モリちゃんの酒中日記 3月その3

3月某日
社会福祉法人にんじんの会の石川はるえ理事長と阿佐ヶ谷の星乃珈琲で会う。だんだんダンスと児童虐待防止パンフの新しい担当を紹介される。立教大学大学院の石川さんの講座の出身ということだ。名刺がまだ出来ていないということで名前を聞いたけど忘れてしまいました!終わって近くの「築地日本海」という店でご馳走になる。店名に恥じず刺身と寿司が美味しかった。

3月某日
システムエンジニアの李さんが晩ご飯をご馳走してくれるというので、会社近くの小料理屋「福一」へ。李さんは名前からもわかるように在日だ。今は日本に帰化して日本名は大山というのだが、みんなが李さんと呼ぶので私も李さんと呼んでいる。もともとは亡くなった大前さんの知り合いで、明治大学生協の同僚だったそうだ。李さんは昔、ボイラー関係の仕事をしていて、そのときの同僚が早稲田の哲学の教授をやっているという。私が「早稲田の哲学と言えば竹田青嗣がいるね」と言ったら「それそれ、竹田青嗣」と李さん。
ボイラー仲間なんだ。私は焼酎のお湯割りを4杯ほど、李さんは生ビールを2杯。いい気持になりました。

3月某日
数年前に閉店した新宿歌舞伎町のクラブ「ジャックの豆の木」のマスター、三輪さんと会社近くの「ビアレストランかまくら橋」で待ち合わせ。私が酒のディスカウントストアでニッカウヰスキーの「宮城峡」を買い込んで店に行くと三輪さんはすでに来ていた。生ビールの後、私は宮城峡、三輪さんはずっとビールだった。三輪さんに「ジャックの豆の木」のころの話をいろいろと教えてもらう。いつか三輪さんの「聞き書き」本を作ってみたいものだ。

3月某日
日本橋小舟町のSCNの事務所で「40歳からの介護研修」の打合せ。お昼ご飯を近くの「花乃蕎麦」でご馳走になる。ミニ天丼と温かい蕎麦のセットを頼む。小舟町、堀留町、人形町界隈はおいしい店が多い。夕方、健康・生きがいづくり財団の大谷常務と築地のがんセンターへ。厚労省から出向している経営企画部長の横幕章人さんに面会。横幕さんは水道環境部計画課のとき荻島課長の下にいたことがあるそうだ。「そのうち呑みましょう」ということで横幕さんとは別れ、大谷さんと2人で日比谷線で人形町へ。甘酒横丁の居酒屋へ入る。なかなか結構でした。

3月某日
先日読んだ小林信彦の「天才伝説 横山やすし」(文春文庫)の解説は映画評論家の森卓也という人が書いていた。解説の冒頭、山本夏彦の「私の岩波物語」から「若いとき天才といわれた人は一生忘れない。誰一人おぼえていなくなっても忘れない。全盛時代があったことを世間は忘れてあとかたもないのにひとり当人は忘れない」という一節が引用されていた。森卓也はもちろん「若いとき天才といわれた人」=横山やすしという意味で引用しているのだが、「天才伝説」と同じく古書として入手したのが、たまたま山本夏彦の「私の岩波物語」(文春文庫 1997年5月)だった。山本夏彦の主宰する雑誌「室内」に1987年4月~1993年4月まで連載され、1994年に文藝春秋社で単行本になっている。「室内」という雑誌はもと「木工界」という名称で家具、建具業界、設計家、デザイナーなどを主要な読者としていた。40年前、私が在籍していた日本木工新聞社という業界新聞社は「週刊家具」「週刊建具」「週刊新建材」(のちに住宅ジャーナルと改題)という新聞を発行していたから「室内」という雑誌の存在は知っていたが、手に取って読むことはなかった。20代の学生運動崩れの業界紙記者が読むには高級すぎたのかもしれない。「私の岩波物語」は「室内」が創刊35周年を超えたのを機会に山本が社史として同誌に連載を始めたものだが、岩波、講談社、電通はじめ印刷、製本に至るまでの業界のナマの歴史を描いている。山本夏彦は2002年に亡くなり「室内」も休刊、ああいう雑誌はもう現れないだろう。ちなみに「若いとき天才といわれた人は一生忘れない」は「実業之日本社の時代」の項にあり、実業之日本社が日本の出版界をリードしていたことを述べているが、ここでの「若いとき天才といわれた人」は同社のことである。