モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
「転がる珠玉のように」(ブレイディみかこ 中央公論新社 2024年6月)を読む。ブレイディみかこの本に出合ったのは19年6月に出版された「女たちのテロル」を図書館で見て借りたのがきっかけだ。「女たちのテロル」は戦前のアナキストで、摂政暗殺を企てたとして死刑を宣告され、後に無期懲役に減刑されるも獄中で縊死した金子文子と海外の女性テロリスト2名の評伝をまとめたもの。これ以降ブレイディみかこの著作を読むようになった。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」は英国ブライトンでのアイルランド系イギリス人の夫と息子との暮らしを描いて話題となった。彼女は福岡の名門校、修猷館高校を卒業後、進学せずに英国へ渡った。「ぼくはイエローで…」の頃、中学生だった息子が「転がる…」では高校生で大学を受験するまでになっている。夫が癌になったり母親が死んだり…。それなりに起伏のある家族や周囲の人たちの人生を淡々と描く。

11月某日
社保研ティラーレを表敬訪問。吉高会長と佐藤社長へ挨拶。衆議院選挙ではティラーレは立憲民主党の神奈川県の新人候補を応援していたが、めでたく当選したそうだ。帰りに我孫子駅前の「しちりん」で夕食兼晩酌。

11月某日
アメリカ大統領選で共和党のトランプが当選。予想された大接戦とはならず、ハリスは敗退した。大統領選ではヒラリークリントンとハリス、二人の女性民主党候補がトランプに敗れている。米国の大統領は軍の最高司令官も兼ねるが、女性に最高司令官は務まらないということか。トランプはロシアのプーチンや北朝鮮の金最高指導者と親近性が高いように思う。それが国際間の緊張緩和に向かうのか。私はプーチンや金を増長させることを恐れる。

11月某日
「言葉果つるところ」(鶴見和子 石牟礼道子 藤原書店 2024年9月)を読む。本書は鶴見(1918~2006)と石牟礼(1927~2018)の対談集で、2002年に発行された(鶴見和子・対話まんだら)『石牟礼道子の巻』を底本としている。タイトルは鶴見が石牟礼を評して「言葉果てたるところから文学が出発する。そして文学は言葉果つるところに到達する、かつそこが出発点になる」と発言しているところからとられている。水俣病の闘いも「言葉果つるところ」から始まったし、水俣にほど近い島原の地で400年前に闘われた島原の乱も同様であった。水俣病の問題はもう終わったように私などは感じていたが、それはどうも終わっていないのだ。産業革命以降の人類の深刻な環境汚染が終わらないかぎり、水俣の問題は繰り返されている。

11月某日
週1回のマッサージで「絆」へ。今日は長男が休みなので車でスーパーウエルシアによってアイリッシュウイスキーを購入、ついでに床屋まで送ってもらう。床屋の後、近くの食堂「三平」で中華丼を食べる。駅前からバスでアビスタ前まで。

11月某日
「罪名、一万年愛す」(吉田修一 KADOKAWA 2024年10月)を読む。吉田修一は芥川賞受賞作家だが作品は純文学に限らず、恋愛小説、冒険小説と幅が広い。本作は冒険小説と言える。横浜の私立探偵に一風変わった依頼が舞い込む。「一万年愛す」と名付けられた35カラット以上のルビーを探してもらいたいというのだ。舞台は富豪の一家が滞在する九州の孤島。実は九州でデパート経営に成功した富豪一家の祖父には隠された秘密があった。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
日曜日の朝日新聞「歌壇 俳壇」から。ガザに想いを寄せて。「ガザの子はたぶん大谷翔平を知らない野球さえできなくて」(近江八幡市 寺下吉則)「『将来はヒズボラになる』と泣きながら父の屍のそばに座る子」(牛久市 高木美鈴)。袴田さん、無罪。「再審の無罪となりし弟をこの日も車椅子で押す姉」(寝屋川市 今西富幸)「弟よ、巌、巌は無実なり姉の見据ゑし判決下る」(東京都 笹山羊)。袴田さんは俳壇にも。「袴田さんさて何をせん秋の暮れ」(八王子市 額田博文)。次の2句は全共闘世代の俳句?「連帯も共闘もせず秋の蠅」(東京都新宿区 山口晴雄)「青茄子に思想の如く棘がある」(東京都渋谷区 佐藤正夫)。

10月某日
「あなたを待ついくつもの部屋」(角田光代 文藝春秋 2024年7月)を読む。部屋とはホテルの部屋のことである。ホテルは東京、大阪、上高地の帝国ホテルである。初出はIMPERIAL80号から122号とあるから帝国ホテルのPR雑誌に掲載されたものであろう。東京、大阪、上高地の帝国ホテルを訪ねる老若の女性を主人公とした42編の短編が収録されている。ホテルを舞台にした42編のショートストーリー、どれも都会的で洒脱であった。最後の「光り輝くその場所」は20歳のとき、はじめて帝国ホテルに足を踏み入れた楓子は、宴会場で開催されていた文学賞の受賞パーティに迷い込む。38歳になった楓子は、自身の受賞パーティ会場となった帝国ホテルへ向かうという話。

10月某日
17時30分に神田駅で前の職場の友人と待ち合わせ。少し早く出て上野の国立東京博物館で開催中の「はにわ展」を観に行こうかと思ったが、思い直して東京駅へ。丸の内口を出て、丸善の書籍売り場に向かう。吉田修一の新刊、「罪名、一万年愛す」を購入。丸の内口から歩いて神田駅へ。待ち合わせ時間にはまだ時間があるので駅近くの居酒屋で時間をつぶす。時間になったので神田駅北口へ。かつての同僚と北口近くの居酒屋で呑む。

10月某日
「猛獣ども」(井上荒野 春陽堂書店 2024年8月)を読む。高原の別荘地でのひと夏のできごと。密会中の男女が熊に殺される。愛に傷ついた管理人の男女と別荘の6組の夫婦に何が…。「夫婦って不思議だな」と思ってしまう。なんの関係もなかった一組の男女が出会い恋に落ち、家庭を営む。その不思議さを井上荒野はたんたんとさりげなく描く。巧み!

