モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
図書館で借りた「神と黒蟹県」(絲山秋子 文藝春秋 2023年11月)を読む。絲山秋子ってデビューしたころから読んでいるけど、独特なんだよね。1966年生まれだから今年57歳か。本作では独特にさらに磨きがかかったと言える。黒蟹県という架空の県が舞台。ていうか黒蟹県なんて自在するわけがないじゃん。そこに神が出現する。神はいろんな人物になり替わる。神だからできるわけ。しかしこの神は奇跡をおこなうわけでもなく、特定の宗教、宗派を名乗るわけでもない。ストーリーを紹介するのも意味がない気がする。私はでも脱力系の絲山の小説が好みでもある。誤植を発見した。199ページ。
「『釜錦』の仕込み水と水源は一緒だから、あれはいい水だよ」
 釜泉酒造はピーナッツのすぐ裏にある酒蔵である。釜綿は生産量こそ少ないが、名水仕込みの酒として知る人ぞ知る名酒である。
2行目の「釜綿」は「釜錦」の誤植と思われる。初出は文芸雑誌の「文学界」だし、DTP制作として「ローヤル企画」という社名まで出ているのに。

12月某日
「ザ・シット・ジョブ 私労働小説」(ブレイディみかこ 角川書店 2023年10月)を読む。ブレイディみかこの本を最初に読んだのは「女たちのテロル」(岩波書店)だ。ブレイディみかこという人の名前は聞いたことがなかったが、面白そうなので借りた。大正末期の女性テロリスト、金子文子はじめ、イギリスやアイルランドで女性解放や独立を運動に参加した女性たちを描いた作品だった。ブレイディみかこを有名にしたのは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社)だろう。これは本屋さんで買いました。彼女の本を何冊か読むと、彼女の思想傾向がアナキズムに近いことがわかる。本書の「あとがき」でデヴィッド・グレーバーの「ブルシット・ジョブ-クソどうでもいい仕事の理論」(岩波書店)に触れているが、彼もアナキストだ。本書は主人公の「私」が日本とイギリスでさまざまな仕事に就き、いろいろな経験をしたことが綴られている。「あとがき」で、「この本はフィクションである。ノンフィクションではないし、自伝でもない」と書いている。そう書くのは作者の自由であるが、私はこの小説は彼女の体験がもとになっていると思う。第6話「パンとケアと薔薇」で病院で介護の仕事をしていた母親のことが描かれている。母は家へ帰ると病院の看護師や患者、患者の家族のことを口汚く罵っていた。そんな母親のことを私は許せなかった。しかし実は母親は…。あとは読んでのお楽しみ。

12月某日
大学時代の同級生5人が集まって忘年会。会場は丸の内の新東京ビル地下1階、「やんも」丸の内店で12時30分から。常磐線我孫子駅から快速で上野へ、上野から山手線で東京駅へ。東京駅から徒歩5分ほどで新東京ビル。私が5分ほど遅れて会場に着くとみんな揃っていた。会場を予約してくれたのは弁護士の雨宮先生。他に内海、岡、吉原君と私。料理を楽しみながら生ビールと冷酒を各1合。ただし内海君は酒を呑めないのでノンアルコールビール。世間話を1時間半ほどしたところでお開き。私は千代田線二重橋駅から我孫子まで座って帰る。

12月某日
「TERUKO&LUI 照子と瑠衣」(井上荒野 祥伝社 2023年10月)を読む。私には非常に面白かった。家族あるいは夫婦、それと友情と恋愛がテーマかな。照子は45年に及ぶ夫、寿朗との結婚生活を放棄、夫のBMWで親友の瑠衣と出奔する。二人はともに70歳、中学2年と3年のときの同級生だ。ただ本当に仲良くなったのは二人が30歳になったときのクラス会だ。照子を2次会に強引に誘おうとしていた塚本君を瑠衣が突き飛ばしてくれたのがきっかけだ。瑠衣はクラブ歌手で宝くじで当たった50万円を元手に老人マンションに入居するが、二大派閥のどちらにも属しないことから嫌がらせを受けることになる。ふたりとも夫や世間というしがらみに同調できないのだ。ふたりは別荘地まで車を走らせ、1軒の別荘の前で車を止める。照子は別荘のカギを壊して侵入する。不法侵入である。そこで二人は暮らし始め、別荘地の住人との交流が生まれる。瑠衣はカレーと酒の店で歌う仕事を見つけ、照子は以前に習ったトランプ占いを喫茶店の片隅ですることになる。しかしいつまでも不法占拠しているわけにはいかない。クリスマスパーティの夜、二人はまたBMWで旅に出る…。寿朗とか塚本君、別荘地の嫌味な住民などイヤーな人も登場するが、基本は親切な優しい人が照子と瑠衣の周囲の人びとである。それは照子と瑠衣が親切で優しい人でもあるからだが。井上荒野の小説に出てくる食事のシーンっていいんだよな。

12月某日
「新しい戦前-この国の〝いま″を読み解く」(内田樹 白井聡 朝日新聞出版 2023年8月)を読む。内田樹は1950年生まれ、東大文学部仏文科卒、都立大学大学院博士課程中退。神戸女学院大学。白井聡は1977年生まれ、早稲田大学政経学部卒、一橋大学大学院単位修得退学。京都精華大学准教授。二人とも現在の日本の論壇では「左派」に位置する。二人の対談はしたがって私がうなずけるものがほとんどであった。「ウクライナの軍事力はロシアと比べたらかなり弱い。…人口はロシアの3分の1.GDPは10分の1です。ですからロシアに対する『倫理的優位性』がほとんど唯一の強みなのです」「遠からず日本は『途上国によくある独裁制の腐敗国家』に近いものまで堕落する」「日本の政党の掲げるべき唯一の政治的課題は『国家主権の奪還』だと僕は思う。日本は部分主権国家であるという痛苦な自覚がない政治家には日本を次のフェーズに引き上げることはできません」(内田)。「孤立するようなことをあえて言えば、敵もつくりますが、同時に仲間もできる。…孤立を恐れない勇気だけが本当の仲間をもたらす」「しかし、ロシアがドル圏から弾き出されることによって、一挙にオルタナティブな決済システムが発達する可能性が出てきたわけです。今BRICS諸国を中心に、米ドル以外の通貨によって決済を行っていこうとする動きが次々と出ています」(白井)。「新しい戦前」というタイトルは昨年、タモリが「徹子の部屋」で発言したものだ。卓越したタレントの予感を感じさせる。白井が「まえがき」で神宮外苑の再開発に触れているが、これも「新しい全体主義」のあらわれかも知れない。

12月某日
「熊の肉には飴があう」(小泉武夫 ちくま文庫 2023年7月)を読む。カバー袖の著者紹介によると小泉先生は1943年、福島県の造り酒屋に生まれる。東京農大名誉教授。専門は醸造学・発酵学・食文化論とある。そういえば、前に勤めていた会社(年友企画)の近くにあった鯨料理の店「一之谷」は先生の贔屓の店だそうだ。で本書はフィクションなのか事実をもとにしたノンフィクションであるのかよくわからないが、私には面白かった。飛騨の宮寺の集落の一番奥の、「山の裾野に近いところに、古くて大きな家屋を構えた「右官屋権之丞」という奇妙な名前の料理屋がある」。その料理屋がこのストーリーの舞台である。右官とは本書によるとその昔、建築に関わる職の中で木に関わる職を「右官」、土に関わる職を「左官」と区別し、その右官に飛騨の大工集団、飛騨の匠を当てたそうである。右官屋権之丞の主人、藤丸権之丞誠一郎の祖先も飛騨の巧であった。右官の藤丸家がいつまで木工巧で、いつから専業農家になったのかは記録に残っていない。料理屋に転換したのはつい近年で、当代の15代目の権之丞誠一郎である。誠一郎は農業の傍ら、猟銃免許を取得して副業として猟師をしていた。そのうち猟師が本業化していって、さらに誠一郎の猟師料理が評判となっていった。その猟師料理をもとにして開店したのが「右官屋権之丞」である。右官屋権之丞で提供する料理の紹介が本書の主なストーリーなのだが、漬物や行者ニンニク、身欠きニシンを使った料理などには郷愁を覚えた。私の故郷、北海道でも50~60年前にはこれらの食材を使った料理が食卓に出たものだった。まぁ今から考えると貧しい食卓ではあったが、懐かしさは格別である。

モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
北海道の室蘭で小中高が一緒だった山本君と呑むことになったので、中高が一緒だった坂本君も誘うことにする。山本君は家が近所で小学校の5、6年生が同じクラスだった。坂本君は中学校で私と同じブラスバンド部に所属、トランペットを吹いていた。柏駅の中央改札口で待ち合わせ、昼間からやっている居酒屋「かね子」に入る。生ビールで乾杯の後、私は焼酎のお湯割り、坂本君と山本君は焼酎の水割りを呑む。「かね子」は焼トンの美味い店で、3時に入店したときは空席もあったがすぐに満席となった。2時間制で少し超過したが3人とも満足したようだった。柏から山本君は東武野田線で春日部へ、私と坂本君はJR常磐線で私は我孫子、坂本君は天王台へ。私は我孫子で「しちりん」に寄る。

