モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
「山県有朋-明治国家と権力」(小林道彦 中公新書 2023年11月)を読む。山県有朋って2度も首相も務めたし、陸軍大将、元帥、公爵と高位高官を極めた人だけれど、巷間あまり人気がない。小説や映画でも主役の座を担うこともあまりない。西郷隆盛や木戸孝允、勝海舟には及ばずと言えども、伊藤博文や大隈重信ほどの人気もない。まぁお札に肖像が使われたわけでも学校を作ったわけでもないからね。しかし今回、中公新書の小伝を読んでいささかこの人に興味がわいてきた。山県は長州藩の低い家柄の家に生まれながら奇兵隊に志願、戊辰戦争で頭角をあらわす。明治10年の西南戦争では現地司令官を務め、西郷に帰順を進めるも西郷は自決する。山県は徹頭徹尾、軍人だった。それも昭和期の軍人のように時世を嘆いて政治に口出しをするような軍人ではなく、官僚としての軍人の勤めを果たしたと言えるのではないか。本書では次のように述べている。「山県は政党勢力に対してはつねに一定の距離を保ち、官僚制の防衛に尽力した。その結果…彼の周囲には多くの専門官僚や軍人が地縁・血縁の違いを超えて集まるようになる」。山県は和歌をたしなんだそうだ。西郷を追憶して「夢の世とおもひすてにしゆめさめて おきところなきそのおもひかな」と詠んだ。すべては夢の世のことだと思いたいのだが、夢から覚めれば、置き所のない思いだけが残っている-という意味だが、なかなかの詩人である。

1月某日
清末愛沙さん(室蘭工業大学大学院教授・日本平和委員会理事)の講演「戦火のもとで生きる人々への思いを込めて~武力によらない平和・人権を~」を聞きに、浦和の埼玉教育会館へ行く。講演開始は13時30分だが、12時過ぎに浦和に着いた。講演場所の近くでランチをとろうと思ったが埼玉教育会館の場所がわからない。やっと見つけたら13時を過ぎていたのでそのまま会場に入る。聴衆は最終的に30~40人、半分は爺さん、4割は婆さん、要するに9割が爺婆。団塊の世代を中心に反戦を叫ぶことには反対はしないけれど、もう少し若い世代が参加しないとね。講演開始近くなって小学校から高校まで一緒だった山本君が来たので一緒に講演を聴く。
清末さんはリモートで登場。たぶん室蘭工大からの中継だろう。清末さんは「北海道パレスチナ医療奉仕団」のパレスチナの難民キャンプで子ども支援に携わっているという。具体的には絵の具を持参し、絵画教室を開いている。昨年11月にもガザに入る予定だったがイスラエルの侵攻によって不可能になったと話していた。清末さんはパレスチナの根本問題はイスラエルによる植民地支配と断言する。イスラエルの建国イデオロギー、シオニズムが侵略主義的、帝国主義的ということだ。今回のイスラエルの侵攻の直接的な原因となったのがハマスのイスラエル侵攻だが、清末さんはハマスを評価しないと断言していた。ハマスの民間人への攻撃や拉致は戦争犯罪だという。私はイスラエルを非難する一方、ハマスを評価しないとする清末さんに公平さを感じる。講演終了後、浦和から南浦和に出て武蔵野線で新松戸へ。居酒屋で山本君と一杯。講演会で「あなたも平和委員会へ」というチラシを貰った。「わたしも入会をおすすめします」という名前が10人ほど連ねられていたが、その一人に辻忠男(医師)とあった。早大全共闘で1年先輩だった辻さんじゃないかなぁ。政経学部を中退して群馬大学医学部へ進学、内科医になった辻さん。沖縄で辺野古移設反対闘争に参加していると聞いたけれど、埼玉でも活動しているんだ。

1月某日
10時30分から近所でマッサージ。この1年くらい週2回通っている。「凝ってますね」と先生に言われる。寒いからね。山本君に2月の京都を誘われたけれど、2月の京都は底冷えするからね。遠慮しようかな。
「大日本史」(山内昌之・佐藤優 文春新書 2017年12月)を読む。幕末の開港から敗戦、新憲法の施行までを8章に分けて2人が対談している。ポイントは「日本史を軸に世界史を考え、日本史との関連で世界史を理解する」(まえがき―新必修科目「歴史総合」のために)。たとえばペリー来航は通説ではクリミア戦争でロシアと英仏、オスマントルコが戦いを継続していたため日本へ来る余裕がなかったとされる。しかしその背景には英米による海洋航路競争があった。米国の狙いは、全世界に展開する大英帝国の蒸気船ネットワークに対抗することであり、太平洋を越えて中国などアジアの広大な市場にアクセスすることだった。ネックは蒸気船の燃料となる石炭であった。そこで当時の日本に注目したのがペリーで、当時、日本の石炭といえば、三池、筑豊と宇部だった。アジア太平洋戦争の原因のひとつが中国市場を巡る日本帝国主義と英米帝国主義との抗争だと思えば、この指摘にもうなずけるものがある。本書では昭和天皇と軍部との関係に言及している。1941(昭和16)年9月6日の御前会議で昭和天皇は「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらん」と明治天皇の御製を詠み上げ、避戦への思いを明らかにした。2人はおおむね昭和天皇には好意的。それはそれでいいのだが、私は昭和天皇には立憲主義的な側面が多かったにせよ、専制君主的な側面もあったと思う。「あとがき」で佐藤は、佐藤が東京地検に逮捕されととき、テルアビブの学会に山内を含む学者5人を同道したその資金の出所が問題視された。山内を除く4人は検察に迎合的な調書を遺しているが、山内のみがテルアビブの学会には意味があり、佐藤は優れた分析官であるという供述を残していると書いている。山内は70年安保のときに北大の社学同、佐藤はその10年以上後の同志社のノンセクト系赤ヘルだった。さすがですね。

1月某日
11時から近所でマッサージ。15分電気を掛け15分でマッサージ。マッサージの先生(30代男性)が浅草寺に初詣、おみくじを引いたら1回目が吉、2回目が小吉、3回目が凶だったと話をしていた。ふーん、若い人でもおみくじ引くんだ、と思った次第。
「ギケイキ 3 不滅の滅び」(町田康 河出書房新社 2023年11月)を読む。本書はもちろん室町時代後期に完成されたとされる「義経記」を種本とするが、作者の町田康が自由奔放に物語を膨らましている。惹句に曰く「英雄・源義経が自ら語る画期的新訳! 笑いと涙とビートで生まれかわる名作大長編。」「宿敵平家を滅ぼすも、鎌倉殿に疎まれた流浪の主従。弁慶、忠信、静など、忠臣たちの運命やいかに。」ということである。私としては物語の後半、義経の子を懐妊した静が母の磯禅師とともに鎌倉に召喚され、鎌倉殿ために舞を舞う段が面白かった。鎌倉殿が静の舞を所望しているという話を「母親から聞かされた静はなんといったか。『それってセカンドレイプだと思う』と言い、それ以上、一言も発しなかった」。そこから作者の芸能論が展開される。「芸能というものは、そこにいる観客を神佛に擬し、身も心も、全身全霊を捧げ、己をむなしくして無心の真心で演じて初めてなり立つものである。その根底には愛と尊敬がある」「そしてそれを演じる者は此の世の最底辺の暗闇に蠢く賤しい者である。最底辺の賤しい者が一直線に天井に駆け上がるときに生ずる熱と力が人の心に迫るのである」(中略)「つまり、輝けば輝くほど、その身分の卑しさを実感するのである。これはひとつの逆説であるが、芸能人としての頂点を極めた静は普段からこの矛盾に引き裂かれていた」。私は昨年末から週刊誌をにぎわしている芸人・松本人志のスキャンダルを思い浮かべる。松本の行動は、週刊誌の報道を読む限り「芸能」という自らの生業に泥を塗っているとしか思えない。

モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
今年は新年1月1日から地震。夕方、私の住んでいる千葉県我孫子でもかなり強い揺れを感じた。震源地は石川県の能登半島。5日現在で死者は90名を越している。そして2日には羽田空港の滑走路でJALの旅客機が海上保安庁の航空機に衝突、JALのほうは乗員乗客とも無事だったが、海保側は機長を除いて5名が死亡した。海保機は石川方面へ救援に向かうはずだったという。自民党の裏金疑惑は年を越した。来月でロシアのウクライナ侵攻は3年目となる。昨年10月に始まったイスラエルのパレスチナのガザ地区への侵攻は止まる兆しも見えない。私の知るところでは最も暗い新年の幕開けだ。落ちるところまで落ちたほうがいいのかも知れない。日本も世界も。そういえば戦後、ベストセラーとなった坂口安吾の「堕落論」のなかに「…日本もまた墜ちることが必要であり、墜ちる道を堕ちきることによって、自分自身、日本自身を発見し救わなければならない。…」という一節がある。去年は「新しい戦前」、今年は「新しい戦後」なのかもしれない。

1月某日
図書館で借りた「ヒロイン」(桜木紫乃 毎日新聞出版 2023年9月)を読む。表紙カバーに「この本は多くの人の予約が入っています。…」という赤い紙が貼られている。我孫子市民図書館のHPで確認するとなんと52人が予約している。そういうわけで7日に借りた本を1日で読み終わり、8日の午後に返却する。別に急いだわけではない。桜木の物語が面白いのだ。「光の心教団」に入信して5年の岡本浩美は、1995年3月に発生した教団の毒ガス散布事件に巻き込まれ指名手配される。岡本の17年間にわたる逃亡劇を描いたのが本書である。岡本は他人に成りすましながら逃げ続ける。本書を読んで私は「自分が自分である根拠って何だろう」と考える。私が能登の地震や羽田の事故に巻き込まれなかったことには根拠があるのだろうか?テレビで地震で妻や両親、子どもを失った人が「なぜ、私がこんな目に会わなければいけないのか」と泣きじゃくっていた。根拠などないのである。ウクライナやガザで戦火に逃げ惑う人たち、彼らの悲劇にも根拠などない。「ヒロイン」を読んで、私は世界の根拠のない理不尽に思いを馳せた。

