モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
「山県有朋-明治国家と権力」(小林道彦 中公新書 2023年11月)を読む。山県有朋って2度も首相も務めたし、陸軍大将、元帥、公爵と高位高官を極めた人だけれど、巷間あまり人気がない。小説や映画でも主役の座を担うこともあまりない。西郷隆盛や木戸孝允、勝海舟には及ばずと言えども、伊藤博文や大隈重信ほどの人気もない。まぁお札に肖像が使われたわけでも学校を作ったわけでもないからね。しかし今回、中公新書の小伝を読んでいささかこの人に興味がわいてきた。山県は長州藩の低い家柄の家に生まれながら奇兵隊に志願、戊辰戦争で頭角をあらわす。明治10年の西南戦争では現地司令官を務め、西郷に帰順を進めるも西郷は自決する。山県は徹頭徹尾、軍人だった。それも昭和期の軍人のように時世を嘆いて政治に口出しをするような軍人ではなく、官僚としての軍人の勤めを果たしたと言えるのではないか。本書では次のように述べている。「山県は政党勢力に対してはつねに一定の距離を保ち、官僚制の防衛に尽力した。その結果…彼の周囲には多くの専門官僚や軍人が地縁・血縁の違いを超えて集まるようになる」。山県は和歌をたしなんだそうだ。西郷を追憶して「夢の世とおもひすてにしゆめさめて おきところなきそのおもひかな」と詠んだ。すべては夢の世のことだと思いたいのだが、夢から覚めれば、置き所のない思いだけが残っている-という意味だが、なかなかの詩人である。

1月某日
清末愛沙さん(室蘭工業大学大学院教授・日本平和委員会理事)の講演「戦火のもとで生きる人々への思いを込めて~武力によらない平和・人権を~」を聞きに、浦和の埼玉教育会館へ行く。講演開始は13時30分だが、12時過ぎに浦和に着いた。講演場所の近くでランチをとろうと思ったが埼玉教育会館の場所がわからない。やっと見つけたら13時を過ぎていたのでそのまま会場に入る。聴衆は最終的に30~40人、半分は爺さん、4割は婆さん、要するに9割が爺婆。団塊の世代を中心に反戦を叫ぶことには反対はしないけれど、もう少し若い世代が参加しないとね。講演開始近くなって小学校から高校まで一緒だった山本君が来たので一緒に講演を聴く。
清末さんはリモートで登場。たぶん室蘭工大からの中継だろう。清末さんは「北海道パレスチナ医療奉仕団」のパレスチナの難民キャンプで子ども支援に携わっているという。具体的には絵の具を持参し、絵画教室を開いている。昨年11月にもガザに入る予定だったがイスラエルの侵攻によって不可能になったと話していた。清末さんはパレスチナの根本問題はイスラエルによる植民地支配と断言する。イスラエルの建国イデオロギー、シオニズムが侵略主義的、帝国主義的ということだ。今回のイスラエルの侵攻の直接的な原因となったのがハマスのイスラエル侵攻だが、清末さんはハマスを評価しないと断言していた。ハマスの民間人への攻撃や拉致は戦争犯罪だという。私はイスラエルを非難する一方、ハマスを評価しないとする清末さんに公平さを感じる。講演終了後、浦和から南浦和に出て武蔵野線で新松戸へ。居酒屋で山本君と一杯。講演会で「あなたも平和委員会へ」というチラシを貰った。「わたしも入会をおすすめします」という名前が10人ほど連ねられていたが、その一人に辻忠男(医師)とあった。早大全共闘で1年先輩だった辻さんじゃないかなぁ。政経学部を中退して群馬大学医学部へ進学、内科医になった辻さん。沖縄で辺野古移設反対闘争に参加していると聞いたけれど、埼玉でも活動しているんだ。