12月某日
図書館で借りた「武家か天皇か-中世の選択」(関幸彦 朝日新聞出版 2023年10月)を読む。歴史を出来事の叙述としてではなく、体制(システム)の相克、協調、闘争として捉えようとしている関の論理の展開には興味を覚えた。しかし私が親しんだ歴史の本とはちょっと感覚が違い、250ページに満たない本ながら読み終わるのに4日もかかってしまった。本書を要約するのは難しい。私が興味を持った論を紹介したい。例えば至尊と至強の分離。12世紀の源平争乱を経て源頼朝は鎌倉に幕府を開くが、これにより天皇(至尊)と至強としての幕府権力が分離される。摂関政治が台頭するまでの古代国家においては大王が軍事力と政治権力を独占していた。9世紀以前の天皇名は文武、天武、聖武など「武」や「文」の漢語が共有され、そこには帝王たる治世への形容句が内包されていた。しかし10世紀の東アジア史の転換(大唐帝国の滅亡)を契機に、日本は律令国家体制から王朝国家に移行し、それに伴って天皇の呼称も変化する。宇多・醍醐・村上と続く京都の地名や御所名を冠する天皇の登場である。

12月某日
図書館で借りた「我が産声を聞きに」(白石一文 講談社 2021年7月)を読む。表紙の猫の写真を見て「見たことあるなぁ」と思ったが、読み始めてこの本は読んだことがあると感じた。2021年の発行だから2年前、そんな直近に読んだ本でも忘れてしまうのだ、と自分の耄碌ぶりに驚く。しかし考えてみれば同じ本を2度読むということは悪いことではない。本書でも前回読んだときは感じられなかったことを発見することができた。東京の理工系大学の大学院卒のエリート技術者と結婚した関西の外語大学出身の名香子が主人公。名香子は突然、夫に好きな人ができたので別れて欲しいと言われ、夫は好きな人の住む北千住へと行ってしまう。前回、読んだときには気付かなかったが、作者は完全に名香子の味方。夫との別離をきっかけにして名香子は敢然として自立の道を選ぶ。自立を決意したとき、庭に数年前いなくなったミーコと似た猫が姿を現す。猫は夫からの自立の象徴とも読める。

12月某日
「満洲事変はなぜ起きたのか」(筒井清忠 中央公論新社 2015年8月)を読む。去年、タレントのタモリが「来年は新しい戦前が始まる」と言って一部で注目を集めた。ロシアのウクライナ侵攻は昨年の2月だから「新しい戦前」は昨年から始まっていたのかもしれないし、ロシアのクリミア半島併合は2014年3月だから、そこから「新しい戦前」が始まったともいえる。私はロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのパレスチナ・ガザ地区侵攻が、戦前の日本の満洲国建国やその後の中国大陸への全面的な戦闘拡大と二重写しに感じられる。日清日露戦争に勝利した軍部、とくに陸軍は次の狙いを中国大陸に定める。日露戦争後、満洲に留まったまま軍政を継続しようとする軍部の児玉源太郎参謀総長に伊藤博文韓国統監は「満洲は決して我国の属地ではない。純然たる清国の領土である」と発言したことが紹介されている。筒井は「伊藤は見事なリーダーシップを発揮したのである。また、この時、文官による陸軍のコントロールが実行されたといえなくもないであろう」と評価している。日本はパリ講和条約でも人種平等案を提起している。米国内の差別問題とイギリスの反対とにウイルソンが抗しえず、削除されたが。ワシントン会議でも日本はおおむね国際協調路線だった。むしろ米国では排日移民法が可決されるなど排外主義的傾向が強まっていた。大正デモクラシーという風潮もあってか、この頃の日本は比較的リベラルであった。
日本が侵略色を強くしていくのは昭和に入ってからであろう。張作霖爆殺事件や満州事変のきっかけとなった柳条湖事件など陸軍の謀略と、それに乗じた新聞報道などによって戦争気運は高まっていく。そういえば朝の連続テレビ小説「ブギウギ」でも戦時色が色濃くなって主人公の弟が戦死し、真珠湾奇襲攻撃の成功に街は沸き立っていた。本書でも、張作霖爆殺事件や満州事変などの謀略事件が「日本軍の手によって行われたことがすぐに中国と世界に判明し決定的に信用を落としたのである」と綴られている。後に外務大臣となった重光葵は次のように言っている。「大正期の日本は世界の五大国、三大国の一つまでいわれるようになり…人類文化に対する責任は極めて重かった。…『責任を充分に自覚し、常に自己反省を怠ることなく、努力を続けることによってのみ』この責任は果たされるはずであった」
「然るに、日本は国家も国民も成金風の吹くに委せて…内容実力はこれに伴わなかった…日本は、個人も国家も、謙譲なる態度と努力とによってのみ大成するものである、という極めて見易き道理を忘却してしまった」。この時期は普通選挙制度の実現など平等主義的政治要求が一般化した時代でもある。「参政権の獲得により日本の権益の侵害は国民一人一人の利益への侵害と受け止められるように」なり、「それへの被害者意識と報復を求める感情は巨大な、ある場合には統御できないものともなるのである」という著者の認識は、やがて来るファシズムの時代を予感させる。

12月某日
フィスメックの小出社長と社会保険出版社の高本社長と会食の予定。17時30分に小出社長を訪問することになっている。少し早く着いたので1階ロビーで本を読んでいると社会保険研究所の鈴木前社長が通りかかり、しばし雑談。17時20分にフィスメックに向かうと年友企画の岩佐さんに遭遇。小出社長と神田小川町の「蕎麦といろり焼 創」に向かう。ほどなく高本社長が来たので生ビールで乾杯。あとは日本酒の銘酒を楽しむ。この店は料理が美味しいうえに銘酒を揃えているのが嬉しい。2時間ほどで会食を修了。すっかりご馳走になる。高本社長に千代田線の新御茶ノ水駅の改札まで送って貰う。地下鉄に乗ったら若い男性に席を譲られる。後期高齢者で身体障害者なのでありがたく座らせて貰う。

12月某日
「ウクライナ戦争をどう終わらせるか-『和平調停』の限界と可能性」(東大作 岩波新書 2023年2月)を読む。2022年2月24日にロシアのウクライナ侵攻は始まった。本書はその1年後に出版されている。来年の2月には戦争開始から2年が経過することになるが、戦争は終わりそうもない。アメリカがベトナム戦争に敗北したように、またフランスがアルジェリアから撤退したようにロシアもウクライナから撤退せざるを得なくなるのではなかろうか、というのが私の希望的観測である。著者はそのためにはロシアへの経済制裁の継続、EUや米国そして日本のウクライナへの支援が必要とする。本書では日本の2つのNGOが紹介されている。「ピースウィンズ・ジャパン」と「難民を助ける会」である。しかしガザの難民にも支援が必要だしね。政治資金パーティーのキックバックを受けた安倍派の国会議員は率先してカンパすべきであろう。

モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
「ロシア・ウクライナ戦争-歴史・民族・政治から考える」(塩川伸明編 東京堂出版 2023年10月)を読む。ロシアのウクライナ侵攻が始まってから私は少しウクライナに関心を持ち始めた。例えばウクライナ語はロシア語とは似ているが違う言語だということ。ただアメリカやイギリス、フランスやロシアの歴史に比べるとウクライナについては殆ど無知と言ってよい。それでまぁ我孫子市民図書館で本書を借りたわけです。第2章「ルーシの歴史とウクライナ」で松里公孝東大大学院教授が書いていることが参考になった。それによると、現在のウクライナ地域は①9~12世紀は世俗国家としてはキエフ・ルーシに統合②13~17世紀、モンゴルによりキエフ・ルーシは滅亡、ルーシは東西に分裂③17~18世紀、ロシア帝国が東西ルーシを再統一④19世紀~ロシア革命まで、正教とカトリックの闘争が西部諸県の「ポーランド人問題」として内政化して継続。ロシア革命によりウクライナ、ロシア、ベラルーシが生まれた。ウクライナはソ連(ソヴェト社会主義共和国連邦)を構成する社会主義共和国となった。それでソ連の解体によりウクライナは名実ともに独立国になったということである。中・東欧史ってややこしんだよね。とくにウクライナは。
第4章「歴史をめぐる相克-ロシア・ウクライナ戦争の一断面」で浜由樹子静岡県立大準教授が「ウクライナは、異なる来歴を持ついくつもの地域から成り立っており、民族構成、使用される言語、宗教分布も地域によって少しずつ違う」と書いている。大雑把に言うと西の方が親西欧でウクライナ語が優勢で東部地区が親ロシアでロシア語を話す人が多いらしい。そしてクリミア州はもともとソ連のロシア共和国に属していたが、フルシチョフによってウクライナ共和国に移管された。2022年のロシアのウクライナ侵攻に先駆けて2014年にクリミア州が住民投票の結果、ロシア連邦に編入されたが、ロシアの軍事力を背景にした編入と思っていたが、そうとばかりは言えないらしい。2022年10月には東南部4州が住民投票の結果を受けてロシアに併合されたが、これも同様だ。しかしである、ロシアのウクライナ侵攻は紛れもなく「力による現状変更」である。イスラエルのガザ侵攻が認められないのと同様にロシアのウクライナ侵攻も認めるわけにはいかないのである。私としては。