1月某日
「帝国の構造-中心・周辺・亜周辺」(柄谷行人 岩波現代文庫 2023年11月)を読む。柄谷理論の特徴は社会の発展を、生産様式ではなく交換様式の変化に求めることにある。すなわち「A 互酬(贈与と返礼)」「B 略取と再分配(服従と保護)」「C 商品交換(貨幣と商品)」「D X」である。DはAの互酬的=相互扶助的な関係を高次元で回復するものとされている。能登半島地震でも容易に見られたようだが、被災地における被災者相互の助け合いなどはDのあらわれであるような気がする。歴史上、存在した帝国と現代の帝国(中国の歴代王朝や、その後身としての中華人民共和国、ロシアのロマノフ王朝とその後を継いだソ連帝国及び現在のプーチン帝国など)を思い浮かべると興味深い。北朝鮮は文字通りの世襲の金王朝が三代続いている。習、プーチン、金は帝国3兄弟だし、ロシア、中国、北朝鮮の同盟関係は戦前の日独伊三国同盟を思い浮かばせる。帝国は柄谷の分類によるとBとCにあらわれる。わたしは柄谷は帝国を侵略主義や帝国主義という意味で使っているわけではないと思う。それはDへの高次元での回復の可能性を見ていると思うのだが…。

1月某日
「帝国とナショナリズム」(山内昌之 岩波現代文庫 2012年2月)を読む。山内によると「帝国という用語には、何らかの中央集権権力の下に異質な民族や地域を統合する政治システムという意味合いがこめられている」(序章)。現代でもロシアや中国、そしてアメリカ合衆国も帝国であろう。ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのパレスチナ侵攻は、柄谷のいう「帝国(中心)による周辺、亜周辺」への侵略であるととらえられる。本書はもともと「帝国と国民」という書名で2004年2月に刊行されている。20年前なんだけれど論旨は全然古くなっていない。現在のパレスチナやウクライナの問題を考える上で非常に参考になると思う。どうでもいいことだが、柄谷も山内も学生運動の経験者なんだよね。柄谷は60年安保のときに東大の駒場でブントの活動家だったし、山内も70年安保のとき北大でブント戦旗派の活動家だった。

1月某日
柄谷も山内も影響を受けたと思われるイタリアの思想家アントニオ・ネグリが昨年暮れに享年90歳で亡くなった。朝日新聞に市田良彦神戸大名誉教授が追悼文を書いている。それによるとネグリは当初、イタリアの極左運動の理論家として出発した。1979年に元首相誘拐暗殺事件の黒幕という嫌疑で逮捕・起訴される。市田によると「彼は時間ができたと言わんばかりに執筆に取りかかる」。83年に獄中から国会議員に立候補し当選する。議員特権により釈放されるが、議会が特権を剝奪したためフランスへ逃亡、大学で教える。97年にイタリアへ帰国、逮捕・収監される。彼が自由になったのは2003年である。2000年、彼はパリ第8大学で彼の学生であったアメリカ人、マイケル・ハートと共著で「〈帝国〉」を刊行する。「2人はグローバル化した政治権力の在り方を〈帝国〉と名指しつつ、その運動に、「国民国家」に回帰するのではなく別のグローバル化を対置すべし、という主張を持ち込んだ」そうである。「別のグローバル化」は柄谷の言う「Dへの高次元の回復」ではなかろうか。なお市田氏は第2次ブントの創業者のひとりで後に川崎で総合病院、川崎幸病院を開設した石井の「聞き書き ブント一代」(世界書院 2010年10月)の聞き手を務めていた。

モリちゃんの酒中日記 12月その3

12月某日
「ウクライナ動乱-ソ連解体から露ウ戦争まで」(松里公孝 ちくま新書 2023年7月)を読む。松里公孝氏は東大大学院法学政治学研究科教授でロシア・ウクライナ関係史の専門家。本書では書名の通りソ連解体から今も継続するウクライナ戦争まで概説する。概説と言っても新書で500ページもあって読み通すのに3日かかってしまった。ウクライナという独立国家が生まれたのはロシア革命以降、ウクライナ・ソヴェト社会主義共和国(RSR)が最初。独立国家と言ってもRSRはソ連を構成する連邦国家の一つだった。日本は島国で第2児世界大戦に敗北してから、その領土は基本的に本州、四国、九州と北海道及び南方諸島と離島に固定化されてきた。日本にも北方領土や尖閣諸島問題があるものの、ウクライナやパレスチナの問題と比べると軍事的な衝突もなくほぼ平穏と言ってよい。ウクライナ(RSR)とソ連のロシア・ソヴェト連邦社会主義共和国との境界線は目まぐるしく変わった。今回のウクライナ動乱においてもクリミア半島やドンバス地区の帰属が争われたが、本書によるとこれらの地区ではもともとロシア語を話す人も多く、親ロシア感情を持つ人も多かったようだ。住民投票の結果、親ロシア国家が誕生したのもうなずけない話ではない。だからといって軍事力による現状変更は認められないが…。
本書を要約するのは難しいので、結論部分を引用しよう。「こんにちのウクライナは、民族解放闘争の結果生まれたのではなく、ソ連の解体の結果生まれた。…しかし、ソ連の自壊の結果、たなぼた式で生まれた広大なウクライナは、先祖伝来ウクライナ語ではない言語で話し、書き、考えて来た住民、ウクライナ民族史観で英雄とされる人物たちに祖先が迫害された住民も抱え込んでしまった」「そうした場合には…民族国家ではなく、市民的な国家を作ることが妥当な戦略であったろう」「残念ながら、独立後30年間のウクライナは、この反対の方向に向かって進んできた」。独立後30年間ということはソ連解体後30年間ということでもあるが、共産主義イデオロギーに支えられた「ソヴェト・ピープル」(中国の中華民族に該当)に代替しうる市民的なリベラリズムが未成熟であったということであろうか。私は露ウ戦争の過程でウクライナでも市民的なリベラリズムが確立しつつあると信じたい。しかしロシア革命、第1次世界大戦以降、目まぐるしく国境線を変えて来たウクライナやパレスチナの現実に、私の想像力は追いつけそうにもない。

12月某日
「福田村事件-関東大震災・知られざる悲劇」(辻野弥生 五月書房 2023年7月)を読む。福田村事件とは、震災発生から5日後の9月6日、利根川と鬼怒川が合流する千葉県東葛郡福田村大字三ツ堀(現在の野田市三ツ堀)で香川県から薬の行商に来ていた一行15名が地元民に襲われ、9人が命を落とした事件である。加害者側の地元民は、讃岐弁を話す一行に対し「お前らの言葉はどうも変だ。朝鮮人ではないか」と、いいがかりをつけ、行商人の鑑札を持っていたにもかかわらず、暴行、殺害に及んだ(はじめに-増補改訂版刊行にあたって)。本書は2013年に崙書房から出版より刊行され、その後版元の廃業により絶版になっていたものを大幅に増補改訂して復刊したもの。関東大震災の直後、多くの朝鮮人や社会主義者、無政府主義者が庶民や警察、憲兵らに虐殺されたことは知られている。大杉栄と内縁の妻、伊藤野枝。大杉の甥が甘粕正彦憲兵大尉に殺された事件は、多くの小説や映画の題材になっている。
福田村事件はこの本を読んで初めてその詳細を知ることができた。さらに本書によって、私の住む我孫子でも3名の朝鮮人が撲殺されていたことを知った。当時の東京日日新聞の記事を要約すると、不逞鮮人暴行の流言蜚語が盛んで、我孫子町では自警団を組織し警戒していたが、3日午後3時頃、根戸消防組員が朝鮮人3名を取り押さえ、八坂神社境内に連行した。群衆は3人をさんざん殴打し負傷させたが、警官の制止で殺すまでには至らなかった。ところが同夜9時頃、2名がすきを見て逃亡、大騒ぎとなり残っていた1名を殺害、さらに4日に逃亡した2名を取り押さえ惨殺した、というものである。犯人は起訴された。八坂神社って我が家から歩いて10分くらいのところにあるのだけれど、あそこでそんな惨劇があったなんて俄かには信じられないが、事実なんだろう。映画「福田村事件」を制作した森達也が特別寄稿を寄せている。そこでの印象的なことば。「映画を撮りながら、自分がもしその場にいたらと何度も想像した。殺される側ではない。殺す側にいる時分だ」「何度でも書く。凶悪で残虐な人たちが善良な人たちを殺すのではない。普通の人が普通の人を殺すのだ。世界はそんな歴史に溢れている」「シオニズムの延長としてホロコーストの被害者遺族たちが建国したイスラエルが、なぜこれほど無慈悲にパレスチナの民を加害し続けるのか」。福田村事件は確実に現在に通じているのだ。

12月某日
13時に元滋慶学園の大谷源一さんと上野駅不忍口で待ち合わせ。今日は昼飲みの約束で店はまだ決めていない。上野駅からアメ横商店街を歩く。年末で人が多い。なんか中国系のお店が増えた感じ。御徒町駅近くの中華料理店、大興へ行く。お客が並んでいたが、10分ほどで店内へ。ここはおいしくて値段がリーズナブルなので人気店なのだ。1時間半ほど中華料理とビールにハイボールで過ごす。東京方面へ向かう大谷さんと御徒町駅で別れ、私は御徒町から山手線1駅の上野へ。上野から常磐線で我孫子へ。駅前のバス停からバスで若松へ。絆というマッサージ店で4時からの予約なのだ。ジャスト4時に絆へ。15分のマッサージと15分の電気をかけてもらう。マッサージの後、近くのウエルシアへ寄る。ウエルシアで38度の壱岐焼酎を購入。家へ帰って一休みの後、17時から7チャンネルの「孤独のグルメ」を見る。

