モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
「パッキパキ北京」(綿矢リサ 集英社 2023年12月)を読む。綿矢リサの小説を読むのは初めてかもしれない。84年京都府生まれ。01年高校生のときに文藝賞受賞。04年早稲田大学在学中に「蹴りたい背中」で芥川賞を受賞。若くして作家デビューを果たした著者も今年40歳になるんだ。さて本作「パッキパッキ北京」であるが私は面白く読んだ。といっても今年75歳になる私としては理解できない表現もいくつかあった。ストーリーは20歳以上年の離れたバツイチの男性と結婚した私が、夫の赴任先である北京を訪れ、街をウロツキ、ショッピングや食事を楽しむというもの。タイトルは主人公が北京の凍った川を見ているときに頭のなかに流れてきたラップにちなむ。
 適応障害イミ分からん
 世間が私に適応すべき
(のんしゃらりー のんしゃらりー)
 キミは知らんと思うがね
 冬の北京はバッキパキ
(ヘイのんしゃらりー のんしゃらりー)   というラップである。
北京の清潔な空気を漂わす天壇公園と少し外れた地域の陰気な気配。主人公は東京と比較して次のような感想を残す。「シビアなほど陰と陽をはっきりさせる北京と、ごちゃついてるけどまんべんなく全体的に良くしていこうとしてる東京では、そもそも目指している都市の未来の姿が違う気がする」。中国における権威主義的な再開発とそれに取り残された地域のことを言っているのか。私には十分に批評的に感じられた。

3月某日
バス停のアビスタ前から坂東バスで八坂神社前まで5分ほど。八坂神社前から徒歩3分ほどで中山クリニックへ。高血圧の月1回の診察。いつもは閑散としている待合室が今日は高齢者夫婦が3組ほど。私が受診したのは12時を過ぎていた。八坂神社前からバスで若松まで。横浜ラーメン寿美屋で小ラーメン800円を食べる。横断歩道を渡ったウエルシアで中山クリニックの処方箋を渡し、明日の午前中に取りにくると伝える。明日11時30分からウエルシアの近所のマッサージ店で予約をしているため。
本日2度目のバス。今回は我孫子駅まで。我孫子から上野まで常磐線で。上野駅から歩いて御徒町へ。御徒町駅前の吉池本店ビルへ。今日は9階の吉池食堂で4月に年友企画を辞める石津さんと以前に年友企画社員だった寺山(旧姓村井)さんと呑み会。2時間たっぷりお酒とおしゃべりを楽しんだ。

3月某日
小雨。ウエルシアで降圧剤などの薬を受け取りマッサージへ。マッサージの後、ウエルシアでウイスキーを購入。朝飯が遅かったので15時から開く我孫子駅前の居酒屋「しちりん」でランチ兼昼飲み。焼酎のホッピー割とウイスキーのソーダ―割をいただく。つまみはホタルイカの刺身と国産にんにく焼。国産にんにく焼は小鍋でニンニク1個を小片に分けて焼き、その小鍋で卵を焼く。自分でやることも出来るのだが、私はもっぱら女性店員の「みゆき」さんにやってもらう。

3月某日
「帰れぬ人びと」(鷺沢萠 講談社文芸文庫 2018年6月)を読む。鷺沢の小説は20年ほど前によく読んだ記憶がある。透明感のある作風と文体が好きだったのかも。鷺沢は68年生まれ、上智大学在学中に「川べりの道」で文学界新人賞受賞。04年4月11日に自死。
「帰れぬ人びと」には表題作のほか「川べりの道」「かもめ家ものがたり」「朽ちる町」が収録されている。「川べりの道」は東急電鉄の鵜木駅界隈に女性と暮らす父から生活費を貰いに訪れる高校生の日常を描く。「かもめ家ものがたり」は京浜急行蒲田駅前近くの「かもめ家」という居酒屋を任された若き板前コウと親方、常連客の物語。「朽ちる町」は「ヒキフネガワドオリ」にある小さな塾の講師、英明と塾に通う子供たちを描く。そして「帰れぬ人びと」は翻訳の下請け会社に勤める村井と資産家に嫁いだ姉、そして村井の会社の同僚や社長を描く。いずれもフィクションだが、鷺沢の実生活をモデルとしたような家族関係などが垣間見えて私には興味深かった。

3月某日
今日は元厚労省の堤さん、元滋慶学園の大谷さん、滋慶学園の東京福祉専門学校副学校長の白井さんと鎌倉橋の「跳人」で会合。18時からの予定だが堤さんから少し早めに17時30分ころ店に行くとのメールが入る。読みかけの「深く、しっかり息をして-川上未映子エッセイ集」を持って常磐線に乗る。上野から歩いて御徒町へ。14時過ぎに御徒町駅北口の町中華「大興」でランチ、生姜焼き定食をいただく。大興は大谷さんに連れて行ってもらった店だが一人で行くのは初めて。生姜焼き定食も初めてだったが美味しかった。御徒町から神田へ。17時30分までは時間があるので千代田区立神田まちかど図書館で「深く、しっかり息をして」の続きを読む。全部読んでしまったが、まだ時間があるので「跳人」のある鎌倉橋ビル1階の喫茶店でコーヒーを飲む。17時を過ぎたので地下1階の「跳人」へ。スマホを見ると「今日は行けません」と堤さんからメールが入っていた。18時過ぎに大谷さんが来る。二人でビールを呑み始める。白井さんは道に迷ったそうで30分ほど遅れて到着。東京福祉専門学校は年友企画のときに入学案内を作らせてもらった。その後も白井さんには「胃ろう・吸引シミュレーター」の開発でお世話になっている。大谷さん、白井さんとは共通の友人も多く、話はたいへん盛り上がった。白井さんにはお土産に高級クッキーをいただいた上にすっかりご馳走になってしまった。白井さんは大手町から東西線で西葛西へ。私と大谷さんは神田から山手線で上野へ。大谷さんは上野から川口、私は我孫子へ。

モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
3連休の最終日の日曜日。何気なく朝刊の「朝日歌壇・俳壇」のページを開く。永田和弘選の二首が目につく。「良心の呵責ではない 死を前に自分に戻りたかった「桐島」」(篠原俊則)「半世紀近くを別の名で生きて気づかれなかったことの寂しさ」(高橋好美)。東アジア反日武装戦線のメンバーで先月、末期がんで亡くなった桐島聡のことを歌った歌である。小林貴子選の俳句にも「本名で生きたる最期冴え返る」(縣展子)が。桐島聡の死をある感慨を持って受け止めた人がいたんだ。そう思うと少し心が休まる。

2月某日
「かさなりあう人へ」(白石一文 2023年10月 祥伝社)を読む。夫に先立たれて夫の母と暮らす志乃。ある日スーパーで食品を万引きし係員に声を掛けられる。とっさに志乃は現場にいた勇に「あなた」と夫のごとく呼びかける。40代の販売員の志乃は売り場で勇と声を交わしたことがあったのだ。離婚歴のある勇と志乃は紆余曲折を経ながらも心を寄せ合っていく。「紆余曲折」と一言で書いてしまったが、恐らくこの紆余曲折が小説の巧拙を決定する。そしてこの紆余曲折の構成は作家によって傾向があるように感じられる。白石の場合は夫婦、恋人、親子などの関係性と思う。小説は登場人物の関係性を描くものと言ってしまえばそれまでであるけれど。離婚後の勇には人生の目標も目的もない。だが一つだけ心がけようと誓ったことがある。「それは、賤しいことはしないというものだった」「自身が『これは人間として賤しい行為だ』と見做すような行為は絶対にしない-俺はそう思っている」。これは75歳になった私にも共感できる言葉と態度である。

2月某日
一般財団法人の医療経済研究・社会保険福祉協会の「保健福祉活動支援事業」運営委員会に出席するため東京へ。委員会の開催は2時からなので虎ノ門でランチ。ジンギスカン料理の看板の店に入る。ジンギスカンを食べるのは何年かぶり。美味しかった。まだ時間が少しあったので虎ノ門フォーラムの中村秀一理事長を訪問。20分ほど雑談。東急虎ノ門ビル3階の医療経済研究・社会保険福祉協会へ。委員は5名いて私以外は介護や医療の専門家だ。私は医療や介護の受け手の立場から発言するようにしている。来年度の介護報酬改定で「訪問介護のマイナス改定」が話題となった。介護現場の人手不足は深刻なようだ。私は後期高齢者として「私が要介護状態になったとき介護難民とならないように人手不足を緩和してもらいたい。そのためにはロボットやIT、外国人の活用が大事になってくる」と発言させてもらった。虎ノ門界隈をブラブラして霞が関から我孫子へ。途中で赤ちゃんを連れた若い女性が二人(赤ちゃんを入れると4人)乗車する。赤ちゃんが手を振ってくれたので私も手を振る。近くにいた女性と若い男性も笑顔で手を振る。若いお母さんは新松戸で「ありがとうございました」といいつつ笑顔で降りて行った。赤ちゃん効果。