11月某日
「柄谷行人・中上健次 全対話」(講談社文芸文庫 2011年4月)を読む。柄谷行人は1941(昭和16)年兵庫県生まれの思想家。近著に「力と交換様式」。中上健次は1946(昭和21)年和歌山県生まれ。新宮高校卒業後、新宿でフーテン生活を送りつつ小説家を目指す。76年に「岬」で第74回芥川賞受賞。「枯木灘」「19歳の地図」「蛇淫」などを執筆、92年にガンで逝去。私の友人で5年ほど前に亡くなった竹下隆夫さんが中上と親しくて、確か和歌山の新宮で執り行われた中上の葬儀にも出たように思う。竹下さんは当時、年金住宅福祉協会に勤務していたが、もともとは文芸図書の出版社だった冬樹社で編集長をしていたから中上とはその頃からの付き合いだったのだろう。解説(高澤秀次)によると、柄谷と中上の出会いは1968年、当時東京新宿・紀伊國屋ビルの5階にあった「三田文学」の編集室であった。68年と言えば前年の67年の10.8羽田闘争で火が付いた学生運動が68年に入って東大、日大闘争が始まり10月21日の国際反戦デーでは新宿駅中心に大規模な騒乱状態を出現させた年である。本書によると中上はフーテン時代に早稲田の法学部の地下にあった社学同のサークルの部室に顔を出していて荒岱介(後の共産同戦旗派の創始者)などと親しかったそうだ。それはともかく「本当は、交通があるという状態が都市なんで(中略)世界史を見ても結局、活溌な交通や異種交配があるところだけ“進化”している」(柄谷)、「フリー・ジャズなんて(中略)音がつくりあげるコード、すなわち法制度から、なるべく遠くへ行こうと思うわけでしょう」(中上)という発言などは今でも新しいと思う。

11月某日
11月25日は私の75歳の誕生日である。吉本隆明と同じ誕生日というか1970年に三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で割腹自殺した日でもある。そして8年ほど前に私の母が92歳で亡くなった日だ。ということで西荻窪に住む兄から、北海道に住む弟が出てくるので食事をしようというメールがあった。待ち合わせ場所は新宿野村ビル。久しぶりの新宿なので迷ってしまい5分ほど遅刻。予約してあった土佐料理の「ねぼけ」へむかう。夜景がきれいだった。私以外は奥さんと一緒だった。新宿駅で彼らと別れ私は山手線で日暮里へ。日暮里から常磐線で我孫子へ。

11月某日
作家の伊集院静が亡くなる。73歳だった。私は伊集院静の愛読者とは言えないが、現代作家のなかでは割と読んだ方である。本日(11月29日)の朝日新聞朝刊に桜木紫乃が追悼文を寄せていた。桜木は伊集院のことを無頼と呼んで次のように書く。「無頼はときどき、誰にも告げずにふらりと博打の旅に出るらしい。今度はいったいどんな賭場を見つけ、どんな楽しい博打を打っているのか」。伊集院は確かに無頼であった。無頼はしかし「頼り無い」状態でもあるのだ。在日朝鮮人の家に生まれ高校球児として活躍し、立教大学野球部に入部するも身体を壊して退部。広告代理店のプロデューサーとして当時、人気絶頂の夏目雅子と出会い結婚するが、夏目は病死してしまう。その後、篠ひろ子と結婚する。華やかな人生とも言えるが、挫折と出会いと別れの人生でもあった。

11月某日
「くまちゃん」(角田光代 新潮文庫 平成23年10月)を読む。「あとがき」で「この小説に書いた男女は、だいたい20代の前半から30代半ばである。1990年代から2000年を過ぎるくらいの時間のなかで、恋をし、ふられ、年齢を重ねていく。そう、この小説では全員がふられている」として、次いで「私はふられ小説を書きたかったのだ」と続ける。7編の短編小説がおさめられているが確かに全編「ふられ小説」である。ところで私はふられた経験がない。本当はふられたのにそれに気付かなかったのかもしれないが、自覚がない。北海道で高校までを送り、東京で一浪し大学に入学した。同級生と恋愛し卒業してすぐ結婚した。つまり女性に持てたから振られたことがないのではなく、真剣な恋愛は今の奥さんとの一度切りという貧しくも幸運な恋愛経験の結果である。

11月某日
図書館で借りた「1937年の日本人-なぜ日本は戦争への坂道を歩んでいったのか」(山崎雅弘 朝日新聞出版 2018年4月)を読む。私はかねがねロシアのウクライナ侵攻が戦前の日本の中国大陸への侵攻と重ね合わせて見てきたもので、山崎雅弘という人の書いた本は初めて読むが借りることにした。山崎は大学で教える歴史学者ではない。巻末の略歴では戦史・紛争史研究家となっている。岩波新書の「独ソ戦」を書いた大木毅の存在と近いのかも知れない。「独ソ戦」も面白かったが本書も面白かった。山崎の着目点が良い。山崎は「はじめに」で、ある日を境に「日本人の生活や価値観が」昨日までの「平和の時代」から一転して「戦争の時代」へ激変するような「分岐点」は見当たらないとしている。そうかも知れない。ロシアのウクライナ侵攻にも中世から帝政時代、ソ連時代とその解体といった長い歴史があるし、イスラエルのガザ侵攻には第1次世界大戦時のイギリスの戦略の問題(枢軸国側だったオスマントルコに対抗するためにアラブ勢力には戦後の独立を約束し、ユダヤ人にはユダヤ国家の建設を約束した)、つまりイギリスの二枚舌、三枚舌外交戦略の問題がある。まぁ2000年前にはローマの属国だったとはいえ、ユダヤ国家は存在した。
1937年前後の日本の状況は、既成政党は国民の信用を失っており、軍拡による急激な物価上昇が国民生活を直撃していた。ここらへんは岸田政権下の現代日本を想起させる。7月7日の盧溝橋事件をきっかけに始まった支那事変は当初は政府も軍も不拡大方針だったが、世論やそれを煽った新聞の論調に引きずられ、まず陸軍が戦線の拡大と軍事費の増額を唱え、政府もそれに追随した。ただし衆議院では軍に対して批判的な議員が粛軍演説をしたり、一部の雑誌(中央公論や改造)では軍に批判的な論文も掲載された。ジャーナリストの伊藤正徳は大局的な見地で他国との紛糾を捉えるならば、相互の譲歩や多少の屈服を日本が敢えてすることも、決して日本にマイナスではないと文藝春秋で指摘している。1937年の年末、日本軍は首都南京に迫りつつまった。新聞(大阪朝日)は「南京包囲の態勢成る」「いよいよ迫る首都最後の日」と報じる一方で、大丸、高島屋、三越などの百貨店の全面広告や半面広告を掲載している。つまり、山崎が「はじめに」で書いたように平時から戦時への分岐点が明確にあるわけではなく戦争と平和が併存しつつ、グラデーションのように戦時色が強くなり、やがては戦時一色となるのだ。現代の日本では岸田政権はウクライナ戦争による物価高騰に対応して減税を約束する一方で、自衛隊の装備の現代化に向けて増税の検討に入っているという。いつか来た道をたどることがないように祈るのみである。

モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
図書館に行くついでにバス停(アビスタ前)に寄って時刻表を見たら、天王台経由湖北台行きのバスが2分ほど来るではないか。バス停で待っていると2分ほどでバスが来た。10分ほどでJR天王台駅前に着く。天王台から我孫子へJRで行くことも考えたが、自宅のある若松まで歩いて戻ることにした。天王台駅から歩いて10数分で手賀沼のほとりに着いたがそれからが長かった。それから40分以上、天王台駅から1時間でやっと「水の館」に着く。「水の館」1階のアビコン(我孫子の農産物直売所)によると、3時を過ぎたらサンドイッチ類が半額になるという。サンドイッチと野菜ジュースを買って、手賀沼ほとりのベンチに座って食する。我孫子高校前のバス停で万歩計を見ると1万3千歩を超えていた。満足してバスを待ち、アビスタ前で下車。