12月某日
今年最後のマッサージを受けに近所の「絆」へ。帰りにウエルシアへ寄ってスコッチ「GRANTS」を購入。昼飯に自分のためにチャーハンを作る。具材は卵、ニンジン、タマネギ、
キムチ、レタス。油を熱し、ニンジン、タマネギを投入、次いで予め溶いた卵とご飯、キムチ、マヨネーズを混ぜ合わせたものを投入、しばらく炒めた後にレタスを投入して1分ほど炒めて完成。キムチが意外に健闘、美味しくいただく。今日が今年最終日となる我孫子市民図書館に行く。リクエストしていた本を2冊受け取る。「永山則夫 小説集成2」と「帝国の構造」(柄谷行人)の2冊である。

12月某日
「満州事変から日中戦争へ-シリーズ日本近代史⑤」(加藤陽子 岩波新書 2007年)を読む。「はじめに」で近衛首相のブレインであった昭和研究会などの知識人の執筆と推定される「戦闘の性質-領土侵略、政治、経済的権益を目標とするものに非ず、日中国交回復を阻害しつつある残存勢力の排除を目的とする一種の討匪戦なり」という文章が紹介されている。プーチンのウクライナ侵攻の理屈「ウクライナのネオナチの排除」とほぼ同じ理屈のように私には思える。日本は維新後、長く欧米列強との不平等条約に苦しんだが、大韓帝国や清国には不平等条約を強要した。私は明治以来、日本が欧米列強に対等となろうと努力してきたことは認める。だが、それは結局、朝鮮半島や中国大陸への侵略、さらにはアジア太平洋戦争へとつながっていったのではなかったか、と思わざるを得ない。著者の加藤陽子先生の思いもそこにあるような気がする。

12月某日
「永山則夫小説集成2 捨て子ごっこ」を読む。永山則夫は1949(昭和24年)6月に北海道網走市呼人番外地に生まれる。父親は家に寄り付かず極貧のうちに育つ。5歳(1954年)の10月に母親が次姉、妹、姪を連れて故郷の青森県北津軽郡板柳町に帰る。本書の「捨て子ごっこ」は網走の母親に捨てられたころのN(主人公をNと表現する。則夫のNであろう)が描かれる。「残雪」は、板柳町の中学3年生、就職を控えたころを描く。「なぜか、海」は東京で就職した渋谷の西村フルーツパーラーでの暮らしが描かれる。Nははじめは同期のなかでも優秀な店員であったが、次第に周囲から浮いてきてしまい、9月に職場の同僚と口論、そのまま出奔する。横浜港から外国船で密出国するまでを描く。「陸の眼」でNは外国船で発見され、香港で取り調べを受け、横浜まで送還される。Nはしばらく長兄のいる栃木県小山市に寄留、板金工場に勤めるがまもなく離職、ヒッチハイクで横浜を目指すまでが描かれる。「異水」ではNは横浜からさらに大阪までヒッチハイクを続け、米屋に勤めることになる。この米屋は作中では南野米穀店となっているが、守口市の駅前にある米福屋米穀店で実在する。米福屋のHPのプロフィールの項に永山則夫と異水のことに触れている。米福屋で永山は熱心に働くが社長に戸籍謄本の提示を求められる。当時、高倉健主演の網走番外地シリーズが人気で永山は番外地出身が露見することを恐れ、離職する。
永山は西村フルーツパーラーでも米福屋でも仕事熱心で同僚や上司に評価される。外国船での密航でも発見されてから中国人のコックに親切にされる。可愛い顔立ちで女性にも持てたことが作中で描かれている。米福屋での永山の写真が巻頭と解題に掲載されている。17歳の屈託のない笑顔である。私は世間が拳銃による連続射殺事件に湧いていた1968年12月、中学と高校が一緒だった川崎君(故人。当時、明大文学部の2年生、私は早大政経学部の1年生)とその友人たちと新宿で呑み、電車が終わっていたのでタクシーを止めた。そのとき運転手が「若者一人なら絶対に乗せなかったよ」と言われたのを覚えている。そして69年の9月、早大第2学生会館の攻防戦で逮捕起訴された私は9月末から12月頃まで当時、池袋にあった東京拘置所に収監されていた。恐らく永山も収監されていたと思う。同じ「臭い飯」を喰った仲である。ただし東京拘置所の食事は貧乏学生にとっては「悪くなかった」。

モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
図書館で借りた「神と黒蟹県」(絲山秋子 文藝春秋 2023年11月)を読む。絲山秋子ってデビューしたころから読んでいるけど、独特なんだよね。1966年生まれだから今年57歳か。本作では独特にさらに磨きがかかったと言える。黒蟹県という架空の県が舞台。ていうか黒蟹県なんて自在するわけがないじゃん。そこに神が出現する。神はいろんな人物になり替わる。神だからできるわけ。しかしこの神は奇跡をおこなうわけでもなく、特定の宗教、宗派を名乗るわけでもない。ストーリーを紹介するのも意味がない気がする。私はでも脱力系の絲山の小説が好みでもある。誤植を発見した。199ページ。
「『釜錦』の仕込み水と水源は一緒だから、あれはいい水だよ」
 釜泉酒造はピーナッツのすぐ裏にある酒蔵である。釜綿は生産量こそ少ないが、名水仕込みの酒として知る人ぞ知る名酒である。
2行目の「釜綿」は「釜錦」の誤植と思われる。初出は文芸雑誌の「文学界」だし、DTP制作として「ローヤル企画」という社名まで出ているのに。

12月某日
「ザ・シット・ジョブ 私労働小説」(ブレイディみかこ 角川書店 2023年10月)を読む。ブレイディみかこの本を最初に読んだのは「女たちのテロル」(岩波書店)だ。ブレイディみかこという人の名前は聞いたことがなかったが、面白そうなので借りた。大正末期の女性テロリスト、金子文子はじめ、イギリスやアイルランドで女性解放や独立を運動に参加した女性たちを描いた作品だった。ブレイディみかこを有名にしたのは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社)だろう。これは本屋さんで買いました。彼女の本を何冊か読むと、彼女の思想傾向がアナキズムに近いことがわかる。本書の「あとがき」でデヴィッド・グレーバーの「ブルシット・ジョブ-クソどうでもいい仕事の理論」(岩波書店)に触れているが、彼もアナキストだ。本書は主人公の「私」が日本とイギリスでさまざまな仕事に就き、いろいろな経験をしたことが綴られている。「あとがき」で、「この本はフィクションである。ノンフィクションではないし、自伝でもない」と書いている。そう書くのは作者の自由であるが、私はこの小説は彼女の体験がもとになっていると思う。第6話「パンとケアと薔薇」で病院で介護の仕事をしていた母親のことが描かれている。母は家へ帰ると病院の看護師や患者、患者の家族のことを口汚く罵っていた。そんな母親のことを私は許せなかった。しかし実は母親は…。あとは読んでのお楽しみ。

12月某日
大学時代の同級生5人が集まって忘年会。会場は丸の内の新東京ビル地下1階、「やんも」丸の内店で12時30分から。常磐線我孫子駅から快速で上野へ、上野から山手線で東京駅へ。東京駅から徒歩5分ほどで新東京ビル。私が5分ほど遅れて会場に着くとみんな揃っていた。会場を予約してくれたのは弁護士の雨宮先生。他に内海、岡、吉原君と私。料理を楽しみながら生ビールと冷酒を各1合。ただし内海君は酒を呑めないのでノンアルコールビール。世間話を1時間半ほどしたところでお開き。私は千代田線二重橋駅から我孫子まで座って帰る。

12月某日
「TERUKO&LUI 照子と瑠衣」(井上荒野 祥伝社 2023年10月)を読む。私には非常に面白かった。家族あるいは夫婦、それと友情と恋愛がテーマかな。照子は45年に及ぶ夫、寿朗との結婚生活を放棄、夫のBMWで親友の瑠衣と出奔する。二人はともに70歳、中学2年と3年のときの同級生だ。ただ本当に仲良くなったのは二人が30歳になったときのクラス会だ。照子を2次会に強引に誘おうとしていた塚本君を瑠衣が突き飛ばしてくれたのがきっかけだ。瑠衣はクラブ歌手で宝くじで当たった50万円を元手に老人マンションに入居するが、二大派閥のどちらにも属しないことから嫌がらせを受けることになる。ふたりとも夫や世間というしがらみに同調できないのだ。ふたりは別荘地まで車を走らせ、1軒の別荘の前で車を止める。照子は別荘のカギを壊して侵入する。不法侵入である。そこで二人は暮らし始め、別荘地の住人との交流が生まれる。瑠衣はカレーと酒の店で歌う仕事を見つけ、照子は以前に習ったトランプ占いを喫茶店の片隅ですることになる。しかしいつまでも不法占拠しているわけにはいかない。クリスマスパーティの夜、二人はまたBMWで旅に出る…。寿朗とか塚本君、別荘地の嫌味な住民などイヤーな人も登場するが、基本は親切な優しい人が照子と瑠衣の周囲の人びとである。それは照子と瑠衣が親切で優しい人でもあるからだが。井上荒野の小説に出てくる食事のシーンっていいんだよな。

