害者なのだ。そのあたりについて私たちは自覚的にあるべきだろう。ところで本書では各章の最後にコラムとしてちょっとした話題が提供されている。「日帝が残したタクワン」というコラムでは、韓国で食事をすると「キムチではなくタクアンが出てくることも多い」、韓国では、「日帝(日本帝国主義)の持ち込んだもので、よかったものはタクワンだけ」と言われているそうだ。

8月某日
年友企画の岩佐さんの呼びかけで神田駅近くの「さかながはねて」に17時30分に集合。集まったのは岩佐、社保研ティラーレ社長の佐藤さん、フィスメック社長の小出さん、社会保険出版社の高本社長そして私。2時間30分食べて呑んでそれでひとり5000円はリーズナブル。退職して以来、私はひとりで呑むことが多い。ひとり呑みの良さもあるがたまには集まって呑むのも悪くない。幹事をやってくれた岩佐さんに感謝である。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
大学時代の同級生と会食。13時30分に京橋の明治屋ビル地下のレストラン「モルチェ」に集合。弁護士をやっている雨宮先生以外はリタイヤ組。もっとも元いすゞ自動車の内海君はイタリヤの会社に呼ばれて年に何回かあちらにいっているらしい。元伊勢丹の岡君は親の介護のため、60歳で退職した。あとは元三鷹市社協の吉原君と私の5人。そういえば、1969年の4.28(4月28日のこと)、内海君や近ちゃん(近藤さん)、島崎君らとデモ見物に行って機動隊に襲われたことがある。内海君と近ちゃんは逃げ遅れて逮捕されてしまった。。確か京橋の近くの宝町あたりだった。内海君にそのことを話すと「俺は銀座の真ん中で捕まったの」と譲らない。吞んで食べて喋っていたら3時間ほどはあっという間に過ぎてしまい、店の人に「そろそろ」と言われてしまった。

8月某日
「インフレ・ニッポン-終わりなき物価高時代の到来」(大塚節雄 日本経済新聞出版 2023年4月)を読む。日本は長くデフレだった。しかし長引くコロナ禍で需要も減ったが供給力も減少した。それに昨年2月のロシアのウクライナ侵攻である。原油や小麦が高騰した。通貨としての円も下落し輸入物価の高騰に拍車をかけた。今年3月に日銀総裁を辞めた黒田氏(それと安倍元首相)は2%の物価上昇を公約したが、任期中は実現できなかった。辞めたとたんに実現されるという皮肉な結果となった。著者の大塚は日本経済新聞社の編集委員で2022年4月の日経新聞電子版に「ウクライナ危機で資源高に根ざす輸入インフレは日銀の想定を超えて進んだ。資源を海外に頼る日本にとって輸入インフレは海外への所得流出を意味し、家計の『所得デフレ』や内需型企業の『収益デフレ』に等しい」と書いている。著者は最後に日本経済に幾つかの提言を行っている。私がもろ手をあげて賛成したいのは提言③の「失われた『賃上げメカニズム』の歯車を回せ」である。私の考えでは、毎年3~5%の賃金上昇、それを0.5~1%下回る物価上昇、これがあれば日本経済はうまく回るはず。

8月某日
御徒町駅近くの清瀧上野2号店でデザイナーの土方さん、HCM社の大橋さん、年友企画の石津さんと会食。土方さんから佃煮、石津さんからお煎餅などのお土産をいただく。土方さんとの出会いは10数年前。土方さんが開発した「胃ろう吸引シミュレーター」の販売を巡ってだった。販売を当社が引き受けたのだが、専任の営業を置くことができずに伸び悩んでいた。そんなときにHCM社が販売を引き受けてくれた。土方さんと大橋さんとはそれ以来、仲良くさせてもらっている。こうした呑み会の場合、お互いの近況報告がメインとなるが、年金生活者の私はもっぱら聞き役。土方さんにご馳走になる。

