モリちゃんの酒中日記 7月その2

7月某日
「女中譚」(中島京子 朝日文庫 2013年3月)を読む。秋葉原駅界隈を一人の老婆が歩き始め、やがてメイド喫茶へ入る。終電近くなってメイド喫茶も閉店、老婆はメイドに扮した喫茶店員と帰宅する。老婆は戦前、女中として働いていた。女中譚には「ヒモの手紙」「すみの話」「文士のはなし」の3編の中編小説が収められているが、それぞれ林芙美子「女中の手紙」、吉屋信子「たまのはなし」、永井荷風「女中のはなし」を下敷きにしている。中島の直木賞受賞作品「小さいおうち」も戦前の女中の話しであった。「小さいおうち」の映画では女中を黒木華が演じて、女中の戦後の老いた姿を倍賞千恵子が演じていたように記憶する。

7月某日
「教養としての新宿・歌舞伎町-立ちんぼうから半グレまで、裏社会の現在地」(久田将義 朝日新書 2026年5月)を読む。現在の歌舞伎町がどうなっているか、というルポルタージュである。私が知っている歌舞伎町はおよそ30~40年前の歌舞伎町である。会社のツケで呑めるクラブがあって、そこに良く行っていた。地形的には当時も現在も変わってはいないが建っているビルを含めて、水商売の店も風俗の店も様変わりしている。私が常連だったクラブで渋谷区の職員と親しくなった。職員割引があるということで温泉地に誘われたこともある。クラブの最後のほうでは、彼とクラブに泊まったこともある。彼はマスターから信頼されており、クラブのカギを託されていたのだ。

7月某日
「超恋愛論」(吉本隆明 大和書房 2004年9月)を読む。吉本は1924年生まれだから、この本が出版されたときは80歳、「語り下ろし」だから78、9歳のころの語りと思われる。恋愛に関する瑞々しい考えが吐露されている。ちょっと抜粋してみよう。「普遍的に「誰が見てもこの人がいい」というような人なんか、恋愛においてはありえない。「その人にとっていい人」が絶対的に存在するというのが、恋愛というものなんです」「先進国の人間は、後進国というか、自分たちよりも発達していない国のことを、ちっとも考えないんです……ブッシュなどは、自分たちと違う文化のことを一顧だにしない先進国の駄目な男の典型でしょう」。ブッシュをトランプに置き換えると現在にも当てはまる。「ぼくは、日本の後進性、つまり社会が近代化されていないことと、個人の近代的自我が形成されていないことのあらわれであると見ます……このことを小説の中で描いた漱石は、近代日本の恋愛関係のあり方を鋭く洞察して、それを文学の問題として引き受けていたといえます」「かれが描いた精神内容というのは現在でも読むに耐えるものですし、同じ問題は、いまもいろんなところに転がっているといいますか、依然として消えずにあると思います……この後進性というのはそう簡単に治らないよ、あっさり西欧並みになるはずないぜ、というきがするんです」「日本が近代から現代へ、そしてこれから先の社会へ移って行くにあたって、その道筋が、必ずしも西欧の軌道の模倣のようになっていくかというと、そうはいかないのではないかと思っています……日本独特のものが入って、西欧とは違う進み方をするのではないか……それが西欧とは違う独自の道筋につながっていくのではないか、という気がします」「いちばん最初に宗教が生まれ、その宗教のうちもっとも強固な部分が法律となった。宗教の枝葉の部分を抜き去って、いちばん固いものだけを取り出したのが、法律だというわけです」……うーん、共同幻想論?

