9月某日
社会福祉法人の理事への承認を要請されたので受諾することにする。SMS社で打合せ中に理事長から「ハンコと署名が6時半まで必要なの」という電話が。しようがないから地下鉄で高田馬場へ。途中でハンコを買う。7時半から神田のジビエ料理の「罠」で呑み会があるので折り返し神田へ。「罠」にはHCM社のM社長と当社のS田が既に来ていた。白ワインから呑み始める。ジビエとは野鳥やイノシシ、シカなどの野生動物の肉を言うらしいが、この日はキジやイノシシ、シカなどを食べる。遅れて記者のJ、国立病院機構のFさんも参加。M社長とS田と私はM社長行きつけの銀座のクラブへ。
9月某日
図書館で借りた桐野夏生の「錆びる心」(文春文庫 00年11月 単行本初版は11月)を読む。桐野夏生は私のお気に入りの作家。「OUT」「柔らかな頬」「ナニカアル」「だから荒野」などいずれも面白かった。写真で見ると結構美人。62歳だけど。「錆びる心」は短編集。桐野は長編で並々ならぬ力量を示すがこの短編集も読ませる。桐野の小説を読むと「人間ってどうしようもないな」と思うと同時に「それでも人間って面白い」と思わせる。
9月某日
社会福祉士でいわき市の病院でMSWをやっているS木さんがCIMのN宮理事長と一緒に来社。当社で「メディカル・クラーク」という雑誌の編集をやっているI佐と「へるぱ!」やSMS社関連の介護系の編集をやっているS田を引き合わせる。S田は民介協の仕事でいわき市の地域包括センターの取材をしたことがあるので話が盛り上がった。14時に医療介護福祉政策研究センターのN村理事長にS木さんとN宮さんを連れて行く。北里病院のO野沢先生の開発した「退院支援システム」について説明する。N村さんからこのシステムの優れている点のエビデンスが不足しているのではないかとか他のシステムとの差異性がよく分からないとの貴重な指摘を受ける。
9月某日
国立新美術館に「オルセー美術館展」をデザイナーのY沢さん、フリーライターのK川さんと観に行く。「印象派の誕生―描くことの自由」というサブタイトルが示すようにマネ、モネ、ミレー、セザンヌ、ルノアールといった印象派の絵画を鑑賞。マネの「アスパラガス」という小品には、アスパラガスの束を描いたマネの絵に80フランの値に対し100フランが送金されてきたため「あなたがお買いになったアスパラガスの束から1本抜け落ちていたので追加します」という手紙を添えてその客に贈られたという説明文があった。シャレているね。私はそのアスパラガスの絵葉書と同じくマネの「ロシュフォールの逃亡」などの絵葉書を購入する。
絵を鑑賞した後、赤坂の「どまん中」という居酒屋で会食。我孫子へ帰ってから「あい花」に寄る。常連さんが書いた小説の草稿を読まされる。冒頭部分を読んだだけだが、ヒラリー・クリントンを模したと思われるオバマの後の大統領の就任演説が私には巧みに描かれていると感じられた。
9月某日
銀座の「銀波」という高級居酒屋で私の卒業した室蘭東高校の首都圏同期会。室蘭東高校は千五の第一次ベビーブーム世代の高校進学に備えて新設された高校で私たちが2期生。1学年5クラスでうち普通科が3クラス、商業科が2クラス。普通科でも3クラスしかないので全員が顔見知り。年齢が50台に差しかかったころから首都圏で同期会を開くようになった。出光興産を退職したS川君が永久幹事をやってくれている。銀座の交差点を渡って会場に行こうとしたら、やはり同期生のF君がいたので声をかける。F君は小学生のとき、私の通っていた高砂小学校に転校してきて以来、中学、高校と一緒。高校を卒業後、神奈川県警に勤務したが、いまはなぜか幼稚園を経営している。会場に入ると懐かしい顔が揃っていた。ちょいと呑み過ぎなので一時会で失礼する。
9月某日
図書館から借りた「大将論」(池宮彰一郎 朝日新聞社 02年3月)を読む。指導者とかリーダーと呼ばれるためには何が必要なんだろうという最近の私の関心にも答えてくれるような気がしたからだ。イスラム史の山内昌之との対談で、山内は「島津義弘は、領国と民に対する安堵、これが侍としての本分であると肝に銘じている」と言っている。これですね。会社と社員、社長の関係から言うと「会社と社員に対する安堵。これが社長としての本分である」と言い換えることができると思う。
9月某日
高田馬場でグループホームを経営する社会福祉法人の理事になってくれと頼まれた。認知症ケアや地域福祉を学ぶいい機会なので承諾することにした。ごループホーム経営の相談に乗ってくれる人が来るというので高田馬場へ。NPO法人でグループホームを経営しているH田さんと社会保険労務士のN田さんと名刺交換。その後、日暮里で健康生きがいづくり財団のO谷常務に会う。「ばんだい」というお店で日本酒を4~5杯。隣に座った式根島か神津島で電気屋を営んでいる70歳代のご夫婦と話す。温厚で上品なご夫婦だった。あんなふうに年をとりたいね。高田馬場のビッグボックスでブックカバーをバーゲンしていたので買う。
9月某日
結核予防会のT下さんが10月から常務になるというのでお祝いの会をすることに。上野の
池之端のホテル鴎外荘の京料理「伽羅」を予約する。上野駅から不忍池に沿って鴎外荘まで歩く。ホテルに着いたらフィスメックのK出社長が既に来ていた。取り敢えず二人で生ビールで乾杯。遅れてT下さん、社会保険出版社のT本社長が来る。コース料理を頼んだのだが私にはちょっと重い。
9月某日
八丁堀のCIMネットで「退院支援システム」の開発者、北里大学病院のO野沢先生に会う。現在実用化に向けてバージョンアップの最中という。完成したら厚労省の記者クラブで記者発表することをアドバイスした。HCM社でH田会長、M社長に会う。遅れて弁護士のK林先生が来る。私とHCMのK島さんをいれて5人で高級居酒屋へ。獺祭や田酒、黒龍などの銘酒をご馳走になる。K林先生は確か木場の材木屋の名家の出身。学習院から名大の大学院を出ている。奥さんは明治維新で活躍した井上聞多の直系で岳父は日本古代史の井上光貞という華麗なる家系。でも全然気取ることのない気さくな先生だ。知り合いの飲み屋のママさんが何か法律問題で悩んでいたとき紹介したら、1時間以上も話をきいてくれてアドバイスをくれたそうだ。それで相談料は2000円しかとらなかったそうでママはいまだに感謝している。