10月某日
幼馴染の佐藤君が出張で東京に出てくるので新橋で会食の予定。先日、国立東京博物館の「はにわ展」に行けなかったので上野駅で下車したら雨が降ってきたので、上野駅近くの西洋美術館に変更、クロード・モネ展が開催中だった。実は私は障害者手帳を持っているので公立の美術館や博物館は基本的に無料。平日の午後だったのに結構、混んでいて入場者が並んでいたが、こちらも障害者優先でスイスイ。しかもエレベータまで案内してくれる。一通り鑑賞したので新橋へ。昔、新橋烏森口の日本プレハブ新聞社という業界紙に勤めていたことがあった。会社があったビルには呑み屋さんが入っていた。約束の17時30分近くなったので烏森口へ。高校で1年後輩だった小川君、井出君などがすでに到着していた。女子の旧姓中田さん、佐藤君も揃ったので会場の銀座ライオン新橋店へ。実はこの集まりは室蘭東高スキー部のOB会なのだが、ほぼ幽霊会員だった私にも声が掛る。会費は6000円だったが、佐藤君がすべて払ってくれた。佐藤君は札幌でIT会社を創業、社長から会長に退いた。ありがたくご馳走になる。佐藤君にご馳走になったうえ、お土産に北海道の銘菓「わかさ芋」をいただく。

10月某日
「正しく読む古事記」(武光誠 エムディエヌコーポレーション 2019年10月)を読む。古事記と日本書紀は日本の国の成り立ちを伝えるという同じような役割を持っていると思っていたが、本書によるとその役割をそれぞれ違っていた。古事記は人々に読ませる「伝説集」で、日本書紀は、日本の公式の史書としてつくられた。古事記は天皇家の歴史であるのに対して日本書紀は、海外向け(当時は唐か)の日本の歴史で、記述内容も古事記が漢文を下敷きにした和文であるのに日本書紀は漢文であった。古事記には子供ころ親しんだ童話もとになったものもある。海彦山彦、ヤマトタケルなどなど。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
袴田巌さん(88)の無罪が確定した。逮捕から58年も経っているんだって。死刑が確定してから、処刑の恐怖と闘いながら冤罪を訴えてきた。本人も偉いが袴田さんを支えてきたお姉さんのひで子さん(91)もエライ。ひで子さんは現在、マンションを経営していて、そこに巌さんと一緒に住んでいるらしい。テレビで拝見するとひで子さんはとても頭脳明晰に感じられる。経営の才能にも恵まれているってことだね。石破茂内閣が発足したと思ったら解散だって。自公で過半数は確保するだろうけれど自民は相当議席数を減らしそうだ。そうそう石破内閣には村上誠一郎が自治大臣で入閣した。安倍元首相が銃撃されたとき「国賊」発言をして党から処分された人。安倍や高市といった右派受けする人から、石破や村上などリベラル色を感じさせる人まで自民党の幅広さを感じる。自民党にはアメリカの共和党と民主党の両方の強みを持っている感じがする。

10月某日
今年のノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に決まった。異議はないけれど…。広島、長崎に原爆が落とされ、日本が戦争に負けてから90年になろうとしている。戦争や武力紛争はほぼ絶えることなく続いている。中国大陸の国共内戦、朝鮮戦争、アルジェリア独立戦争、ベトナム戦争、中印国境紛争、最近ではロシアのウクライナ侵攻とイスラエルのパレスチナ侵攻である。人類の歴史とともに戦争はあったのだろうか? 人類が誕生したころ、狩猟採集で食べていたころには戦争はなかったのではないかと思う。原始共産主義の時代だからね。日本でいうと米作が始まった縄文時代の晩期には戦争があったらしい。石礫や鏃などが発掘されている。卑弥呼の時代には、内乱がおさまらず女王を立てたら戦がおさまったという記述が中国の歴史書にあるらしい。奈良時代、平安時代はほぼ戦はなかったが、平将門の乱や蝦夷との戦があり、平安末期には源平の戦が続いた。鎌倉時代には2度の元寇があったし、室町時代は南北朝の戦や応仁の乱があり、戦国時代を経て関ヶ原合戦、大坂の陣をへて泰平の世(江戸時代)が始まる。明治時代以降。1945年の敗戦に至るまで日本は対外戦争を繰り返した。台湾出兵、日清日露戦争、武力による朝鮮併合、シベリア出兵、第1次世界大戦への参戦、満州事変に日中戦争、そしてアジア太平洋戦争である。90年も日本が戦争をしていないなんて日本近代史ではむしろ異常。だから、戦争にはつねに反対の意志を持っていなければと思います。

10月某日
書棚を整理していたら「白秋」(伊集院静 講談社 1992年9月)が出てきた。伊集院静は1950年2月生まれ。私より1学年下だが現役で立教大学に入学しているから、一浪して早稲田に入った私とは大学では同学年だが、大学に入学してからの人生の軌跡はまったく違う。伊集院は野球部の合宿所に文学全集を持ち込んで先輩、同僚をびっくりさせるが、ほどなく体を壊して野球部を退部。卒業後は広告会社への勤務の傍ら作詞に手を染める一方、CMディレクターとしても辣腕を振るうなか、夏目雅子と恋仲になる。伊集院には妻子があり不倫関係を続ける。伊集院の離婚後ふたりは結婚、ほどなくして夏目は病魔に侵され死去(85年)。女優の篠ひろ子と再再婚(92年)。伊集院の両親は韓国から日本に来た。本作はこうした伊集院の経験が凝縮されている。主人公の真也は富豪の家に生まれるが心臓に病を持ち、鎌倉の別荘地に看護師と暮らす。真也の別荘の2軒先に生け花の先生、衣久女が住む。衣久女のもとに生け花を習いに来るのが文枝。文枝と真也は恋に落ちる。以久女は戦前、朝鮮半島で日韓の混血として生まれたことも明らかにされる。文枝と真也は結ばれるが、ほどなく真也は死去、文枝は出産、愛児とふたりで生きてゆくことを決意する。まぁ「死と再生の物語」といってよい。

10月某日
「ヤマト王権-シリーズ日本古代史②」(岩波新書 岩波新書 2000年11月)を読む。本書によると日本列島の政治的統合のプロセスは、①倭国としての統合の展開(1世紀末から2世紀初頭)②近畿地方を中心とする定型的企画をもつ前方後円墳秩序の形成(3世紀後半)③ヤマト王権の成立(4世紀前半)となる。卑弥呼が登場したのが①である。また本書では実在した初代の天皇は崇神天皇(はつくにしらすスメラミコト)とされる。②において国家連合的な形でヤマト王権が誕生し、③において「絶対主義的」なヤマト王権が確立したのであろう。本書ではヤマト王権と朝鮮半島、中国大陸とのかかわりについても多く記されている。中国の歴代王朝には朝貢を行い朝鮮半島に対しては侵略と友好を繰り返したようだ。

10月某日
「陥穽-陸奥宗光の青春」(辻原登 日本経済新聞社 2024年7月)を読む。陸奥は明治維新を主導した薩摩や長州ではなく、紀州和歌山藩の重臣の家に生まれた。しかし父が政争に巻き込まれ一家は藩を追われる。陸奥は高野山での学僧を経て幕府の海軍塾で学び、そこで勝海舟や坂本龍馬と知りあい、海援隊に参加する。明治政府内で頭角をあらわすが、明治10年の西郷の西南戦争に呼応しようとした疑いで投獄される。物語は陸奥の青春と入獄を描く。陸奥は海軍塾時代に英語の重要性に目覚め、獄中でも英書を読んでいた。思うに陸奥は、英書からデモクラシーを学んでいた。西南戦争へ呼応しようとしたのもそれ故であった。しかし獄中から解放された後、陸奥は自由民権派には属しなかった。陸奥の有能さを藩閥政府の伊藤博文らが手放さなかったのだ。余談だが陸奥は最初の妻が亡くなった後、新橋の17歳の芸者、亮子と結婚する。亮子の写真はウイキペディアで確認できるが、やはり美人、それも現代的な美人であった。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「日本社会の歴史(上中下)(網野善彦 岩波新書 1997年4月)を読む。網野善彦(1928~2004)は山梨県出身、幼少期に港区西麻布へ転居、白銀小学校、旧制東京尋常科、同高等科を経て、1947年東京大学文学部国史科に入学、石母田正に師事。この頃、日本共産党に入党し民主主義学生同盟副委員長兼組織部長となったが、後に運動から脱落する(ウイキペディアによる)。網野の専門は日本中世史とされるが、本書は先史時代から戦後までの通史である。だが、単なる通史ではなく蝦夷や琉球列島の歴史、遊女や被差別民の歴史にも配慮されている。私は網野の「無縁・公界・楽」や「異形の王権」を購入したが、読み通すことはできなかった。今回、「日本社会の歴史」を読んで、改めて網野史観の独特な魅力に魅かれた。一言でいうと網野の辺境や稀人に対する視線に共感したということか。