12月某日
「新しい戦前-この国の〝いま″を読み解く」(内田樹 白井聡 朝日新聞出版 2023年8月)を読む。内田樹は1950年生まれ、東大文学部仏文科卒、都立大学大学院博士課程中退。神戸女学院大学。白井聡は1977年生まれ、早稲田大学政経学部卒、一橋大学大学院単位修得退学。京都精華大学准教授。二人とも現在の日本の論壇では「左派」に位置する。二人の対談はしたがって私がうなずけるものがほとんどであった。「ウクライナの軍事力はロシアと比べたらかなり弱い。…人口はロシアの3分の1.GDPは10分の1です。ですからロシアに対する『倫理的優位性』がほとんど唯一の強みなのです」「遠からず日本は『途上国によくある独裁制の腐敗国家』に近いものまで堕落する」「日本の政党の掲げるべき唯一の政治的課題は『国家主権の奪還』だと僕は思う。日本は部分主権国家であるという痛苦な自覚がない政治家には日本を次のフェーズに引き上げることはできません」(内田)。「孤立するようなことをあえて言えば、敵もつくりますが、同時に仲間もできる。…孤立を恐れない勇気だけが本当の仲間をもたらす」「しかし、ロシアがドル圏から弾き出されることによって、一挙にオルタナティブな決済システムが発達する可能性が出てきたわけです。今BRICS諸国を中心に、米ドル以外の通貨によって決済を行っていこうとする動きが次々と出ています」(白井)。「新しい戦前」というタイトルは昨年、タモリが「徹子の部屋」で発言したものだ。卓越したタレントの予感を感じさせる。白井が「まえがき」で神宮外苑の再開発に触れているが、これも「新しい全体主義」のあらわれかも知れない。

12月某日
「熊の肉には飴があう」(小泉武夫 ちくま文庫 2023年7月)を読む。カバー袖の著者紹介によると小泉先生は1943年、福島県の造り酒屋に生まれる。東京農大名誉教授。専門は醸造学・発酵学・食文化論とある。そういえば、前に勤めていた会社(年友企画)の近くにあった鯨料理の店「一之谷」は先生の贔屓の店だそうだ。で本書はフィクションなのか事実をもとにしたノンフィクションであるのかよくわからないが、私には面白かった。飛騨の宮寺の集落の一番奥の、「山の裾野に近いところに、古くて大きな家屋を構えた「右官屋権之丞」という奇妙な名前の料理屋がある」。その料理屋がこのストーリーの舞台である。右官とは本書によるとその昔、建築に関わる職の中で木に関わる職を「右官」、土に関わる職を「左官」と区別し、その右官に飛騨の大工集団、飛騨の匠を当てたそうである。右官屋権之丞の主人、藤丸権之丞誠一郎の祖先も飛騨の巧であった。右官の藤丸家がいつまで木工巧で、いつから専業農家になったのかは記録に残っていない。料理屋に転換したのはつい近年で、当代の15代目の権之丞誠一郎である。誠一郎は農業の傍ら、猟銃免許を取得して副業として猟師をしていた。そのうち猟師が本業化していって、さらに誠一郎の猟師料理が評判となっていった。その猟師料理をもとにして開店したのが「右官屋権之丞」である。右官屋権之丞で提供する料理の紹介が本書の主なストーリーなのだが、漬物や行者ニンニク、身欠きニシンを使った料理などには郷愁を覚えた。私の故郷、北海道でも50~60年前にはこれらの食材を使った料理が食卓に出たものだった。まぁ今から考えると貧しい食卓ではあったが、懐かしさは格別である。

モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
北海道の室蘭で小中高が一緒だった山本君と呑むことになったので、中高が一緒だった坂本君も誘うことにする。山本君は家が近所で小学校の5、6年生が同じクラスだった。坂本君は中学校で私と同じブラスバンド部に所属、トランペットを吹いていた。柏駅の中央改札口で待ち合わせ、昼間からやっている居酒屋「かね子」に入る。生ビールで乾杯の後、私は焼酎のお湯割り、坂本君と山本君は焼酎の水割りを呑む。「かね子」は焼トンの美味い店で、3時に入店したときは空席もあったがすぐに満席となった。2時間制で少し超過したが3人とも満足したようだった。柏から山本君は東武野田線で春日部へ、私と坂本君はJR常磐線で私は我孫子、坂本君は天王台へ。私は我孫子で「しちりん」に寄る。

12月某日
図書館で借りた「武家か天皇か-中世の選択」(関幸彦 朝日新聞出版 2023年10月)を読む。歴史を出来事の叙述としてではなく、体制(システム)の相克、協調、闘争として捉えようとしている関の論理の展開には興味を覚えた。しかし私が親しんだ歴史の本とはちょっと感覚が違い、250ページに満たない本ながら読み終わるのに4日もかかってしまった。本書を要約するのは難しい。私が興味を持った論を紹介したい。例えば至尊と至強の分離。12世紀の源平争乱を経て源頼朝は鎌倉に幕府を開くが、これにより天皇(至尊)と至強としての幕府権力が分離される。摂関政治が台頭するまでの古代国家においては大王が軍事力と政治権力を独占していた。9世紀以前の天皇名は文武、天武、聖武など「武」や「文」の漢語が共有され、そこには帝王たる治世への形容句が内包されていた。しかし10世紀の東アジア史の転換(大唐帝国の滅亡)を契機に、日本は律令国家体制から王朝国家に移行し、それに伴って天皇の呼称も変化する。宇多・醍醐・村上と続く京都の地名や御所名を冠する天皇の登場である。

12月某日
図書館で借りた「我が産声を聞きに」(白石一文 講談社 2021年7月)を読む。表紙の猫の写真を見て「見たことあるなぁ」と思ったが、読み始めてこの本は読んだことがあると感じた。2021年の発行だから2年前、そんな直近に読んだ本でも忘れてしまうのだ、と自分の耄碌ぶりに驚く。しかし考えてみれば同じ本を2度読むということは悪いことではない。本書でも前回読んだときは感じられなかったことを発見することができた。東京の理工系大学の大学院卒のエリート技術者と結婚した関西の外語大学出身の名香子が主人公。名香子は突然、夫に好きな人ができたので別れて欲しいと言われ、夫は好きな人の住む北千住へと行ってしまう。前回、読んだときには気付かなかったが、作者は完全に名香子の味方。夫との別離をきっかけにして名香子は敢然として自立の道を選ぶ。自立を決意したとき、庭に数年前いなくなったミーコと似た猫が姿を現す。猫は夫からの自立の象徴とも読める。

12月某日
「満洲事変はなぜ起きたのか」(筒井清忠 中央公論新社 2015年8月)を読む。去年、タレントのタモリが「来年は新しい戦前が始まる」と言って一部で注目を集めた。ロシアのウクライナ侵攻は昨年の2月だから「新しい戦前」は昨年から始まっていたのかもしれないし、ロシアのクリミア半島併合は2014年3月だから、そこから「新しい戦前」が始まったともいえる。私はロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのパレスチナ・ガザ地区侵攻が、戦前の日本の満洲国建国やその後の中国大陸への全面的な戦闘拡大と二重写しに感じられる。日清日露戦争に勝利した軍部、とくに陸軍は次の狙いを中国大陸に定める。日露戦争後、満洲に留まったまま軍政を継続しようとする軍部の児玉源太郎参謀総長に伊藤博文韓国統監は「満洲は決して我国の属地ではない。純然たる清国の領土である」と発言したことが紹介されている。筒井は「伊藤は見事なリーダーシップを発揮したのである。また、この時、文官による陸軍のコントロールが実行されたといえなくもないであろう」と評価している。日本はパリ講和条約でも人種平等案を提起している。米国内の差別問題とイギリスの反対とにウイルソンが抗しえず、削除されたが。ワシントン会議でも日本はおおむね国際協調路線だった。むしろ米国では排日移民法が可決されるなど排外主義的傾向が強まっていた。大正デモクラシーという風潮もあってか、この頃の日本は比較的リベラルであった。
日本が侵略色を強くしていくのは昭和に入ってからであろう。張作霖爆殺事件や満州事変のきっかけとなった柳条湖事件など陸軍の謀略と、それに乗じた新聞報道などによって戦争気運は高まっていく。そういえば朝の連続テレビ小説「ブギウギ」でも戦時色が色濃くなって主人公の弟が戦死し、真珠湾奇襲攻撃の成功に街は沸き立っていた。本書でも、張作霖爆殺事件や満州事変などの謀略事件が「日本軍の手によって行われたことがすぐに中国と世界に判明し決定的に信用を落としたのである」と綴られている。後に外務大臣となった重光葵は次のように言っている。「大正期の日本は世界の五大国、三大国の一つまでいわれるようになり…人類文化に対する責任は極めて重かった。…『責任を充分に自覚し、常に自己反省を怠ることなく、努力を続けることによってのみ』この責任は果たされるはずであった」
「然るに、日本は国家も国民も成金風の吹くに委せて…内容実力はこれに伴わなかった…日本は、個人も国家も、謙譲なる態度と努力とによってのみ大成するものである、という極めて見易き道理を忘却してしまった」。この時期は普通選挙制度の実現など平等主義的政治要求が一般化した時代でもある。「参政権の獲得により日本の権益の侵害は国民一人一人の利益への侵害と受け止められるように」なり、「それへの被害者意識と報復を求める感情は巨大な、ある場合には統御できないものともなるのである」という著者の認識は、やがて来るファシズムの時代を予感させる。

12月某日
フィスメックの小出社長と社会保険出版社の高本社長と会食の予定。17時30分に小出社長を訪問することになっている。少し早く着いたので1階ロビーで本を読んでいると社会保険研究所の鈴木前社長が通りかかり、しばし雑談。17時20分にフィスメックに向かうと年友企画の岩佐さんに遭遇。小出社長と神田小川町の「蕎麦といろり焼 創」に向かう。ほどなく高本社長が来たので生ビールで乾杯。あとは日本酒の銘酒を楽しむ。この店は料理が美味しいうえに銘酒を揃えているのが嬉しい。2時間ほどで会食を修了。すっかりご馳走になる。高本社長に千代田線の新御茶ノ水駅の改札まで送って貰う。地下鉄に乗ったら若い男性に席を譲られる。後期高齢者で身体障害者なのでありがたく座らせて貰う。