8月某日
「白鶴亮翅」(多和田葉子 朝日新聞出版 2023年5月)を読む。タイトルの白鶴亮翅は「はっかくりょうし」と読み、太極拳のポーズのひとつ。「鶴が右の翼を斜め後ろに広げるように動かして、後ろから襲ってくる敵をはねかえす」ポーズのようだ。物語は現代のベルリンが舞台。夫のドイツ留学についてきたミサとミサを巡るベルリンの友人たちを巡る物語だ。留学を終えて夫は帰国するがミサはベルリンに残る。ミサは隣人のMの誘いで太極拳を習い始める。多和田葉子も確かドイツ在住だから作者のドイツ体験が物語の底流にあるのは確かだ。ドイツでドイツの歴史を体感し、また日本の歴史を想う-それも自然な形で。
なかなか素敵な物語として私は読んだ。

モリちゃんの酒中日記 7月その3

7月某日
床屋さん「カットクラブパパ」へ行く。以前行っていた「髪工房」が突然、閉店したのでこのところ「カットクラブパパ」へ行っている。髪工房の店主は私よりも年上だったが、カットクラブのほうは私よりもだいぶ若い。今回も髪を短めに仕上げてくれる。終ってから床屋近くの食堂「三平」へ。ここは年配のご婦人が数人でやっている昔ながらの食堂。五目チャーハンを食べる。5時30分に我孫子駅北口へ立憲民主党の岡田克也幹事長が演説に来るというので観に行く。30分ほど前に行ったがすでに数十人が集まっていた。圧倒的に高齢男子が多い。政治に背を向ける若い人たち。日本の将来は大丈夫か?岡田幹事長の演説は可もなく不可もなし。

7月某日
「東京史-七つのテーマで巨大都市を読み解く」(源川真希 2023年5月 ちくま新書)を読む。東京は明治維新後に日本の首都となり、関東大震災、東京大空襲を経ながら膨張を続けてきた。無秩序な膨張を繰り返してきたように見えるが、内務省や東京市によってそれなりの規制を受け、都市計画も存在した。にしても東京の魅力とは何であろうか? 西欧的な秩序とアジア的な混沌。この二つの混在か。

7月某日
「我が産声を聞きに」(白石一文 講談社 2021年7月)を読む。「来週の木曜日、空いている?」と夫の良治に言われ、名香子は夫とともに車で中華レストランを訪れる。食事を終えてデザートを食べているとき、夫から切り出されたのは「実は好きな人がいる、彼女と暮らすことにした」という別れ話だった。自宅その他の財産も、退職金の半分も名香子に渡すという。こんなこと突然、配偶者から言われたらショックだろうなぁと思う。名香子もそうだった。しかし名香子はショックを契機に徐々に変わっていく。飼い猫のエピソードが効いている。二番目の飼い猫ミーコは失踪してしまうのだが、ラストでは庭に迷子猫があらわれるシーンだ。子猫が再生のシンボルのようだ。

7月某日
「投身」(白石一文 文藝春秋 2023年5月)を読む。舞台は2022年の東京、品川。主人公の49歳の女性、旭(あきら)は「ハンバーグとナポリタンの店 モトキ」を品川区役所の近くで営業している。コロナ禍で客足は遠のいている上にロシアのウクライナ侵攻で食品の仕入れ値が高騰し、経営は苦しい。しかしモトキの常連でもある大家の二階堂さん(79歳)が家賃を格安に抑えてくれているので何とか赤字は免れている。旭の妹、麗、麗の夫の藤光との交流(実際は旭と藤光の性交を伴う交情)やかつての旭と年下の専門学校生、ゴローとの性交を伴う交流が描かれる。まだ周囲には知られていないが、二階堂さんは認知症を患っている。結局、二階堂さんは東京湾に船を出し、投身自殺をする。私は多摩川で入水自殺した西部邁のことを思い出さずにはいられなかった。西部は認知症ではなかったが、自身の老いが耐えられなかったということでは二階堂さんと共通するところがある。さらに二階堂さんも西部も妻を先に喪っている。そういえば、江藤淳も奥さんが亡くなった後に自殺している。男って弱いんだな。