10月某日
「静子の日常」(井上荒野 中央公論新社 2009年7月)を読む。タイトル通り75歳の静子の日常を描く。静子は一人息子の愛一郎とその妻、薫子、孫のるかと同居している。夫の十三はすでに亡くなっている。75歳といえば私と同い年である。ということもあって静子には共感できることが多々あった。まぁ静子の価値観とか人生観とかにね。やっぱり、この年齢になっても大切なのは自立です。静子はプールでの付き合いや町内会のバス旅行でも立派に自立している。自立した「静子の日常」は爽やかでもある。
今日は「日本社会の歴史」と「静子の日常」を我孫子市民図書館へ返却に行きます。

10月某日
「左太夫伝」(佐々木譲 毎日新聞出版 2024年8月)を読む。仙台藩士として生まれ、戊辰戦争の渦中に明治新政府に反逆した罪で処刑された玉虫左太夫という人の評伝小説。左太夫は最初、仙台藩の学問所の養賢堂に学び、その後、江戸へ出て大学頭、林復斎の私塾で学ぶ。林復斎はペリーとの外交交渉を担い、左太夫は従者として従う。左太夫は外交交渉の経験を買われ、遣米使節の従者にも選ばれる。左太夫はアメリカの文明に圧倒されるが、何よりも驚いたのが、アメリカの共和制と民主主義だ。左太夫は後に榎本武揚を名乗る榎本釜次郎と知り合うが、彼に次のように述べる。「わたしは漢学を、とくに儒教を学んだ書生です。アメリカにいても、もっともわたしを揺さぶったことは、もしや儒学は意味のない学問ではなかったかということなのです。(後略)」。大政奉還、王政復古の大号令により、幕府は瓦解、左太夫も仙台藩に帰る。仙台藩では藩主の伊達慶邦に信頼され洋式陸戦隊の創設を任される。また奥羽列藩同盟の創設を主張し会津藩、米沢藩との調整連絡役を担う。会津藩に官軍が迫るとき、左太夫は榎本に蝦夷が島へ誘われる。蝦夷が島での共和国樹立を夢見た左太夫は誘いに乗ることにするが、榎本の艦隊とは行き違いとなる。左太夫は江戸、横浜への脱出を図るが官軍に捕らえられる。左太夫がアメリカに渡る前、蝦夷が島と北蝦夷地(樺太)をまわるが、次のように記述されている。「やがて一行は、ヘケレウタという土地に着いた。モロラン会所の東にあって、深い湾に面している。狭い海岸に、南部藩の陣屋が置かれていた」。モロランとは後の室蘭、私の故郷である。

10月某日
「隆明だもの」(ハルノ宵子 晶文社 2023年12月)を読む。2012年に亡くなった「戦後思想界の巨人」と呼ばれた吉本隆明。ハルノ宵子はその長女で漫画家、7歳下の次女が吉本ばななで小説家である。ハルノが吉本隆明全集の月報に連載したものを中心にハルノとばななの対談も収録している。ハルノは吉本家の日常をかなり赤裸々に描いている。吉本隆明といえば私たち団塊の世代にとっては教祖的な存在で、新刊が出ると争って買ったものだ。私は講演会にも2回行った。最初は学生時代でブンドの叛旗派の政治集会に吉本がゲストで講演した。内容は覚えていない。2回目は我孫子市の市民会館で柳田国男がテーマだったと思う。吉本の著作を購入しサインしてもらった記憶がある。「隆明だもの」から私が面白く感じたものを抜粋する。
「90年代前半、父はよく働きよく食べた。そして痩せてきた。(中略)あまりに度が過ぎる隠れ食いのひどさに、口うるさかった母もサジを投げ、この頃の父の食事管理は、無法地帯になっていた。それで糖尿病を悪化させ、痩せてきたのだ」。吉本は伊豆で海水浴中に溺れかけたことがあったが、「溺れた原因も、私は低血糖症だと思っている」。吉本も亡くなる前は認知症めいた行動もあったらしい。「1日のほとんどが眠りがちで」「そんなある日、父が『キミ、塾のポスターを描いて、うちの(私道の)壁に貼ってくれないか』と言う」。これは「2度と戻れない少年時代の、今氏乙治先生の私塾へ通っていた時代への郷愁なのだ」。「うちの家族は全員“スピリチュアル”な人々だった」「たとえばネイティブアメリカンの族長を想像してほしい。なんとなく父のイメージと重なると思う」「吉本家は薄氷を踏むような“家族”だった。父が10年に1度位荒れるのも、外的な要因に加えて、家がまた緊張と譲歩を強いられ、無条件に癒しをもたらす場ではなかった(父を癒したのは猫だけだ)」。ハルノとばななの対談ではハルノが「とてもじゃないけど、並の人は家事もやって子供の弁当まで作って、それであれだけの仕事をこなすことはできないと思います」と語っている。複雑でかつ「族長」のような人だった。

モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
「大王から天皇へ」(熊谷公男 講談社学術文庫 2008年12月)を読む。2001年1月に講談社の「日本の歴史」③として刊行されたものの文庫版である。日本の歴史とは直接関係はしないが、本書で分かったことのひとつが中国の皇帝と日本の天皇の違いである。中国では天が地上で最も徳のある人に天下の支配を委ね、新しい王朝が開かれ、やがて何代かして暴君があらわれると、また別の有徳者に天命が下され、新王朝の時代になる。王朝は有限なのである。これに対して日本では天皇位の根拠は天皇の先祖がアマテラスであり、アマテラスの子孫が天孫降臨により、地上(日本)を支配したことによる。もちろんこれらは神話の世界の話である。戦前の一時期、神話を根拠に「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」などのイデオロギーが強く日本社会を支配したことがある。これが誤った観念であることは日本の敗戦によって日本社会に受け入れられた。現在の日本の天皇一家は民主的にして平和的な存在である。しかし本書を読むと古代天皇制の歴史は血に塗られた歴史でもある。壬申の乱を持ち出すまでもなく皇位継承をめぐって戦や暗殺、自死、刑死が繰り返されたのである。天皇号が成立するのは本書では天武・持統朝と推定している。それ以前は大王(オオキミ)であった。ヤマト王権が地方王権の連合体で、王のなかの王が大王だったのであろう。
任那日本府について本書はこう記す。「ほんの20~30年ほど前、日本の古代史学界では、日本はヤマト朝廷が成立して間もない4世紀後半には朝鮮半島南部に武力進出し、そこに統治機関として『任那日本府』をおき、朝廷の『宮家(みやけ)』として『任那』を植民地のように支配・経営していた、その支配は562年の『任那』の滅亡まで続く、とする考えが不動の定説であった」「これは『書紀』の記述の影響を受けたものである」。任那は当時、その場所に存在した「金官国」を指すということだ。熊谷は次のように発言する。〔朝鮮史家の田中俊明氏が「『任那』という用語は、使いたくもないし、使うべきでもない」といっていることに、筆者もまったく同感である〕。私も同感です。

