モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
「大王から天皇へ」(熊谷公男 講談社学術文庫 2008年12月)を読む。2001年1月に講談社の「日本の歴史」③として刊行されたものの文庫版である。日本の歴史とは直接関係はしないが、本書で分かったことのひとつが中国の皇帝と日本の天皇の違いである。中国では天が地上で最も徳のある人に天下の支配を委ね、新しい王朝が開かれ、やがて何代かして暴君があらわれると、また別の有徳者に天命が下され、新王朝の時代になる。王朝は有限なのである。これに対して日本では天皇位の根拠は天皇の先祖がアマテラスであり、アマテラスの子孫が天孫降臨により、地上(日本)を支配したことによる。もちろんこれらは神話の世界の話である。戦前の一時期、神話を根拠に「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」などのイデオロギーが強く日本社会を支配したことがある。これが誤った観念であることは日本の敗戦によって日本社会に受け入れられた。現在の日本の天皇一家は民主的にして平和的な存在である。しかし本書を読むと古代天皇制の歴史は血に塗られた歴史でもある。壬申の乱を持ち出すまでもなく皇位継承をめぐって戦や暗殺、自死、刑死が繰り返されたのである。天皇号が成立するのは本書では天武・持統朝と推定している。それ以前は大王(オオキミ)であった。ヤマト王権が地方王権の連合体で、王のなかの王が大王だったのであろう。
任那日本府について本書はこう記す。「ほんの20~30年ほど前、日本の古代史学界では、日本はヤマト朝廷が成立して間もない4世紀後半には朝鮮半島南部に武力進出し、そこに統治機関として『任那日本府』をおき、朝廷の『宮家(みやけ)』として『任那』を植民地のように支配・経営していた、その支配は562年の『任那』の滅亡まで続く、とする考えが不動の定説であった」「これは『書紀』の記述の影響を受けたものである」。任那は当時、その場所に存在した「金官国」を指すということだ。熊谷は次のように発言する。〔朝鮮史家の田中俊明氏が「『任那』という用語は、使いたくもないし、使うべきでもない」といっていることに、筆者もまったく同感である〕。私も同感です。

9月某日
「この世の道づれ」(高橋順子 新書館 2024年8月)を読む。詩人の高橋順子が亡夫、車谷長吉について書いたエッセーを主に集めたエッセー集である。車谷は2015年5月17日、誤嚥性窒息で亡くなっている。享年69歳。最後の私小説作家とも言われた車谷はモデルとされた人から訴えられたこともあったようだ。高橋順子は次のように書いている。「小説を書く上では当たり障りがないどころか、当たり障りがあるところに手応えを感じていたようだ。モデルにした人たちの心に血を流させた、と晩年述懐していたが、その人たちの身内にもつらい思いをさせていたことを、義母の葬儀の日、私どもに詰め寄ってきた親族から聞かされた」(車谷文学の行方)。「車谷の私小説には、いろいろなからくりがある。事実と見せながら、巧みに虚構も入っている。『あることないこと書かれて』と苦情を言われたことは、ずいぶんあるようだ」(車谷長吉を送って)。車谷は最大の理解者を奥さんにしたのではないか。

9月某日
午前中、月1回の内科診察に我孫子駅近くのNクリニックへ。10時30分頃だったが、入り口に「午前中の診療は終了しました。午後は15時からの予定です」の貼り紙が。診察をあきらめて白山の床屋さんへ。3500円。床屋さんから白山を手賀沼まで歩く。手賀沼沿いの「水辺のサフラン」でサンドイッチと飲み物を購入、お店で頂く。家に帰って2時過ぎまで休息、今度はバスで八坂神社前、Nクリニックへ。休業の貼り紙。「医者の不養生」か?駅前の「しちりん」でホッピーとつまみを2品ほど。焼酎のボトルをキープしてあるので1100円。我孫子駅前からバスで手賀沼公園へ。我孫子市民図書館で借りていた網野善彦の「日本社会の歴史(上)」を読了。

9月某日
NHKの朝ドラ「虎に翼」が終わった。日本の女性弁護士の先駆けで戦後は家庭裁判所の創設や女性の地向上に尽力した三淵嘉子さんをモデルにした主人公を描く。私は毎回見ていたわけではないが女性差別や同性愛の取り上げ方など好感が持てた(☆☆☆)。

パワハラなどで批判が高まっていた斎藤兵庫県知事が失職、知事選挙に立候補するという。内部告発者を公益通報者とせず、処分した斎藤氏。この人こそが処分されるべき(★★★)。

自民党総裁選挙で石破茂氏が当選。保守派で靖国参拝を主張する高市早苗氏に逆転勝利。高市氏は予想以上に票を集めた。ヨーロッパでは極右勢力が伸長しているという。私は石破氏の当選には好感するが、高市氏の善戦には苦い思いを禁じえない(☆☆★★)。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「いちばん長い夜に」(乃南アサ 新潮社 2013年1月)を読む。前科(マエ)持ち二人組の芭子と綾香のシリーズ最終作。作者の「あとがき」によると、2011年3月11日、著者は早朝から新幹線で仙台に向かった。仙台は綾香の出身地で、綾香が夫殺しを実行した現場でもあることからの日帰り取材旅行であった。午後2時46分、後日「東日本大震災」と名付けられた大地震が発生する。本作には作者のこの体験が色濃く反映している。芭子は綾香が自首したときに離れ離れとなった幼子の行方を探りに綾香に内緒で仙台を訪れる。調査を進めるうちに芭子は大震災に遭遇する。避難先で知り合った青年と相乗りのタクシーで東京を目指す。芭子の体験はほぼ作者の体験と重なる。「あとがき」では「最後に、震災で亡くなられた方々のご冥福と、あの日以来人生が変わらざるを得なくなった皆さんが、それでも生き続けて下さることを心から祈っております。そして、私と編集者とが震災当日、深夜近くまで身を寄せさせていただいたホテル「法華クラブ」の皆さん、東京まで運んでくださった三台のタクシーのドライバー各氏に、お礼を申し上げます」と記されている。芭子と綾香のシリーズは上戸彩と飯島直子でテレビドラマ化されている。

9月某日
「アマテラスの誕生-古代王権の源流を探る」(溝口睦子 岩波新書 2009年1月)を読む。ヤマト王権については日本書紀や古事記などの文献、さらに中国の魏志倭人伝などの文献、そして前方後円墳や埴輪、銅鏡などの考古学資料によって解明は進められているが、まだ全容を明らかにはできない。本書は今から10年以上前の著作だが、私には新鮮で面白かった。本書並びに溝口の論の特徴は「古代天皇制は無文字社会に片足をおいた制度」であり「古代天皇制思想の核である天孫降臨神話は、名のとおり『神話』であり、『神話』は基本的に無文字社会の産物である」という点にある。無文字社会の産物である神話をもとにして古代天皇制について考える、ということであろうか。日本書紀や古事記でもっとも注目すべきは天孫降臨神話であろう。明治憲法でも「天皇の統治権の『淵源』は『皇祖皇宗の神霊』にある(告文)としている」。皇祖皇宗とは「皇祖神」であるアマテラスや、神武天皇にはじまる歴代の天皇を指している。日本に古代国家が成立したのは東アジアの政治情勢が強く影響していると本書は指摘する。4から5世紀前半の東アジアは激しい動乱のなかにあった。北方遊牧民が大量に華北に進出、約130年間にわたって興亡を繰り返した。朝鮮半島北部では、漢民族の文化と遊牧民の文化と接触し融合させながら高句麗が国家形成を果たした。その高句麗から朝鮮半島南部の国々や倭は、大きな影響を受けた。400年ころ、新羅に進出していた倭軍は高句麗に惨敗している(好太王の碑)。
同じ頃、古墳文化も大きく変貌する。「倭の独自性のつよい文化」から「朝鮮半島の影響のつよい文化」への変貌である。副葬品にそれまでみられなかった馬具がみられるようになり、武器・武具も騎馬戦向きのものに変化した。この時期に、新しい政治思想、王の出自が天に由来する「天孫降臨神話」も、高句麗の建国神話を取り入れる形で導入された。その元を辿れば朝鮮半島の北に広がる北方ユーラシアの遊牧民族が古くから持っていた王権思想である。天孫降臨神話の元は北方ユーラシアの王権思想にあった。日本の皇祖神・国家神は「ヤマト王権時代(5~7世紀)はタカミムスヒ」「律令国家成立以降(8世紀~)はアマテラス」。7世紀末に中央集権国家(律令国家)がはじめて成立した。「タカミムスヒからアマテラスへという国家神の転換は、そのような歴史の変化にぴったり対応している」のだ。タカミムスヒもアマテラスも太陽神だが、その出自が違うようだ。タカミムスヒが北方ユーラシア、高句麗系とすると、アマテラスはヤマト王権、弥生系である。これからは私の推測だが、「倭の独自性のつよい文化」から「朝鮮半島の影響のつよい文化」への変貌が起きたとき、ヤマト王権は皇祖神話を、天孫降臨神話を残しつつ、主神を北方ユーラシア系のタカミムスヒから土着のアマテラスへの転換を果たしたのであろう。一方、イザナキ・イザナミの国生み神話は「大まかに捉えれば、みな南方系である」としている。南方とは中国の江南から東南アジア、東インド、インドネシア、ニューギニアにかけての地域を指している。ということは日本神話は北方系と南方系の合作?

