モリちゃんの酒中日記 4月その2

4月某日
「今日もぼーっと行ってきます」(中島京子 KADOKAWA 2026年2月)を読む。中島京子は1964年3月生まれの62歳。大変リベラルな考えの人で私は彼女の小説を愛読してきた。本書は小説ではなく、エッセーで初出はWEBマガジン「カドブン」note出張所(月刊)に連載された。タイトルは次のような彼女の「思想」に基づいている。彼女の小学生のとき通信簿に「京子ちゃんは、ときどき、頭がお留守になっています」と書かれたそうである。「それからもずっと、しばしば、わたしの頭はおるすになりつづけている」。そして「ぼーっとすることの効用を考えるにつけ、人は「おもしろいから、役に立つから、なにかするのだ」という思想から解放されたほうがよいのではないかと思えてならない」という「思想」に到達する。私も小学生のとき通信簿に同じようなことを書かれたので中島京子には共感します。

4月某日
「【戦後史の解放1】歴史認識とは何か-日露戦争からアジア太平洋戦争まで」(細谷雄一 新潮選書 2015年7月)を読む。戦後50周年を迎えた1995年8月15日、首相の村山富市はいわゆる村山談話を公表した。本書では「村山首相の言葉のなかには、「植民地支配と侵略」によって多くの悲劇をもたらしたことへの「痛切な反省」と「心からのお詫び」という言葉が含まれている。戦後日本の首相による談話で、ここまで踏み込んで「反省」と「お詫び」の念を表明したことはなかった」としている。本書は村山談話を踏まえて「日露戦争からアジア太平洋戦争まで」の歴史を概観したものと捉えられる。著者はオランダ、英米仏と四つの国の大学で、国際政治や外交史を学んできた。それだけに日本の近代史を国際関係のなかで捉え叙述しようとしている。私にとってはかなり新鮮であった。私は本書を読んで、現代のイスラエルのガザ侵攻とパレスチナへの植民を、戦前の日本の中国侵略と満洲国の建国を思い出させた。ロシアのウクライナ侵攻は同じくナチスドイツのポーランド侵攻を思い出させる。歴史は繰り返す!

4月某日
「デッドエンドで宝探し-あんたは青森のいいとこばっかり見ている」(能町みね子 hayaoki 2026年1月)を読む。能町みね子は数年前から夏を青森で過ごしている。デッドエンドとは「行き止まり」のこと。青森は本州最北端であり、確かに下北半島も津軽半島も行き止まりである。しかし能町が最初に訪れたのは二つの半島の中間にある夏泊半島である、夏泊はバブルのころ接待ゴルフで行ったことがある。接待する方ね。確か夏泊半島の付け根にゴルフ場があったような記憶がある。ゴルフ場のロッジに泊まったような記憶がある。私は実家が北海道室蘭市だから学生の頃は青森から青函連絡船で函館へ渡り、そこから特急で東室蘭まで帰っていた。飛行機の利用なんて考えられなかった。 

4月某日
「満州事変から日中戦争へ シリーズ日本近現代史⑤」(加藤陽子 岩波新書 2007年6月)を読む。1931(昭和6)年9月の柳条湖事件をきっかけに満州事変が始まる。翌32年には満洲国が建国される。中国の要請により国際連盟から調査団(リットン調査団)が派遣される。33年3月、調査団の報告書に不満だった日本は国際連盟を脱退する。36年7月の盧溝橋事件から日中戦争の戦火は拡大する。国際的な孤立を深める日本は同年11月、日独防共協定締結。41年12月の真珠湾攻撃、アジア太平洋戦争の開始…。日本の軍人と国民は大変な勘違いをしてきたと言える。日中戦争が闘われたのは中国大陸であり太平洋戦争が闘われたのは太平洋の洋上と島々、フィリピンとビルマなどの東南アジアである。日本本土は激烈な空襲にさらされたうえ、2度の原爆投下も経験したが、沖縄以外では陸上戦は闘われなかった。要するに他人の土地で戦争を行い、現地の人々に多大な迷惑をかけてきたのがアジア太平洋戦争なのである。

4月某日
好天に誘われて散歩。と言ってもバス停のアビスタ前に来たらちょうど我孫子駅行きのバスが来る時刻だったので数分待って乗車、我孫子駅前へ。我孫子駅北口を散策した後、再び我孫子駅南口へ。バス通りを歩いているとバスが来たので、手賀沼公園というバス停でバスに乗車、我孫子市役所前で下車、我孫子の農産物直売所「あびこん」へ。レストラン「米舞亭」で「生姜焼き定食」1200円を食べる。我孫子高校前からバスでアビスタ前へ。徒歩で自宅。バスを随分利用したが私は障害者手帳を持っているので、運賃は半額となる。ありがたいことです。