モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
「神話と天皇」(大山誠一 平凡社 2017年10月)を読む。主として日本書紀と古事記によりながら日本という国の成り立ちと天皇制の成立について解き明かしている。本書によると天皇制が制度的に確立したのは701年に成立した大宝律令の時代である。しかしこのとき実質的な権力を掌握したのは有力貴族の合意の場であった太政官であった。天皇のあり方について本書は「戦前においては天皇機関説があり、戦後は象徴天皇といった評価がなされているが、すでに大宝律令の段階でそれに近いものになっていたのである」と記述している。そう考えてみると長い天皇制の歴史のなかで天皇が実質的な権力を握っていた時期は意外に短いのではないか。ヤマト王権の時代は確かに天皇が権力を握っていたが、蘇我氏が実質的な権力者であった時代を経て、大化の改新で中大兄皇子(天智天皇)が中臣氏(藤原氏)と協力してクーデターにより蘇我氏を討つ。これにより天皇親政が実現するが、藤原氏より天皇の妃が提供されるようになり、実質的な権力は外戚としての藤原氏に移行する。その後、後醍醐天皇による一時的な天皇親政の時期があったが、明治維新までは実質的な権力は武家政権が握った。明治維新により天皇に政権が移ったが、大正から昭和初期までは天皇機関説のもと立憲君主制が確立する。アジア太平洋戦争中も帝国議会は開催され形の上では立憲君主制は守られたが、実質的には軍部独裁であった。で戦後の平和憲法の時代の象徴天皇制の時代となる。天皇制は「君臨すれども統治せず」が似合うのである。

9月某日
「癲狂院日乗」(車谷長吉 新書館 2024年8月)を読む。癲狂院とは精神病院のこと。車谷が神経症を病み浦和の精神病院へ通院していたことからタイトルとしたらしい。車谷が「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞を受賞した前後の日記である。車谷は「最後の私小説作家」といわれたが「赤目…」は8割方がフィクションである。巻末に奥さんで詩人の高橋順子さんが「日の目を見るまで」と題した「あとがき」を書いている。「私は不届きではあるが、今になってやっと、面白い覚めない夢を見た、と思えてきた」と書いているのが印象的であった。実は車谷夫妻とは2回ほど呑んだことがある。本書にも出てくるが入谷の「侘助」という店である。私の兄の奥さんが小学館に勤めており高橋順子さんと友人だった。私がかねてより彼女に車谷のファンであることを公言していたので「今度会わせてあげる」ということになったのだ。この日記の平成10年4月25日に「今朝の朝日新聞によれば、政府は「景気浮揚へ総合経済対策決定 財政出動最大の12兆円」とか。併し日本の景気はも早、永遠によくなることはないだろう。日本の近代化は未達成のまま、終った」という記述がある。平成10年といえば1998年、今から26年も前である。今でこそ「失われた30年」などと日本経済の長期低迷を嘆く声が聞かれるが、当時このような予測をする人はいなかった。車谷は慶応義塾大学独文科の出身で、経済学とは無縁の人だ。作家の直感、恐るべしである。

9月某日
某財団法人の委員会に出席。2時からの委員会だったが久しぶりの都心で財団のあるビルがわからない。迎えに来てもらってやっと到着。会議は15分ほど遅れてスタートして3時前に終了。16時に北千住で友だちと待ち合わせているので霞が関から千代田線に乗車。友だちと無事に会うことができたので西口の「氷見」という呑み屋へ。この時間の呑み屋は爺さんが多い。もちろん我々も爺さん。友だちは小中高校が一緒の山本君。年末にまた呑むことにした。

9月某日
「日本はこうしてつくられた-大和を都に選んだ古代王権の謎」(安倍龍太郎 小学館 2021年1月)を読む。日本の古代史に興味があるのでその手の本を継続して読んでいる。しかし安倍は歴史小説作家ではあるが研究者ではないので本書から有益な知識を得ることはなかった。ただ「関東と大和政権編(房総半島)」で地図に我孫子古墳群という記述があった。今度、図書館で関連資料を調べてみよう。
「日本語のゆくえ」(吉本隆明 光文社 2008年1月)を読む。吉本が母校の東京工業大学の学生を対象に講演したものをまとめたもの。本は5章構成で「芸術言語論の入口」「芸術的価値の問題」「共同幻想論のゆくえ」「神話と歌謡」「若い詩人たちの詩」に分かれている。今、私が関心がある日本古代史と関連する第4章の「神話と歌謡」について。天皇制の日本統一の象徴は水田耕作であること。神武東征で長男の五瀬命と四男の神武が大和盆地に入ったとき長男が宗教的な神事を司り、神武が地上の統治を司った。古代には「男・男」と「男・女」のふたつのパターンがあり、邪馬台国の卑弥呼は後者である。私は吉本隆明の全体像を理解したとは言い難く、一生かけても理解できないだろう。しかし敬愛すべき批評家であることは変わらない。

9月某日
「ガザからの報告-現地で何が起きているのか」(土井敏邦 岩波ブックレット 2024年7月)を読む。イスラエルによるガザ侵攻は多くのパレスチナ人の死者をもたらした。今回のガザ侵攻の直接的な原因は昨年10月のパレスチナゲリラ、ハマスによるイスラエルに対する越境攻撃であった。本書によると「ガザ地区との境界付近で開かれていた音楽フェスティバルで歌い踊っていたイスラエル人の若者たちにハマスの戦闘員が銃を乱射し約260人が射殺され」たというものだ。本書にはイスラエル軍の攻撃によって死の恐怖と飢餓に苦しめられているパレスチナの人びとの発言が記録されている。イスラエルを非難する声が多いのは当然だが、ハマスを非難する声が大きかったのは意外だった。ガザ侵攻を考えるとき、今、何が行われているかを知ることも大切だが、2000年に及ぶアラブ・パレスチナとユダヤ・イスラエルの対立の歴史も知らなければならない。

9月某日
「卍どもえ」(辻原登 中央公論社 2020年1月)を読む。瓜生甫という多摩美大出身のグラフィックデザイナーを巡る人間模様を男と女、女同士の恋愛や性交渉を通じて描く。辻原登は1945年和歌山県生まれだから今年79歳、本書が執筆された2017年当時でも72歳だから、非常に性的な想像力が豊かといわざるを得ない。谷崎潤一郎の「卍」を意識しているのはタイトルからしてそうなのだが、私は未読。早速、図書館で借りようと思う。本書のエンディングは極めて不穏な終わり方である。私としてはそれも悪くないと。