9月某日
「この世の道づれ」(高橋順子 新書館 2024年8月)を読む。詩人の高橋順子が亡夫、車谷長吉について書いたエッセーを主に集めたエッセー集である。車谷は2015年5月17日、誤嚥性窒息で亡くなっている。享年69歳。最後の私小説作家とも言われた車谷はモデルとされた人から訴えられたこともあったようだ。高橋順子は次のように書いている。「小説を書く上では当たり障りがないどころか、当たり障りがあるところに手応えを感じていたようだ。モデルにした人たちの心に血を流させた、と晩年述懐していたが、その人たちの身内にもつらい思いをさせていたことを、義母の葬儀の日、私どもに詰め寄ってきた親族から聞かされた」(車谷文学の行方)。「車谷の私小説には、いろいろなからくりがある。事実と見せながら、巧みに虚構も入っている。『あることないこと書かれて』と苦情を言われたことは、ずいぶんあるようだ」(車谷長吉を送って)。車谷は最大の理解者を奥さんにしたのではないか。

9月某日
午前中、月1回の内科診察に我孫子駅近くのNクリニックへ。10時30分頃だったが、入り口に「午前中の診療は終了しました。午後は15時からの予定です」の貼り紙が。診察をあきらめて白山の床屋さんへ。3500円。床屋さんから白山を手賀沼まで歩く。手賀沼沿いの「水辺のサフラン」でサンドイッチと飲み物を購入、お店で頂く。家に帰って2時過ぎまで休息、今度はバスで八坂神社前、Nクリニックへ。休業の貼り紙。「医者の不養生」か?駅前の「しちりん」でホッピーとつまみを2品ほど。焼酎のボトルをキープしてあるので1100円。我孫子駅前からバスで手賀沼公園へ。我孫子市民図書館で借りていた網野善彦の「日本社会の歴史(上)」を読了。

9月某日
NHKの朝ドラ「虎に翼」が終わった。日本の女性弁護士の先駆けで戦後は家庭裁判所の創設や女性の地向上に尽力した三淵嘉子さんをモデルにした主人公を描く。私は毎回見ていたわけではないが女性差別や同性愛の取り上げ方など好感が持てた(☆☆☆)。

パワハラなどで批判が高まっていた斎藤兵庫県知事が失職、知事選挙に立候補するという。内部告発者を公益通報者とせず、処分した斎藤氏。この人こそが処分されるべき(★★★)。

自民党総裁選挙で石破茂氏が当選。保守派で靖国参拝を主張する高市早苗氏に逆転勝利。高市氏は予想以上に票を集めた。ヨーロッパでは極右勢力が伸長しているという。私は石破氏の当選には好感するが、高市氏の善戦には苦い思いを禁じえない(☆☆★★)。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「いちばん長い夜に」(乃南アサ 新潮社 2013年1月)を読む。前科(マエ)持ち二人組の芭子と綾香のシリーズ最終作。作者の「あとがき」によると、2011年3月11日、著者は早朝から新幹線で仙台に向かった。仙台は綾香の出身地で、綾香が夫殺しを実行した現場でもあることからの日帰り取材旅行であった。午後2時46分、後日「東日本大震災」と名付けられた大地震が発生する。本作には作者のこの体験が色濃く反映している。芭子は綾香が自首したときに離れ離れとなった幼子の行方を探りに綾香に内緒で仙台を訪れる。調査を進めるうちに芭子は大震災に遭遇する。避難先で知り合った青年と相乗りのタクシーで東京を目指す。芭子の体験はほぼ作者の体験と重なる。「あとがき」では「最後に、震災で亡くなられた方々のご冥福と、あの日以来人生が変わらざるを得なくなった皆さんが、それでも生き続けて下さることを心から祈っております。そして、私と編集者とが震災当日、深夜近くまで身を寄せさせていただいたホテル「法華クラブ」の皆さん、東京まで運んでくださった三台のタクシーのドライバー各氏に、お礼を申し上げます」と記されている。芭子と綾香のシリーズは上戸彩と飯島直子でテレビドラマ化されている。

9月某日
「アマテラスの誕生-古代王権の源流を探る」(溝口睦子 岩波新書 2009年1月)を読む。ヤマト王権については日本書紀や古事記などの文献、さらに中国の魏志倭人伝などの文献、そして前方後円墳や埴輪、銅鏡などの考古学資料によって解明は進められているが、まだ全容を明らかにはできない。本書は今から10年以上前の著作だが、私には新鮮で面白かった。本書並びに溝口の論の特徴は「古代天皇制は無文字社会に片足をおいた制度」であり「古代天皇制思想の核である天孫降臨神話は、名のとおり『神話』であり、『神話』は基本的に無文字社会の産物である」という点にある。無文字社会の産物である神話をもとにして古代天皇制について考える、ということであろうか。日本書紀や古事記でもっとも注目すべきは天孫降臨神話であろう。明治憲法でも「天皇の統治権の『淵源』は『皇祖皇宗の神霊』にある(告文)としている」。皇祖皇宗とは「皇祖神」であるアマテラスや、神武天皇にはじまる歴代の天皇を指している。日本に古代国家が成立したのは東アジアの政治情勢が強く影響していると本書は指摘する。4から5世紀前半の東アジアは激しい動乱のなかにあった。北方遊牧民が大量に華北に進出、約130年間にわたって興亡を繰り返した。朝鮮半島北部では、漢民族の文化と遊牧民の文化と接触し融合させながら高句麗が国家形成を果たした。その高句麗から朝鮮半島南部の国々や倭は、大きな影響を受けた。400年ころ、新羅に進出していた倭軍は高句麗に惨敗している(好太王の碑)。
同じ頃、古墳文化も大きく変貌する。「倭の独自性のつよい文化」から「朝鮮半島の影響のつよい文化」への変貌である。副葬品にそれまでみられなかった馬具がみられるようになり、武器・武具も騎馬戦向きのものに変化した。この時期に、新しい政治思想、王の出自が天に由来する「天孫降臨神話」も、高句麗の建国神話を取り入れる形で導入された。その元を辿れば朝鮮半島の北に広がる北方ユーラシアの遊牧民族が古くから持っていた王権思想である。天孫降臨神話の元は北方ユーラシアの王権思想にあった。日本の皇祖神・国家神は「ヤマト王権時代(5~7世紀)はタカミムスヒ」「律令国家成立以降(8世紀~)はアマテラス」。7世紀末に中央集権国家(律令国家)がはじめて成立した。「タカミムスヒからアマテラスへという国家神の転換は、そのような歴史の変化にぴったり対応している」のだ。タカミムスヒもアマテラスも太陽神だが、その出自が違うようだ。タカミムスヒが北方ユーラシア、高句麗系とすると、アマテラスはヤマト王権、弥生系である。これからは私の推測だが、「倭の独自性のつよい文化」から「朝鮮半島の影響のつよい文化」への変貌が起きたとき、ヤマト王権は皇祖神話を、天孫降臨神話を残しつつ、主神を北方ユーラシア系のタカミムスヒから土着のアマテラスへの転換を果たしたのであろう。一方、イザナキ・イザナミの国生み神話は「大まかに捉えれば、みな南方系である」としている。南方とは中国の江南から東南アジア、東インド、インドネシア、ニューギニアにかけての地域を指している。ということは日本神話は北方系と南方系の合作?

