社長の酒中日記 11月その4

11月某日

社会保険福祉協会の内田、高橋、岩崎さんとHCMの大橋社長と呑み会。社会福祉士で介護事業所向けの社会保険労務士事務所を開いている吉沢努さん、もとソラストで現在、東京精密グループで新規事業の開拓を行っている平田由紀子さんも一緒。6時に東京駅近くの会場「ヴァン・ドゥ・ヴィ」に行ったら社会保険福祉協会の皆さんと平田さんはすでに来ていた。遅れて当社の迫田と吉沢さんが到着。吉沢さんと平田さんは初対面、おまけに社福協と吉沢さん、平田さんも初対面ということだったが、「介護」の周辺で仕事をしているという共通の土俵があるのか話は盛り上がった。

11月某日
元宮城県知事の浅野史郎さんの出版記念会が内幸町のプレスセンターで開かれるというので社保研ティラーレの佐藤聖子社長と出席。札幌いちご会理事長の小山内美智子さんに挨拶。浅野さんの厚生省入省同期の江利川さん、川邉さん、結核予防会の竹下専務、内閣法制局にいた茅野さんと飯野ビル地下で2次会。

11月某日
佐藤雅美の「物書同心居眠り紋蔵」シリーズの「一心斎不覚の筆禍」(講談社 2008年8月)を図書館で借りる。シリーズの9作目である。居眠りの持病(今でいうナルコレプシーか)がある江戸南町奉行の同心、藤木紋蔵は過去の判例を調べる物書同心である。紋蔵の出会うさまざまな犯罪、難問を過去の判例を参考にしながら解いていくというなかなか考えられたストーリーである。江戸の刑事事件、民事事件がどのように裁かれたのか、当時の下級武士、庶民の暮らしに即して描かれている。江戸時代は現代のように社会保障制度があったわけではないが庶民はそれなりに暮らしていた。5人組など地域の組織がある程度、庶民のセーフティーネットの代替をしていたことに加え、短命で老後が短かったこと、子どもが多かったことも結果的に幸いしたのかもしれない。

11月某日
「小松とうさちゃん」(絲山秋子 河出書房新社 2016年1月)を読む。この本はうちの奥さんが絲山のトークショーに出掛けて買い求めたもの。従って本の見返しに絲山のサインがある。小松は大学の非常勤講師を掛け持ちする52歳の独身。新幹線で知り合った同年のみどりと恋愛関係に。うさちゃんとは小松の飲み友達の宇佐美のことでネトゲ(ネットゲームのことか)に夢中な敏腕サラリーマン。3人はそれぞれ仕事を持っているが、交流は仕事とは関係ない。仕事とは関係のない人間関係って大事だよな、小説のテーマとは関係なくそう思った。絲山は早稲田大学政経学部を卒業後、衛生陶器メーカーの営業マンをやっていた。そういうこともあってかビジネスパーソンの心理を描くのが上手いと思う。

11月某日
環境協会の林さんから電話。久しぶりでもないけれど吞むことにする。上野駅の改札で待ち合わせ、上野駅構内の居酒屋「かよひ路」に行く。ここはJR東日本の経営なので味も値段もリーズナブルだった。林さんは永大産業(若い人は知らないだろうが昔、そういうプレハブメーカーがあった)から年住協に入社、営業の要だった人だ。私はもっぱら年住協の機関誌「年金と住宅」や広報物の制作に関わっていたので企画関連の職員との付き合いが多かったのだが林さんとはなぜか気が合う。年住協の昔話で盛り上がる。

11月某日
朝方、割と大きな地震があった。朝風呂に入っていたのだが、お湯が波打っていた。慌てて風呂を出ると、福島県沖を震源地とする地震で震度5弱、福島県には津波警報が出ていた。地震の影響で電車に遅れが出て9時30分頃会社に着く。午後、HCMの大橋社長に面談した後、社福協で「介護職の看取り、グリーフサポート」についての検討委員会に出席。なかなか実のある議論が出来た(と私は思っている)。我孫子のレストラン「コ・ビアン」で川村女子学園大学の吉武民樹さんと打合せ。