7月某日
「古文書返却の旅-戦後史学史の一齣 改版」(網野善彦 中公新書 1999年10月 26年5月改版)を読む。網野善彦(1928~2004)は歴史民俗学者。ウイキペディアによると網野家は江戸時代から続く地主で一族から山梨中央銀行の頭取も出ている。誕生地こそ山梨県だが育ったのは現在の港区西麻布。旧制東京高校尋常科、同高等科文科卒業後、47年に東大文学部国史学科入学。このころ日本共産党に入党し、山村工作隊の指揮や階級闘争による国民的歴史学運動に携わる。民主主義学生同盟副委員長兼組織部長となったが、のち運動から脱落する。東大卒業後、渋沢敬三が主宰する財団法人日本常民文化研究所の月島分室に勤務した。本書は常民文化研究所が収拾した古文書をもとの持ち主に返還するために日本列島各地を巡った旅を描いたもの。「借りたものをもとの持ち主に返す」というのは当たり前のことだが、戦後の混乱期にはときとして借りっぱなしになっていたこともあるようだ。網野が誠心誠意、返却の旅を行脚したことが伝わってくる。常民文化研究所の同僚、中沢真知子が後に妻となる。妻の兄が民俗学者・市会議員(日本共産党所属)の中沢厚、厚の子が中沢新一である。

7月某日
「血肉となる読書-なぜ読むことだけが人生を変えるのか」(斎藤幸平 小川公代 安田登 あさま社 2026年5月)を読む。斎藤幸平は経済思想家、小川公代は上智大学教授と紹介されている。安田登は能楽師である。で、結論から言うと安田登の項が一番面白かった。安田は「言語」という雑誌に「神話する身体」というタイトルで「古事記」を連載した。原文で読める神話が「古事記」だけだったので、ギリシャ語を習いに行った。ギリシャ神話の多くがラテン語で書かれていることを知り、ラテン語を習うことに。ギリシャ語で「新約聖書」が読めるようになると、「旧約聖書」も原語で読みたいと思ってヘブライ語も学ぶことに。さらにハンムラビ法典が書かれたアッカド語があることを知って学びたくなり……。能楽師がそんなに外国語を学んでどうする?AIの時代、自動翻訳機を使えばいいじゃないか?と思わないでもない。しかし知とは本来、便利さとは相容れないものではないのだろうか。安田の想いを読みながらそんなことを感じた。

7月某日
「中上健次-路地のビジョン」(渡邊英理 岩波新書 2026年6月)を読む。中上健次(1946~92)は戦後生まれで初めての芥川賞作家となった。1948年生まれの私とはほとんど同世代の作家である。私の30~40代には比較的よく読んだ作家である。本書のキーワードはサブタイトルにもなっている路地である。これは普通名詞としての路地ではなく、中上が生まれ育った紀州熊野の被差別部落の路地である。その路地は共有地(コモンズ)でもある。斎藤幸平の「人新世の「資本論」」でコモンズを次のように定義している。「入会地のような共有地は、イギリスでは「コモンズ」と呼ばれてきた。そして、人々は、共有地で、果実、薪、魚、野鳥、きのこなど生活に必要なものを適宜採集していたのである」。渡邊英理はまた網野善彦の言う「公界」もまた「複数の所有者が乗り入れる重層的な所有(「所有ならざる所有」)が許容された、誰のものでもあって誰のものでもない共有地(コモンズ)としての「公共」として敷衍される」としている。「路地」を補助戦にして中上健次の著作を読み込んでみようと思う。

7月某日
「地上の楽園」(月村良衛 中央公論新社 2025年10月)を読む。第1部は1959年の大阪、在日朝鮮人の高校3年生、孔仁学は大学に行くべきか、就職すべきか悩んでいた。同級生や教師の多くが朝鮮人差別をするなかで、北朝鮮への帰還運動が熱を帯びてくる。仁学は朝鮮総連に就職、多くの同胞に帰還を呼びかける。呼びかけに答えた一人が幼馴染で不良グループの抗争に巻き込まれていた勇太。勇太は家族とともに帰還するが、「地上の楽園」と喧伝されていた北朝鮮の実態は期待を大きく裏切るものだった。北朝鮮の実態は日本にも伝えられ、仁学も非難の渦にさらされ職も失う。第2部は北朝鮮に帰還した勇太や家族を描く。苦難の末に勇太は脱北に成功し中国を経て韓国へ。終幕は平成14(2002)年の日本。韓国の裏社会で成功した勇太は東京でその日暮らしを続ける仁学に再開する。北朝鮮の体制賛美や帰還運動は一言でいうとスターリン主義によるものだ。私も偉そうなことは言えない。高校生のとき同級生と映画「ドクトルジバゴ」を見た。スターリン体制下の医師、ジバゴの苦悩を描いたものだが、同級生が「(こういう映画を見ると)ソ連も嫌になるな」と言ったのに対して「そんなことはない」と反論した。20代後半に業界紙に勤めていたころ、印刷所で校正の女子社員が当時のカンボジア、ポルポト政権の人民虐殺を非難したのに対して、デマに騙されていると詰問「した。私もスターリン主義者の卵だったわけである。スターリン主義は社会主義を標榜する国家にあるだけでなく私たち一人ひとりの心のうちにあると思う。