9月某日
11月の米大統領選まで50日を切った。テレビ討論会では明らかに民主党のハリス副大統領が優勢でトランプ前大統領の劣勢ははっきりしていた(と私は思う)。トランプの発言で注目されたのが、オハイオ州スプリングフィールドではハイチから来た移民が犬や猫を食べているというものだ。本日(9月18日)の朝日新聞の夕刊コラム「時事小言」で藤原帰一は「犬やネコを食べるというイメージは人種・民族の差別と迫害の典型的な表現に他ならない」とし、ハリスとトランプの違いは「強硬な移民政策をとるか否かでなく、多数派と異なる人種と民族を米国から排除するかどうかである」としている。日本でも自民党と立憲民主党がそれぞれ総裁選と代表戦の真最中である。どちらの選挙でも人種・民族的な差別が議論になったことはないようである。しかし、これはそうした差別が日本社会に存在しないことを意味しない。差別は存在するのに、それを覆い隠す力が強く存在するのではないか、と私は危惧する。民族や国籍による差別、性差による差別、LGBTQに対する差別、その他、全ての差別に私は反対です。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
「神話と天皇」(大山誠一 平凡社 2017年10月)を読む。主として日本書紀と古事記によりながら日本という国の成り立ちと天皇制の成立について解き明かしている。本書によると天皇制が制度的に確立したのは701年に成立した大宝律令の時代である。しかしこのとき実質的な権力を掌握したのは有力貴族の合意の場であった太政官であった。天皇のあり方について本書は「戦前においては天皇機関説があり、戦後は象徴天皇といった評価がなされているが、すでに大宝律令の段階でそれに近いものになっていたのである」と記述している。そう考えてみると長い天皇制の歴史のなかで天皇が実質的な権力を握っていた時期は意外に短いのではないか。ヤマト王権の時代は確かに天皇が権力を握っていたが、蘇我氏が実質的な権力者であった時代を経て、大化の改新で中大兄皇子(天智天皇)が中臣氏(藤原氏)と協力してクーデターにより蘇我氏を討つ。これにより天皇親政が実現するが、藤原氏より天皇の妃が提供されるようになり、実質的な権力は外戚としての藤原氏に移行する。その後、後醍醐天皇による一時的な天皇親政の時期があったが、明治維新までは実質的な権力は武家政権が握った。明治維新により天皇に政権が移ったが、大正から昭和初期までは天皇機関説のもと立憲君主制が確立する。アジア太平洋戦争中も帝国議会は開催され形の上では立憲君主制は守られたが、実質的には軍部独裁であった。で戦後の平和憲法の時代の象徴天皇制の時代となる。天皇制は「君臨すれども統治せず」が似合うのである。

9月某日
「癲狂院日乗」(車谷長吉 新書館 2024年8月)を読む。癲狂院とは精神病院のこと。車谷が神経症を病み浦和の精神病院へ通院していたことからタイトルとしたらしい。車谷が「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞を受賞した前後の日記である。車谷は「最後の私小説作家」といわれたが「赤目…」は8割方がフィクションである。巻末に奥さんで詩人の高橋順子さんが「日の目を見るまで」と題した「あとがき」を書いている。「私は不届きではあるが、今になってやっと、面白い覚めない夢を見た、と思えてきた」と書いているのが印象的であった。実は車谷夫妻とは2回ほど呑んだことがある。本書にも出てくるが入谷の「侘助」という店である。私の兄の奥さんが小学館に勤めており高橋順子さんと友人だった。私がかねてより彼女に車谷のファンであることを公言していたので「今度会わせてあげる」ということになったのだ。この日記の平成10年4月25日に「今朝の朝日新聞によれば、政府は「景気浮揚へ総合経済対策決定 財政出動最大の12兆円」とか。併し日本の景気はも早、永遠によくなることはないだろう。日本の近代化は未達成のまま、終った」という記述がある。平成10年といえば1998年、今から26年も前である。今でこそ「失われた30年」などと日本経済の長期低迷を嘆く声が聞かれるが、当時このような予測をする人はいなかった。車谷は慶応義塾大学独文科の出身で、経済学とは無縁の人だ。作家の直感、恐るべしである。

9月某日
某財団法人の委員会に出席。2時からの委員会だったが久しぶりの都心で財団のあるビルがわからない。迎えに来てもらってやっと到着。会議は15分ほど遅れてスタートして3時前に終了。16時に北千住で友だちと待ち合わせているので霞が関から千代田線に乗車。友だちと無事に会うことができたので西口の「氷見」という呑み屋へ。この時間の呑み屋は爺さんが多い。もちろん我々も爺さん。友だちは小中高校が一緒の山本君。年末にまた呑むことにした。

9月某日
「日本はこうしてつくられた-大和を都に選んだ古代王権の謎」(安倍龍太郎 小学館 2021年1月)を読む。日本の古代史に興味があるのでその手の本を継続して読んでいる。しかし安倍は歴史小説作家ではあるが研究者ではないので本書から有益な知識を得ることはなかった。ただ「関東と大和政権編(房総半島)」で地図に我孫子古墳群という記述があった。今度、図書館で関連資料を調べてみよう。
「日本語のゆくえ」(吉本隆明 光文社 2008年1月)を読む。吉本が母校の東京工業大学の学生を対象に講演したものをまとめたもの。本は5章構成で「芸術言語論の入口」「芸術的価値の問題」「共同幻想論のゆくえ」「神話と歌謡」「若い詩人たちの詩」に分かれている。今、私が関心がある日本古代史と関連する第4章の「神話と歌謡」について。天皇制の日本統一の象徴は水田耕作であること。神武東征で長男の五瀬命と四男の神武が大和盆地に入ったとき長男が宗教的な神事を司り、神武が地上の統治を司った。古代には「男・男」と「男・女」のふたつのパターンがあり、邪馬台国の卑弥呼は後者である。私は吉本隆明の全体像を理解したとは言い難く、一生かけても理解できないだろう。しかし敬愛すべき批評家であることは変わらない。

9月某日
「ガザからの報告-現地で何が起きているのか」(土井敏邦 岩波ブックレット 2024年7月)を読む。イスラエルによるガザ侵攻は多くのパレスチナ人の死者をもたらした。今回のガザ侵攻の直接的な原因は昨年10月のパレスチナゲリラ、ハマスによるイスラエルに対する越境攻撃であった。本書によると「ガザ地区との境界付近で開かれていた音楽フェスティバルで歌い踊っていたイスラエル人の若者たちにハマスの戦闘員が銃を乱射し約260人が射殺され」たというものだ。本書にはイスラエル軍の攻撃によって死の恐怖と飢餓に苦しめられているパレスチナの人びとの発言が記録されている。イスラエルを非難する声が多いのは当然だが、ハマスを非難する声が大きかったのは意外だった。ガザ侵攻を考えるとき、今、何が行われているかを知ることも大切だが、2000年に及ぶアラブ・パレスチナとユダヤ・イスラエルの対立の歴史も知らなければならない。