2月某日
「あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?-知らぬ間に忍び寄る排除と差別の構造」(森達也編著 2023年11月)を読む。「あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?」って聞かれても…。私が住むのは我孫子市の手賀沼公園の近く。手賀沼公園と公園内の遊歩道には多くのベンチが設置されているけれど、仕切りなんかあったっけ?…。という感覚である。しかし本書を読んで「公園のベンチの仕切り」には深刻な意味があったのだ。「ベンチの仕切り」は公園管理当局にとっての好ましからざる者、具体的にはホームレス等が、ベンチで横になれないように設けたものだ。ここでサブタイトルの「知らぬ間に忍び寄る排除と差別の構造」の意味が明らかになる。私は北海道で少年時代を過ごしたのだが、私の周囲には少数のアイヌの子どもがいた。ひとりは2歳上の兄の友人で私とも仲良しであった。もう一人は小学校の同級生の女の子。彼女を同級生と虐めたことがあるが、反撃された。民族差別による虐めなのか今となってははっきりしないけれど、民族差別によらない虐めもダメなのは今や常識である。ごめんなさい。
本書に戻ると森達也と10人の筆者が小文を寄せている。それがエッセー風あり、論文風あり、ドキュメント風ありと雑多なのだが、それはそれで私は「いいんじゃないかな」と思う。なぜなら現代における「排除と差別の構造」はそれだけ多様であり重層的であると思うからである。在日朝鮮人に対する民族差別もあるし、外国人労働者に対する差別もある。貧困に対する差別もあるし障がいに対する差別もある。差別者が差別を自覚している場合もあるし無自覚な差別もある。本書の目次から抜粋すると雨宮処凛が「弱者」を対象に「困窮に至るまでの、そして困窮してからの排除」、葛西リサが「シングルマザー」の「住みたい部屋で暮らせない」、渋井哲也の「学校という排除空間」、武田砂鉄の「『五輪やるから出ていけ』の現在地」、朴順梨の「変質するヘイト。そして微かな希望」、森達也の「排除アートは増殖し続けている」、安田浩一の「外国人」の「排除と偏見を逆手にとる」などである。安田浩一のは、磐田市(静岡県)を拠点とするブラジル人4人、ペルー人と日本人が一人ずつの多国籍のラップグループのドキュメント。これは大変に読み応えがありました。

2月某日
今日は4年に1回ある2月29日、かといって何があるわけでもなく。午後1時から神田の社保研ティラーレで打ち合わせ。1時間ほど「地方から考える社会保障フォーラム」について話し合う。私はこのフォーラムの最初からテーマや講師選びを手伝ってきた。実は私はイベントの企画が好き。単行本や雑誌の編集や企画も嫌いではなかったが、書籍って残るからね、失敗しても。イベントって失敗しても残らないからね。だから「社会保障フォーラム」も楽しかったけどね。しかし私も齢75歳を過ぎた。後進に道を譲るべきときが来たように思う。神田から上野、上野から常磐線で我孫子へ。我孫子で駅前の「しちりん」に寄る。

モリちゃんの酒中日記 2月その2

2月某日
「ドキュメント 異次元緩和-10年間の全記録」(西野智彦 岩波新書 2023年12月)、「日本病-なぜ給料と物価は安いままなのか」(永濱利廣 講談社現代新書 2022年5月)を読む。西野は1958年生まれ。慶應大学卒業後、時事通信社入社、その後TBSに転じ報道局長などを務める。永濱は1971年生まれ。早大理工学部工業経営学科卒、東大大学院経済研究科修士課程修了。第一生命、日本経済研究センターを経て現在、第一生命経済研究所首席エコノミスト。二つともアベノミクスと黒田日銀総裁時代の日本経済を論じている。西野は安倍首相と黒田総裁が進めた異次元緩和には批判的だ。円相場は下落し、企業収益は10年間でほぼ倍増、日経平均は三万円台に回復、失業率は2%台半ばに低下し、新規雇用者は430万人ほど増えた。しかし「その反面、日本経済の潜在成長率は0.8%から0.3%に低下し、一人当たりGDPはG7で最下位に沈む。名目GDPもドイツに抜かれ、世界第4位に転落する見通しだ。一人当たり労働生産性はOECD加盟38ヵ国のうち29位と低迷し、平均年収では韓国にも追い抜かれた。さらに円安と資源高、そして産業空洞化により貿易赤字が常態化した」とする。アベノミクスの光よりも闇に、功よりも罪に注目する。一方の永濱は先進国でこんなに長きにわたって成長していない国は日本だけとしつつも、日本も正しい経済政策を行っていたら、バブル崩壊からデフレに陥らずにもっと成長していたと断ずる。そして「日本がバブル崩壊から20年目にして、ようやくデフレ脱却への歩みを進めつつあったのはアベノミクスの成果」と西野とは真逆の評価である。西野は現状の改革に向けて「潜在成長率の引き上げに向けた構造改革と、血のにじむような財政健全化の努力が不可欠」とするが、永濱は赤字国債、政府債務の増加に対しては楽観的だ。国債の裏には「債権」=資産があり、日本国債で調達された資金が国内で使われれば、その分は民間資産の増加につながるとし、「政府債務のツケを残す」ということは、「将来世代に民間資産を残している」ことにもなる、と楽観的である。国の財政を家計にアナロジーさせ、家の年収の何倍の借金をしていると語られることがあるが、国債の大半が国内で消化されている限り、国の借金=国民の資産という考え方も成り立つ気がする。

2月某日
御徒町前の吉池本店ビル9階の吉池食堂で3月12日の呑み会の予約をする。で15時から上野のアパホテル1階にある「ハコザキ上野店」で大谷さんと待ち合わせ。ところが上野にはアパホテルが複数あるようでどこのアパホテルかわからない。大谷さんに電話して「HITACHI」と大書されているビルの前で待ち合わせる。大谷さんと合流して無事に「ハコザキ上野店」へ。店長らしき人によると都内や埼玉県に5店舗ほど展開しているらしい。つまみも美味しくて値段もリーズナブルだった。上野駅まで歩いて5分ほど。上野駅から常磐線で我孫子へ。

2月某日
「口訳 古事記」(町田康 講談社 2023年4月)を読む。町田康は確か作家になる前はロック歌手。1962年大阪府生まれ、2000年に「きれぎれ」で芥川賞。口訳とは口語訳のことと思われるが、町田は「ギケイキ」でも同じ手法を用いている。私は「ギケイキ」も大変楽しく読ませてもらった。図書館で「日本古典文学全集」の「義経記」を調べると、ストーリーは「義経記」を踏襲していた。たいしたものである。「口訳 古事記」の巻末にも参考文献として「新編日本古典文学全集1 古事記」が記載されていた。もちろん本書も古事記を底本にしているのだが、その口語訳が町田独特なのだ。例えば伊耶那岐命と伊耶那美命の国産み神話は…「あなたの身体はどんな感じです」「こんな感じです」「いいね。吾はこんな感じです。この二箇所はちょうどはまる感じです。これをはめて二柱が一体化して、そのパワーで国土を生みません?」「いいね」…ということになる。古事記を底本としながら見事に口語訳している。町田の想像力と創造力の賜物である。でも古事記っていろんな断片が絵本など子供向けの本で紹介されているのね。私は本書で紹介されている古事記のストーリーのいくつかは絵本、それから小学校高学年で読んだ少年少女文学全集に載っていたものだ。

2月某日
「肉を脱ぐ」(李琴峰 筑摩書房 2023年10月)を読む。李琴峰は1989年12月台湾生まれの34歳。国立台湾大学卒業後、早稲田大学大学院に留学。2018年に日本の永住権を取得、21年に「彼岸花が咲く島」で芥川賞受賞。「肉を脱ぐ」は大手化粧品メーカーでOLとして働く佐藤恵子は柳佳夜というペンネームで小説を書き芥川賞候補にもなった。「肉を脱ぐ」というタイトルは小説の最後で主人公が「脱皮。そうだ、みんなが皮を脱ぎ捨てるように、私も脱ぎ捨てなければならない。垢を、皮を、肉を、この身体の重さを、脱ぎ捨てるのだ」と独白することから来ている。自分は何ゆえ自分であるのか、自分の性別は何ゆえ男あるいは女なのか、というかなり根源的な問い突きつけている小説のように私は思う。台湾に生まれ育ちながら日本語で小説を書くという希少性、そして自身が同性愛者であることを公表している希少性、そういった希少性が一つのテーマであるように思う。

2月某日
「ケアの倫理-フェミニズムの政治思想」(岡野八代 岩波新書 2024年1月を読む。新書ながら私にとっては結構、難解な本であった。本書によるとケアの語源は古ゲルマン語のkaro(悲しみ)に由来し、「思わずそこに注意を向けてしまうような、心の動きを表し」「そうした意味の複雑さから、ケアという活動は、やりがいを感じさせたり、対象への愛着を生んだりする一方で、極度の疲労と、時に嫌悪感を伴うような労苦ともなる」(序章)という文言はケア労働の本質をついている気がする。また、本書の役割は「わたしたちの社会の底に今なおしっかりと埋め込まれている、家父長制、あるいは男性中心主義の構造を、根底から問い直す倫理であることを明らかにするためである」(同)とする。本書は難解ななかにも「なるほど」と思わせる記述が少なくなかった。「馬などは誕生後まもなく自分の足で歩行できるが、人間はたとえば首がすわるまで三カ月、二足歩行に至ってはおよそ一年かかる。つまり社会的な存在としても生物学的な存在としても、人間はケアされる/する人びとなのだ」(第5章)という文言も説得力がある。本書は「ケアの倫理」を検証することを通じて、日本社会の根底的な批判をしているように感じられた。著者の岡野八代は早稲田大学政治経済学部出身で藤原保信の門下ということだ。藤原門下には作家の森まゆみ、政治学者の重田園江など優秀な女性が多い。

