社長の酒中日記 9月その2

9月某日
介護ロボットの取材で厚労省老健局高齢者支援課の介護ロボット開発普及推進官の小林毅さんに取材。小林さんは作業療法士で現場経験も豊富で教員の経験もあるという。ロボットにしろ車椅子やスライディングシートなどの機器や道具は上手につかいこなせるかどうかがカギのような気がする。過度に期待するのは禁物と思いながら、人工知能の開発などを見聞きすると鉄腕アトムのような人型ロボットも夢とは言えないかもしれない。夜、フィスメックの田中会長と神田の「福一」へ。当社にバイトで来ている川隅さんから頂いた日本酒、「酒一筋 赤磐雄町」を持ち込む。

9月某日
日経朝刊の「経済教室」で岩本康志東大教授が「現在の財政政策は、リーマン危機からのケガが癒えても治療を続けているところに、次のケガに備えてさらに治療を上乗せするようなものだ」とし「注力すべきは財政・金融政策ではなく、構造改革だ。そして政府に頼らない民間の強い活力が必要だ」と書いていた。消費増税を延期し追加の財政出動を行うという現状の財政・金融政策に対する批判である。同感です。夜、国立病院機構の古都副理事長と東京駅丸の内口の三菱東京UFJ信託銀行本店ビル地下1階の「ヴァン・ドゥ・ヴィ」で待ち合わせ。6時過ぎに当社の迫田とまずビールで乾杯、次いで東京介護福祉士会の白井会長と健康生きがい財団の大谷常務が来る。7時ごろに古都さんが来て全員が揃う。

9月某日
図書館で借りた「ニシノユキヒコの恋と冒険」(川上弘美 新潮文庫 平成18年8月初版 単行本は15年11月)を読む。西野幸彦は姿よしセックスよし。女には一も二もなく優しい。だけど最後は必ず女性に去られてしまう。交情があった10人の女性が思いを語るというこの連作小説、私には面白いと感じられた。恋愛とは結局のところ思い込みであり、すれ違いなんだということが書かれているような気がする。川上の「センセイの鞄」もそんなことが書かれていたように思うが、どうなんだろう。

9月某日
「へるぱ!」の取材で茨城県日立市へ。「日立市における新しい総合事業の取組み状況」を取材。総合事業を立ち上げた黒澤さん、保健師の大森さん、看護師の白木さんが取材に応じてくれる。日立市は既存の地域コミュニュティの組織力を上手に活用しているのが特徴。社協やシルバー人材センター、社会福祉事業団がうまく機能しているようだった。それと町内会や老人会、地区社協など市内の23団体で構成される「地区コミュニティ推進会」の働きも見逃せない。保険料と税金だけではこれからの高齢者の暮らしを支えていくのは困難だ。日立市の取組みは住民の互助と行政の連携のモデルケースと言えそうだ。
元三井海上の公務部にいた宮本良雄さん(現在かんぽ生命)と元年住協(現在環境協会)の林さんと会社近くの「跳人」で吞む。医療事務協会に勤める町田智子さん(元国民年金協会)から大分土産の焼酎とカボスをいただいたのでビールで乾杯のあと、早速焼酎の水割りにカボスのスライスを浮かべて頂く。3人とも酒好きなので頂いた焼酎を1本空け、ボトルを預けていたバーボンの残りも空ける。相当酔ったようで、次の日左腕に着けていた腕時計の金属のバンドが破損していることに気付く。そういえば左足の靴が泥で汚れているうえ、左腕に鈍痛が。おそらく帰宅途中に転倒したものと思われるが全然覚えていない。気を付けないとね。反省!

9月某日
桐野夏生の新作「サルの見る夢」(講談社 16年8月刊)を我孫子駅前の書店で購入。桐野は我孫子市民図書館でも大人気で、新作が出るとリクエストは数十人に及ぶ。で、桐野の新刊は書店で買うことになる。450ページの大作だが土曜日の午後に買って日曜日の午前中には読み終わっていた。「巻を置く能わず」という感じで読み進んだ。主人公は元銀行員で現在は女性衣料品製造小売業の「OLIVE」の財務担当取締役、薄井正明59歳である。薄井には銀行の元部下だった愛人がいて彼女のもとに週2回通っている。そのうえ「OLIVE」創業者で現在会長の秘書にも魅力を感じて近づこうと思っている。まぁ女好きでケチな野郎である。だが読み進むうちに主人公に同化していく自分に気付く。「こいつって俺みたい」。社内のセクハラ、母の死と妹夫婦との遺産争い、妻の呼び寄せた謎の占い師といくつかのストーリーが交錯する。それらのストーリーを巧みにつないでいくのは作者の力量であろう。この本の帯に桐野が「これまでで一番愛おしい男を書いた。」というメッセージを寄せている。桐野の意図はわからないけれど、男の欲望(愛欲、物欲、出世欲)が嫌らしくも切なく描かれているのは事実。読後感はちょいとやるせない。

9月某日
高橋ハムさんが代表を務める「プロジェクト猪」からニュースレターに同封されて「日大闘争の記録-忘れざる日々」が送られてきた。日大闘争とは不正経理の追求に端を発した日大の全学共闘会議と大学当局、右翼暴力団、警察権力との一連の闘いである。1968年の11月22日の東大安田講堂前で開かれた「東大日大闘争勝利!全国学生総決起集会」には私も青ヘルメットを被って参加した。当時私が1年生として在学していた早大政経学部の自治会が社青同解放派で、当時はセクトによって被るヘルメットの色が決まっていた。ちなみに社学同が赤、中核派が白、革マルは白ヘルの縁に赤いテープを貼って、ヘルメットの正面に大きくZと画いていた。Zは全学連のこと。11月以降、早稲田では解放派と革マルの緊張が激化、解放派は早稲田から放逐され東大駒場に逃れる。私も当初は東大駒場に詰めていたのだが、激化する内ゲバに耐え切れず敵前逃亡した。翌年の1969年の1月18日、19日の安田講堂の攻防戦を経て、4月17日早稲田の反戦連合を核とする反革マル連合は革マルの戒厳令を突破、大学本部封鎖を敢行する。私も前夜から明治大学の学生会館に泊まり込み、確か東西線の神楽坂から隊列を組んで早稲田の正門に向かった覚えがある。早稲田の全共闘運動は、東大や日大に比べると大変に甘く底の浅いものであったと言わざるを得ないけれど、私の人生に与えた影響ははかり知れないものがある。