モリちゃんの酒中日記 6月その2

6月某日
「きみがなきあと」(木内昇 講談社 2026年4月)を読む。木内昇は1967年生まれの歴史小説作家。2011年「漂砂のうたう」で直木賞。本作は高杉晋作の臨終に立ち会った尼僧、野村望東尼を軸にストーリーが展開する。望東尼ことモトは筑前福岡藩士の夫を見送った後に出家、勤王の志士と交わるうちに自身も投獄される。出獄後、モトは労咳を病む高杉を見舞う。高杉は辞世の「面白きこともなき世を面白く」を詠むが、下の句が続かない。モトは「棲みなすものは心なりけり」と続け、やがて高杉は息を引き取る。このエピソードは司馬遼太郎の「世に棲む日々」にも出てくるエピソード。幕末の尊王攘夷の時代を扱った小説は数多あるが、女性を主人公としたのは珍しい。

6月某日
有楽町の東京交通会館で宮島俊彦さんの奥さんの百合子さんの個展が開かれるという案内をもらったので大谷源一さんを誘って観に行く。16時集合だったのに、間違って15時に会場へ。会場を一回りして出る。交通会館の地下1階にはグランドピアノがセットしてあって、椅子も用意されている。読書しながらピアノを聞いていると大谷さんが登場。再び個展会場へ。会場を出て有楽町から御徒町へ。吉池食堂でビールで乾杯。平日の5時前ながら爺さんたちでほぼ満席。私は御徒町から上野で常磐線に乗り換え我孫子で下車、駅前の「しちりん」でホッピーをいただく。

6月某日
「デインジャー」(村山由佳 新潮社 2026年2月)を読む。92年7月、新聞社系の出版社の記者の長瀬一平と編集者の水野果耶は世界的振付家・久我一臣にインタビューすることになった。1920(大正9)年うまれの久我はこのとき72歳。終戦時に満洲にいた久我はシベリアに抑留され50年に帰国する。終戦時の満洲、戦後のシベリア、そして高度成長期の日本と時空は目まぐるしく交差する。そして明らかにされるのは非常時に行われた女性への理不尽な仕打ちだった。戦時中の戦災や戦後の食糧難で苦労したのは女性に限らない。が占領軍の米兵やソ連兵による強姦の恐怖にさらされたのは女性だった。戦争時に兵士が暴力的になるのはやむを得ないものがある。しかし戦後に婦女子がソ連兵や米兵の餌食にさらされたのは如何なものか。本書の末尾に「主な参考文献」が示されているが、そのなかには「ソ連兵に差し出された娘たち」(集英社)のようにかつて私が図書館で読んだものもあった。

6月某日
「星影のステラ」(林真理子 角川文庫 1986年1月)を読む。林真理子は1954年4月生まれ。日大芸術学部を卒業後、コピーライターとして活動の後、82年エッセー集「ルンルンを買っておうちに帰ろう」がベストセラーに。86年に「最終便に間に合えば」「京都まで」で直木賞を受賞。本書には「星影のステラ」と「だいだい色の海」の中編小説が2編収録されている。「星影のステラ」は「ステラと呼んで」と名乗る若い女性に翻弄される広告代理店に勤めるデザイナーの卵が描かれる。青年期の「何者でもない」が「何者かになりたい」という栄光と不安が描かれる。コピーライター時代の林の栄光と不安でもあるわけだ。「だいだい色の海」では戦後、頭角をあらわした企業経営者の一家が描かれる。金と資産はあるが伝統はなく教養にも乏しい。私は「だいだい色の海」を読んで石原慎太郎の「太陽の季節」を思い出した。小説中の次男の行動が価値紊乱的に思えたのだ。あるいは次男のオナニーの描写は大江健三郎の「セブンティーン」を思い出させる。林真理子は現在72歳、日本文藝家協会理事長と日本大学理事長を務める。女性作家で文化勲章を受章したのは野上彌榮子、円地文子、田辺聖子、瀬戸内寂聴の4名だが、林真理子も10年以内に受賞すると思う。

6月某日
家にあった「薔薇の雨」(田辺聖子 中公文庫 1990年6月)を読む。単行本は1989年9月、ということは収録されている5編の短編の舞台は70~80年代の関西である。「鼠の浄土」は妻を亡くした吉市に嫁いだ丹子と吉市の息子(丹子にとっては義理の息子)、春雄の物語。丹子は吉市と喧嘩し家出を決意、駅へ向かうが電車はもうない。春雄に自転車で迎えに来てもらう。自転車での2人の会話。「オバチャン、出ていったらあかん」「……」「お父ちゃん、可哀そやないか」「辛抱しているあたしのほうが可哀そやないの」「いえてるけど」。大阪弁がいい味を出している。標準語ではこうはいかない。田辺の生涯のテーマの一つは家族だ。おそらく医師で子持ちのカモカのおっちゃんと結婚して義理の息子を育てた経験から来ると思われるが、そうした経験をした人は山ほどいる。それを文学に昇華させたのが田辺である。