7月某日
「大正天皇」(原武史 朝日選書 2000年11月)を読む。明治の45年、昭和の64年、平成の30年に比べて大正天皇の治世15年は短い。明治天皇は明治大帝と称されるように明治維新を経て日清、日露戦争に勝利し文明開化の世を拓いた帝王のイメージが強い、昭和天皇はアジア太平洋戦争の敗戦を経て、平和国家日本のイメージと重なる。平成天皇(現上皇)は平和や家族愛といった戦後日本の明るいイメージの象徴であろう。ひるがえって大正天皇はどうか、イメージがいまひとつ浮かばない。原は首相を務めた原敬の日記など資料をもとに、大正天皇は「明治天皇ならば想像すらできないような、椅子にかけながらくつろいで対談ができる、気さくな人間味あふれる天皇(皇太子)であり、時にしっかりした政治的意思を表明する天皇である」としている。

7月某日
「悪い恋人」(井上荒野 朝日新聞出版 2014年12月)を読む。東京郊外に夫の親との2世帯住宅に住む沙知は、裏の森の開発業者として現れた中学時代の同級生と肉体関係を持ってしまう。夫と親は森の開発に対する反対運動にのめり込んでいく。反対運動はなし崩し的に崩壊し、沙知の不倫関係も破綻する。小説のラストは「結局、何も起きなかったのだと沙知は思う。私の身に、何かが起きるなんてことはないのだ、と。」。今から10年以上前の執筆である。現在であれば、沙知は夫と離婚、不倫相手からは慰謝料をとる、という結論にならないか。

モリちゃんの酒中日記 7月その1

7月某日
「歴史学者、ガザに潜入する」(ジャン=ピエール・フィリュ 堀千晶訳 河出書房新社 2026年4月)を読む。イスラエルによる殺戮と破壊が進んでいるパレスチナのガザ地区を訪れたフランスの歴史学者(パリ政治学院教授)のルポルタージュである。歴史学者はガザで起きていることは「普遍的なこと」だとして次のように述べる。「私たちの世界は拍手喝采で迎えたわけではないにせよ、破壊が猛威を振るうのを放置した。(中略)ガザで起こっていることは、万人にかかわる普遍的な意味を持っていたのであり、いま持っているのであり、今後持つことになるだろう」。ユダヤ人が戦中戦前のドイツでナチスによって虐殺されたことは忘れることはできない。しかし今、イスラエルがパレスチナで行っていることは、過去に自らがナチスによって行われたことと違いがないのではないか?

7月某日
「今夜もベルが鳴る」(乃南アサ 新潮文庫 2026年5月)を読む。巻末に「この作品は1990年9月祥伝社より刊行された。新潮文庫化にさいして、加筆を行った」と注記されている。2026年春という日付で著者自身の「あとがき」に「電話はドラマを生みます。時代が変わり、元号が変わっても、きっと今も怖い電話はかかってくる可能性があります。何か変だと思ったり、知らない電話の番号は、決して取らないで下さいね」と記されている。電話、とくに固定電話を軸として小説は展開していく。本作は乃南が作家デビューしてから3作目という。なんか、初々しい感じがする。

