モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
昨日は終戦記念日、日本武道館では政府主催の全国戦没者追悼式があった。朝日新聞によると、高市首相の式辞には「2025年に石破茂首相が13年ぶりに復活させた「反省」や「不戦に対する誓い」という言葉は使わなかった」という。高市首相は安倍晋三元総理とは思想信条的に近いものがある。安倍氏は岸信介元総理の孫である。朝日新聞の紙面には小泉防衛大臣の靖国参拝も報じられていた。小泉氏は小泉純一郎元首相の息子であり、小泉元首相は旧安倍派(元をただせば岸派)である。自民党には二つの系譜があるような気がする。一つは吉田茂元首相を淵源とするもので首相では池田氏、大平氏、宮沢氏の宏池会である。吉田元首相を淵源とするのはもう一つ、佐藤栄作氏、田中角栄氏、石破茂氏につながる系譜がある。この系譜は軽武装、経済重視の姿勢が共通している。自民党のもう一つの系譜は岸元首相を淵源とするもので、憲法を改正して自衛力を増強しようという考えで、これは安倍元首相を経て高市首相に継承されている。戦後の日本の経済的繁栄を支えたのは日米安保のもと経済重視で防衛費を低く抑えてきたことが大きい。高市首相のもと防衛力の増強に政権は大きく舵を切ろうとしている。大丈夫か日本!

8月某日
「戦後入門」(加東典洋 ちくま新書 2015年10月)を読む。加藤典洋(1948~2019)は文芸評論家、アジア太平洋戦争と戦後について深く考えてきた。彼の文章は私にとって必ずしも易しくはない。本書は5部構成、それぞれのタイトルを紹介してみよう。第1部「対米従属とねじれ」第2部「世界戦争とは何か」第3部「原子爆弾と戦後の起源」第4部「戦後日本の構造」第5部「ではどうすればよいのか―私の9条強化案」。タイトルだけ見ても、彼が戦争と原爆、敗戦と憲法について深く考えてきたことがうかがえる。第1部で彼は吉本隆明のこんな発言を引用している。「これ(従軍慰安婦問題)は厚生大臣の権限でもいいから、日本は永世無期限責任を持って、きちんと補償をしますとはっきり言って、予算がなければ、少額ずつでも納得してもらえるまでやるべきですよ(後略)」。これは加藤の考え方と一致しているのだろう。米軍の空襲などで被害にあった人にも同様の補償をすべきという考えでも加藤と吉本の考えは一致している。日本には「永世無期限責任」があるということなのだ。

8月某日
「保守と立憲-世界によって私が変えられないために」(中島岳志 スタンド・ブックス2018年2月)を読む。中島岳志は亡くなった西部邁の盟友で、自ら保守派を名乗っているが、本書を読む限り中島の考えは極めて真っ当なものと思う。本書の論稿は2012年以降の安倍政権下で書かれたもので、安倍氏の政策や思想について批判的に論じている。2026年の現在から見ると安倍氏への批判は、そのまま高市現政権の批判に通ずる。たとえば、安倍首相は2014年2月の衆院予算委員会で、国家権力を縛るものが憲法であるという立憲主義について「それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方」として否定する。これに対して中島は「保守はこのような見方を採用しません。保守は、民主主義の暴走に対して立憲主義の擁護を基調とします」とする。先の衆議院選挙では自民党が圧勝した。私からするとこれが「民主主義の暴走」である。自衛隊と憲法については立憲民主党の枝野氏との対談で「自衛隊の活動範囲を立憲主義的に縛り、暴走しないようにすることが必要です」「安保法制の違憲部分を追認する改憲には絶対反対です。安倍内閣の目指す9条改正は立憲主義を破壊してしまいます」と語る。また別のところで「民主制は暴走すると危ないシステムであるため、為政者は憲法という足枷によって、過去から制約を受けている」「安倍首相をはじめとする与党の政治家たちは、この足かせを強引に外そうとしているように見える」と書いている。安倍を高市に読みかえると、現在の政治への的確な批評になっている。

8月某日
「最後の晩餐」(江國香織 金原ひとみ 角田光代 寺地はるな 原田ひ香 藤野千夜 井上荒野 角川春樹事務所 2026年5月)を読む。人生の終わりに何を食べるか-をテーマにした女性作家7人による連作集。寺地はるな以外の6人の作家の小説は読んでいる。あっ違う。藤野千夜は「団地のふたり」というテレビドラマ(小林聡美と小泉今日子が共演)を見たが原作は未読。角田光代は「8日目の蝉」、原田ひ香は「一橋桐子の犯罪」、井上荒野は「照子と瑠衣」をいずれもテレビドラマで見た後、原作も読んだ。私はテレビドラマが割と好き、それもなぜかNHKのドラマと相性がいい。