9月某日
11月の米大統領選まで50日を切った。テレビ討論会では明らかに民主党のハリス副大統領が優勢でトランプ前大統領の劣勢ははっきりしていた(と私は思う)。トランプの発言で注目されたのが、オハイオ州スプリングフィールドではハイチから来た移民が犬や猫を食べているというものだ。本日(9月18日)の朝日新聞の夕刊コラム「時事小言」で藤原帰一は「犬やネコを食べるというイメージは人種・民族の差別と迫害の典型的な表現に他ならない」とし、ハリスとトランプの違いは「強硬な移民政策をとるか否かでなく、多数派と異なる人種と民族を米国から排除するかどうかである」としている。日本でも自民党と立憲民主党がそれぞれ総裁選と代表戦の真最中である。どちらの選挙でも人種・民族的な差別が議論になったことはないようである。しかし、これはそうした差別が日本社会に存在しないことを意味しない。差別は存在するのに、それを覆い隠す力が強く存在するのではないか、と私は危惧する。民族や国籍による差別、性差による差別、LGBTQに対する差別、その他、全ての差別に私は反対です。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
「神話と天皇」(大山誠一 平凡社 2017年10月)を読む。主として日本書紀と古事記によりながら日本という国の成り立ちと天皇制の成立について解き明かしている。本書によると天皇制が制度的に確立したのは701年に成立した大宝律令の時代である。しかしこのとき実質的な権力を掌握したのは有力貴族の合意の場であった太政官であった。天皇のあり方について本書は「戦前においては天皇機関説があり、戦後は象徴天皇といった評価がなされているが、すでに大宝律令の段階でそれに近いものになっていたのである」と記述している。そう考えてみると長い天皇制の歴史のなかで天皇が実質的な権力を握っていた時期は意外に短いのではないか。ヤマト王権の時代は確かに天皇が権力を握っていたが、蘇我氏が実質的な権力者であった時代を経て、大化の改新で中大兄皇子(天智天皇)が中臣氏(藤原氏)と協力してクーデターにより蘇我氏を討つ。これにより天皇親政が実現するが、藤原氏より天皇の妃が提供されるようになり、実質的な権力は外戚としての藤原氏に移行する。その後、後醍醐天皇による一時的な天皇親政の時期があったが、明治維新までは実質的な権力は武家政権が握った。明治維新により天皇に政権が移ったが、大正から昭和初期までは天皇機関説のもと立憲君主制が確立する。アジア太平洋戦争中も帝国議会は開催され形の上では立憲君主制は守られたが、実質的には軍部独裁であった。で戦後の平和憲法の時代の象徴天皇制の時代となる。天皇制は「君臨すれども統治せず」が似合うのである。

9月某日
「癲狂院日乗」(車谷長吉 新書館 2024年8月)を読む。癲狂院とは精神病院のこと。車谷が神経症を病み浦和の精神病院へ通院していたことからタイトルとしたらしい。車谷が「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞を受賞した前後の日記である。車谷は「最後の私小説作家」といわれたが「赤目…」は8割方がフィクションである。巻末に奥さんで詩人の高橋順子さんが「日の目を見るまで」と題した「あとがき」を書いている。「私は不届きではあるが、今になってやっと、面白い覚めない夢を見た、と思えてきた」と書いているのが印象的であった。実は車谷夫妻とは2回ほど呑んだことがある。本書にも出てくるが入谷の「侘助」という店である。私の兄の奥さんが小学館に勤めており高橋順子さんと友人だった。私がかねてより彼女に車谷のファンであることを公言していたので「今度会わせてあげる」ということになったのだ。この日記の平成10年4月25日に「今朝の朝日新聞によれば、政府は「景気浮揚へ総合経済対策決定 財政出動最大の12兆円」とか。併し日本の景気はも早、永遠によくなることはないだろう。日本の近代化は未達成のまま、終った」という記述がある。平成10年といえば1998年、今から26年も前である。今でこそ「失われた30年」などと日本経済の長期低迷を嘆く声が聞かれるが、当時このような予測をする人はいなかった。車谷は慶応義塾大学独文科の出身で、経済学とは無縁の人だ。作家の直感、恐るべしである。

9月某日
某財団法人の委員会に出席。2時からの委員会だったが久しぶりの都心で財団のあるビルがわからない。迎えに来てもらってやっと到着。会議は15分ほど遅れてスタートして3時前に終了。16時に北千住で友だちと待ち合わせているので霞が関から千代田線に乗車。友だちと無事に会うことができたので西口の「氷見」という呑み屋へ。この時間の呑み屋は爺さんが多い。もちろん我々も爺さん。友だちは小中高校が一緒の山本君。年末にまた呑むことにした。

9月某日
「日本はこうしてつくられた-大和を都に選んだ古代王権の謎」(安倍龍太郎 小学館 2021年1月)を読む。日本の古代史に興味があるのでその手の本を継続して読んでいる。しかし安倍は歴史小説作家ではあるが研究者ではないので本書から有益な知識を得ることはなかった。ただ「関東と大和政権編(房総半島)」で地図に我孫子古墳群という記述があった。今度、図書館で関連資料を調べてみよう。
「日本語のゆくえ」(吉本隆明 光文社 2008年1月)を読む。吉本が母校の東京工業大学の学生を対象に講演したものをまとめたもの。本は5章構成で「芸術言語論の入口」「芸術的価値の問題」「共同幻想論のゆくえ」「神話と歌謡」「若い詩人たちの詩」に分かれている。今、私が関心がある日本古代史と関連する第4章の「神話と歌謡」について。天皇制の日本統一の象徴は水田耕作であること。神武東征で長男の五瀬命と四男の神武が大和盆地に入ったとき長男が宗教的な神事を司り、神武が地上の統治を司った。古代には「男・男」と「男・女」のふたつのパターンがあり、邪馬台国の卑弥呼は後者である。私は吉本隆明の全体像を理解したとは言い難く、一生かけても理解できないだろう。しかし敬愛すべき批評家であることは変わらない。

9月某日
「ガザからの報告-現地で何が起きているのか」(土井敏邦 岩波ブックレット 2024年7月)を読む。イスラエルによるガザ侵攻は多くのパレスチナ人の死者をもたらした。今回のガザ侵攻の直接的な原因は昨年10月のパレスチナゲリラ、ハマスによるイスラエルに対する越境攻撃であった。本書によると「ガザ地区との境界付近で開かれていた音楽フェスティバルで歌い踊っていたイスラエル人の若者たちにハマスの戦闘員が銃を乱射し約260人が射殺され」たというものだ。本書にはイスラエル軍の攻撃によって死の恐怖と飢餓に苦しめられているパレスチナの人びとの発言が記録されている。イスラエルを非難する声が多いのは当然だが、ハマスを非難する声が大きかったのは意外だった。ガザ侵攻を考えるとき、今、何が行われているかを知ることも大切だが、2000年に及ぶアラブ・パレスチナとユダヤ・イスラエルの対立の歴史も知らなければならない。