7月某日
「対話をつくる-分断の時代に言葉を取り戻す」(宇野重規 朝日新書 2026年5月)を読む。宇野は1967年生まれ。東大社会科学研究所教授。第1部は23年4月から25年3月まで朝日新聞に連載された「論壇時評」、第2部は朝日新聞デジタル「Re:Ron」に掲載された対談記事を書籍化したもの。宇野は現代日本のレベラルの代表的な論客のひとりと思われる。であるからトランプ的な考え方や行動様式には批判的だ。アメリカ政治外交史が専門の三牧聖子との対談で宇野は「今のアメリカの大学は、イデオロギー的に多様性を掲げるリベラル派が強い一方、学費が高く、かなり富裕な家の出身でないと通えない、階級の再生産装置になっています」と語り、三牧も「エリート大学の閉鎖性への怒りは共和党に向けられてもおかしくないのですが、共和党は一般市民のエリート大学への怨恨をうまく政治的に動員しています」と応じ、その中心にいるのが次期大統領選の共和党の有力候補とされるバンス副大統領を挙げていた。日本でも安倍元首相的な考え方が高市首相に継承されている。防衛予算の急増や台湾有事の発言を聞くと、「危ういな」と思えてくるのは私だけではないだろう。

7月某日
「ケアと編集」(白石正明 岩波新書 2025年4月)を読む。著者は1958年生まれ、青山学院大学法学部卒業、中央法規出版を経て1996年に医学書院入社、00年に〈ケアをひらくシリーズ〉を創刊。24年3月に医学書院を定年退職。〈ケアをひらくシリーズ〉からは川口有美子「逝かない身体」が大宅壮一ノンフィクション賞、熊谷晋一郎「リハビリの夜」が新潮ドキュメント賞、六車由美「驚きの介護民俗学」が日本医学ジャーナリスト協会賞、國分功一郎「中動態の世界」が小林秀雄賞、東畑開人「居るのはつらいよ」が大佛次郎論壇賞、鈴木大介「「脳コワさん」支援ガイド」が日本医学ジャーナリスト協会賞を受賞、シリーズ自体も19年に毎日出版文化賞を受賞する。凄腕の編集者なのだが、本書を読むと私などは「人間関係の作り方が凄いなぁ」と思ってしまう。本書は著者が編集した本や影響を受けた本、人物についての思いを綴っている。北海道浦河に「べてるの家」という精神障害者の生活拠点がある。著者は何度も訪れているが「ぺてるに行っている最中は、なぜか「いい人」になるんですよね、わたし自身が」と書き、「たぶんあらゆる局面で「評価」がないせいなのだろう」と分析する。また別のところで「水を、手段ではなく目的としれ味わう」「対話を、手段ではなく目的として楽しむ」と書いている。これは哲学者イマヌエル・カントの「人を手段として扱うのではなく目的として扱え」という言葉を彷彿とさせる。

7月某日
午後、近所の我孫子市民図書館で読書。図書館は冷暖房完備なので読書に最適。ウイークデイは利用者も少なくさらに快適。17時30分帰宅。17時45分からテレビの「孤独のグルメ」を見る。松重豊演ずる五郎さんがメキシコ料理を楽しむ。18時30分から入浴、夕食、缶ビール1本。食後、図書館から借りている佐藤雅美の時代小説を読了、引き続き中島京子の「女中譚」を読み始める。9時45分BSNHKBS1の「呑み鉄本線・日本旅」、10時BSフジの「飯島直子 今夜一杯?」、10時30分BS朝日の「ケンコバのビジホ泊、11時TBSテレビの「NEWS23」。12時キッチンにてウイスキーを水割りで。1時近くに就寝。

7月某日
「私闘なり、仇討ちにあらず」(佐藤雅美 文春文庫 2014年5月)を読む。佐藤雅美の時代小説は時代考証が実にしっかりしている。本書は「八州廻り」という江戸時代の警察組織の一員、桑山十兵衛を主人公とする物語だが、八州廻りについても次のように説明する。「幕府のいわゆる警察組織は三部署あった。町奉行支配の町方廻り方、勘定奉行支配の十兵衛ら八州廻り、若年寄支配の火盗改である」「そのうち、町方廻り方と八州廻りの縄張りはきっちり区分されていた。町方廻り方は御府内、八州廻りは御府内をのぞく関八州と。両者が縄張りで揉めることはなかった」「いま一つの火盗改めには縄張りがなかった。ために、おなじ事件を追ったりとするということがよくあり、町方廻り方や八州廻りとしょっちゅう悶着を起こしたのだが、それには無理からぬ事情もあった」という具合である。権限を巡る縄張り争いは現代でもある。警察組織ならば所轄署と警視庁、公安と刑事警察…。現代でも時代小説が、佐藤雅美の時代小説が広く読まれる理由の一つだろう。