9月某日
「卍どもえ」(辻原登 中央公論社 2020年1月)を読む。瓜生甫という多摩美大出身のグラフィックデザイナーを巡る人間模様を男と女、女同士の恋愛や性交渉を通じて描く。辻原登は1945年和歌山県生まれだから今年79歳、本書が執筆された2017年当時でも72歳だから、非常に性的な想像力が豊かといわざるを得ない。谷崎潤一郎の「卍」を意識しているのはタイトルからしてそうなのだが、私は未読。早速、図書館で借りようと思う。本書のエンディングは極めて不穏な終わり方である。私としてはそれも悪くないと。

モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
「古代王権-王はどうして生まれたか」(吉村武彦責任編集 岩波書店 2024年5月)を読む。天皇制を歴史的にどうとらえるか-これは戦前と戦後ではおおいに様相が違ってくる。戦前は天孫降臨神話が歴史的な事実とみなされ天皇は現人神であった。戦後は天皇制の歴史的な解明も進められている。本書もその成果のひとつと言えよう。本書では王権を「一定の地域あるいは集団・社会において、政治的権力・権威をもつ王としての権力システムで、権力を維持する軍事・儀礼・レガリア・イデオロギー・神話などの制度・文化を内包して、継続的に支配体制を維持する政治権力であり、その政治体制もあらわす」とされる。レガリアとは正当な王、君主とみなされる象徴的なモノで、日本では三種の神器がこれに当たる。日本列島で王権が成立したのはいつ頃なのか。これは今のところ中国の歴史書に頼るほかはない。後漢書東夷伝などによると倭の奴国王が後漢に朝貢、「漢委奴国王」の金印を授与されている(西暦57年)。倭の女王卑弥呼も、魏に遣使して「親魏倭王」を授与されている(239年)。本書によるとヤマト王権が確立する以前は、「実力」優先で王位が継承されていたらしい。「5世紀の倭の王は、自ら軍事作戦や外交関係の先頭に立つ朝鮮半島の諸王に対抗し得る、列島中央部の盟主としての『実力』をもてねばならなかったのであろう」という。6世紀になると「実力主義を重んじたそれまでの王位継承から、血縁原理優先のもと、むき出しの実力を競い合う混乱を抑制した王位継承へと、舵が切られた根本原因であろう」としている。

8月某日
御徒町駅前の「吉池食堂」で大谷さんと会食。17時20分のスタート予定だったが、早く着いたので先に始める。2杯目のビールを頼んだ頃に大谷さんが到着。改めて乾杯。我孫子のコーヒーを渡す。19時頃にお開き。大谷さんにすっかりご馳走になる。大谷さんは上野まで歩くとのことで私は御徒町から山手線で上野へ。上野から常磐線で帰る。

8月某日
13時30分から元年住協の林弘幸さんと我孫子駅の「日高屋」で会食。生ビールで乾杯の後、私はハイボール、林さんはホッピー。餃子やチャーハン、野菜炒めなどをつまみに呑む。林さんは永大産業出身で年住協ではもっぱら営業畑を歩み、九州支所長や東京支所長を歴任した。私は年住協のPR誌「年金と住宅」の企画と編集をやっていたので年住協のときは仕事上の付き合いはなかったけれど、家が同じ常磐線ということもあって東我孫子ゴルフクラブで何度か一緒にゴルフをした。私は車の運転ができないのでゴルフに行くときは林さんの車に乗せて貰った。なんか仕事以外で世話になりっ放しだ。いつもは割り勘なのだが「森田さん、千円でいいよ」と林さんが言うので、私は千円負担。いつもすみません。

8月某日
週1回のマッサージを受けに近所の「絆」へ。本日は同居している長男が休みなので車で送って貰う。15分のマッサージと15分の電気治療を受ける。健康保険が適用されるので自己負担は550円。長男に迎えにもらい、ケーキ屋さんの「桃の丘」へ。これも同居している次男が誕生日なのでケーキを購入。

8月某日
「時代の反逆者たち」(青木理 河出書房新社 2024年2月)を読む。青木理の対談集。青木は共同通信社出身のジャーナリスト。右傾化が進む日本社会で反骨の言説を曲げない貴重な存在。李琴峰、中島岳志、斎藤幸平ら9人との対談が掲載されている。ロシア文学者で翻訳家の名倉有里はロシアのウクライナ侵攻に触れて「権力が今回暴走した原因は、その政治構造、社会構造のなかで権力に対する抑止機能が十分に利かなくなっていること、要するにブレーキの機能が不十分な構造になっていることにある」と語っている。これは日本にも当てはまると思う。とくに安倍政権下の「忖度」の構造ね。名倉は数年前にベストセラーになった「同志少女よ、敵を撃て」の著者、逢坂冬馬の実姉だって。安倍晋三については中島岳志との対談のなかで安倍晋三の母方の祖父、安倍寛について「相当に腰の据わった反戦、そして反骨の政治家だったようです」と紹介されている。安倍寛の「一人息子が安倍晋太郎氏で、彼も立派な保守政治家だったと僕は思います。ところが晋三氏は父への反発が強いのか、安倍家に背を向けて岸家の方に目がいってしまう。本質は『岸信三』なんです」と語る。中島は共産党について「言っていることはリベラルでも、組織の内部はパターナルなのが共産党と公明党です」と語る。なるほどね。

8月某日
「すれ違う背中を」(乃南アサ 新潮社 2010年4月)を読む。前科(マエ)持ち2人組。芭子と綾香、芭子は30代前半で綾子は一回り上。芭子は女子大生のときホストに入れあげ、金欲しさから男をホテルへ誘い睡眠薬で眠らせ金を奪うことを繰り返す。綾香は家庭内暴力を繰り返す夫を殺害するという過去を持つ。出所した芭子は家族から絶縁を言い渡され、その代償に祖母が住んでいた根津の一軒家を与えられる。同じく出所してきた綾香は将来パン屋として開業することを目指して根津のパン屋でパン職人見習いの職につく。根津、谷中、上野界隈での彼女たちの日常が描かれる。私は現役時代、湯島、根津界隈で呑むことが多かったのでこの界隈には多少の土地勘はある、最初に行くようになったのは湯島に会った「マルル」というスナック。当時、厚労省だった吉武さんに連れて行ってもらったと思う。上野松坂屋の元デパートガールがママで、大学は出ていなくてもなかなかのインテリだった。それから根津の「うさぎ」という小料理屋。ハジメさんというマスター兼板前さんがいて、とてもいい人だったが、癌を患って死んでしまってからはあまり行かなくなった。「うさぎ」の近くのマンションの1階にあったのがスナック「根津組」。玉川勝太郎の娘という人がママで芸能人も顔を出すという話だった。根津組を出てそろそろ終電が無くなるころに入り口の灯りが目についたのがスナック「ふらここ」。ここは現役を終えるまで10年ほど通ったと思う。今はもうないけれど。