9月某日
「卍どもえ」(辻原登 中央公論社 2020年1月)を読む。瓜生甫という多摩美大出身のグラフィックデザイナーを巡る人間模様を男と女、女同士の恋愛や性交渉を通じて描く。辻原登は1945年和歌山県生まれだから今年79歳、本書が執筆された2017年当時でも72歳だから、非常に性的な想像力が豊かといわざるを得ない。谷崎潤一郎の「卍」を意識しているのはタイトルからしてそうなのだが、私は未読。早速、図書館で借りようと思う。本書のエンディングは極めて不穏な終わり方である。私としてはそれも悪くないと。

モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
「古代王権-王はどうして生まれたか」(吉村武彦責任編集 岩波書店 2024年5月)を読む。天皇制を歴史的にどうとらえるか-これは戦前と戦後ではおおいに様相が違ってくる。戦前は天孫降臨神話が歴史的な事実とみなされ天皇は現人神であった。戦後は天皇制の歴史的な解明も進められている。本書もその成果のひとつと言えよう。本書では王権を「一定の地域あるいは集団・社会において、政治的権力・権威をもつ王としての権力システムで、権力を維持する軍事・儀礼・レガリア・イデオロギー・神話などの制度・文化を内包して、継続的に支配体制を維持する政治権力であり、その政治体制もあらわす」とされる。レガリアとは正当な王、君主とみなされる象徴的なモノで、日本では三種の神器がこれに当たる。日本列島で王権が成立したのはいつ頃なのか。これは今のところ中国の歴史書に頼るほかはない。後漢書東夷伝などによると倭の奴国王が後漢に朝貢、「漢委奴国王」の金印を授与されている(西暦57年)。倭の女王卑弥呼も、魏に遣使して「親魏倭王」を授与されている(239年)。本書によるとヤマト王権が確立する以前は、「実力」優先で王位が継承されていたらしい。「5世紀の倭の王は、自ら軍事作戦や外交関係の先頭に立つ朝鮮半島の諸王に対抗し得る、列島中央部の盟主としての『実力』をもてねばならなかったのであろう」という。6世紀になると「実力主義を重んじたそれまでの王位継承から、血縁原理優先のもと、むき出しの実力を競い合う混乱を抑制した王位継承へと、舵が切られた根本原因であろう」としている。

8月某日
御徒町駅前の「吉池食堂」で大谷さんと会食。17時20分のスタート予定だったが、早く着いたので先に始める。2杯目のビールを頼んだ頃に大谷さんが到着。改めて乾杯。我孫子のコーヒーを渡す。19時頃にお開き。大谷さんにすっかりご馳走になる。大谷さんは上野まで歩くとのことで私は御徒町から山手線で上野へ。上野から常磐線で帰る。

8月某日
13時30分から元年住協の林弘幸さんと我孫子駅の「日高屋」で会食。生ビールで乾杯の後、私はハイボール、林さんはホッピー。餃子やチャーハン、野菜炒めなどをつまみに呑む。林さんは永大産業出身で年住協ではもっぱら営業畑を歩み、九州支所長や東京支所長を歴任した。私は年住協のPR誌「年金と住宅」の企画と編集をやっていたので年住協のときは仕事上の付き合いはなかったけれど、家が同じ常磐線ということもあって東我孫子ゴルフクラブで何度か一緒にゴルフをした。私は車の運転ができないのでゴルフに行くときは林さんの車に乗せて貰った。なんか仕事以外で世話になりっ放しだ。いつもは割り勘なのだが「森田さん、千円でいいよ」と林さんが言うので、私は千円負担。いつもすみません。

8月某日
週1回のマッサージを受けに近所の「絆」へ。本日は同居している長男が休みなので車で送って貰う。15分のマッサージと15分の電気治療を受ける。健康保険が適用されるので自己負担は550円。長男に迎えにもらい、ケーキ屋さんの「桃の丘」へ。これも同居している次男が誕生日なのでケーキを購入。

8月某日
「時代の反逆者たち」(青木理 河出書房新社 2024年2月)を読む。青木理の対談集。青木は共同通信社出身のジャーナリスト。右傾化が進む日本社会で反骨の言説を曲げない貴重な存在。李琴峰、中島岳志、斎藤幸平ら9人との対談が掲載されている。ロシア文学者で翻訳家の名倉有里はロシアのウクライナ侵攻に触れて「権力が今回暴走した原因は、その政治構造、社会構造のなかで権力に対する抑止機能が十分に利かなくなっていること、要するにブレーキの機能が不十分な構造になっていることにある」と語っている。これは日本にも当てはまると思う。とくに安倍政権下の「忖度」の構造ね。名倉は数年前にベストセラーになった「同志少女よ、敵を撃て」の著者、逢坂冬馬の実姉だって。安倍晋三については中島岳志との対談のなかで安倍晋三の母方の祖父、安倍寛について「相当に腰の据わった反戦、そして反骨の政治家だったようです」と紹介されている。安倍寛の「一人息子が安倍晋太郎氏で、彼も立派な保守政治家だったと僕は思います。ところが晋三氏は父への反発が強いのか、安倍家に背を向けて岸家の方に目がいってしまう。本質は『岸信三』なんです」と語る。中島は共産党について「言っていることはリベラルでも、組織の内部はパターナルなのが共産党と公明党です」と語る。なるほどね。

8月某日
「すれ違う背中を」(乃南アサ 新潮社 2010年4月)を読む。前科(マエ)持ち2人組。芭子と綾香、芭子は30代前半で綾子は一回り上。芭子は女子大生のときホストに入れあげ、金欲しさから男をホテルへ誘い睡眠薬で眠らせ金を奪うことを繰り返す。綾香は家庭内暴力を繰り返す夫を殺害するという過去を持つ。出所した芭子は家族から絶縁を言い渡され、その代償に祖母が住んでいた根津の一軒家を与えられる。同じく出所してきた綾香は将来パン屋として開業することを目指して根津のパン屋でパン職人見習いの職につく。根津、谷中、上野界隈での彼女たちの日常が描かれる。私は現役時代、湯島、根津界隈で呑むことが多かったのでこの界隈には多少の土地勘はある、最初に行くようになったのは湯島に会った「マルル」というスナック。当時、厚労省だった吉武さんに連れて行ってもらったと思う。上野松坂屋の元デパートガールがママで、大学は出ていなくてもなかなかのインテリだった。それから根津の「うさぎ」という小料理屋。ハジメさんというマスター兼板前さんがいて、とてもいい人だったが、癌を患って死んでしまってからはあまり行かなくなった。「うさぎ」の近くのマンションの1階にあったのがスナック「根津組」。玉川勝太郎の娘という人がママで芸能人も顔を出すという話だった。根津組を出てそろそろ終電が無くなるころに入り口の灯りが目についたのがスナック「ふらここ」。ここは現役を終えるまで10年ほど通ったと思う。今はもうないけれど。

