モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
「人新世の「黙示録」」(斎藤幸平 集英社 2026年4月)を読む。「人新世の「資本論」」などで現代資本主義の矛盾を鋭く突いてきた斎藤幸平、本書でも矛盾の徹底解明とその本質的解決策ついて論究している。斎藤の現状分析は「私たち人類は破滅の淵に立っている」というものだ。原因は資本主義が引き起こした気候変動で、産業革命の時点と比べて、世界の年間平均気温が1.5℃以上、上昇してしまい、「このままいけば、今世紀末の気温は3℃以上も上昇し、この世は灼熱の地獄になる」とし、「気候崩壊が進むなか、犠牲になるのはまずは貧しい地域や弱い人びとである」と述べる。ネパール中国国境での氷河崩壊による大土石流の発生による惨事、日本の福井県での異常気象による洪水の発生を思い浮かべればよい。そして、これらの惨事を防止するために斎藤が提唱するのが「緑の戦時経済」「緑の総力戦体制」である。それらを実現させるために環境弱者による「エコロジー独裁」を提案し、民主的なエコ独裁のためにパリ・コミューンをヒントにすべきとする。うーん、革命的だなぁ。パリ・コミューンか、忘れていたな。

9月某日
「世界共和国へ-資本・ネーション・国家を超えて」(柄谷行人 岩波新書 2016年4月)を読む。柄谷は人類が緊急に解決しなければならない課題として①戦争②環境破壊③経済的格差をあげている。そして、「これらは国家と資本の問題に帰着します。国家と資本を統御しないならば、われわれはこのまま、破局の道をたどるしかありません」とする。この本が発刊された10年前より事態はさらに深刻化している。戦争はロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻が続いているし、環境破壊はネパール中国国境での氷河崩壊による土石流の発生をもたらし、経済的格差は先進国での貧富の格差の拡大、先進国による発展途上国の経済的略取の拡大をもたらしている。柄谷はその解決策として、カント、マルクス、プルードンなどをひきながらアソシエ―ショネニズムによる国家の揚棄、世界共和国の樹立を訴える。こうまとめてしまうと、単なる大風呂敷と見られがちかもしれないが、柄谷の言うアソシエーションは1970年のパリ・コミューンに短期間ではあるが成功事例がある。斎藤幸平の思想と柄谷はかなり近いと思われるのだが。

9月某日
「世界史の実験」(柄谷行人 岩波新書 2019年2月)を読む。柄谷によると、「世界史の実験」とは第1次大戦後のロシア革命(1917年)と国際連盟の創設(1920年)に端的に見られるという。ロシア革命はマルクスが提起した社会主義革命の理念にもとづいているし、国際連盟もカントが「永続平和のために」で提起した理念にもとづいているとし、日本では大正デモクラシーが、それを反映している。1920年代の柳田の行動もこの文脈のなかにある。彼は1919年に貴族院書記官長を辞任し、翌年、東京朝日新聞客員として論説を執筆するようになる。さらに1921年には国際連盟統治委員に就任する。戦後、彼は枢密院顧問として新憲法の審議に加わる。柳田にとって「憲法9条は、過去および未来の死者にかかわるものであったはず」で「彼が新たな「社会組織」を考える上で、戦争における死者を念頭においていたのは確実」であるとした。柳田と関連して網野善彦の史学にも触れている。「網野の学問は、講座派マルクス主義の中から生まれ、かつそれと格闘しつづけることによって形成された」。講座派の観点では前近代の日本社会は、領主(武士)と農民という生産関係が主要とされた。対して網野が重視したのは交通(交換)である。「彼は農業共同体の外にいた、芸能的漂泊民、漁撈民を評価した。そこに天皇制国家を越える鍵を見ようとしたのである」。

9月某日
「日本史はいかに物語られてきたか」(河野有理 新潮社 2026年5月)を読む。著者の河野有理は1979年生まれ。東大法学部卒、同大学院政治学研究科博士課程修了、現在、法政大学法学部教授。まだ40代、新進気鋭の政治思想史研究者なのだろう、私としては初めて読む著作である。西尾幹二、上野千鶴子、網野善彦、山口昌男、吉本隆明、松本清張…、戦後の知識人たちはどのような歴史観で自らの論説を展開してきたか。私はとくに天皇制やジェンダーを巡る論点が興味を惹いた。網野善彦は読み返してみようと思う。

9月某日
「獄に暮らせば」(重信房子 作品社 2026年5月)を読む。重信房子は共産主義者同盟赤軍派、アラブ赤軍のリーダー、ハイジャック事件に関わったとされ、2000年11月8日朝、逮捕される。10年8月に最高裁で懲役20年の刑が確定、22年5月まで受刑生活を送り、5月28日朝、満期出所する。本書は「21年7カ月の獄中日記から」とサブタイトルにあるように獄中日記である。「結局、違い、多様性にどういう態度をとるのかが人民運動の大きなベクトル、路線の違いを作るのでしょう。70年代の「妥協のない正義」の狭さ、傲慢さを思い知らされました」(02年11月19日)といった反省の弁ももちろん貴重なのだろうが、私には獄で触れあった受刑者や医師(著者は獄中で何度かがんの手術を受ける)との関わり合い、さらに獄中での草花や昆虫などとの触れ合いが興味深かった。重信の好奇心の強さ、誰からも好かれる性格がよく表れている。重信は1945年生まれ、80歳を超えているが、これからも発言に期待したい。何よりがんが発生しやすい体質のようなので「ご自愛ください」と挨拶したい。

9月某日
「獄に暮らせば」を我孫子市民図書館に返しに行ったら新刊コーナーに「地の果て、砂の祈り」(李琴峰 集英社 2026年8月)があったので借りる。表題作と「東京奇侠伝」の2つの中編小説が収められている。「地の果て、砂の祈り」は恋愛関係にあった女性二人がエジプトのカイロやサハラ砂漠を訪れる話し。二人の微妙な関係性がテーマなのか?
「東京奇侠伝」は台湾で友人・恋愛関係にあった二人を軸に物語は展開する。一人は女性なのだが、もう一人は性転換して男になっている。二人は東京で再会する。中国出自でミャンマーに棲み、台湾に留学している女性と3人でミャンマーを旅する。性転換した彼の言葉。「私がやったことは、言ってしまえば性別を変えただけだけど、それは名前や住所を変えるのとはわけが違って、もっと根本的な、徹底的な変化なんだよね。世界を裏側から覗き込むような、天地がひっくり返るような経験だよ。・…よって立っていた大地が突如崩落したような感覚なの。墜落を止めるには、自分の身体を、四肢を、内側から一度ばらばらにしてから組み直すしかない。分かるかな?」 李琴峰の小説ってときに哲学的?