社長の酒中日記 11月その3

11月某日
トランプ大統領の誕生はグローバリゼーションの恩恵が一部の階層にのみ集中し、労働者階級(とくに製造業の労働者)にまで行きわたっていないことの表れだと思う。トリクルダウン理論(富める者が富めば、貧しい者にも自然に富がしたたり落ちる)は、経済理論としても間違っていると思うし、トランプ政権も自らの支持基盤に配慮してトリクルダウン理論は執り得ない。従ってトランプ政権は内政的には所得の再配分政策を強めざるを得なくなると私は予想する。外交面では内向きの傾向になるし保護貿易の指向も強まるのではないか。億万長者のトランプを大統領にした共和党政権は、所得の再分配と保護主義という民主党的な政策をとらざるを得ないという皮肉な結果を生むだろう。
市川福祉公社から女性が2人、シミュレータを見学にHCM社を訪れる。反響は上々、HCMの大橋社長、開発者の土方さんは自信を深めたと思う。終わってからHCMの三浦さん、当社の迫田、酒井を交え会社近くの「跳人」で反省会。

11月某日
社会保険研究所のグループ経営会議。会議後、神田駅南口の居酒屋でグループ各社の経営幹部と呑み会。2次会で近くの葡萄舎へ。最初は数人と吞むつもりだったがほとんどの人がついてきたので葡萄舎にしては大宴会に。

11月某日
買ったままで読まずにいた「吉本隆明1968」(鹿島茂 平凡社出版 2009年5月)を読む。鹿島は1949年生まれ、68年に東大入学。ということは私と同世代。私は1948年生まれで一年浪人して68年に早稲田に入学した。待っていたのは学生運動とそれまで読んだこともない本の読書体験だった。吉本隆明も埴谷雄高も黒田寛一も大学に入って初めて読んだ。というか大学に入るまでは彼らの名前も知らなかった。鹿島は「はじめに」で吉本世代の心の支えとなった論文集として「擬制の終焉」「抒情の論理」「芸術的抵抗と挫折」「模写と鏡」をあげている。吉本隆明の思想の本質は「言語にとって美とは何か」「共同幻想論」「心的現象論」といった主著にはなく、「擬制の終焉」などのポレミックな論文集にあるというのだ。私は「言語にとって美とは何か」も「共同幻想論」も読んだことは読んだのだが、中身はよく理解できなかったというのが正直なところである。むしろ鹿島のいう「ポレミックな論文集」に大きな影響を受けた。私のささやかな全共闘体験とその挫折は吉本を読んだ体験とほぼパラレルになっていると思う。それにしてもと私は鹿島のこの本を読んで改めて思う。「吉本隆明はやっぱり戦後思想界の巨人だ」と。

11月某日
早大全共闘の1年先輩が高橋ハムさんこと高橋公さん。69年の4月17日、ハムさんや後に群馬大学の医学部へ進学した基司さんや辻さんなど40人ほどで革マル派が戒厳令を敷いていた大学の本部構内を突破、そのまま大学本部を封鎖した。これは私の全共闘体験のなかでも数少ない勝利体験だ。ハムさんは大学中退後、呑み屋の用心棒や魚河岸で働いた後、自治労の書記に採用され、今は「ふるさと回帰支援センター」の確か代表理事だ。そのハムさんから「今夜空いているか」との電話。指定された店に行くと内閣の「まち・ひと・しごと創生本部」の唐澤さんと北海道の上士幌町の竹中町長が来ていた。竹中さんは自治労出身ということだった。少し遅れて今は小豆島の町長をやっている元厚労省の塩田さんが来る。ハムさんにすっかりご馳走になってしまった。