8月某日
「大嘗祭-天皇制と日本文化の起源」(工藤隆 中公新書 2017年11月)を読む。大嘗祭は天皇の代替わりのときに行われる宗教的な儀式のことである。本書が刊行された2017年は平成29年で、したがって「はじめに」では「私が実際に大嘗祭の報道に触れたのは、私の人生の中でただ一度、平成期の天皇の即位のときであった」と記されている。そして「昭和64年(1989)1月7日早朝の昭和天皇の死去(崩御)から、同日午前10時の、皇居正殿松の間での『剣爾等承継の儀』による新天皇の誕生で、法的には即位の手続きは終了している」、にもかかわらず「翌年11月22、23日に、あらためて大嘗祭が行われたというところに、大嘗祭の本質が潜んでいる」とする。つまり「即位の儀による政治的・法的正当性と、大嘗祭という神話・呪術的正当性が揃うことによって、天皇位継承したことになる」のだ。この「神話・呪術的正当性」とくに「呪術的正当性」は天皇制に特有のものと考えられる。男系男子による天皇制という考え方にも疑問を呈する。継体天皇は応神天皇の5世の孫として皇位を継承しているが、これは越前、近江地方の勢力による皇位の簒奪との見方もある。しかし継体の妻は雄略の孫、先帝の仁賢の娘であり、継体が簒奪者だったとしても「女系の血統」により雄略からの血統は維持されたことになる。「つまり、ヤマト国家の側には、「女系の血統」や女性天皇を許容する弥生時代以来の感覚が存在していたのではないか」としている。本書は大嘗祭を切り口に日本民族のアニミズム・シャーマニズム的な伝統を明らかにしたものといえるだろう。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
近所の手賀沼公園を会場にして花火大会。発射音の轟音に家が震えるようだ。轟音を聴きながらビールとワインを呑む。花火大会は今年も盛況だったようで夜遅くまで人のざわめきが感じられた。
図書館で借りた「あれは誰を呼ぶ声」(小嵐九八郎 アーツアンドクラフツ 2018年10月)を読む。作者の小嵐は1944年生まれ。本名は工藤さんと言って私が早稲田の政経学部に入ったとき4年生か5年生で社青同解放派の活動家だった。この小説は1960年代後半から70年代の早稲田の活動家が労働組合の専従を経て女性と所帯を持つに至る姿を描く。といってもそこは高橋和巳の「憂鬱なる党派」とは違ってユーモアを交えながら描く。

8月某日
ブラックマンデー以来の大暴落をしたのが金曜日の株価。休み明けの月曜日は最大の上げ幅で元に戻していた。年末には3万8000円ほどまで行くのではないかというのが大方の見方。私は日本経済は長期低迷から脱していないと見る。労働力人口が減少する中、技術革新も米国、中国、韓国に遅れをとっている。教育から立て直さないと日本経済の復活はないと思う。パリオリンピック。スケートボードなどで日本女子が好調。こういう若い人たちが日本経済もけん引していくのだろう。

8月某日
「いつか陽のあたる場所で」(乃南アサ 新潮文庫 2010年11月)を読む。女子刑務所で一緒だった芭子と綾香。出所後、二人は東京千駄木でひっそりと暮らす。芭子はマッサージ店の受付、綾子はパン職人の見習いとして。その日常が描かれるのだが、もちろん下町らしい人情噺が中心である。しかしそこに庶民のなかに潜む悪意、意地悪もさりげなく描かれる。

8月某日
「愚か者の石」(河崎秋子 小学館 2024年6月)を読む。著者は今年前期の芥川賞を「ともぐい」で受賞している。受賞作は未読だが、明治時代の北海道を舞台にしたヒグマとそれを追う猟師の物語らしい。「愚か者の石」も舞台は明治期の北海道。東京の大学生、瀬戸内巽は国事犯として徒刑13年の判決を受け、北海道の樺戸囚治監に送られる。そこでの過酷な現実と囚人同士の友情、看守との軋轢や交情が描かれる。まぁ一種の監獄小説。映画でいうと「網走番外地」の明治版か。河崎秋子は1979年、北海道別海町生まれ。粗削りな魅力がある。

8月某日
11時30分から「絆」にてマッサージ。そこから理髪店「カットクラブパパ」へ。13時過ぎに我孫子駅前からバスでアビスタ前へ。そこから徒歩3~4分で自宅。遅い昼食をとる。
「光」(三浦しをん 集英社文庫 2013年10月)を読む。伊豆諸島のひとつとみなされる架空の島、美浜島で暮らす中学生の信之と美花は恋仲で森のなかの無人のバンガローでセックスも。美少女の美花に東京から観光に訪れたカメラマンの山中は興味を示す。そんなとき大津波が島を襲い、島のほとんどの家と住民が流される。生き残った信之と美花、幼馴染の輔そして山中。夜、美花は山中に襲われそうになる。信之に絞殺される山中。20年後、南海子と結婚した信之は娘の椿と3人で平和に暮らしている。しかし女優となった美花に20年前の惨劇の暴露を匂わせる脅迫状が届く…。中島しをんの小説はユーモアがあってほのぼのとしたもの、という先入観を持っていた私は驚いた。この小説にはユーモアもほのぼの感も1ミリもない。あるのは日常に潜む悪意と殺意だ。

モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
「『卑弥呼の鏡』が解く邪馬台国」(安本美典 中央公論新社 2024年5月)を読む。魏志倭人伝によると卑弥呼は魏の皇帝から100面の鏡を与えられた。そのうちの2面が京都府北部、天橋立近くの籠神社に伝えられている、というのがタイトルの「卑弥呼の鏡」の意味だ。それはともかく、考古学と歴史学、神話学から古代の日本の歴史を考えるという、なかなか壮大な意図を持った本だ。本書によると卑弥呼は天照大御神であり、邪馬台国は北九州に存在したが、東征により大和に移ったという。本書は神話には歴史的事実が秘められている、という立場で、これはシュリーマンがギリシャ神話からの発想でトロイの木馬を発見したという例もあり、別に珍しいことではないらしい。天孫降臨神話や出雲の国譲り神話、神武天皇の東征神話も、歴史的な事実に基づいているということらしい。ところで著者の安本先生は1934年生まれ。京大文学部卒で、専攻は日本古代史、数理歴史学、数理言語学、文章心理学という。今年90歳だが、学問に対する情熱は衰えないようだ。「この本を、亡き妻玲子に捧ぐ」と献辞がある。「あとがき」にも亡き妻を思って「私たちにとって、私があなたに涙を捧げるよりよりも、とむらい合戦として本を書き、その本をあなたに捧げるほうが、ふさわしいであろう。そのほうが、きっとあなたも喜んでくれるであろう」と記されている。

7月某日
「色ざんげ」(島村洋子 2001年4月)を読む。先週読んだ「二人キリ」と同じく、阿部定を巡る人々の物語である。登場人物も定の処女を奪った大学生、定を芸者に売る女衒の夫婦、定を妾にする名古屋の中京商業の教頭など、ほぼ重なっている。たぶん、参考にした書籍が一緒だったのだろう。阿部定事件は1936年5月に発生しているが、同年2月には陸軍青年将校によるクーデター未遂事件、2.26事件が起きている。翌年7月には日中戦争の発端となった盧溝橋事件が起きる。何ともきな臭い時代の猟奇事件だったわけだ。

7月某日
口腔ケアを受けるために近所の手賀沼健康歯科に週2回通っている。ここは担当の歯科衛生士が決まっていて毎回同じ女性が担当してくれている。口腔ケアといっても具体的には歯石の除去。歯科衛生士からは歯磨きに加えて歯間ブラシやフロスによる口腔ケアをアドバイスされたので実践中。口腔ケアを受けた後、歩いて5分の絆マッサージへ。おかげさまで腰痛は治まったようだ。
「されく魂-わが石牟礼道子抄」(池澤夏樹 河出書房新社 2021年2月)を読む。「されく」とは水俣地方のことばで「さまよう」という意味だ。池澤の石牟礼に対する尊敬の念と親愛の情があふれた本。石牟礼の代表作といえる「苦海浄土」について。池澤は「これはルポルタージュ文学であるように見えながらその枠を最初から無視して周囲にあふれ出す文学である」、あるいは「『苦海浄土』について彼女は『聞き書きのふりでやっているんです』と言う。あるいは『水俣病の主人公たちに仮託していた自分の語り』と言う。実際そうではなくてこれほど見事な語りは書き得ない」と書く。なるほど。