12月某日
「ウクライナ戦争をどう終わらせるか-『和平調停』の限界と可能性」(東大作 岩波新書 2023年2月)を読む。2022年2月24日にロシアのウクライナ侵攻は始まった。本書はその1年後に出版されている。来年の2月には戦争開始から2年が経過することになるが、戦争は終わりそうもない。アメリカがベトナム戦争に敗北したように、またフランスがアルジェリアから撤退したようにロシアもウクライナから撤退せざるを得なくなるのではなかろうか、というのが私の希望的観測である。著者はそのためにはロシアへの経済制裁の継続、EUや米国そして日本のウクライナへの支援が必要とする。本書では日本の2つのNGOが紹介されている。「ピースウィンズ・ジャパン」と「難民を助ける会」である。しかしガザの難民にも支援が必要だしね。政治資金パーティーのキックバックを受けた安倍派の国会議員は率先してカンパすべきであろう。

モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
「ロシア・ウクライナ戦争-歴史・民族・政治から考える」(塩川伸明編 東京堂出版 2023年10月)を読む。ロシアのウクライナ侵攻が始まってから私は少しウクライナに関心を持ち始めた。例えばウクライナ語はロシア語とは似ているが違う言語だということ。ただアメリカやイギリス、フランスやロシアの歴史に比べるとウクライナについては殆ど無知と言ってよい。それでまぁ我孫子市民図書館で本書を借りたわけです。第2章「ルーシの歴史とウクライナ」で松里公孝東大大学院教授が書いていることが参考になった。それによると、現在のウクライナ地域は①9~12世紀は世俗国家としてはキエフ・ルーシに統合②13~17世紀、モンゴルによりキエフ・ルーシは滅亡、ルーシは東西に分裂③17~18世紀、ロシア帝国が東西ルーシを再統一④19世紀~ロシア革命まで、正教とカトリックの闘争が西部諸県の「ポーランド人問題」として内政化して継続。ロシア革命によりウクライナ、ロシア、ベラルーシが生まれた。ウクライナはソ連(ソヴェト社会主義共和国連邦)を構成する社会主義共和国となった。それでソ連の解体によりウクライナは名実ともに独立国になったということである。中・東欧史ってややこしんだよね。とくにウクライナは。
第4章「歴史をめぐる相克-ロシア・ウクライナ戦争の一断面」で浜由樹子静岡県立大準教授が「ウクライナは、異なる来歴を持ついくつもの地域から成り立っており、民族構成、使用される言語、宗教分布も地域によって少しずつ違う」と書いている。大雑把に言うと西の方が親西欧でウクライナ語が優勢で東部地区が親ロシアでロシア語を話す人が多いらしい。そしてクリミア州はもともとソ連のロシア共和国に属していたが、フルシチョフによってウクライナ共和国に移管された。2022年のロシアのウクライナ侵攻に先駆けて2014年にクリミア州が住民投票の結果、ロシア連邦に編入されたが、ロシアの軍事力を背景にした編入と思っていたが、そうとばかりは言えないらしい。2022年10月には東南部4州が住民投票の結果を受けてロシアに併合されたが、これも同様だ。しかしである、ロシアのウクライナ侵攻は紛れもなく「力による現状変更」である。イスラエルのガザ侵攻が認められないのと同様にロシアのウクライナ侵攻も認めるわけにはいかないのである。私としては。

11月某日
「柄谷行人・中上健次 全対話」(講談社文芸文庫 2011年4月)を読む。柄谷行人は1941(昭和16)年兵庫県生まれの思想家。近著に「力と交換様式」。中上健次は1946(昭和21)年和歌山県生まれ。新宮高校卒業後、新宿でフーテン生活を送りつつ小説家を目指す。76年に「岬」で第74回芥川賞受賞。「枯木灘」「19歳の地図」「蛇淫」などを執筆、92年にガンで逝去。私の友人で5年ほど前に亡くなった竹下隆夫さんが中上と親しくて、確か和歌山の新宮で執り行われた中上の葬儀にも出たように思う。竹下さんは当時、年金住宅福祉協会に勤務していたが、もともとは文芸図書の出版社だった冬樹社で編集長をしていたから中上とはその頃からの付き合いだったのだろう。解説(高澤秀次)によると、柄谷と中上の出会いは1968年、当時東京新宿・紀伊國屋ビルの5階にあった「三田文学」の編集室であった。68年と言えば前年の67年の10.8羽田闘争で火が付いた学生運動が68年に入って東大、日大闘争が始まり10月21日の国際反戦デーでは新宿駅中心に大規模な騒乱状態を出現させた年である。本書によると中上はフーテン時代に早稲田の法学部の地下にあった社学同のサークルの部室に顔を出していて荒岱介(後の共産同戦旗派の創始者)などと親しかったそうだ。それはともかく「本当は、交通があるという状態が都市なんで(中略)世界史を見ても結局、活溌な交通や異種交配があるところだけ“進化”している」(柄谷)、「フリー・ジャズなんて(中略)音がつくりあげるコード、すなわち法制度から、なるべく遠くへ行こうと思うわけでしょう」(中上)という発言などは今でも新しいと思う。

11月某日
11月25日は私の75歳の誕生日である。吉本隆明と同じ誕生日というか1970年に三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺した日でもある。そして8年ほど前に私の母が92歳で亡くなった日だ。ということで西荻窪に住む兄から、北海道に住む弟が出てくるので食事をしようというメールがあった。待ち合わせ場所は新宿野村ビル。久しぶりの新宿なので迷ってしまい5分ほど遅刻。予約してあった土佐料理の「ねぼけ」へむかう。夜景がきれいだった。私以外は奥さんと一緒だった。新宿駅で彼らと別れ私は山手線で日暮里へ。日暮里から常磐線で我孫子へ。

11月某日
作家の伊集院静が亡くなる。73歳だった。私は伊集院静の愛読者とは言えないが、現代作家のなかでは割と読んだ方である。本日(11月29日)の朝日新聞朝刊に桜木紫乃が追悼文を寄せていた。桜木は伊集院のことを無頼と呼んで次のように書く。「無頼はときどき、誰にも告げずにふらりと博打の旅に出るらしい。今度はいったいどんな賭場を見つけ、どんな楽しい博打を打っているのか」。伊集院は確かに無頼であった。無頼はしかし「頼り無い」状態でもあるのだ。在日朝鮮人の家に生まれ高校球児として活躍し、立教大学野球部に入部するも身体を壊して退部。広告代理店のプロデューサーとして当時、人気絶頂の夏目雅子と出会い結婚するが、夏目は病死してしまう。その後、篠ひろ子と結婚する。華やかな人生とも言えるが、挫折と出会いと別れの人生でもあった。

11月某日
「くまちゃん」(角田光代 新潮文庫 平成23年10月)を読む。「あとがき」で「この小説に書いた男女は、だいたい20代の前半から30代半ばである。1990年代から2000年を過ぎるくらいの時間のなかで、恋をし、ふられ、年齢を重ねていく。そう、この小説では全員がふられている」として、次いで「私はふられ小説を書きたかったのだ」と続ける。7編の短編小説がおさめられているが確かに全編「ふられ小説」である。ところで私はふられた経験がない。本当はふられたのにそれに気付かなかったのかもしれないが、自覚がない。北海道で高校までを送り、東京で一浪し大学に入学した。同級生と恋愛し卒業してすぐ結婚した。つまり女性に持てたから振られたことがないのではなく、真剣な恋愛は今の奥さんとの一度切りという貧しくも幸運な恋愛経験の結果である。

11月某日
図書館で借りた「1937年の日本人-なぜ日本は戦争への坂道を歩んでいったのか」(山崎雅弘 朝日新聞出版 2018年4月)を読む。私はかねがねロシアのウクライナ侵攻が戦前の日本の中国大陸への侵攻と重ね合わせて見てきたもので、山崎雅弘という人の書いた本は初めて読むが借りることにした。山崎は大学で教える歴史学者ではない。巻末の略歴では戦史・紛争史研究家となっている。岩波新書の「独ソ戦」を書いた大木毅の存在と近いのかも知れない。「独ソ戦」も面白かったが本書も面白かった。山崎の着目点が良い。山崎は「はじめに」で、ある日を境に「日本人の生活や価値観が」昨日までの「平和の時代」から一転して「戦争の時代」へ激変するような「分岐点」は見当たらないとしている。そうかも知れない。ロシアのウクライナ侵攻にも中世から帝政時代、ソ連時代とその解体といった長い歴史があるし、イスラエルのガザ侵攻には第1次世界大戦時のイギリスの戦略の問題(枢軸国側だったオスマントルコに対抗するためにアラブ勢力には戦後の独立を約束し、ユダヤ人にはユダヤ国家の建設を約束した)、つまりイギリスの二枚舌、三枚舌外交戦略の問題がある。まぁ2000年前にはローマの属国だったとはいえ、ユダヤ国家は存在した。
1937年前後の日本の状況は、既成政党は国民の信用を失っており、軍拡による急激な物価上昇が国民生活を直撃していた。ここらへんは岸田政権下の現代日本を想起させる。7月7日の盧溝橋事件をきっかけに始まった支那事変は当初は政府も軍も不拡大方針だったが、世論やそれを煽った新聞の論調に引きずられ、まず陸軍が戦線の拡大と軍事費の増額を唱え、政府もそれに追随した。ただし衆議院では軍に対して批判的な議員が粛軍演説をしたり、一部の雑誌(中央公論や改造)では軍に批判的な論文も掲載された。ジャーナリストの伊藤正徳は大局的な見地で他国との紛糾を捉えるならば、相互の譲歩や多少の屈服を日本が敢えてすることも、決して日本にマイナスではないと文藝春秋で指摘している。1937年の年末、日本軍は首都南京に迫りつつまった。新聞(大阪朝日)は「南京包囲の態勢成る」「いよいよ迫る首都最後の日」と報じる一方で、大丸、高島屋、三越などの百貨店の全面広告や半面広告を掲載している。つまり、山崎が「はじめに」で書いたように平時から戦時への分岐点が明確にあるわけではなく戦争と平和が併存しつつ、グラデーションのように戦時色が強くなり、やがては戦時一色となるのだ。現代の日本では岸田政権はウクライナ戦争による物価高騰に対応して減税を約束する一方で、自衛隊の装備の現代化に向けて増税の検討に入っているという。いつか来た道をたどることがないように祈るのみである。

モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
図書館に行くついでにバス停(アビスタ前)に寄って時刻表を見たら、天王台経由湖北台行きのバスが2分ほど来るではないか。バス停で待っていると2分ほどでバスが来た。10分ほどでJR天王台駅前に着く。天王台から我孫子へJRで行くことも考えたが、自宅のある若松まで歩いて戻ることにした。天王台駅から歩いて10数分で手賀沼のほとりに着いたがそれからが長かった。それから40分以上、天王台駅から1時間でやっと「水の館」に着く。「水の館」1階のアビコン(我孫子の農産物直売所)によると、3時を過ぎたらサンドイッチ類が半額になるという。サンドイッチと野菜ジュースを買って、手賀沼ほとりのベンチに座って食する。我孫子高校前のバス停で万歩計を見ると1万3千歩を超えていた。満足してバスを待ち、アビスタ前で下車。

11月某日
図書館で借りた「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」(ナンシー・フレイザー ちくま新書 2023年8月)を読む。著者のナンシー・フレイザーは1947年生まれのアメリカの政治学者である。日本で言えば団塊の世代である。私は1948年生まれだから同じ世代である。私たちが20歳前後の1968年は若者たちの「反乱の季節」だった。フランスの5月革命、アメリカのベトナム反戦運動、日本でも前年の佐藤首相のベトナム訪問に反対する羽田闘争をきっかけにベトナム反戦運動が盛り上がり、同時に東大、日大闘争をはじめとする学園闘争が全国に拡大した。まぁナンシー・フレイザーが反戦運動や学園闘争に参加したかは知らないけれど、私は勝手に親近感を持ってしまった。本書を読了後、その親近感はさらに高まった。フレイザーの思想の源はマルクスの思想である。現代社会の矛盾の解明の武器として資本論をはじめとしたマルクスの思想に依拠している。本書に沿ってフレイザーの思想を簡単に紹介しよう。
フレイザーは現代を金融資本主義体制と位置づけ、それは「18世紀の重商資本主義体制、19世紀のリベラルな植民地資本主義体制、20世紀中頃の国家管理型資本主義体制」の後継の体制となる。19世紀は帝国主義、20世紀中頃は国家独占資本主義と言い換えてもよいだろう。ジェンダーの観点から見ると国家管理型資本主義体制までは、男が外で労働し女は家庭で家事労働という形態が普通であった。1980年代に入ると「グローバル化と新自由主義のこの体制(金融資本主義)は、国家と企業に社会福祉を削減するように促すとともに、大量の女性労働者を有償労働に勧誘した」。日本で言うと2000年の介護保険制度の成立がこれに当たる。それまでの高齢者介護は主として措置制度によって税金で賄われていたが、介護保険制度により税金と保険料と利用者負担によって賄われるようになった。介護労働は主として女性によって担われている。介護労働に限らず今の日本社会はほぼ「共働きモデル」である。
フレイザーは「資本主義経済の存立を可能にする四つの非経済的条件を明らかにした」。第一の非経済的条件は、「被征服民、特に人種差別される人々から収奪した膨大な富だ。とりわけ土地、自然資源、従属する人々の無償もしくは低賃金の労働」だ。日本では明治政府による蝦夷地のアイヌからの収奪に始まり、台湾や朝鮮、南樺太さらにアジア太平洋戦争による東南アジアからの収奪がこれに当たる。戦後、日本資本主義は東アジア各国に進出したが、そこに収奪はなかったのであろうか? 第二の非経済的条件とは「社会的再生産に費やされる無償もしくは低賃金の膨大な量の労働だ」。つまりケア労働のことだがフレイザーは「資本はケア労働の価値をまったくと言っていいほど認めず、補充にも無関心で、支払いを極力、回避しようとする」と言っているのだが日本の介護労働の現実を見ると、肯かざるを得ない。第三の非経済的条件は、「自然から収奪する無料ないし安価な投入物だ」。原材料、エネルギー、食料、耕作地、空気、飲料水、大気の炭素収容能力といった自然の一般的な必要条件などである。第四の非経済的条件とは「法的秩序、反乱を鎮圧する力、インフラ、マネーサプライ、資本主義システムの危機に対応するメカニズム」などを含む公共財である。私たちは今、現在存在するものを無批判に受け入れがちだ。ロシアのウクライナ侵攻もイスラエルのガザ侵攻も、現在は許しがたいものとして批判しているが、時間がたつと受け入れてしまうかもしれない。現にロシアのクリミア半島の併合には国際世論は容認したし、そもそもパレスチナ人民を排除したイスラエルの建国も国際世論は容認したのである。

11月某日
「マルクス-生を呑み込む資本主義」(白井聡 講談社現代文庫 2023年2月)を読む。マルクスの思想が注目されているように思う。マルクス(1818~1883)は200年以上前に生まれた思想家だが、その思想は現在も生き続けている-という視点から書かれたのが本書だ。「おわりに」を入れて126ページの薄い新書だが、内容は濃かった。私はこの本を読んで「文明の発達、社会の進化とは何だろう?」と思わざるを得なかった。とくに産業革命以降の蒸気機関や自動車の発明、電気やガスの普及は、確かに人類に大いなる利便性と快適性を提供した。しかし一方でこれらは地球温暖化や廃棄物の増大をもたらして地球の持続可能性を脅かしている。このところ市街地へのクマの出没がニュースになっている。直接的には食料にしていたドングリが不作で市街地に出て来たらしいが、もともとこの大地は野生生物のものだった。後発の人類が水辺や森林の傍らで細々と狩猟や採取をやっていたに過ぎない。産業革命以降、人口は増大する一方で工業化が進んだ。白井によると「労働の仕方、労働における指揮や命令、人間にとっての働くことの在り方全般が、資本主義のもとでつくり変えられ、その結果、人間がその生産物によって支配されるようになる」ということだ。宝塚歌劇団でのいじめパワハラが問題になっているが、これも「労働における指揮や命令、人間にとっての働くことの在り方全般が」問われていると思う。

11月某日
「橋」(橋本治 文藝春秋 2010年1月)を読む。雅美とちひろという名の女の子がいた。ふたりは長じて結婚する。ちひろは夫殺しで捕まり、雅美は娘を川で失う。後に雅美は娘を
意図的に川に突き落とした疑いで逮捕される。時代は1980年代から90年代、バブルとその崩壊の時代だ。橋本治は東大時代、5月祭のポスター「とめてくれるなおっかさん、背なの銀杏が泣いている」で一躍有名になった。当時から時代感覚に優れていた。「橋」の主人公も実は時代なのだろう。雅美の事件にはモデルがあると思う。同じ事件をモデルにしたのが吉田修一の「さよなら渓谷」である(あくまでも推測です)。

11月某日
「江利川さんを囲む会(仮称)」を18時から東京・神田の「跳人(大手町店)」で。早く着き過ぎたので会場で待っていると18時近くから続々と集まってくる。本日の参加者は敬称略で元厚労省が江利川、川邉、吉武、足利、岩野の5名、その他が大谷、森田、高本(夫)、高本(妻)、佐藤、岩佐の6名の11名だった。社会保険旬報の手塚さんは参加予定だったが、仙台出張のため参加できなくなった。手塚さんは参加を楽しみにしていたので来年2月頃にまた会を招集しようと思う。

モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
「『山上徹也』とはなにものだったのか」(鈴木エイト 講談社+α新書 2023年7月)を読む。鈴木エイト氏は安倍元首相の銃撃事件以降、連日テレビに出演して旧統一教会とその被害について論評していた人だ。山上徹也は安倍元首相を銃撃、殺害した犯人、当日、現場で現行犯逮捕され殺人その他で起訴され、現在は拘置所で公判を待つ身だ。私は本書を読んで安倍元首相が巷で言われている以上に旧統一教会とつながりがあったことを知った。元首相の祖父である岸信介以来の関係である。元首相が宗教的に旧統一教会に近づいたというより、政治家として支持(票、労働力、金銭等)が欲しかったのだろう。銃撃後、自民党保守派はまさに「手のひらを返したように」旧統一教会との断絶を宣言している。まぁそんんなもんでしょう。鈴木エイト氏は事件前からカルト集団としての旧統一教会に注目、取材をしていた。事件後、マスコミへの露出も多くなってきた。でも彼のジャーナリストとしての自覚と自負は見上げたものである。山上徹也に対しても「罪を憎んで人を憎まぬ」姿勢は一貫している。