2月某日
社会保険研究所の専務、社長、会長を務め、年友企画とフィスメックの創業者の一人でもあった田中茂雄さんが亡くなった。年友企画の石津さんからメールで知らされた。告別式の日は私には外せない会議が入っているので、今日、フィスメックの小出社長に香典を届けて来た。小出社長は会議中だったが受付の人が預かってくれた。田中さんは私が35,6歳で年友企画に入社して以来の付き合いだからおよそ40年の付き合いとなる。田中さんは確か昭和6年頃の生まれだったと思う。初めて会ったのが昭和60(1985)年頃だ。田中さんは東京外国語大学ロシア語学科出身の秀才なんだけれど、酒好きでも鳴らした。会社を終わって会社近くの「与作」という居酒屋をのぞくと一人で呑んでいることが多かった。「そんなところでのぞいてないで入って来いよ」と声を掛けられ、いつもご馳走になっていた。ブラックというスナック、神田駅ガード下のママが独りでやっているカウンターバーでもご馳走になった。新宿歌舞伎町の「ジャックの豆の木」というクラブにもご一緒したが、ここは会社のツケだった。田中さんが東京外大に入学したのはおそらく昭和24(1949)年頃。日本共産党が学生運動の主導権を握って過激な闘争に明け暮れしていた。田中さんの前の研究所の社長が船木さんで、彼も東外大のロシア語学科で一緒に学生運動をやっていたらしい。その頃の話は聞いたことはなかったけどね。年友企画の本田さん、鰐田さん、大前さんといった女性社員とも良く呑んでいた。彼女たちもなくなってしまった。天国で盛大に歓迎会をやっていることだろう。

モリちゃんの酒中日記 2月その1

2月某日
「大審問官スターリン」(亀山郁夫 岩波現代選書 2019年9月)を読む。1917年の10月革命でロシアも権力を掌握したボルシェビキ(ロシア共産党)。強力な社会主義政策を実施したレーニンが死去した1924年1月以降、実質的な権力を掌握したのがスターリンである。著者は1949年栃木県生まれ、68年に東京外語大学ロシア語学科に入学。東大大学院博士課程単位取得退学。東京外語大学教授、同学長を務める。著者が大学に入学したころは学園闘争の最盛期で東外大もバリケード封鎖中、著者はほぼ独学でロシア語を学び、ドストエフスキーを原語で読んだということをどこかで読んだことがある。私は48年北海道生まれ、1浪後に早大政経学部に入学し第2外国語はロシア語であった。私は積極的にバリケード封鎖に加わり、購入したロシア語の教科書と辞書は埃をかぶったままであった。
それはさておき、本書は権力を掌握した以降のスターリンが、次々と政敵を粛清していく過程が同時代人の証言を交え明らかにする。レーニンの同志だったトロツキーは追放され、カーメネフ、カウツキーらの党幹部も次々と死刑判決を受け銃殺されていく。本書によるとレーニン死後の権力闘争でキャスティングボードを握っていたのはジノヴィエフとカーメネフだったが、2人はトロツキーに対する近親憎悪と逆にスターリンは組みやすいとの思惑からスターリン支持に回った。「スターリンはあまりに粗暴すぎる。この欠点は…書記長の職務にあってはがまんならないものとなる」というレーニンの遺書があったにもかかわらず。本書では独裁者スターリンの孤独が描かれる。グルジア(現ジョージア)という少数民族の出自、帝政時代に秘密警察と通じていたという疑い(オフラナファイルの存在)などがスターリンを脅かす。私はここでロシアのプーチン大統領を思い起こす。プーチンは現代のスターリンか? 独裁者ということではそうだと思う。プーチンの死後、そのことが暴かれることになるのだろうか?

2月某日
月に一度の中山クリニック。アビスタ前からバスに乗るつもりだったが本日は土曜日、バスの本数が少なく天気も良いので歩くことにする。15分ほど歩いてクリニックに着く。「どうですか?」「花粉症以外は好調です」「また花粉症の薬出しておきましょう」「血圧もたいへんいいですね」。この間、2~3分。中山先生は全然偉そうでもなく優しい先生だ。東大医学部出身なんだけどね。帰りは我孫子駅前からバスで若松へ。薬局のウエルシアに寄ったら薬剤師のお姉さんが「1時間くらいかかります」と申し訳なさそうにするので「後で来ます」といったん家へ。食パンにバターとチーズ、ハムを乗せてトースト、「5種の生野菜」を乗せスープとともにいただく。再びウエルシアへ、薬を貰う。図書館へ寄ってリクエストして本を借りる。今日はこれで1万歩を超えた。

2月某日
「波流 永山則夫 小説集成1」(共和国 永山則夫 2023年10月)を読む。昨年末に2を読んだ。この小説集成には永山が生前に発表した「N少年」「N」を主人公にした全作品を発表順に2巻に分けて収録している。したがって1には比較的初期のものが収録されていて2の作品と比べると私からすると完成度は低いと感じる。永山は北海道の網走に5歳まで育ち、5歳のとき母親が自身の故郷である青森県板柳に兄弟をつれて帰郷してしまう。残された永山と兄弟は今でいう育児放棄された状態にあった。永山と兄弟は翌年、市の福祉関係部局により板柳に送られる。板柳においても母親は行商で忙しく永山は小学校4年から新聞配達のアルバイトを行う。またこの時期次兄から激しい暴力を受ける。永山は小学校でも中学校でもまともに授業には出席しなかった。家庭では母親から半ば育児放棄され、兄からは家庭内暴力を受けて教師からは無視されていたと言えよう。永山の文章について「完成度は低いと感じる」と書いたが、次のような文章を読むと才能の片りんを感じさせる。「木橋から美しい岩木山が見えた。この木橋から見る冬の岩木山は格別だ。Nは好きだった。林檎園の木々は黒かった。辺り一面銀の世界の中で、その木々の黒さは目立った。岩木颪が顔面に当たると心の眠気がいっぺんに醒めた」(破流)。永山は小学校4年生から新聞配達をはじめ、中卒後東京渋谷のフルーツパーラーに半年ほど務めた後は土工や荷役などの肉体労働を続ける。大阪での米屋での就労は安定していたが、戸籍謄本の提出を求められ出奔することになる。出生地が網走市呼子番外地となっていたためである。当時、高倉健主演の「網走番外地」が人気で、永山は網走刑務所で出生したと誤解されることを恐れたのである。1969年4月、19歳の連続射殺犯の永山は逮捕される。「永山則夫の罪と罰」(井口時男)には、そのとき押収された「社会科用語辞典」の余白に次のように記されていたという。「わたしの故郷で消える覚悟で帰ったが、死ねずして函館行きのドン行に乗る。どうしてさまよったかわからない。わたしは生きる。せめて二十才のその日まで。(後略)」。

2月某日
上野駅の公園口で香川さんと待ち合わせて、東京国立博物館の特別展「本阿弥光悦の大宇宙」を観に行く。本阿弥光悦は江戸初期の芸術家にしてプロデューサー。なのだけれど、もともと本阿弥光悦にそれほど関心はなく、説明文を読むのも上の空。身体障害者手帳を見せると私と付き添いは入場料無料。それで上野の博物館や美術館に行くのだが、タダということからどうも真剣味に欠ける鑑賞となってしまうようだ。香川さんにバレンタインの義理チョコをいただき、上野駅構内で食事。

2月某日
我孫子在住の吉武さんに誘われて表参道のイベントへ。ところが我孫子始発の千代田線直通の電車に遅刻、携帯を忘れたので吉武さんに連絡もとれず。表参道の駅前はねじり鉢巻きに法被姿の老若男女がいっぱい。なんでも紀元2684年の奉祝パレードが明治神宮まであるということだ。パレードをチラ見して我孫子へ帰る。結局、花粉を浴びに表参道まで出向いたことになる。

モリちゃんの酒中日記 1月その3

1月某日
昨夜、11時過ぎに就寝。4時頃いったん目が覚めたので起床。朝のテレビを2時間ほど漫然と見た後、2度寝。11時頃起床。朝食はトーストにバター、チーズ、「5種のリーフ」を乗せて、スープと一緒に食べる。ランチはコーンスープにご飯を入れて、副食は「5種のリーフ」にツナ缶とたまねぎのみじん切りを乗せ、ドレッシングをかけて食べる。
「戦前日本のポピュリズム-日米戦争への道」(筒井清忠 中公新書 2018年1月)を読む。私はこの頃、日本と世界の現状が第2次世界大戦前の状況と非常に似てきているように思えてならない。本書を読んでもそのことを痛感した。ロシアのウクライナ侵攻は日本の中国大陸への侵攻を思い起こさせるし、ロシアのクリミア半島併合は日本軍部の満洲国建国と非常に似ていると思わせる。自民党安倍派を中心とした裏金疑惑は、昭和戦前期の政財界の腐敗を思わせる。日本はそれからファシズム、そして日米戦争の道を歩きはじめる。今はさすがに日米戦争はないだろうが、怖いのは台湾海峡と北朝鮮のリスクではないか。戦前は日本、ドイツ、イタリアで3国軍事同盟を結び、米英ソ連に対抗した。現在はロシア、中国、北朝鮮が権威主義国家同士で連携しているように思う。3国に共通しているのは思想としてのスターリン主義(個人への権力の集中、自由な言論の弾圧等)である。そしてスターリン主義に対抗できるのは反スターリン主義ではなく民主主義である。