7月某日
「ひねくれ一茶」(田辺聖子 講談社文庫 1995年8月)を読む。92年9月に単行本が刊行されたとある。田辺聖子先生の作品は現代小説を中心に読んできた。大阪のOLを主人公にした恋愛小説である。ユーモアが底流にあり安心して読める。田辺先生の小説ジャンルにもうひとつ評伝小説がある。今回の「ひねくれ一茶」もそうである。雪深い信濃から15歳で江戸へ出てきた一茶は、当時流行していた俳諧で才能を開花させる。父親の死を契機に故郷へ帰ることを決意する。そこには亡父と継母の間にできた弟との相続争いが待っていた。村の長老の仲立ちで何とか相続争いをまとめた一茶。50歳にして嫁を迎え句作にも励む。しかし何人かの子を幼くして亡くし、愛妻も若くして病死する。後添えを貰うも精神的にも肉体的にもあわず離縁する。三度目に結婚した妻とはうまく行き子供も設けるが、そのときには一茶の寿命も尽きるときだった。評伝小説は資料を読み込むだけで大変だろうと思うが、そこは田辺先生、巧みに一茶の実像(及び虚像)に迫っている。江戸での俳人(その多くは豪商や豪農であった)との華やかな交流とそれと対象的な信濃での親類付き合いや近隣との交流が描かれる。ここに田辺先生の人間観察眼が光っているように思う。

7月某日
「墨のゆらめき」(三浦しをん 新潮社 2023年5月)を読む。新宿のホテルに勤める俺、小さなホテルなのでフロントからレストランの案内、結婚式と披露宴の手配と何でもこなさなければならない。案内状の宛名書きの差配も仕事のひとつだ。宛名書きをお願いした書家が亡くなったので後継者にお願いに行くところから物語は始まる。若先生を略して「若先」と呼ばれる独身、中年の後継者に俺は魅かれていく。若先は先代から書道塾と宛名書きの仕事を継承している。若先と塾に通う子どもたち、そして若先と俺の淡い交流が淡々と綴られる。そして衝撃の最終章。若先と先代は刑務所で出会う。若先は受刑者、先代は受刑者に書道を教えるボランティアとして。

7月某日
週2回通っていた手賀沼健康歯科での口腔ケアはいったん終了。来月に一度、経過観察がある。現在の私の診察、ケア環境は中山クリックでの月に1度の高血圧診察、週2回の絆治療院でのマッサージである。本日は11時から絆でマッサージ。起床が10時過ぎだったので朝食抜きで絆へ。
「幕末社会」(須田努 岩波新書 2022年1月)を読む。明治維新という日本社会の大変革を準備したのが幕末である。新書の惹句に曰く「徳川体制を支えていた『仁政と武威』の揺らぎ、広がる格差と蔓延する暴力、頻発する天災や疫病-先の見えない時代を、人々はどのように生きたのか」。私の考えでは明治維新は封建体制としての幕藩体制から明治の絶対主義天皇体制への移行と捉えられる。しかし本書を読むと幕末には百姓の自立、反抗、自己主張を始める若者、新たな生き方模索する女性が出てきたそうだ。明治の自由民権運動を経て大正デモクラシーへと進む。その先には昭和ファシズムがあるのだが、大正デモクラシーの先に、ファシズムではない違った道があったようにも思える。どこで違ってしまったのか。

7月某日
「『不適切』ってなんだっけ-これは、アレじゃない」(高橋源一郎 毎日新聞出版 2024年6月)を読む。高橋は1951年の早生まれ。ということは私の2年下だが、私の記憶では彼は現役で横浜国立大学へ入学しているので大学の学年は1年下。本書は「サンデー毎日の連載2021年10月31日号から24年3月3日号の掲載された中から選び、加筆したもの」と注記がされている。私は本書を読んで「高橋源一郎の価値観は私の価値観とほぼ重なる」と思った。「ギョギョギョとじぇじぇじぇ」と題された章では「さかなクン」とさかなクンを主人公にした映画「さかなのこ」について論じている。高橋にとって「さかなクン」は「遠くから子どもたちに『自由』を教えにやってくる『親戚のおじさん』なのだ」と書いている。私にもそんなおじさんがいた。父の長兄で父とは20歳くらい離れている。ずっと生まれ故郷の苫小牧を離れて放浪し、50歳ころに帰郷し王子製紙の守衛の職にありつく。ほどなく王子製紙の争議が起きる。守衛でありながら第一組合に所属し、東京本社でのハンストに加わり入院する。定年後「雁信亭書林」という古本屋を開店する。学歴はなかったがインテリで小学校の校歌の作詞を匿名で作詞することもあったらしい。高橋源一郎から私のおじさんの話になったが、共通するのは「自由の尊重」だ。

7月某日
7月最後の日曜日。酷暑が続く。産業革命以降の化石燃料の浪費の結果か。「宙ぶらん」(伊集院静 集英社文庫 2011年8月)を読む。10の短編がおさめられており、表題作以外は集英社のPR雑誌「青春と読書」に、表題作の「宙ぶらん」は「小説すばる」に発表された。伊集院は昨年11月に亡くなっている。小説の名人と言っても過言ではない。そして女性に持てた。生涯、3人の女性と結婚している。最初の妻とは離婚、2番目の妻は女優の夏目雅子で死別、3番目の妻も女優の篠ひろ子だ。立教大学に進学、野球部に所属するが片を痛めて退部。確か広告会社に就職して各種イベントを企画、作詞も手掛ける。「ぎんぎらぎんにさりげなく」が代表作。色川武大と仲が良かった。二人とも博打うち。本書の解説は桐野夏生。表題作を評して「それでも清冽で、美しく感じられるのは、主人公の『私』が本当に『宙ぶらりん』ではないからである。『私』の心の梁は高く、欠損はない」とする。同感ですね。

モリちゃんの酒中日記 7月その1

7月某日
「八日目の蝉」(角田光代 中公文庫 2011年1月)を読む。以前、NHKのドラマを観て面白かったので小説も読むことにした。ドラマよりももっと面白い。さすがに角田光代である。不倫相手の子を妊娠した希和子は不倫相手の強い希望で中絶する。その後、不倫相手の妻の妊娠出産を知る。希和子は不倫相手の家から乳飲み子を盗み出す。逃避行を続ける希和子と赤ん坊。2人は小豆島に安住の地を見出すが…。希和子と希和子の名づけた薫は、ある写真コンクールをきっかけに父親に発見され、希和子は逮捕され刑務所へ。薫は実の親の元に返される。実の親と馴染まない薫は、大学入学を機に都内で一人暮らしの生活を送る。そして妻子ある男性と不倫の末に妊娠する。出産を決意する薫。妊娠出産小説とも不倫小説とも言えるが、私は希和子と薫の自立していく過程を描いた小説として読めた。タイトルは蝉は長い間地中にいて、地上に出ても七日しか生きられないが、「八日目の蝉は、ほかの蝉が見られなかったものを見られるんだから」と思うところからとられている。

7月某日
午前中に床屋さんへ。帰りに我孫子駅近くの日高屋で「冷麺」。ここは「冷やし中華」と冷麺があって「冷麺」は韓国風、660円(税込み)。図書館で読書、3時から手賀沼歯科で検査、レントゲン検査で口の中にフィルム(?)様のもの突っ込まれる。歯科衛生士の若い女性は「ごめんなさいね」と言いながら容赦なし。手賀沼歯科から徒歩5分でマッサージ店「絆」へ。電気15分、マッサージ15分。帰宅。

7月某日
「二人キリ」(村山由佳 集英社 2024年1月)を読む。1936年5月の阿部定事件をモデルにした小説。14歳の頃、幼馴染の兄に無理やり処女を奪われた定は、それをきっかけに家の金に手を付け遊びまわる。手を焼いた親は定を芸者に出す。芸者と言っても芸のない定は客と売春するようになり、やがて妾や私娼を生業にするようになる。料理屋で住み込みの女中として働くようになった定が出会ったのが料理屋の主人、石田吉蔵である。阿部定の評伝小説として読むことも出来るが、私はそう読まなかった。時代とともに生きた女性を狂言回しとした小説とでもいえばよいか…。この小説の狂言回しはもう一人いる。1967年、旧吉原近くで小料理屋を営む定を訪ねてくる脚本家の吉弥である。石田吉蔵には妻と愛人の定以外にも芸者の妾がいた。妾の子が吉弥である。小説の最後で定が吉蔵の墓に参るシーンがある。定はそこに吉蔵を幻視する。吉蔵から声を掛けられる。
「……。お定、さん?」
 呼びかけられて我に返った。
 波多野吉弥だった。
定は吉蔵はじめ多くの男と性交を繰り返す。しかし、何よりも定は時代と寝た女のような気がする。

