モリちゃんの酒中日記 5月その1

5月某日
今日から5月。午前中は冷たい雨が降っていたが、午後からは青空が広がる。花粉の季節も終わりが近づいている。「彼女たちの「戦後」」(山本昭宏 岩波新書 2026年3月)を読む。彼女たちというのは黒柳徹子、土井たか子、大橋鎮子、鴨居羊子、田辺聖子、山崎豊子、角野栄子、ゴーマン美智子、吉田ルイ子、平野レミ、中山千夏、吉永小百合の12人。黒柳徹子はほぼ毎日、テレビで会っている。土井たか子は初めて社会党の女性党首になり、後に国会議長も務めた。大橋鎮子は花守安治とともに「暮らしの手帖」を創刊、鴨居羊子は「下着革命」の旗手、田辺聖子は大阪弁を駆使した恋愛小説、家庭小説の名手。山崎豊子は「白い巨塔」「華麗なる一族」「沈まぬ太陽」などの社会派小説家、角野栄子は「魔女の宅急便」に代表される児童文学者、ゴーマン美智子はボストンマラソン、ニューヨークシティマラソンの優勝者にしてマラソン競技の啓蒙者。吉田ルイ子は「ハーレムの暑い日々」などの写真集で知られるフォトジャーナリスト、平野レミは「料理愛好家」、中山千夏は名子役から司会者や歌手としても活躍、1970年代は社会運動家としても知られ、80年には参議院選挙にも当選。吉永小百合は女優としてあまりにも有名。先週読んだ山田詠美の「三頭の蝶の道」は瀬戸内寂聴、大庭みな子、河野多恵子をモデルにした小説だったが、女性作家の抱くドロドロとしたモノを巧みに描いていた。こちらの岩波新書は女性を描くにしても爽やか。ところで吉田ルイ子は北海道室蘭市出身。小学生のころ父親のゴルフを見にアイヌの友達を誘ったが入口で「アイヌと犬はお断りだ」と言われたエピソードが紹介されている。当時も今もアイヌ差別問題は根深いものがある。

5月某日
「こんな生き方がしたい フォトジャーナリスト吉田ルイ子」(小河修子 理論社 1998年8月)を読む。吉田ルイ子(1934~2024年)の評伝だが、少年少女向けに書かれたもの。1934年生まれということは昭和9年生まれか。北海道室蘭市で鉄鋼会社の幹部社員の家に生まれ、終戦後間もなく上京、中高一貫の女子校に入学、外交官にあこがれ慶応義塾大学法学部に進学。卒業後、NHKでのアルバイト経てフルブライト奨学金を得てアメリカに留学、オハイオ大学大学院、コロンビア大学大学院でマスコミ論、フォトジャーナリズム論を学ぶ。ニューヨークのハーレムでの黒人との出会いからフォトジャーナリストの道に進む。室蘭でのアイヌ差別の経験が黒人や少数民族を被写体とするきっかけになったのかもしれない。

5月某日
「昭和的」(関川夏央 春陽堂書店 2025年4月)を読む。関川は1949年新潟県生まれ、上智大学外国学部中退。エッセイスト。関川は地方出身で東京の私立大学に進学したという点では私と同じような経歴である。ただし私は入学後、三派全学連から全共闘運動に共感し参加してゆくのだが、関川はノンポリであったようだ。私が早稲田に入学した当時、上智も全共闘運動が盛んでストライキ中の上智を訪れたことがある。上智の革マル派の一人に論争を挑まれたが、私はほとんど答えられなかった。上智の革マル氏は「まぁ一年生から反代々木ってのは優秀だよ。ガンバな」と言って去って行った。「昭和的」というタイトルは魅力的だ。「元美人革命家の半生記」では元赤軍派の幹部だった重信房子を取り上げている。重信は2000年11月に逮捕され、2010年7月、懲役20年が確定した。刑期満了は2022年5月、このとき76歳であった。どこの大学でも学生運動の痕跡すら見つけるのは難しくなっている。確かに学生運動も「昭和的」の一つだろう。挿絵は南辛坊。こちらも十分に「昭和的」だ。