8月某日
「大嘗祭-天皇制と日本文化の起源」(工藤隆 中公新書 2017年11月)を読む。大嘗祭は天皇の代替わりのときに行われる宗教的な儀式のことである。本書が刊行された2017年は平成29年で、したがって「はじめに」では「私が実際に大嘗祭の報道に触れたのは、私の人生の中でただ一度、平成期の天皇の即位のときであった」と記されている。そして「昭和64年(1989)1月7日早朝の昭和天皇の死去(崩御)から、同日午前10時の、皇居正殿松の間での『剣爾等承継の儀』による新天皇の誕生で、法的には即位の手続きは終了している」、にもかかわらず「翌年11月22、23日に、あらためて大嘗祭が行われたというところに、大嘗祭の本質が潜んでいる」とする。つまり「即位の儀による政治的・法的正当性と、大嘗祭という神話・呪術的正当性が揃うことによって、天皇位継承したことになる」のだ。この「神話・呪術的正当性」とくに「呪術的正当性」は天皇制に特有のものと考えられる。男系男子による天皇制という考え方にも疑問を呈する。継体天皇は応神天皇の5世の孫として皇位を継承しているが、これは越前、近江地方の勢力による皇位の簒奪との見方もある。しかし継体の妻は雄略の孫、先帝の仁賢の娘であり、継体が簒奪者だったとしても「女系の血統」により雄略からの血統は維持されたことになる。「つまり、ヤマト国家の側には、「女系の血統」や女性天皇を許容する弥生時代以来の感覚が存在していたのではないか」としている。本書は大嘗祭を切り口に日本民族のアニミズム・シャーマニズム的な伝統を明らかにしたものといえるだろう。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
近所の手賀沼公園を会場にして花火大会。発射音の轟音に家が震えるようだ。轟音を聴きながらビールとワインを呑む。花火大会は今年も盛況だったようで夜遅くまで人のざわめきが感じられた。
図書館で借りた「あれは誰を呼ぶ声」(小嵐九八郎 アーツアンドクラフツ 2018年10月)を読む。作者の小嵐は1944年生まれ。本名は工藤さんと言って私が早稲田の政経学部に入ったとき4年生か5年生で社青同解放派の活動家だった。この小説は1960年代後半から70年代の早稲田の活動家が労働組合の専従を経て女性と所帯を持つに至る姿を描く。といってもそこは高橋和巳の「憂鬱なる党派」とは違ってユーモアを交えながら描く。

8月某日
ブラックマンデー以来の大暴落をしたのが金曜日の株価。休み明けの月曜日は最大の上げ幅で元に戻していた。年末には3万8000円ほどまで行くのではないかというのが大方の見方。私は日本経済は長期低迷から脱していないと見る。労働力人口が減少する中、技術革新も米国、中国、韓国に遅れをとっている。教育から立て直さないと日本経済の復活はないと思う。パリオリンピック。スケートボードなどで日本女子が好調。こういう若い人たちが日本経済もけん引していくのだろう。

8月某日
「いつか陽のあたる場所で」(乃南アサ 新潮文庫 2010年11月)を読む。女子刑務所で一緒だった芭子と綾香。出所後、二人は東京千駄木でひっそりと暮らす。芭子はマッサージ店の受付、綾子はパン職人の見習いとして。その日常が描かれるのだが、もちろん下町らしい人情噺が中心である。しかしそこに庶民のなかに潜む悪意、意地悪もさりげなく描かれる。

8月某日
「愚か者の石」(河崎秋子 小学館 2024年6月)を読む。著者は今年前期の芥川賞を「ともぐい」で受賞している。受賞作は未読だが、明治時代の北海道を舞台にしたヒグマとそれを追う猟師の物語らしい。「愚か者の石」も舞台は明治期の北海道。東京の大学生、瀬戸内巽は国事犯として徒刑13年の判決を受け、北海道の樺戸囚治監に送られる。そこでの過酷な現実と囚人同士の友情、看守との軋轢や交情が描かれる。まぁ一種の監獄小説。映画でいうと「網走番外地」の明治版か。河崎秋子は1979年、北海道別海町生まれ。粗削りな魅力がある。

8月某日
11時30分から「絆」にてマッサージ。そこから理髪店「カットクラブパパ」へ。13時過ぎに我孫子駅前からバスでアビスタ前へ。そこから徒歩3~4分で自宅。遅い昼食をとる。
「光」(三浦しをん 集英社文庫 2013年10月)を読む。伊豆諸島のひとつとみなされる架空の島、美浜島で暮らす中学生の信之と美花は恋仲で森のなかの無人のバンガローでセックスも。美少女の美花に東京から観光に訪れたカメラマンの山中は興味を示す。そんなとき大津波が島を襲い、島のほとんどの家と住民が流される。生き残った信之と美花、幼馴染の輔そして山中。夜、美花は山中に襲われそうになる。信之に絞殺される山中。20年後、南海子と結婚した信之は娘の椿と3人で平和に暮らしている。しかし女優となった美花に20年前の惨劇の暴露を匂わせる脅迫状が届く…。中島しをんの小説はユーモアがあってほのぼのとしたもの、という先入観を持っていた私は驚いた。この小説にはユーモアもほのぼの感も1ミリもない。あるのは日常に潜む悪意と殺意だ。

モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
「『卑弥呼の鏡』が解く邪馬台国」(安本美典 中央公論新社 2024年5月)を読む。魏志倭人伝によると卑弥呼は魏の皇帝から100面の鏡を与えられた。そのうちの2面が京都府北部、天橋立近くの籠神社に伝えられている、というのがタイトルの「卑弥呼の鏡」の意味だ。それはともかく、考古学と歴史学、神話学から古代の日本の歴史を考えるという、なかなか壮大な意図を持った本だ。本書によると卑弥呼は天照大御神であり、邪馬台国は北九州に存在したが、東征により大和に移ったという。本書は神話には歴史的事実が秘められている、という立場で、これはシュリーマンがギリシャ神話からの発想でトロイの木馬を発見したという例もあり、別に珍しいことではないらしい。天孫降臨神話や出雲の国譲り神話、神武天皇の東征神話も、歴史的な事実に基づいているということらしい。ところで著者の安本先生は1934年生まれ。京大文学部卒で、専攻は日本古代史、数理歴史学、数理言語学、文章心理学という。今年90歳だが、学問に対する情熱は衰えないようだ。「この本を、亡き妻玲子に捧ぐ」と献辞がある。「あとがき」にも亡き妻を思って「私たちにとって、私があなたに涙を捧げるよりよりも、とむらい合戦として本を書き、その本をあなたに捧げるほうが、ふさわしいであろう。そのほうが、きっとあなたも喜んでくれるであろう」と記されている。

7月某日
「色ざんげ」(島村洋子 2001年4月)を読む。先週読んだ「二人キリ」と同じく、阿部定を巡る人々の物語である。登場人物も定の処女を奪った大学生、定を芸者に売る女衒の夫婦、定を妾にする名古屋の中京商業の教頭など、ほぼ重なっている。たぶん、参考にした書籍が一緒だったのだろう。阿部定事件は1936年5月に発生しているが、同年2月には陸軍青年将校によるクーデター未遂事件、2.26事件が起きている。翌年7月には日中戦争の発端となった盧溝橋事件が起きる。何ともきな臭い時代の猟奇事件だったわけだ。