1月某日
「満州事変-政策の形成過程」(緒方貞子 岩波現代文庫 2011年8月)を読む。著者は国連難民高等弁務官を1991年から10年間勤めた緒方貞子(1927~2019)である。私は世界各地の難民支援に活躍した緒方のことしか知らなかったが、本書の解説やウイキペディアによると、昭和初期に生まれた女性にしては珍しく国際的、学際的な活躍をした女性である。
彼女の曽祖父は犬養毅、祖父は犬養内閣の外相を務めた吉澤健吉。母は元共同通信社長の犬養康彦や評論家の犬養道子、エッセイストの安藤和津の従妹。ということは安藤和津の夫の奥田瑛二やその娘の安藤サクラとも親戚ということになる。まぁ家系的に見てもリベラルなのは了解できる。外交官の娘として生まれ、幼少期をサンフランシスコ(バークレー)、広東省、香港などで過ごし、小学校5年生で帰国、聖心女子学院に編入、聖心女子大学英文科卒。カリフォルニア大学バークレー校の大学院で政治学の博士号を取得。本書は大学院に提出した博士論文をもとに日本語訳されたものである。
本書は「日清・日露の戦争によって既に満州に鉄道をはじめとする諸権益を得ていた日本は、その一層の発展を図ることを基本的な対外政策としていた。特に関東州及び南満州にある鉄道の保護を任務としていた関東軍は、より積極的な保護と発展の機会を求める在満日本人の要求にも応え、次第に積極的な戦略論を展開するに至った」(まえがき)過程とその結果としての中国侵略、満洲国建国に至る「政策の形成過程」を描く。私は緒方が満州事変の原動力となった日本帝国主義を「社会主義的帝国主義」と定義したいとしていることに注目したい。緒方は満州事変が国民に歓迎された理由の一つとして「事変の結果国民経済が拡大されることが期待された」ことをあげている。満洲での戦火拡大を担った関東軍も日本政府に対し「満洲開発の成果を国民大衆に享受させるため、社会政策上の大改革を断行するよう要請した」がこれは、これはナチスの国家社会主義的な政策を思い出させる。これはすなわち「社会主義的帝国主義」である。ソ連のアフガン侵攻や中国の新疆ウイグル自治区への弾圧も社会主義的帝国主義である。ロシアのウクライナ侵攻は、ロシアが社会主義から離脱したため、たんなる帝国主義である。

1月某日
8時起床。日課となっているNHK朝のテレビ小説「ブギウギ」を見る。主人公の趣里が演ずる福来スズ子(モデルは笠置シズ子)が村山興業(モデルは吉本興業)の御曹司、村山愛助の子どもを妊娠していることが判明。喜ぶシズ子と村山。だが、大阪の村山の母(小雪が好演)は激怒。どうするスズ子? 図書館へ寄った後、11時頃、バスでアビスタ前から八坂神社前の床屋(カットクラブパパ)へ。散髪の後、歩いて手賀沼縁の「水辺のサフラン我孫子店」へ、サンドイッチを購入。手賀沼公園内のベンチで食べる。

1月某日
御徒町の清瀧上野2号店で3時から新年会。3時に会場に行くと石津さんが来ていた。少し遅れてHCM社の大橋さんとデザイナーの土方さんが来る。会費3000円で足りない分は大橋さんと土方さんが出してくれたようだ。私はビールと日本酒、ウイスキーのソーダ割をいただく。気がつくと7時を過ぎていた。4時間以上、呑んで食べてしゃべっていたわけだ。石津さんからお煎餅とハンカチをいただく。石津さんは4月いっぱいで年友企画を退社すると言っていた。そのときはまた呑もうと思う。土方さんは地下鉄で石津さんは京浜東北線で帰る。私と大橋さんは山手線で上野へ。私は上野から常磐線で我孫子へ。大橋さんは出張で仙台へ。

1月某日
指名手配されていた東アジア反日武装戦線の桐島聡が、末期がんで入院している病院で自ら桐島聡と名乗り出た。半世紀前の爆弾容疑という。東アジア反日武装戦線といえば、同じ頃に丸の内の三菱重工ビルで時限爆弾を爆発させ多くの死傷者を出した事件が記憶に残る。犯人の大道寺夫妻は逮捕され死刑判決が確定した。夫はガンにより拘置所で死去、妻は確か大使館占拠の人質と交換に国外退去となった。大道寺夫妻と同時に逮捕され、直後に服毒自殺したSさんは私の中学校、高校の1学年上。秀才で現役で東京都立大学に合格した。当時、盛んだった学生運動とは一線を画しアイヌ解放闘争や朝鮮人差別問題に取り組んでいたようだ。Sさんの想いはどのようなものだったのだろうか? 桐島が名乗り出たというニュースを知ってそんなことを思った。

1月某日
末期がんで入院中に指名手配が判明した桐島聡が入院先の病院で死亡したことが報じられた。実名を明らかにしてから数日の命であった。桐島に家族はいたのだろうか? 逃亡中は家族を持たなかったのか、両親や兄弟は健在なのか? 世間の無責任なまなざしにさらされることのないように祈るばかりだ。私は田辺聖子先生の「夕ごはんたべた?」を思い出す。昭和50年に刊行されたこの小説は尼崎下町の開業医、吉水三太郎が過激な学生運動にのめり込む子供たちに悩まされながらも「やさしさ」を忘れない日常を描く名作である。田辺先生は三太郎の眼を通して当時の過激派学生たちを「若者たちに、透徹した見通しや、大衆を納得させる現実的な理論があったとは思いにくい。だから、それら若者の情熱はいくらでもエスカレートしていった。大衆の支持と共感を離れ、突っ走ってしまった」と描く。「そうして大気圏の中で燃えつき、消滅し、あるいは、再び戻ることのない屑星となって、あてどなく遊弋し、闇に消えていった。紛争学生の烙印を捺され、放逐され処刑され、ふるい落とされていった」。この一文を私は桐島に読ませたかったと思う。これは田辺先生からの紛争学生に対する挽歌のように感じられるのである。

1月某日
「風葬」(桜木紫乃 文春文庫 2016年10月)を読む。単行本は2008年10月に出版されている。舞台は根室と釧路。著者は北海道釧路生まれ。裁判所職員を経て作家デビュー。現在も北海道在住だったと思う。小説はまだロシアがソ連と呼ばれていた頃の話である。1990年代頃か。密漁、恋愛、サビれゆく街などテーマ満載の小説である。この小説に限らず桜木の小説を読むと、この作者は「強い作家」と思う。人物描写に容赦がないのである。

1月某日
「永遠年計」(温又柔 講談社 2022年10月)を読む。温又柔は1980年台北生まれ、両親ともに台湾人。幼少期に来日。台湾というのは地域というか島の名称で、国の名前としては中華民国。でも中華民国として正式に国交を結んでいる国は少ない。日本も1972年に中華人民共和国と国交を回復し中華民国とは断行した。でも日本人の多くは中国本土よりも台湾に親近感を持っているのではないだろうか。民主主義という共通の価値観を有する国として。本書には表題作の「永遠年軽」と「誇り」「おりこうさん」の3作がおさめられているが、「誇り」で主人公の大伯父が、主人公に「日本は、台湾を二度捨てた。わかるか?一度目は天皇陛下に。二度目は田中角栄に。俺たちは捨てられたんだ」と語るのが紹介されている。「一度目は天皇陛下に」というのは1945年の敗戦で日本は植民地としての台湾や朝鮮半島を失ったことを指している。小説を離れて私は台湾と日本そして中国本土との関係は現状維持が望ましいと思っている。いつの日か、中国が民主化され平和的に台湾と中国が一緒になれる日まで。

モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
「山県有朋-明治国家と権力」(小林道彦 中公新書 2023年11月)を読む。山県有朋って2度も首相も務めたし、陸軍大将、元帥、公爵と高位高官を極めた人だけれど、巷間あまり人気がない。小説や映画でも主役の座を担うこともあまりない。西郷隆盛や木戸孝允、勝海舟には及ばずと言えども、伊藤博文や大隈重信ほどの人気もない。まぁお札に肖像が使われたわけでも学校を作ったわけでもないからね。しかし今回、中公新書の小伝を読んでいささかこの人に興味がわいてきた。山県は長州藩の低い家柄の家に生まれながら奇兵隊に志願、戊辰戦争で頭角をあらわす。明治10年の西南戦争では現地司令官を務め、西郷に帰順を進めるも西郷は自決する。山県は徹頭徹尾、軍人だった。それも昭和期の軍人のように時世を嘆いて政治に口出しをするような軍人ではなく、官僚としての軍人の勤めを果たしたと言えるのではないか。本書では次のように述べている。「山県は政党勢力に対してはつねに一定の距離を保ち、官僚制の防衛に尽力した。その結果…彼の周囲には多くの専門官僚や軍人が地縁・血縁の違いを超えて集まるようになる」。山県は和歌をたしなんだそうだ。西郷を追憶して「夢の世とおもひすてにしゆめさめて おきところなきそのおもひかな」と詠んだ。すべては夢の世のことだと思いたいのだが、夢から覚めれば、置き所のない思いだけが残っている-という意味だが、なかなかの詩人である。