8月某日
「国家が戦争に向かうとき-昭和10年代に回帰する日本の現在地」(片山杜秀 田中駿介 朝日新書 2026年6月)を読む。片山杜秀は「未完のファシズム」の著書がある慶應義塾大学法学部教授、1963年生まれ。田中駿介は今年5月に東大大学院の総合文化研究科学術研究院、1997年生まれ。二人とも日本政治思想史の専攻だが年齢に30歳以上の隔たりがある。片山は「政治家に限らず、日本全体を覆うこうした空虚感というか無力感が恐ろしい。昭和10年代の政党政治家もそういう無力感にとらわれて、大政翼賛会という大政党によって盛り返す夢にかけたのでしょう。でもあのときは議院内閣制でもないし、議会政治家のオルタナティヴとして軍人や官僚がいました(中略)でも今は議院内閣制です。民主政治とはやはり国政選挙だ。でもそこにワクワク感がない」と言っている。同感ですね。政治や社会にワクワク感が失われると、そこに忍び寄ってくるのはファシズムだ。ワクワク感を演出する高市首相やトランプ大統領。騙されてはいけない。

8月某日
「異常に非ず」(桜木紫乃 新潮社 2026年4月)を読む。1979年1月25に大阪市の三菱銀行北畠支店で発生した三菱銀行人質事件の犯人、梅川昭美と梅川の母、梅川の愛人をモデルとした小説。桜木は北海道在住の作家で今まで北海道を舞台とした作品がほとんどであったと思う。本作では舞台となった大阪や梅川の母が住む香川の言葉が巧みに表現されている。巻末に「大阪の言葉と風土風習など全般にわたって錦見真樹氏に多大なご教示をたまわりました」との謝辞が述べられている。また故近藤勝重氏に心からの感謝と祈りを捧げます」との献辞も記されている。近藤は新聞社の敏腕記者として小説中にも登場する。小説でも近藤は週刊誌の編集長として東京への転勤を命ぜられるが、実際の近藤氏もサンデー毎日の編集として活躍した。桜木志乃は本作で小説家として大きな成長を遂げたのではないか。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
「天皇への敗北-シリーズ哲学講座」(國分功一郎 新潮新書 2026年4月)を読む。現在の日本の首相、高市早苗は自由民主党なかでも右寄りの考えを持つ人だと思う。何を以て右寄りとするかだが、一つは軍事力を増強していくという考え方、もう一つはそのためにも現在の憲法を改めようという考え方だ。自民党が公明党と連立を組んでいたときは、公明党はこれら二つの考えに対してブレーキ役を果たしていた。公明党が連立を離脱し、新たに日本維新の会が連立相手となった。維新の会は公明党とは逆にアクセル役となっている。平成天皇、現在の上皇は現行の憲法を擁護し、憲法を順守することを表明してきた。天皇制の擁護は、戦後日本の保守派にとって共通認識であったが、現上皇と保守派の間には現行憲法に対する考え方に隔たりがある。本書は民主主義と立憲主義、天皇制を考察する。「天皇への敗北」というタイトルは現在の民主派、立憲派が、国会での活動や市民の運動に関わらず、天皇と皇后(現在の上皇と上皇后)という存在にかなわなかった、ということである。本書によれば立憲主義とは「いかなる権力も制限される」という原理である。直近の総選挙で国民は自民党に圧倒的多数の議席を与えた。しかし立憲主義に立つ以上、「いかなる権力も制限され」なければならないのである。

8月某日
「日本軍慰安婦」(吉見義明 岩波新書 2025年7月)を読む。日本軍慰安婦とは「1932年の上海事変以降に日本軍が戦地・占領地につくった軍慰安所で軍人・軍属(軍所属の文官・同待遇者)の性の相手をさせられた女性たちのことである」(はじめに)。当時の政府や陸海軍の考えは、当時横行していた戦地、占領地での現地女性に対する強制性交事件を起こさぬように、また性病に感染しないように軍の関与のもとに慰安婦のいる慰安所が必要ということであった。米英軍では第1次世界大戦の反省に立って、兵士への休暇や一定の娯楽が提供されていたが、日本軍の首脳にはそういった発想があまりなかったようだ。慰安婦は「性の相手をする」ということを事前に理解しているものもいたが、軍隊の炊事の手伝い、看護助手などとだまされて慰安所に連れられてきた女性も多かった。ひどい話である。しかしこうしたことは80年以上も前の話と片付けられるか?フィリピンなど東南アジアの女性に「ダンサーの仕事がある」と来日させ、実際は買春させていたケースがあった。女性蔑視、民族蔑視の構造は今でも残っている。