7月某日
本日、12時から手賀沼健康歯科で口腔ケアがあるので、朝食は抜く。歯医者の前にマッサージ「絆」へ。本日は長男が休みなので車で送って貰う。「絆」の後、向かいの京北スーパーへ。今朝のチラシに15%の割引券が付いていたのでウイスキーを購入。ウイスキーをリュックに入れて手賀沼歯科へ。ここは担当の歯科衛生士が決まっていていつも同じ歯科衛生士が担当してくれる。私の担当歯科衛生士は群馬県出身で前橋の歯科衛生士の専門学校に通ったそうだ。口腔ケアを受けて感じるのは歯科衛生士って繊細な技術も必要だが、結構な力技でもある。手賀沼歯科の向かいのウエルシアの駐車場まで迎えに来てもらう。

7月某日
「超人ナイチンゲール」(栗原康 医学書院 2023年11月)を読む。ナイチンゲールってこどもの頃に絵本で「クリミア戦争で献身的な看護をした」とか「看護学の基礎を確立した」
程度の知識しかないんですけど。でも著者がアナキズム研究の第一人者、栗原康だからね。ナイチンゲールは1820年、両親がヨーロッパ大陸を新婚旅行中にイタリアのフローレンスで生まれる。当時、ヨーロッパを新婚旅行するくらいだから、両親とも上流階級の家に生まれた。こどものころから利発で本を読むのが好きだった。24歳のとき、看護婦になることを決意するが、当時の看護婦には「汚らしい、賤しい仕事というレッテルが貼られていた」。カトリックの多いフランスやイタリアではシスターの伝統が残っていて、修道院で看護のための専門的な訓練を受けていた。イギリスはプロテスタントだから修道院がつちかってきた看護の伝統がないのだ。同じ頃イギリスに亡命していたマルクスやエンゲルスが見たのもそうした「イギリスにおける労働者階級の状態」だったのだろう。もうひとつナイチンゲールが見たのは当時の男女差別の実態だ。男性は結婚によってすべてを得るが、女性が得る者は何もないといっているそうだ。「次のキリストはおそらく女性だろうと私は信じている」という言葉も残している。ナイチンゲールを精神病とした伝記作家もいた。栗原は「精神病だったとしたら、統合失調症的なものだったのだろう」とする。そして統合失調症…縄文時代、狩猟採集民、時間の先どり、徴候。うつ病…弥生時代、農耕民、直線的な時間、計算可能性、執着気質。と図式化する。私は「うつ病」体質だが、確かにそんな気もする。

7月某日
東京都知事選挙。小池知事が3選を制する。2番目に得票が多かったのが石丸候補。京都大学を卒業して銀行に入り安芸高田市長に。私は千葉県民で都知事選に投票権はない。しかし新聞、テレビが大騒ぎするのでつい関心を持ってしまう。石丸氏は今後の身の振り方聞かれて「広島1区から衆院選を目指そうかな」と語っていた。岸田首相の選挙区である。その意気や良し、と私は思うのである。

7月某日
「ひとびとの足音」(司馬遼太郎 中央公論新社 2009年8月)を読む。司馬は1923年生まれ、私の父母と同世代だ。1歳下の24年生まれが吉本隆明、2歳下の25年生まれが三島由紀夫である。ところで足音の足の字は恐の上の部分に足がつくのが正しいのだが、私のパソコンでは出てこないので足音と記す。「ひとびと」とは市井の人々ということだと思う。主要な登場人物は二人。正岡子規の死後、子規の妹の律の養子となった忠三郎、そして忠三郎が進学した仙台の二高で親友となった西沢隆二。西沢隆二は後に日本共産党の幹部となり、検挙されたが獄中非転向を貫き、敗戦後、釈放された。西沢は戦後も日本共産党の指導的な地位にあったが、除名されている。忠三郎は京都帝大の経済学部へ進学、卒業後に阪急電鉄に就職、電鉄の車掌やデパートの販売員も経験している。西沢は戦前からプロレタリア文学運動にかかわり、戦後は歌声運動などを指導した。私は学生時代、ゲバルト学生であったから、当時の日共、民青を「歌と踊りの民青」とバカにしていた。しかし本書を読むと、
西沢は「コミュニズムでもって革命をおこした場合、ブルジョア民主主義のもっともすぐれた遺産である個人の自由と解放を継承しなければ、革命された社会は単なる統制主義になるだけだ」という思想を抱いていたとある。これは旧ソ連や中国や北朝鮮の社会主義思想=スターリン主義とするどく対立する思想である。

モリちゃんの酒中日記 6月その3

6月某日
「パレスチナ解放闘争史1916-2024」(重信房子 作品社 2024年3月)を読み続けている。何しろA4判で460ページを超え、しかも本文2段組で小さい文字がビッシリ。読み始めてほぼ1週間でやっと半分まで読み進んだ。巻末の〔著者略歴〕によると、「1945年9月東京生まれ。明治大学在学中に社学同に加盟、共産同赤軍派の結成に参加。中央委員、国際委員会として活動し、72年2月に出国。日本赤軍最高幹部としてパレスチナ解放闘争に参加する。2000年11月に逮捕、懲役20年の判決を受け、2022年に出所」とある。

6月某日
監事をやっている一般社団法人の総会が東京駅八重洲口近くの貸会議室で開かれる。開始は1時30分からだが、1時に八重洲口地下の定食屋でランチを済ませ、会議室に入る。定刻前に出席者が揃ったので会議を始める。ここの会長は弁護士の先生で開会のあいさつが何時も面白い。今回は7月7日投開票の東京都知事選に触れてポスター掲示の権利を売買する行為について厳しく批判していた。総会で監査の結果を私が読み上げるなどして無事に終了。今日は7時から西国分寺で評議員をやっている社会福祉法人の評議員会があるので中央線で東京から西国分寺へ移動。7時には時間があるので昼間からやっている居酒屋で時間をつぶす。6時30分過ぎに集合場所の西国分寺駅南口ロータリーに行くと、Y評議員が迎えの車にすでに乗っていた。決算報告を受けた後、理事長が創業者のIさんから厚労省出身のNさんに交代したとの報告があった。評議員会終了後、近くの小料理屋さんで懇親会。理事長になったNさんや評議員のYさんは旧知の仲だが、その他の評議員は年に2回の評議員会で顔を合わせるだけ。おじいさんが大正時代に創業した社会福祉事業を継承した人は、NHKの朝ドラ「虎に翼」は当時の現実を伝えていると話していた。懇親会終了後、タクシーで自宅まで。私は同じ我孫子在住のY評議員と同乗する。我孫子までの1時間30分、Y評議員の話をたっぷり聞く。Y評議員を降ろした後、自宅に着いたら12時を過ぎていた。

6月某日
図書館で借りた「3千円の使いかた」(原田ひ香 中公文庫 2022年8月)を読む。人気のある本らしく「この本は、次の人が予約してまってます。読み終わったらなるべく早くお返しください」と印字された黄色い紙が貼ってあった。家庭経済小説だね。私自身は世界経済や日本経済の現状と将来には興味はあるが、自分の家庭経済には全くと言っていいほど興味はない。現役時代も年金生活の現在も家計は奥さんの担当。私は毎月小遣いをもらうだけだからね。したがってこの本のストーリーにもあまり興味を魅かれなかった。原田の原作のTVドラマ「一橋桐子(76)の犯罪日記」(松坂慶子主演)は面白かったけれど。

6月某日
週2回の絆マッサージ店。同居している長男が休みなので車で送って貰う。マッサージを受け、「気のせいか腰の痛みが軽くなりました」とマッサージの先生に伝えたら「気のせいではありません」と訂正された。たいへん失礼しました。帰りも車。途中、ウエルシアによってタンカレードライジンを購入。帰宅して「虎に翼」の再放送をみる。遅い朝食兼ランチ。妻はアビスタ(公民館と図書館が併設されている)で体操。私は重信房子の「パレスチナ解放闘争史」の残りを読む。