11月某日
図書館で借りた「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」(ナンシー・フレイザー ちくま新書 2023年8月)を読む。著者のナンシー・フレイザーは1947年生まれのアメリカの政治学者である。日本で言えば団塊の世代である。私は1948年生まれだから同じ世代である。私たちが20歳前後の1968年は若者たちの「反乱の季節」だった。フランスの5月革命、アメリカのベトナム反戦運動、日本でも前年の佐藤首相のベトナム訪問に反対する羽田闘争をきっかけにベトナム反戦運動が盛り上がり、同時に東大、日大闘争をはじめとする学園闘争が全国に拡大した。まぁナンシー・フレイザーが反戦運動や学園闘争に参加したかは知らないけれど、私は勝手に親近感を持ってしまった。本書を読了後、その親近感はさらに高まった。フレイザーの思想の源はマルクスの思想である。現代社会の矛盾の解明の武器として資本論をはじめとしたマルクスの思想に依拠している。本書に沿ってフレイザーの思想を簡単に紹介しよう。
フレイザーは現代を金融資本主義体制と位置づけ、それは「18世紀の重商資本主義体制、19世紀のリベラルな植民地資本主義体制、20世紀中頃の国家管理型資本主義体制」の後継の体制となる。19世紀は帝国主義、20世紀中頃は国家独占資本主義と言い換えてもよいだろう。ジェンダーの観点から見ると国家管理型資本主義体制までは、男が外で労働し女は家庭で家事労働という形態が普通であった。1980年代に入ると「グローバル化と新自由主義のこの体制(金融資本主義)は、国家と企業に社会福祉を削減するように促すとともに、大量の女性労働者を有償労働に勧誘した」。日本で言うと2000年の介護保険制度の成立がこれに当たる。それまでの高齢者介護は主として措置制度によって税金で賄われていたが、介護保険制度により税金と保険料と利用者負担によって賄われるようになった。介護労働は主として女性によって担われている。介護労働に限らず今の日本社会はほぼ「共働きモデル」である。
フレイザーは「資本主義経済の存立を可能にする四つの非経済的条件を明らかにした」。第一の非経済的条件は、「被征服民、特に人種差別される人々から収奪した膨大な富だ。とりわけ土地、自然資源、従属する人々の無償もしくは低賃金の労働」だ。日本では明治政府による蝦夷地のアイヌからの収奪に始まり、台湾や朝鮮、南樺太さらにアジア太平洋戦争による東南アジアからの収奪がこれに当たる。戦後、日本資本主義は東アジア各国に進出したが、そこに収奪はなかったのであろうか? 第二の非経済的条件とは「社会的再生産に費やされる無償もしくは低賃金の膨大な量の労働だ」。つまりケア労働のことだがフレイザーは「資本はケア労働の価値をまったくと言っていいほど認めず、補充にも無関心で、支払いを極力、回避しようとする」と言っているのだが日本の介護労働の現実を見ると、肯かざるを得ない。第三の非経済的条件は、「自然から収奪する無料ないし安価な投入物だ」。原材料、エネルギー、食料、耕作地、空気、飲料水、大気の炭素収容能力といった自然の一般的な必要条件などである。第四の非経済的条件とは「法的秩序、反乱を鎮圧する力、インフラ、マネーサプライ、資本主義システムの危機に対応するメカニズム」などを含む公共財である。私たちは今、現在存在するものを無批判に受け入れがちだ。ロシアのウクライナ侵攻もイスラエルのガザ侵攻も、現在は許しがたいものとして批判しているが、時間がたつと受け入れてしまうかもしれない。現にロシアのクリミア半島の併合には国際世論は容認したし、そもそもパレスチナ人民を排除したイスラエルの建国も国際世論は容認したのである。

11月某日
「マルクス-生を呑み込む資本主義」(白井聡 講談社現代文庫 2023年2月)を読む。マルクスの思想が注目されているように思う。マルクス(1818~1883)は200年以上前に生まれた思想家だが、その思想は現在も生き続けている-という視点から書かれたのが本書だ。「おわりに」を入れて126ページの薄い新書だが、内容は濃かった。私はこの本を読んで「文明の発達、社会の進化とは何だろう?」と思わざるを得なかった。とくに産業革命以降の蒸気機関や自動車の発明、電気やガスの普及は、確かに人類に大いなる利便性と快適性を提供した。しかし一方でこれらは地球温暖化や廃棄物の増大をもたらして地球の持続可能性を脅かしている。このところ市街地へのクマの出没がニュースになっている。直接的には食料にしていたドングリが不作で市街地に出て来たらしいが、もともとこの大地は野生生物のものだった。後発の人類が水辺や森林の傍らで細々と狩猟や採取をやっていたに過ぎない。産業革命以降、人口は増大する一方で工業化が進んだ。白井によると「労働の仕方、労働における指揮や命令、人間にとっての働くことの在り方全般が、資本主義のもとでつくり変えられ、その結果、人間がその生産物によって支配されるようになる」ということだ。宝塚歌劇団でのいじめパワハラが問題になっているが、これも「労働における指揮や命令、人間にとっての働くことの在り方全般が」問われていると思う。

11月某日
「橋」(橋本治 文藝春秋 2010年1月)を読む。雅美とちひろという名の女の子がいた。ふたりは長じて結婚する。ちひろは夫殺しで捕まり、雅美は娘を川で失う。後に雅美は娘を
意図的に川に突き落とした疑いで逮捕される。時代は1980年代から90年代、バブルとその崩壊の時代だ。橋本治は東大時代、5月祭のポスター「とめてくれるなおっかさん、背なの銀杏が泣いている」で一躍有名になった。当時から時代感覚に優れていた。「橋」の主人公も実は時代なのだろう。雅美の事件にはモデルがあると思う。同じ事件をモデルにしたのが吉田修一の「さよなら渓谷」である(あくまでも推測です)。

11月某日
「江利川さんを囲む会(仮称)」を18時から東京・神田の「跳人(大手町店)」で。早く着き過ぎたので会場で待っていると18時近くから続々と集まってくる。本日の参加者は敬称略で元厚労省が江利川、川邉、吉武、足利、岩野の5名、その他が大谷、森田、高本(夫)、高本(妻)、佐藤、岩佐の6名の11名だった。社会保険旬報の手塚さんは参加予定だったが、仙台出張のため参加できなくなった。手塚さんは参加を楽しみにしていたので来年2月頃にまた会を招集しようと思う。

モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
「『山上徹也』とはなにものだったのか」(鈴木エイト 講談社+α新書 2023年7月)を読む。鈴木エイト氏は安倍元首相の銃撃事件以降、連日テレビに出演して旧統一教会とその被害について論評していた人だ。山上徹也は安倍元首相を銃撃、殺害した犯人、当日、現場で現行犯逮捕され殺人その他で起訴され、現在は拘置所で公判を待つ身だ。私は本書を読んで安倍元首相が巷で言われている以上に旧統一教会とつながりがあったことを知った。元首相の祖父である岸信介以来の関係である。元首相が宗教的に旧統一教会に近づいたというより、政治家として支持(票、労働力、金銭等)が欲しかったのだろう。銃撃後、自民党保守派はまさに「手のひらを返したように」旧統一教会との断絶を宣言している。まぁそんんなもんでしょう。鈴木エイト氏は事件前からカルト集団としての旧統一教会に注目、取材をしていた。事件後、マスコミへの露出も多くなってきた。でも彼のジャーナリストとしての自覚と自負は見上げたものである。山上徹也に対しても「罪を憎んで人を憎まぬ」姿勢は一貫している。

11月某日
「恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ」(川上弘美 講談社 2023年8月)を読む。文芸誌「群像」に2020年1月号から2023年5月号まで不定期で連作されたもの。著者、川上の分身と思われる小説家の日常が描かれる。単行本の帯によると「小説家のわたし、離婚と手術を経たアン、そして作詞家のカズ/カリフォルニアのアパートメントで子ども時代を過ごした友人たちは半世紀ほど後の東京で再会した」ということになる。川上は1958年生まれ、私の10歳下である。ということは今年65歳、昔で言えば立派な老人、確か夏目漱石は49歳で死んでいる。「2020年の暮れまでは落ち着いていたコロナの感染者数が、再び増えはじめていた」「2021年の5月末、91歳になったばかりの父がころんだという電話がきて、実家に急いだ」…。小説家の日常、それもコロナ禍の日常である。丁寧に描いているのか、雑に大雑把に描いているのか…。でもこれは確かに文学と言えると思う。

11月某日
「シェニール織とか、黄肉のメロンとか」(江國香織 角川春樹事務所 2023年9月)を読む。学生時代仲が良く周囲から「三人娘」と呼ばれていた三人の女性とその周辺の人たちの日常を描く。林真理子の小説ならば恋愛が、桐生夏生ならば事件が描かれるが、江國の今回の小説には恋愛も事件も登場しない。英国帰りの理枝の恋バナは登場するが、それも軽くである。三人の年齢は57,8歳。小説家となった民子は母と同居、専業主婦の早希は夫と息子2人と同居、独身の理枝は英国から帰国当初は民江の家に居候し、その後湘南に家を買う。これら3人はブルジョア階級とは言えないが中産階級であることは疑いない。「失われた30年間」にその存在が随分と希薄になった中産階級である。競艇場の場面が何回か登場するが、ウイキペディアで検索すると江國は競艇が趣味であるという。そこらへんは中産階級的ではない。