1月某日
10時30分から近所でマッサージ。この1年くらい週2回通っている。「凝ってますね」と先生に言われる。寒いからね。山本君に2月の京都を誘われたけれど、2月の京都は底冷えするからね。遠慮しようかな。
「大日本史」(山内昌之・佐藤優 文春新書 2017年12月)を読む。幕末の開港から敗戦、新憲法の施行までを8章に分けて2人が対談している。ポイントは「日本史を軸に世界史を考え、日本史との関連で世界史を理解する」(まえがき―新必修科目「歴史総合」のために)。たとえばペリー来航は通説ではクリミア戦争でロシアと英仏、オスマントルコが戦いを継続していたため日本へ来る余裕がなかったとされる。しかしその背景には英米による海洋航路競争があった。米国の狙いは、全世界に展開する大英帝国の蒸気船ネットワークに対抗することであり、太平洋を越えて中国などアジアの広大な市場にアクセスすることだった。ネックは蒸気船の燃料となる石炭であった。そこで当時の日本に注目したのがペリーで、当時、日本の石炭といえば、三池、筑豊と宇部だった。アジア太平洋戦争の原因のひとつが中国市場を巡る日本帝国主義と英米帝国主義との抗争だと思えば、この指摘にもうなずけるものがある。本書では昭和天皇と軍部との関係に言及している。1941(昭和16)年9月6日の御前会議で昭和天皇は「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらん」と明治天皇の御製を詠み上げ、避戦への思いを明らかにした。2人はおおむね昭和天皇には好意的。それはそれでいいのだが、私は昭和天皇には立憲主義的な側面が多かったにせよ、専制君主的な側面もあったと思う。「あとがき」で佐藤は、佐藤が東京地検に逮捕されととき、テルアビブの学会に山内を含む学者5人を同道したその資金の出所が問題視された。山内を除く4人は検察に迎合的な調書を遺しているが、山内のみがテルアビブの学会には意味があり、佐藤は優れた分析官であるという供述を残していると書いている。山内は70年安保のときに北大の社学同、佐藤はその10年以上後の同志社のノンセクト系赤ヘルだった。さすがですね。

1月某日
11時から近所でマッサージ。15分電気を掛け15分でマッサージ。マッサージの先生(30代男性)が浅草寺に初詣、おみくじを引いたら1回目が吉、2回目が小吉、3回目が凶だったと話をしていた。ふーん、若い人でもおみくじ引くんだ、と思った次第。
「ギケイキ 3 不滅の滅び」(町田康 河出書房新社 2023年11月)を読む。本書はもちろん室町時代後期に完成されたとされる「義経記」を種本とするが、作者の町田康が自由奔放に物語を膨らましている。惹句に曰く「英雄・源義経が自ら語る画期的新訳! 笑いと涙とビートで生まれかわる名作大長編。」「宿敵平家を滅ぼすも、鎌倉殿に疎まれた流浪の主従。弁慶、忠信、静など、忠臣たちの運命やいかに。」ということである。私としては物語の後半、義経の子を懐妊した静が母の磯禅師とともに鎌倉に召喚され、鎌倉殿ために舞を舞う段が面白かった。鎌倉殿が静の舞を所望しているという話を「母親から聞かされた静はなんといったか。『それってセカンドレイプだと思う』と言い、それ以上、一言も発しなかった」。そこから作者の芸能論が展開される。「芸能というものは、そこにいる観客を神佛に擬し、身も心も、全身全霊を捧げ、己をむなしくして無心の真心で演じて初めてなり立つものである。その根底には愛と尊敬がある」「そしてそれを演じる者は此の世の最底辺の暗闇に蠢く賤しい者である。最底辺の賤しい者が一直線に天井に駆け上がるときに生ずる熱と力が人の心に迫るのである」(中略)「つまり、輝けば輝くほど、その身分の卑しさを実感するのである。これはひとつの逆説であるが、芸能人としての頂点を極めた静は普段からこの矛盾に引き裂かれていた」。私は昨年末から週刊誌をにぎわしている芸人・松本人志のスキャンダルを思い浮かべる。松本の行動は、週刊誌の報道を読む限り「芸能」という自らの生業に泥を塗っているとしか思えない。

モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
今年は新年1月1日から地震。夕方、私の住んでいる千葉県我孫子でもかなり強い揺れを感じた。震源地は石川県の能登半島。5日現在で死者は90名を越している。そして2日には羽田空港の滑走路でJALの旅客機が海上保安庁の航空機に衝突、JALのほうは乗員乗客とも無事だったが、海保側は機長を除いて5名が死亡した。海保機は石川方面へ救援に向かうはずだったという。自民党の裏金疑惑は年を越した。来月でロシアのウクライナ侵攻は3年目となる。昨年10月に始まったイスラエルのパレスチナのガザ地区への侵攻は止まる兆しも見えない。私の知るところでは最も暗い新年の幕開けだ。落ちるところまで落ちたほうがいいのかも知れない。日本も世界も。そういえば戦後、ベストセラーとなった坂口安吾の「堕落論」のなかに「…日本もまた墜ちることが必要であり、墜ちる道を堕ちきることによって、自分自身、日本自身を発見し救わなければならない。…」という一節がある。去年は「新しい戦前」、今年は「新しい戦後」なのかもしれない。

