8月某日
「白蓮れんれん」(中公文庫)を読む。NHKの朝の連ドラ「花子とアン」で仲間幸恵が演ずる柳原白蓮が人気を集め、そのせいだろう本屋の文庫コーナーには初版が20年も前のこの本が平積みにされていた。先週、桐野夏生の「ナニカアル」を読んだが、これは夫のある林芙美子と毎日新聞社の記者の恋愛を軸とした小説であった。では九州の炭鉱王伊藤伝衛門に嫁いだ白蓮と宮崎滔天の息子龍介の恋愛はどう描かれているのだろうか。2つのケースを比較することにそれほど意味があるとも思えないが、まず林芙美子と柳原白蓮ではその出自が全くと言っていいほど違う。白蓮は華族出身で大正天皇の従妹という家柄だが、芙美子は貧しい行商の家に生まれた。しかし当たり前のことではあるが人は家柄や学歴と恋愛するわけではない。相手の人間にこそ惚れるわけである。しかしここが戦後の常識なんだね。戦前は家と家だからね。白蓮の前半生の悲劇は、初婚は華族の家同士の了解によるものだったし、伝衛門との結婚は白蓮の生家が伝衛門の財産をあてにしたものだった。伝衛門の家からの出奔と龍介との再婚は、世間からの非難を浴びたが、その後、当然のように世間から忘れ去られることになる。龍介との間に生まれた子の戦死という悲劇はあったにせよ、白蓮は龍介に看取られながら波乱の生涯を閉じる。日本の華族制度は維新後「皇室の藩屏」として生まれた。したがって英国の貴族のように「(国家に対する)ノーブレス・オブリージュ(高貴なる義務)」という観念が足りないのではないか。小説とは関係ないがそう思ってしまった。
8月某日
飲み友達のH郷さんから連絡があって我孫子に知り合いがレストランを開店したので行こうという。土曜日の11時30分に我孫子駅の改札で待ち合わせる。5分ほど遅れて改札に行くとH郷さんともうひとりT岡さんという人が待っていた。北口を降りて2~3分でその店「美味小屋」(うまごや)はあった。もともと四谷にあったそうで、T岡さんの息子さんがオーナーでこの4月にオープンしたという。白ワインを呑みながら海鮮料理を堪能した。私は我孫子駅の南口方面の住人だが、我孫子はどうも北口の方が美味しい店が多いように感じる。今日はT岡さんにご馳走になってしまった。今度行きます!
8月某日
久しぶりに田辺聖子の「よかった、会えて」(実業之日本社 92年6月刊)を読む。初出は91~92年にかけて「週刊小説」に掲載されたもの。私が読むのは2度目か3度目、その度に違う感想を抱く。今回は田辺聖子は「絵に描いた」ような家庭の幸福を忌避しているのではないかということと「鈍感な」専業主婦に対する嫌悪感があるのではないかということ。「はじめまして、お父さん」では、鹿児島に単身赴任していた若き日、呑み屋の女性と情を交わしたことのある主人公の前に娘の「可能性」のある若い女性が訪ねてくるという話。「山歌村笛譜」は定年退職した67歳の私は妻に先立たれ二人の息子も独立し団地にひとり暮らし。カラオケや呑み屋を占拠する未亡人軍団を嫌悪するが、ある未亡人の家に仮寓する未亡人の娘に恋をする。もちろんその気持ちを口にすることなどできない。そうこうしているうちに未亡人は急死し、娘は夫の赴任先へと戻っていく。「みつ子はんの顔はもう、思い出せません。この世に何も残らぬごとく。けれども人間の思いは残ります。残るように思います。田舎親爺の恋物語やと嗤われるかもしれませんが、やるせない慕わしさはまだ私の胸に残って、心をあたためてくれるからです」という文章で終わるこの短編は、田辺の短編のなかでも私のベスト10入りは確実。
8月某日
「経営者の条件」(岩波新書 04年9月)を図書館から借りて読む。「経営者って何が一番重要なんだろう?経営者の辞めどきって何時だろう?」という私の現下の関心事にぴったりの書名だったので、発行年がいささか古いのが気になったが借りることにした。一読して大変勉強になった。第2章「経営者の役割とは何か」では①将来ビジョンの策定と経営理念の明確化②戦略的意思決定③執行管理―を経営者の役割とし、「戦略的意思決定」とはP・F・ドラッカーの言う「不確実な明日に向かって、いま何をなすべきか」を決断することとする。