1月某日
清末愛沙さん(室蘭工業大学大学院教授・日本平和委員会理事)の講演「戦火のもとで生きる人々への思いを込めて~武力によらない平和・人権を~」を聞きに、浦和の埼玉教育会館へ行く。講演開始は13時30分だが、12時過ぎに浦和に着いた。講演場所の近くでランチをとろうと思ったが埼玉教育会館の場所がわからない。やっと見つけたら13時を過ぎていたのでそのまま会場に入る。聴衆は最終的に30~40人、半分は爺さん、4割は婆さん、要するに9割が爺婆。団塊の世代を中心に反戦を叫ぶことには反対はしないけれど、もう少し若い世代が参加しないとね。講演開始近くなって小学校から高校まで一緒だった山本君が来たので一緒に講演を聴く。
清末さんはリモートで登場。たぶん室蘭工大からの中継だろう。清末さんは「北海道パレスチナ医療奉仕団」のパレスチナの難民キャンプで子ども支援に携わっているという。具体的には絵の具を持参し、絵画教室を開いている。昨年11月にもガザに入る予定だったがイスラエルの侵攻によって不可能になったと話していた。清末さんはパレスチナの根本問題はイスラエルによる植民地支配と断言する。イスラエルの建国イデオロギー、シオニズムが侵略主義的、帝国主義的ということだ。今回のイスラエルの侵攻の直接的な原因となったのがハマスのイスラエル侵攻だが、清末さんはハマスを評価しないと断言していた。ハマスの民間人への攻撃や拉致は戦争犯罪だという。私はイスラエルを非難する一方、ハマスを評価しないとする清末さんに公平さを感じる。講演終了後、浦和から南浦和に出て武蔵野線で新松戸へ。居酒屋で山本君と一杯。講演会で「あなたも平和委員会へ」というチラシを貰った。「わたしも入会をおすすめします」という名前が10人ほど連ねられていたが、その一人に辻忠男(医師)とあった。早大全共闘で1年先輩だった辻さんじゃないかなぁ。政経学部を中退して群馬大学医学部へ進学、内科医になった辻さん。沖縄で辺野古移設反対闘争に参加していると聞いたけれど、埼玉でも活動しているんだ。

1月某日
10時30分から近所でマッサージ。この1年くらい週2回通っている。「凝ってますね」と先生に言われる。寒いからね。山本君に2月の京都を誘われたけれど、2月の京都は底冷えするからね。遠慮しようかな。
「大日本史」(山内昌之・佐藤優 文春新書 2017年12月)を読む。幕末の開港から敗戦、新憲法の施行までを8章に分けて2人が対談している。ポイントは「日本史を軸に世界史を考え、日本史との関連で世界史を理解する」(まえがき―新必修科目「歴史総合」のために)。たとえばペリー来航は通説ではクリミア戦争でロシアと英仏、オスマントルコが戦いを継続していたため日本へ来る余裕がなかったとされる。しかしその背景には英米による海洋航路競争があった。米国の狙いは、全世界に展開する大英帝国の蒸気船ネットワークに対抗することであり、太平洋を越えて中国などアジアの広大な市場にアクセスすることだった。ネックは蒸気船の燃料となる石炭であった。そこで当時の日本に注目したのがペリーで、当時、日本の石炭といえば、三池、筑豊と宇部だった。アジア太平洋戦争の原因のひとつが中国市場を巡る日本帝国主義と英米帝国主義との抗争だと思えば、この指摘にもうなずけるものがある。本書では昭和天皇と軍部との関係に言及している。1941(昭和16)年9月6日の御前会議で昭和天皇は「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらん」と明治天皇の御製を詠み上げ、避戦への思いを明らかにした。2人はおおむね昭和天皇には好意的。それはそれでいいのだが、私は昭和天皇には立憲主義的な側面が多かったにせよ、専制君主的な側面もあったと思う。「あとがき」で佐藤は、佐藤が東京地検に逮捕されととき、テルアビブの学会に山内を含む学者5人を同道したその資金の出所が問題視された。山内を除く4人は検察に迎合的な調書を遺しているが、山内のみがテルアビブの学会には意味があり、佐藤は優れた分析官であるという供述を残していると書いている。山内は70年安保のときに北大の社学同、佐藤はその10年以上後の同志社のノンセクト系赤ヘルだった。さすがですね。

1月某日
11時から近所でマッサージ。15分電気を掛け15分でマッサージ。マッサージの先生(30代男性)が浅草寺に初詣、おみくじを引いたら1回目が吉、2回目が小吉、3回目が凶だったと話をしていた。ふーん、若い人でもおみくじ引くんだ、と思った次第。
「ギケイキ 3 不滅の滅び」(町田康 河出書房新社 2023年11月)を読む。本書はもちろん室町時代後期に完成されたとされる「義経記」を種本とするが、作者の町田康が自由奔放に物語を膨らましている。惹句に曰く「英雄・源義経が自ら語る画期的新訳! 笑いと涙とビートで生まれかわる名作大長編。」「宿敵平家を滅ぼすも、鎌倉殿に疎まれた流浪の主従。弁慶、忠信、静など、忠臣たちの運命やいかに。」ということである。私としては物語の後半、義経の子を懐妊した静が母の磯禅師とともに鎌倉に召喚され、鎌倉殿ために舞を舞う段が面白かった。鎌倉殿が静の舞を所望しているという話を「母親から聞かされた静はなんといったか。『それってセカンドレイプだと思う』と言い、それ以上、一言も発しなかった」。そこから作者の芸能論が展開される。「芸能というものは、そこにいる観客を神佛に擬し、身も心も、全身全霊を捧げ、己をむなしくして無心の真心で演じて初めてなり立つものである。その根底には愛と尊敬がある」「そしてそれを演じる者は此の世の最底辺の暗闇に蠢く賤しい者である。最底辺の賤しい者が一直線に天井に駆け上がるときに生ずる熱と力が人の心に迫るのである」(中略)「つまり、輝けば輝くほど、その身分の卑しさを実感するのである。これはひとつの逆説であるが、芸能人としての頂点を極めた静は普段からこの矛盾に引き裂かれていた」。私は昨年末から週刊誌をにぎわしている芸人・松本人志のスキャンダルを思い浮かべる。松本の行動は、週刊誌の報道を読む限り「芸能」という自らの生業に泥を塗っているとしか思えない。

モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
今年は新年1月1日から地震。夕方、私の住んでいる千葉県我孫子でもかなり強い揺れを感じた。震源地は石川県の能登半島。5日現在で死者は90名を越している。そして2日には羽田空港の滑走路でJALの旅客機が海上保安庁の航空機に衝突、JALのほうは乗員乗客とも無事だったが、海保側は機長を除いて5名が死亡した。海保機は石川方面へ救援に向かうはずだったという。自民党の裏金疑惑は年を越した。来月でロシアのウクライナ侵攻は3年目となる。昨年10月に始まったイスラエルのパレスチナのガザ地区への侵攻は止まる兆しも見えない。私の知るところでは最も暗い新年の幕開けだ。落ちるところまで落ちたほうがいいのかも知れない。日本も世界も。そういえば戦後、ベストセラーとなった坂口安吾の「堕落論」のなかに「…日本もまた墜ちることが必要であり、墜ちる道を堕ちきることによって、自分自身、日本自身を発見し救わなければならない。…」という一節がある。去年は「新しい戦前」、今年は「新しい戦後」なのかもしれない。

1月某日
図書館で借りた「ヒロイン」(桜木紫乃 毎日新聞出版 2023年9月)を読む。表紙カバーに「この本は多くの人の予約が入っています。…」という赤い紙が貼られている。我孫子市民図書館のHPで確認するとなんと52人が予約している。そういうわけで7日に借りた本を1日で読み終わり、8日の午後に返却する。別に急いだわけではない。桜木の物語が面白いのだ。「光の心教団」に入信して5年の岡本浩美は、1995年3月に発生した教団の毒ガス散布事件に巻き込まれ指名手配される。岡本の17年間にわたる逃亡劇を描いたのが本書である。岡本は他人に成りすましながら逃げ続ける。本書を読んで私は「自分が自分である根拠って何だろう」と考える。私が能登の地震や羽田の事故に巻き込まれなかったことには根拠があるのだろうか?テレビで地震で妻や両親、子どもを失った人が「なぜ、私がこんな目に会わなければいけないのか」と泣きじゃくっていた。根拠などないのである。ウクライナやガザで戦火に逃げ惑う人たち、彼らの悲劇にも根拠などない。「ヒロイン」を読んで、私は世界の根拠のない理不尽に思いを馳せた。

1月某日
「帝国の構造-中心・周辺・亜周辺」(柄谷行人 岩波現代文庫 2023年11月)を読む。柄谷理論の特徴は社会の発展を、生産様式ではなく交換様式の変化に求めることにある。すなわち「A 互酬(贈与と返礼)」「B 略取と再分配(服従と保護)」「C 商品交換(貨幣と商品)」「D X」である。DはAの互酬的=相互扶助的な関係を高次元で回復するものとされている。能登半島地震でも容易に見られたようだが、被災地における被災者相互の助け合いなどはDのあらわれであるような気がする。歴史上、存在した帝国と現代の帝国(中国の歴代王朝や、その後身としての中華人民共和国、ロシアのロマノフ王朝とその後を継いだソ連帝国及び現在のプーチン帝国など)を思い浮かべると興味深い。北朝鮮は文字通りの世襲の金王朝が三代続いている。習、プーチン、金は帝国3兄弟だし、ロシア、中国、北朝鮮の同盟関係は戦前の日独伊三国同盟を思い浮かばせる。帝国は柄谷の分類によるとBとCにあらわれる。わたしは柄谷は帝国を侵略主義や帝国主義という意味で使っているわけではないと思う。それはDへの高次元での回復の可能性を見ていると思うのだが…。