11月某日
社保研ティラーレの吉高さんから「忘れていませんよね。明日はフォーラムですよ。会場でお待ちしていますから」とメールが届く。フォーラムとは「地方から考える社会保障フォーラム」のこと。私も高齢になったし(今月、75歳の後期高齢者となる)、フォーラムへの出席も控えようと思っていたが、折角のお声がけなので出席することにする。ただこの日は11時に所用があり、午後からの出席となった。会場に着くと元防府市の高齢福祉課主幹の中村一朗氏の「リエイブルメント・サービスで地域を活性化する政策の推進を!」がすでに始まっていた。高齢者の活用で地域を活性化するという話だった。次いで厚労省の福祉人材確保対策室長の吉田昌司氏が「地域共生社会とそれを支える人材」という演題で講演を行った。後期高齢者となる私にとってはいずれも非常に参考になる話であった。会場は地下2階で地下道と直結、5分ほどで千代田線大手町駅。我孫子行きに乗車、終点まで座ることができた。我孫子駅で下車、駅前の「七輪」で軽く一杯。

11月某日
「増補 昭和天皇の戦争-『昭和天皇実録』に残されたこと・消されたこと」(山田朗 岩波現代文庫 2023年9月)を読む。私がテレビの画像などで昭和天皇の姿を見るようになったのは1958年か59年頃だと思う。その頃、我が家にもテレビが導入されたからだ。その当時の昭和天皇のイメージは猫背でチョビ髭を蓄えた丸い眼鏡の温和な老人だ。植物学者の一面も紹介されていたから平和を好む人なんだろうなーというイメージだ。しかし明治憲法では、大日本帝国は天皇が統治するとされているし、同時に天皇は大元帥として陸海軍のトップでもあった。「昭和天皇実録」とは、昭和天皇の公式伝記で宮内庁編纂の全60巻で14年3月からは東京書籍㈱から全19巻に再構成されて出版されている。本書は「実録」以外にも「高松宮日記」「木戸幸一日記」「大本営機密日誌」「杉山メモ」などの日記、メモ類その他膨大な資料に当たって確認した昭和天皇の「行動と思想」である。簡単にまとめてしまうと昭和天皇は極端な侵略主義者でも平和主義者でもなかった。アジア太平洋戦争の開戦時は積極的な開戦論はとらなかったが緒戦の陸海軍の勝利を見て、満足感を感じる。日本軍が敗勢に転ずると戦争指導部に失望し、苦言を呈するも激励もする。「解説」(古川隆久)によると、昭和天皇は「12歳で皇太子になってまもなく陸海軍少尉に任官し、以後陸海軍の軍人を教師役として軍事に関する学習を継続していく。昭和天皇は軍事には素人どころか、最高水準の軍事教育を受けていた…」そうである。軍事指導者としての昭和天皇を描いた本書を読むと、昭和天皇には「戦争責任あり」と思わざるを得ない。

11月某日
「戦争論」(高原到 講談社 2023年8月)を読む。文芸雑誌「群像」の今年1,3,5月号に掲載されたもの。今年10月に勃発したイスラエルとパレスチナの紛争については触れられていないが、それにしてもロシアのウクライナ侵攻、ミャンマーでの軍事政権による民主派の弾圧、北朝鮮の核の脅威など戦争、地域紛争の脅威が世界を覆う現在、本書の論稿には非常に参考となるものが多かった。「第1章2つの戦争のはざまで『同志少女よ、敵を撃て』とウクライナ戦争」では、中国やロシアといった権威主義国家の帝国的な拡大志向が21世紀の国際情勢にあって、「その危険な現状を『否認』したいという欲望が」「フィクションの戦争を代償的に享楽しつつリアルな戦争から眼をそむけるという倒錯を私たちに強いてきたのだろうか?」と問いかけつつ、さらに「ウクライナ戦争はそうした『否認』がもはや維持しえないことを私たちに突きつけているのだろうか?」と続ける。著者は独ソ戦にウクライナ戦争と同じ構造を見ている。「ロシアという特殊性を普遍性に位置づけるプーチンのファシズムと、外敵の侵略から自国の自由と独立を守るため、全国民に徹底抗戦を呼びかけるゼレンスキーのナショナリズムという構図だ」。ファシスト=ナチスドイツから祖国を防衛したソ連=ロシアが今やファシストとして隣国を侵攻しているという皮肉。
「第2章『半人間』たちの復讐 巨人たちは屍の街を進撃するか?」では、第2次世界大戦で米国から2発の原爆を投下された日本人に対して「では日本人は、自らを〈人間の顔をした猿〉と決めつけて絶滅兵器を放った敵に、どのような復讐を誓ったのか?〉と問う。著者は「進撃の巨人」や「鬼滅の刃」、さらに大田洋子や林京子の原爆文学、「はだしのゲン」「夕凪の街」などの原爆漫画を「人間であって人間でないという矛盾を強いられ、社会から追放され迫害される『半人間』たちの復讐を、対照的なかたちで描きだした」と評価する。つまりこれらの作品は、絶滅兵器を放った敵に例外的に復讐を果たしているのだ。著者は「三発目の原爆を落とされても憎悪や復讐心をもちえない国」として日本を半国家と呼ぶ。私はここで「?」と思う。では、著者は日本を自立した帝国主義国家にしたいのだろうか?
答えは「第3章 復讐戦のかなたへ 安倍元首相銃殺事件と戦後日本の陥穽」にある。ここで著者は安倍の出自をたどる。祖父の岸を「大日本帝国と戦後の連続性をグロテスクなかたちで体現したモンスター」と表現しA級戦犯として巣鴨プリズンに収容されていた岸は、東条らが処刑された翌日に釈放され政界に復帰し、60年安保改定を首相として実現する。岸から安倍は「官僚的な権威主義、アメリカへの従属、戦争責任の忘却、そして『卑劣』さ」のすべてを相続した。しかし安倍が相続した反共イデオロギーには旧統一教会という汚点がこびりついていた。そして米国は戦時に昭和天皇がふるった政治的、軍事的イニシアティブに眼をつぶり、東条英機らA級戦犯をスケープゴートにまつりあげた。さらに大東亜戦争を太平洋戦争と読み替えるなかでアジアの人びとの対日抵抗戦争も消去された。これらの歴史認識をもとにして著者は新たな「平和論」を構築しようとしている。私は高原到という思想家を知らなかったけれど、本書を読む限りではしっかりとしたまともな思想家である。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
「雫の街 家裁調査官・庵原かのん」(乃南アサ 新潮社 2023年6月)を読む。「小説新潮」の2021年7月号~22年1月号に掲載されてもの。新型コロナウイルスの流行と重なる時期で小説中にも新型コロナの話題が出てくる。家裁調査官シリーズは確か2作目。前作では庵原は北九州の家裁調査官で恋人の上野動物園飼育員の栗林とは遠距離恋愛だったが、庵原の川崎中央支部への転勤を機に結婚する。家裁の扱う事件は地味である。少年事件でも新聞をにぎわすような事件は地裁へ回される。しかし地味だからこそ深い人間関係が潜む事件もあるのだ。そこを描くのはさすがに乃南アサである。私は個人的には最終作の「はなむけ」が一番気に入っている。末期がんで水商売を細々と営む母親が、少年院に収容されている娘と息子に家を売却して現金を遺すという話。表面的なストーリーはその通りなのだが子を想う母親の情愛がひしひしと伝わってくるのさ。

10月某日
「ひとびとの精神史 第1巻 1940年代」(栗原彬・吉見俊哉編 岩波書店 2015年7月)を読む。先週第6巻の「日本列島改造 1970年代」を読んで面白かったので我孫子市民図書館で第1巻を借りた。第1巻は3章の構成でそれぞれのタイトルは「Ⅰ生と死のはざまで」「Ⅱそれぞれの敗戦と占領」「Ⅲ改革と民主主義」である。どれも面白かったが私にはⅡの「茨木のりこ 女性にとっての敗戦と占領」(成田龍一)がとりわけ面白く感じた。茨木の詩は好きだし、生前の茨木は写真で見る限り知的な美人である。成田龍一の描く茨木像で私が少しびっくりしたのは彼女の昭和天皇観である。「四海波静」という詩で「戦争責任を問われて/その人は言った/そういう言葉のアヤについて/文学方面はあまり研究していないので/お答えできかねます/思わず笑いが込みあげて/どす黒い笑い吐血のように/噴きあげては 止り また噴きあげる」と昭和天皇を批判している。私ら庶民も酒席などでは天皇制を口にするが、文章で残すなどまずしない。茨木は詩で公然と昭和天皇を批判する。昭和天皇に対する批判だけでなく、私には戦後の象徴天皇制の批判のように感じられる。