6月某日
「パレスチナ解放闘争史1916-2024」(重信房子 作品社 2024年3月)を読み終わる。10日以上かかったが、面白かった。著者の重信房子は、後にテルアビブの空港で銃を乱射して自爆した奥平剛士と偽装結婚して日本を出国、パレスチナ解放闘争に参加した。日本に帰国中の2000年10月に逮捕、懲役20年の判決が最高裁で確定、2022年に出所した。本書は獄中で書かれた原稿をもとに編集された。昨年の10月7日以降、パレスチナではイスラエル軍による、ジェノサイド攻撃が続いている。本書は書名の通り、第一次世界大戦中から現在に至るパレスチナ解放の戦いの歴史である。イスラエルはパレスチナ人の土地を侵略し、不法にイスラエル人の入植地を拡大させている。これは戦前に日本軍が朝鮮半島や中国大陸で行った不法行為、残虐行為を連想させる。日本軍は1945年8月にアメリカを中心とする連合軍に敗北するが、パレスチナ問題についてアメリカは終始イスラエル支持の姿勢を変えていない。バイデン、トランプともにイスラエル支持である。民主党、共和党ともに在米のユダヤ人からの政治献金に依存するところが大きいためであろうか。日本はアラブからの原油輸入に大きく依存しているためか、ハマースのイスラエル攻撃に対しても、イスラエルのガザ侵攻に対しても批判的で早期の和平を唱えているようだ。しかし本書を読むと、もともとパレスチナの土地にはアラブ人が住んでいた。第一次世界大戦まではオスマントルコが支配していたが、英国は戦後の独立を条件にアラブを味方につけた。この辺は映画「アラビアのロレンス」に詳しい。しかしユダヤ資本も味方につけたい英国、米国はユダヤ国家の創設も約束した。二枚舌外交である。イスラエルは今や中東で随一の軍事大国である。しかしだからといって不法な軍事行動が許されるものではない。
ネタニヤフはパレスチナ人をシナイ半島に移住させパレスチナ国家としたらどうか、と提案しているが、これは帝国主義者の勝手な論理である。イスラエルは今や完全に帝国主義国家となっている。原爆も保有しているようだ。国連は何度もイスラエルの軍事行動を非難する決議を賛成多数で可決しているが、安保理では米国の拒否権により葬り去られている。今、緊急に必要なのはイスラエルのガザ侵攻の停止、そして侵攻前の原状回復であろう。イスラエルによる土地の不法占拠、不法入植についても原状回復が必要だ。本書の表紙にはパレスチナ人の少年が果敢にイスラエル軍の戦車に投石している写真が使われている。写真説明によると「2000年10月29日、ガザ市郊外で、ファレス・ウダが威嚇的なイスラエルの戦車に、石を投げた。11月8日、彼の写真が撮影されてから9日後、ファレスは首を撃たれ、イスラエル国防軍に殺された」とある。少年のインティファーダ(民衆蜂起)である。不法な侵略、不法な入植には抵抗することこそが正義である。

モリちゃんの酒中日記 6月その2

6月某日
「うらはぐさ風土記」(中島京子 集英社 2023年3月)を読む。中島京子は1964年、東京生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業後、フリーライターなどを経て作家に。08年に「小さなお家」で直木賞受賞。日本での難民の暮らしと支援する人たちを描いた「やさしい猫」は佳作。「うらはぐさ風土記」は長年、米国で暮らしていた沙希がパートナーとの離婚を機に帰国。故郷でもあり、通学していた女子大学もある街で暮らし始める。幸い女子大での講師の仕事も決まり、住まいも一人暮らしの叔父が施設に移った後の一軒家を格安で借りることができた。舞台となる街は東京近郊で女子大があり、繁華街と住宅地が近接しているということから吉祥寺と推定される。小説ではそこでの沙希の日常が淡々と描かれる。叔父の家には伯父が残していったウイスキーやワインが大量にあった。沙希はそれらを晩酌に一人で夕ご飯を食べたりする。吉祥寺ね。しばらく行っていないな。井の頭線に取引先があったり、友人が住んでいたりしたから現役時代は何度か吉祥寺で呑んだ。小説には布袋という老舗の焼き鳥屋が出てくるが、吉祥寺の伊勢屋というこれも老舗の焼き鳥屋にも行った。家からは遠いのだけれど、今度久しぶりに行ってみようかね。

6月某日
「オパールの炎」(桐野夏生 中央公論新社 2024年6月)を読む。桐野夏生の最新作であり、初出は「婦人公論」2022年12月号~2023年11月号。巻末に「本書はフィクションであり、実在の人物・団体等とは一切関係ありません」と注記されている。物語はピル解禁同盟のリーダー塙玲衣子を中心に展開する。ピル解禁同盟はピンクのヘルメットを被って不倫や浮気で家庭を顧みない男たちを弾劾する。となると、この小説は中ピ連とそのリーダー榎美沙子をモデルとしていることが知れる。小説と関係なく中ピ連と榎の活動を振り返ると、時代的な制約を感じざるを得ない。彼女らの活動は一夫一婦制の旧来の家族制度を前提としたものではなかったか。中絶の禁止反対とピル解禁を訴えたのは正しかったと思うけれど。思えば70年代は中ピ連のような得体の知れないグループが蠢いていた時代だったのかもしれない。唐十郎や寺山修司、連合赤軍やアラブ赤軍、平岡正明や赤瀬川源平…。

6月某日
「東学農民戦争と日本-もう一つの日清戦争」(中塚明 井上勝生 朴孟ス 高文研 2013年6月第1刷 2024年4月新版第1刷)を読む。東学農民戦争というのは高校の世界史の教科書に載っていた東学党の乱のことなんだけれど、私の知識はそこまで。いったいどのような戦争なのか、本書を読むまではまったくの無知でした。東学とは「朝鮮王朝の末期、政治的・社会的に直面していたさまざまの困難な問題を民衆のレベルから改革し、迫り来る外国の圧力から民族的な利益を守ろうとする、当時の朝鮮社会の歴史的なねがいを反映した思想」で、この思想は当時の朝鮮の農民に広く深く浸透した。本書によると東学農民軍は、まず1894年3月に朝鮮王制の悪政を改革するため全面的な決起を決意する。そして農民軍の鎮圧を口実に清国と日本が朝鮮に出兵してくる。農民軍の主要な敵は朝鮮王朝軍から日本軍へと変わる。農民軍の武器は火縄銃と刀、鍬の類いだったが、対する日本軍は近代的な兵制のもと、ライフルと多数の弾薬を備えていた。蜂起した農民軍は最盛期には数十万人ともいわれ、対する日本軍は後備第19大隊3中隊、全軍約600名余の兵力であったという。「この兵力で数十万の農民軍を追い詰めて殲滅し」、農民軍の犠牲者は少なくとも数万人にのぼる。犠牲者の中には戦死者だけでなく、捕らえられて刑死したもの、拷問により殺されたものも少なくない。本書のきっかけとなった北海道大学で1995年に見つかった人間の頭骨6体も、全羅道珍島で数百名が惨殺された一部ということだ。日本軍が行ったことは明確に国際法違反であるし、それ以前に人権を踏みにじるものだ。高校で日本近代史を学ぶときに、日韓併合や東学農民戦争について、事実をきちんと教えないとね。

6月某日
「タラント」(角田光代 中央公論新社 2022年2月)を読む。読売新聞朝刊に2020年7月28日から21年7月23日まで連載されたもの。四国のうどん屋の娘、さよりは大学進学を機に上京する。ボランティアサークルの「麦の会」に入会し、ネパールでのボランティア活動も経験する。サークルではカメラマン志望の翔太やジャーナリスト志望の玲と仲良くなる。卒業後、小さな出版社に就職したさより、カメラマンやジャーナリストとして活動する翔太や玲ともたまに会う日常。さよりには戦争で片膝を失った祖父がいる。その祖父に女名前の手紙が不定期で届く。ウクライナへのロシア侵攻は22年2月、イスラエルのガザ侵攻は昨年10月。この小説の執筆時点では戦争は遠い存在だった。しかし、小説では翔太や玲は紛争地での取材に飛ぶし、さよりの祖父は戦争の影を引きずっている。角田光代の作家的な感性は信ずるに足りる。