1月某日
「帝国とナショナリズム」(山内昌之 岩波現代文庫 2012年2月)を読む。山内によると「帝国という用語には、何らかの中央集権権力の下に異質な民族や地域を統合する政治システムという意味合いがこめられている」(序章)。現代でもロシアや中国、そしてアメリカ合衆国も帝国であろう。ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのパレスチナ侵攻は、柄谷のいう「帝国(中心)による周辺、亜周辺」への侵略であるととらえられる。本書はもともと「帝国と国民」という書名で2004年2月に刊行されている。20年前なんだけれど論旨は全然古くなっていない。現在のパレスチナやウクライナの問題を考える上で非常に参考になると思う。どうでもいいことだが、柄谷も山内も学生運動の経験者なんだよね。柄谷は60年安保のときに東大の駒場でブントの活動家だったし、山内も70年安保のとき北大でブント戦旗派の活動家だった。

1月某日
柄谷も山内も影響を受けたと思われるイタリアの思想家アントニオ・ネグリが昨年暮れに享年90歳で亡くなった。朝日新聞に市田良彦神戸大名誉教授が追悼文を書いている。それによるとネグリは当初、イタリアの極左運動の理論家として出発した。1979年に元首相誘拐暗殺事件の黒幕という嫌疑で逮捕・起訴される。市田によると「彼は時間ができたと言わんばかりに執筆に取りかかる」。83年に獄中から国会議員に立候補し当選する。議員特権により釈放されるが、議会が特権を剝奪したためフランスへ逃亡、大学で教える。97年にイタリアへ帰国、逮捕・収監される。彼が自由になったのは2003年である。2000年、彼はパリ第8大学で彼の学生であったアメリカ人、マイケル・ハートと共著で「〈帝国〉」を刊行する。「2人はグローバル化した政治権力の在り方を〈帝国〉と名指しつつ、その運動に、「国民国家」に回帰するのではなく別のグローバル化を対置すべし、という主張を持ち込んだ」そうである。「別のグローバル化」は柄谷の言う「Dへの高次元の回復」ではなかろうか。なお市田氏は第2次ブントの創業者のひとりで後に川崎で総合病院、川崎幸病院を開設した石井の「聞き書き ブント一代」(世界書院 2010年10月)の聞き手を務めていた。

モリちゃんの酒中日記 12月その3

12月某日
「ウクライナ動乱-ソ連解体から露ウ戦争まで」(松里公孝 ちくま新書 2023年7月)を読む。松里公孝氏は東大大学院法学政治学研究科教授でロシア・ウクライナ関係史の専門家。本書では書名の通りソ連解体から今も継続するウクライナ戦争まで概説する。概説と言っても新書で500ページもあって読み通すのに3日かかってしまった。ウクライナという独立国家が生まれたのはロシア革命以降、ウクライナ・ソヴェト社会主義共和国(RSR)が最初。独立国家と言ってもRSRはソ連を構成する連邦国家の一つだった。日本は島国で第2児世界大戦に敗北してから、その領土は基本的に本州、四国、九州と北海道及び南方諸島と離島に固定化されてきた。日本にも北方領土や尖閣諸島問題があるものの、ウクライナやパレスチナの問題と比べると軍事的な衝突もなくほぼ平穏と言ってよい。ウクライナ(RSR)とソ連のロシア・ソヴェト連邦社会主義共和国との境界線は目まぐるしく変わった。今回のウクライナ動乱においてもクリミア半島やドンバス地区の帰属が争われたが、本書によるとこれらの地区ではもともとロシア語を話す人も多く、親ロシア感情を持つ人も多かったようだ。住民投票の結果、親ロシア国家が誕生したのもうなずけない話ではない。だからといって軍事力による現状変更は認められないが…。
本書を要約するのは難しいので、結論部分を引用しよう。「こんにちのウクライナは、民族解放闘争の結果生まれたのではなく、ソ連の解体の結果生まれた。…しかし、ソ連の自壊の結果、たなぼた式で生まれた広大なウクライナは、先祖伝来ウクライナ語ではない言語で話し、書き、考えて来た住民、ウクライナ民族史観で英雄とされる人物たちに祖先が迫害された住民も抱え込んでしまった」「そうした場合には…民族国家ではなく、市民的な国家を作ることが妥当な戦略であったろう」「残念ながら、独立後30年間のウクライナは、この反対の方向に向かって進んできた」。独立後30年間ということはソ連解体後30年間ということでもあるが、共産主義イデオロギーに支えられた「ソヴェト・ピープル」(中国の中華民族に該当)に代替しうる市民的なリベラリズムが未成熟であったということであろうか。私は露ウ戦争の過程でウクライナでも市民的なリベラリズムが確立しつつあると信じたい。しかしロシア革命、第1次世界大戦以降、目まぐるしく国境線を変えて来たウクライナやパレスチナの現実に、私の想像力は追いつけそうにもない。

12月某日
「福田村事件-関東大震災・知られざる悲劇」(辻野弥生 五月書房 2023年7月)を読む。福田村事件とは、震災発生から5日後の9月6日、利根川と鬼怒川が合流する千葉県東葛郡福田村大字三ツ堀(現在の野田市三ツ堀)で香川県から薬の行商に来ていた一行15名が地元民に襲われ、9人が命を落とした事件である。加害者側の地元民は、讃岐弁を話す一行に対し「お前らの言葉はどうも変だ。朝鮮人ではないか」と、いいがかりをつけ、行商人の鑑札を持っていたにもかかわらず、暴行、殺害に及んだ(はじめに-増補改訂版刊行にあたって)。本書は2013年に崙書房から出版より刊行され、その後版元の廃業により絶版になっていたものを大幅に増補改訂して復刊したもの。関東大震災の直後、多くの朝鮮人や社会主義者、無政府主義者が庶民や警察、憲兵らに虐殺されたことは知られている。大杉栄と内縁の妻、伊藤野枝。大杉の甥が甘粕正彦憲兵大尉に殺された事件は、多くの小説や映画の題材になっている。
福田村事件はこの本を読んで初めてその詳細を知ることができた。さらに本書によって、私の住む我孫子でも3名の朝鮮人が撲殺されていたことを知った。当時の東京日日新聞の記事を要約すると、不逞鮮人暴行の流言蜚語が盛んで、我孫子町では自警団を組織し警戒していたが、3日午後3時頃、根戸消防組員が朝鮮人3名を取り押さえ、八坂神社境内に連行した。群衆は3人をさんざん殴打し負傷させたが、警官の制止で殺すまでには至らなかった。ところが同夜9時頃、2名がすきを見て逃亡、大騒ぎとなり残っていた1名を殺害、さらに4日に逃亡した2名を取り押さえ惨殺した、というものである。犯人は起訴された。八坂神社って我が家から歩いて10分くらいのところにあるのだけれど、あそこでそんな惨劇があったなんて俄かには信じられないが、事実なんだろう。映画「福田村事件」を制作した森達也が特別寄稿を寄せている。そこでの印象的なことば。「映画を撮りながら、自分がもしその場にいたらと何度も想像した。殺される側ではない。殺す側にいる時分だ」「何度でも書く。凶悪で残虐な人たちが善良な人たちを殺すのではない。普通の人が普通の人を殺すのだ。世界はそんな歴史に溢れている」「シオニズムの延長としてホロコーストの被害者遺族たちが建国したイスラエルが、なぜこれほど無慈悲にパレスチナの民を加害し続けるのか」。福田村事件は確実に現在に通じているのだ。

12月某日
13時に元滋慶学園の大谷源一さんと上野駅不忍口で待ち合わせ。今日は昼飲みの約束で店はまだ決めていない。上野駅からアメ横商店街を歩く。年末で人が多い。なんか中国系のお店が増えた感じ。御徒町駅近くの中華料理店、大興へ行く。お客が並んでいたが、10分ほどで店内へ。ここはおいしくて値段がリーズナブルなので人気店なのだ。1時間半ほど中華料理とビールにハイボールで過ごす。東京方面へ向かう大谷さんと御徒町駅で別れ、私は御徒町から山手線1駅の上野へ。上野から常磐線で我孫子へ。駅前のバス停からバスで若松へ。絆というマッサージ店で4時からの予約なのだ。ジャスト4時に絆へ。15分のマッサージと15分の電気をかけてもらう。マッサージの後、近くのウエルシアへ寄る。ウエルシアで38度の壱岐焼酎を購入。家へ帰って一休みの後、17時から7チャンネルの「孤独のグルメ」を見る。

12月某日
今年最後のマッサージを受けに近所の「絆」へ。帰りにウエルシアへ寄ってスコッチ「GRANTS」を購入。昼飯に自分のためにチャーハンを作る。具材は卵、ニンジン、タマネギ、
キムチ、レタス。油を熱し、ニンジン、タマネギを投入、次いで予め溶いた卵とご飯、キムチ、マヨネーズを混ぜ合わせたものを投入、しばらく炒めた後にレタスを投入して1分ほど炒めて完成。キムチが意外に健闘、美味しくいただく。今日が今年最終日となる我孫子市民図書館に行く。リクエストしていた本を2冊受け取る。「永山則夫 小説集成2」と「帝国の構造」(柄谷行人)の2冊である。

12月某日
「満州事変から日中戦争へ-シリーズ日本近代史⑤」(加藤陽子 岩波新書 2007年)を読む。「はじめに」で近衛首相のブレインであった昭和研究会などの知識人の執筆と推定される「戦闘の性質-領土侵略、政治、経済的権益を目標とするものに非ず、日中国交回復を阻害しつつある残存勢力の排除を目的とする一種の討匪戦なり」という文章が紹介されている。プーチンのウクライナ侵攻の理屈「ウクライナのネオナチの排除」とほぼ同じ理屈のように私には思える。日本は維新後、長く欧米列強との不平等条約に苦しんだが、大韓帝国や清国には不平等条約を強要した。私は明治以来、日本が欧米列強に対等となろうと努力してきたことは認める。だが、それは結局、朝鮮半島や中国大陸への侵略、さらにはアジア太平洋戦争へとつながっていったのではなかったか、と思わざるを得ない。著者の加藤陽子先生の思いもそこにあるような気がする。

