モリちゃんの酒中日記 12月その2

12月某日
「私の文学史-なぜ俺はこんな人間になったのか?」(町田康 NHK出版新書 2022年8月)を読む。町田康は「ギケイキ」を読んで以来、割と気に入っている作家だ。今回「私の文学史」を読んで尊敬の念を抱くようになった。「ギケイキ」自体、鎌倉だったか室町時代につくられた「義経記」を底本にしている。義経記は源義経の生涯をたどった古典で私は図書館で日本古典文学全集の義経記を借りて確かめたが、確かに「ギケイキ」は義経記を底本にしていた。ということは町田には古典の義経記を読みこなす力があるということだ。ウイキペディアによると町田は府立今宮高校卒である。高卒だから古典を読みこなす力はないと断言はできないし、大卒だから院卒だからできるとも断言できない。いずれにしても私は「ギケイキ」を読んで町田の古典の読解力の確かさと現代文による構成力に感心したものである。町田には「土俗・卑俗にこそ真実がある」という信念がある。そして「文章を書くことの衒いとか、自意識を失のうた人がプロの物書きなんです」ともいう。しかし「自分の文章的な自意識と、普通という、社会とか世間の自意識みたいなものを勝手に意識して、勝手に意味なく忖度して、そこにたどり着けない」のである。そして「なぜ古典に惹かれるのか」では「僕は、熱狂のさなかにあるあるというのは、人間として不幸なことやと思うんですね」とし「古典の得の一つ」として「現代の熱狂から遠くにある、流行りものの熱狂の嘘くささから遠くにあること」をあげている。うーん、深いお言葉。

12月某日
「この父ありて-娘たちの歳月」(梯久美子 文藝春秋 2022年10月)を読む。梯久美子は1961年、熊本市生まれのノンフィクション作家。北大文学部を卒業後、編集者を経て文筆業。本書には茨木のり子、田辺聖子、石牟礼道子ら9人の女性である。そして彼女らの共通点は「書く女性」だ。「『書く女』とその父 あとがきにかえて」で梯は「彼女たちが父について書いた文章には、『近い目』による具体的で魅力的なエピソードが数多くあるが、一方で、父の人生全体を一歩引いた地点から見渡す『遠い目』も存在する。そこから浮かび上がるのは、あるひとつの時代を生きた、一人の男性としての父親の姿である」と書く。「近い目」と「遠い目」はノンフィクション作家にとっても必須であろう。私は石牟礼道子の章に一番心が魅かれた。石牟礼道子の父、吉田亀太郎は石工で水俣の道路づくりの事業を手がけていた。「この世の土台をつくる仕事ぞ」「わしゃあ、まだ見ぬ未来を切り拓くつもりで石と語ろうとる」「石は天のしずくだ。天のしずくが石になるには、とても数えきれない年月がかかる」と幼い道子に語ったそうである。道子の作家としての感性はこの父を源とするに違いない。