5月某日
「お尋ね者 物書同心居眠り紋蔵」(佐藤雅美 講談社文庫 2002年6月)を読む。我孫子市民図書館に市民が提供した図書を自由に持って行っていいコーナーがある。そこにあった本である。昔から時代小説は好きで佐藤雅美の本もかなり読んだ。佐藤雅美(1941~2019)は早稲田大学法学部卒、フリーライターを経て「大君の通貨 幕末『円ドル』戦争」で新田次郎賞。この本は日本が鎖国を廃し欧米列強と通商を開始したころの話。日本は金に対して銀の価値が欧米に比較して高く、欧米の商人が銀貨で小判(金貨)を購入し結果的に日本の国富が海外に流出したという話だったと思う。極めて実証的な本でその作風は佐藤の多くの時代小説にも受け継がれている。本作は所かまわず居眠りをしてしまう江戸南町奉行所物書同心、藤木紋蔵が難事件を解決していくというストーリー。そういえば亡くなった大前さんも佐藤雅美の小説を好きだった。

5月某日
「ヤマト王権と難波・河内」(吉村武彦 角川選書 2026年1月)を読む。ヤマト王権とは大和地方に権力の中心をおき、次第に日本列島の大部分を支配下に置いた王権のことである。本書では「おそらく初代の天皇は、日本列島の一部地域にあたる「国」程度の支配から始まるだろう。そして、近畿中央部から列島(北海道と東北北部を除く)へと発展し、やがて蝦夷・隼人などの列島の夷狄、さらに海外の蛮国(伽耶・百済等)へと影響を及ぼしていく」(第1章 ヤマト王権とは何か)と記されている。初代の天皇は第10代の崇神天皇で現代の歴史学では神武から9代までの天皇の実在は否定されている。吉村は古代史だけでなく最新の考古学の成果も参考にしながら古代の日本の政治、経済、社会を描いて行く。「あとがき」によると吉村は、大阪の高校時代に後に作家となる辻原登と雑誌を刊行したりしている。根っこは関西人だからヤマト王権には土地勘があるのだ。私は根っこが北海道人なもので、日本古代史となると土地勘はない。蝦夷地開拓史それはアイヌ侵略史であるけれど、そちらには土地勘はあるのだが。

5月某日
上野の森美術館前で大橋さん、土方さんと待ち合わせ。土方さんが応募していた「上野の森美術館大賞」に入賞し、展示されている。土方さんの作品は、彼が羽田空港で撮影した群集の写真を化学的に処理したもの。土方さんの作品は本名ではなくNeo56として表示されていた。土方さんはもともとはデザイナーだがアート方面への進出も考えているようだ。私より20歳近く若い(確か今年60歳か)が、そのチャレンジ精神にはいつも感心させられる。上野の森美術館を出て、近くの居酒屋で乾杯。大橋さんから元厚労次官の村木厚子さんが日経新聞に連載した「私の履歴書」の切り抜き、Tシャツ(土方さんの息子さんのデザイン)をいただく。土方さんにすっかりご馳走になる。

5月某日
大橋さんにもらった村木厚子さんの「私の履歴書」を読む。村木さんは厚労省の雇用均等・児童家庭局長のとき大阪地検特捜部に逮捕、起訴されるが、後に冤罪だったことが明らかにされる。女性でしかも高知大学という地方大学出身で局長まで出世したのはたいしたものだ。旧労働省は中央省庁のなかでは女性の登用が最も進んでいる省だが、それでも事務次官となった女性は一人だけだ。村木さんは厚労省復帰後、内閣府に出向した後、社会援護局長、事務次官に就任した。今回、「私の履歴書」を読んで感じたのは、彼女の貧困層、弱者への変わらぬ優しさ、逆境にもへこたれぬたくましさだが、入獄経験が彼女を一回り大きくしたのは間違いのないところだろう。入獄・入院体験は人を大きくさせる(ことがある)。