モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
今年は新年1月1日から地震。夕方、私の住んでいる千葉県我孫子でもかなり強い揺れを感じた。震源地は石川県の能登半島。5日現在で死者は90名を越している。そして2日には羽田空港の滑走路でJALの旅客機が海上保安庁の航空機に衝突、JALのほうは乗員乗客とも無事だったが、海保側は機長を除いて5名が死亡した。海保機は石川方面へ救援に向かうはずだったという。自民党の裏金疑惑は年を越した。来月でロシアのウクライナ侵攻は3年目となる。昨年10月に始まったイスラエルのパレスチナのガザ地区への侵攻は止まる兆しも見えない。私の知るところでは最も暗い新年の幕開けだ。落ちるところまで落ちたほうがいいのかも知れない。日本も世界も。そういえば戦後、ベストセラーとなった坂口安吾の「堕落論」のなかに「…日本もまた墜ちることが必要であり、墜ちる道を堕ちきることによって、自分自身、日本自身を発見し救わなければならない。…」という一節がある。去年は「新しい戦前」、今年は「新しい戦後」なのかもしれない。

1月某日
図書館で借りた「ヒロイン」(桜木紫乃 毎日新聞出版 2023年9月)を読む。表紙カバーに「この本は多くの人の予約が入っています。…」という赤い紙が貼られている。我孫子市民図書館のHPで確認するとなんと52人が予約している。そういうわけで7日に借りた本を1日で読み終わり、8日の午後に返却する。別に急いだわけではない。桜木の物語が面白いのだ。「光の心教団」に入信して5年の岡本浩美は、1995年3月に発生した教団の毒ガス散布事件に巻き込まれ指名手配される。岡本の17年間にわたる逃亡劇を描いたのが本書である。岡本は他人に成りすましながら逃げ続ける。本書を読んで私は「自分が自分である根拠って何だろう」と考える。私が能登の地震や羽田の事故に巻き込まれなかったことには根拠があるのだろうか?テレビで地震で妻や両親、子どもを失った人が「なぜ、私がこんな目に会わなければいけないのか」と泣きじゃくっていた。根拠などないのである。ウクライナやガザで戦火に逃げ惑う人たち、彼らの悲劇にも根拠などない。「ヒロイン」を読んで、私は世界の根拠のない理不尽に思いを馳せた。

1月某日
「帝国の構造-中心・周辺・亜周辺」(柄谷行人 岩波現代文庫 2023年11月)を読む。柄谷理論の特徴は社会の発展を、生産様式ではなく交換様式の変化に求めることにある。すなわち「A 互酬(贈与と返礼)」「B 略取と再分配(服従と保護)」「C 商品交換(貨幣と商品)」「D X」である。DはAの互酬的=相互扶助的な関係を高次元で回復するものとされている。能登半島地震でも容易に見られたようだが、被災地における被災者相互の助け合いなどはDのあらわれであるような気がする。歴史上、存在した帝国と現代の帝国(中国の歴代王朝や、その後身としての中華人民共和国、ロシアのロマノフ王朝とその後を継いだソ連帝国及び現在のプーチン帝国など)を思い浮かべると興味深い。北朝鮮は文字通りの世襲の金王朝が三代続いている。習、プーチン、金は帝国3兄弟だし、ロシア、中国、北朝鮮の同盟関係は戦前の日独伊三国同盟を思い浮かばせる。帝国は柄谷の分類によるとBとCにあらわれる。わたしは柄谷は帝国を侵略主義や帝国主義という意味で使っているわけではないと思う。それはDへの高次元での回復の可能性を見ていると思うのだが…。

1月某日
「帝国とナショナリズム」(山内昌之 岩波現代文庫 2012年2月)を読む。山内によると「帝国という用語には、何らかの中央集権権力の下に異質な民族や地域を統合する政治システムという意味合いがこめられている」(序章)。現代でもロシアや中国、そしてアメリカ合衆国も帝国であろう。ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのパレスチナ侵攻は、柄谷のいう「帝国(中心)による周辺、亜周辺」への侵略であるととらえられる。本書はもともと「帝国と国民」という書名で2004年2月に刊行されている。20年前なんだけれど論旨は全然古くなっていない。現在のパレスチナやウクライナの問題を考える上で非常に参考になると思う。どうでもいいことだが、柄谷も山内も学生運動の経験者なんだよね。柄谷は60年安保のときに東大の駒場でブントの活動家だったし、山内も70年安保のとき北大でブント戦旗派の活動家だった。

1月某日
柄谷も山内も影響を受けたと思われるイタリアの思想家アントニオ・ネグリが昨年暮れに享年90歳で亡くなった。朝日新聞に市田良彦神戸大名誉教授が追悼文を書いている。それによるとネグリは当初、イタリアの極左運動の理論家として出発した。1979年に元首相誘拐暗殺事件の黒幕という嫌疑で逮捕・起訴される。市田によると「彼は時間ができたと言わんばかりに執筆に取りかかる」。83年に獄中から国会議員に立候補し当選する。議員特権により釈放されるが、議会が特権を剝奪したためフランスへ逃亡、大学で教える。97年にイタリアへ帰国、逮捕・収監される。彼が自由になったのは2003年である。2000年、彼はパリ第8大学で彼の学生であったアメリカ人、マイケル・ハートと共著で「〈帝国〉」を刊行する。「2人はグローバル化した政治権力の在り方を〈帝国〉と名指しつつ、その運動に、「国民国家」に回帰するのではなく別のグローバル化を対置すべし、という主張を持ち込んだ」そうである。「別のグローバル化」は柄谷の言う「Dへの高次元の回復」ではなかろうか。なお市田氏は第2次ブントの創業者のひとりで後に川崎で総合病院、川崎幸病院を開設した石井の「聞き書き ブント一代」(世界書院 2010年10月)の聞き手を務めていた。