11月某日
「恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ」(川上弘美 講談社 2023年8月)を読む。文芸誌「群像」に2020年1月号から2023年5月号まで不定期で連作されたもの。著者、川上の分身と思われる小説家の日常が描かれる。単行本の帯によると「小説家のわたし、離婚と手術を経たアン、そして作詞家のカズ/カリフォルニアのアパートメントで子ども時代を過ごした友人たちは半世紀ほど後の東京で再会した」ということになる。川上は1958年生まれ、私の10歳下である。ということは今年65歳、昔で言えば立派な老人、確か夏目漱石は49歳で死んでいる。「2020年の暮れまでは落ち着いていたコロナの感染者数が、再び増えはじめていた」「2021年の5月末、91歳になったばかりの父がころんだという電話がきて、実家に急いだ」…。小説家の日常、それもコロナ禍の日常である。丁寧に描いているのか、雑に大雑把に描いているのか…。でもこれは確かに文学と言えると思う。

11月某日
「シェニール織とか、黄肉のメロンとか」(江國香織 角川春樹事務所 2023年9月)を読む。学生時代仲が良く周囲から「三人娘」と呼ばれていた三人の女性とその周辺の人たちの日常を描く。林真理子の小説ならば恋愛が、桐生夏生ならば事件が描かれるが、江國の今回の小説には恋愛も事件も登場しない。英国帰りの理枝の恋バナは登場するが、それも軽くである。三人の年齢は57,8歳。小説家となった民子は母と同居、専業主婦の早希は夫と息子2人と同居、独身の理枝は英国から帰国当初は民江の家に居候し、その後湘南に家を買う。これら3人はブルジョア階級とは言えないが中産階級であることは疑いない。「失われた30年間」にその存在が随分と希薄になった中産階級である。競艇場の場面が何回か登場するが、ウイキペディアで検索すると江國は競艇が趣味であるという。そこらへんは中産階級的ではない。

11月某日
社保研ティラーレの吉高さんから「忘れていませんよね。明日はフォーラムですよ。会場でお待ちしていますから」とメールが届く。フォーラムとは「地方から考える社会保障フォーラム」のこと。私も高齢になったし(今月、75歳の後期高齢者となる)、フォーラムへの出席も控えようと思っていたが、折角のお声がけなので出席することにする。ただこの日は11時に所用があり、午後からの出席となった。会場に着くと元防府市の高齢福祉課主幹の中村一朗氏の「リエイブルメント・サービスで地域を活性化する政策の推進を!」がすでに始まっていた。高齢者の活用で地域を活性化するという話だった。次いで厚労省の福祉人材確保対策室長の吉田昌司氏が「地域共生社会とそれを支える人材」という演題で講演を行った。後期高齢者となる私にとってはいずれも非常に参考になる話であった。会場は地下2階で地下道と直結、5分ほどで千代田線大手町駅。我孫子行きに乗車、終点まで座ることができた。我孫子駅で下車、駅前の「七輪」で軽く一杯。

11月某日
「増補 昭和天皇の戦争-『昭和天皇実録』に残されたこと・消されたこと」(山田朗 岩波現代文庫 2023年9月)を読む。私がテレビの画像などで昭和天皇の姿を見るようになったのは1958年か59年頃だと思う。その頃、我が家にもテレビが導入されたからだ。その当時の昭和天皇のイメージは猫背でチョビ髭を蓄えた丸い眼鏡の温和な老人だ。植物学者の一面も紹介されていたから平和を好む人なんだろうなーというイメージだ。しかし明治憲法では、大日本帝国は天皇が統治するとされているし、同時に天皇は大元帥として陸海軍のトップでもあった。「昭和天皇実録」とは、昭和天皇の公式伝記で宮内庁編纂の全60巻で14年3月からは東京書籍㈱から全19巻に再構成されて出版されている。本書は「実録」以外にも「高松宮日記」「木戸幸一日記」「大本営機密日誌」「杉山メモ」などの日記、メモ類その他膨大な資料に当たって確認した昭和天皇の「行動と思想」である。簡単にまとめてしまうと昭和天皇は極端な侵略主義者でも平和主義者でもなかった。アジア太平洋戦争の開戦時は積極的な開戦論はとらなかったが緒戦の陸海軍の勝利を見て、満足感を感じる。日本軍が敗勢に転ずると戦争指導部に失望し、苦言を呈するも激励もする。「解説」(古川隆久)によると、昭和天皇は「12歳で皇太子になってまもなく陸海軍少尉に任官し、以後陸海軍の軍人を教師役として軍事に関する学習を継続していく。昭和天皇は軍事には素人どころか、最高水準の軍事教育を受けていた…」そうである。軍事指導者としての昭和天皇を描いた本書を読むと、昭和天皇には「戦争責任あり」と思わざるを得ない。

11月某日
「戦争論」(高原到 講談社 2023年8月)を読む。文芸雑誌「群像」の今年1,3,5月号に掲載されたもの。今年10月に勃発したイスラエルとパレスチナの紛争については触れられていないが、それにしてもロシアのウクライナ侵攻、ミャンマーでの軍事政権による民主派の弾圧、北朝鮮の核の脅威など戦争、地域紛争の脅威が世界を覆う現在、本書の論稿には非常に参考となるものが多かった。「第1章2つの戦争のはざまで『同志少女よ、敵を撃て』とウクライナ戦争」では、中国やロシアといった権威主義国家の帝国的な拡大志向が21世紀の国際情勢にあって、「その危険な現状を『否認』したいという欲望が」「フィクションの戦争を代償的に享楽しつつリアルな戦争から眼をそむけるという倒錯を私たちに強いてきたのだろうか?」と問いかけつつ、さらに「ウクライナ戦争はそうした『否認』がもはや維持しえないことを私たちに突きつけているのだろうか?」と続ける。著者は独ソ戦にウクライナ戦争と同じ構造を見ている。「ロシアという特殊性を普遍性に位置づけるプーチンのファシズムと、外敵の侵略から自国の自由と独立を守るため、全国民に徹底抗戦を呼びかけるゼレンスキーのナショナリズムという構図だ」。ファシスト=ナチスドイツから祖国を防衛したソ連=ロシアが今やファシストとして隣国を侵攻しているという皮肉。
「第2章『半人間』たちの復讐 巨人たちは屍の街を進撃するか?」では、第2次世界大戦で米国から2発の原爆を投下された日本人に対して「では日本人は、自らを〈人間の顔をした猿〉と決めつけて絶滅兵器を放った敵に、どのような復讐を誓ったのか?〉と問う。著者は「進撃の巨人」や「鬼滅の刃」、さらに大田洋子や林京子の原爆文学、「はだしのゲン」「夕凪の街」などの原爆漫画を「人間であって人間でないという矛盾を強いられ、社会から追放され迫害される『半人間』たちの復讐を、対照的なかたちで描きだした」と評価する。つまりこれらの作品は、絶滅兵器を放った敵に例外的に復讐を果たしているのだ。著者は「三発目の原爆を落とされても憎悪や復讐心をもちえない国」として日本を半国家と呼ぶ。私はここで「?」と思う。では、著者は日本を自立した帝国主義国家にしたいのだろうか?
答えは「第3章 復讐戦のかなたへ 安倍元首相銃殺事件と戦後日本の陥穽」にある。ここで著者は安倍の出自をたどる。祖父の岸を「大日本帝国と戦後の連続性をグロテスクなかたちで体現したモンスター」と表現しA級戦犯として巣鴨プリズンに収容されていた岸は、東条らが処刑された翌日に釈放され政界に復帰し、60年安保改定を首相として実現する。岸から安倍は「官僚的な権威主義、アメリカへの従属、戦争責任の忘却、そして『卑劣』さ」のすべてを相続した。しかし安倍が相続した反共イデオロギーには旧統一教会という汚点がこびりついていた。そして米国は戦時に昭和天皇がふるった政治的、軍事的イニシアティブに眼をつぶり、東条英機らA級戦犯をスケープゴートにまつりあげた。さらに大東亜戦争を太平洋戦争と読み替えるなかでアジアの人びとの対日抵抗戦争も消去された。これらの歴史認識をもとにして著者は新たな「平和論」を構築しようとしている。私は高原到という思想家を知らなかったけれど、本書を読む限りではしっかりとしたまともな思想家である。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
「雫の街 家裁調査官・庵原かのん」(乃南アサ 新潮社 2023年6月)を読む。「小説新潮」の2021年7月号~22年1月号に掲載されてもの。新型コロナウイルスの流行と重なる時期で小説中にも新型コロナの話題が出てくる。家裁調査官シリーズは確か2作目。前作では庵原は北九州の家裁調査官で恋人の上野動物園飼育員の栗林とは遠距離恋愛だったが、庵原の川崎中央支部への転勤を機に結婚する。家裁の扱う事件は地味である。少年事件でも新聞をにぎわすような事件は地裁へ回される。しかし地味だからこそ深い人間関係が潜む事件もあるのだ。そこを描くのはさすがに乃南アサである。私は個人的には最終作の「はなむけ」が一番気に入っている。末期がんで水商売を細々と営む母親が、少年院に収容されている娘と息子に家を売却して現金を遺すという話。表面的なストーリーはその通りなのだが子を想う母親の情愛がひしひしと伝わってくるのさ。

10月某日
「ひとびとの精神史 第1巻 1940年代」(栗原彬・吉見俊哉編 岩波書店 2015年7月)を読む。先週第6巻の「日本列島改造 1970年代」を読んで面白かったので我孫子市民図書館で第1巻を借りた。第1巻は3章の構成でそれぞれのタイトルは「Ⅰ生と死のはざまで」「Ⅱそれぞれの敗戦と占領」「Ⅲ改革と民主主義」である。どれも面白かったが私にはⅡの「茨木のりこ 女性にとっての敗戦と占領」(成田龍一)がとりわけ面白く感じた。茨木の詩は好きだし、生前の茨木は写真で見る限り知的な美人である。成田龍一の描く茨木像で私が少しびっくりしたのは彼女の昭和天皇観である。「四海波静」という詩で「戦争責任を問われて/その人は言った/そういう言葉のアヤについて/文学方面はあまり研究していないので/お答えできかねます/思わず笑いが込みあげて/どす黒い笑い吐血のように/噴きあげては 止り また噴きあげる」と昭和天皇を批判している。私ら庶民も酒席などでは天皇制を口にするが、文章で残すなどまずしない。茨木は詩で公然と昭和天皇を批判する。昭和天皇に対する批判だけでなく、私には戦後の象徴天皇制の批判のように感じられる。