10月某日
「上野千鶴子がもっと文学を社会学する」(上野千鶴子 朝日新聞出版 2023年1月)を読む。「あとがき」によると上野は2000年に同じ出版社から「上野千鶴子が文学を社会学する」を出版していることから今回「もっと」が付け加えられたということである。日本では単行本が出版された後、多くの本が文庫化されその巻末には解説が付されることが多い。上野が試みた解説を集めたのが本書である。本書がとりあげた解説の中で私が読んだことがあるのは林真理子の「我らがパラダイス」である。ひとり最低でも8600万円の入居金が必要な高級老人ホームを舞台にした小説だ。林が介護する側の差別意識、高級老人ホームの入居者の特権意識にメスを入れたことを評価しつつ、「ケアの質を決めるのは、負担できる金額の差ではない、事業者と介護者の志の有無だ」と本質を指摘している。さすがである。

10月某日
一週間ぶりに上京。常磐線の上野東京ラインで東京へ。山手線を神田駅で下車。鎌倉河岸ビル地下1階の跳人大手町店へ。呑み会の打ち合わせ。料理3500円に呑み放題を付けて6000円。「安くならないの?」と店員の大谷君に聞いたら「お酒も食材も値上がりしているんですよ!勘弁してくださいよ」と言われてしまった。円安に加えてロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ侵攻の影響が及んでいるようだ。戦争でいいことは一つもない。正義の戦争も存在しない。戦争を始める国は「正義のため」「平和のため」と主張するものだ。日本が戦争に巻き込まれたらうかうか酒も飲めなくなる。だから戦争、絶対反対!

10月某日
「新古事記」(村田喜代子 講談社 2023年8月)を読む。「新古事記」というタイトルだが、古典である古事記とはあまり関係がない。小説のなかで旧約聖書の創世記と古事記の国産みの神話が紹介されているのが関連している程度である。ストーリーは第2次世界大戦末期にニューメキシコの山のなかに集められた核物理学者とその妻、さらに彼らの愛犬たちとその犬を治療する動物病院の物語である。若手核物理学者(ベンジャミン)の恋人で後に結婚する「あたし」の視点で物語は進行する。「あたし」の祖父は「かんりん丸」の水夫だったが、サンフランシスコから日本に帰る日に海に飛び込み、アメリカに永住することになる。「あたし」は日系3世ということになる。しかし祖父のヒコタロウは日本の移民が定着する40年も前にアメリカ国籍になっているために、ヒコタロウの子孫は強制収容所への収容を免れた。この物語がなぜ、神話的か? 山のなかに核物理学者が集められ秘かに新型爆弾の開発を行うというストーリー自体が神話的である。核物理学者とその家族の世話をするために先住民族のプエブロの人たちが使われるが、この先住民族は神話性を色濃く持っている。「あたし」の祖母のノートに祖父の筆跡が残されているが、そこには「空」と「SORA」
「KUU」と書かれていた。神話的だよね。実験で原子爆弾を爆発させたとき。「その地方一帯は昼間の太陽より何倍も強いサーチライトで照らされた。その光は金色、紫、すみれ、灰色および青色であった…」。神話的な色彩感覚! その閃光を見て核物理学者のリーダー、オッペンハイマーは言ったという。「われは死なり。世界の破壊者となれり」。ヒンズー聖典の一行らしいが十分に神話的である。実験で威力が確認された原爆はほどなく広島と長崎に投下された。被害は途方もなく神話的であったが、事実は現実であった。なお原爆開発のために集められた核物理学者の7割はユダヤ系であったという。これもいささか神話的と言えようか。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
「やさしい猫」(中島京子 中央公論新社 2021年8月)を読む。この小説は今年、NHKでドラマ化されている。これがなかなか良かったので図書館で借りることにした。小説は母子家庭の女の子(マヤ)が「きみ」に話しかけるかたちではじまる。保育士をやっている女の子の母親(ミユキさん)は東日本大震災の災害ボランティアでスリランカ人(通称クマさん)と出会う。都内で偶然に再会したふたりはやがて恋仲に。結婚を決意するが外国籍のクマさんには出入国管理の壁が立ちふさがる。クマさんは法務大臣により強制退去処分を受けることになってしまう。マヤとミユキさん、クマさんは弁護士を頼んで法廷で争うことになる。マヤは小学校以来のベストフレンド、ナオキくんに「つきあってくれ」と告白するが振られる。実はナオキ君はLGBTだったのだ。物語にはクルド人を両親に持つ美少年が出てきたり、なんというか普段私たちには見えない日本国内の「少数派」の人たちが登場する。日本は島国ということもあってか「少数派」には冷たい気がする。人権の観点からもマズいし、労働力人口が減っていくのだから経済の観点からもマズいと思う。

10月某日
11時からマッサージ。肩と腰に15分、電気を掛けてあと15分はマッサージ。ここは健康保険が効くので自己負担は550円のみ。天気が良いのでマッサージの後は散歩。我孫子農産物直売所のアビコンまで歩く。レタスとピーマンを購入。我孫子高校前から坂東バスに乗車、アビスタ前で下車して帰宅。「ロマンス小説の七日間」(三浦しをん 角川文庫 2003年11月)を読む。海外ロマンス小説(ハーレークイーンロマンとかね)の翻訳家であるあかりと恋人の神名の日常を描くと同時に、かんなが翻訳しているイギリス中世の騎士と女領主の恋物語が綴られる。しをんという名前は本名で三浦の母親が石川淳の紫苑物語からとったそうだ。父親は元中央大学教授。ところで神名は年が明けたら海外放浪の旅に出るそうだ。そういえば三浦しをんの小説で恋人が海外の秘境を探検する人というのを読んだ記憶があるが…。放浪する人、ひとところに留まらない人が三浦しをんの好みかも知れない。

10月某日
「ひとびとの精神史 第6巻 日本列島改造 1970年代」(杉田敦編 岩波書店 2016年1月)を読む。「刊行にあたって」には「本企画は、第二次世界大戦の敗戦以降、現在に至るまでのそれぞれの時代に、この国に暮らすひとびとが、何を感じたか、どのように暮らし行動したかを、その時代に起こった出来事との関係で、精神史的に探究しようとする企てである」と記されている。そして「ここでいう精神史とは、卓越した思想家たちによる思想史でもなければ、大文字の『時代精神』でもない」とも述べている。第6巻では「Ⅰ列島改造と抵抗」「Ⅱ管理社会化とその抵抗」「Ⅲアジアとの摩擦と連帯」の3編で構成され、Ⅰでは田中角栄と他3名、Ⅱでは吉本隆明と藤田省三他2名、Ⅲでは小野田寛郎と横井庄市他2名がとりあげられている。冒頭で政治家、思想家、残留日本兵という著名人をとりあげ、その後はそれほど著名ではない庶民あるいは大衆的な知識人をとりあげている。Ⅰで言うと三里塚闘争の小泉よね、横浜新貨物線反対同盟の宮崎省吾、Ⅱでは生活クラブ生協の岩根邦雄、ゼネラル石油労組の小野木祥之、Ⅲでは金芝河と日韓連帯運動を担ったひとびと、アジアの女性たちとの連帯を追求した在日女性の金順烈である。いずれも有名人でも「時代精神」を背負っている知識人でもない。しかし鮮烈で嘘のない生き方をした人であることが本書を読むと伝わってくる。

