9月某日
図書館から借りた「リストランテ アムール」(井上荒野 角川春樹事務所 15年4月)を読む。井上は我孫子図書館でも人気で本の裏に「この本は、次の人が予約してまってます。読み終わったらなるべく早くお返しください。」と書かれた黄色い紙が貼ってある。11章からなる中編小説の各章の冒頭には「本日のメニュー」が掲げられている。たとえば1章では「プンタレッラのサラダ・カリフラワーの赤ワイン煮・蛙のフリッと・猪のラグーのパスタと白トリュフ・仔牛のカツレツ・カスタニャッチォ・罵る女」という具合である。最後の「罵る女」というのが1章のタイトルといえばタイトルになっている。メニューの半分くらいしか意味が分からない私だが、この本を読み終わる頃には「イタリア料理も悪くない。今度挑戦してみたい」と思ったほどである。ということは小説のストーリーだけでなく料理に関する文章も「読ませる」ということなんだろうな。弟がシェフで姉がウエイトレスとレジの小さなレストランがアモーレ。弟はプレイボーイ、姉は弟の料理の師匠にに片思い。そこに姉妹の父親が絡んでくるのだが、この父親、私には井上の父の井上光晴を思い出させたのだけれど。井上荒野には惣菜屋を舞台にした「キャベツ炒めに捧ぐ」という小説もあるようで今度、読んでみよう。
9月某日
家の近くの喫茶店の店頭で古書が売られている。文庫本が1冊100円なので3冊を買い、300円出すと店の人が「3冊買うと200円です」。安いなー。そのうちの1冊、「梔子の花」(山口瞳 新潮文庫)を読む。梔子は「くちなし」と読む。知らなかった。山口瞳が週刊新潮に連載していた「男性自身シリーズ」の1冊である。「男性自身」はエッセーとばかり思っていたが短編小説もあるのだ。「梔子の花」は42編の掌編小説で構成されている。週刊誌2ページ、原稿用紙10枚弱。それを毎週毎週書くというのは大変なことであろうと思う。登場人物は全編違う。登場人物の名前も当然違うのだが、名前を考えるだけでも結構大変だったのではないだろうか。登場人物は市井の人、それもサラリーマンが多い。山口は時代小説や歴史小説は書かなかったと記憶するが、山口の小説に出てくるサラリーマンは、武士道ならぬサラリーマン道を歩んでいるようにも思える。それは直木賞を受賞した「江分利満氏の優雅な生活」以来変わっていないように思う。シルバーウイークなので上野公園に行って美術館に行こうと思い上野駅で下車する。家族連れで賑わっている。ふと思い立って上野動物園に行くことにする。シルバーウイークなので60歳以上は入場無料とのこと。木戸銭を払わずに入ったのはいいが、なかは家族連れで大混雑。ニホンザルと象を見て退散する。
9月某日
「胃ろう・吸引のシミュレータ」の販売会議を新橋のHCM社で。同社の大橋社長と開発者の土方さん、それに映像で協力してくれている横溝君というメンバー。すでに開発を終え一部試験販売をしている気管カニューレを本格的に製造して販売に入るかが議題。製造コストをだれが負担するのか、という最大の問題は残ったままだが、来月に迫った「福祉機器展」には社福協のご厚意で社福協のブースの一角を借りて出品することにする。終わって新橋の青森の郷土料理の店「おんじき」で大橋さんにご馳走になる。青森弁のウエイトレスが可愛かった。もちろん料理も酒も美味しい。終わって大橋さんと神田の葡萄舎へ。
9月某日
図書館で借りた「秋山祐徳太子の母」(秋山祐徳太子 新潮社 15年6月)を読む。どこかの書評でほめていたので借りたのだがなかなか面白かった。秋山は前衛的な美術家で都知事選に立候補したことぐらいしか知らなかったがこの本を読んで相当な人物であることが分かった。それはそうと秋山の母上は千代といって明治38年生まれ。昭和10年に秋山を産み、11年に夫であり秋山の父だった英起を亡くす。以来、千代が死ぬまで母と子の二人三脚は続く。江戸っ子の千代は気風はいいし料理は上手、つねにご近所の人気者だった。その親子の日常が活写されるのだが、秋山が芸大を3浪しても受からず、武蔵野美術大学へ進学、自治会の委員長をやった4年生のときが60年安保の前夜。就職した年の6月15日、秋山は会社を無断欠勤して国会へ。経済も急成長していたし社会も政治も活気づいていたことがよくわかる。後半になって西部邁との交遊にも触れられるが、2人は全学連仲間でもあるわけだ。秋山とは13歳年下の私とは体験が異なるものの強く共感を覚えた。
9月某日