10月某日
「上野千鶴子がもっと文学を社会学する」(上野千鶴子 朝日新聞出版 2023年1月)を読む。「あとがき」によると上野は2000年に同じ出版社から「上野千鶴子が文学を社会学する」を出版していることから今回「もっと」が付け加えられたということである。日本では単行本が出版された後、多くの本が文庫化されその巻末には解説が付されることが多い。上野が試みた解説を集めたのが本書である。本書がとりあげた解説の中で私が読んだことがあるのは林真理子の「我らがパラダイス」である。ひとり最低でも8600万円の入居金が必要な高級老人ホームを舞台にした小説だ。林が介護する側の差別意識、高級老人ホームの入居者の特権意識にメスを入れたことを評価しつつ、「ケアの質を決めるのは、負担できる金額の差ではない、事業者と介護者の志の有無だ」と本質を指摘している。さすがである。

10月某日
一週間ぶりに上京。常磐線の上野東京ラインで東京へ。山手線を神田駅で下車。鎌倉河岸ビル地下1階の跳人大手町店へ。呑み会の打ち合わせ。料理3500円に呑み放題を付けて6000円。「安くならないの?」と店員の大谷君に聞いたら「お酒も食材も値上がりしているんですよ!勘弁してくださいよ」と言われてしまった。円安に加えてロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ侵攻の影響が及んでいるようだ。戦争でいいことは一つもない。正義の戦争も存在しない。戦争を始める国は「正義のため」「平和のため」と主張するものだ。日本が戦争に巻き込まれたらうかうか酒も飲めなくなる。だから戦争、絶対反対!

10月某日
「新古事記」(村田喜代子 講談社 2023年8月)を読む。「新古事記」というタイトルだが、古典である古事記とはあまり関係がない。小説のなかで旧約聖書の創世記と古事記の国産みの神話が紹介されているのが関連している程度である。ストーリーは第2次世界大戦末期にニューメキシコの山のなかに集められた核物理学者とその妻、さらに彼らの愛犬たちとその犬を治療する動物病院の物語である。若手核物理学者(ベンジャミン)の恋人で後に結婚する「あたし」の視点で物語は進行する。「あたし」の祖父は「かんりん丸」の水夫だったが、サンフランシスコから日本に帰る日に海に飛び込み、アメリカに永住することになる。「あたし」は日系3世ということになる。しかし祖父のヒコタロウは日本の移民が定着する40年も前にアメリカ国籍になっているために、ヒコタロウの子孫は強制収容所への収容を免れた。この物語がなぜ、神話的か? 山のなかに核物理学者が集められ秘かに新型爆弾の開発を行うというストーリー自体が神話的である。核物理学者とその家族の世話をするために先住民族のプエブロの人たちが使われるが、この先住民族は神話性を色濃く持っている。「あたし」の祖母のノートに祖父の筆跡が残されているが、そこには「空」と「SORA」
「KUU」と書かれていた。神話的だよね。実験で原子爆弾を爆発させたとき。「その地方一帯は昼間の太陽より何倍も強いサーチライトで照らされた。その光は金色、紫、すみれ、灰色および青色であった…」。神話的な色彩感覚! その閃光を見て核物理学者のリーダー、オッペンハイマーは言ったという。「われは死なり。世界の破壊者となれり」。ヒンズー聖典の一行らしいが十分に神話的である。実験で威力が確認された原爆はほどなく広島と長崎に投下された。被害は途方もなく神話的であったが、事実は現実であった。なお原爆開発のために集められた核物理学者の7割はユダヤ系であったという。これもいささか神話的と言えようか。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
「やさしい猫」(中島京子 中央公論新社 2021年8月)を読む。この小説は今年、NHKでドラマ化されている。これがなかなか良かったので図書館で借りることにした。小説は母子家庭の女の子(マヤ)が「きみ」に話しかけるかたちではじまる。保育士をやっている女の子の母親(ミユキさん)は東日本大震災の災害ボランティアでスリランカ人(通称クマさん)と出会う。都内で偶然に再会したふたりはやがて恋仲に。結婚を決意するが外国籍のクマさんには出入国管理の壁が立ちふさがる。クマさんは法務大臣により強制退去処分を受けることになってしまう。マヤとミユキさん、クマさんは弁護士を頼んで法廷で争うことになる。マヤは小学校以来のベストフレンド、ナオキくんに「つきあってくれ」と告白するが振られる。実はナオキ君はLGBTだったのだ。物語にはクルド人を両親に持つ美少年が出てきたり、なんというか普段私たちには見えない日本国内の「少数派」の人たちが登場する。日本は島国ということもあってか「少数派」には冷たい気がする。人権の観点からもマズいし、労働力人口が減っていくのだから経済の観点からもマズいと思う。

10月某日
11時からマッサージ。肩と腰に15分、電気を掛けてあと15分はマッサージ。ここは健康保険が効くので自己負担は550円のみ。天気が良いのでマッサージの後は散歩。我孫子農産物直売所のアビコンまで歩く。レタスとピーマンを購入。我孫子高校前から坂東バスに乗車、アビスタ前で下車して帰宅。「ロマンス小説の七日間」(三浦しをん 角川文庫 2003年11月)を読む。海外ロマンス小説(ハーレークイーンロマンとかね)の翻訳家であるあかりと恋人の神名の日常を描くと同時に、かんなが翻訳しているイギリス中世の騎士と女領主の恋物語が綴られる。しをんという名前は本名で三浦の母親が石川淳の紫苑物語からとったそうだ。父親は元中央大学教授。ところで神名は年が明けたら海外放浪の旅に出るそうだ。そういえば三浦しをんの小説で恋人が海外の秘境を探検する人というのを読んだ記憶があるが…。放浪する人、ひとところに留まらない人が三浦しをんの好みかも知れない。

10月某日
「ひとびとの精神史 第6巻 日本列島改造 1970年代」(杉田敦編 岩波書店 2016年1月)を読む。「刊行にあたって」には「本企画は、第二次世界大戦の敗戦以降、現在に至るまでのそれぞれの時代に、この国に暮らすひとびとが、何を感じたか、どのように暮らし行動したかを、その時代に起こった出来事との関係で、精神史的に探究しようとする企てである」と記されている。そして「ここでいう精神史とは、卓越した思想家たちによる思想史でもなければ、大文字の『時代精神』でもない」とも述べている。第6巻では「Ⅰ列島改造と抵抗」「Ⅱ管理社会化とその抵抗」「Ⅲアジアとの摩擦と連帯」の3編で構成され、Ⅰでは田中角栄と他3名、Ⅱでは吉本隆明と藤田省三他2名、Ⅲでは小野田寛郎と横井庄市他2名がとりあげられている。冒頭で政治家、思想家、残留日本兵という著名人をとりあげ、その後はそれほど著名ではない庶民あるいは大衆的な知識人をとりあげている。Ⅰで言うと三里塚闘争の小泉よね、横浜新貨物線反対同盟の宮崎省吾、Ⅱでは生活クラブ生協の岩根邦雄、ゼネラル石油労組の小野木祥之、Ⅲでは金芝河と日韓連帯運動を担ったひとびと、アジアの女性たちとの連帯を追求した在日女性の金順烈である。いずれも有名人でも「時代精神」を背負っている知識人でもない。しかし鮮烈で嘘のない生き方をした人であることが本書を読むと伝わってくる。

10月某日
江利川毅さんからメールが届く。「久しぶりに集まって一杯やりませんか」という内容。異議がある筈もなし。江利川さんが当時の厚生省年金局資金課長に就任したころからの付き合いだからかれこれ40年近くになる筈。その後、彼は年金課長や経済課長など難しいポストを歴任、内閣府で官房長、次官を務め退官。証券系の研究機関の理事長になったと思ったら、不祥事で混乱していた厚労省の次官へ。その後、人事院総裁を務めた。まぁ官僚中の官僚と言えるかもしれない。しかし全然偉ぶらない気さくな人柄で多くの人に慕われている。
「虚実亭日乗」(森達也 紀伊國屋書店 2013年1月13日)を読む。「スクリプタ」という紀伊國屋書店のPR誌に連載されたものを加筆修正のうえ単行本にしたもの。森達也の本はオウム真理教関連本を1、2冊読んだ記憶がある。死刑を宣告された元信者たちのことを真面目に書いていた。今回の本は森達也と思われる元映像作家にして現在作家である緑川南京を主人公とするフィクションである。最後の章の末尾に「最後の最後に書くけれど、この書籍に書かれたことは、すべて100%一字一句残さず真実です」と書き残している。しかしページをめくると「この作品はフィクションです。」の一行が。私は主人公の緑川南京(森達也)が力道山やピースボート、北朝鮮問題、死刑問題などに直面しながら、真実とは、正義とは、に悩んでいることに強く共感する。この本を読んで初めて知ったこと。北朝鮮国民は最高指導者(この当時は金正日)のことを「将軍さま」と呼び、その権威主義的体制が強調される。しかし儒教文化の影響が強い朝鮮半島では、北朝鮮でも韓国でも目上の人にはほぼ必ず「さま」(ニム)を付けるという。韓国語から日本語に翻訳するとき普通はこの「ニム」を外す。北朝鮮の独裁者を呼ぶときだけは例外的に「さま」が付けられる。本当のことってときには分からないようになっている。それと森達也って我孫子の住人らしい。