モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
「天皇への敗北-シリーズ哲学講座」(國分功一郎 新潮新書 2026年4月)を読む。現在の日本の首相、高市早苗は自由民主党なかでも右寄りの考えを持つ人だと思う。何を以て右寄りとするかだが、一つは軍事力を増強していくという考え方、もう一つはそのためにも現在の憲法を改めようという考え方だ。自民党が公明党と連立を組んでいたときは、公明党はこれら二つの考えに対してブレーキ役を果たしていた。公明党が連立を離脱し、新たに日本維新の会が連立相手となった。維新の会は公明党とは逆にアクセル役となっている。平成天皇、現在の上皇は現行の憲法を擁護し、憲法を順守することを表明してきた。天皇制の擁護は、戦後日本の保守派にとって共通認識であったが、現上皇と保守派の間には現行憲法に対する考え方に隔たりがある。本書は民主主義と立憲主義、天皇制を考察する。「天皇への敗北」というタイトルは現在の民主派、立憲派が、国会での活動や市民の運動に関わらず、天皇と皇后(現在の上皇と上皇后)という存在にかなわなかった、ということである。本書によれば立憲主義とは「いかなる権力も制限される」という原理である。直近の総選挙で国民は自民党に圧倒的多数の議席を与えた。しかし立憲主義に立つ以上、「いかなる権力も制限され」なければならないのである。

8月某日
「日本軍慰安婦」(吉見義明 岩波新書 2025年7月)を読む。日本軍慰安婦とは「1932年の上海事変以降に日本軍が戦地・占領地につくった軍慰安所で軍人・軍属(軍所属の文官・同待遇者)の性の相手をさせられた女性たちのことである」(はじめに)。当時の政府や陸海軍の考えは、当時横行していた戦地、占領地での現地女性に対する強制性交事件を起こさぬように、また性病に感染しないように軍の関与のもとに慰安婦のいる慰安所が必要ということであった。米英軍では第1次世界大戦の反省に立って、兵士への休暇や一定の娯楽が提供されていたが、日本軍の首脳にはそういった発想があまりなかったようだ。慰安婦は「性の相手をする」ということを事前に理解しているものもいたが、軍隊の炊事の手伝い、看護助手などとだまされて慰安所に連れられてきた女性も多かった。ひどい話である。しかしこうしたことは80年以上も前の話と片付けられるか?フィリピンなど東南アジアの女性に「ダンサーの仕事がある」と来日させ、実際は買春させていたケースがあった。女性蔑視、民族蔑視の構造は今でも残っている。

8月某日
「22世紀の戦争論-なぜ人類は戦争を繰り返すのか」(下村健太 朝日新書 2026年4月)を読む。下村健太は1990年生まれ、上智大学国際教養学部卒、ロンドン大学大学院で外交国際問題修士号と公共経営修士号を取得、国連職員として国連本部の政治・平和構築局と平和活動局に勤務。現在は執筆活動に専念、と巻末の著者プロフィールにはある。まだ30代の若さである。読む前に著者を侮る気持ちがあったのは確かである。しかし読み始めてすぐに私の先入観が間違いであったことがわかった。圧倒的な知識量と確かな分析力、そして優れた国際感覚。これからの日本の論壇を牽引して行く一人になるのは間違いのないところだろう。彼の慧眼を示す一例を挙げる。2023年に飢餓に直面した人は約7億5700万人、これは世界人口の11人に1人に相当する。しかし地球上には全人口が食べてなお余るほどの食糧が生産されている。この矛盾は、食料問題の原因が、生産量にではなく分配にあることを示している。つまり、今の飢餓の原因は、食料不足ではなく、貧困と公共サービスの欠落に起因する分配の問題である。現代の日本においても、夏休みに学校給食が停止されると食事をとれない学童がいるという。これも貧困と公共サービスの欠落に起因する分配の問題であろう。

8月某日
「精選女性随筆集 武田百合子」(川上弘美選 文春文庫 2024年1月)を読む。小説家武田泰淳の夫人だった武田百合子のエッセーをまとめたもの。解説(阿部公彦)によると、日記を百合子がつけ始めたのは泰淳のすすめがあったからという。泰淳の通夜の席で中央公論社の編集者から文芸誌「海」への掲載を持ちかけられたのだ。最初に選者、川上弘美の「人、です。」では、娘の花が母、百合子について「母と一緒にいると、飽きる、ということがなかったんです。人って、みんなこんなに面白いんだと思っていたら、そうじゃなかった。ずっと一緒にいて、一回も飽きたことのなかったのは母だけでした」と語っていたことが紹介されている。50年ほど前の百合子の文章であるが、そんなことを感じさせない、そのときの暮らしを瑞々しく切り取った文章である。

8月某日
「日本の中世国家」(佐藤進一 岩波現代文庫 2007年3月)を読む。本書は83年4月に岩波書店から刊行されている。著者の佐藤進一は16年、新潟県生まれの日本史学者。39年、東京帝大文学部国史学科卒。東大史料編纂所勤務ののち、東大、名大、中大で教鞭をとる。著者は「はしがき」で、本書を成すに意想外の年月を要した要因の「ひとつには1968年以来の東大文学部闘争との関りが、数年に及ぶ課題の放擲を余儀なくされたからである(略)あの年の春ゆくりなく出逢い、やがてわが心への重い問いかけとなったしまったあの闘争への、ささやかな関りがなければ、本書はこのようなものにならなかったであろうことも、ここに書きとめておきたい」と記している。解説(五味文彦)でも、東大文学部闘争が「いかに著者に重い問いかけとなっていたのかをこの一文から知ることができる」としている。全共闘とも誠実に向き合ったのだろうね。そういう先生も少数ながらいたんでしょうね。本書の内容については蔵人所、検非違使といった令外の官、あるいは鎌倉幕府の執権制について史料に基づいて詳細に論じられている。鎌倉将軍は三代で頼朝の血統が途絶えた後、京都から天皇や摂関家に繋がる貴種を将軍に迎えている。本書によると貴種の将軍たちは必ずしも執権の北条氏の言いなりだったわけではなく、北条氏との確執もあったようだ。