12月某日
「永山則夫小説集成2 捨て子ごっこ」を読む。永山則夫は1949(昭和24年)6月に北海道網走市呼人番外地に生まれる。父親は家に寄り付かず極貧のうちに育つ。5歳(1954年)の10月に母親が次姉、妹、姪を連れて故郷の青森県北津軽郡板柳町に帰る。本書の「捨て子ごっこ」は網走の母親に捨てられたころのN(主人公をNと表現する。則夫のNであろう)が描かれる。「残雪」は、板柳町の中学3年生、就職を控えたころを描く。「なぜか、海」は東京で就職した渋谷の西村フルーツパーラーでの暮らしが描かれる。Nははじめは同期のなかでも優秀な店員であったが、次第に周囲から浮いてきてしまい、9月に職場の同僚と口論、そのまま出奔する。横浜港から外国船で密出国するまでを描く。「陸の眼」でNは外国船で発見され、香港で取り調べを受け、横浜まで送還される。Nはしばらく長兄のいる栃木県小山市に寄留、板金工場に勤めるがまもなく離職、ヒッチハイクで横浜を目指すまでが描かれる。「異水」ではNは横浜からさらに大阪までヒッチハイクを続け、米屋に勤めることになる。この米屋は作中では南野米穀店となっているが、守口市の駅前にある米福屋米穀店で実在する。米福屋のHPのプロフィールの項に永山則夫と異水のことに触れている。米福屋で永山は熱心に働くが社長に戸籍謄本の提示を求められる。当時、高倉健主演の網走番外地シリーズが人気で永山は番外地出身が露見することを恐れ、離職する。
永山は西村フルーツパーラーでも米福屋でも仕事熱心で同僚や上司に評価される。外国船での密航でも発見されてから中国人のコックに親切にされる。可愛い顔立ちで女性にも持てたことが作中で描かれている。米福屋での永山の写真が巻頭と解題に掲載されている。17歳の屈託のない笑顔である。私は世間が拳銃による連続射殺事件に湧いていた1968年12月、中学と高校が一緒だった川崎君(故人。当時、明大文学部の2年生、私は早大政経学部の1年生)とその友人たちと新宿で呑み、電車が終わっていたのでタクシーを止めた。そのとき運転手が「若者一人なら絶対に乗せなかったよ」と言われたのを覚えている。そして69年の9月、早大第2学生会館の攻防戦で逮捕起訴された私は9月末から12月頃まで当時、池袋にあった東京拘置所に収監されていた。恐らく永山も収監されていたと思う。同じ「臭い飯」を喰った仲である。ただし東京拘置所の食事は貧乏学生にとっては「悪くなかった」。

モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
図書館で借りた「神と黒蟹県」(絲山秋子 文藝春秋 2023年11月)を読む。絲山秋子ってデビューしたころから読んでいるけど、独特なんだよね。1966年生まれだから今年57歳か。本作では独特にさらに磨きがかかったと言える。黒蟹県という架空の県が舞台。ていうか黒蟹県なんて自在するわけがないじゃん。そこに神が出現する。神はいろんな人物になり替わる。神だからできるわけ。しかしこの神は奇跡をおこなうわけでもなく、特定の宗教、宗派を名乗るわけでもない。ストーリーを紹介するのも意味がない気がする。私はでも脱力系の絲山の小説が好みでもある。誤植を発見した。199ページ。
「『釜錦』の仕込み水と水源は一緒だから、あれはいい水だよ」
 釜泉酒造はピーナッツのすぐ裏にある酒蔵である。釜綿は生産量こそ少ないが、名水仕込みの酒として知る人ぞ知る名酒である。
2行目の「釜綿」は「釜錦」の誤植と思われる。初出は文芸雑誌の「文学界」だし、DTP制作として「ローヤル企画」という社名まで出ているのに。

12月某日
「ザ・シット・ジョブ 私労働小説」(ブレイディみかこ 角川書店 2023年10月)を読む。ブレイディみかこの本を最初に読んだのは「女たちのテロル」(岩波書店)だ。ブレイディみかこという人の名前は聞いたことがなかったが、面白そうなので借りた。大正末期の女性テロリスト、金子文子はじめ、イギリスやアイルランドで女性解放や独立を運動に参加した女性たちを描いた作品だった。ブレイディみかこを有名にしたのは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社)だろう。これは本屋さんで買いました。彼女の本を何冊か読むと、彼女の思想傾向がアナキズムに近いことがわかる。本書の「あとがき」でデヴィッド・グレーバーの「ブルシット・ジョブ-クソどうでもいい仕事の理論」(岩波書店)に触れているが、彼もアナキストだ。本書は主人公の「私」が日本とイギリスでさまざまな仕事に就き、いろいろな経験をしたことが綴られている。「あとがき」で、「この本はフィクションである。ノンフィクションではないし、自伝でもない」と書いている。そう書くのは作者の自由であるが、私はこの小説は彼女の体験がもとになっていると思う。第6話「パンとケアと薔薇」で病院で介護の仕事をしていた母親のことが描かれている。母は家へ帰ると病院の看護師や患者、患者の家族のことを口汚く罵っていた。そんな母親のことを私は許せなかった。しかし実は母親は…。あとは読んでのお楽しみ。

12月某日
大学時代の同級生5人が集まって忘年会。会場は丸の内の新東京ビル地下1階、「やんも」丸の内店で12時30分から。常磐線我孫子駅から快速で上野へ、上野から山手線で東京駅へ。東京駅から徒歩5分ほどで新東京ビル。私が5分ほど遅れて会場に着くとみんな揃っていた。会場を予約してくれたのは弁護士の雨宮先生。他に内海、岡、吉原君と私。料理を楽しみながら生ビールと冷酒を各1合。ただし内海君は酒を呑めないのでノンアルコールビール。世間話を1時間半ほどしたところでお開き。私は千代田線二重橋駅から我孫子まで座って帰る。

12月某日
「TERUKO&LUI 照子と瑠衣」(井上荒野 祥伝社 2023年10月)を読む。私には非常に面白かった。家族あるいは夫婦、それと友情と恋愛がテーマかな。照子は45年に及ぶ夫、寿朗との結婚生活を放棄、夫のBMWで親友の瑠衣と出奔する。二人はともに70歳、中学2年と3年のときの同級生だ。ただ本当に仲良くなったのは二人が30歳になったときのクラス会だ。照子を2次会に強引に誘おうとしていた塚本君を瑠衣が突き飛ばしてくれたのがきっかけだ。瑠衣はクラブ歌手で宝くじで当たった50万円を元手に老人マンションに入居するが、二大派閥のどちらにも属しないことから嫌がらせを受けることになる。ふたりとも夫や世間というしがらみに同調できないのだ。ふたりは別荘地まで車を走らせ、1軒の別荘の前で車を止める。照子は別荘のカギを壊して侵入する。不法侵入である。そこで二人は暮らし始め、別荘地の住人との交流が生まれる。瑠衣はカレーと酒の店で歌う仕事を見つけ、照子は以前に習ったトランプ占いを喫茶店の片隅ですることになる。しかしいつまでも不法占拠しているわけにはいかない。クリスマスパーティの夜、二人はまたBMWで旅に出る…。寿朗とか塚本君、別荘地の嫌味な住民などイヤーな人も登場するが、基本は親切な優しい人が照子と瑠衣の周囲の人びとである。それは照子と瑠衣が親切で優しい人でもあるからだが。井上荒野の小説に出てくる食事のシーンっていいんだよな。

12月某日
「新しい戦前-この国の〝いま″を読み解く」(内田樹 白井聡 朝日新聞出版 2023年8月)を読む。内田樹は1950年生まれ、東大文学部仏文科卒、都立大学大学院博士課程中退。神戸女学院大学。白井聡は1977年生まれ、早稲田大学政経学部卒、一橋大学大学院単位修得退学。京都精華大学准教授。二人とも現在の日本の論壇では「左派」に位置する。二人の対談はしたがって私がうなずけるものがほとんどであった。「ウクライナの軍事力はロシアと比べたらかなり弱い。…人口はロシアの3分の1.GDPは10分の1です。ですからロシアに対する『倫理的優位性』がほとんど唯一の強みなのです」「遠からず日本は『途上国によくある独裁制の腐敗国家』に近いものまで堕落する」「日本の政党の掲げるべき唯一の政治的課題は『国家主権の奪還』だと僕は思う。日本は部分主権国家であるという痛苦な自覚がない政治家には日本を次のフェーズに引き上げることはできません」(内田)。「孤立するようなことをあえて言えば、敵もつくりますが、同時に仲間もできる。…孤立を恐れない勇気だけが本当の仲間をもたらす」「しかし、ロシアがドル圏から弾き出されることによって、一挙にオルタナティブな決済システムが発達する可能性が出てきたわけです。今BRICS諸国を中心に、米ドル以外の通貨によって決済を行っていこうとする動きが次々と出ています」(白井)。「新しい戦前」というタイトルは昨年、タモリが「徹子の部屋」で発言したものだ。卓越したタレントの予感を感じさせる。白井が「まえがき」で神宮外苑の再開発に触れているが、これも「新しい全体主義」のあらわれかも知れない。