11月某日
運営に関わっている地方議員向けの「地方から考える社会保障フォーラム」。初日は慶応大学の井手英策教授、SCNの高本真左子代表理事、それに前の日高橋ハムさんと一緒に呑んだ唐沢剛内閣府地方創生総括官。唐沢さんとは彼が荻島企画官の下で係長をしていたときに知り合った。知り合って間もないころ「モリちゃん、おんなじ大学同士だから仲良くしようよ」と言われたので「よく間違われるけど俺は東大じゃないよ」と答えたら「違うよー早稲田だよ」と言う。その頃は早稲田を出て中央官庁のキャリアになる人は珍しかった。フォーラムにはケアセンターやわらぎの石川はるえさんも参加してくれたので意見交換会のあと、神田の結核予防会の竹下専務と高齢者住宅財団の落合さんが吞んでいる葡萄舎へ。

社長の酒中日記 11月その2

11月某日
「薔薇の雨」(田辺聖子 中央公論社 1989)を図書館から借りて読む。「薔薇の雨」を読むのは2度目か3度目。私は同じ本を再読三読することはあまりしないのだが田辺聖子だけは別。同じ小説を何度読んでも飽きることがない。「薔薇の雨」には5編の短編が収められていて、5つの愛の「かたち」が描かれている。例えば「鼠の浄土」では後妻に入った丹子と夫と義理の息子との葛藤がテーマ。子連れ医師の「カモカのおっちゃん」の後添えとなった田辺の体験が生きているのかもしれない。「お手紙下さい」は売れっ子シナリオライターが東京での不倫スキャンダルから逃れて京都に逃避し、そこでのブティック経営者(この人も妻を亡くしている)との出会いと恋がストーリー。「良妻の害について」は姑に仕え、夫の浮気にも文句を言わず耐えてきた「私」が、「一口最中」をきっかけに自立する話。「君や来し」はわがままな義理の妹の見合いに付き添った佐代子と、義理の妹の見合いの相手とのラブストーリー。表題作の「薔薇の雨」は50歳の留禰と15歳下の守屋の恋物語である。いずれも描かれているのはラブストーリであるが、一貫したテーマは女性の自立であるように思う。専業主婦にしろ仕事を持つ女性にしろいろいろなしがらみに縛れて生きている。「ときにはしがらみから離れてみよ!そして身軽になってみよ!」というのが田辺のメッセージだと思われる。そこが田辺が女性に圧倒的に支持される理由の一つなのだろう。

11月某日
HCMの大橋社長と富国生命の「経済講演会」を聞きに帝国ホテルへ。講師は岡崎哲二東大大学院経済学研究科教授でテーマは「経済史の新しい見方 制度と組織の経済史」。岡崎先生というお名前は聞いたことがないが、スタンフォード大学の客員教授とか経済産業研究所のフェローという経歴それに「制度と組織の経済史」というテーマからして、亡くなった青木昌彦の系譜だろうと思う。岡崎先生はA.トインビーの「歴史の教訓」から「未来に起こりうるもろもろの可能性について少なくとも一つの可能性を示す」ことが歴史とりわけ経済史の使命であるとし「現在、当然のことと受け入れられている状態は必ずしも普遍性を持たない」と続けた。日本の金融が株式市場等からの直接金融ではなく銀行等からの間接金融が中心という現在の常識も、戦前は株式市場が機能を果たし直接金融が盛んだったという例により必ずしも普遍性を持つものではないという。また従来、技術進歩、資本蓄積、人口の増加が経済発展をもたらしたというのが経済学の常識だったが、技術進歩、資本蓄積、人口増は経済発展そのものであり、むしろ「国家による所有権の保護」と「国家からの所有権の保護」が経済を発展させたのであり、名誉革命の経済的意味はそこにあると指摘した。なるほどねー。経済史的に制度の役割を見ているわけだ。11世紀に地中海世界で「商業の復活」があったのも「自律試行的(プレイヤーが制度に従うインセンティブを持つ)な私的制度が国家による契約執行を代替していたから」という。なかなか納得できる話ではある。今度、機会があれば先生の著作を読んでみたいと思う。なるべく分かりやすいのをね。講演後、パーティに参加して富国生命の矢崎さんに挨拶、その後、大橋社長にご馳走になる。