10月某日
江利川毅さんからメールが届く。「久しぶりに集まって一杯やりませんか」という内容。異議がある筈もなし。江利川さんが当時の厚生省年金局資金課長に就任したころからの付き合いだからかれこれ40年近くになる筈。その後、彼は年金課長や経済課長など難しいポストを歴任、内閣府で官房長、次官を務め退官。証券系の研究機関の理事長になったと思ったら、不祥事で混乱していた厚労省の次官へ。その後、人事院総裁を務めた。まぁ官僚中の官僚と言えるかもしれない。しかし全然偉ぶらない気さくな人柄で多くの人に慕われている。
「虚実亭日乗」(森達也 紀伊國屋書店 2013年1月13日)を読む。「スクリプタ」という紀伊國屋書店のPR誌に連載されたものを加筆修正のうえ単行本にしたもの。森達也の本はオウム真理教関連本を1、2冊読んだ記憶がある。死刑を宣告された元信者たちのことを真面目に書いていた。今回の本は森達也と思われる元映像作家にして現在作家である緑川南京を主人公とするフィクションである。最後の章の末尾に「最後の最後に書くけれど、この書籍に書かれたことは、すべて100%一字一句残さず真実です」と書き残している。しかしページをめくると「この作品はフィクションです。」の一行が。私は主人公の緑川南京(森達也)が力道山やピースボート、北朝鮮問題、死刑問題などに直面しながら、真実とは、正義とは、に悩んでいることに強く共感する。この本を読んで初めて知ったこと。北朝鮮国民は最高指導者(この当時は金正日)のことを「将軍さま」と呼び、その権威主義的体制が強調される。しかし儒教文化の影響が強い朝鮮半島では、北朝鮮でも韓国でも目上の人にはほぼ必ず「さま」(ニム)を付けるという。韓国語から日本語に翻訳するとき普通はこの「ニム」を外す。北朝鮮の独裁者を呼ぶときだけは例外的に「さま」が付けられる。本当のことってときには分からないようになっている。それと森達也って我孫子の住人らしい。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「R・E・S・P・E・C・T リスペクト」(ブレイディみかこ 筑摩書房 2023年8月)を読む。みずからをアナキストと宣言しているブレイディの初?の小説。たぶん初めてだと思う。やはりアナキストを自認している政治学者の栗原康が推薦文を寄せている。本の冒頭に「この物語は、2013年にロンドン東部で始動したFOCUS E15運動と、同運動が2014年に行ったカーペンターズ公営住宅地の空き家占拠・解放運動に着想を得たフィクションであり、小説であります。…以下略」という文章が掲げられている。シングルマザーでホステル(若年層ホームレスの居住施設)からの退去を迫られたジェイドとその仲間たちが、空き家の公営住宅を占拠し、自らの要求を貫徹していくというストーリー。この小説を読んでいた私は50年以上前の私の全共闘体験を思い出した。1969年の4月、私たち無党派と反革マル党派の連合部隊はヘルメットと樫の棒で武装して革マルの支配する早稲田の本部構内に進出、革マルの武装部隊を粉砕し、本部封鎖に成功する。封鎖は9月に機動隊により解除される。私たちは機動隊に対抗して第2学館に立て籠ったが攻防数時間で武装解除、逮捕される。拘置所から釈放された11月には授業が再開されていた。
私たちは校舎でジェイドたちは公営住宅という違いはあるが、占拠という戦術は一緒。占拠された空間が一種の祝祭空間に変化してゆくのも同じだ。ジェイドたちは地域の住民たちと交流を深めてゆくが、私たちには住民との交流はほぼなかった。当時、日共民青は当初から全共闘派と対立していたし、革マル派は1月の東大安田講堂の戦いに参加しなかったことで全共闘派と対立を深めていった。革マル派は数年後、中核派のシンパと見られた文学部の学生をリンチ、殺害に至る。この辺の陰惨さも日本の新左翼運動に見られてジェイドたちの運動には見られない特徴だ。政経学部の全共闘はノンセクトが中心で明るかったけどね。私は当時2年生で1学年上の浅井さんや後藤さんと仲良くしてもらった記憶がある。拘置所から出てきたら彼らはもう学園から消えていた。その後、会うことはなかった。地域に根差したジェイドたちの運動は永続する運動のように見える。私は全共闘の無党派の運動は基本はアナキズムではなかったか、と思っている。べ平連の運動もアナキズムに近似しているように思える。全共闘もべ平連も遠くなってしまった。しかし日本においても貧富の格差は拡大しているし、ロシアのウクライナ侵攻も続いている。現代にも矛盾は存在し拡大しているのだ。

10月某日
「かたばみ」(木内昇 角川書店 2023年8月)を読む。北海道新聞、中日新聞など地方紙に連載されたものがもとになっている。ちなみに「かたばみ」とはカタバミ科の多年草。クローバーのような葉を持ち、非常に繫殖力が強く「家が絶えない」に通じることから、江戸時代にはよく家紋に用いられた。花言葉は「母の優しさ」「輝く心」など(本書のカバーに記述)。「家が絶えない」「母の優しさ」が本書のテーマと言える。私はNHKの「ファミリーヒストリー」という番組が好きでよく見るが、本書も日本女子体育専門学校で槍投げ選手として活躍した悌子のファミリーヒストリーである。肩を壊して槍投げ選手を引退した悌子は小学校の代用教員に。悌子には早稲田大学で投手として活躍した幼馴染がいる。当然、結婚すると思っていたが彼は別の人と結婚、すぐに出征して戦死してしまう。嫁は赤ちゃんを身ごもっていた。出産後、嫁は再婚するが悌子に赤ちゃん清太の養育を依頼する。悌子は定職のない権蔵と結婚し清太を実子として育てる。終戦後、清太はすくすくと育ち中学校ではエースとして活躍する。権蔵もドラマ作家として売れ出すが…。惹句に曰く「2023年を代表する傑作の誕生」。かどうかは分からないが、私は大変面白く読ませてもらった。清太は昭和33(1958)年に中学2年生(13、4歳)だから昭和20年か19年生まれだね。作者の木内昇は1967年生まれだから清太は親の世代になるか。

10月某日
「はーばーらいと」(吉本ばなな 晶文社 2023年6月)を読む。つばさ(男子)とひばり(女子)は小学生からの仲良し。つばさのお父さんが投身自殺希望者に巻き込まれて窓から転落死したり、ひばりの両親が経営していたバーを閉鎖してカルト教団に入信したり、ありがちな日常が描かれる(日常生活ではありがちとは言えないが、小説世界ではありがちと私は考える。カルト教団とは言ってもオウム真理教ほど過激な集団ではなく、教祖は「みかん様」と言って「道で会ったら好きになってしまいそうな、姿の良いおじいさんだった」。つばさはひばりを教団施設から脱会するが、暴力的に阻止されることもなく書類上の手続きだけだった。「あとがき」で吉本ばななは「誰かが自分らしく好きなように生きる(ひばりちゃんの両親も、つばさくんのお父さんも)ことが、巻き込まれた近しい人を傷つけることがあるということを、人の心の動きとして、書いてみたかった」と述べている。カルト教団に入信することが「自分らしく好きなように生きる」ことなのか、私はやや疑問。しかし自分のことを振り返れば、私が学生時代、全共闘運動に参加したのも「自分らしく好きなように生きる」ためだったと思う。全共闘運動はさておき、党派への参加もカルト教団への入信も大差がないように今では思う。
ジャニーズの性加害問題について考えてみると、ジャニーさんは「自分らしく好きなように」性加害を行ってきただろう。そして「巻き込まれた近しい人を傷つけ」てしまったのだ。ジャニーズ事務所とカルト教団を同列に扱ってはいけないが、私はそれを集団の怖さと表現したい。戦前の日本社会の天皇制ファシズム、ドイツのナチズム、ソ連のスターリン主義にも同じようなものを感じる。スターリン主義ロシアはプーチンや北朝鮮の金王朝に受け継がれているのではないか。私は吉本隆明(ばななの父)の共同幻想論を思い浮かべる。ついでに言うとスターリン主義に対抗し得るのは反スターリン主義ではなく、吉本の唱えた自立であろう。反スタではスターリン主義を克服できない、と私は見る。

10月某日
「被害者家族と加害者家族 死刑をめぐる対話」(原田正治 松本麗華 岩波ブックレット
2023年8月)を読む。原田は1983年に「半田保険金殺人事件」で末弟を殺害される。犯人は死刑を宣告される。原田は犯人とも面会を続け、死刑の停止を訴えるが、犯人は処刑される。松本麗華(りか)は、地下鉄サリン事件をはじめとする一連の事件で首謀者とされ、死刑判決ののち処刑された麻原彰晃こと松本智津夫の三女。被害者家族(原田)と加害者家族(松本)が対話する。それも和気あいあいとした雰囲気で。読んでいても原田の飄々とした雰囲気が伝わってくる。この人は殺人犯だから悪人、悪人の殺人犯は処刑して当然、という観念、先入観から遠い存在のような気がする。そんな原田に対して松本も素直に対話に応じる。私としては死刑が確定した後も袴田事件のように冤罪が強く疑われる事件もあり、死刑廃止の立場、最高刑は終身刑でいいように思う。それと松本は松本智津夫の娘ということで大学入学や就職を拒否された経験があるという。これは差別でしょ!

モリちゃんの酒中日記 9月その4

9月某日
「甦る『資本論』-若者よ、マルクスを読もう 最終巻」(内田樹×石川康宏 かもがわ出版 2023年7月)を読む。内田樹はレヴィナスの研究者として知られるが武道家でもある。1950年生まれ。東大在学中は革マル派の活動家だったことがあるらしい。この本でも「学生運動にかかわっていた頃に『プロレタリア的自己形成』という言葉を時々耳にしました。もちろん『内田はプロレタリア的な自己形成ができていない』という批判の文脈で使われた言葉です」と自身のことを綴っている。一方の石川康宏は1957年生まれ。ウイキペディアによると立命館大学二部経済学部を卒業。在学中は自治会委員長。京都大学の大学院博士課程を修了後、神戸女学院大学で内田の同僚となる。全国革新懇の代表世話人を務める。ということはバリバリの日本共産党員ということか? まぁ日本共産党にも委員長の公選制を主張する人があらわれたり(その後、確か除名)、変わりつつあるのかもしれない。それにしてもマルクスの思想を学ぶに当たって革マル派や日共などの党派的立場を前提にするのはやはり間違いだろう。マルクスもエンゲルスも世界革命を主張する共産主義者同盟の主要メンバーだったがイギリス亡命以降は、実践活動からは事実上身を引いたみたいだ。マルクスは資本論の執筆に専念したし、エンゲルスはマルクスを支えるための商売に忙しかったらしい。私はまだ資本論を読んでいないが、この本を読んで資本論はたんに経済学や哲学の書ではなく、マルクスが当時の労働者の労働や生活の実態把握のうえに書かれたことがよく分かった。