12月某日
「熊の肉には飴があう」(小泉武夫 ちくま文庫 2023年7月)を読む。カバー袖の著者紹介によると小泉先生は1943年、福島県の造り酒屋に生まれる。東京農大名誉教授。専門は醸造学・発酵学・食文化論とある。そういえば、前に勤めていた会社(年友企画)の近くにあった鯨料理の店「一之谷」は先生の贔屓の店だそうだ。で本書はフィクションなのか事実をもとにしたノンフィクションであるのかよくわからないが、私には面白かった。飛騨の宮寺の集落の一番奥の、「山の裾野に近いところに、古くて大きな家屋を構えた「右官屋権之丞」という奇妙な名前の料理屋がある」。その料理屋がこのストーリーの舞台である。右官とは本書によるとその昔、建築に関わる職の中で木に関わる職を「右官」、土に関わる職を「左官」と区別し、その右官に飛騨の大工集団、飛騨の匠を当てたそうである。右官屋権之丞の主人、藤丸権之丞誠一郎の祖先も飛騨の巧であった。右官の藤丸家がいつまで木工巧で、いつから専業農家になったのかは記録に残っていない。料理屋に転換したのはつい近年で、当代の15代目の権之丞誠一郎である。誠一郎は農業の傍ら、猟銃免許を取得して副業として猟師をしていた。そのうち猟師が本業化していって、さらに誠一郎の猟師料理が評判となっていった。その猟師料理をもとにして開店したのが「右官屋権之丞」である。右官屋権之丞で提供する料理の紹介が本書の主なストーリーなのだが、漬物や行者ニンニク、身欠きニシンを使った料理などには郷愁を覚えた。私の故郷、北海道でも50~60年前にはこれらの食材を使った料理が食卓に出たものだった。まぁ今から考えると貧しい食卓ではあったが、懐かしさは格別である。

モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
北海道の室蘭で小中高が一緒だった山本君と呑むことになったので、中高が一緒だった坂本君も誘うことにする。山本君は家が近所で小学校の5、6年生が同じクラスだった。坂本君は中学校で私と同じブラスバンド部に所属、トランペットを吹いていた。柏駅の中央改札口で待ち合わせ、昼間からやっている居酒屋「かね子」に入る。生ビールで乾杯の後、私は焼酎のお湯割り、坂本君と山本君は焼酎の水割りを呑む。「かね子」は焼トンの美味い店で、3時に入店したときは空席もあったがすぐに満席となった。2時間制で少し超過したが3人とも満足したようだった。柏から山本君は東武野田線で春日部へ、私と坂本君はJR常磐線で私は我孫子、坂本君は天王台へ。私は我孫子で「しちりん」に寄る。

12月某日
図書館で借りた「武家か天皇か-中世の選択」(関幸彦 朝日新聞出版 2023年10月)を読む。歴史を出来事の叙述としてではなく、体制(システム)の相克、協調、闘争として捉えようとしている関の論理の展開には興味を覚えた。しかし私が親しんだ歴史の本とはちょっと感覚が違い、250ページに満たない本ながら読み終わるのに4日もかかってしまった。本書を要約するのは難しい。私が興味を持った論を紹介したい。例えば至尊と至強の分離。12世紀の源平争乱を経て源頼朝は鎌倉に幕府を開くが、これにより天皇(至尊)と至強としての幕府権力が分離される。摂関政治が台頭するまでの古代国家においては大王が軍事力と政治権力を独占していた。9世紀以前の天皇名は文武、天武、聖武など「武」や「文」の漢語が共有され、そこには帝王たる治世への形容句が内包されていた。しかし10世紀の東アジア史の転換(大唐帝国の滅亡)を契機に、日本は律令国家体制から王朝国家に移行し、それに伴って天皇の呼称も変化する。宇多・醍醐・村上と続く京都の地名や御所名を冠する天皇の登場である。

12月某日
図書館で借りた「我が産声を聞きに」(白石一文 講談社 2021年7月)を読む。表紙の猫の写真を見て「見たことあるなぁ」と思ったが、読み始めてこの本は読んだことがあると感じた。2021年の発行だから2年前、そんな直近に読んだ本でも忘れてしまうのだ、と自分の耄碌ぶりに驚く。しかし考えてみれば同じ本を2度読むということは悪いことではない。本書でも前回読んだときは感じられなかったことを発見することができた。東京の理工系大学の大学院卒のエリート技術者と結婚した関西の外語大学出身の名香子が主人公。名香子は突然、夫に好きな人ができたので別れて欲しいと言われ、夫は好きな人の住む北千住へと行ってしまう。前回、読んだときには気付かなかったが、作者は完全に名香子の味方。夫との別離をきっかけにして名香子は敢然として自立の道を選ぶ。自立を決意したとき、庭に数年前いなくなったミーコと似た猫が姿を現す。猫は夫からの自立の象徴とも読める。

12月某日
「満洲事変はなぜ起きたのか」(筒井清忠 中央公論新社 2015年8月)を読む。去年、タレントのタモリが「来年は新しい戦前が始まる」と言って一部で注目を集めた。ロシアのウクライナ侵攻は昨年の2月だから「新しい戦前」は昨年から始まっていたのかもしれないし、ロシアのクリミア半島併合は2014年3月だから、そこから「新しい戦前」が始まったともいえる。私はロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのパレスチナ・ガザ地区侵攻が、戦前の日本の満洲国建国やその後の中国大陸への全面的な戦闘拡大と二重写しに感じられる。日清日露戦争に勝利した軍部、とくに陸軍は次の狙いを中国大陸に定める。日露戦争後、満洲に留まったまま軍政を継続しようとする軍部の児玉源太郎参謀総長に伊藤博文韓国統監は「満洲は決して我国の属地ではない。純然たる清国の領土である」と発言したことが紹介されている。筒井は「伊藤は見事なリーダーシップを発揮したのである。また、この時、文官による陸軍のコントロールが実行されたといえなくもないであろう」と評価している。日本はパリ講和条約でも人種平等案を提起している。米国内の差別問題とイギリスの反対とにウイルソンが抗しえず、削除されたが。ワシントン会議でも日本はおおむね国際協調路線だった。むしろ米国では排日移民法が可決されるなど排外主義的傾向が強まっていた。大正デモクラシーという風潮もあってか、この頃の日本は比較的リベラルであった。
日本が侵略色を強くしていくのは昭和に入ってからであろう。張作霖爆殺事件や満州事変のきっかけとなった柳条湖事件など陸軍の謀略と、それに乗じた新聞報道などによって戦争気運は高まっていく。そういえば朝の連続テレビ小説「ブギウギ」でも戦時色が色濃くなって主人公の弟が戦死し、真珠湾奇襲攻撃の成功に街は沸き立っていた。本書でも、張作霖爆殺事件や満州事変などの謀略事件が「日本軍の手によって行われたことがすぐに中国と世界に判明し決定的に信用を落としたのである」と綴られている。後に外務大臣となった重光葵は次のように言っている。「大正期の日本は世界の五大国、三大国の一つまでいわれるようになり…人類文化に対する責任は極めて重かった。…『責任を充分に自覚し、常に自己反省を怠ることなく、努力を続けることによってのみ』この責任は果たされるはずであった」
「然るに、日本は国家も国民も成金風の吹くに委せて…内容実力はこれに伴わなかった…日本は、個人も国家も、謙譲なる態度と努力とによってのみ大成するものである、という極めて見易き道理を忘却してしまった」。この時期は普通選挙制度の実現など平等主義的政治要求が一般化した時代でもある。「参政権の獲得により日本の権益の侵害は国民一人一人の利益への侵害と受け止められるように」なり、「それへの被害者意識と報復を求める感情は巨大な、ある場合には統御できないものともなるのである」という著者の認識は、やがて来るファシズムの時代を予感させる。

12月某日
フィスメックの小出社長と社会保険出版社の高本社長と会食の予定。17時30分に小出社長を訪問することになっている。少し早く着いたので1階ロビーで本を読んでいると社会保険研究所の鈴木前社長が通りかかり、しばし雑談。17時20分にフィスメックに向かうと年友企画の岩佐さんに遭遇。小出社長と神田小川町の「蕎麦といろり焼 創」に向かう。ほどなく高本社長が来たので生ビールで乾杯。あとは日本酒の銘酒を楽しむ。この店は料理が美味しいうえに銘酒を揃えているのが嬉しい。2時間ほどで会食を修了。すっかりご馳走になる。高本社長に千代田線の新御茶ノ水駅の改札まで送って貰う。地下鉄に乗ったら若い男性に席を譲られる。後期高齢者で身体障害者なのでありがたく座らせて貰う。

12月某日
「ウクライナ戦争をどう終わらせるか-『和平調停』の限界と可能性」(東大作 岩波新書 2023年2月)を読む。2022年2月24日にロシアのウクライナ侵攻は始まった。本書はその1年後に出版されている。来年の2月には戦争開始から2年が経過することになるが、戦争は終わりそうもない。アメリカがベトナム戦争に敗北したように、またフランスがアルジェリアから撤退したようにロシアもウクライナから撤退せざるを得なくなるのではなかろうか、というのが私の希望的観測である。著者はそのためにはロシアへの経済制裁の継続、EUや米国そして日本のウクライナへの支援が必要とする。本書では日本の2つのNGOが紹介されている。「ピースウィンズ・ジャパン」と「難民を助ける会」である。しかしガザの難民にも支援が必要だしね。政治資金パーティーのキックバックを受けた安倍派の国会議員は率先してカンパすべきであろう。