1月某日
「ロシアとは何ものか-過去が貫く現在」(池田嘉郎 中央公論新社 2024年5月)を読む。プーチン大統領が率いる現在のロシア連邦、その前身はソ連であり、ソ連はロシア帝国の打倒のうえに築かれた。東京大学大学院教授で73年生まれの著者は、該博な知識をもとに「ロシアとは何ものか」を解説してくれる。「はじめに」で「過去100年ほどのあいだに、ロシアは帝政から共産党独裁へ、そして大統領国家へと変転をとげた。だが、ロシア史を貫く基本構造は同じである」とし、「統治が直接的な人間関係によって支えられている」と続ける。これを説明するために著者はゲマインシャフトとゲゼルシャフトという概念を用いる。ゲマインシャフトとは、血縁共同体が代表的で「個々の部分がはじめから全体の有機的な一部をなす共同体」でゲゼルシャフトとは、「個々の部分がある利害のために集まって、全体を形成している共同体」で会社が代表的な事例である。「各人が固有の権利をもたず、一個の集団として上位権力から構成されるロシアの人的結合は、よりゲマインシャフト的な傾向をもつ。これに対して、各人が固有の権利をもつヨーロッパ人の人的結合は、よりゲゼルシャフト的な傾向をもつ」。なるほどで。そうすると戦前の日本はゲマインシャフト的であり、中国や北朝鮮もそういう傾向があることにならないか。ただ日本は戦後、完全にゲゼルシャフト化したかというとそうでもないのではないか。昨今のフジテレビや中居某の問題を見聞するに現代日本にもゲマインシャフトの影が残っているように思う。ただロシアもゴルバチョフの時代にゲゼルシャフト化する機会があったようだ。
1月某日
監事をやっている一般社団法人の理事会が八重洲であるので出席。2月にある高校の同期会の会場の予約のためにニュー新橋ビルの「初藤」へ。ランチの後、予約を済ませる。神田駅西口で前の会社の同僚と17時30分に待ち合わせ。時間があるので新橋⇒有楽町⇒東京⇒神田と歩く。17時30分に同僚と会い、西口直ぐの「ととや大関」へ。調子に乗っていささか呑み過ぎ。
1月某日
「あさ酒」(原田ひ香 祥伝社 2024年10月)を読む。「ランチ酒」シリーズの最新刊。「見守り屋」を始めることになった美麻。一晩、クライアントが眠っているのを見守るのが「見守り屋」の仕事。仕事が終わってから朝からやっている食べ物屋で朝食をとることになるのだが…。「ランチ酒」シリーズはそこそこ面白いと感じたのだが、本作はちょっとね。「読み終わったらなるべく早くお返しください」の黄色いラベルが貼ってあったので、これから図書館に行って返してきます。
1月某日
有名タレント中居某から発したフジテレビ問題。社長と会長が辞任し、遠藤龍之介副会長も3月に辞任するという。フジテレビの経営陣はこれで何とか問題の決着を図ろうとしたのだろうが、マスコミと世間の追求の嵐は収まりそうもない。社長と会長を歴任した日枝取締役相談役の辞任は避けられないのではないか、というのが私の個人的な観測。さらに個人的な観測を言わせてもらえば、フジテレビ問題には日本の天皇制の問題が潜んでいる。戦前の明治憲法では天皇は無答責とされた。天皇にはあらゆることに責任がないのである。天皇を政治家や軍部から一歩距離を置かせた伊藤博文らの知恵であった。フジテレビの相談役も無答責なのである。明治憲法は立憲君主制に立脚した、当時としては優れた憲法であったが、軍部の独裁を防ぐことはできなかった。フジテレビは元に戻ることはできるのだろうか?
1月某日
「天皇の歴史08 昭和天皇と戦争の世紀」(加藤陽子 講談社 2011年8月)を読む。昭和天皇は1901(明治34)年4月、明治天皇の皇太子(後の大正天皇)の第1子として生まれる。生涯に3度の焦土を経験した。1度目は皇太子として訪問したヨーロッパで第1次世界大戦の戦跡を訪ねた。皇太子は「戦争というのは実にひどいものだ」とつぶやいたという。2度目は1923年の関東大震災。皇太子は摂政に就任していた。自動車や騎馬で現場を視察した。3度目は太平洋戦争末期の東京大空襲で、天皇は陸軍の軍装で被害地を自動車で巡行した。本書を読むと日中戦争から太平洋戦争における天皇の軍事的な発言が目につく。かなり的確な発言だったようだ。軍事的な知識も豊富だったと思われる。私などは戦後の昭和天皇しか知らないから、生物学者としての天皇や地方巡行の際の「愛される皇室」を体現した天皇皇后像を思い浮かべるだけだが、戦前は確かに大元帥陛下としての天皇でもあったのだ。著者の加藤陽子は東大教授、日本近代史専攻の歴史学者である。半藤一利との共著もある。略歴を見ると1960年うまれ、今年65歳だから東大は定年の歳である。