1月某日
図書館で借りた「ヒロイン」(桜木紫乃 毎日新聞出版 2023年9月)を読む。表紙カバーに「この本は多くの人の予約が入っています。…」という赤い紙が貼られている。我孫子市民図書館のHPで確認するとなんと52人が予約している。そういうわけで7日に借りた本を1日で読み終わり、8日の午後に返却する。別に急いだわけではない。桜木の物語が面白いのだ。「光の心教団」に入信して5年の岡本浩美は、1995年3月に発生した教団の毒ガス散布事件に巻き込まれ指名手配される。岡本の17年間にわたる逃亡劇を描いたのが本書である。岡本は他人に成りすましながら逃げ続ける。本書を読んで私は「自分が自分である根拠って何だろう」と考える。私が能登の地震や羽田の事故に巻き込まれなかったことには根拠があるのだろうか?テレビで地震で妻や両親、子どもを失った人が「なぜ、私がこんな目に会わなければいけないのか」と泣きじゃくっていた。根拠などないのである。ウクライナやガザで戦火に逃げ惑う人たち、彼らの悲劇にも根拠などない。「ヒロイン」を読んで、私は世界の根拠のない理不尽に思いを馳せた。

1月某日
「帝国の構造-中心・周辺・亜周辺」(柄谷行人 岩波現代文庫 2023年11月)を読む。柄谷理論の特徴は社会の発展を、生産様式ではなく交換様式の変化に求めることにある。すなわち「A 互酬(贈与と返礼)」「B 略取と再分配(服従と保護)」「C 商品交換(貨幣と商品)」「D X」である。DはAの互酬的=相互扶助的な関係を高次元で回復するものとされている。能登半島地震でも容易に見られたようだが、被災地における被災者相互の助け合いなどはDのあらわれであるような気がする。歴史上、存在した帝国と現代の帝国(中国の歴代王朝や、その後身としての中華人民共和国、ロシアのロマノフ王朝とその後を継いだソ連帝国及び現在のプーチン帝国など)を思い浮かべると興味深い。北朝鮮は文字通りの世襲の金王朝が三代続いている。習、プーチン、金は帝国3兄弟だし、ロシア、中国、北朝鮮の同盟関係は戦前の日独伊三国同盟を思い浮かばせる。帝国は柄谷の分類によるとBとCにあらわれる。わたしは柄谷は帝国を侵略主義や帝国主義という意味で使っているわけではないと思う。それはDへの高次元での回復の可能性を見ていると思うのだが…。

1月某日
「帝国とナショナリズム」(山内昌之 岩波現代文庫 2012年2月)を読む。山内によると「帝国という用語には、何らかの中央集権権力の下に異質な民族や地域を統合する政治システムという意味合いがこめられている」(序章)。現代でもロシアや中国、そしてアメリカ合衆国も帝国であろう。ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのパレスチナ侵攻は、柄谷のいう「帝国(中心)による周辺、亜周辺」への侵略であるととらえられる。本書はもともと「帝国と国民」という書名で2004年2月に刊行されている。20年前なんだけれど論旨は全然古くなっていない。現在のパレスチナやウクライナの問題を考える上で非常に参考になると思う。どうでもいいことだが、柄谷も山内も学生運動の経験者なんだよね。柄谷は60年安保のときに東大の駒場でブントの活動家だったし、山内も70年安保のとき北大でブント戦旗派の活動家だった。

1月某日
柄谷も山内も影響を受けたと思われるイタリアの思想家アントニオ・ネグリが昨年暮れに享年90歳で亡くなった。朝日新聞に市田良彦神戸大名誉教授が追悼文を書いている。それによるとネグリは当初、イタリアの極左運動の理論家として出発した。1979年に元首相誘拐暗殺事件の黒幕という嫌疑で逮捕・起訴される。市田によると「彼は時間ができたと言わんばかりに執筆に取りかかる」。83年に獄中から国会議員に立候補し当選する。議員特権により釈放されるが、議会が特権を剝奪したためフランスへ逃亡、大学で教える。97年にイタリアへ帰国、逮捕・収監される。彼が自由になったのは2003年である。2000年、彼はパリ第8大学で彼の学生であったアメリカ人、マイケル・ハートと共著で「〈帝国〉」を刊行する。「2人はグローバル化した政治権力の在り方を〈帝国〉と名指しつつ、その運動に、「国民国家」に回帰するのではなく別のグローバル化を対置すべし、という主張を持ち込んだ」そうである。「別のグローバル化」は柄谷の言う「Dへの高次元の回復」ではなかろうか。なお市田氏は第2次ブントの創業者のひとりで後に川崎で総合病院、川崎幸病院を開設した石井の「聞き書き ブント一代」(世界書院 2010年10月)の聞き手を務めていた。