モリちゃんの酒中日記 6月その3

6月某日
評議員をしている社会福祉法人にんじんの会の評議員会出席のため立川へ。評議員会は19時からだが17時頃に着いたので会場近くの居酒屋で軽く一杯。18時30分頃に会場へ。評議員としては一番乗り。主な議題は前期の決算承認だが黒字決算を続けており、問題なく承認。創業者の石川治江常務理事(前理事長)の理事辞任が発表された。NPO法人やわらぎが出来て40年、社会福祉法人が出来て30年ということで節目の年ということか。それにしてもこれだけ大きな法人に育て上げた石川さんの経営手腕は見上げたものである。個人的にも石川さんにはずいぶんご馳走になった。荻窪の民家で通所介護事業を始めた頃、荻窪の商店街の酒屋の立ち飲みで一杯やった後、寿司屋でご馳走になったりしたものだ。石川さんは来年80歳ということだが、まだまだ元気である。

6月某日
「本郷菊富士ホテル 新装版」(近藤富枝 中公文庫 2026年4月改版発行)を読む。戦前、本郷菊坂台上にあった菊富士ホテルの物語。ホテルと称していても実際は賄いつきの下宿屋であるが、有名作家や東大などで教えていた学者が長期逗留する高級下宿であり、東大生など学生は少なかったようだ。作者の近藤富枝は作家、エッセイストの森まゆみの伯母で新装版の解説は森が書いている。「丘の上のまぼろしの城」と題した解説で森は「私の祖父にあたる水島亀之助の妹延子が、この菊富士ホテルの創業者羽根田幸之助の長男富士雄に嫁いだとは、私はこの本を読むまで知らなかった」と明かしている。関東大震災にはこのホテルも相当揺れたが倒壊は免れた。建っていたのが本郷台地で地盤が丈夫だったためだろう。しかし昭和20年3月10日のB29による東京大空襲でホテルは炎上、焼失した。巻末に本郷菊坂界隈の地図が掲載されているが、昭和48年当時の菊坂付近略図には弓町本郷幼稚園と本郷教会が載っている。この教会は私たち夫婦が結婚式を挙げた本郷弓町教会と思われる。罰当たりなことではあるが、結婚式以来、一度も伺っていない。確か連れ合いの親戚に熱心なプロテスタントの信者がいて、その紹介で挙式したのだと思う。

6月某日
監事をしている一般社団法人の総会に出席するために東京八重洲口近くの会議室へ。総会では決算も無事承認され、私が読み上げた監査報告も承認された。1時30分から始まった総会は2時前に議事をすべて終えたが、来賓の出席が遅れている。来賓には挨拶をしてもらう予定なのでしばらく休憩して来賓を待つ。2時過ぎに来賓到着。挨拶をしてもらって総会は無事終了。私は御徒町駅北口で17時に待ち合わせがあるので御徒町へ。御徒町の吉池食堂で遅いランチ。吉池と松坂屋で時間を潰す。17時に御徒町で前の職場の同僚の石津さんと会って、北口近くの中華料理店の大興へ。予約をしていなかったが18時50分までならOKというので入店。大興の料理は相変わらずの美味しさだったが、盛り付けがお洒落になっている感じがした。器とソースもなにかフランス料理風であった。もっともフランス料理など何年も食べていませんが。次々と新規のお客が来店するが、予約をしていないと断られていた。

6月某日
「寮生 1971年函館。」(今野敏 2015年10月)を読む。1971年3月に主人公の少年は函館の私立の進学校に入学する。学校名は明らかにされていないが、カトリック系の進学校ということでモデルは函館ラサール高校であろう。この寄宿舎の屋上から2年生が落下し死亡する。新入生たちが事故死か他殺かを推理して行く。市内の女子高生との恋愛も描かれる。私は1964年3月に室蘭市の道立高校に入学している。作者の今野は1955年、北海道の三笠市生まれ。私が高校に入学したときは函館ラサール高校はまだ開学していなかった。まぁあったとしても、私の学力では入学は敵わなかっただろうけど。