8月某日
「22世紀の戦争論-なぜ人類は戦争を繰り返すのか」(下村健太 朝日新書 2026年4月)を読む。下村健太は1990年生まれ、上智大学国際教養学部卒、ロンドン大学大学院で外交国際問題修士号と公共経営修士号を取得、国連職員として国連本部の政治・平和構築局と平和活動局に勤務。現在は執筆活動に専念、と巻末の著者プロフィールにはある。まだ30代の若さである。読む前に著者を侮る気持ちがあったのは確かである。しかし読み始めてすぐに私の先入観が間違いであったことがわかった。圧倒的な知識量と確かな分析力、そして優れた国際感覚。これからの日本の論壇を牽引して行く一人になるのは間違いのないところだろう。彼の慧眼を示す一例を挙げる。2023年に飢餓に直面した人は約7億5700万人、これは世界人口の11人に1人に相当する。しかし地球上には全人口が食べてなお余るほどの食糧が生産されている。この矛盾は、食料問題の原因が、生産量にではなく分配にあることを示している。つまり、今の飢餓の原因は、食料不足ではなく、貧困と公共サービスの欠落に起因する分配の問題である。現代の日本においても、夏休みに学校給食が停止されると食事をとれない学童がいるという。これも貧困と公共サービスの欠落に起因する分配の問題であろう。

8月某日
「精選女性随筆集 武田百合子」(川上弘美選 文春文庫 2024年1月)を読む。小説家武田泰淳の夫人だった武田百合子のエッセーをまとめたもの。解説(阿部公彦)によると、日記を百合子がつけ始めたのは泰淳のすすめがあったからという。泰淳の通夜の席で中央公論社の編集者から文芸誌「海」への掲載を持ちかけられたのだ。最初に選者、川上弘美の「人、です。」では、娘の花が母、百合子について「母と一緒にいると、飽きる、ということがなかったんです。人って、みんなこんなに面白いんだと思っていたら、そうじゃなかった。ずっと一緒にいて、一回も飽きたことのなかったのは母だけでした」と語っていたことが紹介されている。50年ほど前の百合子の文章であるが、そんなことを感じさせない、そのときの暮らしを瑞々しく切り取った文章である。

8月某日
「日本の中世国家」(佐藤進一 岩波現代文庫 2007年3月)を読む。本書は83年4月に岩波書店から刊行されている。著者の佐藤進一は16年、新潟県生まれの日本史学者。39年、東京帝大文学部国史学科卒。東大史料編纂所勤務ののち、東大、名大、中大で教鞭をとる。著者は「はしがき」で、本書を成すに意想外の年月を要した要因の「ひとつには1968年以来の東大文学部闘争との関りが、数年に及ぶ課題の放擲を余儀なくされたからである(略)あの年の春ゆくりなく出逢い、やがてわが心への重い問いかけとなったしまったあの闘争への、ささやかな関りがなければ、本書はこのようなものにならなかったであろうことも、ここに書きとめておきたい」と記している。解説(五味文彦)でも、東大文学部闘争が「いかに著者に重い問いかけとなっていたのかをこの一文から知ることができる」としている。全共闘とも誠実に向き合ったのだろうね。そういう先生も少数ながらいたんでしょうね。本書の内容については蔵人所、検非違使といった令外の官、あるいは鎌倉幕府の執権制について史料に基づいて詳細に論じられている。鎌倉将軍は三代で頼朝の血統が途絶えた後、京都から天皇や摂関家に繋がる貴種を将軍に迎えている。本書によると貴種の将軍たちは必ずしも執権の北条氏の言いなりだったわけではなく、北条氏との確執もあったようだ。

モリちゃんの酒中日記 7月その3

7月某日
「人の資本主義」(中島隆博編 東京大学出版会 2021年10月)を読む。資本主義を否定して社会主義の世の中を志向する、というのではなく、より人間的な資本主義という意味において「人の資本主義」という言葉が使われているように思う。民主主義や絶対主義、人道主義、社会主義…という○○主義と資本主義は違うような気がする。民主党や社会党、共和党や社会民主党はあり得るが資本党というのはないでしょう。思うに資本主義社会というのは目指すべき社会ではなくて、産業革命以降の蒸気機関や石油を燃やして動力として大量生産・大量消費が可能になった社会の「状態」を資本主義社会と言っているような気がする。で、本書は簡単に言ってしまうと、そういった「状態」にある資本主義が「壁」につき当たっていると認識し、それをどう乗り越えるかという議論を紹介する。例えば広井良典京都大学教授は「近年は、希望をこめて言えば分離していた経済と倫理が再融合するような兆しが見えてきているのではないでしょうか。(略)単純化した言い方になりますが、拡大・成長ではなく、持続可能性・循環・相互扶助に軸足を置いた、新しい性格をもった経営や経済が重要になってくるのです」と語る。中野佳裕早大地域・地域間研究機構次席研究員は「1970年代以降になりますと、戦後の欧米諸国が確立してきた福祉国家体制が限界に直面し、産業社会の逆生産性が顕在化してきます。特に際立つ問題は、経済成長が生み出す富の分配を通じて生活を保障するという成長主義的な福祉政策が、地球環境の側面から限界に達しているわけです」と指摘し、国家に代わる「新たな社会的保護の担い手を創出していかなければならなくなっている。そこで注目されているのが、国家とも市場とも位相を異にするコミュニティの領域なのです」とコミュニティの重要性を指摘する。コミュニティは語源的にもコモン=公共財に近い。