7月某日
口腔ケアを受けるために近所の手賀沼健康歯科に週2回通っている。ここは担当の歯科衛生士が決まっていて毎回同じ女性が担当してくれている。口腔ケアといっても具体的には歯石の除去。歯科衛生士からは歯磨きに加えて歯間ブラシやフロスによる口腔ケアをアドバイスされたので実践中。口腔ケアを受けた後、歩いて5分の絆マッサージへ。おかげさまで腰痛は治まったようだ。
「されく魂-わが石牟礼道子抄」(池澤夏樹 河出書房新社 2021年2月)を読む。「されく」とは水俣地方のことばで「さまよう」という意味だ。池澤の石牟礼に対する尊敬の念と親愛の情があふれた本。石牟礼の代表作といえる「苦海浄土」について。池澤は「これはルポルタージュ文学であるように見えながらその枠を最初から無視して周囲にあふれ出す文学である」、あるいは「『苦海浄土』について彼女は『聞き書きのふりでやっているんです』と言う。あるいは『水俣病の主人公たちに仮託していた自分の語り』と言う。実際そうではなくてこれほど見事な語りは書き得ない」と書く。なるほど。

7月某日
「ひねくれ一茶」(田辺聖子 講談社文庫 1995年8月)を読む。92年9月に単行本が刊行されたとある。田辺聖子先生の作品は現代小説を中心に読んできた。大阪のOLを主人公にした恋愛小説である。ユーモアが底流にあり安心して読める。田辺先生の小説ジャンルにもうひとつ評伝小説がある。今回の「ひねくれ一茶」もそうである。雪深い信濃から15歳で江戸へ出てきた一茶は、当時流行していた俳諧で才能を開花させる。父親の死を契機に故郷へ帰ることを決意する。そこには亡父と継母の間にできた弟との相続争いが待っていた。村の長老の仲立ちで何とか相続争いをまとめた一茶。50歳にして嫁を迎え句作にも励む。しかし何人かの子を幼くして亡くし、愛妻も若くして病死する。後添えを貰うも精神的にも肉体的にもあわず離縁する。三度目に結婚した妻とはうまく行き子供も設けるが、そのときには一茶の寿命も尽きるときだった。評伝小説は資料を読み込むだけで大変だろうと思うが、そこは田辺先生、巧みに一茶の実像(及び虚像)に迫っている。江戸での俳人(その多くは豪商や豪農であった)との華やかな交流とそれと対象的な信濃での親類付き合いや近隣との交流が描かれる。ここに田辺先生の人間観察眼が光っているように思う。

7月某日
「墨のゆらめき」(三浦しをん 新潮社 2023年5月)を読む。新宿のホテルに勤める俺、小さなホテルなのでフロントからレストランの案内、結婚式と披露宴の手配と何でもこなさなければならない。案内状の宛名書きの差配も仕事のひとつだ。宛名書きをお願いした書家が亡くなったので後継者にお願いに行くところから物語は始まる。若先生を略して「若先」と呼ばれる独身、中年の後継者に俺は魅かれていく。若先は先代から書道塾と宛名書きの仕事を継承している。若先と塾に通う子どもたち、そして若先と俺の淡い交流が淡々と綴られる。そして衝撃の最終章。若先と先代は刑務所で出会う。若先は受刑者、先代は受刑者に書道を教えるボランティアとして。

7月某日
週2回通っていた手賀沼健康歯科での口腔ケアはいったん終了。来月に一度、経過観察がある。現在の私の診察、ケア環境は中山クリックでの月に1度の高血圧診察、週2回の絆治療院でのマッサージである。本日は11時から絆でマッサージ。起床が10時過ぎだったので朝食抜きで絆へ。
「幕末社会」(須田努 岩波新書 2022年1月)を読む。明治維新という日本社会の大変革を準備したのが幕末である。新書の惹句に曰く「徳川体制を支えていた『仁政と武威』の揺らぎ、広がる格差と蔓延する暴力、頻発する天災や疫病-先の見えない時代を、人々はどのように生きたのか」。私の考えでは明治維新は封建体制としての幕藩体制から明治の絶対主義天皇体制への移行と捉えられる。しかし本書を読むと幕末には百姓の自立、反抗、自己主張を始める若者、新たな生き方模索する女性が出てきたそうだ。明治の自由民権運動を経て大正デモクラシーへと進む。その先には昭和ファシズムがあるのだが、大正デモクラシーの先に、ファシズムではない違った道があったようにも思える。どこで違ってしまったのか。

7月某日
「『不適切』ってなんだっけ-これは、アレじゃない」(高橋源一郎 毎日新聞出版 2024年6月)を読む。高橋は1951年の早生まれ。ということは私の2年下だが、私の記憶では彼は現役で横浜国立大学へ入学しているので大学の学年は1年下。本書は「サンデー毎日の連載2021年10月31日号から24年3月3日号の掲載された中から選び、加筆したもの」と注記がされている。私は本書を読んで「高橋源一郎の価値観は私の価値観とほぼ重なる」と思った。「ギョギョギョとじぇじぇじぇ」と題された章では「さかなクン」とさかなクンを主人公にした映画「さかなのこ」について論じている。高橋にとって「さかなクン」は「遠くから子どもたちに『自由』を教えにやってくる『親戚のおじさん』なのだ」と書いている。私にもそんなおじさんがいた。父の長兄で父とは20歳くらい離れている。ずっと生まれ故郷の苫小牧を離れて放浪し、50歳ころに帰郷し王子製紙の守衛の職にありつく。ほどなく王子製紙の争議が起きる。守衛でありながら第一組合に所属し、東京本社でのハンストに加わり入院する。定年後「雁信亭書林」という古本屋を開店する。学歴はなかったがインテリで小学校の校歌の作詞を匿名で作詞することもあったらしい。高橋源一郎から私のおじさんの話になったが、共通するのは「自由の尊重」だ。

7月某日
7月最後の日曜日。酷暑が続く。産業革命以降の化石燃料の浪費の結果か。「宙ぶらん」(伊集院静 集英社文庫 2011年8月)を読む。10の短編がおさめられており、表題作以外は集英社のPR雑誌「青春と読書」に、表題作の「宙ぶらん」は「小説すばる」に発表された。伊集院は昨年11月に亡くなっている。小説の名人と言っても過言ではない。そして女性に持てた。生涯、3人の女性と結婚している。最初の妻とは離婚、2番目の妻は女優の夏目雅子で死別、3番目の妻も女優の篠ひろ子だ。立教大学に進学、野球部に所属するが片を痛めて退部。確か広告会社に就職して各種イベントを企画、作詞も手掛ける。「ぎんぎらぎんにさりげなく」が代表作。色川武大と仲が良かった。二人とも博打うち。本書の解説は桐野夏生。表題作を評して「それでも清冽で、美しく感じられるのは、主人公の『私』が本当に『宙ぶらりん』ではないからである。『私』の心の梁は高く、欠損はない」とする。同感ですね。