12月某日
「宇沢弘文-新たなる資本主義の道を求めて」(佐々木実 講談社現代新書 2022年10月)を読む。宇沢弘文は早くから社会的共通資本の重要性を指摘した経済学者で、私は何年か前に佐々木実による宇沢の評伝を読んでいる。地球温暖化の危機がこの数年来叫ばれているが宇沢は半世紀以上前からそれを指摘していたわけだ。宇沢は1928年米子市生まれ、1931年3歳のとき一家で上京。府立一中、一高を経て東大理学部数学科入学。数学を学ぶかたわらマルクス経済学も独学、理学部物理学科に在籍していた上田健二郎(不破哲三)の主宰していたマルクス経済学の研究会にも参加していた。数学科を卒業した後。研究所や生命保険会社に勤めるが長続きせず、東大経済学部の近代経済学の研究会に参加、経済学研究の道に入る。米国スタンフォード大学のケネス・アローに論文を送ると高い評価を得て大学に招かれる。1956年宇沢が28歳のときである。スタンフォード大学では業績も上げ学生にも人気があったが、1964年にシカゴ大学の正教授に就任した。当時のシカゴ大学はフリードマン率いる市場原理主義者のシカゴ学派の牙城であったが、宇沢はフリードマンとは対局の見解をもち、議論を戦わせる仲だったという。当時はベトナム戦争のさ中で宇沢は反戦運動にも積極的だった。シカゴ大学の教え子の中からスティグリッツとアカロフが2001年にノーベル経済学賞を受賞している。
1968年4月、宇沢は東大経済学部に着任。シカゴ大の教授が東大の助教授に移籍したことは当時、話題となった。実際、給与と研究費の総額はシカゴ大時代の15分の1程度まで減った。宇沢が日本で取り組んだのは公害問題で、水俣病患者とも積極的に交流した。患者を支援していた原田正純医師は「胎児性水俣病との出会いのとき、先生は怒りを隠そうとされなかった…そして眼鏡の奥に涙が光る…」と記している。1974年、宇沢は「自動車の社会的費用」を出版しベストセラーとなる。この本により「新古典派理論を根源から批判し、同時に、新古典派理論の分析テクニックを駆使する」という、矛盾に満ちた境界領域を踏破してゆくことになる。同書を執筆した40代半ばから86歳で生涯を終えるまで、宇沢は社会的共通資本の経済学の構築に全精力を注いだ。社会的共通資本で宇沢が次に注目したのがコモンズである。日本の入会林野などが伝統的コモンズであり、パブリックとプライベートの中間的な所有形態とみなせる。コモンズの重要性については若手の思想家、斎藤浩平も指摘している(人新世の「資本論」)。産業革命以降、石炭や石油といった化石燃料が動力源となって燃やされ地球環境を悪化させてきた。これ以上の悪化を防ぐために宇沢の思想と経済学はもっと注目されてよい。

12月某日
「ひとり遊びぞ我はまされる」(川本三郎 平凡社 2022年9月)を読む。川本は1944年生まれ。麻布中学、麻布高校を経て東大法学部卒。朝日新聞社入社後、陸上自衛隊朝霞駐屯地での自衛官刺殺事件に関与して逮捕される。執行猶予付きの判決であったが朝日新聞社は懲戒免職となる。フリーライターから文筆業となる。私見ですが新聞社にそのままいても出世はしなかったと思う。懲戒免職はむしろ良かった。本書は雑誌「東京人」2018年8月号~2021年12月号掲載「東京つれづれ日誌」を単行本化したもの。川本の好きなものにこだわったエッセーである。荷風、街歩き、酒、ローカル線の旅そして台湾。川本はそれ以外にもクラシック音楽や絵画にもこだわりがある。本書で建築家の津端修一さん夫婦の穏やかな老後を描いたドキュメンタリ「人生フルーツ」が紹介されている。私は30年くらい前に津端さんに会ったことがある。おそらく津端さんは当時、日本住宅公団を退職したばかりで、住宅の周辺を緑化して環境を保つ「クラインガルテン」を普及させようとしていた。戦争中、台湾の少年工が日本の軍需工場に動員されたが、津端さんはその少年工とも交流があったという。

12月某日
「歴史探偵 忘れ残りの記」(半藤一利 文春新書 2021年2月)を読む。歴史探偵を名乗った半藤は文藝春秋の編集者出身で週刊文春や月刊文藝春秋の編集長を務めた(最終的には専務)。1930年生まれで2021年の1月に亡くなっている。死後、本書のゲラが自宅の机の上に置かれていた。半藤は軽快な筆致で日本の近代史と切り結んでいるが、その裏には該博な知識と深い教養があった。経歴からすると川本三郎と似ていなくもない。二人とも東京生まれの東京育ち、東京大学卒業後、新聞社と出版社へ入社。同じ東京生まれだが片や下町、片や山の手、東大も片や文学部、片や法学部という違いはあるが。永井荷風好きも共通している。「あとがき」に「わたくしは、ゴルフもやらず、車の運転もせず、旅行の楽しみもなく、釣りや山登りも、とにかく世の大概の方がやっている趣味は何一つやらない」と書いている。では何をやってきたか。「ただただ昭和史と太平洋戦争の〝事実″を探偵することに」のめりこんできた」のである。本書は「のめりこんできた」一方での彼の人生のエピソードを随筆というかたちで披露している。彼の出版社時代は高度経済成長の準備期、最盛期と時を同じくする。まさに「良き時代」である。