6月某日
我孫子市民図書館に行ったら「棚卸し」で金曜日まで休館だった。NPO法人「猪」の会費だったか購読料だったか5000円を郵便振替で支払いに郵便局へ。機械で送金すると窓口より安くなるので機械を使う。基本的に機械音痴なのだがこの際、やってみる。何とか送金できた。本日は私の奥さんの誕生日。ケーキを買おうといつもの店に向かうがどうも休みらしい。ネットで「我孫子 ケーキ屋」で検索すると「つくし野」の入口に「ラ・ヴィ・モンフレール」というケーキ屋さんがあったのでそこで購入する。おおむね好評であった。

モリちゃんの酒中日記 6月その1

6月某日
「女たちは二度遊ぶ」(吉田修一 角川文庫 2009年2月)を読む。単行本は06年3月に角川書店から出版されている。吉田は1968年長崎市生まれ。97年に作家デビュー、02年に「パレード」で山本周五郎賞、同年発表の「パーク・ライフ」で芥川賞受賞。昨年映画化され、吉澤亮が主演男優賞をとった「国宝」の原作者でもある。「女たちは二度遊ぶ」は吉田にとっては比較的初期の作品。「どしゃぶりの女」「殺したい女」「自己破産の女」など11人の女性を描く短編集である。私はこれらの物語は基本的にフィクションと思うが、それでも吉田の体験が多少でももとになっているとも思う。授業にも就職活動にも身の入らなかった学生時代、何者でもないという不安定さと何者かになれるかも知れないという栄光。まぁ若さとバカさは紙一重でもある。

6月某日
「日本の後宮-女性と天皇たちの古代史」(遠藤みどり 中公新書 2025年8月)を読む。現代の日本では現天皇の後継男子が弟の秋篠宮とその男子に限られ、皇統を維持するために結婚した女性皇族にも皇族の地位を認めるとか、旧皇族の男子を養子とするなどの
案が出て来ている。しかし、天皇家に一夫一婦制が適用されたのは昭和に入ってからで、大正天皇も明治天皇も正妻というか皇后からは生れていない。本書で書かれているように天皇家には後宮があり、天皇の複数の妻がいた。天武天皇のときに皇后-妃-夫人-嬪(ひん)というキサキの序列が生まれたという。平安時代には女御、更衣というキサキもあらわれた。源氏物語冒頭の「女御更衣あまたさぶらいたまいけるなかに…」の女御更衣である。長い人類史上、一夫一婦制が定着したのは最近のことと言ってよい。ヨーロッパではキリスト教の普及以降、一夫一婦制が定着したが愛人が複数いた国王も珍しくない。日本の場合、皇統を持続させるという目的で複数の妻そして後宮が存在した。さて皇統を持続させるために天皇家に複数の妻、後宮を認めるのは現実的ではない。私は女性天皇を認める、つまり次期天皇を愛子天皇にすべきと思う。

6月某日
「一度読んだら絶対に忘れない金利の教科書」(中島上智 SBクリエイティブ 2026年4月)を読む。金利の仕組みをシンプルに理解するには「日銀の視点」で読み解くことというのが本書のポイント。しかしそうなったのはそう古い話ではなく「バブル崩壊」が機となったという。1980年代後半から1990年代初めにかけて株や不動産の価格が異常なペースで上昇した。これがバブルだ。バブル崩壊後の1990年代からは「デフレ時代の入口に差し掛かった状況」がつい最近まで続いていた。「失われた30年」とか「失われた40年」という奴だ。バブル崩壊後の1998年に新しい日本銀行法が施行された。ポイントは「日銀を政府から独立した組織とすること」「物価の安定を新たに目標に追加すること」の2つ。物価の安定とは具体的には年率2%前後か。バブル崩壊後、長く日本の物価は前年比で横ばい乃至は1%程度の上昇、ときには前年比でマイナスという状態が続いていた。日銀は政策金利(コールレート)を1%ないし0%に引き下げ、政府、財務省も財政を拡大した。アベノミクスの時代である。しかし円安が続き輸入物価が上昇し、原油価格や原材料価格が上昇しはじめ、企業収益も改善し始めた。景気の維持には日銀や政府のコントロールは欠かせない。しかし私が強く思ったのはそれと同時に国民がこれから物価が上がるが給料も上がり、生活はよくなると思うことが重要だということだ。景気の気は気分の気なのだ。今の日本はやっとそういう方向に向いてはきたが、まだ本格的ではないというところか。

6月某日
「百年の挽歌-原発、戦争、美しい村」(青木理 集英社 2026年1月)を読む。平成23(2011)年4月12日、福島県飯館村で102歳の古老が自ら命を絶った。3.11の東日本大震災からおよそ1カ月後のことである。青木は古老、大久保文雄の遺族、とりわけ息子の嫁の美江子を丹念に取材する。文雄の年の離れた弟、久は太平洋戦争末期の昭和19年、20歳で横須賀の海軍に入隊、激戦地の硫黄島へ送られ戦死する。文雄は高度経済成長を支えた原発の事故により緊急避難を強いられ自死した。美江子は後に東京電力を訴え勝訴する。久は無謀な戦争により戦死する。青木は〔「国策」に殺された兄弟〕と表現する。福島県の浜通りは柳美里の小説、ドキュメントにもたびたび登場する。日本人が忘れてはならないモノがあるのだろう。

