モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
「明治天皇の大日本帝国 天皇の歴史07」(西川誠 講談社 2011年7月)を読む。平安時代以降、日本の国王たる天皇は後醍醐天皇など一部の例外を除いて直接的な権力を行使してこなかった。「君臨すれども統治せず」ということだが、江戸時代の庶民にとって、自らの王は自分たちと領地を統治する大名とその大名を支配する将軍であって、天皇は京都の御所の密やかな存在で「君臨」とは遠い存在であった。そういう存在が明治維新で一変する。薩長などの倒幕勢力は、その目的のために王政復古というイデオロギーとその象徴として天皇を担ぎだした。維新当時、明治天皇はわずか16歳。

1月某日
11時30分に予約していたマッサージ店「絆」へ。年賀状の返事をポストに出して坂東バスの停留所「若松」から「我孫子駅」行きに乗車、「八坂神社前」で下車、町中華の「喜楽」で中華焼きそばを食す。一人で食べている高齢男子多し。もちろん私もそのひとり。「カットクラブパパ」で散髪。今年から料金が500円上がって4000円に。「八坂神社前」から「アビスタ前」までバス。

1月某日
「ガザ虐殺を考える-その悲痛で不条理な歴史と現状を知るために」(森達也編著 論創社
2024年11月)を読む。現在のイスラエルのガザ侵攻は、直接的には2023年のヒズボラによるイスラエルに対する奇襲攻撃への報復であり、イスラエルに正当性があるかのように見える。しかし本書を読むと、イスラエルというユダヤ国家の建国そのものに疑念が持たれるし、現在のガザ侵攻は本書のタイトルのようにガザ虐殺そのものだ。酒井啓子は「2023年10月7日以降世界で起きていることとして、ガザで数万の住民が圧倒的な軍事力のもとで殺戮されていること、完全封鎖状態のなかで飢餓、衛生状態の悪化により死に瀕していることという、人道的危機の深刻さが第一に指摘できるが、加えて深刻視すべき点は、国連や人道支援組織、国際社会が、この紛争を解決できていないことだ」と述べる。新右翼の代表的な活動家、木村三浩は「今こそ、ベトナムやイラクをはじめ、アメリカがやってきた侵略戦争、介入戦争を徹底的に批判し、検証しつつ、裁く時ではないだろうか。パレスチナ・ハマスの決起とは、彼らが長い歴史の中で置かれた立場からの言い分だということを、我々は想像してみる必要があるのだ」と書いている。虐げられている人々を想像する力ということだろう。

1月某日
「台所で考えた」(若竹千佐子 河出書房新社 2024年11月)を読む。若竹は63歳で主婦から作家になり、70万部のベストセラー「おらおらでひとりでいぐも」で芥川賞を受賞した。若竹の著作を読むのは初めてだがかなり共感できた。弱者への共感そして強者への抵抗とかね。

1月某日
上野駅不忍口で大谷さんと待ち合わせ。御徒町まで歩く。御徒町で前に行った中華、大興を目指すが開店前で断念、御徒町駅前の吉池食堂に変更。ビール、日本酒を頼み、刺身などを食す。吉池は新潟の出なので栃尾の油偈も頂く。大谷さんにすっかりご馳走になる。上野駅で大谷さんと別れ、私は常磐線で我孫子へ。駅前の「しちりん」による。

1月某日
「あの家に暮らす四人の女」(三浦しをん 中公文庫 2018年6月)を読む。「あの家」とは阿佐ヶ谷駅から徒歩20分、善福寺川にほど近い敷地150坪の古い洋館、牧田家のことである。家には寡婦の鶴代、鶴代の娘で刺繍作家の佐知、下宿人の雪乃と多恵美が暮らす。佐知は「私たち、『細雪』に出てくる四姉妹と同じ名前なんだよ」と語る。解説(清水良典)によると「この物語は、谷崎潤一郎の『細雪』が下敷きになっているのである」「長女の鶴子が夫の転勤に伴って東京へ去り、芦屋の邸宅には幸子、雪子、妙子の三姉妹が暮らす」ということだ。私は「細雪」は未読。だがこの小説は楽しく読ませてもらった。私は舞台となった阿佐ヶ谷駅から徒歩20分あたりには土地勘がある。私の知り合いが理事長をやっていた社会福祉法人の経営するグループホームがあったのだ。ヒマに任せてグループホームに通い、阿佐ヶ谷駅界隈で理事長に何度かご馳走になったことを覚えている。