そして①と②の役割を同時的に果たさなければならないところに経営者昨日の特質が存在するとしている。③については、極めて多岐にわたる日常的な役割を同時並行的に、優先順位をつけながら、遅滞なく処理すること、としている。またCEOが重視すべきポイントとしてジャック・ウエルチを引用して次のように述べている。①常に首尾一貫していること。トップが何を求めているかを常に率直に周囲に伝えて組織に統一性を与えること②形式ばらずに自由に気楽な雰囲気をつくること。官僚主義は人と人との間に壁をつくるだけ。地位、肩書に関係なく、自分の意見が尊重してもらえると思える組織を目指す③人が第一、戦略は二の次と心得ること。仕事で最も重要なのは適材適所の人事であって、優れた人を得なければ、どんないい戦略も実現しない⑤実力主義にもとづいて明確な差別待遇をすること。部下を“気楽に”差別できる者は組織人間でないし、差別化できない者は管理職失格である⑥最高のアイディアは常に現場から生まれる。本社は何も生まないし、何も売らないことを肝に銘じよう。著者の大沢は1935年生まれ、リクルートで人事教育事業を立ち上げる一方で、江副の女房役として管理部門全般を担当した。創業期のリクルートにはなかなかユニークな人材がいたようだ。この本はデュポン社の元最高経営責任者であるアービング・シャピーローの次の言葉で締めくくられている。「いかなる最高責任者も、経営者の地位は自分のためにあるのではなく、社のためにあるのだということを忘れてはならない。経営者の座を下りる時期を知るのは、経営者の責務である」。
8月某日
帰りの電車の中で「研ぎ師太吉」(山本一力 新潮文庫)を読み終える。山本は2002年に直木賞を受賞した時代小説作家。1948年生まれというから私と同年である。時代小説、歴史小説は山本周五郎、司馬遼太郎、藤沢周平、佐藤雅夫をはじめいろいろと読んできた。だから多少点が辛くなるのは仕方がないかも知れない。その意味からすると「研ぎ師太吉」は物足りなさが残った。下町人情話に犯人探しを加味したものだが、私には太吉の人間的な苦悩の描き方が浅いように感じられた。それにしても山本は江戸後期の下町の職人や商人、同心や与力などの下級幕臣の暮らしを良く調べている。我孫子駅で降りて、今日は「七輪」へ向かう。ウヰスキーのボトルを入れてあるので「炭酸割」を注文。レバーと軟骨、長ネギとしいたけ、セロリの浅漬けを頼む。少しいい気持になったところで「愛花」に向かう。店の前で常連のMさんに会う。今日から「愛花」は夏休みとのこと。2人で「ちゅうちゃん」の店に行く。日本酒を呑んでいたら「愛花」の常連が何人か来る。Mさんにご馳走になってしまう。
8月某日
高齢者住宅財団のO部長と食事。この季節、上野精養軒の屋上ビアガーデンからの不忍池の眺望がなかなかなので屋上ビアガーデンで待ち合わせ。ところが生憎の雨で、ビアガーデンは予約客のみ。ということで1階のレストランに急遽、変更。地域包括ケアシステムと住宅の在り方についていろいろと意見交換する。
8月某日
健生財団から社会保険研究所から請け負っている単行本「人生は2幕目が面白い」(仮)の打合せでフリーライターのF田さんと打合せ。社保研のY場君も同席。F田さんには歴史上の人物で「2度目」の人生を生き生きと送った人を囲み記事風に紹介してもらいたいという注文。私は「少年馬上過ぐ」の伊達正宗を候補に挙げる。女性も入れるということで、晩年、アフリカの飢餓に取り組んだオードリー・ヘップバーンも候補に。打合せの後、「福一」で軽く呑む。
8月某日
没後30年ということもあって有吉佐和子に注目が集まっているらしい。ということで文春文庫で復刊された「断弦」(14年8月 新装版第1刷)を読む。有吉が23歳の作という。地唄という地味な世界を舞台に芸の継承と父娘の葛藤が描かれる。盲目で大検校の位を持つ菊沢寿久の継承者として期待されていた娘の邦枝は、偉大な父に背いて日系2世の男と結婚し渡米する。父の病気と芸の継承問題があり邦枝は一時帰国するのだが。一読して23歳の作とは思えない完成度の高さなのだが、まぁ優れた作品というのは作者の年齢には関係ないわけで。寿久の弟子となる大学生の瑠璃子の存在が全体を和ませている。