6月某日
東京駅八重洲口のカンファレンスルームで監事をしている一般社団法人の理事会に出席。14時過ぎには終了してしまった。18時には以前勤めていた会社の社員との会食の予定が神田である。八重洲口から日本橋を通って神田へ。途中、福島県の物産展によって豚丼を食べる。まだ時間があるので千代田区の図書館へ。神田駅で「適当な店で呑んでいてください」のメールが来る。神田駅南口の「町寿司とろたく」で待つ。ほどなく待ち人登場。現役の人は仕事があって大変だ。

モリちゃんの酒中日記 5月その3

5月某日
「明日、あたらしい歌をうたう」(角田光代 水鈴社 2026年3月)を読む。新(あらた)と拓人、陽菜は小学校からの仲良し。通っていた小学校は別々だが、拓人とはピアノ教室で、陽菜とはお絵描き教室で出会った。新には父親がいない。物心がつく前に死んだと聞かされていたのだが…。父の死の真相は…。人間の成長とか連帯についてちょいと考えさせられた。

5月某日
「シリーズ日本古代史②ヤマト王権」(吉村武彦 岩波新書 2010年11月)を読む。日本列島にはじめて成立した統治システムがヤマト政権で、成立時期は4世紀前半と想定されている。本書はヤマト王権の伝承と由来を古事記と日本書紀によって探る一方、中国の王朝の正史や広開土王の碑の文字などや考古学的資料に基づいても探る。吉村武彦は1945年、朝鮮生まれ。京都・大阪育ち。東大文学部国史学卒、同大大学院国史学専攻博士課程中退、この本の出版当時は明治大学文学部教授となっているが、現在は名誉教授だろう。ヤマト王権の成立は「謎の4世紀」と言われるように未だ謎に包まれている。しかし本書の叙述は私にはわかりやすかった。

5月某日
床屋さんの「髪風船」に行くと待合スペースの椅子がすべて埋まっていた。髪風船を出て近くのイトーヨーカドーで時間をつぶすことにする。イトーヨーカドーの3階の本屋近くには休憩用の椅子が置いてあるのでそこで読書。1時間ほどしてから再び髪風船へ。椅子に座って再び読書。順番が来て散髪。料金を払って外へ。店内に「7月から値上げします」の貼り紙があった。この1、2年、世界的にインフレ傾向が続いているが、ホルムズ海峡封鎖以降は拍車がかかっているようだ。駅南口の蕎麦屋「三谷屋」で親子丼を食べる。680円は安い!こちらはまだ値上げのアナウンスはないが、早晩、値上げは必至であろう。徒歩で自宅近くのマツモトキヨシへ。昨日で備蓄が切れた缶ビールを購入。

5月某日
「継体天皇-六世紀に現れた世襲王権の「始祖王」」(河内春人 中公新書 2026年5月)を読む。普段、本は我孫子市民図書館で借りるのだが、本書は新聞広告を見て即、購入した。日本古代史には昔から興味があったが、吉村武彦の「ヤマト王権」を読んで再び火がついたようだ。そういえば河内晴人は明治大学文学部卒、同大学院博士課程中退とあるから吉村武彦の弟子かも知れない。実在が確認できる最初の天皇である第10代崇神天皇の皇統が第25代武烈天皇で途切れたとき、仁徳天皇の五世の孫が北陸から呼ばれた。後の継体天皇である。ちなみに本書によると武烈天皇の存在は否定されている。本書は日本書紀、古事記の綿密な史料批判を通じて継体天皇の治世を描く。武烈天皇は「民を慈しまず、むしろ殺してそれを喜びとする暴虐の君主であったことを「日本書紀」は強調する」が、同じような記述が中国古典にあるとする。河内春人は1970年生まれ、現在、関東学院大学経済学部教授。

5月某日
年金委員を拝命している。確か厚生労働大臣の任命だったように記憶しているのだが。その年金委員会の研修が新松戸の松戸年金事務所であるので出席する。事務所の副所長が最近の年金事情について説明してくれる。外国人労働者が増えているが年金の適用を受けていない外国人も多いようだ。私は現在、年金受給者だが加入していて本当に良かったと思っている。15時から1時間ほど副所長の話を聞いて散会。新松戸には年金住宅福祉協会の職員だった林弘幸さんが住んでいるので駅前の日高屋で会うことにする。今年の11月に78歳になる私。外で呑む機会も減ってしまったが、林さんとの時間は貴重なひと時であった。

5月某日
「1+1」(井上荒野 潮出版社 2026年4月)を読む。1+1は「ワン・プラス・ワン」と読む。俳句結社「水軍」に関わる登場人物。惹句に曰く「料理と飲み物、味わう二人。「ペアリングをモチーフにした掌編小説集」。井上荒野にはレストランを舞台にした小説や料理を題材にした小説がいくつかある。恐らく本人が料理好きなのであろう。巻末に潮文庫の「荒野の胃袋」(井上荒野)の広告が載っていた。今度、読んでみよう。