川村学園の副学長、吉武さんと西荻窪の「たべごと屋のらぼう」に行く。なかなか予約がとれない店という。お店に行く前に武蔵小金井の小金井リハビリ病院に入院している荻島國男さんの奥さん、道子さんを見舞いに行く。奥さんは前よりもずいぶん元気になったように感じられてうれしかった。「のらぼう」は確かに材料が厳選されている感じがして、それに料理への情熱というか、手間の掛け方が感じられて「なるほど人気のある店だ」とうなづかされた。
9月某日
高校(道立室蘭東高校)の首都圏同窓会、銀座の「銀波」で。私たちの高校は戦後のベビーブーム世代の高校進学に備えて急造された新設校で私たちは2回生。1回生には「東アジア反日武装戦線」事件で逮捕され、逮捕直後に服毒自殺した斉藤和、大宅荘一ノンフィクション大賞を受賞した久田恵がいるが、私たちの同級生にはそうした有名人は出ていない。だが普通科3クラス(他に商業科2クラス)のこじんまりした高校でそのぶん仲がいい。出光興産を退職した品川君が毎回、幹事をやってくれている。私は開始時間ぎりぎりの4時に滑り込んだため、席は一番端。隣が元我孫子市役所の坂本君、その隣が元横浜市役所の多羽田君、向いが元住友金属の小島君だ。私たちが就職した当時は高度経済成長期で有名企業や役所に就職した人が多い。ビール、ウイスキー、日本酒でかなり酔う。品川君と2次会(葡萄舎)へ。別れて上野駅へ。上野駅で電車に乗ろうとしたら我孫子の呑み屋で知り合った看護師、植田さんに声を掛けられる。電車では爆睡したが上田さんに我孫子駅手前で起こされる。上田さんと我孫子駅前のバー、ボンヌフでジントニックを2杯ずつ。呑みすぎである。
9月某日
井上荒野の「レストランテ・アムール」が面白かったので、同じ作家の「キャベツ炒めに捧ぐ」(角川春樹事務所 11年9月)を図書館から借りて読む。総菜屋で働く3人の初老の女の物語。ひとりは離婚、ひとりは死別、ひとりは20代で振られてからずっと独身。3人のそれぞれの事情とおいしそうな惣菜を軸に物語は進む。「リストランテ・アムール」もそうだったが、途中の紆余曲折はあるにしても基本はハッピーエンド、登場人物に悪者はいない。井上の作品には人間に対する信頼とか愛情を感じてしまうのですが。
9月某日
「介護職の看取り・グリーフケア」の聞き取り調査で宮城県石巻市に。石巻市を中心に訪問介護、通所介護、訪問入浴、居宅介護支援、グループホーム、サービス付高齢者住宅などを幅広く展開している「ぱんぷきんグループ」の渡邉社長に取材するためだ。東日本大震災の直後といってもいい2011年の5月、取材で渡邉さん(当時は常務)に会ったのがきっかけだ。その時の社長が渡邉現会長。渡邉社長は土井経営企画課長とコミュニティケアプラザの末永さんと取材に応じてくれた。この取材にはセルフケアネットワーク(SCN)の高本代表理事と市川理事も同行。というか調査の主体はSCNなので、私が同行させてもらった。取材後渡邉会長と私たち3人で歓談。渡邉会長がどうして介護の業界には入ったかかというお話。会長がトラックの運転手をしていた20代、自動車事故に巻き込まれる。「意識はあったんだよね、自分の足が自分の意志ではどうにもならずぶらぶらしているのがわかったもの」。最初に担ぎ込まれた病院では断られる。「うちではどうにもできません」。「そりゃそうだよ。看板を見たらそこは産婦人科だったのさ」。結局、大崎市の個人病院に入院し治療を受ける。「それが結果的に正解だったのさ。大きな病院だったら間違いなく片足は切断されていた」。しかし首から下を石膏のギブスで固定され身動きの取れない日が続く。「こっちも荒れてさ、病室の看護婦を泣かせてばかりいた」。そんな会長を変えたのが婦長さんの献身的な行為。クーラーのない病室、夏の暑い日が続く。ある日婦長さんがベッドの大きさにベニヤ板を持ってきてくれて「この上に寝てみなさい」といってくれた。背中を風が通り実に快適だったという。会長は快適さもさることながら婦長の「患者を想う思い」に打たれたという。「それからさ。早く良くなって困っている人の役に立ちたいと思うようになったのは」。この会長は本物だと思う。
会長の話を伺った後さっき話を聞いた末永さんが責任者をやっている小規模多機能施設を見せてもらう。木材をふんだんに使った暖かみのある建物で、末永さん自身も大変暖かい人だった。取材を終わってホテルへ。夕食を取りに外へ出るが2軒が満員。3軒目に入った「どんぐり」は最初は我々だけだったがこれが正解。石巻の海の幸と美味しい日本酒をいただく。