11月某日
昨日(11月7日)の日経の朝刊に日経イノベーションフォーラム「AI時代を勝ち抜くために」(共催・リコー、日本将棋連盟)の要約が掲載されていた。脳科学者の茂木健一郎の基調講演がAIと人間の関係の本質を突いているように思うので以下抜粋する。「人間は記憶力、計算能力、論理的推理能力ではAIに勝てません。勝てるのは人格力です。人格力とは開放性、誠実性、外向性、協調性、神経症的傾向で構成されます。人格力を磨くことがAIの時代に非常に大事ですが、羽生王座の強さの秘密もそのあたりにあるように思います」。

11月某日
かいぽけマガジンの取材で堤修三氏にインタビュー。当社に来社してもらう。テーマは「要介護度が改善した場合、事業者にインセンティブを与えるべきか」。結論から言うと堤さんの考えは、金銭的なインセンティブは必要ない、むしろ要介護度を改善させた事業者には市長から表彰するなどしたらどうかという意見だった。事業者にとっては宣伝になるし被保険者には事業者選択の目安の一つになりうるというもの。インタビュー後、堤さんとSMSの山田君、当社の迫田、酒井と会社の向かいの「ビアレストランかまくら橋」で食事。

11月某日
米大統領選挙で共和党のトランプ氏が大方の予想を裏切って当選。予備選に出馬した段階では泡沫候補に過ぎなかったトランプ氏が、あれよあれよと見る間に予備選を勝ち上がり、ついには本選を制してしまった。日本の株価は下落し円相場は上昇した。アメリカの大統領は国家元首と行政府の長を兼ね国軍の最高司令官。核兵器使用の命令を出すのも大統領だ。超大国アメリカの絶大な権限を持つ最高権力者である。政治家や軍人の経験のない大統領はトランプ氏が初、加えて日頃の言動からトランプ氏の大統領としての手腕を疑問視する論調を多く目にする。私は少し違う見方。権力を持てば言動に注意せざるを得ない。そこが候補と現職大統領の大きな違いだ。もうひとつは実際の政策については、経験がないだけにブレーンや閣僚の意見に耳を傾けざるを得ないということ。トランプ氏はヒットラーにならないしなれないのだ。

社長の酒中日記 11月その1

11月某日
図書館で借りた「オライオン飛行」(高樹のぶ子 講談社 2016年9月)を読む。新聞の書評欄の紹介で面白そうと思い図書館にリクエストした。先日読んだ桐野夏生の「グロテスク」は人間の悪意、憎悪、欲望を抉ったものだが、本書はミステリーじみた恋愛物語。余り肩に力を入れずに読むことが出来た。1936年11月フランス人飛行家アンドレ・ジャビーはパリの飛行場を東京に向け飛び立つ。パリ―東京間を100時間以内で飛んだものに、今のお金で1億から2億円の賞金がフランス政府により提供されることになっていた。しかしアンドレの操縦する飛行機は東京を目前にした佐賀県と福岡の県境にある背振山に墜落する。アンドレの命は助かったが脚部を骨折し、九州帝大病院に収容される。九州帝大病院では手厚い医療を受けるうちに美貌の看護婦、久美子と恋に落ちる。しかし傷が癒えるとともにアンドレは帰国、二人は引き裂かれる。時代は現代にとび、久美子の持ち物だった懐中時計は血の繋がるあやめに引き継がれる。アンドレ・ジャビーは実在の人物で、背振山に墜落したのも歴史的事実(ネットで検索した)。そこから日本人看護婦との恋物語や懐中時計を巡るストーリーを編み出した高樹のぶ子の作家的力量に脱帽。