9月某日
「まずはこれ食べて」(原田ひ香 双葉文庫 2023年4月)を読む。原田ひ香は昨年、NHKの夜ドラで原田原作の「一橋桐子(76)の犯罪」を観てから読むようになった。独身で身寄りもない老女が刑務所へ行けば衣食住に不自由はないと犯罪を企てる話だ。老女役を松坂慶子が好演していた。「まずはこれ食べて」は、大学の同級生が卒業後、IT関連企業を起業した社員たちと、そこに家政婦として派遣される筧みのりの物語だ。IT関連企業だから社員たちの出社は遅い。筧の主な仕事は彼らに昼食と夕食、夜食をつくることだ。ストーリーが進展するなかで、この企業の成り立ちや社員のそれぞれの事情、そして筧の生い立ちや半生が明らかになってくる。私は原田のほのぼのとしながらも風刺も効かせた物語づくりのファンです。

9月某日
私が社長をしていた年友企画を辞めてから5年ほどになる。その年友企画の社員(今では役員になっているらしい)から連絡があってランチをご馳走してくれるという。その日はマッサージの予約をしていたので、マッサージを受けた後我孫子駅へ。13時に神田駅西口で待ち合わせ。駅前の昼からやっている居酒屋へ入る。何でも最近は企画書づくりにもAIを活用しているとか。食べたり吞んだりしているうちに15時を過ぎてしまったのでお開きに。すっかりご馳走になってしまった。しかし年友企画のような会社でもAIの活用が始まっているのかといささかビックリした。「老兵は死なず、消え去るのみ」の感、強し。

9月某日
「レイテ沖海戦〈新装版〉」(半藤一利 PHP文庫 2023年7月)を読む。解説を含めると文庫版で500ページを超え、読み通すのに3日かかった。もともと本書は1970(昭和45)年にオリオン出版社より「全軍突撃・レイテ沖海戦」の題名で刊行され、84年(同59)年に朝日ソノラマ文庫の航空戦史シリーズの一冊にも「レイテ沖海戦」と改題され上下二巻で加えられた(決定版のためのあとがき)。半藤さんは1930年の生まれだから、執筆したのはまだ30代ということになる。「あとがき」では「読み直すとかなり面映ゆいところがある。曲筆はないが舞文の箇所はここかしこにある」と書いているが、確かに歴史探偵として円熟した文章を書いていた晩年のそれとは趣が違う。本書では提督、艦長、幕僚クラスから下士官、兵に至るまでのそれぞれのドキュメントで構成されているが、とくに海軍兵学校第73期出身の最下級最年少の少尉たちには多くの紙幅が割かれている。半藤先生は非戦の人ではあるが、軍人とくに純粋な若い軍人は好きだったのじゃないか。私はアジア太平洋戦争に対しては賛成できないし、それに先立つ日本帝国主義の朝鮮半島や中国大陸への侵攻は認めることはできない。が、特攻隊員を含め先の戦争で亡くなった多くの死を「愚かな死」と一括りにすることはできない。そこは半藤先生と同じ立場である。

モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
「敗者としての東京」(吉見俊哉 筑摩選書 2023年2月)を読む。「東京は三度、占領されている」という著者の説をもとに「敗者としての東京」を論じている。最初の占領は、1590年に徳川家康によって。家康は豊臣秀吉に命じられて三河から江戸に移った。当時、東国の中心と言えば鎌倉幕府の置かれた鎌倉であり、戦国時代になってからは北条氏の根拠地であった小田原であったという。江戸はひなびた寒村でしかなかった。家康から秀忠、家光の三代(1590~1640年)で江戸に大きな都市改造が加えられ、現在の東京の原型を形づくった。二度目の占領は、1868年の明治維新である。薩摩軍と長州軍を中核とする官軍は、江戸城を無血開城させ、最後まで抵抗した彰義隊を上野でせん滅する。三度目の占領は、言うまでもなく1945年のアジア太平洋戦争の敗北によって、米軍を中心とした連合軍による占領である。吉見は史料を丹念にたどりながら江戸・東京の三度の占領と、変容する社会を描く。都市の下層民や女性労働者(女工)の状況も描かれる。1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得した女子バレーボールについては、次のように説明されている。1930年代の前半まで女子バレーは圧倒的に高等女学校(高女)のチームが強かったが、30年代後半から紡績工場のチームが次々と高女のチームを打ち負かすようになり、ついにオリンピックで世界制覇に至る。高女に進学できるのは中産階級以上の階層の子女であり、女工となるのは中産階級以下の階層の子女であり、吉見はそこに文化的な階級闘争を読み取って行く。
 私が本書でもっとも興味を魅かれたのが「第Ⅲ部 最後の占領とファミリーヒストリー」である。そこでは吉見の母方のファミリーヒストリーが描かれる。特攻隊帰りの不良大学生で、後に安藤組の創始者となり、組解散後は東映の実録やくざ者の映画スターとなった安藤昇は母方の祖母が姉妹だったという。吉見の母の「おばあちゃんは『チエちゃんのところはいいわよね。ノボルさんに何でも買ってもらえて』って言うんだけど、何言ってんのよ…。」という発言が紹介されているが、ノボルさんとは安藤昇のことである。私は自分自身が学生運動の敗者であり、そのこともあってか敗者の歴史に興味を持ってきた。維新の敗者である彰義隊、白虎隊、五稜郭の戦いなどである。それはさらに第二明治維新の西南戦争の敗者たる薩軍と西郷隆盛、秩父事件の敗者たち、昭和維新を唱えた2.26事件の敗者としての青年将校らに引き継がれる。敗者の歴史(ヒストリー)のなかにこそ物語(ストーリー)は埋まっている。

9月某日
「敗者の想像力」(加藤典洋 集英社新書 2017年5月)を読む。加藤典洋は1948年生まれだから私と同世代の批評家である。私の記憶では48年の4月1日生まれなので早生まれ扱いとなり、学年では私の1年上である。確か現役で東大に合格し、東大闘争もあって2年留年し、卒業は私と同じ72年の筈である。大学院の入試に失敗し国会図書館に勤務する。国会図書館からカナダの図書館への出向を命じられ、多田道太郎の知遇を得る。日本に帰ってから批評家としてデビュー、明治学院大学や早稲田大学の教授を務める。19年5月に死去。私は彼の「敗戦後論」や「戦後入門」などを読んだが、私にとってはやや難解であった。にもかかわらず彼の著作を読むのは、難解ながら何か惹きつけるものがあるからだろう。彼の父親が警察官で戦前は特高ということから来る屈折のようなものに魅かれるのかもしれない。1945年8月、日本は米軍を主体とする連合軍に敗北し占領される。この敗北が日本、及び日本人の精神にどのような影響を与えたか、を考察したのが本書である。1954年に公開された映画「ゴジラ」は、04年の「ゴジラ FINAL WARS」まで、50年間に28作を数えるシリーズとなった。なぜ、この怪獣映画は、日本人の心を捉えたのだろうか。加藤は「ゴジラが『戦争の死者たち』を体現する存在だからではないか」と考える。今年亡くなった大江健三郎については、大江が沖縄の集団自決を巡る裁判で被告とされた件では全面的に大江を擁護している。詳細は省くが私も大江を擁護する。私と同世代の批評家がアジア太平洋戦争の敗者や死者にこだわってきたことに驚く。同時にそれは正しいことのように思えてくる。

9月某日
「カモナ マイハウス」(重松清 中央公論新社 2023年7月)を読む。婦人公論に「うつせみ八景」というタイトルで連載されたものを、書籍化にあたり改題、加筆修正を行ったものだ。四六判400ページを超える小説だが、丸1日と2時間ほどで読了した。重松の小説は読みやすいからね。還暦間近の夫婦が主人公。両親の介護を終え看取った妻は、両親の実家を相続し兄から実家を解体し更地にして売り出すことを告げられる。これに夫婦の息子で売れない劇団を主宰している青年や、古びた洋館で茶会を主催する老婆が絡んでくる。還暦間近ということは我が家の15年前である。ちょいと感慨深いものがある。それにしても空き家問題は深刻だ。少子高齢化のもう一つの向かい合わなければならない現実だ。

9月某日
虎ノ門にある一般財団法人の会議に参加。この財団法人が行っているセミナー開催や調査研究事業への補助事業活動などの報告を受ける。私以外は小規模多機能を運営したり、訪問介護事業を手がけたりと現実に福祉事業を担っている人が委員をやっている。私が委員であることに違和感があるが、「福祉の受け手」という立場から発言することにする。任期いっぱいは務めるつもりだ。虎ノ門までは我孫子から上野東京ラインで新橋、新橋からは銀座線で虎ノ門へ。帰りは地下鉄千代田線の霞が関から我孫子まで一本。