7月某日
「この国のかたちを見つめ直す」(加藤陽子 毎日文庫 2025年1月)を読む。加藤陽子は1960年、埼玉県生まれ。今年3月に東大大学院人文社会系研究科教授を定年退官した。学部時代の指導教官は「右寄り」と評される伊藤隆。加藤はリベラルな学風で知られ、それもあってか菅義偉首相のとき日本学術会議の会員任命を拒否された。本書でも学術会議については「「学術会議6人除外」と日本の科学技術政策の向かう先」「学術会議問題の政治過程-世論が政府の姿勢を「変えた」」で取り上げられている。私は日本社会の右傾化は、先の衆議院選挙による自民党の圧勝や参政党の進出によっても明らかだと思うものだ。加藤は「はじめに」で「危機の時代には、国家と国民の関係を国民の側から問い返して、見つめ直すことが必須となろう。本書がそのためのハンドブックとなれば幸いである」と書いている。同感。

7月某日
「近代天皇論-「神聖」か、「象徴」か」(片山杜秀 島薗進 集英社新書 2017年1月)を読む。平成28(2016)年8月に発表された「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」をきっかけとして政治思想史研究家の片山と宗教学者の島薗が近代天皇制について語り合う。最近も女性皇族が結婚後も皇族の地位を保つとか旧皇族の子孫を現皇族の養子に向かえるとか、天皇や皇族を巡る議論は続いている。自民党の国会議員のなかには「神武天皇以来の皇統を守る」という発言もあった。戦後の歴史学では神武天皇の実在は否定されているから件の議員の発言は非科学的と判断せざるを得ない。近代天皇制を科学的に、歴史的にどうとらえるかという発想のもとにこの対談は行われた。島薗は「安倍政権の国家主義的な物事の進め方というのは、国家や集団の秩序を尊ぶ儒教文明や東アジア官僚国家の伝統に回帰しようとしていることです」と語るが、安倍政権を高市政権に読みかえれば現代日本の状況である。また片山は現代の右翼を批判して「かつての右翼には現在の状況に対して失われた過去を対置して新たな選択を迫る思考のパターンが広くあって、しかも虐げられているものの側に立つ姿勢が強かったのです(中略)今、右翼と称されるものはその逆に逆にと来ているような気がします」と危惧する。

7月某日
「みんなのためのパレスチナ入門」(エリアス・サンバー 杉村昌昭訳 平凡社新書 2026年5月)を読む。著者はパレスチナ出身の歴史家で1948年のイスラエル建国に至るユダヤ人の運動やそれに対するパレスチナ人の抵抗運動が語られている。もちろんサンバーはイスラエルの建国やその後のパレスチナへの侵略を非難する。イスラエル建国以前にもパレスチナの地にはユダヤ人は入植していたが、パレスチナ人とは共存していた。建国以降イスラエルはパレスチナの地に入植地を拡大し続けてきた。私見を述べると、ユダヤ人の2000年に及ぶ迫害の歴史は同情に堪えない。しかし2000年前の伝承を根拠にしてアラブ人の土地を奪ったのは間違っていると思う。現在も空爆や戦車によって入植地を拡大しているイスラエル。そしてイスラエルを後押しするアメリカとトランプ。軍事力によって国境線を変更することは許されない。ロシアのウクライナ侵攻が許されないのと一緒である。

7月某日
「彼女の家計簿」(原田ひ香 光文社文庫 2016年7月)を読む。原田ひ香の小説を原作にしたテレビドラマ「一橋桐子の犯罪」(松坂慶子主演)を見てから彼女の小説を読むようになった。「一橋桐子」シリーズをはじめ「三千円の使いかた」など、どちらかというとユーモア作家として見ていたのだが本作はシリアス。シングルマザーの里里(りり)の元に、疎遠にしていた母親からぶ厚い封筒が届く。五十鈴加寿という女性が戦前からつけていたという家計簿である。備考欄に書かれた日記のような独白が明らかにするものは…。ミステリーの要素もあり十分に面白いのだが、私は本作を反戦小説として読んだ。戦時中や戦争直後の庶民の暮らしが描かれている。戦争中の庶民を一括りに被害者ということはできないのかも知れないが、本書で描かれる庶民はやはり被害者。