6月某日
終日雨。関東地方も梅雨入りしたそうだ。午前中に後期高齢者の歯科健診と、週2回行っているマッサージがあるが、同居している長男が休みということなので車で送って貰う。歯科検診は手賀沼健康歯科へ。以前は緑歯科と言っていたが新装を機に改名したらしい。予約していた10時に受付へ。この歯科医院は歯科衛生士がそれぞれ個室を持っていて、そこで歯科健診を受ける。歯のメンテナンスは概ね良好とのことだったが、歯周病の疑いを指摘される。しばらく通院して治療に当たることにする。雨のなか、車で絆マッサージ治療院へ。15分の電気治療と15分のマッサージ。マッサージ治療院の前で車に乗る。15%の割引券があるので京北スーパーでウイスキーを購入。車で帰宅。

モリちゃんの酒中日記 6月その1

6月某日
「農耕社会の成立 シリーズ日本古代史①」(石川日出志 岩波新書 2010年10月)を読む。農耕社会の成立は弥生時代に始まるが、それ以前の縄文時代は、「温暖帯性の気候のもとに繁茂する森林がもたらす木の実類とシカ・イノシシ、海進によって形成された内湾に生息する魚介類、川を集団で遡上するサケ類など、いずれも季節ごとに集中的に採集、捕獲できる対象があり」「こうした食料獲得活動の季節性と貯蔵を組み合わせる生業と消費の仕組みが、縄文時代の人びとの生活を根底から支えていた」ということだ。日本で稲作が始まったのは弥生時代とされる。縄文人の暮らしは狩猟採集が基本であり、単独の家族ないしは数家族が協働して暮らしていた。米作りとなると水田の形成から田植え、草取り、稲刈り、収穫後の貯蔵に至るまで集団の共同作業が不可欠である。この共同作業がもととなって集落が生まれた。この頃の集落は周囲を環濠で囲んでいたため環濠集落と呼ばれるが、環濠には他の集落からの襲撃を防ぐという意味もあった。環濠集落は北部九州で生まれ、やがて中国、四国、近畿、中部地方へと及ぶ。環濠集落がいくつかまとまってクニが生まれる。「弥生時代の日本列島の社会が急激に変貌を遂げていく際に、もっとも刺激を与えた地域」が朝鮮半島である。『漢書』に「楽浪の海中に倭人有り、分かれて百余国と為る。歳時を以て来り献見すと云ふ」という記述があるように毎年のように交流があった。百余国を統一したのが邪馬台国であったと考えられる。

6月某日
「卑弥呼とヤマト王権」(寺沢薫 中公叢書 2023年3月)を読む。著者の寺沢薫は1950年東京生まれ。同志社大学文学部卒後、奈良県立橿原考古学研究所に勤務。2012年より桜井市纏向学研究センター所長。著者が大学3年の1971年12月、纏向遺跡の発掘調査に参加する。纏向遺跡とは3世紀初頭に卑弥呼を初代大王として奈良盆地東南部の纏向の地に誕生したヤマト王権の遺跡である。邪馬台国の所在地としては戦前から九州説と近畿説に分かれて論争が繰り広げられていたが、著者は一貫して近畿説、それも纏向遺跡こそが邪馬台国の首都であったと主張する。著者は邪馬台国の所在を考古学的に考察するのはもちろんのこと、「国家とは何か」についてもエンゲルスや滝村隆一の論説を手掛かりに考察してゆく。滝村隆一って1970年代に吉本隆明の主宰する雑誌「試行」に論文を掲載していた在野の思想家である。私も「試行」を読んでいたが、理解できたのは吉本の「情況への発言」(だったかな?)という情況論くらいで吉本の言語論や共同幻想論には歯が立たず、滝村の論文は読みもしなかったと思う。マルクスの「国家起源論はエンゲルスによってアジア的な国家形成という重要な視点が閑却され、狭隘化され歪曲された国家権力論」であり、このことに真っ先に気付いたのが滝村隆一という。滝村は広義の国家として外的国家、狭義の国家として内的国家があるとして、歴史的には外的国家は内的国家に先行して存在するとしている。日本における内的国家の出現は7世紀末とされるが、著者は3世紀初頭のヤマト王権の誕生こそが外的国家の出現と見る。寺沢薫という人は日本の考古学について極めて深いと思われるがその知的領域は哲学、政治学にまで及び、極めて広い。

6月某日
図書館で借りた「田辺聖子全集6」(新潮社 2004年8月)を読む。そういえば田辺聖子先生は2019年の6月6日に亡くなっている。命日に借りて昨日、6月8日に読了。この巻には「言い寄る」「私的生活」「苺をつぶしながら」の3作がおさめられているが、3作ともデザイナーの玉木乃理子を主人公とした連作である。乃理子は「言い寄る」では惚れていた三浦五郎が友人の美々と結婚してしまう。傷心の乃理子は金持ちのボンボン剛と知り合う。「私的生活」では乃理子と剛との豪奢な、しかし何か満たされない結婚生活が描かれる。「苺をつぶしながら」では剛と離婚した乃理子の自立した姿を描く。離婚前と離婚後の剛の描かれ方が微妙に違う。離婚前の剛はボンボンらしく傲慢で他者に厳しく自分には優しい。軽井沢に女友達と避暑に出かけた乃理子は、ホテルで剛と偶然に出会う。ホテルで就寝中の乃理子に大阪で友人が事故死したという知らせが届く。乃理子は剛の別荘に連絡、剛は自ら車を運転して乃理子を東京へ届ける。ここでの剛はカッコイイ。
巻末の解題によると「この三部作は、著者の45歳から53歳、すなわち昭和48年から昭和56年にかけて執筆された」とある。今からおよそ半世紀前である。「言い寄る」の文中に「以前に、切腹して首を斬り転がされた小説家が、よくこんな豪傑笑いをした」という記述があるが、これは言うまでもなく昭和45年11月25日の三島由紀夫による自衛隊の市ヶ谷駐屯地への突入後の自死のことである。50年前は携帯電話もパソコンもなく、今から思えばのどかな時代であった。その反面、三島事件や連合赤軍事件など凄惨な事件も相次いだ。しかし三島事件も連合赤軍事件も箱根山の向こうの話である。田辺先生は生涯、関西から離れることはなかった。先生は巻末に「三部作になったこの物語は、浪速の街が生んだのだ。浪速の街が書かせたのだ」と書いている。確かに田辺文学は関西という風土なしには考えられない。

6月某日
月1回、中山クリニックで高血圧症の診察を受ける。10時過ぎに遅い朝食をとり11時に中山クリニックへ。いつものように診察は3分ほど。ついでに後期高齢者の健康診断の予約も明日11時に予約する。本日は私が監事をやっている一般社団法人の理事会があるので東京駅近くの貸会議室へ。この一般社団の会長は弁護士先生なのだが、毎回冒頭のあいさつが面白い。今回は多額の横領事件が発覚した水原一平被告について。結局、5~6年の禁固刑になるのではないか、と法律家らしく推測。理事会は滞りなく終了。私は地下鉄で東京から大手町経由で神保町へ。社会保険出版社の高本社長に挨拶、お茶の水からJRで御徒町へ、御徒町から上野までアメ横を歩く。想像以上に外人客が多い。欧米系だけでなくアジア系も多く見かける。円安効果ね。上野駅近くのイングリッシュバーでビール、ジントニック、ポテト&チップスをいただく。我孫子で薬局(ウエルシア)で処方箋を渡し、明日とりにくると伝える。本日、夕食は外で食べると出てきたのでウエルシアの向かいのラーメン屋でラーメンを食べる。コッテリ系。

6月某日
11時少し前に中山クリニックへ、後期高齢者の健康診断を受ける。心電図をとり血液検査のため採血。八坂神社前からバスで若松へ。絆でマッサージと電気、合計で30分。保険適用なので毎回550円。絆の後、ウエルシアで薬を受け取る。12時30分頃帰宅、妻が作ってくれたおにぎりをいただく。