11月某日
元厚労省の川邉さんからIBMの顧問を辞めるというメールが来たので結核予防会の竹下専務と会社近くの「ビアレストランかまくら橋」で軽く慰労会。川邉さんは元厚労次官の江利川さんや元宮城県知事の浅野さんと厚生省の同期。江利川さんの後任として川邉さんが年金局資金課長に就任して以来だから、もしかすると30年以上の付き合いになるのかもしれない。ほとんど利害関係のない言わば「君子の交わり」だから長続きするのだと思う。川邉さんと別れた後、竹下さんと神田駅近くの葡萄舎へ。

11月某日
家の近所でしかも同じ小中高学校に通うケースはあまりないのではないかと思う。ところが私の場合は結構いる。小中高とも公立で、高校受験が小学区制だったことによることが大きい。私と私の近所の友達は道立室蘭東高校しか受験できなかった。この高校は第一次ベビーブーム世代を対象に新設された高校で、私は2回生。1回生には連続企業爆破事件の東アジア反日武装戦線のメンバーで逮捕当日、自殺した斎藤和や大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した久田恵がいる。私と家が近所で小中高が一緒だった佐藤正輝は札幌でソフトウエア会社を起業して成功している。正輝が上京するというので神田の葡萄舎を予約、当日は私を入れて9人が集まった。そのうち女子(と言ってもみんな60代後半のばあさんですが)は3人いた。9人のうち私と正輝、高卒後上京して劇団に入り今は照明の仕事をしている山本、青学を出て日航のパーサーになった上野の4人が小中高が一緒。高齢になっても子供時代の友人は貴重。楽しい時間を過ごした。

11月某日
図書館で借りた「華族の誕生」(浅見雅彦 講談社学術文庫)が面白かったので同じ作者の「公爵家の娘-岩倉靖子とある時代」(リプロポート 1991)を図書館で借りる。岩倉靖子というのは岩倉具視のひ孫で、学習院から日本女子大に進学、中退後に日本共産党のシンパとなり、治安維持法違反の容疑で逮捕拘留される。8か月間拘留されたのち釈放されたが、10日後の昭和8年12月、かみそりで頸動脈を切り自死した。昭和8年とは日本が国際連盟から脱退した年であり、日本は満州事変により満州に傀儡政権を樹立し、大東亜戦争への道をひた走っていた時期である。何が公爵家の娘を左翼運動に走らせたのか興味深いが、帝政ロシアでも革命運動の一翼を担ったのは貴族であった。ブルジョア階級の一部が先鋭化することもあるということだろう。

11月某日
坂東真砂子の「瓜子姫の艶文」(中公文庫 2016年10月)が書店に並んでいたので手に取ると帯に「著者最後の長編小説」とある。そうだ坂東真砂子は死んだんだ、と買うことにする。今まで何冊か読んだが、オドロオドロしくて土俗的な作風が印象に残っている。本書は伊勢、松阪の遊女、伽羅丸が主人公。彼女は客の木綿問屋主人、玄右衛門に本気で恋い焦がれ玄右衛門の後添えに収まることに成功する。しかし徐々に明らかになる主人公と玄右衛門の過去と因縁。私は「土俗」を感じるのだが、坂東が高知出身(土佐高)というのも関係あるかもしれない。高知はたしか「土佐源氏」の本場。坂東は土佐高から奈良女子大住居学科に進学、卒業後イタリアで建築とインテリアを学んだ。そういえばイタリアもカトリックで、ヨーロッパのなかでは「土俗的」な感じがする。

社長の酒中日記 10月その4

10月某日
HCMの大橋社長と三浦さんとで鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」へ。大橋さんと三浦さんは青森東高校の卓球部の先輩、後輩。「跳人」も青森出身者のお店。ビールで乾杯後、私と三浦さんはウィスキーのソーダ割、大橋さんは水割りにする。シミュレーターや卓球の話をするうちにすっかり出来上がってしまった。

