社長の酒中日記 5月その4

5月某日
午前中、次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の講師依頼のため、法政大学経済学部教授の小黒一正先生に面談。社保研ティラーレの佐藤社長と先生指定の人形町の喫茶店に行くと先生はすでに来ていた。講師依頼の件は快諾してもらったが少し雑談。先生は京大理学部から大蔵省に入省、それから一ツ橋の大学院に進学したそうだが、理学部では物理学を専攻したそうだ。偉ぶったところが少しもなくこちらの話も丁寧に聞いてくれた。人形町の近くに住んでいるということで、先生の提唱する「コンパクトシティ」の原点は下町にあるのかも知れない。
先生と別れて人形町の近くの日本橋小舟町のセルフケア・ネットワーク(SCN)の高本代表理事を訪ねる。高本代表理事と佐藤社長は同い年ということだ。お昼をSCNの近くの「恭悦」で高本代表にご馳走になる。ここはランチでもなかなか手の込んだものを食べさせてくれる。
午後、イギリスで医師免許を取得し、現在同地でジェネラル・プラクティショナーズ(日本で言う総合医?)をやっている澤憲明先生にインタビュー。社福協発行の「へるぱ!」に掲載するので社福協の会議室を使わせてもらった。同じ医療とは言ってもイギリスと日本ではずいぶん考え方が違う。イギリスでは医者に高いコミュニュケーション能力が要求されるという。患者のニーズをくみ取ることが何よりも大事だからだ。澤先生は患者からの「テレビが壊れたんだけど」という電話相談にも対応するという。患者は一人暮らしの高齢者でそういう社会環境の中ではテレビは患者を社会的な孤立から守る有効なツールになっているという考え方なのだろう。

5月某日
丸の内オアゾ6階にある「ねのひ」で京大理事の阿曽沼さんと17時に待ち合わせ。1階でエレベータを待っていると阿曽沼さんがやってくる。17時開店なので店の前で数分待つ。「ねのひ」は愛知県の盛田酒造が醸造元の日本酒の銘柄でここはアンテナショップということらしい。新玉ねぎや稚鮎などを肴に「ねのひ」をいただく。阿曽沼さんは京都に帰るので19時半頃お開き。阿曽沼さんにすっかりご馳走になる。山手線で東京から上野へ。上野に着くと携帯に着信。「竹下だけど、今どこだよ」「上野。これから帰るところ」と私。「いーから付き合え。これから上野へ行く」と竹下さん。上野駅の山手線のホームで待っていたらほどなく竹下さんが来る。アメ横の居酒屋で吞み直し。根津の「ふらここ」へ流れる。

5月某日
図書館で借りた「第一次世界大戦史」(中公新書 16年3月 新倉章)を読む。私の第一次世界大戦の知識は高校の世界史の教科書のレベルを越えない。ロシア革命のからみで東部戦線、西部戦線は映画の「西部戦線異状なし」で知る程度。それから映画「アラビアのロレンス」も第一次世界大戦の大英帝国とオスマン帝国との抗争を背景にしている。いずれにしても第一次世界大戦を通史として読むのは初めて。著者の新倉章という名も初めて聞く名前だが、当時の新聞や雑誌に掲載された風刺漫画を紹介するなどして時代の雰囲気の再現に力を注いでおり、とても分かりやすかった。第一次世界大戦はヨーロッパ戦線を中心としながらも人類が初めて経験した世界規模の戦争であり、航空機、戦車、毒ガスなどの新兵器も登場している。しかし核兵器はいまだ開発されず本格的な都市への空爆も行われなかった。850万人以上の戦死者を出したといわれるが、市民、非戦闘員の犠牲者は第2次世界大戦に比較すると少なかった。その意味でも第一次世界大戦は第二次世界大戦の壮大な序曲と言えなくもない。第二次世界大戦が人類滅亡の序曲とならないことを願う。

5月某日
「さよなら渓谷」(新潮文庫 吉田修一)を図書館から借りて読む。実際にあった秋田県での母親の幼児殺害事件をヒントにしているが、小説では隣家に住む夫婦と事件を追う雑誌記者に焦点が充てられる。隣家に住む夫婦は実は10数年前の大学野球部の合宿所を舞台にした集団強姦事件の被害者と加害者であったことが徐々に明らかにされる。小説の結末部で妻は失踪してしまう。「姿を消せば、許したことになる。一緒にいれば、幸せになってしまう」。アンビバレントな愛の形である。

5月某日
セルフケア・ネットワークの近くの「恭悦」で高本代表理事、市川理事とフリーライターの香川さんを交えてランチを執りながらの打ち合わせ。私は以前から食べたいと思っていた「すっぽんのスープカレー」を頼む。ランチはいつも満員の「恭悦」である。日本橋小舟町、人形町界隈は飲み屋、食べもの屋のレベルが高い。夜、国立病院機構の古都副理事長と会う。約束の18時半に行くと古都さんがなかなか現れない。一人でビール、日本酒を吞んでいると1時間以上遅れて古都さんが来る。