10月某日
社会保険研究所で「介護保険情報」の校正をお願いしている渡辺さん(通称ナベさん)と久しぶりに葡萄舎で吞む。ナベさんとは40年以上前に日本木工新聞社という業界紙で一緒だった。ナベさんは早稲田大学英文科の出身、フォークナーを専攻したそうだが、そういう話をしたことはない。木工新聞在社中は一緒にやった麻雀と組合運動が印象に残っている。ナベさんは木工新聞を2年くらいで辞めて医書の専門出版社へ移っていった。今はどうか知らないが当時、医書の出版社は給与水準が高く羨ましく思ったものだ。それから1年くらいで私も木工新聞を辞めて、日本プレハブ新聞社に移りしばらく交流は途絶えていた。交流が復活したのは私が年友企画に転職してしばらくしてから。ナベさんが医書の出版社を辞め、フリーの校正者をやっていると聞いてから。「介護保険情報」が創刊されたとき、その校正をお願いすることになった。途中、空白があったにせよ40年以上も交流が続くということはやはり気が合うのだろう。

10月某日
桐野夏生の「グロテスク」(文春文庫 2006年 単行本2003年3月)を読む。「週刊文春」に2001年1月から2002年9月まで連載されている。この小説は1997年3月に東京渋谷の円山町で起きた「東電OL殺人事件」を下敷きに書かれている。実際の事件では、慶應大学経済大学を卒業した東京電力に勤める39歳の女性が被害者で、実は彼女は円山町界隈で常習的に売春行為を行っていたことが報道合戦の中で明らかにされ、大きな話題となった。ノンフィクション作家の佐野眞一が「東電OL殺人事件」(新潮社)を2000年に出版している。私は「東電OL殺人事件」を発刊当時に読んだが、エリート女性が売春をするという「心の闇」が明らかになっていないのではと感じたものだった。桐野の「グロテスク」はフィクションではあるが「現代の闇」を見事に切り取っていると思う。
小説ではG建設に勤めるQ大卒のエリート女性、和恵と彼女のQ女子高校の同級生で物語の語り手でもある「わたし」、「わたし」の妹で類いまれなる美貌の持ち主ユリコ、成績は学年一番で後に東大医学部へ進学するミツルという4人の女性、それに犯人とされる中国人チャンの独白と日記によって構成される。それぞれが魅力的である意味「グロテスク」な個性の持ち主なのだが、私は中国四川省の農村部に生まれ、妹を日本への密航途中で水死させるチャンに惹かれた。「中国人は生まれた場所によって運命が決まる」。小説中に出てくる文章だが、一種の東洋的な運命論だと思う。チャンに殺されたとされる和恵とユリコ、医者になった後にオウム真理教を思わせる宗教に入信したミツル、Q大卒後、区役所のアルバイトを続ける「わたし」にもそのことは言えるのではないか。

10月某日
民介協のフィリピン視察の報告書を民介協に提出。以下は「日本とフィリピンの比較」部分の要約である。
フィリピンは国土面積、人口とも日本の8割程度だが人口減少の日本に比較すると、フィリピンの人口はまだまだ増加する余地がある。フィリピンの合計特殊出生率は2014年に初めて2.98と3を切り、人口の伸び率は鈍化しているものの、増加数はおびただしい。ちなみに30年前の1986年のフィリピンの人口は5549万人だったが、2016年には倍近い1億420万人となった。経済成長率が5.8%(日本は0.15%)と高いのに、失業率も6.3%と高いのは、労働力人口が国の経済力を越えて過剰なためである。フィリピン中央銀行の政策金利は翌日物借入金利の3%を中心に2.5~3.5%。物価が堅調なため2011年の4%台、2007年の7%台よりは下がっているが、それでもマイナス金利の日本より格段に高い。ちなみに日本の公定歩合は0.3%。日本は労働力不足で資金が過剰、フィリピンは労働力が過剰で資金不足なのは明白だ。「フィリピンの労働力を日本へ。日本の資金をフィリピンへ」というのが普通の流れと言えないだろうか。